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第三夜 樹木子
第3話 大子と大師と山の神
しおりを挟むこの農家も元は大家族だったのだろう。大きな部屋が多い。
信一郎と幽谷響は、その一間を貸し与えられた。
「若い男女をひとつの部屋に泊めるなんざ、あの御老人も大らかなんだかボケてんだかわかりゃしませんな。しかし、それにも増して理解できないのが……」
幽谷響は──雁字搦めで拘束されていた。
信一郎が植物の生命力を操って創った蔓により緊縛されているのだ。
微動だにできないので、芋虫よろしく転がっている。
「あ、あの、先生……ここまでの水先案内人を務めた拙僧に、この仕打ちは一体全体どういう次第でございやすか? ご説明を願いやす」
「うん、まあ念のためだね」
相づちだけを返して、信一郎は調査で得た情報の編集に没頭していた。
今回のフィールドワークに関係しそうな資料をデータ化し、それをタブレットに放り込んでおいたのだ。本をめくる感覚でタブレットをスライドさせたり、見聞きした情報をテキスト化して打ち込んだりしていた。
「念のためとはこれ如何に?」
しつこい幽谷響に、信一郎は人差し指を突きつける。
「君がどんなにチンクシャだろうと、曲がりなりにも男性であることは間違いない。私も本来なら男性なのだが、今は仕方なく女性を演じている……間違いがあったら嫌だからね」
なるほど、と幽谷響は頷いた。
「それは了解しやした。ですが、今なら男に戻ればいいだけのお話では?」
「いや、まあ、そうなんだけどね……その…………戻れなくなった」
消え入りそうな信一郎の声に、幽谷響は自慢の耳を疑った。
「はあ!? 今なんと仰られた!?」
「だから! ちょっと事情があって男に戻れなくなっちゃったんだよ!」
全面的に認めると、この弱点を幽谷響に知られてしまう。
それが嫌だったから信一郎は言葉を濁したのだ。
「だ、だって先生、貴方様は自分の『木魂』で肉体的な外見を女体化させてるだけでございやしょう? それがどうして女体で固定されるんでやすかい?」
もう隠し通せない──幽谷響は根掘り葉掘り訊いてくる。
信一郎は作業の手を止めて、男性に戻れなくなった理由を告げた。
それは常人には聞き取れない囁き声だった。
「…………なんだよ」
「はあああっ!? せ、生理ぃぃっ!?」
しかし、幽谷響の耳にはしっかり届いていた。
「あの日、って遠回しに言ってるのに意訳して大声で叫ぶな馬鹿ぁ!」
信一郎は巧みな足技で縛られてる幽谷響を蹴り飛ばした。
幽谷響は漆喰の壁にぶち当たって悶絶する。
「し……しかし、そりゃ一体どういうことでございやすか? 何が何やら拙僧にはさっぱりですぜ? 男のはずの先生に、せ、生理って……?」
尺取り虫みたいに戻ってきた幽谷響が問う。
「私自身も気付いたのは最近だよ……半年ぐらい前かな」
信一郎の魔道師としての能力──それは生命の操作。
それを使えば男性を女性に、女性を男性に変えることも可能だ。
ただし、そのためには膨大な生命力が必要であると同時に、変えられる当人の負担が計り知れなかった。病弱な人間だと死にかねない。
しかし、脂肪や筋肉を操作して外見を整えるだけなら簡単だ。
当初、信一郎は自分にそれを行っていた。
「最初は教授や先輩の眼から逃れるため女になってたんだよ。あの人たち、中途半端な変装じゃすぐに私だと見抜くから、こうするしかなかったんだ」
彼等は研究のためなら──平気で信一郎を酷使する。
彼等から逃亡する手段として、やむなく女体化を選ぶしかなかった。もし追いつかれたら、よく似た女子大生の振りをして、彼等の眼を欺いてきたのだ。
「では、先生の家にあった女物の衣類は変装用の品々でございやしたか」
「そうそう通販で……って、なんで知ってるんだよ!?」
ツッコミと同時に幽谷響をまた蹴り飛ばした。
