515 / 532
第21章 黒き世界樹そびえる三つ巴の大地
第515話:ボンジュール皆様方♡
しおりを挟む――第三フェーズにおける作戦の概要。
まず援軍の工作者ヒデヨシに可変式巨大ロボを召喚できる過大能力で、5㎞四方の城壁を建造してもらう。この城壁も変形して戦隊ヒーローが乗り込むような巨大ロボになるのだが、壁のままでも十二分な効力を発揮する。
何人も乗り越えさせない結界を展開するのだ。
飛行しても飛び越えられず、地中を掘って脱出することも不可能。
完全に“結ばれた世界”こと結界を形成していた。
結界の内部には飛行母艦ハトホルフリートが待機。結界の中心から北の方角へ下がりつつ、停泊はせず宙に浮いたままの状態で待ち構える。
艦橋には操船を担当する長男ダインと次女フミカ。
情報分析の補佐として、情報屋ショウイにもスタンバイしてもらう。
結界の中心には前衛の攻撃役となる四人。
軍師レオナルド、剣豪セイメイ、獣王神アハウ、冥府神クロウ。
遠征組と援軍の混成部隊である。
ここまでの準備が整ったところで、組長バンダユウが過大能力を発動。
過大能力――【詐欺師の騙りは世界に蔓延る】。
嘘を真にすり替え、夢幻を現実へと塗り替える力だ。
ヒデヨシの城壁や飛行母艦をそこにないかのように、不可視のヴェールで覆い隠すなど朝飯前。どれだけ騒いでも気取られないほど隠蔽できる。
「……んで、当の本人はここで高みの見物と」
ハトホルフリートの甲板にバンダユウは佇んでいた。
ロマンスグレーの総髪を適当に括った燻し銀のオールドマン。
飾り気のない黒一色の墨染めな着物に、金糸銀糸を煌びやかにあしらった豪奢な褞袍をマントとして羽織る。対比を活かした粋な着こなしだ。
いつも手放さない極太煙管からプカリと紫煙をくゆらす。
盛り場に出向けば未だに女の子の十人や二十人は落とせると豪語するダンディな面相には、いつも掛けていない色の濃いサングラスを掛けている。
「対閃光防御ーッ! とか一声ほしかったね」
懐かしいなぁ宇宙○艦ヤマト、とバンダユウは懐古に浸っていた。
現在、甲板からの景色は七色の目映い光に覆われている。
それもそのはず、ハトホルフリートが主砲のひとつ『獅子女王の咆哮』を発射しているからだ。これは波動砲に負けず劣らないエネルギー砲である。
破壊力も然る事ながら、発する閃光も凄まじい。
間近で直視しようものなら人間の網膜を潰しに掛かるだろう。
神族や魔族でも目を痛めかねないので、バンダユウはどこから調達したのかサングラスを決めているわけだ。デザインはちょっとレトロである。
「でもまあ、作戦的には順調ってとこかな?」
『はい、概ね予定通りに運んでるッス』
誰に問い掛けるでもなく老組長が独りごちると、通信を介してフミカが拾ってくれたようだ。結構結構、とバンダユウはご隠居みたいに頷いた。
それから皺が目立ってきた指を数えていく。
「当初の作戦のまんまならば――」
まず前衛組の軍師レオナルドが鉛の円盤を使う。
首尾良く次元の裂け目が開いたらば、まずヒデヨシの張った結界を越える大きさにならないかを警戒する。もしも5㎞四方の城壁を越えるサイズの裂け目が生じようとしたら、ヒデヨシとバンダユウは即座に対応してもらう。
仮に次元の裂け目が想定より大きくなって城壁と接触した場合。
バンダユウの仕掛けた不可視のヴェールが解除される恐れもあるが、城壁の結界まで破られて機能しない可能性もある。
そうなれば作戦が頓挫しかねないため即応が求められるわけだ。
幸いなことに出現した次元の裂け目は幅700m前後。
ヒデヨシの築いた城壁結界に収まるサイズだった。
次元の裂け目から現れた深きものどもを迎え撃つのが、攻撃役である前衛組四人の仕事だ。連中の注意を引きつけるヘイト役でもある。
彼らは事前にフミカから指示を受けており、作戦通りに動いていた。
名付けて――はじめちょろちょろなかぱっぱ作戦。
別次元という異常空間に適応した半魚人の戦力は未知数だ。
いくらLV999といえど油断は禁物。
そこでジャブみたいなお試しの攻撃で深きものどもの肉体能力を推し量りつつ、その間にフミカが情報屋の力を借りて解析していく。
案の定、別次元で過ごした深きものどもは超常的な進化を遂げていた。
レオナルドは彼らを真の深きものどもと命名。
その常軌を逸した肉体構造も解析が進んだ。
極限を超えて圧縮した分厚い表皮と莫大な筋肉。その体内を高速で流れる超重量の体液にまで圧縮を掛け、身体強度を何十倍にも引き上げていた。
重量級どころではない大質量に極限の圧縮を加えた――超密度の肉体。
音速に近い速さで流れる体液は、そのヘビィ級な自重を物ともしないほど運動能力を爆発的に飛躍させている。動かずとも莫大な運動エネルギーを全身に駆け巡らせているようなものだ。
人間だと例えようもないが、最高のパフォーマンスを出せる運動時の高血圧を常に維持できると考えれば近いものがある。
圧倒的な重さと速さ、そのコンビネーションによる膂力は常軌を逸していた。
おまけに瘴気を用いて変幻自在の攻撃も仕掛けてくる。
真なる世界の深海で半魚人めいた進化を遂げた深きものどもも厄介だが、彼らが“本隊”と恐れ敬う真の深きものどもの戦闘能力は脅威的だった。
しかし――蕃神の“王”とは比べるべくもない。
これから戦うであろう蕃神の最上位種“外なる神々”のことを考えれば、半魚人との前哨戦くらい軽々とこなさなければならない。
それでも念には念を入れ、徹底した分析で対象の戦力を解き明かす。
解析後は「思う存分やっちゃってくださいッス!」を解禁。
全力の一撃をぶち込んで叩きのめすだけだ。
「はじめちょろちょろなかぱっぱが終わる頃にゃあ、こっちの実力と本気をあっちの連中も思い知るだろうから、全体主義な奴らん中から生き延びて胤になることを選ぶ連中が逃げ出すはず……んで結界のカラクリがバレると」
『そのタイミングで幻術解除からの主砲発射ッス』
バンダユウの過大能力ならば不可視などお茶の子さいさいだ。
そこに何もないかのように透過させることは容易いが、物理的かつ空間的に閉鎖した結界はそこに実在するため接触すればバレてしまう。
だからその瞬間――幻術をすべて解く。
ヒデヨシの築いた城壁結界も、飛行母艦ハトホルフリートも露わにする。
「そっからはずっと五神同盟のターンよ」
ニヤリではなく――ギタリ。
そんな擬音語が似合う悪鬼の如き形相でバンダユウは笑った。
まずは飛行母艦による主砲。
標的は深きものどもの“本隊”が乗り込む移動要塞イハ=ンスレイ。
これを撃墜するために最大出力で主砲を撃ち放つ。
別次元を航行可能と思しき巨大空母でもある。蕃神由来のテクノロジーは次元を超えることも容易らしい。
クトゥルフ神話愛好家のフミカはその名に思いを馳せる。
『インスマスの影にも深きものどもが暮らす海底都市が登場するんスけど、奇しくも同じ名前なんスよね……イハ=ンスレイ』
地球の海底、その各地に点在する深きものどもの都市。
偉大なるクトゥルフが眠る海底都市ルルイエとは別。深きものどもの深きものどもによる深きものどもための主要都市のひとつとのことだ。
別次元を渡る移動要塞が同名なのは偶然か?
