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第22章 想世のコノハナサクヤ
第531話:南方大陸三分の計?
しおりを挟む「いやー、待たせたな。すまんすまん」
許せ、と一言謝ってアルガトラムが入室してくる。
ひとっ風呂浴びて汚れを落としたので男前度が上がっており、身嗜みも整えると馬子にも衣装どころではない。若き王としての威厳に満ちあふれていた。
外見の若々しさもあって、まだ王子や殿下でも通じるだろう。
父親である王が存命だから、世が世なら本当に王子だったはずだ。
着替えた装いは袖の大きい和装めいた格好。
先ほどの乱戦時の衣装もそうだが、こういうのが好みらしい。
上着やズボンの生地に織られた様式からは錦と呼べるほど絢爛豪華なもので、王の権威を知らしめるに相応しい装束と言えよう。
しかし、洗いざらしの長い黒髪はそのままだった。
さっきまでのように髷っぽく結ってないので、ボリューム感のあるややウェービーな髪がボワッと膨らんでいた。水気もまだ切れてないようだ。
「アル様! まだ御髪が整っておりませんから!」
入室するアルガトラムの後ろ、長身のメイドが櫛を手に追いかけてきた。
背こそ高めでいくつか特徴的なところは見受けられるが、少なくとも外見的には普通のメイドさんである。
170㎝に届く長身。線は細いがバストやヒップは目立つ。
クラシカルなメイド服だが、スカートだけはロングなのにややタイトな作りになっており、動きやすさを確保するためかスリットが走っている。おかげで小走りになるとストッキング越しにセクシーな美脚が覗けた。
特徴的なのは真紅に染まった髪――異様に長くてボサボサなのだ。
房状になった髪が左右に分かれていくつも垂れている。
ツバサも足下まで届くくらい髪は長いが、彼女は前にも伸び放題なので目線まで完全に隠れていた。どんな双眸なのか窺い知れない。
高めのスッとした鼻やぷっくり形のいい唇は整っていた。
カチューシャも付けているが、ほとんど髪に埋まってしまうほどだ。
「王様待って! ちゃんと頭拭いて! もー子供なんだから!」
バスタオルを手にアルガトラムを追うメイドが現れる。
こちらは小柄でふっくら、死語だがトランジスタグラマーだ。
背は低めで150㎝にも届くまい。着る服次第では中学生に間違われてもしょうがない童顔でもあった。背丈だけならメイド服を着た子供のコスプレに見えなくもないが、ボリューム満点な胸やお尻が年の頃を知らしめている。
少なくとも10代以上20代半ば未満だ。
珍しい緑色の髪を長く伸ばしており、前髪は童顔に似合うようパッツンと綺麗に切り揃えて、背中まで届く髪は一本の三つ編みにまとめていた。
彼女の特徴的な部分はつぶらな瞳。
相方と思しき長身メイドの目元が髪のヴェールに隠れているのに対して、こちらは前髪パッツンなので大きな瞳が瞬いていた。
口元も大きく、張り上げる甲高い声も良く通っている。
軽めの飛行系技能でフワリと浮かんだ小柄メイドは、まだ濡れそぼっている王様の頭髪をガシガシと乱暴に拭きまくっていた。
「まだだっつってんのにもう! いつまで経っても利かん坊なんだから!」
「ウハハハ、許せピンコ。居ても立ってもいられなくなってな」
アルガトラムも心得たもので笑いながらされるがままだ。
入室してテーブルへ着くまでの間に、長身メイドとピンコと呼ばれた小柄メイドはテキパキとアルガトラムの身支度を調えていき、最後に髪を乾かせてふんわりさせると後頭部で髷を結い、綺麗にまとめあげていた。
ようやく人前に出せる格好になった若き王は挨拶の手を上げる。
「改めて――アルガトラム・T・ギガトリアームズだ」
よろしく頼む、と会釈をした若き王はテーブルの一席に着いた。
場所的にはテーブルの中央、ツバサの向かい側だ。
その席だけやたら豪勢な背もたれの椅子だったので、もしかしたらと思っていたら案の定である。ちなみにチョーイは左横の椅子に腰掛けていた。
「せっかくだから紹介しておこう」
アルガトラムは自身の後ろに控える二人のメイドを示した。
「この二人も爺……チョーとともに俺についてきてくれた供回り。ぶっちゃけ俺にしてみれば幼馴染みの腐れ縁だ。チョーイからすれば遠縁の姪っ子でな。縁故就職ってわけじゃないがコンビでメイド長を任せている」
「メイド長――ムーク・ムクリコクリと申します」
「メイド長――ピンコ・ガチャガッチャンです」
よろしくお願いいたします、とメイド長コンビは自己紹介をしてくれた。スカートの裾を摘まんで頭を下げる所作を含めた一礼とともにだ。
当たり前のように双方ともLV999。
ただのメイドではなく、アルガトラム陣営の立派な幹部なのだろう。
長身のボサボサヘアがムーク、小柄でグラマーがピンコ。
ダブルメイド長システムは珍しいが、見た目は普通のメイドさんだ。
なにせ五神同盟にもメイド長は何人かいるが、ド変態、超筋肉娘、樽ドル……とバラエティに富んでいるので普通のメイドが珍しく感じてしまう。
最近、また個性の強いメイドが追加されたし……。
いや、みんな魅力的かつチャーミングな女性で、メイド長としても折り紙付きで優秀だし、ツバサからも「美人!」と太鼓判を押せるのだが……。
やっぱり普遍的なメイドさんにも憧れるものだ。
ちょっと思考が脱線してしまった。元に戻していこう。
チョーイさんも風変わりだが、ムークさんやピンコさんもかなり独創的なネーミングである。ただ、名前の雰囲気はどことなく似通っていた。
そこに遠縁の名残りがあるのかも知れない。
そして、やはりチョーイさんは教育係の爺やでもあったらしい。
ミロではないがママ味というか、若いアルガトラムに対して保護者的なムーブが強いと感じていた。爺やならば王子の世話を焼いて当然だろう。
「そんでな、二人とも俺のコレだ」
アルガトラムはニヤニヤ笑いながら小指を立てた。それが何を表す隠語かは大人ならば即座に理解する。ジジイコンビとミロは冷やかしの口笛を吹いていた。
次の瞬間、三つの拳がアルガトラムの後頭部にお見舞いされる。
「「人前で楽しげに自慢すんな!」」
アルガトラムの頭を叩いたのは頬を赤らめたムークとピンコである。幼馴染みの気安さからか、王様であろうと遠慮なくツッコミを入れていく所存らしい。
ちなみにもうひとつの拳はチョーイである。
これは教育係として窘めたようだ。
「王様んとこはアットホームな職場なんだね」
「ウハハハ、ずっと一緒にやってきた家族みたいなもんだからな」
何気なく口にしたミロの感想も若き王には好感触だった。
そうこうしていると、一足遅れてキリンもやってきた。
彼もまたアルガトラムの家族なのだろう。
道中でアルガトラムと合流した際、彼は説き伏せたばかりの象神族の前に起源龍の末裔として立ち、メガトリアームズ王国の安全性を重ねて説いたのだ。
これが象神族の信頼度を否応にもアップさせた。
南方大陸でも創世に携わった龍として、尊敬の念を集めているようだ。
駅長ジャーニィと一緒に彼らの引っ越しを手伝ってもいた。
