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第21章 黒き世界樹そびえる三つ巴の大地

第514話:イハ=ンスレイが堕ちる時

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深きものどもディープ・ワンズ真骨頂しんこっちょう……それは生命力にあるッス』

 ――決戦前夜のこと。

 フミカは第三フェーズの参加者を飛行母艦ハトホルフリートの会議室に集めた。

 始められたのは深きものどもの恐ろしさにまつわる講義こうぎ。特に底無しの生命力とそれを源とする異常なまでの環境適応能力についてだ。

 どうして第三フェーズ担当だけを集めたのか?

 それは彼らが深きものどもの“本隊”の掃討そうとうを請け負うからだ。

 第一フェーズと第二フェーズは真なる世界ファンタジアに前線基地を設けた、こちらの世界に適応した深きものどもの軍勢を排除すること。

 第三フェーズは彼らが待ち侘びる“本隊”を誘き出して撃滅すること。

 真なる世界ファンタジアに侵入した連中だけを始末すれば終わりではない。虎視こし眈々たんたんとこちらの世界への侵略を企む“本隊”を叩き潰さねば、大陸島カスタヨルズのような惨劇さんげきは繰り返されるし、第二第三のインスマンスが現れかねない。

 だから――根絶やしにする。

 別次元にまで手を伸ばすことは難しいが、少なくとも真なる世界ファンタジアの近くを彷徨うろつ不逞ふていやからはすべて完膚無きまで殺し尽くすことを前提とする。

 ここまでやれば深きものどもディープ・ワンズも痛感するだろう。

『――真なる世界ファンタジアに手を出せばこちらが絶滅させられかねない』

 そこまで思い知らせてやらねば気が済まない。

 また他の蕃神ばんしんにも真なる世界ファンタジアの底力を見せつける。

 別次元に待機中である深きものどもの“本隊”を壊滅させるのは見せしめの標識ひょうしきみたいなものだ。“本隊”の巻き添えにする計画も画策中かくさくちゅうである。

 残酷とそしられても構わない。意思いし疎通そつうができない蕃神に容赦は不要だ。

 ここまでの残虐性ざんぎゃくせいはある歴史上の人物を思い出させる。

 ワラキア公――ヴラド・ツェペシュ。

 吸血鬼ドラキュラのモデルとして有名なこのワラキア公国(現在のルーマニア南部)の王は、度重たびかさなるオスマン帝国の侵略や臣民しんみんの裏切りには冷徹な怒りを持って対処し、誰であろうと残酷な串刺しの刑に処したという。

 そして、見せしめのため路傍ろぼう国境こっきょうに串刺しを並べたとのこと。

 ゆえにワラキア公は“串刺し公”の異名で近隣諸国から恐れられることになる。

 人間同士でもここまでした前例があるのだから、話の通じない侵略者には言語を用いて説得するよりも、こうした示威じい行為こういが効果的だろう。

 ――からす死骸しがいを吊しておけば烏は近寄らない。

 烏の被害に悩む農地で使われる見せしめ対策と似たり寄ったりだ。

 ちなみに発案者は軍師殿レオナルドである。

 小心者な平和主義者な彼にしては豪胆ごうたんさくだった。

『蕃神から蛇蝎だかつごとく嫌われても構わないさ。むしろ望むところだよ』

『おまえ、踏ん切りがいい時は躊躇ためらわんよな』

 ツバサに負けず劣らずの慎重派だが、これと決めたらギアをトップに入れたままがけから飛び出して向こう岸を目指す思い切りの良さを見せつける。

 しかし、今回ばかりはツバサも大賛成だ。

 蕃神にはこれまで幾度いくどとなく煮え湯を飲まされている。

 戦争となったのも一度や二度ではない。なんとか勝利を収めてきたものの、どれも快勝かいしょうとはいえずギリギリの辛勝しんしょうばかりなのも腹立たしい。

 蕃神に完勝かんしょうして――五神同盟われわれの力を知らしめる。

 これがカスタヨルズの戦いに隠された裏のテーマだった。

 大盤振る舞いな戦力の背景にある理由がこれだ。

 そのためにも深きものどもディープ・ワンズの“本隊”に遅れを取るわけにはいかない。そこで第三フェーズの参加者は五神同盟でも指折りの腕利きが揃えられていた。

 内在異性具現化者アニマ・アニムスが三人(実は四人)もいるだけで異例である。

 フミカはその猛者たちを緊急招集した。

 どうしても聞いてほしい、と彼女に呼び集められたのだ。

深きものどもディープ・ワンズの“本隊”と当たる皆さんには知っといてもらいたいッス。予想よそう推察すいさつ憶測おくそく……そういうものがふんだんに含まれる仮説ッスけど』

 ――ウチの懸念けねんに耳を傾けてほしいッス。

 フミカの情報処理能力にはこれまで何度も助けられてきた。

 そんな頼もしい博覧はくらん強記きょうきむすめにお願いされたら、母親であるツバサを筆頭ひっとうに拒めるわけがない。全員一も二もなく彼女の召集に応じていた。

『彼らは一見すると半魚人ギルマンッスけど、その中身はまるで別物ッス』

 大型の投影スクリーンを用意すると、そこに一般的な深きものどもディープ・ワンズ三面図さんめんずとともに生態が映された。それを教鞭で指すフミカは解説を始める。

『生命体として真なる世界ファンタジアや地球の生物と相容あいいれれない最たる点は、老化ろうか老衰ろうすいによる死を迎えないこと。永遠に成長期で繁殖適齢期なことッス』

 ――老いて死なずの不老不死。

 深きものどもの生体はこれを体現していた

『ゲームのキャラみたいな設定だよな』

 セイメイが茶々ちゃちゃを入れたが、みんな同意するように頷いた。

 ニート侍が言いたいのは『延々えんえんと成長できるなんて、そういうゲームのキャラクターぐらいのものだ』と揶揄さゆしたいのだろう。

 生き物には寿命という限界がある。

 寿命が長くとも加齢かれいによって体力の限界が来るものだ。

 成長期や繁殖適齢期は代表的なものだろう。

 生命体である以上、神族や魔族であろうと老化はまぬがれない。成長期はそれほど長くはないし、繁殖適齢期も永遠ではない。そもそも寿命が長い神族や魔族は繁殖はんしょく抑制よくせいされているのか、不妊ふにんと勘違いするほど繁殖率が低い。

 ――神や悪魔でさえ老いるもの。

 それを避けるため神話の神々や悪魔たちは、若返りの食物や秘薬を巡って一悶着ひともんちゃくを起こすのが通例なくらいだ。

『ギリシャ神話に語られる不死の食べ物アムブロシアに神酒ネクタル、ヒンドゥー神話の乳海にゅうかい攪拌かくはんで作られた霊薬アムリタの争奪戦、北欧神話の女神イズンが持つ若返りのリンゴを巡る争い、メソポタミア神話のギルガメッシュ王が不死の霊薬を探す旅、日本神話の月読つくよみがもたらすとされる不死の若変水おちみず……』

 指折り数えるフミカの手がいつまでも止まらない。

『どんだけ老いたくないの神様ズ』

『人も神も魔も回春かいしゅんには必死だったわけですね』

 ミロとクロウの的確なツッコミにフミカの指も止まった。

『永遠の命ってのはそれほど魅力的みたいッスね……これは真なる世界ファンタジアでも地球でも変わらないッス。どっちの人々も魅了されまくりッスからね』

 そんな永遠の命を体現したのが――深きものどもディープ・ワンズだ。

 短命や長命の差はあれど、定められた命しか持てない真なる世界ファンタジアの住人を惑わすにも十分だったのだろう。彼らになびいた者は多いと聞いている。

 そして深きものどもはいつまでも繁殖する。

 どれほど年を経ても子を成せるのは生物学的にも異常だ。

 何万年生きようが雄は子供を産ませることができ、牝は子供を孕むことができる。しかも一定の高等種族ならば種を越えて繁殖することも可能。

 人間や海洋哺乳類に真なる世界ファンタジアの多種族……選り好みもしない。

 両者の間に生まれた子供は最初こそ相手側の種族寄りだが、成長期を過ぎればすぐさま容貌ようぼうが変わり、間を置かずして深きものどもディープ・ワンズとなる。

 これは変身ではない。彼らにとってあるべき成長過程なのだ。

 決して交雑種ハイブリッドは生まれない。一滴でも血を受け継いでいれば、その子供どころか子孫までもが深きものどもへと成長する可能性を秘めていた。

 これもまたふざけた生命力の表れである。

 不老不死のくせしてねずみ算式に増える繁殖率。

『……南海の底にある基地だけでどれだけの人数を抱えていることか』

『星の数ほど――この形容けいように間違いはないわけですね』

 解説を聞いていたクロウが深刻さを隠さずに呟いた。骨だけの腕を組むとスーツの中からカシャリと乾いた音がする。

 他にも納得のいかない点があるのか、三面図を指差してクロウは続けた。

『そもそもの話、外見こそ半魚人なのでえら呼吸こきゅうかと思えば、地上では平然と肺呼吸していますから……我々の常識が通用しない身体構造です』

『カエルだって変態しないと呼吸は切り替えスイッチできないッスからね』

(※両棲類りょうせいるいはオタマジャクシのような水中で暮らす幼体ならば鰓呼吸、カエルとして成体になると肺呼吸になる。ただし、ウシガエルなどはオタマジャクシの頃から鰓呼吸、肺呼吸、皮膚呼吸、と三点セットで呼吸できたりする)

