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番外編
『外泊』後編
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蔦の実家で早めの夕食をご馳走になった後、樫はやはり蔦に連れられて陽が傾きつつある酪農地域の中を歩いていた。
2人の家に帰る道を行くには時間が遅くなりすぎているため、どちらにせよ酪農地域に泊まることになるだろうと思ってはいたのだが、蔦は夕食を終えるなり家族に「じゃ、また」と声をかけて樫を外へと連れ出していたのだ。
「蔦、どこへ行くんだ?俺はてっきり…」
またもや行き先を知らされないまま歩かされている樫が訊ねるも、蔦はそれには答えず、手に持つ灯りを揺らしながら「昼に行ったあの食堂はさ」と話し出した。
「俺の実家からすごく近かっただろ、通りに出たらすぐで。…昔から俺の馴染みの食堂だったんだ。まぁ、実際に行ったことはそう何回もないんだけど。ほら、俺は家族とは生活の時間帯が違ってたからさ。夕方起きて朝方に寝るって生活のせいで、真夜中と早朝が俺にとっての昼と夜みたいなもんだったんだよ。だから起きたときは家族と一緒に夕飯が食べられるんだけど、その後はみんな寝ちゃうから食べるものがなくなっちゃって…」
蔦の両親は医者のため、夜は早めに休み、朝は朝食を食べる前に薬草摘みに出かけるのだが、それによって夕方ならまだしも、他の食事の時間は蔦となかなか合うことがなかった。
作り置きも時間によっては難しく、かといって自分で料理しようにも真夜中に料理をするのは周りの迷惑にもなる。
そこで食事のことを気にかけた蔦の姉は蔦が兄に勉強を教えてもらってる間に夜食を作ったり、食堂で蔦好みの献立が出ると夕方に軽食をもらってきてくれたりしていたそうだ。
「…俺、そんな生活をずっと送ってたから、姉ちゃんの料理とあの食堂の味には特に強い思い入れがあるんだ」
蔦は灯りを手に振り返り、後ろ歩きをしながら「樫、今日のあの食堂の料理を美味しいって言ってくれたね」と微笑む。
「俺の馴染みの味を『美味しい』って樫が言ってくれて…嬉しかった。ずっと『いつか樫にも食べさせてあげたい』と思ってたんだよ。でもなかなか機会がなくてさ。姉さんはわりと近くにいるからまだしも、食堂の味はここまで来るしか味わう方法がないでしょ」
嬉しそうな蔦の笑み。
だが、樫はそんな蔦とは対照的に心の奥で胸が締め付けられるような思いになっていた。
【蔦の思い出の味】というのは、それはつまり蔦が真夜中に、たった1人で、ひっそりと食事をしていたということを表してもいるからだ。
樫は自分と出会う前の蔦がその体質によってどんな生活を強いられてきていたのかについては もう よく知っているつもりだったのだが、あらためて こうしたかつての生活の跡に触れてみると、本人はなんとも思っていないであろうという様々な部分になんともいえない寂しさと物悲しさを感じる。
何度も体質の改善を試みたというからには、きっと蔦自身もその状況から抜け出したいと切に思っていたに違いない。
体質の改善を願いつつも、それが叶うことのなかった蔦。
蔦は一体これまで、どれだけ1人で夜を過ごすことの寂しさを味わってきたことだろうか。
「蔦…」
樫が口を開こうとしたその時、蔦は「ねぇ、樫、見て!ほら後ろ!ほら、ほら!」と遮って半ば強引に樫に後ろを向かせた。
されるがままの樫は今来た道の方に目を向けつつも話し続けようとしたが、目に飛び込んできた風景に思わず息を呑んだ。
広大な牧草地、通りに沿って並ぶ家々、区画を区切るように配された並木と家畜のための建物。
空はわずかに残る茜を追いかけるかのように紺碧が覆い始めていて、もうあと少しで完全に沈むであろうという夕陽がそこら中を濃い陰影で描き出し、さらに見張りのためのものらしい塔の真っ直ぐな影を伸ばしている。
蔦に連れられて歩いていたこの道はどうやら全体的に緩やかな上り坂だったらしく、樫はいつの間にか景色を一望できる小高い丘の上に立っていた。
夕陽など、どこで見ても同じだと思っていたというのに。
すでに今日、2度も酪農地域の風景には感嘆したというのに。
「こ…れはまた、見事な…」
樫は目の前に広がる景色に目を奪われながら呟く。
この丘には樫と蔦の他にまったく人影がない。
蔦は樫の腕を取り、寄り添いながら「綺麗でしょ?」と静かに言った。
「酪農地域は海に面してる地域の一つだから、こうして最後まではっきりと夕陽を見ることが出来るんだよ。…もちろん漁業地域も海に面してはいるけど、酪農地域ほど高低差がない、どちらかというと全体的に平坦な地形でしょ。だからこうやって地域全体を、夕陽に照らされた地域全体の風景を見ることができるのは…実質ここだけなんだ」
蔦は肩をすくめながら「ま、お城のてっぺんはまた違うかもしれないけどね」とも付け加える。
牧草の良い香りや作業場や牛舎などの方からまだ時折聞こえてくる人の声に家畜達ののんびりとした鳴き声、森の巣に帰る鳥達の呼び声と風にそよぐ木々の枝葉の音。
視覚と嗅覚と聴覚、そして腕から伝わる温もりはこの一時を何物にも代えがたい、特別なものに仕立てているようだ。
しばらくそうして風景を眺めていると、徐々に沈みゆく夕陽によって紺碧の度合いが強くなり始めたことが感じられる。
「樫、そろそろ行こう。暗くなる前には宿へ着かないと」
腕を引く蔦に促され、樫は随分と名残惜しそうにしてから踵を返した。
ーーーーーーー
辿り着いたのは木々が茂る中にある一軒の宿だ。
酪農地域では温泉の湧き出る場所がいくつかあって、家畜達の疲れを癒すための浴場もあるほどなのだが、この一帯は他地域の人々のために設けられた温泉付きの宿泊所として整備されているのだという。
辺りにはこうした1部屋ずつの宿がいくつも点在しており、地域の人が掃除などの管理をしているそうなのだが…それにしてはあまりにも人の気配がない。
樫が不思議に思って訊ねてみると、蔦は「今の時期は来る人がいないだけだよ」と宿の扉の鍵を開けた。
どうやらこの宿泊所も蔦の馴染みの場所だったらしい。
毎日家に引きこもり、常に物音を立てないようにと気を張りながら勉強をするという生活を送っていた蔦は、その健康面を心配した父親達に「気分転換に違うところで過ごしてみないか?」と勧められたことがきっかけで、度々この辺りの宿泊所を利用するようになった。
宿泊所は管理を受け持っている一家に事前に申し出ておけば誰でも泊まることができる。
そのため蔦は宿に空きがある時は夕飯を家で食べた後にここへ来て、勉強などをしながら自由に過ごし、明け方頃にまた家へ帰るということを繰り返していた。
そうして通い詰めているうちに、ここを利用する人の流れがいつ途切れるのかということもだいたい分かるようになってきた蔦。
「今ぐらいの季節は避暑でも湯治でもないからあまり人が来ないんだ。だから、今夜この辺りには…」
「俺達2人しかいない」
蔦が明かりを灯したことでその全貌が明らかになった室内。
部屋の中はまさに宿泊のためのものといった様子で、派手な装飾のない落ち着いた雰囲気を漂わせている。
木張りの壁、床、机、椅子、寝台で構成されている室内をさっと見回したところで、樫は『あるもの』に目を奪われた。
吸い寄せられるように『あるもの』へと近づいていく樫に、蔦は「さすが樫、やっぱり気づいたね」と笑う。
「絶対に樫は見たがると思ってたんだ。ははっ!そうだよ、この【本棚】には樫が特に好きな字体の本が沢山ある。それも複製じゃないやつ、【原書】がね」
「原書…?本当なのか、それは」
