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四話

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「そ、そろそろ失礼しようか? では、私たちはこれで、先を急ぎますので!」

私は黒づくめの男の手を掴むと、走った。
背後から、「お待ちになって!」と引き止めるお姫様の声が聞こえたような気がしたがきっと気のせい。

とにかく走って走って走った。
喉が焼けるような痛みを覚えて足を止める。
背後から追いかけてくる気配はない。
向こうには馬があるから、追いかける気があればとっくに追いつかれているだろう。

息を整え、水を飲むために水筒を出そうとして男の手を握ったままだったのに気づいた。
男は不思議そうな顔で繋いだ手を見つめている。
そういえば、いつもすぐに力の押し売りをしてくる男がやけに静かだった。
必死に走っていたら、「彼らから逃げたいの? なら、逃がしてあげるよ。僕に願いなよ」そう言いそうなものなのに。

「大丈夫?」

もしかしたら盗賊を昏倒させるのに力を使いすぎたのかもしれない。やっぱり世界を滅ぼしかけたなんて嘘なのかも。些細な出来事に背びれ尾びれがつくなんて、よくある話だ。

声をかけると、男はびくっと体を揺らし顔を上げた。

「何が?」

男は笑顔を浮かべた。その顔はいつもと同じようで、どこか違う。

「調子悪い? 力使わせすぎた? ごめんね」

そう言うと男は顔を歪ませた。私の言動につまらなそうな雰囲気を漂わせることはあったし、龍を褒めた時には不満を露わにしてぐちぐちと文句を言いはしたけれど、はっきりと怒りを示したのは初めてだった。

「使いすぎ? あれしきで? ねえ、さっきのピンクの話聞いてなかったの? 僕が前に話したことも忘れた? 僕には世界を滅ぼすだけの力があるんだけど!」

過小評価されたのが気に食わなかったったのだろうか……

「大丈夫ならいい」

男の考えはいつも理解しがたい。
そもそも精霊を理解しようというほうが無理な話なのかもしれない。男以外の精霊に会ったことがないから、よくわからないけど。

手を放すと水を飲み麓の街に急ぐ。
道中で武器を携えた一群とすれ違った。馬車を守っていた男たちと同じ服を着ていたから、呼びに向かったという助けだろう。
声をかけられて、盗賊や馬車を見なかったかと聞かれたので、「盗賊たちは捕らえられていましたよ」と伝えるとほっとしていた。

麓の街につくと、食料を買い足し休息もとらずに街を出る。
あのまま峠を越えるとは考えにくいから、きっと戻ってくるはずだ。
街中でばったりなんてごめんである。

男はあれからずっと静かだ。
静かすぎて隣にいることを忘れてしまいそう。
黙々と街道を歩く。

麓についた時点で既に日は傾いていた。次の宿にたどり着けるはずもなく、その日も野宿になった。
久しぶりに布団で眠れると思ったのにがっかりだ。
そしてお腹が空いた。

「ねえねえ、食事まだかな?」

いつもならとっくに熱々の夕食が出ている時間である。
催促すると男はしまったという顔をした。さては忘れてたな。

「今日は特別サービス。王様の食事だ」

やっぱり忘れてたな。
どうやら糞爺の夕食は終わってしまっていたらしい。

「ありがとう」

いつもより豪華な食事を受け取る。葡萄色のソースがかかった骨つきの肉。琥珀色のスープに焼きたてのパン。貝と魚のグリル。そしてクリームがたっぷりとのったケーキ。

「ケーキだ!」

久しぶりに見る。糞爺は甘いものが嫌いなのか一度も出てこなかった。

「たまには、甘いものもいいでしょ?」

白を切る男に、思わず笑ってしまう。
男はそっぽを向いてしまった。


この世界は不可思議で美しい。
もう帰れないのだと割り切ってしまえば、その不思議も美しさも楽しめた。

けれど、どの世界にも暗い側面はあるものだ。
ゴブリンのような生物が暴れまわっていたり、山賊に支配された村があったり……

男の、私のため以外には力を使わないという主張は一貫していた。
仕方なく、ゴブリンに石を投げて追われては男に願い、知らん顔で村を訪れ住むふりをして山賊に襲われそうになっては男に願った。

「なんか違うんだけど……」と文句を言いながらも男は私の身に危険が及べば力を使う。

精霊の考えることは、いまだにさっぱりわからないけど、正直ちょろい。


「もうさあ、主の趣味が人助けなのはわかったけどさ、これはないんじゃない?」

ある時、男が泣きそうな顔でそう言った。

ここは横暴な領主がいて、花嫁に初夜権を主張しているという地だ。
じゃあ、花嫁になろう。と思い立ち、いつものように拝借したお金でドレス(といっても白いワンピース)を仕立てた。
あとは教会に届けを出して、夜に領主の使いの到着を待つだけだ。
隣には花婿姿の男の姿。
いつも黒一色なので新鮮だ。

