道参人夜話

曽我部浩人

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第九夜   守宮

第1話 井戸だらけの旧家

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 六道ろくどう輪廻りんね──仏教にて説かれる概念のひとつ。

 衆生しゅじょうは6つの道を歩かされるという。

 長寿と享楽きょうらくを味わえるも煩悩ぼんのうに囚われたまま──天上道。
 戦うことしか知らぬ修羅しゅらとなって戦争に明け暮れる──修羅道。
 四苦しく八苦はっくに悩まされるも僅かな楽しみと仏教に縁がある──人間道。
 本能だけで生きる動物となって人間に搾取さくしゅされる──畜生道。
 他者への思いやりを忘れたため飢えと渇きに苦しむ──餓鬼がき道。
 他の道での罪業ざいごうを償うために永い拷問をされる──地獄道。

 これらを六道とまとめ、衆生はこれを輪廻するものとされた。
(かつては修羅道が含まれておらず、五趣とも呼ばれた)

 幾度となく生まれて死んでは六道を巡り歩き、やがて七番目の道である悟りへと至り、魂はあらゆる苦しみから解脱げだつできるとされている。

 だが、これは仏教が説く教えだ。

 この教えに逆らうが如く、己自身の力で七番目の道を見出す者がいる。

 それが魔道まどうを往く者──魔道師。

 我が道だけを邁進まいしんする求道者ぐどうしゃ

 自分が追い求める技や術の研鑽けんさんのみに努め、人知を越えた領域にまで昇華させていく。それゆえに人間離れした力を体得した者が多い。

 いにしえの魔道師は深山しんざん幽谷ゆうこくで修行三昧の日々を送ったため、人々から天狗と恐れられた時代もあった。その頃から空を飛ぶ力を持つ者や、一日で千里を駆ける者がいたというから、バケモノ扱いされた者もいたことだろう。

「……それと比べて、現代の魔道師は軟弱やわになったもんすねー」

 堂屋どうや鳴子なるこはハンドルを握ったまま自嘲気味に言った。

「どんな僻地へきちだろうと空を駆けてひとっ飛び! たとえ地の果てだろうと風よりも早くひとっ走り! そんなのはおとぎ話だけなんすかねー」

 口調が学生のように軽いが、見た目も学生みたいに若い。

 少なくとも成人、30代に届かずとも20代半ばを越えているはずだが、中学校を卒業したばかりの高校生にしか見えなかった。

 小柄だけど健康的な体つきをしており、学生に間違われそうな童顔。
 つぶらな瞳に合わせたのか真ん丸の眼鏡をかけている。

 綺麗なストレートヘアを眺めるのは好きだが癖っ毛の自分が伸ばすのはイヤ、という理由からボブカットに切り揃えられた髪だが、癖っ毛ゆえピンピンと跳ねており、それがウザいからと前髪はパッツンと切り揃えられている。

 それでも跳ねる地毛が鬱陶うっとうしいのか、野球帽を被っていた。

 工事現場の作業員が愛用しそうな、ポケットがいくつもあるベスト。
 そこにあふれるほど工具を詰め込み、下はシャツにジーンズという年頃の女性にしてはラフすぎるファッションで決め込んでいた。

