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第21章 黒き世界樹そびえる三つ巴の大地

第518話:あっちのメイドは不定形

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「ふむ、有り得ない話ではありませんね」

 レオナルドは驚きの事実をあっさり一蹴いっしゅうした。

 仰天ぎょうてんすべき真実を告げられたツバサたちは呆気あっけに取られたものだが、何処どこ吹く風で涼しい顔の軍師に「えええ~ッ!?」と二度驚かされてしまう。

 既に真なる世界ファンタジアには蕃神ばんしんが入り込んでいる。

 別次元から蕃神の血を引く種族が流れ着いているらしい。

 あろうことか最初からこの地に根付いていたかの如く、原生生物よろしく振る舞っており、この世界の種族として我が物顔で暮らしているそうだ。

 それらしい種族は五神ごしん同盟どうめいにはいないはず。

 あるいはツバサたちが識別しきべつできていないだけなのかも知れない。

 人魚族マーメイド魚人族マーマンと似た深きものどもディープ・ワンズという例もある。勝手に真なる世界ファンタジア産だと思い込んでいるだけで、よくよく調べてみれば蕃神に類する種族という可能性も捨てきれないだろうが、少なくとも蕃神の気配を感じたことはない。

 おかげでにわかには信じがたい話だった。

 しかし、キラメラが虚言きょげんを述べているとも思えない。

 人類もウボ=サスラから生まれた説を信じれば、似たり寄ったりと言えなくもないが、余所よそから聞かされればそれなりの衝撃はあった。

 だが軍師レオナルドは「もありなん」といった顔で頷いている。

「戦争が長引けばよくあることです」

 文化、言語、風習、技術、民俗……そして民族。

 国家間で激しい戦いが繰り広げられる中でも習俗しゅうぞくは混ざるもの。

 敵対するため一朝いっちょう一夕いっせきとは行かないが、ゆっくり混淆こんこうしていく。戦いとは無縁な一般市民の風俗ふうぞくが着実に入り交じるのだ。良いものは積極的に取り込んでいくし、悪いものは反面教師として改善されていく。

 互いに接触した以上、双方向で影響を与えることは避けられないのだ。

「数年の戦争ならばそこまで混ざることはありませんが、十年、百年、千年……況してや真なる世界ファンタジアと別次元のように数万年も戦っていれば尚更なおさらです」

 奪った国土を占領せんりょうすべく定住ていじゅうするのは言わずもがな。

 技術や労働力を目当てに他国民を拉致らちして自国に取り込む。

 国勢の混乱に乗じて他国の土地に我が物顔で居座いすわる。

 人類も地球では幾度いくどとなく集合しゅうごう離散りさんを繰り返し、異なる民族が混淆こんこうしてきた過去を持つ。そこには血みどろで凄惨せいさんな歴史が付き物だ。

「強国が弱国を支配して奴隷に堕とした例は枚挙まいきょいとまがありません。単なる奴隷に限った話ではなく、自国の生産力を上げるため技術者や農業経験者をりすぐって連れ出した記録もあります。おおむねは勝者の言い分、勝った方が正義とばかりに人民を好き勝手に移動させたのでしょうね」

 故国ここくを滅ぼされて強国に取り込まれた民族がいる。

 故郷こきょうを持てず流浪るろう余儀よぎなくされた民族がいる。

 強すぎるあまり謀略ぼうりゃくにて滅ぼされた民族も少なくない。

「逆に負けた側の民族が散り散りになるも中立国や戦勝国に紛れ込み、血を混ぜることでながらえた例もあります。こういう民族の移り変わりは一概いちがいに勝った負けたでは推し量れないものがありますね」

 生き残った者こそが勝利者――と言い換えられるかも知れない。

「だから意外性のない話なんですよ」

 レオナルドはもたらされた事実を割り切るようにまとめた。

「種族の流入があってもやむを得ない……ですか」

「人類も同じ行為を繰り返してきたわけですからね」

 せられたわけではないが、クロウやアハウも一定の理解を示す。

 片や教師生活二十五年、片や経験浅いとはいえ大学講師。本調子ならばレオナルドと議論ぎろんを交わせるのだろうが、交渉の場では自重じちょうしたようだ。

 本題は地球史における民族移動ではない。

 真なる世界ファンタジア蕃神ばんしん眷族けんぞくが棲み着いている件についてだ。

「流れ着いたとの表現から難民なんみん……といえば聞こえはいいですが」

 レオナルドはあごを撫でるように考え込む。

 現時点で問題こそ発生してないものの、聞いてしまったからには無視できないと困った素振りを見せて「遺憾いかんですね」と態度で匂わせていた。

 別にキラメラを責めているわけではない。

 見過みすごすのもどうでしょう? と軍師はいぶかしげである。

「これまでの事例を振り返るに、侵略目的で入り込んで居着いている種族が圧倒的多数でしょうからね……深きものどもディープ・ワンズ然り」

「その点はこちらも否定のしようがありませんわ」

 キラメラは肉塊にくかいからできた羽団扇はうちわで口元を隠すと、非を詫びるように眉尻まゆじりを下げて瞳を閉じて目礼を返してきた。こちらもまた「私たちのせいじゃないけど謝罪はしておきます」と雰囲気を醸し出している。

 本音はどちらも「関係ないじゃん」なのだが、大局的に見れば被害者と加害者の構図になるので、表面上では抗議こうぎ謝意しゃいを表していた。

 ただし、おおやけでは決して認めない。

 認めたら最後、そこをつけ込まれかねないからだ。

 本格的に外交の最前線に立つ交渉人ネゴシエーターみたいなやり取りをしていた。

「でも……平和的に暮らしている者たちもいますことよ?」

 キラメラがフォローのように付け加えた。

 ショゴスのお嬢様は聞き捨てならない情報を追加する。いや、先ほどの発言を含めればまくてるような連発だった。

 羽団扇を片付けたキラメラは口元を露わにして語る。

懸念けねんされている通り、深きものどもディープ・ワンズのように侵略のための砦を築いて狼藉ろうぜきを働いている種族もおりますが、今では真なる世界ファンタジアでも土着種族と思われているほど自然に溶け込んでいる種族も指折り数えるほどいるんです」

 キラメラは長い指を折って数えていた。

 ツバサが盗み見た限りでは7から8くらいまで数えていたので、パフォーマンスだとしてもそれ以上の種族がいるのは間違いない。

 少なくともその数を下回ることはないはずだ。

「彼らは自らが蕃神に連なる者だという出自をすっかり忘れており、生まれた時からこの世界にいたかのように適応しておりますわ」

 キラメラは真なる世界ファンタジアにいる蕃神由来の種族について知っているようだが、この場で明かすつもりはないらしい。それはある種の配慮はいりょだった。

 知ってしまえば緊張感きんちょうかんが生まれる。

 五神ごしん同盟どうめいとして当の種族に一目置かざるを得ない。

 もしも公になればその種族が迫害はくがいされる恐れもある。それまで平和的に暮らしていたのに、多種族たしゅぞくかん不和ふわを生じる原因となってしまうだろう。

 ならば――知らぬが仏で通すべきだ。

 キラメラとの交渉が上手く行き、ショゴスの亡命が認められて落ち着いた頃にこっそり教えてもらうのがベストかも知れない。

「――それは人間から神化・・した我々も含まれますか?」

 レオナルドは意地の悪い質問を返した。

 ショゴス同様、外なる神アウターゴッドであるウボ=サスラの原型アーキタイプから生まれたであろう人類を指して、別次元から来た蕃神と同じ“異物いぶつ”と一括ひとくくりにしたのだ。

「そうイジワルなことを仰らないでくださいな」

 レオ様♡ とキラメラはびる色目でお手柔らかさを求めてくる。

「人間とショゴスの起源は一緒と散々さんざんアピールしましたが、それとこれとは少々話の毛色けいろが違いますわ。ほら、真なる世界ファンタジアには私たちのように蕃神の眷族と似たような種族がいるのではないかしら? 共通点のありそうな……」

 それについては誰しも思うところはあった。

 まず深きものどもディープ・ワンズからして、真なる世界ファンタジア水棲すいせい種族しゅぞくと似ている。

 人型で魚類の形質を持つ魚人タイプの種族は、どうしても深きものどもと比べてしまう。個体差もあるが外見が近しい者も少なくない。

 もっとも分析アナライズの専門家に言わせれば「全然違う」という。

 人魚族を始めとした水棲の種族には長寿ちょうじゅが多いものの、さすがに老衰ろうすいがなく延々と生き続ける深きものどもディープ・ワンズのような種族はいないらしい。

 根本的に生物としての基本構造が異なっているようだ。

 ショゴスと酷似こくじした種族も思い当たる節がある。

 アハウの治める――ククルカン森王国。

 そこに身を寄せる種族のひとつに、不定形の肉体ながらも人間の女性のような姿となるフィメルスライム族がいる。彼女たち以外にも知性を持ったスライムめいた種族を五神同盟では国民として受け入れていた。

