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向き合う
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帝北サナトリウム病院を訪れた人間が驚愕する光景が、閉鎖病棟内の保護室だった。
これまでの精神科病棟の保護室(隔離室)といえは、壁はモスグリーンやホワイトの単一色で、小さな摺りガラスの格子の付いた窓や、床に穴が空いただけの和式便所、そして鉄格子と狭い廊下、24時間稼働する監視カメラといったイメージが強かった。
ところが、この場所は違っていた。
過去に得た教訓と、核心的な試みが随所に施されていた。
全保護室の壁は木目調を基本としていて、自死を防ぐ為の丈の低いベットは床に固定されている。
ドアノブのないガラス張りの扉と、梁のない天井も同じ理由で設計されたものだ。
室内奥のトイレは、間仕切りで見えないように配慮もなされてはいるが、万が一を想定して監視カメラは作動している。
大きめの窓は強化ガラスとなっていて、多摩丘陵から望む新宿都心や東京スカイツリーは絶景で、患者はリラックスして過ごせるよう工夫もされていた。
かつての辛気臭い不気味な場所は、ビジネスホテル並みの快適な空間に変わりつつある。その先陣を切ったのが帝北神経サナトリウム病院だった。
瀬戸際は、鮫島結城の部屋の前まで来ると、壁に備え付けられたマイクのスイッチを押して声をかけた。
そして、両手をズボンのポケットに入れたままこうも考えていた。
鉄格子を強化ガラスの扉に替えただけでは、根本的な問題解決にはならないと・・・。
ベットの上にちょこんと座っていた鮫島と、瀬戸際の視線が絡み合った。
先にそらしたのは鮫島だった。
長いまつげが、頬に影をつくっている。
「鮫島さん、ご加減は?」
「・・・」
「すこしは眠れましたか?」
「・・・」
「それではまた」
ずっと爪を噛んでいる鮫島にそう言い残して、瀬戸際は背を向けた。
何事もなかったように振る舞い、関心のない素振りでいるのも、全ては患者からのアプローチを期待しているからであって、鮫島の反応は予想通りだった。
「あ、あの・・・先生」
「はい?」
「あ、あの・・・」
「どうかしましたか?」
口籠る鮫島を見て、瀬戸際は扉の前にしゃがみこんだ。
そしてさらりと言ってのけた。
「あんまり無理しないで、話したい時に私を呼んでください。いつでもという訳にはいきませんが、病院にいる限りは飛んできますよ」
「いや、昨日のこと・・・ごめんなさい」
瀬戸際には解っていた。
目の前の鮫島は自殺未遂を悔いた演技をしている。
謝罪の言葉を述べているのは、担当医の信頼を得ようとしているからであって、自身の犯した行為を反省している訳ではない。
「鮫島さん、謝る必要なんてありませんよ」
「・・・」
「なんにも謝ることはない、現にこうして、存在している。それだけで充分ではありませんか?」
「・・・僕にとっては・・・」
「ん?」
「僕にとっては・・・不名誉なことなんです・・・」
「生きていることがですか?」
「・・・はい」
それまで伏し目がちだった鮫島は、瀬戸際の方を向いた。
「先生・・・どうして死んだらいけないんですか・・・教えてください・・・何故、僕は死んではいけないのですか・・・」
「鮫島さん、私はあなたに、死んではいけないなんて言った覚えはありませんよ。それは選択です。個人の選択です。生きる選択もあれば、死ぬという選択をする人間もいるでしょう。わかりますか?」
「・・・はい・・・なんとなく」
「それでいいんです」
「では、何故こんな部屋に・・・」
「というと?」
「・・・」
「自殺が出来ない部屋に・・・ということかな?」
「そうです・・・」
瀬戸際は、鮫島結城と出会ってからこれまでの約半年間、行動や発言を注意深く観察し、向精神薬や睡眠薬の投与はしなかった。担当する医師によっては、鮫島結城なる患者は、統合失調症かうつ病との診断を下すだろう。
しかし、提供された捜査資料から垣間見えた、曖昧な犯行動機や一貫性のない供述と、詳細な精神医学的面接によって解離性同一性障害と診断した瀬戸際は、現時点で対峙している目の前の人物は別人格であると確信した。
