三流調剤師、エルフを拾う

小声奏

文字の大きさ
上 下
48 / 122
三流調剤師と初恋

48

しおりを挟む
マーレイの隣に立っていた男が、すっと剣を抜いた。
 扉の前にいた男は、巻き添えを食って倒れている。
 マーレイは立ち上がり、驚きの表情を浮かべてラグナルを見ていた。
 そういえば外にも一人いたはずなんだけど、どうなったのだろう?

「イーリス、許可を」

 ラグナルが静かな声で許可を求める。その平坦さがかえって怖い。
 腐ってもマーレイは貴族だ。殺してやると言われた後に、許可を求められても、とても困る。あとあと面倒なことになるのは必須である。ああ、でも彼らには私の出自がばれてしまっているのだった。なら、いっそのこと……って、駄目だ。混乱しすぎて、馬鹿な考えしか浮かばない。
 私がオロオロしている間に、剣を抜いたリーダー格の男が、ラグナルに向かって足を踏み出した。
 長い刃が灯りを反射して鈍く光る。
 それを見て私は叫んだ。

「こ、殺さない程度に許可します!」

 ラグナルは小さく頷くと、左手を男に向かって突き出した。
 ドンッと衝撃音が鳴り、男の体が宙に浮いたかと思うと、背後に飛び壁にぶつかって止まる。
 魔術具も詠唱も必要としないダークエルフの黒魔法。構築の時間でさえ一瞬だ。その威力を目の当たりにして、室内の人間は誰一人動くことができなかった。

「そんな……。黒魔法は使えないはずでは……」

 マーレイが呆然と呟く。
 ラグナルを捉えて売り払おうとしていただけあって、彼の情報を集めていたらしい。
 吹き飛んだ男は壁に体を預けたままピクリともしなかった。
 虫けらを見るような目をしたラグナルの視線は、マーレイを素通りし、私を背後から拘束している男で止まる。

「その手を離せ」

 ごくりと唾を飲む音が、耳のすぐ横で聞こえた。
 男は、私の右腕の拘束を解くと、左腕を強く自分に向かって引いた。
 背中が男の付けている胸当てに当たった。

「動くな!」

 鞘から剣を引き抜く音がする。私が邪魔で左腰の長剣は抜けないから、おそらく右腰に差していた短剣を抜いたのだろう。顎の下に風を感じて、目だけを動かすと銀色の刃の端が見えた。
 喉元に剣を突きつけられて、恐怖を感じないほど豪胆な人間ではない。足の裏から悪寒が突き抜け、私は震え上がった。冷たい床の上に裸足で立っている上、ほぼ裸なせいもちょっとあったかもしれない。

「手を離せ」

 ラグナルの声はどこまでも凪いでいた。

「う、動くな! この女がどっ……ひっ、な、なんだ、これは」

 カタカタと男が震えだす。その気持ちはわかる。ラグナルの影がずるりと伸びて男の足元に這い寄ったのだ。その光景は軽くホラーだった。でも……腕の震えだけは頑張って抑えて!
影は男の体を這い上り、私に短剣を突きつけている腕にも絡みつく。

「やっ、やめろ、出て行け、やめてくれえっ」

 何をどこから追い出そうとしているのか、男は私を突き放すと、我武者羅に腕を振りまわす。と、次の瞬間にかくんと膝が折れて前のめりに倒れた。影はとっくに消えており、男には傷一つついていない。なのに、男は小刻みに痙攣して白目を向いていた。その光景は完璧にホラーだった。
 マーレイは血の気を失った顔で呆然と佇んでいる。
 多分、私も似たような顔色をしているだろう。
 室内は静まり返っていた。
 壁に激突して死んだように動かない――死んでないよね!?――男の前を横切り、床で伸びている男の傍に来ると、ラグナルはその腹を蹴りつける。

