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第1章
6「特別な人」
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陸国では基本的に通貨というものが機能しておらず、ほとんどの場合『それぞれのしている仕事はすべて巡り巡って自分の助けになっているから』というような考えの元、その場での対価の支払いはなされない。
人々が食料を得る際もそれは同じであり、農業地域や漁業地域、そして酪農地域からの配達係はそれぞれ担当している世帯に毎日季節のものなどを大体同じくらいの分量ずつ対価の支払いもなく届けてくれるのだ。(新鮮な生肉などの特定の物が欲しいときも事前に配達係に伝えておけば希望の日に届けてくれる)
夾の場合はそうした食料を仕事場である工房に届けてもらうことになっていて、休日を除き、仕事終わりにその食材を持ち帰ることで生活をしている。
しかし、基本的な食料などはそれでいいとしても生活のためには他の物資の補充が必要になるものだ。
例えばどの地域にも属していないような物品や食料品以外のもの(工芸地域や鉱業地域由来のもの)などである。
それらを入手するには、直接その地域まで出向くか、もしくは中央広場まで出て行ってその物品の取り扱いをしている人へと話をつけなければならない。
「…あ、もう洗い粉がない」
「あれっ、薄紙も…そういえば乾燥麺も全部使い切った後 補充しないでそのままにしてたんだっけ」
普段常備しているものが1つ不足するとそれに追随して色々なものが不足し始めるものである。
ある日、家の中で補充しなければならないものが目立つようになってきた夾は次の休日に中央広場へ向かう予定を立てることになった。
彼が補充しなければならないものは細々としたものを含めて結構な数があり、中央広場に続く鉱酪通り沿いの何軒かを回る必要があるので、以前琥珀から提案されていた『中央広場をゆっくり歩いてみる』ということを試すのにもいい機会のように思える。
季節はあの肌寒い春の日から移り変わり、すでに初夏になっていた。
ーーーーー
そして迎えた休日。
午前中を洗濯などの家事に費やして忙しく過ごした夾は、少し早めの昼食を軽く食べてから抑制薬を服用した状態で中央広場へと出発した。
中央広場には日々の配達では手に入らないような実に多彩な日用品を扱う場所(便宜上『店』と呼ぶ)が揃っている。
例えば香辛料や乾燥麺、そして穀粉を捏ねて焼き上げた食品を扱う店に【觜宿の杯】、【柳宿の器】のような酒場や食堂など。食品関係だけではなく湯浴みで使う体用の洗い粉や食器の油を落とす洗い粉、衣服の仕立て屋、食器類を扱う店も。
基本的にどの地域にも属さないような物品が中央広場には集まっているのだ。
夾はそうした店を回って家で使い果たしてしまった数種類の香辛料や使用用途に合わせた洗い粉、あると便利な保存の効く乾麺などを求めてくるつもりでいる。
1人でそうして色々なところを回ることによって、新しい出逢いというよりも『未だにはっきりとせずにいる璇への想いの正体に決着をつけることができれば…』と思いながら。
鉱酪通りをさらに辿って歩いていくとその先にあるのが中央広場だ。
中央に大きな水の湧き出す噴水(泉)があり、均整の取れた美しい石が敷き詰められている陸国のまさに中心に位置する広大な広場。その広場をぐるりと取り囲むように様々な建物が並んでいる。
中央広場へと近づいていくにつれて鉱酪通りにもそういった扱いのものが増えていくので、とにかく夾はその辺りを目指した。
ちょうど昼休みを終えた人々が仕事場へ戻っていっているために往来が増えている鉱酪通り。
いつも食事をしている【觜宿の杯】や【柳宿の器】があるところを通り過ぎた夾がちょうど中央広場まであと半分というところに差し掛かった時…背後から何やら声がした。
「お、おい!」
「?」
自分に呼びかけられた気がして後ろを振り向いてみると、そこにいたのは璇だった。
「あれ?璇さんじゃないですか。こんなところで会うなんて偶然ですね」
「あっ、あぁ…そうだな、うん」
「?」
今はちょうど夕方から提供する分の調理に忙しくなる頃のはずであり、まさか鉱酪通りで顔を合わせることになるとは思いもしていなかった夾は本当に驚いたのだが、それ以上になんだか璇が挙動不審な感じで首をかしげてしまう。
この時間に鉱酪通りにいるということは璇もなにか用事があってでてきているに違いない、と夾は声を掛ける。
「璇さんも中央広場に用事があるんですか?」
「え、あぁうん、まぁそうなんだよ。ちょっと香辛料の補充分を頼みに行かないといけなくて」
「そうなんですね。俺もちょうどこれから色々と補充をしに行くところなんです、もしよかったら途中まで一緒に行きますか?」
「そうだな、それでもいいなら。うん、せっかくなら」
「はい」
…今日、中央広場まで行くのは前述したような目的もあってのことだったのだが。(まぁ…それでもいいか)と夾は璇と共に歩き出した。