「うん、もちろん本当だよ。試しに一冊 開いてみたら?全部に作者の書置きがあるからさ」
蔦に言われるまま本棚に並ぶ一冊を手に取った樫がその本の最後の項を開いて見てみると、たしかにそこには
【この初めの一冊を、私の愛する景色に捧げる】
という一文が作者の署名と共に残っていた。
本の複製時、作者の名は写してもこうした文言は写さないのがきまりであり、さらにその上 複製を行った者(司書や挿絵を描いた者)の名を分かりやすく記しておかなければならないのだが、この本にはそのような痕跡は見受けられない。
つまり、この本はまさに蔦の言った通り、この作者が自ら書いて仕上げたたった一つの【原書】だということになる。
【原書】は貴重なものであり、図書塔にも何冊かは所蔵されているのだが、ほとんどは作者の望む場所にそのまま保管されていて、傷んでしまった場合にのみ持ち出されて司書による修復を受けるのだ。
書き残されていたこの一文からして、この作者はこの1室から望む景色を相当気に入っていたらしい。
おそらく作者は後世でも愛する景色と共にありたいと願い、自身の分身ともいえるこの原書達をここに遺したのだろう。
この作者の字体はすらりとした線が特徴的で、特に樫が美しく、素晴らしいと思っていたものだ。
図書塔にあるこれらの複製を眺めてきた樫にとっては、複製がいくら完璧に字体を真似たものであろうとも、作者自身が直接生み出したものには敵わない。
蔦は目を輝かせる樫に「立ってないで、そこの椅子に座ったら?」と促してから持ってきた包みを解いた。
「俺、湯を浴びてくるからさ。その間ゆっくりするといいよ、樫」
ーーーーーーー
酪農地域はほぼ全域で温泉が湧き出るため、他の地域と違い、一般的な家庭でも温泉を引いて湯浴みなどに使用しているのだが、この辺りの宿に使われている湯はその中でも特に優れた泉質のものだと有名で、時々酪農地域内からも泊りに来る人がいる。
そのため、この辺りはきちんと時期を知らなければどこの宿も常に人でいっぱいとなっていて泊まることも難しいのだ。
きっと蔦でなければこのように狙って周りのどの宿にも人が泊まっていないという、完全に2人きりの状況を作り出すことは難しかっただろう。
部屋に隣接された浴室の中、昔と変わらず疲れを癒してくれる温泉に目を閉じて浸かった蔦は のぼせてしまう前にすっかり身を綺麗にしてしまうと、家から持ってきていた寝間着に着替えて部屋へと戻った。
「どう?良いでしょ、ここ」
髪を浴布で拭いながら蔦が言うと、樫は満足そうに頷きながら手に持っていた本を本棚へと戻す。
蔦が浴室に向かう前の樫が手にしていたのは左端にある本だったが…今戻したのはその一段下の右端だ。
本の内容についてはすべて記憶している樫は、蔦が湯浴みをしていた小一時間の間に原書の筆跡に集中してす目を通して楽しんだらしい。
この作者がここに遺した【原書】はそれですべてだ。
樫がしっかりと心ゆくまで好きな字体を眺めることができたのだと知り、蔦は顔を綻ばせる。
「相当楽しかったみたいだな。嬉しそうなのが隠しきれてないよ」
「それは、まぁ…な。…俺、この人の直筆を見たのは初めてだったんだ。直筆っていうのはやっぱり複製とは違うんだよな、なんていうか、こう『力がある』っていうか…『内容を伝える』っていうよりも『訴えかけてくる』っていうか」
珍しく熱くなって語りだしそうな樫。
蔦は「分かった、分かったって」と笑いながら樫の分の寝間着を包みから取り出す。
「まずは湯浴みをしてきなよ、樫。そのまま話してたらあっという間に夜明けになっちゃって、せっかくの温泉をゆっくり楽しめないから」
寝間着を脱衣所へと置いた蔦に「…一緒に入らないか?」と声をかける樫だが「俺は今たっぷり浸かってきたから」という答えが返ってきた。
「これ以上はのぼせるよ。それに…一緒に入って、何をするつもり?」
「いや…別に俺は…」
「ははっ!ほらほら まぁまぁ、いいから湯浴みをしてきなって!俺のお墨付きの温泉だぞ?樫も絶対に気に入るからさ!」
蔦に背を押され、樫は浴室へと向かう。
「湯冷めはするなよ」と言う樫に、蔦は「ごゆっくりどうぞ~」とひらひらと手を振って応えた。
ーーーーー
樫が湯浴みをしている間にすっかり夜は深まっていく。
湯浴みを終えて湿った髪を拭いながら浴室から出てきた樫。
だが部屋は明かりが落とされて、ほとんど真っ暗になっていた。
「蔦?」
不安になった樫が呼びかけると、大きな窓がある方から「ん、ここにいるよ」という蔦の静かな声が返ってくる。
あまりの暗さに一番そばにある油灯を灯そうとすると、蔦はそれよりも早くそばへ来て樫の手を引いた。
「明るいところから来たから真っ暗に見えるんだろ。でも実際はそんなに暗くないよ、寝台の方とかに少し明かりはあるから。それよりも来て、見せたいものがあるんだ」
蔦に手を引かれるまま、樫は「まだ見せたいものがあるのか?」と足元に注意しながら歩く。
「今日は随分と見せたいもの、話したいことがあるんだな」
「飽きた?」
「いや、まったく。次は何かと思って」
大人しく後をついてくる樫を大きな窓のそばまで連れてきた蔦は、窓の外の風景を見せながら「どう?」と囁く。
「この宿からが1番よく、綺麗に見えるんだよ。本のこともあったし、借りるなら絶対にここがいいと思ってさ」
窓の外に広がる風景。
それは昼間や夕方に見たものとはまったく異なるものだった。
夜空に瞬く無数の星々と月明かりが照らす牧草地。そしてその牧草地を点々と照らす灯り…
「あの明かりは…なんだ?」
景色を見つめながら訊ねると、すぐそばから「あぁ、あれは…」と蔦の声が響く。
「放牧場の周りに置かれた松明とかだよ。酪農地域では夜の間にこうして灯りを点けておいて、野生動物が来ないように見張る人達がいるんだ。だからあの明かりは1晩中点いてるんだよ。他の場所からだとちょっと木で遮られちゃったりして、こんなに広く見ることはできないんだ。どうだ、綺麗だろ?灯りがずっと遠くまで並んでて、星と月が……ははっ、これでようやく俺が樫に見せたいものは全部見せることができた。これで全部だ。これが今までの俺の…」
「蔦」
樫は景色を眺めながら話す蔦を後ろから抱きしめ、首筋に口づけながら唇に伝わる確かな体温を感じる。
腕の中にいる蔦は不思議といつもより一回りほど小さく思えてならない。
しっかりと腕を回し、樫は蔦の体を包み込みながら「なぁ、蔦」と語りかけた。
「…俺はさ、この先もずっとおまえと一緒にいるよ。絶対に一人にしない。俺はいつもおまえのそばにいて、おまえと同じものを見て、聴いて、感じて…とにかく一緒にいるから」
「……」
「約束する」
2人の鼓動と息遣いの他にはなにも聞こえないほど静まり返った室内。
蔦がしばらくの沈黙の末、樫の腕に触れながら、「…ほんと?」と消え入りそうな声を出すと、樫は頬をぴったりと蔦の頬にくっつけながら頷く。
「俺は誓うよ、蔦。うん…おまえがどこへ行こうとも、俺はついて行く。行き先がたとえこんな風な闇の中だったとしても。必ずそばにいて、こうして抱きしめてやるんだ。手も握るし、口づけだってする。とにかく、離れない」
「………」
「…悪い、なんか変なこと言ってるよな、俺。ついさっきまであの本を…詩の本を読んでたからだな、感化されたんだ。ちょっと…聞かなかったことにしてくれないか」
苦笑いを浮かべる樫に、蔦は「…どうして?俺はすごく…すごく嬉しいのに」と小さな声で答えた。
蔦を抱きしめている腕の衣がじんわりと温かくなり、そこが少し冷たくなったかと思えばまた1つ2つと温かくなる。
声を押し殺しながら、少し震えているらしい蔦の肩に口づけてこのしっとりとした静かな空気を味わっていると、やがて蔦はそっと「…あのさ」と口を開いて細々と話し出した。
