小悪魔からの手紙

はな夜見

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第一章 失くした鍵

第八節

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「どうでした? 何かわかりました?」

 家に帰ってすぐ、ムムとそれから娘たちが家で何かしでかしていないと分かったモミジはほっとしながら、ムムに向き直った。ムムにはその行動が理解できない。


「えぇ、まぁ。思っていた通りの収穫はありましたよ」
 興味深そうに聞き入るモミジの好奇心を遮るように、ムムはその顔をしかめた。「ただ決定的なものは、何も」


「そうですか。……あ、いえ! 決して期待していないとかそういうことではないですから。すみません、愛想があまりないので」
「よく知っていますよ」

 そう言ってムムは笑う。赤い瞳に日が差し込んで、綺麗に反射していた。二人の話を盗み聞きしていたマミは、モミジの顔色を見る。安心したような、それでもどこか不安そうな顔つきだ。そんな威厳のない父をマミは見たことがなかった。


「では今日は帰ります。また何か分かればご連絡させていただきますよ」
「えぇ。……そういえば、ふと思い出したことなんですが」
「何か?」

「大したことではないですけど。失踪する数か月前のユズさん、元妻は、私の仕事について熱心に聞いていたように思います。いや、いつも私の身の心配をしてくれていたのですが、とりわけこんな事件だった、とかそう言った説明をせがまれた覚えがあります」モミジは早口でそう言った。

「……そうですね。なるほど、分かりました、覚えておきます」

 ムムは立ち上がると、玄関へと歩き出し、それから玄関先で見送ってくれていたモミジとマミに頭を下げた。





「熱心に聞いていた、ね」

 嘘を言っているようには思えなかった。しかし事実かどうかも怪しい。ユズは本当にモミジの仕事である消防士に興味があったのだろうか? 興味があったふりをしていただけではないだろうか? 何故? 知りたい情報をモミジが持っていたから。またはモミジに取り入ろうとしていたから。その理由とは? そしてもう一つ。モミジの態度にもムムは違和感があった。何故かは分からない。しかし、昨日と今日で違って見える。

「まぁ、これからだ」

 ムムには確信があった。自分の捜索の仕方は何も間違っていないと。証拠と呼べる証拠はすべて掴んだはずだ。あとはどうやってその証拠たちを一筋の糸にしていくかだけ。縦と横、そのすべてを組み合わせて初めて真実へとたどり着くのだ。





 ムムは、まずユズの出生について探ろうと、警察庁へと足を進めた。古くからの知り合いがいるからだ。彼の協力がなければ、これまでムムが携わってきた事件は解決できなかったと言っていい。要するに事件解決に向けての重要な人物なのだ。

「あ、遠州さん。いたいた。調べてほしいことがあってね」

 いつものように椅子に深く腰掛け、長い髪を鬱陶しそうに掻上げながら男はそこにいた。書類とにらめっこをしているところを見るに暇らしい。

「帰れ。ここは迷子保留所じゃねぇ」

 冷たい男の言葉にムムは少しも臆することなく、側にあった椅子に腰かける。ムムの態度にイラつきを露わにする男は、舌打ちをしたのち、ムムの言葉を待った。

「藍沢ユズについての資料が欲しい」
「……理由を言え」

 藍沢ユズという名前を聞いた遠州は少し目を細めた。聞いたことがある。しかしそんな遠州のことなど微塵も興味のないムムは「いいからはやく」と遠州を急かした。


「一市民の情報を渡すとでも思ってるのか?」
「一市民に助けられてばっかりのくせに」


 チッ。遠州は後悔した。こうなるならこんなクソガキに事件の手伝いをさせるんじゃなかった。

 最初は同情だった。大学にも行かずひたすら事件のことを追いかけ続ける不良少女だったムムへの一種の償いのつもりでもあったのだ。彼女が望むことは基本何でも叶えた。殺人事件に連れて行ったこともある。巻き込まれたこともある。

 しかしそれをムムが望むのだ。

 その曇りない眼で遠州に懇願をする。“私は探偵になりたい”のだと。死ぬつもりの少女であったならどれほど簡単だったことか。その眉間に拳銃でも当てて引き金を引いてしまえば子守りはおしまいだ。しかしそんな生易しい覚悟でムムが遠州と関わっていないことは知っていた。そして気が付けば面倒くさい事件の捜査はほぼほぼムムの手柄によって解決してしまっていた。ウィンウィンだと笑う彼女を何度殺してしまえばよかったと思ったかわからない。


 でも彼女はこうして生きている。


 遠州はよっこいせと声をかけ椅子から立ち上がった。椅子が変な音を立てたことも気にせず、江ノ市民のリストがファイリングされているファイルを持ち出す。パラパラとめくって数分。
 見つけた、藍沢ユズ。どこかで聞いたことがあると思えばこの江ノで起きた原因不明の失踪事件の被害者じゃないか。夫が所在を探し回っているからと無駄に枚数のあるポスターを受け取り、江ノ中に貼って回った記憶がある。妻の写真を一切持っていなかった夫を責める気にはならないが、見つからなかった原因はそれだろう。

 結果的に見つかることもなく、人々から忘れられた事件。
 しかし遠州は決して忘れなかったのだ。忘れられなかったとも言える。住民票には屈託のない笑顔を浮かべる十代半ばのユズの写真がある。これはまた、と遠州は目を細めた。写真が一枚もないなどと言いながら、住民票には確かに一枚、写真が存在していたのだから不思議だ。当時の責任者ではなかった遠州の知るところではないが。


 ユズの書類に映っている彼女の微笑みはよく知る誰かに類似していた。そんな心境を気づかれないようにしながらも目的のものをムムの目の前に差し出した。

「……あったぞ。これだろ?」
「助かるよ、いつもいつも」そう言ってムムは微笑んだ。
「じゃあもう二度と来るな」

 投げやりな遠州の言葉にムムは平然と言ってのけた。「それは嫌だ」

「なんでコイツについて調べてる? 確か捜索届が出ていた気がするが……もう何年も前のことだったはずだ」
「それが、旦那さんの元にこの人から手紙が来たんだよ」

 遠州は眉をぴくりと動かした。「手紙?」ムムは遠州にその手紙を手渡す。手紙を怪訝な顔で見る遠州にムムは続けた。

「そ、手紙。だから旦那さんはまた気になり始めたみたいだね。彼女のこと」

 ムムはファイリングされていたデータを見る。生まれはここじゃないらしい。両親は死んでいるし、身内は一人もいないというのは、これだけを見ても真偽が不明だ。モミジと結婚する前はアルバイトをして生活を賄っていたらしいが、しかし、書かれている職だけでは生活できていたはずがない。その事実は誰かとの繋がりを示唆していた。


「ユズさんって、美人に見える?」
 男目線の意見が聞きたいのだろう。遠州は答える。

「美人かどうかは人それぞれだが……まぁ損はしない顔じゃないか?」
「遠州さんのタイプ?」
「は? ……まぁ。嫌いじゃないな」
「主にどこら辺が?」
「俺の感想が必要か? まぁ、簡単に言ってしまえば男が好きそうな清楚な感じの女性だな。一歩下がってくれそうな感じの」

「なるほどね。大体わかってきた」

 ムムはファイルをぱたんと閉じて、遠州に返した。それから、あらかじめ用意していた台詞を言う。



「蘇芳ホテルの電話番号、頂戴」
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