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第22章 想世のコノハナサクヤ
第528話:天穣のサクヤヒメ
しおりを挟む『……そんなわけでアルガトラム王と接触できそうです』
『思ったより早かったな。しかし、破天荒な人物のようだね。件のドラクルンという人物の血を引いていると聞けば納得だが……』
『いきなりキン○バスターでご登場ですからね』
ちょっとビビりました、とツバサは可笑しそうに苦笑を漏らした。
『おれも現役世代ではないが、リメイク版のアニメをよく観ていたよ。あのマンガの必殺技はインパクトがデカい。いきなり飛行船が飛ぶ高度から繰り出されるところを目の当たりにしたら目が点になりそうだな』
驚きを分かち合うアハウは、通信網でツバサと情報交換をしていた。
――三つに分かたれた南方大陸。
その西と東に陣取るアルガトラム王とサクヤ姫。それぞれに訪問する別行動を取っているが、通信網のおかげで互いの状況を報告することができた。
通信網――これが五神同盟の強みである。
情報官アキが主導し、その妹である博覧強記娘フミカや教育係マルミ、工作者たちの棟梁を務める社長ヒデヨシが協力して開発したシステム。
還らずの都を奉る巫女ククリの力で、真なる世界に張り巡らされた龍脈のネットワークを拝借。この龍脈の流れを借りることでリアルタイムでやり取りできる高速通信を可能とした通信網は、破壊神との戦争に備えて開発された。
現実ならばネットなどがあったが、真なる世界では一から構築するしかない。
通信する相手と時間差なく情報のやり取りができる。
SNSや電話が普通にあった現代人からすれば当たり前のことだが、未開の地でそれがどれほどの優位性として働くかを思い知らされたものだ。
結果、勝因のひとつに数えられるほど貢献した。
戦争後もこうして情報インフラとして活用されている。
『まだメガトリアームズ王国には到着してませんが、これからアルガトラム王と彼が説き伏せた象神族という種族を拾い、現地へ向かうことになりそうです』
アハウさんたちは? とツバサはこちらの進捗を尋ねてきた。
『おれたちはまだサクヤ教授へ会いに行く途中だな』
タカヒコたちの弁によれば、国というほどではないがサクヤ姫の指導により立てられた安全地帯があり、そこが彼女の治める領地になっているらしい。
――あらがみはおろか女王樹の根すら寄せ付けない。
サクヤ姫の結界に護られた聖域でもあるそうだ。
『……ところで金翅鳥は追いつきましたか?』
『ああ、差し入れなら届いているよ。みんなで頂いてるところだ』
ありがとう、とアハウはツバサに感謝を述べた。
飛行して移動中のアハウたちは差し入れの軽食を頂いていた。
漫画でしか見たことがない大きな骨付き肉を丸齧りするアハウは、水筒のお茶を浴びるように飲んで脂を洗い流した。
神族や魔族は睡眠は元より飲食も不要だが、食事は食べられるし味わいを楽しむこともできる。様々な強化が施された料理はもちろん、消耗した体力や魔力を補う効果のある食事なら回復効果を得ることもできる。
ゲームでも食品を食べれば体力が元通りになるようなものだ。
ツバサ君の特製お弁当はおにぎりやサンドイッチなど移動中でも食べやすいものばかりだが、大地母神の愛情を注がれているのか回復効果も絶大だった。
『誰が大地母神ですか!?』
『通信でも読心術ってできるものなの!?』
心の独白を読まれたアハウはツッコんでしまった。
『す、すいません、つい癖で……』
ツバサは殊勝に謝ってきた。
かれこれ真なる世界で二年近く女神をやってきても、まだ男心が捨てきれないのは未練がましさではない。彼らしい芯の強さだと思っていた。
誰より女性性を持つのに――その深奥へ男性性を宿す。
相反する性を有する者こそ内在異性具現化者。
古来より両性を併せ持つ者にこそ神や魔を超越した力が宿るという信仰は枚挙に暇がない。大地母神へ信仰を捧げるため男根を切り落とす信者、より強力な加護を求めて男性なのに女性の装いで儀式をするシャーマン……。
男だが女性の魂を持つ変性女子――女だが男性の魂を持つ変性男子。
男女の両性が混沌と渦巻くところに神秘が湧き出でる。
こうした思想を説く宗教家もいたものだ。
そもそもの話、最初の人類は男女両性を併せ持つ両性具有者だった。
しかし、その力は強大でしばしば神に反旗を翻したことから、その力を削ぐために父なる主神によって男と女のふたつに分断されてしまったという。
内在異性具現化者こそ――在りし日の人類の原型。
神をも凌ぐ可能性を秘めた超越者。
両性を宿すことを認められた人類の極点だとあるGMは宣っていた。
しかし、アハウたちはいいところ極点の手前にいる。
ツバサ君こそが――内在異性具現化者の極点に辿り着いた者だ。
密かにアハウはそう確信していた。
神々の乳母、殺戮の女神、魔法の女神、天空の女神……。
彼だけがいくつもの変身形態に覚醒できる。
それこそが特別な証拠ではないかと考察していた。しかし、まだそこまで多くの内在異性具現化者と出会えていないので、サンプル不足なのも否めない。
その点、これから会うサクヤ姫もまた特例かも知れない。
男と女、女と男、生と死、獣と人……。
彼女はこれまでの性とは一味違うものが反転しているのだから。
『とにかく、助かったよ。アハウやミサキ君はそれほど働いてなかったし、自前の過大能力のおかげ疲労感もないが……レン君やアンズ君、それにタカヒコ君たちはあらがみたち相手に一暴れしたところだったからね』
『多めに持たせておいて正解でした』
母親が胸を撫で下ろすような声でツバサは安堵した。
金色に輝く金翅鳥の群れが編隊を組んで担いできてくれたお弁当は、アハウやミサキの分のみならず、タカヒコたちの分も包んでくれていたのだ。
南方大陸の東へと向かう――空を行くアハウ一行。
アハウは獣王神らしい姿で飛翔を続けていた。
大型のドラゴンと有角の悪魔を融合させたような姿である。
5m近い巨体へと身体拡張を行い、肩からは大小三対の翼を生やすことで飛行能力を底上げしていた。疲れを知らぬドラゴンの翼、高速性を極めた猛禽類の翼、安定性を求める渡り鳥の翼……この三種の羽を空に広げていた。
これだけの巨体であれば背中も広い。
仲間たちを乗せて飛ぶなんて朝飯前だった。
「すいませんアハウさん、結局オレまで乗せてもらって……」
左右に枝を広げるように伸びた獣王の角の間を抜けて、頭越しに顔を覗かせながらミサキが謝ってきた。「気にするな」とアハウは上目遣いに返す。
「女の子を三人乗せるも四人乗せるも大差ないよ」
むしろご褒美かも知れない、と俗っぽい冗談で片頬を釣り上げる。
ミサキ君もツバサ君と同じように男性から女性に性転換したタイプだが、これくらいは付き合ってくれる。だからこそ言えるジョークだった。
