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5 休息

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 明け方の淡い光りに照らされたなばりの地は、息を呑むほどに幻想的だ。

 周囲を囲む青山には、梅、桃、杏の花が彩りを添え、春の優しい風にのって花びらと芳香が里へと舞い降りる。
 これから多くの作物を育む農地は丁寧に耕され、色濃くなった土が夜露を含んでテラテラと輝き、山裾の眺望が良い場所には、壮大な寝殿造の建築物や、質実剛健とした武家屋敷が建てられていた。

 日本の原風景と歴史的な建造物を一度に眺めた由良は、感嘆の声をあげる。

「とても綺麗な所ですね」

「一概には言えねぇよ」

 にべもなく五百枝いおえに返されたが、興奮気味の由良は、直ぐさま別の方向を前足で指し示す。

 中央になだらかに広がる平地には、しっかりと整備された幅広の道が敷かれ、両脇にはびっしりと建物が連なっていた。

「一番賑わっているのはあの辺りですか?」

「そうだな」

「では、最初に行って情報を集めるのはあそこですね?」

「まあな」

 会話を試みれば、ポツポツとだが五百枝は返答をくれる。

「他の干支守えともりの皆さんに会うのも、隠の地を見られるのも楽しみです」

『能天気な未通女おぼこじゃな』

 はしゃぎ過ぎた由良は、生成きなりに小馬鹿にされた。煩わしそうに五百枝が付け足す。

「ここには黄泉や現し世のことわりからはずれた奴が、好き勝手して暮らしてんだ。観光気分はやめろ」

「すみません」

「あとさ、ニニギみてぇな堅っ苦しい喋りはやめてくんないか? 思い出すわ」

「あ、すみま――ごめん。これから気をつけるね」

 会話が途切れ、五百枝と生成は黙々と歩みを進める。五百枝の肩から彼の横顔を覗き見たが、怒ってはいなさそうで由良はホッとした。

「なんだ?」

「ううん。連れていってくれてありがとう」

「ああ」





 商店が並ぶ大通りでうしもりについて尋ねると、すんなり情報が手に入った。
 この先に続く、紅蛍べにぼたると呼ばれる歓楽街で店を出していると教えられ、その足で向かう。

 紅蛍に入ると一軒一軒の店構えは小さくなり、奥まった方に目を向ければ、複雑に入り組んだ路地が見えた。店の看板やらごみやらが雑多に溢れ、すえた臭いもしてくる。

「裏通りには一人で入るなよ。隠での死は魂の死だ。黄泉に行けず消え去るぞ」

「うん」

 どんな場所でも、生き物が集まって暮らせば『裏側』はできるのだろう。この美しい隠の地も例外ではない。
 教えて欲しい事は山ほどあったが、先ず、単刀直入に分かりやすく、危険を説明をしてくれた五百枝に由良は感謝した。

「まあ、その店が大通り沿いなら安全だろう」

 軒下の看板を確認しながら、人気のない歓楽街を行く。

「早くに来てしまったかな?」

「誰かしらはいるだろ」

 朝一でやって来たので、この時間店は閉められている。

「五百枝はここによく来るの?」

「いや。最後に呑み来たのは五十年くらい前だな」

 五百枝は一体いくつなんだろうと聞いてみたい気持ちはあったが、干支守ではない五百枝がただ迷い込んでここに住み着いたのか、それとも黄泉に行かなかった理由があるのか、まだ出会ったばかりで尋ねるのははばかられた。