「魔道師は魔法使いじゃないからね」
 助手席に座った信一郎は、半笑いで彼女の無駄話に応じた。

 こちらは相も変わらず、真っ黒い背広の一張羅。

 背中まで伸ばした黒髪のロングヘアと、舞台女優だった母親の美貌を受け継いでしまった女顔。男物のスーツを着てても女性と間違われる。

 民俗学者──みなもと信一郎しんいちろう

 その肩書かたがきも相変わらずだった。

「今でもアニメのヒーローみたいに自力でビュンビュン空を飛べる魔道師は何人かいるけど、あんなことできるのは極少数さ」

「あー、天狗系の上級者にいるらしいっすねー」

「そうそう、白山しろやまさんとかまさにそれだね。そうでもなきゃ私たちみたいに地べたを這いつくばるのが関の山だよ。空を自由に飛べないな、ってね」

 それにね、と信一郎は白山との会話を思い出す。

「いつぞや白山さんに『ドラゴン○ールみたいに飛べるんだから、飛行機より早く目的地につけるんじゃないか?』って聞いたら、なんて言ったと思う?」

「なんて答えたんすか、白山のダンナ?」

 疲れるからやんねぇ──飛行機のが楽だしな。

「アハハハ! そりゃそうだ。飛ぶのも走るのも自力っすからね!」
 そりゃ疲れるわ、と鳴子はケラケラ笑った。

 実際、信一郎たちも目的地へは車で向かっている最中だ。

 鳴子が駆るのはランドクルーザー。

 小柄な女性では持て余しそうな重量級4WDだが、鳴子は愛馬の如く車体を操っていた。馴れた手付きでハンドルを握り、荒れた道を乗り越えていく。

 道なき道──そう評しても過言ではない。

 一応、砂利を敷いて車1台分くらいの車道は確保されているが、雑草は車の鼻先にまで伸びきっており、道の両脇は木々で覆い尽くされている。

 その木々が車道を潰すくらい繁茂はんもしているのだ。

「『獣道よりはマシ』と言ってたけど……これほぼ獣道だろ」

 信一郎はこの道を教えてくれた友人の顔を思い出しながら毒突くが、鳴子は笑顔のまま「へっちゃらちゃら♪」とグングン車を推し進めていく。

「この子はウチの会社で発注した特別仕様っすからね。どんな悪路だろうと、その気になれば道なき道だって走破しちゃうっすよ。特製ウインチは横綱4人を乗せたこの子さえ巻き上げちゃうハイパワーっすから♪」

 自慢げに語った鳴子はギアを切り替える。

 エンジンが雄叫びのように唸り、木々を掻き分けて突き進んだ。

「……そのウィンチに頼らないことを祈ろうか」

 信一郎は車内の天井に付いているアシストグリップをしっかりと掴んで、揺れる車内に耐えた。乗り物酔いしにくい体質なのも幸いだ。

「……今回は付き合ってくれてありがとうね、鳴子ちゃん」
 道すがら、信一郎は改めて鳴子に礼を述べた。

「なに言ってんすか、御礼を言いたいのはこっちっすよ。大きな屋敷の改築依頼っしょ? 請け負ったら兄貴たちも喜んでやってくれますよ」

 大屋鳴子──魔道師としての号名は『家鳴やなり』。

 彼女は建築関係に道を見出した魔道師の一族で、その界隈かいわいでは『家鳴六兄妹』として有名だ。内訳は4男2女、彼女は一番下の妹になる。

 表の稼業では、一家総出で建築業を営んでいた。

 信一郎が学生時代の友人から「家を改築したい」との相談を受けた時、真っ先に思い浮かんだのが、かつて仕事を一緒にした彼女だった。

 さっそく話を持ち掛けてみると、鳴子は「いいっすよー♪」と二つ返事で請け負ってくれた。ちょうど自分の手が空いているので「見積もりに行くっす」という話までトントン拍子に進み、「一緒にどうすか?」と誘われたのだ。

