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第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第500話:エルダーサインは勇気の印
しおりを挟む「じゃあ、御馳走でも作ろうか」
ツバサはジャケットを脱いでシャツになると、エプロンを着けて食べ盛りの子供を歓迎するかのように手料理オカンモードへ切り替わった。
今日はツバサが厨房に立つつもりだ。
いつもなら五神同盟にいる三人のメイド長(クロコ、ホクト、マルミ)の誰かが同行しているので、調理を任せてツバサがハンティングエンジェルスの応対に当たるのだが、あいにく今回の遠征メンバーでは不在である。
他に料理が上手と言えば工作の変態ジンやランマルの姉である料理人ネネコだが、彼女たちも今回は留守番組だった。
まあ――いつでも喚び出すことはできるのだが。
料理のためだけに召喚するのもなんだし、ハンティングエンジェルスもツバサの手料理の方が喜びそうな雰囲気なので腕を振るうことにした。
「ツバサさんツバサさん、あたしも手伝う」
手を上げてくれたのは蛮族娘のアンズだった。
そういえば彼女も料理の腕前はプロ級だ。先の休暇中にはツバサとともに幼年組を集めて、お菓子作り教室を何度も開催したほどである。
ツバサの超爆乳を模った特大プリンを作られたのは苦い思い出だ。
悪気や悪意がないから叱れないのも難点である。
どちらかといえばアンズはパティシエ寄りの技能系統だが、普通の料理を作らせても玄人裸足の腕を持っている。手伝ってくれるならありがたい。
「ああ、助かるよ。よろしく頼む」
「はーい! お任せください♪」
彼女のシンボルでもある頭から被った魔獣の毛皮マントを剥いで道具箱に放り込むと、ツバサと同じようにエプロンを身に着ける。
瞬間、若武者の群れから「おおぉ……ッ!」と静かな歓声が上がった。カズトラは熱い視線で鼻息も荒いし、ヨイチは顔を赤くして背けるも目線はアンズに釘付けだった。ランマルもガッツポーズで喜んでいる。
ナナやマルカも「ヒュ~ッ♪」と冷やかしの口笛を吹いていた。
親友のレンは苦虫を噛み潰した顔で忠告する。
「アンズ……コック服に着替えなさい」
「えー? なんでー?」
まだ理解してない蛮族娘を躾けるように侍娘は叱りつける。
「ビキニアーマーみたいなおまえの装備でエプロン付けると裸エプロンに空見しちゃうんだよ! 青少年の目に毒だからやめなさい!」
あーそっかー! とアンズも納得したらしい。
男子の視線が集まっていることも意に介さず、そして恥ずかしがることもなくとゆっくりのんびりコック服に着替えていた。
その間、青少年ズ&オッサンたちの視線は女性陣によって遮られた。
プロ級の料理人が二人もいれば調理の手際も捗るだろう。
これならどんな注文をされても捌けるはずだ。取り敢えず、思い付く限りの料理でアイドルたちを持て成してあげよう。
「エンジェルスのみんなは食べたいものがあるかな?」
問い掛ければ「はいはいはーい!」と我先にと挙手してきた。
「家系ラーメン! ハンバーガー! お寿司! ドーナッツとか甘いの!」
「焼き鳥! 唐揚げ! フライドポテト! お酒に合う辛めのおつまみ!」
「ニンニクの効いた美味しいの! パスタにピザ! フライドチキンとかも!」
「餃子! チキンサンド! モツ煮! サイダーとかコーラ!」
ツバサさんの手料理ーッ! と熱狂的に讃えられた。
これもVRMMORPG実況動画の影響か? そういえばミロにせがまれて料理系の技能を披露したことが何回かあったような気がする。
彼女たちもそれを見たのか期待値が大きそうだ。
しかし、御馳走という割りにはお手頃なお値段で食べられるもののリクエストが多い気がする。いくつかジャンクフードもあるし意外と庶民派だ。
ラーメンやパスタにはピンと来るものがあった。
欠食児童のようにドラコたちは矢継ぎ早に注文してくる。
「白い御飯とかも食べたい! お漬物とか濃いめの料理でガツガツと!」
「激辛カレーとか麻婆豆腐もアリだと思います! 食べるラー油とかも!」
「牛丼とか天丼とか……ワタシもお米食べたーい!」
「天むすおにぎり! ツナマヨに明太子マヨにオムレツむすび!」
ライス系の要望も多い。こちらもやはりピンと来た。
――お米や一部の麺類。
これらはいくら技能を習得しても賄えない場合があるからだ。
真なる世界では小麦や大麦は入手しやすいのだが、米を実らせる稲はなかなかお目に掛からない。レアではないが珍しい食材に分類されている。
粟や稗などの雑穀ならコモン、蕎麦くらいになるとレア寄り。
稲はその上のSレアくらいの採取率である。
そして、麦から作れる麺類でも作りにくいものがあった。
それがラーメンやパスタの類だ。
ラーメンの麺はかん水などを理解してないと再現できないし、パスタの麺はデュラムセモリナと呼ばれる特別な小麦粉を用いる。
(※かん水=炭酸ナトリウムや炭酸カリウムといったアルカリ塩を溶かした水のこと。発祥はモンゴルとされ、塩湖の塩辛い水を混ぜたら美味しい麺ができた。実際の麺作りではかん水の濃度を水で調整した“打ち水”が用いられる)
(※デュラムセモリナ=デュラム小麦を挽いてできた小麦粉。この小麦はマカロニ小麦と呼ばれるほどグルテンが多く含まれていて硬い。この小麦粉でないとパスタ特有の歯応えのあるモチモチした食感は生まれない)
前者は知識がなければ作れないし、後者はデュラム小麦かその近縁種を見つけなければ作れない。真なる世界では望むべくもない話だった。
「どっちも作れるツバサさんはスゴいよね」
両手を頭の後ろに回したポーズでミロは褒めてくれた。
悪い気のしないツバサはフフン♪ と鼻を鳴らす。
「そりゃあおまえ、どれも子供たちの大好物だからな。お母さんは用心のために麺作りの技能はすべて習得したし、米もデュラム小麦も持ち込んで……」
誰がお母さんだ!? と独りボケツッコミはしておく。
ツバサは慎重派で用心深い。
もしもお米やパスタを切らしたら? という懸念から稲や小麦の種籾を道具箱の片隅に常備しており、それを真なる世界で栽培させてきたのだ。
その他の食材もほとんど自家製で賄えるようにしておいた。
最近はダインのおかげで量産化も進んでいる。
「……というわけで大抵のリクエストには応えられるぞ」
ハンティングエンジェルスは目を丸くして驚いた。
「た、たこ焼きとかお好み焼きとか鯛焼きもイケる!? あとクレープにチョコパフェにソフトクリームとか……」
ナナが露天で食べられそうなラインナップを上げてきた。
こうした料理も真なる世界では難しい。
食材の入手は簡単だ。肉や魚は狩りをすれば手に入るし、野菜や果実なども鑑定などの技能があれば野生のものを採取できる。チョコやバニラも探せばどこかしらに種子があるはずだからお菓子も問題ないだろう。
原材料ならば揃えられる。
だが、そこから目的のものを作る難度が高い。
特にたこ焼きや鯛焼きなんて、専用の金型がなければ再現できない。その金型を作るための鍛冶技能を習得している余裕などなかった。
どことも知れない異世界を生き残るための技能習得が最優先。どんなに食べたいとしても、余計なことに回せる余力なんてない状況である。
ツバサの場合、長男が優秀すぎるので何でも揃えてくれた。
過大能力の【要塞】内で大抵の品は作ってくれる。
ナナが先に挙げた料理だと専用のクレープメーカーを用意してくれたので、よく子供たちのおやつに作ってやっているほどだ。
「そういうのも食べたいのかい? わかった。用意しよう」
ツバサは母親らしい笑顔で快諾した。
やったー! ツバサさんマジ女神ー! とハンティングエンジェルスはやんややんやの大喝采で喜んでくれた。
誰が女神が!? と決め台詞を返しつつ場所を変えた。
