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三流調剤師と初恋
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今朝方のルツの「あらあら、まあまあ」視線を思い出す。
あの時は、身内――従姉妹あたりの寝起きのだらしない姿を見てしまったがゆえの照れだと、そう思った。
しかし、今の反応と皆の言葉を聞き、どう受け止めていいか分からなくなる。
もし、仮に、ラグナルが恋心を抱いているのなら……
どうしてそうなったと声を大にして言いたい!
腹ペコの彼に食料を分けたから? 体を洗って世話をやいたから? それとも抱きしめたから? そもそも森で彷徨っていたのを拾ったのがいけなかったのか?
なにか切っ掛けがあったのだとしたら、そこまで時間を巻き戻してやり直したい。
「どうしました? イーリス。顔色が優れないようですが」
ルツは振り返って驚いた顔をした。
どうしたもこうしたも。
「初恋って、冗談ですよね?」
そうだと言ってくれ。
「それ以外の何に見える」
キーランがあっさり、私の望みを否定する。
「随分と初心な反応でしたね」
「唇に触れられただけで真っ赤になって逃走だからな」
ゼイヴィアが淡々と述べれば、ウォーレスは先ほどの様子を思い出すように目を細めて、にやりと笑った。
ちなみにノアは、「ムカつく」発言をしたすぐ後に「あいつ、一人になんなって言ってんのに」と悪態をつきながらラグナルを追いかけていった。
「あの……初恋だと何か問題が? 微笑ましい光景でしたが」
よほど私の顔色が悪かったのか、ルツが心配気に問いかける。
「ラグナルはダークエルフですよ」
しかも今は普通の状態じゃない。
何がいけないか分からないと言いたげに首を傾げるルツ。私はそんなルツの肩に掴みかからんばかりの勢いで力説した。
「想像してみてください。記憶を失い森で迷っている自分を拾ってくれた人がいるとします。心細くてひもじくて、最初はその人が天の助けに見えたかもしれません。でも、その人は、汚れたままベッドに上げたくないからって理由で、裸にして盥に突っ込み丸洗いしたあげく、一緒に寝るのを強要して、朝方には温石がわりに抱きついてくるんです。それでも、最初に助けてくれたという刷り込みから、その人に懐いてしまう。でも、ある時、記憶が戻って愕然とするんです。そいつが、かつて自分が毛嫌いしていた、性悪でケチの脂ぎったエロオヤジだったと気づいて! ここに恋愛感情なんてものまで入ったら……どろっどろの負の感情しか残らないと思いませんか!?」
おお、想像するだに恐ろしい。おまけにそいつは、二つ名を改悪し、パンツの趣味を貶し、行動を制限する約束を取り付けたりしているのだ。
「待て、イーリスさん。その仮定だと、イーリスさんが脂ぎったエロオヤジってことになるんだが」
ウォーレスが話に待ったをかける。
「ダークエルフが人間に対して持つ忌避感を、置き換えたまでです」
きっと、まだぬるい。
「確かに、再会してからのラグナルには、以前はなかった人間に対する反感のようなものを感じますね」
頷くゼイヴィアだったが、「ですが」と話を続ける。
「以前、落盤事故に巻き込まれ、記憶を失った人夫の話を聞いたことがあります。その人夫は記憶が戻ったときに、記憶喪失だった期間の記憶だけがごっそり抜け落ちていたそうです」
そんなパターンもあるのか……。それだとラグナルは恥ずかしい黒歴史を記憶から抹消でき、私も万々歳になる。
――でも、忘れられてしまうのは寂しいな。
ふとそんな考えがよぎり、私は必死でそれを打ち消した。憎悪されるよりましなはずだ。
「これだけ毎日でかくなってりゃ、体は近いうちに元に戻りそうだが、記憶だけ戻らないってこともあり得ないか? まだ何も思い出してないんだろ?」
ウォーレスが腕を組んで考え込む。
「体も記憶も心も、かつての状態に戻ったとしても、イーリスを慕い続ける可能性もあるだろう」
キーランの声はどこか呆れを含んでいるように聞こえた。
「それは……」
そうであれば、私は嬉しいのだろうか?
