クトゥルフ怪譚集

曽我部浩人

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第3話 山水に沈む

山水に沈む 後編

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 時刻は20時を回ったばかり──。

 大切なお話があります、と碧には言われていたので早めの夕飯を済ませると5分前行動を心掛けて、気持ち早めに淵水のお屋敷を訪問した。

 沼の北側にある、山を背負った大きな屋敷だ。

 時代劇でしかお目に掛かったことがない、数人がかりで開ける門構え。

 門脇の通用口を叩いて用向きを伝えるとVIP待遇で迎えられた。

 門から玄関まで印沼顔の女中や使用人が左右に並んで頭を下げ、城太郎は一様に礼を尽くす彼らのアーチを潜るように勧められた。

 お大尽じゃないんだから、こんな大袈裟な歓迎せずとも……。

 職場の後輩に誘われた先輩が訪ねてきただけだというのに、村を挙げてのお祭り騒ぎになりそうな勢いだ。気後れしそうになる。

 慣れない居心地の悪さを味わいながら歩を進めた。

「──お待ちしておりました」

 ようやく玄関に辿り着くと碧に迎えられた。
 現れた碧は見慣れた作業着でもなければフェミニンな普段着でもない。

 純白の着物──それも女物を着付けていた。

 これは完全に女装だろうと面食らう城太郎だが、いつもコロコロの微笑んで愛嬌のいいはずの碧はまったくの無感動。楚々そそとした態度で澄ましていた。

 碧は挨拶もそこそこに城太郎を屋敷へ上げる。

 碧はくるりときびすを返し、歩きながら屋敷の奥を掌で指し示した。

「どうぞこちらへ…………お待ちです」

 誰かが待っていると呟いた碧だが、声が小さすぎて聞き逃してしまった。「両親に会ってください」とかだったどうしよう、と動転しそうになる。

 女性的な仕種で、慌てず急がず屋敷の廊下を歩く碧。

 その男性とは思えない悩ましい腰つきや、着物越しでもわかるほど丸みを帯びたお尻に見とれながら、城太郎も歩幅を狭めて付いていく。

 屋敷の奥にある奥座敷。

 そこへ通されるものかと思いきや、更に奥へ、ずっと奥へ通される。

 屋敷の最深部にあったのは──地下室への入り口だ。

 碧は錆びた錠前を開けると、重々しい扉を開いて先へ進む。
 促されるように城太郎も続くしかない。

 地下室への入り口は、長い階段と長い廊下が交互に続いていた。

 最初は屋敷の背後に聳える山の真下へ続いていると思ったが、途中で折り返して更に降っているので、このままだと印沼の底に辿り着きそうだ。

 岩盤を掘り進んだ地下洞は湿り気を帯びている。

 廊下の天井と言わず床から壁面まで、結露による水滴が夥しい。

 ピチョーン、ピチャーン……と喧しいくらい水滴の落ちる音が鳴り響いて、延々と歩かされるだけの城太郎も不安になってきた。

 いつもは饒舌で馴れ馴れしい碧が、必要以上のことで口を開かず余所余所しいのも手伝い、自分は何らかの禁忌タブーに触れようとしているのでは? という得体の知れない不安感に嘖まれてきた。

 地下洞の空気は水気で満たされている。

 まるで水の中を歩かされているような湿度100%の空気なのだが、不思議と息苦しさがない。むしろ快適にすら感じていた。

 ここ最近、寝覚めに感じた息苦しさが和らいでいく。

 いつの間にか首回りの粘つく感覚が消え、さっぱりした気分だった。

「血が発現してきたみたいですね」

 深き者・・・の血が──碧は喜ばしい声でボソリと言った。

 その声を聞けただけで安堵してしまう辺り、碧の色気にやられている気がしないでもないが、精神安定剤となることは認めなければ。

 碧の呟きの意味を理解できぬまま、彼の小さな背中についていく。

「先輩は……インスマスという場所をご存知ですか?」

 唐突に質問されたが、残念ながら城太郎はその地名に心当たりはない。

 確か「~マス」というのは、英語圏で海辺とか港に関連した町によく付けられるという話だけは聞いたから、イギリスかアメリカの港町だろうか?

 それだけ答えると、碧は感心するように頷いた。

「アメリカのマサチューセッツ州エセックス郡──そこを流れるマニューゼット川の河口にある港町です」

 印沼巣インヌマスの者はね──彼らと同郷なんですよ。

 印沼素の名前は、そのインスマスにあやかって名付けられたという。
 かつては名付けることさえ嫌がられた忌み地だったそうだ。

「同郷……じゃあ、大元になる故郷があるのか?」

「はい、イハ=ンスレイ……いや、あそこは比較的新しいか。インスマスへの植民が始まってだから……あそこより古い都市なら……そうですね、大元を辿ればルルイエという都市が故郷に当たるのでしょう」

