むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ。

緑谷めい

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【後日談】 その1

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 ジオルドが4歳の誕生日を迎えて暫く経った頃、私は再び妊娠した。

 主治医は固い表情で
「ご懐妊でございます」
 と私に告げた。え? なんでそんな表情なの?
「あの、何か異常でも?」
 恐る恐る私が問うと、主治医はハッとしたように言った。
「いいえ、そのような事はございません。申し訳ありません。おめでたいことでございますのに、ついその……前回のご懐妊の時のことを思い出してしまいまして……」
 あー、なるほど。
「あの時は、私、本当にひどい状態でしたものね。でも今回は2度目ですし、それにハロルド殿下との関係もあの時とは違いますから、大丈夫だと思うのです」
  主治医は私の言葉に頷きながら言う。
「そうですな。ハロルド殿下は妃殿下をとても大事になさって、ジオルド様のことも大層可愛がっておられるとか。王宮でも皆がよく噂しておるようでございます。女性陣の間ではハロルド殿下は『理想の旦那様』と言われているとか」

 その噂、私も聞きましたわ。6年前には私をかばったせいで「暴力王子」「最低王子」と悪評が立ってしまったハロルド様。けれどジオルドが産まれてからというもの、社交界や王宮でのハロルド様の評判は、すっかり好意的なものに変わっているのだ。
 私やジオルドに接するハロルド様の様子を見た方(特に女性)は、
「あんなに優しい旦那様はそうそういらっしゃいませんわよ。カトリーヌ様が羨ましいですわ」
「ジオルド様をあんなに可愛がられて、素敵なパパですわね」
「陛下も王太子殿下も側妃や愛妾を何人もお持ちなのに、ハロルド殿下だけはカトリーヌ様一筋でいらっしゃるなんて愛ですわね! 愛! 素晴らしいですわ!」
 と、こちらがやや引くくらい、ハロルド様を褒めてくださるのだ。もちろん、そう言われて私も悪い気はしない。
 実際に、ハロルド様はいつも私に優しくて、驚くほど子煩悩だ。少年の頃あんなに意固地で意地悪だったのが嘘のよう。結婚して5年になるのに、今も毎日「カトリーヌ、愛してる」と囁いてキスをしてくるハロルド様……ふふふ……本当に今のハロルド様は「理想の旦那様」ですわね。にやけてしまいますわ。

「妃殿下、お幸せそうですな」
 あっ! しまった! 主治医の存在を忘れていたわ。
 私が緩んだ顔を元に戻して、
「今晩、ハロルド殿下に懐妊をご報告しますわ」
 と言うと、主治医は安心したように笑顔を見せた。 




 その夜。ジオルドが眠った後、私はハロルド様に切り出した。
「ハロルド様。私、お腹に子がおりますの」
「えっ?」
「ジオルドの弟か妹ですわ」
「……カトリーヌ! ホントか? 嬉しい!」
 ハロルド様はそう言って私を抱きしめた。
「今度はちゃんとカトリーヌから聞けた」
「ふふふ、今回はもうあんな風にはなりませんわ。心配なさらないでね」
「ああ。でも何か不安なことがあれば、すぐに俺に言うんだぞ」
「はい」
 ハロルド様は私の額に優しいキスを落とした。私達は顔を見合わせて微笑んだ。






 妊娠5ヵ月に入った。
 つわりも収まり、体調も気分もすこぶる良い。前回とは大違いの順調な妊娠生活だ。

「カトリーヌ! 体調はどうだ? お前の好きな桃を持って来たぞ!」
 実家のお父様が大きくて立派な桃をお土産に訪ねていらした。この桃は実家のナルセー公爵家領地の特産品だ。領地を任されているお兄様が送ってくださったのね。
「まぁ、ありがとうございます、お父様」

「じいじ、いらっしゃーい!」
 あっという間にお父様の膝に乗るジオルド。
「おージオルド! 少し見ない間にまた大きくなったな!」
 と目を細めるお父様に、私がついあきれた口調で、
「お父様、毎週いらしてるでしょ?」
 と言うと、お父様は、
「だってジオルドに顔を忘れられたらどうするんだ!」
 と真顔でおっしゃる。は~、さようでございますか。この国の宰相なんですよね、お父様はこれでも……。何だかいろいろ残念な気持ちになりますわ。