「…今日は早いんだな、中央広場に行くのが」
並んで歩き始めてから数分後、それまでずっと無言だった璇が唐突に口を開く。
「こんな風に歩いてるの見かけるなんて、ほんと偶然だよな」
「そうですよね。璇さんは今お忙しい時間でしょうし、俺もまさか誰かに声をかけられるとは思いませんでした」
「あぁ、まぁな…うん」
「あの…どうかしたんですか?」
「いや?なんでもない…」
受け答えがあまりにもぎこちないので、夾は(今日はいったいどうしたのだろうか)と思いながらさりげなく歩調を璇に合わせるようにして歩いた。
少し俯きがちになっている璇は時々ちらりと視線をこちらに寄越してみたりしていてなんだか落ち着きがない。なぜ璇がそんな様子でいるのか分かりかねていた夾だが、そうしているうちに眉の辺りに残っている傷について言及されたので、ようやくそこで彼が未だにあの日の罪悪感を引きずっているらしいと気づいた。
眉の傷はほとんど目立たないであろうというくらいに薄くなったが、それでも少し痕が残っているので璇も気にせずにはいられないのだろう。
夾はもう何度目か分からない「大丈夫ですってば。本当に大したことはなかったんですから」という台詞を口にすると、それから璇が振ってくる話題に朗らかに応えて取り留めのない会話を広げていった。
2人は行き交う人の合間を縫うようにしながら横並びで歩いているため、時折互いの肩が触れ合う。
夾はそのたびにまるで10代のいたいけな少年少女かのように頬がかぁっと熱くなって、どこかの戸の硝子に映り込んだ自分をひそかに見ては頬が紅に染まっていないことを確認して胸を撫で下ろしたりした。
いくつかの店を回らなければならない夾は自分の都合に璇を付き合わせてしまうのも悪いと思い、道中で「璇さんはどうぞ先に香辛料を扱うところへ…」と提案したりもしたのだが、璇は夾が行くところに自分も付き合うと言って夾が物品の受け渡しをしている間もじっとそのそばで待つなどしていた。
結局2人はそうしてずっと連れ立って歩いたわけだが、璇が話す内容は店から店へと渡り歩くその距離を忘れさせるほど夾にとって興味深いものばかりであり、いつもはただの移動時間であるはずのそうした瞬間すらも楽しい一時へと変えられていく。
香辛料を取り扱っている店へ到着したのも本当にすぐのことだった。
璇はさっそく そこの主人に必要な香辛料の種類と量を伝えて手配する。
「あぁ、それならすぐに手配しておくよ。まとまった量を届けるには明後日まで時間が欲しいんだが…それでもいいか?急ぎだってんなら少しは今持たせることはできるけど」
「いえ、まだ今日明日の分はあるので大丈夫です」
「そうか、うん、分かった。それなら明後日届けてやるよ。時間は今くらいでいいよな」
夾はそんな璇と主人とのやり取りをなんとなく聞きながら主人の妻である女主人に自宅で使う香辛料の補充を依頼した。
それらはすぐに包んでもらうつもりでいたのだが、あともう少しすると農業地域から新鮮な香りのいいものが届くというので、彼は他のところもさらに回ってきてから帰り道に再びここへ寄って頼んだものを受け取ることにする。
そうして女主人が夾に依頼された香辛料の種類や量を1つずつ丁寧に覚え書きし始めたその時、店の奥から1人の女性が「母さん、店番私が代わろうか?」と表に出てきた。
「休みなしで仕事してばっかりじゃ体に良くないよ」
「うん~?いいわよそんな、それよりあんたこそ奥でゆっくり休んでなさい。せっかく実家へ羽を伸ばしに来たんだし」
「でもここにいた方が私もこの子も楽しいしさぁ…あっ、いらっしゃいませ~」
店の奥からやってきたその人はこの店の主人夫婦の娘であり、夾も過去に何度か店番をしているところを見かけたことがある人物だった。
彼女は背に幼児を背負っていて、背の向こうから小さな愛らしい顔がちらりと見える。
夾が「わぁ…可愛いですね」とにこやかに言うと、女主人は嬉しそうに「あははっ、そうでしょ?」とくすくす笑った。
「この子、あたしの孫なの。今ちょうど娘が孫の顔を見せに帰ってきてくれてるのよ」
「そうだったんですか、それは素敵ですね」
「まぁね!普段なかなか会えないっていうのもあるだろうけどさ、もう本当に可愛くってねぇ」
女主人の娘は母親である女主人そっくりの笑みを浮かべながら背負っている幼児の顔がよく見えるようにと体の向きを替えてくれる。
幼児は一瞬母親の背に顔を埋めて顔を隠したが…それからまた夾の顔をちらりと見て、キャッキャと笑い声を上げた。
我が子のその様子に「あら~?なんだかご機嫌ね?」と笑う女主人の娘。
幼児の屈託のないその笑みにつられて笑顔になる夾は、すこし身をかがめて幼児と視線の高さを合わせると、それからじっと顔を見合わせて…そして少し考えてから言う。
「う~ん…5ヶ月、くらいですか?」
夾のような若い男が幼子の月齢を当てるとは思っていなかったらしい女主人達はすっかり目を丸くして「そうそう!あともう少しでちょうど5ヶ月になるのよ、よく分かったわね?」と感心する。