その後はどこへ消えたのやら姿が見えないことを案じていたが、ちゃっかり国へ戻ってきており、アルガトラムと一緒にお風呂へ入っていたらしい。
見た目こそ変わってないが、ほんのり湯気が立っている。
爽やかな石鹸かシャンプーの香りを漂わせながらこちらに近付いてくると、片手を挙げて「やあ」と挨拶をしてからキリンも席に着いた。
チョーイの反対側、右手である。
アルガトラム王を挟むキリンとチョーイを、ミロは交互に見比べる。
「右手の男の娘、左手にメスオジさんか……お尻痛いッ!?」
「おまえ本当にちょっと黙ってろ」
アホの子を連れてきたの失敗だったか……と後悔するツバサは、ミロの可愛いお尻をまたしても抓る。しばらく痕が残るくらいきつめにだ。
あまり使いたくないが殺し文句も言っておく。
ミロの首根っこに腕を回して抱き寄せると、超爆乳に埋めて下手に声を出せないように封じてから、その小さな耳に囁き声を寄せる。
「もしまた騒いだりしたら……母艦に帰って留守番だからな?」
「むぅ……むぅうっ!?」
ツバサの相棒としていつも隣にいることを望むミロにすれば、これは相棒失格の宣告に等しい。瞳をまん丸に見開いて硬直していた。
そこから「フガフガ!」と呻きつつ、何度も頷いて了承する。
わかってくれたのは嬉しいが、途中から繰り返し頷いてツバサの超爆乳に顔を埋める感触を楽しんでいた。ハトホルミルクで熟れる乳腺を圧迫で刺激されて呻きそうになるが、ツバサは頬を赤らめて「わかればよろしい」と締めた。
念のため、アホの子はしばらく乳房で封じておこう。
しかし、腐女子の気があるミロの言いたいこともわからないでもない。
本当にそういう趣味だと勘繰られても仕方ない面子だ。
そこは個人の嗜好だから口を挟むべきではない。
いずれ酒を酌み交わすほど親密に交流できた時にでも、宴席の戯れ言として聞ければ御の字だ。この場で問い質して話の腰を折ることもないだろう。
「あ、ちなみにキリンも俺のコレだからな」
「おまえが話の腰を折るんかい!?」
思わずミロを拘束した手を離してツッコんでしまった。
「だから言ったじゃないか――ボクはアルの稚児だよって」
「あんたも肯定するんかい!?」
喜々としてアルガトラムとの関係を認めるキリンにもツッコんでしまった。
「そない驚かんでもええやろ。起源龍様は両性具有なんやから」
「爺さんはなんで冷静に指摘してくんだよ俺に!?」
ノラシンハに制せられたツバサは三度ツッコミを返していた。
よくよく考えてみればアルガトラム、メイド長コンビのムークやピンコとも関係を持っているのだから、いわゆる両刀遣いというやつなのだろう。
今の御時世では珍しくもない。
英雄色を好むというし、美女も美少年も愛するのは王や将の嗜みだ。
「いやだから! そういう世間話は本題の後に回せ!」
バァン! と破裂音みたいな勢いでテーブルを叩いたツバサは、茶番劇を始めようとした連中を無理やり黙らせた。
眼を伏せたチョーイだけが「確かに」と同意の呟きを返してくれる。
「ウハハハ、すまんな。許せ」
若き王もおふざけが過ぎたと反省したのか、また短く切って謝った。
――アルガトラムはこれまでの対談を聞いている。
これまでの話を再びする必要は省けるし、こちらがチョーイと交わした自己紹介も済んでいるので、すんなり話し合いの場に馴染んでいた。
「さて、ではさっそく本題に入ろうか」
玉座のような椅子に身を預けた若き王は核心に切り込んできた。
表情から笑みを消すと、真剣味を帯びた声で告げる。
「――女王樹の覚醒が近付いている」
これこそが喫緊の問題だとアルガトラムも捉えているようだ。奇しくも五神同盟の目的と合致するのは、多少なりとも合わせてくれたのかも知れない。
真剣味を帯びたまま軽やかな弁舌を振るう。
「他の諸問題は時間を費やせば解決する目もありそうだが、こいつだけは時間制限付き、あやふやながらもタイムリミットが迫っている。世界の本質に干渉できる神族や魔族……その手の過大能力持ちならば実感できるはずだ」
――おまえさんたちもわかるだろ?
言語化せずにアルガトラムは眼力のみで訴えてきた。
主にツバサやミロに向けてだ。
ツバサの過大能力は大自然の根源となれる無限増殖炉系、ミロの過大能力は次元に命令を下して世界を創り直せる万能系。どちらも世界と接点がある。
ゆえに世界からの悲鳴も聞こえてしまう。
『このままだと遠からず、次元も世界も滅茶苦茶にされてしまう』
その大破壊を行うのは他でもない――黒き女王樹だ。
「たとえるなら、目の届く範囲で全身が赤とか青とかヤバそうな状態に発光した怪獣王が高いびきを唸らせて眠っているようなもんだな。神族や魔族ならボンクラでもそれくらい危険だと感じるはずだ」
臨界状態に達した生きた原子炉が目の前にあるも同然。
目覚めたら大暴れするか大爆発を起こすか、二択の未来しか見えない。
「サクヤの婆さんや精霊族のお偉方も気付いているのは間違いない。そうじゃなくてもショッカルンだったか? あの目玉オヤジ口が軽いからなぁ」
顔を合わせる度に「復活で覚醒だ!」と口を滑らせて大騒ぎしたという。
「確かに……あることないことベラベラ喋ってましたね」
敬語はいらんぞ、とアルガトラムはツバサの言葉遣いに注意した。
態度から「敬われている」と察したらしい。
既にツッコミ倒したので今更だが、こうして了解を得られるとありがたい。
「俺はただの王だ。そこまで偉いわけじゃない」
もっと気さくに行こうぜ、と片頬をカッコよく釣り上げて、よりフランクな会話を求めてきた。思っていた以上に良い意味でオープンに砕けた性格である。
「王様って偉いもんだと相場が決まってないかい?」
「ウチの殿下は偉ぶったり威張ったりするのが面倒臭がるんですよ」
バンダユウが話を振るとチョーイは困り顔だった。
いや、割と本気で悩んでいるらしい。
「外交では高圧的に出る機会や、尊大に振る舞わなければならない場面もないとはいえませんから、もっと威圧的になってもらいたいものなのですが……ウチの殿下は人当たりがいいというかフランクというか馴れ馴れしいというか……」
「その時はその時だ、ちゃんとやるさ」
ウハハ、とアルガトラムは笑いひとつで片付けた。
人に七癖というけれど、アルガトラムにはこの高笑いが当て嵌まる。出会い頭の時も高らかに哄笑を響かせていたが、本当によく笑う男だった。
「そんなわけで、南方大陸の三大勢力はみんなわかっているはずだ」
――女王樹の覚醒は目前に迫っている。
「喜んでいるのは、彼女の目覚めを待っているあらがみだけだがな」
アルガトラムは状況を整理するように話していく。
「あらがみにしてみれば崇め奉る女神が復活するから喜ばしいだろうが、南方大陸にしてみれば傍迷惑な話さ。いや、影響の規模を考えたら真なる世界全土が大惨事に見舞われてもおかしくはない……あれはそれほどのものだ」
女王樹が覚醒すれば大変なことが起きる。
具体的な例こそ予測の域を出ないが、女王樹を中心として真なる世界の常識を塗り替えるほどの災害が起きるのは想像に難くない。
「現物を目の当たりにすりゃ実感もまあまあ増すんとちゃうか?」
パチン、と聖賢師ノラシンハは枯れた指を鳴らした。
