65 / 122
三流調剤師と一期一会
65
しおりを挟む
知ってた。
知ってたけど、今言う!?
ここは居住棟の入り口近く。朝食を終えて少し経つこの時間。そこそこの人通りがある。ラグナルを恐れてか、こちらの雰囲気を察してか、誰も近寄ってはこないけど、視線はばっちり感じる。
それでなくても、食堂での会話を私に聞かれたと知って照れて逃げ出したラグナルのことだから、はっきりと気持ちを告げてきたりはしないだろうと……高を括っていた。
頰をくすぐる、硬い感触のする指を、やんわりと掴んで離す。
「あの、気持ちはすごく嬉しいんだけど、私はラグナルのことは、その、弟みたいに思っていて」
嘘ではない。
最初は本当にそう思っていた。ラグナルみたいな弟がいればいいのにと。でも、今は正直わからない。
ただ一つ、確かなのは、空っぽだったラグナルの中に私が入り込んでしまったように、一人だった私の中でラグナルは大切な存在になっていったということ。
「だから、ラグナルの気持ちには応えられない。ごめん」
つっかえながら、なんとかそう言うと、触れ合ったままだった指が、一度きゅっと握り込まれて放された。
「そう言われるんじゃないかと思ってた」
ラグナルは微笑んだ。少しの落胆と寂しさの混じったその顔を見ていられなくて、目を伏せる。
「本当にごめん。でも、ほら、ラグナルはすごく格好いいし、昨日だってもてもてだったでしょ? だから、私じゃなくて……」
そう、私じゃなくていい。私じゃないほうがいい。
ラグナルはダークエルフだ。文化も価値観も寿命も違う。人間嫌いのダークエルフが人間と添えるはずがない。
すぐに彼も思い出すはずだ。あとふた晩経てば、ラグナルは記憶を取り戻すのだから。
「イービル山脈に帰れば、もっとラグナルにお似合いの、綺麗なダークエルフの女の子が絶対にい――」
「黙れよ」
低い声が言葉を遮る。
馬鹿なことを言った。すぐさまそう理解した。
顔を上げると、強い光を宿した瞳が私を睨みつけていた。
「本気で言ってるのか?」
黒い双眸は怒りを孕んでいる。
「俺の気持ちを知って、そういうこと言うのかよ!」
「……ごめん。今のは最低だった」
昨日から謝ってばかりだ。その中で、一番最低なことをたった今やってしまった。
「もういい」
ラグナルは小さく吐き捨てるようにそう言うと顔をそらす。
その先で視線が何かを捉えたらしい。眉を寄せ、口を開く。
「ルツ」
私は勢いよく背後を振り返った。
居住棟の扉の陰で、ルツが所在なさげに佇んでいた。
「何か用か?」
中に戻ろうか、こちらに来ようか、迷っているようだったが、ラグナルの言葉に背を押されたらしい。近くまでやってくる。
「あの、すみません。お取り込み中に。イーリスに話がありまして」
一体いつから話を聞いていたのか。ラグナルを見る目がどこか申し訳なさそうだ。
「別に。もう話は済んだ。イーリスを頼む。俺は……しばらく顔を見たくない」
昨日とは違う。決定的な亀裂が入る音が聞こえた気がした。
ラグナルは「部屋に戻る」と誰にいうでもなく呟くと、そのまま一度も目を合わせることなく、去ってしまう。
残されたのはどっぷりと後悔に浸る私と、気まずげなルツ。
「良かったのですか?」
問われて、私は首を横に振った。
もちろん、良くはない。けど今更どうしようもない。いずれ分かたれる道だったのだと自分に言い聞かせるしかなかった。
――にしても、我ながら最低だった。
勇気を出して好きだと告白した相手に振られるのは、まあ仕方ないと納得できる。でもその相手からすぐさま違う人を勧められたら、誰だってキレる。
ラグナルはしばらく顔を見たくないと言った。
しばらくとはいつまでだろう。
残る金平石はあと二つ。領主が戻る前に。そしてラグナルの記憶が戻る前に、私は去らねばならない。
――もしかしたら、もう。
「イーリス。このような時に申し訳ないのですが、急ぎの用件があるのですが……」
物思いにふける私をルツの声が引き戻す。
「あ、ごめんなさい。私に話があるんでしたよね」
「ええ」
ルツは首肯して微笑む。
その笑みがいつもより硬く緊張しているように感じられた。
場所を変えましょう。そう言われてルツに連れられてきたのはゼイヴィアに割り当てられた部屋の前だった。