闇夜に舞う月の精(笑)と手を繋いで街を歩いたり、あのボロ屋で暮らす様子を想像……してみようとしたけれど、無理。全く想像できない。シュールすぎる。
「何れにせよ博打ですね。目が出てみないことにはなんとも」
ゼイヴィアがそう言って話を締めたとき、遠くにラグナルとノアが戻ってくる姿が見えた。
その後、ラグナルとウォーレスが剣を合わせるのを見学し、昼食となった。
石造りの重厚な城は、防衛上の理由で一階には殆ど窓がない。長机の置かれた食堂は昼でも人工の灯りが欠かせなかった。
長机の上に置かれた燭台に、白いタイを締めた給仕の男性が灯りを灯していく。
魔術師による光球の灯りがあるから、必要ない気もするが様式美というやつなのだろう。
「あの、昼から街に出てもいいですか?」
順に運ばれる料理に舌鼓を打ちながら私はゼイヴィアに尋ねた。
龍涎石を売りに行きたいのだ。今後の予定を考えると、少しでも手元に資金を確保しておかないと、割と真面目に路頭に迷う。
「何か用事が?」
「りゅ……」
「観光。城に籠っててもやることないしねー。いいんじゃないの? 僕も行きたい」
龍涎石を売りに。そう言いかけた私の言葉をノアが遮った。
「ねえ、そこの人。もちろんいいよね? 僕ら監禁されてるわけじゃないんだし」
なぜ給仕に許可を求める。
ウォーレスのグラスに葡萄酒を注いでいた男性の手元がぶれ、ガチャンと音を立てた。
「申し訳ございません。すぐに確認してまいります」
礼をすると、男性は足早に部屋から出て行く。
私は説明を求めて、ノアを見た。しかしノアは私の視線を意に介さず食事を続け……何も聞けずに昼食の時間は終わった。
あの時は、身内――従姉妹あたりの寝起きのだらしない姿を見てしまったがゆえの照れだと、そう思った。
しかし、今の反応と皆の言葉を聞き、どう受け止めていいか分からなくなる。
もし、仮に、ラグナルが恋心を抱いているのなら……
どうしてそうなったと声を大にして言いたい!
腹ペコの彼に食料を分けたから? 体を洗って世話をやいたから? それとも抱きしめたから? そもそも森で彷徨っていたのを拾ったのがいけなかったのか?
なにか切っ掛けがあったのだとしたら、そこまで時間を巻き戻してやり直したい。
「どうしました? イーリス。顔色が優れないようですが」
ルツは振り返って驚いた顔をした。
どうしたもこうしたも。
「初恋って、冗談ですよね?」
そうだと言ってくれ。
「それ以外の何に見える」
キーランがあっさり、私の望みを否定する。
「随分と初心な反応でしたね」
「唇に触れられただけで真っ赤になって逃走だからな」
ゼイヴィアが淡々と述べれば、ウォーレスは先ほどの様子を思い出すように目を細めて、にやりと笑った。
ちなみにノアは、「ムカつく」発言をしたすぐ後に「あいつ、一人になんなって言ってんのに」と悪態をつきながらラグナルを追いかけていった。
「あの……初恋だと何か問題が? 微笑ましい光景でしたが」
よほど私の顔色が悪かったのか、ルツが心配気に問いかける。
「ラグナルはダークエルフですよ」
しかも今は普通の状態じゃない。
何がいけないか分からないと言いたげに首を傾げるルツ。私はそんなルツの肩に掴みかからんばかりの勢いで力説した。