 彼らはショゴスと酷似こくじした性質を持つ。

 流動性りゅうどうせいを持つ肉体は変幻自在、状況に応じての変形はお手の物。

 違いは馬力の差くらいではなかろうか?
(※ショゴスの方が大きいので体格差とも言える)

 ひょっとすると蕃神ばんしんとの戦争に駆り出されたキラメラ以外の氏族しぞくのショゴスが真なる世界ファンタジアに取り残され、そこから進化した種族という可能性もある。

 詳しく調べればわかるかも知れないが、それこそ藪蛇やぶへびになりかねない。

 揉めるのも嫌だからしばらく塩漬け案件だ。ショゴスの一件が片付いたら調査するのもアリだろう。時期を見計らうべきだ。

「恐らく――遙か昔から交流はあったのでしょう」

 レオナルドは簡潔かんけつ一言ひとことにまとめた。

「それが戦争という名の交流であったとはいえ、別次元から蕃神の手先として送り込まれた種族たちが帰る手段を失い、仕方なくこちらの棲み着いたこともあるでしょうし、その逆もまたしかり……だったはずです」

 真なる世界ファンタジアから別次元に渡った例もあったかも知れない。

 蕃神に連れ去られた者もいたかも知れないし、この世界にないものを求めて蕃神と取引を交わして別次元におもむいた者もいたかも知れない。

 実際クトゥルフ神話にも人間を魔物に変えたり、眷族の一員となるよう変身させる能力を持った旧支配者オールド・ワンが確認されている。

 何よりクトゥルフ自身、人間を眷族という名の魔物に変えるそうだ。

 変身する例を博覧強記娘フミカが通信で垂れ流していく。

『風の神性イタクァに攫われるとウェンディゴにされるし、アトラク=ナチャの娘っていう毒蜘蛛に噛まれると同じ毒蜘蛛にされるし、喰屍鬼グールと一緒に生活していると喰屍鬼グールになるし、アイホートのひなを埋め込まれるとアイホートの後裔こうえいになるし、グラーキの毒を注入されるとゾンビになるし……』

『意外とバリエーションがあるんだな』

 ツバサは変なところを感心してしまった。

(※アトラク=ナチャの娘に変身するのは女性限定。アイホートの後裔は人間の姿をしているが、その実態はアイホートの雛の群体ぐんたい

 他にもイスの大いなる種族と肉体交換された例もあるし(※五年経てば記憶消去で元に戻れる)、外側のアウトサイドもの・シング脳髄のうずいだけにされて宇宙へ旅立った例もある。

 来訪する者と旅立つ者――様々なドラマがあったことだろう。

「種とは世界の枠組みを超えて動くものです」

 良かれ悪しかれね、と適当てきとうにごしてクロウは嘆息たんそくした。

 そこからはクロウがレオナルドに代わり話を引き継いだ。

「地球でも人類や生物の伝播でんぱは大昔から繰り返されてきました」

 その土地固有の生物や植物は確かにある。

 だが数千年から数万年の歳月を重ねて、それらの種は大陸間をダイナミックに移動していく。場合によっては地球のプレートが動くことで大陸そのものが移動して生態系に変化を強いることさえある。

 新たな土地に適応てきおうして繁栄はんえいげた種もあれば、他の生物との生存競争や環境にそぐわないため絶滅してしまった種もいる。

 氷河期などの大規模な気候変動による淘汰とうたもあっただろう。

 陸続きでなくとも関係ない。

 鳥や虫に草花の種子……こういったものが風に乗って空を越えて海を泳ぎ、別の土地に辿り着いて繁栄したケースも確認されている。

(※例えばニュージーランド。生物史において恐竜の絶滅後、哺乳類ほにゅうるい台頭たいとうする前に大陸から孤立したニュージーランドはろくな生物がおらず、空を飛べる鳥類だけが辿り着けたため鳥たちの楽園となった。天敵がいない島で鳥類は生物的地位ニッチを独占。史上最大の猛禽もうきんハーストイーグルや大人しい巨鳥ジャイアントモアなどの大型鳥類から、飛べない鳥のキーウィや警戒心のないカカポといった様々な進化を遂げている)

「しかし、これらはあくまで自然現象です」

 クロウは一拍の間を置くと、そこから先を強調した。

「人類史において航海技術の発展とともに人為的じんいてきな種の伝播でんぱが問題視されてきましたが、それは真なる世界ファンタジアの神族や魔族も同じこと……かつて次元や宇宙を飛び越えて、様々な世界へ自らの因子いんしいていたそうですからね」

 酷い言い方をすれば――外来種がいらいしゅである。

 どこの次元でも知性体のやることは変わらないらしい。

 神族や魔族は自分たちの因子を受け継いだ種を他の世界で繁殖はんしょくさせようと目論もくろんでいたが、これも視点を変えれば意図的いとてきな外来種の放流だ。

 人類もまた世界の枠組みを飛び越えようとした経歴を持つ。

 宇宙や深海といった前人ぜんじい未踏みとう領域りょういきに踏み込んだのは現代からだが、太古の時代より新天地を求めて旅立った者は後を絶たない。

 その過程かていで行われた暗い歴史――やらかし案件あんけんは数知れずだ。

 未開の地への侵略、資源の略奪、他民族の奴隷化……これらは言わずもがな。

 人類史における汚点も然る事ながら、生態系を乱した例も数え切れない。

 大航海時代のこと。人々は食べ慣れた植物や家畜を別の土地へ持ち込み、現地で栽培さいばい繁殖はんしょくさせることで食生活の安定を計ろうとした。

 結果、生態系に大惨事だいさんじを巻き起こす。

 食肉用の羊が島の草を食い荒らして不毛ふもうに変えたり……。

 猫を持ち込んだらその島の固有種こゆうしゅである鳥を絶滅させたり……。

 犬を放ったら野生化して現地の生物を食い荒らしたり……。

「知らず知らず病原菌びょうげんきんを持ち込んだ船乗りが、耐性のない現地人に流行はやらせて壊滅させかけた話もあります。無知ゆえの悲劇と片付ければそれまでですが、なんにせよ種の移動とは世界や生態系に劇的な変化をもたらします」

 真なる世界ファンタジアでも似て非なることが起きていたのかも知れない。

 ただし、それは次元を越えるスケールでだ。

「キラメラ嬢。あなたの仰っていることは正しいのでしょう。この世界には別次元から漂着した蕃神由来の種族が暮らしているはずです」

 真なる世界ファンタジアは広い――無辺際むへんぎわと言いたくなるほど広大だ。

 そのどこかへ点在するように別次元からの種族が棲み着いたとしても、見落とすことは往々おうおうにしてある。神族や魔族も万能ではない。

『既に前例ぜんれいがあるのだから、ショゴスの亡命にも寛容かんようになってほしい』

 キラメラは暗にこう訴えているわけだ。

 免罪符めんざいふとした彼女の気持ちはわからないでもない。

 そこへクロウは「待った」を掛ける。

「結果的にこの地へ同化した種族はもはや対処たいしょ範疇はんちゅうではありませんが、新たに迎えるとなれば……どうしても慎重にならざるを得ません」

 しかつめらしく地球の歴史に触れたクロウの話はそこに帰結きけつした。

 ツバサが力でキラメラへの抑止力よくしりょくとなるならば、クロウやアハウは持てる知識を駆使して学術的な牽制けんせいを掛けるのが役目。

 二人とも嫌われ役を買って出てくれていた。

 交渉役であるレオナルドは前向きにキラメラの話を検討けんとうしつつ、それにクロウとアハウが「それはどうだろう?」と懐疑的かいぎてきせいする。

 あめむちを使って人心を揺さぶるのと似ている。

 そうやってキラメラの本心をあぶそうという算段さんだんだ。

「キラメラさん、あなたも地球にいたなら知っているでしょう」

 クロウの語りを継いだのはアハウだった。

 獣王神ながら人型を維持いじするアハウは、大柄な体躯たいくにはキツそうなスーツを着込んでいた。学者らしい丸眼鏡でインテリらしさを際立たせている。

昨今さっこんの人類は外来種がいらいしゅに頭を悩まされてきました」

 自業じごう自得じとくだがね、とアハウは丸眼鏡の位置を直しながら言った。

 外来種――本来ならばその土地にいない生物種。

 生物とは幾星霜いくせいそうの年月を掛けて世界中に広がっていくものだが、国際社会というインフラを築いた人類は、それをたった数年でやり遂げてしまった。

 人間の都合で別の土地へ運び込まれた生物たち。

 根付かずに終わればいいのだが、しぶとい生命力と旺盛おうせいな繁殖力から大繁殖をした結果、現地の生態系をメチャクチャにする外来種はいくらでもいた。場合によっては人間の生活圏せいかつけんすら脅かすようになった生物までいる。