「俺…自分のあの生活を辛いと思ったことは、一度もなかったんだ。だって…あれが俺にとっての当たり前だったから。父さんのところに医者の勉強しに来てた子と知り合いではあったけど、別に一緒に遊びに行きたいと思ったことは無かったし、どこか行ってみたいと思うようなところもなかった。1人で良い景色を見るのも、1人で勉強するのも、1人で食べるのも…全部1人でも構わなかったんだ。景色は【独り占めできる】、勉強は【静かで集中できる】、食事は…まぁ、単純に【美味しい】って思ってて。でも…樫と一緒になって暮らすのが当たり前になったらさ、そういうのが全部変わったんだ」
「樫に俺が見てきたものを【見せてあげたい】、1人で黙々と描いてるよりも【樫が字を書いてる音を聞きながらの方がずっと集中できる】、食べるのだって2人一緒の方が、なんていうか…【良いな】って…そういう風に思うってことは…それはつまり、俺は本当に樫のことが…樫のことが好きで、大好きで、大好きでたまらないってことで…」
「愛してる、樫。心から、心の奥底から…愛してるよ」
蔦は樫の腕の中で身を翻すと、そのまましがみつくように抱きついて唇を強く樫へと押し付けた。
樫よりもわずかに低い蔦の身長がむしろ口づけをより簡単に、深くさせている。
互いの吐息まで食べつくすように舌を絡み合わせて口づけた後、わずかに離れた唇の隙間から蔦は「ありがとう」と囁いた。
「樫が言ってくれること…全部嬉しい。今のも、昼にじいちゃんへ言ってくれたのも全部…全部嬉しい」
「ありがとう、樫…俺も樫の行くところならどこにでもついて行くよ。樫が嫌だって言ってもくっついて行く、離さない、離れないからな」
耳元で囁かれる声のくすぐったさは樫をわずかに妖しい気分にさせるが、樫はそのまま蔦の頬に口づけると「俺だって」と微笑む。
「愛してる。お祖父様の前で言った通りにな」
「はは…それ、だいぶ びっくりさせられたよ…」
「そうか?俺はいくらでも言える」
肩口に顔をうずめながら「もう…ほんとに、お前ってやつは…」と呟く蔦の背を摩りながら、樫は「俺も蔦みたいに色々案内してやれれば良かったんだけどな」と小さくため息をついた。
「あいにく、俺は蔦以上に行動範囲が狭かったんだ。家、図書塔、紙と筆記具の工房。それで全部。知り合いの職人達はもう皆 蔦も知ってるし、今更案内して周るような場所も、見せたいような綺麗な景色も知らない。…まったく、新鮮味にかけるよな」
「はははっ…樫が今までどれだけ字漬けの人生を送ってきたのかがよく分かるよ。でも1度教えてくれたろ?図書塔の最上階から見る四季の景色のこと。俺はあの景色を見せてくれただけで十分だよ、あの景色もすごく綺麗だから」
「まぁ、あれはな…あ、そうだ、俺の実家にはまだちゃんと行った事がなかったよな?よし、今度連れて行ってやる。そんなに遠くもないし、ここほど面白いこともないけど。うん…今度の休みがいいな、そうしよう」
樫がさっさと予定を決めてしまうと、蔦は樫の胸に手をついてわずかに身を離し、言い辛そうにしながら「あの…さ」と目を伏せる。
「それじゃ…え、と…ご両親とか弟さん…って、何か好きなもの、ある?」
「なんだよ、いきなり」
「いや、だって、樫の家族に会うなら…やっぱり喜ばれるようなものを…」
「なんだ、どの口が言うんだ?自分は俺のことを急に実家へ連れて行ったくせに!」
「それは…悪かったと思ってるよ!母さんにもあの後また言われたんだ、もう叱らないでよ…たしかに俺が樫の立場だったら…うん…でも、俺はただ実家を案内したいと、ただそう思ってただけで…」
まごまごと唇を尖らせて話す蔦の様子からして、夕食の前後辺りで相当厳しく母親に注意されたらしいと分かり、樫はなんだかしょげたような蔦が可愛くなって頬を撫でた。
耳元に指先が触れてくすぐったそうにする蔦に「うん…そうだな」と考える樫。
「…俺の父親は甘いものが好きだし、母親は刺繍が趣味だ。だから食堂で焼き菓子をもらって、刺繍工房からは刺繍糸を適当に見繕って持っていけばいいよ。それから、弟はお前と同じで犬が好きらしい。前に俺のところへ顔を出しに来たとき、蔦が描いた犬の絵をやたらと褒めて羨ましそうにしてたんだ。だから一枚くらい良さそうなのを渡してやれば、それで充分だと思うよ」
目がこの暗さに慣れたらしく、すっかり蔦の輝くような表情がはっきりと見えるようになっている。
蔦は「焼き菓子に、刺繍糸に、絵、ね」と繰り返した。
「弟さん、俺の絵を褒めてたって?それ、何でもっと早く言ってくれなかったんだよ。そんなの、一枚どころか何枚でも…ありがとう樫、教えてくれてありがとう。俺、ちゃんと準備しておくから」
「あぁ。…じゃあさ、今度は蔦が教えてくれよ、ご家族のこと。しょっちゅうここまで来ることはできなくても、贈ることは出来るから」
「うん…分かった、そうする。そうするよ、樫…」
薄闇の中、わずかな灯りを反射して煌めく蔦の瞳を覗き込むと、蔦の豊かな睫毛が揺れる。
「樫…」
「うん?」
「この後は…まだ本を読むか?俺…そろそろ寝たい、んだけど………」
蔦の躊躇いがちなその声は小さなものであるのにもかかわらずとても良く響き、樫の耳をくすぐる。
熱のこもった瞳とその言葉が意味するところは明らかだ。
だが樫はふっと微笑むと、蔦の肩を押して再び景色の方を見せながら「まだ、もう少しこのままでいるのもいいじゃないか?」と後ろから腕を回す。
今この時、この場所でこの景色を眺めているのは2人だけだ。
そんな意識がより一層気分を高揚させていく中、蔦は自らを抱きしめている樫の手が少しずつ胸元の辺りを彷徨い始めていることに気づき、口の端に笑みを浮かべる。
「ん…景色を見るんじゃ…なかったのか?せっかちだな…」
蔦がからかう気持ちを込めて言うと、樫は ちゅっ と蔦の耳たぶに音を立てて口づけ、彷徨わせていた手を上衣の合わせ目に挿し込んだ。
静かな夜の闇に響く口づけの音は次第にはっきりと、大きくなって数を増やしていく。
上衣の中に挿し込まれた手はあからさまに蔦の胸をなぞり、揉み、そして中心にある突起に触れたかと思えばいくらか強く摘んで痺れるような刺激をもたらした。
首筋にかかる吐息と胸への刺激は蔦の情欲を煽るのには充分で、すでに前のものを勃ち上がらせていた蔦は顔を横に向け、すぐ隣にある樫の唇に吸い付いて「樫…寝台、いこ…」と甘く囁く。
しかし樫は構わず蔦の上衣をはだけさせると、胸から腹をなぞり、さらにそのまま下衣の中にまでも手を挿し込んだ。
陰部をまさぐられて思わず声を漏らす蔦。
樫は手に納めた肉棒をしごきながら「しっかり立たないと」と片腕で腹の辺りを支える。
「ほら、せっかくの景色なんだから。前を見て」
「…っあ……んんっ、なんだよ…ここですんの?ここじゃ…こんな窓の近くじゃ外から…外から見えっ……」
「嫌なのか?」
「は、あぁ…ちょ…っと…」
「俺達2人きりだって…言っただろ」
手は一時たりとも止まることなく動き続けていて、蔦は無意識的に逃れようと腰を引くものの、むしろそれが樫の股を尻で刺激してしまう。
勃ち始めていた敏感な部分をグリグリと押されたことでさらに息を荒らげた樫は、蔦を体ごと窓の方へと一歩二歩 押しやり、さらに下衣を半分剥くようにして秘部へと手を伸ばした。
尻の肉の間に指を挿し込み、ひっそりとした秘部のシワをなぞってからその辺りを手加減しつつ押して揉むと、すぐにそこは開いてすんなりと指を中へと呑み込んでしまう。
あまりにも滑らかに指を受け入れていくため、樫が「自分で…随分ほぐしたみたいだな?」と問いかけると、蔦は薄く笑って答えた。
