酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第一部

3「小屋」

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 練習を始めてから3か月程が過ぎ、若領主はようやく一通りの領主文字を書けるようになった。
 まだ自由に使いこなせるわけではないものの、手本を見ずに書いた領主文字が領主に認められたことで、一先ずこの書き写しを続ける日々は終わりを迎える。

「領主文字の習得、おめでとうございます」
「あぁ、3か月かかった…ようやくだ…」

 部屋に積み上げられていた領主文字に関する本を片付けながら、若領主は領主への大きな一歩を踏みしめていた。
 しかしこれはまだ一歩にすぎなず、まだまだ長い道のりが待っている。

「少しずつ描いていたのに、これもすっかり出来上がってしまった」

 若領主は片付けの後で残った、あの1枚の設計図を手に取った。
 息抜きのために描いていたものだが、こうして実際に描いてみれば、あの『違和感の正体』について何か分かるかもしれないと期待を込めていたものだ。

「何だろうな、おかしな点は。そもそもこの屋敷の設計自体が普通とは違うから、他と比較しておかしな点を探そうとしても意味がないんだ」
「また『違和感の正体探し』ですか」
「うん、そうだ」

 本類を隣にある記録室へと戻してきた侍従も設計図に目を向けた。
 これまでは領主文字の習得に忙しくしていたが、それから解放された今、若領主は今こそこの『違和感の正体』を突き止めるべきだと息巻いている。

「初めはここの梁と柱の辺りがおかしいと思ったんだ。でも別に…確かめてみたけど、ちゃんと筋交いが入ってるようだし、他の壁と変わらない感じだった」
「しかし、彫刻が違います。私も気になっていたんです」

 侍従は若領主が怪しいと見ていた柱に近付くと、その美しく繊細な彫刻に指先を滑らせた。
 この屋敷ではどの柱にも彫ることが特に難しいと言われている模様が彫刻されているが、侍従の指摘する通り、この柱2本には他よりもより一層複雑なものが彫刻されている。

「この図案の彫刻は極めて繊細で、1木で彫り込めるものではないとされています」
「と…いうことは?」
「この模様1つ1つが別に彫られ、1つの彫刻となるように組み合わされているということです」

 若領主が改めて見てみるも、その模様には継ぎ目などは一切見当たらない。

「組み合わせには必ず順序があると言います。私が1番最後に嵌め込むとしたら…」

 侍従はおもむろに模様の1つへ手をかけると、そのままぐっと力を込めて手前に引っ張った。
 あまりにも躊躇なく力を入れた侍従に、若領主は慌てて「こ、壊しちゃったらどうするんだ!?」とやめさせようとする。
 しかし、そんな心配をよそに、侍従は手をかけた模様を手に入れていた。
 なんと、侍従の言う通り、この柱の彫刻は模様の1つ1つが別に彫られ、組み合わされたものだったのだ。

「…やはり、あの彫刻家は偉大です。模様を彫り込むだけでも相当な技術がいるものなのに、それらを組み合わせるとなると緻密な設計と正確さが必要になるものなのに」

 呆気にとられていた若領主は模様が抜き出された奥に木片が納められていることに気付き、手を伸ばしてそれを取った。

「これは構造上のものじゃないな…なんだか閂みたいだ。ということは、この壁はもしかして…」

 若領主が柱の横にある壁をそっと手で押すと、今までにはない僅かな揺れる感触があった。
 手をついたままその壁を横に滑らせるように力を入れると、多少のがたつきはあるものの、壁は柱の隣に備え付けられた本棚の後ろへと消えていく。
 
「か、隠し扉だ…」

 若領主は信じられないという様子でその奥を覗き込む。
 それは外に繋がる道だった。
 外から隠すように上と横を植物の立派な蔓が守っているその道は、一切人が通っていないためか、作られた当初よりもいくらかは荒れ果てているようだ。

「…この先には何があるんだろう、見てきてもいいかな?」
「危険はないかと思いますが…大丈夫ですか」
「うん、ちょっと行ったらすぐに戻ってくる。来客があった時に誰もここにいないのは良くないから、君はちょっとここで待っててくれ」

 侍従にそう言い残すと、若領主はその道へ一歩を踏み出す。
 陽が細くあちこちに降り注いでいて、暗くはない。
 若領主は道に敷かれた木の板の上を歩きながら、この通路は外からどのあたりになるのかを考えていた。

(ここは屋敷の裏だよな…城から庭師がたまにやってきて手入れしてるみたいだけど、外から見ればただの生け垣になっているのか?誰も気付かないなんてことがあるのか…?)

