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三流調剤師とギルド・ロフォカレ
08
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体を揺すられて意識が浮上する。
うっすらと瞼を開けると、戸板の隙間から入る光が目に入った。青みを帯びた柔らかい光だ。まだ陽が登り始めたばかりの時間帯なのだろう。
起きるには少々早い。何より眠い。
私は欲求のままに瞼を閉じようとした。
「起きて。ねえ、起きてよ」
途端にまた誰かに揺すられる。今度は起床を促す声付きだ。
「もう少し寝かせて」
疲れているのだ。なんたって昨日は……
――昨日は?
私は勢いよく身を起こした。
視線を感じて隣を見れば、恨みがましい瞳でこちらを見つめる褐色の肌の子供。
「起きて。お腹すいた。ご飯食べたい」
――喋ってる。
私は唖然として、自分のお腹を押さえる子供を見下ろした。
「もう朝だよ。何度も起こしたのに、ちっとも起きないんだから」
昨日はたった二言しか話さなかった子供は、今朝になって急に流暢に言葉を紡ぎ出した。
思い当たるのは、子供の腰あたりに刻まれた紫紺の印。
解呪を試みて、端の端にある一文字が、ほんのり薄くなったあれだ。
――記憶じゃなく、言語そのものが、封印されてた?
と考えて首をかしげる。
言語を封印されていたなら、こちらの言うことを理解できたのはおかしい。
「……ご飯」
しげしげと観察しながら考えこんでいると、子供は唇を尖らせて抗議の声をあげた。じわりと、眦に涙がたまる。
「ちょっと、ちょっと待った。泣かないで」
一番歳が近いのが八歳年上の兄という環境で育ったのだ。子供が泣いた時の対処法など知らない。
「ご飯……」
「よし、ご飯ね、ご飯食べよう」
私はベッドから抜け出ると、土間までやってきてぴたりと止まった。
昨日は夕飯の買い物だけで手一杯で、今朝のことまで考えていなかった。
家にあるのは昨日採ったサオ茸のみ。しかし納入せねばならない薬の分量を思うとこれ以上は減らせない。
いつもなら、もう一眠りしてから遅めの朝食兼、早めの昼食で済ますところだが……
私は振り返って、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「あー、実はちょっと今食料がなくて……」
子供はベッドを降りて、昨晩夕食を食べた椅子にちょこんと腰掛けていた。引いていた涙がみるみる溜まる。
「だ、だから、顔を洗って着替えたら、外に美味しいご飯食べに行こう!」
涙が頰を伝う寸前に私は叫んだ。子供は視線で「本当に?」と問いかける。
「ほらほら、早く用意して。お肉食べようね。お肉」
「お肉!」
肉、という言葉を聞いて子供は満面の笑顔になり、椅子から降りて飛び跳ねる。元気いっぱいだ。反対に私は朝から途方もない疲労感を味わっていた。
子供の相手がこんなに心臓に悪いものだとは思わなかった。
よほどお腹が空いているのか、「早く、早く」と急かす子供を宥めながら、水瓶から水を汲んで顔を洗う。
朝の水の冷たさにキャッキャッと歓声をあげる子供の朗らかさが今は憎らしい。
手持ちのズボンの中で一番丈の短いものを選ぶと子供に履かせ、腰紐で無理やり締めて留め、裾を何重にもまくる。上からシャツを羽織らせ帯で縛って子供の支度は出来上がりだ。がばりと開いた襟ぐりや、昨日バートから借りた大きな布靴はどうしようもない。
外に出る頃には、陽の光は白く温かみを帯びた色に変わっていた。
通りを歩く人影は、まだまばらだ。