「まぁな…お前に時間をやるためにゆっくり湯浴みしたし…こんな、状況で…期待しないはず、ない、だろ…」
「それにしても…今何本入ってるか分かるか?3本だぞ。まだまだ入りそうだ…こんなにほぐして待ってたなら…期待に応えないといけないよな」
「あ、っ…樫…!!」
内側から特に弱い1点を指先で撫でられた蔦。
がくがくと震える下半身はすでに体を支えるのに十分な力を保てず、蔦はそれまで樫の腕を掴んでいた自らの手を目の前にある窓硝子にぴったりとつけてなんとか体勢を保つ。
尻を後ろへと突き出し、上半身をやや下げたその恰好はまさに結合の瞬間を今か今かと待ち受けているようだ。
秘部から指が引き抜かれた後に感じる『物足りなさ』はすぐさま大きな快感と安堵に覆い隠されてどこかへと消え失せた。
今までに何度も、数え切れないほど受け入れてきた樫の肉棒はすでに蔦の体内をその形に合うように作り変えてしまっているようで、奥まで挿し込まれるとようやくすべてが満ち足りたような気分にさせる。
背後から抱く樫は俯いていた蔦の頬に手を添え、一撫でしてからもう一度目の前に広がる夜景を見せると、そのまま静かに腰を打ち付けだした。
ゆっくりと、じっくりと
樫の肉棒の先端は蔦の体内の腹側にあるわずかに膨らんだ部分を擦り、押し、引っ掻いて、蔦に全身がぞわぞわとするような感覚をもたらす。
蔦は顔を半ば強引に上げさせられているせいで上手く体に力を込めることができず、成す術もなく与えられ続けている快感を受け入れる他ない。
秘部から響く交わりの音は徐々に大きくはっきりとし始めていて、蔦が感じて潤っていることは確かめるまでもなかった。
「はぁっ、あっ…い…イキ、そ…ぅ」
自ら喉を反らしながら息も絶え絶えに言う蔦を強く抱きしめ、さらに1度奥まで腰を突き挿れると、蔦はキツく中を締めつけながら下半身を小刻みに痙攣させ、そのままガクリと両足の力を失って倒れ込みそうになる。
蔦を支え起こした樫は自身の興奮が少し収まるのを待ってから、蔦を抱きかかえて寝台へと向かった。
枕元に灯された明かりは寝転がった蔦の表情や体を見るのには充分で、薄明かりの中で激しく胸を上下させながら恍惚とした様子を浮かべているのがはっきりと見て取れる。
乱れた前髪を除けてやりながら舌が絡み合うような口づけをすると、蔦は足をもぞもぞと動かして樫の太ももやふくらはぎ、わき腹や腰、尻に触れながらさらなる交わりを行動で求めた。
「なんか…いつもより肌触りが違う気がする」
蔦の腕やうなじ、腹に触れていた樫が呟くと、蔦は吐息交じりに「うん…そうでしょ」と囁いて答える。
「ここの温泉は…特に肌をスベスベにしてくれるんだ…湯に浸かると、こうやって、肌が…っあ」
「ねぇ樫…もっと俺のこと触って…いっぱい触って撫でて、もっと…シて」
背に両腕を回し、足を深く折り曲げて樫を引き寄せると再びじっくりと中を馴染ませるような動きの抽挿が始まった。
蔦の、まだ今夜一度も放たずにいる硬く張り詰めた肉棒が握られると、蔦はそれを止めさせて中を擦る動きだけに集中するよう樫に要求する。
肉棒を弄って射精してしまうのは簡単だ。
しかし、中だけの刺激でとことん高みまで追い詰められると、射精に至りそうで至らないような苦しさ辛さを伴う絶妙な快感が得られるため、まずは後ろだけでその快感を味わうのが蔦には好ましいらしい。
じっくりとした抽挿がしばらく続いた寝台の上。
この刺激にもそろそろ慣れきってきた頃、樫を胸元に引き寄せた蔦は口元のすぐそばにある耳たぶにかじりつきながら「もっと…はげしいの、して」と訴えたが、樫は「だめだ」と首を横に振る。
「激しすぎるのはおまえの体に良くない。これは飽きたか?それじゃ横かうつ伏せに…」
「樫ぃ…腹ん中ぐちゃぐちゃにするみたいなやつ、してほし…」
「だめだって言ってるだろ、だめだ。なぁ蔦、横向きになれよ、後ろからするから」
蔦の願望をまったく聞き入れようとしない樫は蔦の中から肉棒を引き抜いて背後から挿入し直そうとしたが、喉から不満気な声を漏らした蔦は半ば強引に樫を寝台に寝転ばせると、自ら手を添えて樫の肉棒を秘部へと突き刺し、そのまま深く腰を下ろして大きく息を吐いた。
無理に腰を沈めているため、いつもは届かない奥深くにまで樫の肉棒が入り込んでいる。
固く閉じている部分をこじ開けられているような鈍い痛みに眉をひそめつつ、蔦は樫の胸元に吸い付いて濃い赤色のはっきりとした痕を残した。
通常よりも濃い痕は樫が理性を失いながら蔦を抱いていたときを象徴するようなものだ。
「イイのがついたな、樫…なぁ、樫がしないんなら俺がするからな…文句言うなよ…」
不敵に微笑む蔦は はぁはぁ と肩で息をすると、たった今ついたばかりの口づけの痕を見下ろしながら、樫の腹に手をついて勢いよく体を上下させ始めた。
自らの上で無遠慮に肉棒を抜き挿しさせるその様は下から眺めると非常に淫靡なもので、実際に与えられている感覚以上に樫を高揚させる。
激しい体の動きは蔦の肉棒をも予測不能な挙動で揺らし、それに手を伸ばして握ってしまいたいという衝動に駆られるも、蔦は樫の両手をしっかりと握ってそれを許さない。
いよいよ『欲』を抑えきれなくなった樫が膝を立てて下から強く肉棒を突き上げると、蔦は大きく1度喘いでわずかに腰を浮かせた状態にし、樫が自由に動けるようお膳立てをしてそのまま抽挿をさせる。
上で体を上下させるよりもずっと早く力強いその抽挿はまさに体内を『かき混ぜている』というようなもので、もはやどの辺りがどのようになっているのかすら考える余地も与えてはくれない。
秘部をヌルリとした樫の大きく太い肉棒が出入りするという素晴らしさに目を閉じて浸っていた蔦が薄目を開けて見てみると、そこにあったのは優しい眼差しなどではなく、すっかり理性を失った獣のような鋭い瞳だった。
(あぁ…これこれ、この姿の樫…ようやくまた見ることができた…)
満足そうに軽く笑みを溢した蔦は樫に覆い被さりながら「やっとその気になったか」と挑発するように唇に噛み付く。
「俺に乱暴したいんじゃないか?夢中になって腰振ったり口づけたり…そうしたいんだろ?ははっ…やってみろよ、樫…俺の尻が壊れるか お前の腰が壊れるか、どっちがどうなるのか…やってみるってのはどうだ?」
言い終えるなり尻を思いっきり下へと打ち下ろした蔦。
肉棒のみならず下腹部全体に振り下ろされたそのあまりにも強い打撃感に衝撃を受けたらしい樫は、勢いよく寝台から跳ね起きると蔦を自らの下に横向きに組み伏せてから またもや力いっぱいに腰を打ち付け始めた。
蔦の右の膝裏を抱えあげ、体内の危険な部位にまで侵入しながら激しく抽挿をする樫はそれでも満足しないらしく、蔦の二の腕の内側といった皮膚の柔らかな部分に吸い付いてくっきりとした深紅の痕を残す。
その吸い付く強さはチリチリとした痛みを伴うものであり、とりわけ皮膚の薄いところへそれをされると快感や満足感よりも痛みの方に気が散ってしまうほどだ。
蔦はそれまで樫のこの理性を失った激しい情事の姿を求めてやまなかったのだが、そこで以前の自分が樫を叩いてでも意識を取り戻させていたことの意味をはっきりと思い出した。
そうだ。
この皮膚をちぎられてしまいそうな痛みがあったじゃないか。
点々と増えていく痕を見つつそう思う蔦だが、そもそもこの状況を避けようとしていた樫を焚きつけたのが自分であるということと、こんなにも夢中になっている樫を止めるのが惜しいということと、この雰囲気さえも愛おしいといういくつもの考えによってあえて樫に正気を取り戻させようとはしない。
しかし、いくらそう思っていたとしても痛いものは痛いのだ。
(もっと痕が付きづらいところなら…ここまで痛くはないんじゃないか?)