 うぅむ、とアハウが大型肉食獣のように唸る。

『おれはてっきり肺魚はいぎょみたいなものかと思ったが……』

『魚類だけど鰓じゃなくて肺で呼吸する種ッスね。彼らも幼い時は鰓呼吸で成長とともに肺呼吸オンリーになってくらしいッスけど……』

 深きものどもディープ・ワンズは鰓呼吸と肺呼吸の欲張りセットになっていた。

 そういえば、とフミカはポンと手を打った。

『ピラルクもできるんで呼吸器系は大目に見れるかも知れないッスね』

 いるんかい両方できる奴、と何人かがツッコミを入れた。

(※ピラルク=アマゾン川流域に棲む世界最大の淡水魚たんすいぎょ。温かいアマゾン川は酸素濃度が低いため、鰓呼吸だけでは巨体を維持する酸素を取り込むのが間に合わない。そのため肺が発達して水面に出て呼吸する能力を身に付けたという)

 この指摘してきがフミカの知識を程良く刺激しげきする。

『それをいったら高速で深海を行き来できるなんて水圧でおかしくなりそうなもんスけど、マッコウクジラみたいに深海1㎞まで10分で潜れる生物もいるから……あれ? 深きものどもって割と地球の生き物っぽいッスか?』

『落ち着けフミカ、不老不死の時点でおかしいから』

 取り乱しそうな次女フミカに一声掛けてツバサは落ち着かせる。

 このままだと博識な彼女のことだから『実質的に不老不死な生物なら地球にもいたッスね』と語りかねないので軌道きどう修正しゅうせいを掛けていく。

 後日――実在じつざいすることを知って驚く羽目になる。

『地球の生物も真なる世界ファンタジアや別次元の連中に負けず劣らずの驚異的なところがあるのはわかったから……それを踏まえても深きものどもは異質なんだよ』

 そう言いたいんだろう? とツバサは念を押す。

その通りオフコース! やっぱいあいつら別次元由来なんスよ!』

 ビシリ! と手にした教鞭きょうべんをしならせてツバサを差すフミカ。再びスクリーンに向き直り、第三フェーズ担当者へ伝えたい内容について言及げんきゅうする。

深きものどもディープ・ワンズ根幹こんかんである異常な生命力……それが顕著けんちょに表れているのが、どのような環境であろうと即座に適応する肉体能力にあるッス』

 生物には大なり小なり適応能力があるものだ。

 わかりにくいが人間にも備わっている。

 温暖おんだんな気候から寒冷地かんれいちへ移り住めば体毛が濃くなったり脂肪がつきやすくなったり、空気の悪いところで生活すれば鼻毛の伸びが早くなったり、見晴らしのいい土地で暮らせば視力が良くなったり……。

 どれも軽微けいびだが、これも立派な環境適応能力である。

 世代を重ねれば形質的な変化を起こし、種族としての差異にもなる。これが進化と呼ばれる現象であり、人類にも種族的な差があったものだ。

(※黒人は運動能力に優れた筋骨きんこつを持つのは有名。欧米人おうべいじんは他人種と比べて牛乳のカルシウム吸収効率が高く、日本人は根菜こんさい穀物こくもつ海産物かいさんぶつをメインとして食べてきたためか、長いちょうと一部の海藻類かいそうるいは消化できる酵素こうそを持つ。こうした細やかな差であっても進化の一端である)

適応てきおうっていうと……そんなキャラがいたの思い出すなぁ』

『いやしたね、そんなの。どんな強キャラの攻撃でも適応すれば効かなくなるってんで作中でも厄介やっかいキャラってことで幅利はばきかしたやつ』

 ヒデヨシのぼやきにセイメイが付き合う。

 ニート侍だが舎弟しゃてい口調くちょうで接するのが彼なりの敬語けいごだ。

深きものどもディープ・ワンズの適応もそのキャラくらい警戒してくださいッス』

 二人のぼやきを拾ったフミカは警告気味に言った。

 マジかよ……と一同が静かになると次女は語気ごきを強めてくる。

 ピースサインよろしく人差し指と中指を立てた。

『深きものどもの素性についてはクトゥルフ神話でも2つの説があるッス』

 ひとつ、地球由来の生命体であり固有種こゆうしゅ説。

 太古の地球に飛来した偉大なルクトゥルの力を目の当たりにして傾倒けいとうし、彼らに従事じゅうじすることを喜びとした奉仕ほうし種族しゅぞくという説だ。

 もうひとつは、地球ではない別の星で誕生した異星人エイリアン説。

 かつてクトゥルフは宇宙の彼方にある暗黒のゾス星系せいけいきょを構えていたとされ、深きものどもディープ・ワンズもそこの現地種族だったという説だ。

『地球や真なる世界ファンタジアの生命体と似通ったところがあるとはいえ、深きものどもは明らかに別物……なので後者がその正体じゃないかと思うんスよ』

『文字通り、異星人というわけだな』

 フミカの推測すいそくまとている。ツバサは肯定するべく頷いた。

 かつてクトゥルフは新天地を求めて旅立った。

 これに深きものどもも追随ついずい、共に地球へ来訪したの想像に難くない。それは深きものどもにとって先祖に当たる者たちだったはずだ。

『……やがてクトゥルフが星辰せいしんの配置が乱れたことで都市ルルイエとともに海中に没して眠りについたため、深きものどもはそれを守っているッス』

『ルルイエは海底に沈んでいるんだよな?』

 ツバサは海の底を指すように人差し指を下へ向けた。

 いつも崇拝するクトゥルフのかたわらにはべり、眠りにつく偉大なる旧支配者グレート・オールド・ワンを守るため、深きものどもも進んで海の底へ潜っていったに違いない。

『そんで環境適応能力で半魚人になった……ってことぉ!?』

 どこかで聞いたことのある言い方でミロがまとめた。

『多分そんな感じッスね。そう考えた方が辻褄つじつま合うんスよ』

 クトゥルフの治めた暗黒のゾス星系。

 そこに棲息せいそくしていた深きものどもディープ・ワンズの祖先。彼らの原種と呼ぶべき生命体は、恐らくだが半魚人とは似ても似つかぬ姿をしていたに違いない。

真なる世界ファンタジアでも海底に暮らす半魚人みたいなんで、元から水や液体に浸かって暮らす生態だったのかも知れないッスけど……今となっては奴らの原種げんしゅがどのような姿なのかは定かじゃないですし、さかのぼることにあんまり意味はないッス』