「あるいは……連中にとって意味のある名前なのかもな」
ツバサは独り言のように囁いた。
深きものどもは文明を有する高度な知性体。
交渉できれば歩み寄る余地もあるのでは? と期待した瞬間もあるのだが、同じテーブルに着くどころか話し合うための譲歩すら窺えなかった。
具体的にいえば――言語を翻訳する気がない。
こちらは深きものどもの操る古代ルルイエ語を解読できたので、フミカやショウイがあらゆる電波を介して『停戦に向けての交渉』を再三呼び掛けているにも関わらず、あちらからのリアクションはまったくの皆無。
送受信の手応えがあるにも関わらず、完全に真なる世界からの交信を完全無視を貫いていた。現地民と仲良くするつもりは一切ないらしい。
即ち、侵略対象としか見ていないのだ。
「話し合う気がないんだ、出会い頭にぶん殴られても……」
文句は言えないだろ、とツバサは冷めた表情で諦観を決めた。
至近距離での主砲発射も作戦の内だ。
大きな島ほどの規模を有する巨大空母にも匹敵する艦が、真なる世界付近の次元にまで近付いている情報はショウイから入手済み。鉛の円盤で次元の裂け目を開いてそれを誘い水にすれば顔を覗かせると踏んでいた。
そこへ先手必勝とばかりに致命傷になる一発をお見舞いする。
「相手が本気を出す前に芯が萎えるまでぶちのめす」
戦争の基本だよなぁ、と腕を組むバンダユウは感慨深げに頷いた。
この場合、芯が意味するところは相手の精神的支柱であり心を折ること。更には身体の芯もへし折って再起不能になるまで叩きのめすことを意味する。
喧嘩屋の信条とはそういうものだ。
その背中を眺めるツバサは乾いた笑いに口角を緩めた。
「師匠も同じこと言ってましたね……」
甲板から主砲による砲撃を見届けるのはバンダユウだけではない。
第三フェーズの大トリを任されたツバサと、最後の締めを担当するミロも一緒だった。こちらは対閃光防御のサングラスを掛けてはいない。
直視しなければ耐えられるからだ。
バンダユウのグラサンは懐古ネタを拾ったものである。
ミロも一緒だが今日は大人しい。
それもそのはず、ツバサの超爆乳に顔を埋めて深呼吸を繰り返しているからだ。まるでテイスティングでもするかのように神経を集中させている。
金髪をクラウンヘアに結い、ブルードレスで着飾った姫騎士。
羽織っているロングカーディガンをマントのように棚引かせれば様になるのだが、地母神の爆乳に顔をしっかり挟んでもらい、興奮気味の吐息をハスハスと漏らして谷間の匂いを嗅いでるのだから様にならない。
ぶっちゃけ――痴女である。
精神年齢と外見が幼いから、母親へ甘えているように見えるだけだ。
それだって“辛うじて”という枕詞がつく。
甘えられているツバサの顔も苦虫を噛み潰していた。
長い黒髪を風に揺らし、真紅のロングジャケットを窮屈そうに身にまとう女体美は、地母神に相応しい超爆乳と超安産型の巨尻。普通なら大きすぎて見苦しいはずなのだが、180㎝の長身のおかげかスタイルバランスが取れている。
生まれ付きの女顔なので女体化しても違和感がない。
真なる世界へ転移してかれこれ二年弱。この女神の肉体にも慣れてきたし、ミロからの愛あるセクハラも鼻であしらえるようになってきた。
「しかし、これは節操ないというか……」
ガチで試飲鑑定してないか!? とツバサは苦言を呈した。
現在ツバサは一人ではない。
第三フェーズの大トリとして深きものどもにトドメを刺すべく、複数人で取り掛かる大技を繰り出すため、三体の分身を用意していた。
殺戮の女神、魔法の女神、天空の女神。
変身前のツバサを神々の乳母とするならば、戦力の補助として彼女たちを喚び出しているのだ。LV999を限界突破した証のひとつ、自身の能力を減退させることなく自分と同等以上の化身をすべて同時召喚できる術だ。
グッチマンとの試合でも召喚したが、あれから少しアレンジを加えた。
変身形態はそれぞれ本来のツバサと多少異なる。
殺戮の女神なら赤髪で筋肉質、好戦的な鬼気迫る眼差しになる。魔法の女神なら白髪でより豊満な肢体、そして穏やかで母性的な顔立ちになる。天空の女神は髪色こそ蒼一色に変わってより長くなるが、他は本来のツバサと大差ない。
髪型、面相、体型、これらに少なからず違いが現れる。
しかし着込む衣装は真紅のロングジャケットに黒のパンツのまま。これに気付いた服飾師たちが「変身後の衣装をチェンジしましょう」と提案してきた。
ツバサの変身に合わせて衣装も変形する。
そんな機能をいつの間にか織り込まれてしまったのだ。
いらんがな! と一喝したいツバサだったが、特大のブラジャーやショーツといった下着から始まり日常の普段着から戦闘用の衣服まで、ホクトとハルカの服飾師たちのお世話になっている手前、無下に断るのも気が引けた。
幸いにもエロティシズムは抑えめなので黙認した。
この変身後の衣装チェンジは召喚した分身にも反映されており、それぞれの個性に合わせたコスチュームに変化している。
殺戮の女神はまさに戦闘服といった感じだ。
ミサキの愛用する身体のラインが露わになるボディスーツに似ているが、要所に薄い装甲みたいなプロテクターが宛がわれている。
殺戮の女神の髪色に合わせたのか、赤を基調としたデザインだ。
魔法の女神は魔法使いらしい風情がある。
ローブめいた着物というべきだろうか、全体的にゆったりした魔術師をイメージした意匠だった。一応、肉弾戦でも動ける縫製が施されている。
こちらも魔法の女神の髪色と同じ白がメインカラーだ。
天空の女神はツバサの流儀を思い出させる。
蒼に染まる髪は以前ほど長くはなく、神々の乳母の時よりちょっと長めくらいに留まっていた。蒼色の羽衣をまとっているのは変わらないが、こちらもコンパクトなサイズに留まっている。
そして、袖を通すのは武術家が身にまとうべき青色の道着。
合気を流儀とする格闘家らしい格好だった。
本体である神々の乳母の周囲を固める三人の女神たち。
第三フェーズの終幕を飾るべく召喚した変身形態の分身なのだが、ミロは各女神の胸の谷間に代わる代わる顔を突っ込み、その感触を楽しんでいるのだ。
神々の乳母を堪能すると、次は殺戮の女神の胸元へ。
次は魔法の女神、その次は天空の女神、そして最初の神々の乳母へ。
これを飽きることなく繰り返していた。
「……ふぅ~♪ ツバサさんのおっぱい四種コンプリート♡」
五往復くらいしたところで満足したのか、ようやくミロはツバサの超爆乳から離れてくれた。その愛らしい顔にはご満悦の笑顔を浮かべており、胸の谷間で蒸れたのかビショビョショに濡れていた。
ホカホカとピンク色の湯気まで立ち上っている。
サングラス越しにミロを見つめるバンダユウは徐に問い掛ける。
「ミロちゃん、四女神のおっぱいはどんなもんよ?」
「真顔で求める感想ですかそれ」
戦争中って弁えてます? とツバサも真顔でツッコんだ。
ミロは名残惜しそうにハンカチで顔を拭っている。
「殺戮の女神は強めの低反発クッションみたいな固さがあって、ちょっと酸っぱいヨーグルトな香りもするけど癖になる弾力感があったよ。魔法の女神はすんごい柔らかさで包まれる母性MAXの包容力に甘いルクの香りがとってもGood。そんでもって天空の女神は大宇宙の中心にいるような浮遊感だけど半端ない安心感もあって、爽やかなカルピスみたいな匂いに癒やされるの」
そして――神々の乳母は起源にして頂点。
「やっぱ神々の乳母が至高にして究極だわ……あ痛ッ!」
「おまえも真面目に品評すんな! ガチでテイスティングしてたのか!?」
四女神の乳房の感触について鑑定された気分のツバサは、顔を赤らめるとミロの頭を遠慮なく引っ叩いた。この恥じらいはいつまで経っても慣れない。
一方、バンダユウは指をくわえていた。
「いいなぁ……オジさんもコンマゼロ秒でいいから味わいたい」
そこへスマホの着信音が響く。
バンダユウは慣れた手付きで懐から取り出すと耳に当てた。
「もしもし、こちらお祖父ちゃん。どうしたマルカ?」
『しもしも、こちら孫娘ちゃん。ツバサさんにセクハラしたら家族会議ね』
おれ監視されてる!? とバンダユウはサングラスを額に押し上げて甲板のあちこちに注意深く視線を送っていた。この祖父にしてあの孫あり、仕込んでいるとしか思えない小芝居みたいな息の合いっぷりだった。
「残念だったねバンダユウのおっちゃん」
――ツバサさんのおっぱいは子供たちのものです!
