キコのおつかい

紅粉 藍

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向こうのお部屋にかかっているのは…

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向こうのお部屋にかかっているのは麻の上着だけではありませんでした。
おばあさんが使うのでしょうか。真っ黒くて使い込まれた鉄砲が壁に立てかけられています。雪がさ、軍手、寒い冬には必要です。でもいっしょにかけられていたキツネの毛皮、それはキコのおじいさん自慢のイチョウの色をしているように見えました。

とたんにキコはひざから震えだしました。

こわくてこわくてわっと叫び出しそうになりました。

でも叫びたいのをぐっとこらえてかむりをしっかりとかぶり直しました。

おばあさんはまだキコのことを村のこどもだと思っています。

実はキコはまだ変身が得意ではなく、お母さんやお父さん、お兄さんのように葉っぱなしでは出来ないのでした。だからかむりをかぶって、頭にのせたままの葉っぱを隠してここまで来たのでした。

キコはこれは大変なところに来てしまったと思って、焦って手と足を確かめました。
毛が生えていない、人間のこどもの手をしています。小さな長靴を履いた足です。

ほっとしたキコは玄関にみずがめが置いてあるのを見つけて顔も確かめることにしました。

覗くと暗い色をして、キコの顔が映ります。
人間のこどもの顔に見えました。ちょっと鼻がつんとしすぎていますが、大丈夫でしょう。

これで安心、とキコはもとにいた板の間に戻ろうとしました。

そこではっとします。

お尻に手をあてました。ふわっとした手触りのあたたかいものがついています。

今度こそキコはわっと叫んでしまいました。

叫んだと同時に、この家のほんの近くからばあんっという、キコが雷よりもおそろしく思っている音が鳴りました。鉄砲の音です。猟師がこの近くにいるのです。

裏のおばあさんのはさみの音が止みました。

キコは張り裂けてしまうんじゃあないかというくらい胸が痛み始めました。

おばあさんはしっぽのついたキコの驚いた叫び声を聞いたでしょうか。
それとも猟師の銃声に気を取られて手を止めただけでしょうか。

そこへ次第に近づく足音があります。裏庭の方です。

「やあ、おばあさん。このあたりでこぎつねを見かけなかったかね。今しがた撃ったと思ったら姿が見えないのだ」
「こぎつねかい」

キコは気が気ではありません。もうここにはいられないと思って、忍び足で戸に手を伸ばしました。

「さあ、見ていないね。あちらへ逃げたんじゃあないか」
「ううん、そうか。ではあちらへも行ってみよう。おばあさん、ありがとう」
「ごくろうさん」

猟師は行ってしまったようでした。
遠ざかる足音が聞こえて来ます。

さてこれからおばあさんはキコをどうするのでしょうか。

おばあさんが縁側に上がるかけ声が聞こえました。
ナナカマドは切り終ったのでしょうか。

キコは困り果てました。戸を飛び出すきっかけを見失って、ただただおばあさんが近づいてくる気配に怯えて立ちすくみました。キコのおじいさんに似たイチョウ色の自分の尻尾が総毛立っているのが分かります。

おばあさんはあの毛皮のキツネをそこにある鉄砲で撃ったのでしょうか。あの毛皮はもしかしたらキコのおじいさんなのかもしれません。キコは自分のおじいさんについてはよく聞かされていませんでしたのでそうにちがいないと思い込みました。

「おやまあ、そんなところへ突っ立ってどうしたんだい」

ああ、おばあさんが帰ってきました。手には枝いっぱいに実をこぼさんとつけたナナカマドを持っています。

「猟師さんはあちらへ行っちまったよ。心配いらないさ。まだそこいらへいるかもしれない。もう少しここにいた方がいいか」

やっぱりおばあさんはキコの毛皮を独り占めしようとしてそう言っているに違いありません。それとも冬支度のために小さなキコを燻製にしてしまうのでしょうか。

「おや、なにをそんなに怯えているんだい。ああ、わかったぞ」

おばあさんはなにがおかしかったのか、また笑い出しました。
キコはその大きな笑い声も歯の少ない口も恐ろしくてたまりません。総毛立っていた尻尾はもう丸く小さくたたんで、長靴だった足は、キコの黒い足に戻ってしまいました。
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