 調べてみたいッスけど……とフミカは本音を覗かせた。

 さすが博覧はくらん強記きょうきむすめ。クトゥルフ神話の魔物すら調査対象になるらしい。

『問題なのは別次元で待ってる“本隊”ッス』

 ここまでの講義こうぎを聴いた面々はフミカの訴えに勘付かんづいていた。

『なるほどな、フミカちゃんの心配事はこうだ』

 一同の代弁者だいべんしゃを務めたのは老組長ことバンダユウだった。片手に持った極太ごくぶと煙管きせるをプロペラみたいに回しながら簡潔かんけつにまとめる。

『別次元ってのは生身じゃ過ごせねえ過酷な環境だと聞いている』

 神知じんちも及ばない蕃神ばんしん揺蕩たゆたう超常空間。

 まともな生命が生きていけるわけもない。

『そこに長居ながいした深きものどもの“本隊”。ご自慢の環境適応能力でどんな変貌へんぼうを遂げているか見当もつかねえからおっかない……そういうことだろ?』

『ズバリ、そういうことッス!』

 まとめが上手い! とフミカは太鼓判たいこばんを押した。

『一応、連中にも足場っちゅうか移動拠点があるみたいぜよ』

 フミカの隣にいたダインが補足ほそく説明せつめいを始めた。

 深きものどもの古代ルルイエ語を解読し、彼らの会話や“本隊”との通信を傍受ぼうじゅしていたので、別次元を航行こうこうする乗り物の存在を突き止めたらしい。

 こちらは長男ダインの専門分野なので次女フミカも解説を譲っていた。

『先だってうたミ=ゴっちゅう連中もそうやったき、深きものどもも随分ずいぶん大仰おおぎょうな戦艦だか空母だかこさえとったみたいじゃが……ミ=ゴとは違うてパワードスーツなしでも別次元で平然と活動してるみたいなんじゃ』

 ミ=ゴとはかつて戦った蕃神ばんしんだ。

 正確には蕃神ではなく、彼らの側に属する一種族。ある蕃神を崇拝すうはいする奉仕種族であるとともに、自分たちの文明を有する独立種族だ。

 彼らはどこで活動するにしろ、大層な強化服を着込んでいた。

 そういう意味では人間に近いとも言える。

『強化服なしで? それは……適応能力があるとはいえ常軌じょうきいっしてるな』

『過酷な環境に適応することでパワーアップをはかっているのか?』

 レオナルドが率直な感想を苦言くげんみたいにていし、その横ではアハウが生物として更なる高みを目指そうとする深きものどもの心理に言及げんきゅうした。

『つまり――“本隊”の戦闘能力は未知数ッス』

 話をめるようにフミカは注意する最大のポイントを上げた。

『並外れた環境適応能力は、さっきヒデヨシさんが言ってた漫画のキャラクターみたいに、こちらの攻撃にも適応しかねません。曲がりなりにも生き物なので限界はあると思うんスけど……用心するに越したことはないッス』