ミロは後頭部をこちらの胸元へ預けるようにもたれかかってくる。超爆乳を枕にしてボヨンボヨンと弾ませていた。
羨望の眼差しのバンダユウは立てた人差し指を差し出してくる。
「ミロちゃん、せめて……せめて一枚! 一枚だけ!」
「えー? しょうがないにゃあ♪ オッチャンだから特別だよ?」
天性の勘の良さで一枚の意味を読んだミロは一端ツバサから離れる。入れ替わるようにバンダユウが近付いてくると、ツバサを含む四女神の前に立ってから背を向けた。目線はミロの方に向けられている。
ミロは適度な距離を取ると、スマホをカメラのように構えた。
ああ、と小さく声を上げてツバサも納得する。
これくらいのサービス精神はアリだろうと、バンダユウを中心に四女神で囲んでやる。肩に手を添えたり、ちょっと乳房が触れる程度にも寄り添う。
するとバンダユウの鼻の下が見る見るうちに伸びていく。
四女神もスマイル0円の愛想笑いを浮かべる。
ツバサたち四女神が記念撮影に最適な位置でポーズを決めた頃には、孫娘や組員には見せられないくらいのだらしないにやけ顔になっていた。
「笑って笑ってー! はいチーズ♪」
パシャリと一枚。バンダユウが爆乳女神に囲まれた写真が完成する。
「おお、よく撮れてるよく撮れてる。感動ものの一枚だな」
ミロから写真を転送された老組長はホクホク顔で幸せそうだった。
「こいつぁ家宝になる一枚だな……おっとまた着信」
ニヨニヨとしか表現できない笑顔で食い入るようにスマホの写真を見つめていたバンダユウだが、再び孫のマルカからの着信が入ると刹那で応じた。
『そんな家宝残されてもわたしも組員も困るわ』
盗聴もされてるの!? と脅えながら周囲を確認するバンダユウ。
お遊び好きなアホの子と老組長に一通り付き合ったところで、ツバサは鉄拳制裁のための拳骨を落とした。担当したのは腕力のある殺戮の女神だが。
「……戦争中だという緊張感を持ちましょうね?」
「思ったより待機時間長いから飽きちゃいました! すんませんした!」
「大人げなくおっぱいいっぱい夢いっぱいにはしゃぎました! 面目ない!」
特大たんこぶを頭に乗せた二人も反省していた。
やれやれ……と気疲れの嘆息を吐き出したツバサは重い乳房を支えるべく、両腕を胸の下に回して支えるように腕を組んだ。
アホなことをして時間を浪費したのは数分程度。
幸か不幸か、戦局には大きな変化も起きていなかった。
突如出現したハトホルフリートによる至近距離からの主砲発射を受けて、半魚人たちも度肝を抜かれたのだろう。右往左往で対応が遅れている。
主砲によるエネルギー波の放出はまだ止まらない。
継続して発射され続けており、艦橋で操舵輪を握るダインの操作により船首が上下左右に揺れ動いて、移動要塞に継続的なダメージを与えていく。
その全貌が別次元の闇に包まれたままのイハ=ンスレイ。
絶え間ない主砲のエネルギー波は、要塞の各部で誘爆を引き起こした。
「いくら図体がデカくとも直に木っ端微塵だろ」
「尻に火が付くどころか基地ごと爆破ですからね。他の半魚人から“本隊”と恐れられている真の深きものどもでも、そろそろ慌てふためくはず」
その過程をバンダユウとツバサは甲板から見届ける。
《いあぁぁぁぁーっ! いああああっ! くとぅるふ・うたぐぅん!》
《いあいあぁぁん! いあぁぁあぅ! るるいえぇぇーッ!》
《ねめ! ねめ! ふんぐるぅういぃぎてぐぅん! いはんすれいぃぃッ!》
《いあいあっ! るるいえっ! いあいあ! いは=んすれいッ!》
爆発が連鎖する要塞から、人ならざる怒号が木霊する。
移動要塞とはいえ重要な拠点を攻撃されているのだから、乗組員が黙っていられずはずがない。先鋒や次鋒を送って様子見する戦闘はもう終わり。
やがて中堅や副将、そして大将が登場するだろう。
「おおっ……でっけえかなでっけえかな」
前衛組として攻撃役を引き受けてくれたセイメイは、愛刀“来業伝”を肩に乗せるとのんきな声で空を見上げていた。
眼を遣る先は空に浮かんでいる次元の裂け目。
その裂け目を塀みたいに扱うつもりか、水掻きのある大きな手がしっかり掴む。身を乗り出してきたのは全長12mはありそうな巨人サイズの半魚人。一匹二匹ではなく少なくとも数十体は控えている気配があった。
限界を知ることなく成長を続けるのが深きものどもの特徴。
真なる世界で育った個体でも優に300mや500mにまで巨大化する者がいるのだから、別次元でも大型化した個体がいてもおかしくはない。
しかし、過酷な環境ゆえかそこまで巨大化はできなかったらしい。
それでも移動要塞に潜んでいた中堅から大将の連中だ。
次元の裂け目に手を掛けて乗り越えんとする魚臭い巨人の群れ。
そいつらの頭が正中線から真っ二つに割れる。
「久世一心流――斬龍」
真の深きものどもの頭どころか胸元までを斬り裂いたのは、剣豪セイメイの奥義による一閃だった。本来ならば奴らの股下まで一刀両断したはずだ。
セイメイはつまらなそうに舌打ちする。
「……チッ、体勢が悪いからイマイチ決まらねぇな」
巨大な真の深きものどもは中空に浮かぶ次元の裂け目という壁を乗り越えようとしているため、姿勢がよろしくないせいか斬撃で狙いにくいらしい。
だが、上半身を割られれば致命傷だ。
深きものどもでも重々しい体液をあふれさせて絶命するしかない。
セイメイの斬撃は巨人タイプの半魚人を片っ端から唐竹割りにしていく。
次元の裂け目を壁みたいに乗り越えてくるのは、巨人となるまで成長した半魚人だけではない。通常サイズの真の深きものどもも湧いてくる。
誘爆が続く移動要塞から逃げるように飛び出してきた。
実際の話、沈没しつつある巨大空母からの退避と真なる世界への進撃を兼ねているのかも知れない。移動要塞は再起不能に陥る寸前である。
こちらへ飛び込んでくる総数は大群、もしくは大軍と呼べるほどだ。
全長2mほどでも一個体につき数tの重量のはず。
だというのに蛙顔負けの跳躍力で沈没寸前の移動要塞から飛び立つと、次元の裂け目を超えて真なる世界へ乗り込んでこようとしてくる。
そのほとんどが迎撃により撃ち落とされた。
アハウ、レオナルド、クロウ、彼らがいい仕事をしたからだ。
鬣を靡かせたいくつもの虚無をもたらす顎が彼らを噛み殺し、無数の“気”で作られた杭が半魚人の胴を貫いて、雲のように広がる業炎から現れる地獄の刑具が真の深きものどもの肉体を使い物にならなくなるまで焼き潰す。
これらの攻撃は速やか半魚人たちを撃墜する。
彼らの青黒い体液が雨のように降り注ぎ、次元の裂け目やその下に広がる乾いた大地を濡らした。鼻腔にガツンと来る衝撃的な激臭が凄まじい。
匂いはある一定の濃さを超えると攻撃力を持つ。
クトゥルフ神話に悪臭は付き物だが、深きものどもも例外ではない。
その死臭までもが腐った海を連想させる生臭さだった。
進軍せんとする半魚人と、それを阻止するために迎え撃つレオナルドたちの応酬は留まるところを知らず、毒々しい血の雨がそこら中に降り注いだ。
今のところ半魚人の侵入は概ね阻止できている。
しかし、あくまでも概ねだ。
数が多すぎるため完璧に処理するのは無理があった。
大多数の犠牲はあちらも覚悟の上なのだろう。それでも迎撃を免れた数匹を逃がすための注意を引きつける役を請け負ったようだ。
逃れた者たちはヒデヨシの結界を脱出するべく行動する。
城壁に取り付いて結界を破壊し、何としてでもこの場を逃れて真なる世界を侵略するための胤を残そうと一心不乱な情熱に突き動かされていた。
「――その根性を挫くのがおれの仕事だ」
ヒデヨシは喜怒哀楽を打ち消した真顔で呟いた。
その右手には握力を入れれば作動するハンドルみたいなスイッチが握られており、カチカチとリズミカルな音を鳴らしていた。