「日本でも娯楽ごらく目的もくてきで放流されたブラックバスやブルーギル、愛玩動物ペットから捨てられて野生化したミシシッピアカミミガメなどが話題になりましたが、海外にも負けず劣らずの外来種が蔓延はびこっていると取り沙汰されましたからね」

(※意外と日本産でも海外で猛威を振るう外来種は多い。葛粉くずこの原料となるクズ、山菜や傷薬になるイタドリなどが問題視されている)

 外来種とは人間の都合で持ち込まれて、現地の固有種を駆逐くちくする勢いで繁殖する極めて不自然な行為だ。ある種の自然破壊といっても過言ではない。

 沖縄のマングースという失敗例もある。

(※沖縄はハブの被害に悩まされていた。そこでインドではハブの天敵とされるマングースを持ち込んで駆除くじょさせようとした計画。しかしマングースは昼行性ちゅうこうせいでハブは夜行性やこうせいのため滅多に遭遇そうぐうしない。マングースも危険を冒してまでハブを食べようとはせず、沖縄の稀少きしょう固有種こゆうしゅばかり食べられる最悪の事態となった)

 アハウは目を細めて険しくする。

「……移民や亡命にも同じ側面があることを御存知ごぞんじですか?」

「ええ、失敗談には事欠ことかきませんでしたわね」

 キラメラは人類の愚かさを哀れむような優しい声で答えた。

 ――国境を越えて民族が移動する。

 これは何万年も昔から繰り返されてきたことだが、現代においても移民政策の名の下に多くの民族が生まれ故郷から違う国へときょうつしてきた。

 移民が成功した例も少なくない。

 だが、わずかな成功例がかすむほどのトラブルが頻発ひんぱつする為体ていたくだった。移民と称した難民を受け入れたせいで財政ざいせい破綻はたんした都市もあるし、その責任を難民ごと国内外へ物理的に押し付けあう凄まじい醜態しゅうたいをさらすことさえあった。

(※物理的に押し付け=難民をまとめて送りつける)

 労働力や人口増を期待して移民を受け入れたが、その移民たちがやりたい放題したために治安ちあんが乱れたなんて話は日常茶飯事になりかけていた。

「日本も移民では多くの方々が苦い思いをされておりましたものね」

 移民関係の騒動はニュースにも度々たびたび取り上げられた。

 それらを思い返すようなうれいの瞳を投げ掛けてくるキラメラだが、アハウは諦念ていねんすらも投げ捨てた苦渋くじゅうのため息をついた。

諸外国しょがいこくに比べれば日本はまだマシだったのでしょう。事態に直面した当事者とうじしゃたちにしてみれば業腹ごうはらに違いありませんが……」

 私の言いたいことはわかりますか? とアハウは遠回しに訊いた。

 キラメラは微かに顔を前に傾けて首肯しゅこうする。

「亡命や移住と軽々しく口にしましたが……その果てに待ち受ける貴方方あなたがたと私どもの間に起こるであろう軋轢あつれきを心配していらっしゃるのですね」

 獣の王様? とキラメラはアハウに確認を求める。

杞憂きゆうめばいいのですがね……十中八九、悶着もんちゃくは起きるでしょう」

 アハウは丸眼鏡の奥で両眼を閉じると苦笑した。

「同じ人間同士ですらあれほど揉めたのです。信仰、宗教、肌の色、お国柄、生活様式、食生活、風俗、常識……民族が違えば相容あいいれない属性も多い。どれほど人類皆兄弟とうたおうとも、腹を割って親好を深めるのは難しいものです」

「種族が異なれば尚のこと……そう仰りたいのですね」

 キラメラは残念そうに嘆息たんそくした。

 彼女は日本暮らしが長いのか、レオナルドやクロウにアハウと話題も通じるし、話せば話すほど共感を持てる人柄を窺い知ることができた。

 しかし、その正体はショゴス・ロード。

 キラメラ自身はショゴス・クイーンと名乗っていたが、彼女を始めとしたショゴスは蕃神ばんしんサイドに属するまったく次元の異なる生命体なのだ。

 種族が異なるどころか、次元をまたいだ別の存在である。

 ゆえにショゴスの亡命を認めるのは即決しがたい。

 直接的な発言こそ控えたが、クロウとアハウは婉曲えんきょくにそう伝えた。

 キラメラは知識人たちからの反論に部分的な同意こそ見せたものの、千変せんぺん万化ばんかな表情には一貫いっかんして落胆らくたんの色を浮かべていた。

 ――嫌がらせをしているわけではない。

 知識人たちの知る歴史から移民や亡命、新種の生物を別の土地に持ち込む危険性をいた上で、キラメラに「解決策はありますか?」とうているのだ。

 ちなみに五神同盟こちらからの提案はできている。

 軍師レオナルドを筆頭ひっとうにクロウとアハウ、それに頭脳役ブレーンが務まる面々が通信網を介して話し合い、簡単ながら草稿そうこうを仕上げていた。

 キラメラが返答へんとうきゅうしたら、こちらから持ち出す予定である。

 その前にキラメラから妙案みょうあんが提出されれば、こちらの案と比較ひかく検討けんとうすることで双方の妥協案だきょうあんを突き詰めるつもりである。

 少し気が引けるがキラメラを試しているわけだ。

 怪僧ソワカの「試すとは不遜ふそん行為こういです」を思い出して罪悪感を覚えなくもないが、好意的とはいえ蕃神サイドの種族に油断はできなかった。

「私――思いますの」

 キラメラは神妙な面持ちで切り出した。

 顔を上げてレオナルドたちを見据えながら臆せず語り出す。

「移民にしろ亡命にしろ外来種にしろ、そこに失敗を見出すのであれば、その原因は複数挙げられます。無知、不理解、不勉強、準備不足、無試験……後先考えず、識者しきしゃやお偉いさんの思い付きで行き当たりばったり。移される者たちやそれを受け入れる土地やそこに生きる人々への配慮はいりょ不足ぶそく……etc.エトセトラ

 失敗談に事欠かないなら――そこから学んで改めればいい。

 キラメラは空にした両手を持ち上げる。

「差し当たって五神ごしん同盟どうめいの皆さまと私たちと相互理解を深めるべく、試用しよう期間きかんから始めたいと進言いたします……おまえたち」

 パンパン! と肉塊のお嬢さまが手を叩いた。

 動いたのは従者じゅうしゃとしてキラメラに付き添う小型メイドたちだ。

 無論、彼女たちもショゴスである。

 完璧に人間へと擬態ぎたいしているためスライム的な要素はどこにも見当たらない。だが何らかの理由があるのか、スケール感がちょっとおかしい。

 人間の幼児くらいしかないのだ。

 頭身はそこそこあるし、顔立ちや所作しょさもしっかりしている。

 全体的な小ささと見た目の造詣ぞうけいがアンバランスなため、大きめの愛玩人形ドールのような印象を持ってしまう。実際、みんなお人形さんみたいに可愛いのだが。

 お嬢さまの後ろに控えていた10人の小型メイド。

 キラメラの合図に応じて二手に分かれると、彼女の左右に5人ずつ並んで両手を前に重ねると、レオナルドたちにペコリとお辞儀じぎをしてきた。

 彼女たちが前に出てきた意味を察する。

 そう来たか・・・・・! とツバサたちは誰もが感心した。

 雑用を命じるために連れてきたメイドではない、とようやく理解できた。

「まずは――この子たちを預かっていただけますかしら?」

 キラメラは長い両腕を広げ、自慢するように小型メイドたちを紹介する。

 実際、移り変わる彼女の表情は誇らしげだった。

「この子たちには地球からいらした貴方方あなたがたがよく知るメイドの業務を一から十まで叩き込んであります。一般的な仕事は勿論パーフェクトにこなし、皆さんと縁深い日本独自のメイドのお作法さほうもすべて習得しておりますのよ」

