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第21章 黒き世界樹そびえる三つ巴の大地
第522話:人外魔境は今日も大決戦!
しおりを挟むおおよそ七日――約一週間は経ったことになる。
大陸島への滞在期間だ。
深きものどもとの戦争で傷付いた地下都市や大陸島の復興に三日を費やし、四日目は祝勝会としてハンティングエンジェルスのコンサート開催、そこから南方大陸への出征準備に二日を掛け、七日目に当たる昨日は丸一日お休みとした。
地下都市へ到着した日を含めれば正味八日だろう。
寄り道とは言わないが、本来の目標である南方大陸への到達を疎かにするわけにはいかないので、慌ただしいが出発を急ぐことになった。
『一年、いや、半年のうちに……南へ向かえ……まず、そこが堕ちる』
延世神となったロンドが遺した忠告。
焦点をぼやかした暗示めいた一言だが、調べれば調べるほど南方大陸から真なる世界の滅びが始まることをはっきり暗喩していた。
外なる神々の一柱――千の仔を孕みし黒山羊の女王。
数多の蕃神を生み出した外なる神の女王。
彼女が南方大陸に居座っていることはほぼ確実であり、そこからこの世界を徐々に侵食している懸念は否めない。南方大陸が三つに割れたり、そのひとつが彼女のシンボルカラーである黒に染められつつある状況を知れば尚更だ。
名残惜しいが、悠長に構えている時間もない。
ロンドが言い残した“半年”のリミットも半分を切っているのだ。
ツバサたちは整備を終えた飛行母艦ハトホルフリートに乗り込み、大陸島を後にすると南方大陸に向けて旅立つことにした。
地下都市に設けられた飛行する艦艇のための停泊所。
そこから水平に離陸を始める飛行母艦。
停泊所の広場には王女であるフレイや重臣のゴルドガドたちを始め、地下都市の人々が見送りに来てくれていた。
モフモフの種族が大半だが、他の種族もほぼ総出である。
例のエルダー族も触手を両腕のように形作ると、他の種族と同じように満面の笑顔で手を振りながらツバサたちを見送ってくれていた。
彼らは古くから大陸島に暮らす温和な原住民。
……ということになっている。
地下都市を守り切ったのみならず、大陸島で傍若無人に暴れていた深きものどもを追い払ったツバサたち五神同盟に深い感謝の意を表明してくれた。
滞在中、彼らの長老がわざわざ尋ねてきたくらいだ。
人間の視点からだとギョッとする見た目だが、話してみればジョークも通じるし理に適った言動を嗜む。とても社交的な人々だった。
……このまま真なる世界の仲間として仲良くしていければいいな。
それがツバサの抱いた感想だった。
「ツバサさーん! ミロちゃーん! がんばってねーッ!」
そんで無事帰ってきてねー! と女王らしい出で立ちで着飾ったフレイは、片手を口元でメガホンにしながら大きく手を振っていた。
こちらを見上げるゴルドガドもゆっくり手を振っている。
「……どうかご武運を」
艦橋を挟んでモフモフの種族たちの甲高い歓声に掻き消されるが、ゴルドガドからの贈る言葉は唇の動きを読むことで受け取れた。
ツバサたちも艦橋の窓越しに手を振り返した。
「飛行母艦ハトホルフリート――発進!」
操舵輪を握るダインの掛け声とともに動力機関がフル回転する。
ハトホルフリートの背部に三角形に並ぶ三つのメインノズルが火を噴き、艦が空を行くための推進力をジェット噴射のように噴き上げた。
手を振る人々の上を旋回しながら進路を取る。
艦首が南方大陸を向き直ると、もう一隻の飛行戦艦も浮上を開始した。
「よっしゃ、アタシらもツバサさんたちに続くよ」
実質的リーダーである龍娘ドラコの掛け声に仲間たちは頷いた。
「飛行戦艦シャイニングブルーバード――こちらも発進!」
まとめ役である氷狼娘レミィが号令を掛けると、左右にいる九尾狐娘マルカとイグアナ娘ナナも一緒になって「はっしーん♪」と声を上げる。
飛行母艦に続くように羽ばたく青い鳥を模した艦体。
ハンティングエンジェルスが深きものどもを迎え撃つため、そして地下都市を守るために建造した戦艦である。彼女たちの過大能力をエネルギー源として稼働し、その能力に大きな強化を掛ける支援システムでもある。
輝く翼を持つ巨鳥のような戦艦。
左右一対の翼が湾曲しており、翼の先端が艦首と同じく前方を指している独特なフォルムをしていた。宇宙船やUFOを連想させるデザインだ。
飛行母艦とともに地下都市を飛び立つシャイニングブルーバード号。
彼女たちも南方大陸を目指すわけではない。
一緒に来てくれれば心強いことは間違いないのだが、地下都市の用心棒ともいうべき彼女たちを連れて行くわけにはいかない。大陸島に五神同盟の支部を立て始めたマーナ一味が新戦力として配置されたとしてもだ。
彼女たちには結界へ突入するツバサたちを見届けてもらう。
その際、異変が起きたら対処する役目を頼んでいた。
瀑布の結界を通り抜ける際、何かの拍子で南方大陸に潜んでいる脅威が飛び出してこないとも限らない。それが大陸島や中央大陸、延いては真なる世界に被害を及ぼす前に抑え込んでもらうためである。
万が一の事態に備えて、予備戦力を加えるのも忘れない。
シャイニングブルーバードの艦首に佇むのは、銀髪を棚引かせて白銀のロングコートを翻す中性的な美青年。五神同盟随一の拳銃師でもある。
ルーグ・ルー輝神国 代表 銃神ジェイク・スピリット。
たとえ雲霞のように怪物が湧いたとしても、彼ならば一匹残らず蹴散らしてくれるはずだ。その腕前を見込んでの予備戦力である。
『嫁とイチャイチャしたいんでこれ終わったら帰るねー♡』
高速で飛ぶ戦艦の艦首から手を振るジェイクは、ウキウキした気分を隠すことなく通信で伝えてきた。この一週間、警戒のため地下都市に留まっていたから最愛の嫁であるエルドラントが恋しいようだ。
はいはい、とツバサは相槌でも打つように返しておく。
『儂らもこれを終えたら帰国しようかのぅ』
次いで通信越しに話し掛けてきたのはヌン陛下だった。
『大陸島にはマーナくんたちがおるし、空間転移の祠も設置したから何かあってもすぐ駆けつけられますからな……ツバサくん、もしものことがあれば遠慮なく召喚魔法で喚んでくれ。すぐさま馳せ参じるぞ』
ヌンの意見に賛同したドンカイも頼もしい声を投げ掛けてくれる。
水聖国家オクトアード 国王 ヌン・ヘケト。
ハトホル太母国 副官 横綱 ドンカイ・ソウカイ。
小柄なカエルの王様と青い浴衣が似合う大横綱。
こちらも艦橋のツバサたちに向けて手を振っている。
二人はシャイニングブルーバード号の翼、その左右の先端に立っていた。ちょうどジェイクを挟むような形で三人が並んでいた。
ヌンとドンカイ、どちらも水を操る能力に長けている。
瀑布の結界にもしもがあれば、この二人なら海流を操作することで臨機応変に立ち回れると踏んでの人選だ。二人とも快く引き受けてくれた。
飛行戦艦に背中を預けて、飛行母艦は一路南方大陸へ進路を取る。
遠征組はこれまで通り――。
地母神ツバサ、英雄神ミロ、処女神マリナ、機械神ダイン、知識神フミカ。
戦女神ミサキ、獣王神アハウ、老組長バンダユウ、情報屋ショウイ。
仙道師エンオウ、輝光子セイヤ、武道家ランマル。
鉄拳児カズトラ、若執事ヨイチ、侍娘レン、蛮族娘アンズ。
――この合計16名は変わらない。
ただし、大陸島での深きものどもとの戦いや、ショゴスの女王キラメラの出現、そして古のものの発見を鑑みて、もしもに備えて戦力増強を決定した。
備えあれば憂いなし、手が足りているのはいいことだ。
