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第22章 想世のコノハナサクヤ
第532話:多重次元を跨ぐ外なる神の大樹
しおりを挟む「はい、王様――質問いいですか?」
一同が唖然とする中、平然と手を挙げたのはミロだった。
アルガトラムが口うるさくない大らかな人間だと知るや否や、隣の椅子から指定席よろしくツバサの膝へと移っていた。お母さんの膝の上から挙手する姿はまんまお子様である。もう少し大人になってもらいたいものだ。
ツバサの超爆乳を背もたれにして、ポヨンポヨンと弾ませていた。
しかし、アルガトラムはその豪胆さを褒める。
他の面子は女王樹の桁外れなスケールに開いた口が塞がってないからだ。
「動じない姿勢は良し! なんだねミロ君」
肝の据わった君の意見に答えよう、と若き王は応じてくれた。
「うん、さっき『女王樹が覚醒すると何が起こるかわかんないけど南方大陸がぶっ壊れて真なる世界がヤバい!』って言ってたよね」
「ああ、言ったな」
「でもさ、今『女王樹が覚醒すると次元を越えて枝を一気に伸ばすから多重次元がメチャクチャになる』って説明してくれたでしょ?」
「うん、説明したな」
おかしくない? とミロは子供っぽく疑問を呈した。
「それ――何が起こるかわかってるじゃん」
わかってないのにわかっている。子供の視点で矛盾していると思った点を指摘したかったのだろう。大人だと揚げ足取りみたいになりかねない。
若き王は気を悪くすることなく肯定する。
「うむ、確かに最初の発言と最後の説明で齟齬が生じているな。別に言い間違えたわけではないが、言葉が足りなかったことは認めよう」
順を追って詳しく話そう、と足りない説明の補填を始めた。
アルガトラムは五つの種族を一目見てから続ける。
「女王樹の覚醒=多重次元を跨いで大樹が急成長する点については、確たる証拠こそほとんどないが、彼らが先祖から受け継いできた口伝に基づいたものだ」
推測や仮説も含まれるが、最も可能性が高いという。
それぞれの口伝を要約すれば以下の通り――。
「どの種族も此処とは異なる世界で暮らしていたが、ある日女王樹と思しき巨大な樹木が凄まじい勢いで現れ、それに巻き込まれて土地や村ごと、酷いケースでは都市や国ごと真なる世界へ飛ばされてきたと言い伝えられている」
南方大陸の各地にはその残滓も残されているそうだ。
「メガトリアームズ王国の地下にもそれらしき遺跡があったと報告もある」
それらも証拠になるが、アルガトラムは口伝を重視した。
「五つの種族に伝わる伝承はほぼ一致する……ここがポイントだな」
物証ではないが重要な証言だ。口裏を合わせたとは思えない。
「そして、この者たちの先祖の体験談を裏付けるように、南方大陸の元祖を主張する精霊族にもよく似た伝承が伝わっている」
太古の時代――南方大陸の奥地に突如現れた女王樹。
それは突発的な天変地異を引き起こした。
幸運にも生物があまり寄りつかない大陸の奥地だったため、当時から南方大陸に暮らしていた多くの種族には被害が少なかったらしい。
――これが最初の女王樹の覚醒。
この時の災害はそれほどのものではなかったようだ。
だが、天変地異というからには相応の出来事は起こったのだろう。
そうして南方大陸の奥地に聳えた女王樹。
真なる世界の世界樹と似て非なるそれは、出現とともに見たことも聞いたこともない異形の種族をたくさん連れてきたと言い伝えられているそうだ。
「これが五つの種族の先祖のことを差すらしい」
「たくさん……という表現からもっといたかも知れませんけどね」
アルガトラムが親指で“古のもの”のダイムから“原初のもの”のコルリコまでを流すように指し示すと、チョーイが少しだけ付け加えた。
「今日まで生き残ったのが彼らということですか」
ツバサの言葉にチョーイは袖で口元を隠しながら頷いた。
「数が足らずに繁栄できなかったか、過酷な自然環境に適応できなかったか、他の種族との競合に遅れたか……嫌な言い方ですが淘汰されたのでしょう」
まさに弱肉強食は世の常だ。
蕃神との縁がある強力な種族でも例外ではない。
「この地に融け込んだ――その可能性も捨てきれませんね」
不意に意見を挟んだのはショウイだった。
源層礁の庭園 所長代行 情報屋ショウイ・オウカ。
今回の南方遠征に同行してくれた庭園の代表だ。のっぺりした瓜実顔に出っ歯と丸眼鏡がトレードマーク。それと癖の強い鼻息をよくする。
丸眼鏡をクイッと持ち上げ「フハッ!」と鼻息を吹いた。
「大陸島で遭遇した深きものどもの例もありますが、彼らの中にもこの地の種族と混血が適いそうな者がおります。過去に転移してきた別次元の種族の中には、この地の種族と融合した者がいるかも知れません」
この手の話は地球でも珍しくはない。
外国産の甲虫(カブトムシやクワガタムシ)を飼うのが流行した時期があり、経済産業省は「別に害虫じゃないからいいんじゃね?」とこれらの輸入を承諾したのだが、後ほど大変なことが判明する。
一部の甲虫は日本産の甲虫と交雑でき、飼育から離れて野生化した外来種が国産種と交配。交雑種が確認されるようになってしまった。
交雑種は繁殖しにくい難点がある。
交雑種同士はもちろん、両親に当たる外来種や国産種と交配しても、子供ができにくいのだ。可能性こそ0ではないが確率は低下する。
何より純粋な国産種が消えてしまうかも知れない。
『このままでは減少傾向にある国産種の絶滅に拍車が掛かってしまう!』
……と環境省が大激怒したのだ。
他にも日本固有種として有名なオオサンショウウオも、中国大陸から持ち込まれた種族的に近いオオサンショウウオと交配して遺伝子が混ざり、国産なのか外来なのか交雑なのかわからないオオサンショウウオが増えたりとか……。
動植物の持ち込みは様々なリスクも鑑みなければならない。
「今更かも知れませんが、そういう懸念は拭えませんね」
クイッ、ともう一度眼鏡の位置を直してショウイは警告した。真なる世界の生命の歴史を見守ってきた庭園の代行らしい意見である。
「今更か……なにせ何十万年も経ってるからな」
さすがに時効じゃないか? とアルガトラムは手加減を求めた。
「この場合、種の純血云々よりも繁殖率の低下が問題だろう。血が混ざっても子孫が繁栄しているなら大目に見てもらえないか? 源層礁の学徒殿よ」
「我々としても調査せずにあれこれ進言するのは控えたいですね」
そこは柔軟に折り合いを付けるショウイだった。
最初にショウイも「今更」と断っている通り、混ざってしまったのなら戻しようがない。重きを置いた懸念は交雑種の繁殖率低下なのだろう。
ショウイは長い目で見た交雑種の在り方も説いていく。
「地球人からしてネアンデルタール人の純血というわけではなく、クロマニヨン人や他の霊長類とも混血してきた事実が確認されていますからね」
血が混ざるのが必ずしも悪いとは限らない。
数十万年も時が経てば、進化の一ページで済む話だ。
「今後の調査に期待しましょう……話の腰を折ってすいませんでした」
閑話休題――情報屋は話が脱線したことを詫びた。
話の舵は再びアルガトラムに譲られる。
「そんなわけで、女王樹の覚醒とは次元を越えた急成長のことを示しており、何が起きるかについては伝聞情報から大凡は判明している」
わからないのは――どのような成長を遂げるか予測できないこと。
「その不明確さゆえに被害の規模が読めないのだ」
単純に女王樹が大きくなった場合。
「少なくとも短時間で巨大化していく根や幹によって、南方大陸の奥地は完全崩壊することがほぼ確実。次元を跨ぐ女王樹が大きくなれば、その周囲に空間の裂け目も生じるだろう。これを好機と見て蕃神も攻め込んでくるかも知れん」
ただし、この推測が当たるとは限らない。
その理由をアルガトラムは女王樹の構造から読み解いていく。
「真なる世界の世界樹もそうだが、女王樹もまたいくつもの世界を跨いで枝や幹を伸ばす傾向にある。ただし、女王樹のそれはスケールが桁違いだ」
文字通り――次元が違うらしい。
真なる世界の世界樹も世界線を超える性質を持つ。
天を貫くまで成長した世界樹は、その梢が次元を超えて別の世界まで届く。これが世界線を超える橋渡しの役目を果たすのだ。
古き神族や魔族はこの性質を活用した。
大昔から次元を超えて地球に関与できたのも世界樹あればこそだ。こうした伝承が地球へも伝わり、世界各地の世界樹信仰となったのだろう。
北欧神話に伝わる世界樹――ユグドラシル。
この世界樹は九つの世界を内包したとされるが、実際には九つの異なる世界に通じるほどに枝や根を伸ばしていたのかも知れない。
アルガトラムは相違点を挙げる。
「世界樹はあくまでも世界に根付くものだ。だが、女王樹は違う」
――女王樹は数多の次元に根付くという。
蕃神どもが揺蕩う広大無辺な別次元。
いくつもの多重次元と接する虚無のような場所。
破壊神ロンドはそれを「すべての次元を支える常世」と言っていた。