「とにかく、そんなことを繰り返してたら……その、いつの間にか、本当の女性になってるのに気付いたんだよ……」
ある日、教授から逃れて帰宅した途端──凄まじい不快感を覚えた。
腹部に生じた未知の痛覚、全身が倦怠感に悩まされる。
重大な病気かと困惑していたら──経血が流れ落ちた。
そこに至り、ようやく自分の肉体に隠されていた事実を知らされた。
「つまり、私は特殊なタイプの半陰陽だったらしい」
「半陰陽……ああ、性別が曖昧な人のことでやすか。俗に言えばふたなり、アンドロギュヌス、両性具有者って言われてるやつでございやすね」
胎児期に何らかの影響で、本来なるべき性とは異なる形に性器を形作られてしまい、そのまま産まれてきてしまう症例だ。医療の場では数多く報告されている。
これは概ね三例に分類される。
男性化女性半陰陽──染色体は女性、卵巣や子宮を持つが外見上は男性。
女性化男性半陰陽──染色体は男性、精巣を持つが外見上は女性。
真性半陰陽──完全に男性と女性の性器を併せ持つ、最も特殊な症例。
「かの有名な貞子さんも、原作では睾丸性女性化半陰陽でございやしたね」
「ドラマや映画じゃ使われなかった設定だね……その話はさておき」
信一郎の場合、その貞子よりも特殊な状態だった。
「私はれっきとした男性だが、どうやら内在的に卵巣や子宮が隠れていたらしい。一応、真性半陰陽に分類されるわけだ。それらは発現されないで未熟な状態だったから、何事もなければ男性として一生を終えていただろう。しかし……」
「『木魂』から魔道を受け継ぎ、御自身を女体化していたため、眠っていた女性的な機能が目覚めてしまった……と言ったところでございやすかね」
幽谷響の言葉はいやらしいほど正鵠を射ていた。
信一郎は深々と溜め息をついた。
「医学の知識は乏しいけど、能力のおかげでおおよそ見当はついた……概ね、君が言った通りだよ。もしも『木魂』の術を受け継いでいなかったら、なんらかの弊害があったかもしれないね」
幸か不幸か──『木魂』の能力のおかげで調整は利く。
しかし、今日のように女体化してそれがたまたま生理と重なってしまうと、元に戻れなくなってしまうのだ。我ながら不注意である。
「都合良く生理周期は調整とか出来ないんでやす……がべっ!?」
「無理をすると後でしわ寄せが来るんだよ!」
幽谷響の減らず口に、見事なまでの踵落としが決まった。
「せ、先生……拙僧が動けない弱みに付け込んで、今までの憂さを晴らしておりやせんか? なにやら晴れ晴れとしたお顔をしていらっしゃいやすが……」
「ん~? 気のせいだよ気のせい♪」
蹴り飛ばす度、得も言われぬ快感に浸っているのは内緒だ。
いつも口うるさい幽谷響をやり込めるのは気持ち良い。
楽しんでばかりもいられないので、信一郎は編集作業に戻った。
幽谷響は芋虫の動きで這ってくると、信一郎の斜め後ろに寝転がった。
「そういえば、九重さんの話は興味深いものでございやしたな」
「ああ、君が話してくれたガセネタとは似ても似つかないものだったね」
生理のおかげでイライラするから、幽谷響への風当たりも強い。
「でも、九重さんからしか聞いてないから何とも言えないが、あながちガセとも言えないのかもね」
恐らく、九重の話は後世に作り直されたものなのだろう。
御大師様──それは弘法大師・空海を示す。
弘法大師の伝承は日本各地にあり、その総数は三千にも及ぶという。
清水や温泉の発祥を始めとして、宿を請うた大師をもてなす為に盗みを犯した姥の足跡を隠そうと雪を降らせる話、大師の施しを断った農婦の芋が石芋と化した話など枚挙に暇がない。
「だが、それらすべてが弘法大師空海の仕事とは限らないんだ」
「もしそれらの伝承が真実だとしたら、空海様は日本全国津々浦々で大活躍。黄門様の先駆けのような世直し旅をされてたってことになりやすからな」