鮫島結城を支配する基本人格は、実に世渡りが上手く社交的で、しかも達者な演技力を身に着けた人格、そして詐病癖のある厄介者と推察していた。
「鮫島さん、人間は簡単に死にます。拳銃や包丁、薬やロープさえあれば実にあっけなく死ぬ」
「けど、ここにはありません・・・」
「いや、舌を噛み切ってしまえば良いんですよ」
「え?」
「舌を噛み切るんです」
「・・・」
「どうしました?」
「そんなんじゃ、死ねないくせに」
「その通り、流石です、しかし、もしかしたら、運良く死ねるかも知れませんよ」
「・・・先生は・・・僕を助けたいのですか? 殺したいのですか・・・?」
「先程も述べたように、それは選択です。自分で決めてしまえばいい」
「・・・」
「私はあなたの選択に、関与はしませんから安心してください。部屋を移動したのは単なる手続き上の問題にすぎません。この病院は、厚生労働省から指定病院の認可を受けている訳ですから、ルールは守らなくてはいけない訳です。鮫島さんならお解りでしょう?」
「・・・死ぬ選択も出来るという事ですか?」
「ええ、鮫島さんが望むならね」
瀬戸際はぴしゃりと語尾を結ぶと、しばらく黙り込んだ。
基本人格に自ら名乗り出てもらう必要があったからだ。想定される6人の交代人格達には各々に役割があって、協調や反発、時に混乱しながら鮫島結城の身体を借りて今日まで生きて来た。言い換えれば、生への執着がそこに見て取れた。
自殺未遂はパフォーマンス。
記者との雑談での幻聴も、精神疾患を装った詐病。
瀬戸際は、それが一番許せなかった。
鮫島はかすかに汗ばんだ額を拭うと、再び爪を噛みながら部屋の中を見回して言った。
「すごいなあ・・・そんなアプローチの仕方は想定外でした。先生は初めから判っていたんですね」
「はい」
「すごいよ先生。けどやっと自由になれた気がします」
「あなたの名前は?」
「三宅リヨツグです。陸に次ぐって書いてリヨツグ、可笑しな名前でしょう? けど気に入っているんです。日本人なのかナニジンなのかわからないから、なんかカッコよくて」
リヨツグは顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
瀬戸際は感謝の表情を向けると。
「名乗り出てくれて嬉しいよ。ありがとう」
と言った。
これまでの精神科病棟の保護室(隔離室)といえは、壁はモスグリーンやホワイトの単一色で、小さな摺りガラスの格子の付いた窓や、床に穴が空いただけの和式便所、そして鉄格子と狭い廊下、24時間稼働する監視カメラといったイメージが強かった。
ところが、この場所は違っていた。
過去に得た教訓と、核心的な試みが随所に施されていた。
全保護室の壁は木目調を基本としていて、自死を防ぐ為の丈の低いベットは床に固定されている。
ドアノブのないガラス張りの扉と、梁のない天井も同じ理由で設計されたものだ。
室内奥のトイレは、間仕切りで見えないように配慮もなされてはいるが、万が一を想定して監視カメラは作動している。
大きめの窓は強化ガラスとなっていて、多摩丘陵から望む新宿都心や東京スカイツリーは絶景で、患者はリラックスして過ごせるよう工夫もされていた。
かつての辛気臭い不気味な場所は、ビジネスホテル並みの快適な空間に変わりつつある。その先陣を切ったのが帝北神経サナトリウム病院だった。
瀬戸際は、鮫島結城の部屋の前まで来ると、壁に備え付けられたマイクのスイッチを押して声をかけた。
そして、両手をズボンのポケットに入れたままこうも考えていた。
鉄格子を強化ガラスの扉に替えただけでは、根本的な問題解決にはならないと・・・。
ベットの上にちょこんと座っていた鮫島と、瀬戸際の視線が絡み合った。
先にそらしたのは鮫島だった。
長いまつげが、頬に影をつくっている。
「鮫島さん、ご加減は?」
「・・・」
「すこしは眠れましたか?」
「・・・」
「それではまた」
ずっと爪を噛んでいる鮫島にそう言い残して、瀬戸際は背を向けた。
何事もなかったように振る舞い、関心のない素振りでいるのも、全ては患者からのアプローチを期待しているからであって、鮫島の反応は予想通りだった。
「あ、あの・・・先生」
「はい?」
「あ、あの・・・」
「どうかしましたか?」
口籠る鮫島を見て、瀬戸際は扉の前にしゃがみこんだ。