 この慎重さはツバサに勝るとも劣らない。

 母親の背中を見て成長してくれたのか……と思うとツバサの内なる神々の乳母ハトホルも喜んでおり、思わず目元を涙で濡らしながら頷いてしまった。

『誰の背中が頼もしいお母さんオカンだ!?』

『誰もバサママにそんなこと言ってないッスよ!?』

 とにかく! とツバサのボケツッコミを力尽くで退けたフミカは、“本隊”と直接対決する第三フェーズの担当者たちを見回して力説りきせつする。

『深きものどもの適応能力には細心の注意を払ってください! ウチから提案できる最善さいぜんさくとしては、こんなものがあるッス!』



 名付けて――はじめチョロチョロなかパッパ作戦。



『……いや米の炊き方か!?』

 思わずツッコんだのは炊飯すいはん一家言いっかげんあるツバサオカンだった。

   ~~~~~~~~~~~~

 召喚装置であるなまり円盤えんばんによって開かれた次元の裂け目。

 巨大なひとみのような形をしたそこから、わらわらと真の深きものどもシン・ディープ・ワンズが湧き上がるように現れていた。最初の四体を皮切りに続々と裂け目を越えてくる。

 これまで遭遇した半魚人とは様相ようそうが違う。

 五体ごたい四肢ししを持つヒューマノイドな体型こそ同じだが、鱗や甲殻の見当たらないのっぺりした肌。わずかにひれは見受けられるが半魚人ほど目立たない。

 この鰭、可変式らしい。

 先ほどの不意打ちでは肘に生えた鰭を伸ばして刃にすると、超振動を加えたまま斬りつけてきた。生身で高周波ブレードをやってのけたようなものだ。

 肉体の適応能力を活かしたのだろう。

 複眼ふくがんめいた大きな眼球は顔の左右に迫り出している。

 本当に複眼だとしたら奴らの視界は恐ろしく広い。

 おまけに武道家泣かせだ。あれでは眼球の動きから挙動を読めない。相手の黒目の動きで先読みすることに慣れた者ほど戸惑ってしまう。

 口がどこにあるかわからない口吻こうふんが目立つ口元。口を開けば花が咲くように四分割に開いて、無数の牙と触手しょくしゅめいた舌を覗かせていた。

 黙っていれば――海洋かいよう哺乳類ほにゅうるいの擬人化。

 イルカ、シャチ、クジラを連想れんそうさせる見た目をしていなくもなかった。

 あるいは特徴の少ない流線型りゅうせんけいのフォルムをした深海魚しんかいぎょ。開花するような口元はヌタウナギのような異形さを思い出させる。

 しかし、幸いなことに数はそれほど多くはない。

 地下都市アウルゲルミルを襲った津波のような大軍勢は一向に現れず、次元の裂け目から一匹また一匹と現れる程度。戦隊ヒーローのモブ戦闘員くらいの勢いしかない。

 あまり徒党を組んだりはせず、散兵さんぺいとなって襲い掛かってきた。

「……やはり別次元の環境は過酷のようだね」

 迫り来る半魚人どもと間合いを取るレオナルドは独りごちた。

 蕃神ばんしんでなければ生存せいぞんも適わない、そもそも命ある者が踏み込むべきではない領域なのだ。いくら適応能力が高くても限界があるのだろう。

 繁殖を繰り返したとしても、大多数が脱落していったようだ。

 だから兵力を増やせなかったに違いない。

 逆に言えば――生き残った連中は別次元に適応したということ。

 深きものどもディープ・ワンズでも生え抜きと認めていいだろう。

「さすが“本隊”、原種をも超える“真の深きものども”シン・ディープワンズ……」

 といったところかな? と疑問形で問い掛けるレオナルドの手から高速で射出しゃしゅつされたのは、“気”マナ硬質化こうしつかさせた何本ものパイルだった。

 それらは襲い来る五体の半魚人へ次々と突き立てられていく。

 しかし、パイルは半分も刺さらない。

 手応えも大型ダンプの分厚いタイヤを柔らかい木の杭で突いたような感覚で、突き刺さる気配がなく、今にも跳ね返されそうだった。

「頑丈さは折り紙付きか……おっと!」

 咄嗟とっさにレオナルドは首を傾けた。

 さっきまで銀縁ぎんぶち眼鏡めがねを乗せた顔があったところを、真の深きものどもの腕が通り過ぎていく。距離的にまだ十数m空いているにも関わらずだ。 

 一体の半魚人が腕を伸ばしていた。

 日本人なら「ゴムゴムのぉ~」で通じそうな伸び方だった。

 伸縮しんしゅくする手足を突き込んで振り回す。

 伸びる拳が空気を割ればソニックブームを巻き起こし、伸びる脚で大振りの回し蹴りをすれば音速を超える威力に地表が削られそうになる。

 まるで卓越たくえつしたむち使つかいだ。

 牛追い鞭ブルウィップの名手でもここまでの破壊力は出せまい。

「ふむ、右腕は伸びているが全体のフォルムに目立った変化はない。これが河童なら両腕が一本の骨で繋がっているから左腕が短くなるものだが……ッ!」

 蘊蓄うんちくを語りながら急いで身をひるすレオナルド。

 愛用するマント代わりの将校コートにかぎ裂きが生じていた。

 軍師の間合いに踏み込んだ二体の半魚人は、両手を振り翳してそこに瘴気しょうきが渦巻せる。瘴気は丸鋸まるのこみたいな光の輪になって高速で回転を始め、触れたものすべてを八つ裂きにする武器と化したのだ。

 真の深きものどもは回転する光の輪で斬りつけてくる。

「――てのひらで回転させたまま斬りつけるも良し」

 軽やかなステップでレオナルドはかわす。今度はコートにも触れさせない。

 そのまま後ろに跳べば今度は光の輪を投げつけてきた。

「――飛び道具として投擲とうてきするも良し」

 多芸たげいなことだね、と感心する軍師はパイルで撃ち落として対処する。

「インドの戦輪チャクラムみたいな真似をする。もっとも瘴気しょうきで形成されてる以上、あれに斬られたら毒に侵されて命の危機もあるだろうな」

 レオナルドは戦いの最中も観察眼かんさつがんを働かせる。

 お返しとばかりに投げ飛ばすパイルの乱射も、見る人によっては数打ちゃ当たるの反撃に見えるかも知れないが、冷徹れいてつな計算に基づいたものだった。

 ――同じ箇所かしょに五発のパイルが重なる。

 ご丁寧なことにそれらの杭はてっぺんが釘のように加工されているので、打ち込みやすいようになっていた。どれほど頑丈な肉体であろうとも、五連で杭を撃ち込めば手傷くらいは負わせられるだろうという計算だった。

「……いや、これは打算ださんだったかな」

 レオナルドは残念そうに呟いた。

 五連のパイルは深々と刺さるものの、真の深きものどもは平然としている。

 痛みに身をよじる素振りもなければ、皮が裂けて肉を穿うがつことで流血する様子もなかった。杭は今まで通り、筋肉によって押し返されてしまう。

「いやはや極めつけの頑丈さだね……それとも弾力がすごいのかな? 鋼鉄製のゴムでも打っているような感触だよ。やれやれ、これは手を焼きそうだ」

 冷静に愚痴ぐちるレオナルドは後退あとずさって間合いを計る。

 軍師を襲う真の深きものどもシン・ディープ・ワンズは数十体に増えていた。

 群がる半魚人からの猛攻、未知の新技を次から次へと繰り出されてもレオナルドは動じることなくさばきながら回避に専念する。彼の流儀は空手なのでフルコンタクトでも渡り合えるのだが、なるべく接触を避けていた。

 どうしてもという時は“気”マナパイルで対応する念の入りようだった。

「触れた途端とたん、妙な病気でも流行うつされたら堪らないからね」

『小学生のエンガチョか!?』

 通信越しだがツバサが声を張り上げると軍師は笑った。

「ハッハッハッ、慎重に期するのは君だけじゃないってことさ」

『……まあ確かに俺も直接接触は避けるな』

 ヤドクガエルみたいに猛毒の体液を持っている可能性も捨てきれない。ツバサの場合はそういう不安から絶対に素手では触らないだろう。

 乱戦を繰り広げる軍師は視野を広げていく。

 仲間たちの状況を視認し、真の深きものどもシン・ディープ・ワンズの能力を推し量っていた。

久世くぜ一心流いっしんりゅう――切風きりかぜ

 みだき! とセイメイは腰の豪刀ごうとうをすっぱ抜いた。

 居合いの構えから放たれる三日月の斬撃は、言葉通り乱れ打ちに放たれて半魚人どもに直撃する。袈裟けさ逆袈裟ぎゃくげさ唐竹からたけり、横一文字よこいちもんじ……斬撃は様々な一太刀によって真の深きものどもの五体を分断するはずだった。

 残心の構えのまま状況を観察する黒衣の剣豪。