「ハハハ、愛妻さんには聞かせられませんね」
「それはいわない約束だろう」
女の子扱いしたことへの仕返しにアハウも苦笑いするしかなかった。
イシュタル女王国 代表 戦女神ミサキ・イシュタル。
紫色に染まる長い髪を翻した、凜々しい面立ちをした美少女だ。
年齢以上に大人びた肢体を誇っており、二の腕や太ももの露出が眩しいボディースーツ型の戦闘服を愛用している。そのためグラマラスなボディラインを惜しげもなくさらしていた。
戦女神と讃えるに相応しい美少女――だが中身は少年だ。
彼もまた内在異性具現化者であり、男性から女性に反転していた。
過大能力で気張れば一時的に男性に戻ることもできるそうなので、ツバサ君ほど女体に忌避感がないらしい。露出が高いのも余裕があるからだろう。
片手には特大のおむすび――もう片手にお茶入り水筒。
彼もアハウの背中で寛いでいるようだ。
他の三人も姿こそ見えないが、背中にいる感触は伝わってくる。
アハウの背中を汚さないようにわざわざレジャーシートを敷いて、仲良くも礼儀正しく正座で腰を下ろしているようだ。
「ん~ツバサさんのサンドイッチ美味しい~! ソース何使ってんだろ?」
アンズが美味しさに舌鼓を打つ声が聞こえる。
ルーグ・ルー輝神国 戦士 蛮族娘アンズ・ドラステナ。
同年代の女の子よりも身長やスタイルに恵まれた美少女だ。こちらも毛皮のビキニに頭から魔獣の毛皮マントを羽織るだけという、ミサキ君に負けず劣らずの露出度の高さだが、それが似合うだけの見栄えの良さがあった。
蛮族という肩書きの割に顔立ちは穏やかで柔らかい。
そのため友人からは“ふんわりバーバリアン”と呼ばれていた。
こう見えて家庭的な技能を数多く習得しており、料理やお菓子作りを得意としていた。だからツバサ君の味付けを称賛しつつ興味が尽きないのだろう。
「おいアンズ、一人でパクパク食べるな」
ちゃんと配分考えろよ、とレンが自制を促すように言った。
ルーグ・ルー輝神国 剣士 侍娘レン・セヌナ。
こちらは小柄なためか同年代の女子より幼く思われがちだが、内面的には大人びていて沈着冷静な指揮官タイプだ。中学生くらいに見られる細身にサムライらしく着物や袴といった和装で装備を固めている。
背負う異形の大太刀は神剣ナナシチ。彼女の過大能力の真髄だ。
ふんわりした“柔”のアンズに対して、幼顔ながらもキリッとしたレンの面立ちは“剛”かも知れない。清涼感のある宝刀のような“剛”だが。
お弁当の等分を気にするところに、まとめ役の片鱗を垣間見せていた。
「パンコちゃん、遠慮せずどんどん食べていいからね」
レンは「アンズは少し遠慮しろ」と食べ盛りな相棒を牽制しつつ、水筒のドリンクをコップに注いで隣に座る幼女に手渡した。
「ありがとうレンお姉ちゃん。うん、美味しいからいっぱい食べれる!」
パンコは三段挟みのサンドイッチを食べ終えると「美味しい!」と連呼してから、レンからもらったドリンクで喉を潤していた。
原初巨神の少女――パンコ・コノハナサクヤ。
あのサクヤ教授の娘ということだが、現実世界での彼女を知るアハウにしてみれば複雑な気持ちだった。苦難に塗れた彼女の半生を知っているから尚更だ。
背負うものの多さから苦悩していなければいいのだが……。
しかし、明るく素直なパンコの様子から杞憂だと思い過ごしたい。
アンズとレンの間に座る鎧姿の幼女。
外見だけならば10歳前後。五神同盟ならばアハウの元にいるミコ、ツバサ君の五女マリナ、そこら辺の幼女組と大差ない年齢の少女に見える。
しかし、先ほどまで250m級の巨神だったのだ。
タカヒコの仙術で人間サイズにまで縮められており、体重もそれ相応のものになっているので、背中に乗せてても小鳥のように軽い……が、もしもここで仙術が解けたらと思えば内心ヒヤリとしないでもなかった。
金髪碧眼……ではなく髪色こそ金髪だが瞳は火眼金睛のようだ。
(※火眼金睛=燃えるような赤い瞳。金色の虹彩を湛える)
そう考えるとフワフワとした金髪もどことなく赤味を帯びているような気もするし、穏やかに燃える炎のような髪型に見えなくもない。
あどけなく愛らしい顔立ちは、将来を期待させる美貌の萌芽だ。
ヘルメット状の兜こそ脱いでおり、武装である長柄の鉞も道具箱らしき亜空間に収納したようだが、用心のためにと鎧はまだ身に帯びたままだった。
「すいませんアハウさん、ウチの妹を面倒見てもらって……」
横にいたタカヒコが申し訳なさそうに詫びてきた。
飛行母艦から出発した時、パンコはタカヒコの背に乗っていた。
しばらくしてツバサの金翅鳥がお弁当を届けてくれたので、道中で食べていこうとなった時、アハウはパンコとミサキを背中に誘ったのだ。
本当はタカヒコたちも誘ったのだが……。
「「「――そんな! 恐れ多いです!」」」
……タカヒコたちからと異口同音で固辞されてしまった。
まだ逆神教授の最強伝説が尾を引いているようだ。
アハウも彼のフィールドワークに何度も同行し、とんでもない目に遭いながらも生き延びたゆえ『逆神んところの暴れん坊』なんて中途半端な二つ名をつけられたのは知っていたが、まさかこんな影響力があるとは……。
良くも悪くも力ある人の影響力は伝播するものだと痛感させられる。
「なに、気にするな。女の子の一人や二人大したことない」
君たちもどうだ? とアハウは再び誘ってみる。
「いいえ! やっぱり恐れ多いです!」
即答で断られてしまった。まだ背中に余裕はあるのだが……。
「……そ、そうか? まあ、男の子だからな」
上手な返しが思い付かず、レディファースト的な言い方で誤魔化したが、男の子はこんな場面だと意固地になるのは仕方ないかも知れない。
最初はミサキ君も辞退していたから、そういうものだと思っておこう。
彼らにもツバサ君特製のお弁当は分けてある。
中身は様々な具材がギッシリ詰まった頭みたいな大きさの爆弾おにぎりや、何段重ねか数えなければならないハンバーガー、大振りの唐揚げを串に刺したものなど男の子向けの食べ出のあるものばかりだ。
「これ、本当に美味しいです! 教授やカネさんにナヤカさんも料理上手なんですけど、ツバサさんの手料理もスゴい美味しいです!」
タカヒコは飛びながら夢中でおにぎりを齧り付いている。
あらがみ軍団を向こうに回してあれだけ大立ち回りを演じていたのだから、神族でも栄養補給的な意味でお腹がすいていたはずだ。
ところで今――タカヒコはサクヤ姫以外の仲間も上げていた。
カネ、という人物にアハウは心当たりがあった。
記憶に誤りがなければ、サクヤ教授が指導していた院生だ。アハウが逆神教授に師事していたのと似た関係である。
ナヤカ、という名前もなんとなく記憶にあった。
ただ自分に縁のある人の名前ではなく、誰かが口にしていた知人の名前だと思ったのだが……そこをど忘れしてしまって思い出せない。
確か軍師のレオナルド君がよく口にしていた気がするのだが?