子供と一緒に、いつも一番早くに開ける店を目指して歩く。
店に近づくにつれ、道ゆく人々の数が増える。早朝仕事の人夫や夜勤明けの警備兵、遠くまで足を運ぶ冒険者が集まるのだ。
私は彼らに混じって料理を受け取る列に並んだ。
店はホルトンでよく見かける半屋台の形式で、屋根の下には厨房と僅かな座席があるだけ。代わりに店の前の広間には、使い古された机と椅子が所狭しと並べられている。
ふと子供の耳を隠すべきだったかと思い立ち、隣を見下ろす。耳はさらさらの髪でうまい具合にかくれていた。大人のエルフほど耳が大きくないのだ。
昔、一度見たことがある成人のエルフの耳は、髪などでは隠しようがないほうど長く尖っていた。
列が進むにつれ、あたりは鍋から立ち上る甘辛い香りに包まれる。
子供はひくひくと鼻を動かし、背伸びをして前方を覗き込もうとしていた。すぐ前にいるのが、筋肉の塊のでっかい冒険者らしき大男だから無理だろうけど。
順番が回ってくると、私は少し迷って子供の分と合わせて二つ注文した。懐具合を考えると一つを分け合って……といきたいところだが、子供には足りないに違いない。
昼食どきにはいくつかある料理の中から選べるが、朝は一種類だ。
注文を受けると、目の前できつね色に焼けたパンに、トロトロに煮込まれたくず肉と炒めた野菜を挟んでくれる。
小さな手を出して、パンを受け取ろうとする子供に待ったをかけて、私はそれを二つとも受け取ると、開いている席を探した。
混雑しているが、誰しもが忙しい朝の時間は回転が早い。すぐに空いている席は見つかった。
子供を椅子に座らせ、布を膝に敷く。
柔らかい肉と、歯ごたえを残す程度に火を入れた野菜と、硬めのパンが絶妙に合って美味しいのだが、汁をこぼさないように食べるのにはコツがいった。
パンを渡すと子供はいそいそと口に運ぼうとし、はたと思い出したように手を止める。
それからパンを机の上に置き、軽く右手を握ったかと思うと、それを額に当てて、ブツブツと呟き出した。
――ちょっ、何してるの!?
朝食を前にまさかの黒魔法発動? と慌てたが、彼らに呪文など必要ないのだ。それでも万が一の不測の事態に備えて、私は軽く腰を上げて彼に注視する。
こちらの緊張などお構い無しに、何事かを呟き終えた子供は、満足そうに頷くと、パンを両手に持ち、大きく口を開けてかじり出した。
なんだったんだ今のは……
私は椅子に座りなおすと、パンに夢中になる子供を横目にため息をついた。
朝から疲れることばかりだ。
「ほう、この小さいのダークエルフかね」
そんな疲労感に輪を掛ける言葉が、すぐ隣の席から聞こえた。
うっすらと瞼を開けると、戸板の隙間から入る光が目に入った。青みを帯びた柔らかい光だ。まだ陽が登り始めたばかりの時間帯なのだろう。
起きるには少々早い。何より眠い。
私は欲求のままに瞼を閉じようとした。
「起きて。ねえ、起きてよ」
途端にまた誰かに揺すられる。今度は起床を促す声付きだ。
「もう少し寝かせて」
疲れているのだ。なんたって昨日は……
――昨日は?
私は勢いよく身を起こした。
視線を感じて隣を見れば、恨みがましい瞳でこちらを見つめる褐色の肌の子供。
「起きて。お腹すいた。ご飯食べたい」
――喋ってる。
私は唖然として、自分のお腹を押さえる子供を見下ろした。
「もう朝だよ。何度も起こしたのに、ちっとも起きないんだから」
昨日はたった二言しか話さなかった子供は、今朝になって急に流暢に言葉を紡ぎ出した。
思い当たるのは、子供の腰あたりに刻まれた紫紺の印。
解呪を試みて、端の端にある一文字が、ほんのり薄くなったあれだ。
――記憶じゃなく、言語そのものが、封印されてた?
