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三流調剤師と一期一会
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その日は、昼食と夕食、入浴以外の時間をラグナルと部屋で過ごした。
ロフォカレのメンバーとは食事時にしか顔を合わせていない。何やらルツは忙しくしており、夕食もそこそこに切り上げたうえ、入浴時間には先に入っていてほしいとウォーレスが言伝にきたほどだ。
ずっと内偵を続けていたというトリスタン曰く、マーレイ一派は一人残らず牢の中。城の中は安全を保障するとのことだから、もう常に行動を共にする必要もない。
私は湯船の中で手足を伸ばした。
「天国だ」
この城に来るまで、ずっと盥風呂だった。湯の用意や後始末は面倒だし、冬場はあっという間に冷めてしまう。
ホルトンの街にも公衆浴場はあったけれど、二、三度しか入っていない。入浴着を着ていても、大勢の人々と共に風呂に入るのは不安だったのだ。着替えの時に腹が見えるかもしれない。イーの一族について知っている人がいるかもしれない。そう思うと面倒でも盥風呂のほうがまだ寛げた。
この風呂が楽しめるのもあと四日。
「しかし、また派手に……」
湯に浸かりながら見つめる先は、半壊し、もはや隠されていない隠し扉である。
ヘリフォトに繋がる一本道。問題は出る先が娼館であるという点だ。
洞窟側に閂がかけられており、娼館から人が迷い込んでくることはないらしいが。
「一本道ってのもなあ」
利点のようで難点でもある。ヘリフォトを通ったと分かってしまう。
かといって城壁によじ登って、落ちて足でも挫いたら……
「あーもう、ぐだぐだと。何やってんだろう」
ああでもないこうでもないと、一人で悶々としてしまう理由は分かっている。とっくに決心したはずなのに、それを実行に移すのが嫌だと思ってしまっているからだ。
「よし、もう今日は考えるのやめた」
さっさと寝よう。
私は勢いよく立ち上がる。その拍子に湯がざばりと溢れ、隠し扉の向こうへと流れていった――
さっさと寝るといっても、その前にやることが残っている。
ラグナルの印の解呪だ。
一皮向けたラグナルは、今日も同室を嫌がったりはしなかった。
風呂を上がってすぐに、就寝の挨拶を交わすと、早々にこちらに背を向け、ベッドに横になっている。
絶対に体をこちらに向けようとしなかったり、落ちそうなほど端で寝ている理由は……考えないようにした。深く考えたが最後、私が同室に耐えられなくなりそうだ。
少し前まで時々身じろぎする様子が見受けられたが、もう寝息に変わっていくらか時間が経った。
私はそっとベッドから出ると、解呪に取り掛かる。
掛布をはぎ、服をめくってもラグナルの眠りは変わらない。
この寝つきの良さと、眠りの深さ。
幼い頃は気にならなかったが、この年齢になっても変わらないのはおかしい。推測になるが、これは印の影響なのだろう。
たった三回、黒魔法を使っただけで、印を抑える魔力は足りなくなり逆行した。印に抵抗する力はぎりぎりだ。
いつ力負けして、印が発動するか分からない。綱渡りのような毎日だったに違いない。
やっと辿り着いた東の果ての地で、西の果てに旅立った女を探すように言われたラグナルの心境はどんなものだっただろうか。
先祖返りとまで言われる兄ならば、いかに魔女の印といえど、私より余程早く確実に解呪できたはずなのに。
おかげでラグナルは危うく命を落とすところだったし、こっちは一年間の努力がパーだ。
贈りものなどと……罪悪感でも抱いているのだろうか。らしくもない。
「バカ兄」
私は兄の顔を追い出すように、大きく息を吐くと、懐剣を手に取った。
「イーリス。朝だぞ」
ラグナルの声で目覚めるのにも慣れたものだ。
「おはよう。いつも早起きだね」
布団に潜ったまま伸びをして、体を起こす。
「イーリスが遅いんだろ」
低くなったラグナルの声は、深くよく響く。
今日もすっかり身支度を終えているラグナルは、目が合うと、柔らかく微笑む。
私は目を瞬かせると、膝を立てて身を縮こめ、その上に顔を伏せた。
――初めて見る笑い方。
昨日まではなかった、落ち着きと微かな余裕を含んでいる。
心なしか顔が熱い。心臓がいつもより速く鼓動を刻んでいるように感じる。。
ラグナルは着々と成長している。
並ばなくてもわかる。もう身長も追い越された。
「どうした?」
不思議そうに問いかける声がして、足音が近づいてくる。
「具合が悪いのか?」
すぐそばで足音は止み、頭上から声が降ってきた。
「イーリス? 医術師を呼んで来ようか?」
前髪を何かがかすめる気配がする。
「大丈夫だから」
そう言おうとして顔を上げると、ためらいがちに伸ばされた手に、軽く握られた指が目の前にあった。触れようとして押しとどまった。そんな風情だ。
さらに顔を上げると、黒い瞳とかち合い、覗き込むようにしていたラグナルが身を引いた。指が離れていく。
「えーと……」