後ほど確認しよう、と心のメモに書き留めておく。
アハウと併走するように飛ぶ、サクヤヒメの教え子トリオ。
サクヤヒメの門弟 一番弟子 タカヒコ・アジスキ。
彼がリーダー格らしい。
まっすぐな眼をした生真面目そうな少年だ。荒々しい蓬髪を後頭部で適当に結って髷にしており、凜とした眼差しが露わになっていた。
籠手や足甲で武装した鎧なしの足軽みたいな格好で、その上に豪気なデザインの虎革でできた半纏を羽織っている。柄の長めな鍬を武器とするようだが、戦闘は終わったので道具箱に仕舞っていた。
爆弾おにぎりに顔を突っ込んだまま空を飛ぶタカヒコの後ろには、同じようにツバサ君のお弁当にがっついている二人が追随していた。
「おいブタ、その唐揚げ一個くれ。代わりにピクルスやるから」
「冗談はよしこさんだでな。せめてハンバーグパティと交換だでな」
数段重ねハンバーガーにかぶりつくミクマと、剣みたいな長さの唐揚げ串を食べるハニヤは、各々のお弁当のトレードについて交渉していた。
サクヤヒメの門弟 二番弟子 ハニヤ・ヒメヤスメ。
見た目は身長2m近い豚の顔をした巨漢だ。教え子トリオの中で唯一、胴や肩を覆うほど艶やかな鎧をまとっている。振り回していた武器も鈀なので、ツバサ君ではないがどうしても猪八戒を連想してしまう。
しかし、豚の顔はゆるキャラが務まるほどファンシーだった。
達観としていて感情を表に出さず、顔もとぼけた豚にしか見えないので読みにくいが、今までの態度から立ち振る舞いに一家言ありそうである。
サクヤヒメの門弟 三番弟子 ミクマ・クラミツハ。
緑色の長い髪を靡かせたニヒルな少年。
タカヒコやハニヤと同い年だというから中学生から高校生くらいと思うのだが、それにしては痩躯ながら長身で手足も長い。細面の顔立ちからからして大人びていた。将来くわえ煙草とか似合いそうである。
アーミーパンツに編み上げブーツと下半身の装備はしっかりしているのに、上半身は裸で白いマントみたいな布を羽織るのみ。
武器はショーテルめいた大鎌二刀流。沙悟浄をイメージさせる割に、彼の代名詞ともいえる武器・降魔杖を振るわないらしい。
(※降魔杖=沙悟浄の武器。降妖の宝杖、降魔宝杖とも呼ばれる。武器としての種類は“鏟”という。長柄の片方にシャベル状の刃が付けられ、もう片方には月牙と呼ばれる半月状の刃を持つ。鈀と同じく農具を由来とする武具のひとつ)
ハニヤが豚顔のせいで釣られるのか、リーダー格のタカヒコを孫悟空、緑髪のミクマを(※本当は違うのだが)河童みたいに沙悟浄へと見立ててしまう。
内心アハウは彼らを“西遊記トリオ”とまとめていた。
仲良く喧嘩する様はそんな連想を加速させる。
「こらブタァァ! パティ二枚持ってったなテメエ!?」
「そっちだって一番大きい唐揚げ取ってたでおあいこだでな」
「ああもう! やめろおまえら! 俺のおにぎり分けてやるから!」
ハンバーガーと唐揚げ串のトレードで不正があったのか、またしても取っ組み合いの喧嘩を始めるミクマとハニヤ。仲裁するタカヒコも大変そうだ。
せめてもの救いは本気で憎み合って争っていないこと。
おかげで仲のいい兄弟ゲンカにしか見えない。
ミサキ君も自分とジン君がよく口喧嘩をして遊んでいるのを思い出しているのか、生暖かい眼で彼らのケンカを微笑ましそうに見守っていた。
「……フッ、他人の振り見て我が振り直せか」
違う。普通に反省していた。
ジンとのじゃれ合いを余所から見たらあんな風だろうな、と思い返しつつ、直していこうと心に誓っている。精神的に大人になろうと必死だった。
一方、パンコは楽しそうにケタケタ笑っていた。
アンズは交互に目を遣ると、ちょっと心配そうにパンコに尋ねる。
「パンコちゃんのお兄ちゃんたち、いつもあんななの?」
「うん! お母さんが『仲良く喧嘩しな!』って張り倒すまでいつもあんな感じ。そうなる前に大体タカヒコお兄ちゃんがなんとかしてくれるの」
「そっか、サクヤヒメお母さん体罰アリなんだね」
「タカヒコくん長男属性なのかな、苦労感がハンパない……」
半眼のレンは苦労人なタカヒコの背中に同情していた。
しかし、本当に仲が悪ければ三人で行動しない。
何より師であるサクヤ教授が別行動を指示するはずだ。
良かれ悪しかれどんな些細なことであれ、気兼ねなく本気でぶつかり合えるのだからタカヒコたち三人は良き仲間なのだろう。
――サクヤ教授の教え子。
そういう割には大学教授だった彼女の講義を受けていた学生ではなく、中学から高校くらいの少年という点がやや奇妙だが、サクヤ教授の教えを受けて彼女を先生と敬える気質なら信じて大丈夫だろうと踏んでいた。
ふとミサキ君が顔を覗かせてくる。
「あの子たち、たまに教授をババアとか呼んでませんでしたっけ?」
少なくともタカヒコは一貫して教授と呼んでいた。
しかし、ミクマやハニヤが教授をババアと呼び捨てていた。
「そこはそれ、学生あるあるだから……俺も陰で逆神教授のことを筋肉ライオンゴリラとかマッスルドラゴンコングとか好き勝手呼んでいたものさ」
「筋肉でゴリラなのは確定なんですね」
後ほどバレてプロレス技の練習台にされた記憶は消したい。
超人が使うような必殺技を立て続けに喰らって悶絶させられたものだ。
「全身の骨がバラバラになる勢いで空中に何度も跳ね上げられた後、滞空したまま首と両腕と脚をクラッチされて筋肉が悲鳴を上げるまで海老反りを極められ、そこから手足を拘束されたまま頭と全身を地面に叩き付けられるという……」
「それなんて超必殺技ですか!?」
アハウが受けた技の説明にミサキもドン引きしていた。
まあ現実の人間が使えるレベルの技ではないことは間違いない。
「なのに逆神教授は平然と使い熟していたからなぁ……」
「常人じゃないですね。逸般人ってやつだ」
「「「逆神教授スゲーッ! さすが地上最強の民俗学者!」」」
ミサキは驚くのを通り越して唖然としているが、タカヒコたちは熱狂的に称賛していた。いつの世も最強キャラとは少年の心を滾らせる燃料だ。
その時――ふと空から影が差した。
雲が太陽を隠したくらいの薄曇りだが、見上げてみれば雲ではない。
そこに半透明の巨大生物が舞っていた。
アハウたちが飛ぶ空よりも上空、雲が流れる高度をそれは飛ぶ。
軽く見積もっても東京ドーム五個分の面積を有したそれは、アハウたちに気配を悟らせることなく、頭上を取るかのように接近していた。
一言で表現するなら――半透明のエイ。
平べったくて菱形に近い独特のフォルムをしたあの魚だ。魚類としては軟骨魚に分類されるためサメの仲間である。
しかし、この空飛ぶエイはクラゲめいた肉体を持っていた。
硬度のあるゼリーのような肉体だ。
内臓まで透けて見えるが、その内臓さえ色素が薄くて判然としない。
深海魚よろしくゲーミングPCばりの発光器官を煌めかせており、身体の底面からは半透明の長い触手が何本も垂れ下がっていた。まるで蛍光色を放つゼリー状の柱が並んだ魔窟のような光景がアハウたちに迫りつつある。
「……あれ、食べたら美味しいかな?」
ゼリー菓子に見立てたのか、アンズがとんでもないことを言い出した。
唇から垂れた一筋の涎は「嘘だろ!?」と見過ごしたい。
「おバカ! どう見ても電気クラゲ系だろあれ!」
触ればイタイタイイだよ! と相棒のレンが窘めてくれた。パンコが傍にいるからか幼児っぽい言葉でアンズに怒鳴りつけている。
「まあ、進んで当たりに行くものでもないな」
一応、分析や走査を走らせるがアハウは専門家ではない。
それらが完了する前にミサキたちを乗せたまま回避行動を取ることにした。未知への探究心はあるものの、不用意な行動はなるべく控えるべきだ。
タカヒコたちもお弁当を頬張りながらついてくる。
半透明エイもアハウたちに手を出す気がないのか、こちらの回避へ合わせるように触手を退かしてくれた。どうやら獲物として見ていないようだ。
エイの底面から離れたところで、触手に関する分析結果が出た。
肉眼では捉えられない刺胞をこれでもかと備えている。
(※刺胞=クラゲなどの刺胞動物が持つ有毒の針を発射する器官。細胞ひとつにつき針がひとつ収まっている細胞小器官であり、これを刺胞細胞ともいう)
「その刺胞には……やはり毒か」
神経、出血、細胞……ご丁寧に各種の毒を網羅していた。
恐らく、どんな生物にも効果が出るよう毒のバリエーションを増やす進化を辿ってきたのだろう。アハウでは解析できない未知の毒もあるくらいだ。
ツバサからの報告には驚異の生物群も含まれていた。