すると応接室の宙空に大型スクリーンが投影され、南方奥地に聳え立つ女王樹の姿が映し出された。たまにノイズが走るも鮮明な映像である。
彼の三世を見通す眼ならこれくらい朝飯前。
瀑布の結界を越えたおかげで視界も届くようになっていた。
「でもまあ、女王樹からとんでもない勢いで“気”の嵐が吹き荒れとるでな。調整しとるがそれが妨害電波になっとって……ノイズ走るのは勘弁な」
「様子を覗けるだけでも万々歳さ」
先の乱戦でも役立ったことを含めてツバサは礼を述べた。
全貌を画面内に収めるためか、それなりに距離がある撮影のようだ。
画面越しだが、その禍々しい偉容さは伝わってくる。
天と地を橋渡しするかの如く繋ぐ大樹は、まさしく世界樹と呼ぶに相応しい大きさを誇るが、樹皮は脈打つ触手に覆われて絶えず蠢いており、所々にある腫瘍めいた肉の塊を溜め込んだ樹洞はリズムの合わない拍動を刻んでいた。
天蓋を編むように広がる枝に葉は茂らない。
ただ葉と見間違うほどの暗雲をまとい、稲妻を生い茂らせていた。
暗雲の正体は濃厚な瘴気であり、稲妻も赤黒白と極彩色な閃光を走らせる。
その根元では背の高い山脈が女王樹の野太い根によって、浸食されるように押し潰されていた。網目状に走る触手がより強く根付かせているようだ。
時折、触手のあちこちが噴気孔のように口を開く。
そこから噴き出すのは大量の“気”。
微量の瘴気に染まっているものの、真なる世界の生命体ならば心身を害するほどではない。むしろ生態系を富ませるには十分過ぎるほどだ。
そんな“気”をひっきりなりに噴き出している。
おかげで女王樹が聳える南方大陸奥地は、サクヤ姫やアルガトラム王が収める地にも増して鬱蒼としており、大地が真っ黒い森で埋め尽くされていた。
森の木々も女王樹の影響を受けた植物かも知れない。
スクリーンを見上げるノラシンハは襷みたいな髭をしごいた。
「覚醒とか復活って単語ばっかり聞くからに、女王樹は封印されとるか冬眠しとるかに近い状態なんやろうな。その手の形跡は見当たらんけど」
知らんけど、みたいな適当な言い方だった。
「スリープモードやのに影響力絶大とか……チートが過ぎるぜよ」
ノラシンハに釣られたのか、長男ダインが口を開いた。
初めての他国の王との会議とあって気後れしていたが、いざ参戦したならば黙っていては漢が廃ると感じたのだろう。積極的に意見を述べてきた。
長男の成長のツバサの内なる母性本能も喜んでいる。
思わず「誰がお母さんだ!」といつもの自爆ネタを披露しそうになるが、もう一度ミロを抱き締めることで我慢することができた。
さっきの脅しが効いたのか、ミロも超爆乳に顔を埋めて静かにしている。
「南方大陸の生態系をメチャクチャに引っかき回すほど膨大な“気”の散布、七日に一度は根の先端が触手となって大地を割る勢いでの大暴れ……こんだけでも国を滅ぼすレベルな超弩級の災害やがな」
「そん元凶がまだ眠ってて、いずれ目を覚ますとなれば……」
ノラシンハとダインからアルガトラムが次の句を引き継ぐ。
「未曾有の天災になるのは間違いないな」
何が起きるかは定かではないものの、現状南方大陸を悩ませる事例を参考にすれば、それを上回る災厄に見舞われるのは保証されているようなものだ。
女王樹が歩き出しても驚きはしない。
そのまま南方大陸を蹂躙し、この地を閉ざす瀑布の結界を打ち破り、真なる世界に打って出ても、なんら不思議ではなかった。その過程で幹も枝も根も更なる巨大化を果たし、真なる世界のすべてに根を張ることさえ想像できる。
そして、止め処ない“気”を撒いて全世界を腐らせていく。
「もしもアレが本当に外なる神ならば……世界を滅ぼすのも容易いはずだ」
女王樹の覚醒を脳内でシミュレーションしたツバサは戦慄した。
固唾を呑む音がいくつもしたが、アルガトラムからは聞こえない。彼は頭上の投影スクリーンとそれを展開させたノラシンハを交互に見ていた。
「あんた、あの拳聖ノラシンハだって?」
「せや。俺たちの名乗りも中継で見てたんなら知ってるやろ」
ウン知ってる、と頷いたアルガトラムは自身の道具箱を漁っていた。
やがて取り出したのは一枚の色紙。
「俺、十指の英雄直撃世代なんだ。良かったらサインをくれ」
「王様アンタもかい」
またしてもツバサは素でツッコんでしまった。
以前、猛将キョウコウとの酒宴の席でノラシンハを話題にした時も「サインを頂いてきてくれ」と頼まれたことを思い出さざるを得なかった。
このジジイ、本当に人気者だったらしい。
正しくはノラシンハを含む十指の英雄が大人気だったようだ。
というか十指の英雄と読むのを初めて知った。猛将キョウコウはそこまで言及していなかったので、ジェネレーションギャップでもあるのだろうか?
なんにせよ、人気者の証拠は続々と上がってくる。
「あのぉ……話の腰を折ってしまい申し訳ありませんが……」
「ぼくたちもサインください! ずっと前からファンでした!」
後ろではメイド長コンビまで色紙を手にしていた。アルガトラムと幼馴染みということだから、彼女たちもまた直撃世代なのだろう。
男女問わず熱狂的なファンがいるみたいだ。
ツバサは胡散臭いものを見る目で尋ねてしまう。
「爺さん、アンタ全盛期どれだけチヤホヤされたんだ?」
「んー……地球生まれの兄ちゃんたちにわかりやすく例えるなら……イチローとかオータニくらいかなぁ。時期とか地域で振れ幅あったけども」
「そうか……スゴいな」
日本人に刺さる例で表現されたが、純粋な心で感心してしまった。
あれだけ活躍したメジャーリーガー級の人気者だったならば、直撃世代が出会したらこうなるのも致し方あるまい。猛将とて色紙を差し出して懇願するのも納得できるというものだ。
「チョーさんはいいのかい?」
ふとバンダユウはノーリアクションのチョーイに尋ねた。
「私はノラシンハ殿の直撃世代ではないので……」
「チョーイ、どっちかっつうと十指の英雄側やからな」
朗らかな微笑みでお茶を濁そうとしたチョーイだったが、ノラシンハが発した彼の実力を示す一言で台無しにした。
「十指の英雄よりひとつかふたつ後ろの世代で踏ん張ってくれた、立派な英雄やがな。直撃世代が現れたらサインのひとつもねだるんとちゃうか?」
三枚の色紙にサインを書いたノラシンハは悪戯に笑った。
お戯れを……とチョーイは閉じた目を逸らす。
「私はほとんどメガトリアームズ公国から出られずにいた身……真なる世界のために戦争へ身を投じたことなど数えるほど……英雄には程遠いです」
「そん数えるほどで活躍すりゃ別やがな」
まあええわ、とノラシンハは話題を掘り下げるのを止めた。
チョーイのリアクションから持て囃されるのが慣れてないと読んだのだろう。本人が嫌がることをしつこく繰り返すのは聖賢師らしからぬこと。
何事も引き際が肝心である。
ほい、と三枚の色紙をそれぞれに返してお礼を言われたノラシンハは、いつもの「ええがなええがな」の口癖で愛想を振っていた。
「閑話休題――話の腰を折って済まんな」
許せ、とこれも口癖なのか短い謝罪で話を戻した。