太陽系のような星系をひとつの世界、いくつもの星系をまとめた銀河がひとつの次元、そのように括るとしたら常世とはそれらを抱える無限大の宇宙。
その宇宙を股にかけるが如く女王樹は生えているらしい。
遍く次元に根を張り、無数の世界へと枝を伸ばす。
全貌はわからないため憶測になるが、女王樹はその別次元の空間にとてつもない大きさの根茎を張り巡らせ、様々な世界や次元に世界樹に勝るほどの幹を突き出すことで枝葉を伸ばしているという。
古のものを始めとした、南方大陸に根付いた五つの種族。
彼らの先祖が真なる世界へと転移させられた際、別次元に根を張る女王樹の全貌を垣間見たと言い伝えられていた。そこからの類推だという。
しかし、あながち間違いではなさそうだ。
女王樹がシュブ=ニグラスなのはほぼ確定、彼女は外なる神の一柱。
異次元の存在感を誇ってもおかしくはない。
途方もないスケールに、さすがのミロも目をまん丸にする。
「それってつまり……あんなデッカい樹でもはじっこってこと!?」
「はじっこもはじっこ、末端に過ぎんようだな」
アルガトラムは親指と人差し指で粒を摘まむ仕種をした。
最初の説明で動揺しなかったミロにひと泡吹かせられたからか、アルガトラムはちょっと楽しげに微笑んだ。しかし緊張感を孕んでいる。
それもそうだろう。相手は次元を網羅するほどの超常的存在。
想像を絶する女王樹の巨大さを知れば知るほど、否応なしにSAN値を削られていくはずだ。正気を保っている彼の精神力は賞賛に値する。
況してや対抗する術を探すのだから、彼の豪胆さこそ褒められるべきだ。
――あの女王樹ですら本体の末端。
無辺際に広がる別次元に根を張る女王樹にすればほんの一部に過ぎず、本体はいくつもの次元や世界に枝や幹を生い茂らせているようだ。
外なる神――その規格外さを痛感させられていた。
もはや勝敗を論じられる相手ではない。
すべての次元にその身を横たえる漆黒の大樹。
次元樹あるいは宇宙樹とも恐れるべき強大な存在だ。スケール感がおかしくなるほど巨大な外なる神を相手に、どう立ち向かえばいいというのか?
「ゲッター○ンペラーでも造らなきゃ勝ち目ねぇんじゃね?」
「いやぁバンの叔父貴、超天元突破グ○ンラガンでトントンぜよ」
組長バンダユウと長男ダインがひそひそと対抗策を練っているが、どうやら過去にもそれほど巨大なロボが登場する作品があったらしい。
そいつらの力を貸してもらいたい。いや本気で。
頬を引きつらせた半眼のツバサは博覧強記娘に尋ねた。
「……なあフミカ、シュブ=ニグラスってそんなデカかったっけ?」
「……いやぁ、いいとこウルト○マンの怪獣くらいのはずッスよ?」
シュブ=ニグラスが顕現した話はいくつもある。
そこに登場するに黒山羊の女王は大体が怪獣程度だという。大きさを誇張されても入道雲くらいがいいところだ。
「あ、でも、超巨大蕃神……あれの正体がクトゥルーなんスよね?」
フミカもお母さんと似た微妙な表情で狼狽えていたが、ふと思い出したのか前例とするべき偉大なる旧支配者の出現を振り返った。
「言われてみれば……奴からして規格外か」
前例を出されると、ほんの少しだが腑に落ちるものだ。
偉大なるクトゥルフもウル○ラマンくらいの全長だというが、あの超巨大蕃神はその比ではない。山脈に匹敵する大きをを誇る“還らずの都”を指先で摘まめるほどの大きさだった。片手だけで何百㎞あったか見当もつかない。
旧支配者であれならば、遙かに格上とされる外なる神はどうなるのか?
その答えがこれ――多重次元に根を張る超弩級の大樹だ。
「女王樹はデカすぎる。そして、どう成長するか読めん」
そこに関しては若き王も諦観しているようだ。
――もしも女王樹が新しい幹を真なる世界へ伸ばしてきたら?
「南方大陸の他の土地から一本、二本、三本……と新しい幹が生えてきたら、ここら一帯の壊滅は不可避だ。あんなものの急成長は誰にも止められない」
内在異性具現化者が百人いても無理だろう。
抑え込むことはまず不可能、被害を食い止めるため奔走するのが関の山だ。
「中央大陸や他の土地、それこそ海から生えてくる可能性もあります」
チョーイが更なる危険性を提示してくる。
「南方大陸を閉鎖する結界がどれだけ女王樹に効果があるのか? あらがみたちはそれを封印や拘束のように仄めかしていますが、その効果の程度がはっきりしない以上、女王樹の覚醒が外界に影響を与えないとは限りません」
海のあちこちに生えてくる未来も否定できない。
「ご存知の通り――女王樹は瘴気を帯びた大量の“気”を発します」
瘴気も“気”も大気中より水中の方が伝播しやすいため、瞬く間に広がっていくのは間違いない。これにより海中の栄養濃度は一気に上昇するはずだ。
「海の栄養が止め処なく上昇すれば待っているのは……」
「赤潮の大量発生、魚の大量死、貝類や底生生物の猛毒化……」
死の海待ったなしッス、とフミカはチョーイの言いたいことを先読みした。
これを聞いたミロは青ざめる。
「そ、そんなことになったらフレイちゃんのいる大陸島も……ッ!」
「ああ、南海そのものが滅びかねん」
動揺するミロを落ち着かせるため、ツバサは静かに抱き寄せた。
そうなるとは限らないが、その恐れもある。女王樹の成長はあまりに不確定要素が多いため、あらゆる危惧が成り立ってしまうようだ。
「道理やな。海に生えた世界樹の例もあるし」
あのタフさなら海水も平気やろ、とノラシンハも例を挙げる。
「真なる世界にも百薬種樹ちゅう世界樹が生えとったしな。あら大地じゃなく海の中にでーんと聳え立ってたもんや。女王樹もできるやろ」
(※サエーナ樹=ゾロアスター教の伝承にある海に生えた世界樹。最高神により作られた最初の植物であり、あらゆる薬草を生い茂らせたという)
「いっそのこと引っ込んでくれたらいいのにね」
ミロは希望的観測を込めて呟いた。
友達を想っての苦し紛れな冗談だったのかも知れない。
覚醒により女王樹がどのような急成長を遂げるかわからないのなら、真なる世界から撤退するように引っ込んでくれればいい。そう言っているのだ。
子供らしい意見だが、若き王は前向きに捉えてくれた。
「無論その可能性も捨てきれん。覚醒とともに急成長するといっても、この地に生えた幹がそのまま成長するとも限らない。どこか余所の次元や世界で急成長するのに引っ張られて、真なる世界から身を退いてくれるかも知れん」
女王樹が別次元へ帰ってくれれば騒動の原因が消える。
これでトラブルは解決するかと思いきや、ウチの長男が異を唱えた。
「そいはそいで大惨事になりかねんぜよ」
眉根を寄せたダインは「そいつはアカン」と真剣に訴えた。
「さっきフミや母ちゃんが話題にした超巨大蕃神が現れた時じゃが……」
「誰が母ちゃんだコラ、サイボーグ息子」
ツバサのツッコミを無視してダインは続ける。
「あん時も“天を塞ぐほどの絶望”と称されるほど、ドデカい空間の裂け目が開いたじゃろ? そっから間髪入れず超巨大蕃神が右手を突っ込んできたから大騒ぎで有耶無耶になっちょったが……とんでもない乱気流が発生したんぜよ」
「あ、そういえばデータ取っといたんスよね」
内助の功、ダインの妻であるフミカも情報収集していたようだ。
その時のデータを映像スクリーンに展開する。
「真なる世界と別次元とでは気圧の差みたいなもんがあるがか、いきなり空間の裂け目が開くと別次元側へ引っ張られるようなんじゃ」
「今まで発見してきた空間の裂け目にも気流の乱れはあったんスよ」
しかし、そこまで目立つものではなかった。
大きな裂け目には蕃神の“王”が陣取る形で蓋をしており、小さな裂け目は数mなので大して気にならなかったのだろう。
昔から開いていた裂け目なら、気圧差も落ち着いたのかも知れない。
だが、急激に大きな穴が開けば話は別だ。
「女王樹が引っ込んだら――それこそ大穴が開くな」
「それも幹や根を巻き込んで戻るでしょうから、亀裂だらけの大穴ですね」
アルガトラムもチョーイも惨状を予想する。
それぜよ、とダインは鋼鉄の指で言いたいことを指差した。
「そん大穴はこっちの世界のもんを吸い込むブラックホールとなりかねん。気圧差から生じる気流の流れに蓋をする女王樹がいなくなったら……」
「それはそれで大惨事の引き金だな」
ツバサが長男の言葉尻を引き継いで話を締めた。
次元の裂け目から蕃神が襲ってくる心配どころではない。真なる世界の住民や生命体、土地や自然に“気”といったものが別次元へと流出してしまう。
別次元に流されれば回収は不可能。甚大な損失だ。
ある意味、蕃神に急襲されるよりも厄介な事態となりかねない。
「まあ、なんだな。詰まるところは――」
黙って話に耳を傾けた組長バンダユウは結論を述べる。
「――女王様が目覚めたら何も彼もお終いってこった」
破壊神ロンドの予言の通りになるというわけだ。
南方大陸が堕ちれば真なる世界は終わる。女王樹の覚醒がその引き金となる以上、この予言は決して過言ではない。
うむ、と深刻そうに頷いたアルガトラムは苦い笑みを浮かべる。
