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第21章 黒き世界樹そびえる三つ巴の大地
第506話:嵐の前の静けさ≒戦争前の慌ただしさ
しおりを挟む――インスマス。
アメリカはマサチューセッツ州の北東部に位置するエセックス群。その東端へと流れて大西洋に辿り着くマニューゼット川の河口にある港町の名前だ。
深きものたちの潜伏地として有名な場所でもある。
元々は港とともに建てられたしがない漁村。
いくら海が近いとはいえ最初から深きものどもとの接点があったわけではなく、栄枯盛衰を繰り返しながら今日まで続いてきた海辺の街に過ぎない。
それが何故――深きものどもの手に堕ちたのか?
その来歴を辿れば、誰が彼らを招き入れたのかが判明する。
――インスマスの起こりは1643年。
アメリカ独立戦争当時に港町として建設され、大きな船着き場があることと造船産業が盛んなことで街の景気は上向きになっていった。
19世紀に入ると更なる発展を遂げていく。
インスマスを起点として中国やインドとの貿易が盛んとなり、貿易港としても名を上げるようになった。東洋貿易はインスマスの経済を潤したのだ。
しかし、ここから最初の凋落が始まることとなる。
1812年の第二次英米戦争の最中のこと。
戦争の煽りを受けて不況と貧困に喘いだインスマス。
船乗りの多くは私掠船として活動したが、戦争に巻き込まれてたくさんの戦死者を出した。町の名家であるギルマン家の船とともに海に没したという。
(※私掠船=国家から免状を与えられ、敵国の船ならば攻撃や拿捕に略奪といった暴力的な行為を許された船の総称。謂わば国家公認の海賊。ただし、得られた金品の何割かは自国に献上する義務がある)
働き手となる若い男を大勢亡くした町は、徐々に活気を失っていった。
そんなインスマスで一人の男が台頭を始める。
彼の名はオーベッド・マーシュ。
コロンビア号、へティー号、スマトラ・クィーン号という三つの大型船を所有する船長にして、名門マーシュ家の出身である。衰退しつつあるインスマスで唯一人、野心的に貿易活動を行うことで富を蓄えようとしていた。
マーシュ船長が貿易相手に選んだのは西インド諸島の人々。
まだ見ぬ交易品や商品を求めて、彼の率いる船団は東奔西走した。
西インド諸島を回っていたマーシュ船長は、諸島のひとつであるオタハイト島の東方にある奇妙な島の話を耳にした。
曰く――その島の周辺では異常なくらい魚が獲れる。
島の雰囲気も他の島と比べたら異質だった。
その島には巨石の彫像や遺跡がどこにでも転がっており、そこに彫り込まれているのは魚と蛙と人間を融合させたような怪物ばかりだという。
島の住人はよく似た意匠の飾り物を身に付けている。
それらの装飾品はすべて黄金でできていた。
黄金――この二文字に釣られたのだろう。
さっそく現地を訪ねたマーシュ船長は、その島で暮らすカナカ族という民族と出会い、酋長であるワラキーと交渉して交易を結ぶことに成功する。
マーシュ船長は訪問を重ねて島の秘密を聞き出していく。
まずガラスを知らない島の人々に安いガラス玉を珍しいものだと嘯いて、彼らの持つ黄金と交換することでマーシュ船長は巨万の富を手に入れた。
どう見ても黄金にしか見えない――謎の金属。
それには異形の怪物を模った不気味な紋様が彫られていたので、マーシュ船長はすべて鋳つぶして金のインゴットに精錬してから売買した。このための精錬工場がインスマスに建てられ、これも経済を活性化させる一因となる。
マーシュ船長は黄金目当てにカナカ族との交易を続けた。
やがてマーシュ船長は酋長ワラキーから、代々カナカ族が深きものどもを信仰することで富を得てきた事実を教えられる。
夏と冬の年に二回、カナカ族は若者を生け贄として差し出す。
すると深きものどもは豊漁と黄金を与えてくれる。
これを繰り返すことでカナカ族は豊かになっていったものの、やがて深きものどもと交配することで彼らの一族に少しずつ取り込まれていったらしい。
――深きものどもになれば永遠の命が手に入る。
これもまた短い寿命しか持たない人間には魅力的だったようだ。
事実カナカ族の中には深きものどもの血を色濃く受け継いだ者が何人もおり、完全変態を遂げて海の底へ旅立つ日を心待ちにしていたという。
富、黄金、不老不死……どれも人間を魅了して止まないもの。
マーシュ船長も取り憑かれるように虜となった
深きものどもとの面会を望んだマーシュ船長だが、運や時期に恵まれなかったのか叶うことはなかった。代わりに酋長ワラキーから深きものどもを信仰する儀式や呪い、そして彼らにまつわるあるものを授けられることとなる。
それは――鉛みたいな金属の円盤だった。
以降もマーシュ船長はカナカ族との貿易を続けていく。
おかげで黄金は安価でいくらでも手に入り、マーシュ船長は莫大な儲けを得ることができた。その余波は衰えたインスマスを甦らせるほどだった。
ところが1838年、マーシュ船長にとって悲劇が起こる。
取引先であるカナカ族が消えたのだ。
彼らの住む島には人っ子一人残っておらず、酋長ワラキーの消息も不明。島のあちらこちらに激しい戦いの跡があり、島の集落はおろか謎の遺跡や巨像はひとつ残らず徹底的に破壊されていた。それはもう虱潰しにだ。
これは他の島に暮らす別の部族の仕業だった。
信心深い彼らは深きものどもという邪神に与するカナカ族の秘密を知ってしまい、すべてを排斥すべく総攻撃を仕掛けたらしい。
島には“卍”ような印を刻んだ石が散乱していた。
これこそが深きものどもが唯一恐れるもの、「古きものどもの印」が刻まれた石なのだろう。マーシュ船長も話には聞いていた代物だった。
(※この古きものどもの印は旧神の印の一種とされるが、クトゥルフと戦争を繰り広げた古のものにまつわるものだという説もある。一説には奉仕するクトゥルフに対抗する力を持つ古のものを深きものどもが恐れた名残だとか)
カナカ族は元より深きものどもとの混血は皆殺し。
そして、二度と深きものどもが近寄らないようにと魔除けでもある古きものどもの印をばら撒くことで完全な排除を測ったのだろう。
周辺の島々に住む部族は、この件に関して一切口を割らなかった。
カナカ族は全滅し、深きものどもとは連絡が取れない。
マーシュ船長の絶望は計り知れなかっただろう。
安いガラス玉で大量の黄金を仕入れられる取引先を失ったのだから当たり前だが、ここで心が折れていれば後の惨劇は起こらなかったはずだ。
そう――マーシュ船長は諦めが悪かった。
カナカ族の酋長ワラキーから教わった儀式と呪い。
これを行うことで深きものどもと直接取引しようと画策したのだ。
インスマスの沖合にある――悪魔の岩礁。
岩礁の向こう側には底が知れない深海が広がっていると町では噂されていたのだが、そこでマーシュ船長は仲間とともに夜な夜な儀式を執り行った。
深きものどもをインスマスへ招く儀式だ。
そして、あの鉛のようなものを深海へ投げ入れた。
ここから深きものどもによるインスマスへの侵略が始まっていくのだ。