しかし、フミカはやや不安げに呟く。
「今回の遠征は同盟各国から人員を募ってるッスけど……ちょっとハトホル太母国から人を多めに出してる感があるッスね」
「なんだかんだでハトホル太母国が一番が多いってのもあるしな」
これは人材という意味でだ。
穂村組という強力な傭兵集団を領内に抱え、乙将オリベを筆頭とした妖人衆を擁し、亜神族でも神族や魔族に匹敵する力を発揮できるスプリガン族を神々の乳母の眷族として国内に迎えている。
彼らの中から新たに輩出されたLV999は何人もおり、蕃神に対抗できる主力として期待されていた。この戦力が増えたのも要因のひとつだろう。
おかげでツバサたちが留守にしても安心感があった。
だからというわけではないが、追加メンバーは全員ハトホル一家である。
「ううっ、あたいには絶対お声かかんないと思ってたのになぁ……」
泣き言をぼやくプトラだが手は休めない。
金属細工を弄る音をさせながらアイテム作りに集中していた。
ハトホル太母国 三女 道具師プトラ・チャンドゥーラ。
昇天ペガサス盛りみたいなヘアスタイルがトレードマークの、どこからどう見てもコギャル女子高生にしか見えない女の子。一応、戦闘があるかも知れないので着ている衣装はどれも防弾防刃耐魔法の装備ばかりである。
自他共に認めるダメ人間。戦闘も補助もできず、生活力もない。
そんな彼女の才能は道具作りに集約されている。
ただし――天才というより天災。
消えない火種を持つライターを作らせれば、半日で森林を炭にする。
自然と水が湧く魔法の瓢箪を作らせれば、一日で一国を水没させる。
どんな汚れも落とす奇跡の石鹸を作らせれば、一ヶ月で大陸を漂白させる。
プトラの好きに物を作らせるとこうなってしまう。
便利なマジックアイテムを作らせれば、それがどんな平和的アイテムであっても国をも滅ぼしかねない威力を発揮する傍迷惑な才能を持っていた。
反面、制御を掛ければ神懸かった道具を作れるわけだ。
その才能を買かわれて、遠征組の追加メンバーに抜擢された次第である。
「んー……大体こんな感じだし?」
艦橋にいくつかある寛ぐためのテーブル。
そのひとつを作業台にしてプトラが作ったのは、旧神の印を使った羅針盤のようなアイテムだった。大きめのお盆に15個の旧神の印を配置させたもので、盤面に刻まれた紋様が印の発する旧神の波動を増幅させていた。
ちょっとした旧支配者なら怯ませられそうな威圧感を発している。
完成した羅針盤をプトラはこちらに掲げた。
「この旧神の印? ってアミュレットの波動があのザアザア降りな滝の結界を素通りさせてくれるなら、こんだけバリバリ強化っておけばいいっしょ」
「ああ、助かるよプトラ」
ありがとう、とツバサは礼を述べてから注意を促す。
「断っておくがプトラは前線に立つなよ? 旧神の印に未知数なところがあっても、おまえの次元を開く鍵を作った才能があれば加工できると見込んで呼んだんだからな。あくまでも機器や道具のバックアップに徹してくれ」
一応、プトラもLV999には達している。
泣いても喚いても吐いても気絶しても、心を鬼にしてツバサが鍛えた成果なのだが、戦闘に秀でた仲間と比べたら一歩どころか十歩は及ばない。
叩き込んだのは、あくまでも身を守るための強さだ。
「戦闘が始まったら最後尾、ツバサや仲間の後ろに隠れること」
わかったか? とツバサは念を押して言い付ける。
最前線に立つ遠征組に加えられて気が気じゃなかったプトラだが、改めて非戦闘員と命じられたことでホッとしたようだ。
コギャルらしく明るい笑顔を綻ばせてくれた。
「うん、じゃあ真っ先にオカンさんの背中に隠れるし!」
んじゃもっと改良するし、とプトラは件の羅針盤の魔改造を始めた。
調子に乗りそうなコギャルに釘を刺しておく。
「……あんまりやり過ぎるなよ」
単に旧神の波動が強くなるくらいならいいのだが、プトラに任せると旧神たちにこちらの居場所を知らせる発信器とか、旧神クタニドとのホットラインを繋げるような通信機に魔改造しかねないのが恐ろしいところだ。
(※旧神クタニド=邦訳によってはサニド。旧神郷エリシアの王にして旧神たちのリーダー的存在。その姿は偉大なるクトゥルフに瓜二つの“兄弟”だが、黄金に輝く瞳は慈愛に満ちた理性の神。俗な言い方をすれば“きれいなクトゥルフ”)
……それはそれで役に立つかも?
ギャンブル性は高いが、いっそプトラに任せるのもアリかも知れない。
「せやったら俺は索敵要員かいな」
老いぼれを引っ張り出してくれてからに、と御隠居は迷惑そうにぼやいた。
ハトホル太母国 御意見番 聖賢師ノラシンハ・マハーバリー。
年老いたインドの遊行僧みたいな身なりをしたこの老人。かつては真なる世界でも十指に数えられた英雄の一人で、拳豪の名を恣にした実力者でもある。今では三世を見通す神眼を持つ予言者として名を馳せていた。
(※三世=過去・現在・未来、これを合わせて三世と呼ぶ)
そして――あの破壊神ロンドの義父だ。
養子である破壊神を自らの手で倒すため五神同盟へ加わり、戦争後はツバサを気に入ってハトホル太母国の御意見番として居着いた御隠居である。
「孫にやるお小遣いくらい働いてくれよ御意見番」
ハトホル太母国 八女 チャナ・マハーバリー。
神族の叡智を結集させたところへ破壊神の気まぐれが加わり、奇跡と偶然が重なって誕生した新たな神族の幼女である。
紆余曲折あってノラシンハの孫ということで落ち着いた。
神々の乳母の娘の一人に数えられているのはご愛敬だ。
「縁側で茶を啜りながら孫の遊び相手するばかりが能じゃないだろ?」
ツバサがニヒルに微笑んで皮肉を返すと、ノラシンハは「しゃーないなぁ」とわざとらしくため息をつきながら襷みたいな白髭をしごいていた。
こう見えてご老体――この遠征に乗り気なのだ。
「ま、正直な話。俺も前神未踏の南方大陸には興味あるさかい」
この眼で見るのも悪ぅないな、と聖賢師はギョロ目を輝かせた。
若い頃は修行のため真なる世界を放浪したノラシンハも、何十万年も前から瀑布の結界に閉ざされた南方大陸は未知の領域だという。過去・現在・未来をも見通す神眼を得ても、そこを覗くことはできなかったとも聞いていた。
そりゃあ好奇心を刺激されても仕方あるまい。
「老骨に鞭打ってでも出向く甲斐があるとええなぁ」
「ハハハ、老人に鞭を振るってまでも出陣させるつもりはないさ。爺さんはプトラと同じくバックアップ要員、三世を見通す眼で索敵に専念してくれ」
ツバサがフォローすると、ノラシンハは自分の顔を指差した。
「え? でも俺たまにメイド長の姉ちゃんに鞭打たれてんで?」
「何してんだウチの駄メイド!? そしてアンタも甘んじて打たれるな!?」
思わず叱り飛ばすようにツッコミを入れてしまった。
そういや出会い頭にサドマゾごっこで遊んでたな、この二人。
SとMな意味で相性がいいのかも知れない。人の趣味にとやかく言うつもりはないが、せめて子供の目が届かないところでやってもらおう。
遠征組への追加メンバーは計三人。
もう一人、純粋な戦力として呼び出した剣客がいる。
アイツには他の戦力メンバーとともに飛行母艦の甲板で待機してもらっていた。たとえば結界を抜けた瞬間に不意打ちを受けたとしても、アイツを含む戦力メンバーが速やかに迎撃してくれるはずだ。
それまでは甲板に寝転んで酒を聞こし召していても文句は言わない。
「ツバサさんツバサさん! 見えてきたよ!」
不意にミロが歓声を上げたので自然とそちらに振り返る。