樫はさらに胸元の方にまで痕を付けようとしているらしく、蔦の上半身を仰向けにさせる。
下半身は横向きにされたままの、腹部が張る格好にされた蔦はそれによってさらに体内を強く擦られて声も出ないような快感に晒されるが、なんとか身を翻して体位を変えると、四つん這いになってさらに秘部を差し出した。
「後ろからして…もっと奥までしてよ、樫…ほら、はやく、ぐっちゃぐちゃにして…」
誘うような腰の動きに触発された樫が後ろから強烈な一突きを繰り出したため、体全体を突き飛ばすようにされた蔦は目の前にあった寝台の周りを囲う柵に手をついてその衝撃を受け止める。
もはや寝台に伏しているようではすぐに息苦しくなってしまうだろう。
蔦はそのまま柵に腕を置いてもたれかかり、樫との濃厚な情事を行うことにした。
背や肩の皮膚はやはりいくらか痕を残されることでチリチリと痛むが、それでも二の腕などにされたものよりはずっとマシだろう。
「蔦…おまえ、何もかも最高だよ」
抽挿の最中に荒い吐息と共に囁く樫。
その囁きは心からの思いが思わず口をついて出た、といったようなものであり、蔦は笑みを交えながら「お前こそ…」と応えると、さらにいくつかの言葉を続けて言った。
その言葉の数々はあまりにも途切れ途切れな上に乱れていて不鮮明なものであり、どういったものであったかは窺い知ることができない。
だが2人の間では はっきりと通じ合っているらしい。
時々密かに、笑みを含んだような声を織り交ぜながら互いに快感を高めてゆく姿は、荒々しくも美しく、乱暴なようでいてどこか優しさと愛情が感じられるものだった。
やがて訪れるその瞬間。
蔦はあらかじめ寝台の端に置いていた薄紙の束に手探りで手を伸ばし、そこから2、3枚掴み取ると、自らの肉棒をそれで包み込んで『その時』に備える。
すでに先端から数滴分滲ませるほど張り詰めていた肉棒は、樫が蔦の手ごとそれを包んで扱ったことで途端に爆ぜ、濃厚な粘つく精液をビクビクと薄紙へと吐き出した。
射精を伴う絶頂は蔦の体内へも大きな影響を及ぼし、中に挿入されている樫の肉棒をちぎってしまうのではないかというほど激しくうねってキツく締め付ける。
明らかに狭くなった蔦の体内から勢いよく自身のものを抜き出した樫は、そのまま蔦の背に向けて2度、3度と勢いよく精液を飛ばした。
一通り済んだ後、樫は再び蔦の体内へと潜り込んでその余韻を蔦と共に味わう。
身と心の強い結びつき。
そしてそれを疑うまでもない月夜。
抱き合う2人の情熱はいつまで経っても、まったく収まりそうになかった。
2人の家に帰る道を行くには時間が遅くなりすぎているため、どちらにせよ酪農地域に泊まることになるだろうと思ってはいたのだが、蔦は夕食を終えるなり家族に「じゃ、また」と声をかけて樫を外へと連れ出していたのだ。
「蔦、どこへ行くんだ?俺はてっきり…」
またもや行き先を知らされないまま歩かされている樫が訊ねるも、蔦はそれには答えず、手に持つ灯りを揺らしながら「昼に行ったあの食堂はさ」と話し出した。
「俺の実家からすごく近かっただろ、通りに出たらすぐで。…昔から俺の馴染みの食堂だったんだ。まぁ、実際に行ったことはそう何回もないんだけど。ほら、俺は家族とは生活の時間帯が違ってたからさ。夕方起きて朝方に寝るって生活のせいで、真夜中と早朝が俺にとっての昼と夜みたいなもんだったんだよ。だから起きたときは家族と一緒に夕飯が食べられるんだけど、その後はみんな寝ちゃうから食べるものがなくなっちゃって…」
蔦の両親は医者のため、夜は早めに休み、朝は朝食を食べる前に薬草摘みに出かけるのだが、それによって夕方ならまだしも、他の食事の時間は蔦となかなか合うことがなかった。
作り置きも時間によっては難しく、かといって自分で料理しようにも真夜中に料理をするのは周りの迷惑にもなる。
そこで食事のことを気にかけた蔦の姉は蔦が兄に勉強を教えてもらってる間に夜食を作ったり、食堂で蔦好みの献立が出ると夕方に軽食をもらってきてくれたりしていたそうだ。
「…俺、そんな生活をずっと送ってたから、姉ちゃんの料理とあの食堂の味には特に強い思い入れがあるんだ」
蔦は灯りを手に振り返り、後ろ歩きをしながら「樫、今日のあの食堂の料理を美味しいって言ってくれたね」と微笑む。
「俺の馴染みの味を『美味しい』って樫が言ってくれて…嬉しかった。ずっと『いつか樫にも食べさせてあげたい』と思ってたんだよ。でもなかなか機会がなくてさ。姉さんはわりと近くにいるからまだしも、食堂の味はここまで来るしか味わう方法がないでしょ」
嬉しそうな蔦の笑み。
だが、樫はそんな蔦とは対照的に心の奥で胸が締め付けられるような思いになっていた。
【蔦の思い出の味】というのは、それはつまり蔦が真夜中に、たった1人で、ひっそりと食事をしていたということを表してもいるからだ。
樫は自分と出会う前の蔦がその体質によってどんな生活を強いられてきていたのかについては もう よく知っているつもりだったのだが、あらためて こうしたかつての生活の跡に触れてみると、本人はなんとも思っていないであろうという様々な部分になんともいえない寂しさと物悲しさを感じる。
何度も体質の改善を試みたというからには、きっと蔦自身もその状況から抜け出したいと切に思っていたに違いない。
体質の改善を願いつつも、それが叶うことのなかった蔦。
蔦は一体これまで、どれだけ1人で夜を過ごすことの寂しさを味わってきたことだろうか。
「蔦…」
樫が口を開こうとしたその時、蔦は「ねぇ、樫、見て!ほら後ろ!ほら、ほら!」と遮って半ば強引に樫に後ろを向かせた。
されるがままの樫は今来た道の方に目を向けつつも話し続けようとしたが、目に飛び込んできた風景に思わず息を呑んだ。
広大な牧草地、通りに沿って並ぶ家々、区画を区切るように配された並木と家畜のための建物。
空はわずかに残る茜を追いかけるかのように紺碧が覆い始めていて、もうあと少しで完全に沈むであろうという夕陽がそこら中を濃い陰影で描き出し、さらに見張りのためのものらしい塔の真っ直ぐな影を伸ばしている。
蔦に連れられて歩いていたこの道はどうやら全体的に緩やかな上り坂だったらしく、樫はいつの間にか景色を一望できる小高い丘の上に立っていた。
夕陽など、どこで見ても同じだと思っていたというのに。
すでに今日、2度も酪農地域の風景には感嘆したというのに。
「こ…れはまた、見事な…」
樫は目の前に広がる景色に目を奪われながら呟く。
この丘には樫と蔦の他にまったく人影がない。
蔦は樫の腕を取り、寄り添いながら「綺麗でしょ?」と静かに言った。
「酪農地域は海に面してる地域の一つだから、こうして最後まではっきりと夕陽を見ることが出来るんだよ。…もちろん漁業地域も海に面してはいるけど、酪農地域ほど高低差がない、どちらかというと全体的に平坦な地形でしょ。だからこうやって地域全体を、夕陽に照らされた地域全体の風景を見ることができるのは…実質ここだけなんだ」
蔦は肩をすくめながら「ま、お城のてっぺんはまた違うかもしれないけどね」とも付け加える。
牧草の良い香りや作業場や牛舎などの方からまだ時折聞こえてくる人の声に家畜達ののんびりとした鳴き声、森の巣に帰る鳥達の呼び声と風にそよぐ木々の枝葉の音。
視覚と嗅覚と聴覚、そして腕から伝わる温もりはこの一時を何物にも代えがたい、特別なものに仕立てているようだ。
しばらくそうして風景を眺めていると、徐々に沈みゆく夕陽によって紺碧の度合いが強くなり始めたことが感じられる。
「樫、そろそろ行こう。暗くなる前には宿へ着かないと」
腕を引く蔦に促され、樫は随分と名残惜しそうにしてから踵を返した。
ーーーーーーー
辿り着いたのは木々が茂る中にある一軒の宿だ。
酪農地域では温泉の湧き出る場所がいくつかあって、家畜達の疲れを癒すための浴場もあるほどなのだが、この一帯は他地域の人々のために設けられた温泉付きの宿泊所として整備されているのだという。
辺りにはこうした1部屋ずつの宿がいくつも点在しており、地域の人が掃除などの管理をしているそうなのだが…それにしてはあまりにも人の気配がない。
樫が不思議に思って訊ねてみると、蔦は「今の時期は来る人がいないだけだよ」と宿の扉の鍵を開けた。
どうやらこの宿泊所も蔦の馴染みの場所だったらしい。
毎日家に引きこもり、常に物音を立てないようにと気を張りながら勉強をするという生活を送っていた蔦は、その健康面を心配した父親達に「気分転換に違うところで過ごしてみないか?」と勧められたことがきっかけで、度々この辺りの宿泊所を利用するようになった。
宿泊所は管理を受け持っている一家に事前に申し出ておけば誰でも泊まることができる。
そのため蔦は宿に空きがある時は夕飯を家で食べた後にここへ来て、勉強などをしながら自由に過ごし、明け方頃にまた家へ帰るということを繰り返していた。
