三流調剤師、エルフを拾う

小声奏

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三流調剤師と漆黒に煌く月光(笑)

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柔らかな下草を踏みながら、私は木漏れ日が照らす森の中を歩いていた。
 季節外れの陽気に背中がしっとりと汗ばんでいる。

「ここにもないかぁ」

 このところの日照り続きのせいか、それともこの暖かさのせいか、傷薬の材料となるサオ茸が一つも見当たらない。
 森の中に入ってすでに二刻近く経過している。平素であれば籠いっぱいのサオ茸を背負い街に帰っているころだ。

「もっと奥に入らないとダメかな……」

 私はちらりと森の奥へと視線を向けた。
 奥へ行くに従い、木々は鬱蒼と茂り、地表まで落ちる日の光はまばらになる。すると当然視界は悪くなるうえ、魔物の出没率も増す。
 運が悪ければ、村を一つ楽々壊滅させる狒々神なんて恐ろしい魔物に出会ったりもするのだ。

「いやいや、無茶は禁物」

 頼もしい護衛がついている時なら、もう少し奥に進むところだが、今日は生憎別行動である。
 誘惑を断ち切ると、籠の底が辛うじて見えない程度の収穫を背負い、私は街へ帰ろうと足を踏み出した。
 パキンと、どこかで小枝の折れる音がした。
 いるはずなどないのに、思わず音のした方を見て小さな子供の姿を探してしまう。
 あれからもう一年経った。
 ランサムの城を抜け出してから数日は、とある部屋を間借りしてじっと身を潜めて過ごした。
 次の数週間はびくびくとしながらも新しい生活を送った。
 数ヶ月たつころには、毎日彼のことを思い出しながら、思いのほか忙しい毎日に忙殺されていた。
 一年経った今は、時々懐かしいその姿を頭に浮かべるに留まっている。
 もう故郷には戻っただろうか?
 そろそろ怒りは薄まっただろうか?
 恋人はできただろうか?
 私のことはもう忘れただろうか?
 呪縛から解き放たれ、本来の自分に戻った彼の生活を想像するのは、少しばかり寂しさを伴うこともあるけれど意外と楽しいものだった。

「帰ろ」

 重くもない籠を背負い直し、今度こそ街に向かって歩き出す。

「イーリス」

 背後から、耳慣れない懐かしい声が名を呼んだ。
 ぴたりと足が歩みを止める。
 そんなはずはない。
 彼がここを探し当てられるはずがない。

「イーリス」

 足を止めたまま、振り返ることができないでいると、再度名を呼ばれる。
 最後に耳にしたときにはなかった落ち着きを備えた、男の声だ。
 私は籠の紐を両手で握りしめた。
 そして、ぎゅっと目を瞑ってから、意を決して振り返る。
 思っていた通りの姿を認めて、息が止まる。
 薄暗い森の中でも眩く輝く銀の髪。なめらかな褐色の肌。長く尖った耳。切れ長の目は吊り気味で、やや人相が悪い。それでも彼の持つ美貌を損なわせることなく不思議なほど調和している。
 背丈はキーランと同じぐらいだろうか。けど体つきはキーランよりも細い。ゆっくりと下草を踏みしめて歩く様は、森の中を縦横無尽に駆け巡るしなやかな肉食獣を思わせた。

「久しぶりだな」

 そう言って微かに笑みを浮かべる、その声や目から、憎悪は感じられない。

「ラグナル?」

 問いかける声は掠れて小さく、聞き取るのがやっとだっただろう。
 ラグナルは私から数歩離れた距離で止まり「ああ」と頷いた。

「本当に?」
「しつこい。そうだと言っている」

 彼がここにいるはずがない。
 もしかして白昼夢を見ているのだろうか。
 今日は随分暑かったし、汗をかきすぎたのかもしれない。
 そんな考えを否定するように、目の前のダークエルフははっきりと返答を口にする。

「えっと……どうしてここが分かったの?」

 あれから一年たった。
 彼が私の出自に感づいたとしても、今私がいるこの場所を探し当てられるはずがない。そう思っていたのに。

「お前の兄に聞いた。二年前も今回も」

 ラグナルの答えは私の素性に行き着いたと、告げていた。それでも分からない。

「私、行き先を兄には告げてないし、居場所を教えたこともないんだけど?」

 どうして場所が分かったのだろう。それも二回も!
 思えばコールの森で初めて会ったときから疑問には感じていたのだ。私の軌跡を追ってきたにしても、随分あっさり辿れたものだと。

「二年前。お前の兄はイーの当主である自分には俺に刻まれた印を解くことはできないと言った。魔女の恨みを買うわけにはいかないと。だが、代わりにお前の存在を教えられた。里を出た妹なら俺を救える。妹がいるだろう大凡の場所を教えるかわりに、印の解呪の成否に関わらず、対価を妹へ払うようにと言われ、受けた」

 ラグナルが解呪のためにイーの里を訪れていたことはすでに分かっていた。
 彼の印が魔女に付けられたこともルツの話から分かっていた。
 でも、解呪が魔女の恨みを買うことに繋がるなんて知らないんですけど。クソ兄! 私は魔女に目をつけられてもいいってことか。

「ひねくれ者の妹のことだから、イーの里から一番遠くを目指す。ただし外の大陸の言葉を習得していない。故に最西端の街にいる。と考えがちだが、海魚より川魚を好むから、少し手前の街にいると言われた」
「私って、そんなに分かり易い性格してる!?」

