道参人夜話

曽我部浩人

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第六夜   疱瘡婆

第3話 噂の出所と真相

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 女の子たち全員の治療は終わった。
 仕事を終えた幽谷響やまびこ信一郎しんいちろうは、早々に引き上げる。

「長居する理由もありやせんし、他にやることがありやすからね」

 病気を治してももらった女の子たちからは感謝の言葉を贈られ、未だに得心がいかない大須からは定型文のような謝辞を述べられた。

 それらを背に受けて、幽谷響と信一郎は西桜女学院を後にする。

 なのに、幽谷響の足取りはのろい。
 牛歩ぎゅうほとはいかないまでもゆっくりと歩いている。

 まるで誰かが追ってくるのを待っているようだ。

 正門から少し歩いたところで、背後から駆け寄ってくる足音に気付いた。

「──幽谷響のオジさん! それと、ええっと……信乃しの先生!」
 息を切らせて追いかけてきたのは美里みさとだった。

 信一郎は振り返るが、幽谷響は間を持たせてから振り返った。

「今日はその……ありがとうございました。おかげでみんなも助かったし……」
「御礼なんざ結構でございやすよ。これが拙僧せっそう生業なりわいでやすからね」

 幽谷響は朗らかな笑顔から一転、腹に一物ある笑みを浮かべた。

「それにこの程度、まだ序の口にすぎやせんからね」
「え、序の口ってどういう……?」

 発言の意図がわからない美里に、幽谷響は半歩詰め寄る。

「まだ美里嬢からの依頼を果たしていない──という意味でございやす」

 重くなる幽谷響の声音に、美里は我知らずの内に後退っていた。

「美里嬢、貴女様や御学友を悩ませていた奇病はこちらの先生に治していただきやした。ですが、これはあくまで現況に対処したにすぎやせん。これから対処すべきはその元凶にございやす」

 信一郎も薄々ながら勘付いていた。

 この皮膚病をウィルス性──つまり、感染源があるはずなのだ。

 諸悪の根源ともいうべき感染源を根絶しない限り、再び学園中に蔓延まんえんしてしまうだろう。信一郎の勘が正しければ、このウィルスは悪意ある何者かによってばらまかれた可能性が高い。

 それはおそらく──普通の人間じゃない。

「この世にはね、自分の欲望に負けに負けちまって、道を踏み外した挙げ句、身も心も化け物になっちまったものがいるんでさ」

 それは外道げどう──魔道師まどうしたちはそう呼んでいる。

 己が道を探求するために道を逸れる魔道。
 これに対して、己が欲を追求するために道を外れるのが外道。

 そういった者が辿たどる末路は、古い伝承にも語り継がれている。

「怨みのあまり生霊となった女御にょご、憎しみのあまり鬼と果てた僧侶、ねたみのあまり蛇と化した姫君、我欲がよくのあまり獣に堕ちた猟師……そんな昔話を耳にしたことはございやせんか? そうして人間を辞めちまった化け物ってのは昔話の絵空事じゃございやせん。今生こんじょうの世にも実在するもんなんでございやすよ」

 幽谷響は空いた左手で自分の頬を掻いた。
 先ほどまで怪しい吹き出物に悩まされていた箇所だ。

「美里嬢と初めてお会いした時、あのただれた頬からその化け物の臭いがプンプンしたんでさ……その、外道の臭いがね」

 美里は元通りになった頬を押さえて震えている。

「心当たりがある……そんな顔をされておりやすぜ?」

 怯える美里は身を強張こわばらせる。
 幽谷響は何も言わない。美里から話してくれるのを待っていた。

 美里は何かを知っている──それは明らかだった。

 幽谷響は彼女からの自発的な告白を待っているのだが、美里は頑なに口を閉ざしていた。こうなると口を割らせるのは難しいだろう。

 それでも幽谷響は辛抱強く待っていた時である。

「──ヤマビコとセンセー見ーっけ♪」
 西桜女学院を取り囲む塀の上から、場違いな明るい少女の声が振ってきた。

 そこにいたのは西桜女学院の生徒に変装したあかねだった。
 スカートが捲れるのも構わず、そのままヒョイと塀から飛び降りてくる。

「コラ、パンツ見えてる! 女の子なら鉄壁のガードで隠しなさい!」
「ダイジョブジョブ♪ 今日はちゃんと履いてるから」
「いつもは履いてないの!?」
「うん、3日にいっぺんぐらい忘れるんだ。父さんにもよく怒られるんだよね」