 水底みなそこの奥底──深淵の極みに建てられた海底都市。

「悠久の昔……太古と呼ぶのも烏滸おこがましい、古い時代まで遡ります」

 クトゥルフ──そう讃えられる偉大な神がいた。

「クトゥルフ……九湯流?」
「そうです、九湯流とは偉大なるクトゥルフ様の当て字です」

 道理で日本神話らしからぬ容姿をしているわけだ。

 黙って納得する城太郎に、碧は訥々とつとつとした調子で話を続ける。

「遠い星から地球へやってきたクトゥルフ様は、地球に居を構えて、幾星霜も続いた神々との戦いに身を投じたとされています」

 長きに渡る戦いの末──疲れ果てたクトゥルフは海底で眠りについた。

 海底都市はクトゥルフの居城でありの神が眠る地。

「偉大なるクトゥルフ様に奉仕する役目を担い、海底都市ルルイエにはべることを許された栄光ある種族…………それこそが深き者です」

 深き者ども──ディープ・ワンズ

 海底の水圧にも適応した水棲生物に近い肉体、老いを知らず老衰とは無縁の不死に近い生命力、それでいて陸上の活動にも支障がない四肢と呼吸器官。

「見た目は魚や蛙っぽくて人間には忌み嫌われますが……人間以上の能力を備えた、偉大なる神に選ばれた種族」

 それが深き者です、と碧は誇らしげに胸を張った。

 その深き者の頂点に立つのが、父なるダゴンと母なるハイドラ。

「ダゴンが蛇護吽観音で、ハイドラが杯渡羅観音……か」
「そうです。隠れ切支丹きりしたんが似たようなことをやっていたそうですね」

 キリスト教が禁止された江戸時代──。

 隠れ切支丹と呼ばれた信者たちは山や森に秘密の礼拝堂を設けたり、キリストを鏡の中に隠して崇拝したり、マリア像を観音様に似せて誤魔化してきた。

 九湯流も蛇護吽観音と杯渡羅観音も、それと同じだ。

「じゃあ、インスマスという町で暮らしている住人やこの印沼……巣の村人は、自分たちがその……ルルイエから来た深き者の子孫だと信じているのか?」

「信じてるんじゃありません──事実ですから」

 わかってください、と言わんばかりに碧は断言した。

 それはつまり、代々ここで生まれ育った祖母を始め、その沼守の血を引く城太郎も、その深き者と呼ばれる海底で暮らした一族だというのか?

 途端──爆ぜる衝動が起きた。

 まるで「認めろ!」と言い聞かせるようなタイミングでだ。

 しかし、今までよりも痛みは少ない。慣れてきたというより、城太郎に受け入れる体勢が整ってきた感じがする。

 理解が追いつかない城太郎だが、構うことなく葵は話を続けた。

「深き者たちは眠りについた偉大なるクトゥルフ様への奉仕をしながら、いつの日か彼の神が目覚める日に備えて、世界のあちこちに前哨ぜんしょう基地きちとなる拠点を作っていきました……海は繋がっていますからね」

 インスマスや印沼巣は、数ある拠点のひとつだという。

 だがしかし、地球の長い歴史の中、地上の大陸どころか海底の海溝すら変型させる規模の地殻変動が何度も起きた。

「この印沼巣はね……かつて海の底だったんですよ」

 しかし、度重なる地殻変動の果てに海底は隆起して日本列島を形作り、印沼巣は山中に取り残されてしまった。どうやら「まだ海まで出て行けるし大丈夫」と油断していたら、いつの間にか山間の盆地に取り残されていたらしい。

「こう言ったら悪いが……間抜けじゃない?」
「不老長生な血筋ですから、のんびりしていたのは否めませんね……」

 城太郎の苦言に碧も苦笑するしかなかった。

「幸いにも海水に近い温泉を初めとした水源に恵まれたので、印沼を中心にご先祖様たちは暮らすようになりました」

 深き者は人間との混血ができるという。

 そのため周辺の住民と婚姻関係を結んで子供を産ませると、その子供は若い内は人と変わらないが、30~50代で深き者の血が発現して、いわゆる半魚人のような姿に変わり、水中で暮らすようになるという。

「血の発言した者は印沼の底で暮らすようになり、そこから少しずつ地下水道を掘り進めて……ついにはルルイエまでの道を開いたそうです」

 こうして印沼巣は、偉大なるクトルゥフの住まうルルイエや、同胞たちの別拠点であるインスマスやイハ=ンスレイを訪ねられるようになった。

 深き者は陸上生活も問題ない(水中の方が動きやすいが)。

 そこで陸路から海を目指す者もいたのだが、陸にはある問題があった。

「日本はずっと……この小さな島国で戦争してきました」

 平安、鎌倉、室町、戦国、安土桃山……江戸時代の始まりまで武士や豪族が、土地や面子めんつを掛けて戦争を繰り返してきた歴史がある。

 そこに──印沼巣も巻き込まれた。

 こんな山間の寂れた村など誰が欲しがるのかと現代なら思うが、綺麗な水源を確保できる上、盆地を囲む四方の山々に城を建てれば拠点として申し分ない土地柄なので、近隣の大名たちはこの地を欲しがったのだ。