 しばらくすると戯けた苦笑いを浮かべる。 

「う~む……斬れてな~い♪」

 セイメイははやてるような口調で呟いた。

 蕃神をも一刀両断にする飛ぶ斬撃を浴びながら、真の深きものどもは誰一人としてかすり傷ひとつ負っていなかった。

 斬撃を受けた部分が真っ赤に変色し、蒸気じょうきを上げているだけだ。

「いやーどうすっかなあれ。レオじゃねえけどおれもじかに斬りたくねぇ……刃毀はこぼれはしないかもだけど、刃が汚れそうでなんかイヤな感じ」

『おまえもエンガチョ勢か』

「誰しも得体えたいの知れないもんには触りたくないんじゃない?」

 酔っぱらいに正論で説かれてしまった。

 敵を斬れないことをセイメイは残念がるでもなく泰然たいぜんとしており、こちらを取り巻きつつある半魚人を飛ぶ斬撃で牽制けんせいし、絶妙な距離感を取っていた。

 縦横じゅうおう無尽むじんに伸びる手足もことごく回避している。

 黒い長羽織をはためかせて疾風迅雷に駆ける様は黒い旋風のようだ。

「――お嬢さん♪ お入んなさい♪」

 縄跳び遊びにつもりで童謡どうよう口遊くちずさむ余裕っぷりだ。この笑顔のまま立ち塞がる者を躊躇ちゅうちょなく切り捨てるのだから、この男は生粋きっすいの人斬りである。

 ――得体の知れない異星人には触れず近寄らせない。

 この戦法をクロウも取り入れていた。

 シルクハットにマントの骸骨がいこつ紳士しんしは、手にしたステッキで大地を突くとその上に両手を添えて念じた。すると骸骨の眼窩がんかに紅の業炎が灯る。

 クロウの過大能力――【我こそが地獄でありアイアム・ア・ヘル地獄こそ我である】・ヘル・アイアム

 冥府神クロウ内面世界インナーワールドである地獄を顕現けんげんする力。

 地獄の炎を喚び出すなど、冥府めいふ主人しゅじんには朝飯前だった。

「――噴炎ふんえん!」

 ステッキを起点にして大地がひび割れる。そこから噴き上がる業火は火炎放射どころではない威力を備えており、クロウへ飛び掛かろうと身構えていた半魚人たちを焼き焦がしながら天高く打ち上げていった。

 落ちてきた頃には見事な焼き魚になっているはず。

 クロウを含め、横目で見ていた仲間もそんな想像を巡らせていた。

 だがしかし――事はそう思い通りに運ばない。

「水属性っぽいにも関わらず耐火性たいかせいは十分ですか……困りましたね」

 地獄を使う私とは相性あいしょうが悪い、とクロウはまゆひそめた。

 死んで骨だけのスケルトンなので髑髏どくろ眼窩がんかを寄せているのだが、それだけでも眉を顰めたように見えるから不思議だ。

「ならば物理的威力を伴う攻撃は如何いかがですか?」

 目の前に突き立てたままのステッキを介して、クロウは地獄を司る過大能力オーバードゥーイングの更に発動させる。イメージ的には火力を数段引き上げた感じだ。

「――炮烙ほうらく鋼柱こうちゅう!」

 大地を突き破って現れるのは無数の焼けた柱。

 鋼鉄の柱はどれも真っ赤に燃えており、音速の壁を突き破る速度で大地の底から突き上げられたため、またしても吹き飛ばされる半魚人たち。

 何匹かは焼けた鋼柱こうちゅうに張り付いていた。

 だが、手応えが悪いのかクロウの表情はかんばしくない。

「耐火性のみならず耐衝撃まで一級品ですか……これは骨が折れますね」

 ――私、骨が折れたら大惨事ですけど。

 得意のスカルジョークを冴えない独り言として囁いた。

 吹き飛ばされた真の深きものどもシン・ディープ・ワンズはピンピンしており、空中で猫よろしく三回転半を決めると何事もなかったように着地した。

 鋼の柱に張り付いた連中もただれたわけではない。

 反射的に柱へとしがみついて吹き飛ばされるのを防いだだけだ。そののっぺりした肌には火傷やけどひとつ負っておらず、テラテラとした光沢でぬめっていた。

 半魚人からしたたる体液を見てクロウは勘付く。

「……ッ! 全身から不燃液ふねんえきを出しているのですか!?」

『ヌタウナギの粘液ねんえきと似てるッスね』

 クロウが耐火性の正体を見破ると、現在進行形で真の深きものどもの肉体構造を超スピードで解析中かいせきちゅうのフミカが通信に似た事例じれいを上げてきた。

 無顎類むがくるいあるいは円口類えんこうるいと呼ばれるヌタウナギ類。

 名前にウナギとあって見た目も似ているが種族的にはまったく遠い。脊椎せきつい動物どうぶつとしては原始的なグループに属する。硬骨こうこつ魚類ぎょるいのウナギとは無関係だ。

 彼らはヌタと呼ばれる粘液ねんえきを全身から垂れ流す。

 これは獲物えものを絡め取るあみにもなれば、敵から身を守るための煙幕えんまくたてとしても使うことができる。場合によっては武器にもなるという。

 えらに入れば大型の魚でも窒息ちっそくさせるからだ。

 大量にほとばしらせることができれば、耐火どころか消火もできるだろう。

業火ごうか得手えてとする私には辛いところです……ッ!」

 髑髏の表情でもクロウが苦虫を噛み潰しているのがわかる。

 こちらも接触はなるべく避ける方針か、クロウは過大能力でありったけの地獄をあふれさせることで防壁としていた。

 燃える鋼の柱、溶岩を吹きこぼす大釜おおがま、山をも切り崩す大鋸おおのこ……。

 燃え盛る鋼の物量がそそり立つ壁となって立ちはだかった。

 しかし――。

「……いやはや物ともしませんか」

 もはや笑うしかないのか、クロウの口角こうかくが釣り上がる。

 真の深きものどもシン・ディープ・ワンズ耐火性たいかせい粘液ねんえきをこれでもかと滴らせ、重い地獄の刑具けいぐの直撃でもビクともせずにクロウとの距離を詰めていた。

 ──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!

 そこへ獣王神の咆哮ほうこうが轟いた。

 身の丈5mの巨獣に変身したアハウが、豪奢ごうしゃな角を掲げて古代龍エンシェントに勝るとも劣らない荘厳そうごんな翼と長大な尻尾を震わせての大絶叫である。

 威圧感も凄まじいがそれだけではない。

 アハウの過大能力──【色彩豊かワールド・な世界に拡大スプレッドする意識】・マインド

 自らの精神を拡張して世界へ強制干渉する力。

 これは自らの肉体という枠を越えて無限大に広げることができ、自分の精神支配下に置くことで世界や自然を思いのままに改変できるものだ。

 世界を変える過大能力オーバードゥーイングが雄叫びに乗せられる。

 その効果範囲は真の深きものどもシン・ディープワンズの肉体とて例外ではない。

 自身の精神の枝葉えだはが彼らの肉体にまで及んだことを確認したアハウは、咆哮ほうこうを染み込ませるべく特大の震動波しんどうはを叩き込んでいく。

 個別にばら撒いた爆発力を有する音の爆弾みたいなものだ。

 ズクン! と一斉に震え上がる真の深きものども。

 よっぽど効果こうか覿面てきめんだったのかほとんどの半魚人たちはその場にすくんでおり、何体かは圧倒されたのか後ろへ引き下がるほどだった。

 アハウに恐れを成したばかりではない。

「ほう、どうやら音……いや音波のもたらす震動しんどうに弱そうだな」

 そこを見抜いたアハウは勝ち気にニヤリと微笑んだ。

「手応えから察するに……循環器系じゅんかんきけいに相当な負荷を強いているんじゃないか? 血液か体液かは知らないが、それが震動に過剰反応しているようだったぞ?」

 今の咆哮――単なる音の爆弾ではない。

 エコーロケーションのように反響で震動波を浴びた対象を知覚し、その内部にまで音を浸透させることで構造を読み取るためのものだった。

 アハウが得た情報はすぐさまフミカにも共有される。

 これにより解析作業が大いにはかどるのだ。

『見えた……皆さんお疲れ様ッス! 真の深きものどもシン・ディープ・ワンズの解析完了ッス!』

 通信網のフミカの歓喜が木霊こだまする。

 これを聞いたレオナルドたちは戦闘中だが、半魚人たちにバレないように安堵あんどのため息を漏らした。それから即座に表情をガラリと変える。

 それは敵を一匹残らず駆逐する狩人かりうどの顔だった。

「フミカちゃんこそお疲れ様……それで奴らについてわかったことは?」

 軍師が問い掛けると、まずフミカは簡単な一言にまとめた。

『あいつら――エグいくらい圧縮あっしゅくされてるッス!』

   ~~~~~~~~~~~~

