酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第一部

1「少年」

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1「少年」

「…ねぇ、君達。そんなにそれが美味しいの?」

 しゃがみ込んだ少年は、目の前を行き交う沢山の鶏に問いかけていた。
 鶏達は地面をつついて虫を探したり、若葉をついばんだりして忙しそうだ。
 少年は鶏達をぼんやりと見つめながら、つい先日交わした父親との会話を思い出していた。


「…領主の息子達はそれぞれ父親とは別の地域の領主になる慣わしは知ってるな?」
「はい」
「まだ決まったわけではないが、お前は将来、酪農地域へ行くことになるだろうと思う。…どこか希望があるなら私が話しておくが」
「あっ…いえ、酪農地域も好きですから、僕は構いません」
「うん、そうか。まぁ、まだ正式に決まるまでは時間もあることだし、他がどうなるかによっては別の地域になるかもしれない。だが、今のうちから酪農地域に親しみを持っておくのもいいから、よく酪農地域へ行って人々や動物達と触れ合っておきなさい」


「…動物達も可愛いけど、大工のおじさん達と一緒に色々作れなくなるのは…ちょっと寂しいな」

 大きなミミズを見つけた鶏に他の鶏が横取りをしようと喧嘩を仕掛けているのを見ながら、少年は呟いた。
 幼い時から領主である父親や工芸地域の人々と、特に木工の仕事をしている人々と親しんできた少年は建物の設計や実際に木を組み立てて物を創ることが好きで、父親のような領主に憧れはあれども今のような生活ができなくなるという事に寂しさと漠然とした不安感を懐いていた。

「その子たちがすきなんですか?」

 不意に声を掛けられた少年が振り返ると、そこには6、7歳くらいの男の子が立っていた。

(好きというか…ただ見てただけなんだけど…)

 少年がなんと言おうかと思案していると、男の子は少年の横にやってきて、同じようにしゃがみ込んで鶏達に笑顔を見せた。

「ぼく、この子たちがすきでよくここに会いにくるんです。みんなちゃんとちがいがあって、かわいいんです」
「違い?うーん…どれも同じように見えるなぁ…」

 男の子は鶏達を見ながら「よく見たらわかりますよ!」と楽しそうに言う。

「あっ、ほらあそこにいる子はとってもやさしいんです。やさしいからせっかく見つけた虫を横取りされてもそのまんまで…ぼく、いつもしんぱいしてるんです」

 男の子はさらに指をさしながら続ける。

「あっちにいる子は足でじめんをほるのがすきなんです。でも他の子のことをかんがえないから、いつも土をまわりの子にかけちゃって…あぁっ!またやってる!もう…でもあの子はほとんどほるだけなので、あとで他の子が虫をとりにきたりするんです」

 悪いことばかりじゃないんですよ、と男の子は得意げに言った。

「君は…本当にこの鶏達が好きなんだね」
「はい!でも、うしさんやおうまさんもすきだし、どの子もみんなすきです!」

 無邪気に言う男の子を見て、少年も少し気持ちが軽くなる。
 だが、この男の子が好きなこの鶏達は当然 酪農地域で管理されている鶏達であり、少年はふとこの鶏達の行き着く先について考え、再び気が重くなるのを感じた。

「あ、あのさ…その…」
「どうしたんですか?」
「やっぱり、この子達も…その…お、お肉に…」

 男の子は少年が言いたいことを理解すると、「だいじょうぶですよ!」と弾けるような笑顔で言った。

「ここにいる子は みんな とてもおいしいたまごを うんでくれる子たち なんです!その子たちは もっとあっちのほうにいます、ここの子たちじゃ ないですよ」

 重くなった心を軽やかにしてくれるような男の子の笑顔に、少年も「そっか、そうなんだね」と笑顔で返す。

「でも…君は怖くないの?動物達が好きなら、その、お肉とか…可哀想っていうか…」

 少年はいつの間にか、男の子に対してそう尋ねていた。
 男の子の確かな年齢は分からないものの、先程からあまりにも大人びた様子を見せていて、この男の子がなんと答えるかが気になったのだ。