 当然、印沼巣の住人たちは抗った。

 人間より優れた身体能力を頼りに、この地を脅かす侵略者たちを追い払ってきたのだが、やがて多勢に無勢となって苦戦を強いられてくる。

「何万年、何億年……そんな長い年月を生きてきた深き者ですが、ぼくたち印沼巣の者は……このたった数百年で激しい変革を求められたのです」

 戦わなければ生き残れない──この土地も守れない。

 印沼の底に打ち立てた拠点には、ルルイエから偉大なるクトゥルフ様の眷族までお招きしているのだ。この地を奪われるわけにはいかない。

 そうした決意が血をたぎらせたらしい。

 戦国時代が本格化する少し前、新しい世代が生まれてきたらしい。

「通常の深き者を上回る身体能力を備えたり、血が発現しても人間と変わらぬ姿をしていたり、攻撃的な器官を持って生まれてきたり……そして」

 偉大なるクトゥルフ様のように──人々の夢に働きかける・・・・・・・・・・能力。

 それは崇拝するクトゥルフに近しい存在とされ、仲間内なら意思疎通テレパシーできる深き者の中でも、選ばれた者として尊ばれたという。

「淵水の家は代々……その夢見る能力を持つ者が生まれやすいんですよ」

 これを聞いた城太郎はハッと顔を上げる。

 では、まさか、毎夜毎晩のように城太郎が悩まされるも待ち望んでいる、あの淫夢の正体は……しかし、問い質すには常識的な恥じらいが邪魔をした。

 夢の内容に触れる以上、18禁にならざるを得ない。

 碧も18歳と聞いているが、いくらなんでもペラペラと話題にできるようなものではない。城太郎は逡巡した挙げ句、口をつぐむことにした。

『──俺に毎晩いやらしい夢を見させているのは君なのか?』

 そんな直球に訊けたらどれほどいいか! 城太郎は焦れったかった。
 城太郎の胸中を知ってか知らずか、葵の話はまだ終わらない。

「──新しい世代の活躍は目覚ましかったそうです」

 印沼巣を狙う大名を秘密裏に暗殺し、迫り来る大軍をたった数人で闇討ちして全滅させ、人間以上の美しさを持つ娘が敵の大将を籠絡ろうらくする。

 やがて、印沼巣に手を出す不届き者はいなくなった。

「この山奥に閉じ込められたぼくたちの先祖は、そうして生き存えるしかなかったんです……この身を作り替えてでも……」

 まるで──ますを品種改良するかのように。

「先輩やぼくは、そうした新しい世代の一員でもあるんです」
「……やっぱり、俺も……その……」

 深き者の血を引いているのか、と城太郎は呻くように言った。

 自分が人外の者だと言われても自覚は薄い。しかし、なんとなく受け入れる気持ちができていたことも否定できなかった。

 印沼巣に来てから度々遭遇した──不思議な幻覚。
 印沼素に戻ってきてから発症した──爆ぜる衝動。

 あれは城太郎の中で眠っていた深き者の血が目覚め始めた予兆。多くの同胞が暮らす地に戻ってきたことで、共鳴していたのかも知れない。

「深き者とは人間より優れた種族です。その能力の最たるものは──」

 ──死なないことにあります。

「死なない……不死身や不老不死ってことか?」

 城太郎の問い掛けに碧は即答せず、順を追って説明してくれた。

「そういった意味での“死なない”とか“死ねない”ではなく……“死ににくい”というべきかも知れませんね。人間や他の生物のように老化しすぎて死ぬ、つまり老衰がないんですよ」

 そのおかげなのか、一風変わった特性もあるという。

「魚類や両生類、または爬虫類などに多いそうですが……深き者として覚醒すると、食べれば食べただけ、大きくなる成長を続けるそうです」

 その逆に食わずとも餓死することはなく、身を細らせて肉を痩せていくだけなので、最終的にはカエルのようなサイズになってしまそうだ。

「そこまで小さくなった者も見たことはありませんが……ですから、自然死はまずあり得ません。病気や怪我で死ぬことはありますけどね」

 だから、深き者が増える一方ということはない。

「ぼくたちは偉大なるクトゥルフ様のため、その復活のため働きます……その過程で人間たちと争ったり、敵対する勢力との抗争が起きれば、どうやっても死は免れませんからね」

 特に印沼巣の出身者は──早世することが多いそうだ。

「先ほど説明した通り、印沼巣の者は陸に取り残されたため、戦うことを余儀なくされた結果、他の深き者より突出した能力を持つ者が生まれます」

 このため、抗争などの前線に駆り出されやすい。

 いくら強いと言っても人間相手ならばともかく、深き者と対等以上の能力を持った種族や、こちらの能力を封じてくる特殊な人間もいなくはない。

 結果、印沼素出身者は名誉の殉職を遂げる者も多い。

 印沼が過疎地域になった一因がこれのようだ。

「おまけに……先輩も知っての通り、印沼巣の者は嫌われてますからね」

 印沼顔とあざ笑われて、と碧は卑屈気味に言った。

 少子化の波が押し寄せる日本だが、印沼の住人は深き者の血が発現する前から魚介類じみた顔の者が多く、近隣の人々から忌み嫌われていた。

 婚姻関係が結べなければ、子孫繁栄もまた難しい。

「それでも……新しい世代が、新しい血が……求められているんです」

 偉大なるクトゥルフ様に仕える者たちが──。
 いつか来る復活の日に備えて戦える戦士が──。
 より強くもっと優れた次世代が──。

「偉大なるクトゥルフ様に仕える、誉れ高き深き者たちの一部族として……戦となれば勇猛果敢に戦った、印沼巣の戦士として……偉大なるクトゥルフ様を崇める子孫を増やしていかなければならないんです……」

 子孫を増やして、と呟いたところで碧は立ち止まった。

 碧の説明を聞きながらだが、地下洞をどれくらい降ったのだろうか? 
 30分、1時間……わからないが、かなり歩いた気がする。

 しかし、まだ目的の場所に辿り着かない。

 碧は顔を伏せて前髪で目元を隠したまま、ほんの少しだけ振り向いた。

 薄い朱色の口元が微笑み、地下洞の湿気で濡れたうなじが艶やかな光沢を帯びて、襟元から覗ける鎖骨と、その下へ続くなだらかな胸に息を呑む。

 これが──男に出せる色気だろうか?

 どんな美女だろうと、ここまでの色気を醸し出せる者はそういない。

 そんな碧が「子孫を増やす」などと甘い声で口にすれば、城太郎も男として期待に胸が膨らみそうな想像へと導かれてしまう。

 そんなつもりはないのに、碧の腰つきに視線が注がれる。

 男とは思えないくらい広い骨盤に、肉付きが良すぎて着物にラインがくっきり浮かぶお尻。脂汗と結露にまみれた城太郎は思わず固唾を飲んでいた。

「ま、まさか……」

 碧くんではなく──本当は碧ちゃんなのか?

 男装女子とかそういうジャンルか? だったら全然無問題モーマンタイではないか? この後すぐに子孫繁栄の行為に移れというのか? そんな憶測が城太郎のシナプスを超高速で駆け巡り、興奮のあまり鼻が膨らんで「フハッ!」と変な息が出た。

 戸惑う城太郎の様子をおかしそうに碧は見つめている。

「勘違いをしなくても大丈夫ですよ、先輩」

 僕に先輩の伴侶はんりょは務まりません──碧は寂しげに微笑んだ。

「僕は…………ですからね」

 出来損ない──そう聞こえたのは気のせいか?