 道案内を求められたわけではない。今のご時世、GPSもカーナビもある。

 鳴子に話を持ち掛けた際、友人に久しく会ってないのを思い出したので(相談は電話で受けた)、久し振りに遊びに行ってみるかと呟いたのだ。

 鳴子はそれを聞き漏らさずに拾ってくれたのである。

 だからこうして、渡りに船と改築の見積もりに現場へと向かう彼女の車に便乗しているわけだ。実際、信一郎も友人の家へ出向くの初めてだった。

「センセイのお友達、なんでまたこんな辺鄙へんぴな山奥に引っ越したんすか?」
 鳴子が今更ながらの質問をしてくる。

 辺鄙というより辺境だ。

 田舎というには生温く、山奥といっても物足りない。
 ここは深山幽谷──なんて人跡未踏の地みたいな山深い場所である。

「この奥に彼の本家があるらしいんだ。なんでも、彼の父親はそこから逃げるように東京へ出てきたらしい。幼い頃、盆暮れ正月には帰っていたそうだが……」

 信一郎の友人は、その本家に戻ったことになる。

「彼は元々、私と同じ民俗学を志す学徒がくとだったんだが……文才があったらしくてね。趣味で書いたオカルト小説が当たって、文筆業に乗り換えたんだよ」

「はやー、物書きのセンセイでらっしゃいましたか」

 先日出版された作品が好評で、映像化もされてまとまったお金が入ったのを契機に、誰もいなくなった実家に戻ることを決意したらしい。

「人里離れた場所で隠棲いんせいして執筆に取り組むんだとさ。昔から少なからず厭世観えんせいかんのあった男だが、自由になるお金を手に入れたから一念発起したんだと」

「いいんじゃないすか、田舎でスローライフ。今時の流行はやりっしょ。ウチでも地方の仕事が増えてますし、これからもっと需要はあるっすよ」

「その割に、都心部の人口は増え続けてるけどね」

 他愛ない話題をりながら、車は目的地へと向かう。

 内心、信一郎はいつになく落ち着いた気分だった。

 ここのところ遠出と言えば、あのチビでへちゃむくれで3日前の大福をダンプでぺしゃんこにしたような、いやらしい笑顔がデフォルトの怪僧かいそうに「お仕事を頼みまさぁ♪」と連れ回されてばかりだった。

 道中を楽しむ間もなく──行きずりの仲間はみんな魔道師。

 こうして、まともな人付き合いで出掛けるなんて久し振りだった。

 鳴子も魔道師というよりは、後輩の女の子という雰囲気がある。魔道師あるあるの会話はあれど、他の世間話は一般人らしくて助かる。

 そのことに──安心感を覚えてしまう。

「あ、センセイ。道中の目印ってアレ・・っすかね?」

 感慨かんがいふけっていると、鳴子が車を徐行させて前方を指差した。
 ゆっくり近付く目印に信一郎も目を向ける。

 道のかたわらにあったのは──古びた井戸だった。

 手頃な自然石を集めて組み上げた、原始的な作りの井戸だ。そのせいか石組みの隙間から雑草が生えまくり、古古ふるぶるしく苔生こけむしていた。

「こういう時、目印ってお地蔵さんとかがセオリーだと思うんすけどね」
「もしくは道祖神だね。でも、彼が言ってたとおりだな」

 ──古い井戸が見えたらもうすぐだ。

 建築業者と訪ねることを信一郎が伝えた際、友人は道すがらにある目立つものをいくつか上げ、最期にこの井戸のことを言っていた。

「んじゃ、目的地までもう一踏ん張りっすね」

 やや急になってきた獣道を上るため、鳴子は車のギアを上げた。

                        ~~~~~~~~~~~~~

 日本西部──とある山間地帯のそのまた奥。

 彼方を眺めれば壁のように山脈が連なっており、その入り口に鎮座ちんざするかのように、大きくも小さくもない山がひとつだけこんもりとそびえている。

 人里は遠く、その山の麓に寂れた町があるのみ。
 その町も過疎化が進み、いつ終わってもおかしくない衰退すいたいっぷりだ。

 その山の中腹は──少しだけ平地のようにならされていた。

 ここは人為的じんいてきひらかれた土地らしく、信一郎の友人の先祖が住居を構えるために整地したのが見て取れる。なにせ友人の本家があるだけかと思いきや、他にも数軒の家屋が建ち並んでいたからだ。

「これは……ちょっとした村だな」

 鳴子が立ち並ぶ家々の手前で車を停めると、信一郎たちはそこから歩きで村の中へ入り、友人の待つ本家へ向かった。

 季節は夏真っ盛り──をようやく折り返した頃だ。

 ランドクルーザーの中はエアコンが効いていたので、外に出ると蒸し暑さで押し潰されそうになるが、冷えた身体が熱さにほぐれる感じもした。

 見回してみると、家の数は10軒にも満たない。
 ひい、ふう、みい……指折り数えて7軒しかなかった。

 本家へと続く道の左右──右に4軒、左に3軒。

 昔ながらの農家みたいな家が建ち並んでいる。

 茅葺かやぶき屋根の家もあればトタン屋根の家もあるが、どちらも昨今の建築事情からすれば一昔前の代物だ。おまけに年期の入り方が凄まじく、茅葺き屋根は崩れかけてボロボロだし、トタン屋根も錆び付いて穴があいている物もある。

 それでも山間のこんな辺鄙へんぴな場所に、よくもこれだけの家を建てたものだと感心させられる。建材を運ぶだけでも一苦労だったはずだ。

 どの家も非常に古く──廃屋にしか見えない。

「これ、完全に廃屋っすね」
 信一郎の考えを見透かしたように鳴子が言った。

 漆喰しっくいなのか土壁なのか素人目にはわからないが、触れただけで崩れ落ちそうな壁に鳴子が手を添える。そして、ほんの少しだけ力を込めて押した。

 ギシリ──と家屋が揺れ動く。

 いくら廃屋寸前とはいえ、女の子の力で軋むわけもない。

 こう見えて彼女も魔道師のはしくれ、しかも建築関係に魔道を見出した魔道師の末裔まつえいだ。一族伝来の秘術で家の状況を調べたのだろう。

 家鳴やなり──家や家具がひとりでに揺れ動く怪異。

 海外でいうところのポルターガイスト現象とも捉えられるし、木造の建物は寒暖差で木材が軋んで音を鳴らしたり動くこともあり、そういった現象を妖怪のせいにしたとも言い伝えられている。