「ここ、ですか?」
嫌な予感がする。
兄と違って、私の予感はあてにならない。それは嫌というほど分かっている。それでも今回ばかりは間違っていないだろう。
ルツがノックをすると中から扉が開いた。
「来たか」
そう言って私たちを部屋に招き入れたのはキーランだった。
薄暗い廊下から、大きな明り採りの窓がある部屋に入ると、眩しくて目が眩む。
眇めた目をゆっくりと開ける。
部屋には五人の人物がいた。ゼイヴィア、キーラン、ウォーレス、ノア。そして見知らぬ男性が一人。
手前のソファに腰掛けていたゼイヴィアが立ち上がる。
「お待ちしていました、イーリス。こちらはグランヴィル・ランサム様。この地を治める領主です」
知ってたけど、今言う!?
ここは居住棟の入り口近く。朝食を終えて少し経つこの時間。そこそこの人通りがある。ラグナルを恐れてか、こちらの雰囲気を察してか、誰も近寄ってはこないけど、視線はばっちり感じる。
それでなくても、食堂での会話を私に聞かれたと知って照れて逃げ出したラグナルのことだから、はっきりと気持ちを告げてきたりはしないだろうと……高を括っていた。
頰をくすぐる、硬い感触のする指を、やんわりと掴んで離す。
「あの、気持ちはすごく嬉しいんだけど、私はラグナルのことは、その、弟みたいに思っていて」
嘘ではない。
最初は本当にそう思っていた。ラグナルみたいな弟がいればいいのにと。でも、今は正直わからない。
ただ一つ、確かなのは、空っぽだったラグナルの中に私が入り込んでしまったように、一人だった私の中でラグナルは大切な存在になっていったということ。
「だから、ラグナルの気持ちには応えられない。ごめん」
つっかえながら、なんとかそう言うと、触れ合ったままだった指が、一度きゅっと握り込まれて放された。
「そう言われるんじゃないかと思ってた」
ラグナルは微笑んだ。少しの落胆と寂しさの混じったその顔を見ていられなくて、目を伏せる。
「本当にごめん。でも、ほら、ラグナルはすごく格好いいし、昨日だってもてもてだったでしょ? だから、私じゃなくて……」
そう、私じゃなくていい。私じゃないほうがいい。
ラグナルはダークエルフだ。文化も価値観も寿命も違う。人間嫌いのダークエルフが人間と添えるはずがない。
すぐに彼も思い出すはずだ。あとふた晩経てば、ラグナルは記憶を取り戻すのだから。
「イービル山脈に帰れば、もっとラグナルにお似合いの、綺麗なダークエルフの女の子が絶対にい――」
「黙れよ」
低い声が言葉を遮る。
馬鹿なことを言った。すぐさまそう理解した。
顔を上げると、強い光を宿した瞳が私を睨みつけていた。
「本気で言ってるのか?」
黒い双眸は怒りを孕んでいる。
「俺の気持ちを知って、そういうこと言うのかよ!」
「……ごめん。今のは最低だった」
昨日から謝ってばかりだ。その中で、一番最低なことをたった今やってしまった。
「もういい」
ラグナルは小さく吐き捨てるようにそう言うと顔をそらす。
その先で視線が何かを捉えたらしい。眉を寄せ、口を開く。
「ルツ」
私は勢いよく背後を振り返った。
居住棟の扉の陰で、ルツが所在なさげに佇んでいた。
「何か用か?」
中に戻ろうか、こちらに来ようか、迷っているようだったが、ラグナルの言葉に背を押されたらしい。近くまでやってくる。
「あの、すみません。お取り込み中に。イーリスに話がありまして」
一体いつから話を聞いていたのか。ラグナルを見る目がどこか申し訳なさそうだ。
「別に。もう話は済んだ。イーリスを頼む。俺は……しばらく顔を見たくない」
昨日とは違う。決定的な亀裂が入る音が聞こえた気がした。
ラグナルは「部屋に戻る」と誰にいうでもなく呟くと、そのまま一度も目を合わせることなく、去ってしまう。
残されたのはどっぷりと後悔に浸る私と、気まずげなルツ。
「良かったのですか?」
問われて、私は首を横に振った。
もちろん、良くはない。けど今更どうしようもない。いずれ分かたれる道だったのだと自分に言い聞かせるしかなかった。
――にしても、我ながら最低だった。
勇気を出して好きだと告白した相手に振られるのは、まあ仕方ないと納得できる。でもその相手からすぐさま違う人を勧められたら、誰だってキレる。