スイッチが入った瞬間、城壁が駆動音を響かせて変形する。
現れるのは――従来よりもずっと大型の兵器群。
大型弩砲と呼ぶには物々しい矢を打ち出す兵器や、対人地雷に似るも倉庫ぐらいの大きさがある爆破装置。そして破城槌みたいな槍を射出する砲台。
兵器群は一斉に火を噴き、真の深きものどもを薙ぎ払う。
矢も地雷も槍も容赦なく彼らの肉体を引き裂いた。
皮と肉を破られた彼らは圧縮を恒常化させた肉体を保てず、重い体液を撒き散らして爆発する。そういう意味では脆弱ですらあった。
極限まで押し固められた強靱な肉体を破るのが至難の業なのだが……。
「おまえらの肉体強度は把握済みよ」
ヒデヨシはつまらなそうに言い切った。
フミカやショウイから別次元に適応した半魚人の身体能力に関する情報を提供されたヒデヨシは、その肉体を破壊できる兵器を即興で拵えていた。
――東西南北から前後左右。
レオナルドたちの迎撃から逃れてヒデヨシの城壁からも脱しようとする半魚人たちは壁に群がるも、圧倒的な兵器群の前に為す術もない。
結界に辿り着くことさえできずにいた。
兵器群を操作するヒデヨシは冷徹な眼差しでスイッチを押す。
感情を押し殺して作業に徹しているようだった。
「……ったく溝浚いや溜め池干し、池の水全部抜きますみたいな仕事もさせられて、外来種駆除なんて仕事も請け負ったことはあるが……」
やっぱ遣り切れねえな――生命を殺すのは。
兵器群が轟かせる爆音にヒデヨシの苦言は掻き消された。
意思疎通できず侵略的行為を露わにする敵性存在といえど、無慈悲に殺すことに対して罪悪感を覚えずにはいられないようだ。かといって、武士の情けと見逃せば五神同盟はおろか真なる世界の足下まで掬われる。
だから心を鬼にするしかない。
元より人格者な獣王神アハウや冥府神クロウも、終始浮かない表情で半魚人たちを始末していた。誰一人として嬉々としている者はいない。
レオナルドも眉根が寄っている。
顔色を変えないのはセイメイやバンダユウくらい。
さすが裏社会経験者、現実でも生殺与奪の現場に立ち会ってきた証だ。
「虐殺にはしゃぐ者がいないのは僥倖だな」
彼らの心情を慮る顔色を読まれたのか、バンダユウはこちらを気遣う声音で話し掛けてきた。極太煙管をくわえてプカリと紫煙の輪を吐き出す。
自らの経験を踏まえた発言は続いた。
「軽口を叩くのは気を紛らわすため、あるいは自分を誤魔化すため……だが目の前に広がる光景を認めて、殺しの手応えから目を背けてはいない」
上等じゃねえか、と老組長は褒め称える。
「こういうのは損得勘定じゃ割り切れねえ。必要なのは覚悟だな」
「……ええ、生きる覚悟ですね」
ツバサはその覚悟を飲み干すように頷いた。
自分たちの生存権を脅かす者が何者であろうとも、こちらを害するならば慈悲なく躊躇なく忖度なく殺す。泣いて喚こうが聞く耳を持たずに殺す。詫びて謝るだけの知恵があるならここまで拗れないはずだ。
奴らは真なる世界とって一分の利もない害獣。
「そもそも次元の外からやってきた異端分子だからなぁ」
「たとえ手に負えないケダモノだとしても、真なる世界の生物ならばまだ生態系の一部と捉えることができます……だが、連中は完全に別物です」
別次元から訪れた外来種なのだ。
「残念ながら交渉の余地なしとわかってますからね」
知能があって意識や感情があるとしても、こちらと相互理解するつもりがなく、攻撃的な侵略行為を繰り返す生物に取れる手立てはただひとつ。
最後の一匹まで根絶やしにするしかない。
情けや憐憫をかなぐり捨てて完膚無きまでに殺し尽くす。
自分と仲間が生き残るためならば他者の命を踏み潰すことも厭わない。
それが――生きる覚悟だ。
これからツバサはかつてない大虐殺に手を染めようとしている。
深きものどもを全滅に追い込むばかりではない。
別次元で手ぐすね引いている蕃神の多くを抹殺するつもりだ。
それを実行に移す前にバンダユウは「まさか日和ってねえよな?」と背中を押しつつ、「頑張れよ」と発破を掛けてくれたのだろう。ツバサが殊更に優しいことを身を以て味わっているからこそ心配してくれたようだ。
覚悟を決めたツバサは大きく深呼吸すると眦を決する。
「もはや“鏖殺”の一択しかありません」
合図を送るべく神々の乳母が片手を上げると状況が動いた。
まず飛行母艦ハトホルフリートが主砲からのエネルギー波放出を停止。動力炉はいつでも再発射できるようスタンバイ状態を維持する。
主砲が止まると同時に、攻撃役の前衛四人組も場を退いていく。
戦線離脱ではないが飛行母艦の手前まで退避していた。
ツバサたちからの攻撃が形を潜めたことに半魚人たちは警戒する。これが好機とばかりに一転攻勢へ出ようとはせず、こちらの出方を窺うように様子を見守ることに努めていた。あまりに突然なので怪しんでいるのだろう。
その反応は正しい――だが時既に遅し。
甲板に立ち並ぶツバサの分身態から魔法の女神が前へと出る。
最後の締めへの一番手を務めるのが彼女だ。
瞬時に従来の魔法とは比べ物にならない膨大な魔力を宿した魔法陣を幾重にも展開させると、かつてない極大魔法を発動させた。
聞いたこともない不可思議で音色を響かせて現れるのは――透明な板。
幅700mを超える次元の裂け目を覆うサイズ感である。
それは無限の奥行きを有する二次元空間。
ぱっと見では巨大なアクリル板にしか見えないが、この透明な板を潜ればその向こうには何もない広大な空間が広がっているのだ。
二次元空間の板は次元の裂け目を塞ぐように出現する。
――迂闊に触れるべきではない
突如現れた透明な板に深きものどもも警戒して飛び退こうとするが、まるで掃除機に吸い取られるかのように二次元空間へと引き寄せられていく。下手にジャンプして宙に浮こうものなら取り付く島もなかった。
中途半端に跳んだ者から巻き込まれる。
二次元空間は不可思議な吸引力で半魚人たちを取り込んでいった。
深きものどものみならず、飛行母艦の主砲を喰らった移動要塞イハ=ンスレイまで引き裂かれるように飲み込まれつつあった。
主砲で風穴を開けられた箇所から音を立てて崩れていく要塞。
誘爆により崩壊した部分も、燃え盛る瓦礫ごと引き千切られるように二次元空間に吸い取られていた。未だ全貌が見えない移動要塞だが、この暴虐的なペースならば十分と経たずに打ち砕かて二次元空間に収まるだろう。
それほど凄まじい吸引力なのだ。
これはヤバい! と真の深きものどもも危険性を察知する。
大慌てで逃げるのだが、大抵の者はもう別次元にいたくないのか真なる世界へ逃れてくるため、裂け目を塞ぐ透明な壁に近付かざるを得ない。
結果、為す術なく二次元空間の虜囚となっていく。
命辛々に吸引力から逃れた者は外を目指す。
ヒデヨシの築いた城壁や兵器群をどうにかして乗り切るつもりのようだ。
――そこまで辿り着ければの話だが。
ここで二番手として天空の女神が動き出す。
天女の羽衣か仏尊の天衣。
天空の女神はそういう神秘的な衣装を連想させる蒼い羽衣をまとっている。それが音もなくスルスル伸びていくと、無数に枝分かれして逃げ惑う真の深きものどもたちを追跡していた。
枝分かれした羽衣の先端はツバサの手足に等しい。
合気の達人であるツバサの手に掛かれば、真の深きものどもを二次元空間へ投げ飛ばすなど朝飯前。蒼の羽衣たちは次々に半魚人を放り投げていく。
蒼い羽衣から逃れたとしても抑え役がいる。
軍師レオナルドの杭が炸裂し、剣豪セイメイが一太刀が斬り刻み、獣王神アハウの虚無をもたらす顎が噛み砕き、冥府神クロウの地獄が焼き責める。
二次元空間へ閉じ込められるか? 前衛四人組に息の根を止められるか?