「そのためにも女王様バンザイなあらがみは取り付く島もないとして、同じ危機感を抱いているサクヤの婆さまや精霊族とは手を結びたいのだが……」
「種族間の問題から三国志に突入しちゃったと」
面目ない……と若き王は自責の念に囚われたのか項垂れてしまった。
アルガトラムに落ち度はない。
蕃神由来とはいえ、この地に定着して平和的に生きてきた五つの種族を保護した気概は買ってやりたいし、彼自身そのことを悔いてはいない。
「もっとサクヤの婆さまと腹を割って話せれば……」
アルガトラムの後悔は、サクヤ姫を説き伏せられなかった点にあった。
親指の爪を噛んで悔しさを愚痴っている。
「見た目は幼女で中身は老女であろうとも、この俺に口説けない女がいるとは……強い信念を持った女は凜々しく美しいが、生中に靡いてくれぬな」
「そういう口惜しさかよ。ナンパ師みたいなこと言うな」
「いい年して爪を噛むのやめなさい。みっともない」
爪を噛みながら歯軋りするアルガトラムにツバサは素でツッコみ、チョーイは爺やらしく幼稚な真似はするなと叱りつけていた。
「……ただまあ、サクヤ姫の主張もわからないでもない」
ツバサは彼女の肩を持つような言い方をした。
ミロは「え?」と意外そうな顔で上目遣いにこちらを見る。ついでに超爆乳の谷間に顎を乗せるのはご愛敬だ。そしてアルガトラムは動じていない。
五神同盟の心配事も読めているのだろう。
ツバサはミロを抱き直して真顔のまま論じていく。
「俺たちも中央大陸では蕃神とその眷族に手を焼かされてきた。彼らが数十万年前にこの南方大陸へ流れ着き、平穏に暮らしてきた……と説明されても『はいそうですか』と鵜呑みにするわけにはいかない。二の足を踏ませてもらう」
「出た、ツバサさんの心配性……むぎゅう!?」
いらんこと呟こうとしたアホの子をおっぱい固めで黙らせる。このためにちゃんと抱き直しておいたのだ。
石橋を叩いて渡る――その程度でツバサは安心できない。
まず両岸の護岸工事を完璧に終えてから石橋を叩き壊して、新たに最新建築技術を取り入れた鉄橋を架ける。なんなら治水工事も万全に済ませておく。
線状降水帯でもビクともしない地下貯水槽も完備させる。
そこまでしなければ安心できないのだ。
ツバサが度し難い慎重派と陰口を叩かれる所以である。
「臆病なくらい慎重だな。いいぞ」
しかし、アルガトラムには何故か好評価だった。
「勇敢と無謀を履き違えない。優しさと甘やかしの違いを弁える。無礼になろうとも相手の人品骨柄を正しく見極める……生き馬の目を抜くような世界だ、そこまでせねば自分はおろか身内も守れたものではない」
見習いたいものだ、と若き王は皮肉を交えて褒めてくれた。
ツバサの信条を認めた上で問い質してくる。
「ではツバサよ、俺の民の安全性を如何にして保証すればいい?」
「まずは徹底的に調べさせてもらう」
即答したツバサは畳みかけるように答えを返した。
「保証に関してはアルガトラム王、あなたの信用問題だ。事が起きれば責任を取るのは当たり前。その覚悟があってこそ彼らを民に迎えたのだろう」
「当然だ――俺とて民の人品は改める」
心卑しき者は我が国の門を潜らせん、と若き王は断言した。
「もしも国の内外で彼らが問題を起こしたとしても、メガトリアームズ王国とアルガトラム王が責を取る。そこは問題ない。残るはさっきショウイさんも取り上げた問題……生物学的に真なる世界へ害をなすか否かを案ずるのみだ」
だから詳らかになるまで調べさせてもらう。
~~~~~~~~~~~~
「――どうだ分析班?」
ツバサは同席した数人の仲間に呼び掛ける。
アルガトラムとの対談の最中でも、密かに分析系技能を走らせて壁際に居並んだ五つの種族を調査していた仲間たちに確認を求めたのだ。
次女フミカ、情報屋ショウイ、聖賢師ノラシンハ。
この三名が分析班である。
いくらアルガトラムが保証してくれたとしても、五神同盟ははまだ五つの種族についてよく知らない。彼らが蕃神にまつわる以上、念入りな調査を重ねて納得できるだけの安心材料を求めてしまうのは心情というものだ。
そのための調査は密かに行われた。
フミカたちは分析に限らず、走査なども秘密裏に働かせていたのだ。
ただし、アルガトラムにはバレている前提である。
ツバサ同様、LV999を天元突破したアルガトラムには隠蔽系技能はおろか小細工は通用しない。敢えて触れてこないが勘付いているだろう。
制止はされてないので調査は黙認されたらしい。
こういうところは大らかというより、王としての懐が深いのだろう。
なにせ蕃神の眷族を国民にできる度量の持ち主だ。
「俺から言えるとすれば――ひとつ」
断りなく国民を調べられていたことを暗黙の了解としたアルガトラムは、意味深に人差し指を立てると眉間の前へ置いた。
「数十万年前――それこそ南方大陸が正体不明な結界に閉ざされる前から、彼らは南方大陸に強制転移させられており、以来この地のものを食いつなぐことで今日まで生きていた。もはやこの世界の住人といっていいだろう」
この世界のものを食べて、この世界の大気を吸って、彼らは子々孫々と生き存えてきた。即ち、彼らの肉体を構成するものは真なる世界に基づくもの。
ならば真なる世界で暮らす権利がある。
アルガトラムは声高に五つの種族の生存権を強調した。
王として民を擁護したのだろうが、否定できない面もある。
ショウイやフミカも同意の頷きを返す。
「民族単位で見れば帰化、生物単位で見れば適応ですね」
「実際の話、調べれば調べるほど真なる世界に順応してるんスよね」
分析の結果――蕃神にまつわる要素は極めて薄い。
気配というか因子というか遺伝子というか……五つの種族を生命体として構成する要素に怪しいものはなく、微に入り細を穿つほど念入りに調べなければ、蕃神側にルーツがあるとはわからないほどとのことだ。
途中だがショウイが簡潔にまとめる。
もう隠す必要がないので、調査データを表示させた投影スクリーンを小型ウィンドウのように何枚も展開させて情報屋は言った。
「一言でいえば、この世界にとても馴染んでいます」
生物が生息域を離れた地で繁殖する。よくあることだ。
外来種という単語が取り沙汰されるより昔、太古の時代から人間や生物は住みやすい土地を求めて東西南北への大移動を繰り返した歴史がある。
そこの自然に適応すれば繁殖――無理ならば絶滅。
蕃神の眷族とはいえ、何十万年も前に南方大陸へ飛ばされて滅びることなく血脈を保ったのならば、彼らはこの地に迎えられたと言ってもいいだろう。
「単にしぶとかっただけかも……おっぱいの圧がスゴい!?」
「おまえなぁ……思っててもそういうこと言うな」
ウチのアホの子は口が軽いから困る。
決める時はビシッと決めるのに、同じくらい失言も多いのだ。
しかし問題となりがちな外来種も「どんな劣悪な環境でも生き残れる生命力を持ってます!」という触れ込みのタフが売りな生物が多い。
だからこそ悪目立ちするのだろうが……。
ショウイはデータを投影したスクリーンを見つめたまま続ける。
「どんな過酷な自然であろうと生き延びる生命力があったとしても、向き不向きというものはありますからね。体質と環境が噛み合わなければ不死身に近い肉体を持っていたとしてもその地に根付くことはできません」
そういう意味では――五つの種族が南方大陸へ根付いている。
生命の歴史を観察してきた源層礁の庭園。その所長代行の発言なのだから説得力があった。場合によっては太鼓判みたいなものだ。
「そうだろうそうだろう。専門家の認定を貰えると頼もしいな」
ショウイの評価にアルガトラムも嬉しそうだった。
「ただ彼ら……五つの種族の出自はやはり別次元にあるようですね」
五つの種族のルーツが蕃神にあること。
調査を進めていたショウイはこの点を改めて強調した。
新たな情報を記した映像スクリーンが多数展開され、ショウイの姿がその向こうに隠れてしまう。情報屋は構うことなく訥々と語り出した。
「遙か昔――この地が瀑布の結界に閉ざされる前、源層礁の庭園が調査員を派遣して生態系を調べたデータを取り寄せました。それらを参照しつつ、同時に確認された近隣の島々の生態系に関する情報とも比較してみると……」
「これは……同系統の生命体がいないッスね」
大量の情報を速読したフミカだけが即座に理解した。
その通りです、とショウイはフミカの口にした見解を肯定した。
「グール族、サーペンター族、アラクニア族、こうした皆さんの種族は真なる世界にも類似した種がいそうですし、エルダー族やスネイルワン族の皆さんもまったく関連性がないわけではない。ですので、もしかしたら何らかの種族が進化して皆さんのようになった可能性も探ってみたんですが……」
ショウイは情報屋としてのこだわりを見せた。
そのこだわりは種の原点を遡ること。
五つの種族は本当に蕃神の眷族なのか? もしかしたら真なる世界に生きる種族の亜種や新種ではないか? 重大な情報を見落としてはないか?
