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山吹
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報道番組を観なくなったのはいつの頃からだろう。
記憶の断片を呼び起したところで、私にはその意志も熱意もない。
一欠片の感情は、胸の奥のずっと向こう。
己の手さえ届かない彼方へと葬り去ってしまった。
自発的健忘症とでも言おうか、そんなくだらない病に自ら侵されたのは昔だ。
年月すら忘れたが、頭の中の古びた映写機は再生を止めてはくれない。
くたびれたちいさな映画館。
誰もいない客席には、私だけが存在している。
ひとりにされた世界で、そのフィルムは回り続けている。
カラコロカラ、カラコロカラ。
虚しい音を響かせながら。
ひとの記憶など曖昧なものだ。
都合よく脚色されては塗り替えられていく。
新たに再生された記憶は、年月と共に、いずれは私の肉体からも離れてしまうだろう。
そう願っている。
あの晩、私は麦茶を飲んでいた。
南九州特有の乾き切った暑さに参り、食欲もない夕刻。
時刻は17時を過ぎていた。
妻と始めた和菓子屋は、それなりに盛況で、15年の歳月と互いの皺の数は勲章みたいなものだった。
店舗兼住宅の居間から見える手狭な菜園は、妻と娘の自慢の空間で、私の立ち入る余地などなかった。
その年の、夏祭りに家族で買った風鈴が、細やかな風に乗って澄んだ音色を聴かせてくれた。
山吹色に染まる空、そして蝉しぐれ。
扇風機の羽音と、つけっぱなしのテレビのブラウン管。
季節の移り変わりを告げる赤とんぼが、自慢の菜園で戯れている。
今思えば、あの頃の記憶は幻だったのかも知れない。
艶やかに彩られた私だけの幻影。
山吹色に幾度も再生されてゆく映像は、いつの日も変わらずにいてくれた。
妻が手塩にかけて育てた小ぶりの茄子。
その紫色は、まるでアメシストのように美しかった。
命の息吹を感じさせる、深い緑のズッキーニはエメラルド。
淡くて慎ましい、白緑色のオクラはクリソベリル。
我が家の庭は、かつては至る所に宝石が散りばめられていたのだと、胸が痛む程に回想しては、途方もない闇に突き落とされてしまう。
それでも、私の古びたフィルムは回り続ける。
私はそれを止める術を知らない。
ただただ回る山吹色の情景に、私自身が埋没してゆく。
幻影が過ぎ去った後に残る虚無感。
苦しい。
私は己を殺し続ける。
妻の作る、オクラのお浸しをツマミにビールを飲む。
隣で小学生になったばかりの娘が、私におんぶしてと背中にまとわりついている。
その手は、ちいさいながらも暖かい。
この子は、私と妻の生きている証だ。
甘えん坊の娘を背中に担ぎ上げると、決まって妻に窘められたものだ。
夕暮れ時に店を閉め、一日の収支報告書をまとめて発注を済ませる。
妻の主たる業務はその後の家事へと続いた。
私は、朝早くからの仕込みから製造。機器や備品のメンテナンス。
清掃作業もひとりでこなした。
二人三脚の店舗経営は安泰ではなくても、家族は納得し、そして充実していた。
断続的なフィルムと、空回りする幻影。
『想い出』なのだ。
全ては私の大切な想い出。
山吹。
記憶の断片を呼び起したところで、私にはその意志も熱意もない。
一欠片の感情は、胸の奥のずっと向こう。
己の手さえ届かない彼方へと葬り去ってしまった。
自発的健忘症とでも言おうか、そんなくだらない病に自ら侵されたのは昔だ。
年月すら忘れたが、頭の中の古びた映写機は再生を止めてはくれない。
くたびれたちいさな映画館。
誰もいない客席には、私だけが存在している。
ひとりにされた世界で、そのフィルムは回り続けている。
カラコロカラ、カラコロカラ。
虚しい音を響かせながら。
ひとの記憶など曖昧なものだ。
都合よく脚色されては塗り替えられていく。
新たに再生された記憶は、年月と共に、いずれは私の肉体からも離れてしまうだろう。
そう願っている。
あの晩、私は麦茶を飲んでいた。
南九州特有の乾き切った暑さに参り、食欲もない夕刻。
時刻は17時を過ぎていた。
妻と始めた和菓子屋は、それなりに盛況で、15年の歳月と互いの皺の数は勲章みたいなものだった。
店舗兼住宅の居間から見える手狭な菜園は、妻と娘の自慢の空間で、私の立ち入る余地などなかった。
その年の、夏祭りに家族で買った風鈴が、細やかな風に乗って澄んだ音色を聴かせてくれた。
山吹色に染まる空、そして蝉しぐれ。
扇風機の羽音と、つけっぱなしのテレビのブラウン管。
季節の移り変わりを告げる赤とんぼが、自慢の菜園で戯れている。
今思えば、あの頃の記憶は幻だったのかも知れない。
艶やかに彩られた私だけの幻影。
山吹色に幾度も再生されてゆく映像は、いつの日も変わらずにいてくれた。
妻が手塩にかけて育てた小ぶりの茄子。
その紫色は、まるでアメシストのように美しかった。
命の息吹を感じさせる、深い緑のズッキーニはエメラルド。
淡くて慎ましい、白緑色のオクラはクリソベリル。
我が家の庭は、かつては至る所に宝石が散りばめられていたのだと、胸が痛む程に回想しては、途方もない闇に突き落とされてしまう。
それでも、私の古びたフィルムは回り続ける。
私はそれを止める術を知らない。
ただただ回る山吹色の情景に、私自身が埋没してゆく。
幻影が過ぎ去った後に残る虚無感。
苦しい。
私は己を殺し続ける。
妻の作る、オクラのお浸しをツマミにビールを飲む。
隣で小学生になったばかりの娘が、私におんぶしてと背中にまとわりついている。
その手は、ちいさいながらも暖かい。
この子は、私と妻の生きている証だ。
甘えん坊の娘を背中に担ぎ上げると、決まって妻に窘められたものだ。
夕暮れ時に店を閉め、一日の収支報告書をまとめて発注を済ませる。
妻の主たる業務はその後の家事へと続いた。
私は、朝早くからの仕込みから製造。機器や備品のメンテナンス。
清掃作業もひとりでこなした。
二人三脚の店舗経営は安泰ではなくても、家族は納得し、そして充実していた。
断続的なフィルムと、空回りする幻影。
『想い出』なのだ。
全ては私の大切な想い出。
山吹。
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