 かの有名な妖怪絵師である鳥山とりやま石燕せきえんは、この家鳴を小鬼のような妖怪たちが束になって家を揺れ動かしているように描いていた。

 それゆえ──家鳴を号する魔導師たちは建築物に執着する。

 鳴子が生まれた大屋一族の祖は「意のままとなる城を作りたい」という願いから魔道を志したらしい。事実、いにしえの大工には魔法使いめいた逸話いつわが多い。

 ひだり甚五郎じんごろうの伝承など、その際たる例であろう。

 揺らした家の壁をポンポンと叩いて、鳴子は調査結果を口にする。

「あたしの調べた限りじゃ50年は人っ子1人住んでないと出ました。まだ家の形を保ってますけど、このままなら数年で倒壊するっすね」

 あれだけの所作しょさで、鳴子は建物の耐用年数を割り出したのだ。

 こういう魔技まぎを軽々とやってのける辺り、彼女も魔道師である。

「並んでる家屋はどれも似たり寄ったりっすね。まだちゃんと調べてないけど、数十年単位で人が住んでないっす。建物ってのは人が住まないとあっちゅうまに腐るもんッスからね。いやー、痛みが早いっす」

「生活臭が漂ってくるのはあそこだけかな……?」
 鳴子の話に耳を傾けながら、信一郎は通りの一番奥に視線を向ける。

 通りと言ってもたった7軒しか並んでいない、短すぎる目抜き通り。

 その奥まったところに──壁に囲まれた屋敷があった。

 立ち並ぶ廃屋とは明らかにグレードが違う。

 高い塀に囲まれた広い敷地。瓦葺きの屋根がよく目立つ。他の家屋が小作農の家だとすれば、あれは庄屋さんの屋敷と言ったところか? もしくは武家屋敷ぐらいの立派さがある。塀の造りからして豪勢だ。

 ここからでも敷地内に蔵が3つ建っているのがわかる。
 いや、4つか? 屋敷の奥に一際大きな蔵の屋根が覗けた。

 信一郎と鳴子は、その屋敷の門を潜る。

 門構えからして武家屋敷クラスだ。

 締めるのが大変なのか開けっ放しという不用心さだが、こんな山奥にやってくる強盗もいまい。熊や猪といった野生動物のがよっぽど怖いだろう。

 この屋敷だけ、まだ人の生活している感がある。

井戸いど、どこだ──私だ、信一郎しんいちろうが来たぞ」

 屋敷の門を潜った信一郎は、呼び鈴がないので大声で呼ばわった。
 人影が現れることはなかったが、代わりに返事が聞こえる。

「おぉう、みなもとか──こっちだこっち」

 懐かしい声が屋敷の右手から聞こえてきた。
 3つある蔵の方からだ。

 信一郎は鳴子と頷き合い、声の聞こえた蔵の方へ向かう。

 横に長いL字型の屋敷。その傍らに並んだ3つの蔵までやってくると、どの蔵も扉が開いており、多くの品々が蔵の前に出されていた。ほとんどが古書で、地面に敷かれたブルーシートに1個ずつ並べられている。