インスマスの生き字引ことザドック・アレン老人は語る。
『――全部オーベッドの野郎が悪い!』
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「……とまあ、地球でもこのような話が伝わってましてね」
ツバサは読み上げていた【魔導書】を閉じた。
爆乳巨尻となった女神の肉体美にまとうのは、いつも通り真紅のロングジャケットに黒のパンツ。戦闘用も兼ねたツバサにとってフォーマルな衣装だが、特に今日のは気合いを入ったデザインになっている。
――南方大陸への出征。
その旅立ちに際して服飾師師弟が用意してくれた特注品だ。
各種攻撃からの防御力と耐久性の上昇もさることながら、どれほどアクロバティックに動いても四肢の動きを妨げない柔軟な縫製が売りである。
山肌を爽やかな風が駆け抜けていく。
これもまた女神の象徴ともいえる足下まで届きそうな長い黒髪が棚引き、ロングジャケットの裾も軽やかにはためいている。
手にした【魔導書】のページまで捲れていた。
これはフミカの過大能力の一端だが、こうして書物にすれば仲間内で貸し借りできるのだ。中身は名著“インスマスの影”にまつわる考察書だった。
その中の一文をツバサは取り上げてみる
「この物語でも深きものどもはカナカ族に対して『我々がその気になれば全世界の人間を相手取ることができる』と証言しているので、本気になれば途方もない兵力で戦争を仕掛けることも容易いのでしょう」
しかし、深きものどもの動きはどういうわけか緩慢だ。
西インド諸島のカナカ族が暮らした島を始め、インスマスのような海辺の集落や町をひとつずつ手間暇掛けて調略しているようにしか見えない。
年二回の生け贄を対価に、豊漁と黄金を約束する。
交流が深まってきたところで交配を持ち掛け、永遠の命に釣られた人間たちとの間に子を成して、ゆっくり深きものどもの血族を増やしていく。
やがて海と大地の狭間に彼らの橋頭堡ができあがる。
じっくりと時間を掛けて……長い長い醸造を待つように……。
遠大というより他にあるまい。
侵略作戦としてはあまりにも気の長い計画性だった。
「俺たちも実体験させられましたが、あんな度し難い数で人海戦術をできるなら、すぐにでもアクションを起こして地上を実効支配してしまえばいい」
なのに――深きものどもはそうしない。
海底都市ルルイエで眠りにつく偉大なるクトゥルフのため、先んじて地球侵略の足掛かりを作っておくための動向こそ見られるのだが実行性に乏しく、その進行具合はあまりにも鈍臭いものだった。
着実と言えば聞こえはいいが、万事において時間を掛けすぎである。
「――焦る必要がないからじゃない?」
ツバサの傍らでボーッと呆けていたはずのミロが、話を聞き流していたにも関わらず的を射るようにストンと言った。
ブルードレスに身を包んだ高貴な姫騎士。
丁寧に結われた金髪のシニョンも神々しく、マントとして羽織るロングカーディガンを風に靡かせているが、本人の姿勢はとてもだらしない。
ベランダの欄干に両腕を預け、上半身をもたれかけさせている。
山の裾野に広がる風景を眺めながらミロは言う。
「あの半魚人どもって寿命がないんでしょ? クトゥルフもいつ目を覚ますかわからない。締め切りないんだからゆっくりのんびりなんじゃないの?」
「それで焦らないか……なるほどな」
一理あるどころか、これが正解なのかも知れない。
深きものどもは不老不死。事故や暴力に病気といった外的要因に罹らない限り、老化による死である老衰を迎えない不死の生命体である。
時間なら腐るほど余らせているに違いない。
おまけに彼らの崇め奉る偉大なるクトゥルフも、いつ目覚めるか知れたものではないのだ。星辰が正しき位置に来るまで幾星霜と掛かるだろう。
期限がなければ好きなだけ時間を掛けられる。
確実な成功を目指して着実に進めればいい――どれだけ年月を費やしてもだ。
人間の寿命は短い。だから効率を求めて時短を選ぶ。
もしも寿命や老化と無縁ならば、同じような道を選ぶだろう。
時間を掛けてじっくり取り掛かるはずだ。
「戦力が揃っているからと短絡的に攻め込む愚策はせず、更に兵隊の数を増やすべく一族繁栄に努め、攻め込みやすい海辺の土地を少しずつ懐柔して前線基地に整え、その時が来たら一斉に取り掛かれば……勝算も跳ね上がるな」
その時とは――クトゥルフが覚醒する日。
来たるべき日を夢見て、深きものどもは海の底で暗躍しているのだろう。
「半魚人ら、真なる世界じゃ飽き足らず地球にも手を出してたの?」
呆れるねー、とフレイは遠慮せず毒突いた。
数日中に戦争が始まるとあって彼女も常在戦場の気構えだ。
美しい金髪は邪魔にならないようポニーテールに結い、白を基調として青を差し色にしたドレスも動きやすさ重視のデザインだ。この上に軽装鎧などを羽織ればすぐにでも出陣できる備えだろう。
それと――身の丈もある箱をいつも携えていた。
箱としか言いようがないが、外見の詳細はよくわからない。
全長はほぼフレイの身長と変わらず、幅もフレイが身を隠せる程度。特に飾り気のない長方形らしく、全体を包み隠すようにサラシみたいな白布で覆っており、その上から封じるかの如く丈夫そうな黒いベルトで縛り上げている。
ベルトを手にして箱を身近に置くフレイ。
聞けば中身は神族の父親から受け継いだ神剣が収められており、これを手にすることで彼女はLV999相当の力を発揮できるらしい。
フレイ自身の準備は万端のようだ。
……交渉の場で「今日戦争始めます」と脅したのが効いたのか、イジメたツバサへの皮肉なのか、準備が早すぎる気がしないでもない。
「あっちこっちに侵略戦争仕掛けまくりなんて嫌われて当然だよ」
まったく傍迷惑な! とフレイはプリプリ怒っていた。
ツバサが話した“インスマスの影”を真に受けたらしい。
「いえこれは創作、作り話なんですよ」
タネを明かされたフレイは「ええっ!?」と驚いた。ツバサは【魔導書】を閉じて持ち主の過大能力へ戻るよう念じれば、借りた本は中空に消えていく。
これでフミカの元に帰るのだ。便利である。
「かつて地球にいたラヴクラフトという作家の描いた怪奇小説の一編でしてね。他にも彼はいくつものお話を書き残しているのですが……」
それらすべてが外来者たち、蕃神の素性を事細かに記していた。
最初こそツバサたちも「偶然だろ?」と片付けていたのだが、三度目の正直を通り越して四度目、五度目、六度目と重なれば無視できなくなった。
極めつけは外なる神々の総帥が認めたこと。
亜座と名乗る“魔皇”の化身に全肯定されてしまったのだ。
つまり真なる世界への侵略を目論む外来者たちこと蕃神は、ラヴクラフトが描いてきたクトゥルフ神話の邪神群とほぼイコールと見做していい。
ツバサは【魔導書】が消えた地点を指差す。
「あまりにも酷似した例が多いので無視できず、あくまでも参考にと拝読させてもらっている次第です。現に深きものどもの生態はそっくりでしょう?」
「うん、そうだね。鉛の円盤のくだりとか特に……」
フレイは不承不承ながら納得していた。だが、まだ渋っているようだ。
「でも、どうして地球の物書きさんが外来者どものことを……?」