 フフ~ン♡ とキラメラは鼻高々はなたかだかである。

「「「日本独自のメイドって……」」」

 しかし、知恵者トリオは白目で口を半開きにしていた。

 日本人好みのメイドと聞いて悪い予感が脳裏のうりよぎったらしい。

 いわゆる萌え文化に染まったメイド像だ。

 かなり偏見へんけんかも知れないが、メイド喫茶やアニメなどを発祥はっしょうとしたオタク好みの仕種しぐさをするメイドを想像したのだろう。ツバサも想像してしまった。

 パチン! とキラメラが指を鳴らす。

 その合図に小型メイドたちは一糸乱れぬ挙動きょどうであるポーズを取った。

 ちまたでは“萌え萌えキュン♡”で知られるポーズだ。ちゃんと愛らしい笑顔を振り撒くし、どういう原理か♡を散りばめたエフェクトまで光っている。

 しっかり萌え文化をインストールされているようだ。

 キラメラもドヤ顔で誇らしげである。

 人類との共存を押し進める上で融和的ゆうわてきに受け入れてもらうため、ショゴスたちなりのサービス精神せいしん一環いっかん。そう好意的に受け取っておこう

 こちらの平和的な狼狽ろうばい余所よそにキラメラは言い募る。

「最初は両者の性質を知るための準備期間が必要かと思います」

 その顔はブレがなく真剣なものだった。

「そこからお互いの社会をわかり合い、双方の文化を学び合い、各々の人権を認め合い……階段を踏み上るように進んでいくべきなのです」

 ショゴスの亡命を認可にんかしてもらうための手順てじゅん

 10人の小型メイドたちはその先駆さきがけとなるわけだ。

「そのためにもこの子たちをメイドとして雇っていただき、労働意欲に長けた我らショゴスの有用性ゆうようせいと、こちらの世界の皆さまと手に手を取って平和的にやっていける共存の未来を見出していただきたいのです」

「なるほど、これが相互そうご理解りかいのための準備というわけですね」

 レオナルドは感服するように合いの手を入れた。

 概ねだが――彼女の発案は五神同盟で考えた提案と近いものだ。

 こちらの案ではキラメラに一押しのショゴスを数名選抜してもらい、交換留学生よろしく真なる世界ファンタジアで過ごさせるというものだった。

 五神同盟の各国で預かり、真なる世界での生活を学んでもらう。

 無論、監視を兼ねた監督役をつけるのも忘れない。

 小型メイドたちの立場は、この交換留学生に相当するだろう。

 五神同盟の各国にはそれぞれメイド長やそれに準ずる役を担う人材がいる。彼女たちに任せれば問題ないはずだ。

 クロコ、ホクト、マルミ、マヤム、ジン。この辺りの顔が思い浮かぶ。

 マヤムとジンはメイドでこそないが面倒見が良く、陣営内の家事を一通り受け持っているので、クロコたちメイド長三人衆と同列に並べていいだろう。

 ジンも時折、メイド服で炊事洗濯をやってるらしい。

 その度にミサキやハルカにどつかれているそうだが……。 

 ――彼女たちは全員LV999スリーナイン

 小型メイドたちが何か為出かしても抑え込める。

 小型のレッサー・旧支配者オールド・ワンなキラメラはともかく、普通のショゴスならばLV999スリーナインの敵ではない。仮にも蕃神サイドの種族なので危機管理は欠かせなかった。交換留学生を装った間諜スパイという可能性も捨てきれないからだ。

 キラメラには悪いが、まだ全幅ぜんぷく信頼しんらいを寄せられない。

 準備段階としての試用期間を申し出てくれたことは評価したいが、こちらの油断を誘うための策略かも知れないと用心に用心を重ねる。

 だから、小型メイド10人を預かる提案も検討けんとうさせてもらう。

「ふむ……私は悪くない案だと思います」

 皆さんは如何いかがですか? とレオナルドは意見を求めた。

 この場合、皆さんとは交渉こうしょう会談かいだんに出席している冥府神クロウと獣王神アハウに呼び掛けたのみならず、五神同盟の各代表にも問い掛けていた。

 通信網に乗せれば造作ぞうさもないことだ。

 クロウとアハウは条件付きで賛成、ミサキやジェイクも条件を聞いた上で賛成だという。ヒデヨシは賛成でレオナルドの判断に任せるとのこと。バンダユウも賛成だがツバサに任せると判断を委ねてくれた。

 ショウイ経由で源層礁げんそうしょう庭園ていえんにも確認したところ、こちらからもほぼ賛成の返事が返ってきた。どうやらショゴスの生態に興味があるらしい。

 さすが生粋きっすいの研究者集団。探究心という憧れが止まらないようだ。

 そして――水聖国家オクトアードとエンテイ帝国。

 それぞれの代表であるヌン陛下と猛将キョウコウは不承ふしょう不承ぶしょうだった。

 これは致し方あるまい。

 彼らは真なる世界ファンタジアで生まれ育った現地人。蕃神ばんしんにこれでもかと辛酸しんさんめさせられた過去がある。キラメラ率いるショゴスの一族に直接何かされたわけではないだろうが、いい顔をして歓迎できるわけがなかった。

 ――坊主ぼうず憎けりゃ袈裟けさまで憎い。

 心境的にはこれが近いはずだ。ツバサもよくわかる。

 返答へんとうきゅうしたものの、最終的にカエルの王様と鎧親父は結論を出した。

『気持ち的には反対じゃが、ツバサ君に委任いにんさせてもらおうかの』
到底とうてい賛意さんいを示せぬ話だが爆乳小僧ツバサが許すなら……この一件いっけん委任いにんする』

 ――オヤジたちのツバサへの信頼が重い!

 面倒臭いから投げたわけではない。彼らなりに苦慮くりょした決断けつだんだ。

 心情的には大反対だが、老いぼれロートルが口を出すのもはばかられる。ならば真なる世界ファンタジアの未来を担うべき若者に判断を任せる……という心積こころづもりのようだ。

 清々しいほど老害ろうがいとは無縁むえん老将ろうしょうたちである。

 自分も年を取ったらこうなりたいものだ、とリスペクトしたい。

 任された若者は責任重大だが……。

 メイド姿のツバサは先の騒動から部屋へやすむではなく、レオナルドたちの近くへはべるように立ち尽くしているのだが、口を真一文字につぐむとほほを膨らませて両眼を見開いて冷や汗をタラタラ流してしまった。

 クロウやアハウが心配そうに顔色を窺ってくる。

 人類も移民問題については何千年も議論を重ねてきたが、その片鱗へんりんを味わわされた気分だ。これは理屈りくつじゃない、感情面かんじょうめんに先立つところが大きい。

 昨日の敵は今日の友――そう簡単には行かない。

 呉越ごえつ同舟どうしゅう机上きじょう空論くうろんだ。

 一時いっときは手を結んでも、舟を下りればすぐ不倶ふぐ戴天たいてん間柄あいだがらになりかねないし、土壇場どたんばに陥れば舟の上でも乱闘を始めておかしくはない。

 殺し合いをした敵と握手を交わすことのなんと難しいことか……。

 蕃神を向こうに回して戦ってきたヌンやキョウコウにしてみれば「敵軍の難民を受け入れる」と説得されるも同然である。

 キラメラたちに罪がなくとも、心理的に融通ゆうづうできまい。

 それでもツバサを信じて投票権とうひょうけんを託してくれたのだから、国としてはショゴスとの交渉を前向きに考えていると捉えていいだろう。

 ただ、個人的に蕃神ばんしんに連なる種族に心を許せないだけなのだ。

 彼らの気持ちをんだツバサも賛成に一票を投じる。

 かつてない重みを感じる賛成だった。

 その責任が重いからこそ、ショゴスの小型メイドを受け入れるための条件を厳重にしなければならない。その条件についてはクロウが考案こうあんしてくれた。

 レオナルドがキラメラの案を飲む前にそれを提示ていじする。

ふたつ・・・――条件があります」

 肉塊のお嬢さまに眼窩がんかを向けたクロウは骨の指を二本立てた。

 ピースサインにも似た指にキラメラも反応する。

「こちらへの移住のテストケースとして彼女たちの身柄をお預かりするならば、五神同盟の各国で受け持ちたいと思います。なので一国で二人ずつ預かり、定期的に交代する……そのような形式でもよろしいでしょうか?」

 これはリスク分散ぶんさんのためだ。

 そんなことはないと思いたいが、一ヶ所に集めておいて十人掛かりで悪事あくじでも働かれたら大惨事だいさんじになりかねない。そうした懸念けねんへの対処たいしょである。

 二人ならば監視の目も行き届きやすく、悪さをするすきも与えない。

 監督するにしても十人の世話を焼くより楽だろう。

「ええ、構いませんことよ」

 キラメラはあっさり承諾した。どうやら織り込み済みのようだ。

 メイドとして雇ってほしいと推薦すいせんしてきたのだから、一国でまとめて面倒を見てもらうより、複数の場所で働かせて万遍まんべんなく評価ひょうかさせたいのだろう。

 十人という人数も五神同盟を意識したのかも知れない。

 カタリ、と頭蓋骨ずがいこつを頷かせたクロウは中指の骨を折り畳んだ。

「今の条件がひとつめです。ふたつめの条件は――」



 キラメラ嬢がメイドたちの働きぶりを視察に来ること。



「定期的な訪問をお願いします。そうですね……月一つきいちでどうでしょう?」

「…………へ?」

 この条件は予想外だったらしい。

 第一の条件は想定していたようだが、第二の条件はどんな難癖なんくせを付けられるのかと警戒していたキラメラは、まさか「毎月部下の様子を見に来なさい」と誘われるとは夢にも思っていなかったらしい。

 彼女には小さきレッサー・旧支配者オールド・ワンという自覚がある。

 それだけの力ある者を定期的に自国へ招く、とクロウは勧めてきたのだ。敬遠けいえんされると思っていたキラメラは驚きを隠せずにいた。

 大きく見開いた瞳をパチクリさせている。

「それが……第二の条件? よ、よろしいんですの!?」

「構いません。了承りょうしょうしていただけるのなら、訪問時にあなただけ次元を超えられるように手配いたしましょう。我々と連絡を取り合う手段も含めてね」

 クロウは好待遇こうたいぐうとも言える条件の内容を明かした。

 第二の条件には二つの意図がある。

 ひとつは五神同盟の懐が深く広いことを示し、ショゴスの女王であるキラメラに真なる世界ファンタジア往来おうらいを許可する。毎月の訪問を兼ねて交流会でも開催すれば、お互いの信頼がより深まると期待してのことだ。

 もしもキラメラと彼女たちショゴスが真の共存を望むならば――。

 この訪問はその一助いちじょとなるだろう。

 もうひとつの意図は、彼女が悪意を秘めていた場合に発露はつろする。

 もしも亡命や移住を装って真なる世界ファンタジアへの密やかな侵攻を企んでいた場合、こうした頻繁ひんぱんな付き合いを重ねていれば実情が露呈ろていしやすい。

 むしろボロを出すように仕向ける。

 悪意や敵意があるならば、交流を重ねるうちに自然と滲み出す。

 そこを見逃すほどツバサたちも甘くはない。

 うちには優秀な情報処理姉妹もいるし、興信所こうしんじょ顔負けの偵察員を軍団で抱えている情報屋もいる。彼らの走査スキャン分析アナライズを逃れる術はない。

 キラメラの心中を見極めるリトマス試験紙みたいなものだ。

 良い方向に働くならば蕃神でも分かり合える前例となるし、悪い方向に働くならば「蕃神死すべし慈悲はない!」と敵対関係が悪化するまでだ。

「では、その二つの条件を加えて――」

 パチリ! と軍師レオナルドが革手袋かわてぶくろめた指を鳴らした。

 テーブルの上に現れたのは二枚の契約書。それぞれレオナルドとキラメラの前へ署名を求めるように置かれている。書面の内容はどちらも同じだ。

 ぱっと見は雇用こよう契約書けいやくしょだった。

「共存への道、その一歩を踏み出す簡単な契約を結んでみましょうか」

 ツバサたちは通信にて確認済みである。

 キラメラは手に取ると熱心に読み込んでいた。

「今回はあくまでも初顔合わせ……ショゴスの皆さんの亡命に向けての交渉第一回ということで本格的な契約は控えておきましょう。ですので、そちらのお嬢様方を五神同盟で雇い入れる雇用契約のみに留めておきたいと思います」

 レオナルドは小型メイドたちを掌で指し示した。

「移住への準備……そのための試用として認めていただけるのかしら?」

 返すキラメラの言葉はほのかな喜色きしょくを含んでいた。交渉が前に進んだことを素直に喜んでいるのを隠しきれないようだ。

 更なる喜びが募るのか、だんだん口調が興奮してくる。

「しかもこの契約書……完全週休二日制、一日八時間労働厳守、残業なし、三食おやつ付きのまかないありで寮完備、年二回の賞与、働き方次第では昇給昇格もあり、その他福利厚生も充実……なんて、なんて……ッ!」

 ホワイト企業ですのぉー!? とキラメラは歓喜かんき絶叫ぜっきょうを上げた。

 ……食い付くところはそこなんだ。

 創造主である古のものエルダー・シングの元では、ブラック企業も裸足はだしで逃げる重労働を強いられていたそうだが、その記憶が遺伝子に刻み込まれているのかも知れない。

 この就業規則でここまで喜んでもらえるとは思わなかった。

 キラメラも大はしゃぎだが、大人しくしていた小型メイドたちも口元をほころばせて契約書の文言を嬉しそうに呟いていた。

 レオナルドは一度手を合わせると両手を開いた。

 手の内を見せるようにだ。

「ええ、我らも前向きかつ建設的に考えることにしました」

 蕃神であっても話が通じるなら話し合うべきだし、共に手を取り合える隣人りんじんになれるのならば共存の道を探る。その道は人類史が歩んだ移民の歴史よりも艱難かんなん辛苦しんくが待っているかも知れないが……。

模索もさくする価値はある――と私からも提言ていげんさせていただきます」

 これはレオナルドの意見であり、同時に五神同盟の総意でもある。

 基本的に若い世代はポジティヴに捉えていた。

 人間に擬態ぎたいできる礼儀正しいショゴスを目の当たりにし、フィメルスライム族を始めとした知性ある不定形種族を知っているからだろう。

 だが、五神同盟すべてが全面的に賛成というわけではない。

 真なる世界ファンタジア生まれで蕃神に侵略された経験を持つヌン陛下や猛将キョウコウは不快感を拭いきれない。それでも「未来は若い者たちにゆだねる」とショゴスの亡命や移住に関する計画について黙認もくにんしてくれていた。

 念のため――御意見番ごいけんばんにも訊いてみた。

 聖賢師リシノラシンハ・マハーバリー。

 彼もまた生粋きっすい真なる世界ファンタジア生まれ。現地人の生き残りで生き字引だ。

 三世を見通す眼トリヴィクラマという強力な未来視みらいしをできる能力を持つ予言者でもあるので、ショゴスとの今後の付き合いが上手く行くかも占ってもらう。

『俺はあんま連中に忌避感きひかんないなぁ』

 通信に出たノラシンハは、始めにショゴスに対する所感しょかんを述べた。

 さすが破壊神ロンド養子むすこにしたおとこ。協力を求めてきた相手がたとえ蕃神であろうと受け入れるふところの深さを持っているようだ。ちゃんと根拠もあるらしい。

こん眼・・・性根しょうねも探ったが真っ当なもんや』

 ショゴスの権利が認められた地で、ただただ平和に暮らしたい。

 本当にそれだけを願っているという。

『そんで訊かれた件やけどな、そんお嬢様のねーちゃんと交渉してショゴスを移住させた場合、真なる世界ファンタジアが平和に存続そんぞくする可能性は7割前後、残りの3割は蕃神に負けたり揉めたりする厄介やっかいな未来になりそうやな』

『前に聞いた未来の可能性からそこまで大きな変動はないな』

『せやから“なんとかなる”とちゃうかなぁ』

 知らんけど、と隠居爺いんきょじじいは小指で鼻をほじる音をさせていた。

『そこはもうちょっと発言に責任持ってくれよ予言者』

 ツバサが苦言を呈しても何処吹く風だった。

『予言はどない頑張ったって予言やもん。当たるも八卦はっけ当たらぬも八卦はっけ、確定的明らかとはよういかんわ。頼るにしても気休め程度にしとき』

 未来をどうしたいかは――自分で気張きばるしかない。

『そのキラメラやったか? ショゴスの嬢ちゃんも安住の地を探すんに積極的みたいやさかい、上手いこと付き合えば互いの利も見えてくるやろ』

 俺から言えるのはそれだけや、とノラシンハは助言じょげんを打ち切った。

 どうやら悪い方向へは傾かないらしい。

 もしも最悪の未来が見えていれば、ノラシンハは全力で回避する。表面上は普段通りのらりくらりしてても、ちゃんとした忠告ちゅうこく寄越よこすはずだ。

 ――油断せずにやればええんちゃう?

 アドバイスが終始しゅうしこれに落ち着いていたところから、ショゴスの移住を受け入れた未来に致命的ちめいてき破滅はめつは訪れないようだ。

『……というわけだ軍師殿、粛々しゅくしゅくと契約を進めてくれ』

『了解。後はあちらの保護者であるキラメラ嬢がOKするだけだね』

 ツバサは通信でレオナルドに促した。

 小型メイドたちの雇用契約書を熟読じゅくどくしたキラメラに、念のためレオナルドの手にある契約書にも目を通してもらう。細工でもされていたら一大事、こうしたチェックはおろそかにしてはいけない。

「……互いの組織に不利益ふりえきこうむらないことを誓う、ですわね」

 契約書最後の一文をキラメラは呟いた。

「わかりました……これが偉大なる一歩になると信じましょう」

 肉塊のお嬢さまもこの契約けいやく承諾しょうだくしてくれた。

 すると契約書の脇に一本の万年筆が現れる。同じ物をレオナルドが手にしているのを見つけた彼女は無言のまましっかり頷いた。

 再び契約書を交換すると、二人は同時に筆をって署名しょめいする。

 こういう時、五神同盟の代表であるクロウかアハウがするべきなのだが、交渉の場を取り仕切ったレオナルドに全権を委任することにした。

 最後に署名後の契約書をお互いに目視もくしで確認。

 念には念を入れて、この場に居合わせたアハウやクロウにツバサ、そして小さなメイドたちにも不備ふびがないかチェックしてもらう。

 誰の目から見ても問題はなかった。

 起立したクロウとキラメラは歩み寄って握手を交わす。



 ここに――ショゴス移住計画を推進すいしんする一歩が刻まれた。



 握手を交わした後、感極まったキラメラが熱烈ねつれつ抱擁ハグでレオナルドを超乳に埋めようとしたため、総掛かりで仲裁ちゅうさいに入ったのは別の話だ。

「キラメラ嬢ストップです! またレオナルド君が窒息ちっそくしてしまいます! ああ、そんな胸をスライム状にして……本気で取り込んでませんか!?」

「タップしているから止めてやってくれ! おっぱい星人な彼にしてみれば本望かも知れないが、地球ではタップ=ギブアップだから!」

「テケリ・リ! お嬢様またもご乱心! テケリ・リ!」
「いけませんお嬢様! ダイレクトに殿方とのがたの遺伝子を取り込むのはNGです!」
「もー! 惚れっぽい上に一途いちずなんですから! テケリ・リ!」

 メイド姿のツバサは愉快ゆかいなドタバタ劇を傍観ぼうかんさせてもらう。

 ――レオなら死なんやろ、多分。

 悪友への信頼あればこそ傍観を決め込めるのだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 最初に10人の小型メイドたちを雇う。

 主に神族や魔族の身の回りの世話をしてもらう予定だ。真なる世界ファンタジアでの生活を学んでもらい、ツバサたちもショゴスという種族を知る努力をする。

 まずはお互いを認め合うところから始めよう。

 ここまでが第一段階――。

 彼女たちの働きぶりに問題がなければ、機会を見て新たに労働力としてショゴスを50人ほど雇用こようする。彼らには亜神族デミゴッドとともに国土こくど造成ぞうせい領地りょうち防衛ぼうえいの任についてもらい、こちらの世界の住人と交流を深めてもらう。

 スプリガン族や鬼神キサラギぞくならばショゴスを制圧することも無理ではない。

 その力量を見越して亜神族に監督役を任せる。

 ここまでが第二段階――。

 この段階でも特に問題がなければ、数百人のショゴスを移民として試験的に受け入れる。各国へ均等きんとうに振り分け、一般国民として普通に生活してもらう。各種族の代表にはそれとなく伝えておくが、諸事情しょじじょうおおやけにしない。

 前述ぜんじゅつしたとおり、余計な緊張感を生みたくないからだ。

 ここまでが第三段階――。

 この第三段階を何回か繰り返して徐々じょじょに移民を増やしていき、ショゴスがいるのが当たり前くらいの風景になれば、正式にショゴスの亡命を認定する。

 キラメラを種族代表と認め、五神同盟に迎える予定だ。

 早くても10年前後――あるいは数十年のスパンを費やす計画である。

「私としても焦燥感しょうそうかんはありますが……気を急くあまりこと為損しそんじては元も子もありませんからね。気長にお付き合いいただければ嬉しいですわ」

 キラメラははかなげに本音を吐露とろした。

 第一回の交渉は無事終わり――場所は議事堂ぎじどうの玄関前。

 キラメラは眷族けんぞくの待つ別次元へ帰るというので、レオナルドたちも見送るために玄関まで出てきたところだ。議事堂を背に立ったツバサたちの前には、見上げるほど高身長のキラメラが楚々そそとした振る舞いで立っている。

 やはり3mの巨大お嬢様は立つと迫力があった。

 小型メイドたちは名残惜しそうにキラメラの周りに集まっている。

「お嬢様どうかお達者たっしゃで……風邪かぜなど引きませぬように……ううっ!」
「私たち一生懸命お仕事に励みます! ショゴスの地位向上のためにも!」
「一家に一人ショゴスメイド! くらいに流行はやらせてみせますから!」
「ウチのメイドは不定形! それが当たり前になるくらいにしてみせます!」
「地球でつちかってきた技術、思う存分発揮してまいります!」

 口々にやる気に満ちた意欲いよくを発する小型メイドたち。

 キラメラはかがめると、愛おしそうに彼女らをを抱き寄せた。

「我らが同盟を結ぶに足る種だと知らしめるのですよ……」

 がんばりなさい、と一人一人抱き直しながらほおずりをする。ショゴスにも家族や親子の情に相通あいつうずるものがあると感じさせる瞬間だった。

「では……長々とお邪魔してしまいましたね」

 小型メイドたちとの別れを済ませたキラメラは立ち上がった。

 そしてレオナルドへ歩み寄ると、超乳の谷間から取り出した一枚のカードを手渡した。同じものをクロウ、アハウ、そしてツバサにも渡してくる。

 大きさは名刺サイズ、魔法銀ミスリルに似た素材で作られていた。

 すぐさま分析系技能アナライズを走らせたレオナルドは、その正体を看破かんぱする。

「これは……通信機ですね」

「さすがレオ様♡ お察しの通りですわ」

 キラメラは自分用のカードを人差し指と中指の間に挟んでおり、そこに伝えたいメッセージが浮かぶと、ツバサたちのカードにも文字が現れる。

『あーテステス、マイクのテスト中ー』

 ちゃんと日本語だ。わかっていらっしゃる。

 しかし、もうちょっとテストに適した文言もんごんはないものか……。

「持ち主が頭に浮かべた言葉を百文字くらい同じカードを持つ者へ送る簡単な通信機器です。これなら次元を越えてメッセージをやり取りできますわ」

 なるほど、とクロウは眼窩がんかでカードを見つめている。

「訪問に際してこれ・・で連絡を取り合うわけですね」

「はい、キラメラこちらから訪問する予定を確認させていただきますので、その時は私が通れるだけの小さな“門”ゲートを開けていただければ助かりますわ」

 初登場の際、キラメラは小さな穴を潜り抜けてきた。

 不定型な肉体を持つショゴスだからできる芸当げいとうだ。余計に次元の裂け目を開けることもないので、五神同盟としてもありがたい申し出である。

 カードを走査スキャンしても通信機以上の性能はない。

 キラメラの月一訪問のためにも連絡は必要不可欠。せっかくなのでこのカードを使わせてもらおう。他に連絡手段が見付かればそれはそれだ。

 カードを乳房の谷間に仕舞ったキラメラは姿勢を正す。

 りんとした面立ちは女帝とたたえるに相応しい威厳いげんかもしていた。

「この度は深きものどもディープ・ワンズへの大勝たいしょう――おめでとうございます」

 お辞儀じぎをしたキラメラは五神同盟の戦勝せんしょう言祝ことほいでくれた。

 こういう律儀りちぎさは人間さながらだった。

「民への被害を最小限に抑えながらも、見事な大勝利を収めた皆様方みなさまがたに心からお祝い申し上げます……そして、そのいくさのおかげで、多くのうら若き同族を救い出せたことに感謝の弁を述べさせていただきます」

 ありがとうございます、とキラメラは深々とこうべれていった。

 次に顔を上げたお嬢様は朗らかな笑顔で別れを告げる。

「我が子たちをどうか……どうか、よろしくお願い致しますね」

 一瞬――彼女の顔に母親の情がよぎる。

 彼女は自分をして「数多あまたのショゴスを産んだショゴス・クイーン」と称していたので、きっと小型メイドたちも血肉を分けた子供なのだろう。

 愛する我が子をまだ交渉中の陣営じんえいたくす。

 人質を預けるにも等しいが、そこに彼女の覚悟が透けて見えた。

 この移住計画がトントン拍子ひょうしで進めばいいのだが……とツバサの内なる母性本能ハトホルが共感を覚えたことは黙っておこう。

 ヴィクトリア朝を連想させる豪奢ごうしゃなキラメラのドレス。

 そのすそがトロトロ溶けていき、一筋の糸となってどこかへ消えていく。

 目を凝らして行く先を追ってみれば、彼女が次元を越えてきた小さな“門”ゲートがまだ生きており、そこへ巻き戻るように吸い込まれていた。肉塊の一部をつっかえ棒にして、閉じかけの“門”を保持していたらしい。

 それは本来、ミロの過大能力オーバードゥーイングで封じられるべき次元の裂け目。

 世界の戻ろうとする矯正力きょうせいりょくに抗う力。

 それを平然と行える実力の持ち主。小さなレッサー・旧支配者オールド・ワンも侮れない。

 少しずつ体積を減らして消えていく彼女を静かに見送る。

「あ、すいませんキラメラ嬢」

「はいはいはい♡ なんでしょうかレオ様♡」

 空気を読まずにレオナルドが呼び止めると、キラメラは一瞬で元に戻った。瞳にはハートを宿しており、ピン色のハートをエフェクトで飛ばしまくりだ。

 ツバサたちはズッコケたが軍師は構わずに続ける。

「最後にひとつだけよろしいでしょうか?」

 人差し指を立てたレオナルドは意味いみ深長しんちょうに問い質していく。

「あらあらあら♡ 私の大ファンな名刑事さんそっくりの台詞せりふでなんて……ひとつと言わずふたつでもみっつでもおきになってくださいな♡ 私のことでしたら、もっと大胆だいたんにプライベートなことまで踏み込んでよろしいんですのよ?」

 それで――おきしたいことは何かしら?

 冗談めかすキラメラだが、レオナルドの質問が重いことに気付いている。

 核心かくしんを突くような話題に違いないと踏んでいた。

「先ほどの話を蒸し返すようで恐縮きょうしゅくなのですが、キラメラ嬢あなたが亡命を持ち掛けたのは我々だけではありませんよね? 他にどのような組織と交渉を?」

 それは五神ごしん同盟どうめいとしても気になるところだ。

 明言めいげんこそしていないものの、キラメラが他の組織とも亡命について交渉したのはほぼ確定。それらの交渉があまり上手く行っていないことも彼女の言動げんどうからなんとなく読み取れている。そこはご愁傷様ごしゅうしょうさまと言うしかない。

 ツバサたちが知りたいのは――交渉した先についてだ。

 五神同盟以外にも真なる世界ファンタジアで活動する組織。

 どの大陸を拠点としているのか? 友好的か敵対的か? 規模は大きいのか小さいのか? 現地人の国家なのか地球人プレイヤーによるコミュニティなのか? 

 その他諸々……知りたいことは沢山ある。

 当の組織と接触する前に情報を仕入れられれば御の字だ。

「えーっと……個人情報の保護とかありますわよね?」

 レオナルドからの問い掛けに難色なんしょくを示したキラメラは、地球での一般常識を口にして言葉ことばにごした。これまで交渉した組織への気遣きづかいが垣間見かいまみえる。

 どうやら守秘しゅひ義務ぎむなどに重きを置いているようだ。

 レオナルドへの恋心から喋ってくれるかと思いきや「それはそれ、これはこれ」と越えてはいけないラインの線引きができているらしい。

 ……このお嬢様、やっぱり蕃神ばんしんとは思えないほどまともだった。

 そこで軍師はほくそ笑みながら譲歩じょうほする。

「なに、すべてを明かしてもらう必要はありません。ほんの触り程度の印象でもいいのですよ。たとえば……どの組織とどのくらいまで交渉できた、とか」

 わずかでもいいから情報を入手できればめたもの。

 軍師的にはそんな心算しんさんなのだろう。悪人顔が活き活きとしていた。

「うーん……まあ、それくらいでしたら……」

 キラメラは逡巡しゅんじゅんしたものの、テヘペロと愛らしい表情に切り替える。

「レオ様♡ たっての頼みですものね。よろしくてよ♡」

 キラメラはこれまでの交渉先について、少しだけ明かしてくれた。

 彼女が亡命を持ち掛けた組織は――3つ。

「ひとつめはけんもほろろに追い返されましたわ……」

『私の築く未来・・にあなたたちはいりません』

 そんな冷たい言葉とともに追い払われたという。『未来』という単語を強調するところに、ドラクルンの変態親父を思い出してしまう。

 ……存外ぞんがいあの王様野郎なのかも知れない。

「もうひとつはそれどころじゃないと素気すげなく断られましたわ……」

『悪いけど立て込み中なんだ! 君らの居場所いばしょ確保かくほする余裕よゆうもない!』

 多少なりとも言葉遣いにキラメラへの敬意を感じられるから悪い人物ではなさそうだが、ショゴス一族を受け入れる余裕もないようだ。

 しかし立て込むとはなんだろう? 戦争でもしているのか?

「そして、みっつめはとても好意的に受け入れてくれたのですが……」

「……ですが?」

 首を傾げたレオナルドが言葉尻を繰り返す。そんな彼から顔を背けたキラメラは眉間みけんしわを寄せると、音が聞こえるくらい歯軋はぎしりを鳴らした。

アレ・・は……私どもの沽券こけんに関わりますわ!」

 アレ・・の存在を我々は許容きょようできませんの! とお嬢様は怒りを露わにした。

 全身の肉塊を沸騰ふっとうさせるほど激怒している。

『移民大歓迎! 是非とも俺の国の民になってくれ!』

 3つめの交渉相手はショゴスの移住に積極的で、両手を広げて「ウェルカム!」状態だったらしいのだが、キラメラからお断りしたという。

 その最たる原因がアレ・・だそうだ。

「国民として迎えられるのが条件でしたが、ショゴスわれわれの人権も認めていただきましたし、種族としての独立性も約束されて……とても好条件な優良物件と思われたのですが……アレ・・が! アレ・・だけは認められませんの!」

 ――絶対にアレ・・を許せませんわ! 

 かつてない嫌悪感けんおかんを剥き出しにしてキラメラは拒絶きょぜつひょうした。

 交渉先によっぽど受け入れがたい存在がいたに違いない。

 人間がゴキブリを毛嫌いするどころではない。見掛けたら即座に殺さなければならないという宿命を感じさせる強烈な憎悪をたぎらせていた。

 ドレスの形状が戦闘モードに変わるほどだ。

 まずスカートから何十本もの野太い触手が飛び出してきた。

 触手しょくしゅたちはむちのように振るわれ、その先端に大振りなかまが研ぎ澄まされる。ワナワナと戦慄せんりつする五指ごしかまのような鉤爪かぎつめになっていた。

 鬼気迫る笑みには頬白鮫ほおじろざめ顔負けの牙が並ぶ。

 お嬢様ブレイク! と小型メイドたちの声でキラメラは我を取り戻す。

「ハッ……し、失礼いたしました。大変お見苦しいところを……」

 コホン、と咳払せきばらいしたキラメラは、戦闘モードに変形した肉体を元のお嬢様に整えながらも、そのまま身体を解きほぐすようにして消えていく。

 怒りで取り乱したことを恥じているらしい。

 穴があったら入りたい、そんな心境しんきょうなのかも知れない。

 だからなのか肉塊を一筋の糸に変えたキラメラは、小さな次元の裂け目へスルスルと飲み込まれていく。今度こそ別次元へ帰って行くようだ。

 ちなみに――ショゴスは別次元でも生きられるという。

 深きものどもディープ・ワンズ移動要塞イハ=ンスレイほどではないが、一族が生活できるだけの安全圏あんぜんけんを確保しているそうだ。ただし、規模的には大したことないらしい。

 だからこそ新天地を求めて止まない。

 亡命を求める理由のひとつがこれだそうだ。

「そんなわけでして……どの組織も一筋縄ひとすじなわではいかないようです」

 もし邂逅かいこうする機会あらばご用心を――。

「では、ごきげんよう皆様方みなさまがたぁぁぁぁぁ~~~ッ♡」

 忠告を残したキラメラは、初めて姿を見せた時のように大音量で別れの言葉を鳴り響かせながら去って行った。小さな“門”ゲートからも肉塊にくかいが消える。

 そして、次元の裂け目は完全に塞がれた。

 小型メイドたちは涙目で手を振りながら見送りっている。

 彼女たちの小さな背中を見つめるツバサも手を振っていると、レオナルドは深く長いため息を吐いて、誰にもバレないように肩を落とした。

 小さなレッサー・旧支配者オールド・ワンとはいえ蕃神の王と同格。

 交渉のための会話をただ交わすだけでも緊張したのだろう。軍師の横顔には重責じゅうせきをやり遂げた疲労が張り付いていた。

 レオナルドの左右からクロウとアハウがポンと肩を叩く。

「お疲れ様です、レオナルド君」
「レオナルド君お疲れ。本当、色々な意味で疲れたよな……」

 ねぎらいの言葉ことばを掛けられた軍師は力ない笑顔でグッドサインを返した。

 かれた、と言い換えても間違いではない。

 まさかショゴスのお嬢様から一目惚れされるとは夢にも思わず、あんなに猛烈なアタックを受けるなど想像の埒外らちがいだっただろう。発狂はっきょうどころか狼狽うろたえもせずによく交渉をやり切ったと褒めてもいいはずだ。

 再び長いため息をついたレオナルドは肩を持ち上げた。

「いや、話が通じるとはいえ蕃神の“王”と会話するのが、こんなに精神的消耗をもたらすとは……TRPGならばSAN値がゴリゴリ削られているところだったのでしょうね……ツバサ君もこんな感じだったんだろう?」

(※SAN値=主にクトゥルフ神話を題材としたテーブルトークRPGでプレイヤーキャラクターに用いられる数値。正気を意味するsanityに由来し、正気度とも呼ばれる。ゲーム内で神話的事象へ触れる度にこのSAN値は減少していき、減れば減るほど狂気に囚われていく)

 こちらを振り返るレオナルドの頬には冷や汗が伝っていた。

 ツバサも過去二回、祭司長さいしちょう外なる神々アウターゴッズの化身と対話しているため、その経験を指して「こんな感じ?」と共感を求めているのだ。

 逡巡しゅんじゅんしたツバサは当時を思い返してブルリと怖気おぞけに震えた。

「あー……彼女はメチャクチャ優しい方だぞ?」

 松竹梅ならば梅の中級くらいだ。

ツバサおれに会いに来た蕃神たちは報告した通り、祭司長を始めトップクラスばっかりだったからなぁ……目を合わせただけで死を覚悟させられたし」

 発狂待ったなし、の凄まじい狂気も押し寄せてくる。

 よく正気を保ったまま切り抜けたものだ、と過去の自分を称賛しょうさんしたい。

「……比較したらキラメラ嬢は優しい方か」

 納得だな、とレオナルドは首を傾けてボキボキと鳴らしていた。肩を落とした時に凝りが気になったらしい。神族が肩こりなど相当お疲れだ。

 だが、軍師の目尻と口元は締まりなくユルユルだった。

「まあ正直、あの超乳抱擁ハグは何度喰らっても悪くなかったが……」

「そこは黙っとけよおっぱい星人」

 キラメラの超乳に抱かれた感覚を反芻しているレオナルドに、ツバサは爆乳を押し付けるように胸から体当たりをしてツッコんでやった。

 このくらいの逆セクハラも慣れたものだ。

「ああっ、やめてくれツバサ君! おっぱい怖い!」

「声が喜んでるから説得力ねえんだよ。オラオラ、おっぱいを喰らえ」

 交渉をやり遂げたご褒美と嫌がらせを兼ねて、何度もおっぱいアタックを食らわせてやる。悪友同士でふざけている絵面えづらにしか見えない。

「おっぱい怖い……そのうちお尻が怖いとか言い出しそうですね」
「まんじゅう怖い理論ですね。わかります」

 大人なクロウとアハウに生暖かい眼で見守られてしまった。

 一方、足下では小型メイドたちがメモを取っている。

「レオナルド様にお嬢様の抱擁ハグは効果あり……と」
「レオナルド様はおっぱい大好き、お嬢様にも脈あり……と」
「お嬢様が訪問してくださるまでに報告書をまとめておきましょう」

 さっそく軍師殿レオナルドが弱味を握られていた。

 こういうのも間諜スパイっぽいが、あくまでお嬢様の恋愛成就のための可愛い情報収集なので大目に見ておこう。そもそもレオナルドが悪いんだし。

 しかし――果たして共存は適うのだろうか?

 もしもキラメラの話に嘘がなければ、亡命希望者は今後も現れる。

 それも蕃神サイドから――。

 やはり、この世界は住み心地のいい安定した世界らしい。

 真なる世界ファンタジアへの定住を求めてくる蕃神とその眷族。あるいは生存に適さない別次元に暮らす独立種族が続々とやってくる可能性があるのだ。

 ツバサは通信で次女フミカに尋ねてみる。

『なあ、クトゥルフ神話に共存できそうな種族っているのか?』

『それなりにいるっちゃいるッスよ。好意的に見ればッスけど』

 懐疑的かいぎてきな質問だったがフミカは即答してくれた。

『人間より優れた科学力を持っていて、理性的な種族もいるッスからね。彼らなら神族や魔族になったウチらを対等に扱ってくれるかも知れないッス。他にも権利や平和が約束されれば穏便おんびんにやっていけそうな種族もちらほら……』

『共存の可能性も0ではないってことか』

 ショゴスも創造主である古のものエルダー・シングに反逆した前科ぜんかはあれど、それを情状じょうじょう酌量しゃくりょうすればそこまで悪事を働いたことはないらしい。

『一部は深きものどもディープ・ワンズや他の蕃神と結託けったくして乱暴らんぼう狼藉ろうぜきをしてたり、人間社会に溶け込んで人類が旧支配者にとって最高の生け贄になるよう進化を促してきたりと、悪いことしてるお話もたくさんあるんスけど……』

『クトゥルフ神話の怪物として悪さしてる奴はちゃんといるのか』

『美少女メイドとして真面目にご奉仕してるショゴスもいるッスよ?』

『労働意欲にあふれた善き隣人となるショゴスもいると……』

 キラメラとその一族はそうだと信じたい。

「なんにせよ、南方大陸とは別件で対処すべき案件あんけんが増えたね」

 三度目のため息をついたレオナルドは、腰に手を当てて背を逸らしていた。肉体的に疲れと縁がない神族の肉体がどれほど疲れたのだろうか?

 しかし、言いたいことはわかる。ツバサも悩みの種が増えた気分だ。

 敵対するばかりではなく――蕃神ばんしんへの融和ゆうわ政策せいさくを考える。

 足下に佇むのは十人の小型メイドたち。

 見た目のサイズは愛玩人形ドールくらいしかないが、圧縮しているのか肉体的な質量と密度はあるようだ。働く時は身体を変形させるのだろう。

 証拠というわけではないが、彼女たちのスカート。

 クラシカルなデザインのメイドスカートなのだが、足下が見えないくらい地面にまで届いている。中身は肉塊状にくかいじょうのスライムになっているようだ。

 完全な人間形態を取るより楽なのだろう。

 チマッとした大きさは、まさしく人形のように愛らしい。

 純真じゅんしん無垢むくな二十の瞳はツバサを見上げていたが、一斉に目を閉じると折り目正しいお辞儀で頭を下げてきた。そして、一言こう付け加える



 これからよろしくお願いします――ツバサメイド長・・・・様。



「……はいぃ?」

 思わず頓狂とんきょうな声が漏れてしまう。

 後ろではレオナルドたちが吹き出しながらも笑いを堪えていた。メイド長と呼ばれたツバサがそんなにおかしかったのだろうか?

 そういえば――ツバサはメイドにふんしたままだった。

 しかし、まだ名乗った覚えはない。

 いつ名前を知られたのか? と記憶を振り返ってみる。

 恐らく超乳抱擁の騒動の時、アハウかクロウに「ツバサ君!」と呼ばれたのを抜け目なく覚えたに違いない。目端めはしの利くメイドさんたちだ。

 メイドとしてお世話になるのだから、メイド長に挨拶あいさつするのは当然。

「本当、よくしつけけられてるね……」

 メイド長にされたツバサは感心するより他なかった。


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