「おっきい滝ですセンセイ! 本当に壁みたいにそそり立っててます!」
ミロの隣ではマリナも大声を張り上げ、ツバサを手招いていた。
先ほどまで二人は艦橋の後ろの方にいて、見送りのフレイたちに手を振り替えしていたが、航行中はずっと空と海と水平線を眺めており、今では前方へ迫りつつある瀑布の結界にはしゃいでいるらしい。
展望台から景色を眺めて喜ぶ姉妹のようである。
娘たちに手招かれるまま、ツバサもそちらへ歩いて行く。
開放感のある窓越しに現れたのは――絶大な水量が降り注ぐ様だった。
見上げる空に雲は見当たらず、雲が揺蕩うべき高度よりも遙か高みから莫大な水が落ちているようだ。それは雨のような飛沫になることはなく、容器から一気に水を零したような勢いで絶え間なく降り注いでいる。
滝と表現するしかないが、落ちてくる水の密度は比較にならない。
絶えず水の塊が落ちてきているも同然、ここで滝行でもしようものなら頑丈さが売りの神族であろうと水圧で縦に潰れるだろう。
そんな凄まじい量の水が叩き付けられた海も大変だ。
巻き上げられた海水は塩気の強い霧となって周囲に立ちこめ、降り注ぐ水は深海まで届いて深層海流になりそうな威力を伴っている。至るところが滝壺、それも海底まで届くほどの急転直下の激流を渦巻かせていた。
巻き込まれた時点で死あるのみ。
落ちた拍子に巻き上がる白波の高さも尋常ではない。
ともすれば飛行母艦が浮かんでいる高度まで届きかねなかった。
当然、人間界の滝とは比べ物にならない落下音も響かせており、しっかり防音されている艦橋にすら「ドドドドド……ッ!」と爆音を轟かせていた。
「防音しててこの五月蠅さって……迷惑どころじゃないッスね」
「せめて艦橋だけでも防音シールド重ね掛けしとくわ」
あまりの騒音に集中を乱されるのか、両手で耳を塞ぐフミカのしかめ面を見てられないのか、すかさずダインは艦橋の防音効果を上げた。
「てか右を見ても左を見ても滝の終わりが見えないし」
作業の手を休めたプトラも艦橋の窓へと近付いてきた。
羅針盤を小脇に挟んで右手を額に当てると、瀑布の結界の切れ目を探そうと首を左右に振っている。だが、すぐに徒労だと察したようだ。
「これ……水平線の彼方まで続いてるし!?」
「本当に南方大陸を隙間なく囲んでいるんだろうな」
結界としての強度も然る事ながら、途轍もない水量を誇る滝という水の壁も半端でなかった。絶対的な物量によって侵入者を拒んでいるのだ。
「こんな有り様ですと……生物も棲息してませんね」
情報収集に余念がないショウイも作業用スクリーンから顔を上げた。
丸眼鏡の位置を上げて「フハッ!」と一息つく。
「落ちてくる大量の水が巻き起こす海流が強すぎて、水棲生物が暮らすどころか寄りつけない環境になっています。言い方は悪いですが死の海ですよ。私の調査員ですら決死の特攻で挑ませないと瞬時に消えてしまいますから……」
「そんな過酷な環境なんですかここ?」
さすがのツバサも面食らったように目を丸くした。
真なる世界の生物は地球の常識に囚われないものが多く、龍種やドラゴン族といった神話の世界を生きる最強生物も存在する。
だから、この大瀑布でも平然と過ごす生物がいてもおかしくはない。
「……と思ってたんですが、深海にすらいないんですか?」
「いないですねぇ。俺もこの異常な環境に適応したドラゴンの変異種くらいは確認できるかも……と庭園の一員として期待していたんですが」
さっぱりです、とこちらへ振り返ったショウイは肩をすくめた。
源層礁の庭園は――生命の神秘を探求する。
そこの一員となるばかりか、統括所長の一人娘に婿入りしたショウイとしては、この遠征で新しい生命の発見を庭園の同僚から託されていたようだ。南方大陸はお楽しみとして、瀑布の結界でも何かあるかと期待したに違いない。
空振りに終わったので残念そうだった。
「水の流れが強いだけやないな……こら虫除けも効いてるんちゃう?」
三世を見通す眼をギョロつかせたノラシンハが言った。
ペタペタと老人らしいゆっくりした足取りでツバサたちの横に並んだご老体は、節くれ立った長い指である物を指す。
それはプトラの持つ旧神の印でできた羅針盤だった。
「そん旧神の印やったか? それとよく似た波長みたいなもんが滝の結界から微かに出とるような気がする……生き物をなるべく近付けないように、生存本能へ働きかける拒否感みたいなもんを発してるのかも知れへんな」
「不用意に近付くなって警告みたいなものか?」
せやな、とノラシンハはツバサの推察に同意してくれた。
「大抵は見た目のインパクトで『近付かんとこ』ってなるやろが、そういうの効かん奴のためやないかなぁ……よっぽど入ってほしくないんちゃう?」
――こん中にな。
ノラシンハは瀑布の向こう側にある南方大陸を親指で示した。
「ま、俺らは知恵も勇気もこん中に用事もあるさかい、そんな警告なんざ無視して突っ込もうとしてるんやけどな……ちと慎重に行こか」
「俺はいつだって慎重だよ」
ツバサは減らず口のように返しつつも両腕を広げると、近くにいたミロとマリナとプトラを抱き寄せた。何が起きても子供たちだけは守護れるように、母性本能が無意識のうちにツバサの身体を突き動かしていた。
「センセイ、相変わらずですね……でも嬉しいです」
「いやー、あたいは母親に甘える年じゃないし……あ、ミルクの甘い香り」
いつものこと、とマリナやプトラは諦観を決め込んでいる。
心配性な母性本能は止まらない。
操縦席にいるダインやマリナ、甲板で待機中の面子(ツバサより年下限定)にも影ながら見守るため、ぼんやりした守護霊みたいな分身が現れていた。
こちらも完全に無意識である。
それを察知したのはミロくらいのものだった。
「ツバサさんってば……どうしょうもないくらいオカンだねぇ」
ミロは超爆乳に頬ずりしながら「いつものこと」と流しつつも、ツバサの愛情が自分たちに注がれているのを感慨深げに味わっていた。
「――誰がお母さんは心配性だ」
いつもの決め台詞だが若干の武者震いに震えた声で返した。
そうこうしている間にも瀑布の結界は迫ってくる。
ハトホルフリートは別に止まっていたわけではない。考察めいた雑談を交わしている間にも南方大陸への進路を突き進んでいた。
「ではでは、滝の見物もこれくらいにして……そろそろ突入するッス!」
「オーライ! 防御スクリーン全開! 出力120%じゃ!」
操艦を担当するフミカやダインの気合いも十分だ。
しかし、出鼻を挫くように警告のエラー音が鳴り響いた。
「……って母ちゃんが母性本能爆発させたせいか、防御スクリーンの出力が当社比で1200%増しになっとんじゃがッ!?」
「なんスかそれ!? また暴走しかけてんスか!?」
叱りつけるような長男夫婦の怒鳴り声がツバサに飛んできた。
ハトホルフリートの動力機関はツバサの過大能力を宿した龍宝石が組み込まれいるため、自然界に満ちる無尽蔵のエネルギーを扱うことができる。ツバサが乗艦している場合、自然とエネルギー供給もされるのだ。
普段からツバサの活動に支障が出ない程度に動力機関にエネルギーを分け与え、緊急時とあらば最大出力でエネルギーを賦活することも可能。
その反面、ツバサのバイオリズムに呼応する。
ツバサの感情が高ぶれば、それに共鳴した動力機関も荒ぶってしまう。結果このようにレッドゾーンもお構いなしの高出力を叩き出してしまうのだ。
機械屋のダインとしては堪ったものではない。
レースの度に搭乗マシンを壊す暴走ライダーみたいなものである。
辛抱しとうせぇよ!? と長男から厳重注意されてしまった。
「ぜ、善処します……」
ミロたちを抱き締めたツバサは膨れっ面で反省した。必要以上にハトホルフリートの動力機関へエネルギーを過剰供給させないため気を鎮めようとする。
そこへ「待った!」コールが掛かった。
「ちょっとタンマだし! その暴走エネルギーこっちにくれるし!?」
「プトちゃん、何か考えがあるッスね!?」
いきなりプトラが挙手するとフミカが即応してくれた。
フミカは目には見えない不可視のエネルギーバイパスをプトラへ回す。それを受けたプトラは回された力をあるものへと注入していく。
それは手にした羅針盤だった。
15個の旧神の印で順々に円を描いたようなデザインだ。
それぞれの印章は大きさに個体差があり、一番大きいものが中央、次に大きい二つが左右、その次に大きい四つが先の二つと被らないように四方向、その外側に小振りな八つの旧神の印が円周を囲むように並んでいた。
力を流し込まれた羅針盤は光り輝き、プトラの手を離れて宙に浮かぶ。
艦橋の天井付近まで上ると厳かに変形を始めた。
太極、陰陽、四象、八卦――。
無限に倍々と増えていく自然現象を表す記号。
まるでプログラミング言語のようだ。
プトラも意識したのか、それぞれを象徴するかのように盤から外れてリング状に形を変えると、渾天儀やアーミラリ天球儀のような形状となった。
やがて普通の印章とは比べ物にならない旧神の波動を発していく。
それは飛行母艦を包む力場となった。
フミカが任されている艦の制御盤から「ピピピッ♪」と穏やかな通知音が鳴り、プトラが形成した力場についての報告が上がってきたようだ。
「防御スクリーンに覆い重なる力場……プトちゃん、これは?」
「うん、旧神の印の守護る力をめいっぱい引き出してみたし」
プトラはとんでもないことをサラリと言った。
オーパーツにも等しい旧神の印の力を引き出すばかりではなく、ニトロブーストを効かせるようなパワーアップをあっさりやってのけたのだ。
天災道具作成師はアバウトな所感を並べていく。
「ほら、クトルゥフ神話の小説だと旧神の印って親玉級の邪神には効果ゼロだけど、眷族は近寄れないしビビるくらいのバリアー的なパワーがあるし? 数を揃えればそこそこ大物の邪神を封じることも可なんても話もあったはずだから……そのパワーをマシマシにすればバリアー結界になるんじゃないかと思ったし」
「――その結果がこちらッス」
プトラの解説が済んだところで、気を利かせたフミカが艦の防衛状況をまとめた映像スクリーンをツバサの前に出してくれた。
「……なるほど、防御スクリーンの重ね掛けになってるな」
「ツバサの母性本能暴走エネルギーもいい案配で消費してくれてるし、艦の負担もほとんどゼロで防御力アップしちょるから大助かりぜよ」
「誰が母性本能限界突破かあちゃんだ」
しかも単純な防御力2倍ではなく、2乗3乗で強化されていた。
ここまで守りを極めれば慎重派のツバサも満足である。
ダインも笑顔のサムズアップでプトラの貢献を讃えた。ツバサに抱き締められたままのプトラも笑顔で「イエーイ♪」とピースサインで返した。
「――んじゃ今度こそ滝に突入するッス!」
ちょっとしたアクシデントも力に変えて飛行母艦は突き進む。
艦首に瀑布の飛沫が掛かるくらいの距離まで近付いたが、落ちてくる水は見えない空間に阻まれてハトホルフリートを濡らすことはなかった。
アーモンド型に艦体を包む二重の防御フィールド。
それらが瀑布の結界を押し退けるのみならず、凄まじい水圧を感じさせる膨大な滝の水さえも寄せ付けることがないのだ。これが艦の防御スクリーンによるものなのか、旧神の印による加護なのかは判別が難しいところだ。
「どっちも効果覿面みたいッスね」
「プトラんおかげでフィールド同士の相互作用も働いとるみたいじゃな」
すかさずフミカとダインが分析結果を教えてくれた。
ツバサの胸元ではプトラが鼻息も荒く誇らしげに胸を張っていた。道具作りの才を買ったのだが、加勢を頼んで本当に良かったと思う。
メインスクリーンにはシャイニングブルーバードの様子が映る。
『ツバサさん、ミロちゃん、艦のみんなぁ~!』
――いってらっしゃい!
龍娘ドラコを始めとしたハンティングエンジェルスの面々が、手を振ってツバサたちを見送ってくれていた。
『怪我とか病気とか未知の場所だから気を付けてくださーい!』
『ヤバかったら一度戻ってきてあたしらと再挑戦してもいいからー!』
『お土産よろしく~! 変な動物とか昆虫とかキンキンギラしたのとか~!』
レミィにマルカにナナも思い思いの贈る言葉を叫びならが、スクリーン越しに手を振ってくれていた。複数のサブスクリーンでもハトホルフリートの後ろを守ってくれるジェイクたちの姿を見届けることができた。
ツバサたちも手を振り替えして、ついに瀑布の結界へと突入する。
旧神の印の波動を重ね掛けした二重の防御フィールドのおかげか、艦体には何の負荷を感じることもなく、すんなり滝の中に入ることができた。
甲板にいる者たちも濡れた様子はない。
窓の外には白に染まった激流が落ちていくが見えるばかり。
同じ水の中を行くのでも川や海とは一味違うし、況してや滝を潜るのともわけがちがう。真下へ向かう潮流を横切っているような感覚だ。
敢えて例えるなら――滝壺の底。
落下してくる水流が激しく蜷局を巻いた危険な水場である。
幼い頃、インチキ仙人に連れられた山奥の修行中、遊び半分で滝壺に潜ったら死にかけたのは猛省するべき思い出だった。
あの事件以来、ツバサの慎重さが研ぎ澄まされたような気がする。
その滝壺を何千万倍もハードにしたようなものだ。
「この飛行母艦でも海中を潜ったことはあるし、ダインの潜水艦で深海見物とかもしたことはあるが……この光景はまるっきり別物だな」
滝浴びとは似ても似つかないし、とツバサは経験則から言った。
インチキ仙人こと師匠の修行でキツい滝行を幾度となくさせられたツバサだが、この瀑布は明らかに性質の違うものだった。
滝はどれだけ水流が多くても滝に過ぎない。
崖の上から自由落下する時点である程度ばらけるものだ。
ナイアガラの滝くらいになれば人間など一溜まりもない威力にもなるが、それでも水流は空中でバラバラになって散水のような飛沫となるだろう。
しかし、この結界が構成している瀑布はレベルが違う。
上から下までぎっしり詰まった密度の水量が降りてきていた。
滝の表面こそ激しい水飛沫を上げて白い靄を巻き上げる滝の様相を呈しているが、一度その内側へ入れば潮流が渦巻く深海と変わらない。
とにかく膨大な水が絶えず落下しているのだ。
「なんか……白く濁ってるみたいです」
艦橋の窓――外に映る景色が白波なことをマリナが指摘した。
「お空の上からひっきりなしに大量の水が落ちてきてて、深層海流みたいな圧力も掛かってて、おまけに重力の負荷もメチャクチャ……いつでもかき混ぜられて泡立ってるみたいな感じだし。だから真っ白っぽく見えちゃうし」
プトラがフミカの代理みたいに解説する。
道具作成師の着眼点なのか、意外と的を射た言い方をする。
「白く見えるのは小さな泡ってことだね」
珍しくミロが言い当てた。
白波という言葉があるように滝や波が白っぽく見えるのは、激しく流れ動く水が撹拌されて、小さな泡の粒子がたくさん混入するからだ。
「泡風呂と一緒か」
「うん、まあだいたい合ってるし」
プトラの説明がわかりやすかったおかげか、アホの子は妙な解釈をしていた。流れる水により発生した泡なので概ね間違ってはいない。
……しかし、この激流を泡風呂扱いはどうなんだ?
「空の上とはいうけれど、俺たちの分析でもどれくらいの高度から振ってきているのか検討もつかないからな。次元とかを捻じ曲げているんじゃないか?」
深海と天空をメビウスの輪よろしく繋げる。
その際、多少なりとも細工をして海が丸ごと落ちてくる状態にし、水圧と落下で生じる重力に更なる圧力を加えて、瀑布の威力を底上げしているのだろう。
そんな芸当ができるのは蕃神あるいは……。
ツバサはフレイから貰った旧神の印を握り締めた。
そこへ「チーン♪」と何かの計測結果を弾き出した電子音がする。
「おーっと、えげつない数値を叩き出したっすね」
「えげつない数値……ってなんだ?」
引き攣った笑顔を浮かべるフミカにツバサは訊いてみた。
「この海をそのまま滝にしたような結界、まともに浴びた時の水圧はどのくらいかと思って好奇心から測ってみたんすけど……」
1立方㎝につき――最低100万tから最高350万t
変動するのは場所によって滝の勢いに差があるからだろう。
「だとしても……最低で100万tだと?」
1立方㎝って小指の先だぞ!? とツバサは驚いてしまった。
思わず自分の小指を立ててしまう。
「そんな小さな面積でも100万t……最大出力だと350万tって神族や魔族でも耐えきれないかも知れない威力だな」
ちなみに、と人差し指を立てたフミカが豆知識を挟む。
「地球でもっとも深い海で知られたマリアナ海溝の最深部、チャレンジャー海淵でも1立方㎝の水圧は約1tだったッス」
(※1立方インチの水圧ならば約8tだという)
「その1000000倍の水圧って……もはやギャグだな」
少し前まで人間だったツバサたちには縁のない数字である。というか100tなんて桁外れな重さ、マンガやアニメでしかお目に掛かったことがない。
「落ちてくる水の量は毎分1京リットルってところッスね」
「1京リットルと言ったか?」
まさか億や兆を超えるとは……もう笑うしかない桁数だ。
「でも毎分1京リットルのふざけた滝だとしても、水圧100tを叩き出すのはオーバーワークな気がするんスよね。故意に圧力を掛けてるような……」
「何らかの意志……その介在を感じさせるな」
それこそ旧神――あるいは旧神に連なるという古のもの。
この瀑布の結界に至るまでの道中、彼らの存在を予感させるものと出会してきたことを思い返すと、どうしても無関係とは思えなかった。
結界を抜けたら鉢合わせるかも? なんて想像までしてしまう。
「こん飛行母艦でも素で浴びる度胸はねぇぜよ」
圧倒的水圧でぺしゃんこじゃあ、とダインも冷や汗を流した。
当初は魔法などで解除できない強力な結界がだったとしても、LV999の総力をハトホルフリートに結集させることで、力尽くのゴリ押しフルパワーでこじ開けながら推し通るつもりでいた。
しかし、面と向かえば無理無茶無謀だったと思い知らされる。
瀑布の結界を張った者は――明らかに上位者。
真なる世界の神族や魔族を越える、それこそ蕃神とも比肩しうる次元をも大胆に創り変えられる能力を有した存在に違いない。
滝の破壊力を目の当たりにしたダインは冷静に思考を巡らす。
もしもの突入を想定しているのだ。
「ツバサさんにエネルギーをバチクソ充電してもらったとして、それを防御スクリーンにガン振りで回して、尚且つLV999の総攻撃で滝の勢いを削ぎながら進んだとしても1分保つかどうかも怪しいなこりゃ……」
無難な入り方を聞いといて正解ぜよ、とダインは嘆息した。
「ああ、フレイちゃん様々だな」
誰が母ちゃんだ、とツッコミを入れるツバサだが、自分もダインと似たり寄ったりの突破方法を考えていたので強気には出られなかった。
超密度と超圧力の滝をハトホルフリートは慎重に進んでいく。
瀑布の結界に突入して――間もなく4000m。
「爺さん、ここからでも南方大陸の様子は探れないか?」
「かなわんなぁー。ごっつうジャミング効いてるみたいやわぁ」
まだ見通せんわ、とツバサに促されたノラシンハは、額に手のひらを当ててギョロギョロと千里眼を走らせるが情報は得られないらしい。
「あの印章で結界は無効化できても、虫除け効果や盗撮防止の機能は生きとるみたいやさかい、やっぱ結界抜けんと俺の眼も役に立たんようやな」
「もうじき5㎞くらい滝の中なんスけど……おッ!?」
フミカも話に混ざりかけた時――前方から光が差し込んでくる。
艦首を守る防御スクリーンが滝をこじ開け、外界に触れようとしていた。
「出口ッス! とうとう瀑布の結界を抜けたッス!」
指差すフミカが歓喜の声を迸らせると艦内は歓声に沸いた。約5㎞もの間、100t越えの重圧を掛けてくる滝の中で不安だったのだから当たり前だ。
「よっしゃあ! さっそくお目見えぜよ“未知なる南方大陸”!」
操舵輪を握るダインは艦の推進力を上げた。
ただし、滝を潜り抜けた先に何が待っているかわからない状況で、一気に飛び出すようなヘマはしない。ほんの少し速度を上げるだけに留める。
徐行運転から生活道路の法定速度になったくらいだ。
破壊力満点の滝を抜け、飛行母艦は久し振りに外気を浴びた。
「ここが……南方大陸か……」
滝を抜けた先では――青い空と広い大地が出迎えてくれた。
眼下に広がるのは見渡すほど平坦な大地。
中央大陸は山あり谷あり崖ありと、起伏に富んだ山岳地帯が多かったので拍子抜けするほど真っ平らだった。日本では珍しい地平線を拝むこともできた。
「はぇ~……まな板みたいに真っ平らなところだねぇ」
かなりまな板だよこれ、とミロは窓に張り付きながら感心していた。
平らな大地は砂地が目立ち、とても乾いている。
しかし砂漠ほど乾燥しておらず、あちこちに草原を見付けることができた。
草原からはまばらに手を上げるかのように背の高い木が生えているが、なんとも奇妙な形をした樹木ばかりだ。
サボテンのようなバオバブのような……。
ドラム缶みたいに寸胴な幹がドーンと柱みたいに聳え立ち、そのてっぺんからねじくれた枝が何本か伸びて不思議な葉を繁らせている。
景色を眺めていたフミカがふと呟いた。
「なんか……ガチで未開拓だった頃の南方大陸みたいなところッスね」
「南方大陸……ああ、大昔のオーストラリアか」
丘陵は少なく、乾いた平らな大地が広がり、見知らぬ植物が生い茂る。
始めて“未知なる南方大陸”(現オーストラリア)に到着した船乗りたちは、この土地の第一印象をこのような感想で残していた。
しかし、よくよく目を凝らせば沼沢地帯もあった。
――水没林とでも言えばいいのか?
ジャングルの水辺をイメージさせる、半ば水に浸かりながらも水棲の植物や立派な木々を生い茂らせる地帯だ。南方のガジュマル林にも似ている。
あるいは――アマゾン川奥地の原生林か。
乾いた砂地だらけの大地も独自の生態系がありそうだが、生命の多様性を期待するならば、こうした沼沢地の方が豊富だろう。
それだけの沼沢を作る水源はすぐに見付けることができた。
「あ、川です。それも海みたいに大っきいです」
「あれはもう大河だし。いや……大河どころじゃないし?」
滝を抜けたことで一安心して、オカンの抱擁から解放されたマリナとプトラ。今はプトラがマリナを背中から抱き締めて姉妹愛を深めていた。
マリナが指差す先、途方もない大河が流れていた。
南方大陸の全貌はまだ定かではない。
しかし、「船で渡っても丸一日掛かるのでは?」と思わせるほど幅が広く長大な大河は、明らかに南北大陸を二つに分断していた。
「そういえば……南方大陸って三分割されてるとかなんとか?」
言ってなかったっけ? とミロは情報屋に尋ねた。
この娘もツバサの抱擁から解放したのだが、今度はあちらからツバサに抱き付いて離れようとしない。まあ、いつものことだった。
乳房の谷間に顔を埋めたままなのも平常運転である。
「はい、以前ご覧に入れた庭園の調査記録通りならばそうですね」
結界突破と同時に出せるだけの使い魔調査員を南方大陸へ派遣したショウイは、もたらされる情報を編集する片手間で答えてくれた。
「北から南へ一直線に大地を割って大河……いえ、これほど大きいと海峡と呼ぶべきかも知れませんね。その海峡が南方大陸を東西に分断しており、途中で左右に分かれて三つ目の陸地を分割しています」
ショウイは簡単な図を映像スクリーンに浮かべる。
――やや楕円を描いた南方大陸の簡略図。
そこに太いアルファベットの“Y”が大きく描かれると、これが地を分ける海峡となって南方大陸の三つに区切っていた。
この“Y”の左右に分かれた海峡に挟まれた南方大陸の奥地。
事前に得られた情報が正しければ、この奥地に千の仔を孕みし黒山羊の女王との異名を取る外なる神シュブ=ニグラスがいるはずなのだ。
ツバサはミロをあやしたまま顔を上げる。
艦橋から南方大陸の彼方を見遣るが、さすがに離れすぎていた。
神族の視力に強化を掛けても届く距離ではない。
それでも空の果てが黒々と染まっているのがわかった。時折だが稲光らしき閃光が走っているので、あの辺り一帯の大気が乱れているのだろう。
大気を掻き乱すほどの何者かが居座っているのだ。
これだけ離れていても感じる――絶対的存在からの威圧感。
先遣隊として瀑布の結界まで訪れたことがある、ドンカイやジャジャが感じたという超巨大蕃神を越える強大な気配の正体がコレのようだ。
外からでもビリビリ感じていたが、結界を越えたてより一層強まった。
「そうだ爺さん、もう三世を見通す眼が通じるんじゃないか?」
「応よ、初めての南方大陸を見聞させてもろとるわ」
ツバサが水を向けるまでもなく、ノラシンハは大きな両眼をキョロキョロ忙しなく回転させて、この地の置かれた状況を具に観察していた。
その千里眼が「ギュン!」と不自然に上を向く。
次の瞬間、ノラシンハの痩せた喉から裂帛の気合いが迸った。
「――上やぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!」
老翁が鋭い警告を発した瞬間、まるで呼応するかのように飛行母艦からも緊急事態を知らせるアラートが鳴り響き、警告灯が明滅を始めた。
巨大な何かが空の果てから降ってくる。
ツバサたちも感知能力をフルに働かせ、その急接近を捕捉せんとする。
だがしかし――。
「デッ……デカすぎいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!?」
ミロが仰天の悲鳴を上げた。
大概のことには驚かず笑いの種にするような、神経が鋼線並みに図太いアホの子が驚愕するのだから、そのデカさは推して知るべしだろう。
空から振ってきたのは――巨大な触手。
世界樹のような大木を支える根を連想させる、真っ黒い触手だった。
いや、触手なんて範疇に収まる大きさではない。
着水すれば眼下の大河を半分は埋めるであろう胴回り。ハトホルフリートを羽虫のように叩き潰すこともできる、野太くて長すぎる特大の触手だ。
そんなものが音速を越える速さで振り下ろされていた。
このままでは二重の防御スクリーンで守られた飛行母艦であろうとも、為す術なく叩き落とされながら圧壊される未来が想像できてしまう。
――間に合わない!
誰もが固唾を呑み、反応が遅れたことに後悔した刹那。
飛行母艦の甲板から斬撃が飛んだ。
ひとつやふたつではない、十を超え百でも足らず千を数えて万に達し……とにかく数え切れないほどの斬撃が瞬時に、それでいて互いに干渉しないよう散開しながらも、迫り来る触手に立ち向かうべく飛翔していく。
無数の斬撃は超特大触手を斬り刻んだ。
たくさんの斬撃が直撃した部分は、跡形もなく斬り飛ばされる。
切り離された触手の先端は遠心力に乗ってあらぬ方向へ飛んでいき、残った根元寄りの触手はそのまま振り抜かれていく。
飛行母艦の数十m手前を、触手の断面が豪速で通り過ぎていく。
ズッドオオオォォォン! と爆音とともに海峡を叩いた触手によって大きな水柱が巻き上がり、驟雨のような飛沫が降り注いだ。
まさに間一髪、刹那の攻防を凌いだ剣豪は静かに呟いた。
「久世一心流――崩山」
文字通り、斬撃の嵐をぶつけて山をも崩す秘剣である。
手にした豪刀を残心で構えるのは黒衣の剣豪。珍しく酒を抜いたのか素面の表情は、いつになく緊張した面持ちに見えた。
彼もまた達人を越えた達人、外なる神への戦慄に備えているのかも知れない。
ハトホル太母国 用心棒 剣神セイメイ・テンマ。
遠征組の追加メンバー、その三人目である。
ぶった切ってナンボの商売と嘯くだけはあり、こういう斬った張ったの局面では頼もしい用心棒だ。前線に立たせれば将としても働いてくれる。
「まだだ! 気を抜くんじゃねえ!」
すぐ次が来るぞ! とセイメイは直感で檄を飛ばした。
達人の先読みは無視できない。彼ほどの玄人ならば尚更だ。
予言通り、第二第三の触手が水柱の向こうから顔を覗かせた。
今度は振り下ろすのではなく、海峡から大蛇よろしく鎌首をもたげて切っ先を尖らせる超特大の触手たち。錐揉み旋回しながらに突っ込んでくる。
紛れもなく飛行母艦を標的とした行動だ。セイメイが斬り捨てた触手も明確にこちらを狙い撃ちにしたものだった。
どうやら到着早々、乱暴なお出迎えを受けたらしい。
「さあ出番だ少年少女諸君!」
発破を掛けるセイメイは三日月のように大振りな斬撃を連続で飛ばして、突き込んでる超特大触手の気勢を削いでいた。
この隙を突いて五神同盟でも有望な若手たちが前に出る。
「――どすこぉい!」
超特大触手を食い止めるべく組み付いたのはアンズだった。
ルーグ・ルー輝神国 蛮族娘 アンズ・ドラステナ。
倒した怪物の能力を取り込める過大能力を持つ彼女は、“名も無き一匹の獣”という魔獣の力を借りるように変身していた。
金毛の鬣を靡かせる――何者にも似つかない気高き獣。
その姿と力を借りたアンズは、超特大触手のひとつを押し止めていた。
「んんんっ……ツバサさんの真似っこ!」
落ちよ轟雷! とアンズが叫べば金毛の鬣が逆立ち、そこから何条もの稲妻が発せられた。いいや、彼女の全身から雷が放たれているのだ。
轟く雷は触手を内からも外からも攻め立てる。
凄まじい電圧を流された触手は、肉を煮立たせたようにボコボコと膨れ上がるが、そんなことお構いなしにアンズを振り払おうと藻掻いていた。
「おっとととと……レンちゃーん! トドメプリーズ!」
「はいはい、合わせなよアンズ」
やれやれ……と言いたげな口調ながらも、俊足でアンズの元へ馳せ参じるレンは、背中から身の丈を越える大太刀を抜き払った。
ルーグ・ルー輝神国 侍娘 レン・セヌナ。
侍の髷みたいに結ったポニーテールを揺らして、小さなサムライガールは空中を疾駆すると、アンズが捕まえている触手へ一直線に向かっていく。
手にした神剣ナナシチに光を通わせながら――。
「――流れろ七星!」
ナナシチの刀身に埋められた七つの宝玉をレンの指先がなぞると、斬や爆に破といった漢字が浮かび上がり、言葉通りの属性を高めていく。
光は物理的な威力を伴って伸び上がり、大きな光の刃を形作った。
レンの準備ができたのを見計らい、アンズは抑えていた触手を解放する。ただし、相方が斬りやすいように蹴飛ばして位置調整するのを忘れない。
「チェェェストォォォォォォォォーーーッ!」
気合い一閃、光の刃を振り抜いて超特大触手を一刀両断にする。
さすがに根元までは届きそうにないが、少なくとも見えている範囲ではスッパリ真っ二つに割れていた。アンズが喰らわせた轟雷で弱っていたのも手伝って、斬撃の威力に負けた触手は大爆発を巻き起こす。
これで一本は無力化できた。超特大触手はもう一本迫っている。
その触手に何百発もの銃弾が撃ち込まれた。
一発一発が重く、触手をストッピングパワーで封じていた。
(※ストッピングパワー=銃火器より発射された弾丸が命中した際、その銃撃を受けた生物の行動力をどれだけ奪うかを概念的に表現したもの)。
しかも弾丸の種類も選り取り見取りのようだ。
貫通弾ならば触手の肉を削ぎ落としながら風穴を開け、爆裂弾なら触手の内部で爆発を起こして組織をズタズタにし、焼夷弾なら血肉を焦がす。
銃弾はなるべく一カ所へ集まるよう命中していた。
これだけ攻撃を一点集中させれば、そこが弱点となるだろう。
この狙撃を一瞬で終わらせた手練れの狙撃手が甲板にいた。
タイザン府君国 若執事 ヨイチ・クリケット。
執事服の似合う紅顔の美少年は、狙撃手としてもLV999になるまで鍛えた超一流だが、こう見えて工作者としても優秀である。
触手に弱点を作った狙撃銃も自前の逸品だ。
「今だカズトラ! 僕が狙い撃ったところを……ッ!」
「合点承知の助だぜ相棒!」
狙撃を終えても油断せずに装填済みのスナイパーライフルを構えたヨイチは、頼りになる親友の名を叫んだ。そしてカズトラは即座に行動を起こす。
ククルカン森王国 鉄拳児 カズトラ・グンシーン。
痩せた狼という印象が強い熱血漢な少年は、恩人たちから譲り受けた義手を振り翳して矢のように飛んでいく。
突き上げた拳が狙い澄ますのは、相棒が拵えてくれ触手の弱点だ。
「ガンマレイアームズ……ッ!」
掛け声とともにカズトラの義手が攻撃的に変型する。
風穴だらけで黒い体液を噴き出す触手の弱点に拳を叩き込むが、満身の力を込めた鉄拳は触れることなく、激しい衝撃波のみを打ち込んだ。
「ショックウェーブ・インパクトッッッ!」
穂村組のダテマル三兄弟から学んだ衝撃波を操る技術――“徹”。
それを完全に物にしたカズトラは、敵に触れることなく拳から発した衝撃波を叩き込み、あらゆるものを武器化する過大能力も発動させた。
触手を内側から食い破る――衝撃波から作られた数々の武具。
それは根元まで届く勢いで触手を連鎖爆発させていった。
「よーしよしよし、順調に若い世代が育ってるな」
いいね! と老組長は極太煙管から紫煙を燻らせてご満悦だった。
ハトホル太母国 穂村組 組長 バンダユウ・モモチ。
老いてなおイケメンのロマンスグレーな組長は、甲板に配備された戦力の差配をしてくれていた。いわゆる現場指揮官のようなものだ。
まずは最高火力を叩き出すセイメイが先鋒。
次に次世代を担う若者たちに経験を積ませるべく送り出す。
「そして、何が起きるかわからねえ南方大陸を警戒して、主戦力となるミサキ君やアハウ君にゃあ温存してもらい、残りの戦力で取り回していく……と」
内在異性具現化者である戦女神や獣王神は切り札。
残りの戦力とは仙道師エンオウ、輝光子イケヤ、武道家ランマル。
これにバンダユウ自身を含めた四名である。
「取り敢えず“お通し”にしちゃあ重すぎるデッカい触手は始末できたが、あれだけで終わるとは到底思えねぇんだよなぁ」
「お察しの通りです組長」
第二陣が来ます、と目を光らせていたエンオウが注意を呼び掛けた。
しかし――どうにも雰囲気がおかしい。
「あれ? 触手が……こっちへ来ないで暴れてる?」
同様に目を凝らしていたミサキが新たな触手の出現を察知したものの、そのどれもが飛行母艦へ襲い掛かろうとしないことに不信感を抱いていた。
南方大陸の各所から地面を裂いて現れる触手たち。
真っ黒に染まったそれは柔軟な肉質を備えながらも、どこか硬そうな木質の気配も帯びており、まるで巨大な樹の根が蠢いているかの如くだった。
闇色に染まる――天地を貫く世界樹。
大樹の根が動く触手と化して、好き勝手に暴れているようにも見える。
そんな触手に立ち向かう一団があった。
謎の一団は暴れる触手を抑え込もうとしており、触手はそれを嫌がって身を捩りながら振り払っていた。おかげで飛行母艦まで手が回らないらしい。
「なーんかボクら無視してドンパチやり合ってる感じー☆」
「あんなの暴れてたら現地の人も無視できないもんねー」
チャラ男同士気が合うのか、イケヤとランマルは他人事のように言った。
「じゃあ、あれは南方大陸の現地人なのか……?」
訝しげに目を細めたのはアハウだった。
ククルカン森王国 国王兼代表 獣王神アハウ・ククルカン。
念のため戦闘態勢を整えたアハウは、三対の翼を生やした魔獣の如き巨体で待機していたが、大陸各地で暴れている触手の大群に注目する。
「あれは……神族なのか魔族なのか?」
少なくとも亜神族や現地種族ではなさそうだ、と独りごちた。
手荒い歓迎で出迎えてくれた超特大触手。
てっきりツバサたちの侵入に反応したのかと思いきや、南方大陸のあちらこちらから天を衝く柱のように何本も伸び上がり、その尋常ではない長さと大きさに物を言わせて、大陸の見渡す限りで縦横無尽に暴れていた。
地獄絵図な様相を見つめていたツバサはある推測を立てる。
「もしかして……こちらが狙いじゃない?」
たまたま触手たちが暴れるタイミングで結界を抜けただけか?
それにアハウたちが指摘した通り、暴れる触手に対抗するべく奮闘する現地人らしき人影をそこかしこに発見することができた。
触手一本に付き、数十人単位で群がるように攻め立てている。
遠目ながらも彼らの戦い方には手慣れたものを見て取れた。定期的にあの超特大触手の相手をしているかのような手際の良さだった。
しかし、アハウが怪訝な表情をしたのも納得だ。
「……彼らはどういう種族なんだ?」
視野を飛ばして現地人の姿を確認したツバサも分析を掛けてみたが、一目見ただけではどのように分類すればいいのか皆目見当がつかなかった。
全員、人型をしているのは間違いない。
胴体から両腕両脚が生えた四肢を持ち、頭部もあるので五体を備える。
だが、そこから先がてんでバラバラ。
みんな同族であるのは間違いないのだが、その容姿にまったく統一性が見当たらなかった。共通するのは四肢と五体がある人型のみだ。
妖人衆のように妖怪めいたわけでもない。
動物、植物、鉱物、怪物、妖怪、魔物、道具、器物、衣服、機械……。
様々なものをモチーフにした怪人のような外見だった。そう、特撮ヒーロー作品に毎週登場する、多種多様な怪人を思い浮かべるといいかも知れない。
「……キン○マンの超人かな?」
ツバサの胸の谷間でミロがボソリと呟いた。
「キ○肉マンの超人たちはもっと人間らしかっただろ……いや、人外チックなデザインの超人もいなくはなかったか?」
アイドルな正義超人たちは人間で通じる外見が多かった気がする。
とにかく、怪人と呼びたくなる謎の種族。
彼らは飛行系技能を有している者も多く、空中を飛び交って触手に立ち向かい、様々な特殊能力を駆使して猛攻撃を加えていた。
火を噴き、風を操り、雷を発し、武器を奮い、兵器を使う……。
それらすべてを身体能力の一部としていた。
神族や魔族ではないが、その戦闘能力の高さは亜神族級。もしくはまだ出会っていない準魔族かも知れない。ツバサは憶測を巡らせた。
「んんんっ!? なんやアイツらぁ!?」
そこへノラシンハが素っ頓狂な声を張り上げた。
いつもギョロ目だが、眼球が落ちそうなくらい目を見開いている。
まるで有り得ないものに遭遇して度肝を抜かれたかのようだ。
「どうした爺さん? あの怪人たちを知ってるのか?」
問い掛けるためにツバサが振り向けば、老翁の顔は青ざめていた。破壊神との戦いでもこんなに真っ青になったことはないので珍しい。
「知らん、あんなの知らん……知らんどころか……」
あいつら――真なる世界のもんやない。
一同絶句、まさかの証言に艦内の空気が凍りついた。
フミカとショウイは無言のまま超高速で制御盤のキーボードを叩き出す。ノラシンハの言葉を裏付ける情報を、分析や走査で探し始めたのだ。
ツバサは心を落ち着かせてから問い質す。
「この世界の者じゃないって……蕃神、あるいはその眷族か?」
「いんや、そいつらとも違う……」
驚きを隠せないノラシンハは目を剥いたまま首を左右に振った。
もしも怪人めいた彼らが蕃神に類する者だった場合、ノラシンハは躊躇うことなく「あいつら蕃神やん」と明言するに違いない。
そう言い表さず、言葉を濁すところに戸惑いを感じられた。
ノラシンハは節くれ立った指で怪人の一団を指す。
「神族、魔族、亜神族、準魔族、龍族、巨人族……真なる世界には数多の種族あれども、アイツらはそんどれとも結びつかん。かといって別次元からやってきた蕃神とも違う。断言こそできんが……アイツらはまったくの別物や」
「まったくの別物って……まさか!?」
ツバサは猛将キョウコウから聞いた話を思い出した。
ある日、南方大陸から飛来した何者か。
腕の立つ神族や魔族が束になっても適わず、若かりし頃のインチキ仙人ことツバサの師匠が、酔った勢いで殺してしまった正体不明の種族。
「あれが……話に聞いた“あらがみ”なのか?」
その可能性大やな、とノラシンハも不承不承に頷いた。
謎の触手の群れを向こうに回して、怯むことなく戦いを挑む怪人軍団。
神族や魔族に勝るとも劣らない戦闘能力は、噂に聞いたあらがみの強さに相応しいかも知れない。この戦況を眺めていれば得心がいった。
そのあらがみと思しき一団がこちらにやってくる。
結界突破直後の慌ただしさに追われて、ハトホルフリートの巨体を隠すステルス機能をONにするのを忘れていた。見付かるのも時間の問題だった。
空飛ぶ巨大母艦に目が留まらないわけがない。
「ギャギャギャギャギャ! おう、おまえら何者だぁ!?」
全身に大型タイヤを装着した特殊車両の怪人が叫び声で尋ねてくる。
「ここがオレたちの縄張りと知ってんのかキャイーン!?」
柴犬めいた獣人がありがちな因縁を吹っ掛けてきた。
「グツグツグツ……寄りにも寄って七日に一度の母鎮めの日に船を飛ばすとは……またアルガトラムの手のものか? それともサクヤ姫の使いか?」
顔どころか関節すべてをガスマスクで飾った怪人が言った。
その一言から重要なワードが三つも拾えた。
母鎮めの日? アルガトラム? サクヤ姫?
どうやらこの触手が乱舞する日をあらがみたちは「母鎮めの日」と呼んでおり、それを邪魔するかどうか定かではないが、少なくとも彼らが敵対視する者に「アルガトラム」と名乗る男性と「サクヤ」という女性がいるらしい。
今の一言から推察できるのはそんなところだった。
できれば、もっと情報を引き出したい。
甲板から飛び立って触手と戦っていたメンバーには「怪人たちに手出し無用、なるべき刺激せず本艦へ戻りなさい」と通信で言付けておく。
一触即発のピリピリした空気だが、不用意に手を出すのはまだ早い。
もう少し様子を見て、好きなように喚かせておこう。
そうすれば南方大陸について更なる情報が引き出せるかも知れない。
だが、世の中そう甘くはないようだ。
「ヅルフフゥ……待て、こいつらどちらでもないぞ」
大きな真珠みたいな頭をしたのっぺらぼうの怪人が気付いたらしい。
「アルガトラム陣営でもない、サクヤ姫陣営でもない……ヅルフフゥ! その頑丈そうな船! よもやよもや外界からやってきたのではないか!?」
なんだとぉ!? とあらがみたちに動揺が走った。
その驚きは瞬く間に伝播していき、触手との戦闘からあぶれていたあらがみたちが次から次へと飛行母艦を取り囲むように群がってきた。
勘付かれたか、と舌打ちする間もない。
ツバサたちはあらがみの軍勢によって完全に包囲されてしまった。
「意外と鼻も利くし勘もええか……気の抜けん連中やな」
「脳筋ばかりじゃないってことか」
ノラシンハがついた諦観のため息にツバサも付き合った。
あらがみたちは十重二十重にハトホルフリートを取り巻くものの、野次を飛ばして騒ぎ立てるばかりで攻撃してくる気配はない。
あちらにとってもこちらはよく知らない未知の存在。
手を出しあぐねている様子が窺える。
一撃でもあらがみたちが手を出してきたら、専守防衛の大義名分を盾にこちらも反撃させてもらおう。全力の総攻撃をお見舞いしてやるつもりだ。
覚悟は完了済み、誰もが臨戦態勢を整える。
ダインの指は主砲の引き金に掛かり、フミカも火器管制をチェック済みだ。
あらがみの出方を待っていると――。
「パパーッ! 外の世界の奴らが来たよー! パパーッ!」
「父上! 以前より話されておりました外来者が現れましたぞ!」
「父ちゃん! 外の奴らも敵だよな? やっつけていいんだよな?」
怪人たちは口々に何者かへ呼び掛けていた。
呼称こそまとまってないが、どうやら父親を招いているようだ。
「黙らっしゃい小僧ども!」
はしゃぐあらがみたちを一喝したのは老練ながら張りのある声。
「外では“総帥”と呼べって言ったでしょうが!」
後でママにお説教してもらうからな! と自分も家族感覚が抜けない台詞を叫びながら、声の主は大きなお供を連れてツバサたちの前に現れた。
最初に現れたのは――鋼鉄の肉体を持つ巨大ロボ。
ダインが変形合体するの巨神王ダイダラスや、守護妖精族のダグが駆る豊穣巨神王ダグザディオンとは一線を画したデザインのロボット。
全長は概算だが50~70m前後。
骨太な造形で装甲も鉄塊顔負けのゴテゴテさである。
分厚いどころではない。複数のブロック型のメカを合体させたようなフォルムをしていた。ただし雰囲気的には悪役サイドではなく、正義に属する戦隊ヒーローが全員で乗り込むようなタイプの巨大ロボだ。
だから、武骨なのにヒーローチックな見栄えがあった。
足裏のジェット噴射で宙に浮き、飛行母艦の行く手を塞いでいる。
その巨大ロボの手に老練な声の主が乗っていた。
「なるほど……アルガトラムの小僧でもサクヤ姫のババアでもない」
どちらの勢力でもないな、とその老人は一目で断定した。
あらがみ同様――異形の姿をした老人だ。
その老人は先ほど挙がった二つの名前を繰り返すと、ハトホルフリートごと艦内にいるツバサたちを品定めするように鈍い眼光を瞬かせた。
……え? サクヤ姫って姫なのにババアなのか?
矛盾をツッコミたくなるが、ツバサたちは異形の老人に注目する。
一言で言い表せば――ひとつ目の怪老人。
身の丈はそれほど高くない。他のあらがみたちと比べたら半分もなく、150㎝もない小柄な老人だ。魔道師めいた紺色のローブを羽織り、花弁が開いた蓮のような桃色の襟を派手派手しくも逆立てている。
見る人によっては天草四郎の衣装を思い出すかも知れない。
(※天草四郎に限らず、16世紀から17世紀頃のヨーロッパの肖像画でよく見掛けるこの衣装。正しくは襞襟といい、上着の襟元を顔や髭で汚さないようにするためのものだった。しかし、時代が進むにつれファッション性が高まり、最終的にはエリマキトカゲみたいな蛇腹式の円盤に進化したとのこと)
装いだけならば司祭といった風体である。
しかし、あらがみの総帥を名乗るだけあって顔は個性的だ。
真っ白な卵形の大きな頭には、歪な瞳孔を宿したひとつ目があるのみ。鼻はないが感情豊かな口元が不敵な笑みを浮かべていた。
やや猫背気味の上半身を、金色に輝く錫杖のような杖で支えている。
不敵な笑みはやがて不気味な笑みへと釣り上がった。
「そうかそうか……貴様ら、あの結界を抜けてきたのだな? ワシらでも滅多に越えられぬものを、こんな大仰な船に乗って此処まで来るとは……」
外界の輩は物好きだな、と老人は喉を鳴らした。
どう見ても嘲り笑っている。大きな単眼はツバサたちを見下していた。
「だぁが! その心意気や良し! よくぞ参った異邦人よぉ!」
一転、急にハイテンションとなったひとつ目の老人は、調子外れな甲高い奇声で吠えたかと思えば、両手を広げてツバサたちを迎え入れた。
シャン! と錫杖を鳴らしてから握った拳を突き出す。
するとあらがみに流れる空気が熱を帯びた。
「この黒き女王樹が君臨せし大地を統べる“あらがみ”が総帥! ショッカルン・ゲルゲギゴム一世が! 諸君らを盛大に歓迎してやろうではないか!」
ショッカルンと名乗った老人の賑やかな挨拶は続く。
「さて、歓迎といえば宴は付き物! 細やかながら祝宴の席を設けよう!」
シャシャシャン♪ と韻を踏んで錫杖が鳴り響く。
それを合図に怪人たちは一斉に身構え、飛行母艦への攻撃態勢を露わにした。
全方位から重火器の銃口を向けられたも同然だった。
「ちなみに――祝宴の贄はそなたたちの血肉だ!」
この血生臭い猛々しさよ。いっそ清々しくて好感すら持てる
神に非ず魔に非ず――これが“荒神”という生き物か。
会話は通じるのに問答無用、一方通行で自己完結型の独善主義者。自分たち以外の種族を決して認めず、遭遇すれば死ぬまで徹底的な攻撃を加えてくる。
なるほど、人情派なインチキ仙人でも始末するわけだ。
「演技こそ回りくどかったが……その態度はわかりやすくて助かるよ」
――じゃあ敵だな。
負けず劣らず好戦的なツバサも残虐な笑みを浮かべた。
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