艦橋のことはダイン、フミカ、ショウイ、この三人に任せて艦内の食堂に移ると、ツバサとアンズは厨房に入って料理を始める。
ハンティングエンジェルスの四人を客席に座らせる。
深きものども退治に頑張ってくれた若武者六人と青年二人組も疲れているはずだから、体力回復のために食事をさせるつもりだ。
――ただし別席を用意した。
客席のハンティングエンジェルスの前には、ツバサ、ミロ、アハウ、バンダユウ、ミサキの五人が相席させてもらう。
こちらは全員――五神同盟の代表格である。
美味しい食事で歓待するついでに、積もる話も片付けるつもりだ。
打ち合わせを兼ねたお食事会と思えばいい。
神族ならではの素早い手捌きで調理を進めていき、いくつかの技能で時間短縮も行い、次から次へと大量の料理を仕上げていくツバサとアンズ。
こんな時、ミロやマリナは率先して配膳を手伝ってくれる。
これも日頃の躾けの賜物だと思いたい。
ミサキやレンも釣られるように出来た料理を運んでくれたので、ツバサとアンズは料理に専念することができた。
あっという間にテーブルを埋め尽くす料理の数々。
待ちきれないとばかりに瞳をキラキラ輝かせるアイドルたち。ドラコやナナに至っては食欲旺盛なのか、涎があふれるのを止められないようだ。
一通り並んだところでツバサが号令を掛ける。
「はい、できあがり。冷めないうちにお上がりなさい」
「「「「――いただきまーす!!」」」」
待ってましたとばかりに声を上げるアイドル四人。手を合わせて拝むのもそそくさと箸やフォークを掴んで料理に手を伸ばした。
別席でもカズトラたちが競い合うように料理を貪っている。
「んんんーッ! このラーメン美味しい! 初めて食べる味なのにちゃんと家系ティストだ! あ、そのエビフライちょうだい! そっちのつけ麺も気になる! お寿司も気になるし……そこにあるのクリスピードーナッツじゃん!?」
「かっらーい! のにうっまーい! この麻婆豆腐絶品すぎる! 唐揚げもピリリとした香辛料が掛かってて……あああああーッ! お酒ほしいーッ! 日本酒でキューッと……あ、このフライドチキンはニンニク風味?」
「え、レミィどれどれ……なにこれうっま! こんな美味しいニンニク風味の唐揚げはじめてかも!? このアラビアータやペペロンチーノもシンプルなのにスッゴく美味しいし! やっぱ真なる世界産だと素材の味もいいの!?」
「焼き餃子も水餃子もあってサイコー! マルマル、そっちの鶏ササミバーガーも美味しそうだからとって……ンクンクンク、プハーッ! 久し振りのコーラもうまーい! ちょっとスパイスコーラ感あるのがまたいいね!」
美味しい! とハンティングエンジェルスの絶賛は鳴り止まない。
ここまで盛大に喜ばれると料理人冥利に尽きる。
「お口に合ったら何よりだ」
ツバサも嬉しそうに口元を綻ばせると、エプロンを脱いでハンティングエンジェルスの対面に座った。既にミロやミサキたちも着席している。
食事を摂る気のないアハウやバンダユウはお茶を出しているが、ミロやミサキはドラコたちと一緒になって料理を頬張っていた。
たこ焼きとか鯛焼きなどのおやつ系ばかり手元に引き寄せている。
ミサキ君はわかるが……ミロは別に働いてないだろ?
そうツッコミ掛けたツバサだが、話を先に進めたいので余計な一言は呑み込んでおいた。どうせいつものことだから見逃しておこう。
食べている間はそれに夢中だからアホの子も静かで良さそうだ。
「では――食べながらでいいから聞いてほしい」
ハンティングエンジェルスと向き合ったツバサは厳かに告げる
「五神同盟がこれまで辿ってきた経緯を……」
ちょっと長い自己紹介みたいなものだ。
信用に関しては一定水準で得られていると思う。
なにせこちらにはドラコが兄貴分と慕うアハウがいるし、マルカの実の祖父であるバンダユウがいるのだ。
二人の人柄が彼女たちの判断材料になったはずだ。
そのうえで経歴を語るように自己紹介もさせてもらう。
ツバサと仲間たちが真なる世界に転移して、今日まで歩んできた過程。その来歴を詳らかにすることで彼女たちの信頼を得るとともに、今後についての検討を促すためである。質問があれば受け付けていけばいい。
そして彼女たちも今日までどう生きてきたかを知っておきたい。
交互に話し合いを重ねることで、これからどうするかについて前向きに考えてもらえれば幸いだ。ツバサは記憶のページをめくるように話し出した。
~~~~~~~~~~~~
「……地球、なくなっちゃうの?」
半分まで囓った鶏ササミバーガーを片手にナナが訊いてきた。
もう片方の手に持った炭酸飲料のコップが震えている。
レオナルドたちGMからもたらされる真実。
VRMMORPGの実態や世界的協定機関の正体。そして宇宙の彼方から飛んでくる巨大惑星衝突による地球崩壊という最悪のシナリオ。
それを回避するため急遽実行に移された異世界転移の計画。
ハンティングエンジェルスはGMとともに行動していない。
現地種族のドヴェルグ族から灰色の御子などに情報は多少なりとも得られていたようだが、こうした真実に直面して茫然自失になりかけていた。
故郷である惑星が消え去るのだ。その心的ショックは計り知れない。
ツバサたちも当惑した記憶が蘇ってきそうだ。
レミィやマルカの箸も止まっている。
唯一、ドラコだけが旺然としたまま食を進めていた。
……本当、彼女だけ並外れた胆力をしている。レミィたちの反応が世間一般における普通であり、ドラコの狼狽えなさは図太いどころではない。
ただ、こちらの話にはちゃんと耳を傾けている。
表情にも曇りが差しているので、良い気分ではないのだろう。
「……薄々、勘付いてはいたけどね」
ドラコは大振りなチキンのドラムスティックに齧りついた。
「フレイちゃんも言ってたじゃん。プレイヤーが転移してきた経緯が駆け足すぎる感があるから、地球で何かあったんじゃないか……って」
「あの推測が当たってたわけか……さすが王女様」
洞察力ぱないね、とマルカは諦観を極めたように鼻で笑った。
動揺しないドラコに当てられたのか、心の整理がついたマルカも食事に戻る。ニンニクが好きなのか、その手の料理に食指が動いていた。
「あの……地球に残った人々は?」
本当なら家族や友達、同じオーライブに所属するアイドル仲間の安否について聞きたいはずだが、レミィは言葉を選んでくれた。
不安に苛まれる彼女にツバサは展望のある可能性を答える。
「GMたちの話は一致している……地球に取り残された人々も時間差はあるがこちらに転移させられてくるはずだ」
ホッ……とレミィたちは少しだけ胸を撫で下ろした。
ツバサは転移についての情報も補填する。
「先ほど話した幽冥街という悲劇的な実験例もあるし、オリベさん……妖人衆という時間や空間を越えて、地球から神隠しで飛ばされてきた例もある。どれも転移までに数年のラグがあるものの、ちゃんと異世界転移しているんだ」
ここはGMたちを信じよう、とツバサは念を押した。
ツバサの弱い気持ちは「確証はあるのか?」と不安を訴える時もあるが、そこまで猜疑心に悩まされていたら何もできない。信じるしかなかった。
「じゃ、じゃあ……地球に戻ることもできないんですよね?」
いつか日本に帰れるかも知れない。
レミィたちはそんな希望を心のどこかに抱いていたに違いない。
「……残念ながら無理だろうな」
遺憾の意を表した表情のツバサは首を左右の振った。
「隕石どころではない。惑星と呼んでも差し支えない大きさの彗星の直撃を受け、地球は半壊してしまったような状態なんだ。およそ人間はおろか生物がまともに暮らせる環境は残ってないだろうな……」
そうですか……とレミィは落胆したまま俯いてしまった。
地球に未練があるような素振りが気に掛かる。
もしかすると彼女たちには地球へ帰りたい理由があるのかも知れない。
それでもフライドポテトに辛めのテリヤキソースをつけてモグモグできる余裕はあるらしい。あるいは不安を紛らわすためなのだろうか……?