 確かに、今言われた通りの考えでホルトンの街に落ち着いた。けど、そこまで思考を読まれていたなんていくら兄妹でもぞっとする。まだ予知の力が働いたと言われたほうが納得できる。

「わりとしているんじゃないか」

 あまりにあっさり頷かれて返す言葉がない。

「一年前、お前が姿を消したと知って、俺はすぐにイーに向かった。許嫁のもとに帰ったと思ったからな」

 最後に会った、あの夜にした許嫁の話が余程頭に残っていたらしい。
 あんなに帰らないと言ったのに、逆だと思われたのだろうか。

「半年かけてイーの里にたどり着き、お前の兄に嘲笑されたよ」

 そのときのことを思い出したのか、ラグナルは眉を寄せる。

「まんまと妹にしてやられたなと、楽しそうに笑いやがって」

 扇を掲げて笑う兄の姿がまざまざと想像できる。兄の性格の歪み具合は身を以て知っている。
 昔、兄の好物の塩饅頭を持参した依頼人がいた。ところが兄は胸焼けがすると言ってそれを全部私に譲ってくれたのだ。珍しいこともあるもんだと、私は大喜びでそれを平らげ……丸一日腹を下し嘔吐に苦しんだ。食べたくないと思っただけで饅頭が腐っていたとは分からなかったと兄は言った。しかし予知の力が働いたのは間違いなく、もしかしたら……とは思っていたはずだ。

「ひねくれ者の妹のことだから、遠くに逃げ出したと見せかけて、元の街に舞い戻っているはずだと告げられた。まさかと思ったが、そのまさかだったとはな」

 ラグナルは呆れたように目を眇めた。
 そう、ここはホルトンの街の近くにあるコールの森。
 私はあの晩、荷物を持って隠し通路を通り、ランサムの手配の元、娼館の一室を間借りして身を潜めていた。次の数週間はホルトンの街に戻り、ラグナルの影にびくびくと怯えて過ごし、数ヶ月たつころにはロフォカレの一員として忙しく日々を送っていた。
 私はゼイヴィアの提案を呑んだのだ。
 せっかく基盤ができつつあったホルトンでの生活を捨てるのは余りに惜しく、なにより旅に出るには元手が心許なかった。
 そこで彼らの協力のもと、誰にも何も告げず姿を消した体を装ったのだ。
 目が覚めて、私がいないと知ったときのラグナルの怒りっぷりは凄まじかったと聞いた。
 誰も私の行き先を知らないと聞くと、すぐさま風呂場の隠し通路に当たりをつけて飛び込んだとも。
 その際、ラグナルは約束通り、彼らを殺したりはしなかった。ノアがちょっぴり焦げたらしいが、自業自得だとキーランが言っていたので、まあ何があったか大体想像がつく。

「お前たち兄妹はよく似ている」

 ラグナルはため息を吐いて言う。

「性格の曲がり具合がそっくりだ」

 心外だ。兄ほどではないはずである。
 ふと沈黙が訪れた。
 じっと顔を見つめると、疲れが滲んでいることに気づく。
 当然だ。
 さらりと半年でイーの里に着いたと言うが、普通、馬車や馬を乗り継いで片道で凡そ一年かかる道のりだ。どんな行程を敢行したのやら。
 そんな無茶をして再び私の前に現れた理由を知らねばならない。

「えーと、ラグナル。怒ってる?」

 ラグナルから一見、憎悪は感じられない。だが、大人になって一年経った今のラグナルがそれらを綺麗にかくす術を身につけていないとは限らなかった。

「怒っていないと思うか?」

 で、ですよねー。

「あの、二つ名を改変したとことか、パンツの趣味をけなしたこととか、一緒に寝るのを強要したこととか、子供の頃とはいえ裸を見ちゃったこととか、その他もろもろのこと……本当に申し訳なかったと思ってる」

 私は一気にまくし立てると、深く頭を下げた。
 頭上からため息をつく音が聞こえた。大人になったラグナルはため息が多い。

「イーリスは俺がそんなことに怒り、ここまで戻って来たと思うのか」
「じゃ、じゃあ、どうして?」

 どくんと心臓が大きな音を立てた。都合のいい憶測が膨らみそうになるのを必死に抑え込む。

「どうして……か。本当に分からないのか?」
「え、と。約束の破棄が書面では不十分で、不自由だったから?」

 書状には血判まで押しておいたのだが、だめだっただろうか?
 ラグナルは首を横に振って答えた。

「じゃ、じゃあ、兄との契約を気にして支払いに来てくれた、とか?」

 ラグナルの視線がやや気まずげに逸らされる。

「対価はおいおい払うつもりでいる」

 つまり、今はお金がないと。

「人間は嫌いなんだよね?」
「ああ」

 ラグナルは頷いた。

「でも、イーリスは違うと言っただろう?」

 ――ああ、もうダメだ。
 勝手に鼓動はどんどんと早まり、押さえ込んだ憶測が膨らんでいく。

「それは、つまり、今でも、私が、好きというか。そういうこと?」

 ラグナルは微かに首を傾げた。それからゆっくりと口を開く。

「質問は一日10こまで、だったな?」
「………………それっ!!」

 何を言われたのか分からず、一瞬呆けたのち、思い出した。
 領主の城へ向かう道中に、私が思い出せなかった約束だ。

「残念だが、これ以上は答えられない」

 ラグナルは口の端をあげて皮肉げに笑う。それは初めて見る笑い方だった――



※※※※※
お付き合いいただきましてありがとうございます。
第一部(ほぼ本編)はここで終了となります。
引き続き第二部を投稿していく予定です。
楽しんでいただけると幸いです。
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