道参人夜話

曽我部浩人

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第七夜   血塊

第1話 取調室でカツ丼を

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 幽谷響やまびこは暗い部屋でひとり、退屈を持て余していた。

 警視庁──その第九取調室。
 恐れ多くも桜田門に鎮座まします東京警察の総本山である。

 数多くの犯罪者を尋問してきた小部屋。

 そこで幽谷響は安物のパイプ椅子に小さな背を預け、これまた安物のテーブルに短い足を載せ、傲岸不遜ごうがんふそんにふんぞり返っていた。

 被疑者として連行されたのなら、刑事に張り倒されても文句は言えまい。

 実際、幽谷響は罪を犯していた──魔道師ならば当然だ。

 己が道のため正道を歩まず、この世ならざる知識を研鑽けんさんする。

 ──それが魔道まどう

 鍛え上げた魔道の技、磨き上げた魔道の術。
 それらを行使して人倫じんりんを犯し、罪を重ねることは多々ある。

 幽谷響とて例外ではない──その音を統べる秘術で悪事をこなしてきた。

 それこそ闇から裏まで危ない渡世を渡り歩いてきたのだ。

 余罪は幾千、微罪は幾万、大罪でさえ指折り数えていたら日が暮れるほどだが、警察の世話になるようなヘマをしたことは一度もない。

 なのにどうして、幽谷響が取調室にいるのかと言えば──。

「いやぁ、お待たせしちゃってホント申し訳ない」

 取調室のドアが開き、ひとりの青年が入ってきた。

 年は二十代後半のはずだが、細面ほそおもてに幼さの抜けきらない顔なので二十歳ぐらいに見える。二枚目なのに口元に締まりがないので二枚目半といったところだ。

 背丈だけは高くて180㎝は越えているだろう。
 その長身と均整の取れた手足に着込むのは仕立ての良いスーツ。

 ネクタイには剣をデザインしたネクタイピンが刺さっている。

「ホント申し訳ない。待合室がどうにも都合つかなくって……あたっ!?」
 まだ謝っている青年の顔面に、幽谷響は錫杖しゃくじょうをめり込ませた。

「おい周介よぉ……兄弟子を呼びつけといて取調室に軟禁するたぁどういう了見だコラァ! 俺を容疑者扱いするつもりかテメェは!?」

 幽谷響はいつもの喋り方も忘れて、昔の調子で怒鳴りつけた。

 警視庁特対課・巡査部長──礼堂れいどう周介しゅうすけ
 その裏の顔は魔道師であり、幽谷響の弟弟子に当たる。

 幽谷響は一時期とある魔道師に弟子入りしており、そこで学んでいた後輩の魔道師たちに何かと慕われていた。

 そのひとりがこの男──『方相氏ほうそうし』の礼堂周介である。

「アイタタ……口より先に手が出るんだから、ホント変わらないですね」
「変わんねえどころか進歩も成長もしてねえテメェよかマシだ」

 錫杖を手元に引き寄せて、幽谷響は椅子に座り直した。

「まあ確かに、俺とオメェの会話はおおっぴらにできねえもんばっかりだからな。個室でコソコソしたいってのはわかるぜ。けどよ……2時間も待たせるか普通? お茶も出さずに2時間だぞ?」

 しかも取調室にだ。この部屋は精神的に堪えるものがある。

「いやホント謝ります。報告書の作成に思いの外手間取っ……まぎっ!?」
「俺が来る前に終わらせとけそんなもん!」

 呼び寄せた人間を待たせておいて書類整理とは了見違いも甚だしい。

「アイタタタ……ホント先輩、僕たちの前では昔のまんまですよね……なんであの『拙僧せっそうは魔道師でございやす』って話し方してくれないんですか?」

「ガキの頃から世話焼いてきたテメェらに世辞せじなんかいるかボケ」
「あれ、お世辞なんだ……先輩、ホントはメチャクチャ口悪いですもんね」

 本来、幽谷響は口が悪い──意図いとしてあんな喋り方をしているのだ。

 しかし、使う相手はちゃんと選ぶ。

「はん、こちとら葛飾柴又帝釈天で産湯うぶゆを浸かったベッタベタの下町育ちよ。近所のボケジジイやクソババアにわめかれて大きくなったんだぜ。品行方正に育つわきゃねえだろうが」