 そりゃそうだろう。年頃の娘なのに無防備すぎる。

「ま、今のはサービスしてあげたんだけどさ。どうだったー♪」
 興奮した? とか無邪気な笑顔で訊いてくる。

「へっ、縞々しましまのお子様パンツなんざ色気のイロハもありゃしやせんぜ」
「ヤマビコってばオッサンだなー。そこはストライプって言いなよ」

 この小さいオッサン、ちゃっかり確認していたようだ。

 幽谷響は美里から茜へと向き直り、網代笠あじろがさをズラして鋭い視線を送る。

「そんなことより茜嬢──頼んでおいた仕事の首尾は?」
「うん、ミッションコンプリート♪ ほいっと」

 幽谷響から依頼された『情報収集』という仕事は果たしてきたらしい。
 茜はポケットからICレコーダーを取り出して放り投げてきた。

「あっちこっちで根掘り葉掘り聞きまくってきたんだから、どこのパパラッチかってぐらいの仕事っぷりだったんだよー? それでさ、ヤマビコやセンセーも聞いたと思うんだけどアバター女って知ってる?」

 信一郎が頷くよりも先に、茜が言葉を続けた。

「そのアバター女って、この学校の生徒なんだって。今は休んでるけど……」

「──違うっ!!」

 話している茜の言葉を打ち消すように、美里が悲痛な声を張り上げた。

「ち、違うの……あの子は……律子りつこは……アバター女なんかじゃ……」
「…………律子?」

 信一郎が名前を復唱しても、美里は何も言おうとしない。

 ヤマビコは再び美里へと向き直る。
 柔らかく錫杖を鳴らしながら彼女の間近にまで迫った。

「決して悪いようにはしやせん……話してくれやせんか?」
 
 重く響きながらも、父性的なカリスマに満ちあふれた頼もしい声音。
 その声に諭されて、美里は弱々しく頷いた。

                        ~~~~~~~~~~~~~

 ついてきてください──その一言を最後に美里は黙ってしまった。

 美里に案内されて到着した先は、大きな市民病院の入院棟。
 最上階の角部屋の個室、そこが目指す目的地だった。

 病室ではひとりの少女が眠っていた。

 眠りにつくその顔は愛らしいが、長い入院生活のせいか頬が痩けている。赤みがかった茶髪は本来ならボブカットなのだろうが、胸元にまで伸びている。

 寝間着から出た腕も細くやつれ、り長期の入院を強いられているようだ。

 点滴や薬剤をぶらさげたポールが立ち並び、脈を感知する心電図が絶え間なく電子音を刻んでいる。その他にもよくわからない機材が立ち並び、眠れる彼女を必死に生かそうとしていた。

 そして、一目見れば気付かされる──彼女の右頬。

 そこには皮膚に黒い痣がくっきりと浮かんでいた。

 だが、痘痕あばたでも例の奇病のあとでもない。
 これは古い火傷の痕だ。かなり酷い火傷だったのかアザになっている。

「この子が律子ちゃん?」
「田中律子、クラスメイトで、友達で……あたしの幼馴染みです」

 信一郎の問い掛けに美里はようやく答えてくれた。

「律子は小さい頃、事故に遭って……頬に大きな火傷を負いました」
 その痕は消えず、今もこうして頬に刻まれている。

「このアザのせいで、よく男子にからかわれたりもしたんですけど……律子はとっても気の強い子で……逆に男の子たちを返り討ちにして泣かしちゃったり……」

「ほう、そりゃ大したもんでございやすね」

 友達が褒められたのが嬉しかったのか、美里の頬はほんの少し緩んだ。

「律子はそんな子だから、女の子からも人気があったんです……人見知りで引っ込み思案なあたしのこともかまってくれて……律子がいなかったらあたし……きっと誰とも喋れなかったと思います」

 人見知りする子だとは思っていたが、幼少期は輪をかけて酷かったようだ。

「律子はいつも……あたしを支えてくれたんです……」
 美里を気遣うように幽谷響は柔らかく尋ねた。

「その律子嬢がこちらで眠り続けている経緯いきさつ──話してもらえやすね?」

 しかし、その質問内容は核心に迫るものだった。

 幽谷響は袖の中から鈴を取り出すと、可聴領域ギリギリの音で鳴らした。

 音波を使った催眠誘導で美里に自白を促しているのだ。

「……あたしが……悪いんです……」
 眠気に囚われたような瞳で美里が語り出した。

「去年の二学期になって……アバター女の噂が流れ始めて……しばらくしたら、顔の痣のせいで律子がアバター女だって言われて……律子はそんなの全然気にしなくって……それどころか、その噂を逆手にとって『アバター女だぞ~♪』とか笑いを取ろうとしたぐらいで……」