 俯いた顔に前髪が掛かって表情も読めないが、微笑んでいるはずの口元は悲しみを堪えているようにも見えて、城太郎の胸がチクリと痛んだ。

 ふと、前を歩いていた碧の足が止まる。

 薄暗くて気付けなかったが、目前に大きな観音開きの門があった。

 辿り着いたのは地下洞の奥深く、幾度か階段を反転して歩きながら降ってきた距離を思い返してみると、ここは印沼の真下ではないかと予測できる。

 その奥にある部屋、碧は重い扉を軋ませながら開いた。

「お連れしましたよ──姉さん・・・

   ●   ●   ●   ●   ●   ●

 そこは水底に造られた温泉地、ともいうべき場所だった。

 巨大な鍾乳洞のような場所だが、そこかしこから滝が落ちるような水音が聞こえてくる。電気を引いていないのか、いくつかある光源は大振りの蝋燭や飾り提灯をぶらさげたものだった。

 炎によって灯される明るさが、否応にも幻想的な雰囲気を醸し出す。

 地下洞も湿気が凄かったが、ここは距離的に印沼の底に近いからか洞内はたっぷりとした湯気が渦巻いていた。湯気には独特な香気こうきがあり、とても暖かい。

「……まさか、こんな地下に温泉か?」

 夜目に慣れてきた目を瞬かせると、鍾乳洞のあちこちに湯気を立ち上らせる温泉を見付けた。多少は人の手が加わっているようだが。

 チャプ……と湯船の中で何者かが動く音がする。

 音は鍾乳洞の中央、一際大きな岩風呂から聞こえた。

 城太郎たちが入室したことに反応したのか、湯船の奥からゆったりとした足取りでこちらに近付いているようだ。まだ城太郎の位置からは見えにくい。

 いつしか碧は立ち止まっている。

 意識せず城太郎は歩を進めており、碧より前に出て音の主を見ようとした。

 やがて城太郎は岩風呂の淵に立ち、音の主も頼りない提灯の明かりで照らされるところまで出てきてくれた。ようやく顔を拝むことができる。

 彼女を目にした途端、城太郎は魂が吹き飛びそうな衝撃を受けた。



 そこにいたのは──夢で逢瀬を重ねた彼女だった。



 碧と瓜二つの顔立ち。違うのは長く伸ばした黒髪くらいものものだ。姉さんと呼ばれていたから姉弟なのは想像に難くなく、彼女は紛れもない女性だった。夢の中で見たままのスタイルをしており、城太郎の情欲を刺激する。

 言葉が出ない城太郎に、彼女は優しく微笑みかけてくれた。

 現実で間近にするとわかることだが、夢の中では気付かなかったことがいくつかあった。彼女の肌はとても滑らかで繊細だが、ある種の魚類を連想させた。

 即ち──乾くと致命的なまでにダメージを受ける肌だ。

 夢の中で城太郎を撫でてくれた細い指の間には、うっすら水かきが生えているのが見て取れる。幾度となく唇を寄せた嫋やかな首にはえらのようなスリット。

 こんなにも美しい彼女だが──深き者の特徴が現れていた。

「お待ちしておりました……愛しい貴方あなた

 幾度となく夢で囁いてくれた声を、現実の世界で聞かせてくれた。

 もう間違いない──彼女こそがあの淫らな夢の主。

 夜な夜な城太郎を誘惑してきた、夢を操る深き者の女だった。

 待っていた、と告げてから彼女は喋らない。
 ただ、ニコリと微笑むだけだ。

 城太郎も笑う。2人の間にもう言葉はいらない。

 毎夜毎夜、夢を通じて愛を交わしてきた。改めて口にせずとも通じ合えるほどに肌で触れ合ってきたのだ。彼女のことは自分のことのように理解できる。

 彼女は夢に働きかける能力で探していた──自分に相応しい伴侶を。

 深き者の血を受け継ぐ者で、この印沼素に新しい世代をもたらす遺伝子を持つ者を探していたのだ。そして、沼守家の孫である城太郎を見つけてくれた。

 毎夜の夢で囁きかけて、城太郎の恋慕を自分へと募らせる。
 現実では淵水家の力を利用して、城太郎を印沼素へと帰らせる。

 瓜二つな碧を傍に置いて──城太郎の意識を揺さぶっていたのだ。

 すべて彼女のお膳立て、城太郎はまな板の上の鯉だった。

 鯉でもいい──深き者でも構わない!

 彼女とともにいられるなら、愛しい女と愛し合うことができるなら、未来永劫、死ぬこともなく老いることもなく睦み合えることができるというなら……。

 ──これほどの幸せはないじゃないか!

 服を脱ぐ、そんな些細な時間さえも惜しい。

 城太郎はすべての衣類が半脱ぎのまま、足早に湯船へ踏み込んだ。ざっぷざっぷと温い湯を蹴って彼女に近付き、湯が沸くほどの熱い抱擁を交わした。

 彼女も抱きついてくると、迷わず口付けを迫ってくる。

 ありのままに受け入れた接吻は、夢の時のように潮の味がした。

 抱き合ったまま、唇を吸い合ったまま湯船へ倒れ込む。

 爆ぜるような衝動が起きてもお構いなしだ。

 これは変化の兆し──深き者へと覚醒する兆候。

 彼女の伴侶となれるなら、人間を辞める恐怖など如何いかばかりのものか。

 城太郎は、我が身を変える爆発的な衝動に身を委ねた。

 水の中──徐々に肉体の構造が変わっていく。

 息苦しさは感じない。むしろ、今まで以上に新鮮な酸素を取り込める。
 空中ではなく、水中に溶け込んだ酸素を吸えた。

 城太郎の首に──ようやくえらが開いたのだ。

   ●   ●   ●   ●   ●   ●

「深き者には大変容期だいへんようきという時期が訪れます」

 久し振りに帰ってきた大亀さんが「奢りますよ」というので、ランチがてら2人で定食屋に入った。いつも通り、先客が奥でガツガツと飯を食っている。

 彼らに興味を持った城太郎に、大亀が「よろしければ」と深き者の生態について、簡単な解説をしてくれた。

「深き者は人間との間に混血児をもうけることができます。その子供は生まれた時は人間と変わりませんが、成長するにつれ、やがては老いるにつれ、外見に深き者らしさが浮かび上がってくるのです」

