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3 ニニギ

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「クシュン」

 くしゃみで目を覚ました時、由良は元の姿に戻っていた。
 ガバリと勢い良く起き上がろうとしたが、板敷きの上で寝ていたからか、身体が軋む。

「いたたっ。こ、ここは……?」

 目に入って来たのは、先ほど逃げて飛び込んだ神社の景色だった。お社の中で横たわっている由良に、茶色の塊がトタトタと向かって来る。

『由良、大丈夫?』

 鼻と鼻が触れそうな距離に、可愛らしい小動物がいた。クンクンと心配そうに顔を寄せられ、細やかに揺れるひげがくすぐったい。

「あなたは――確か、檜皮ひわだよね?」

『そうだよ。ちゃんと覚えていてくれたんだね。良かった~」

「ねえ、檜皮。ここは何処なの?」

「ファ~ア。――ごめん。安心したら今度は僕が眠たくなっちゃった。少しここで休ませて――』

 そのまま檜皮は由良の腕と腹の間に収まって、目を閉じてしまった。
 実は、説明逃れをしようとしているだけなのだが、クークーと寝息をたてる檜皮に、庇護欲を全開にされた由良は、素直に狸寝入りを信じてしまう。

「やっぱり可愛い子」

 それはそれは大切な宝物を守るように、檜皮をそっと優しく包んであげた。

(夢じゃない……)

 春の夜の冷えた空気も、檜皮の温もりも、間違いなく本物だ――

 ゆっくり上半身を起こすと、下肢に羽織りがかけられているのに気がついた。紺色のモコモコパジャマから膝から下が出てしまって、同じ素材のルームソックスはベロンと脱げかけていた。

「あの人が羽織っていた着物だ……」

 毛の長い三毛猫と、その綺麗な飼い主の記憶も、鮮明に覚えている。

(うーん。あれは、酔いも完璧に醒めるほどの恐怖だった)

 もしやと思い、慎重に周囲を見渡すと、角の離れた場所に男と生成きなりが居た。丸まっていた生成の目が鋭く光り、三日月形に細められる。

「うっ」

 また襲われるのかと、ゴクリと唾を飲んで相手の出方を待つ。

「よせ、生成」

 こちらに背を向け、生成の隣に座っていたあの美しい飼い主が、指先で制止する。興を削がれたのか、生成はすっぽりと頭を後ろ足に挟んでしまった。

(これがアンモニャイト!)

 生成が襲ってこないと分かり、羽織りを返そうと居住まいを正して飼い主に向き直った。

「貴方の物ですよね? ありがとうございました」

 一瞬だけ振り返った男と目が合う。やはり、心臓がギュウと縮こまりそうな程に綺麗な面差しだ。

「いい。そのまま着ていろ」

 それだけ応えられ、また背を向けられる。由良はその場にとどまり、これからどうしたらいいか分からず、途方に暮れた。

 厳かな社殿の中に、静寂が充満する。どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきた。
 とうとう由良は、今起きている事が現実なのだと、五感全てで理解させられた。

「やっぱり、夢じゃないんだ……」

 心細くなって、小さな呟きが口から漏れたが、気を取り直し、勇気を出して男に尋ねた。

「あの、ちょっとお伺いしたいのですが――」

 しかし、男の美しい顔は振り向かない。ここにある羽織りは彼の優しさのはずだが、今度は突き放されてしまう。

「「…………」」

 長い沈黙だけが、二人の間に存在していた――




 重苦しい空気に痺れを切らしたのか、ハアと大きく息を吐いて、男は神楽殿の方に向かって声をあげた。

「覗き見なんて悪趣味だな。ソコにいるんだろ? 女が起きた。早く説明してやれよ」

 なんの事かと由良が視線を上げると、ゆったりとした動きで姿を現す人影が見えた。

「やっぱり気がついていましたか。困っている五百枝いおえが可笑しすぎて、出る機を逸してしまいましたよ」

 愉快そうに笑いながら歩いて来たのは、由良の記憶にはない少年だった。身につけた水干すいかんと括り袴がいとけなさを演出しているが、纏う空気が常人ではない。

「私はニニギと申します。由良さんには申し訳ないことをしました。檜皮の中では、言葉が通じなくて不便でしたよね。これからは気をつけます」

 まるで、お人形さんの様に完成された見目形をした子どもが、由良に向かって柔和に微笑んでいる。子ども扱いすべきでないと、頭の中で警告音が鳴っていた。

「初めましてニニギさん。羽織りを貸してくれたのがイオエさんですね? どうして檜皮が家にやって来て、私がここに居るのかを、ニニギさんはご存知ですか?」

「私が檜皮に御使いを頼みました。ここはなばりの地と呼ばれる場所です。由良さんにお願いしたい事がありまして、お招きしたのです。私の話を聞いていただけますか?」

 穏やかな微笑みを崩さないニニギに手を差し出され、由良は警戒しながらも握手を交わした。
 五百枝は由良が起きるまで待っていてくれたのだろう。生成の飼い主としての責任感からかもしれないが、ぶっきらぼうなだけで悪人ではない。

(続きを聞くしか、選択肢はなさそうね)

 その五百枝の知り合いのようだし、由良はこのままニニギの話を聞いた方がいいと判断した。

「じゃ、俺は帰る」

「待ちなさい、五百枝」

 清んだ少年の声なのに、逆らえない威圧感があった。立ち上がりかけた五百枝は、眉間に盛大に皺を寄せながらも、大人しく座り直した。
 五百枝が残ってくれたことに安堵し、由良は覚悟を決める。

「それではニニギさん、聞かせてください」

「わかりました」

 由良は、薄目を開け様子を伺っていた檜皮を膝の上に置き、ニニギに向かって板敷きの上に正座した。遠慮なく五百枝の羽織りを借りて暖をとる。
 帰ると言ったのに留め置かれた五百枝と生成は、渋々といった体でニニギと由良を見ている。
 心なしか、生成が大きくなり、その長い毛で夜明け前の空気から主を守っているようだった――
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