 本当にタフな子らしい。そんなイジメをされたら普通は凹むものだ。

「あたしも噂を止めさせようとして生徒会の友達に頼んだり、律子を『気にしちゃダメだよ』って励ましたんだけど……でも、そうした噂がホームルームでも取り上げられるくらい広まって……大須先生もやめるように言ってくれたんだけど……全然効果なくて……時折、律子も寂しそうな顔をするようになって……」

 虚ろな眼差しが潤み、目元からせきを切ったかのように涙がこぼれ落ちた。

「あたしが……あたしが悪いんです……」
 美里はその場に崩れ落ちて、律子の寝ているベッドに縋りついた。

「あたし……律子のことをアバター女って言っちゃったんです。去年の文化祭の時、準備に疲れて……それで律子と些細なことで喧嘩しちゃって……その時、律子を『うるさい、このアバター女』って……」

「ですが、律子嬢の性格を鑑みれば、その程度で傷つくとは思え……」
 幽谷響の言葉の途中で、美里は大きく首を左右に振った。

「そのすぐ後……飛び降りたの、律子は! 屋上から飛び降りたの!」

 そして──彼女はここで意識不明のまま眠り続けている。

「あたしが……あたしが律子を突き落としちゃったんだッ! 幼馴染みなのに! 一番の友達なのに! あたしがあんなこと言ったから……イライラしてたからってあんなこと言っちゃったから! ずっと一緒にいたのに……いてくれたのに……あたしが……あたしが律子を…………」

 美里は治ったばかりの右頬に手を添え、いきなりむしった。

「律子が目を覚まさなくなってから、この病気が流行はやりだして……あたしどころか学校のみんなまで……あたしが悪いのに……律子を突き落としたのはあたしなのに! あたしが罰を受けなきゃいけないのにっ!!」

「美里ちゃん、落ち着いて! 君が悪いわけじゃ……」
 半狂乱になって頬を掻き毟る美里を、信一郎は抑え込もうとした。

 美里が悪いわけではない──しかし、自分を責めたくなるのもわかる。

 苛立っていたとはいえ自分が罵った後に律子が屋上から転落。

 その彼女が意識不明の重体に陥ると例の奇病が蔓延したとなれば、原因と結果が符号してしまっている。特に奇病の件はオカルトに傾倒していない人間でも呪いだと信じたくなるだろう。

 だが、確実な因果関係があるわけでない。

 あくまでも状況がそう示唆しているだけで、真実は異なる可能性がある。

 そして、この男はそれを見極めているはずなのだ。

「……乙女の涙は見るに堪えやせん」
 チリーン、と慰めるように鈴が鳴った。

 途端、美里は糸が切れたように倒れたので、信一郎が慌てて抱き留める。
 気を失っている。幽谷響が眠らせたのだろう。

 事件の全貌を把握するためとはいえ、美里に告白を強いたのは幽谷響だ。
 そのことに自己嫌悪するかのような仏頂面だった。
 まるで最悪な記憶を思い返したかのように不機嫌そうである。

「しかし……友情ってのはやるせないでございやすね」
 誰に語るでもなく、幽谷響は寂しそうに呟いた。

「こっちの気持ちはあっちに届いてるつもりでも、あっちはまるで気付いてねえかもしれねえ……その逆もまた然り、あっちの心こっち知らず、こっちの心あっち知らず。所詮しょせんはさもしい一人相撲、愛だの情だの気取ったところで、相手の本心なんざまるでわかりゃしねえ」

 人と人を結ぶ『情』というものは、決して相互するものではない。
 惜しむらくは一方的なもの、どちらの気持ちも腹の底まで探れはしないのだ。

「でもさ──トモダチのために何かしたいって思うのは当然じゃないの?」

 珍しく空気を読んで黙っていた茜が、思いのままに喋り始めた。

「このお姉さんのことはよく知んないけど……アタシはアリスが困ってたら助けてやりたいし、マイルに酷いこと言っちゃったら後で謝りたいって思うもん。それが友情ってやつでしょ?」

 身近な人物に置き換えてこそいるが、茜の言葉はストレートだった。

「誰かのために手を伸ばすのが人間……それができなきゃ外道だよ」

「茜ちゃんの言う通りだな」

 信一郎は気を失った美里を抱き上げ、看病人用の簡易ベッドに休ませた。

「相手の気持ちを考えるのはもちろん大切だよ。でも、それにこだわりすぎて何もしないでいたら、友達も家族も仲間も大切な人も、遠いどこかへ行ってしまうんじゃないかな……それこそ手の届かない遠くへさ」

 信一郎自身、似たような経験が一度だけある。
 無表情だった幽谷響だが、自嘲するように唇を曲げてこう言った。



「そりゃあ……ちがいありやせんな」


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