「しかし人間は変わるものだな。あんなクソガキだったハロルド殿下がお前と仲睦まじい夫婦になって子煩悩な父親になるなど、いまだに信じられぬ思いだ」
 お父様がしみじみとした口調になる。
「『クソガキ』って何?」
 ジオルドが問う。
「お父様。ジオルドの前で汚い言葉を使わないでくださいませ。そういう言葉ほど子供は覚えてしまうものですわ」
 私が顔をしかめると、お父様は焦りながらおっしゃる。
「すまん、すまん。ジオルド、それは悪い言葉なんだ。嫌いな子の事を言う悪口なんだ。王族が使う言葉じゃないからね。ジオルドは言っちゃだめだぞ」
「ふ~ん、じいじは父上が嫌いなの?」
「い、いや違うぞ! そんなことはない! えーっと、つまりそのなんだ……昔、ちょっと行き違いがあっただけなんだよ」
「じゃあ、今は父上のこと好き?」
「えっ? えーと、そうだな。ハロルド殿下はじいじの大事な大事なカトリーヌとジオルドを大切にしてくれるからな……うん、まぁ……好きだな」
「良かったー! 父上はいっぱい遊んでくれるんだよ! じいじも仲良くしてね!」
「あ、ああ、もちろんだ」
 ふふふ、お父様ったら汗だくになってしまわれて……。


 結婚する時にはお父様に大きな心配をかけてしまったけれど、私達夫婦の様子を見て今では安心してくださっているようだ。
 本当に私とハロルド様って、周りにたくさん迷惑や心配をかけてきてしまいましたわね。 

 宰相であるお父様は、最近はハロルド様の仕事ぶりもとても評価していらっしゃる。ハロルド様は私にはあまり仕事の話はなさらないから、お父様から聞いて初めて知ることも多い。
 ハロルド様は特に外交に強いのだそうだ。ハロルド様の外交手腕によって我が国の貿易黒字が飛躍的に伸びたのだとお父様から聞いた時には驚いた。やけに他国に行かれることが多いなとは思っていたけれど、外交分野で活躍されているなら他国へのお出かけが多いのも納得ですわ。

 今日もお父様は、ハロルド様の仕事ぶりを私にいろいろと話してくださった。
「――――という具合でな。相変わらずハロルド殿下の外交のセンスには感心するよ。相手の懐にスッと入っていけるのは"才能"という他はないな」
 ハロルド様、すごい!
「そんなに活躍されているのですね。でもハロルド様は私にはお仕事の話はほとんどなさいませんの」
「実は……下手に目立って後継者争いに発展するのを避けるためだろうが、ハロルド殿下はご自分の手柄をいつも王太子殿下に譲ってしまわれるんだ。お前に仕事の話をされないのは、そのせいだろうな」
 手柄を譲る? 知らなかったわ……ハロルド様ったら、そんなことをなさってたの?
「そうなのですか。確かに後継者争いに巻き込まれるのはイヤですけれど、でもハロルド様が頑張った事が認められないのは、ちょっと悔しいですわ」
「ははは、重臣は皆知っているさ。ハロルド殿下は外交に関しては確実に皆に一目置かれている。お前が悔しがることはないよ」

 いまひとつ納得できないけれど、でも後継者争いは避けるべきですわよね。
 ハロルド様は国王になりたいだなんて全く考えていらっしゃらないのだから。
 いずれ王太子殿下が国王の座につかれれば、ハロルド様は新しい公爵家を興すことになる。その際に王家から賜る領地も既に決定している。
 ハロルド様は今は第2王子として、いずれは王弟公爵として、お兄様である王太子殿下を支えていくおつもりなのだ。

 




************






 私付きの侍女の一人が突然辞めた。私に何の挨拶もなく、ある日突然いなくなった。

「一体どうしたの?」
 他の侍女たちに尋ねると困惑の表情で、
「急に”夏の宮”侍女長に呼ばれて解雇を申し渡されたようです」
 と言う。
「解雇?」
「はい。それがその……この数か月の間に”夏の宮”の侍女がもう2人も解雇されておりまして、これで3人目でございます。理由は私達も聞かされておりません」
 この数か月って、私が妊娠してからのことなのね。子供が増えるのだから使用人を増やすという話なら分かるけれど、3人も解雇だなんてどういうことかしら?

 ハロルド様とその家族である私とジオルドは、第2王子宮である「夏の宮」で暮らしている。王宮の広大な敷地の中にはこのような宮がいくつもあり、陛下と王妃様は「太陽の宮」王太子殿下ご一家は「春の宮」にお住まいだ。 
 我が国の王宮には他国のような後宮の制度はなく、正妃は夫と共に暮らすのが基本とされる。側妃や愛妾は別の宮に各々の部屋を与えられる。そこが意味合いとしては後宮に近い感じかしら。陛下の側妃と愛妾は「薔薇の宮」に、王太子殿下の側妃と愛妾は「蝶の宮」に住んでいる。
 なんかドロドロした愛憎劇が渦巻いていそうで、ちょっと怖い。
 ハロルド様には側妃も愛妾もいないけれど、一応第2王子の側妃と愛妾が入る宮も決まっているらしい。

「夏の宮」の使用人の人事権は最終的にハロルド様にある。
 私はその晩、ハロルド様に尋ねた。
「たった数か月の間に3人も侍女が解雇されるなど、普通ではあり得ないことですわ。ハロルド様は侍女長から理由をお聞きになったうえで了承されたのでしょう? 一体何があったのです?」
 ハロルド様は困ったような表情をして私を見つめ、
「カトリーヌは知らなくていい」
 と呟いた。
 えっ? 何それ? 私に教えないつもり?