「…ぼく、この子たちがすきです。でも、おいしい お肉もすきです。みんなが いっしょうけんめい おせわをするから かわいいし、お肉もおいしいんです」

 男の子はまっすぐに鶏達を見つめながら言う。

「かわいそうだからってたべなかったら、それは もっとかわいそうです。ぼくたちの げんきになるために お肉に なってくれたのに。たくさんふれあって、お肉はのこさずたべるのが いいとおもいます。羽も骨も、ぜんぶ、1つのこらず ぼくたちのために なってくれるんですから」

 少年は想像していた以上にしっかりとした考えを持っている男の子に驚き、感心して「そうか…」と呟いた。
 同時に、初めて自分が『肉の正体』を知ったときの、「あの可愛らしく人懐っこい動物達が…」という衝撃に、しばらくの間 食事も動物達を見るのも怖くなってしまったことを思い出し、申し訳なく、恥ずかしさでいっぱいになる。

「君は…すごいね。立派だと思う」
「そうですか?えへへ、ぼく、お父さんやおじさんみたいになりたいから、『すごいね』って言われると とってもうれしいんです」

 嬉しそうに言う男の子が年相応の、幼さが残る印象的な笑顔を弾けさせると、目元にある黒子が一層際立って見える。
 笑顔につられて少年も笑みを浮かべると、ふいに男の子は少年の後ろを見て「あれっ!おにいちゃんだ!」と瞳を輝かせながら立ち上がり、「とにかく!あっちの方に行かなければ だいじょうぶ ですから!」とだけ告げて向かって走り出した。
 走っていった男の子は「おにいちゃん」に頭をわしわしと撫でられ、とても嬉しそうに笑っている。

(なんだか…元気な子だったな。工芸地域の人達と離れるのは寂しいけど、その分酪農地域で馴染めたら…)

「なぁ、おい、もう帰ろうぜ」

 少年が突如頭上から響いた声の方を見ると、そこにはつまらなそうな顔をした同い年くらいの少年が立っていた。
 不機嫌そうな声音の少年に「そうだね」と応え、少年は屋敷のある工芸地域の方へと並んで歩き出す。

「…あのさ、別に将来 僕の侍従になれと言う気もないし、君がどこで何をしようと自由だ。だけどさ、一応僕のほうが歳上なんだからもう少し態度ってものを…」
「なんだよ、歳上?半年も違わないくせに」
「あぁもう…こんなの聞かれたら、またおばさんにキツく叱られるぞ」
「別に構うもんか。屋敷まで行かなきゃいいんだ、会ってたまるかよ」

 このいつも不機嫌そうな少年の母親は、工芸地域夫人の侍女だ。
 父親、母親、歳の離れた双子の兄達…先祖代々にわたって領主や国王、夫人達の侍従や侍女を務めてきた一家の末っ子である彼は、そんな家族のあり方に辟易していた。
 母親同士の仲が良く、歳が同い年であるために少年とは行動を共にするものの、彼は不遜な態度を取り続けている。
 少年はいくら不遜な態度を取られても「これが彼の性分だから」とこうして時々諫めるばかりで、1番親しい友人として付き合っていた。

「じゃ、俺はこっから帰るから」
「あぁ、うん。じゃあね、今日も酪農地域まで付き合ってくれてありがとう」

 片手を上げて去っていく不機嫌な少年の後ろ姿を見送り、少年が屋敷に帰ると、すぐさま調理場の方から夫人と幼い妹の「おかえりなさい」という声が響いてきた。

「ただ今戻りました」

 「おにーさま!」と駆け寄ってきた妹に酪農地域で摘んできた花を差し出すと、妹はちょこんと頭を下げてお礼をし、侍女が用意した花瓶の中へ大事そうに花を入れる。
 そして小さな指先で花びらをつついたりして笑みをこぼした。

「今日はどこへ行っていたの?」
「酪農地域です。鶏の雛がたくさんいて、可愛らしかったですよ」
「あら、そうなの?そう…それじゃあ明日にでも私達も行ってみようかしら。この子にも動物達を見せてあげたいし」

 夫人が妹に「どう?動物さん達に会いにいく?」と問いかけると、「どーぶつさん!」と元気の良い返事が返ってくる。

「では、明日は皆で酪農地域に行きましょうね。…さぁさぁ、もうじき夕食よ。今日はあなたの妹が一生懸命作ったお菓子もあるから」

 窓からは空が茜色に染まっているのが見える。
 ちょうど、調理場の窯から甘く良い香りが漂い始めていた。
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