コホン、と咳払いをしてツバサは喉を整える。
「いつか君たちの家族や友達……大切な人たちも真なる世界へやってくる」
遅くとも数十年――早ければ数年。
「一斉に転移してくるのか? 時を置いて散発的に飛んでくるのか? どこに出現するのか? 自分たちの領域や安全地帯ならいいが、万が一にも危険地帯に突然現れたりしたら……なんて心配は後を絶たないけどね」
対処方法はひとつっきゃないね、とドラコは肉を咀嚼しながら言う。
「――できるだけ目の届く範囲を確保する」
「その通り。無力な人類がポッと現れてもしばらく無事で過ごせ、尚且ついつでも我々が助けに行ける地域を広げていくしかない」
やはりドラコは大雑把なばかりではない。
のほほんとしているようで現状を正確に把握しており、どうするべきが最適解なのかを即座に導き出す。頭の回転の速さは並々ならぬものだ。
ハンティングエンジェルスの方向性を問う時は彼女に訊くべきだろう。
「そのために……中央大陸を制覇しちゃったんですか?」
ほへぇ~、とレミィは感心した顔を上げる。
見つめる先には世界地図があった。
参考のために源層礁の庭園から提供された真なる世界の地図をスクリーンに映し出し、五神同盟がどこにあるのかを説明しておいた。
中央大陸は現在、おおよそ五神同盟の管理下に置かれている。
「いやいや、制覇だなんてとんでもないよ」
ツバサは恐縮するように手を振った。
中央大陸は地球の全大陸を足し算しても追いつかない面積を誇り、それこそ何十倍もの土地面積を有している。五神同盟が様々な手段で目を光らせているといっても、全土を完璧にカバーできているわけではない。
「……だから制覇とは程遠いよ」
苦笑いに口の端を緩めたツバサは言い訳するように返した。
「まだ俺たちと出会ってない種族は山ほどいるだろうし、こちらに気付くことなく旅を続けているプレイヤーのパーティーだっているかも知れない……そういう会いたい人々をピックアップできないほど中央大陸は広大なんだ」
「フレイちゃんたちがいるとこも島じゃないもんね」
あんなの大陸だよ、とナナが南海に浮かぶ島をそのように評した。
家族も無事転移してくると聞いて落ち着いたのか、ナナは止めていた箸を再び動かし始めた。餃子が好きなのかハイペースで平らげていく。
どうらやドヴェルグ族のいる島は相当な大きさがあるらしい。
ショウイも調査中だったが、概算で出した土地面積は「南北のアメリカ大陸を合わせたぐらいの規模があります」と驚いたくらいだ。
それはもうツバサたち人間目線からすれば立派な大陸である。
恐らくドヴェルグ族は中央大陸を始めとした他の大陸を知っているため、それらを指して大陸と呼んでおり、自分たちが居を構える土地は精々が島くらいの大きさだと認識しているようである。
価値観のスケールが真なる世界基準なのだ。
地球生まれのツバサたちからすれば、あらゆるものがデカすぎる。
「でもさ、実際問題……ムチャクチャ大変じゃない?」
アヒージョを摘まむマルカが問題点を並べていく。
「地球から飛ばされてくる人たちのためにも安全圏の確保が最優先事項だけど、それはプレイヤーやフレイちゃんみたいな現地の人たちの生活を保障する意味も兼ねてるし、この世界にゃヤバい怪物がそこかしこにウロついてるわけだしね」
おまけに蕃神だよ、とマルカはモニターのひとつを指した。
投影型スクリーンは1枚ではない。
真なる世界の地図を中心に、それを取り囲むように大小の“窓”型スクリーンが展開されている。そのひとつをマルカはフォークで指し示していた。
ニンニク風味のオリーブオイルに塗れたプチトマト。
フォークの先に刺されたそれが示すのは悍ましい蕃神の姿だった。
触手アブホス、蜘蛛アトラクア、竜犬ティンドラス、蝙蝠シャゴス、真菌ミ=ゴ、背信者ナイ・アール、祭司長クトゥルフ、副王ヨグ=ソトース……。
そして――外なる神々の総帥アザ・トース。
ツバサたちが遭遇した蕃神の情報も開示しておいた。
うへぇ……と吐き気を催した顔でマルカはプチトマトを頬張る。
「この蕃神……フレイちゃんが言ってた“外来者たち”とイコールなんだよね? 要するに別次元からやってきた侵略者さんたち……こいつらってワタシらが駆除しまくってる半魚人どものお仲間なんでしょ? っていうか、あの半魚人軍団も蕃神の一部に過ぎないってイメージでいいのかなぁ?」
「うん、そのイメージで間違ってないな」
「ご覧の通り、この世界のモンスとはデザインからして違うしね」
ツバサが頷くのに合わせ、大判焼きをパクパク食べていたミロも人差し指で蕃神を映したスクリーンを差した。二人ともお行儀が悪い。
蕃神も外来者たちも――あくまで総称。
祭司長などの聞き出せた名称はあるものの、大別の括りや個別の名前も、その大半がこちらの主観的な命名に過ぎない。
彼らの自称についてはほとんどが不明である。
話し合える余地はないし、あくまでも分類のための名付けだった。
「半魚人なら飽きるくらい戦ってきたから、どんくらい強いかわかってるつもりだけど……この蕃神の親玉みたいなのってもっと強いの?」
ナナは祭司長や外なる神々を指差して、素朴な疑問を投げ掛けてくる。
ツバサは深刻な顔で頷くより他なかった。
「LVが違う、桁が違う、格が違う、世界が違う、次元が違う」
「違う5段階活用法ッ!?」
どんだけ強いのよ!? とナナは困惑しながらもサラミピザの追加を掴んで口元に運んでいた。噛んではチーズを伸ばして楽しんでいる。
ツバサの深刻さが伝染したレミィは固唾を呑む。
ゴクリと飲み干すのは固唾ばかりではなく、アルコールフリーの日本酒を模した飲料だ。彼女は酒好きらしいが、さすがにこの場では控えてくれた。
「半魚人と比べたら……強さはどれくらいですか?」
柔らかそうな頬に冷や汗をたらすレミィ。
ツバサは苦虫を噛み潰したような顔で残酷な現実を伝える。
「半魚人……我々はクトゥルフ神話に倣って彼らを“深きものども”と呼んでいるが、彼らは蕃神に仕える奉仕種族あるいはその眷族……」
使い走りの先兵――はっきり言って雑魚だ。
「見た目からして雑魚だけどね」
混ぜっ返すな、とツバサは茶々を入れるミロを小突いた。
半魚人で雑魚……とレミィは唖然とする。
ドラコも「ひえー」と他人事みたいに呆れていた。マルカとナナも瞳をまん丸にして「マジで!?」と見つめ合っている。
いい機会だから蕃神の脅威性についてレクチャーしておこう。
彼女たちは深きものどもを鼻であしらう力を備えているが、そこにあぐらを掻いてほしくはない。蕃神という想像を絶する恐怖をこの場で予習させておき、新たな蕃神と戦う際には慎重を期して当たることを念頭に置いてもらいたかった。
ツバサは注意を惹くように三本の指を立てる。
「蕃神の分類についてはクトゥルフ神話愛好家によるといくつかあるらしいが、取り敢えず大まかに分けると3つらしい」
第一に――奉仕種族、独立種族、あるいは眷族。
「こいつらも別次元由来の生物らしいが、蕃神ほどの異能は持たない。ゆえに蕃神を信仰することで恩恵に与ろうとしている。そういう連中が奉仕種族だ。独立種族も蕃神を信仰するようだが、彼らは独自の能力を持っている場合が多い」
実際、真菌ミ=ゴは人類を越える科学力の持ち主だった。
古のもの、外側のもの、偉大なる種族。
(※外側のもの=ミ=ゴ)
こういった独立種族は蕃神ほどではないが油断ならない存在だ。