「因子の共鳴――で垣間見たのやも知れませぬな」
フレイの疑問に答えたのはゴルドガドだった。
ドワーフの祖であるドヴェルグ族だが、長身巨躯でスマートに筋肉質という体格差がある。似ているのは丸く大きな耳と豪壮な髭くらいのものだ。
法衣をまとう老境手前の偉丈夫である。
爺や国務大臣としてではなく、地下都市の女王に付き添う補佐官として側に控えているようだ。決戦直前だからフレイの補佐に徹したいのだろう。
ついでに姫がうつけを暴発させないための見張り役だ。
「ゴル爺、因子の共鳴って何?」
振り向いたフレイが首を傾げるが、ツバサたちも初めて聞くので問い掛ける視線をゴルドガドに向けた。注目が集まった老臣は動じずに答える。
「真なる世界と地球は因子で結ばれた縁戚のような関係にあります」
かつて神族と魔族は新たな可能性を模索した。
そこで地球を始めとしたいくつかの未発達な異世界に自分たちの因子(※ざっくり言ってしまえば遺伝子みたいなもの)を種子でも蒔くように解き放ち、そこから生まれるであろう進化の可能性を見守っていた。
人類は成功例のひとつであるという。
だからこそ灰色の御子たちは共に戦ってくれる戦力と見越し、様々な手を尽くしてでも真なる世界へ招こうと画策したわけだ。
「即ち、真なる世界と地球は神魔の因子で繋がっているのです」
これが時折、不可思議な作用をもたらすらしい。
時間や空間を越えて、双方の世界に生きる者たちの意識を通わせることがあるらしい。特に精神が無防備になりやすい夢に表れやすいという。
同一の因子が共鳴することで同調する。
その際、各々の意識が得た情報を共有してしまうようだ。
「地球でも似たような話を聞いたことがありますね」
ツバサは蘊蓄たれな友人たちの雑談から記憶を掘り返してみた。
たとえば――量子テレポーテーション。
一度のイベントで発生した2個の素粒子は、観測などの邪魔が張らない限りはいつまでもどれだけ離れていても同一の方程式で表される。
片方の素粒子を観測して変質あるいは属性を決めると、同一の方程式で縛られたもう片方の素粒子もそれに見合った変化を余儀なくされる。たとえ宇宙の果てにあろうとも方程式によって決定付けられてしまうのだ。
時間や空間を越えて観測結果が伝えられると言ってもいい。
この量子的なやり取りを突き詰めたものが量子テレポーテーションだ。
因子の共鳴によく似た図式として思い浮かべることができた。
たとえば――形態形成場仮説あるいは形態共鳴。
シンクロニシティとも言われるが、要約すると「一度起きた事象や現象は直接的な伝播をせずとも同様の事象や現象に働きかける」というもの。
あるネズミが新しい行動パターンを学習したとする。
すると似たような環境で生まれたネズミは、教えたわけでもないのにその行動パターンを覚えてしまう。これがわかりやすい形態共鳴だ。
他にもある猿山で暮らす猿が芋を水で洗って食べることを覚えたら、同時多発的に他の猿山でも同じような食べ方をする猿が現れたとの報告もある。
(※最初に始めた猿の暮らす猿山は海辺にあり、海水で芋を洗って塩味を付けること覚えたらしい。すると別の猿山の猿まで池や川で芋を洗うようになった。今まで芋を与えてもそんなことをしたことはないにも関わらずだ)
動物の帰巣本能、渡り鳥の方向感覚、蟻や蜘蛛の巣作り……。
遺伝子だけでは説明できない動物の行動も、この形態共鳴ならば説明がつくかも知れないため、野心的な学説として知名度も上がりつつあった。
(※発表された当初は荒唐無稽すぎたため、焚書すべき論文のひとつに数えられたほど学会では毛嫌いされたとも……)
「なので、そこはかとなく共感めいた理解が働きます」
「地球の科学力、世界の謎に挑まんとする気概もなかなかですな」
感心したゴルドガドは因子の共鳴について語る。
まずは具体例を挙げてくれた。
「たとえば、真なる世界の住人が地球で暮らす誰かの生活を我が事のように夢の中で追体験したり、地球の人々が真なる世界の出来事を夢現で見たりするそうです。地球に伝わる神話のいくつかも発祥はここにあると聞き及んでおります」
「地球の誰かが真なる世界を僅かながら覗いたわけですね」
それは幻視者とでも呼ぶべき人種だろう。
ある時は未来を語る予言者であり、またある時は大国を築いた王であり、はたまたある時は万象に通ずる魔術師と豪語したり……。
そしてまたある時は――何人にも理解されぬ狂気の人と遇される。
彼らは夢のまにまに真なる世界を幻視したのかも知れない。
「聞いた話ですが……蕃神について熱心に書き記したラブクラフトという作家は、自身の見る夢から様々なアイデアを得ていたそうです」
ラブクラフトは夢を見ることに神秘的な重要性を見出しており、幻夢境という夢幻の世界を旅する冒険譚も描いていた。
人間ながら幻夢境に辿り着ける者を夢見人という。
彼自身、真なる世界を垣間見た夢見人だった可能性もありそうだ。
ふむ、と頷いたゴルドガドは顎髭を撫でつける。
「そのラヴクラフトなる作家、この真なる世界で多くの蕃神と相見える機会のあった神族や魔族……その誰かの因子を受け継いだのやも知れませぬな」
「だからあれだけの蕃神を思い描けたと……」
ラブクラフトが夢から得たものはあくまでも着想に過ぎない。
そこから数々の名作を生み出し、多くの邪神を紡ぎ出したのはあくまでも彼自身の才能だ。ツバサたちは綴られた作品群から手掛かりを探っていた。
有り難さを覚えるとともに因子の強さを感じてしまう。
時間と空間を越えて自分たちに強い影響を及ぼすものだ。
思わずツバサは胸元へ手を添える。
以前なら胸板の下に心臓の鼓動を感じられたのだが、足下も見えないほど胸元を押し上げる超爆乳のせいで難しい。それでも心臓の上に手を添える。
心臓の鼓動から因子の脈動を感じ取ろうとしたのだ。
ツバサにも真なる世界の因子が宿っている。
ヌン陛下の言葉を信じれば、ツバサに宿るのは神々の乳母の因子だ。
『顔立ちや雰囲気は元より、能力や気配まで瓜二つ……とても他人の空似とは思えんほどそっくりじゃ。ツバサ君はハトホル様の末裔に違いない』
この身に宿る因子も共鳴することでツバサに何かをもたらしているのか?
それこそ時空を越えてまでもだ。
神々の乳母場合、ツバサの母性本能にとてつもない拍車を掛けているような気がしてならない。おかげで物心ついた頃からオカン系男子である。
だとしら地球の人々は誰しもが因子の影響下にあるのでは……。
「そういえばジョカちゃんも似たようなこと言ってたっけ」
ツバサの思案を打ち切るようにミロが呟いた。
「ジョカが? まあアイツも起源龍だから知ってそうだが……」
本名はジョカフギス。現代まで生き残った創世の龍の化身だ。現在ツバサより背の高い2m越えの美少女の姿で八番目の娘になっている。
また酔いどれ剣豪の嫁でもある。
「それで? ジョカも地球の夢を見てたのか?」
「うん、地球で病弱な美少年になってた夢を見たとかなんとか……はっきり覚えてないけど、その夢で子供の頃のセイメイに会ってたとかどうとか……」
なにそれ――初耳なんですけど!?