こういった可能性を虱潰しに調べてくれたのだ。
まさに情報屋の面目躍如である。
「……系統に連なる種族は見つからなかったんですね?」
ツバサは敬語で確認を求めた。ショウイはツバサより年上、VRMMORPGの頃から世話になった恩人なので当たり前のことだ。
ショウイは残念そうに首を左右へ振った。
「ええ、念のためよく似た生物なども調べてみましたが……」
五つの種族――その原型となった生命体はいない。
真なる世界に原種がいないのが確定し、彼らの先祖の口伝と照らし合わせれば、別次元からやってきた事実を認めるべきだろう。
やはり彼らは蕃神の眷族であり、次元を超えた種族なのだ。
「――“元”蕃神の眷族だがな」
もう俺の民だ、とアルガトラムは尊大に胸を張った。
「サクヤの婆さまや精霊族は悪し様に夷狄だの難民だのと毛嫌いするが、望まずにこの地へ流されてしまった移民くらいに考えてほしいものだ」
この王様――国民への保護欲が半端ない。
さっきから事あるごとに五つの種族を庇っているので、その度に種族の長たちは感謝の念とともに涙を零していた。ハンカチが何枚あっても足りない。
王として民を守りたい気持ちはわかる。
しかし、アルガトラムのそれは重々しく感じられた。
当人の人当たりの良さや度量の大きさ、快心王と呼ばれるに見合った気持ちいい快男児っぷり惹かれる者は多いはずだ。その若々しい情熱で覆い隠されているが、彼の奥底にはドロドロとした執念のようなものを感じられた。
妄執や情念にも似た、若き王の心根を鷲掴みにするドス黒い呪縛。
それはツバサたちや国民に牙を剥く類のものではなさそうだが、いつかアルガトラムの心を粉々になるまで握り潰しかねない予感があった。
「……スッゴい無理してる」
ふとミロがツバサの乳房の谷間で囁いた。
ツバサが気付いたのだから、勘働きではツバサを遙かに凌駕するミロが察さないはずがない。それを子供目線の一言でまとめてくれたのだ。
過剰に無理をしている、とミロには見えるらしい。
快活に振る舞うアルガトラムだが、心に闇を抱えているのかも知れない。
なにせあのドラクルンの四男坊である。
父親からどんな精神的外傷を負わされていてもおかしくはない。
チョーイの語った「国を滅ぼす父親から面と向かって抹殺宣言をされた」話そのものが、人生に絶望して命を絶つレベルのトラウマだ。
それを乗り越えたアルガトラムの精神力は強靱に違いない。
しかし、ただ強いだけではないのだろう。
アハウさんから通信網を介して「精霊族は腹に一物背に荷物を抱えているらしい」と報告があったが、アルガトラムも似たり寄ったりのようだ。
『草――ってこともあるかもな』
その通信網で組長バンダユウが話し掛けてきた。
同席しているのだから口を開けばいいのだが、どうもアルガトラムたちに聞かせるのは憚られる内容のようなので気を利かせてくれたらしい。
だから用心して秘匿回線を使っての発言だった。
草と聞いてミロも割り込んでくる。
『バンダユウのおっちゃん、草って「www」ってやつのこと?』
『チャットで語尾に付ける笑いって意味じゃないのよ』
wwwと書くと本来はワールドワイドウェブの略なのだが、日本では昔からネット上でよく使われたスラングの一種だ。笑っていることを表現するため語尾に(笑)とかを付けるのと似ており、より簡略したものともいえる。
このwを大量に書くと草が生えたように見えるので、笑いが止まらないことを草とか草生えると表現するようになったらしい。
『草ってのは平たく言えば日本版のスパイだな』
『確か、敵国に忍び込んで地元の人間に成り済ます……でしたっけ?』
ツバサも師匠のインチキ仙人に教わった記憶があった。
まず敵国に一般人として潜り込む。
引っ越してきた商人を装ってもいいし、余所の国から逃散した農民でもいい。なるべく人畜無害を装って、平穏に敵国へと移り住むのだ。
そして信用を培いながら暮らしていく。
裏では誰にもバレぬよう敵国の情報を集めて、自国の仲間に報告するも良し。敵国の重要人物や重要施設にコネを作って、自由に近付けるようになるも良し。敵国に自国の評判や敵国の悪評を吹聴して情報操作するも良し。
二つの国が戦争となれば、暗躍して敵国内を混乱させるのも良し。
そのために敵国へ何十年と潜り込み、時には地元の人間と結婚して子供を作ったりして、完全に敵国の民となりながらも自国のために働いて尽くす。
子供や孫に任務を引き継がせることもある。
こういった潜入工作員を戦国時代の日本では『草』と呼んでいた。
草のように目立たない、草のように当たり前にそこにある、生えてきたただの草に目を留める奴はいない。様々な意味が重ねられているようだ。
『当人たちにその気がなくても、何もわからないまま蕃神の“王”たちに利用されてないとも限らねえ……失礼かも知れんが警戒は怠れねえな』
『それは同意見なんですけどね……』
しかし、現時点では明言しづらいところだ。
不慮の事故で転移させられてきて、右も左もわからないまま南方大陸で数十万年も生きてきた。聞いてる限り、これらの経歴に嘘偽りがなさそうだ。
――だったら草の可能性も少ないのでは?