俄には信じがたい空想を上回る怪物ばかりだったが、遅ればせながらアハウたちも遭遇したところだ。これらは驚異の部屋に陳列すべき神秘の生態系だが、あまりにも規模が大きすぎて部屋に収まりきらないだろう。
(※驚異の部屋=ドイツ語。大航海時代の幕開けにより、これまで未知だった世界の珍品奇物を蒐集、それらを所狭しと陳列したコレクションルームのこと)
「――あの手の動物なら大丈夫ですよ」
警戒するアハウを和ませるようにタカヒコが話し掛けてきた。
「彼らは本能的に強さを察するみたいで、相手とのLV差を感じると無闇に手を出してこないんです。もっとも、こちらから仕掛ければ話は別ですが……」
攻撃されれば格上でも反撃するそうだ。
「どうしても食料目当てが狩ることがあるからなぁ」
「あのエイはあんま美味くないだでな。歯応えのある心太みたいだで」
ミクマやハニヤの感想からして、既に獲物として仕留めた前例があり、食用になることも判明しているようだ。ただしお味の方はイマイチらしい。
「なるほど、食物連鎖を重視しているわけか」
自分より強者には挑まず、自分が食すべき弱者を定める。それが弱肉強食の厳粛な掟であり、例外が起きない限りはこの掟を破ることはない。腐れるほどの“気”により突然変異を促されても、大自然のルールは活きているのだ。
「あれは多分――雨が生物化したものですね」
ミサキも分析していたのか、エイの正体まで突き止めたらしい。
「わかるのかねミサキ君?」
「なんとなく。大地母神ほどじゃないですけど、オレも神族としての権能は女神のせいか自然由来のものはそこそこ見分けられるみたいです」
元々あの半透明エイは自然現象の一部。
それが莫大な“気”を浴びることで生命を得たという。
「とんでもない“気”を宿して雨雲ごと生物になったみたいです。あの無数に垂れ下がる触手は元々は雨垂れの雫。動物として他の生物を捕食するようになった際、効率を求めて体内での毒物を生み出したみたいです」
「んー……倒したらメダルゲットできるかな?」
人差し指を顎先に押し当てたアンズが半透明エイを見つめていた。
アンズの過大能力――【祖霊の獣は我が血肉となれ】。
アンズがモンスターを倒すと、道具箱にそのモンスターを象徴的に刻んだメダルがストックされる。これを彼女が噛み砕くとメダルとなったモンスターの身体能力をその肉体で再現することができた。
ただの再現ではない。神族の肉体での再現である。
モデルとなったモンスターの異能を神族の力で使うことができ、身体の部位ごとに発現させられるため、組み合わせ次第で多彩な能力を発揮できるのだ。
珍しいモンスターに食指が動くのは当然だろう。
「やめときなさい。まだ南方大陸のことよく知らないんだから」
腰を浮かせたアンズだが、レンが彼女の袖を引っ張って制した。無理無茶無謀は性に合わない。彼女はツバサ君と話が合いそうな慎重派だ。
そうそう、と唐揚げ串を振りながらハニヤも止めてくる。
「あいつはあんま味しないでやめときー」
「味も気になるけど、あたしはあの子をメダルにしたいんだ」
メダル? とハニヤは事情を知らないため豚の首を傾げるが、過大能力については秘密にしておくべきだとレンはアンズの軽い口を塞いだ。
親しき仲にも礼儀あり――友好的でも全幅の信頼を寄せるのは早計。
レンの緊張感がアンズたちの気を引き締めていた。
雨が巨大生物となった半透明のエイ。
アハウたちは観察するようにそれを遠巻きに眺める。
元は降りしきる雨だったであろう触手の群れを垂らした半透明エイは、その触手を眼下に広がる森林へと降ろした。そのまま揺蕩うようにエイは飛び続け、引きずられる触手は森の中を乱暴に通り抜けていく。
森に潜んでいた生物たちは大わらわで逃げ惑った。
半透明エイはその触手で逃げる生物たちを手当たり次第に捕らえ、毒で動きを封じてからゆっくり引き上げると、上空の本体に取り込んでいく。
口に相当する器官はない。ゼリー状の肉体に沈めることが摂食になるらしい。
多くの獲物を捕らえた触手から順番に巻き上げているようだ。
それらを本体に取り込み、再び森へ触手が降ろされる。これの繰り返すことが半透明エイにとっての食事らしい。
なんともダイナミックな捕食活動だった。
地引き網よろしく追い立てられる森の生物群は堪ったものではない。
深く背も高い森林から蜘蛛の子散らすように遁走していた。
そのどれもが地球人の視点からすれば奇想天外。
見覚えのある生物の特徴を掛け合わせて例えるのがやっとだ。
海獣のセイウチに似ているが元はペンギンのような飛べないタイプの鳥が巨大化したものや、人間に酷似した五体を持つようになったカブトガニ、大型のトカゲなのだが蝙蝠みたいな翼を得て滑空能力を得た爬虫類、猪突猛進する猪かと思えば前に推進する脚力を身に付けた大型のエビだったり、肩甲骨から翼を生やした豚が軽やかに空を飛んでいくし……。
特に豚は数が多いのか、渡り鳥の群れみたいに飛び立っていた。
「あれがホントの“豚もおだてりゃ空を飛ぶ”」
「ただしくは“豚もおだてりゃ木に登る”だからね?」
レンに訂正されたアンズは「ブヒー!」と鳴いていた。
この諺、あるアニメが発祥とされるが実際には昭和中期の会津若松地方で使われていた慣用句らしい。爆発的に知れ渡ったのはそのアニメからだが。
空飛ぶ豚はそれほど飛行能力が高くない。
かなりの数が触手に捕らわれ、悲痛な悲鳴がいくつも木霊していた。
不意にガクン! と半透明エイの全身が揺らぐ。
見れば触手の先端を何体もの大柄な生物が捕まえており、毒をものともせず鷲掴みにすると、数に任せて半透明エイを引っ張っていた。
「あれは……石造りの泥人形か?」
無造作に石を組み上げて作った人形にしか見えない。
大小の個体差はあるが、おおよそ2m以上8m未満。そんな石人形が群れになって半透明エイの触手にしがみつき、一斉に引っ張っているのだ。
「いえ、あれも生命を宿した自然物です」
人型の岩石に見えた者たちの正体をミサキが看破してくれた。
「石や岩が“気”で生命を宿したみたいです。現地種族ほど知能はないけど人型に近いから……岩石猿ってところですかね」
「岩石だけじゃないみたい。樹木猿みたいなのもいるよ」
レンも両眼を鷹の目のように鋭くさせると、岩石猿と一緒になって半透明エイの触手を引っ張っている人型の樹を発見していた。
こちらも植物ながら人型をしているが、やはり知性は類人猿レベル。
それでも岩石猿と協力するくらいの知恵はあるのか、大きさや重さ、それと数を頼みにして総出となって半透明エイの触手を引っ張っていた。
奴を引きずり下ろそうとしているのだ。
食べられているばかりではない。やられたらやり返すの原理で半透明エイに逆襲しており、あわよくば獲物として仕留めるつもりなのだろう。
弱肉強食を覆すこともままある――これもまた自然の摂理だった。
「うーん、ダー○ィンが来た! でよく見た光景。シマウマがキックでライオン倒したり、ヌーの群れがクロコダイル撃退したりとか!」
「ここまで生々しいのは流さなかったろ、ダ○ウィンが来た!」
とある動物番組のつもりで鑑賞するアンズとレン。
すると通信網からけたたましい声が響いた。
『あーん! そっちの生態系も面白そうッス! 誰か……誰か映像記録撮っといてくださいッス! こっちで分析とかやりますからぁーッ!』
博覧強記娘のフミカちゃんが焦燥感MAXでお願いしてきた。
彼女は博物学的に様々なものを分類して記録するのが趣味なので、この状況に魅入られないわけがない。先ほどツバサ君と情報交換した際にも、南方大陸の西部に棲息している奇想天外な生物群の情報を添付してくれたくらいだ。
『フミちゃん、撮るだけでいいの? そんなら適当にやっとくよー♪』
『うん、自動撮影を複数発動させておくから任せて』
女子高生同士、気の合うアンズとレンが引き受けてくれた。
年の近いミサキも反応する。
『フミカちゃん、オレので良ければ分析したデータも送る?』
『助かるッス! みんな、ありがとうッス!』
フミカは礼を述べると通信網から退出した。目の前に広がる大陸西部の環境調査に専念しているのだろう。
ミサキたちも大陸東部の生態系を録画に入った。
その熱心な視線に気付いたミクマが声を掛けてくる。
「あの~……お姉さま方? 南方大陸の自然に興味おありですか?」
オレで良ければ解説しますよ? と特大ハンバーガーを食べ終えたミクマがゴマをするみたいな手付きで近付いてきた。揉み手というんだったか?