 そんなことより、と幽谷響は荒っぽくテーブルを叩いた。

「俺を呼んだってことはまた面倒な仕事を押しつけようって魂胆だろ? さっさと話せよオラ」

                        ~~~~~~~~~~~~~

 警察が対応するのは、あくまでも人間による事件のみである。

 魔道師の行った犯罪、外道が起こした事故──。
 こうした事件は人間の手に負えない。

 昨今、このような魔道師や外道による犯罪が急増中らしい。

 そこで警察庁の偉い人は話のわかる魔道師たちに協力を依頼。魔道師の中でも特に正義感の強い魔道師たちを招集し、異常な事件のみに携わる特別な課を警視庁内に設立した。

 それが警視庁特別事例対応課──通称、特対課である。

 ただ問題点がひとつ、構成員が少なすぎるのだ。

 課長を含めてたった七人しかおらず、ろくに捜査もできないのが現状である。
 そこで特殊チームならではの無茶が許されていた。

 蛇の道は蛇──他の魔道師に捜査協力を要請できるのだ。

 ただし、力を借りるのはあくまでも自己責任。

 頼んだ魔道師が捜査中に問題を起こしたり、捜査すべき事件よりも大事を起こそうものなら、その責任は依頼した者が背負う羽目になる。

 それでもピンで捜査するよりはマシなので、彼等は旧知の魔道師に頼ることが多い。周介が幽谷響を頼るのも、そういった事情からだ。

 幽谷響に周介を助ける義理はないが、昔から面倒を見てきた弟分の頼みも断りにくい。悪態をつきながらも、やっぱり後輩たちは可愛いのだ。

「どうせ半人前のオメェのこと、また俺に泣きつこうって魂胆だろ? この前の『びしゃがつく騒動』だって俺が尻拭いしてやんなきゃどうなってたことやら……ああ、そうだ思い出したぜ、あん時の報酬まだだったな。耳揃えて払って貰おうか」

「ホントすんません。そっちはもうちょっと待ってください。最近、経理が厳しくて……お詫びと言ってはなんですが」

 周介はお膳を二つ持ってきた。

「先輩お昼まだでしょう? お腹空いてると思って店屋物を取っておきました」

「おお、オメェにしちゃ気が利くじゃねえか。やっぱアレか? 取調室で丼物といえば定番のカツ……」

「はい、特盛り天丼で……すらぎっ!?」
「なんでカツ丼じゃねえんだよ!? 取調室で飯ったらカツ丼だろうが!」

 天然ボケの弟弟子に、錫杖で激しいツッコミを入れていた。

「だ、だって先輩、天ぷら大好きじゃないですか!」
「じゃかあしいボケ! そもそもオメェは昔っから気配りの仕方が下手くそなんだよ! ここはカツ丼を持ってきてウケを取るところだろ!?」

 幽谷響はなじりながらも天丼をひったくるように取った。
 周介に渋めのお茶を煎れさせて、天丼をガツガツと口に放り込む。

「……しっかし、俺の好物なんざよく覚えてたな」

 春菊の天ぷらを頬張った幽谷響はしみじみ呟いた。

「そりゃあ覚えてますよ。修業時代、山のお寺から麓のお弁当屋までパシリに行かされたの、いつも僕だったんですからね。お師匠様からみんなの好みまで、完全に知り尽くしてますよ」

「くだらねえこと覚えてやがんなぁ……融通ゆうづうは利かねぇくせに」

 幽谷響たちが師事していたのは武術に長けた魔道師で、本来の魔道とは別に戦闘技術をつちかいたいという若い魔道師が弟子入りしていた。

 その中でも──周介は最弱だった。

 毎回パシリだった理由も一番弱いからである。

「武術の腕こそ落第生だが、あの面子めんつじゃオメェが一番の出世頭だな」

「ちょ、そういう言い方ホントやめてください。僕まだ巡査部長ですよ?」
 一人前に照れているが、これは幽谷響なりの讃辞さんじだった。

「魔道師だけじゃなく真っ当な表の顔を持ってるだけで上等よ。それに巡査部長といっても、その若さで天下の警視庁勤めの刑事様だ。それだけで上々じゃねえか。俺を見ろ、その日暮らしにも事欠くような流れの乞食坊主こじきぼうずだぞ? コンビニに入るのもはばかられるこの身なりを見ろ」