「想像してみてください。記憶を失い森で迷っている自分を拾ってくれた人がいるとします。心細くてひもじくて、最初はその人が天の助けに見えたかもしれません。でも、その人は、汚れたままベッドに上げたくないからって理由で、裸にして盥に突っ込み丸洗いしたあげく、一緒に寝るのを強要して、朝方には温石がわりに抱きついてくるんです。それでも、最初に助けてくれたという刷り込みから、その人に懐いてしまう。でも、ある時、記憶が戻って愕然とするんです。そいつが、かつて自分が毛嫌いしていた、性悪でケチの脂ぎったエロオヤジだったと気づいて! ここに恋愛感情なんてものまで入ったら……どろっどろの負の感情しか残らないと思いませんか!?」
おお、想像するだに恐ろしい。おまけにそいつは、二つ名を改悪し、パンツの趣味を貶し、行動を制限する約束を取り付けたりしているのだ。
「待て、イーリスさん。その仮定だと、イーリスさんが脂ぎったエロオヤジってことになるんだが」
ウォーレスが話に待ったをかける。
「ダークエルフが人間に対して持つ忌避感を、置き換えたまでです」
きっと、まだぬるい。
「確かに、再会してからのラグナルには、以前はなかった人間に対する反感のようなものを感じますね」
頷くゼイヴィアだったが、「ですが」と話を続ける。
「以前、落盤事故に巻き込まれ、記憶を失った人夫の話を聞いたことがあります。その人夫は記憶が戻ったときに、記憶喪失だった期間の記憶だけがごっそり抜け落ちていたそうです」
そんなパターンもあるのか……。それだとラグナルは恥ずかしい黒歴史を記憶から抹消でき、私も万々歳になる。
――でも、忘れられてしまうのは寂しいな。
ふとそんな考えがよぎり、私は必死でそれを打ち消した。憎悪されるよりましなはずだ。
「これだけ毎日でかくなってりゃ、体は近いうちに元に戻りそうだが、記憶だけ戻らないってこともあり得ないか? まだ何も思い出してないんだろ?」
ウォーレスが腕を組んで考え込む。
「体も記憶も心も、かつての状態に戻ったとしても、イーリスを慕い続ける可能性もあるだろう」
キーランの声はどこか呆れを含んでいるように聞こえた。
「それは……」
そうであれば、私は嬉しいのだろうか?
闇夜に舞う月の精(笑)と手を繋いで街を歩いたり、あのボロ屋で暮らす様子を想像……してみようとしたけれど、無理。全く想像できない。シュールすぎる。
「何れにせよ博打ですね。目が出てみないことにはなんとも」
ゼイヴィアがそう言って話を締めたとき、遠くにラグナルとノアが戻ってくる姿が見えた。
その後、ラグナルとウォーレスが剣を合わせるのを見学し、昼食となった。
石造りの重厚な城は、防衛上の理由で一階には殆ど窓がない。長机の置かれた食堂は昼でも人工の灯りが欠かせなかった。
長机の上に置かれた燭台に、白いタイを締めた給仕の男性が灯りを灯していく。
魔術師による光球の灯りがあるから、必要ない気もするが様式美というやつなのだろう。
「あの、昼から街に出てもいいですか?」
順に運ばれる料理に舌鼓を打ちながら私はゼイヴィアに尋ねた。
龍涎石を売りに行きたいのだ。今後の予定を考えると、少しでも手元に資金を確保しておかないと、割と真面目に路頭に迷う。
「何か用事が?」
「りゅ……」
「観光。城に籠っててもやることないしねー。いいんじゃないの? 僕も行きたい」
龍涎石を売りに。そう言いかけた私の言葉をノアが遮った。
「ねえ、そこの人。もちろんいいよね? 僕ら監禁されてるわけじゃないんだし」
なぜ給仕に許可を求める。
ウォーレスのグラスに葡萄酒を注いでいた男性の手元がぶれ、ガチャンと音を立てた。
「申し訳ございません。すぐに確認してまいります」
礼をすると、男性は足早に部屋から出て行く。
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