真言密教の普及に尽力した空海が、全国行脚をできたはずがない。
「大師とは大子──つまり『神の御子』のことだ。各地に伝わる大師伝説はいくつかは、この『神の御子』に対する信仰だったとされている。それが高野聖の布教と共に大師と大子という音の連想から、弘法大師伝説へと変わったんだというのが民俗学的な見解のひとつにある」
「では大子、その神の御子とは何者でやすか?」
「恐らく、それぞれの土地に固有する土地神や山の神だろうね」
大子とは山の神を指すとも言われている。
この山の神は地域によって様々だが、一つ目一本足の異形であり、大師自身も片足が不自由だったと伝えられている昔話もある。
各地で行われる大師請という行事は十一月二十三日か二十四日であり、これらの日付は山の神が来訪する日と重なり、山から神が降りてくる日とされている。
この神は──片目や片足であることが多い。
それらの話は幽谷響の記憶に、ある説を想起させた。
「かつて神に任じられた神官や生け贄は、人間と区別する為に片目片足を潰された。それは人間ではなく、神と選別された証……そんな話を聞きやしたな」
「柳田国男の『一つ目小僧その他』だね。関連性があるのかも知れないな」
信一郎はある単語を確認するため、他のデータを調べた。
「ああ、やっぱりそうだ。本来、僧侶の死は“入寂”と言うんだが、空海に限って“入定”と呼ばれているんだよ」
その意味は──永遠に生きて衆生を見守ること。
「九重さんは、はっきり“入定”と申されておりやしたな」
信一郎が念押ししたのはそのためだった。
「弘法大師が“入定”されたのは、高野山の奥深くでございやしょう?」
「そうさ。だからこそ、これは弘法大師の伝説を引用した、後付けの伝承だとわかるんだ。元来、この地に伝わる御大師様の桜は、巨木信仰の名残だろう。ひょっとすると土地神の依代とされた御神木なのかもね。だとすると……」
先に幽谷響が触れた、神と選別された人々の話を思い出す。
神にされた者は神の任期を終えると、人身御供として捧げられる。
その場所は神の座する場所──神の依代たる巨木などだ。
古今東西、神々への祭祀に贄が献じられた例は多い。
人が血肉を喰らうのは穢れとされたが、神々には饗じられていた。
むしろ神の機嫌を取り持つのに必須とされたぐらいだ。
無論、後世の神道においては禁忌とされた。
しかし、各地の神社には生贄や人身御供がかつて行われ、それを取り止めた事実を言い伝える伝承が数多く伝えられている。
つまり、贄の歴史を否定しつつ肯定しているのだ。
ここへ訪れる前に聞いた噂──人を招いて殺す山桜の伝承。
他愛もなく連ねた考えが、不快な連鎖を招く。
人を招いて殺す山桜、その根元には大勢の死者が眠る。
それは現在、御大師様の桜と言い換えられて、その根元には僧侶が眠るだけと伝えられている。
大師は大子、本来ならば土地神の信仰とされた
もしも──大勢の死者が眠る説が伝承の源流であるならば?
「……いきなり突拍子もない仮説を組み立てちゃいけないな」
信一郎は頭を振って、その考えを打ち払った。
取り敢えず入手した情報を整理して、順当に推論しようと努めた。
「御大師様の桜が伝承の中心にあり、その真実をこの桜沢の人々が正確に言い伝えていないのは確かだ。何世代前からか弘法大師伝説を取り入れて、当たり障りのない伝承へと変化している……いや、大師が“入定”したと強調してるんだ。後世の誰かが捏造した感がある。だとすると何のために……?」
「無論──真実を隠すためでございやしょう」
幽谷響の声のトーンが変わった。
極悪なものへと変貌を遂げている幽谷響の表情。
だが、縛られたままなので締まりがない。
「どうやら、その真実と繋がってそうな輩がやって来やすぜ?」
幽谷響は凶悪な笑顔で言った。
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