「うひっ」

 喉が引き攣れて変な声が出た。
 男を見下ろしていたラグナルがゆっくりと顔を上げた。黒い瞳が私を映す。

「遅くなって、ごめん」

 褐色の指が伸びて、はだけていた入浴着をそっと合わせる。

「あ、ありがとう」

 私は襟を掴んでしっかりと体を隠した。思わず、後ろに引きそうになった足をなんとか止める。
 助けに来てもらっておいてなんだけど……
 ――ダークエルフこえええええええ
 そう思ったのは私だけではないはずだ。マーレイは立っているのが不思議なぐらい真っ青だし、ベッドの上のルツは固まっている。

「少し後ろを向いててくれ」

 ラグナルは微かに目を伏せると、硬い声で言う。

「あの、ラグナル? どうして短剣を抜くのかな?」

 いつの間にか帯に差した鞘にしまわれていた短剣を、抜き放つラグナル。その切っ先が向けられた先にいるのはマーレイだ。

「黒魔法では殺せない」

 殺さない程度に許可しますと言ったから、命をとるときは剣でって……そんな解釈あり!?

「ま、待って、殺すのはちょっと……」

 一瞬、私も血迷ったけど、すっかり抵抗する気力を喪失している今のマーレイをどうこうするのは寝覚めが悪い。何より、まだ少年のラグナルにそんなことをさせたくなかった。

「そうですよ。殺すのは勘弁してください。その人、一応大事な証人なので」

 ――え?
 聞き覚えのある声がした方を見れば、扉のあった場所に誘拐犯その二ことトリスタンが立っていた。
 ラグナルは無言で左手を男に向ける。

「ちょっ、ちょっと、話をっ」

 男はうろたえながらも、廊下に出て壁の後ろに逃げた。
 直後に、男がいた場所の背後の壁に何かがぶつかる音がする。リーダー格の男を吹き飛ばした黒魔法と同じものだろう。

「あの、俺はマーレイ様の配下じゃありませんから。さっき、道を開けてあげましたよね!?」

 壁からひょっこりと顔だけを出したトリスタンは涙目だ。

「お前がなんだろうと関係ない」
「そんな殺生な!」

 ラグナルの眼差しは、しつこい油虫を見るそれだった。
 再びラグナルが左腕をトリスタンに向けたとき、階下が俄かに騒がしくなったのに気づいた。悲鳴に混じって聞き覚えのある声がする。
 彼らの声を聞いて、これほど安堵したことはない。

「ラグナル、ちょっと落ち着こう」

 トリスタンはマーレイの配下ではないという。思い返せば彼の言動に首を傾げるところはいくつもあった。どこの誰かは知らないが、敵ではないらしい。

「俺は落ちついている」

 ラグナルの声はどこまでも冷淡だった。その声音は、確かに冷静なように感じるが、どう見ても静かに切れている。

「うん、じゃあ、一回その手を降ろそうか」

 ラグナルは動かない。ならば仕方がない実力行使だ。
 私はラグナルの腕を両腕で掴んだ。そのまま下に……降ろそうと思ったのに、動かない。
 ほんの数日前は抱え上げられたのに!
 私はラグナルの腕を強引に抱え込んだ。これなら黒魔法を放てまい。……私ごと吹き飛ばそうとしない限りは。
 ぐっとラグナルの腕を抱き込みながら冷や汗をかいていると、階段を駆け上る音が響く。

「ルツ、イーリス、ラグナル、無事か?」

 そう言って部屋に飛び込んできたのは、思った通り、長剣を手にしたキーランと息を切らしたノアだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

えぇ、死ねばいいのにと思ってやりました。それが何か?

真理亜
恋愛
「アリン! 貴様! サーシャを階段から突き落としたと言うのは本当か!?」王太子である婚約者のカインからそう詰問された公爵令嬢のアリンは「えぇ、死ねばいいのにと思ってやりました。それが何か?」とサラッと答えた。その答えにカインは呆然とするが、やがてカインの取り巻き連中の婚約者達も揃ってサーシャを糾弾し始めたことにより、サーシャの本性が暴かれるのだった。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

処理中です...