五神同盟は深きものどもにこの二択を迫った。
この二択を拒否しても城壁にはヒデヨシが待ち構えている。
四方を取り囲む壁からの兵器群は逃亡者は決して逃がさなかった。
もはや戦争の態を成していない。
これから始まるのは――情け無用の一方的な虐殺。
話の通じない異形の掃討とはいえ、あまり気持ちのいいものではない。
「……だからといって手控える理由もないのだけれど」
ツバサの気持ちを代弁したのか、分身態である魔法の女神が言い聞かせるように呟いた。彼女は分身態ではあるが少々特別枠なのだ。
かつて侵略された恨み節が利いている。
(※魔法の女神は還らずの都を奉る巫女ククリの母親、マムリ・オウセンの魂をツバサが受け継ぐことで生まれた変身形態。その分身態はマムリの意識を少なからず備えているためか、分身でありながら自我らしきものを持っている)
しばらくすると――場は静まり返った。
深きものどもの姿が見当たらなくなったからだ。
城壁の内側を縦横無尽に飛び交っていた蒼の羽衣も「獲物が見当たらない」と言いたげな所在の無さ。移動要塞イハ=ンスレイも跡形もなく消えている。
主砲により撃ち抜かれた場所からすべてを崩壊させられたのだ。
瓦礫の一片に至るまで二次元空間に収まった。
念のために見逃しはないかと三重チェックも欠かさない。
ツバサたちが視認や技能でチェックし、フミカたち情報処理担当に徹底的な分析を掛けてもらい、最後にミロの直観&直感でも確認してもらう。
ミロはお手上げのポーズで首を左右に振る。
真なる世界側はおろか、次元の裂け目近辺にも深きものどもの気配は皆無。
彼らの移動要塞イハ=ンスレイも二次元空間に閉じ込めた。
ここで三番手の殺戮の女神が飛び出す。
固く握り締めた両の拳に万物を焼き滅ぼす“滅日の紅炎”を宿した殺戮の女神は、半魚人どもを封じた二次元空間の板へと迫っていく。
対応するべく魔法の女神も手を動かした。
おにぎりを結ぶジェスチャーみたいな手付きで何かを丸める仕種をすると、それに合わせて透明な板が押し潰されていく。紙をクシャクシャと丸めるように二次元空間は不透明な球体へと形を変えられていった。
最終的にはバスケットボールの大きさにまで縮められる。
次元の裂け目を塞いでいた大きな透明の板は、その中央にポツンと浮くだけの不透明なボールに変わっていた。形こそ変形したが二次元空間である。
「オラアアアァァァーーーッ!」
その球体に殺戮の女神は燃える鉄拳を叩き込んだ。
殴られた球体は“滅日の紅炎”を注ぎ込まて仄かに赤味を帯びるが、その場からはビクとも動かない。いや、少しだけ撓んでいた。
右拳で球体を殴った殺戮の女神は、返す刀で燃える左拳も叩き付ける。
そこから――目にも止まらぬ連打の始まりだった。
「オォオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……ッ!」
どこかで聞いたことのある雄叫び。
気合い満点の掛け声とともに繰り出される拳の連打は、徐々にではあるが球体を上空へ突き上げていく。また、殺戮の女神の“滅日の紅炎”に燃える拳を打ち込まれる度、球体は赤熱化するかの如く赤味を増していった。
あの球体は形を変えた二次元空間。
内部には深きものどもの“本隊”と移動要塞が封印されている。
今頃、二次元空間内を所狭しと吹き荒れる“滅日の紅炎”にさらされて、干涸らびるどころではないだろう。灰も残さず焼き尽くされているに違いない。
――ガラ空きになった次元の裂け目。
その奥に広がる無明の闇こそが、果てなく続く別次元である。
闇の彼方から背筋を凍らせるほどの冷たい視線がいくつも突き刺さり、おぞましくも名状しがたい邪悪な気配が息を殺しているのを感じ取れた。
数多の蕃神がこちらを睨めつけているのだ。
今か今かと好機を待ち続け、侵略の機会を虎視眈々と狙っていた。
連中は意外と物見高い。
人間の野次馬根性と相通じる好奇心があるらしい。
蕃神の一柱やその眷族が先走るように次元を飛び越え、真なる世界の勢力と交戦状態に入る。すると近付いてきて傍観めいた観戦を始めるのだ。
機を見れば乱入する腹積もりかも知れない。
これまで五神同盟は数度、蕃神と戦争を繰り広げてきた。
その時のデータを精査したアキ&フミカの情報処理姉妹が蕃神の観戦という事実を突き止めたのだが、こうして次元の裂け目を窺えば実感できる。
闇の奥に爛々と輝く――異質な眼球。
有象無象の蕃神がこちらに熱い視線を送っているのだ。
ひとつやふたつではなく、百や千では利かず、万や億でもまだ足らない。満天の星に例えるには禍々しすぎる邪悪な瞬きが無数に蠢いていた。
――奴らは間違いなくそこにいる。
超巨大蕃神こと祭司長と讃えられる偉大なるクトゥルフ。
彼の先兵ともいえる眷族筆頭であるところの深きものどもと真なる世界の再興を図る五神同盟の戦いを、視聴者気分で観戦していることだろう。
「その舐めた態度に吠え面かかせてやる……」
神々の乳母は殺戮の女神も顔負けの戦闘狂じみた笑顔を浮かべた。
掲げた右腕を振り下ろす先は――次元の裂け目だ。
「――総攻撃開始ッ!」
この時を待っていましたとばかりに、第三フェーズ担当の戦士たちは能力のリミッターを外す。そしてテンションのギアをトップまで押し上げた。
ツバサたちの利き目に小型のスクリーンが展開する。
片眼鏡式の投影スクリーンには無数の赤い点が明滅していた。
「「「なにこれス○ウターみたいでカッコいい!」」」
一部の者にはデザイン的に好評だった。
これはフミカが総攻撃のために用意した術式。
次元の裂け目の向こう側にいる蕃神たちの座標を補足してから簡易的に表示しており、攻撃役が照準を合わせやすくなるよう調整されている。総攻撃に間に合わせて準備してくれたのだ。
闇に隠れる蕃神の位置を割り出したのは彼の仕事である。
次元の裂け目が開いた――あの瞬間。
情報屋ショウイの目に見えないほど小型化させた諜報員が、使い魔ながら命懸けで別次元から入手してきてくれたスペシャルな情報だ。
折角なので存分に頼らせもらおう。
先鋒として次元の裂け目の前に立ったのは――冥府神クロウ。
骸骨紳士からは空を焦がす熱気が立ち上っていた。
「悉く出でよ――八大地獄」
かつてないほどの業火がクロウの総身から噴き上がると、入道雲のように空へと立ち上っていき、紅蓮に染まる業炎の雲となって空を覆い尽くした。
燃え盛る炎の雲海、そこらから地獄の刑具が顔を覗かせる。
炎まとう車輪、焼いた鋼柱、獄卒の振るう金棒……etc.