「そう? 白い服も似合ってるよ」
「そうじゃなくて……。普通精霊と結婚しようなんて思わないでしょ。それも僕となんて……」

仕方ないじゃないか。
他に新郎になってくれる人が誰もいないのだから。

「ねえ、教会に届け出るのに名前書かないといけないらしいんだけど、名前なに?」

出会ってはや半年、男の名前を知らないことに気づいた。
ずっと側にいるし、何か言う前に大体してくれるし、名前を知らなくても困らなかったのだ。

「名前なんてあるわけないでしょ」

男はとてもやる気がなさげだ。椅子に座り頬杖をついている。

「そういうもんなんだ。じゃあ、適当に決めちゃうね……クロスケでいっか。黒いし」
「は!?」

瞬間、男が立ち上がった。
驚愕に目を見開いて私を見ている。

「……ごめん、センスがないのは自覚してる。希望の名前があればきくけど」

男は再び椅子に腰掛ける。と、ずるずると机の上に突っ伏した。

「いい。クロスケで。ていうか、もうクロスケに決まった」

ちょっと何言ってるかわからない。

「まだ伝えてないし、変更できるよ? クロ丸とかどう?」
「無理、もう変更不可。てか、嘘でしょう。名前で縛られるなんて。この僕が……嘘でしょ」

……どうやら精霊に勝手に名前をつけてはいけなかったらしい。
そういうことは最初に言っといてくれないと。


黒ずくめの男改めクロスケの、領主への制裁はいつにも増して苛烈だった。
虫の居所が悪かったらしい。
領主への八つ当たりが終わっても、怒りは収まらなかったようで……

「僕、闇の精霊だって言ったよね!? 世界を滅ぼしかけたって言ったよね!? ちなみに三回やったからね!? 闇の精霊の使い手は忌まれてるって知ってるよね!? なのになんで、こんな……。勝手に手とかつないで、勝手に人助けに使って、名前つけて、結婚とかして! 違うでしょ? この世に二つと無い力を手にしてんだよ? わかってる? ねえ! ……ああ、もう! ああ、もう! ああ、もう! 責任とってよ!」

とグチグチと煩かったので、はいはいと適当に頷いておいた。



クロスケと旅を初めて一年がたったころ、私は隣国へ渡った。
そこで、あのピンクの小さなお姫様と再会した。

お忍び中らしく、以前のようなドレスではなく、質素な服をきて、これまた平民に扮した護衛を連れていた。
露天で食事中の私と目が合い、次にクロスケを見て顔を青ざめさせた。

ああ、バレたんだな。そう思った。

しかし、「主! 口の周り汚れてる。ほら、もう、じっとして!」と言いながら甲斐甲斐しく世話をやくクロスケを見て、顎が外れんばかりに大口を開けた。
かと思えば、恐る恐る近づいてくる。

「その節はお世話になりました。闇の精霊の使い手様、と闇の精霊様?」

疑問形になるその気持ちはよくわかる。

「責任とってよ!」と言ったあの日から、男の態度は徐々に変わっていき、今ではすっかり押掛女房と化していた。精霊の考えは今でもさっぱりわからないけど、正直ちょろい。

「正体不明の男女二人組が、世直し道中を行なっていると風の噂で耳にしましたが、もしかしてお二人のことですか……」

そうなのかもしれない。

「お二人のことは、口外しておりません。そもそも人間が太刀打ちできる存在ではありませんから。世界の終わりがいつ訪れるかと心が休まりませんでしたが、どうやら杞憂だったようですね」

不安に怯える日々は小さなお姫様を、すっかり大人に変えてしまったようだ。申し訳ない。

その後、お姫様から聞いた話によると、隣の国の神官長は、幾度も食事を要求したり、金銭がなくなったと騒ぎをおこしたりなどし、その認知能力に疑いを持たれて罷免されたらしい。さらに国王もまた、同じような症状が出て、早々に退位。お姫様の婚約者である息子が即位するのだとか。
他にも数々の不祥事で隣国の力は弱体。子供の代になればお姫様の国への吸収、待った無しらしい。
二度と、異世界人の召喚などという恐ろしいことはいたしません。と言い、お姫様は去っていった。

「主、はい、あーん」
「え、むり」

フォークに刺さった食後のケーキを差し出してくるクロスケに私は引いた。
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