古のものはクトゥルフの一族と真っ向から戦うだけの力を持っていたとされるし、外側のものは人間など遠く及ばない超常的な科学力を発展させ、偉大なる種族は時間の秘密を解き明かした唯一の種族だとされている。
深きものも蕃神と比べれば雑魚だが侮れない。
事実、ショゴスを飼い慣らして恐るべき生体兵器に仕立てていた。
「蕃神の親玉である“王”と比べれば弱いから雑魚といったが、決して嘗めてかからないでほしい……奴らと戦ってきた君たちならわかるはずだ」
ツバサからの忠告にアイドルたちは頷いた。
そこに真剣さを読み取り、こちらもひとつ頷いて先に進める。
「眷族は蕃神から生み出される文字通りの眷族。蕃神を“王”とするならば、眷族は小さな“分身”であり、王のために働く“兵士”と考えればいい」
ダウングレードした劣化コピーみたいなものだ。オリジナルと似ているが性能は格段に低く、その代わり数だけはいくらでも揃えられる。
触手アブホスや蜘蛛アトラクアはこの眷族がとにかく厄介だった。
湧いて出てくるとしか言いようがない。
しかも数限りなく、無尽蔵ではないかと疑うほどにだ。
常軌を逸した数による人海戦術は一方的な摩耗を強いられる。深きものどももそうだが、雑魚の群れに押し流されそうな圧力があった。
「連中は数を頼みにすることが多い。そこを軽視するべきじゃないな」
ひとつめの指を畳んだツバサはふたつめの指を強調する。
第二に――蕃神、邪神、クトゥルフの神々。
旧支配者、グレート・オールド・ワン、などの異名でも知られている。
「彼らこそ別次元からの侵略者であり、真なる世界では古くから“外来者たち”と呼ばれて忌み嫌われてきた者たちだ。多くの眷族や奉仕種族を率いてこの世界に侵入し、生命や資源を片っ端から奪っていく略奪者でもある」
「敵軍の親玉ってことでOK?」
ドラコの質問に「OKだ」と答えるツバサは注釈も加える。
「ただし、奴らは群れであって軍隊ではない」
「……どゆことそれ?」
訝しげなドラコにツバサは仔細を明かす。
「アブホスはアブホスで触手軍団を作り、アトラクアはアトラクアで蜘蛛の軍勢をまとめて、ティンドラスやミ=ゴもそれぞれ徒党を組んでいる。この南海に巣食う深きものどももそうだったろう? そうやって同種同族で群れ集うことで、それぞれの崇める“王”の下で侵略行為に励んでいるようだが……」
「もしかして蕃神ら……てんでばらばらなの?」
察しのいいドラコは説明の途中で気付いてくれた。
「ああ、種族内での報連相こそしっかりしているが、別種族や他の蕃神と手を組むことはあまりないらしい。それぞれの蕃神や眷族で完結しているんだ」
蕃神はほぼ同時期、一斉に真なる世界へ攻め込んでいる。
しかしそこに統率性はなく、連合軍とは思えない杜撰な有り様だった。
なるほどぉ、とドラコも合点がいったらしい。
「群であって軍でない……そうかそうか、そういうことね」
「なにそれ、泥棒たちが勝手にお宝争奪戦やってるみたいじゃん」
マルカの比喩表現が的を射ていた。
「大体そんな感じだな。連携や協力なんてあったもんじゃない。連中も真なる世界という宝島に乗り込んで、めぼしいものを早い者勝ちで奪い合うサバイバルバトルでもやっている気分なんじゃないか。連中の魂胆など知りたくもないが……」
「なんて傍迷惑な……海賊ですか?」
レミィは頭痛を覚えた頭を支える仕種をした。
その横ではナナとマルカが「アホーイ♪」とか「ヨーソロー♪」を海賊らしい掛け声で騒いでいる。ドラコが「やめなー」とケラケラ笑っていた。
笑い飛ばさなければやってられない気分なのだろう。
しかし、この南海で深きものどもを相手にしてきた経験から「あながち間違いじゃないかも」と認めているようだ。説得力だけは嫌というほどある。
「だとしたら蕃神は船長であり海賊船そのもの。奉仕種族や奴隷種族あるいは眷族はそれに乗り込む船員だな。それぞれの海賊団が自分の欲しいものを奪うためにこの世界へ乗り込んでこようとしていると考えればいい」
その中でも最大最強の勢力を誇るのが――偉大なるクトゥルフ。
ツバサは一枚のスクリーンを拡大する。
そこに映し出されるのは天を塞ぐ絶望を象ったもの。
ハンティングエンジェルス一同もその威容に息を呑んだ。
「真なる世界では祭司長の名で恐れられ、多重次元の各地に散らばる数多のクトゥルフの中でも最強最大最上位のバケモノと恐れられている存在だ」
還らずの都を掴もうとする巨大な六本指の手。
山脈にも匹敵する巨大建造物を、まるで小さなコインでも摘まむかのような大きさを誇る異形の手こそ、祭司長ことクトゥルフの手に他ならない。
ツバサたちは長らく超巨大蕃神と呼んでいた。
ここ最近、多方面から情報を仕入れることができたため、改めて超巨大蕃神=祭司長=偉大なるクトゥルフという方程式が解き明かされたのだ。
抜山蓋世――という四字熟語がある。
これは山を引き抜く力と世に蓋をする気合いという意味で、それほどの力と覇気を漲らせる者を表現した言葉だが、祭司長はこれを物理的に実行できるだけの肉体を有していた。その肉体が動くだけで真なる世界を震撼させられるのだ。
全能力を解放された日には何が起きるかわからない。
「アステカ兄やん……よく追い返せたね、あんなバカデッカい手」
尊敬を帯びた眼差しをドラコは右から左へと流した。
ツバサ、ミロ、ミサキ、アハウ、クロウ。
この場には祭司長の撃退に成功した五人の内在異性具現化者のうち、四人まで揃っていた。その記録映像を見たからこんな視線になったらしい。
妹分に褒められたアハウは照れ臭そうに微笑む。
「あの時は無我夢中だったからな……今ならもう少し要領よく立ち回れるかも知れないし、辰子ちゃんたちなら立ち向かえると思うよ」
ハンティングエンジェルスの実力ならば敵うかも知れない。
あくまでも太刀打ちするのみに留まるだろうが……。
「だけど……祭司長を完全に倒すのは無理だよ。オレたちだってそう、五神同盟の全力を投入しても完封はできない」
追い返すのが精いっぱい、とミサキは悔しそうに断言した。
あれから修練を重ねてミサキも強くなっているが、強さの階段を上がれば上がるほど、蕃神たちの尋常ならざる生命力もまた感じてしまうのだろう。
「そもそもの話――生物として潜在能力が違いすぎる」
嘆息したツバサは彼我の実力差と向き合う。
「もしも蕃神が人間だとしたら、その人間は虫ケラも同然だ。神族や魔族に進化した俺たちでさえ小動物がいいところ……噛みつくのが関の山だな」
潜在能力の差は天井が窺えない絶壁のように隔たっていた。
「それでも――噛みつけば手傷くらい負わせられる」
ツバサは挑戦者の気持ちで眼を輝かせた。
脳裏には祭司長の手を消し飛ばした瞬間が焼き付いている。
勝算というにはあまりにも頼りないが、少なくとも抵抗する術を見出す糸口くらいにはなるはずだ。ツバサは淡い希望を大切に育てていた。
「つまり、えっと……勝ち目ないってこと?」
餃子を頬張る手を止めたナナは不安を隠さずに呟いた。
「0ではないよ――勝率はね」
ツバサは心中を打ち明けるように即答する。
「現に君たちは深きものどもの侵攻を食い止めてきたし、俺たちも何度か蕃神を追い払っている。現状、奴らがどこまでこの地に根付くべく前線基地や営巣を作っているか定かではないが、抵抗している勢力はひとつやふたつじゃない」
ドヴェルグ族もそのひとつだろう。
ハンティングエンジェルスが身を寄せている彼らの国がこの近くにあるのならば、ずっと昔から深きものどもの侵略から反抗してきたはずだ。