「それはまあ……なんとなくわかります」

 大海や泥舟を始め、この定食屋の女将さんや、毎朝すれ違う印沼素のご老人たち。その誰もが海や川に住む生物を思い起こさせる容貌ようぼうだった。

 しかし、大亀にその兆候は見られない。

 今年41になるという大亀だが、丸みを帯びた面立ちにほうれい線や深い皺が刻まれており、実年齢よりも老けて見える。だが、穏やかな性格でも覆い隠せないほどの硬派な雰囲気が、老化を補ってあまりあるダンディズムを醸し出していた。

 男が憧れるハードボイルドな紳士である。

 愛用の鎧めいたトレンチコートは脱いで、帽子と一緒に隣の椅子へ預けている。
 ワイシャツ姿になると、やはり鍛え上げた肉体が目立った。

「そこまでならば『魚みたいな人間』で済みますが、ある時期になると深き者の特徴が完全に表へ現れるようになります。こうなった者は人間の皮から脱皮して、深き者というあるべき姿に立ち返るのです」

「それが大変容期……ですか」

 城太郎が繰り返すと、大亀はテーブルの上で手を組んで頷いた。
 それから、チラリと店の奥に目線を送る。

 そこに陣取るのは定食屋の常連。

 いつも店の奥に集まって、ガツガツと獣のように食べている連中だ。

「彼らは間もなく大変容期を迎えようとしています……だから精神的に不安定ですし、動作も獣じみたものになってしまう。あれはまだ大人しい方ですよ」

「いや、だからって犬食いはどうかと思いますよ?」

 よく見れば丼飯だろうが煮物だろうが焼き魚だろうが、箸も使わず手掴みで口に運んでいた。原始人でももうちょっと上品に食べると思うんだが。

 彼らはさておき、と大亀は向き直る。

「大変容期を迎えた者はもう人間ではありません。完全に深き者の一員となります。見掛けも生態も人間社会で生きていけるものではありませんので、ルルイエやイン=ハスレイといった海底の都市で暮らすようになります」

 ですが──印沼素の者は一味違います。

「実は私……こう見えて大変容期を済ませているのです」

 そう打ち明ける大亀に、城太郎は目を丸くして驚いた。

 特徴的な目は魚類というより爬虫類を思わせるが、それ以外で大亀に深き者らしい要素が見当たらない。「服を脱いだら凄いんです」という系だろうか?

「脱いでもむさ苦しい四十男の裸が出るだけですよ」

 大亀は見透かしたように笑うと、右手を持ち上げて城太郎に見せた。

 その手が──分厚い鱗に覆われていく。

 以前、怪奇現象が起きた時にブールサイドで拾ったものと同じだ。大亀の右手はあっという間に鱗によろわれ、手の甲には亀の甲羅にも似た甲殻まで生えていた。

「これが印沼素の者が恵まれた──変身能力です」

 印沼素の深き者は戦国時代に巻き込まれ、陸上で戦うことを余儀なくされた結果、このような特殊な進化を遂げたのだろうと言われている。

 印沼素の者は、普段から並みの人間を超える身体能力を備える。

 そして有事の際には、このような深き者としての変身を遂げて、脅威的な戦闘能力を発揮するようになるという。戦闘が終われば人間に戻れるそうだ。

「……まるで変身ヒーローですね」
「ハハハ、大海所長と同じようなことを仰る」

 今のは部分的な変身だが、大亀が完全変身を遂げると「往年のメタルヒーローを思い出すね! カッコいい!」と大海に絶賛されたそうだ。

 大亀は右手を引くと、音を立てて鱗が消えていく。

 ただ、数枚の鱗がテーブルがこぼれる。

「あ、そういえばこの鱗は……」
「そうでしたね、あの時は大変失礼いたしました」

 いつぞや残業で出会した怪奇現象──あれは大亀の仕業だった。

「東京で少々面倒毎に巻き込まれてしまいましてね。陸路で帰れる宛てがなかったものですから、変身して水路を辿って印沼素まで戻ってきたのですよ」

 印沼の底は本当に海まで繋がっているのだ。

 大亀は深き者に変身して地の奥底にある水路を辿って印沼まで辿り着いたのはいいのだが、疲れ果ててヘトヘトになってしまったらしい。

「私たちの変身は使い勝手のいい能力ですが……反面、変身する毎に莫大なカロリーを消費してしまうのでね。早い話、燃費がとても悪いのですよ」

 印沼まで帰り着いたはいいが、大亀は空腹で餓死しそうだったという。

 後で大海所長に弁解するしかない、と心で詫びながら水産試験場のサーモンを腹が膨れるまで食べて、どうにか体力を回復させたそうだ。

「……その晩、たまたま俺が残業してたもんだから」

「明かりがついていたので誰かいると思いましたが、大海さんか川津さんだと思い込んでしまった、私の甘さもありますね……いや、本当に申し訳ない」

 あの頃はまだ、城太郎は深き者のことを知らされていない。

 そこで大亀はさっさと逃げ出して印沼に飛び込むと、その夜の内に大海と連絡を取って口裏を合わせるように頼み、翌日謝罪も兼ねて城太郎の前に現れたのだ。

「蓋を開けてみれば、なんてことのない話だったんですね」
 怪談なんてどこにもなかったんだ、と城太郎は疲れた笑みをこぼした。

「私たちの存在こそが怪談じみていますけどね」
 それともモンスターパニック映画かな? と大亀は自嘲した。

「まあ、印沼素出身の者は深き者の一族と言えど、大変容期を迎えた後にどうなるかは様々です。個性的と言い換えても差し支えありませんよ」

 普通に大変容期を追えて深き者になる者もいれば──。
 大亀のように変身能力を獲得する者もおり──。
 彼女・・のように美しい容姿のまま特殊な能力に目覚める者や──。