「お姉さんっていうほど年離れてないでしょー」
あっけらかんと笑顔で応じるアンズ。
「いや、彼は中学生くらいだから私たちのがお姉さんだよ……そうだね、何か知っていることがあれば教えてくれると助かるかな」
小柄で年下に見られがちなことを気にしているレンは、お姉さんと呼ばれたことに気を良くしたのか、ミクマに優しく接していた。
「はい喜んでー♡ お任せくださいレンお姉さまー♡」
目をハート型にしてミクマははしゃいでいた。
「うーん……オレはお姉さんって呼ばれるのはまだ抵抗あるなー」
中身少年のミサキは人差し指で頬を掻いていた。
ミサキの返事を聞いたミクマは眼を伏せ、顎に手を当てて思案する。
「お姉さまで抵抗があるなら……お母さまとかですか?」
「それ、地雷な人が五神同盟にはいるから発言に気をつけようね」
ミサキは「ツバサさんにそれはNGワード」だと、ミクマにしっかりレクチャーしていた。罷り間違えば大惨事になりかねないから厳重にだ。
美少女トリオにおべんちゃらなお世辞が止まらないミクマ。
その傍らにいたタカヒコが純真な眼差しでミサキを見つめていた。
「……失礼かもですけどミサキさん」
男性ですよね? といきなりタカヒコが核心を突いた。
これにミクマは眉を怒らせて抗議する。
「バカおまえタカヒコ! あんなムチムチ爆乳ドスケベデカ尻のお姉さまが男のわけねえだろ! どう調べてもちゃんと女神さまって判定され……」
「タカヒコくん、よくわかったね」
「……なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーッ!?」
熱弁を振るうミクマだが、ミサキがあっさり認めたのでこの世のすべてに絶望するほどの変顔でショックを受けていた。
硬直したまま空を飛ぶのも忘れて落ちていくミクマ。
「おっと、バカでアホでも兄弟弟子だでな」
すんでの所でハニヤが彼の頭を引っ掴んだため事なきを得た。
「タカヒコ、おめぇよくわかったでな」
「うん、サクヤ教授の独特な波長と似てたからね。ほら、内在異性具現化者は性が反転するっていうだろ。一人称がオレだしあんまり女性っぽくないから、もしかしたらミサキさんは男女が反転したんじゃないかなって……」
「へぇ……いい感してるね。洞察力もあるし将来有望だ」
ミサキも素直に感心するほどだった。
サクヤ姫も内在異性具現化者なのか……とミサキは小さく呟いて確認する。そういえばサクヤ教授について説明しておくのを忘れていた。
本人に会ってから紹介がてら話せばいいか、とアハウはアバウトに構えた。
ここで予備知識として教えても混乱を招きそうだからだ。
ところでタカヒコは電気などを使って様々ものを感知できるのだろう。初めて会った時から電撃系を主体とした能力を使っていたのがその証拠だ。
推測の域を出ないが、過大能力が雷に関係するものなのかも知れない。その能力ゆえ生体が発する電磁波を見分けることができるのだろう。
内在異性具現化者のみが発する特有の電磁波長。
そんなものがあるのかアハウたちは未検証だが、電磁波を読み取れるタカヒコからして「特別ですよね?」とわかってしまうものらしい。
「あと、アハウさんとツバサさんもそうですよね? アハウさんはきっと人と獣の性、ツバサさんはミサキさんと同じ男と女の性……ですよね?」
ついでとばかりにタカヒコは打ち明けてきた。
「そっちまで見抜いてたのか!?」
大したものだ……とアハウも唸るほど感心してしまった。
「あのイケメン爆乳お姉さまも男なの!?」
ミクマはツバサの正体も男だと知って愕然としていた。
鬱だ死のう……とハニヤに頭を掴まれたままミクマはシクシク泣いた。本当に女の子が大好きなんだな、と同情してしまう。
「死んでも花実も咲かないだでな。精々が肥やしがいいところだでな」
「わかってるよブタァ……でもよぉ、でもよぉ……」
メソメソ泣くミクマをハニヤはぞんざいに慰めた。
「発想を変えるでな。お三方とも反転する前の姿を知らないんだで……」
「……ありのままの今見ている姿で受け入れればいいのか!?」
即座に復活したミクマは「お姉さまー♡」とミサキに愛想を振ってくる。彼の立ち直りも然る事ながら、ハニヤも何気にいい仕事をしていた。
見た目が豚だと侮れない――有能な豚だ。
お姉さま扱いが慣れないミサキは苦笑いで諦める。
「ハハハ……ま、まあ、自分で亀甲縛りしてオレの足下に身を投げ出しながら『踏んでくださいTS女神さまーッ!』と懇願してくる親友よりマシかな」
誰とは言わないがジン君のことだろう。
工作の変態という二つ名を恣にしているようだ。
「……お姉さま、おれが言うのも何ですが友達は選びましょう」
「親友が変態って……心中お察しするでな」
ハイテンションから素に戻ったミクマに言われては世話がない。ハニヤもミサキに同情するように、腕を組んでウンウンと頷いていた。
「それよりミクマ、解説してあげないと」
話の流れが明後日の方向に流されていると気付いたのか、タカヒコが軌道修正するように促してきた。彼も爆弾おにぎりを食べて終えている。
「皆さん、この辺りの自然に興味があるみたいだから」
「おーっとそうだった! うっかり忘れてた!」
タカヒコに指摘されたミクマは手を打った。
姿勢を正すと咳払いをしてから、流暢な滑舌で語り出す。
「えー、コホン……ここ南方大陸はあらがみたちが崇めてる女王樹のせいで、やたらめったら“気”があるんですよ。だもんだから影響を受けた動植物が突然変異と異常進化を繰り返してます。大陸の風土的にどこもかしこも乾燥気味なんですが、それでも林や森が鬱蒼としているのは多分この“気”のせいですね」
ツバサ君やフミカちゃんからの情報と合致する。
ミクマの解説はそれをわかりやすく簡略化したものだ。ナンパ目的で話術を鍛えたのか、彼の説明はスルスル耳に入ってきた。
そして、サクヤ姫の領域にある地理を正しく把握していた。
現実世界でのサクヤ教授の研究対象を考えれば、弟子であるミクマがその土地の生態系について理解を深めておこうとする真意も頷けた。
「ただ、オレたちのいる南方大陸の東側はちょっと事情が違うんです」
あちらを御覧ください、とミクマは南側へと手を振った。
そこには大森林を蛇行する大河が流れていた。
見渡す限りの緑の大地に柔らかい亀裂を走らせるが如く、幅広い大河がグネグネと伸びている。蛇行の文字通り、水色の大蛇と錯覚しそうだ。
「見たまんま、ここいらは水源が豊富でしてね」
「教授やオデたちが地球化改造もしとるんけど、水に関しちゃ何もせんでもアマゾン川みたいな流域を勝手に作ってくれるんだでな」
唐揚げ串を食べ終えたハニヤも注釈を交えてきた。
その後、串までバリボリ囓って食べたのは驚かされてしまう。
これを聞いたアンズとレンが、キョロキョロ大森林を見渡している。
「アマゾン川みたい? っていうには……」
「分岐っていうか枝分かれっていうか……そう、支流がないね」
いや、と小さな声を挟んだのはミサキだった。
紫色の髪は燐光を帯びて浮かび、感知能力を高めているようだ。
「相当な支流があるの感じるよ。それもいくつかはあの大河に勝るとも劣らない水量を持っている。これは森の中……違うな、森の下を走っている感じだ。でも地下水脈じゃない……まさか生い茂った木々が隠しているのか?」
「さすがミサキお姉さま! お目が高い!」
幇間持ちみたいな口調でミクマが拍手を打った。
そこからこの一帯の置かれた状況をミクマは語ってくれた。
「先ほどもお話しした通り、南方大陸は腐るほどある“気”のせいで動植物が常識が通じないレベルで成長します。これが森を積層構造にしてるんです」
まず地面から森林が生い茂る。