アルガトラムに感化されたのか、信用したくなってしまう。
路頭に迷っていた五つの種族を想像しては、ツバサの内なる母性本能が同情してしまうのか、いつもの慎重さに欠いてしまう自分がいる。
『慎重派らしくないな兄ちゃん』
回線越しに釘を刺してきたのはノラシンハだった。
横で素知らぬ振りでお茶を飲む御意見番は注意を促してくる。
『前に言うたやないの。蕃神は寿命がえらい長いから何万年越しの作戦とか平気でやるって……あいつらがバンちゃんのいう草でないとも限らんで』
組長を略称ちゃん付け、御隠居だから許されるのだ。
アルガトラムのチョーイではないが、ツバサもなんだかんだで爺やに恵まれている。バンダユウとノラシンハでダブル爺やシステムである。
う~ん、と回線越しに唸ってツバサはぼやいた。
『そりゃわかってるけどさ、爺……』
『誰が爺やねん』
つい口を滑らせたら即答でツッコまれた。
ツバサは「もう爺みたいなもんだろ」と口まで出掛かったが、「もうオカンみたいなもんだろ」とブーメランが返ってきそうなので押し止めた。
代わりに無理難題を吹っ掛けるように言い返す。
『そんなに言うなら自慢の三世を見通す眼で彼らの素性を洗ってくれよ』
五つの種族がこれまで歩んできた道程。
南方大陸でどのような生活を送ってきたのか? 密かに蕃神へ報告する草みたいな行動はしてないか? 氏素性は信頼に値するのか?
――過去、現在、未来。
この三世を見通せる遠隔視ならば見えるものもあるはずだ。
『もうとっくの昔にやっとるわ』
分析班に数えられた一人として、ノラシンハは仕事を終えていた。
『当人たちが目の前にいるから過去の縁を辿って先祖までよぉ見通せるわ……生きるのに必死すぎて蕃神のために働いてるとこがまったくない』
聖賢師は明らかな涙声で切々と訴えてくる。
『……健気に生きてきたんを回想してると泣けてくるわ』
『引っ張られて同情すんなよ』
通信網でなければ貰い泣きのひとつもしていただろう。
咳払いしたノラシンハは口調を改める。
『ただまあバンちゃんも言った通り、当人たちにまったく自覚がなかったとしても、女王樹の覚醒のドサクサに紛れて蕃神の“王”が何かを企んで何も知らない眷族を送り込んだ……って恐れはどうしても拭いきれんよな』
『かといって外交上、ああだこうだ難癖つけるのも決まりが悪いよな』
異なる意味でも慎重にならざる得なかった。
これは五神同盟とメガトリアームズ王国の外交問題でもある。
他国の民が本人たちは無害ながらも、かつて危険な組織と関わりがあった。それを容認するか否か? その決断を迫られていると思えばいい。
サクヤ姫陣営との関係もあるので悩みどころだ。
あちらは現在アハウさんが精霊族に接待されており、メガトリアームズ王国とそこに暮らす蕃神由来の種族への悪口大会となっているらしいが……。
悩んでいるとバンダユウからこう提言される。
『ひとまず表向きは寛容に、裏では用心しとけばいいんじゃね?』
なるべく即決せずに肝心なところをはぼかしておく。
明確な回答を控える先延ばしのスタイルだ。
平素なら褒められた態度ではないが、即断が難しい今は採用したい。
『アルガトラムの王様とサクヤの姫さん。両方から力を借りる事態を想定して、天秤のバランスを計っておくべきだ。ここはなるべく穏便に……』
『双方の顔を立てておく、ってことですね』
メガトリアームズ王国が蕃神の眷族を国民に迎えたこと。
これには追求を控えて糾弾もしない。アルガトラムには「いいよ~。大目に見るよ~」と寛大に接するが、最低限の警戒はさせてもらう。
一方サクヤ姫陣営には「アルガトラムが蕃神の眷族を国民にしたことは認めたけれど、念のため用心は続けています」的な態度で振る舞う。
なるべく両国にパイプを繋いでおくのだ。
もしも女王樹が想定よりも早く覚醒した場合――。
五神同盟が矢面に立つことで、アルガトラム陣営とサクヤ姫陣営から戦力を借りる体裁を取れば、形ばかりの連合軍を結成することもできる。
駅長ジャーニィやタカヒコ少年たちが仲が良かったのを見るに、いざあらがみとの戦争になっても協力態勢を敷いてくれるはずだ。
こうなると双方の幹部クラスが仲がいいのは救いである。
この案にはノラシンハも賛成のご様子だった。
とにかく、五つの種族に関しては動向に注意を払いたい。
『せやな。アルガトラムの坊はさておき、あのチョーイが外来者たちを相手に無策とは思えんからな……きっと対策はしとるやろ』
ええがな、と聖賢師はいつもの口癖で締めた。
随分とアルガトラムの教育係を買っている口振りが気に掛かった。
『なあ爺さん、あのチョーイって人……只者じゃないよな?』
『せやで。さっきもちょい触れとったが、十指の英雄より何世代か後に活躍した折り紙付きの英雄ん一人よ。空間魔法の天才と謳われた男や』
空間の錬金術師は臆病者――それゆえ何人たりとも脅かせない。
主に防衛戦や撤退戦で名を馳せた英雄だという。
『アイツ、兄ちゃんとどっこいどっこいな神経質の慎重派やで』
『誰がお母さんは神経質だコラ』
そんな男だからこそ信頼に足る、とノラシンハは推した。
『いくらアルガトラムが阿呆坊で、蕃神の眷族だろうと国民にしたいと駄々こねまくって実行しようが、あん臆病者がノーガードで許すはずあらへん』
――裏で三つから五つは対策を仕込んでいる。
『そんなセキュリティアプリの重ね掛けみたいなことする?』
『するで。絶対する。まさしくお母さんは心配性ってやつやがな』
疑って掛かるミロにノラシンハは断言した。お母さんのワードを出されると納得するのか、アホの子は「ならしょうがない」と頷いている。
『そういう意味では安心やろ。あっちの大臣が安全装置なんやさかい』
『……俺としてもその助言はありがたいよ』
ツバサは素直に礼を言った。
チョーイに関する情報を知っているノラシンハがいればこその安心材料だ。メガトリアームズ王国にも心配性のオカンがいるのは心強い。
……本当に女性的で艶っぽいオカンみたいだからな、チョーイさん。
『ツバサさんも人のこと言えないじゃん』
『だから読心術みたいに俺の独白を読むなよおまえは』
胸の谷間に顔を埋めるミロを黙ったまま抱き寄せた。
秘匿回線を使って高速でチャットをやり取りするような即興の打ち合わせだったが、この場で出すべき結論は見えた気がする。
『それでは現状は問題なし、あまり責めるのも外聞が悪い』
取り敢えず――仲良くやっていこう。
これも融和政策というべきか、その路線で進めるべきだろう。
アルガトラムともサクヤ姫とも友好関係を結べるよう対話のパイプを維持し、話し合いを重ねることで協力態勢を構築していく。いざとなれば五神同盟が橋渡しの役目を果たし、あらがみへ対抗するための軍を結成する。
――女王樹が覚醒する前にだ。
「内緒話は終わったか? 色好い返事を期待するぞ」
玉座の肘掛けに頬杖をついていたアルガトラムが言った。
それほど沈黙を押し通したわけではなく、彼らと雑談を交えながら通信網で会話していたのだが、快心王の目は誤魔化せなかったらしい。
裏で密談に興じていたのはバレていた。
だが、極秘回線を通していたので内容までは知られていないはずだ。
『仲良くするっていうならさ――よっと』
最後に通信網でそう呟いたミロはツバサの膝から飛び降りると、応接室をトコトコ歩き出した。どこへ向かうのかと思えば壁際である。
そこには五つの種族の代表が並んでいた。
まずは古のもの、エルダー族の首長ダイムの前に立つ。
「――ん」
何も言わず彼の前に立ったミロは真顔のまま右手を差し出した。
ダイムは逡巡するように五芒星の頭の頂点それぞれについた五つの目を泳がせると、アルガトラムの顔色を窺いながらミロと交互に見ていた。
若き王の顎がわずかに前へと傾く。
それを認めたダイムも頭を揺らし、右手に整えた触手を持ち上げる。
そして、差し出されたミロの右手と握手を交わした。
握手ができた瞬間、ミロの顔は花が咲いたように笑顔で綻ぶ。満面の笑みを浮かべたまま左手でも触手を掴むと、子供っぽくブンブン振り回した。
一頻りダイムと握手を交わしたミロは次へ移る。
グール族頭領ナグチャードのゴム質な皮膚の手、サーペンター族族長スハースの鱗に覆われた手、アラクニア族族長ハァーツネのキチン質の甲殻な手、スネイルワン統領コルリコのナメクジめいた軟体質の手……。
ミロは躊躇することなく、その全員と笑顔で握手を交わしていった。
コルリコとの握手を終えた後、こちらに振り返って一言。
「この人たち――もうこっちの世界の住人じゃん」
握手とは種族間を越えた挨拶であり、親愛の情を表すものだ。
地球でも真なる世界でもそれは共通する。
五つの種族は蕃神由来ながら真なる世界での暮らしが長いので、こちらの流儀や風習を学ぶ機会もあったのだろう。アルガトラムに許しを求めこそしたが、指示されることもなくミロの握手に握手で答えてくれた。
握手で通じ合えるなら――この世界の住人だ。
もはや別次元の慣習に囚われていない。
それこそ真なる世界で生きてきた証、とミロは強調したのである。