業炎の雲は灼熱を帯びる刑具を弾雨のように撃ち出すとともに、燃える雲海もろとも次元の裂け目へ雪崩れ込んでいく。
何者の血肉であれ焼き貫く弾丸と化した地獄の刑具。
溶岩にも匹敵する地獄の業火ごと浴びせられれば、如何なる蕃神とて無事では済むまい。別次元から悲痛な叫びが鳴り響いてきた。
猛火をまとわせた地獄の刑具による一斉放射。
これは初手で大ダメージを与えるのみならず、雲海と見紛うほど広がった業火は煙幕としての役目も果たしていた。蕃神たちが視覚や聴覚にばかり頼るとは思えないが、それでも混乱を招くくらいの効果はあるだろう。
そして、必ずや連中を居竦ませているはずだ。
『クロウさんの攻撃! 効果大ッス! 蕃神たちは尻込みしてるッス!』
分析により相手の状況を掴んだフミカからの報告が入る。聞いた者の表情に光明が差し、ほんの少し口の端が緩むがまだまだ序の口だ。
この隙に――次鋒が攻撃準備を完了していた。
「遠慮なくぶち込んでいいんだよな?」
ハトホルフリートの甲板に立つバンダユウは確認を求めた。
両脚をやや広げて腰を落とした姿勢で身構えると、両手を合わせて素早くいくつもの印を組む。すると彼の周りに法剣の群れが次から次へと現れる。
仏教の法具、独鈷杵や三鈷杵を模した密教風の剣だ。
ただし、一振り一振りが恐竜でも一刀両断できるような大剣サイズであり、柄にダイナマイトを巻き付けたり、鍔元にTNT爆弾を括り付けたり、刃にあからさまな猛毒をこれでもかと塗りたくったりと属性付与に余念がない。
幻術を現実化させるバンダユウの過大能力。
その能力をフル活用することで用意された投擲専用の法剣だ。
バンダユウの問い掛けに軍師レオナルドは答える。
「構いません。どうせ別次元側に味方などいませんからね」
「そりゃそうだ。つい訊いちまったよ」
なんとなく口を突いて出た言葉が無意味だったことに気付いたバンダユウは、カラカラと自嘲すると法剣の数を倍掛けで増やしていく。
答えたレオナルドも負けじと杭を増産する。
気功術で練り固めて硬質化させた“気”で形作られる杭。
こちらもバンダユウの法剣よろしく中空を埋め尽くす勢いでレオナルドが用意しているところだった。既に荒れ地から飛び上がり飛行系技能で中空に待機するレオナルドを取り巻くように、無数の杭が生まれつつあった。
杭それぞれに様々な効果が付与され、形状もドリル状にねじれていたり、抜けないように返しが付いたり、拷問器具みたいな棘だらけのものまである。
多彩すぎて同じタイプの杭が見当たらないほどだ。
「ここは俺も数の多さに任せようか」
数打ちゃ当たるというやつだな、と獣王神アハウも過大能力を発動させる。
齧り付いたものを虚無へと返す顎を召喚する能力。
喚び出す顎の大きさはアハウが自由に設定できるため、最小ならチワワ程度だが最大となれば湖くらい余裕で飲み干せる神話級の怪物となる。
今回は重機を一呑みにできるサイズの顎を召喚していた。
その数は百や千では収まらず、万を超えて数十万に至るだろう。
属性盛り盛りの法剣、効果多様な“気”の杭、すべてを虚無にする顎。
それぞれ大軍を成すほど群れていた。
先鋒としてクロウの放った業炎の雲が晴れる頃を見計らい――。
「……今です! 一斉掃射ッ!」
レオナルドは合図とともにすべての杭を撃ち出すと、息を合わせてバンダユウも法剣を解き放ち、クロウも虚無の顎を送り出した。
次元の裂け目を越えても減衰せずに突き進む攻撃技による進撃。
レオナルドたちが射出した技の手応えを感じた頃、無明の闇から絶え間ない絶叫が轟いた。既存の動物では発音不可能な聞くに堪えない悲鳴である。
『初撃に続いて今のも全弾命中ッス!』
次元を越えてモニタリング中のフミカから戦果の報告が入った。
あいにく神族の視覚を以てしても別次元の闇に潜む蕃神たちは捉えられないが、発する気配が大いに乱れているのを感じ取れた。
久方振りに味わう激痛に身悶えていると見ていいだろう。
先鋒と次鋒の攻撃で混乱するところに、中堅からの一撃をお見舞いする。
それも特別キツいやつをだ。
「んじゃまあ、雇用主からのお達しなんで本気でやろうかね」
超久し振りに――セイメイはのんびり嘯いた。
次元の裂け目の前にはレオナルドやアハウが待機していたが、一仕事終えた彼らが彼らが飛行母艦へ退くと、入れ替わりで剣豪セイメイが前に出る。
別次元と向かい合うように中空へと飛び上がった。
さっきまでの昼行灯が一転、人斬りの凄みを湛えた面構えに変わる。
手にするのは豪刀――“来業伝”。
普段は片手で奮う愛刀を今日はしっかり両手で握っている。
しかし、構えは剣術としてあまりに異質だった。
両手に握った豪刀の顔の脇まで持ってきて、その切っ先は天へ逆立てるように突き上げている。右足一本で立つと左足は膝が曲がるまで持ち上げ、腰はギリギリと音がするくらいねじ込んでいる。
野球ならば見たことがあるフォーム、いわゆる一本足打法だ。
そのままの体勢でセイメイは回転を始めた。
地上でならば右足を軸にしてグルグル回るだけだろうが、宙に浮いているのをいいことに前後左右関係なくジャイロスコープばりの猛回転である。
やがてセイメイの回転は、剣風吹き荒ぶ凄まじい嵐を引き起こす。
触れれば断ち切られる真空波を撒き散らす物騒な嵐だ。
「久世一心流奥義……」
嵐の中心で厳かにセイメイが唱える。
「堕鳳――百連」
剣風の嵐から解き放たれたのは竜巻の形をした斬撃。
鳳を堕とすの技名が如く、空をも破りかねない巨大な一太刀だ。
(※鳳=鵬とも記される。伝説上の巨鳥。片方の翼だけで見上げる天を覆い隠すほど巨大と言い伝えられている。そのため大鵬や大鳳とも呼ばれる)
直撃すれば山脈をも穿つであろう竜巻の斬撃は、セイメイが宣言した通り100連続で放たれ、すべてが次元の裂け目を潜り抜けていく。
先鋒で面食らい、次鋒で混乱に陥っていた別次元に潜む蕃神たち。
そこへ途方もない斬撃を幾度となく浴びせられれば、超常的な存在であれ攪乱されること請け合いだ。そして鳴り止まない絶叫は断末魔の様相を呈する。
『効いてるッス効いてるッス! 効いてるッスよ~!』
効果は絶大なのか、興奮するフミカも説明への語彙力を失っていた。
「さぁて――そんじゃあ副将のお出ましと行こうか!」
意気揚々と声を上げたのは棟梁ヒデヨシだった。
いつの間にか飛行母艦ハトホルフリートが背を預ける城壁の上に移動しており、先ほどの兵器群を操るものとは別のスイッチを手にしていた。
軽く握れば呼応するように城壁が変形する。
現れたのは何門もの砲塔、ひとつひとつが常識はずれの規模だ。
戦艦大和や武蔵が擁した史上最大の砲塔である46センチ砲を凌駕し、メートル級の砲弾を発射するであろう偉容を誇っていた。
飛行母艦を援護するように現れた装填済みの砲塔は全108門。
照準はすべて次元の裂け目の奥に隠れている蕃神たちを捉えていた。
合わせて――ハトホルフリートの動力炉も再稼働する。
なるべく最大出力を維持して待機していたので、すぐに臨界点に到達すると一時停止していた主砲によるエネルギー波の再発射に取り掛かった。
飛行母艦の船首に大地母神の力が漲る。
双胴気嚢の二つの先端にも魔力が凝らされ、船首と合わせて三つの点が結ばれると中央に魔法陣が浮かび上がり、破滅の奔流を溢れようとしていた。
艦橋で主砲の準備を整えたフミカが声を上げる。
『今ッス! ダイちゃんヒデヨシさん! 砲撃を合わせて……』
『獅子女王の咆哮! 拡散タイプ発射アアアァァーッ!』
「目標! 蕃神のバケモノどもへ向けて……発射ああああぁッ!」
ダインとヒデヨシの雄叫びが通信越しで音割れするほどの大音響を響かせると、すべての砲門が轟音を立てて噴煙を吐き出す。
ハトホルフリートからも再び主砲が火を噴いた。
ただし、今回の主砲はダインの言った通り拡散タイプ。
途中で主砲のエネルギー波が何条にも分裂し、漏れなく蕃神たちに攻撃が行き渡るよう調整されたものだ。謂わば散弾みたいなものである。分裂させた分だけ威力も分散してしまうが、そこは出力を上げることで補われていた。
そして、ヒデヨシの操る砲塔は何度も何度も砲弾を撃ち出す。
ちゃんと再装填はされているがほぼ連射だ。
「砲塔が焼き切れても構わねぇ! 連射に速射で休む暇を与えるなぁ!」
既に砲塔は真っ赤に赤熱化している。
ヒデヨシのことだから本気で砲塔を焼き潰すつもりだろう。これもまた覚悟、自らが手掛けたものを壊してでも成し遂げんとする工作者の覚悟だ。
その時――ツバサが右手を水平に掲げた。
手で制するジェスチャーは「撃ち方止め」の合図である。
城壁から伸びた36門の砲塔が溶け落ちる寸前だったが、ツバサからの合図を受けたヒデヨシは攻撃を停止。ハトホルフリートの主砲も鎮まる。
攻撃役の四人も飛行母艦の甲板に戻っていた。
「皆さんお疲れ様でした」
戻ってきたクロウやアハウに労いの言葉を掛けると、今度は入れ替わりで前に出るのは神々の乳母であるツバサ本人。
甲板から飛び出して次元の裂け目へと近付いていく。
「オォオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……ッ!」
ところで殺戮の女神はまだ球体を殴っていた。