セイメイと出会った病弱な美少年といえば、当時暴れん坊の度が過ぎて自滅しかけたあの馬鹿野郎を更生させた幼馴染みの他にいないはずだ。
確か名前は――美影纏衣。
芯こそ強いが線の細い、絵に描いたような薄幸の美少年だという。
誰とも本心からは馴染もうとしないアウトサイダー気質のセイメイが、唯一無二と公言して憚らない親友。奴にとって掛け替えのない“心の友”だ。
セイメイは異様なくらいジョカフギスを気に掛けた。
どれだけ気のいい酔っ払いを演じようとも、他者には決して本当の意味で心を開こうとしないあのはぐれ者が、初めて出会った龍にどうしてあそこまで肩入れするのか? あの頃は不思議だったが、これで腑に落ちた気がする。
セイメイはジョカに親友の因子を感じていたのだ。
恐らく「なんとなく」程度のもの、微かな勘を信じたのだろう。
セイメイにとって美影纏衣とはそれほど重要な存在。
その因子を匂わせるジョカフギスのためならば、アイツは喜んで剣を握って兆の敵でも斬り伏せるし、世界を向こうに暴れる覚悟さえ即決するはずだ。
……こう考えると友人に依存しすぎだな、あの酔っぱらい。
世が世なら、御影纏衣の殉ずる殺戮マシーンとなっていたかも知れない。「なあ次はどうするよ纏衣」とか「おれは纏衣のやりたいことをやるだけだ」なんて台詞の似合う、彼のためだけに動く最強の暴力装置となりかねない。
もしも美影纏衣がセイメイを相棒として野心でも起こしていたら、日本の裏社会の勢力図は盛大に塗り替えられていた可能性がある。
ふとツバサも思い出した。
「ああ……だから人化したジョカにあんな面食らっていたのか」
ジョカフギスがツバサたちの仲間に加わった時のこと。
(※第102話参照)
全長400m越えの巨龍を家に住まわせるわけにはいかないので人間に変化させたのだが、不器用なジョカフギスは美少女にしかなれなかった。
彼女の姿を見るなり、硬直したセイメイは絶句していた。
あの時――ジョカに美影纏衣を重ねたのだ。
ツバサも会ったのはすれ違うくらいの数度だったので美影纏衣の面相はよく覚えてないが、記憶を掘り返せばどことなく面影があるのかも知れない。
もしかすると声質とかも似ているとか……。
なんにせよ、当人たちを突っつけば何かしら吐いてくれそうだ。
「よし、家へ帰ったらジョカに聞いてセイメイには尋問しよう」
「対応があからさまに違うんですけど」
まあ酔っぱらいだからいいか、とミロはチェシャ猫のように笑った。
「因子の共鳴ってのもあれやこれや捗りそうだけどさ……」
欄干に寄りかかるミロの横にフレイが並んだ。
「……私的には外来者たちを題材にした小説が気になるんだよねぇ」
かなり興味あるかも、とフレイはミロの顔を覗き込む。
そして甘えるような猫撫で声を頼み込んでくる。
「ねえねえミロちゃん、その小説とかって譲ってもらえない? 話聞いてると冊数もありそうだけど、できるんならシリーズ全巻欲しくて……」
深きものどもばかりが蕃神ではない。
彼らと決着がついたとしても別の蕃神との戦いが待っている以上、情報は仕入れておくに越したことはない。蕃神と戦い続けてきたツバサたちが参考資料にしているから信用度もそこそこと踏んだのだろう。
合掌にウィンクを添えてフレイはお願いしてくる。
「うん、いいよ。後でフミカちゃんとアキちゃんに頼んであげる」
当然のようにミロは安請け合いするが問題ない。
姉アキと妹フミカ――五神同盟が誇る情報処理姉妹。
彼女たちに頼めば地球上の書籍はおろか電子データ化されているものなら大概入手してくれる。おかげでツバサたちも助けられていた。
音楽や映像といったコンテンツも手に入るから有り難い。
神族や魔族になっても現代人。この手の娯楽に慣れ親しんできたため、どうしても読んだり観たり聞いたりしたくなる時がある。
中毒というわけではないが、身体が求めてしまうのだ。
……最近、五神同盟専用SNSで姉アキが「深夜専門の取引始めました♡」などと如何わしい告知をしていたがあれは……いや、詮索は控えておこう。
いつかツバサもお世話になるかも知れないからな!
「散々アタシが気持ち良くしてあげてるのに……なんでエロ本買うかなぁ」
「はて、なんのことやらさっぱりだな」
ミロが非難をたっぷり込めたジト目で睨んでくるが、ツバサは下唇を突き上げるも口角を下げた真顔であらぬ方向を見上げて白を切った。
――それとこれとは別腹なのだ。
ちぇーッ、とミロは気に入らなそうに舌を打つ。
しかし「そうだ!」と名案でも閃いたのか表情を明るく切り替えると、欄干から身を起こして自分の道具箱に両手を差し入れた。
取り出したのは大量の漫画本だ。
綺麗な床だからとお構いなしにドサドサ積み上げていく。
「フレイちゃんはいこれ、クトゥルフ神話を読みやすく漫画……絵で描かれた物語にしたやつ。翻訳魔法かけられてるから誰でも読めるよ」
全シリーズを用意するまでの間に合わせ、とミロはフレイに貸し出した。
なるほど――アホの子ながら機転の利くことだ。
ラブクラフトの作品は難解な文章が多い。
彼が詩人を目指した時期もあってか、文章表現に詩的な言い回しが多く、それが人によっては読みにくさとなって立ちはだかるらしい。
蕃神対策の一環として子供たちにも読ませたいが躓きそうだなとツバサが心配していたら、気を利かせたフミカが用意してくれたのが漫画版である。
漫画と侮るなかれ、読みやすいが本格的なコミカライズだ。
そして――とんでもなくホラーである。
クトゥルフ神話がそもそもコズミックホラーなのだが、この漫画版は作者さんの画力が尋常ではないため、精緻を極めた筆致によって描かれた邪神たちは禍々しさと悍ましさが十割増しになっていた。恐怖と狂気も倍増されている。
真に迫る描写には大人も震え上がるほどだ。
耐性のない子供なら数ページ読んでリタイアしてしまう。
神経の図太さならミロとタメを張る六女イヒコでさえ「気持ち悪いって意味で怖いから生理的に無理です!」と読むのを躊躇っていた。
幼年組で読めるのは次男ヴァトくらいのもの、さすが男の子である。
対象年齢は少なくとも12歳以上が推奨だろう。
「これがマンガ……スゴいじゃん! 読みやすいしカッコいい!」
パラパラ読んだフレイには大好評だった。
どうやら恐怖耐性はあるようなので一安心である。
小説版は難しいと根を上げたミロがハマった作品だから、感性の近いフレイにならウケるかもと思ったら案の定だった。
お気に召したなら何よりだ。後日、小説版も全シリーズ届けさせよう。
山積みなったホラー漫画を挟んではしゃぐアホの子二人。
一見すると人気漫画で盛り上がっている年頃の娘たちだが、内容が内容だけにこれから激化する蕃神との戦いへの備えだと思っておこう。
ドレス姿の女の子が床にあぐらを掻くのはどうかと思うけども!