そうして通い詰めているうちに、ここを利用する人の流れがいつ途切れるのかということもだいたい分かるようになってきた蔦。
「今ぐらいの季節は避暑でも湯治でもないからあまり人が来ないんだ。だから、今夜この辺りには…」
「俺達2人しかいない」
蔦が明かりを灯したことでその全貌が明らかになった室内。
部屋の中はまさに宿泊のためのものといった様子で、派手な装飾のない落ち着いた雰囲気を漂わせている。
木張りの壁、床、机、椅子、寝台で構成されている室内をさっと見回したところで、樫は『あるもの』に目を奪われた。
吸い寄せられるように『あるもの』へと近づいていく樫に、蔦は「さすが樫、やっぱり気づいたね」と笑う。
「絶対に樫は見たがると思ってたんだ。ははっ!そうだよ、この【本棚】には樫が特に好きな字体の本が沢山ある。それも複製じゃないやつ、【原書】がね」
「原書…?本当なのか、それは」
「うん、もちろん本当だよ。試しに一冊 開いてみたら?全部に作者の書置きがあるからさ」
蔦に言われるまま本棚に並ぶ一冊を手に取った樫がその本の最後の項を開いて見てみると、たしかにそこには
【この初めの一冊を、私の愛する景色に捧げる】
という一文が作者の署名と共に残っていた。
本の複製時、作者の名は写してもこうした文言は写さないのがきまりであり、さらにその上 複製を行った者(司書や挿絵を描いた者)の名を分かりやすく記しておかなければならないのだが、この本にはそのような痕跡は見受けられない。
つまり、この本はまさに蔦の言った通り、この作者が自ら書いて仕上げたたった一つの【原書】だということになる。
【原書】は貴重なものであり、図書塔にも何冊かは所蔵されているのだが、ほとんどは作者の望む場所にそのまま保管されていて、傷んでしまった場合にのみ持ち出されて司書による修復を受けるのだ。
書き残されていたこの一文からして、この作者はこの1室から望む景色を相当気に入っていたらしい。
おそらく作者は後世でも愛する景色と共にありたいと願い、自身の分身ともいえるこの原書達をここに遺したのだろう。
この作者の字体はすらりとした線が特徴的で、特に樫が美しく、素晴らしいと思っていたものだ。
図書塔にあるこれらの複製を眺めてきた樫にとっては、複製がいくら完璧に字体を真似たものであろうとも、作者自身が直接生み出したものには敵わない。
蔦は目を輝かせる樫に「立ってないで、そこの椅子に座ったら?」と促してから持ってきた包みを解いた。
「俺、湯を浴びてくるからさ。その間ゆっくりするといいよ、樫」
ーーーーーーー
酪農地域はほぼ全域で温泉が湧き出るため、他の地域と違い、一般的な家庭でも温泉を引いて湯浴みなどに使用しているのだが、この辺りの宿に使われている湯はその中でも特に優れた泉質のものだと有名で、時々酪農地域内からも泊りに来る人がいる。
そのため、この辺りはきちんと時期を知らなければどこの宿も常に人でいっぱいとなっていて泊まることも難しいのだ。
きっと蔦でなければこのように狙って周りのどの宿にも人が泊まっていないという、完全に2人きりの状況を作り出すことは難しかっただろう。
部屋に隣接された浴室の中、昔と変わらず疲れを癒してくれる温泉に目を閉じて浸かった蔦は のぼせてしまう前にすっかり身を綺麗にしてしまうと、家から持ってきていた寝間着に着替えて部屋へと戻った。
「どう?良いでしょ、ここ」
髪を浴布で拭いながら蔦が言うと、樫は満足そうに頷きながら手に持っていた本を本棚へと戻す。
蔦が浴室に向かう前の樫が手にしていたのは左端にある本だったが…今戻したのはその一段下の右端だ。
本の内容についてはすべて記憶している樫は、蔦が湯浴みをしていた小一時間の間に原書の筆跡に集中してす目を通して楽しんだらしい。
この作者がここに遺した【原書】はそれですべてだ。
樫がしっかりと心ゆくまで好きな字体を眺めることができたのだと知り、蔦は顔を綻ばせる。
「相当楽しかったみたいだな。嬉しそうなのが隠しきれてないよ」
「それは、まぁ…な。…俺、この人の直筆を見たのは初めてだったんだ。直筆っていうのはやっぱり複製とは違うんだよな、なんていうか、こう『力がある』っていうか…『内容を伝える』っていうよりも『訴えかけてくる』っていうか」
珍しく熱くなって語りだしそうな樫。
蔦は「分かった、分かったって」と笑いながら樫の分の寝間着を包みから取り出す。
「まずは湯浴みをしてきなよ、樫。そのまま話してたらあっという間に夜明けになっちゃって、せっかくの温泉をゆっくり楽しめないから」
寝間着を脱衣所へと置いた蔦に「…一緒に入らないか?」と声をかける樫だが「俺は今たっぷり浸かってきたから」という答えが返ってきた。
「これ以上はのぼせるよ。それに…一緒に入って、何をするつもり?」
「いや…別に俺は…」
「ははっ!ほらほら まぁまぁ、いいから湯浴みをしてきなって!俺のお墨付きの温泉だぞ?樫も絶対に気に入るからさ!」
蔦に背を押され、樫は浴室へと向かう。
「湯冷めはするなよ」と言う樫に、蔦は「ごゆっくりどうぞ~」とひらひらと手を振って応えた。
ーーーーー
樫が湯浴みをしている間にすっかり夜は深まっていく。
湯浴みを終えて湿った髪を拭いながら浴室から出てきた樫。
だが部屋は明かりが落とされて、ほとんど真っ暗になっていた。
「蔦?」
不安になった樫が呼びかけると、大きな窓がある方から「ん、ここにいるよ」という蔦の静かな声が返ってくる。
あまりの暗さに一番そばにある油灯を灯そうとすると、蔦はそれよりも早くそばへ来て樫の手を引いた。
「明るいところから来たから真っ暗に見えるんだろ。でも実際はそんなに暗くないよ、寝台の方とかに少し明かりはあるから。それよりも来て、見せたいものがあるんだ」
蔦に手を引かれるまま、樫は「まだ見せたいものがあるのか?」と足元に注意しながら歩く。
「今日は随分と見せたいもの、話したいことがあるんだな」
「飽きた?」
「いや、まったく。次は何かと思って」
大人しく後をついてくる樫を大きな窓のそばまで連れてきた蔦は、窓の外の風景を見せながら「どう?」と囁く。
「この宿からが1番よく、綺麗に見えるんだよ。本のこともあったし、借りるなら絶対にここがいいと思ってさ」
窓の外に広がる風景。
それは昼間や夕方に見たものとはまったく異なるものだった。
夜空に瞬く無数の星々と月明かりが照らす牧草地。そしてその牧草地を点々と照らす灯り…
「あの明かりは…なんだ?」
景色を見つめながら訊ねると、すぐそばから「あぁ、あれは…」と蔦の声が響く。
「放牧場の周りに置かれた松明とかだよ。酪農地域では夜の間にこうして灯りを点けておいて、野生動物が来ないように見張る人達がいるんだ。だからあの明かりは1晩中点いてるんだよ。他の場所からだとちょっと木で遮られちゃったりして、こんなに広く見ることはできないんだ。どうだ、綺麗だろ?灯りがずっと遠くまで並んでて、星と月が……ははっ、これでようやく俺が樫に見せたいものは全部見せることができた。これで全部だ。これが今までの俺の…」
「蔦」
樫は景色を眺めながら話す蔦を後ろから抱きしめ、首筋に口づけながら唇に伝わる確かな体温を感じる。
腕の中にいる蔦は不思議といつもより一回りほど小さく思えてならない。
しっかりと腕を回し、樫は蔦の体を包み込みながら「なぁ、蔦」と語りかけた。
「…俺はさ、この先もずっとおまえと一緒にいるよ。絶対に一人にしない。俺はいつもおまえのそばにいて、おまえと同じものを見て、聴いて、感じて…とにかく一緒にいるから」
「……」
「約束する」
2人の鼓動と息遣いの他にはなにも聞こえないほど静まり返った室内。
蔦がしばらくの沈黙の末、樫の腕に触れながら、「…ほんと?」と消え入りそうな声を出すと、樫は頬をぴったりと蔦の頬にくっつけながら頷く。
「俺は誓うよ、蔦。うん…おまえがどこへ行こうとも、俺はついて行く。行き先がたとえこんな風な闇の中だったとしても。必ずそばにいて、こうして抱きしめてやるんだ。手も握るし、口づけだってする。とにかく、離れない」
「………」
「…悪い、なんか変なこと言ってるよな、俺。ついさっきまであの本を…詩の本を読んでたからだな、感化されたんだ。ちょっと…聞かなかったことにしてくれないか」
苦笑いを浮かべる樫に、蔦は「…どうして?俺はすごく…すごく嬉しいのに」と小さな声で答えた。
蔦を抱きしめている腕の衣がじんわりと温かくなり、そこが少し冷たくなったかと思えばまた1つ2つと温かくなる。
声を押し殺しながら、少し震えているらしい蔦の肩に口づけてこのしっとりとした静かな空気を味わっていると、やがて蔦はそっと「…あのさ」と口を開いて細々と話し出した。