そしてさらりと言ってのけた。
「あんまり無理しないで、話したい時に私を呼んでください。いつでもという訳にはいきませんが、病院にいる限りは飛んできますよ」
「いや、昨日のこと・・・ごめんなさい」
瀬戸際には解っていた。
目の前の鮫島は自殺未遂を悔いた演技をしている。
謝罪の言葉を述べているのは、担当医の信頼を得ようとしているからであって、自身の犯した行為を反省している訳ではない。
「鮫島さん、謝る必要なんてありませんよ」
「・・・」
「なんにも謝ることはない、現にこうして、存在している。それだけで充分ではありませんか?」
「・・・僕にとっては・・・」
「ん?」
「僕にとっては・・・不名誉なことなんです・・・」
「生きていることがですか?」
「・・・はい」
それまで伏し目がちだった鮫島は、瀬戸際の方を向いた。
「先生・・・どうして死んだらいけないんですか・・・教えてください・・・何故、僕は死んではいけないのですか・・・」
「鮫島さん、私はあなたに、死んではいけないなんて言った覚えはありませんよ。それは選択です。個人の選択です。生きる選択もあれば、死ぬという選択をする人間もいるでしょう。わかりますか?」
「・・・はい・・・なんとなく」
「それでいいんです」
「では、何故こんな部屋に・・・」
「というと?」
「・・・」
「自殺が出来ない部屋に・・・ということかな?」
「そうです・・・」
瀬戸際は、鮫島結城と出会ってからこれまでの約半年間、行動や発言を注意深く観察し、向精神薬や睡眠薬の投与はしなかった。担当する医師によっては、鮫島結城なる患者は、統合失調症かうつ病との診断を下すだろう。
しかし、提供された捜査資料から垣間見えた、曖昧な犯行動機や一貫性のない供述と、詳細な精神医学的面接によって解離性同一性障害と診断した瀬戸際は、現時点で対峙している目の前の人物は別人格であると確信した。
鮫島結城を支配する基本人格は、実に世渡りが上手く社交的で、しかも達者な演技力を身に着けた人格、そして詐病癖のある厄介者と推察していた。
「鮫島さん、人間は簡単に死にます。拳銃や包丁、薬やロープさえあれば実にあっけなく死ぬ」
「けど、ここにはありません・・・」
「いや、舌を噛み切ってしまえば良いんですよ」
「え?」
「舌を噛み切るんです」
「・・・」
「どうしました?」
「そんなんじゃ、死ねないくせに」
「その通り、流石です、しかし、もしかしたら、運良く死ねるかも知れませんよ」
「・・・先生は・・・僕を助けたいのですか? 殺したいのですか・・・?」
「先程も述べたように、それは選択です。自分で決めてしまえばいい」
「・・・」
「私はあなたの選択に、関与はしませんから安心してください。部屋を移動したのは単なる手続き上の問題にすぎません。この病院は、厚生労働省から指定病院の認可を受けている訳ですから、ルールは守らなくてはいけない訳です。鮫島さんならお解りでしょう?」
「・・・死ぬ選択も出来るという事ですか?」
「ええ、鮫島さんが望むならね」
瀬戸際はぴしゃりと語尾を結ぶと、しばらく黙り込んだ。
基本人格に自ら名乗り出てもらう必要があったからだ。想定される6人の交代人格達には各々に役割があって、協調や反発、時に混乱しながら鮫島結城の身体を借りて今日まで生きて来た。言い換えれば、生への執着がそこに見て取れた。
自殺未遂はパフォーマンス。
記者との雑談での幻聴も、精神疾患を装った詐病。
瀬戸際は、それが一番許せなかった。
鮫島はかすかに汗ばんだ額を拭うと、再び爪を噛みながら部屋の中を見回して言った。
「すごいなあ・・・そんなアプローチの仕方は想定外でした。先生は初めから判っていたんですね」
「はい」
「すごいよ先生。けどやっと自由になれた気がします」
「あなたの名前は?」
「三宅リヨツグです。陸に次ぐって書いてリヨツグ、可笑しな名前でしょう? けど気に入っているんです。日本人なのかナニジンなのかわからないから、なんかカッコよくて」
リヨツグは顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
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