遙か上空まで玉状の二次元空間をパンチで突き上げている。
ずっと滅日の紅炎を叩き込まれた二次元空間の玉は、直視すれば視神経を焼くほどの目映い光球にまでなっていた。まるで小型の太陽の如しだ。
あの玉の中にはもう生命力が感じられない。
はち切れんばかりに詰め込まれた滅日の紅炎が渦巻くばかりだ。
不意に殺戮の女神は連打の手を止めた。
「……ドォラアアアアアアアアアアーーーッッッ!」
大きく右腕を振りかぶって打ち下ろした拳骨を二次元空間の玉に叩き付けると、今度は抵抗することなく地上に向けて剛速球で落ちてきた。
それを神々の乳母が受け止める。
甲板から飛び立ったツバサが次元の裂け目の前に浮かび、そこへ殺戮の女神が狙い澄まして二次元空間の玉をパスしたわけだ。
ツバサの広げられた掌につかず離れずで収まる玉。
二次元空間から創り出された玉は深きものどもとそれにまつわるものをひとつ残らず封じたが、止め処ない滅日の紅炎を注ぐことで全滅させた。
もはや二次元空間の玉にあらず、滅日の紅炎でできた宝玉だ。
万物を“気”へと回帰させる――終焉の炎。
滅日の紅炎のことを真なる世界ではそう呼ぶらしいが、その火力は別次元の怪物であろうと関係なく焼き滅ぼす。それほど特別な炎を操れる殺戮の女神が、持てる力のありったけを込めて徹底的に終焉の炎を凝縮させたものである。
「これに神々の乳母が力を加えたら……」
どうなると思う? とツバサは尋ねるように呟いた。
その瞳は獲物を求める猛禽類のように見開かれ、その口角は地母神とは思えぬほどサディスティックに釣り上がり牙めいた犬歯を濡らしている。
大虐殺へ手を染める前に殺意で理性を塗り潰す。
蕃神という生物を殺戮しても罪悪感で心を砕かぬための措置だ。
神々の乳母が得意とする太陽創成魔法。
滅日の紅炎でできた宝玉に、この魔法で働きかけていく。
ただ太陽を創り出すのであればいつも通り。
過去に太陽をぶつけることで蕃神の“王”を何体も撃退してきた。
今回は滅日の紅炎の圧倒的パワーを活用して、太陽より何十倍も重い星を創り出すアレンジを加える。太陽と比べて10倍を越える重量を持つ星々は、星としての寿命を終える最後にとてつもない大爆発を起こすことで知られている。
いわゆる“超新星爆発”というものだ。
その爆発エネルギーは原爆ひとつの破壊力に換算すると、10の三十乗という人間の想像も及ばないまさしく宇宙規模の爆発力となるらしい。
おまけに――ただ爆発するだけで終わらない。
爆発した後にすべてを飲み干すブラックホールが発生する恐れもあれば、超新星残骸と呼ばれる星雲状の超高熱のガスを残すこともある。
つまり、爆心地を中心に周囲への甚大な被害も見込めるということ。
「蕃神らを痛めつけるにピッタリと思わないか?」
既に宝玉はツバサの手から離れていた。
頭上に浮かんだ宝玉はバスケットボール大から大型ガスタンクにまで膨張し、その内側に莫大な熱量を胎動させていた。いくつかの魔法を掛け合わせて圧縮と凝縮を重ねたため、実際の恒星よりコンパクトにまとまっている。
しかし、その身に宿す質量は太陽の比ではない。
宇宙のどこかにある太陽の数十倍はあるだろう恒星を模していた。
このためツバサが戦いのトドメによく使う太陽を遙かに凌ぐ熱気は、敵に炸裂する前から致死性の威力を備えていた。
無論、余計な被害をもたらさぬよう制御している。
それでも漏れる熱気だけで大地が焦土となりつつあった。
心なしかハトホルフリートも蕩けてるような……?
『バサママもうちょっと離れて! 熱いッス!?』
『チューンナップした飛行母艦の外装すら溶けかけとんじゃが!?』
次女と長男から通信でクレームが入った。
「騒ぐな、すぐ済ませるから」
短く切った返事をしたツバサは最後の仕事へ取り掛かった。
あまりしたことはないが野球の投手を思い出して大きく腕を振りかぶると、一般足打法ならぬ一本足投球みたいに踏み込む足も高々と振り上げる。
何もない手を投球フォームのまま振り抜く。
すると、ツバサの頭上に浮かぶ肥大化した宝玉が動いた。
投球フォームに追随して剛速球で飛んでいく。
向かう先は言うまでもなく――次元の裂け目を抜けたその先だ。
「超新星爆発に塗れて逝ぬるがいい!」
女神とは思えぬ猛々しい掛け声に押された宝玉は加速する。
あっという間に闇の彼方に消えたかと思えば、チカッと小さな瞬きが閃いた。かなり距離があるため視認すると極小だが超新星爆発の光だ。
瞬きはすぐさま連鎖し、激しい点滅が闇の上下左右に広がっていく。
「……SFアニメなんかで見た光景だな」
ポツリと漏れたヒデヨシの言葉に何人かが同意の頷きをした。
多分、宇宙戦艦が登場するような作品だろう。
宇宙で艦隊戦を繰り広げる際、どちらかの超強力なエネルギー波による攻撃によって何十隻もの宇宙戦艦が次々と連鎖爆発するシーンがよくあった。
それとよく似た現象が起きているのだ。
あの小さな瞬きは、超新星爆発に巻き込まれた蕃神たちの最期。
総数こそ定かではないが、少なく見積もっても100は下らない蕃神の“王”を巻き添えにしたであろう感触はあった。
ヨシッ! とガッツポーズで喜んでいる暇はない。
そろそろ超新星爆発で巻き起こる余波がこちらにも届くはずだ。
爆心地から離れていると油断はできない。
爆風くらいなら大目に見られるが、破滅的な衝撃波に乗って超高温のガスやら中性子線やら有害な放射線やら……有害なもののオンパレードと来ている。
そんなもの真なる世界へ持ち込むわけにはいかない。
さっさと次元の裂け目に限る。
「開けた門は閉じるもの……ミロ、お待ちかねの出番だぞ!」
「やっとキタキタキタ出番来たーーーッ! 真打ち登場ってやつだね!」
ロングカーディガンのマントを羽織った蒼い姫騎士。
そんなファッションの美少女が、大剣片手にいきなり姿を現した。
ツバサが甲板から飛び立つ際、こっそり背中にしがみついていたミロは長い黒髪の中に隠れていたのだ。黒髪をカーテンみたいにサッと開いたミロはツバサの肩を踏み台にして飛び上がり、もっと次元の裂け目へ近付いていく。
手にするのは覇唱剣オーバーワールド。
元は漆黒に染まる黒金の大剣といった風情があったが、破壊神討伐の褒賞により剣自体がレベルアップし、白金が遇われた高貴な装飾が加味されている。
勿論、神剣にして聖剣としての性能も跳ね上がっていた。
ミロは覇唱剣の剣身を水平に寝かせる。
そのまま後ろに振りかぶり、横薙ぎに剣を払う構えを取った。
「この真なる世界を統べる大君が申し渡す!」
次元の裂け目よ疾く閉じよ――以て再び開くこと能わず。
アホの子らしからぬ厳格な物言いだった。
威厳さえ感じさせる言葉遣いで命じるかの如く言い放ちながら、ミロは手にした大剣を横一文字に振り抜く。その太刀筋は全長700mはあろうかという次元の裂け目を右端から左端まで一息に斬り裂いた。
めぎょん! と形容しがたい異音がツバサたちの耳朶を打つ。
次元や空間が変形する時に起きる名状しがたい音だ。
ミロの放った一閃が光の軌跡となり、その光でできた一筋へと次元の裂け目がズルズル飲み込まれていくように消えていく。
周りの景色が引き延ばされ、空間があるべき姿へ戻ろうとしていた。
ミロの過大能力――【真なる世界に覇を唱える大君】。
端的に言えば次元を創り直せる能力。
ミロが力ある言葉で真なる世界に命じれば、その通りに実現されるという何でもありな究極の能力だ。ただし、使った後の消耗が尋常ではなかったり、自分よりも格上には通じない……などの短所はまだまだある。
そこはミロの精進に期待するしかない。
しかし現状、蕃神の侵入経路である次元の裂け目を封鎖できるのはミロとミサキ、2人の過大能力だけなので頼らせてもらっていた。
やがて次元の裂け目の向こう側にある闇が見えなくなる。
ミロの一閃が放っていた光も消えていく。
後には何も残らない。地平線の彼方まで見渡せる風景と、少し曇りがちの青空を見上げられる、変哲もない風景があるばかりだ。
しばらく経つと、空間を越えて微かな震動が伝わってきた。
先ほどの超新星爆発の波及が届いた証拠である。
爆心地から遠く離れていても空間を震わせるほどの余波。やっぱり勝利の余韻に浸ることなく、さっさと次元の裂け目を閉じて正解だった。
勝利の余韻を味わうのはこれからだ。
~~~~~~~~~~~~
南海周辺に潜む深きものどもは一網打尽に掃討した。
その深きものどもが待っていた“本隊”。移動要塞イハ=ンスレイにて別次元に待機中だった深きものどもの上位個体と呼ぶべき集団。
過酷な別次元の環境に適応した真の深きものども。
彼らも移動要塞ごと全滅させた。
ついでとばかりに真なる世界へ攻め込む機会を窺っていた蕃神の“王”たちには超新星爆発をお見舞いして、少なくとも100体以上は葬ったはずだ。
今回の勝利は大金星といっても過言ではない。
このまま勝ち鬨を上げて喜ぶくらいは許されるだろう。
だが、誰一人として声を上げなかった。
沈黙を貫き通しており、何かが起こる予感に身構えている。その緊張感は戦いの後の残心とはまったく異なるものだった。
まず最たる理由として挙げられるのは――ミロが静かなのだ。
覇唱剣を横薙ぎに斬り払ったまま動いていない。