その森林の梢に茂る枝葉が大量の“気”に耐えきれず立ち腐れるのだが、木々はその“気”によって死に絶えず、立ち腐れた葉が積み重なっていき、ついには森の上にちょうどよい腐葉土に覆われた土壌を積み上げてしまう。
この腐葉土から――新たな森が芽吹いてくる。
森を土台にして新たな森ができあがると、その森もまた梢の枝葉が“気”によって腐れるが、やはり“気”のせいで幹までは立ち枯れず森の上に腐葉土を頂くことになり、そこへ新たな森が生じようとする。
下層の森は日光が届かずとも死に絶えない。
ありあまった“気”が生き存えさせてしまうからだ。
こうして森が段々に重なることで階層のように積み上げられていくという。
「低くても三層、高いところだと六~七層くらい積み上がります」
ヒョイヒョイと手を交互に重ねるジェスチャーで、ミクマは眼下の森が何層にも重なっている積み重ねられた森だと表現してくれた。
「あー、ミルフィーユみたいになってんだね」
お菓子作りが得意なアンズは洋菓子に例えていた。
「その通りですアンズお姉さま、まさにミルフィーユ構造ってやつです」
ミクマはその比喩を好例と拾った。
「なので、ちゃんとした地面である地表は森の遙か下に隠された最下層。アマゾン川流域みたいなたくさんの支流も、ほとんど木々に埋まっています」
「地下水脈みてえだけどちょっと違う案配だでな」
タカヒコとハニヤも現地を調査したのか、目の当たりにした口振りだ。
女王樹の発する膨大な“気”が南方大陸を腐らせる。
そのまえに様々な動植物へ発育、変異、成長、進化……などを異常なまでに引き起こすとツバサ君からの情報にもあった。森が階層構造になるほど繁茂するところは東西でも酷似しており、南方大陸特有の諸相らしい。
相違点は――豊かな水源。
西部は程良い水源しかなく、東部は流域を生み出すほど豊富。
このためそこに暮らす生物相に違いが現れていた。フミカちゃんがくれた西部の生態情報に見られる生物は、東部ではほとんど見掛けることがない。
その逆もまた然りである。
「ん? もしかして水の生き物っぽいのが多いのは……」
あることに気付いたレンが目を凝らす。
半透明エイと積層構造の森に棲む生物の食物連鎖を巡る戦いは、実はまだ続いていたのだ。岩石猿と樹木猿は協力して巨大エイを捕らえている。
両者の攻防から逃れようとする森の生物たち。
その生物相を眺めていたレンは、ひとつの共通点を見出していた。
元はカブトガニの仲間のようだが五体を得て人型になった甲殻類。前進するダッシュ力を持つ足を手に入れて猪みたいになった海老。乾燥に強い肌と強靱な筋力を手に入れて陸上をジャンプ移動するようになった巻き貝。同じように耐乾燥と筋力を得て猿顔負けの運動能力によって森の中を移動できるようになった頭足類。
レンの推察をすかさずミクマが拾い上げる。
「そうですレンお姉さま。みんな水棲から突然変異した連中なんです」
「淡水も海水もない関係ない無節操な進化だでな」
「上陸進化した生物も多いけど、更に水中適応した動物も少なくありません」
ミクマのみならず、ハニヤやタカヒコもよく学んでいた。
薬効や食用に適した植物を探す傍ら、食糧に適していたり家畜化を目指せる動物の下調べも同時進行で調べていたに違いない。
サクヤ教授ならそう指示するだろう。この異世界でならば尚更だ。
不意に食物連鎖の戦いから爆音が轟いた。
「……ッ! 森の下にある大河から大物が参戦するみたいですね」
近付く轟音で相手が何者かわかったのか、タカヒコは身構えるように音の方角に向けて前へと出た。いつでも道具箱に差し入れられる手付きだ。
いざとなれば愛用の鍬で応戦するつもりである。
轟音に聞こえたのは咆哮だったらしい。
積層構造を突き破って現れたのは一匹のドラゴンだった。
「ドラゴン……じゃなくて魚かあれ!?」
顔付きから龍種の一匹と思い込んだが、よくよく分析をかけて観察すると魚類だったのでミサキは呆気に取られていた。
現実世界で一番近いフォルムをしているのはピラルク。
アマゾン川流域に棲む最大の淡水魚だ。
そのピラルクを世界最大級のタワーマンションくらい大きくして、胴体もより長めにデザインし、顔の造型はドラゴン要素を加味しながら厳つくして。ついでに胸びれを前脚っぽくすれば、新たに出現した巨大魚類になるだろう。
魚型のドラゴンに見えなくもない。
(※アロワナ科の魚は中国では“龍魚”と呼ばれておめでたいものと尊ばれる。ピラルクもこのアロワナ科に属しており最大3mにまで育つ)
積層構造の森の下に流れる支流のひとつ。
そこに潜んでいた巨大ピラルクが半透明エイに反応したようだ。
牙が何重にも生え揃った大顎を開いた巨大ピラルクは、半透明エイの触手の数本へ無造作に噛みつき、そのまま身を捩らせてグイッと引きずり落とした。
こういう場合はウェイト差が物を言う。
岩石猿と樹木猿にしてみれば、思わぬ応援が現れたも同然だった。
明らかに体重や筋力で負けている半透明エイは為す術なく引きずり落とされ、毒を帯びた触手で抵抗しようとするものの、分厚い鱗に覆われた巨大ピラルクは蚊に刺されたほどの痛痒も感じていないようだった。
何度も触手に噛みつきながら素麺みたいに啜っている。
これで決着はついたようだ。
最大の功労者である巨大ピラルクが半透明エイの本体に齧り付くと、次によく働いた岩石猿や樹木猿も群がる。どちらも肉食のようだ。
そのおこぼれに預かるべく、逃げていた動物たちも戻ってくる。
更には新しい生物たちが森から顔を出していた。
毛の生えたフナムシ、大きな牙を持つ顔だけの一頭身ジャガー、四本脚で上顎を人間そっくりの顔にに擬態できる蜘蛛らしき節足動物……。
「うわっ……もう無理! さすがにSAN値ピンチ!」
ダーウィ○が来た! は視聴できても女の子として耐性がないのが、百足のように無数の足を生やすようになった四足獣でレンが音を上げた。
「アタシはなんか耐性あるから平気ー」
アンズはお弁当の後始末をしているのか、残っているものをモシャモシャ平らげながら大自然の営みを平然と眺めていた。色んな意味で強い。
「あたしも気持ち悪いのイヤー!」
レンが悲鳴を上げてアンズの後ろに隠れると、一緒にお弁当を食べていたパンコもキャアキャア言いながらミサキの背中に隠れていた。
遊び半分でお姉ちゃんに戯れているのだ。
ミサキはパンコを庇いながら、半透明エイが貪られる様を見ていた。
さすが男の子、平然とお弁当の残りも摘まんでいた。
「しかし、次から次へと見たこともない動物が出てくるな。何がどう進化したのか見当が付くヤツも多いけど、それ以上に正体不明のが増えてきたし……」
「ねー。ヌトヌトでグチャグチャなのもいっぱい……んんっ!?」
その時、アンズが目をまん丸にして過剰に反応した。
ミサキが「どうしたの?」と訊く前にアンズが悲鳴じみた声を上げる。
「あれって――深きものども!?」
なんだと!? とアハウたちも仰天させられる。
アンズが指差した先へミサキたちとともに視線を向けると、既に半分ほど食い千切られた半透明エイの残骸の片隅に彼らはいた。
半魚人というべき外見。直立歩行を覚えた人類めいた魚類。
大陸島で散々なほど激闘を繰り広げた蕃神の眷族。
偉大なるクトゥルフを崇拝する水棲人類。不老不死の肉体を持ち、あらゆる環境に即時適応し、永久に生き続けるという別次元から訪れた怪物。
それが深きものども――だが。
「…………いや、違うな。あれは深きものどもではない」
慎重に分析を重ねたアハウはそう判断を下した。
「違いますね。見た目は似てるけど……あれはいわゆる半魚人、魚が人型に進化しつつあるだけ。知性もやっぱり類人猿くらいだから現地種族でもない」
ミサキの分析でも違うと出たので間違いあるまい。
もしも魚類が霊長類への進化を辿ったら?
