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前日譚

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「笹、明日の仕度はできたか?」

 夕飯時の慌しい時間。
 蔦は鍋の中で煮込まれている野菜や肉の火の通り具合と味をみながら後ろの方に向かって呼びかける。
 鍋の中でぐつぐつと煮えている料理はいたって普通の、工芸地域でよく食べられている家庭料理だ。

「うん。荷物、全部まとめたよ」

 それなりの味になっていることを確認した蔦が振り返ると、ちょうどそこに1人の男の子が近寄ってくる。

「お父ちゃん、布巾ちょうだい。机拭いとく」
「あぁ…ありがとう、今絞ってあげるから」
「うん」

 蔦が固く絞った濡れ布巾を渡すと、男の子は濡れ布巾を受け取って手の大きさに合うようにたたみ直し、食卓の方へと向かった。

「あれ、お父さんはどうした。どこいった?」

 蔦が部屋を見回して言うと、笹は「ん、おとうさん、さっき外いったよ」と精一杯に腕を伸ばして食卓を拭う。

の量をみてくるって言ってた」
「そうか。…まぁ、それならすぐ戻ってくるか」
「うん」

 まったく同じような口調で話をする2人はどちらも手際よくそれぞれの手を動かしていて、はたから見ても息ぴったりだ。
 蔦が料理をよそうとそれを笹がすぐさま食卓へと運び、流れるように進む3人分の夕食の支度。
 その息の合いようは2人が親子であることを完全に証明している。

「あの、おとうちゃん…」
「うん?」
「………」

 いくつかの料理を運んだあと、笹は蔦のそばで「その、できたら、なんだけど…」ともじもじ何か言いたそうにし始めた。
 笹の視線は調理場の端の方にある食材置きの方を向いているが、蔦にはその視線の先を確かめるまでもない。

「…卵焼きが食べたいって?」

 蔦が先回りするかのように言うと、笹は ぱっと顔を上げて頷く。
 ほんのり甘い味付けがされた卵焼き。
 蔦が作るそれは平凡で何の工夫もないものだが、それこそが笹の大好物なのだ。
 あまりこうしてねだることはないものの、どうやら今夜は久しぶりに食べたくなったらしい。
 
「うん、いいよ、作ってあげる。作ってあげるから笹は先に手を洗って待っときな、もうお父さんも来るだろうから」

 蔦が卵をいくつか手に取って割ると、笹は「ありがと、お父ちゃん」と とても嬉しそうに言う。
 卵焼きの一つや2つ、いつも何かと家事の手助けをしてくれる笹のおねだりならばいくらでも作れるだろう。
 蔦は「本当に好きなんだな、卵焼きが」と苦笑しながら笹の柔らかな頬を軽くつまんで笑った。
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