団地狂詩曲

紅粉 藍

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第一章 5号棟505号室

4―ミヤ、輝夜竹誓との會合とゴッちゃんとの開戦

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「誰、アンタ?」
 また変な奴に声を掛けられたな。ミヤはそう思った。
 チョウが金を借りてそのままトンだ、とかいう用件だろうか。それとも自家用車にドツかれたから修理費を払えとか、夜の店で暴れたから賠償金とかーー?
 嫌な想像ばかりぐるぐると脳裏に過るが、女はそんなミヤの頭の中が読めるかのように、にこりと微笑んだ。
「本日の早朝から、貴方はマツリの参加者として認められました。グラウンドで対戦者の宇和島吾太郎うわじま ごたろうさんがお待ちですよ」
 コイツ、変な奴だ――!
「アンタは……マジで何?」
「あら、失礼いたしました。まずは名乗らなければ」
 そこじゃない。そうじゃないんだけど、とミヤはまた顔にそれを出す。
「うっふふ! そう怖い顔されないで。私、輝夜竹誓かぐや たけちかと申します」
「はあ……アンタが二年D組の転校生の?」
「はい。調 仁人つきのみや じんとさんにお会いするため、はるばるこの地へやって来たのです。ようやくお話ができて、私は嬉しいです……!」
 目を細め、頬を染める竹誓。嬉しい、と言ったことは本心のように見える。
 しかし、腑に落ちない点がたくさんありすぎた。怪しい人間は瞳の奥に蓋をしたような目をしているものだ。ミヤは竹誓の方へ歩み寄った。
「で、俺に何の用なんだよ? ゴッちゃんからの呼び出しなら、俺は行かねえからな」
「はわわわ……っ」
「はわ?」
 覗き込んだ竹誓の瞳には、怪訝な顔をした自分が映っている。
 その自分と眼があったところで、竹誓の顔は伏せられてしまった。
「あ、貴方はっ……とてもお強いと聞いております。そこで、是非此度このたびのマツリでお力を拝見したいと、参った次第です」
「さっきからアンタが言ってるその祭りっつーの、団地祭の事を言ってる? 団地祭ならやるのは夏だぞ。それに神輿は子ども神輿しか無ェから、俺はそれに参加しない」
 調子が掴めない。
 ミヤは自分の勘が外れたことがあまりないのを自覚していた。きな臭い事には特に鼻が利く。だが竹誓を観察しても、何も見えてこなかった。
 竹誓が武闘派でないことは見た目と纏っている雰囲気で分かる。直接ミヤにやきを入れに来たタイプの輩とは明らかに違っていた。
 それでも、これからロクでもないことに巻き込まれそうな、ヒリついた感覚が背中を撫でているのだ。
「……ん? 早朝からって言ったか?」
 ロクでもないことで思い出した。
 ゴッちゃんやゲッツのバタバタや、バイトのことで忘れていたが、今朝の不思議な――否、怪奇的と言っていい出来事に遭遇していたのだった。
「いやでもな……」
 あんな趣味の悪い白昼夢が、なぜこの見知らぬ初対面の女に知られているのか。
 そんなはずはないとミヤは首を振った。
「そう、お気づきの通りですわ。あれはカミからのマツリへの招待です」
「は?」
 やはりこの女、頭がおかしいようだ。
 というか、他人の考えていることがまるで読めているような言動。気味が悪い。
「けれども、貴方はカミからの招待を突っぱねるような真似をされましたね」
「さっきから、アンタは何を言ってるんだ? カミだの何だの。団地祭は夏だって。今はまだ五月だし、俺は」
「まだご理解いただけていないようですね。調仁人さん。貴方は千載一遇の、どんな願望も叶えることができる、バトルロワイヤルに招待されたのですよ」
「どんな願望も……? バトルロワイヤル?」