夾は兄夫婦の娘(つまり姪)がこの幼児と同じくらいの大きさになっていたのでおおよその月齢の見当をつけることができたのだ。
「俺の兄夫婦にも今年女の子が産まれたんです。この間 その子に会ったんですけど…ちょうど同じくらいだった気がして」
「あら、そうだったのね!これぐらいになるとお医者さんからも少し遠出をしてもいいって言ってもらえるものね、だから私も嫁ぎ先の工芸地域からこの子と一緒に実家に泊まりに来てみたの」
「えっ、俺の兄夫婦も工芸地域に住んでるんですよ」
「え~っ!じゃあご近所さんかもしれないわね!?」
「はい…すごい偶然ですね」
思わぬところで共通点が見つかると話はより一層盛り上がるというものだ。
夾の隣で後日配達する分の香辛料の詳細について話していた主人と璇も「なんだなんだ、やけに楽しそうだな?」とその会話に混ざってきて、昼下がりの鉱酪通りにさらなる賑やかさをもたらしたのだった。
ーーーーー
日用品などの補充と共に『沢山の人に会うことで璇への想いの正体を探る』という目的をもって中央広場へと繰り出していた夾。
その道中で璇本人と会ったためにその目的は果たせなかったかのように思えたのだが…しかし、実際は大きな収穫があった。
(まさか璇さんと…あんなに長く2人で過ごせただなんて)
その夜、夾は今日新しく補充したばかりの豊かな洗い粉の香りに包まれながら寝台に横になって昼の出来事を考える。
午後の時間をまるっきり璇と2人で過ごしたその経験はとても貴重で…そして素晴らしく印象に残ることばかり。
例えば、夾が浴室で使う洗い粉などを求めて店に寄った時のことだ。
ーー
「すみません、食器用と湯浴み用の洗い粉をいくつかいただきたいんですが」
「えぇ、もちろんいいわよ。洗い粉の香りはどれにします?」
「香りはいつもと同じの…これをお願いします」
食器用のものには特に種類はないものの、湯浴みで使う入浴料としての洗い粉には香りなどの違いによって沢山の種類があり、それらを丁寧に納めた箱や瓶がずらりと並んでいる店内。
洗い粉からの様々な香りが穏やかに混ざり合っているために何とも言えない良い香りでいっぱいの中、夾は慣れた様子でいつもと同じ香りの洗い粉を選び取り、それを包んでもらい始める。
すると隣で洗い粉の瓶を眺めていた璇は「…あれ、これじゃないのか?」と話しかけてきた。
璇が指差している湯浴み用の洗い粉は夾がいつも使っているのとは違う香りのもので、夾は不思議に思う。
「いいえ、それは使ったことのない洗い粉ですけど」
「え?でも見舞いに行ったときにいつもこんな感じの香りがしてた気がするんだけど…わるい、こんなこと言うなんて気持ち悪いよな」
「えっ?いえいえ、そんなことないですよ。でもどうして でしょうか…これに似た香りが俺の家で…?」
夾がその洗い粉の香りをたしかめるようにして嗅いでいると、洗い粉を計量していた女性が「あぁ、それは梔子の香りがついた洗い粉なんですよ」と声を掛けてきた。
「ほら、今って梔子の花がよく咲く頃じゃないですか。その花の香りを移してあるんです、そこにあるのはつい昨日補充されたばかりで…結構梔子の花の甘い香りって人気なんですよね、男女問わず」
「あ…甘い花の…香り………?」
「白くて可愛いし、香りもいいし、素敵な花ですよね。もしかしたらご自宅の近くにも咲いてるのかもしれませんよ」
目を瞬かせた夾はもう1度その洗い粉を香ってみた。
ふんわりと漂う、甘い梔子の花の香り…「俺もわりとこの香り、好きかも」と言う璇の言葉を聞き、夾はそっと瓶を棚に戻した。
ーー
(たしかにあの香りは…俺の【香り】に似てた、かもしれない)
(璇さんはこの家であれに似た香りがしたって言ってたけど、見舞いに来ていたのはまだ梔子の花が咲くには早すぎる時期だったし…それにこの辺りには生えてない。ってことは俺の【香り】が残ってたのを、きっと…)
《『俺もわりとこの香り、好きかも』》
「うっ、うわぁっ!」
璇の声が耳元から聞こえたような気がして思わず体を跳ねらせる夾。
それから彼は今日璇と過ごした時間を初めから事細かに思い出し、そしてにわかに【香り】を放ち始めた。
店を一つ一つ回って物品を鞄に詰めていく夾に対し、嫌な顔一つせず付き合ってただただ一緒に鉱酪通りや中央広場を歩いていた璇。
彼は乾燥麺の類を扱う店に行ったとき、夾が蝶のような形をした乾燥麺のことを『調理方法が難しそうだから』という理由で一度も口にしたことがなかったということを知ると、なんとその場でその蝶のような形をした乾燥麺を入手し、そして【觜宿の杯】の調理場で特別にそれを調理して振舞ってくれたのだ。
今日の献立には載っていない夾だけのための一皿を、まだ誰もいない酒場の中で。
(璇さんは誰に対してもあんな手間のかかることをするんだろうか。わざわざ仕事とは関係ない料理を作るだなんて…面倒見がいいにしてもそこまでするものなのかな。それに 自分には関係ない店を見て回るのだって、本当はすごく退屈なはずなのに)
(もしかして、璇さんは俺のことを…少しは想ってくれていたり、するんだろうか…?)
夾はいつの間にか噎せ返ってしまいそうなほど充満していた自らの【香り】に包まれながら 寝台の上で もぞもぞと足を動かす。
璇のことを想えば想うほど、【香り】は濃くなって体の疼きが収まらなくなる。
「……………」
夜の静けさに身を任せ…彼はそっと手を下衣の中へと忍び込ませた。
甘く首をもたげ始めた肉棒を手の中に収めて緩く握ると、たしかに熱い血潮がそこに脈打っているのが分かる。
ふつふつと湧き上がる衝動と興奮によって夾はまもなく自らを慰め始めた。
「うっ……」
彼は生まれてから今に至るまで、このような行為はほとんどしてこなかった。
そういうことをする機会というものがなかったのだ。
しかし、だからといってそういう欲がないというわけではない。
むしろ『将来アルファと番になって家族を築く』という夢を持っていた頃には男性オメガがどのようにして交わって子を生すかなどについてを深く理解しようとして、そういったことをよく考えたりしていたものだ。
当時少年だった夾は自分のものを扱うということがなんだかとても恥ずかしかったので実際にそういったことはできず、そして成長してからは自身が不完全なオメガであると思うようになったことによって『アルファと交わることなどあるはずもないのだから』と情事に関することから一切の興味を失っていた。
もう長らくそんな状態だった。
だが、今は…もう違う。
(もし…璇さんがオメガの俺を想ってくれていたとしたら…らやっぱり俺に触れたいとも思うんだろうか)
(璇さんも、こういうことを…俺に……)
そうして考えながら扱いていると どんどんと先端から透明な液が溢れてきてより一層そこをなめらかに扱えるようになる。
だが、彼はほとんど自分を慰めた経験がなかったからなのか、それだけで絶頂するにはまだまだ何かが物足りないと感じていた。
アルファのことを想像している男性オメガが思う『足りない何か』。それは秘められた部分への刺激への欲をも駆り立てる。
「……………」
興奮のため火照った体につられて、彼の気分もいくらか大胆になっていく。
いつまで経っても絶頂を迎えられそうにないというあいまいなところを散々彷徨った夾は、ごくりと喉を鳴らすと、そっと手を自らの後ろへと伸ばした。
自らの尻の肉をゆっくりと、焦らすようにして丸く撫でてから、そして…肉の狭間にある割れ目へと指を挿し込む。
(男のオメガの…挿れる場所……)
夾はそれまで知識として知ってはいたものの、実際にその存在を確認したことがない場所へと踏み込もうとしていた。
それは男性オメガが子を生す器官。女性体で言えば子宮に相当する器官だ。
男性オメガはアルファを受け入れる準備が出来ると(性的に充分興奮すると)、体内で普段排泄に使っている方が肉壁によって硬く閉じられ、新たな道を作り出す。
それはほとんど勃起に伴って起きる現象だとされている。
今の夾のそれはまさに激しく勃っているので、体内ではその新たな道が拓かれているに違いないという状況だ。
恐る恐る夾は指で秘部を柔らかく揉み、そして指一本をそこへ突き立てた。
「っ……」
痛みがないことを確認しながらも、不思議なことに指はするすると中へ入ってゆく。
夾には今触れている肉壁が本当に男性オメガの興奮した体内なのかは分からなかったのだが、しかしそれからすぐになにやらとろりとした液が体の中を満たし、指の動きをなめらかにしだしたので はっきりと理解した。
あきらかに、夾は男性オメガとしての自分の中に触れていた。
指を抜き挿ししてみるとあふれ出る愛液によってかすかにちゅぷちゅぷという水音が聞こえて、彼のさらなる興奮を煽る。
すっかり夾は他のことを考えられなくなって、中に入っている中指をさらに根元まで奥深く差し込んだ。
指の先にあきらかに他の部分とは違う触感の、妙に硬く閉じた部分が当たり…夾の頬はバッと紅くなって思わず手を引っ込めそうになる。
その硬く閉じた先には、アルファとの子を育てる場所があるのだった。
寝台を包み込む甘い花のような【香り】と、触れた体内の感触からあらためて自分が成熟した男性オメガであるということを自覚した夾の胸の高鳴りは凄まじく、ほとんど酔ったような状態になった彼はそれから闇雲に自慰にふけりだした。
火照った体に下着と下衣は邪魔でしかなく、それらを脱ぎ捨てた夾は片手で肉棒を、そしてもう片方の手で体内を弄りながら身悶える。
《『この【香り】…嫌いじゃない』》
「っ…!!」
璇の声が再び耳元に聞こえた気がして思わず体内に忍ばせた指先を曲げると、腹側の浅いところにある一点から空恐ろしいほどの快感が全身に走り、夾は目を白黒させながらさらにそこを弄ることに夢中になってしまう。
絶頂に至りたいという欲は止めることなどできるはずもなく、彼をただひたすらに激しい自慰へと駆り立てる。
すっかり大胆な心持ちになった彼は、ついに横たえていた体をうつ伏せにし、膝を左右に大きく開いて腰と尻とを高く掲げるという背後からのアルファの受け入れに最も適した体勢を取った。
彼の秘部は解されきって くぱくぱと開き、指の抜き挿しによって外へ溢れ出た愛液は彼の陰嚢の裏にまで伝う。
前を激しく扱き、後ろも ぐちゃぐちゃにしながら。
彼は頬を枕に押し当ててうわごとのように呟いていた。
「璇、さん…せん さぁんっ…!!」
「~~~っ!!!」
声にならない声が喉の奥から漏れ出て寝室中に広がるのも構わず、彼はかろうじて枕元から取った薄紙数枚を自らの下に敷くと、周囲を憚ることなく一心不乱に絶頂だけを追い求めた。
高く掲げた尻を支える太ももと膝は がくがくと震えて ほとんどまともに立てていられず、激しい鼓動のせいで胸は息苦しい。
前と後ろ。外と中からの強烈な刺激、そして快感。
瞼をぎゅっと硬く瞑ってひたすら手を動かし続けた夾は、それからまもなくしてついに…待ちわびた絶頂を迎えた。