――交渉は既に昨日のことだ。
ツバサたちは地下都市に一晩留まり、あのまま停泊を許可された飛行母艦ハトホルフリートの艦内で一夜を過ごした。
今日はもう翌日の昼――太陽も昇ってきた正午前である。
再びフレイの御殿へ招かれたツバサたちは、この場所へと案内されていた。
「……ありがとうございます、ツバサ様」
前触れもなくゴルドガドが礼を述べてきた。
「貴重な資料でしょうにウチのうつけ……あ、いや、姫様に貸与していただき誠に申し訳ありません。あれで少しは勉学に身が入れば良いのですが……」
「いえ、大したことじゃありません」
むしろ漫画という娯楽に触れさせてしまったことに、少なからず母心が罪悪感を覚えていた。どうせ勉強するなら文章系の方が読解力が身につくのに……。
あくまでも予習みたいなものと割り切っておこう。
「こちらこそ“因子の共鳴”という現象についてお聞かせていただきありがとうございます。おかげで不思議に思っていたいくつかに得心がいきました」
セイメイとジョカの関係性――ツバサとハトホルの酷似。
因子の共鳴はこの辺りに働いているようだ。
これまでは結果しか目の当たりにできなかったため、単なる偶然と決めつけていたが、実際にはその身に宿す因子の影響が大きかったのだろう。
「お役に立てたなら何よりです」
老臣は胸元を覆う髭を揺らして相好を崩した。
保護者二人は座って漫画を読み始めた子供たちに横目を遣る。
「このクトゥルフってのがあの祭司長と同じなの?」
「そうだよ。ツバサさんが会ってるから間違いないって」
コズミックホラー漫画を片手に子供らしい議論を交わしているフレイとミロの姿を、母親と祖父のような視点で微笑ましく見守っていた。
――誰がお母さんだ。
勉強熱心なフレイの様子にゴルドガドは満足げだった。
「国民総出で戦備えに大わらわですからな。読書とはいえ女王も戦の準備に余念がないところを皆に見せてやりたいところです」
「いえ、それはこの戦いに勝利してからでもよろしいでしょう……」
あの一分一秒を惜しむ空気――邪魔したくはありません。
ツバサは眼下に広がる風景を見つめる。
ここは地下都市を擁する山脈の中腹より標高の高い場所。
工業地帯の広がる中腹が四合目だとしたら、ツバサたちがいるベランダにも似たこの場所は六合目と七合目の間に当たるだろう。
山脈を刳り抜くことで内側に設けられた地下都市の中枢。
空洞化した山脈型ドームを支える大黒柱を兼ねたフレイ率いる亜神族の居城でもある柱形の御殿は、四方八方に向けて回廊や坑道を張り巡らせていた。
坑道のひとつを潜り抜けると、高台に設けられたこの場所に出る。
展望台といってもいいかも知れない。
和風建築のお城ならば天守閣に当たるような場所だ。
ここからは山の中腹にある工業地帯から裾野の農業地帯まで、地下都市の外にある施設を一望することができた。素晴らしい景色を拝むことができる。
展望台の広さはサッカーグラウンドほど。
風景を眺めながら寛げるテーブルセットまで用意されていた。
出入り口の上にはちょっとした尖塔が伸びている。そこも登れるので、もっと高い位置から地下都市の外観を見下ろすこともできるようだ。
欄干に手を乗せたツバサは少しだけ身を乗り出す。
超爆乳を迫り出すようにして国の様子を具に観察してみた。
――嵐の前の静けさ。
戦争などの大きなイベントを目前に控えると、場が静まり返る現象を指す言葉だが、実際にはそんな静寂が訪れるのはギリギリの寸前である。
開戦直前の緊張が走る一瞬。そこに静けさは訪れる。
その一瞬を迎えるまでは戦に備えて準備に大わらわだ。
現に地下都市は戦争に向けて、何処も彼処も慌ただしさに追われていた。
農業地帯では刈り入れに追われていた。
農夫の格好をしたモフモフたちが、手には鎌を持ち背には駕籠を背負い、せっせと農作物を収穫に勤しんでいる。まだ熟していない、少し青さが残っているものでも食べられれば思い切りよく摘み取っていた。
青すぎて食べられない作物は残念そうに見送っている。
「戦火に巻かれる恐れがありますからな」
ツバサの視線に気付いたゴルドガドが先んじるように言った。
「食糧となるならば麦のひとつでも回収すること、それ以外のものは勿体ないですが放置せよと命じました……戦を免れれば御の字なのですが」
「ええ、我々もそうなるよう努力しましょう」
これから始まる戦争への下準備である。
せっかく実らせた作物。戦争に巻き込まれて台無しになるくらいなら少々青くても食べてしまった方がいい。長期戦も見越して兵糧にしておくべきだ。
それ以外のものは諦めるしかない。
これが人間同士の戦争なら青田刈りとかされるのだろうが……。
(※青田刈り=敵地に侵攻した兵隊が収穫前の作物を刈り取る行為。いずれ敵国の食糧になるのを防ぐ戦術。兵糧攻めの一種でもある)
兵糧の心配に関しては予め対処しておいた。
「万が一、戦いが長引いた際には五神同盟から食料を運ばせます」
こんな時のために五神同盟は兵糧の備蓄に努めてきた。二公八民の割合で税として徴収してきた食糧を、長期保存が利く食品に加工して貯蔵してきたのだ。
現在の保有量ならば五神同盟と同盟国で食べても数年は保つだろう。
(※地下都市アウルゲルミルも含む)
ゴルドガドは「……おおッ!」と感嘆の声を上げて一礼してきた。
「感謝いたします、ツバサ様……」
地下都市の住民に負担を掛けないためにも短期決戦を心掛ける。
フレイたち地下都市の兵力も参戦すると決まったので、戦略の立て直しも求められている。その辺りは軍師に見直しを頼んでいた。
あまり無茶なことを考えつかなければいいのだが……。
麓の農業地帯から視線を手前へずらせば、山脈の中腹も騒がしい。
工業地帯も戦争の準備に追われていた。
こちらは片付けばかりではなく、深きものどもを迎え撃つため武器や兵器の用意にも余念がない。騒々しさは農業地帯の比ではなかった。
まずは工場の防備を固めている。
深きものどもは意外と遠距離攻撃の手段を持っている。
口から爆発的な水流を放ったり、生物兵器ショゴスに生体レーザーや生きているミサイルを撃たせたり、単なる投石でさえ馬鹿にならない破壊力だ。
投手をさせたら時速600㎞越えの肩はある。しかも投げる岩石は家一軒を優に超えるのだ。その運動エネルギーから発生する破壊力は馬鹿にならない。
そうした遠距離攻撃への対策は疎かにはできない。
ほとんどの工場が窓を分厚い鎧戸で閉ざし、まるで殻へ閉じ籠もるように外壁をオリハルコン合金製のシャッターで守り固めていた。一部の工場は赤色灯を回転させながら警報を鳴らして地面へと沈んでいく。
重要性の高い工場は地下に潜らせ、強固なシェルターで保護らしい。
まるで変型を繰り返す秘密基地のようだ。
ダインが見たら「母ちゃん! ハトホル太母国もあがいに改造したいぜよ!」とはしゃぐことだろう。騒ぎ出したらアイアンクローで折檻だ。
確かに要塞へ変形する都市には少年心が擽られてしまう。
しかし、最初から防衛や迎撃を想定した要塞として建設するならともかく、今ある市街地を魔改造することはない。別の方策を考えるべきだ。
……と毎回のように説教しているのだが聞きやしない。
卍固めを決めようが、タワーブリッジを決めようが、パワーボムを決めようが、あのメカ息子は一向に学習することなく繰り返していた。
工作者の血が騒ぐのか、出来の良い機械を見ると触発されるのだ。
新しい玩具と巡り会えた子供みたいなものである。
良いのか悪いのか……長男なのだから落ち着いてほしい今日のこの頃だ。
それはそれとして、ツバサの少年心もワクワクが止まらない。
重々しい鋼鉄をふんだんに使ったマシンが、ガキーン! ガシーン! ドガーン! と重低音を鳴り響かせて合体変型をする光景には、少年のようにまっすぐな瞳をキラキラさせて魅入ってしまう。
映画で怪獣を迎え撃つために部隊を展開する自衛隊。
市街地を戦車が列を成して走り抜け、町外れの広場に何代ものミサイル発射台が配備され、防衛ラインを築くような場面を連想してしまう。