ラグナルはしばらく顔を見たくないと言った。
しばらくとはいつまでだろう。
残る金平石はあと二つ。領主が戻る前に。そしてラグナルの記憶が戻る前に、私は去らねばならない。
――もしかしたら、もう。
「イーリス。このような時に申し訳ないのですが、急ぎの用件があるのですが……」
物思いにふける私をルツの声が引き戻す。
「あ、ごめんなさい。私に話があるんでしたよね」
「ええ」
ルツは首肯して微笑む。
その笑みがいつもより硬く緊張しているように感じられた。
場所を変えましょう。そう言われてルツに連れられてきたのはゼイヴィアに割り当てられた部屋の前だった。
「ここ、ですか?」
嫌な予感がする。
兄と違って、私の予感はあてにならない。それは嫌というほど分かっている。それでも今回ばかりは間違っていないだろう。
ルツがノックをすると中から扉が開いた。
「来たか」
そう言って私たちを部屋に招き入れたのはキーランだった。
薄暗い廊下から、大きな明り採りの窓がある部屋に入ると、眩しくて目が眩む。
眇めた目をゆっくりと開ける。
部屋には五人の人物がいた。ゼイヴィア、キーラン、ウォーレス、ノア。そして見知らぬ男性が一人。
手前のソファに腰掛けていたゼイヴィアが立ち上がる。
「お待ちしていました、イーリス。こちらはグランヴィル・ランサム様。この地を治める領主です」
0
お気に入りに追加
715
あなたにおすすめの小説
売られていた奴隷は裏切られた元婚約者でした。
狼狼3
恋愛
私は先日婚約者に裏切られた。昔の頃から婚約者だった彼とは、心が通じ合っていると思っていたのに、裏切られた私はもの凄いショックを受けた。
「婚約者様のことでショックをお受けしているのなら、裏切ったりしない奴隷を買ってみては如何ですか?」
執事の一言で、気分転換も兼ねて奴隷が売っている市場に行ってみることに。すると、そこに居たのはーー
「マルクス?」
昔の頃からよく一緒に居た、元婚約者でした。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
王命を忘れた恋
須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
貴方の運命になれなくて
豆狸
恋愛
運命の相手を見つめ続ける王太子ヨアニスの姿に、彼の婚約者であるスクリヴァ公爵令嬢リディアは身を引くことを決めた。
ところが婚約を解消した後で、ヨアニスの運命の相手プセマが毒に倒れ──
「……君がそんなに私を愛していたとは知らなかったよ」
「え?」
「プセマは毒で死んだよ。ああ、驚いたような顔をしなくてもいい。君は知っていたんだろう? プセマに毒を飲ませたのは君なんだから!」
貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした
ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。
彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。
しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。
悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。
その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・
【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。
まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」
そう言われたので、その通りにしたまでですが何か?
自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。
☆★
感想を下さった方ありがとうございますm(__)m
とても、嬉しいです。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる