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羅針盤
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帝北神経サナトリウムの院長である沢口は、自分だけが取り残されている不安に、時折苛まれることがあった。それもこれも、全ての元凶は目の前にいる瀬戸際大楽というとぼけた医者のせいで、彼の前で平静を装うのは至難の業だった。
そこそこの風貌、そして知名度、つまらない二世院長よりも絶大な人気が瀬戸際にはあった。嫉妬心はいつの頃からか疑惑に変わった。
こいつはもしかしたら院長の座を狙って、虎視眈々と会長である親父とコンタクトを取っているのではないのか。ひょっとしたら、院長である俺を陥れる何かを企てているのかも知れない。この飄々とした言いよう。何を考えているか理解不能な目つき。それは自信の表れなのか、それともただの・・・。
瀬戸際の表情が一瞬緩んだように見てとれた。
沢口は、その顔が苦手だった。
心根を見透かされている気がする。
早めに話を切り上げようにも、怒りを抑える為にグッと奥歯を噛むのが精一杯で。
「お前さんは何を考えているんだ!? え!? こんなのがマスコミに知れたら大ごとだぞ! 私も、もちろん君も! 首がすっ飛ぶどころじゃない、分かっているのかね!? どうなんだ!?」
「ええ、申し訳ありません」
「ええじゃないよ。他人事だないつもいつも。あれ、ボイスレコーダーだって無くしたって言ってんだろ? 肝腎要じゃないのかね。そもそも研修医なんだろう知念ってのはさ、それになんでここにいないんだ!」
「ええ、あの、体調がすぐれないらしくて、申し訳ありません、代わりに私が・・・」
「ったく・・・謝るだけだから君は楽なもんだよ! 私はね、いっつもお前さんの尻拭い・・・とまでは言わんが」
沢口はそこまで言いかけて、先の言葉を自制した。
「とにかくだ、記事にはしてくれるなと、私からよく言っておいたんだ! 文明現代の桂ってライターいただろ。ずっと鮫島を追いかけてんだよ。ま、あそこの名誉会長とは長年の付き合いだからなんとでもなるが、こっちはこっちで大変なんだ」
「お父様ですか?よろしくお伝えください!」
「会長だ、公私混同はよしたまえ!」
ぬけぬけと言ってのける瀬戸際の厚かましさに呆れながら。
「いいか、なにか思い違いをしているようだからこの場でハッキリ言っておくけど、会長に気に入られようが人事には一切関係ないんだぞ、昔とは違うんだよ。昔の古い体質とはね! 特に此処は厚労省も絡んでいる。わかる? 理解している? タレント医師にだ・・・いや、言葉が過ぎたな、しかしだね、まあ今回のスキャンダルはダメだ! 鮫島と知念だっけ? なんだ・・・あの・・・いかがわしい行為を公共の場でやってたって言うじゃないか。そもそもだ! どうして患者を許可もなく外へ連れ出したんだ。鮫島結城はだね、まだ完全に疑いが晴れた身ではないんだぞ! それなのに君は・・・」
と言うと、沢口はふらつきながらソファーへもたれかかり、胸ポケットから漢方薬の錠剤を取り出して口に含んだ。
水を差しだす瀬戸際に礼を言って飲み干すと、途端にこれまでの話が馬鹿馬鹿しくなって。
「今日はもういいから、下がっていいよ」
「血圧・・・」
「ああ!?」
「心臓ですかね・・・ちゃんと見てもらわないと」
「言われんでもわかってるよ。シッシッ! 出てってくれたまえ、余計に眩暈がする」
「お大事に」
「君もな!」
部屋を後にする瀬戸際を見送ると。沢口は達磨のようにソファーへ寝転んで、LEDに代えたばかりの蛍光灯を見つめながら。
「医者の不養生ってやつだよ。それが何か!?」
と、呟くと、不意に可笑しさが込み上げて声をあげて笑った。
長い廊下を歩きながら、瀬戸際は何度も自分のスマホを見返していた。
知念からの連絡はなく、既読もつかないでいる。
鮫島結城の交代人格、とりわけ、三宅リヨツグの心を解放する試みは失策となった訳だが、知念と彼との密接な関係は、今後において役に立つと瀬戸際は考えていた。事実、リヨツグは知念の処遇を気にかけていたし、己の行動を深く反省してはいたが、衝動を抑えきれず及んでしまったわいせつ行為を語ることはなかった。
しかし、一連の行動で瀬戸際の疑念は確信へと変わった。
KYO-JIなる俳優と恋仲だったリヨツグは、彼の死後、ホームレス同然の生活を送っていた。自暴自棄になり、盗みを働こうと入った店で、かつての同棲相手・野田秀美と運命的な再会を果たすのだが、瀬戸際はそこに着目していた。
人格交代が皆無だった時期、リヨツグの中にも別人格が覚醒し始めていたのではないか? 即ち人格の中に別人格が潜み、三宅リヨツグもまた、解離性同一症という病に苦しんでいたのである。
よって、性衝動の記憶は欠落し、ひとりの成人男性の肉体に主人格となる鮫島結城と、交代人格で解離性同一症の三宅リヨツグ、カシイアヤメ、トニー、メデューサ、そして私と名乗る人物たちが混在する摩訶不思議な状況、迷走地帯を創り上げてしまった。
瀬戸際は、ふふんと笑って不織布マスクをあてがって。
「医者の不養生か・・・」
そう小さく呟くと、今夜配信予定の瀬戸際チャンネルの演説を、頭の中で繰り返した。聴衆に分かりやすく、魅力的な文章で。
「ー言わば即ち、思考の開き直りと私は呼んでいます。交代人格とは、自らの肉体を持たない個人であって、双極性障害や統合失調症、または認知症にだってなり得ます。しかしながら脳は一つであって、健康体の人格の思考や感情について、唯一無二であるブレインがどのような・・・(いや、いきなりブレインってのはカッコつけだな。脳で行こうか・・・)唯一無二である脳が、どういった状態であるのか、研究は道半ばであります! 脳科学者の蜷川信君、脳神経外科医の小林篤美君、心療内科医の堤泰子君らと共に、ここに研究チームを新たに発足させようと思います。それほど重大な事象なのです!」
かしこ。
そこそこの風貌、そして知名度、つまらない二世院長よりも絶大な人気が瀬戸際にはあった。嫉妬心はいつの頃からか疑惑に変わった。
こいつはもしかしたら院長の座を狙って、虎視眈々と会長である親父とコンタクトを取っているのではないのか。ひょっとしたら、院長である俺を陥れる何かを企てているのかも知れない。この飄々とした言いよう。何を考えているか理解不能な目つき。それは自信の表れなのか、それともただの・・・。
瀬戸際の表情が一瞬緩んだように見てとれた。
沢口は、その顔が苦手だった。
心根を見透かされている気がする。
早めに話を切り上げようにも、怒りを抑える為にグッと奥歯を噛むのが精一杯で。
「お前さんは何を考えているんだ!? え!? こんなのがマスコミに知れたら大ごとだぞ! 私も、もちろん君も! 首がすっ飛ぶどころじゃない、分かっているのかね!? どうなんだ!?」
「ええ、申し訳ありません」
「ええじゃないよ。他人事だないつもいつも。あれ、ボイスレコーダーだって無くしたって言ってんだろ? 肝腎要じゃないのかね。そもそも研修医なんだろう知念ってのはさ、それになんでここにいないんだ!」
「ええ、あの、体調がすぐれないらしくて、申し訳ありません、代わりに私が・・・」
「ったく・・・謝るだけだから君は楽なもんだよ! 私はね、いっつもお前さんの尻拭い・・・とまでは言わんが」
沢口はそこまで言いかけて、先の言葉を自制した。
「とにかくだ、記事にはしてくれるなと、私からよく言っておいたんだ! 文明現代の桂ってライターいただろ。ずっと鮫島を追いかけてんだよ。ま、あそこの名誉会長とは長年の付き合いだからなんとでもなるが、こっちはこっちで大変なんだ」
「お父様ですか?よろしくお伝えください!」
「会長だ、公私混同はよしたまえ!」
ぬけぬけと言ってのける瀬戸際の厚かましさに呆れながら。
「いいか、なにか思い違いをしているようだからこの場でハッキリ言っておくけど、会長に気に入られようが人事には一切関係ないんだぞ、昔とは違うんだよ。昔の古い体質とはね! 特に此処は厚労省も絡んでいる。わかる? 理解している? タレント医師にだ・・・いや、言葉が過ぎたな、しかしだね、まあ今回のスキャンダルはダメだ! 鮫島と知念だっけ? なんだ・・・あの・・・いかがわしい行為を公共の場でやってたって言うじゃないか。そもそもだ! どうして患者を許可もなく外へ連れ出したんだ。鮫島結城はだね、まだ完全に疑いが晴れた身ではないんだぞ! それなのに君は・・・」
と言うと、沢口はふらつきながらソファーへもたれかかり、胸ポケットから漢方薬の錠剤を取り出して口に含んだ。
水を差しだす瀬戸際に礼を言って飲み干すと、途端にこれまでの話が馬鹿馬鹿しくなって。
「今日はもういいから、下がっていいよ」
「血圧・・・」
「ああ!?」
「心臓ですかね・・・ちゃんと見てもらわないと」
「言われんでもわかってるよ。シッシッ! 出てってくれたまえ、余計に眩暈がする」
「お大事に」
「君もな!」
部屋を後にする瀬戸際を見送ると。沢口は達磨のようにソファーへ寝転んで、LEDに代えたばかりの蛍光灯を見つめながら。
「医者の不養生ってやつだよ。それが何か!?」
と、呟くと、不意に可笑しさが込み上げて声をあげて笑った。
長い廊下を歩きながら、瀬戸際は何度も自分のスマホを見返していた。
知念からの連絡はなく、既読もつかないでいる。
鮫島結城の交代人格、とりわけ、三宅リヨツグの心を解放する試みは失策となった訳だが、知念と彼との密接な関係は、今後において役に立つと瀬戸際は考えていた。事実、リヨツグは知念の処遇を気にかけていたし、己の行動を深く反省してはいたが、衝動を抑えきれず及んでしまったわいせつ行為を語ることはなかった。
しかし、一連の行動で瀬戸際の疑念は確信へと変わった。
KYO-JIなる俳優と恋仲だったリヨツグは、彼の死後、ホームレス同然の生活を送っていた。自暴自棄になり、盗みを働こうと入った店で、かつての同棲相手・野田秀美と運命的な再会を果たすのだが、瀬戸際はそこに着目していた。
人格交代が皆無だった時期、リヨツグの中にも別人格が覚醒し始めていたのではないか? 即ち人格の中に別人格が潜み、三宅リヨツグもまた、解離性同一症という病に苦しんでいたのである。
よって、性衝動の記憶は欠落し、ひとりの成人男性の肉体に主人格となる鮫島結城と、交代人格で解離性同一症の三宅リヨツグ、カシイアヤメ、トニー、メデューサ、そして私と名乗る人物たちが混在する摩訶不思議な状況、迷走地帯を創り上げてしまった。
瀬戸際は、ふふんと笑って不織布マスクをあてがって。
「医者の不養生か・・・」
そう小さく呟くと、今夜配信予定の瀬戸際チャンネルの演説を、頭の中で繰り返した。聴衆に分かりやすく、魅力的な文章で。
「ー言わば即ち、思考の開き直りと私は呼んでいます。交代人格とは、自らの肉体を持たない個人であって、双極性障害や統合失調症、または認知症にだってなり得ます。しかしながら脳は一つであって、健康体の人格の思考や感情について、唯一無二であるブレインがどのような・・・(いや、いきなりブレインってのはカッコつけだな。脳で行こうか・・・)唯一無二である脳が、どういった状態であるのか、研究は道半ばであります! 脳科学者の蜷川信君、脳神経外科医の小林篤美君、心療内科医の堤泰子君らと共に、ここに研究チームを新たに発足させようと思います。それほど重大な事象なのです!」
かしこ。
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