 ――はじめチョロチョロなかパッパ。

 昔から唄われてきた米の上手な炊き方を表したものだ。

 全文は「始めチョロチョロ中パッパ。赤子泣いてもふた取るな」である。

 最初は弱いとろ火でチョロチョロと炊き、中程なかほどを過ぎたら強火でパッパと仕上げていく。最後に蒸らすのが重要なので絶対に蓋を取らないこと。

 これをわかりやすく言い表したものである。

 フミカが第三フェーズ担当者に提案した作戦はこうだ。

『始めチョロチョロ……最初はジャブみたいな攻撃で相手の体力や耐久性を推し量ってくださいッス。弱めの攻撃を繰り返していれば「この程度か!」と半魚人たちの油断も誘えるので好都合かも知れないッス』

 適応能力を発動させかねない、強めの攻撃は控えること。

『皆さんの必殺技とか最終奥義なら、アイツらでも一撃でノックアウトできるとは思うんスけど……万が一にも耐えられたら適応されかねないッスからね』

 フミカが解析を終えるまで本腰は入れない。

 相手の限界値げんかいちが知れたら、それを凌駕りょうがする一撃を叩き込んで仕留める。

『まどろっこしいかも知れませんが石橋を叩いていきましょう』

 母親の用心深さが乗り移ったかのようなフミカの物言いに、ツバサは超爆乳の下で腕を組みながら何度も頷いた。

 お母さん感動! みたいな心境である。

 この「始めチョロチョロ」の間にフミカが徹底的てっていてき分析アナライズを行う。

『あ、アハウさん。できれば反響エコーロケ定位ーションみたいな技で半魚人どもの体内に探りを入れてもらえないッスか? ウチも便乗びんじょうさせてもらうんで』

『音の震動波に紛れ込ませるか……わかった、引き受けよう』

 アハウの了解を得たフミカは話を先に進める。

『そんで分析が済んだら中パッパ……奴らの適応が追いつかない必殺技をお見舞いしてやってくださいッス! それはもう一撃必殺上等ッスよ』

 はじめちょろちょろ――なかぱっぱ。

 ここでようやく誰もが作戦名の真意を理解できた。

   ~~~~~~~~~~~~

『もう始めチョロチョロのターンは終了ッス!』

 お疲れさまッした! とフミカは大事なことのように二回言った。

 通信越しでも活き活きと可憐かれんな声をみなぎらせている。

『おかげさまで真の深きものどもシン・ディープワンズの別次元に適応した生命体、その脅威的かつ驚異に値する肉体構造をパーフェクトに解析することができたッス!』

「それを端的たんてきにまとめると……圧縮なのかい?」

 聡明そうめいな軍師殿でも単語のキーワードのみでは、真の深きものどもの異常性を読み解けないようだ。フミカは勿体もったいらずにその正体を解き明かしていく。

『はい、あいつら外も中もバチクソ圧縮させてるんスよ!』

 フミカの説明を簡潔かんけつにすると以下の通り。

 真の深きものどもシン・ディープワンズ表皮ひょうひや筋肉は恐ろしく分厚ぶあつい。

 本来ならば表皮は1m弱、筋肉は数m強もあるらしい。それを限界を超えて圧縮することで、大柄とはいえ人間と変わらない状態にまで整えていた。

 その身の内を流れる体液もとことん圧縮されている。

 外見的には2m前後の体格しかない真の深きものどもだが、その体内には本来ならばガスタンク一個分にも匹敵ひってきする体液が詰め込まれているそうだ。この体液は水や血液よりも遙かに比重が重い特殊なものらしい。

 概算でも1リットルが数十㎏になる重量とのこと。

 勿論、この膨大な体液も圧縮されている。

 表皮や筋肉とともに極限を越えて圧力を掛けることにより最適化さいてきかさせ、あのヒューマノイドタイプの体型を保つよう恒常化こうじょうかに努めているという。

『もし圧縮してなかったら何十mの怪獣みたいなサイズッスよ。年食うごとに巨大化していく深きものどもなら珍しくない大きさッスけど……』

 だから真の深きものどもシン・ディープワンズもそれなりに年を経ている。

 そうして巨大化した分の肉体を圧縮により小型化させることで、様々に高性能な能力を発揮できるあの身体を作り上げたのだろう。

「……道理で恐ろしく重いわけだ」

 銀縁ぎんぶち眼鏡めがねの奥、珍しくレオナルドは半眼で呆れ果てていた。

 それでも得心のいった顔をしている。

 付き合うようにフミカも親近感しんきんかんのある表情になった。

『ここまでふざけた体質の生物は地球にもいなかったッスねえ……』

 またフミカはいくつかの検証けんしょうも済ませていた。

『こんなふざけた体質だからか、ちゃんと圧力を制御して凝縮した体組織を維持いじできないとたちまちドカーン! と大爆発するみたいッスよ』

「そりゃ修羅の道だ。だから数が少ねぇんだな」

 納得した、とセイメイは豪刀ごうとうを肩に担いで腰の瓢箪ひょうたんで一服していた。

 この用心棒は仕事中でも平気で呑む。半魚人に取り囲まれていようとお構いなしで、のらりくらりと避けながら神酒をグビグビ煽っている。

 これは「馬鹿にされる」と理解できるのか、半魚人たちもお冠だった。

『しかもこれ……ただ重いだけじゃないッス』

 ここからが重要! と言わんばかりにフミカは声をひそめる。

 レオナルドたちは戦闘を続けながら傾聴けいちょうした。

『圧縮に圧縮を重ねたことで体重が重いだけじゃないんスよ。膨大な体液を体内で高速こうそく循環じゅんかんさせることによりパワーは数十倍、耐衝撃性能も何百倍にも跳ね上げてるッス……生半可なまはんかな攻撃じゃあ通じないわけッスよ』

 人間に例えるならば、血の流れを速めるドーピングのようなものだ。

 それは異常な高血圧であることと変わらない。人間なら動脈や静脈どころか心臓が破裂して即死だが、真の深きものどもの肉体なら耐えられるのだろう。

 そして、常識はずれな重さがすべてに拍車を掛けている。

「手足がゴムみたいに伸びる理屈りくつもそこにありそうですね」

「圧縮した肉体の恒常性を部分的に解除している……とかでしょうか?」

 フミカの報告を聞いていたクロウとアハウが、変幻自在に手足を伸ばしてくる真の深きものどもの秘密に迫る考察こうさつをしていた。

『ほぼ当たりッス。訓練次第で応用が利くみたいッスね』

 圧縮しなければ百m近い巨体の真の深きものどもシン・ディープワンズ

 その圧縮を部分的にほどくことで手足を変形させているのだ。

「下手をしたらゴム人間どころじゃない変形もしてくるわけだな……」

 多芸たげいならぬ多彩たさいだねぇ、と軍師は諦観ていかんするも感心する。

 ちなみに真の深きものどもの体内を高速で流れる大量の体液は、別次元で生きてきた影響なのか高濃度こうのうど瘴気しょうきを含んでいることも判明。

『それを体内のどこかで加工して、溶解液ようかいえきとして吐いたり八つ裂き光輪こうりんみたいなのを作って投げ飛ばしたりしてるみたいッスね』

 クロウの業火に耐えた不燃液ふねんえきも瘴気から合成したものだった。

「……もう何でもアリじゃないか」

神族や魔族おれたち大概たいがいだけど、深きものどもあいつらは生き物として軸がブレてんな」

 頭を抱えるレオナルドにセイメイが同情する。

 ここまで別次元に適応すると生物というよりは、生命体が近付けない環境下に送り込まれる汎用性はんようせいロボットみたいなものだ。しかも敵性生物の排除はいじょ念頭ねんとうに置おいており、攻撃力と耐久力に全振りしたかの如き性能を誇る。

 レオナルドはズレかけていた銀縁眼鏡の位置を直す。

「……だが、フミカちゃんのおかげで底が割れた」

 耐衝撃性能の限界――これを軍師たちは待ち侘びていたのだ。

「これでようやく“なかパッパ”を始められる!」

 言うが早いかレオナルドは動き出した。

 複眼ふくがんにも勝る視野と動体視力を持つ真の深きものども。その視界から消え去る速さの歩法ほほうで踏み込むと、相手が反応する前に拳を叩き込んでいく。

 空手でいうところの正拳突きに近いフォーム。

 場所は鳩尾みぞおちへストレート、ただし触れていない。

 拳骨げんこつを硬質化させた“気”マナで覆い、相当量の“気”を衝撃とともに半魚人の体内へと送り込む。その“気”は拳打けんだの衝撃を受けて膨張ぼうちょうする。

 ――内に置く打撃。

 拳で殴る際に発生する運動エネルギーを、相手を吹き飛ばす位置エネルギーなどに費やすことなく、すべてを相手の内側に置くことで大ダメージを与える。肉はおろか骨を砕いて内臓を破る破壊力とするのだ。

 打撃系をメインとする武術では奥義ともなる技術である。

 レオナルド渾身こんしんの突きは――その発展系。

 拳を打ち込まれた半魚人が身体をくの字に曲げると、その背中がボコリと大きなこぶのよう膨れ上がっ。それは見る見るうちに数を増やしていく。

 瞬く間に瘤の数が百を超えた頃、大爆発を引き起こした。

 こぶを突き破って現れるのは数え切れないパイル

 硬質化した“気”マナの杭が突風の如く半魚人の背中から吹き荒れた。杭の数が多すぎて釘打ち銃ネイルガンを乱射したかのような有り様だった。

突風杭ゲイル・パイル――いや激風釘打ゲイル・ネイルとでも名付けるか」

 軍師はドヤ顔でそう言った。

 対象へ内に置く打撃を叩き込む際、練り込んだ“気”マナも一緒に送り込んで相手の耐久力を超えるまで膨張させ、釘状にして内部で炸裂させる技だ。

 爆発に方向性を持たせて無差別に被害も広げない。

 その激風釘打ゲイル・ネイルなる新技を、レオナルドは矢継やつぎばやに繰り出していく。

 身体のどこかに突きを受けた者は、そこから家一軒が入るくらいのこぶを膨張させると、釘の嵐に突き破られながら爆発四散して絶命した。

 優勢ゆうせい一転いってんの光景に半魚人たちもざわめいている。

 そこへ剣豪がブラリと割り込み、更なる追い打ちを掛けていく。

「んじゃ、おれも真打ちお披露目ひろめといきますか」

 うぃーひっく、と酔っ払いみたいな嗚咽おえつを漏らしながら神酒に濡れた口元をそでで拭うと、セイメイは千鳥足ちどりあしで歩き出した。

 セイメイの二振りの愛刀――“来業伝らいごうでん”と“来武伝らいぶでん”。

 どちらも何故か腰のさやに戻っており、セイメイはのらりくらりとした歩き方で半魚人の群れの中を練り歩いていた。どれほどの攻撃を受けても紙一重かみひとえかわしており、衣服にすらかすりもさせていない。

 決して遅くはないが、眼で捉えられる動きだ。

 なのに神速で動いている真の深きものどもシン・ディープワンズはセイメイを捉えられず、躍起やっきになって攻撃を繰り返すも翻弄ほんろうされるばかりだった。

 やがて半魚人の群れを通り過ぎ、剣豪はまた瓢箪ひょうたんの酒を煽る。

 戦う相手を舐めた態度は次元を超えて共通するのか、半魚人たちはのっぺりした顔に青筋あおすじらしきものを浮かべて振り返っていた。

 そんな彼らの動きがピタリと止まる。

 ある者は心臓がありそうな胸の部分を抑えてひざを突き、ある者は肝臓かんぞうがあるかも知れない脇腹わきばらを抱えて倒れ、またある者は頭を抱えてうずくまってしまう。

 セイメイとすれ違った者がその場に伏していく。

 やがて彼らの身体は風船のように膨れ上がっていき、気球みたいな大きさになったかと思えば、莫大な体液を爆ぜ散らすように大爆発を引き起こした。

 カチン、と鯉口こいくちの鳴る音がする。

久世くぜ一心流いっしんりゅう――四丁よんちょう笑談しょうだん

 受け持ちの半魚人を成敗した剣豪はのんびり技名を呟いた。

『へえ……“八丁はっちょう念仏ねんぶつ団子だんごし”みたいな技ッスね』

 戦況せんきょうをモニタリングするフミカはある名刀の名を挙げた。

 元は雑賀衆さいがしゅうの頭領を務めた鈴木孫市の遺刀いとう

 ある夜、孫市がこの刀で人を斬りつけたところ、斬られた者はまるで気付かずに念仏ねんぶつを唱えながら歩いていき、八丁先で真っ二つになって死んだ。

(※一丁いっちょう=昔の単位で109m。一町いっちょうとも)

 その切れ味は凄まじく、石を何個も団子だんごみたいに貫いたという。

 ゆえにこの刀には“八丁念仏団子刺し”と命名された。

 またこの逸話いつわに基づいたものか、落語には「首提灯くびちょうちん」というどことなく似たような話もある。こちらは落語なのでシュールな笑いになっているが……。

 セイメイの新技も似て非なるものだ。

 真の深きものどもシン・ディープワンズとすれ違う際、文字通り目にも留まらない神速の抜き打ちによる居合い斬りを放つ。それは見事なまでに彼らの五体を両断した。

 あまりに見事すぎて切断面がくっつくほどだった。

 ゆえに彼らは斬られたことに気付けない。

 しかし、セイメイは数歩も歩いていると異変が起こる。

 筋肉や表皮はぴったり癒着ゆちゃくしたが、凝縮ぎょうしゅくされた体液が巡る配管はいかん……人間でいうところの血管は破れていた。これはセイメイが手を加えたものだ。

 配管を破られれば、彼らは肉体の恒常性こうじょうせいを保てなくなる。

 無理やり圧縮させているのだから尚更だ。

「いくら圧縮されてようが、血脈を破裂させられたらこらえられねえだろ」

 動脈破裂――あるいは静脈破裂。

 意図的いとてきに血管系の疾患しっかんを引き起こしたも同然だった。

 結果、数秒から数分の時間をおいて半魚人太刀の体内では膨大な体液を制御できなくなり、圧縮した肉体を抑えきれずに爆発したわけだ。

 ――笑い話をしながら四丁も歩いていれば死ぬ。

 だから四丁よんちょう笑談しょうだんと命名したのだろう。

鼻唄はなうた三丁さんちょう矢筈やはずりとか七丁ななちょう念仏ねんぶつみたいな感じッスか?』

「どっちも元ネタ知ってるぜ」

 フミカからの質問にセイメイはほほゆるませた。

「ああいう『斬られたー! のに斬れてなーい! からの斬られたー!』って技は剣客けんかくのロマンだよなぁ……だから叔父おじさんが編み出したのよコレ」

 希代の剣豪――久世くぜ世之介よのすけ

 久世慎之介セイメイの叔父で、彼をして「勝てない」と認める本物の達人。この八丁念仏団子刺しを連想する技は彼の手によるものだという。

 歴史ある久世一心流でも最近になって発明された技らしい。

 久世一心流の剣技は常人では真似できないから困る。

 反撃はレオナルドとセイメイに留まらない。

「本来ならば巨人に匹敵する体躯たいくを圧縮を重ねることで、まるで性能を凝縮するように高める……その状態を保つのは至難しなんわざともいえるでしょう」

 クロウはステッキを左手に持ち、右手を前に突き出す。

 白い革手袋かわてぶくろに包まれたてのひらが地獄の業火に燃え上がるが、その熱量ねつりょうは底無しに上昇していき、真紅どころか純白の光を発するまでに高められた。

 恒星こうせいの中心の如き――眼球を焼き潰すまぶしさ。

 ここまで温度が上がれば不燃液ふねんえきをまとおうが関係ない。

 何もかも焼き尽くすまでだ。

 死んで骨だけの身軽な身体で疾駆しっくするクロウは、襲い来る真の深きものどもに臆することなく突き進み、彼らの攻撃を受け流しながら掌を突き出す。

 武術的に見れば掌底しょうていを打ち込んでいた。

 恒星の熱を宿した掌底を叩き込まれた半魚人は絶叫を上げる。

 不燃液をも蒸発させる白い炎。

 それを掌底で叩き込まれたのだから手形てがた火傷やけどが残るのも当たり前で、ほねずいまで焦がされたかのように半魚人たちは身悶みもだえている。

 しばらく経つと――火傷やけどあとが割れた。

 急激かつ急速に血肉を焼かれたため火傷の瘡蓋かさぶたになるどころか、燃える掌底を受けた部分が炭化たんかしたようだ。しかも炭になった部分は根深く、先ほどセイメイが断ち切った体液の循環器系じゅんかんきけいまで届いている。

「あなたたち……圧縮あっしゅく恒常性こうじょうせいを崩されたらもろいですね?」

 ほんの一部でも致命傷ちめいしょうとなりかねない。

 火傷の跡が割れた途端とたん真の深きものどもシン・ディープワンズの体内を流れる体液が噴出。

 噴水のように体液を大流出させた半魚人は、次から次へと干涸ひからびて死に絶えていった。そして瘴気を帯びた体液が大陸島カスタヨルズに流れ出していく。

 別次元の空気であり蕃神ばんしんのまとう瘴気しょうき

 これは真なる世界ファンタジアにとって猛毒もうどく。垂れ流させるわけにはいかない。

 クロウ第二の過大能力――【不浄は輪廻転生リンカネーションを経て浄・クリーン化されよ】・フィルター

 あらゆる汚濁おだくを吸い込んで浄化じょうかし、清浄な“気”マナへと変換する能力。

 現在クロウはこの過大能力オーバードゥーイングを発動させているので、レオナルドたちが倒した半魚人たちが体液をあふれさせても大陸島カスタヨルズが汚される心配はない。

 反面、クロウは力の配分のため大技を使えない。

 だが省エネでやりくりすることで、今の掌底しょうていを編み出したらしい。

 元教師ならではの柔軟じゅうなんな頭の使い方である。

 クロウたちの戦い振りを横目に自嘲じちょうのため息をつく者がいた。

 何故かアハウが大きく肩を落としている。

「やれやれ、みんな新技やら戦い方を編み出しているな……それに比べるとおれは芸がなくて恥ずかしいが……いつも通りに戦うしかないな」

 ──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!

 慟哭どうこくのような獣王神の咆哮ほうこう

 その声に集まるかの如く、アハウの周囲に“顎”アギトが現れた。

 すべての歯を牙で揃えた口。顎の周りにはたてがみのような気を密集みっしょうさせており、ガチガチと牙を打ち鳴らしてアハウの周りを遊泳ゆうえいするみたいに飛んでいる。

 数は十や二十では利かない。百に届くほどだ。

 アハウの第二の過大能力──【牙を剥きてエンプティ囓りつく虚無】・バイト

 かじりついたものを虚無に還すアギトを召喚する能力。

 齧りつかれた部分は虚無となって消失するが、実際には無害な“気”マナとなって世界に還元かんげんされているから、この世から完全に消え去るわけではない。

 クロウの過大能力オーバードゥーイングほどではないが浄化もできるわけだ。

 ──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!

 召喚された“顎”アギトの群れは獣王神アハウの命を受けて飛び交う。

 四方八方に散開さんかいすると大きな口を開いて真の深きものどもシン・ディープワンズに齧り付き、超耐久性を持つ圧縮された肉体であろうとあっさり食い千切っていく。

 腕を、足を、胸を、腹を、首を……。

 身体の部位を奪われた半魚人たちは、そこから大質量だいしつりょうの体液を噴射ふんしゃさせながら倒れ伏していく。抜け殻となった肉体さえも重々しく大地に沈んだ。

 ……アハウの場合、新技がいらないだけでは?

 防御できない“顎”アギトがもたらす虚無がシンプルに強すぎるのだ。

 クロウの推測通り――彼らは恒常性こうじょうせいを崩されるともろい。

 一部分でも異常を来せば、そこから圧力が抜けて肉体が崩壊する。

「怪獣並みの質量を人間サイズに縮めたまま、尋常じんじょうじゃない重さの体液を高速こうそく循環じゅんかんなんて無茶の極み……突き崩すのはちょっとでいい」

 そのちょっとも本来ならば難題なんだいだったはず。

 真の深きものどもシン・ディープワンズの肉体の完成度はそれほど揺るぎないものだ。LV999スリーナインでも未熟ならば、もっと手を焼かされたのは想像に難くない。

 朝飯前のようにやり遂げるレオナルドたちが異常ともいえた。

 次元の裂け目から現れた真の深きものどもシン・ディープワンズ

 徐々じょじょ真なる世界ファンタジアへ乗り込んできて数百を超えつつあったが、レオナルドたちが反撃に転ずるとあっという間に数を減らしていく。

 応援が駆けつけるよりも、処理するスピードが上回っていた。

 様子見ようすみは終わり――本気の殲滅せんめつに取り掛かる。

殺戮さつりくは好みじゃないが……これが最善さいぜんとしか思えなくてね」

 半魚人による屍山しざん血河けつがを築いたレオナルドは、数多あまた屍体したいを踏み越えて遠巻きにこちらを伺う真の深きものどもシン・ディープワンズ凄味すごみながら詰め寄る。

「“本隊”が全滅すれば蕃神おまえたちとて立ち行くまい?」

 軍師は小首を傾げると、冷酷極まりない冷笑れいしょうを浮かべていた。

   ~~~~~~~~~~~~