「あるいは、碧さまのように何の変化も起きない者とか……ね」
「ああ、それは……」

 大亀は暗い表情で締めたが、城太郎も同意するように項垂うなだれる。

 碧は──あらゆる意味で未成熟だった。

 淵水と次期頭首たる姉と瓜二つの──美しすぎる顔容かんばせ

 彼にはそれしかなかった。

 深き者として大変容期への兆候を示さず、身体能力も一般人並み、では深き者の血を後世に伝えられるかといえば、生殖器も男として・・・・役に立たない・・・・・・

 出来損ない──碧は自らをそうさげすんでいた。

 そんな彼を気のいい印沼素の者は迫害することなく、淵水の若様と大切にしてきたが、碧にはそれが重荷だったのかも知れない。だからこそ、少しでも印沼素の役に立とうと、姉に命じられるまま城太郎の世話を焼いたらしい。

 城太郎に深き者の兆しが現れたら──自分の許へ連れてくるように。

 あの天真爛漫な彼が、そんな苦悩を抱えていたなんて……。

 どうにかしてやりたい、と城太郎は考える。チラリと視線を上げれば大亀も腕を組んでため息をつき、同じことを考えているようだった。

 身体に不備があろうと──彼だって印沼素に生きる者なのだから。

「はい、特別ランチ定食お待ち~!」

 職場の後輩の身を案じる先輩2人が悩んでいると、提灯ちょうちん鮟鱇あんこうみたいな女将がお盆に乗りきらない料理を詰め込んで持ってきた。

「おいおい豪勢だな。女将、何か良いことでもあったのかい?」

 顔馴染みの大亀が尋ねれば「なに言ってんだい」と女将は上機嫌だった。

「そっちの淵水の婿様・・・・・がご存知だろ──かなめ様がご懐妊されたんだよ!」
 おめでたいことじゃないか、と女将は相好を崩した。

 淵水の婿様と呼ばれた城太郎に、大亀は驚愕の眼差しを向けてくる。

「私、今日戻ってきたばかりなのですが……本当ですか、城太郎様!?」
「いや、やめてくださいよ大亀さん。様付けなんて……」

 城太郎は申し訳なさそうに人差し指で頬を掻いた。

   ●   ●   ●   ●   ●   ●

 淵水ふちみずあおいの姉──淵水ふちみずかなめ

 今年21歳になる淵水家の現当主である。

 婚約が半年前、結納が5ヶ月前だ。
 城太郎は淵水家へ婿入りして要と結婚、沼守城太郎から淵水城太郎になった。

 淵水に婿入りしても、城太郎のやることは変わらない。

 相も変わらず水産試験場で働いているが、淵水家の肝煎りで試験場は徐々に拡張。従業員も増えて、城太郎は所長代理という立場に出世した。

「よっ! 若旦那! お帰りなさい! 待ってたよ淵水の星!」
「おう、大亀も一緒か。ちょうどいい、おまえ荷物持ちな」

 お昼を終えて水産試験場に戻ると、大海と泥舟が待っていた。

 大海は特選フルーツの盛り合わせ駕籠かごを抱えており、泥舟は高級酒を詰めた一升瓶を2本まとめたものを右手に下げている。 

「はい! 要様のおめでた記念! どうぞどうぞ受け取って~!」
「淵水の姫様のご懐妊祝いだ。持ってけ」

 2人は贈答品を手渡してくるが、淵水の婿となった城太郎には持たせず「荷物持ち」にされた大亀に渡してきた。大亀も文句を言わず預かってくれる。

「そんで、予定日はいつだ? ウチの女房が知りたがってる」
「まだ4ヶ月ちょっとですよ。気が早いですって」

 泥舟からの質問に城太郎は幸せいっぱいの笑顔で返した。

 頑張ってくれよ、と大海や泥舟は城太郎の背中をバンバン叩いてきた。

 贈答品とエールをこれでもかと送り、2人は仕事に戻っていく。

「そうだ──姫子さんには伝えたのか?」

 去り際、泥舟は城太郎の祖母について触れた。

 城太郎の祖母──沼守姫子は生きていた。

 人間としての生を終えて葬式まで出したが、彼女は深き者として正統な大変容期を済ませており、今では海底都市ルルイエで悠々自適な生活を送っていた。

 城太郎も──覚醒を終えていた。

 大変容期がこの若さで起きるのも珍しいが、城太郎は大亀のように変身能力に覚醒したので、今でも人間としての日常生活を送ることができていた。

 そして、深き者に変身すれば印沼の底からルルイエへ行くことも可能だ。

 変身できるようになった直後、祖母を訪ねたことがある。
 再会した祖母は昔よりも若返ったようで、とても元気だった。

「はい、今度の休みに要と……いえ、妻と報告がてら遊びに行くつもりです」

 生まれてくる曾孫ひまごが双子だと聞いたら──喜んでくれるだろうか?