還らずの都を守ってきたキサラギ族――。
天梯の方舟を護衛してきたスプリガン族――。
いいや、彼らだけではない。
真なる世界に生きる者すべてが、ツバサたちのように地球から転移してきたプレイヤーもまた、蕃神からの侵攻に抗うべく懸命に戦っていた。
ツバサは少女たちを勇気づけるように諭す。
「彼らは生きることを諦めていない。そして俺たちも……戦えているんだから負けてはいない。それに奴らを倒すことが必ずしも勝利条件ではないんだ」
ツバサたちの勝利条件――それは真なる世界を平和にすること。
蕃神たちを再起不能にしたり全滅させなくてもいい。
二度と真なる世界へ侵略させないように対処すればいいのだ。
「後腐れなく殺っちゃた方がいいんじゃない?」
ドラコは親指で首を掻き切るジェスチャーをした。その案は大いに賛成したいのだが、已むに已まれぬ事情からツバサは苦い顔で却下する。
「それができないからの勝利条件だよ……認めたくないが妥協案だ」
始末できるならそれに越したことはない。
しかし、蕃神の不死身さは生物の常識を遙かに凌駕している。
どうすれば殺せるのか聞きたいくらいだ。
「蕃神と対等以上の力を持つ旧神なら知っているかも知れないが……」
はっきり言って望み薄である。
蕃神を滅ぼしたいであろう多重次元の正義を司る旧神ですら、彼らを抹殺することはできず封印するのが関の山な時点でお察しだ。
「でもさ――旧神っているのかな?」
ミロが懐疑的な声を上げた。
「蕃神はもう何度も出会してるから疑いようがないけど……こんな悪い奴らが大暴れしているのに、その正義の味方は現れたことは一度もないっぽいし」
ミロの疑惑を頭ごなしに否定はできない。
う~ん、と返事に窮したツバサは当てのない話を上げるのがやっとである。
「亜座の話だと実在するみたいだけどな、一応は……」
白痴にして盲目の魔皇――アザトース。
その化身たる亜座が「旧神はいるぞ」と認めている。しかし能動的に活動している様子はなく、「面子に縛られてる」みたいな話も漏らしていた。
「何それ、まるで仕事しない警察じゃん」
「封印や退治こそすれ、取り締まりの手は緩いのかもな……」
旧神については五神同盟もあまり把握していない。
蕃神が真なる世界でやらかした痕跡ならば、あちこちに散逸したものをいくつか拾い上げていたが、旧神にまつわるものは未だ発見されていない。
ミロのように疑うのも仕方ないことだ。
「旧神でも殺せないバケモノなんだから、俺たちだって言わずもがなよ」
ちょっと前まで人間だったツバサたちには為す術もない。
だから力尽くの力業でありったけの特大ダメージを与えて、「真なる世界へちょっかいを出すのは損だな」と諦めさせるしかない。
情けない話だが現在、そんな手段しか講じられないのだ。
「徹底的に追い返して諦めさせるか、不死身の生命体であろうと泣いて後悔するほど痛い目に遭わせて諦めさせるか、再生できないくらいギタギタにやっつけて故郷に帰るという選択肢しかないまでに諦めさせるか……」
「諦めさせる一択しかない!?」
レミィに会心のツッコミを入れられてしまった。
ツバサはお手上げのポーズで肩をすくめる。
「交渉のテーブルに着いてくれるとは思えないんでね。だったら実力行使でわからせるしかない。それこそ野獣に痛みを覚えさせて遠ざけるようなものだ」
「畑を荒らす害獣に爆竹ぶつけるみたいな?」
マルカの例えに「うんにゃ」とツバサは首を左右へ振る。
「レールキャノンとか波動砲とか反物質爆弾くらいはぶつけないと……」
「オーバーキルじゃねそれ!?」
マルカは啜っていたペペロンチーノを吹き出しかけていた。
彼女のツッコミも冴えている。マルカとレミィはハンティングエンジェルスでもボケよりツッコミを優先するタイプらしい。
「格下の声に耳を貸す格上はいねぇよ」
不意にバンダユウが口を開いた。
五神同盟代表の一人として席に着いたものの、会話に口を挟むことなく静かにお茶を啜っていたが、この辺りの話題は自身の領分だと判断したらしい。
「どういう意味、お祖父ちゃん……?」
小首を傾げる孫娘にバンダユウは極悪人に似合う笑みを浮かべた。
「獲物の泣き言に耳を傾ける肉食獣はいねぇって話さ。それが嫌なら獲物は逃げるか歯向かうしかねえ。シマウマだってライオンに食われたくねえ一心で蹴飛ばすこともある……俺たちのやってることも大して変わんねえよ」
真なる世界は格下じゃない――蕃神と同じ土俵に立っているぞ。
それを侵略者に思い知らさなければならない。
「マルカのお友達の、ええっと……辰子ちゃんだっけ?」
「ドラコでいいよ、バンダユウおじいちゃん」
そうかい、と許しを貰ったバンダユウは話を続けた。
「ドラコちゃんもさっき言ってたが、ビビったら負けなのよ。格上だと思い込んでる奴らに目が覚めるようなキツ~い一発をお見舞いしてやって、こっちの本気をわからせなきゃならん」
実力行使でな、とバンダユウは声にドスを利かせた。
これに孫娘のマルカは「うわぁ……」と惨憺たる表情で呆れる。
「お祖父ちゃん、それはもう極道の渡世なんよ……」
「応よ、おまえの祖母ちゃんにも同じ顔で呆れられたわ。だけどな、蕃神相手にゃあこの世渡りをするしかねぇのよ……こちとらの身代どころか世界の命運が掛かってんだぞ? しかも訴える手段が力しかねぇと来てる」
フフヒ、とミロも悪そうな笑顔でほくそ笑む。
「所詮この世は焼肉定食……ってやつだね」
「弱肉強食っていいたいんだな?」
後で国語の補習な、とツバサはミロの頭を鷲掴みにした。
「乱暴に聞こえるかも知れないが、バンダユウさんの意見は正しい」
極道者の一家言をツバサは全肯定した。
「蕃神ども……特に祭司長クトゥルフは俺たちを搾取すべき対象と見下している。それはもう砂の一粒までエネルギーとして取り立てかねない勢いだ。真なる世界が塵となっても、その塵まで巻き上げるつもりだろう」
「ヤミ金の取り立てより容赦ねー」
ドラコはケラケラ笑うが笑い事ではない。
夢に介入してきた祭司長と対話したツバサだからこそ、「真なる世界という果実を一滴まで搾り尽くす」という蕃神の総意を読み取ることができた。
蕃神は一貫してこの世界を喰らうことを諦めない。
初志貫徹といえば聞こえはいいかも知れないが、適当なところで見切りを付けてもらいたいものだ。その執着はやや異常とも思える。
「諦めさせるには――心が折れるまでぶちのめすしかない」
バンダユウも述べた通り極道の渡世だ。
「いいや、もっと原始的に野性の論理だな。喰われたくなければ抗うのみ……足掻いて藻掻いて暴れて騒いで……相手が諦めるまで戦うしかないんだ」
蕃神を殺す手立てがない現状、これが最善の策と言える。
「逆に言えば他にできることがないんだよね」
アホの子は核心を突いてくる。
理路整然とした説明は三割も理解できないくせして、物事の本質をピンポイントに撃ち抜いてきた。まさにアホと天才は紙一重を地で行っている。
ツバサは乳房を支えるため腕を組む。
準備してからため息をついた。こうしないと肩が重いのだ。
「何度も言ってるが……蕃神を殺せる方法がわかれば即実践するさ」
せめて旧神のように蕃神を塩漬け封印できればいいのだが、それさえも不明なのだ。星辰の配置が蕃神の生態を左右することしか判明していない。
その星辰の配列さえよくわからないのだから――。