「なんにせよだ、未覚醒でも南方大陸を根底から発狂させつつあるような暗黒世界樹だ。目覚めたところで百害あって一利なし。ろくなものじゃない」
これには場に会した一同も頷くより他ない。
「ただ、具体的に起きる災害についてはまったくの未知数だ。何が起きても不思議じゃない。次元そのものだと恐れられる外なる神の力を考えれば、天変地異なでさえも前座がいいところ。予測もつかない厄災に見舞われることも視野に入れて行動すべきだろう。覚醒する前に封印するか撃退するのがベストだが……」
流暢に捲し立てていたアルガトラムの口が止まる。
顎を支えるように指で挟むと、ゆっくり訝しげに小首を曲げた。
「……あいつらも知らないんじゃないか?」
「あいつら……ってあらがみか? 知らないって何を?」
聞き返すツバサにアルガトラムは言う。
「女王樹が覚醒すると何が起こるか? その中身を知らないと思う」
はあ!? とその場の誰もが一斉に声を上げた。
「だって……女王樹の覚醒はあらがみの悲願なんだろ? 復活すれば南方大陸を閉ざす結界が破られ、あらがみが真なる世界制覇に乗り出すって……」
「うん、そこまでは連中にも判明しているんだろうな」
ただし、それ以上のことはわからない。
「女王樹が復活すれば南方大陸が消し飛ぶ大災害を招く恐れがあれば、あらがみを含むすべての生命体が死に腐る大絶滅を及ぼす可能性だって捨てきれない……そのまま真なる世界が滅ぼされる未来だってあるかも知れない」
あらがみの目標は真なる世界を支配すること。
総帥ショッカルンもそのようなことを公言していたし、あの口振りや態度からは演技のえの字も読み取れなかった。つまり本気のはずである。
しかし、女王樹が復活すれば世界は終わりかねない。
少なくとも南方大陸は壊滅、そこから真なる世界に亀裂が走るだろう。
これを機に蕃神が大挙して押し寄せる懸念もある。そこから大規模な侵略戦争に発展する可能性も否めない。いや、真っ先に危惧すべきことだ。
「そこまで考慮してないのか、あらがみ!?」
多分、とアルガトラムはぞんざいに相槌を打ってきた。
「してたらもっと慎重に立ち回るだろ。女王樹は自分たちの味方だと信じて疑わないからこそ、彼女の復活は自分たちに利益をもたらすと信じ込んでいる」
「盲信とは怖いものですからね……」
アルガトラムへ同意するようにチョーイが言葉を添えた。
ツバサは口をへの字にして呆れる。
「自信満々に『女王樹が復活すれば我々の勝ち!』と吹聴していたが、あれも盲信から来る狂気じみた喚きだったのか……」
「いや、狂信もあるだろうが、それだけじゃねえんじゃないかな?」
小さく異を唱えたのは組長バンダユウだった。
ティーカップのお茶を上品に一口飲んでから自身の考えを口にする。
「ベラベラ喋るのは脅しってところかな」
それだ組長さん、とアルガトラムはこの一言に賛意を示した
「あらがみどもは女王樹が復活すると、どんなことが起きるかを大まかにしかわかってない。しかし、一族全体にその大まかさはなんとなく伝わっている感があったからな。そいつを言い触らせば他勢力は大なり小なり心を揺さぶられる」
良くある手だ、とアルガトラムは戦術と見做していた。
実際、不利益な情報を喚き散らすことで敵方の兵士を混乱させたり弱気にさせたりと、精神的動揺を誘う兵法は昔から使われてきた。
――籠城を決めた城があったとしよう。
そこを夜な夜な包囲する兵士の部隊。彼らはあらん限りの大声を張り上げて、城内の兵士にありとあらゆる罵詈雑言を投げ掛ける。
アホ、バカ、マヌケ、おまえの母ちゃんデベソ……何でもいい。
語彙力がなければこの程度。もう少し頭が回れば「援軍は来ないぞ!」とか「この城への補給部隊は潰したぞ!」とか「おまえらが頼りにしている武将は既に死んだぞ!」など嘘の情報を喚くのも効果的である。
無論、城内の兵士が頭から信じるわけがない。
それでも気弱な者は「もしかしたら……」と不安を掻き立てられるし、籠城のせいで情報が少ないから疑う者も出てくるだろう。
夜な夜な繰り返されれば、安眠を妨害されて神経を磨り減らす。
やがて精神的に追い詰められる者が現れるだろう。疑心暗鬼に駆られる者も現れるし、不安で心を病む者も出るはずだ。
やがて城内の兵士は弱体化し、部隊の士気も低下していく。
粗野で原始的だが、これもまた情報戦のひとつである。
「だからなのか、ショッカルンを始めとしてあらがみどもの喚きから得られる情報はてんでバラバラだ。はっきり統一されているのは二点のみ」
――女王樹の復活はあらがみに勝利をもたらすこと。
――あらがみはそれを狂気的に盲信していること。
「それは南方大陸を閉ざす結界の崩壊に始まり、あらがみの南方大陸制覇を助け、延いては真なる世界をもあらがみの掌中に収めさせるという……」
やらせんがな、と若き王は鼻で笑った。
「もっとも、確たる証拠がないため憶測なのですけど」
チョーイが注釈を加えると、すかさずアルガトラムは反論する。
口うるさい爺やを指差して得意気に続けた。
「しかし、あらがみどもの女王樹への献身を見ていれば、奴らの本気度が窺えるというものだ。七日に一度のお手入れも欠かさないほどだからな」
「七日に一度……女王樹の根が大暴れする件か?」
「そうそう。あの週間行事を奴らは女王樹の手入れと言っているんだ」
ここで「はい王様」とフミカが手を挙げた。
「質問いいッスか?」
「どうぞフミカ君、話の流れ的にいい質問だと見たぞ」
大らかに受け答えるアルガトラムへ会釈したフミカは、ツバサも訊いておきたかった疑問を投げ掛けてくれた。
「七日に一度の大騒ぎは女王樹の根が暴れ出すこと……あれって女王樹が目覚めようとしている証なんじゃないッスか? 寝ぼけて暴れているのなら、そのままたたき起こしてしまった方が手っ取り早いような……」
「――あれは寝返りだよ」
アルガトラムに代わってキリンが回答するように口を開いた。
「無意識のまま身を捩らせているだけ。覚醒が近い予兆と受け取れなくもないが、まだまだ彼女の眠りは深いみたいだよ」
あの程度では目覚めには程遠い、とキリンは首を横に振った。
寝返りであの破壊力とは恐れ入る。
しばらくフミカも絶句したが、慌ててキリンに詰め寄った。
「ええ~っ? あれで寝返りって……もしも女王樹が覚醒したら寝返りじゃ済まないのは、あの溜め込んでる絶大な“気”からも明らかじゃないスか! 世界征服する前に南方大陸から真なる世界が壊れかねないッスよ!?」
「そうなんだよ。普通わかるんだよなぁ」
アルガトラムも眉根を寄せて腕を組み、不思議そうに首を傾げた。
――女王樹が内包する“気”は尋常ではない。
南方大陸の生態系を狂わせて、森羅万象を醸すどころか腐らせるほど発散させている濃厚すぎる“気”は、彼女から漏れた淡い余波に過ぎなかった。
女王樹が覚醒すれば、それだけで南方大陸は終わる。
神族や魔族ならばどれほど未熟であろうとも、肌感覚でそれを察知して本能的な部分で危険視するはずなのだが……。
「どういうわけか、あらがみにはその危機感がない」
「どんなボンクラであろうと神族や魔族なら察するのにな」
――なんでだろう?
ツバサとアルガトラムは似たような表情のまま同時に首を傾げた。
だから言うたやないか、とノラシンハが口を挟む。
「あいつらはこの世のモンやない。真なる世界はおろか蕃神どものいる別次元にも由来しとらん。どこから来たのか正体不明の種族なんやて」
即ち、真なる世界とも別次元とも関係性が薄い。
ゆえに女王樹の孕む危険性を認知できない、これがノラシンハの見解だった。
ほう、とアルガトラムが興味深げに声を上げた。
「出自がわからん、という意味では蕃神や外来者たちを越えるのか」
「正確にはごちゃ混ぜすぎてわからんって感じやったな。細くて薄くて頼りないけども、真なる世界や蕃神をルーツに持つ因子があるようなないような……それ以外の要素が混ざりすぎとって根っこがわからへん」
お手上げやがな、と肩をすくめたノラシンハは両手を返した。
「ふ~ん……ま、連中の正体はひとまず置いておこう」
早急に対処すべきは――女王樹の覚醒。
どんな形であれ、それを阻止するためにあらがみとの激突は避けられない。彼らの素性を暴くなど二の次三の次、女王樹への対応が終わってからだ。
「で、そのあらがみをどうにかする点についてだが」
もっとも手っ取り早い方法は――サクヤ姫陣営と手を結ぶこと。
「メガトリアームズ王国がサクヤの婆さまたちと同盟を組んで、こっちとあっちで総力戦を仕掛ければ、あらがみたちをやり込める公算も立たなくはない」
「ただし、本当の意味での総力戦です」
チョーイが注意を促すように軍師目線で捕捉してきた。
「我がメガトリアームズ王国でも戦力となる亜神族以上の戦える者はすべて参戦させますし、サクヤ姫陣営からも精霊族を始めとした戦力を出していただきます」
「そこまでしてトントン、やっと対等に渡り合えるくらいかな」
アルガトラムは両の拳を握り、拳骨同士をぶつけるジェスチャーをした。
接戦という意味での対等な戦いになるのは避けられないらしい。
「でも――サクヤ姫とは仲良くできてないんだろ?」
「そうなんだよなぁ……」
ツバサが単刀直入に指摘すると、ガクッと肩を落としたアルガトラムはテーブルに突っ伏してしまった。ふて腐れて机に沈む小学生みたいだ。
顔を伏せたままの若き王は愚痴り始める。
「図らずも隆中策……天下三分の計みたいに南方大陸を三等分で支配してしまったもんだから『蜀と呉で同盟組んで魏を倒そう!』的な展開に持っていきたかったんだけど、本家の三国志からしてしくじってるものなぁ……」
「え? 劉備と孫権って仲良くできなかったの?」
意外そうな声で驚いたのはミロだった。
おっぱい固めで抱き締めていたのを緩めた瞬間にパッと顔を上げて、ちょっと驚いた表情のまま瞳をパチクリさせていた。
ははーん、とアホの子の世話を焼いてきたツバサは勘付く。
「そうか、おまえ漫画やアニメで知識をつまみ食いしただけだから、三国志がどういうストーリー仕立てなのかうろ覚えだな?」
三国志の説明をしていたら、いくらページがあっても足らない。
況してや三国志には歴史上で起きた出来事を正しく記した『正史』と、その正史に基づくものの物語として面白くするために展開を盛ったり変えたり、架空の登場人物を書き加えたりした複数の『演戯』がある。
詳しく解説していたら辞典を越える文章量になりかねない。
掻い摘まんでいえば――蜀と呉は争う運命にあった。
争いの火種は人間関係に始まり様々な要因が複雑に絡み合うのだが、一番大きな火種となったのは荊州という両国の境にある土地だった。
この土地の所有権を巡り、蜀と呉は幾度となく競り合っている。
最終的には荊州を任されていた名将として名高い関羽が、呉の武将である呂蒙に討ち取られたことで劉備が大激怒。是が非でも義兄弟・関羽の仇を討つとして呉を倒すために我武者羅な戦争を仕掛けることとなる。
その矢先にもう一人の義兄弟・張飛も亡くなってしまう。
(※これは部下による裏切りでの暗殺)
張飛の死も劉備の暴走に拍車を掛けてしまい、軍師・諸葛亮孔明がいくら「魏を打倒するためにも呉の力は必要です」と説いても聞く耳を持たなかった。
結果、呉を倒そうと無茶をした劉備もこの世を去った。
ツバサは大きな問題点を思い返す。
「……孫権も孫権で荊州問題をなんとかしようとして、関羽にお互いの娘と息子を結婚させることで蜀呉の同盟を持ち掛けたりしたんだけどな」
この提案を関羽は一蹴した。
正史においては関羽の拒否による縁談の破局で済んでいるが、話を盛られた演戯では関羽のプライドの高さを強調した一言が添えられている。
『――虎の子を犬の子にくれてやるわけなかろう』
虎は関羽自身を表し、犬は孫権を差す。
仮にも一国の王を相手にこれを言い切ったため孫権は関羽を大いに恨み、呉は蜀と同盟を結ぶことなく、関係は悪化の一途を辿ったという。
ここでアルガトラムが少し関羽の肩を持った。
「しかし、孫権は優柔不断というか日和見主義というか、蜀と手を組んだかと思えば裏で魏と仲良くしてみたり、みたいなことをしょっちゅうやってたからな」
その振る舞いを犬と蔑んだのでは? とアルガトラムは暗に示した。
地球暮らしが長いためか三国志は履修済みのようだ。
「蜀の劉備の最終目標は、魏の曹操を倒して中国大陸を再び漢王朝の支配下に取り戻すこと、魏の曹操の最終目標は自身が皇帝となり覇を唱えること……この二人がぶつかるのは避けられない運命だが……」
「呉の孫権はそこまで征服欲に駆られた印象はないな」
そもそも呉は孫権の兄である孫策が建国した。
孫策が志半ばで亡くなったため、弟である孫権に託されたのだ。
眉目秀麗で武勇に優れて英雄の素質ありと褒めそやされた孫策こそが王の器であり、弟の孫権はいつも比較対象にされがちである。
だが、孫権は過不足なく呉を治めた。
兄の孫策からも「孫権は孫策に武勇において後れをとるが、国を治める才は孫策より上だ」と死ぬ間際に後事を託されている。
このことから孫権は呉を守ることへ徹したように思える。
魏と蜀を天秤に掛けるような蝙蝠外交と受け取られなくもない立ち回りを繰り返したのも、すべては呉を守るための戦略だったと見ることもできる。
結果、三国のパワーバランスを均衡に保った。
荊州の奪い合いを始め領土的野心はあり、呉が新たな中国王朝になることを夢見たかも知れないが、どちらかといえば呉を守ることに専念したのだ。
それが三国鼎立の一因となったのだが……。
「とまあ、歴史を振り返ってみたところで、天下三分の計は上手く行った例しというものがない。弁士の蒯通も斉王となった韓信に提案したが却下されたそうだし、甲相駿三国同盟も今川義元の死で済し崩し的にご破算になったからな」
「アルガトラムさん、物知りッスねえ」
博覧強記娘が感心するのだから相当な博識である。
(※蒯通=名将・韓信に助言した弁士。漢王・劉邦から斉国の王に任じられた韓信に対して「独立して劉邦、項羽と並ぶ第三勢力となりなさい。さすれば天下は鼎のように安定して平和が訪れるでしょう」と進言した。この場合の天下三分の計はあくまでも情勢の安定を目指すもので、韓信に天下を取らせる意図はない)
(※甲相駿三国同盟=甲斐の武田家、相模の北条家、駿河の今川家、大大名三家による東国最大の同盟。これにより武田家は目障りな上杉家との戦争に集中でき、北条家は関東支配に専念、今川家は東の守りを盤石にして西の織田家を討伐して上洛へと動き出す……が織田信長に今川義元が討ち取られた後に破綻する)
「でもまあ、隆中策の失敗はほぼ人間関係ッスね」
決めつけるようにフミカが言った。
立てた指は親指から中指まで三本、それを指折りして数えていく。
――韓信は劉邦への義理から斉王としての独立を断念。
――関羽の心ない発言により蜀と呉が同盟を結ぶ婚姻は破談。
――甲相駿三国同盟も義元の死後はグッチャグチャ。
「どんな大国とて動かすのは人間だ。その関係性が拗れれば諍いごとにしかならんし、鋼より硬いと謳った同盟であろうと飴細工より脆くなる」
浮世に盤石などありはせん、とアルガトラムの物言いは無常だった。
物憂げなため息をついて若き王は続ける。
「目の前に強大な敵が迫っているからとて、昨日の敵は今日の友とはいかんものだ。呉越同舟も言葉だけ、実際には船の上でも殺し合いかねんし、土壇場でつまらない喧嘩を始めることもままある」
「それがアルガトラム陣営とサクヤ姫陣営の置かれた状況なのか?」
腹を割って話すつもりでツバサは尋ねてみた。
駅長ジャーニィやタカヒコが交流しているのを目の当たりにしたので、両陣営にそこまでの険悪ムードはないはずだ。
同盟を組めない理由は別にあるとも聞いていた。
互いの陣営が保護化に置いた種族の仲が悪いと聞いたが、どうもサクヤ姫陣営の精霊族がアルガトラム陣営の種族を毛嫌いしているらしい。
種族間の問題で手を拱いているのは確かなようだ。
アルガトラムは答えない。
不敵な笑みで口の両端を釣り上げると、目線を横へと流していく。彼と視線を合わせていたツバサも自然とそちらに視線を振っていた。
「……まあ、百聞は一見に如かずだわな」
ため息をついたツバサは壁際に並んだ面子を見渡した。
~~~~~~~~~~~~
壁一列に並んだ――蕃神由来とされる種族の面々。
アルガトラムが入室と同時に「おまえたちも一緒にどうだ?」と同席するよう誘ったのだが、一同揃って「滅相もない!」と首を横に振っていた。
王たちとともにテーブルを囲むのは恐れ多い。
王に対する尊敬の念、リスペクトからの自重と見て取れた。
空気を読んでいると言ってもいいし、上から目線の物言いになるが身の程を弁えていると言ってもいい。真なる世界の住人と遭遇すれば問答無用で襲い掛かってくる蕃神とは違い、そこに礼節を重んじる人間性を見出すことができた。
そうなると壁際へ立たせておくのは気が引ける。
そこでメイド長コンビが椅子や大型クッションを用意すると、彼らに座るよう促していた。クッションは椅子へ座りにくい体型の種族用だ。
「エルダー族首長――ダイム・ウィリアーと申します」
古のものと思しき種族の代表が頭を下げた。
巨大な海百合のような肉体にローブをクリーム色のまとい、胴体から何本も伸びる触手を適当にまとめて人間に近い一対の腕を形作っている。
こうするだけで人間っぽく見えるから不思議だ。
……シミュラクラ効果とは顔以外にも働くのだろうか?
(※シミュラクラ効果=物体や自然物でも、そこに目鼻口などの要素を見付けて顔と認識してしまう現象。ツバサがローブをまとい腕を作った古のものに人間らしさを見出したのは、どちらかといえばパレイドリアという異なるものでも人間や動物に見立てる現象に近い。シミュラクラは顔限定のパレイドリア)
ダイムは大きなクッションに座っている。
古のものの身体の構造上、椅子に座るのは難しいからだろう。
「グール族頭領――ナグチャード・アプトス・ピックです」
次に頭を下げたのは食屍鬼の代表だった。
人間に犬っぽさを加味した獣人のような風貌。しかし髪や眉以外の体毛は割と薄く、ゴム質の肌なのがわかる。手の指は鉤爪が目立ち、足には蹄がある。
蹄は偶蹄目に近いようだ。
(※偶蹄目=牛を始めとした蹄が二つに分かれている種のこと。蹄が偶数だから偶蹄目。対して馬のように蹄がひとつしかない種は奇蹄目)
不潔を好む種族と聞くが、王に謁見するためか身なりを整えていた。身にまとう衣服もちょっとラフだが羽織や袴に見えなくもない。
「サーペンター族族長――スハース・ヴァルシアンでございます」
ついで蛇人間の代表が頭を下げた。
こちらは声の質からして女性。装飾なのか蛇にはない睫毛が目立っていた。人間に近い身体に紫色のドレスめいた衣装で着飾っている。
女性だからなのか、余所行きを意識して宝飾品でお洒落もしていた。
爬虫類をヒューマノイドタイプに進化させた種族にリザードマンがいるが、真なる世界のリザードマンは個体差こそあるものの人間寄りな見た目になっているのに対して、彼女たちはかなり蛇寄りの外見だった。
ドレスからはみ出る長い首と尾が蛇らしさを誇張している。
「アラクニア族族長――ハァーツネ・チィートカアと申します」
蜘蛛を擬人化した種族の代表がお辞儀する。
スハースに続いて女性の長だ。
彼女は他の種と比べると人間に近しい見た目をしており、体型も頭を含めた五体と両腕両足の四肢を持っている。着ている衣装も着物によく似ており、綺麗に整えた黒髪を流した美女にしか見えなかった。
ただし、どうやらこれは擬態らしい。
着物の中には折り畳まれた蜘蛛に相応しい節足動物の足が確認でき、顔も口を大きく開けようとすると蜘蛛らしい顎が現れる仕組みのようだ。
そこに目を瞑れば和装美人で通るかも知れない。
「スネイルワン統領――コルリコ=ミモにございます」
最後に自己紹介で頭を下げたのは、蝸牛を擬人化した種族の代表。
声質からして男性だが凜とした美声である。
甘く優しく心を労るようなその声は、歌っても演じても万人を魅了するだけの質に恵まれていた。それでいて幽玄的な神秘さも醸し出している。
だが、見た目は直立した巨大な蝸牛にしか見えない。
一般的な人間の感性からすると、多くの者が拒否反応を示すだろう。
深い紺色のローブを羽織っており、両袖からは幾本かの指を備えた両腕が覗いている。下半身は軟体生物らしく足は見当たらない。
彼らも背中の殻が邪魔で椅子に座れず、大きな座布団に腰を下ろしていた。
しかし、彼らは先の四種族と少々違う。
エルダー族は古のもの、グール族は食屍鬼、サーペンター族は蛇人間、アラクニア族はアトラク=ナクアの眷族。
いずれもクトゥルフ神話にルーツの親和性が窺える種族だ。
しかし、蝸牛が進化したような種族は聞き覚えがないのだが……。
「あ……もしかして“原初のもの”?」
思い出したかのようにフミカが聞き慣れない種族名を上げた。
「知っているのかフミカ?」
「あまり出展作品はないッスけれど、クトゥルフ神話でも一二を争う高位の種族ッス。種族レベルでいえば古のものやイースの大いなる種族とタメを張れるくらい科学や魔術を発展させて、当人たちも賢者みたいな能力の持ち主で……」
「黒魔法も白魔法も使えるみたいな?」
まさにそんな感じッス、とフミカはミロの戯言を肯定した。
即ち、様々な魔法が使えるほど霊的に進化した種族。おまけに文明レベルは人間など足下にも及ばず、精神面でも遙かに完成されているという。
能力は高等種族なのだが……見た目は人間大のナメクジだという。
直立歩行をして両腕のような器官を持ち、衣服をまとうなど人間とよく似た習俗を持つのだが、その人間からすれば巨大なナメクジにしか見えないのが難点。
しかし、その能力は人間を遙かに超越している。
道理でコルリコを分析すると亜神族の強さなわけだ。
「……おおっ、我らの始祖様をご存知なのですか?」
驚くほどの美声でコルリコは詳細を求めた。
これにフミカが申し訳なさそうに眉尻を下げながら答える。
「知っているというか、朧気ながら伝え聞いているというか……あなたたちの出自と関連性のありそうなクトゥルフ神話という資料がありまして……ん? あなたは御自身の種族について詳しくないんスか?」
恐れながら……と恐縮そうにコルリコは目元を伏せた。
眼球のついた触覚もシュルシュル縮んでしまう。
「我らの先祖は大昔にこの地へと流れ着いたとか、元となった種族はこことは異なる次元で暮らしていた、などの口伝しか伝わっておらず……」
「コルリコに限った話じゃない」
気を落とした彼の代弁を務めるべくアルガトラムが言った。
「ここにいる者たちとその同族は、別の次元からある事情によって望むと望むまいとにかかわらず、真なる世界へ強制的に転移させられた者の末裔だ」
彼らに向けて振った手を、若き王は自分の胸に押し当てる。
「――それを俺が面倒見ている」
みんな俺の国の民だ、とアルガトラムは宣言した。
彼らは紛れもなく蕃神にまつわる眷族。
それを承知で国民に迎え入れたのか? と問おうとしたツバサだったが、喉から発する前に引っ込めた。アルガトラムが知らないはずがないからだ。
何故なら彼は真なる世界出身。
VRMMORPGで転移してきたことを匂わせている口振りから、一時的に地球へ渡っていたのは間違いない。それが自身の暗殺を企てる父親と同じ行き先だったことに多少の疑問がないわけではないのだが……。
少なくとも、アルガトラムは蕃神についての知識がある。
かつては“外来者たち”と呼ばれていたかも知れない。
何よりアルガトラムの爺やであるチョーイが五種族のリーダーを紹介する際、別次元から迷い込んだ者たちと紹介しているのだから確定的である。
ズイッ、とツバサは前のめりになった。
超爆乳のテーブルに乗せて、本心を問い質すべく睨みつける。
「全部わかっている……のに、国民としたのか?」
殺気に近い気迫を込めた眼光をぶつけてもアルガトラムはびくともせず、むしろ気持ち良さそうに勝ち気な笑みを浮かべていた。
「全部わかっている――からこそ、国民にしたんだよ」
すべて承知の上、若き王は堂々と言い張った。
彼の「全部わかっている」には、五つの種族が辿ってきた苦難の道程も含まれている。すべてを知ったからこそ保護したのだと暗に仄めかしていた。
「ツバサよ、おまえたちの言い分もわかるぞ」
覇気を帯びた口調でこちら呼び捨てにするアルガトラム。
「外来者たちの侵略に悩まされてきたのはどこも同じ。かつてのメガトリアームズ公国でさえ対応にてんてこまいだった……この閉ざされた南方大陸では知りようもないが、どうせまだ侵略戦争は終わっていないとも踏んでいた」
若き王はその容貌に似合わない、老成した眼差しで遠い目となった。
「……俺とて外来者たちの恐ろしさは骨身に沁みている」
アルガトラムは白状するように言った。
この一言にエルダー族のダイムを始めとした五つの種族の代表は、肩を落として項垂れた。自分たちが悪さをしたわけではないが、同族嫌悪の目が向けられているような居心地の悪さに苛まれていることだろう。
「だが――それとこれは話が別だ」
眦を決したアルガトラムは宣戦布告よろしく告げる。
「彼らはこの世界を脅かした外来者たち……おまえたちがいうところの蕃神の先兵ではない。別の次元で穏やかに暮らしていた一般人に過ぎん。それが不慮の事故によって真なる世界へと流されてきただけなのだ」
椅子を揺らして立ち上がる若き王。
右手は自分の胸の押し当て、左手は五つの種族へと振る。
「この壮絶すぎる蛮地で懸命に生きんとする彼らを、俺は見捨てることはできなかった。だから王として彼らのための国を建てると決意したのだ」
庇護するのは蕃神由来の種族に限った話ではない。
「黒き女王樹とあらがみどもに虐げられた者たち。弱き者たちの拠り所となるべく俺は王となった。そこに真なる世界も別次元も関係ない」
――すべて等しく王は我が国へ迎え入れる。
自分へ言い聞かせるようにアルガトラムは断言した。
「食えない奴は俺んとこへ来い、を地で行く気っ風の良さだな」
好きだぜそういうの、と組長バンダユウはアルガトラムに好感を持っていた。
王様というより――面倒見のいい兄貴分だ。
バンダユウがからかい気味に口にした「食えない奴は~」という台詞も、多くの子分に飯を食わせてやる親分肌な男がいいそうな名台詞である。
王の息子とはいえ四男坊。
後継者レースから外されそうなポジションにいるにもかかわらず、これまで出会ってきたドラクルンの四王子の中では最も王らしい風格を持っている。
なにせ長男からして最悪の論外なのだが……。
(※ドラクルンの四王子、その長男はナアク・ミラビリスと判明している。ナアクに関しては『第5章 想世のケツァルコアトル』参照)
ダン! と音がする勢いでアルガトラムはテーブルに手を付いた。
「――敵国の民ならば何をしてもいいのか?」
若き王が提起してきたのはセンシティヴな問題だった。
豪華な椅子に座り直してアルガトラムは続ける。
「これは地球の歴史でも幾度となく議論を繰り返されてきた難題だ。時と場合によって千変万化するため、おいそれと答えを出せるものでもないだろう」
痛いところを突かれた気分だった。
戦争での大虐殺は言うに及ばず、捕虜へ待遇に始まり、大規模爆撃による無辜の民の巻き添えから、戦争が始まる前より国内にいた敵国民の扱いまで、数え切れないほどの問題が起きたものだ。
性善説を感じる逸話もあれば、性悪説を信じたくなる悲劇もあった。
だが悲しいかな、ほとんどが人間の残酷さを物語るものばかりだ。敵に属するとわかれば手加減も容赦もなく惨いことを行った例は枚挙に暇がない。
人間は敵意を抱いた者へ対して――どれほど冷酷になれるのか?
これを実証する悲劇ばかりが悪目立ちしていた。
「しかし、蕃神相手では無理もない話だ」
ツバサはほんのりとだが反論させてもらう。
「まず連中には話が通じない。知性がある種族でも、こちらを対等の生命体として扱おうとせず殺すか奪うかの二択しかない……まるで虫ケラ扱いだ。同じステージに立つ存在だと見做すどころか認めてないんだろう」
敵国民への対応をどうするか? その前段階でもう躓いているのだ。
するとアルガトラムは得意気に五種族の代表を親指で差した。
「でもウチの連中は話が通じてるだろ?」
「そこなんだよな。対話ができるなら態度を改めないと……」
躓いていた段階をあっさり踏み越えられたら、こちらとしても塩対応で済ますわけにはいかない。あちらが礼儀正しいのならば尚のことだ。
「――地球の言葉にこんなものがありますよね」
ふとチョーイが口を挟んできた。
教え子であるアルガトラムが現れてからは、彼に弁論の場を譲って頷くばかりだったが、フォローするような言葉を添えてくる。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……日本の諺でしたか?」
それは蕃神全般へ当て嵌まる。
真なる世界の住人はみんな同じ気持ちのはずだ。
理不尽な侵略戦争を仕掛けられた側にしてみれば、たとえ戦争に関与してなくとも蕃神の関係者というだけで抹殺対象だろう。地球でも敵対する者に関係していれば、一族郎党皆殺しも珍しくなかった。
被害を受けた側からしてみれば、そこまでしなければ気が済まない。
それこそ、こんな諺が出来上がるわけだ。
チョーイはアンニュイな吐息を漏らす。
「自分たちに被害をもたらした存在であるならば、その同族も百害あって一利なしと根絶やしにしたくなる……これは心ある者ならば誰もが抱く情動。そこに地球も真なる世界もありません。誰だって同じ衝動に駆られるでしょう」
ですが――踏み止まっていただきたい。
流し目のように艶やかな視線でチョーイは訴えてくる。
「相手が対話する理性を保ち、調和の意思を示すのならば……たとえ敵対する側の者であっても、耳を傾けるぐらいの度量を見せてくださいませ」
でなければ……とチョーイは一拍の間を置いた。
「そうでなければ……蕃神と何ら変わらないではありませんか」
諭されてみれば正論だった。
問答無用のまま略奪と虐殺を恣にするのならば、それこそ蕃神どもの所業に他ならない。彼らがそうするから我らも同じことをする道理はない。
目には目を歯には歯をも程度がある。
やられたらやり返すを繰り返していたら、進歩も進化も遠のくばかりだ。
それこそ――真なる世界まで蕃神のように堕ちかねない。
「難しいですが……一考する努力はすべきですね」
チョーイの言葉へ素直に耳を傾けたツバサは、目を閉じながら同意の頷きを返した。倣うようにミロやフミカにダインも「うんうん」と頷いている。
子供たちがお母さんの真似をしているかのようだ。
いつもの「誰がお母さんだ!」の決め台詞を炸裂しかけたが、まだ初対面から時が経ってないアルガトラムの前なので自重する。
チョーイの説法を聞き終えた若き王も満足げに微笑んでいた。
「そして――蕃神も一枚岩ではない」
会話の主導権は再びアルガトラムへ戻っていく。
嬉々として真なる世界へ暴虐の限りを尽くす過激派もいれば、知性と理性を有して戦争に加担しない穏健派もいるということだ。
先日、ショゴスの女王と会談したばかりなので否定できない。
蕃神にも平和を愛する者がいるのは確認済みだ。
「ここに居並ぶ五つの種族も大なり小なり、侵略戦争を仕掛けてきた蕃神と関係を持つ種族もいないことはないが、彼らが直接手を下したことはない。予期せぬアクシデントでこの世界に流れ着いた罪なき難民と理解してもらいたい」
民と迎えた彼らを擁護するため、アルガトラムは熱弁を奮っていた。
「彼らもまた人間――別次元で平穏に暮らしてきた民草なのだ」
その立ち振る舞いに五つの種族の代表も肩を震わせて感銘を受けており、涙腺を刺激されたのか俯いたまま涙を落とす者もあった。
そういう仕種もますます人間らしい。
彼らが無言のままアルガトラムへ謝意を捧げているのも感じ取れた。
言いたいことを吐き出した王様は大きく深呼吸をついた。
昂揚した気分が落ち着けばニヤリと微笑む。
「それに――おまえたちも彼らを一個人と認めてくれたではないか」
「認めた、か……否定はできんな」
ツバサは乗り出していた身を引き戻す。テーブルが支えていた超爆乳の自重が戻ってくると、胸の下で腕を組んで背もたれに身体を預けた。
そうだよ、とアルガトラムは得意気に煽ってくる。
「蕃神は殺す! と騒がなかっただろう?」
「そうだな……彼らを見た瞬間、攻撃していてもおかしくはない」
ジロリ、とツバサは五つの種族を横目に見遣る。
その視線に怖じ気づいたのか、何人かは小さく「ひぇぇッ!」と呻きながら身をすくませていた。そんな脅したつもりはなかったのだけれど……。
蕃神に悩まされてきた神族や魔族。
そんな彼らが無抵抗な蕃神の眷族と相対した場合、取るべき選択は「見つけ次第皆殺し!」となるに決まっている。ツバサたちも少し前ならば相手が口を利く前に最大攻撃呪文の百や二百は叩き込んでいたに違いない。
「……なるほど、あいつらは踏み絵やな」
殿下もえげつないことするなぁ、とノラシンハは冷やかした。
アルガトラムは答えず、鼻を鳴らして肘掛けに頬杖をつくばかりだった。
「踏み絵? ああ、そういうことか」
ノラシンハの言いたいことを理解したツバサは、アルガトラムが五つの種族の代表を五神同盟に面通しさせた理由を察した。
――もしも五神同盟が徹底的な蕃神廃絶をモットーとしていたら?