「そうなんだ。あ、あそこにオジサンが居るよ」

 丑の守は有名らしく、あっさりと目星がついた。

「丑の守? ああ、きっと和美かずみさんだ。紅蛍の中ででかい牛を飼っているからな。それに、ちょっと前に隠に来たって言ってたしよ。間違いねえと思う」

 昨晩飲み過ぎちまってと、井戸から汲み上げた水をガブガブ飲みながら、気の良さそうなオジサンが教えてくれる。

「店の名前は『すなっく和美』ってえんだ。ちょっと行った右手にあるぞ」




 オジサンの言う通り探し、程なくしてお店の場所は確認できた。
 だが、やはり和美さんは不在だったので、夕方頃に出直すことにした。

「眠い……」

 由良はある程度眠ってからここに来たが、五百枝は鼠を追い掛けだした生成を捜索し、ずっと眠っていなかったのかもしれない。申し訳ない思いで五百枝を見上げる。

「五百枝、大丈夫?」

「買い物をしたら、一旦家にもどる」

「うん」

 商店街まで戻り、いかにも老舗という雰囲気の店の暖簾を、五百枝は由良に当たらないようめくった。

「いらっしゃいませ」

 入った店にはずらりと反物が並べられていて、ここでも由良はうっとりして声をあげそうになり、生成に睨まれてしまう。

「仕立て済みの物はあるか? こんくらいの女が着るんだが」

 五百枝は自分の胸先で、地面と水平にした手のひらをブラブラする。

「このあたりでしたら、全部丁度良いですよ」と案内された先で、五百枝が迷わず指をさした。

「じゃ、こいつと、合う細めの帯と草履を貰おう」

 勘定をして足早に店を出ると、五百枝が由良に小声で囁いた。

「あんたの好みを知らねぇから、取り敢えずこれで我慢しろ」

「えっ!? 私のだったの? でも、私、お金を――」

「金なら腐るほどある。気にすんな」

 まさか自分の着物とは思っていなかったので、由良は面食らった。
 ただ、返せるお金もなければ、パジャマしかないのも心許なかったので、素直に礼を述べる。

「ありがとう……。大切にする……」

 鴇色ときいろに桜文の可愛らしい着物の一揃えが、由良が五百枝から受けとる初めての贈り物となった――



 それから飯屋に入り、馴染みらしい五百枝は品書きにはない握り飯や惣菜を作らせ、「器はそのうち返す」とテイクアウトまでした。

「生成の魚が冷めないうちに帰るぞ」

「ナ~オン」

 商店街の大通りから一本入ると、ズラリと長屋が並び、長屋住まいの子どもたちの遊ぶ声が聞こえてくる。微笑ましく感じながら街中を抜けると、小さいながらも戸建てが増えてきた。

「家はここから近いの?」

「すぐそこだ。由良が人形ひとがたに戻るうまの刻前には着く」

「じゃ、ゆっくり休める時間はあるね。良かった。五百枝もしっかり眠った方がいいもの」

 不馴れな時刻に戸惑いながらも計算し、由良は満面の笑みで五百枝に伝えた。

「ははん。お前もしかして、俺を襲う気か?」

「えっ?」

『五百枝様……』

「真に受けんな生成」

「なっ! 違うよ! ずっと付き合って貰って、申し訳ないと思ってただけだって!」

「……。冗談が通じねぇのばっかだな……」


 賑わう中心地から少し離れた場所に、五百枝の暮らす家がある。古井家ふるいけ住宅を改装した室内は物が殆ど置かれておらず、寂しいほどこざっぱりとしていた。

(掃除がしやすそうだね)

 五百枝と言う男の生活が垣間見え、自分の物差しで測るのはよろしくないと、由良はプラス思考で考えてみた。

「ボサッとしてないで食えよ。食わなくとも死んだりしないが、食欲はあるんだろう? 檜皮の身体で食ったって、なんも問題ないはずだ」

「そっか。ここは世界なんだ……」

「ああ。皆、人間みたいだが、違うんだ」

 遠い目をした五百枝に、なぜか悪い事をしてしまったような気がして、由良は悲しくなる。
 でも、この状況を、隠に来たことを、けしてマイナスには捉えたくなかった。

「うん。でも、私の魂は変わらないんだよね。なら、ちょっとした環境の変化だよ。慣れればいいだけ。人間だって、生きていれば歳をとるし、いつか黄泉に行くんでしょう? でも魂は――心は変わらないもの」

「そうか。そうだな。――食ったら寝るぞ」

 五百枝は一瞬瞠目したが、握り飯を口一杯に頬ばってあっという間に咀嚼し、敷いた布団にゴロンと横になった。
 本当に疲れていたのだろう、五百枝は深く眠ったため、時折歯と歯を合わせるカチリとした音がする。
 生成も五百枝の足元の方に、早々と潜り込んでしまった。

 白銀に煌めく睫毛が長い。ゆるゆると動く唇がおかしくて、由良はフフッと吹き出しそうになる。相変わらず整っているが、起きている時よりずっと幼く見えた。

(ずっと見てられる)

 そっと布団に上がり、五百枝の体温で温められた場所に陣取る。由良も仮眠程度だったので、またもや眠気がやって来た――
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