いくつになっても男の子はあの手のシーンに心を弾ませるもの。
そういうシーン専用のBGMの幻聴まで聞こえてきそうだ。
ワンダバだかワンダバダか……そんな音楽である。
これから血で血を洗う戦争が始まるのに不謹慎なのは承知の上だが、湧き上がる昂揚感は抑えがたい。戦闘民族らしい笑みに頬が歪みそうだ。
地下都市が開発した秘密兵器もお披露目されるから余計である。
「あれは……戦闘機ですか?」
地下に沈んだ工場と入れ替わるように地上へ迫り上がってきたのは、小型ながらも飛行機らしい翼を備えた戦闘用の航空機だった。
十機や二十機では利かない。少なく見積もっても数百機はある。
あのサイズだと人間は乗れない。
最初は無人機かと思ったが、ちゃんと操縦席が用意されていた。
小柄な種族ならばパイロットに相応しかろう。この国にいるウォンバット族やマーモット族……モフモフな種族ならばピッタリだ。
ツバサの問いにゴルドガドも機体の群れを見下ろした。
「ええ、地球にも同じ用途の乗り物があると聞きますな。あれはマーモット族を始めとした小さな種族たちの機体……爆撃に特化した戦闘機です」
地球でいうところの爆弾を投下するための爆撃機だ。
爺やは設計コンセプトも語ってくれる。
「深きものどもは飛行する手段を持ち合わせておりませぬからな。無論、ショゴスという生物兵器の砲撃は警戒すべきものですが、上空は奴らにとって最大の死角。そこから存分に攻め立てるための兵器です」
搭乗員のための安全装置もバッチリ完備されていた。
「撃墜されるとコクピットごと基地へ空間転移するようになっております。短距離ながらも空間転移に成功した職人たちの技術の賜物ですな」
「地球のものより安心安全じゃないですか」
コクピットから射出されてパラシュートで降りてくるより高性能だ。
生命を無駄遣いしないところは好感度大である。
ゴルドガドは男前な笑みで続けた。
「なお、パイロットを失った機体は自動運転機能により敵の密集する地点を自動的に検出しまして、その地点へと豪速で墜落した後に自爆いたします」
自爆用の爆薬は特別製ですぞ、とゴルドガドは自信満々で親指を立てた。
「地球のものより殺意高いじゃないですか!?」
いや、蕃神が相手ならばこれくらいして当然かも知れない。
奴らを全滅させなければ我らが絶滅させられてしまう。それはツバサたちも思い知らされているので、殺意を凝らすくらいでちょうどいいはずだ。
倉庫からは移動式のミサイル砲台が現れる。
横一列に並べられる砲台は現実世界で見られるものより頑丈な構造で、明らかに発射したミサイルが戻ってきても受け止められるようにできていた。
「あれは工場で造られていた特別製の……」
「左様、撃鎚ミョルニルをモデルとした帰還式ミサイルですな」
北欧神話最強の戦神――トール。
トールの象徴的な武器と言い伝えられる撃鎚ミョルニル。
どんな敵をも一撃粉砕する破壊力を筆頭に、多種多様な奇跡を発揮することで知られているが、そのひとつに「投げたら敵の頭に必ず命中して木っ端微塵に叩き潰した後、手元へ戻ってくる」という便利な機能がある。
このミサイルにはその機能が搭載されていた。
「柄が短くて使いづらいとドヴェルグ族が評価を下したにも関わらず、最後まで使い続けてくれた彼の神族に敬意を表してこう名付けられました」
――トールハンマー。
(※ミョルニルの柄が短いのは悪神ロキのせい。イールヴァルディの息子たちと呼ばれる優秀なドヴェルグ族の鍛冶師たちにに神槍グングニルなどの神器を作らせたロキは、それらを持ってブロック&エイトリという別のドヴェルグ族の兄弟鍛冶師を訪ね、「これらの神器より優れたものを作れるか?」と煽るように賭けをした。結果、本当に作りそうだったので途中で邪魔をしたため、ミョルニルの柄は想定よりずっと短くなってしまったという)
射出されて敵陣に命中すると魔力の大爆発を起こすとともに、放射状にドラゴンをも炭化させる雷撃を放出。そして砲台へ戻ってくる。
帰還後、魔力を高速充填して再び発射。これを繰り返せるわけだ。
「発射、帰還、充填、この3つのタイミングを合わせれば絶え間ない攻撃を続けられるのが利点ですな。この日のために本数も揃えましたし……」
「よく似た射撃術を用いた武将が地球にもいますよ」
恐らく織田信長が長篠で披露した三段撃ちに近い手法だ。
発射するミサイルの第一陣、ミサイルの帰還待ちな第二陣、充填して再発射待ちの第三陣。このように分ければ間を置かない連続攻撃となる。
本数があるなら尚のこと、隙を与えないミサイル攻撃も適うはずだ。
必勝のための兵器はまだあるらしい。
次に地下から迫り上がるように現れたのは砲塔だった。
戦艦の甲板に設置されるものに似ているが、砲台ひとつに付き砲塔は一本。角張った砲身はかなり大きく、大和型戦艦の特大砲塔に勝るとも劣らない。
分析系技能を走らせて内部構造をざっくり覗いてみる。
「あれは……電磁加速砲ですか?」
「地球ではレールガンと称されるそうですな」
原理はほぼ同じでしょう、とゴルドガドは砲塔の正体を明かした。
電磁投射砲あるいは電磁加速砲――またはレールガン。
原理はリニアモーターカーなどとほとんど一緒。電磁気により陽極と陰極を発生させた一対のレールを平行に渡して、その間に砲弾となる金属片を乗せる。そして金属片を電磁力によって超加速で駆動させて発射させる。
凄まじい弾速、遠距離まで届く射程、圧倒的速度から生まれる威力。
弾丸が小型の金属片で済むためレーダーなどに感知されにくく、前述の理由から迎撃も難しい……と兵器として大変高性能なことで知られている。
現実世界でも実戦配備されていたはずだ。
小型化が進んで安価も実現し、当初の「砲身がすぐ痛んで壊れる」というデメリットも解決して、超高速砲撃が可能になったと持て囃されていた。
「ただし、ただのレールガンではございません」
ドヴェルグ流の改善が施されております、とゴルドガドは誇らしげだ。
節くれ立った指を握り締めて力説する。
「まず射出された砲弾には雷、風、炎……といった攻撃魔法が複数付与されておりますので、大体の敵に通じる属性攻撃ができます。それらの攻撃魔法は射出速度の勢いを増大させる効果もあり、貫通力も当社比で700%増しです」
「……魔法による強化をゴリゴリに乗せたんですね」
ツバサは少々呆れ気味に相槌を打った。
ドヴェルグ族はそれほど魔法は得手ではないらしい。
ただし、武具や道具に組み込んで永続的に使えるマジックアイテムを作ることに関しては天才的なので、このように超常的な兵器を生み出せるのだろう。
まだまだ! とゴルドガドは熱弁を振るう。
お転婆姫フレイを躾ける爺やの面影はそこにはない。
あるのは武器作りに情熱を注ぐ一人の工匠の誇り高き笑顔だった。
ちょっと狂的な面も見受けられるが……。
「砲弾に用いるのも単なる金属片ではありません。特殊加工により薄くアダマント鋼をコーティングさせた砲弾は弾頭をドリル状に成形し、射出時に超加速のみならず超回転力を加えることで貫通力を大幅アップ! プラズマの旋風を巻き起こしながら飛ぶので直撃せずとも側にいるだけで巻き込まれることは必定ですぞ! 更に更に! 一定数の敵を撃破して周囲にいる敵兵の密度が上がってくるとそれを検知して砲弾内に仕込まれた高性能爆薬が起爆して半径300mを……ッ!」
「ゴルドガドさん落ち着いて! 殲滅力全振りなのはわかりましたから!」
ヒートアップする老臣をツバサは叱るように宥めた。
我を取り戻したゴルドガドは気まずそうに咳払いで誤魔化した。
「オホン……とまあ、なかなかに高性能な仕上がりですぞ」
「いえ、とんでもなく高性能ですそれ」
フレイのお守り役にして国務大臣の地位に収まっているが、彼もまたドヴェルグ族の職人なのだ。でなければこの熱の上げようは説明できない。
ちょっと狂的科学者にも似た雰囲気もあった。
差し詰めマッドエンジニアとでも言ったところだろうか?