「魔道師稼業であくどく稼いで億単位の資産がある癖に……ぞぶっ!?」

「俺が褒めてやってんのにどうして一言多いんだテメェは!」

 いくら殴っても直らない周介の減らず口に、幽谷響はほとほと呆れていた。
 最後の海老天を頬張ると、熱いお茶で一気に流し込む。

「んなことよりさっさと仕事の話をしやがれ。飯食いながら無駄話してる暇なんざねぇだろうが。時は金なりってな」

 そうですね、と周介は相槌を打ちながら空になった丼を下げる。

 どんぶりを下げて捜査資料をテーブルに載せると、おもむろに切り出してきた。

永世えいせい永正えいせい──御存知ですよね?」
「えいせいえいせいって……あの『震々ぶるぶる』の本名じゃねえか」

 死を恐怖する魔道師──『震々』

 死から逃れたい一心であらゆる魔道師に師事し、不老不死を願うばかり外道にも劣る行為を繰り返したため、魔道の大家である魔道四十八祖から失道しつどう手配という実質的な死刑宣告を受けた男だ。

「アイツなら去年の夏、ウチの先生が始末してくだすったぜ」

「それについては特対課でも報告を受けていますし、確認も取れています。問題はありません。特対課が問題視しているのは……彼の親族なんですよ」

 周介はひとりの男に関する資料を差し出してきた。

永世えいせい英行えいこう……『震々』の甥っ子だぁ? 」
 写真には叔父の『震々』に似た神経質そうな男が写っている。

「はい、号を名乗るほどの魔道師ではありませんが、叔父である『震々』から魔道の手解きを受けており、それなりの知識と技術は持っていたようです。ですが……二週間前に自宅で変死しています」

「死んだ? 死因は何だよ?」
外因性がいいんせいのショック死です──なにせ、下半身が噛み千切られてましたから」

 近隣住民より英行の邸宅から「悲鳴が聞こえた」「物凄い音がした」などの通報を受けて地元の警察官が訪問したところ、自宅の大広間で血溜まりに横たわる英行の上半身が発見された。

 遺体の断面は巨大な怪物に食い千切られたかのようで、素人目にも歯形みたいなものが確認できたが、人間の下半身を噛み千切れる陸上生物はいない。

 大型のわにさめならできるかもしれないが、東京にいるはずもなかった。

 そして、本当に食われたのか──英行の下半身は行方不明なのだ。

 当初、血溜まりから縁側へと血の跡が続き、縁の下に潜り込んでいたので床下を探してみたが下半身どころか血の跡も消えており、邸内をどれだけ捜索しても英行の下半身は発見できなかったという。

「……ホラー小説ってよりモンスターパニック映画だな」
「そのノリだと僕らは調査に乗り出した主役コンビなので生存できますね」

 ただし、絶体絶命に追い詰められる損な役回りだ。

「単なる魔道師見習いの変死なら、僕たち特対課が出張るまでもありませんが……この英行さんって明らかに得体の知れない何かに食い殺されてますからね。そうなると変死事件は他の部署に任せられても、そっちに対する処理は僕らにおはちが回ってくるんですよ」

「じゃあ今回の仕事ってのは、その英行を殺した何かを始末することか?」
 幽谷響は懐から煙草を取り出し、食後の一服をしようとした。

「はい、正確に言えばその正体が何者であるかを確認、処分すべきと判断されれば始末するのもやむなしです──あと、取調室は2009年から禁煙です」

 ホント申し訳ない、と謝りながら周助は幽谷響から煙草を取り上げた。
 忌々しげに舌打ちする幽谷響に、周介は声をひそめて言った。

「それで先輩をお呼びした理由なんですが……これを見てもらえますか」

 周介は英行の自宅内を撮影したと思しき写真を広げて見せた。

「おい、こいつぁ……」
 幽谷響は思わず言葉を失った。

 取り立てて珍しくもない純和風な屋敷だが、その内装の至るところに無数の円陣が描かれていた。意味不明な文字の羅列が書き込まれたそれは、悪魔を呼び出す魔法陣に見えなくもない。

