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3 夜会で天敵に再会しました sideドーラ

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 結婚して半年が経った頃、ドーラは夫レクスと共に夜会に出席した。伯爵夫人として出席するのは今回が初めてだ。

 実家が困窮していた所為で、ドーラは社交の場に出た経験が極端に少なかった。だが、伯爵夫人となったからには、当然、社交界と無縁ではいられない。
 慣れない夜会に緊張するドーラ。だが、寡黙なレクスはそんな妻を特に気遣うこともなく、黙ったまま淡々とエスコートする。
 ちょっと気の利く夫なら、緊張している妻に「私が付いているから大丈夫だよ」くらい言ってくれるのではなかろうか?
 もともとレクスに期待はしていなかったが、ドーラは少しがっかりした。

 ドーラは緊張を隠して笑顔を作り、ゼーマン伯爵家と繋がりのある貴族達と歓談していた。
 そこへ突然不躾な声が掛かった。
「ドーラ! お前、本当にゼーマン伯爵家に嫁いだのか?」 
 曲がりなりにも伯爵夫人であるドーラの名を呼び捨てにしたうえ「お前」呼ばわりするなど、あの人物以外にいない。
 それは、王立貴族学園で同級生だった公爵家令息ヘンドリックだった。ヘンドリックの隣には彼の婚約者であるこの国の第3王女がいたが、呆れたような目でヘンドリックを見ている。それはそうだろう。自分の婚約者が夜会で突然そんな不作法なマネをするなど、王族である彼女には信じられない事だろう。ちなみに王女は17歳のヘンドリックよりも2つ年上の19歳である。彼女のヘンドリックへの眼差しは、不出来な弟を見る姉のそれであった。

 いきなりのヘンドリックの不作法にもドーラは大して驚きはしなかった。この男は学園時代からこうだったからだ。
 学園時代、いつもいつもドーラに絡んできては「お前みたいな顔だけの女、どうせ碌な男に嫁げやしない! 残念だったな!」と言うのが彼の常であった。それだけではない。ドーラの持ち物――ペンやハンカチなどを「ちょっと貸せ」と取り上げて、なかなか返してくれない事も幾度となくあった。挙句の果てにそれらを「失くした」と言って、ドーラの物とは似ても似つかぬゴテゴテとした飾りの付いた使い辛いペンや、趣味に合わない派手なハンカチを【返して】くるのだ。
 何故、この国の王女の婚約者たる男がわざわざ貧乏子爵家の娘に嫌がらせをするのか、ドーラには理由が全く分からなかった。が、公爵家の人間に何を言われても、子爵家の者が反論など出来るはずもない。ドーラはいつも「そうですね」「そうですか」と言って適当に流した。それでも毎日のように絡んでくるヘンドリック。ドーラは辟易していた。
 あまりのしつこさに周囲の同級生達はドーラに同情的だった。クラスメイトだった別の公爵家の令嬢が「ヘンドリック様、いい加減になさいませ。ドーラさんが可哀想ですわ。皆からも軽蔑されますわよ」と言ってくれたこともある。それでもヘンドリックは聞く耳を持たず、彼のドーラに対する嫌がらせは、結局、ドーラが学園を中途退学するまで続いたのだ。

 そう、ドーラは学園を中途退学している。
 実家に融資してくれたアーレンツ侯爵にレクスとの結婚を急かされたからだ。
 困窮している実家に手を差し伸べてくれた相手に「学園を卒業するまで待って欲しい」とは、ドーラもドーラの父も言い出せなかった。アーレンツ侯爵の気が変わってしまえば、実家はお終いなのだ。
 貴族令嬢が結婚の為に学園を中途退学すること自体は別に珍しい事ではない。よくある事だ。ただ、ドーラは学園に未練があった。王国古典文学が大好きなドーラは、選択科目の全てで王国古典に関する授業を選択していた。もっともっと、王国古典文学の勉強がしたい――それがドーラの本心だった。だが、妹や弟を守る為には、自分の欲求など封じ込めるしかなかったのである。

「お前、あんなに熱心に王国古典文学の勉強をしていたじゃないか! なのに、金に目が眩んだか! さっさと学園を退学して結婚するなんて! 見損なったぞ! ドーラ!」
 夜会の場だと言うのに、大きな声で喚くヘンドリック。
 周囲の貴族達が眉を顰めていることにも気付かないらしい。
 金に目が眩んだ? この男は何を言っているのか?