「真なる世界で生きていく以上、蕃神やその眷族との戦闘は避けて通れない道だ。神族や魔族となったプレイヤーならむざむざと殺られはすまいが……これまで説明してきた通り、我々の常識が一切通じない敵だと認知してもらいたい」
レミィは神妙に頷き、マルカは天井を仰ぐ。
「ラスボスや裏ボス飛び越えてバグみたいな存在ですね……」
「うわぁぁぁ~知りたくなかった! ガチモンの無理ゲーじゃん!」
あれ? と串焼きホルモンを噛むナナは小首を傾げた。
「蕃神って三種類なんだよね? 眷族、邪神……あとひとつは?」
聡明なドラコは嫌そうに眉を投げて冷笑を浮かべる。
「旧支配者よりも上がいるってことね。TRPGの設定で聞いたわ」
お察しの通り、ツバサは三本目の指を重々しく曲げた。
第三に――外なる神々。
ツバサは禁忌を語るべく声を潜めた。
「ピンキリは多少なりともあるようだが……彼らは間違いなく蕃神よりもはるか上の上位者と考えていい。間違っても戦ってはならない存在だ」
人間が昆虫、神族や魔族が小動物、蕃神が人間。
この分類で比べるならば――外なる神は世界や次元そのものだ。
比較対象を並べられたハンティングエンジェルスは絶句する。
口頭で伝えても外なる神々の恐ろしさは実感しにくいので、ツバサは先日の騒動に関するデータも彼女たちに見せていた。
外なる神々の化身たる――亜座と寄球の訪問。
彼と彼女が人間の姿を借りて真なる世界に降臨しただけで、絶対者の気迫に圧倒された世界がアレルギー反応みたいな天変地異を巻き起こした。
その記録に彼女たちも驚愕しきりである。
「そういやこの日……半魚人どもが異様に大騒ぎしてたっけ」
思い当たる節があるドラコは乾いた声で呟いた。
追いかけるようにレミィも思い出している。
「確か……海面を埋め尽くすくらい浮上してきて、なのにこっちに攻めてこなくて、北の方を向いたままゲコゲコ蛙みたいな大合唱してたような……」
「あれってつまり……これに反応してたってことぉ!?」
「空も海もメッチャ荒れてて、飛行戦艦も飛ばしにくかったんだよね」
マルカやナナによる記憶の補填も入り、外なる神々の顕現は真なる世界の至る所で災害を引き起こしていた事例を確認することができた。
おわかりいただけただろうか? とツバサは目線で促した。
「あの化身たちは本体からすれば末端の末端の末端……外なる神からすればほんの些細な力の断片だろうが……それが顕れただけでこの為体だ」
蕃神ならばまだ迎え撃つこともできる。
小動物でも群れれば人間くらいは追い払うこともあるだろう。
「だが、世界に牙を剥かれればどうしようもない。次元を相手にすれば手の打ちようがない……無抵抗にされるがままがいいところだ」
我が身の不甲斐なさにツバサは歯噛みする。
正面から戦えないことの口惜しさを全面に押し出した。
「蕃神なら桁や格、それこそLVが違うからやり方次第では出し抜く方法も思い付きそうなんだけど……さすがに世界や次元が違うのはねぇ」
つけ麺を啜る手を休めたドラコは深刻な口調で悩んでくれた。
「それこそ『絶対に触れるなよ?』案件じゃんこれ」
マルカは一言でまとめてくれた。そう、まさにアンタッチャブルだ。
せめてもの安心材料としてツバサは独自の見解を明かす。
「亜座や寄球と話してみた感想だが……彼らはあまりにも超越的存在だ。それゆえにあらゆる存在に対して公平に接してくる。俺たちも蕃神も多重次元に生まれた小さな微生物くらいにしか思ってないようだな」
スケールが次元規模のため、すべてを矮小で下等な生き物と扱う。多少の優劣はあるようだが、等しく自身より生じた副産物と認知している。
つまり、敵対者として認識されない。
彼らが気に掛けるまでもない脆弱な生命だからだ。
外なる神々と真正面から戦うことにはなりそうにない。これだけでもほんの少しだけ肩の荷が下りた気分だ。しかし、安心するにはまだ早い。
祭司長クトゥルフに手傷を負わせ――宣戦布告した。
この一件はどういうわけか亜座から絶賛されており、双方が全面戦争を起こすのを心待ちにしていた。外なる神々は野次馬根性が強く物見高いらしい。
悠久の時を過ごす暇潰しのつもりなのだろう。
「……だから、外なる神々との直接対決はまずないと思いたいが、少なくとも下手に刺激をしなければ怒りを買うことはないだろう」
「やっぱ『絶対に触れるなよ?』案件が正解か、うんうん」
マルカは一人で納得して頷いていた。
「だけど、そんなスゴいのとタメ口利いたツバサさん……ぱねぇッス!」
さすツバッス! とレミィにガッツポーズで褒められた。
「タメ口利く余裕なかったからね、レミィちゃん? あと、その褒め言葉どこで覚えたの? 実況動画? クロコが登場した回? 今すぐやめなさい」
思わずオカン口調で窘めてしまった。
「あれ? でもその外なる神と戦うために南方大陸へ行くんでしょ?」
ドラコは人差し指をクルクル回していた。
指先はテーブルの上に浮かぶ投影スクリーン群を順に指している。
五神同盟の来歴、それぞれの組織構成、簡単な人員紹介、そして先の破壊神戦争の概要と、その結末で得られた情報を頼りに南方大陸を目指す理由。
そこら辺は大まかな説明を終えていた。
ドラコはそこを踏まえた上で「南方大陸に居座ってるらしい外なる神をぶっ飛ばしに行くんじゃないの?」と質問しているのだ。
この問い掛けにはツバサも渋い顔をせざるを得ない。
「ああ、そうだ……当初は超巨大蕃神こと祭司長も追い返せたんだし、戦力も増えてきた五神同盟の総力で当たれば外なる神々といえども追い払うくらいはできるんじゃないか? と皮算用を弾いていたんだが……」
「あっ……その亜座と寄球って人たちを目の当たりにしちゃったから?」
人たち? とレミィは自分の発言を疑問視していた。
しかし、彼女の指摘はほぼ的を射ている。
ツバサは自嘲の笑みを浮かべると、反省の弁を漏らしていく。
「そうだよレミィちゃん……外なる神の実態を触りとはいえ体験させられてしまったからね……あれと戦うなんて烏滸がましいと思い知らされたんだ」
今にして思えば、あの訪問は忠告のように作用した。
亜座や寄球に遭遇していなければ、『外なる神でも総力戦を仕掛ければ何とかなるかも知れない』なんて心のどこかで考えていた節があった。
大いなる勘違い――自惚れもいいところだ。
多重次元を支配する外なる神々には敵わない。
せめて「今はまだ……」と負け惜しみを言いたいところだが、全宇宙の根源みたいな存在にどうすれば勝てるのかも想像できなかった。
未知の敵に相対する以上、自重と自戒を忘れてはならない。
彼らのおかげで猛省できたことを感謝しよう。
「じゃあ南方大陸行かない方がよくね? 外なる神さん怒らせない方が……」
「いや、それとこれとは話が別だろ」
ナナのストレートなボケにマルカがツッコミを入れた。
外なる神々は刺激するべきではない。
これは大前提なのだが、だからといって南方大陸にいると思しき黒山羊の女王と呼ばれる外なる神を放置することもできないのだ。
「手を出してはいけない相手だからと無視するわけにもいかなくてね」
破壊神ロンドの遺言がツバサの背中を押していた。
『一年、いや、半年のうちに……南へ向かえ……まず、そこが堕ちる』
調べてみれば南方大陸は瀑布の結界で封印されているし、源層礁の庭園の調査でも異変の兆候が現れており、終いには祭司長が嗾けてきたり、亜座や寄球までもがそこに鎮座するであろう闇の大地母神を仄めかしてきた。
証拠としては状況証拠が大半を占める。
証言も信ずるべきか怪しい蕃神サイドのものばかりだ。