   ●   ●   ●   ●   ●   ●

 ──待ち望んだ日は近い。

 家に帰ると真っ先に、妻である要の待つ地下温泉洞へ向かう。

 夢を操る能力と美貌に恵まれた要だが、彼女は温水に浸かっていないと体調が悪くなるという弱点があった。1時間も水から離れていると、肌がカサカサになってきて呼吸するのも辛くなるそうだ。

『あたしは金魚……飼うのが難しい熱帯魚ってところね』

 姉弟ともに出来損ないなのよ、と弟の碧を庇うように自らもおとめた。

 淵水家は代々優れた深き者を産んできたというのに、その末裔である要と碧は不備の目立つ身体で産まれてきた。それでも印沼素の者は讃えてくれるから、後ろめたい気持ちがあるのかも知れない。

 そんな2人を夫として義兄あにとして慰めようと、地下洞を急いだ。

 地下温泉洞に入ると、何よりも要と碧の姿を探す。

 双子を抱えたお腹を重たそうに支える要は、温泉の縁に腰を掛けて足湯を楽しむように細い足でパチャパチャと湯船を叩いていた。

 身重の身体を案じて、温泉用の白い着物を羽織っている。

 彼女の傍らには、着物姿の碧が控えていた。

 水産試験場の人員が増えてきたのと、要のお腹が大きくなってきたのでお世話係が必要なので、碧は仕事を休業にして要の世話役になっていた。

 ……所長の計らいで「産休」扱いになっている。

 城太郎は「ただいま」と挨拶すると、今日あった出来事を要と碧に説明しながら、2人に「何もなかった? 身体は大丈夫?」と心配する。

 碧は何事もなかったことを報告すると、要と過ごした時間を話してくれる。
 それに城太郎は逐一「うんうん」と幸せそうに頷くのだった。

「今日……お医者様に診てもらいました」

 要は大きくなったお腹を撫で、城太郎に流し目を送ってくる。

「安定期に入ったそうですから、しばらく夫婦の交わりは控えてくださいね」

 少女らしい身体なのに、不釣り合いなほど膨らんだお腹。妊婦らしく乳房も大振りに発達してきて、お腹の上に乗るほどだった。

 見ているだけで性欲が昂ぶるが、妻の身体とお腹の子が第一である。

 城太郎は「我慢する、我慢できるよ」と、自分に言い聞かせるように何度も言い連ねた。その様がおかしかったのか、要はクスリと微笑む。

 どこか──悪戯を企む童女のような笑みだ。

「夫婦の交わりはできないけれど……あなたのわたしに対する情欲は鎮まりそうにないわね……ああ、こんなにも夫に愛されて……わたしは幸せな妻ね」

 城太郎の興奮を煽るように、要はエロティックな仕種で髪をかき上げる。

 子供を孕んだことで女としての魅力が増したとしか思えない。今すぐにでも押し倒したい衝動に駆られるのを、城太郎は理性で押さえ込んだ。

「わたしはあなたと交われない……お腹の子たちがびっくりしちゃうもの」

 代わりに……要は弟である碧を手招きする。

 碧は恥ずかしそうに頬を赤らめるも、どこか澄ました顔で要に近寄ると、彼女の手を借りながら着物をはらりと脱いでいく。

 その下から現れたのは──少女と見紛う肢体だった。

 この数ヶ月で何度か彼の裸も拝んだが、明らかにな変化を遂げていた。

 ──女性化しているのだ。

 腰つきや胸の膨らみが男性のものとは思えない。かねてより、そのような感想を抱いていたが、男らしさが削ぎ落とされ、女らしさが膨らんできていた。

 胸は思った以上に膨らみ、小振りな乳房にしか見えない。

 腰はとても細いのに、骨盤は横へと広がってお尻の大きさも以前より増しているとしか思えなかった。太股もムッチリとして内股気味だった。

 そして何より、大事な部分には──

「…………両方、ある?」

 男性としての部分はオマケ程度、女性的な部分の発育が目立つ。

 確か……両性具有とかフタナリというのだったか?

 あられもない姿を城太郎に見られるのを恥ずかしがる碧だが、そんな弟を弄ぶように抱き寄せると、彼が隠したいであろう股間を露わにさせた。

「この子はね……本当なら男としても女としても務めを果たせる、そんな身体で産まれてくるはずだったの……ほら、そういうお魚さんがいるでしょう?」

「ああ、クマノミとか……性転換する魚のことか」

 魚の中には状況に応じて性別を変えるものがいる。

 深き者も魚に似たところがあるから、様々な能力を発揮する印沼素の者にはそんな性転換能力に目覚める者がまれに産まれてくるという。

「でも碧の身体はどちらにもならず……未成熟で育たなかったの」

 要は可哀想な弟と哀れむように言った。

 だから碧は自分のことを「出来損ない」と蔑んでいたらしい。

 碧の変わってきた身体を見世物のように披露する要だが、この呟きには愛する弟を助けてやりたい、という姉ならではの兄弟愛が窺えた。

「ところで旦那さま……わたしが昔より水から上がっていられること」
 気付いているわよね? と要は試すように問うてきた。

 勿論だ、と城太郎は自信を持って答える。

 結婚して毎日欠かさず愛し合うようになってから、要の身体には良い意味で変化が現れていた。夫として気付かないわけがない。

 以前は温水から出ていられるのは1時間が限界だったが、日を追うに連れて長くなっており、今では6時間くらいなら平気いられるようになっていた。

 彼女自身「どうしてだろう?」と不思議がっていた。

「女はね……男と愛し合うと子供を孕む以外にも、ホルモンバランスが変わって体調や体型が変わるものだというけれど……わたしにもそれが起きたみたい」

 だが、碧はまったく異なる解釈をしたらしい。

 要は変わってきた弟を抱き寄せると、その膨らみかけの乳房を揉みしだき、大きくなってきた乳首をつまみつつ、出来かけの女性器をいじった。

「はっ、んんぅ……ああっ、姉さん、ダメ……っ!」

 碧が女の子のような呻きを上げる。

 その呻き声に要はサディスティックな笑みを浮かべた。

「この子はね……あなたののおかげじゃないかと思ったらしいの」

 精とはつまり──要の体内に注ぎ込んだ子種のことか?