古のものや喰屍鬼を目にした時点で始末していたに違いない。その場合、この場にいたチョーイが我が身に代えても彼らを庇っただろう。
――もしも五神同盟が蕃神とも同じテーブルに着く気があるなら?
彼らを目の当たりにして驚くことはあれど、アルガトラムや種族の代表の話を聞くぐらいの寛容さは見せてくれると期待できるはずだ。
「仲良くできると信じてたぜ」
勘が当たった、と言いたげにアルガトラムはほくそ笑んでいた。
五神同盟にアルガトラムをとやかく言える筋合いはない。
何故なら既にツバサたちも蕃神の眷族であるショゴスとコンタクトを取り、彼らの移民を受け入れる前提で、試験的にショゴスを迎え入れているからだ。
現在、10人の小さなショゴスメイドが各陣営で働いている。
彼女たちが移民のモデルケースだ。
今朝も各陣営で彼女たちの監督を務める指導員から「真面目ないい子たちです」と報告を受けているので、今のところ目立った問題はない。
そこではたと気付いた。いや、思い出した。
「もしかして……ショゴスを代表するお姫様が訪ねてきてないか?」
「おー来た来た。亡命希望というから歓迎したんだがな」
アルガトラムは振り返る先にいたのは古のものの代表だった。
「……申し訳ありませんアルガトラム様! 私たち一族のせいで彼女たちの亡命を受け入れる話がご破算になってしまって……ッ!
ダイムと名乗っていた古のものは罪悪感いっぱいに謝罪した。
「ああ、古のものとショゴスだから関係最悪だったと……」
得心したように呟いたのはフミカだった。
ツバサもフミカから教わったが、古のものとショゴスは不倶戴天の天敵、犬猿の仲だったはずだ。元々は古のものが従属生物としてショゴスを創造し、労働力から家畜までと酷使した結果、ショゴスが反旗を翻したらしい。
幾星霜の年月を経てショゴスは進化した。
この進化は古のものにとっても予期せぬものだったようだ。
知性に目覚めたショゴスたちが「私たちへの待遇ひどくない? 労働環境の改善を求める!」と古のものに反感を抱いたのがきっかけだったという。
幾度かの大戦争を経て両種族は決別。
もしも再会することあれば、ショゴスはその細胞に刻まれた記憶から「古のもの死すべし! 慈悲はない!」と躍起になって襲い掛かるそうだ。
「なるほど、だからキラメラ嬢は……」
ツバサは彼女の数少ない憤慨した表情を思い出した。
ショゴスの女王を名乗るキラメラは、真なる世界の各地で勢力を拡大する組織へ移民についてのアプローチを試みていた。ほとんどが失敗に終わってしまったが、ひとつだけ好意的な組織があったと漏らしていた。
しかし、その組織からの勧誘はキラメラ自身が断っていた。
『アレは……私どもの沽券に関わりますわ!』
『アレの存在を我々は許容できませんの!』
アレとは他でもない――古のものを指していたのだ。
「あのデカいお姫様は残念だったが気にするな」
キラメラの超爆乳に未練があるような言い方だが、アルガトラムは自責の念に駆られてしょげるダイムを慰めていた。
腕を組んで尊大な態度を見せつけながら続ける。
「王たる者、来る者拒まず去る者追わずだ。悪人だろうが無頼だろうが治めてこその王よ。民に迎えたおまえたちを追い出すような真似はせん。ショゴスとの会談をまとめそこなったのは俺自身の不徳の致すところ」
おまえたちに責はない、とアルガトラムはダイムに謝罪を打ち切らせた。
最期に深々と頭を下げてダイムは押し黙る。
一瞬の静寂が応接室を通り過ぎ、アルガトラムが静けさを破った。
「……サクヤの婆さまと拗れたのも俺の責任だ」
大きなため息をついた若き王は失敗を認めるように言った。
「アルガトラム、ショッカルン、サクヤ姫……この三人をトップに南方大陸は三国志みたいな状況に陥ってしまったのは明らかに失敗だった」
――少なくとも俺はそう思っている。
自らの非を詰りつつも、アルガトラムは状況を整理していく。
「長期的に見れば隆中策など下策よ……三国のパワーバランスがどこかから崩れればどこか一国が台頭すると思われがちだが、実際には一気に崩れて三国もろとも腰砕けになるのがオチ。後は野となれ山となれだ」
「第四勢力が美味しいところを持っていくか、群雄割拠の乱世になるかだな」
「そうそう、三国志の末路がまさにそれだな」
ツバサが相槌を打つと、アルガトラムもすかさず返してきた。
「甲相駿三国同盟の国々もみんな滅んだし……やっぱ愚策だ、下の下よ」
若き王は嘲るように一人で納得していた。
(※三国志の末路=まず劉備を失った蜀が魏によって滅ぼされ、その魏も漢王朝から帝位を奪い取って魏王朝を建てたはいいが、曹操から仕えてきた司馬氏の台頭により帝位を簒奪される。この司馬氏から司馬炎という皇帝が現れて晋を建てる。代替わりに失敗した呉は晋に滅ぼされ、晋によって中国は統一される……が国内外の混乱から晋は30年ほどで滅亡、再び戦国乱世が幕を開ける)
「南方大陸の場合――三国まとめて共倒れだな」
一人勝ちするのは女王樹だ、とアルガトラムは最悪の推測する。
「天下三分の計なんぞ外なる神には通じまい。彼女が覚醒した暁には、真なる世界はおろか次元がシッチャカメッチャカになること請け合いだ。アルガトラム陣営もサクヤ姫陣営も、そしてあらがみたちでさえ消し飛ばされるだろうよ」
「その証拠も此処に揃っておりますからね」
アルガトラムの言葉を引き継ぎ、チョーイが種族の代表たちを指し示した。
「彼らは女王樹が覚醒した際の被害者、その末裔でもあるのです」
「覚醒の被害者……まさかッ!?」
チョーイの含みのある言葉を読み説いたツバサが戦慄すると、焦燥感に引き攣るもののアルガトラムが精いっぱいの好戦的な笑みを浮かべていた。
「覚醒した女王樹は――次元を越えて枝を一気に広げるんだ」
別次元に生きて蕃神側に属した五つの種族。
彼らの先祖は、覚醒した女王樹の急成長に巻き込まれたという。
「それは多次元世界の壁を当たり前のように突き破る……そして、女王樹の枝が届いたすべての次元に混沌とした大災害を引き起こす」
ロンドはこの結末を予感したらしい。
破壊神の遺した予言が俄に現実味を帯びようとしていた。
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