 この時、真の深きものどもシン・ディープワンズの群れは3パターンの行動を選んだ。

 ひとつはこれまで通り、次元の裂け目を乗り越えて真なる世界ファンタジアへ侵入し、待ち構えていたレオナルドたちとの戦いに身を投じる。一対一タイマンでは勝ち目がないと見て取ったのか、なるべく部隊を組んで数で押し潰そうとしてくる。

 ふたつは次元の裂け目へと戻っていくパターン。

 三十六計さんじゅうろっけい逃げるに如かず、というわけではないらしい。どうやら別次元の奥にある深きものどもの移動拠点へ舞い戻り、何らかの準備をしている様子だ。

 こちらを迎撃するための兵器でもあるのかも知れない。

 そういえば“本隊”は生体兵器ショゴスを連れていないようだ。

 彼らを呼び付けて参戦させるつもりだろうか?

 そしてみっつめ――これこそ三十六計逃げるに如かずである。

 先の2パターンに分かれた仲間の半魚人を尻目に、真なる世界ファンタジアの大地を踏むとともに全速力で戦場から離れようと駆け出すやからが何匹もいた。

 敵前逃亡に等しい。地球の軍隊ならば銃殺じゅうさつものである。

 しかし、真の深きものどもシン・ディープワンズはこれを黙認。むしろ急かすほどだった。

 ――深きものどもディープ・ワンズは一匹でも繁殖できる。

 多種族たしゅぞくはらを使うことで産めよ増やせよで種族を増やせることができる。このことを誰よりも当人たちが熟知じゅくちしているのだ。

 彼らの任務は侵略する土地で再起を図るためのたね

 逃げることもまた任務、全体主義の彼ららしい戦略のひとつだった。

 しかし――そのさくもろくも崩れ去る。

 逃げようとしていた真の深きものどもは、戦場から離れるべく全速力で走っていたのだが、途中で見えない壁に激突して跳ね返されていた。

 向こうの景色が見えるのに、透明だが頑強な壁が行く手を塞いでいた。

 東西南北、どちらへ逃亡した半魚人も道を阻まれている。

 不可視ふかしの壁は強力だった。

 彼らの能力を以てしても突き破れず、飛び越えることも地面を掘り進んで回避することもできない。真の深きものどもは立ち往生を余儀よぎなくされた。

 次第にだが透明な壁が色付いて姿を現す。

 壁というより巨大ロボの装甲めいたメカニカルな絶壁ぜっぺき

 高さも優に500mを超えており、次元の裂け目を中心に一辺いっぺんが2㎞ほどの四角い鉄壁を築いていた。今にも変形して立ち上がりそうな壁である。

「……おいおい、バレるにゃ早いだろ」

 壁の上にあぐらを掻いた小男が半魚人に悪態をついていた。

組長バンダユウ叔父貴オジキの仕掛けがほどけちまったじゃねえか」

 ククルカン森王国 日之出ひので工務店こうむてん 社長 ヒデヨシ・ライジングサン。

 少年漫画で主役を務める豊臣秀吉。

 そんな猿っぽいのにカッコいいルックスをした青年で、金髪をまげみたいに結っており、工務店の社長らしく全身に工具を身に付けた作業着姿だ。

 羽織るの大半纏おおはんてんの背には“大棟梁”だいとうりょうと染め抜かれている。

 戦場を取り囲むメカニカルな壁。

 その正体はヒデヨシの過大能力オーバードゥーイングで造り出されたものだった。

 ヒデヨシの過大能力――【夜明けと共にキャッスル聳え立て・オブ・絶対無敵大戦城】ゴールデンドーン

 意のままに巨大メカや建造物を召喚する能力。

 この能力によって次元の裂け目ごと深きものどもを封じ込め、飛んでも潜っても逃げられない結界まで張り巡らせていた。

 この作戦におけるヒデヨシの仕事は封鎖ふうさ封印ふういん

 深きものどもディープ・ワンズの“本隊”――その退路たいろを塞ぐ大役たいやくだ。

「いいや、逃げ道は用意しておいたな……たったひとつだけだけど」

 ヒデヨシは立てた親指を背中へと振った。

「尻尾まくってとっとと故郷おさとへ帰んな。そしたら見逃してやる」

 最後通告ともいえる退却のススメだ。

 言葉の意味を理解したかは怪しいが、深きものどもディープ・ワンズもこのままではレオナルドたちに太刀打ちできないという予感があったのだろう。

 だから――強行策きょうこうさくに打って出てきた。



《いあいあ! いは=んすれい! いあいあ! るるいえ!》

《いあいあ! るるいえ! いあいあ! いは=んすれい!》

《いあはは! くぅるぅるんぐ! ふんぐりゅうむぐなぐむん!
 くするる! るうういええ! ふかぎ! ふてぐん!》



 四つに分かれる異形の口を開いて、触手しょくしゅのよう舌を打ち振るわせる。

 そうして真の深きものどもシン・ディープワンズが大合唱を始めると、次元の裂け目の奥で闇に溶け込む巨大な何かが動き出した。世界や空間どころか次元をも揺るがすほどだ。

 ゆっくりとだが、次元の裂け目へ迫り出してくる。

 全体像が窺えないほど大きく、どんな形をしているかもわからない。

 幅800m、高さ300mはある次元の裂け目から出ることもできない大きさらしく、裂け目の境界線きょうかいせんにつっかえているくらいだった。

 少しずつだが真なる世界ファンタジアへ侵入してくる――巨大な何か。

 それは珊瑚礁を思い出させる造形をしていた。

 ただし、たっぷりのヘドロみたいなドス黒いタールをまとわせており、無数の窓らしき部分からはゲーミングPC顔負けの光彩こうさいを輝かせていた。

 あちこちから吹き出す蒸気じょうきは濃厚な瘴気しょうきである。

 起動音を轟かせているので、機械的な仕掛けで動いているらしい。

 それにしては全体のフォルムがいびつすぎる。

 人間の美的感覚からすれば直線であるべきところは妙に傾いているし、必要のないところに余計なものを積み重ねている。そもそも形あるものは何某なにがしかに例えられるものだが、この巨大な何かは比喩すべきものが見当たらなかった。

 サイケデリックにきらめく不格好ぶかっこう小惑星しょうわくせい

 そんな風に例えるのが精一杯だった。

 それでも漠然ばくぜんとだがこれが乗り物だとは理解できる。

 深きものどもディープ・ワンズに次元を超えさせる方舟はこぶねの役割を果たしたものだ。

『――移動要塞イハ=ンスレイ!』

 巨大な異形の何かを認めたフミカが通信越しに叫んだ。

『古代ルルイエ語でそう言ってるッス! 暗黒のゾス星系……彼らの故郷こきょうから次元を超えて真なる世界ファンタジアまでやってきた深きものどもディープ・ワンズの超巨大空母ッスよ!』

 イハ=ンスレイは次元の裂け目を超えようとする。

 しかし、移動要塞の規格きかくは明らかに裂け目よりも数段大きい。

 だから力任せにこじ開けようとしていた。

 耳障りな異音を鳴り響かせて、少しずつ次元の裂け目を押し崩している。

 砕けた空間の破片を撒き散らしながら移動要塞は前進していた。

「あ~あ、加減を知らねえなぁ別次元よその連中は……」

 オレぁ知らねえぞ、とヒデヨシは諦めにも似た台詞せりふを口にした。

おいた・・・が過ぎると叱られるぜ? こわ~いオカンにな」

 その時――バサリと幕を開くような音が響いた。

 空間を覆い隠す大きなヴェールようなものが取り払われると、そこには何もなかったはずなのに忽然こつぜんと現れる大きな存在感があった。

 ヒデヨシの建てた封鎖と封印の絶壁。

 それが不可視ふかしとされていたように、これもまた隠されていたのだ。

 ――飛行母艦ハトホルフリート。

 次元の裂け目から這い出てこようとするイハ=ンスレイの目の前に、待っていましたとばかりに双胴そうどう飛行船ひこうせん艦体かんたいを露わにしていた。

 その船首せんしゅでは破滅の“気”マナを滾らせた魔法陣が唸りを上げている。

 既に主砲発射の準備は整っていた。

『殲滅式波動砲――“獅子女セクメト・王の絶叫ハウリング”発射ァァァーッ!』

 フミカの合図とともに主砲しゅほうが火を噴いた。

 真紅の閃光が野太い道を描くように、殺戮の女神セクメトの破壊力が込められたエネルギー砲が移動要塞イハ=ンスレイをぶち抜いていく。

 全体がわからないほど巨大であろうとお構いなくだ。

 殺戮の女神セクメトの叫びは要塞を貫通し、そこから各部を爆砕ばくさいさせていく。



 この日――深きものどもディープ・ワンズは大切な都市を墜とされることとなる。


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