「――ゴメンねー、ツバサさん」
驚いたでしょ? とフレイが申し訳なさそうに眉を八の字にしながらも、愛想のいい笑顔でツバサへと近付いてきた。
どうやらホラー漫画の読書会は一段落ついたらしい。
ミロから借りた漫画本の山はモフモフなメイドたちに運ばせている。ミロはまたメイドさんを捕まえて愛玩するのを楽しんでいた。
ニヒヒ♪ とフレイの笑みは下町の子供みたいに懐っこい。
「ゴル爺ってばお姫様なアタシのことアホだうつけだって怒るくせして、自分だって武器や兵器のことになると人が変わるバカ職人なんだから」
「そこはせめて職人バカであろうが」
コツン、といつもより控えめに小突くゴルドガド。
ツバサの前で意図せず醜態をさらしたため、今回はあまり強く出られないところを見るに、ゴルドガド本人も職人バカな自覚があるのだろう。
「でもさ、大目に見てやってよ」
フレイはゴルドガドを庇うとツバサの横へと並んだ。
欄干に両肘を乗せて上半身を預けるように頬杖をつく。見つめる先にあるのは戦争の準備に奔走する国の人々の姿だった。
「ずっと守ってばかり……籠もってばっかりだったんだからさ……」
フレイはアンニュイな吐息を漏らした。
国民に蕃神との決戦を強いたことを詫びる罪悪感に横顔を曇らせる一方、全力で戦に取り掛かろうとする国民の熱意に後ろめたいやる気を感じさせた。
もう一度、気鬱を払うようにフレイはため息をつく。
「無理に戦えば疲れたとこから瓦解させようと接近してくる……そうやって他の街や村を半魚人どもが滅ぼしてきたところを目の当たりにしてきたからさ……慎重に立ち回らざるを得ないワケよ……」
反撃に打って出て疲弊したところを潰された街があった。
徹底抗戦するも人海戦術で押し流されるように消えた村があった。
堅牢な守りを固めたのに裏切り者のせいで陥落した都市があった。
地下都市に暮らす住民はそれを間近で見てきたか、そうして滅ぼされた集落から落ち延びてきた生き残りだ。誰もが慎重になってしまうだろう。
「……国が臆病で慎重派だらけになっちゃう!」
「その失言は俺に失礼すぎるだろ」
いつの間にかツバサの背後に近寄って不安げにそう呟いたミロに、ツバサは振り返らないまま藪睨みの険悪な表情で言い返してやった。
何事も臆病かつ慎重なくらいでちょうどいい。
検討するばかりで一向に動かないのは問題外だが、脊髄反射みたいなろくに考えない判断を繰り返していれば、いつかしっぺ返しを喰らうものだ。
「一人ならいいよ。無茶してしくじっても痛い目見るのは自分だもの」
フレイは頬杖をついたままミロに振り返った。
ツバサも肩越しに見つめると、ミロはウォンバット族のメイドを頭に乗せたり両脇に抱えたりモフモフな贅沢三昧を楽しんでいた。
アホの子は戦争前の緊張感とは無縁である。
ある意味では大物なミロの態度にフレイは苦笑いを浮かべた。
「でもね、守るべき者がいるとそうはいかない。王なら民を、母なら子を……無闇に傷付けるなんて以ての外だよ。失敗は許されないからね……」
「むう……臆病で慎重にもなっちゃうか」
ツバサさんもみんなのお母さんだもんね♡ とミロは煽ってくる。
「誰が万物の母で大地母神だコラ!?」
手を伸ばしてアイアンクローを喰らわそうと思ったが、モフモフのメイドたちを巻き込む恐れがあるので怒鳴りつけるだけに留めておいた。
もっとも迫力だけでメイドたちは脅えているが……。
「そんなわけだからさ、本気で戦る機会なんてなかったわけ」
深きものどもとの戦いでデータ収集をし、奴らに効果的な武器や兵器をどれだけ作ろうとも、攻勢に出るのは躊躇われるため防戦に徹するしかない。
一矢報いたい、反撃したい、迎え撃ちたい。
荒廃の一途を辿る大陸島を守りたい気持ちもあったのだろう。
「それでも守りに入るしかなかった……もう誰も無駄死にさせたくないから……いつの日か、奴らをまとめて滅ぼせるチャンスが巡ってくるまで……」
その日までフレイは耐え忍ぶことを決意した。
そして、彼に付き従うドヴェルグ族、サイクロプス族、アマノマヒトツ族、多くの大型齧歯類族……地下都市の国民たちもこれに随従したのだ。
「だけど――遂にその日がやって来た!」
――待ちに待った大攻勢に打って出られる日が!
喜びの声を上げたフレイはツバサを会心の笑顔を送ってくる。
「だから……ありがとうツバサさん! あなたたちが来てくれたおかげで、ようやく私たちは守りの殻を破ることができる……ゴル爺たちがこの日を夢見てコツコツ作ってきた武器を思いっきり使ってあげることができる!」
本当にありがとう……涙を滲ませるフレイに感謝されてしまった。
この娘、涙もろい性質らしい。
涙に濡れてきた瞳をミロへ向けたフレイは「ちょっと借りてもいい?」的な合図を目線で送っていた。これにミロは「OK!」と即座に返す。
すると――フレイはツバサの胸に飛び込んできた。
泣くために胸を借りたい、ということらしい。
ツバサではなくその伴侶であるミロに了解を取る辺り、フレイはよくわかっていた。変なところで機微を察するのは得意らしい。
「……本当、お母さんみたい……なんだか安心する……」
てっきりまた大泣きするかと思えば、地母神の乳房に顔を埋めてその母なる大地のような包容力を堪能していた。目尻から涙の粒が零れる程度だ。
フレイの母親も父親同様に亡くなっていると聞いた。
ドヴェルグ族の王族、その能力は戦闘面でも抜きん出ていたという。
国と民を守るため最前線に立ち続け、無理をして気張るあまり寿命を磨り減らしてしまったのだろう。惜しまれながら早逝してしまったそうだ。
そんな母親を思い出しているのかも知れない。
しょうがないなぁ……と胸の内の男心は悪態をつくも、神々の乳母としての母性本能はウェルカムなので、そっとフレイを抱き締めてあげた。
「…………よし!」
羨ましそうに見ていたミロまで混ざってきた。
前はフレイで定員いっぱいなので、背中から抱きついてくる。ロングの黒髪へ紛れ込みながら豊満な巨尻に細い体を密着させてきた。
ミロが抱えてきたモフモフメイドもついでに引き受ける。
離れていこうとした彼女たちだが、髪の毛を操って抱き上げると頭や両肩に乗せてあげた。これでツバサは全身を萌えキャラに囲まれたも同然。
思った以上に――癒やされる。
母性本能が充足感で満たされ、何らかのゲージが回復する気分だ。
乳房に顔を埋めたフレイがクスクス笑っている。
「フフッ……ウチのお母さん、ちんちくりんだったから私より小さいけどね」
「え、あ……そ、そう……ごめんね、俺デカくて……」
180㎝あるツバサではフレイの母親代わりは務まらなさそうだ。
すまなそうに愛想笑いを浮かべていると、フレイは両手をツバサの超爆乳の下へと回して重そうに持ち上げて、恍惚の表情で谷間に頬をすり寄せていた。
「んー……でもおっぱいはこれくらいだったなぁ……感触そっくり」
「それなんてロリ巨乳!? いやさロリ超爆乳!?」
ツバサの脳内ツッコミをミロが代弁してくれた。
いやいや、神族の旦那さんと結婚してフレイを産んでいるのだから、ロリータではない。体型が幼女みたいに小柄だっただけだ。
「先代女王様はドヴェルグよりドワーフ寄りの体型でしたからな」
ゴルドガドの補足でフレイの母親への解像度が深まる。
「なのにツバサさん級の超爆乳だったんか……会ってみたかったな」
「国民からは“おっぱい女帝”と慕われたほどですからな」
ミロのぼやきまで丁寧に拾うゴルドガド。どうやらフレイの母親はとんでもないトランジスタグラマーらしい。ツバサもお目に掛かりたかった。
おっぱい星人の血を騒がせている場合ではない。
「しかし……あまり戦争を歓迎するような言い方は良くないな」
ツバサは寂しげな微笑で苦言を呈した。
優しくフレイを引き剥がすと、両肩に手を置いて言い聞かせる
「蕃神どもが吹っ掛けてきた侵略戦争なんぞで、この世界の人々に怪我をさせたくはない……戦るからには一方的かつ圧倒的な勝利を目指そう」