直観&直感を持つミロだからこその説得力もあった。
これまで踏まえてきた安心材料とはまったく質が違うものの、ツバサにとっては五つの種族に心を許せる大きな理由となるものだった。
これにはアルガトラムも爆笑である。
「ウハハハハハハハハッ! なんて雄弁な不言実行だッッッ!」
爆ぜんばかりの大爆笑だった。相好を崩すどころではない。顎が外れるほど大きく口を開いて涙を流しており、変顔になりそうな歓喜の大爆笑である。
自国民を褒められたも同然、王として喜ばしいに違いない。
「ツバサよ、君の妻にして娘は大物だな!」
「妻ッ!? 娘はともかく妻って……ああ、合ってるのか!?」
ツバサが妻扱いされるのはよくあることだが、ミロを娘はともかく妻と呼んでくれたのは初体験だったのでビックリしてしまった。
アルガトラムは相手を内なる魂で見る。
ツバサの魂がまだ男性なままなのを認め、わざわざ言い回しに気を遣ってくれたのだろう。そうでなくともVRMMORPG時代から動画を見ていたのなら、ツバサの「誰がお母さんだ!」や「俺は男だ!」の口癖も知っているはず。
早い話、お世辞と受け取れなくもない。
それでも言われた方は喜ぶのを避けられないものだ。なかなか小憎らしい人誑しなことをしてくれる。思わず頬がにやけてしまう。
この発言を聞きつけたミロがとんぼ返りで戻ってくる。
ツバサの椅子の後ろに回ると、両手を伸ばして大地母神の超爆乳をこれ見よがしに持ち上げた。「この母性を崇めよ!」と言わんばかりにだ。
そして、大声ではっきり宣言する。
「むうーっ! アタシが娘なのは合ってるけど、ツバサさんはみんなのお母さんでアタシの妻なの! 百合夫婦でアタシがダーリンなの!」
「ウハハハハッ! そういえば君も少年神の魂を宿しているな!」
複雑怪奇な関係だ! と快心王は笑い飛ばした。
豪快な笑いが落ち着かせたアルガトラムは静かに呟く。
「ツバサはいくつもの女神の魂に囲まれながらも男としての魂を保ち、ミロ君は女神であるはずなのに逞しい英雄神の魂を宿すとは……互いに陰陽を併せ持つ太極の如き両性具有でありながら番うとは……面白い!」
太極双極――そこに新しき何かが生ずる。
「それをして“想世”と称するのも悪くない」
「想世……?」
前にも似たようなことを言われた覚えがある。
起源龍ジョカフギスの兄ムイスラーショカだったか? いや、カエルの王様ことヌン・ヘケト陛下にも言われた気がする。
そして、隣で茶をしばいている聖賢師にも言われたはずだ。
――彼らはツバサとミロに何を期待しているのか?
そこはまだ不明瞭だった。
目を眇めたアルガトラムは唇の端に思惑を浮かべる。
「個人的にそそられるな。おまえたちの行く末に興味が湧いた」
どことなく研究者な目線の物言いに寒気を覚えなくもない。嫌がらせやセクハラをされているわけではないが、既視感のある忌避感を刺激される。
不意にその既視感の正体に思い当たった。
「その物言い……D・T・Gの変態オヤジそっくりだな」
残念ながら血は争えないらしい。
本人は親父殿のことを心底憎んでいるようだが、アレも錬金術師という職業柄か何かにつけて研究者的な姿勢で臨む傾向があった。独学で女王樹の正体を丹念に調べ上げたところかしてアルガトラムも学者気質である。
そういう意味で類似点の伏線はあったのだ。
ツバサから指摘を受けたアルガトラムはゆっくり前のめりになる。
終始絶やさぬ笑顔は花が萎れるように枯れていき、テーブルへ突っ伏す寸前には疲れ果てた皺くちゃの渋い表情になっていた。
そのままテーブルに顔を伏せ、啜り泣く音まで聞こえてくる。
「…………すまん。本気ですまん」
「ガチで凹んだ!? そんなにショックだったのかごめん!?」
今際の際みたいな若き王の謝罪に、ツバサもツッコみながら謝った。
そういえばツバサの友人にも殺し合うほど父親と仲の悪い男がいたが、彼もまた親父さんに似ていると言われると「鬱だ……」と凹んだものだ。
アルガトラムも同類だったらしい。
今後は発言に気をつけ、いざという時は舌鋒の武器にしよう。
鬱状態のアルガトラムをメイド長コンビは励ます。
「また御父上と比較されて凹んで……いいかげん克服なさいませ!」
「あーもう! あんな変態クソジジイ忘れろって言ってんじゃん!」
ムークもピンコも励ますというよりは、尻を叩いて力任せに立ち直させるような論調だった。幼馴染みだけあって遠慮も加減がない。
メイド長コンビに揉みくちゃにされる萎れたアルガトラム。
その横ではチョーイが涼しい顔でお茶を飲んでいた。
一見すると放任主義に見えるが、妖艶な爺やはニコリと微笑む。
「――このように弱った心へ鞭打つことで殿下の精神力を鍛えてきました」
「……ひとつ間違えるとトドメを刺しません? 心が折れますよ?」
「傷口に塩を塗って痛みで叩き起こす寸法やな」
ツバサとノラシンハの感想も辛辣になってしまった。
褒めるばかりが教育ではないと思うが、叩いてナンボの精神論はツバサの師匠を彷彿とさせる。インチキ仙人もスパルタだったものだ。
「ほらほら、錆びつく前にさっさと心のギアを上げなさい」
「また寝るまで耳元でザーコ♡ ザーコ♡ ってASMRしちゃうぞー♡」
しばらくアルガトラムに発破をかけるメイド長たちの声が響いた。
おかげなのか? 少しずつだがアルガトラムを立ち直る。
「……まあ、ミロちゃんの言いたいこともわかりますよ」
不意に発言したのはショウイだった。
「彼らの先祖が別次元にあるかどうかを問い詰めるなら、だったら我々はどうなるのか? という話になります。地球生まれの俺たちに限らず、真なる世界の住民までも調査対象となりうるでしょう」
調査のために開いていた映像スクリーンを一枚ずつ閉じながら、ミロのフォローをするように語り出す。
彼はVRMMORPGの頃からミロやツバサの支援者。
タイミングを逃すことなく援護してくれる。ありがたいことだ。
「我々は何処から来て何処へ行くのか……なんて名言がありますけど、すべての生命体のルーツが蕃神あるいは外なる神にないとも限らないわけですからね。いえ、クトゥルフ神話を紐解けばそういう説が多数派なくらいです」
地球の生命も宇宙から来た、なんて学説は珍しくはない。
大気が生まれる前の地球へガンガン落ちてきた隕石に付着していたアミノ酸やら有機化合物が奇跡的な進化を果たした。
要約するとこんな学説だ。
「そんなわけで――全次元の全生命体が容疑者となります」
ショウイはちょっと怖い笑顔で結論付けた。
「おお怖っ! おっかないこと言うなぁ情報屋の兄ちゃん」
ノラシンハはガリガリに痩せた二の腕を鳥肌まみれにすると、両手でガシガシと擦っていた。普通にありそうな話だから余計に恐ろしいのだろう。
~~~~~~~~~~~~
「そういえばさ――最初から仲悪かったの?」
ツバサの膝の上に戻ったミロは、特製バナナサンデーを頬張りながらアルガトラムや五つの種族の代表に向けて質問を投げ掛けた。
これはアルガトラム王からのご褒美である。
あれからメイド長のムークとピンコに「私らの主人ならシャキッとせぇやコラぁ!」と焼きを入れられ、気を持ち直したアルガトラム。
ミロの握手に感謝を込めて、食べたい物がないが尋ねたのだ。
『じゃあバナナサンデーが食べたい』
『バナナサンデーを持てい! フルーツとクリームも山盛りでだ!』
『『はいよろこんでー!!』』
王の一声でメイド長コンビが一分足らずで用意してくれた。
それをパクパク食べながらミロは重ねて問う。
「いつからか知らないけれど、あらがみもン十万年前から南方大陸で暴れまくってたんでしょ? ここにいるみんなや精霊族も仲悪かったっていうなら、そんな大昔から三国志モードでケンカしてたの?」
「うむ、いい質問だ。これも順を追って話すべきだろう」
腕を組んで頷いたアルガトラムは、チラリと壁際の五人を一瞥した。
頷いたエルダー族族長のダイムが代表して口を開く。
「我々の祖先がこの地に流れ着いたのを目撃されたのか……精霊族の方々には当初から余所者と扱われておりました。見目が違うことから敬遠され、交流することもままならない時期が長く続いたと聞いております」
ただ、現在のように目の敵にするほどではなかったらしい。
もっと厄介な連中がいたからだ。
続いてスネイルワン族のコルリコが良い声を発した。
「私たちより遅れて現れたあらがみ一族……彼らが台頭してきたことにより、精霊族や他の種族は我々に構っていられなくなったそうです」
ツバサは今さらな疑問を尋ねてみる。
「そうだ、聞き忘れてました……あらがみも女王樹とともに真なる世界へ?」
そこはわかりません、とコルリコは申し訳なさそうに首を振った。
「ただ、少なくとも真なる世界に最初からはいなかったようです。昔の精霊族が彼らを指して“粗暴な新参者”と軽蔑しておりましたから……」
「元から真なる世界にいたわけではない。闖入者ではあるわけですね」
恐らく、とコルリコはツバサの発言を首肯した。
唐突に出現したのか? または別次元から渡ってきたのか?
