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第八夜 変性女子
第2話 力法衆
しおりを挟む真奈に案内された先は大きなダンスホールだった。
舞踏会でも開催できそうな豪壮な内装に誂えられていた。
貴族の衣装でも着たエキストラでもいれば栄えるだろうが、無人のダンスホールは寒々しいばかりである。
「……で、拙僧はどんな用向きでこちらへ連れてこられたんでやしょう?」
「うん、その前にいっこ確認したいんだけどさ……トッツァンってば、本当はめちゃんこ強いんだって? ステゴロ最強なんだって?」
その質問に幽谷響は微かに眉を動かしてしまった。
人の挙動を盗み見る彼女が見逃すはずがない。真奈はほくそ笑んだ。
「小耳に挟んだんだけどさ、なんでも『力法宗』とかいう幻の武術集団でナンバー2だったんだって? 音を支配する魔道師ってだけじゃなくって、そっち方面でも有名なんだろ? そこんとこどーなの?」
「やれやれ……くだらねぇこと知ってやすね」
そこまで知られては隠す意味もない。幽谷響は嘆息してその事実を認めた。
真奈は面白がって挑発するように訊いてきた。
「なぁなぁトッツァン、強いってどんぐらいなんだ? アタシにもわかりやすく教えとくれよー。具体的にはどんぐらいなのさー?」
「そうでやすね……真奈嬢の目を盗んで、これぐらいのことはできやすぜ」
幽谷響は右手に持ったものをちらつかせた。
「アタシの目を盗むって……そ、それ! アタシのブラと五万円っ!?」
幽谷響の右手には大きめのブラジャーと五万円が握られていた。
真奈はあたふたと自分の胸元を覗いて確認するが、そこに先ほど幽谷響から盗んだ五万円とブラジャーはない。
真奈が調子に乗っている隙に取り返しておいたのだ。
Dカップのブラと五万円。
それぞれ真奈に投げ返すと、幽谷響はわざとらしく下卑た笑みを浮かべた。
「真奈嬢が『百々目鬼』じゃなけりゃショーツまで取れたんでやすがね」
「それでもアタシのお株を奪うなんて只者じゃねぇよ……なるほどなるほど、おみそれしやした。トッツァンは本物ってわけだ」
とにかく確認はできた、と冷や汗を拭った真奈は指を鳴らす。
その合図に応じてダンスホールにメイドの一団が雪崩れ込んできた。
朱雀院家のメイドだから普通な女性はほとんどいないが、それにしても攻撃力の高そうな面子が揃っていた。
「昔はね、ウチのダンナのトンデモ技術を盗もうと、産業スパイがわんさか遊びに来てくれたんだけどさ。取っ捕まえた連中をダンナが人体実験で遊んだのが脅しになったのか、最近はどこの企業もスパイを送ってくれなくってさー……体育会系なコイツらも身体が鈍ってんだわ」
異形メイドの群れは、牙を剥いた野獣のような笑みを滾らせている。
その筆頭が真奈であり、小動物を嬲る肉食獣の眼をしていた。
「トッツァン強いんだろ、いっちょ揉んでやってくれないか?」
いくら強くてもこの数に勝てるはずがない、そう高を括っているのだろう。
その考えは甘い──魔道を堪能していない半人前ならではの甘さだ。
ならば魔道の先達者として、ここはひとつ厳しく躾けてやるのもまた一興かもしれない。幽谷響に大人らしい底意地の悪さが疼き始めた。
「よろしい、ひとつお嬢さん方を揉んで差し上げやしょう」
幽谷響は三白眼を釣り上げ、三日月のような口で怪しく微笑んだ。
「ただし──オジサンの揉み方はちょいと刺激的ですぜ?」
~~~~~~~~~~~~~
一方、魔酔館の客間──ハットと信一郎が談笑していた。
ソファにゆったりと腰をかけたハットは紅茶の香りを楽しみつつ、信一郎がするアリスについての話題に耳を傾けていた。
「アリスは先生に甘えっぱなしですか……フフッ、あの子らしいですね」
「私としてはこそばゆいけど嬉しいというか、子供ってあんなに可愛いものだったんだね……アリスちゃんが可愛くって仕方ないんだ」
