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6 明日へのリスタート
しおりを挟む死ぬ気満々だったエミリだが、助かってしまった。
濁流に飲み込まれ、あの世に向かって順調に流されていたのに、途中で流木に引っかかってしまい、身動き出来なくなっている所を発見&通報されて助け出されたのだ。流木に生い茂っていた葉がクッションとなり、エミリは九死に一生を得た。肋骨は折れたけど。
仲良く一緒に川に落ちたアーダはどうなったのか分からない。どうでも良い。知らん。
肋骨を骨折したエミリは、運び込まれた病院で処置を受けた後、医者から暫くの入院を言い渡された……のだが、病室で一人きりになった途端、ある強い違和感を覚えた。
肋骨が折れているので身体は痛む。当然だ。
だが、やけに軽いのだ――心が。
⦅あれ? なんか軽い? すっごく軽い? ちっとも辛くない? あれぇ? どうして?⦆
ケヴィンに裏切られて以来、ずっとずっとずっと鉛のごとく重かった心が、羽毛程の軽さに変わっていることに、驚き、戸惑うエミリ。
⦅あれ程苦しかったのが嘘みたい……⦆
もしかすると、死ぬ気で橋からダイブし、濁流に流された事によって、ケヴィンへの執着も飛んでいき、そして流れ去ったのかも知れない――エミリはそんな風に考えた。
不思議な現象ではあるが、思えば人の心など、そもそも摩訶不思議なモノではないか。こういう事もあるのだろう。
エミリは妙に納得し、そして安堵した。あの重く苦しい初恋の呪縛から、ようやく解放されたのだ。
まるで魔法のように消えたケヴィンへの執着心。
初恋に囚われた哀れな狂女は、もう何処にもいない。
解き放たれたエミリの心は、どこまでも自由で、今なら空も飛べそうな気がした。
その後、連絡を受けたのだろう。夫のデニスが物凄い形相で病室に飛び込んで来た。
「エミリッ! 大丈夫か!?」
肩で息をするデニス。急いで来てくれたに違いない。
「デニッさん」
寝台に横たわっていたエミリは慌てて上体を起こそうとした。が、胸に激痛が走る。
「イタ、イタタタタ。アタタタタタタ」
「エミリ、無理しちゃダメだ」
デニスはそう言いながら、エミリの身体を支えてくれた。
「君が橋から転落して怪我をしたと聞いて、大慌てで来たんだ」
どうやらデニスは勤務中に連絡を受け、騎士団詰め所から病院に駆け付けてくれたらしい。
「デニッさん、ごめんなさい。心配を掛けてしまって」
「本当に勘弁してくれ。君の顔を見るまで生きた心地がしなかった」
そう言うと、デニスは肋骨に障らぬよう、そっとエミリを腕に包んだ。とても大切そうに。
エミリはこの時、初めて夫にトキメキを覚えた。
⦅嘘!? ちょっと待って!? デニッさんて、こんなに格好良かったの!?⦆
結婚後も基本的にケヴィンの事しか頭に無かったエミリは、ロクにデニスを見ていなかった。考えてみれば酷い話である。
だが、エミリとデニスは夫婦なのだ。これから、いくらでもやり直しが出来るはずだ。
⦅そうよ! もう一度、一から始めればいいのよ!⦆
エミリは、今この瞬間から、デニスとの結婚生活を【リスタート】させようと決意した。
手始めに、デニスにもたれかかり、彼の逞しい胸に甘えてみる。
⦅うゎ、胸板ヤバっ。癖になりそう……♡⦆
翌日、デニス立ち合いのもと、エミリは病室にて騎士団の事情聴取を受けることになった。やって来たのは2人の男性騎士と1人の女性騎士。彼らの話によると、アーダはエミリよりもずっと下流で発見されたらしい。にもかかわらず、奇跡的に無傷で助かったのだとか。悪運の強いオンナだ。
デニスやアーダの先輩にあたるアラサーの男性騎士がエミリに問う。
「アーダはエミリさんに橋から落とされたと言っているんだよ。ただ、二人にはかなり体格差があるからね。我々もアーダの言う事を鵜呑みにするつもりはない。おまけに彼女はエミリさんに毒を盛られたとも訴えていて……念の為にアーダと妹を医者に診せ、毒物検査もしたが、二人とも異常はなかった。エミリさん。アーダとの間に一体何があったのか、話してくれないか?」
上からの物言いをするアラサー騎士に少しイラッとするエミリ。
まずは証言パターン1で突破を試みる。
「実は、昨日の件は事故なんです。私が橋の上で転びそうになってしまって、咄嗟にアーダさんが私を受けとめようとしたところ、バランスを崩してそのまま二人で落ちてしまいました。どちらにも悪意はありません。毒云々の話はよく分かりませんが、アーダさんが何か勘違いしているのではないでしょうか?」
どう考えても無理のある説明に、顔を見合わせる3人の騎士とデニス。
「エミリさん。もしかして、アーダを庇っているのかい? いくら何でもそんな事で簡単に橋の上から落ちたりしないだろう?」
宥めるような口調になるアラサー騎士。デニスも横から口を挟む。
「君は優しいから、アーダや妹の今後を気遣っているんじゃないか? けれど、一歩間違えば死んでいたかも知れないんだ。大変な事件なんだよ? エミリ、本当のことを話してくれないか?」
初恋の呪縛からの【解放記念】に特別にアーダを許してやろうと思ったのだが、やはり話に無理があり過ぎたか。大きく息を吐くエミリ。仕方ない。証言パターン2でいこう。減刑狙いだ。アーダよ、寛大な我に感謝せよ!
「……橋の上で、突然アーダさんに言い掛かりをつけられました。料理に毒を盛っただろうって。私は意味が分からなくて……そんな事はしていないと言ったのですが、アーダさんは全く私の話を聞いてくれませんでした。どうして彼女がそんなありもしない事を言い出したのかは分かりません。もしかしたら彼女は何か精神的な問題を抱えているのかもしれませんが……とにかくアーダさんに一方的に詰め寄られ、気付けば私は橋の端に追い詰められていました。更に、興奮した様子のアーダさんが私の胸倉を掴んで、橋の上から突き落とそうとしたんです。驚いた私は、落とされる瞬間に咄嗟にアーダさんの服を掴みました。そうして、そのまま二人で川に落ちたんです――」
********
暫くして、アーダは医療刑務所に収容されることになった。
エミリの証言が決め手になった訳では無い。エミリに毒を盛られたと執拗に訴え続けるアーダを診た王国騎士団の専属医師が「精神を患っている」と判断したのだ。もっとも、この判断には王国騎士団の上層部の思惑が大きく絡んでいるらしい。何せ現役の女性騎士が同僚の男性騎士の妻を襲うという前代未聞の事件だ。騎士どうしの痴情の縺れが原因だなどという憶測が流れる前に、精神を病んだ女性騎士が被害妄想から起こした不幸な事件として、さっさと処理する方が騎士団にとって都合が良かったのだろう。
その後、エミリは夫デニスと姑フレヤに頼み込み、イーダを婚家に引き取った。
夫も姑も「お人好しが過ぎる」と呆れていたが、エミリは一人ぼっちになってしまったイーダをどうしても放って置けなかったのだ。
一緒に暮らし始めた当初は、おそらく不安と緊張からだろう、口数も少なく元気のない様子だったイーダ。しかし、少しずつ家族に馴染み、最近では自然な笑顔も増えてきた。本来の明るさと人懐っこさを取り戻しつつあるイーダの姿に安堵するエミリ。
人はきっと何度でも【リスタート】出来るはず――
だから、貴方も頑張って。
ね、ケヴィン。
終わり
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