だが滴り落ちる子種のない精液と透明な愛液によって汚れたそれぞれの手は彼が果てた後もしばらくの間 止まることなく断続的に快感を植え付けて満たしきれない疼きをなんとかしようと必死になっている。
いくら体を震わせようとも満足するには足りないと思ってしまう夾がようやく落ち着きを取り戻せたのは、それからずっと後のことだった。
ーーーーーー
油灯の炎の明かりが寝台のすぐ横にある壁を煌々と照らす夜。
夾は自身の精液と愛液に塗れた体で寝そべったまま、壁の木目をぼんやりと眺めて荒ぶっていた鼓動と呼吸が治まっていくのを感じていた。
こんなにも激しく自分を慰めたことはこれまでになかった夾がこの時間を迎えて感じたことは恥でも後悔でもない。
ただ1つの、決定付けられた たしかな事実に対する明確な意思だ。
(こういうことは…璇さん以外の人とはしたくない。あの人以外には俺の体には触れてほしくない、他の誰かとだなんて想像もできないし…想像したくもない)
(璇さんになら俺は全部を捧げてもいいと思える。あの人が望むならどんなことをされたって構わない。それこそ寝台に押し倒されたって…でも他の人にされるのは、嫌だ)
「俺は…璇さんのことが……」
想いの丈を実際に声にしてみる夾。
「……大好きなんだ」
消え入りそうな彼のその声は、ひっそりとした甘い夜の闇の中へと静かに溶け込んでいったのだった。
人々が食料を得る際もそれは同じであり、農業地域や漁業地域、そして酪農地域からの配達係はそれぞれ担当している世帯に毎日季節のものなどを大体同じくらいの分量ずつ対価の支払いもなく届けてくれるのだ。(新鮮な生肉などの特定の物が欲しいときも事前に配達係に伝えておけば希望の日に届けてくれる)
夾の場合はそうした食料を仕事場である工房に届けてもらうことになっていて、休日を除き、仕事終わりにその食材を持ち帰ることで生活をしている。
しかし、基本的な食料などはそれでいいとしても生活のためには他の物資の補充が必要になるものだ。
例えばどの地域にも属していないような物品や食料品以外のもの(工芸地域や鉱業地域由来のもの)などである。
それらを入手するには、直接その地域まで出向くか、もしくは中央広場まで出て行ってその物品の取り扱いをしている人へと話をつけなければならない。
「…あ、もう洗い粉がない」
「あれっ、薄紙も…そういえば乾燥麺も全部使い切った後 補充しないでそのままにしてたんだっけ」
普段常備しているものが1つ不足するとそれに追随して色々なものが不足し始めるものである。
ある日、家の中で補充しなければならないものが目立つようになってきた夾は次の休日に中央広場へ向かう予定を立てることになった。
彼が補充しなければならないものは細々としたものを含めて結構な数があり、中央広場に続く鉱酪通り沿いの何軒かを回る必要があるので、以前琥珀から提案されていた『中央広場をゆっくり歩いてみる』ということを試すのにもいい機会のように思える。
季節はあの肌寒い春の日から移り変わり、すでに初夏になっていた。
ーーーーー
そして迎えた休日。
午前中を洗濯などの家事に費やして忙しく過ごした夾は、少し早めの昼食を軽く食べてから抑制薬を服用した状態で中央広場へと出発した。
中央広場には日々の配達では手に入らないような実に多彩な日用品を扱う場所(便宜上『店』と呼ぶ)が揃っている。
例えば香辛料や乾燥麺、そして穀粉を捏ねて焼き上げた食品を扱う店に【觜宿の杯】、【柳宿の器】のような酒場や食堂など。食品関係だけではなく湯浴みで使う体用の洗い粉や食器の油を落とす洗い粉、衣服の仕立て屋、食器類を扱う店も。
基本的にどの地域にも属さないような物品が中央広場には集まっているのだ。
夾はそうした店を回って家で使い果たしてしまった数種類の香辛料や使用用途に合わせた洗い粉、あると便利な保存の効く乾麺などを求めてくるつもりでいる。
1人でそうして色々なところを回ることによって、新しい出逢いというよりも『未だにはっきりとせずにいる璇への想いの正体に決着をつけることができれば…』と思いながら。
鉱酪通りをさらに辿って歩いていくとその先にあるのが中央広場だ。
中央に大きな水の湧き出す噴水(泉)があり、均整の取れた美しい石が敷き詰められている陸国のまさに中心に位置する広大な広場。その広場をぐるりと取り囲むように様々な建物が並んでいる。
中央広場へと近づいていくにつれて鉱酪通りにもそういった扱いのものが増えていくので、とにかく夾はその辺りを目指した。
ちょうど昼休みを終えた人々が仕事場へ戻っていっているために往来が増えている鉱酪通り。
いつも食事をしている【觜宿の杯】や【柳宿の器】があるところを通り過ぎた夾がちょうど中央広場まであと半分というところに差し掛かった時…背後から何やら声がした。
「お、おい!」
「?」
自分に呼びかけられた気がして後ろを振り向いてみると、そこにいたのは璇だった。
「あれ?璇さんじゃないですか。こんなところで会うなんて偶然ですね」
「あっ、あぁ…そうだな、うん」
「?」
今はちょうど夕方から提供する分の調理に忙しくなる頃のはずであり、まさか鉱酪通りで顔を合わせることになるとは思いもしていなかった夾は本当に驚いたのだが、それ以上になんだか璇が挙動不審な感じで首をかしげてしまう。
この時間に鉱酪通りにいるということは璇もなにか用事があってでてきているに違いない、と夾は声を掛ける。
「璇さんも中央広場に用事があるんですか?」
「え、あぁうん、まぁそうなんだよ。ちょっと香辛料の補充分を頼みに行かないといけなくて」
「そうなんですね。俺もちょうどこれから色々と補充をしに行くところなんです、もしよかったら途中まで一緒に行きますか?」
「そうだな、それでもいいなら。うん、せっかくなら」
「はい」
…今日、中央広場まで行くのは前述したような目的もあってのことだったのだが。(まぁ…それでもいいか)と夾は璇と共に歩き出した。