 独特の形状をした魔法陣のいくつかに、幽谷響は目を奪われていた。

「信一郎先生が抹殺したという『震々』は常世とこよへ渡ることに必死だったと聞いています……ですが、この英行という男は逆なんです。彼は常世から何かを呼ぼうとしていたんですよ」

 興味ありますよね? と周介は知ったような口を利く。

「その得体の知れない何かは、もしかすると先輩がよく口にされてる“常世”から来たのかも知れないんですよ」

 幽谷響がある外道を追っており、そいつは常世と関係があった。

 あいつ・・・は──常世の調べをかなでている。

 だからこそ幽谷響も常世に凄まじい執着を持っており、魔道師の中でも常世の力を扱えるという『木魂こだま』に張り付いているのだ。

 幽谷響の見る限り、これらの魔法陣には常世へ繋げようとするもの、または常世から何かを喚び出そうとするものばかりだった。

「へっ、周介よ……オメェにしちゃ上出来だ」
 愛用の網代笠を被って錫杖を持ち直すと、幽谷響は椅子から立ち上がる。

「この仕事、受けてやるよ。場合によっちゃあロハでやってやる」

「さすが先輩、常世って聞いたら目の色変わるんだか……あたっ!?」
「……だからオメェは一言多いんだよ。何度も言わせんなタコ」

 錫杖で突かれた頬を撫でながら周介が尋ねてきた。

「アイタタタ……あれ、そういえば今日は信一郎先生どうしました?」
 先輩が仕事をする時はいつも一緒なのに、と不思議がっている。

「先生は別件だよ。ま、魔道師として動いていると言えばそうなんだが……」

 生命を弄ぶ能力を持ち、常世の力を扱える魔道師──『木魂こだま
 それが民俗学者、みなもと信一郎しんいちろうの本性でもある。

 幽谷響は信一郎を頼ることが多い。それほど『木魂』は万能なのだ。

「そうですか……ホント残念だなぁ。信一郎先生がいたら先輩も少しは優しくなるし、何よりあんな美人が一緒にいてくれるだけで、仕事に対するモチベーションが違って……げぼあっ!?」

「何がモチベーションだ、ションベンたれな半人前が生意気ぬかすな」
 残念がる周介を幽谷響は錫杖で小突いてから毒突いた。

「それに先生は男だぞ? 美人だ美女だと持ち上げたら機嫌を損ねるぜ」

 最近では『木魂』の能力を使いこなしており、一瞬で女性化できるようになったらしい。本人曰く「嬉しくない」とのこと。

 ──だが男だ。

 近頃は男性の状態でも女性化が著しく、骨盤が広がって愛用のトランクスが履けなくなったそうだ。ついにボクサーブリーフへ鞍替えしたとか。

 ──だが男なのだ。

 女性化すると今までより乳房が大きくなり、ブラのカップがEからFに上がったという。ショックで3日くらい寝込んでいた。

 ──それでも男なんだよ。

 髪はいつでもキューティクル抜群、肌はうるおいたっぷりモチモチ肌、ヒゲも無駄毛も生えやしない。それも悩みの種だという。

 ──だから男なんだってば。

「……先輩、さっきから何をブツブツ言ってるんですか?」
「俺にも色々と堪えてるもんがあるんだよ……そんぐらい察しやがれ」

 そうですよね、と周介は何も考えずに言う。

「先輩の好みのタイプって『自分より背が高くて黒髪ロングのストレートが似合う巨乳の美女』ですもんね。そういう意味では先生って……でばぁっ!?」

「テメェ……口が裂けても先生に言うんじゃねえぞ!!」
 錫杖で徹底的に周介を打ちのめすと、その尻を思いっきり蹴飛ばした。

「オラ、さっさと仕事だ仕事! 現地に行くから車出せ!」
「はいはい、わかりましたよ。先輩ってばホント横暴なんだから……ところで」

 ホントに先生はどうしたんですか? と懲りずに訊いてきた。



「先生ならお迎えに行っているよ──朱雀院すざくいんの箱入り娘をな」


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