「当然ですわ信一郎先生、アリスお嬢様の可憐さは値千金にも勝りますもの」
「当然ですわ信一郎先生、アリスお嬢様の可愛さは三国一の宝物ですもの」
阿美と美吽が合いの手を入れてくるが、信一郎は肯定するしかない。
──信一郎は心の底からアリスが可愛いのだ。
「まるで子煩悩なお母さんですね。僕まで亡くなった母を思い出しますよ」
ハットは妖美な笑みを浮かべる。それが様になる青年なのだ。
「僕まで先生を“母様”と呼びたくなる衝動に駆られてしまいますね」
「それは勘弁してもらいたいなぁ、君とはそんな年が離れてないんだから……」
苦笑する信一郎に、ハットも「冗談ですよ」と爽やかに流した。
「時に先生、あれからお身体の具合は如何ですか? 『木魂』による女性化などには随分と悩まされていたようですが……」
「うん、おかげさまで以前より調整が効くにようになったよ」
信一郎は『木魂』の能力を使い始めた頃、人体に関する技術に造詣の深いハットから助言を受けていた。それを取り入れたおかげで飛躍的に能力を使いこなせるようになったのだ。
以前、信一郎は女性化した自分を別物として扱っていた。
そのせいか生理が近付くと勝手に女性化したり、生理期間中は男性に戻れなくなったりしていたのだが、ハットの助言によって劇的に改善されていた。
「許さず、好まず、嫌おうとも──認めることはできる……だったっけ?」
「そうです。認識すること、それだけで世界は大きく変わります」
事実、信一郎は内なる女性を認めたことにより、肉体の操作を使いこなせるようになった。今では他人の性別を変えることさえ容易になっていた。
「ただ、なんというか……その分だけ男の時でも女性的になってきたり、生理中には男のままでも両性具有な身体になって乗り切ったりと……段々、人間離れしてきたような気がするね」
「それでこその魔道師ではありませんか、何を恥じることがあります」
ハットはティーカップを持ったまま両腕を広げて宣言する。
「変容し、変質し、変異し、変遷し、変革し、変転し──どこまでも変化していくこと、それが世界の本質です。愚直に道を進んでいたとしても、人は変わらずにはいられないのですよ」
ハットは“変化すること”にこだわりを持っていた。
特に人間が人ならざる者に変わるのを好み、その変身する過程を記録してコレクションしているほどだ。人体改造や変身する技術に並々ならぬ熱意を持っているのは、そうした性癖ゆえなのだろう。
人間が魔物に、男性が女性に、肉体が機械に──変わっていく。
そんな様子に興奮するというのだから変わり者である。
「それはそうと先生──本日お招きした理由なのですが、我が朱雀院家から先生にサプライズな提案があります。先生にもアリスたちにも耳寄りな話です」
ハットは指を組んで顎を乗せ、単刀直入に切り出した。
「メイド──雇いませんか?」
不意打ちな申し出に、信一郎は何度も瞬きをしてしまう。
「メイド……雇うの? 私が?」
「そうです。兄である僕が言うのも何ですが、アリスは世話の焼ける娘です。それに白山さん家のマイルちゃんに火野さん家の茜ちゃん、年頃の女の子を預かるだけでも大変なのに、それが三人もいたら普通のご家庭だっててんてこ舞いですよ。先生だって民俗学者としてのお仕事がある。女の子たち三人分の炊事、洗濯、掃除、と言った家事にまで手が回らないでしょう?」
立て板に水を流すようなハットの言い分。
それは現在進行形で身に染みていた。
まだ春休みだからと適当に済ませていたが、これで学校が始まったら手がつけられなくなるのは目に見えていた。
一人暮らしならともかく、女の子3人分の家事なんて賄う自信はない。
「でも、メイドを雇えって言われても……」
「ああ、先生が費用を捻出する必要はございませんよ。我が朱雀院家から有能なメイドを1人、先生のお屋敷に派遣したいというだけの話です」