「…今日は早いんだな、中央広場に行くのが」
並んで歩き始めてから数分後、それまでずっと無言だった璇が唐突に口を開く。
「こんな風に歩いてるの見かけるなんて、ほんと偶然だよな」
「そうですよね。璇さんは今お忙しい時間でしょうし、俺もまさか誰かに声をかけられるとは思いませんでした」
「あぁ、まぁな…うん」
「あの…どうかしたんですか?」
「いや?なんでもない…」
受け答えがあまりにもぎこちないので、夾は(今日はいったいどうしたのだろうか)と思いながらさりげなく歩調を璇に合わせるようにして歩いた。
少し俯きがちになっている璇は時々ちらりと視線をこちらに寄越してみたりしていてなんだか落ち着きがない。なぜ璇がそんな様子でいるのか分かりかねていた夾だが、そうしているうちに眉の辺りに残っている傷について言及されたので、ようやくそこで彼が未だにあの日の罪悪感を引きずっているらしいと気づいた。
眉の傷はほとんど目立たないであろうというくらいに薄くなったが、それでも少し痕が残っているので璇も気にせずにはいられないのだろう。
夾はもう何度目か分からない「大丈夫ですってば。本当に大したことはなかったんですから」という台詞を口にすると、それから璇が振ってくる話題に朗らかに応えて取り留めのない会話を広げていった。
2人は行き交う人の合間を縫うようにしながら横並びで歩いているため、時折互いの肩が触れ合う。
夾はそのたびにまるで10代のいたいけな少年少女かのように頬がかぁっと熱くなって、どこかの戸の硝子に映り込んだ自分をひそかに見ては頬が紅に染まっていないことを確認して胸を撫で下ろしたりした。
いくつかの店を回らなければならない夾は自分の都合に璇を付き合わせてしまうのも悪いと思い、道中で「璇さんはどうぞ先に香辛料を扱うところへ…」と提案したりもしたのだが、璇は夾が行くところに自分も付き合うと言って夾が物品の受け渡しをしている間もじっとそのそばで待つなどしていた。
結局2人はそうしてずっと連れ立って歩いたわけだが、璇が話す内容は店から店へと渡り歩くその距離を忘れさせるほど夾にとって興味深いものばかりであり、いつもはただの移動時間であるはずのそうした瞬間すらも楽しい一時へと変えられていく。
香辛料を取り扱っている店へ到着したのも本当にすぐのことだった。
璇はさっそく そこの主人に必要な香辛料の種類と量を伝えて手配する。
「あぁ、それならすぐに手配しておくよ。まとまった量を届けるには明後日まで時間が欲しいんだが…それでもいいか?急ぎだってんなら少しは今持たせることはできるけど」
「いえ、まだ今日明日の分はあるので大丈夫です」
「そうか、うん、分かった。それなら明後日届けてやるよ。時間は今くらいでいいよな」
夾はそんな璇と主人とのやり取りをなんとなく聞きながら主人の妻である女主人に自宅で使う香辛料の補充を依頼した。
それらはすぐに包んでもらうつもりでいたのだが、あともう少しすると農業地域から新鮮な香りのいいものが届くというので、彼は他のところもさらに回ってきてから帰り道に再びここへ寄って頼んだものを受け取ることにする。
そうして女主人が夾に依頼された香辛料の種類や量を1つずつ丁寧に覚え書きし始めたその時、店の奥から1人の女性が「母さん、店番私が代わろうか?」と表に出てきた。
「休みなしで仕事してばっかりじゃ体に良くないよ」
「うん~?いいわよそんな、それよりあんたこそ奥でゆっくり休んでなさい。せっかく実家へ羽を伸ばしに来たんだし」
「でもここにいた方が私もこの子も楽しいしさぁ…あっ、いらっしゃいませ~」
店の奥からやってきたその人はこの店の主人夫婦の娘であり、夾も過去に何度か店番をしているところを見かけたことがある人物だった。
彼女は背に幼児を背負っていて、背の向こうから小さな愛らしい顔がちらりと見える。
夾が「わぁ…可愛いですね」とにこやかに言うと、女主人は嬉しそうに「あははっ、そうでしょ?」とくすくす笑った。
「この子、あたしの孫なの。今ちょうど娘が孫の顔を見せに帰ってきてくれてるのよ」
「そうだったんですか、それは素敵ですね」
「まぁね!普段なかなか会えないっていうのもあるだろうけどさ、もう本当に可愛くってねぇ」
女主人の娘は母親である女主人そっくりの笑みを浮かべながら背負っている幼児の顔がよく見えるようにと体の向きを替えてくれる。
幼児は一瞬母親の背に顔を埋めて顔を隠したが…それからまた夾の顔をちらりと見て、キャッキャと笑い声を上げた。
我が子のその様子に「あら~?なんだかご機嫌ね?」と笑う女主人の娘。
幼児の屈託のないその笑みにつられて笑顔になる夾は、すこし身をかがめて幼児と視線の高さを合わせると、それからじっと顔を見合わせて…そして少し考えてから言う。
「う~ん…5ヶ月、くらいですか?」
夾のような若い男が幼子の月齢を当てるとは思っていなかったらしい女主人達はすっかり目を丸くして「そうそう!あともう少しでちょうど5ヶ月になるのよ、よく分かったわね?」と感心する。
夾は兄夫婦の娘(つまり姪)がこの幼児と同じくらいの大きさになっていたのでおおよその月齢の見当をつけることができたのだ。
「俺の兄夫婦にも今年女の子が産まれたんです。この間 その子に会ったんですけど…ちょうど同じくらいだった気がして」
「あら、そうだったのね!これぐらいになるとお医者さんからも少し遠出をしてもいいって言ってもらえるものね、だから私も嫁ぎ先の工芸地域からこの子と一緒に実家に泊まりに来てみたの」
「えっ、俺の兄夫婦も工芸地域に住んでるんですよ」
「え~っ!じゃあご近所さんかもしれないわね!?」
「はい…すごい偶然ですね」
思わぬところで共通点が見つかると話はより一層盛り上がるというものだ。