 どうやら天日干しのようだ。

 来客が現れても作業の手を止めず、顔だけ上げて愛想良い笑みを浮かべる友人に、信一郎は気さくに片手を上げて笑顔で応じた。

遠路えんろ遙々はるばるよく来てくれたな──源」

 信一郎たちがやってくると、ようやく手を休めて立ち上がり、首にかけたタオルで額を流れる汗を拭った。

 お盆を過ぎたとはいえ、夏の暑さは冷めやらぬ。

 都会の蒸し暑さよりは山ならではの清涼感が漂うものの、照りつける日差しに汗は止まらないのだろう。拭いても拭いても汗が流れてきている。

 信一郎の友人──井戸いど幸典こうすけ

 痩身ながらも長躯──確か2mあるとかないとか。

 面長で彫りが深い顔立ちはどこか日本人離れしており、背の高さもあって欧米人のようなイメージがある。その眼差しも外人っぽさを助長していた。

 虹彩こうさいの輝きが独特なのだ。

 光の加減でキラッと輝くような色合いをしており、彼が顔の向きを変えるとそれが目立つのだ。しかし、醸し出す雰囲気は純日本人である。

 白地のポロシャツに黒いスラックスという山奥には些か不似合いな格好で、どうやら蔵の整理中だったらしい。作業用の手袋も暑そうだ。

「東京からここまでだと、道中長かっただろ?」

「乗せてきて貰ったから助かったよ。電車にバスにタクシーを乗り継いでいたら、時間も運賃うんちんもとんでもなかっただろうな」

 鳴子に目配せすると、彼女は軽くお辞儀をする。

 幸典は「どうも」と軽く挨拶をしてから、止まらない汗を拭き拭き信一郎との話を続けた。まずは旧交を深め、それから彼女の紹介を求めるつもりらしい。

 かつては同じ教室で学んだ──民俗学専攻な2人。

大金おおがね教授と逆神さかがみ先輩はどうしてる?」

 天下無敵の大学教授と──地上最強の民俗学者。

 大金教授は2人にとって厄介な恩師であり、逆神先輩は准教授となった怖い先輩なのだ。いい思い出もなくはないが、苦い思い出が圧倒的である。

 信一郎など、今ではおっかない上司コンビだ。

「変わらないよ。むしろパワーアップしてる」
 良くも悪くもね、と信一郎は苦虫を噛み潰した笑顔で言った。

「そいつは重畳ちょうじょう、あの2人が弱るところなど想像もできないけどな」
「ドラゴンも跨いで通るようなデタラメーズだからね」

 当人たちには決して言えない悪口で、信一郎と幸典は盛り上がる。

 普段から酷い目に遭わされがちな信一郎なんて、皮肉だけで10時間は愚痴れる自信があった。積み重ねた恨み辛みもハンパではない。

 ましてや幸典とは、教授の下で苦楽を共にした仲間だ。

 共有できる感覚も多いので話題も尽きず、つい話が盛り上がってしまう。

「ところで……さすがに辺境へ引っ込みすぎじゃないか?」
 都会から離れると面倒なのでは? と信一郎は暗に心配してみる。

 幸典は民俗学から離れ、その時の知識を活かしてオカルト系の文筆業に転向したのは聞いているが、大体において出版社は都心にあるものだ。

 ここから東京まで出向くのは、ちょっとした旅行である。
 
 しかし、幸典はあっけらかんと朗らかに答えた。

「今時、ネットさえ繋がれば何とでもなるさ。編集さんとの打ち合わせだって電話かメール、チャットだっていい。幸い、ここはネットが届くんだ。どうしてもっていうのなら、都会の喧噪けんそうを味わいに足を伸ばせばいいだけのことさ」

 田舎暮らしに前向きなご様子だった。

 このポジティブさがなければ、こんな不便な土地に腰を据えることも思いつかないだろう。いくら一族の実家とはいえ、都会ッ子ならお断りのはずだ。

「それで、この実家に戻ってくることを決めたわけだ」
 信一郎は腰に手を当て、立派なお屋敷の軒先を見上げてみる。

 遠目からだと立派に見えたが、間近にするとあちこちガタが来ているのが見て取れた。瓦がズレて落ちかけ、縁側の板は剥がれかけ、柱も傾きかけている。

 信一郎の視線に気付いて、恥じるように幸典は頭を掻いた。

「いや、そうマジマジと見つめないでくれ。長らくほったらかしだったので、御覧の通りの酷い有り様だ。取り敢えず俺1人ぐらいなら喰う寝るところのスペースは確保できているが、客人を招くなんてとてもとても……」