「……破壊神としての役目を終えて、世界を延命を認める神となったあの男が託してきた最期の言葉だからな。信用に足ると思うんだよ」
ほんの少しの感傷を差し込んだツバサはそう明言した。
へぇ~っ、とドラコは「いいものを見た」と言いたげにほくそ笑む。
「漢同士で殴り合った果ての友情ってやつ? カッコいいじゃん」
ツバサは両手を軽く振って否定する。
「そんなんじゃないよ。あの極悪親父との間に友情なんてなかった……まあ、戦いを通じてある種の信頼みたいなものはできつつあったが……」
激闘を繰り広げてきた好敵手だからこそ互いの側面を理解できる。
そんな血生臭い信用を覚えないこともなかった。
信用といえば、ノラシンハと九女の件があった。それに銃神ジェイクと起源龍エルドラントの一件も同じカテゴリに入るはずだ。
あれらはロンドなりの気遣いだろう。
ロンドは延世の神として仕事をした上で、こうしたサプライズも遺してくれたのだから、あの発言も信じるに値するとツバサは疑わなかった。
「そういえば気になってたんですが――」
唐突に話へ割って入ってきたのはミサキだった。
深きものどもとの戦闘で消費した活力を補充するべく、ドラコたちと一緒に食事をしていたが、特盛り天丼を食べ終えたので尋ねたくなったらしい。
ある程度タイミングも読んでいたようである。
「破壊神との戦争中――南海にも何か起きていませんでしたか?」
そうそう! とレミィは思い出したのか両手を合わせた。
「あったあった、ありました。なんか真っ黒いドロドロしたのが水平線の向こうからやってきて、海を染めながら生き物やモンスターを取り込んでて……」
「半魚人どもも追っ払おうってあたふたしてたよね」
マルカの添えた一言で情景が浮かぶようだ。
――破壊神戦争での最終局面。
宇宙卵から生まれた破壊神であることを自覚したロンドは覚醒し、混沌の泥と呼ぶ世界を喰らい尽くす汚泥を操れるようになっていた。
地の奥底から滾々と湧いてくる泥濘。
それは万物を貪る魔物となって世界に襲い掛かってきた。
広大な中央大陸のみならず「真なる世界全土を覆い尽くすぞ!」とロンドが豪語していたので、南海にも届いていないわけがない。
しかし、彼女たちの反応を見るに被害は然程でもないようだ。
フヒヒヒッ♪ とドラコは悪戯な笑顔を綻ばせる。
「その混沌の泥と半魚人どもが勝手に食い合いを始めてさ。あたしら高みの見物を決め込んだわけよ。おかげでドヴェルグ族の島まで届かなかったし」
「ナナの飛行戦艦にもドロドロは届かなかったしね!」
スゴいでしょ! とナナも自慢げだった。
レミィは困ったような愛想笑いで実際のところ話してくれた。
「皮肉な話なんですが……半魚人たちが抵抗したおかげで、私たちどころか島にもあの黒い泥は押し寄せてこれなかったんです」
「んで、魚人間どもがワチャワチャしてる間に黒いのは退いてったの……ちょ! ミロちゃん、こっちからこっちはワタシのフィールドでしょ!?」
「アタシとツバサさんが破壊神のオッチャン倒したからだね……えー? ここからここまでのタコがアタシんでしょー?」
たこ焼きをシェアするマルカとミロ。
話に参加しながらも、熾烈なたこ焼き争奪戦を繰り広げていた。
愚かな争いを横目にツバサは今日何度目かのため息をつく。
「経緯はどうあれ蕃神に守られたか……皮肉だな」
敵の敵は味方なんて言葉もあるが、情勢次第では蕃神とその眷族を味方に付ける事態が起こり得るのかも知れない。そんな示唆を垣間見たかのようだ。
「アタシ的には利用すればいいと思うけどな」
ドラコはポケットから見覚えのあるナノメモリを摘まみ出した。
それはツバサたちにも届いたMVを収めたものだ。
「あの黒いドロドロと半魚人たちが争っているのを眺めてて思い付いたんよ。敵でも味方でもいいから、とにかく南海に呼び寄せればいいってね」
敵ならば半魚人とぶつけ合わせて双方の戦力減を図る。
五神同盟のような味方ならば、こうして話し合いの席に着けばいい。
ドラコは掌でナノメモリを転がす。
「どっちに転んでもアタシたちの得になる。だから、蕃神とハサミも使いようだとは思うんだけどね……もちろん、あんま軽はずみにはできないけど」
「今回は上手く行ったが、次回もそうとは限らないからね」
慎重に頼むよ、とツバサは釘を刺しておいた。
敵同士をぶつける案は悪くない。
真なる世界の破壊を至上の命題としたロンドは蕃神の動向など眼中になかったようだが、ツバサたちへの嫌がらせとして利用したことがあった。
軍師レオナルドも似たような策を巡らせている。
クトゥルフはハスターという風の邪神と相性が悪いので仲違いさせるとか、這い寄る混沌ナイアルラトテップは劫火の化身クトゥグアを天敵とするとか……とかくクトゥルフ神話の神々も険悪な関係がいくつもある。
そうした神々の関係を拗らせてやろうという作戦だ。
蕃神=クトゥルフ邪神群はほぼ確定した。
ならば、レオナルドが立てた計画も日の目を見る日が来るかも知れない。
あまり期待してないが頭の片隅には置いておこう。
「すいません、話の腰を折って……」
聞きたいことが聞けたミサキは会釈すると、まだ食べ足りないのか食事に戻っていった。今度はナナとお好み焼きを半分こしている。
愛弟子とアイドルの交流をツバサは微笑ましく見守った。
閑話休題を挟んだが話の筋道を戻そう。
改めて――ツバサは南方大陸を目指す理由を語る。
「既に述べた通り、外なる神と戦うつもりはない。だが、彼らが真なる世界に関与するだけでこの世界は危機的状況に陥ることも避けられない……」
だったら――お帰り願うまでだ。
外なる神がいた世界へ、故郷である次元へ、帰るように仕向けていく。
「神様らしく宥め賺すして拝んでみるか……亜座や寄球という前例もあるし、人間に化身してもらえれば交渉のテーブルに着かせることもできるんじゃないかと希望的観測を抱いてもいるが……要するに戦闘以外の方針で片を付けたいんだ」
間違っても暴力による全面対決は狙わない。
もし力に頼らざるを得ない状況に陥ったとしても、正面から激突するような真似はせず、別次元へ向かうように誘導したいところだ。
爆撃で台風の進路をずらす――そんなイメージが近いだろう。
どちらにせよ、今回ばかりは暴力が最終手段である。
「世界や次元、事象そのものといった外なる神は侵略の意志が薄い。あるいは皆無といっても過言ではない。もっと別の理由で真なる世界までやってきたと考えるべきだとは思うんだが……あいにく、その理由とやらが思い至らない」
細い顎に手を当てたツバサはしばらく考え込む。
すると、横にいたミロがステーキ串を食べながら徐に手を上げた。
「アタシは喚ばれたんじゃないかと思う。この説が一押し」
また固有技能である直観&直感が働いたらしい。
ミロの勘は未来予知に匹敵し、時には過去の謎さえも看破する。
ただし、解答を言い当てるだけだった。
その解答に辿り着くまでの計算式や、秩序だった説明はできない。つまり過程を飛ばしてしまうから、どうしてその答えを出せたのか判然としないのだ。
「喚ばれたって……誰にだよ?」
怪訝に眉をひそめるツバサにミロは上目遣いを送ってくる。
「わがんない。でも、この世界にいる誰かだと思う」
真なる世界の現地種族、古代の神族や魔族かも知れない。あるいは大昔から侵略してきて、この地に根付いた蕃神やその眷族かも知れない。
「……外なる神の力を借りるつもりだったのか?」