夾の隣で後日配達する分の香辛料の詳細について話していた主人と璇も「なんだなんだ、やけに楽しそうだな?」とその会話に混ざってきて、昼下がりの鉱酪通りにさらなる賑やかさをもたらしたのだった。
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日用品などの補充と共に『沢山の人に会うことで璇への想いの正体を探る』という目的をもって中央広場へと繰り出していた夾。
その道中で璇本人と会ったためにその目的は果たせなかったかのように思えたのだが…しかし、実際は大きな収穫があった。
(まさか璇さんと…あんなに長く2人で過ごせただなんて)
その夜、夾は今日新しく補充したばかりの豊かな洗い粉の香りに包まれながら寝台に横になって昼の出来事を考える。
午後の時間をまるっきり璇と2人で過ごしたその経験はとても貴重で…そして素晴らしく印象に残ることばかり。
例えば、夾が浴室で使う洗い粉などを求めて店に寄った時のことだ。
ーー
「すみません、食器用と湯浴み用の洗い粉をいくつかいただきたいんですが」
「えぇ、もちろんいいわよ。洗い粉の香りはどれにします?」
「香りはいつもと同じの…これをお願いします」
食器用のものには特に種類はないものの、湯浴みで使う入浴料としての洗い粉には香りなどの違いによって沢山の種類があり、それらを丁寧に納めた箱や瓶がずらりと並んでいる店内。
洗い粉からの様々な香りが穏やかに混ざり合っているために何とも言えない良い香りでいっぱいの中、夾は慣れた様子でいつもと同じ香りの洗い粉を選び取り、それを包んでもらい始める。
すると隣で洗い粉の瓶を眺めていた璇は「…あれ、これじゃないのか?」と話しかけてきた。
璇が指差している湯浴み用の洗い粉は夾がいつも使っているのとは違う香りのもので、夾は不思議に思う。
「いいえ、それは使ったことのない洗い粉ですけど」
「え?でも見舞いに行ったときにいつもこんな感じの香りがしてた気がするんだけど…わるい、こんなこと言うなんて気持ち悪いよな」
「えっ?いえいえ、そんなことないですよ。でもどうして でしょうか…これに似た香りが俺の家で…?」
夾がその洗い粉の香りをたしかめるようにして嗅いでいると、洗い粉を計量していた女性が「あぁ、それは梔子の香りがついた洗い粉なんですよ」と声を掛けてきた。
「ほら、今って梔子の花がよく咲く頃じゃないですか。その花の香りを移してあるんです、そこにあるのはつい昨日補充されたばかりで…結構梔子の花の甘い香りって人気なんですよね、男女問わず」
「あ…甘い花の…香り………?」
「白くて可愛いし、香りもいいし、素敵な花ですよね。もしかしたらご自宅の近くにも咲いてるのかもしれませんよ」
目を瞬かせた夾はもう1度その洗い粉を香ってみた。
ふんわりと漂う、甘い梔子の花の香り…「俺もわりとこの香り、好きかも」と言う璇の言葉を聞き、夾はそっと瓶を棚に戻した。
ーー
(たしかにあの香りは…俺の【香り】に似てた、かもしれない)
(璇さんはこの家であれに似た香りがしたって言ってたけど、見舞いに来ていたのはまだ梔子の花が咲くには早すぎる時期だったし…それにこの辺りには生えてない。ってことは俺の【香り】が残ってたのを、きっと…)
《『俺もわりとこの香り、好きかも』》
「うっ、うわぁっ!」
璇の声が耳元から聞こえたような気がして思わず体を跳ねらせる夾。
それから彼は今日璇と過ごした時間を初めから事細かに思い出し、そしてにわかに【香り】を放ち始めた。
店を一つ一つ回って物品を鞄に詰めていく夾に対し、嫌な顔一つせず付き合ってただただ一緒に鉱酪通りや中央広場を歩いていた璇。
彼は乾燥麺の類を扱う店に行ったとき、夾が蝶のような形をした乾燥麺のことを『調理方法が難しそうだから』という理由で一度も口にしたことがなかったということを知ると、なんとその場でその蝶のような形をした乾燥麺を入手し、そして【觜宿の杯】の調理場で特別にそれを調理して振舞ってくれたのだ。
今日の献立には載っていない夾だけのための一皿を、まだ誰もいない酒場の中で。
(璇さんは誰に対してもあんな手間のかかることをするんだろうか。わざわざ仕事とは関係ない料理を作るだなんて…面倒見がいいにしてもそこまでするものなのかな。それに 自分には関係ない店を見て回るのだって、本当はすごく退屈なはずなのに)
(もしかして、璇さんは俺のことを…少しは想ってくれていたり、するんだろうか…?)
夾はいつの間にか噎せ返ってしまいそうなほど充満していた自らの【香り】に包まれながら 寝台の上で もぞもぞと足を動かす。
璇のことを想えば想うほど、【香り】は濃くなって体の疼きが収まらなくなる。
「……………」
夜の静けさに身を任せ…彼はそっと手を下衣の中へと忍び込ませた。
甘く首をもたげ始めた肉棒を手の中に収めて緩く握ると、たしかに熱い血潮がそこに脈打っているのが分かる。
ふつふつと湧き上がる衝動と興奮によって夾はまもなく自らを慰め始めた。
「うっ……」
彼は生まれてから今に至るまで、このような行為はほとんどしてこなかった。
そういうことをする機会というものがなかったのだ。
しかし、だからといってそういう欲がないというわけではない。
むしろ『将来アルファと番になって家族を築く』という夢を持っていた頃には男性オメガがどのようにして交わって子を生すかなどについてを深く理解しようとして、そういったことをよく考えたりしていたものだ。
当時少年だった夾は自分のものを扱うということがなんだかとても恥ずかしかったので実際にそういったことはできず、そして成長してからは自身が不完全なオメガであると思うようになったことによって『アルファと交わることなどあるはずもないのだから』と情事に関することから一切の興味を失っていた。
もう長らくそんな状態だった。
だが、今は…もう違う。
(もし…璇さんがオメガの俺を想ってくれていたとしたら…らやっぱり俺に触れたいとも思うんだろうか)