 編集さえ呼べやしない、と幸典は自嘲した。

 なるほど、これは改築のために建築業者を探していたわけだ。

「そうそう、電話で話していた紹介したい業者さんだが──」

「──はじめまして、大屋鳴子と申します」

 出番が来たのを察した鳴子はベストから新品の名刺を取り出すと、折り目正しい姿勢で恭しく差し出した。幸典も一礼して両手で受け取る。

 軽い学生みたいな「~っす」口調を控えている。
 態度も社会人らしく振る舞う鳴子は、営業スタイルを弁えていた。

 しかし、幸典の表情には戸惑いが滲む。

「やっぱり、そちらのお嬢さんが話にあった業者さんなのか……」
 しかし、と幸典は言葉を続けようとして躊躇ためらう。

 建築関係の業者というと年配のベテラン男性を想像しがちだが、信一郎が連れてきたのは学生にしか見えない若々しい女性なのだ。

 男女差別というわけではないがいぶかしいのだろう。

 だが、名刺をよく見た幸典は表情を変えた。

「ああ……大屋さんは『大屋建設』の方でしたか」

 鳴子自身は“駆け出しの建築家”という触れ込みだが、『大屋建設』という名前はテレビCMで見ない日はないだろうという大企業である。

 全国規模で活躍している建築グループ──それが『大屋建設』だ。

「はい、長兄が社長として取り仕切っており、あたしたち兄弟が役職に就いたり、こうして現場で頑張っています。どうぞ御安心ください」

 若い娘、と侮られることもあるのだろう。

 幸典のやや残念そうな表情から鳴子は察したのか、未来の顧客を安心させるべく「あたしのバックには大屋建設がいるっすよ」と臭わせた。

 鳴子は営業も兼ねる──お客さんの機微きびさといのだ。

 信一郎は魔道師絡みの事件で彼女と知り合い、その人柄と敏腕をよく知っていたので、今回の仕事を斡旋あっせんすることに決めたのだ。

「大丈夫だよ井戸──彼女の腕は確かだ」
 私が保証する、と信一郎にしては強気に推薦した。

「ふむ……慎重派のおまえがそこまで言うなら心配無用か」

 大屋建設の名前も手伝ったのか、幸典も態度も緩んできた。
 ここぞとばかりに鳴子も推していく。

「これだけのお屋敷を改築するとなれば大仕事。以前の仕事では源先生に助けられたこともありますので、先生のご紹介となれば勉強させていただきます」

 値引きべんきょうという言葉に幸典も揺らいだらしい。

 作家として名が売れてきたといっても、まだまだ駆け出しだ。
 財布のヒモはできるだけ引き締めておきたいのだろう。

「……では、ひとまず見積もり依頼をできるかな?」
「はい喜んで! 勿論、無料でお引き受けいたしますよ」

 ひとまず顔合わせは済み、仕事も取り付けられそうだ。

 魔道師の関わらない──極々一般的な人付き合い。

 それができたことに信一郎の心はとても和んでいた。

 幸典と鳴子は、改築の見積もりについてあれこれ質疑応答をしており、信一郎が口を挟むことはない。話もスムーズに進められていた。

「そうだ……土建関係も請け負ってくれるかな?」

 話の途中、幸典は思い出したように改築以外の依頼を振ってきた。

「土建ですか? ウチの社内にも土建部門がありますし、お望みならば系列を紹介することもできますが……土地の整地とかですかね?」

 鳴子が聞き返すと、幸典は顎に手を当てて少し思案する。

「説明するよりも見てもらった方が早いか……ついてきてくれるかい?」

 手招きながら歩き出す幸典に、信一郎と鳴子はついていく。

 まずは3つ並んだ蔵の奥──そこに井戸があった。

 道行きの獣道で見掛けた井戸とは違い、レンガで組み上げたものだが古臭いことに変わりはない。こちらもやはり苔生こけむしていた。

 そこから屋敷の奥に進むと、やはり一際大きい蔵があった。
 こちらの扉は固く閉ざされており、黒光りする南京錠が掛かっている。

 この蔵の脇にも──古びた井戸があった。

 そこから屋敷の反対側に行く途中にも井戸があり、その先にも井戸がある。母屋の影に隠れるようにまた井戸があり、そこから壁沿いにも井戸がある。

 屋敷を出て、建ち並ぶ廃屋の裏手に回る。

 7軒の廃屋の裏手──そのひとつひとつに井戸が据えられていた。

 そうして一巡りしてきて、井戸家の屋敷に戻ってくる。

 玄関ではなく料理場の土間へ回ると、そこにも井戸が設置されていた。

 これだけの井戸は、色んな工事現場に関わった鳴子もお目に掛かったことがないようだ。一言も発せぬまま困惑している。

かばねに合わせたのではないだろうが……この通りでね」



 井戸家を継いだ総領そうりょう息子むすこは──多すぎる井戸に苦笑するばかりだった。


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