女王樹が関係しているのは疑いようがない。
また総帥ショッカルンにでも会えたら聞いてみよう。あのお喋りひとつ目親父のことだ。きっと口を滑らせてくれるに違いない。
続いて口を開いたのはサーペンター族のスハースだった。
「確かに精霊族を始めとした多くの種族は、私たちの先祖を別の世界から来た流れ者と腫れ物のように扱いました……ですが」
あの方たちは許してくださいました、とスハースは訴える。
彼女からは喜色に満ちた敬愛を感じられた。
「あの方たち、ですか? 呼び方からして何やら上位的な……」
「はい、この地を治める尊き方々です。私たちサーペンター族、そしてここに揃った種族の皆さまは、あの方たちからこの地へ住まうことを許されたのです」
別次元からの難民に南方大陸での居住権を許した者。
「その方々は始まりの龍と呼ばれておりました」
蛇の瞳を恍惚とさせてあの方たちを讃えるスハース。
蛇と龍は近しい存在。蛇が成り上がって龍になるという説もあるし、幼体の龍はほとんど蛇として暮らすという話もある。
蛇人間のスハースは親近感から来る尊敬の念も強いのだろう。
しかし、熱の籠もった話は急に萎んでしまった。
「ただ……これも口伝のみでして……」
「……ああ、確かな証となるものがないんですね」
ツバサが具体的なところを代弁すると、スハースはシュン……と肩を落としてしまった。もっとオブラートに包んだ言い方をするべきだった。
たとえば一筆書いた念書みたいなものでもいい。
その始まりの龍たちが「おまえたちの移住を認める」と認めた物証でもあれば、彼らにしても精霊族へ反論するための拠り所になるはずだ。
「口約束ではのぅ……とサクヤの婆さまにも凄まれてな」
こちらも強く出れん、とアルガトラムも難色を示していた。
ツバサはこの話を前向きに聞き入れていく。
「だが、居住権についてまったく根拠のない話ではないわけだ」
土地の有力者がちゃんと認可を与えてくれている。
形のある認証がないものの、言い伝えられているのならば当時の関係者がどこかにいるかも知れない。不老長生の龍ならば生きている希望も持てる。
それだけでも大分マシというものだ。
何より――始まりの龍という尊称に心当たりがあった。
「あの方たち、複数形、始まりの龍……と来ればだ」
「間違いない――起源龍さまたちのことやな」
こちらも起源龍の熱狂的なファン、聖賢師ノラシンハがいち早く反応した。ツバサが横目を振れば、得意気にトレードマークの白髭を扱いていた。
「他の大陸で創世を終えても余力のあった起源龍さまたちが徒党を組んで、まだ未開拓の南方大陸へ渡ったっちゅう話……ホンマやったみたいやな」
ノラシンハも噂でしか聞いてない話。
ここに来て現実味を帯びてきた。事実、目の前にも起源龍はいる。
「キリン君も起源龍なんだろ? 何か知らないのか?」
スプーンをくわえた美少年がこちらを見る。
ミロがバナナサンデーを注文した時、「僕も甘いものが欲しいな」とついでにリクエストして、メイド長たちにアイスの盛り合わせを頼んでいた。
アイスを上品に舐めるキリンは眉尻を下げた。
「ごめん、何もわからないんだ」
苦笑も様になる美少年は詫びるように弁解する。
「その起源龍たちは多分、僕のお父さんやお母さんに当たる人たちだと思うんだけど……残念ながら面識はないんだ。僕、卵から孵ったの最近なんだよ」
先代の起源龍たちはもういない。
ある日突然、一斉に姿を消してしまったそうなのだ。
詳細は一切不明――理由も不明。
これは五つの種族にも代々言い伝えられてきた伝承であり、精霊族を始めとしたこの地の先住種族にも同じ記録が残っているという。
また、噂だけなら中央大陸にいたノラシンハにも届いていた。
全員亡くなったのは間違いないが、その理由が集団自決とか何者かによって皆殺しの憂き目に遭ったとか、血生臭く不穏なものばかりだった。
キリンはその辺りの事情を知らないようだ。
触れていい話題かどうか悩んでいると、美少年は自分のことを明かす。
「僕自身、生まれてまだ300年も経ってない小僧なんだ」
「ありゃ、ホンマに俺より年下だったんかい」
「300歳で小僧か……じゃあ俺なんざ赤ん坊になっちまうぜ」
思った以上に若いキリンにノラシンハも驚いたが、隣に座っていた組長バンダユウまで一緒に驚いていた。しかし起源龍としては最年少だ。
過去の起源龍には触れず、キリンは五つの種族を見遣る。
その眼差しは慕う者を守る王者の如く――。
「ただ……ここにいるみんなが嘘を言っているとは思えない。僕が大昔の起源龍の立場だとしたら、彼らの居住を許すと思うよ。ミロちゃんも言ってくれた通り、これだけ真なる世界に馴染んでいるんだからね」
とやかく言うことはないさ、とキリンは優しく微笑んだ。
「キリン様……あ、ありがたき幸せッ!」
スハースは瞳に♡を浮かべると、蛇の顔なのでわかりにくいが頬を赤らめて感涙していた。美少年アイドルに恋する推し活女性のようだ。
キリンの言葉に他の種族の長たちも涙ぐむ。
すると、起源龍大好きな聖賢師もすかさず賛同する。
「そらそうやろ。起源龍さまは基本的に“あるがままなり”ってスタンスやさかいな。別次元から流されてきた民がこの地に根付くのも、次元を越えた自然現象として受け入れるやろ。真なる世界かて次元越しの移住はあったしな」
早口で捲し立てるも滑舌がいいので聞き取れた。
オタク特有の喋り方か? と思ったが、人は入れ込むとこうなるものだ。
「そういえば真なる世界は多層世界だったな」
ツバサたちが暮らす世界の他にいくつもの酷似した世界があり、それらが次元の層となって折り重なっているのだ。積層型世界とも呼ばれている。
主に日本人がプレイしていたのはVRMMORPG。
そのVRMMORPGから転移させられたのが、今いるツバサやミロのいる真なる世界。これは積層型世界のひとつに過ぎないのだ。
(※ちなみに文化圏ごとに発売されていた空間転移型VRゲームは異なり、プレイヤーはそれぞれの文化圏に適した別の積層型世界に飛ばされている)
「積層型世界の間でも人の行き来はあったんや」
「ある意味、それも次元を越えた移民か……難民もいたかも知れないが」
良い話ばかりではあるまい。トラブルや面倒もあっただろう。
それはまた別の問題。ここで取り上げる話ではない。
「始まりの龍さまたちのおかげで……私どもは今日まで命を紡げました」
口を開いたのはアラクニア族のハァーツネだった。
唯一人間に近い顔立ちだが、口を動かすと顔の下半分が蜘蛛の顎として開いてしまう。どうしても擬態が緩んでしまうようだ。
喋るのも苦手そうだが、それでも懸命に自分の言葉で話してくれた。
「龍さまたちのおかげで……他の種族とも少しずつ打ち解けられるように……」
蕃神由来の種族は難民として煙たがられるも、起源龍から移住する権利を認められた。これにより他の種族からの風当たりも緩和したらしい。
『起源流さまが仰るなら――ほなええか』
太古の種族は緩かったのか、御偉方の鶴の一声に従ったそうだ。
「それでも他の種族との諍いがまったくなかったわけではありませんが……少なくとも上手く付き合ってまいりました……」
口下手なハァーツネを助けるべく、美声のコルリコが言葉を添える。
「あらがみという共通の敵が強大であり、その勢力拡大が著しかったことも我らの祖先が受け入れられた一助だったのでしょう。敵の敵は味方といったらそれまでですが、協力勢力は多くあるべきという理由から受け入れられたようです」
「いやー乱世乱世って感じだな」