「そんな……では、せめて私付きの侍女の解雇理由だけでもお教えください。彼女は私が嫁いできてから5年間ずっと側で仕えてくれたのです。突然解雇だなんて納得できませんわ!」
 ハロルド様はしばらく黙っていらしたけれど、諦めたようにおっしゃった。
「まぁ、言わないと納得しないんだろうな、カトリーヌは」
 そんなにおっしゃりにくい理由って何なのかしら? 他の2人は直接は知らないけれど、少なくとも私付きの侍女はよく気のつく良い子だったわ。彼女がクビになる理由なんて、全く思い浮かばない。

「3人とも同じ理由だ」
「えっ? 同じ理由でございますか?」
 ますますわからない。
 ハロルド様は私から目を逸らして続けた。
「3人とも俺に色目を使って近寄って来て『愛妾にしてほしい』と……それでクビにした。俺以外にその理由を知っているのは侍女長だけだ」
「アイショウ? 相性? 愛称? えっー!? 愛妾!?」
「お前、変換が遅いな」
 だって、そんな単語が出て来る場面だとは思っていなかったのですもの!

「俺も舐められたものさ。カトリーヌが妊娠中だから簡単に堕とせるとでも思ったんだろう。あいつら俺をバカにしやがって。『他の女を抱く気はない』って言ったら『陛下も王太子殿下も何人もいらっしゃるのに』とか食い下がってきたんだ。思い出すだけで腹が立つ!」
 そんな……。私が妊娠中だからチャンスだと思われたの? それで3人も立て続けにハロルド様に迫ったの? なんてこと!
「私の妊娠中にハロルド様に言い寄るなんて!」
 思わず淑女にあるまじき大きな声を出してしまう。
「カトリーヌ、落ち着け。腹の子に障る」
 ハロルド様は私をそっと抱きしめた。お腹を圧迫しないように気をつけながらそっと。

「側妃も愛妾も絶対にイヤでございます!」
「わかってる。大丈夫だ。俺は他の女には興味がない。前にも言っただろう? 俺は5歳の頃からお前だけが好きだ。ずっとずっとお前だけが好きで一度も他の女によそ見したことはない。今だってカトリーヌしか見えない。俺が愛してるのは今までもこれからもお前だけだ」
「ハロルド様、私……側妃も愛妾も絶対イヤです!」
 繰り返す私。
「そんなものは絶対に作らない。約束する」
 抱きしめられているとハロルド様の胸の鼓動がよく聞こえる。この鼓動をこうやって聞くのは私だけであってほしい……他の女には聞かせたくない。
 ハロルド様は優しく私に口付けた。
「カトリーヌ、愛してる。俺はずっとお前だけを愛する。お前も俺だけを見てくれ」
「私もハロルド様を愛していますわ。ハロルド様だけが好きです」
「カトリーヌ……何も心配しなくていい。俺はお前のものだ。一生、お前だけのものだからな」
「ハロルド様……」







 **********************







 私は臨月を迎え、予定日よりも1週間早く元気な女の子を出産した。

「カトリーヌ、大丈夫か?」
 ハロルド様は寝台に横たわる私の髪を撫でている。
「はい……ハロルド様」
「かわいい赤ん坊だ。カトリーヌ、ありがとう」
「赤ちゃん、抱いてあげてくださいませ」
「ああ、もちろんだ」

 ハロルド様は、慣れた手つきで産まれたばかりの娘を抱き、
「父上だぞ。早くいっしょに遊ぼうな!」
 と話しかけると、横からのぞき込んでいるジオルドに、
「ほら、ジオルド。お前の妹だ」
 と言ってジオルドに娘がよく見えるように抱く向きを変えた。
「父上、赤ちゃんに触っても壊れない?」
「そっと触れば大丈夫だ」
 ジオルドが恐る恐る妹の頭を撫でる。
「僕が兄上だぞ」
 少し照れたように妹に話しかけるジオルド。

「父上ー! 赤ちゃん、小っちゃいね!」
「ジオルドも産まれた時はこのくらいだったんだぞ」
「えー? 僕、こんなに小っちゃかったの!?」
 目を丸くするジオルドが可愛らしくて、私もハロルド様も思わず笑ってしまう。
 ハロルド様は娘を「ミレーヌ」と名付けた。





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