 噛んでも噛んでも飲み込めない情報に、眉をひそめることしか出来ない。
「ええ。カミの招待を突っぱねた、と申しましたが、しかしながらこのマツリは既に敢行されています。本来なら、開かれた扉の向こう側を覗き見ることで、自身の望みをカミと共に再確認ができます。ですが、貴方はカミからの祝福を受け入れようとしませんでした。それにより、叶える願いを御自分のみで戦いながら探り当てなければなりません。参加者であることは取り消すことは出来ないのです。――もう、貴方のマツリは始まっているのですよ」
「どんな願いも叶うって……そんなウマい話があるわけねえだろうが。新興宗教か? それなら誰だって億万長者になれちまうじゃねえか」
 荒唐無稽だ。竹誓の話を鼻で笑った。
 もしどんな願いでも叶うというのなら、そうすればこのバイト詰めの生活からもサヨナラできる。
「そんなよくわかんねえ話をしに、わざわざ俺に会いに来たのか? 俺は暇じゃない。こんな時間でも時給は発生してるし、遠くから来たらしいけど悪いな。俺バイト戻るから」
 バカバカしい。バカバカしいが、もし宝くじがあたったら――そんなことを夢想して現実に引き戻されるような嫌気がある。
 それにこの女は事も有ろうに汗水たらしている真っ最中の自分に、甘言を投げつけてきた。まるでコケにしている。歯を喰いしばって来た日々を全く知らないクセに。
 ミヤはエプロンの紐を必要以上に強く引いて締め直した。
 舌打ちしようと口を開いたところだった。騒々しいバイクの音がこちらへ向かってくるのが聞こえた。
 この音は聞き間違えようがない。改造された重低音のマフラー。大型のバイクに乗っているのはゴッちゃんだ。
「調仁人さん、対戦相手が」
「いちいちフルネームで呼ぶな鬱陶しい」
「そ、それって下の名前呼びでも良いってことで……? はわわっ」
 音を立てて到着した想像通りのサングラス男を仕方なく出迎えてやる。
「よお、ゴッちゃん。グラウンドのパトロールは済んだのか?」
 ミヤの一声を聞くや否や、ドスドスと音がしそうな大股でゴッちゃんが詰め寄った。
「オイゴラァッ!! 果し状の通りに来ねえかっ、舐めやがって……ッ!」
「この通りバイトの先約があるから行けなかったんだよ」
 ミヤは身につけているエプロンの、スーパーヨットケのロゴを見せた。
「ハァ? 逃げる言い訳にしちゃ女々しすぎるなミヤ」
「いやいや、本当に働いてるんだって。俺が惣菜のキャベツ切ってんだぜ。あ、ゴッちゃんはママンのごはんしか食べないから知らねえか」
 わかりやすい煽りを入れ嗤う。そうすると大抵、激昂して殴りかかってくる。そういうオモチャだとミヤは認識していた。
 しかし、今日はそうはならなかった。
 おかしいな。ミヤは訝しがりながらゴッちゃんを眺める。かかってこないならそれはそれでいいが。
「……今日こそ、俺とお前――どっちがここいらで一番強いか決着をつけに来た」
「あーそう」
 いやに神妙な顔つきのゴッちゃんだ。
「今日って、まだあと八時間くらいあるじゃん? あとでいい?」
 揚げ足をとって戦意を喪失させる作戦。いつもの流れに持っていって有耶無耶に帰ってもらいたい。
「いや、今だ」
「なんで?」
 しかし今日に限ってゴッちゃんはまったく引かなかった。
「俺の心が今だと言っている」
「意味がわかりませんが……?」
「とにかく、俺と戦えミヤ!!!! どちらかが倒れ果てるまでッ!!!!」
「ちょ、ちょいちょい……ッ!?」
 開戦は突然だった。
 ちょっとしたコンクリートの塊のような、どデカい拳がミヤの耳横を掠めた。風を切る音がする。
「マジで待てよ! 今はバイト中なんだって! 休憩中でもないし」
「男なら始まってから四の五の言うな!!」
「お前が勝手に始めたんだろが! フザケンナっ!」