そのための布石を各所に打っているところだ。
「微力ながら――五神同盟の力も貸す」
現在、南方大陸への出征メンバーが助力のため動いてくれていた。
――戦女神ミサキと獣王神アハウ。
内在異性具現化者のコンビは、森羅万象に働きかける過大能力を最大限に活かして地脈の操作を行っていた。地下都市のある山脈に流れる龍脈や霊脈などの“気”の大きな流れを自陣へ有利になるよう調整しているのだ。
ツバサも過大能力で静かに働きかけていた。
ドヴェルグ族の兵器は魔力をチャージして本領を発揮する。
魔力の元となる“気”が地下都市や山脈に集まれば、自然と武器や兵器に蓄積される魔力の増加率を早められる。それ以外にも単純にそこへ暮らす者たちの心身を活性化させるので、決戦前の士気も上がるはずだ。
――仙道師エンオウと輝公子イケヤ。
――侍娘レンと蛮族娘アンズ。
――鉄拳児カズトラと若執事ヨイチ。
この六人はそれぞれタッグを組んで、地下都市から離れた場所で深きものどもの注意を引きつけていた。連中の偵察隊や遊撃隊にちょっかいを掛け、散発的な小競り合いをわざと引き起こし、地下都市から少しでも注意を逸らす。
早い話、三手に分かれて陽動作戦を実行中だった。
地下都市にはある策を施しており、その完成度を上げるためだ。
――長男ダインと次女フミカ。
蛮カラサイボーグな長男と褐色踊り子な次女の夫婦は、ツバサたちの移動拠点でもある飛行母艦ハトホルフリートの整備を任せていた。
深きものどもとの激戦に備えて艦体の万全を期すためだ。
また、ある装置の最終点検も彼らの仕事である。
南方大陸への遠征で切り札になるかも知れない画期的な新システムだ。
――ハンティングエンジェルス。
こちらも彼女たちの旗艦である飛行戦艦シャイニングブルーバード号をオーバーホールする勢いでメンテナンス中である。勿論、彼女たちも戦争に参加するので不備のないように艦体チェックに励んでいた。
――情報屋ショウイ。
彼の仕事は情報収集に特化した過大能力で、深きものどもの行動や状況を常に監視すること。これまでより念入りにお願いしておいた。
これで怪しい兆候があれば即座に対応できる。
半魚人どもが操る古代ルルイエ語も解析済みなので捗っていた。
そして――重要な任務を任せた者が二人。
おかげでこんなに大っぴらに戦争の準備をしているのに、深きものどもにはまったく気取られていない。ある策が利いている何よりの証拠だった。
その功労者コンビが戻ってくるようだ。
スタスタと軽やかに高級雪駄を鳴らす音が聞こえてくる。
「おーいツバサくん、こっちの仕込みは終わったぜ」
穂村組 組長 バンダユウ・モモチ。
黒の着流しに金糸銀糸を散りばめた豪華な褞袍を羽織る、灰色の総髪がよく似合うイケメン初老だ。愛用の極太煙管は煙草を詰めず口にくわえていた。
子供が近くにいる時は喫わない。紳士にして大人の鑑である。
長身痩躯なバンダユウの肩には小さな女の子が肩車をされていた。
「センセーイ、バンダユウさんのお手伝いしてきましたー」
お母さんの姿を見つけたマリナは元気いっぱいに手を振っていた。
ハトホル一家 五女 マリナ・マルガリーテ。
ロリータドレスに身を包んだ紫髪のお姫様。長い三つ編みを二つに結って、王冠型の帽子がチャームポイントだ。幼年組だがツバサとミロのパーティーへ一番最初に加わったため、何気にハトホル一家の最古参でもある。
LV999に達していないが、その過大能力は強力な結界術。
この能力が飛行母艦の防衛システムの元のため、今回の遠征に同行を許したのだが、決して前線に出さないように仲間内では徹底してもらっている。
この異色コンビに一肌脱いでもらったところだ。
フレイだけではなく背中から抱きついて巨尻に顔を埋めていたミロを引っ剥がしたツバサは、モフモフのメイドたちを乗せたまま振り返る。
「お疲れ様です、首尾はどうでしたか?」
「上々よ。こちらの兵隊さんたちにも確認してもらったところだ」
バンダユウの足下には小さな兵隊たちが随行していた。
モグラ族に衛兵部隊である。
動きやすそうな鎧を身に着けており、モグラゆえに太陽光を苦手としているのか丸いグラサンめいた眼鏡を装備している。
「――ただいま戻りました、フレイ様」
リーダー格らしきモグラ族の青年は敬礼し、フレイの前に出ると傅いた。
「ドリモグご苦労さま、外から見た地下都市はどうだった?」
「はい、報告させていただきます」
ドリモグと呼ばれた青年は跪いたまま報告を始める。
「我ら部隊、地中を進んで遠くから地下都市を見渡せる場所まで辿り着き、そこから地上に出てみましたが……そこにはいつもと変わらぬ山脈がありました! 戦の準備に明け暮れる様子などどこに眼を遣っても見付かりません!」
――信じられないものをこの目で見ました!
驚きを隠せない様子でドリモグが興奮気味に報告を終えた。
「これは……うん、成功してるみたいだねツバサさん!」
フレイはこちらにも同意を求めてくる。
ツバサは小さく「ああ」と返事をして頷くと、ちゃんと成果を出してくれたバンダユウとマリナにアイコンタクトで感謝を送った。
老組長と肩に乗った愛娘は満面の笑顔でサムズアップを返してきた。
御覧の通り――国中が戦争の準備に忙しない真っ最中。
しかし、地下通路を掘り抜いて遠くから山脈全体を視認したドリモグたちは、いつもと変わらぬ生活を送る地下都市しか目に映らない。
そちらの風景はまやかしである。
これは――マリナとバンダユウの合わせ技だ。
まずマリナが地下都市を覆い隠すように結界を張り巡らせる。
外敵を侵入させない効果もあるが、メインは敵の注意を逸らしたり違和感を覚えさせない、攪乱や隠蔽の効果を強めに帯びた結界だ。
この結界をスクリーンに見立て、バンダユウが得意の幻術を絡ませる。
外から見れば地下都市は普段と変わらない。
戦火に備えて農作物の収穫を急ぎ、工業地帯の重要施設を隠して、対半魚人軍団を想定した武器や兵器を揃えている光景はどこにも見当たらない。
すべてバンダユウの目眩ましによって隠されているのだ。
これで開戦まで深きものどもの目を誤魔化せる。
連中が気付いた時には、こちらは準備万端整って総攻撃を仕掛けられるのだ。もはや奇襲といっても過言ではないだろう。
兵は詭道なり――とはよく言ったものである。
(※詭道=騙す、欺く、謀る、正道ではない不正な手段。「兵は詭道なり」とは戦いは所詮騙し合いなのだから策を弄するものだ、的な意味)
この作戦、バンダユウから提示されたものだ。
『時間稼ぎにゃ持って来いだろ? 魚野郎どもに一杯食わせてやろうぜ』
この時ばかりはツバサもバンダユウも悪い顔をしてしまった。
ギリギリまでこちらの手の内を覚らせない。
戦争の火蓋が切られると同時に、敵勢の想定を超えた態勢を完了していることで一泡吹かせつつ、狼狽したところへ攻め込めば戦況を有利に運べる
戦争においては効果的な埋毒だ。
騙し合いや化かし合いさせたらバンダユウの右に出る者はいない。
さすが飛び加藤、果心居士、石川五右衛門、といった錚々たる幻術使いが先祖にいると豪語するだけの詐欺師の血統である。
「それと――差し出がましいが大群にゃピッタリの応援も喚んどいたぜ」
ほくそ笑むバンダユウが指を鳴らせば三人組が現れた。
ツバサは「ほう……」と感心する。
バンダユウの人選――これがなかなか的を射ていた。
彼らが力を合わせれば、確かに深きものどもの人海戦術にも真っ向から太刀打ちできるはずだ。先日LV999に昇格したので力量も足りている。
その面子を見たミロも意外そうな声を上げた。
「そっか……このトリオなら数の勝負でも真っ向から張り合えるわ」
「「「――ウイッサーッッッ!!」」」」
ミロからの好評価に三人組は嬉しそうに最敬礼で応じた。
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