在り来たりだが当然の帰結だ、とバンダユウが共感を示した。
彼が率いる穂村組はヤクザの一組織として裏社会に属していた。戦国時代ほどではないが、勢力争いに巻き込まれ経験があるのだろう。
話を聞いていた長男ダインが何か思い付いたらしい。
「そういや――三国鼎立の前はどうなってたんじゃ?」
「やっぱ三国志よろしく、魏蜀呉ができるまで乱世だったんスか?」
これに次女フミカが続くと、アルガトラムが身を乗り出してきた。
「そこだ、ダイン君にフミカ嬢」
――まさしく三国志の様相を呈していたのだよ。
若き王は三国志贔屓なのか、それを題材に例え話を始めた。
「三国志において巨悪と描かれやすいのは董卓と曹操だ」
片や魔王に片や奸雄、悪漢に相応しい肩書きまで添えられる始末。
そんな二人にはある共通点があった。
どちらもやり方こそ違うものの、衰退した漢王朝の皇帝を神輿に担ぎ、その権威を後ろ盾にすることで一大勢力を振るったのだ。
衰えたとはいえど正統な王権。その威光は多くの者を平伏せさせる。
これを良しとしない各地の諸侯が挙って兵を挙げた。
「関羽張飛を義兄弟とした蜀の劉備を始め、孫堅、孫策、孫権と三代によって建国された呉、最強と謳われるも問題児の呂布、白馬将軍と謳われた公孫瓚、河北の覇者と呼ばれた袁紹、錦馬超の異名で快進撃を続けた馬超……」
「そいつらが戦争を繰り返し、最終的に三国鼎立と相成ったわけだ」
「うむ、南方大陸も大差ないな」
ツバサの合いの手にアルガトラムも相槌で唸った。
南方大陸も同じような歴史を歩んできたらしい。
「あらがみという巨悪の猛攻に耐え凌ぐべく、各種族が連合を組んだり同盟を結んだり……集合離散を繰り返しながら、どうにか生き存えてきたのだ」
弱い種族は死に絶えていき、結果的に強い種族が生き残ってきた。
現存する種族はタフな生き残りになるのだろう。
蕃神由来の五つの種族もここに加わり、あらがみたちに反抗してきたという。
ここでため息をついたのはエルダー族のダイムだった。
「しかし、精霊族は昔から風当たりが強くて……」
「なるべく穏当に仲良くなってきたつもりですが、どうしても一部の精霊族が我々を“難民”と決めつけ、差別意識を声高に叫んできまして……」
スネイルワン族のコルリコも精霊族への悪い感情も露わに呟いた。
彼らの種族は異形の度合いが強い。
その見た目ゆえに他の種族より差別されやすいようだが、文脈通りならばグール族やサーペンター族にアラクニア族も差別されたようだ。
うんうん、と同意の頷きも返していた。
「それというのも精霊族にも根拠があるようでしてね」
重要な点なのかチョーイが口を挟んできた。
着物みたいな袖で口元を隠して、遊女が囁くようにだ。
「精霊族もまたこの地の支配を任された、と言い伝えているのです。その支配権を任せたのがどうも起源龍と原初巨神らしくて……」
「ああ、それは図に乗るというか何と言いますか……」
精霊族の自尊心を刺激し、選民思想を焚きつける原因になるものだ。
しかも起源龍との約束のみならず、原初巨神のお墨付きもあるとなれば、この地の支配者は我々だと言い出しても不思議ではなかった。
南方大陸の創世に関わったと思しき二大巨頭。
その両方から認められたとなれば、種族として自意識過剰にもなるだろう。
支配権を主張するがゆえに、五つの種族を“難民”と蔑んだらしい。
地球でも似たようなことは枚挙に暇がないので、ツバサたちはなんともコメントしづらいところだ。アルガトラムたちも渋い顔を並べている。
「特に今の酋長から酷くなり始めまして……」
何か酷いことでもされたのか、グール族のナグチャードはギリッ! と音がするほど苦々しい顔で犬歯の奥歯をかんでいた。
迫害――そう呼んでも差し支えないものになったらしい。
現在の精霊族を率いる酋長は、マニトゥ・スピリットと名乗る男性。
アハウからの報告にあった人物だ。
どうやら彼が精霊族を色んな意味で先導しているらしい。この場合、煽動の二文字を入れ替えても差し支えなさそうだが……。
そして二年前、異世界転移したサクヤ姫が精霊族の領地に降臨して彼らに味方すると、彼らの強権振りに拍車が掛かってしまったという。
力強い後援者を迎え入れたがため、組織的に暴走を始めたのだ。
それを鼻で笑うようにアルガトラムは言った。
「タイミングが悪かったんだ。ちょうどその頃、精霊族を奮起させて自分たちこそ選ばれた種族だと思い上がらせるだけのものが発見されたのさ」
――酋長マニトゥが見つけてしまったのだ。
「精霊族が原初巨神と起源龍、双方から与えられた支配権の印章をな」
「よりによって決定打となる物証か!」
そりゃ強気にもなるわ、とツバサも得心させられる。
先ほどの三国志に例えるではないが、そんなの玉璽を手に入れた袁術のようなものだ。「朕こそ皇帝であるぞ!」と宣言してもおかしくはない。
(※玉璽=皇帝のみが用いる玉でできた特別な印璽のこと。董卓討伐戦の後、廃墟となった都・洛陽で孫堅が偶然手に入れた。後に息子の孫策が孫家の武将を返してもらうため袁術へ献上。玉璽入手を機に袁術は皇帝を自称するが全方位から支持を失った挙げ句、逆賊認定されて劉備と曹操によって滅ぼされた)
「精霊族こそ南方大陸の支配者……その権利書を手に入れたも同然だな」
この点はアルガトラムも認めるらしい。
だからこそ多種族との調和を謳いながらも臣民とするように取り込み、関係性の薄い蕃神由来の種族を“難民”と蔑むことで、自分たちの支配の正統性を強化しようとしているらしい。
国家に必要なのは国民ばかりではない。
その国民の下にも、奴隷に等しい支配階級がいなければ安定しないのだ。元蕃神の眷族をそこまで追い落とすつもりなのだろう。
そのためにマニトゥは精力的に活動しているそうだ。
「……どこも一緒だな」
これまた例に漏れず、地球の歴史でも同じ真似をした為政者や侵略者はいくらでもいたので今更感が満載だった。呆れてあくびもでやしない。
しかし、アルガトラムは真剣な表情を崩さずに続ける。
「……ただ、精霊族はまだ説得の余地がある」
「え? あれだけディスといって? 聞いてると可能性0じゃん」
話し合えなさそうだよ? とミロは首を左右に傾げた。
小さく鼻を鳴らしたアルガトラムは徐にパンパンと手を叩いた。
この合図を受けて新たな入室者が現れる。
まだ隠し球となる人物がいたのかと思いながら、開かれる応接室の扉に目を向ければ一人の女性が入室してくるところだった。
長身で細身だが、戦士として鍛えられた体躯の持ち主だ。
褐色を通り越して黒い肌。その輝きは黒曜石に勝るとも劣らず、長く伸ばしたストレートの髪色が水晶のように透き通っているので対比となる。
その美貌もまた硬質的。先に挙げた鉱石のように美しい。
タイトな衣装を着ているようだが、大振りなマントで覆い隠していた。
分析で推し量れる能力はLV999。魔法系にも戦闘系にも秀でているようなので、職能的には優れた魔法戦士と見做すべきだろう。
神族でも魔族でもない――しかし、どちらにも近い雰囲気を感じる。
「まさか……精霊族?」
思わずツバサの口を突いて出た言葉に反応したのか、女性はほんのり微笑むとこちらを見回ように一瞥した後、礼儀正しくペコリと頭を下げた。
そこでアルガトラムが立ち上がる。
「紹介しよう――彼女の名はエレメタス・スピリット」
精霊族の先代酋長だ、とアルガトラムは彼女の素性を明かした。
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