妙な間が空いて。どちらからともなく目を逸らす。
「身支度するから、外で待っててくれる?」
絞り出すようにそう言うと、ラグナルは黙って頷いて外に出た。
ロフォカレのメンバーとは食事時にしか顔を合わせていない。何やらルツは忙しくしており、夕食もそこそこに切り上げたうえ、入浴時間には先に入っていてほしいとウォーレスが言伝にきたほどだ。
ずっと内偵を続けていたというトリスタン曰く、マーレイ一派は一人残らず牢の中。城の中は安全を保障するとのことだから、もう常に行動を共にする必要もない。
私は湯船の中で手足を伸ばした。
「天国だ」
この城に来るまで、ずっと盥風呂だった。湯の用意や後始末は面倒だし、冬場はあっという間に冷めてしまう。
ホルトンの街にも公衆浴場はあったけれど、二、三度しか入っていない。入浴着を着ていても、大勢の人々と共に風呂に入るのは不安だったのだ。着替えの時に腹が見えるかもしれない。イーの一族について知っている人がいるかもしれない。そう思うと面倒でも盥風呂のほうがまだ寛げた。
この風呂が楽しめるのもあと四日。
「しかし、また派手に……」
湯に浸かりながら見つめる先は、半壊し、もはや隠されていない隠し扉である。
ヘリフォトに繋がる一本道。問題は出る先が娼館であるという点だ。
洞窟側に閂がかけられており、娼館から人が迷い込んでくることはないらしいが。
「一本道ってのもなあ」
利点のようで難点でもある。ヘリフォトを通ったと分かってしまう。
かといって城壁によじ登って、落ちて足でも挫いたら……
「あーもう、ぐだぐだと。何やってんだろう」
ああでもないこうでもないと、一人で悶々としてしまう理由は分かっている。とっくに決心したはずなのに、それを実行に移すのが嫌だと思ってしまっているからだ。
「よし、もう今日は考えるのやめた」
さっさと寝よう。
私は勢いよく立ち上がる。その拍子に湯がざばりと溢れ、隠し扉の向こうへと流れていった――
さっさと寝るといっても、その前にやることが残っている。
ラグナルの印の解呪だ。
一皮向けたラグナルは、今日も同室を嫌がったりはしなかった。
風呂を上がってすぐに、就寝の挨拶を交わすと、早々にこちらに背を向け、ベッドに横になっている。
絶対に体をこちらに向けようとしなかったり、落ちそうなほど端で寝ている理由は……考えないようにした。深く考えたが最後、私が同室に耐えられなくなりそうだ。
少し前まで時々身じろぎする様子が見受けられたが、もう寝息に変わっていくらか時間が経った。
私はそっとベッドから出ると、解呪に取り掛かる。
掛布をはぎ、服をめくってもラグナルの眠りは変わらない。
この寝つきの良さと、眠りの深さ。
幼い頃は気にならなかったが、この年齢になっても変わらないのはおかしい。推測になるが、これは印の影響なのだろう。
たった三回、黒魔法を使っただけで、印を抑える魔力は足りなくなり逆行した。印に抵抗する力はぎりぎりだ。
いつ力負けして、印が発動するか分からない。綱渡りのような毎日だったに違いない。
やっと辿り着いた東の果ての地で、西の果てに旅立った女を探すように言われたラグナルの心境はどんなものだっただろうか。
先祖返りとまで言われる兄ならば、いかに魔女の印といえど、私より余程早く確実に解呪できたはずなのに。
おかげでラグナルは危うく命を落とすところだったし、こっちは一年間の努力がパーだ。
贈りものなどと……罪悪感でも抱いているのだろうか。らしくもない。
「バカ兄」
私は兄の顔を追い出すように、大きく息を吐くと、懐剣を手に取った。
「イーリス。朝だぞ」
ラグナルの声で目覚めるのにも慣れたものだ。
「おはよう。いつも早起きだね」
布団に潜ったまま伸びをして、体を起こす。
「イーリスが遅いんだろ」
低くなったラグナルの声は、深くよく響く。
今日もすっかり身支度を終えているラグナルは、目が合うと、柔らかく微笑む。
私は目を瞬かせると、膝を立てて身を縮こめ、その上に顔を伏せた。
――初めて見る笑い方。
昨日まではなかった、落ち着きと微かな余裕を含んでいる。
心なしか顔が熱い。心臓がいつもより速く鼓動を刻んでいるように感じる。。
ラグナルは着々と成長している。
並ばなくてもわかる。もう身長も追い越された。
「どうした?」
不思議そうに問いかける声がして、足音が近づいてくる。
「具合が悪いのか?」
すぐそばで足音は止み、頭上から声が降ってきた。
「イーリス? 医術師を呼んで来ようか?」
前髪を何かがかすめる気配がする。
「大丈夫だから」
そう言おうとして顔を上げると、ためらいがちに伸ばされた手に、軽く握られた指が目の前にあった。触れようとして押しとどまった。そんな風情だ。
さらに顔を上げると、黒い瞳とかち合い、覗き込むようにしていたラグナルが身を引いた。指が離れていく。
「えーと……」
妙な間が空いて。どちらからともなく目を逸らす。
「身支度するから、外で待っててくれる?」
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