こちらも残心だとしても、その硬直はあまりにも長いものだった。
そもそも短気なミロに残心など似合わない。
何より次元の裂け目を閉じたならば、その承認欲求から自分の手柄をアピールして「ツバサさんやったよー! 褒めて褒めてー♡」と甘えてくるはずだ。
なのにミロはピクリとも動かない。
ようやく動いたかと思えば、覇唱剣を正眼に構え直した。
直観&直感の固有技能を持つ彼女が警戒を解かないところから、まだ戦いが終わってないと察したツバサたちも気を引き締めて身構える。
ツバサと三人の分身態はミロを取り囲み、厳重な警護網を布いた。
「……ミロ、まだ終わってないのか?」
要点だけを短く尋ねるツバサにミロは小さく頷いた。
「終わってない……だって、次元の裂け目がちゃんと閉じないんだもの」
なに!? とツバサは顔を振り上げて両眼を見開いた。
一見すると次元の裂け目は閉じたようにしか見えないのだが、目を凝らして神経を集中させてみると、ほんの少しだけ空間に綻びがあった。
水道用のホースを通すのが精々の――小さい穴。
小さな円を描く穴が残っている。
だが、その向こう側に別次元の闇は覗けない。代わりにピンクの蛍光色に染まったゼリー状の物質が蠢動しながらも穴に詰まっていた。
この物質が裂け目が閉じるのを防いでいるらしい。
……正体不明のゼリーにそんな力が!?
こちらの勘繰りを読んだかのようにゼリー状物質は反応し、ブジュブジュと粘度のある液体を噴き出す音をさせて、真なる世界へと入り込んできた。
ピンクのドロドロにしか見えない謎の物質だ。
分析で調べたところ、可能な限り液体に近付けた肉塊だと判明した。
「……昔、ツバサさんが作ってた肉スープ思い出すわ」
「あれは限界まで煮詰めた超濃厚コンソメだ」
一緒にするな、とツバサはミロの感想にツッコミを入れた。
一時期ツバサは異常なくらい料理に凝り、旺盛なチャレンジ精神から究極や至高と名付けたくなるような料理を作ることを楽しんでいた。ミロが肉スープと呼んでいる超濃厚コンソメはそのひとつである。
コンソメなのに異様に重くて粘性が高く、飲むと肉の味しかしなかった。
……確かに肉スープと言われても仕方ないか。
穴から噴き出す肉塊の勢いは止まらず、大地へと滴り落ちる。
それは少しずつ積み重なっていき、意志があるとしか思えない振る舞いで流動を始めると、見栄えを良くするためなのか自らの形を整え始めた。
やや縦長だが半球のドーム状に固まる肉塊ゼリー。
ドームの表面は質感を変えていき、血肉ではなく緞帳のように分厚くも高級感のある布地めいたものになった。そこへリボン、フリル、レース……といったファンシーながらも華美な装飾によって上品に彩られていく。
最初に連想したのは――お姫様のスカート。
フランス王朝が絶世期に流行した、骨組みを渡してテントのように膨らませた豪奢なスカートだ。ただし、大きさは倍では利かない。
本当に大型のテントみたいなサイズ感だ。高さは2mを近くあった。
次にドームの天辺が肉塊を積み上げて細い柱が伸ばしていく。
それも皮革めいた硬質感を帯びており、衣装の一部だとしたら腰の細さを際立たせるためのコルセットにしか見えなかった。事実、背中を確認するとコルセットを締め上げるためのキツい組紐がギッチギチに締まっている。
コルセットの上部に現れるのはドレスをまとう胸部。
胸元が大きく開いているタイプのものだが、湧き上がる肉塊ゼリーによって構成された乳房の大きさが半端ではないため谷間の深さが凄まじい。
神々の乳母の超爆乳を越える――異次元サイズの乳房だ。
もはや爆乳の域に収まらない超乳と呼ぶべきサイズである。
ツバサのおっぱいも片方だけでバスケットボール大と揶揄されるが、彼女のそれは片方の大きさがバランスボールに匹敵するかそれ以上である。
全体的に巨大だから乳房もデカいのかも知れない。
現時点で頭部は見当たらないものの身長は3mを超えそうだ。
とんでもないサイズの超乳を波打たせながら、左右の腕も血肉ゼリーを伸ばして形作られていく。常人と比べたら太いが体格からすれば細めである。
そして、異様に長い。
ドレスの袖もたっぷりのフリルで飾られており、それに包まれた腕は人間のように肩と肘の関節しかないにも関わらず、とても長く感じられた。合わせているのか両手の五指も木の枝のように長い。
それでも美しく見えるのはバランスが神懸かっているのか?
巨大な乳房を支える鎖骨ができあがると、これまた長い首が生えてきてようやく顔らしきものが完成する。顔立ちはちゃんと美人仕立てだ。
ただ、一向に安定しない。
美少女かと思えば美魔女になったり、美熟女に見えたら美幼女になる。
雰囲気も垂れ目のほんわりした美人という印象を受けたはずなのに、瞬きでもしたらつり目の強気な姉御に変わっている。なんであれ美女であることには間違いないのだが、移り気に変化する百面相な顔立ちだ。
変化がないとすれば、親愛の情を露わにした愛想笑いな表情のみ。
それさえもたまに酷薄な冷笑に見える時があった。
両の瞳はまだ形作られてないのか瞼は閉ざされたままだ。
ドーム状の豪勢なスカートに掛かるほど長いウェーブヘアは、血肉を連想させる生々しいピンク。絹のような髪の一本まで肉塊で丁寧に再現している。
不安定な頭の上には小さな王冠が乗せられていた。
右手には掌に収まらない大きさの宝石を飾った王笏。
左手には虹色の羽毛で飾られた大振りな扇。
全長3m越えながらも、上流階級を思わせるお姫様な風貌をしていた。
しかし、彼女の正体は別次元からやってきた肉塊。
どう考えても蕃神の一員であり、その身に宿した力は蕃神の“王”に勝るとも劣らない強力なもの。見た目が人間らしくても気を許せるわけがない。
ツバサたちは臨戦態勢のまま相対する。
こちらの気迫を意に介さず、肉塊のお姫様は開眼すると濃厚な笑みを零した。円らというには見開きすぎの瞳はギョロギョロと辺りを見回す。
七色の虹彩を煌めかせる瞳は人外らしさを強調していた。
この場にいるLV999を一人残さず見渡す際に愛嬌を振りまいた彼女は、少々お行儀悪く大口を開けてから声高らかに挨拶をする。
「――ボンジュール皆様方ぁぁぁー♡」
言葉の意味は通じる。ツバサたちにも普通に聞き取ることができた。
だけど何故――フランス語と日本語のちゃんぽん?
この指摘をできる空気ではなく、誰もが押し黙るまま当惑させられた。
31
お気に入りに追加
581
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。
狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた
きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました!
「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」
魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。
魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。
信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。
悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。
かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。
※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です
黒髪の聖女は薬師を装う
暇野無学
ファンタジー
天下無敵の聖女様(多分)でも治癒魔法は極力使いません。知られたら面倒なので隠して薬師になったのに、ポーションの効き目が有りすぎていきなり大騒ぎになっちまった。予定外の事ばかりで異世界転移は波瀾万丈の予感。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する
土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。
異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。
その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。
心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。
※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。
前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。
主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。
小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる