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10 𠮟責
しおりを挟むセレナが訪問していた孤児院から屋敷に戻ると、執事のセバスティアンから息子たちについての報告があった。ルシオとファビオが家庭教師の授業をサボって、隠れて遊んでいたと言う。セレナは額に手を当てた。
「愚かなことを……」
先程まで過ごした孤児院では、子供達が一生懸命に勉強していた。学べる喜びに目を輝かせて――
セレナはルーベンと並んで、ルシオとファビオに向き合った。まずルーベンが息子たちを諭す。
「家庭教師の授業をサボるなど言語道断だ。アルファーロ侯爵家の息子として恥ずべき行為だぞ」
ルシオが口答えをする。
「父上。だって先生が厳し過ぎるんです。課題をやるのを忘れたくらいで怒るんですよ?」
「むしろそれで叱らない教師ならクビにするところだ」
ルーベンが眉間に皺を寄せる。するとルシオは、今度はセレナに向かって訴えた。
「母上! 僕たちはもっと優しい先生がいいんです!」
「ルシオ。何をしても叱らないことを『優しい』と言うのなら、『優しい先生』とはつまり『やる気のない教師』と同義だわ」
厳しい態度で臨むセレナ。
「だいたい、何でこんなに勉強しなくちゃならないんですか?」
不貞腐れて不平を言うルシオ。その隣に立っているファビオも口を尖らせて、
「勉強なんて嫌いだ!!」
と、言い放つ。
セレナの表情が一層険しくなった。
「ルシオ。ファビオ。世の中には、学びたくても学べない環境に置かれている子供が大勢いるのよ。貴方たちはとても恵まれた立場にいる。だからこそ、己を甘やかさず、しっかり勉強して、将来貴族としての義務をきちんと果たせる人間にならなければいけないの」
「母上は僕たちに厳し過ぎます! 勉強の事だけじゃない。この前だって、僕たちがちょっと使用人にイタズラしたくらいで、あんなに怒って――」
ルシオがセレナに反抗的な目を向ける。セレナは眉を吊り上げた。
「『ちょっと』? ルシオ! 貴方たちの所為で、もう少しでメイドが怪我をするところだったのよ!? あれだけ叱ったのに反省していないの!?」
ルシオは尚も言い返す。
「クラーラが『そんなイタズラくらいで目くじらを立てるなんてオカシイ』と言っていました。母上が異常に厳しいんですよ。クラーラと全然違う!」
また「クラーラ」? セレナは思わず瞑目した。クラーラ・クラーラ・クラーラ・クラーラ・クラーラ・クラーラ・クラーラ・クラーラ――――ダメだ。夫と同じだ。息子にも自分の言葉は届かない。アルファーロ侯爵家はクラーラに呪われている――怒りではなく、落胆と失望がセレナの心を覆った。そんなセレナにファビオが追い打ちをかける。
「クラーラは優しいんだ。一度も僕たちを怒ったことがないんだよ。あーあ、クラーラが僕たちの母上だったら良かったのにー!」
「ファビオ!!」
ルーベンが息子を咎めるように声を張り上げた。
セレナは静かに言った。
「だったら簡単なことよ。貴方たちの父上がクラーラさんと結婚すれば、クラーラさんは貴方たちの母親になるわ。ルーベン様、是非そうなさって下さいませ。良かったわね。ルシオ、ファビオ。『優しい』母上が出来るわよ」
セレナの目には諦念の色が浮かんでいた。
その言葉に反応できず、固まっている男三人を置き去りにして、セレナは部屋を出て行った。
その日から、ルシオとファビオが何をしても、セレナは一言も注意も叱責もしなくなった――
週に2日ほど訪問していた孤児院に、お茶会など他の外出予定が無い日は、ほぼ毎日訪れるようになったセレナ。将来、貴族の屋敷で働きたいと言う10代の少女たちにマナーを叩き込む。
「同じメイドでも完璧なマナーを身につけていれば、より待遇の良い上位貴族の屋敷で働けるわ。きちんとマスター出来たら私が推薦状を書きます。ただし中途半端ではダメよ。さぁ、頑張りましょう」
「「「「「はい!!!」」」」」
セレナの言葉に少女たちは目を輝かせる。セレナの指導は厳しいが、誰一人弱音を吐かない。
セレナは読み書き計算だけではなく、このように子供たちの将来の希望に添った指導も大事だと考えていた。騎士になりたいと言う男の子達の為には、知り合いの引退した元騎士に頼んで身体づくりのトレーニングや模擬剣での剣の指導をしてもらっている。商家で働きたいと言う希望者には帳簿つけの指導を、教師になりたいと言う者には師範学校に合格する為の受験勉強の指導を――という具合だ。セレナは人脈を駆使して協力者を探し、子供達の指導を頼んでいた。どの道を希望する子供達も、皆、一生懸命学んでいる。
院長はセレナに言った。
「将来の具体的な目標に向かって努力することは、ここの子供達にとって大きな喜びとなっております。そして今年も、15歳になる子たち全員が希望通りの道に進めることになりました。全て奥様のお陰でございます。本当にありがとうございます」
「それは本人たちが頑張った結果ですわ」
セレナは微笑んだ。
セレナは、15歳になって孤児院を出る子達の就業予定先を出来る限り詳しく調べ、弱者から労働力を搾取するような所ではないことを念入りに確認していた。師範学校に合格して学生寮に入寮する予定の子には、学業に専念出来るよう、在学中の学費と生活費全てをアルファーロ侯爵家が援助することにした。セレナは孤児達の為にいつも懸命だった。
ある夜、寝室で二人になると、ルーベンが気遣わしげにセレナに言った。
「セレナ。まだルシオとファビオを許せないか? 二人とも、君に何も注意されなくなってからワザとのように悪さばかりしている。君の気を引きたいんだよ」
「……ルーベン様。師範学校へ進学する子への学校卒業までの援助を許してくださって、ありがとうございました。本人も院長も大層喜んでおりましたわ」
「……あ、ああ。そうか」
「これであの子は勉強に専念することが出来ます。本当にありがとうございました」
「セレナ……」
「ルーベン様。先日申し上げたことは、私の本心でございます。私に遠慮なさらず、クラーラさんを妻に迎えて下さい。ルシオもファビオも喜びますわ」
「セレナ。君は誤解している。私はクラーラとは何もない。彼女は妹のような存在だ」
「ルーベン様のその台詞、もう聞き飽きましたわ」
「セレナ。どうして分かってくれないんだ?」
「分かって下さらないのはルーベン様でしょう? 私は何度も何度もお願いしました。クラーラさんと距離を置いてほしい。子供たちに近付けないでほしいって。それなのに、貴方は全く聞く耳を持って下さらなかったでありませんか。だったら彼女を妻になさればよろしいわ。子供たちの母親にすればよろしいでしょう?」
「セレナ……違う。私はそんな事を望んではいない。クラーラを妻にするなんてあり得ないよ。子供たちだって本当は君を求めてる。あの子たちの母親は君だけだ」
「……もう、止めましょう。疲れましたわ……お休みなさいませ」
セレナはそう言うと、するりと寝台に身体をすべり込ませた。
その夜も、夫婦は一つの寝台で背中合わせで眠りに就いた。
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