「あなたはこの印沼素で一番優れた遺伝子の持ち主……覚醒を終えて、目覚めた変身能力は、この村最強と謳われた大亀を超えるもの……当たり前じゃない」

 わたしが選んだ旦那様なのだから、と要は誇らしげだった。

 要が夢を渡って城太郎に目星をつけたのには意味がある。

 この印沼素の血を受け継ぐ者の中で、若く、強く、逞しく、そして優秀なDNAと深き者として抜きん出た才能を選び出していたのだ。

「そんなあなたの精だから、私の熱帯魚みたいな体質が改善された……この子はそう考えたらしいのよね……ねえ旦那様、そしたらこの子はどうしたと思う?」

 質問されても答えは出ない。だが、なんとなく想像はついた。

 恥ずかしがる碧の乳房を舌で一舐めして、要は可笑しそうに答えを口にする。

「簡単よ……あなたの精を啜って……飲んだの」

 城太郎と要、その夫婦の営みはこの地下温泉でしか行われていない。

 夫婦の交わりの後、少なからず湯に流れた精を──碧は掬って飲んだという。

「さすがはわたしの愛しい旦那様……あなたの強すぎる精が、出来損ないと自らを責めたわたしの可哀想な弟・・・・・を……こんなにも可愛い妹・・・・に変えてくれたわ」

 碧は本来──男にも女にもなれる魚類的能力を得るはずだった。

 発現しなかったその能力が、城太郎の精で刺激されたということか?

 恥ずかしいけど喜ばしい……少々複雑な気分だ。

 要は両手を碧の秘所に這わせると、こちらへ披露するように広げてきた・・・・・

「そして、私たちの交わりに当てられたのかしらね……次第に男の子の部分が退化してきて、こうして段々と女の子に近付いて……ねえ、あなた」

 あなたさえ良ければ……この子を女の子・・・にしてくれないかしら?

 まさかの妻からの申し出に城太郎は息を呑む。

 いいのか? とこちらが問う前に要は真面目な顔で告げてくる。

「これは淵水家に生まれた者の義務よ……より良い子孫を残すための……」

 その表情な──弟の未来を案じる姉の顔をしていた。

「綺麗な顔の子は多ければ多いほどいいもの……わたしにもたくさん産ませてもらうけど、母親は多いほどいいわ……妻の公認だから愛人というよりめかけ……いいえ、側室というのかしら……それとも……?」

 最近なら姉妹丼とでもいうの? と要はからかってきた。

「それにね……これは碧からのお願いでもあるのよ」

 意外な事実を付け加えられ、城太郎は戸惑っている碧を見つめた。

 碧はすぐに俯くと、目を伏せたまま囁き声で返してくる。

「先輩さえよろしければ……こんな出来損ないの僕で良ければ……」

 自分のことをそんな風に言うもんじゃいけない、と強めに言い聞かせた。

 そして、城太郎はこれまでの胸の内を明かした。

 要の色香に毎夜夢で惑わされ、碧にその面影を重ねておかしくなりそうだった日々を語りつつ、城太郎を要から碧を抱き渡されると、温水へ身を沈めていく。

 男の興奮を示す器官。
 そこはもう暴発しそうなくらい怒張していた。

 城太郎の興奮に合わせて、無意識のうちに変身も始まってしまう。

 身の内からの爆ぜるような衝動──。

 皮膚には硬質の鱗が生えそろい、身体の各部位には鎧の如く分厚い甲殻で覆われ、五指には鋭い鉤爪が伸び、水かきも忘れずに備えていく。

 頭髪が膨れ上がるような感覚、それは髪質が太く硬く刺々しい針へと伸び変わるものだ。イソギンチャクの持つ攻撃的な棘に似ている。

 大亀は変身すると、その名の通り亀を擬人化したような姿に変わるらしい。
 大海曰く、亀をモチーフにしたメタルヒーローだ。

 城太郎の変身は──その上を行く。

 さめしゃちわにくじら、太古の海を支配した海竜……。

 海の頂点に君臨せし者どもの特徴を備えた──威容にして偉容なフォルム。

「フフフ……さすが、わたしの惚れ込んだ旦那様……」
「先輩……素敵です……ッ!」

 愛する妻も、可愛い後輩も褒め称える、深淵の王者の如き姿。

 変身によって昂ぶった情欲のまま、城太郎は碧を水の中に押し倒した。

 人間ではないものに変わっていく……堕ちていく、呑まれていく。

 そういった恐怖がなかったわけじゃない。今でも人間の理性が立ち返る度、徐々に違う生き物へ変わっていくことへの不安は思い出すことはある。

 だが、味わってしまったからには戻れない。

 いつ果てることもなく永遠に生き続ける先祖たちと出会い──。
 海の底に眠る異形の都市での栄光を垣間見た今となっては──。

 そして、美しい妻と間に子を授かり、まさかの愛人まで許されようとは……。

 これほどの幸福、うだつの上がらない人間には望めまい。

 むしろ、深き者の一員に加われたことを光栄に思い、その一部族をまとめあげる長に選ばれたことに感謝せねばならなかった。

 …………水底から合唱が聞こえる。

 祖母が、先祖たちが、海底都市に眠るあの御方を讃える歌が……。

 碧を女として愛でながら、城太郎もまた口ずさんでいた。

 あの御方への賛美の言葉を──。

 いあ、いあ、くとるふ、ふたぐん……。
  いあ、いあ、くとるふ、ふたぐん……。
   いあ、いあ、くとるふ、ふたぐん……。

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