(璇さんも、こういうことを…俺に……)
そうして考えながら扱いていると どんどんと先端から透明な液が溢れてきてより一層そこをなめらかに扱えるようになる。
だが、彼はほとんど自分を慰めた経験がなかったからなのか、それだけで絶頂するにはまだまだ何かが物足りないと感じていた。
アルファのことを想像している男性オメガが思う『足りない何か』。それは秘められた部分への刺激への欲をも駆り立てる。
「……………」
興奮のため火照った体につられて、彼の気分もいくらか大胆になっていく。
いつまで経っても絶頂を迎えられそうにないというあいまいなところを散々彷徨った夾は、ごくりと喉を鳴らすと、そっと手を自らの後ろへと伸ばした。
自らの尻の肉をゆっくりと、焦らすようにして丸く撫でてから、そして…肉の狭間にある割れ目へと指を挿し込む。
(男のオメガの…挿れる場所……)
夾はそれまで知識として知ってはいたものの、実際にその存在を確認したことがない場所へと踏み込もうとしていた。
それは男性オメガが子を生す器官。女性体で言えば子宮に相当する器官だ。
男性オメガはアルファを受け入れる準備が出来ると(性的に充分興奮すると)、体内で普段排泄に使っている方が肉壁によって硬く閉じられ、新たな道を作り出す。
それはほとんど勃起に伴って起きる現象だとされている。
今の夾のそれはまさに激しく勃っているので、体内ではその新たな道が拓かれているに違いないという状況だ。
恐る恐る夾は指で秘部を柔らかく揉み、そして指一本をそこへ突き立てた。
「っ……」
痛みがないことを確認しながらも、不思議なことに指はするすると中へ入ってゆく。
夾には今触れている肉壁が本当に男性オメガの興奮した体内なのかは分からなかったのだが、しかしそれからすぐになにやらとろりとした液が体の中を満たし、指の動きをなめらかにしだしたので はっきりと理解した。
あきらかに、夾は男性オメガとしての自分の中に触れていた。
指を抜き挿ししてみるとあふれ出る愛液によってかすかにちゅぷちゅぷという水音が聞こえて、彼のさらなる興奮を煽る。
すっかり夾は他のことを考えられなくなって、中に入っている中指をさらに根元まで奥深く差し込んだ。
指の先にあきらかに他の部分とは違う触感の、妙に硬く閉じた部分が当たり…夾の頬はバッと紅くなって思わず手を引っ込めそうになる。
その硬く閉じた先には、アルファとの子を育てる場所があるのだった。
寝台を包み込む甘い花のような【香り】と、触れた体内の感触からあらためて自分が成熟した男性オメガであるということを自覚した夾の胸の高鳴りは凄まじく、ほとんど酔ったような状態になった彼はそれから闇雲に自慰にふけりだした。
火照った体に下着と下衣は邪魔でしかなく、それらを脱ぎ捨てた夾は片手で肉棒を、そしてもう片方の手で体内を弄りながら身悶える。
《『この【香り】…嫌いじゃない』》
「っ…!!」
璇の声が再び耳元に聞こえた気がして思わず体内に忍ばせた指先を曲げると、腹側の浅いところにある一点から空恐ろしいほどの快感が全身に走り、夾は目を白黒させながらさらにそこを弄ることに夢中になってしまう。
絶頂に至りたいという欲は止めることなどできるはずもなく、彼をただひたすらに激しい自慰へと駆り立てる。
すっかり大胆な心持ちになった彼は、ついに横たえていた体をうつ伏せにし、膝を左右に大きく開いて腰と尻とを高く掲げるという背後からのアルファの受け入れに最も適した体勢を取った。
彼の秘部は解されきって くぱくぱと開き、指の抜き挿しによって外へ溢れ出た愛液は彼の陰嚢の裏にまで伝う。
前を激しく扱き、後ろも ぐちゃぐちゃにしながら。
彼は頬を枕に押し当ててうわごとのように呟いていた。
「璇、さん…せん さぁんっ…!!」
「~~~っ!!!」
声にならない声が喉の奥から漏れ出て寝室中に広がるのも構わず、彼はかろうじて枕元から取った薄紙数枚を自らの下に敷くと、周囲を憚ることなく一心不乱に絶頂だけを追い求めた。
高く掲げた尻を支える太ももと膝は がくがくと震えて ほとんどまともに立てていられず、激しい鼓動のせいで胸は息苦しい。
前と後ろ。外と中からの強烈な刺激、そして快感。
瞼をぎゅっと硬く瞑ってひたすら手を動かし続けた夾は、それからまもなくしてついに…待ちわびた絶頂を迎えた。
だが滴り落ちる子種のない精液と透明な愛液によって汚れたそれぞれの手は彼が果てた後もしばらくの間 止まることなく断続的に快感を植え付けて満たしきれない疼きをなんとかしようと必死になっている。
いくら体を震わせようとも満足するには足りないと思ってしまう夾がようやく落ち着きを取り戻せたのは、それからずっと後のことだった。
ーーーーーー
油灯の炎の明かりが寝台のすぐ横にある壁を煌々と照らす夜。
夾は自身の精液と愛液に塗れた体で寝そべったまま、壁の木目をぼんやりと眺めて荒ぶっていた鼓動と呼吸が治まっていくのを感じていた。
こんなにも激しく自分を慰めたことはこれまでになかった夾がこの時間を迎えて感じたことは恥でも後悔でもない。
ただ1つの、決定付けられた たしかな事実に対する明確な意思だ。
(こういうことは…璇さん以外の人とはしたくない。あの人以外には俺の体には触れてほしくない、他の誰かとだなんて想像もできないし…想像したくもない)
(璇さんになら俺は全部を捧げてもいいと思える。あの人が望むならどんなことをされたって構わない。それこそ寝台に押し倒されたって…でも他の人にされるのは、嫌だ)
「俺は…璇さんのことが……」
想いの丈を実際に声にしてみる夾。
「……大好きなんだ」
消え入りそうな彼のその声は、ひっそりとした甘い夜の闇の中へと静かに溶け込んでいったのだった。
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