金銭面での不安は見抜かれていた。では、次の問題だ。
「朱雀院家からって……ここのメイドさんたちはちょっと……」
この客間に控えているメイドたちでさえ、街中を注目されずに歩ける外見のメイドは皆無だ。みんな人間にしては余計な付属物がついていた。
「大丈夫です、ちゃんと普通に可愛らしい女の子ですよ」
葵ちゃん、とハットは軽く手を打った。
すると、客間の扉が開いて1人のメイドが入室してくる。
「──失礼いたします」
オーソドックスな服装をしたメイドは、折り目正しく一礼する。
美人というより美少女──というのが第一印象だ。
物憂げな眼差しに澄んだ瞳、滑らかに通った鼻梁に控え目な唇。
その完成された顔の造作は大人の女性の色香を放っているのに、全体的に少女の幼さを残り香のように漂わせている。
長い黒髪は頭頂部でポニーテールに結われていた。
女性にしては長身で170はあるだろう。その発育の良さを示すように、古風なメイド服を着ていてもバストやヒップのラインが際立っている。
軽装になれば、さぞかしグラマラスなことだろう。
「ご紹介します。この娘が先生のお宅に派遣する予定の──」
「青島葵と申します。以後お見知りおきのほど、よろしくお願いいたします」
葵に頭を下げられたので、信一郎も腰を上げて挨拶する。
「あ、えっと……こちらこそよろしく」
確かに見た目は綺麗なメイドさんだ。異形の要素は見当たらない。
しかし、ここは朱雀院家の魔酔館──。
水をかぶると変身したり、深夜12時を過ぎて食べ物を与えると凶暴になるとか、そんなとんでもないギミックが隠されているかもしれない。
「先生、その顔は葵ちゃんのことを疑ってますね?」
信一郎の疑心を見透かしたハットは、わざとらしく勧めてきた。
「でしたら、どうぞ御確認なさってください。先生の『木魂』なら調べることができるでしょう? 葵ちゃん、先生にお身体の具合を調べていただきなさい」
「あ……えっと……いいのかな?」
ハットの言う通り、『木魂』を使えば身長や体重はおろか遺伝子情報まで調べられる。しかし、それはプライバシー侵害にも似た行為だ。
なので、信一郎はなるべく自粛していた。
まして相手は女の子、ただでさえ気が引ける。しかし──。
「はい、問題ありません。雇用者の素性を改めるのは雇用主の義務です。これより信一郎様のお屋敷にご奉公する以上、信一郎様は主人も同然──どうぞ、存分にお調べになってください」
葵は顔色ひとつ変えずに言い放ち、自分から信一郎へ迫ってきた。
「そ、それじゃあ失礼して……」
彼女の気迫に押し負けた形だ。
信一郎は手を翳すと、『木魂』の能力で葵の肉体を調べてみた。
年の頃なら二十歳前後、健康的な若い女性であることが確認できた。
「かなり鍛えてるみたいだね、武道家みたいな筋組織の発達を感じられるけど……それ意外は何の問題もないね。うん、普通の女の子だ」
「そうでしょうともそうでしょうとも」
ハットは大袈裟に何度も頷き、葵も安堵の溜め息を漏らしていた。
──そんな二人の態度がなんとなく引っ掛かった。
「葵ちゃんならアリスの世話役もやっていましたので、あの娘の扱いも慣れています。勿論、家事全般もオールマイティーにこなしてくれますよ」
彼女を派遣することに異論はありませんよね? とハットは念押ししてくる。
「うん……そうだね、こっちからお願いしたいくらいだよ。よろしくね、葵ちゃん」
「はい、こちらこそよろしくお願い申し上げます。信一郎様」
改めて挨拶を交わす信一郎と葵に、ハットは嬉しそうに手を打った。
「葵ちゃんを先生の御屋敷に派遣する件は、雇用契約が成立したのでお終いです。さて、それではお待ちかね、本日のメインイベントに参りましょうか」
飲み終えたティーカップを置いて、ハットは立ち上がった。
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