 ドーラは何も言い返す気にならなかった。
 ドーラの実家が困窮していたことは周知の事実だ。実家を助ける為に嫁いだドーラを「金に目が眩んで」結婚したなどと穿った見方をする貴族などいないはずだ。どちらかと言えば父親が不甲斐ないばかりに気の毒にと、ドーラは周囲から同情されている。だが、ヘンドリックにはそんな認識は無いのだろう。
 ヘンドリックはなおも続ける。
「そんなに困っていたのなら、何故、俺を頼らなかった?!」
 もはや意味不明である。
 どこの世界に、自分を敵視して嫌がらせをしてくる相手を頼る者がいると言うのか? 呆れ返るドーラ。

 その時だ。
「スパーン!!」という痛快な音が会場に響いた。
 第3王女がヘンドリックの後ろ頭を扇で思い切り引っ叩いたのである。
「ゼーマン伯爵。ドーラ夫人。私の婚約者がごめんなさい。このおバカさんには私がキッチリ分からせますから。この場は私の顔に免じて許してもらえないかしら?」
 王女の言葉に、まずレクスが頷いた。
「王女殿下にお任せ致します」
 ドーラも慌てて続く。
「王女殿下の仰せのままに」
「オホホホホ。ドーラ夫人、本当にごめんなさいね。おバカさんが拗らせちゃってるみたいで。ほら、ヘンドリック。行くわよ!」
 王女はそう言うとヘンドリックを引き摺って去って行った。
 ヘンドリックは、引き摺られながら尚も何やら喚いていたが、もう誰も彼の言葉を聞いてはいない。

「疲れましたわ……」
 と呟いたドーラに、レクスは返事もしてくれなかった。
「……」
 レクスは本当にドーラに関心が無いのだろう。
 妻が他の男に絡まれても顔色一つ変えず、疲れたと言っても慰めの言葉すら掛けてくれない。

⦅屋敷に戻ったら、お義母様に話を聞いてもらおう……⦆

 その夜。
 遅くに帰邸したにもかかわらず、ドーラはアマリアの部屋に直行し、夜会での出来事を聞いて貰った。
 話の流れで学園時代にヘンドリックから受けた嫌がらせについても愚痴を溢した。今まで誰にも溢すことが出来なかった愚痴だ。ドーラは実家の中では常に【支える】側だった。故に父や妹、弟に心配を掛けるような話は一切出来なかったのだ。そして、学園の同級生達にもヘンドリックに関することは迂闊に溢すことが出来なかった。多くの同級生はドーラに同情的だった。だが、かと言って学園にいる者全員がドーラの味方であるはずもなく。公爵家の令息であるヘンドリックに対する不満を口にして、もしも公爵家寄りの誰かに聞かれれば、家ごと潰される可能性すらあった。ドーラは口を噤むしかなかったのである。

 一度口を開くと、家族にも友人にも言えなかったヘンドリックへの不満や恨み言が堰を切ったように溢れ出す。今夜の夜会での出来事も学園時代に味わった苦悩も、感情に任せて、ごちゃ混ぜに喋り続けるドーラ。
 そんなドーラの取り留めのない話を、アマリアは静かに辛抱強く、夜更けまで聞いてくれた。そして「ドーラ。随分と我慢を重ねてきたのね。貴女は何も悪くない。今までよく頑張ったわ」とドーラを労い、優しく抱きしめてくれたのだ。
 
「お義母様……」
 今まで誰にも話せなかった苦しい胸の内を全て吐き出したドーラは、アマリアの胸で咽び泣いた。



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