南方大陸は進化の“IF”を具現化したような生物が多く見られるが、あの中途半端な半魚人もそのひとつだ。あのまま順調に進化していけば、人魚や魚人といった高度な知性を宿す種族になるのかも知れない。
現状、ニホンザルくらいの能力と知性に留まっているようだ。
しかし、これは早とちりするのもやむを得まい。
大陸島でも深きものどもに侵攻を受けた頃、魚人と始めとした水棲の種族は連中の仲間との疑いをかけられて排斥されたと聞くが……。
「……紛らわしいにも程があるな」
迂闊に気を許せば深きものどもに足下を掬われかねないし、疑わしいからと手当たり次第に罰していれば、後世の罪悪感は苦いでは済まないだろう。
レンやアンズもほっと胸を撫で下ろしていた。
「良かったぁ……また魚臭い奴らとバトルするのかと思った」
「おまけにキリがないからいつ終わるかわかんないもんねぇ」
でもさ、とアンズは意味深長に一拍置いた。
「あのお猿さんになりかけの半魚人たちも紛らわしいけど、南方大陸ってヘンテコな生き物がいっぱいだから困っちゃうよね」
――蕃神の眷族が紛れ込んでいてもわかんないし。
背筋を極太の氷柱で貫かれた気分だった。
瞠目するように両眼を見開いたアハウは、変な声を漏らさないように口を真一文字にして頬を膨らませるのが精いっぱいだった。
ミサキやレンも同じ気持ちなのだろう。似たり寄ったりの表情だ。
天然かつ純朴なアンズだから気付けたこと。
いや、彼女自身に気付いた自覚はなく、思ったことを口にしただけだろうが、それがアハウたちの危機管理能力のスイッチを入れたのは事実だ。
そうした懸念は備えておくべきだった。
既にショゴス・ロードのキラメラ嬢から「真なる世界には蕃神の眷族が何食わぬ顔で居着いてます。それも多数」と聞かされたにもかかわらずだ。
やるべきことが多すぎて失念しかけていた。
警戒心を忘れたつもりはないが、蕃神やその眷族は次元を超えて襲ってくるという認識が強かったため、そのような思慮に欠けていたのは否めない。
深きものどもに似た進化中の半魚人はいい教訓になった。
おかげで、どのような生物にも蕃神の血が流れているという可能性を思い出すことができたのだから……アンズちゃんにも感謝しよう。
レンがアンズの背中を叩き、アハウの代わりに礼を述べてくれた。
「……いい仕事したな、アンズ」
「ふぇ? あたしなんかした? 子守とかベビーシッターとか?」
パンコを膝に抱いてあやしているので、そのことを褒められたアンズは自分の一言が如何に重要だったかをわかっていなかった。
その方がいい。アハウは余計なことをいうのを控えておいた。
「あの、アハウさん……聞いてもいいですか?」
「なんだいタカヒコ君。おれで答えられればいいんだが」
深きものどもや蕃神の眷族云々について一段落したところ、タカヒコが不思議そうな面持ちで尋ねてきた。何某かの単語が彼の気を惹いたようだ。
もしかすると深きものどものことかも知れない。
大陸島の一件くらいは話してもいいだろうと思っていた矢先――。
「……バンシンのケンゾク、ってなんですか?」
もっと根本的なことを訊かれてしまった。
蕃神を知らないのか!? と内心ちょっと慌てふためいたが、思い返してみればこれはレオナルド君が便宜上として命名したものだ。
謂わば五神同盟内で通じる仮称みたいなものである。
誰にでも通じるわけではない。
蕃神という言葉自体は日本語だと「外国から訪れた外来神」全般を指し、かつては仏教の神仏を敬遠する意味でも使われたという。
現代ではクトゥルフの邪神を言い表す意味としても使われていた。
知らなくても無理はない、とアハウは考えを改める。
「ああ、それは五神同盟での通称だな。南方大陸ではどう呼ばれているか知らないが……別次元からやってくる怪物といえばわかるかな?」
「別次元からやってくる……異次元を超えてくるバケモノみたいな?」
どうにも要領を得ないのか、タカヒコは首を傾げた。
そこへひょいと豚の顔が割り込み、ハニヤが会話に参加してきた。
「それってクトゥルフ神話の邪神だでな? ほら、クトゥルーとかハスターとかクゥトグゥアとかナイアルラトテップとか……そういうのだで?」
「そうそう、そんな連中だ」
我が意を得たり、とアハウはハニヤに相槌を打った。
「で、そのクトゥルフの邪神がなんだでな?」
ハニヤも訝しげに首を傾げたところで、アハウはようやく確信に触れた。
サクヤ姫の弟子たちは――蕃神を知らないのだ。
それは取りも直さず、ここ南方大陸では蕃神を見掛けたことがない。あるいは蕃神の眷族に襲われた経験がないことを示唆していた。
~~~~~~~~~~~~
あらがみたちが太母と崇める黒き女王樹。
それが外なる神の一柱シュブ=ニグラスだと仮定した場合、彼女に近付くことが畏れ多いあまり、他の旧支配者たちは近寄れないのではないか?
蕃神に仕える奉仕種族や、邪神を崇める独立種族なんて尚更だ。
悪夢を通してツバサに接触してきた祭司長こと偉大なるクトゥルフが「南方大陸にはシュブ=ニグラスがいるから近付けない。おまえたちも近付くな」と忠告してきたのもこれを裏付けている。
ただし後日、アザトースの化身こと亜座から「あれはツバサたちに発破を掛けるためのもの」と種明かしされているため、「押すなよ! 絶対押すなよ!」と意訳した方が正しいとのこと。
なんにせよ、ほとんどの蕃神は外なる神においそれと接近できない。
ゆえに南方大陸は蕃神の侵略を受けていない。
大陸奥地にシュブ=ニグラスこと黒き女王樹が聳えるからだ。
「……手元にある情報からできる憶測はこんなところか」
通信網を介して話し合ったが、フミカちゃんやツバサ君もほぼ同意見。ミサキ君も「それぐらいしか思い付きません」と言ってくれた。
外なる神に侵略されるがゆえに――蕃神の侵略を寄せ付けない。
なんとも皮肉な話である。
「メチャクチャ強い国が攻め込んでいるせいで、巻き込まれるのが嫌な近隣諸国が寄りつかない……みたいなもんですかね」
「地球でもなさそうでありそうな国際関係だな」
ミサキの比喩は言い得て妙だが、そんな守るも攻めるも綱渡り外交をやっていた例はあっただろうか? 人類四千年の歴史だとありそうだから困る。
あるいは、もっとシンプルかつ原始的に考えるべきだろう。
――猛獣の縄張りに小動物は近寄らない。
これに尽きる。君子危うきに近寄らずというやつだ。
あれからアハウたちは根掘り葉掘り聞いてみた。
タカヒコ、ハニヤ、ミクマ、そして原初巨神でもあるパンコからも、蕃神やその眷族に類する生物を見たことないかと問い質したのだ。
結果は四人ともまったく知らないという。
少なくとも、蕃神の関係者に襲われたことすらないそうだ。
彼らにとっての脅威は以下の三つ。
ひとつ、他種族の生存を許さない自己中心的なあらがみ一族。
ふたつ、七日ごとに暴れ出す女王樹の根からなる超特大触手。
みっつ、その女王樹に攻め掛かろうとする謎の白い巨神たち。
女王樹がシュブ=ニグラスだった場合、蕃神と言えなくもないから範疇に収まりそうだが、他の蕃神に襲撃されたことはまったくないという。
「これが吉と出るか凶と出るかは……まだ定かではないな」
「目下のところ、目標とすべきは女王樹への対処ですかね」
こう見えてアハウもミサキも一国一城の主。
五神同盟の代表として、内在異性具現化者の一人として、今後の対策はどうするべきかを道すがら相談することを繰り返していた。
「あ――見えてきました」
あれです、とタカヒコは促す声でアハウたちに振り返る。
少年の指差す先に眼を遣れば、目指していたサクヤ姫の治める国らしき影が視界に入っていきた。まだ距離はあるものの一目でそれとわかるほどだ。
世界樹に勝るとも劣らない大樹がそこにあった。
オーストラリアにあるエアーズロックのような、一枚岩でできた頑丈な岩山へ絡みつくように根を張り、太い幹を天高く伸ばしていた。
幹の左右からは幾本もの枝が伸びるが、その形がかなり独特だった。
どれも平らなテーブル状になっているのだ。
枝というより、どちらかといえば大木に生えるサルノコシカケにも似た、固くて平たく育っていくキノコのようである。
そのテーブル状になった枝の上に街や畑が作られていた。
稲作をメインで行っているテーブルもあれば、野菜や根菜を中心に農作物メインのテーブルもあり、放牧を主としたテーブルもある。
勿論、居住区を専門とする村のようなテーブルもあった。
大樹の幹には螺旋階段も設けられており、大樹の左右から張り出したテーブル状の村を自由に行き来できるよう設計されている。
「なるほど、あの岩山なら女王樹の触手も打ち砕くのは骨だろう」
「生活空間が高いところにあるから、触手が届きにくくなってますね。おまけに岩山を中心にとんでもなく強力な結界が張られてるし……」
アハウとミサキは交互に感心させられる。
「あれがサクヤ教授の作った安全地帯――“天豊樹”です」
気を良くしたのかタカヒコは誇らしげに教えてくれた。
「作ったの? あれを一人で?」
世界樹に匹敵するスケールの大樹をサクヤ姫一人で作ったようなタカヒコの口振りに、レンは驚きを交えて確認を求めていた。
はい! とタカヒコは笑顔で肯定する。
「俺たちや精霊族のみんな、それに教授が守ると決めた種族のみんなも協力してくれましたけど、ほとんど教授が過大能力で作ってくれたんです」
「おかげでサクヤの婆さまは色んな種族からありがたがられて、豊穣の女神っちゅうことで天豊樹とともに“天穣のサクヤヒメ”とか呼ばれとるだで」
ハニヤも称賛へ参加するように褒めた。
――豊穣の二文字。
ひとつは天“豊”樹に、もうひとつはサクヤ姫の天“穣”に贈られていた。
「そりゃ二つ名も貰えるだろう。こんな偉業を成し遂げれば……」
サクヤ姫の過大能力――その一端を垣間見た気がした。
それとサクヤ姫が保護下に置いた現地種族の代表格は、恐らく精霊族でいいのだろう。どのような種族かわからないが、名前だけならストレートだ。
会話からの情報からあれこれと読んでいた時だった。
「――教授ぅぅぅぅぅぅーーーッ!?」
どこからともなく情けなさを突き詰めた女性の悲鳴が聞こえてきた。
続いて爆音が響き渡り、土煙が高く舞い上がる。
アハウたちの行く手、ちょうど天豊樹の手前辺りで火を伴わない衝撃的な爆発が起きたらしく、濛々とした戦塵が湧き上がったところだった。
土煙から一人の女性が飛び出してくる。
それは菩薩像をそのまま擬人化したような女性だった。
白を基調としたゆったりした衣をまとい、袈裟というには細くてベルトみたいなものを肩から掛けている(※条帛という袈裟)。天女の羽衣よろしく自然と宙に舞う天衣をまとっている。
茶色に近い長髪は頭頂部で軽くまとめているが、首から肩に掛けてもナチュラルに届くよう伸ばしていた。
まとめたところの髪留めも菩薩の頭を飾る宝冠のようだ。
顔立ちはとても中性的だが、菩薩みたいな服装越しでもわかる程度には腰が左右に張りだしており、胸元も女性的な膨らみが窺える。
ユニセックスでシンプルな美貌だが、今は慌てふためいていた。
「教授ーッ! 無理ですってばーッ! この子は飼い慣らせません! 家畜化するなんて以ての外です! 天豊樹が折れちゃい……まあーーーッ!?」
最後まで言えず菩薩のコスプレをした女性は飛び退いた。
土煙から彼女を追って現れたのは、樹木でできた巨大な手だった。
松を思い出させる樹皮に覆われた野太い腕は三本指しかなく、指や手のあちこちから針よりも固そうな鋭い葉を尖らせていた。
やがて手だけではなく本体も姿を現す。
土煙のカーテンを払ったのは、松の大木を巨人化させた怪物だった。
――全長は100m前後。
原初巨神を見た後では物足りないが、怪獣としては十分だった。
辛うじて手足のある人型に見えなくもないが、身体のあちこちから新たな枝を伸ばしており、それも動かせるので不格好な人形のようである。
顔と思しき部分には口があり、風が抜けるような遠吠えを上げていた。
巨体の割には俊敏な動きで菩薩の女性を追いかける。女性は反撃する手段を持たないのか、ひたすら喚きながら逃げ惑っていた。
「――カネさん!? なんでここにカネさん!?」
「なにしてんのカネお姉さま!?」
「戦えない生産職が結界から出て何してるでな!?」
彼女の姿を認めた少年トリオは驚愕と焦燥により戸惑っていた。
あの観音菩薩みたいな格好の女性がカネさん。
タカヒコたちの会話に何度か登場した、サクヤ姫の助手的な立場にいる人物なのだろう。そして、アハウも彼女の面立ちは見覚えがあった。
想像通り、アハウは現実世界で彼女と会っている。
サクヤ教授に師事していた院生の女性――アハウの友人だ。
「ギャアギャア弱音を吐くでないわ、カネぇ!」
カネを叱りつける声が地の底から響いてきた。正しくは積層化した森の底から聞こえてきたのだろう。気迫を漲らせた若々しい女性の声だ。
若々しすぎて幼児の声としか思えない。
「此奴の脂は特上じゃ! 絞っただけで食用にも燃料にもなるし、精製すれば薬にもなる! 多少凶暴だろうと躾けて飼い慣らせばいいだけじゃ!」
「それで失敗したトリフィドって例があるんですけどー!?」
「そりゃ昔のSF小説のネタじゃろうが! 大丈夫、儂は失敗せん!」
「失敗する人は自信満々にそうやってフラグ立てるんですよー!?」
(※トリフィド=ジョン・ウィンダム著の小説『トリフィド時代』に登場する架空の植物。自立行動ができる肉食植物で有毒の棘毛を持ち、同種ならば会話できるほどの知性を持つ。とても危険な生物なのだが上質の油が絞れたり優秀な栄養源となるため大規模に飼育されていた。何事もなければ素晴らしい家畜なのだが……)
カネは必死で抗弁するが声の主は聞き入れない。
巨人化した松を仕留めるべく戦闘準備に入っていた。
「開墾流車操輪術――」
ギュルギュルと大きく重量感のある何かが高速で回転している音が聞こえるのだが、現物はどこにも見当たらない。声の主と同じく積層化した森の最下層にいるようだが、どこにいるのかは反響のせいで判然としなかった。
だが、ミサキの鋭敏な聴覚が捉えていた。
「真下です! あの松できた巨人の!」
指摘するが早いか、巨人化した松の足下から車輪が飛び出してきた。
「――八つ裂き耕輪!」
それは車輪というには分厚い円盤のようで、側面からは無数の腕が生えていた。球体関節を備えた人形みたいな腕だ。
腕はすべて鍬や鋤に熊手といった農耕具を握り締めていた。
そんな車輪が高速回転すれば、特大の円盤ノコギリになったようなものだ。巨人化した松の怪物であろうと、正中線から真っ二つにするのも造作ない。
股下から一刀両断にしただけでは終わらない。
そこから車輪は空飛ぶ円盤よろしく縦横無尽に飛び回り、松の木が何百本もの薪になるまで斬り刻んだ。技名通り、八つ裂きにしてしまった。
仕事を終えた車輪は主人の下へと帰っていく。
「ほれ見い――調教完了じゃ」
車輪はいつの間にか腕も農具も消えており、神々しい紋様が彫られた円盤となっていた。それを彼女は光背のように小さな背中へと背負う。
「後はこの葉っぱの一片からでも躾けるように育て直してやるだけじゃ」
得意気に言った彼女は落ちてきた松葉を手に取った。
――幼稚園児にしか見えない幼女。
幼気な眼差しは円らな瞳とセットだが、強気の表れか険しい鋭さがあった。眉も勝ち気さを象徴するのか力強い。まだつぼみのように小さな口元は不敵に釣り上がり、目立たない鼻梁は酸いも甘いも嗅ぎ分けたかのようだ。
七歳くらいの幼女なのに老獪さを滲ませている。
ボリュームのある桜色の髪は、頭の左右へ玉を作るように結われていた。
動きやすそうな和風の野良着っぽい衣装を身にまとうが、生地だけ見ればどれも極上品。足下も子供用ブーツでしっかり固めていた。
これはカネとお揃いなのか、舞い踊る羽衣もまとっている。
光背を背負って野良着を着た――桜色の幼女。
しかし、その身から発せられる覇気は尋常ならざる強さを帯びており、彼女を中心に莫大な生命力が絶えず鼓動している威圧感を漂わせていた。
強さはVRMMORPG基準ならLV999。
だとしても、そこから頭みっつほど図抜けた実力を感じさせる。
「あの子まさか……内在異性具現化者!?」
同類ゆえに勘が働いたのか、ミサキは彼女の正体にいち早く気付いた。
「そうだ。彼女も性が反転している」
かつてVRMMORPGで何度か会ったことのあるアハウは、彼女もまたあるべき性が入れ替わったことを聞かされていた。
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逆神教授と同じく東亜文化大学の大学教授であり、農学をメインに教鞭を執っていた女史だ。年齢はもうそろそろ70歳に手が届くはず。
「彼女が反転した性は――老いから若き」
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