「俺…自分のあの生活を辛いと思ったことは、一度もなかったんだ。だって…あれが俺にとっての当たり前だったから。父さんのところに医者の勉強しに来てた子と知り合いではあったけど、別に一緒に遊びに行きたいと思ったことは無かったし、どこか行ってみたいと思うようなところもなかった。1人で良い景色を見るのも、1人で勉強するのも、1人で食べるのも…全部1人でも構わなかったんだ。景色は【独り占めできる】、勉強は【静かで集中できる】、食事は…まぁ、単純に【美味しい】って思ってて。でも…樫と一緒になって暮らすのが当たり前になったらさ、そういうのが全部変わったんだ」
「樫に俺が見てきたものを【見せてあげたい】、1人で黙々と描いてるよりも【樫が字を書いてる音を聞きながらの方がずっと集中できる】、食べるのだって2人一緒の方が、なんていうか…【良いな】って…そういう風に思うってことは…それはつまり、俺は本当に樫のことが…樫のことが好きで、大好きで、大好きでたまらないってことで…」
「愛してる、樫。心から、心の奥底から…愛してるよ」
蔦は樫の腕の中で身を翻すと、そのまましがみつくように抱きついて唇を強く樫へと押し付けた。
樫よりもわずかに低い蔦の身長がむしろ口づけをより簡単に、深くさせている。
互いの吐息まで食べつくすように舌を絡み合わせて口づけた後、わずかに離れた唇の隙間から蔦は「ありがとう」と囁いた。
「樫が言ってくれること…全部嬉しい。今のも、昼にじいちゃんへ言ってくれたのも全部…全部嬉しい」
「ありがとう、樫…俺も樫の行くところならどこにでもついて行くよ。樫が嫌だって言ってもくっついて行く、離さない、離れないからな」
耳元で囁かれる声のくすぐったさは樫をわずかに妖しい気分にさせるが、樫はそのまま蔦の頬に口づけると「俺だって」と微笑む。
「愛してる。お祖父様の前で言った通りにな」
「はは…それ、だいぶ びっくりさせられたよ…」
「そうか?俺はいくらでも言える」
肩口に顔をうずめながら「もう…ほんとに、お前ってやつは…」と呟く蔦の背を摩りながら、樫は「俺も蔦みたいに色々案内してやれれば良かったんだけどな」と小さくため息をついた。
「あいにく、俺は蔦以上に行動範囲が狭かったんだ。家、図書塔、紙と筆記具の工房。それで全部。知り合いの職人達はもう皆 蔦も知ってるし、今更案内して周るような場所も、見せたいような綺麗な景色も知らない。…まったく、新鮮味にかけるよな」
「はははっ…樫が今までどれだけ字漬けの人生を送ってきたのかがよく分かるよ。でも1度教えてくれたろ?図書塔の最上階から見る四季の景色のこと。俺はあの景色を見せてくれただけで十分だよ、あの景色もすごく綺麗だから」
「まぁ、あれはな…あ、そうだ、俺の実家にはまだちゃんと行った事がなかったよな?よし、今度連れて行ってやる。そんなに遠くもないし、ここほど面白いこともないけど。うん…今度の休みがいいな、そうしよう」
樫がさっさと予定を決めてしまうと、蔦は樫の胸に手をついてわずかに身を離し、言い辛そうにしながら「あの…さ」と目を伏せる。
「それじゃ…え、と…ご両親とか弟さん…って、何か好きなもの、ある?」
「なんだよ、いきなり」
「いや、だって、樫の家族に会うなら…やっぱり喜ばれるようなものを…」
「なんだ、どの口が言うんだ?自分は俺のことを急に実家へ連れて行ったくせに!」
「それは…悪かったと思ってるよ!母さんにもあの後また言われたんだ、もう叱らないでよ…たしかに俺が樫の立場だったら…うん…でも、俺はただ実家を案内したいと、ただそう思ってただけで…」
まごまごと唇を尖らせて話す蔦の様子からして、夕食の前後辺りで相当厳しく母親に注意されたらしいと分かり、樫はなんだかしょげたような蔦が可愛くなって頬を撫でた。
耳元に指先が触れてくすぐったそうにする蔦に「うん…そうだな」と考える樫。
「…俺の父親は甘いものが好きだし、母親は刺繍が趣味だ。だから食堂で焼き菓子をもらって、刺繍工房からは刺繍糸を適当に見繕って持っていけばいいよ。それから、弟はお前と同じで犬が好きらしい。前に俺のところへ顔を出しに来たとき、蔦が描いた犬の絵をやたらと褒めて羨ましそうにしてたんだ。だから一枚くらい良さそうなのを渡してやれば、それで充分だと思うよ」
目がこの暗さに慣れたらしく、すっかり蔦の輝くような表情がはっきりと見えるようになっている。
蔦は「焼き菓子に、刺繍糸に、絵、ね」と繰り返した。
「弟さん、俺の絵を褒めてたって?それ、何でもっと早く言ってくれなかったんだよ。そんなの、一枚どころか何枚でも…ありがとう樫、教えてくれてありがとう。俺、ちゃんと準備しておくから」
「あぁ。…じゃあさ、今度は蔦が教えてくれよ、ご家族のこと。しょっちゅうここまで来ることはできなくても、贈ることは出来るから」
「うん…分かった、そうする。そうするよ、樫…」
薄闇の中、わずかな灯りを反射して煌めく蔦の瞳を覗き込むと、蔦の豊かな睫毛が揺れる。
「樫…」
「うん?」
「この後は…まだ本を読むか?俺…そろそろ寝たい、んだけど………」
蔦の躊躇いがちなその声は小さなものであるのにもかかわらずとても良く響き、樫の耳をくすぐる。
熱のこもった瞳とその言葉が意味するところは明らかだ。
だが樫はふっと微笑むと、蔦の肩を押して再び景色の方を見せながら「まだ、もう少しこのままでいるのもいいじゃないか?」と後ろから腕を回す。
今この時、この場所でこの景色を眺めているのは2人だけだ。
そんな意識がより一層気分を高揚させていく中、蔦は自らを抱きしめている樫の手が少しずつ胸元の辺りを彷徨い始めていることに気づき、口の端に笑みを浮かべる。
「ん…景色を見るんじゃ…なかったのか?せっかちだな…」
蔦がからかう気持ちを込めて言うと、樫は ちゅっ と蔦の耳たぶに音を立てて口づけ、彷徨わせていた手を上衣の合わせ目に挿し込んだ。
静かな夜の闇に響く口づけの音は次第にはっきりと、大きくなって数を増やしていく。
上衣の中に挿し込まれた手はあからさまに蔦の胸をなぞり、揉み、そして中心にある突起に触れたかと思えばいくらか強く摘んで痺れるような刺激をもたらした。
首筋にかかる吐息と胸への刺激は蔦の情欲を煽るのには充分で、すでに前のものを勃ち上がらせていた蔦は顔を横に向け、すぐ隣にある樫の唇に吸い付いて「樫…寝台、いこ…」と甘く囁く。
しかし樫は構わず蔦の上衣をはだけさせると、胸から腹をなぞり、さらにそのまま下衣の中にまでも手を挿し込んだ。
陰部をまさぐられて思わず声を漏らす蔦。
樫は手に納めた肉棒をしごきながら「しっかり立たないと」と片腕で腹の辺りを支える。
「ほら、せっかくの景色なんだから。前を見て」
「…っあ……んんっ、なんだよ…ここですんの?ここじゃ…こんな窓の近くじゃ外から…外から見えっ……」
「嫌なのか?」
「は、あぁ…ちょ…っと…」
「俺達2人きりだって…言っただろ」
手は一時たりとも止まることなく動き続けていて、蔦は無意識的に逃れようと腰を引くものの、むしろそれが樫の股を尻で刺激してしまう。
勃ち始めていた敏感な部分をグリグリと押されたことでさらに息を荒らげた樫は、蔦を体ごと窓の方へと一歩二歩 押しやり、さらに下衣を半分剥くようにして秘部へと手を伸ばした。
尻の肉の間に指を挿し込み、ひっそりとした秘部のシワをなぞってからその辺りを手加減しつつ押して揉むと、すぐにそこは開いてすんなりと指を中へと呑み込んでしまう。
あまりにも滑らかに指を受け入れていくため、樫が「自分で…随分ほぐしたみたいだな?」と問いかけると、蔦は薄く笑って答えた。
「まぁな…お前に時間をやるためにゆっくり湯浴みしたし…こんな、状況で…期待しないはず、ない、だろ…」
「それにしても…今何本入ってるか分かるか?3本だぞ。まだまだ入りそうだ…こんなにほぐして待ってたなら…期待に応えないといけないよな」
「あ、っ…樫…!!」
内側から特に弱い1点を指先で撫でられた蔦。
がくがくと震える下半身はすでに体を支えるのに十分な力を保てず、蔦はそれまで樫の腕を掴んでいた自らの手を目の前にある窓硝子にぴったりとつけてなんとか体勢を保つ。
尻を後ろへと突き出し、上半身をやや下げたその恰好はまさに結合の瞬間を今か今かと待ち受けているようだ。
秘部から指が引き抜かれた後に感じる『物足りなさ』はすぐさま大きな快感と安堵に覆い隠されてどこかへと消え失せた。
今までに何度も、数え切れないほど受け入れてきた樫の肉棒はすでに蔦の体内をその形に合うように作り変えてしまっているようで、奥まで挿し込まれるとようやくすべてが満ち足りたような気分にさせる。
背後から抱く樫は俯いていた蔦の頬に手を添え、一撫でしてからもう一度目の前に広がる夜景を見せると、そのまま静かに腰を打ち付けだした。
ゆっくりと、じっくりと
樫の肉棒の先端は蔦の体内の腹側にあるわずかに膨らんだ部分を擦り、押し、引っ掻いて、蔦に全身がぞわぞわとするような感覚をもたらす。
蔦は顔を半ば強引に上げさせられているせいで上手く体に力を込めることができず、成す術もなく与えられ続けている快感を受け入れる他ない。