 そうしてしばらく歩いていると、道を曲がった先で急にひらけた場所に出た。
 周りを鬱蒼とした木々に囲まれたその場所は、屋敷よりも小高いところにあって、あの美しい屋敷を観るのにこの上ないというほど良い位置のようだ。

(屋敷の裏側でさえも、こんなに美しく見えるように設計されているんだな…。もしかして、あの兄弟はこの景色を見せるためにあんな隠し扉と道を作ったのかな?)

 若領主はひとしきり屋敷を眺めた後に、辺りを見渡した。
 ここに至る道と同じく長い間人が踏み入っていないようで、多少荒れた土地だという印象を受ける。
 しかし、木々の香りや陽当りの良さはとても心地良い。

(この長く伸びた草を切れば、一休みするのに良さそうな所だな…うん?あれは?)

 若領主が背丈ほどもある草を少しかき分けて進むと、その先に何か建物のようなものがあるのが見えた。
 やはり荒れ果てた様相ではあるものの、それは小さな小屋だった。

(周りがこんなに荒れていてもまだこうして建っているなんて、よほど基礎がしっかりしているんだろう。とすると、やっぱりこれもあの兄弟の…?)

 小屋の入口までなんとか進み、その戸を開いた若領主は目を輝かせた。
 床板はあちこちめくれ、調度品の木材にも傷みが見られものの、補修をすれば十分に部屋として活用できるような空間だ。
 若領主はうずうずとした気持ちを抑えきれなくなり、小屋を飛び出してあの道を下っていった。
 息が切れるのも構わず執務室へとたどり着くと、侍従は「どうされましたか、何があったんですか」と心配そうに尋ねてきた。

「なぁ、木材の調達を頼まれてくれないか?あと…あと木工具も!木材の種類と寸法を渡すから…」
「少し落ち着いてください、何があったんですか」
「小屋だよ!小屋があったんだ、荒れていたけど、補修をすれば大丈夫だ」

 興奮した様子でそう言う若領主に、侍従は「何を仰ってるんですか」とたしなめるように言った。

「若領主はやるべきことが沢山あるんです、小屋の補修など…」
「あぁ、そういえば調度品も随分と傷んでいたんだ。あれらには彫刻が映えると思うんだけど、どうだろう」

 若領主の言葉を受けた侍従は、険しい表情をしながら無言で訴えてくる。

(私まで巻き込もうとするなんて、卑怯ではありませんか…)

「いや、別に良いんだ。ただ、前に『彫刻をしたくても作品の置き場がないからできない』と言っていたじゃないか」
「しかし…」
「もちろん、本来の仕事にきちんと取り組んだ上でだ。支障がない程度になら好きなことをしたっていいんじゃないか?」
「…分かりました、分かりましたから。木工具と木材の調達ですね」
「うん、そうこなくては」

 そうして数日の後、早速侍従は若領主の頼み通りに木材を工芸地域へと発注した。



 領主文字漬けの次に若領主を待っていたのは、歴代領主がつけてきた記録を読む日々だった。

 酪農地域の領主は肉の管理から牧草の管理に至るまで、どれも細かく記録をつけて動向を見ていかなければならない。
 牧草の生育状況をよく見定め、冬に向けた牧草の収穫時期を決めるのも領主の重要な仕事の1つだ。
 どれも生き物相手のため、計画通りの1年を過ごせることは殆ど無い。
 そのため、様々な記録を読み、『牧草が不作だった時の対処』や『計画通りの頭数が産まれなかった時の対処』などをよくよく学んでおくのだ。

 若領主はそれらの過去の記録を片っ端から読み込みつつ、手の空いた時間であの小屋の補修作業を続けた。
 床板や屋根はもちろんのこと、辺りの草刈りに至るまで、その全てを1人で行う日々。
 疲れはするものの、ただ記録を読んでいるよりも遥かに健康的で、なによりその疲れさえも吹き飛んでしまうほどの達成感と愛着があの小屋にはあった。

「若領主、日照に関する記録をお持ちしました。こちらの水害に関するものは全て記録室へ戻しておきますね」
「うん、頼んだ」

 侍従は若領主の机の端に積み上げられた本達に手を伸ばすと、少し声を潜めるようにして「彫刻、出来上がりましたよ」と告げた。

「もう?さすがに仕事が早いな」
「いえ、まだ1つだけですから。建具も少し仕上げ直しておきましたので、後ほどこちらへお持ちします」
「ありがとう、悪いね」

 侍従によって彫刻と磨きなどの仕上げ直しがされた建具はとても美しい出来栄えで、あの小屋の雰囲気にとても良く合うものだ。

「あぁ…ついに補修も終わったな、一先ずはこれで大丈夫だろう」

 若領主は小屋の中をじっくりと見て回る。
 幼い頃から木工場によく行ってはいたものの、将来領主となるにあたって他の職人のように大きな建築などをしたことがなかった若領主は、初めて自分で計画を立てて成し遂げたこの小屋の補修がとても誇らしく思えた。

(ここで…ここで寝泊まりができたらもう何も言うことはないんだけど…)

 若領主は小屋にすっかり愛着が湧いていて、反対されるとしても侍従に「だめだろうか…?」と尋ねることにした。
 侍従は眉をひそめて「屋敷ではなく、小屋に寝泊まりですか…」と呟く。

「いずれそう仰るんじゃないかとは思っていましたが」
 
 深く考え込んでいる侍従の様子に(やはりだめか)と諦めかけたその時、侍従から思いがけない提案がされた。

「小屋は若領主のお仕事がない時、つまり私的な時間にお使いになって…泊まりは時々ということにされては…いかがですか」
「い、いいのか…!?」

 侍従は「そのかわり」と釘を刺す。

「本来は有事の際にすぐ対応できなくてはならないのですから、この執務室から小屋へすぐ合図が送れるように何かしらの方法を考えなければなりません。そして、執務室からの合図があり次第、すぐさまこちらまで戻ってきていただくこと」
「あぁ、もちろんだ」
「そして、決して煮炊きをしないことです。火事だの煙だので小屋の存在が知られてしまえば、私はもちろん、若領主もただでは済みません」

 強い注意を帯びた侍従の言葉に身を引き締めつつ、若領主は「約束する」と強く頷いた。


 こうして、若領主は時間を見つけてはあの小屋で過ごすようになった。
 執務室から小屋へ通じるあの戸は、閂となっていた木片を取り外したまま彫刻を嵌め直すことで、見た目はかつてのまま容易に開閉ができるようになっている。
 さらに、隣にある記録室や侍従用の部屋の柱を調べてみると、やはりそれらにも同じような仕掛けが施されていて、執務室を含めたその3部屋は廊下を介さずとも行き来できるようになっていた。

(まったく…あの屋敷はどうなっているんだ?そもそも、何のために隠し扉なんかを設計したんだろうか。何か理由があるのか、それとも…)

 屋敷の設計をした兄弟は非常に優れた木工の腕前を持っていたことで有名だが、その人柄については伝わっていない。
 若領主は兄弟が木工場の職人達のように寡黙なのだろうと思ってきたが、もしかしたら遊び心あふれる2人だったのかもしれない。

 カランカラン、と音がして、若領主はすぐさま小屋から執務室へと降りていった。

「やぁ、どうした?」
「ご領主がお呼びとのことです」
「分かった、では向かおうか」

 身なりを整え、若領主は侍従と共に執務室を出る。

「ちゃんと機能しているようですね」
「あぁ、それもそれなりに大きな音で」
「小さくて気付かないよりは良いでしょう」

 執務室からの合図のため、小屋には放牧する牛達に付ける小さな鐘が取り付けられた。
 侍従が執務室から紐を引くと、道を伝って小屋の中の鐘が鳴り響くのだ。


「もうじき秋の儀礼が行われるのは知っているな」
「はい」
「当日に備えて舞の稽古を始める。君も加わりなさい」

 領主は相変わらず、言葉少なに言う。

「そして、これから少しずつ君に仕事を割り振ることになる。秋の儀礼も来年からは君に任せるので、そのつもりで」
「かしこまりました。精進いたします」

 若領主は翌日からの舞の稽古を皮切りに、少しずつ酪農地域内の仕事を任されるようになっていった。
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蓬屋のBLに興味をもって下さった方へ…ぜひ他作品の方も併せてご覧下さい。【以下、蓬屋のBL作品紹介】《陸国が舞台の作品》: ・スパダリ攻め×不遇受け『熊の魚(オメガバース編有)』 ・クール(?)攻め×美人受け『彼と姫と(オメガバース編有)』 ・陸国の司書×特別体質受け『図書塔の2人(今後オメガバース編の予定有)』 ・神の側仕え×陸国の神『牧草地の白馬(多数カップル有)』   《現代が舞台の作品》:・元ゲイビ男優×フリーランス税理士『悠久の城(リバあり)』 それぞれの甘々カップル達をよろしくお願いします★
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