6 / 6
6 異能者セシルの結婚
しおりを挟むどのくらいの時間が経ったのだろう。突然、寝室の扉を激しく叩く音が聞こえ、セシルは目を覚ました。
「え? 何事?」
ここは新婚初夜の夫婦の寝室だ。誰がこんな無粋なことを? それとも何か緊急事態の発生だろうか? はっ、まさか火事!?
セシルは慌てて、隣で眠り込んでいるアイロスの大きな身体を揺さぶった。
「アイロス様! 起きてください! 火事かも知れません!」
「へ? 火事?」
寝ぼけ眼のアイロス。案外可愛い……じゃなくて!
扉を叩く音はますます激しくなり、更に悲鳴のような女性の声まで扉の向こうから聞こえて来るではないか。女性はとても興奮しているようで、何を言っているのか、部屋の中にいるセシルには聞き取れない。だが、セシルは気付いた。これってベルティーユの声では?
今夜、ベルティーユとパトリス夫婦は披露パーティーに出席後そのまま此処ゴベール侯爵邸のゲストルームに泊まっているはずだ。やはり、この屋敷で何か非常事態が!? 焦るセシル。
細い裸身にガウンだけを纏ったセシルは、急いで扉に向かおうとした。ところが、いきなりアイロスに腕を掴まれ、ぐぃっと彼に引き寄せられてしまったのである。
「開けてはダメだ。セシル嬢」
「セシル嬢」……その物言いに、セシルは再び違和感を覚えた。寝台に運ばれる直前に感じた彼への僅かな違和感と同じものだ。
「アイロス様……ですよね?」
「……俺はパトリスだ」
やがて、扉の外から聞こえるベルティーユの悲鳴のような喚き声に男性の怒鳴り声が加わった。こちらも怒り過ぎていて何を言っているのかよく分からないが、パトリスの声だと思われる。ただし、アイロスとパトリスは声もソックリだ。
「今、扉の外で怒鳴っているのがパトリス様ではないのですか?」
「すまない。俺がパトリスだ。怒っているのは兄上だ」
「もしかして、またベルティーユ様の提案で入れ替わりを?」
「セシル嬢。本当にすまない。ベルティーユが『これで必ず最後にする。初夜に悪戯を仕掛けるのを最後に、これからは絶対にセシルさんに意地悪をしないから』と言って。兄上はベルティーユに弱いから『これで絶対最後にしろよ。約束だぞ』と了承してしまったんだ。俺は二人に言われて断れなくて……」
アイロスもパトリスもバカなのだろうか? バカなのだろうね! ベルティーユも、まさかここまで粘着質なオンナだったとは。
「初夜に新郎が入れ替わるなんて『悪戯』では済まされないと思いますが」
そう言ってセシルが睨みつけると、アイロスもといパトリスは泣き出しそうな顔になった。
「君と二人でワインを1、2杯飲み、少し寛いだタイミングで、こちらから鍵を開けてベルティーユと兄上を中に入れ、皆で君に種明かしをする予定だったんだ。でも、俺、何故だか急に君のことが大好きになってしまって……セシル嬢、本当に愛してる! 君を兄上に渡したくないんだ!」
そりゃそうだろう。何せ【唯一魅了】を掛けたのだから。そして、この魅了を解く術は無い。セシルが死ぬまで、パトリスはセシルの虜である。
想定外の状況に、すっかり酔いが醒めたセシル。どうしたものかと頭を抱える。
⦅どうする? どうする? どうするセシル?⦆
こうしている間も寝室の扉の向こうでは、ベルティーユと本物のアイロスが騒いでいる。そのうち使用人達が駆け付けるだろう。下手をすれば侯爵夫妻までもが。
⦅侯爵夫妻にアイロス様とパトリス様の”入れ替わり”が知れれば、大変な事になってしまうわ⦆
セシルが死なない限り、パトリスに掛けられた【唯一魅了】は解けない。「悪戯」がバレて、セシルと引き離されることになれば、パトリスは間違いなく”無理心中”を企てるだろう。【唯一魅了】は【生涯呪縛】と表裏一体の恐ろしい魅了なのである。このままでは、セシルは例の150年前のクロエ嬢と同じ結末を迎えることになってしまう。最悪だ。
⦅”無理心中”なんて絶対に御免だわ⦆
セシルはパトリスに尋ねた。
「パトリス様。パトリス様は私のことを愛して下さっているのですよね?」
「ああ。本当に愛してるんだ。セシル嬢」
パトリスはそう答え、縋るような眼差しでセシルを見つめる。
「『セシル』と呼んで下さい」
「え?」
「私たちは、もう夫婦なのですから」
「俺の妻になってくれるのか?」
目を瞬くパトリス。
セシルは妖しい笑みを浮かべ、こう言った。
「何を仰っているのですか? 私たちは正真正銘の夫婦ではありませんか」
「うっ……」
言葉に詰まったパトリスを、セシルがか細い腕でそっと抱きしめる。
そして彼女はパトリスの耳元で囁いた。
「二人で幸せになりましょう」
「……その為に、俺は、俺はどうすればいい? 教えてくれ”セシル”」
扉の外には、騒ぎに気付いた何人もの使用人が駆け付けたようだ。
「パトリス様。一体、何をなさっておいでなのです? ここは新婚の御夫婦の寝室ですぞ。無粋にも程がございましょう」
と本物のアイロスを諫める、侯爵家の執事の声が聞こえる。
「俺はパトリスじゃない! アイロスだ! 中にいるのは俺じゃなくてパトリスなんだ! あいつが裏切ってセシルを寝取ろうとしてるんだ! 早くセシルを助けないと!」
耳が慣れてきたのか、怒鳴るアイロスの言葉がほぼ聞き取れたセシル。
「パトリス様――――阿婆擦れ――――イヤー!!――――キィー!!」
こちらは所々しか聞き取れない。ベルティーユはもはや錯乱状態に近いようだ。
愚かな「悪戯」など仕掛けなければ、子供の頃から好きだったパトリスと、ずっと一緒に居ることが出来たものを……。
その時、逞しい裸身にガウンだけを羽織ったパトリスが、内鍵を解錠し扉を開けて部屋の外に出た。
そして、そこで喚いているアイロスとベルティーユに向かって、こう言い放ったのだ。
「一体、何の騒ぎだ? パトリス、お前は何をしている? 今夜は俺とセシルの大事な初夜なんだぞ。邪魔立てするな!」
********
セシルとパトリスは仲睦まじい夫婦になった。
セシルは夫のことを、人前では「旦那様」と呼び、二人きりの時だけ「パトリス様」と呼んだ。
もともと、アイロスとパトリスを明確に見分けられるのは、彼らの幼馴染ベルティーユただ一人だった。そのベルティーユが心を病んで王都を去った今、パトリスの【秘密】に気付く者などいるはずもない。
本物のアイロスはと言うと、自ら行方を晦ましてしまった。周囲にどんなに訴えても、誰も彼をアイロスだと認めなかったのだ。彼の絶望は如何ばかりだったろう。
あの夜「俺はどうすればいい?」と尋ねたパトリスに、セシルはこう助言した。
「【嘘を吐くときは隙を見せずに堂々と吐く】これは貴族心得の基本です。パトリス様、奮起なさいませ。貴方と私の幸せの為に」
結婚後、何年経っても何十年経っても、パトリスは変わらずセシルを溺愛し、大切にしてくれた。
セシルは4人の男子を産み育て、やや思慮の浅い夫をいつも笑顔で助けながら、終生ゴベール侯爵家を盛り立てた。
終わり
167
お気に入りに追加
262
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説

男と女の初夜
緑谷めい
恋愛
キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。
終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。
しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――

離婚します!~王妃の地位を捨てて、苦しむ人達を助けてたら……?!~
琴葉悠
恋愛
エイリーンは聖女にしてローグ王国王妃。
だったが、夫であるボーフォートが自分がいない間に女性といちゃついている事実に耐えきれず、また異世界からきた若い女ともいちゃついていると言うことを聞き、離婚を宣言、紙を書いて一人荒廃しているという国「真祖の国」へと向かう。
実際荒廃している「真祖の国」を目の当たりにして決意をする。

貴方だけが私に優しくしてくれた
バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。
そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。
いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。
しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

そんなに聖女になりたいなら、譲ってあげますよ。私は疲れたので、やめさせてもらいます。
木山楽斗
恋愛
聖女であるシャルリナ・ラーファンは、その激務に嫌気が差していた。
朝早く起きて、日中必死に働いして、夜遅くに眠る。そんな大変な生活に、彼女は耐えられくなっていたのだ。
そんな彼女の元に、フェルムーナ・エルキアードという令嬢が訪ねて来た。彼女は、聖女になりたくて仕方ないらしい。
「そんなに聖女になりたいなら、譲ってあげると言っているんです」
「なっ……正気ですか?」
「正気ですよ」
最初は懐疑的だったフェルムーナを何とか説得して、シャルリナは無事に聖女をやめることができた。
こうして、自由の身になったシャルリナは、穏やかな生活を謳歌するのだった。
※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」にも掲載しています。
※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

泣き虫令嬢は自称商人(本当は公爵)に愛される
琴葉悠
恋愛
エステル・アッシュベリーは泣き虫令嬢と一部から呼ばれていた。
そんな彼女に婚約者がいた。
彼女は婚約者が熱を出して寝込んでいると聞き、彼の屋敷に見舞いにいった時、彼と幼なじみの令嬢との不貞行為を目撃してしまう。
エステルは見舞い品を投げつけて、馬車にも乗らずに泣きながら夜道を走った。
冷静になった途端、ごろつきに囲まれるが謎の商人に助けられ──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
大変、面白かったのですが、やっぱり
パトリスくんのその後が気になります(^_^;)
※パトリスくんにエールを贈らせていただきます٩(♡ε♡ )۶
感想ありがとうございます。
エールをもらって彼も嬉し泣きしていると思います!?(笑)