秘部から響く交わりの音は徐々に大きくはっきりとし始めていて、蔦が感じて潤っていることは確かめるまでもなかった。
「はぁっ、あっ…い…イキ、そ…ぅ」
自ら喉を反らしながら息も絶え絶えに言う蔦を強く抱きしめ、さらに1度奥まで腰を突き挿れると、蔦はキツく中を締めつけながら下半身を小刻みに痙攣させ、そのままガクリと両足の力を失って倒れ込みそうになる。
蔦を支え起こした樫は自身の興奮が少し収まるのを待ってから、蔦を抱きかかえて寝台へと向かった。
枕元に灯された明かりは寝転がった蔦の表情や体を見るのには充分で、薄明かりの中で激しく胸を上下させながら恍惚とした様子を浮かべているのがはっきりと見て取れる。
乱れた前髪を除けてやりながら舌が絡み合うような口づけをすると、蔦は足をもぞもぞと動かして樫の太ももやふくらはぎ、わき腹や腰、尻に触れながらさらなる交わりを行動で求めた。
「なんか…いつもより肌触りが違う気がする」
蔦の腕やうなじ、腹に触れていた樫が呟くと、蔦は吐息交じりに「うん…そうでしょ」と囁いて答える。
「ここの温泉は…特に肌をスベスベにしてくれるんだ…湯に浸かると、こうやって、肌が…っあ」
「ねぇ樫…もっと俺のこと触って…いっぱい触って撫でて、もっと…シて」
背に両腕を回し、足を深く折り曲げて樫を引き寄せると再びじっくりと中を馴染ませるような動きの抽挿が始まった。
蔦の、まだ今夜一度も放たずにいる硬く張り詰めた肉棒が握られると、蔦はそれを止めさせて中を擦る動きだけに集中するよう樫に要求する。
肉棒を弄って射精してしまうのは簡単だ。
しかし、中だけの刺激でとことん高みまで追い詰められると、射精に至りそうで至らないような苦しさ辛さを伴う絶妙な快感が得られるため、まずは後ろだけでその快感を味わうのが蔦には好ましいらしい。
じっくりとした抽挿がしばらく続いた寝台の上。
この刺激にもそろそろ慣れきってきた頃、樫を胸元に引き寄せた蔦は口元のすぐそばにある耳たぶにかじりつきながら「もっと…はげしいの、して」と訴えたが、樫は「だめだ」と首を横に振る。
「激しすぎるのはおまえの体に良くない。これは飽きたか?それじゃ横かうつ伏せに…」
「樫ぃ…腹ん中ぐちゃぐちゃにするみたいなやつ、してほし…」
「だめだって言ってるだろ、だめだ。なぁ蔦、横向きになれよ、後ろからするから」
蔦の願望をまったく聞き入れようとしない樫は蔦の中から肉棒を引き抜いて背後から挿入し直そうとしたが、喉から不満気な声を漏らした蔦は半ば強引に樫を寝台に寝転ばせると、自ら手を添えて樫の肉棒を秘部へと突き刺し、そのまま深く腰を下ろして大きく息を吐いた。
無理に腰を沈めているため、いつもは届かない奥深くにまで樫の肉棒が入り込んでいる。
固く閉じている部分をこじ開けられているような鈍い痛みに眉をひそめつつ、蔦は樫の胸元に吸い付いて濃い赤色のはっきりとした痕を残した。
通常よりも濃い痕は樫が理性を失いながら蔦を抱いていたときを象徴するようなものだ。
「イイのがついたな、樫…なぁ、樫がしないんなら俺がするからな…文句言うなよ…」
不敵に微笑む蔦は はぁはぁ と肩で息をすると、たった今ついたばかりの口づけの痕を見下ろしながら、樫の腹に手をついて勢いよく体を上下させ始めた。
自らの上で無遠慮に肉棒を抜き挿しさせるその様は下から眺めると非常に淫靡なもので、実際に与えられている感覚以上に樫を高揚させる。
激しい体の動きは蔦の肉棒をも予測不能な挙動で揺らし、それに手を伸ばして握ってしまいたいという衝動に駆られるも、蔦は樫の両手をしっかりと握ってそれを許さない。
いよいよ『欲』を抑えきれなくなった樫が膝を立てて下から強く肉棒を突き上げると、蔦は大きく1度喘いでわずかに腰を浮かせた状態にし、樫が自由に動けるようお膳立てをしてそのまま抽挿をさせる。
上で体を上下させるよりもずっと早く力強いその抽挿はまさに体内を『かき混ぜている』というようなもので、もはやどの辺りがどのようになっているのかすら考える余地も与えてはくれない。
秘部をヌルリとした樫の大きく太い肉棒が出入りするという素晴らしさに目を閉じて浸っていた蔦が薄目を開けて見てみると、そこにあったのは優しい眼差しなどではなく、すっかり理性を失った獣のような鋭い瞳だった。
(あぁ…これこれ、この姿の樫…ようやくまた見ることができた…)
満足そうに軽く笑みを溢した蔦は樫に覆い被さりながら「やっとその気になったか」と挑発するように唇に噛み付く。
「俺に乱暴したいんじゃないか?夢中になって腰振ったり口づけたり…そうしたいんだろ?ははっ…やってみろよ、樫…俺の尻が壊れるか お前の腰が壊れるか、どっちがどうなるのか…やってみるってのはどうだ?」
言い終えるなり尻を思いっきり下へと打ち下ろした蔦。
肉棒のみならず下腹部全体に振り下ろされたそのあまりにも強い打撃感に衝撃を受けたらしい樫は、勢いよく寝台から跳ね起きると蔦を自らの下に横向きに組み伏せてから またもや力いっぱいに腰を打ち付け始めた。
蔦の右の膝裏を抱えあげ、体内の危険な部位にまで侵入しながら激しく抽挿をする樫はそれでも満足しないらしく、蔦の二の腕の内側といった皮膚の柔らかな部分に吸い付いてくっきりとした深紅の痕を残す。
その吸い付く強さはチリチリとした痛みを伴うものであり、とりわけ皮膚の薄いところへそれをされると快感や満足感よりも痛みの方に気が散ってしまうほどだ。
蔦はそれまで樫のこの理性を失った激しい情事の姿を求めてやまなかったのだが、そこで以前の自分が樫を叩いてでも意識を取り戻させていたことの意味をはっきりと思い出した。
そうだ。
この皮膚をちぎられてしまいそうな痛みがあったじゃないか。
点々と増えていく痕を見つつそう思う蔦だが、そもそもこの状況を避けようとしていた樫を焚きつけたのが自分であるということと、こんなにも夢中になっている樫を止めるのが惜しいということと、この雰囲気さえも愛おしいといういくつもの考えによってあえて樫に正気を取り戻させようとはしない。
しかし、いくらそう思っていたとしても痛いものは痛いのだ。
(もっと痕が付きづらいところなら…ここまで痛くはないんじゃないか?)
樫はさらに胸元の方にまで痕を付けようとしているらしく、蔦の上半身を仰向けにさせる。
下半身は横向きにされたままの、腹部が張る格好にされた蔦はそれによってさらに体内を強く擦られて声も出ないような快感に晒されるが、なんとか身を翻して体位を変えると、四つん這いになってさらに秘部を差し出した。
「後ろからして…もっと奥までしてよ、樫…ほら、はやく、ぐっちゃぐちゃにして…」
誘うような腰の動きに触発された樫が後ろから強烈な一突きを繰り出したため、体全体を突き飛ばすようにされた蔦は目の前にあった寝台の周りを囲う柵に手をついてその衝撃を受け止める。
もはや寝台に伏しているようではすぐに息苦しくなってしまうだろう。
蔦はそのまま柵に腕を置いてもたれかかり、樫との濃厚な情事を行うことにした。
背や肩の皮膚はやはりいくらか痕を残されることでチリチリと痛むが、それでも二の腕などにされたものよりはずっとマシだろう。
「蔦…おまえ、何もかも最高だよ」
抽挿の最中に荒い吐息と共に囁く樫。
その囁きは心からの思いが思わず口をついて出た、といったようなものであり、蔦は笑みを交えながら「お前こそ…」と応えると、さらにいくつかの言葉を続けて言った。
その言葉の数々はあまりにも途切れ途切れな上に乱れていて不鮮明なものであり、どういったものであったかは窺い知ることができない。
だが2人の間では はっきりと通じ合っているらしい。
時々密かに、笑みを含んだような声を織り交ぜながら互いに快感を高めてゆく姿は、荒々しくも美しく、乱暴なようでいてどこか優しさと愛情が感じられるものだった。
やがて訪れるその瞬間。
蔦はあらかじめ寝台の端に置いていた薄紙の束に手探りで手を伸ばし、そこから2、3枚掴み取ると、自らの肉棒をそれで包み込んで『その時』に備える。
すでに先端から数滴分滲ませるほど張り詰めていた肉棒は、樫が蔦の手ごとそれを包んで扱ったことで途端に爆ぜ、濃厚な粘つく精液をビクビクと薄紙へと吐き出した。
射精を伴う絶頂は蔦の体内へも大きな影響を及ぼし、中に挿入されている樫の肉棒をちぎってしまうのではないかというほど激しくうねってキツく締め付ける。
明らかに狭くなった蔦の体内から勢いよく自身のものを抜き出した樫は、そのまま蔦の背に向けて2度、3度と勢いよく精液を飛ばした。
一通り済んだ後、樫は再び蔦の体内へと潜り込んでその余韻を蔦と共に味わう。
身と心の強い結びつき。
そしてそれを疑うまでもない月夜。
抱き合う2人の情熱はいつまで経っても、まったく収まりそうになかった。
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