 ぶぅんっ、と逆側の空気が裂ける。それもミヤは難なく避けた。
 だがこれ以上後ろには下がれない。下がればヨットケの事務所に通じる路地に入ってしまう。そこで騒げば最悪クビだろう。
「おいコラ、人の話を聞け!」
 上段蹴り。
 ゴッちゃんの方が体格はイイ。ミヤのような天性のケンカ勘のようなものは無いが、一発一発が重たいのだ。
「ぐ……っ」
「ほらぁッやり返して来いミヤぁ!!!!」
 丸太で殴られたような衝撃を片腕で防御する。
 よく勘違いされるが、団地最強と呼ばれるミヤでも痛みはある。ケガもするし血も流す。
「……やりやがったなコンニャロ……!」
 筋肉の軋みを感じながら、ミヤは耳の裏側がぞわりぞわりと鳥肌が立つような感覚を抑えきれない。
 蹴りを受けた左手とは逆の半身が「動き出せ!」と叫んでいるのを聞いた。
「でもバイト中なんだよなあ」
 ぐっ、と握る右拳。殴るためではなく、震えを鎮めるために。
「オラァッ!!!!」
 ハンマーのような、強烈な踵落とし。上体を反らして回避する。そこを追尾するように、前方へ跳ね上げた膝蹴り。
 怒涛の攻めを見せるゴッちゃんだが、先ほどの蹴り以外はすべて当たっていない。
「クソッ! ミヤのクソッたれがッ!!」
「何で俺がクソッたれになんだよ、当てて来いよ」
 ミヤがすんでのところで回避している。ゴッちゃんの動きを見切っているのだ。
「……余裕こきやがって、昔からそういう舐めた態度が気に入らねえんだよ! 俺の方が先輩なんだぞ? 敬意を払えよ」
「ハハ、敬意を払うっていうのはお互いに尊敬の気持ちがなきゃ成り立たねえんだぜ、ゴッちゃん?」
「クソがクソがクソがクソがクソがぁッ!!!!! 本当にムカつかせる奴だ……!!」
 ミヤはとりあえず事務所から自分たちの位置が遠のいたことにホッとしていた。こんなにつまらないことで職場を失いたくない。
 ミヤに、というより地面に悪態を吐き続けているゴッちゃんは、顔を真っ赤に地面を蹴り、怒鳴り散らしている。さながら暴れ牛だ。
「昨日はサスペンションをパクられたし」
「……それは俺じゃないな」
「バイクの前は、自転車のベルとサドルをパクられた」
「それも違うわ」
「中坊の時はコレクションのスニーカーを下駄箱から」
「それはそんな高価な物学校に履いてくるゴッちゃんにも非があるぞ?」
「その時のカノジョには何故か結局フラレた」
「知らん知らん」
 ギッと音がしそうなほどにゴッちゃんはミヤを睨みつける。
「それよりも前から、ミヤには血反吐かせてやると思っていたんだ……」
「だから俺じゃないって! ゲッツが」
「いーや! 俺は覚えてる。あれは小坊の頃」
「はあ……遡るなァ」



 ――あれは俺が小坊で、まだまだ低学年の頃だ。
 あの頃の俺は純粋なガキで、優等生って奴だった。だからかよわい女の子が泣けば、泣かした奴をとっちめる。ごめんなさい、とそいつが同じく涙を流すまで許さない。それがガキの時分の俺の正義だった。
「うわあああああああああああああああん……っ」
 今日も今日とて正義のパトロールは始まった。
 女の子の泣き声がする公園の砂場の方へ、仲間たちとスケートボードを滑らせて出動だ。
「あ! あそこ!」
 仲間の一人が指さすそこには、パステルピンクの花柄ワンピースを着た女の子が。その頃の俺達の所謂いわゆるマドンナが小さな手で顔を覆って泣いていた。
 そしてその隣には、垂れそうな鼻水を袖で拭いている少年。
「またアイツかよ」
 ダボダボのトレーナーに汚れた短パン、ボロボロで底の擦り切れたスニーカーを履いた、見るからに問題を起こしそうな目付きをしている奴――ミヤがいた。
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