と考えて首をかしげる。
言語を封印されていたなら、こちらの言うことを理解できたのはおかしい。
「……ご飯」
しげしげと観察しながら考えこんでいると、子供は唇を尖らせて抗議の声をあげた。じわりと、眦に涙がたまる。
「ちょっと、ちょっと待った。泣かないで」
一番歳が近いのが八歳年上の兄という環境で育ったのだ。子供が泣いた時の対処法など知らない。
「ご飯……」
「よし、ご飯ね、ご飯食べよう」
私はベッドから抜け出ると、土間までやってきてぴたりと止まった。
昨日は夕飯の買い物だけで手一杯で、今朝のことまで考えていなかった。
家にあるのは昨日採ったサオ茸のみ。しかし納入せねばならない薬の分量を思うとこれ以上は減らせない。
いつもなら、もう一眠りしてから遅めの朝食兼、早めの昼食で済ますところだが……
私は振り返って、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「あー、実はちょっと今食料がなくて……」
子供はベッドを降りて、昨晩夕食を食べた椅子にちょこんと腰掛けていた。引いていた涙がみるみる溜まる。
「だ、だから、顔を洗って着替えたら、外に美味しいご飯食べに行こう!」
涙が頰を伝う寸前に私は叫んだ。子供は視線で「本当に?」と問いかける。
「ほらほら、早く用意して。お肉食べようね。お肉」
「お肉!」
肉、という言葉を聞いて子供は満面の笑顔になり、椅子から降りて飛び跳ねる。元気いっぱいだ。反対に私は朝から途方もない疲労感を味わっていた。
子供の相手がこんなに心臓に悪いものだとは思わなかった。
よほどお腹が空いているのか、「早く、早く」と急かす子供を宥めながら、水瓶から水を汲んで顔を洗う。
朝の水の冷たさにキャッキャッと歓声をあげる子供の朗らかさが今は憎らしい。
手持ちのズボンの中で一番丈の短いものを選ぶと子供に履かせ、腰紐で無理やり締めて留め、裾を何重にもまくる。上からシャツを羽織らせ帯で縛って子供の支度は出来上がりだ。がばりと開いた襟ぐりや、昨日バートから借りた大きな布靴はどうしようもない。
外に出る頃には、陽の光は白く温かみを帯びた色に変わっていた。
通りを歩く人影は、まだまばらだ。
子供と一緒に、いつも一番早くに開ける店を目指して歩く。
店に近づくにつれ、道ゆく人々の数が増える。早朝仕事の人夫や夜勤明けの警備兵、遠くまで足を運ぶ冒険者が集まるのだ。
私は彼らに混じって料理を受け取る列に並んだ。
店はホルトンでよく見かける半屋台の形式で、屋根の下には厨房と僅かな座席があるだけ。代わりに店の前の広間には、使い古された机と椅子が所狭しと並べられている。
ふと子供の耳を隠すべきだったかと思い立ち、隣を見下ろす。耳はさらさらの髪でうまい具合にかくれていた。大人のエルフほど耳が大きくないのだ。
昔、一度見たことがある成人のエルフの耳は、髪などでは隠しようがないほうど長く尖っていた。
列が進むにつれ、あたりは鍋から立ち上る甘辛い香りに包まれる。
子供はひくひくと鼻を動かし、背伸びをして前方を覗き込もうとしていた。すぐ前にいるのが、筋肉の塊のでっかい冒険者らしき大男だから無理だろうけど。
順番が回ってくると、私は少し迷って子供の分と合わせて二つ注文した。懐具合を考えると一つを分け合って……といきたいところだが、子供には足りないに違いない。
昼食どきにはいくつかある料理の中から選べるが、朝は一種類だ。
注文を受けると、目の前できつね色に焼けたパンに、トロトロに煮込まれたくず肉と炒めた野菜を挟んでくれる。
小さな手を出して、パンを受け取ろうとする子供に待ったをかけて、私はそれを二つとも受け取ると、開いている席を探した。
混雑しているが、誰しもが忙しい朝の時間は回転が早い。すぐに空いている席は見つかった。
子供を椅子に座らせ、布を膝に敷く。
柔らかい肉と、歯ごたえを残す程度に火を入れた野菜と、硬めのパンが絶妙に合って美味しいのだが、汁をこぼさないように食べるのにはコツがいった。
パンを渡すと子供はいそいそと口に運ぼうとし、はたと思い出したように手を止める。
それからパンを机の上に置き、軽く右手を握ったかと思うと、それを額に当てて、ブツブツと呟き出した。
――ちょっ、何してるの!?
朝食を前にまさかの黒魔法発動? と慌てたが、彼らに呪文など必要ないのだ。それでも万が一の不測の事態に備えて、私は軽く腰を上げて彼に注視する。
こちらの緊張などお構い無しに、何事かを呟き終えた子供は、満足そうに頷くと、パンを両手に持ち、大きく口を開けてかじり出した。
なんだったんだ今のは……
私は椅子に座りなおすと、パンに夢中になる子供を横目にため息をついた。
朝から疲れることばかりだ。
「ほう、この小さいのダークエルフかね」
そんな疲労感に輪を掛ける言葉が、すぐ隣の席から聞こえた。
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