後者の可能性が高そうだが、前者の可能性も捨てきれない。
蕃神の力に魅了される者が後を絶たないからだ。
「外なる神々はどこにでもいるから、喚ばれでもしないと出てこないよ」
串までペロペロ舐めるミロは意味深長に言った。
「……もしも喚ばれたらな、丁重に持て成して帰さなきゃならんな」
ミロの頬についたソースを親指で拭ったツバサは、指先を自分で舐めとりながら独りごちた。また「てぇてぇ……てぇてぇ……」と聞こえてくる。
ふとドラコの視線が気になった。
寿司を片手に目を丸くした少女は口を半開きにしていた。
「意外だね……ツバサさん、もっと石橋を叩くタイプだと思ってた」
ツバサが度を超した慎重派なのはバレているようだ。
外なる神への対策が雑と言いたいのだろう。
ツバサは恥を認めるように頭を掻き、せめて釈明させてもらう。
「計画的には行き当たりばったりだし、無理無茶無謀の三拍子なのも否定できないな……でも、こうするくらいしか思い付かないんだ」
外なる神々については何もわかっていない。
蕃神ですら未知の部分が多く、データ収集の真っ最中だ。
難しいことを承知の上で、ツバサはどうすべきかを説いていく。
「奴らについてはわかっていることは何ひとつない……手探りで反応を見極めながら、細心の注意を払いつつ対処方法を見つけていくしかないんだ」
仕事量は膨大となり至難の作業となるだろう。
だが――やるしかない。
然もなくば、真なる世界は南方大陸から終わりかねないからだ。
デザートのパフェを突くマルカとナナが顔を見合わせる。
「半魚人軍団くらいだったらナンボ来たって追い払ってやれるのにね」
「そうそう。それにさ、あいつらならフレイちゃんの地下都市には入れないしね。魔除けの石が嫌いなんてホント妖怪じみてるよね。カッパかな?」
うん? と気になる発言にアハウが片眉を揺らした。
関羽みたいな顎の獣毛を撫で付けたアハウはナナに問い掛ける。
「ナナ君……でいいかな? 魔除けの石っていうのはどういうものだい? フレイさんの率いるドヴェルグ族が作っているものかな?」
ナナでいいよ、と呼び捨てを許したナナは答えてくれる。
「んーなんかねー。フレイちゃんのいる島で取れる変な石なんだって」
「ちょっと順を追って説明しますね」
ナナの説明では拙いと感じたのか、レミィが間に入ると説明を引き継いだ。本当にお酒が好きらしく、ノンアルコールビール片手に語り出す。
……落ち着いたら神酒を浴びるほど奢ってあげよう。
「私たちがこの世界に飛ばされたのが約二年前……それ以前から、それこそ何百年も前から、フレイさんたちドヴェルグ族は……いいえ、あの島で暮らす多くの種族が半魚人たち……深きものどもに襲われてきたそうです」
かつては種族それぞれの国があったらしい。
だが深きものどもの度重なる襲撃により、あの国が潰され、この国が滅び、難民となった民たちが他の国へ流れていき……これを繰り返したようだ。
最後の砦となったのが地下都市――アウルゲルミル。
亜神族ドヴェルグ族が鉱脈を掘るとともに開いた地下帝国である。
今ではドヴェルグ族のみならず、他の亜神族としてサイクロプス族やアマノマヒトツ族など、鉱山経営や鍛冶に秀でた種族も集まっているらしい。
そして、ナナがオススメするモフモフ大型齧歯類族。
他にも定番のドワーフやエルフにオークにゴブリンといった、亜人や妖精と呼ばれる種族もちらほら混じっているという。
「……あれ、一足先に他種族国家が形成されている?」
ミサキは自分の目指す理想郷がそこにあるかもと期待していた。
色んな種族がいますよ、とレミィは合いの手の入れる。
「だけど地下都市とはいえ、ずっと隠っているわけにもいきません。木材や食料などは地上から調達しなければならないので、地上にも自分たちの土地を確保しておかないとやっていけないのですけれど……」
「深きものども、鰓呼吸のくせして生意気に肺呼吸もできやがるからな」
ツバサは忌々しげに毒突いた。
レミィも「お察しの通りです……」と濁らせた顔を俯かせてしまった。
鰓による水中呼吸と肺による大気呼吸。
どちらもできる水陸両生のふざけた存在――それが深きものどもだ。
案の定、魚の分際で平然と地上侵略してきたそうだ。
「昔さあ『イルカが攻めてきたぞー!』ってネタあったよね」
「あいつら曲がりなりにも肺呼吸の哺乳類だからいいんじゃね?」
「ナナマルカ、シャラップ!」
茶々を入れてくる同僚にレミィは一喝を叩き付けた。
「失礼しました……そんなわけで、深きものどもは地上の食糧とか資材とかを片っ端から奪っていくようになり、ドヴェルグ族のいる島はあっという間に焼け野原と見間違えるような荒れ果てた大地になってしまったそうです」
「蕃神はどこにいてもやること変わんないのね」
芸がないなー、とミロもこの場にいない蕃神へ悪態をついた。
触手のアブホスや蜘蛛のアトラクア、それに竜犬ティンドラスが幅を利かしていた地域も程度の差はあれ、荒廃の度合いが凄まじいの一言に尽きた。
深きものどももまた例外ではないようだ。
「ところが……ある日ドヴェルグ族の誰かが不思議に思ったそうです」
荒廃した島のあちこちに残された――無傷の土地。
そこには深きものどもが立ち入った形跡はなく、草木は元より食べられる野草は繁り、動物たちも安全地帯とばかりに隠れ潜んでいたという。
――深きものが近寄らない場所。
魚人間たちはそこを意図的に避けているとしか思えなかった。
これは何かある――そう考えるのは当たり前だ。
深きものどもの隙を突いて手近の安全地帯を調査してみると、そこから同じ形をした不思議な石が何個も出土したという。
「この不思議な石こそが、ドヴェルグ族がいうところの魔除けの石です」
「魔除けの石……深きものどもを寄せ付けない効果があるのか?」
はい、と肯定したレミィはその詳細も教えてくれた。
魔除けの石を一定距離で等間隔に置いて“線”にすると、深きものどもはそこを超えてこれない。ある種の防衛ラインを形成してくれるのだ。
――直接投げても効果覿面。
たとえ深きものどもの大群が押し寄せてきたとしても、この石を投げつけてやればあら不思議。蜘蛛の子散らすように逃げ惑うという。
「仕組みはわからんが……深きものどもはその石を恐れてるみたいだな」
ここまで聞いたツバサは感想をまとめた。
「ええ、ですので魔除けの石と名付けられたそうです」
そうだ! とレミィは突然思い出す。
「貴重な石ですけど『もしもの時のお守りね♡』とフレイさんが私たちの人数分、分けてくれたんです。確かここに……あった!」
レミィは道具箱を漁ると掌サイズの石を取り出した。
「――これがその魔除けの石です」
形としてはおおまかな五角形。淡緑色の硬そうな鉱石でできており、表面には明らかに彫り込まれた紋様が刻まれている。
やや歪んでいるが五芒星に見える紋章のようなデザイン。
その中心には瞳らしきものが刻まれており、瞳の中心からは燃える火柱が立ち上がるような、涙の滴が落ちるような意匠を見て取ることができた。
レミィはよく見えるように差し出してくる。
「島の人たちは敬意を込めて“勇気の印”とも呼んでいます」
蕃神に立ち向かう勇気をくれる印章――という意味だろう。
ツバサはこれに見覚えがあった。
始めてみる代物ではあるが、博覧強記娘から教えられた伝聞情報と一致する。いくつか種類があるそうだが、これはオーソドックスなタイプだ。
エルダーサイン――またの名を旧神の印。
クトゥルフ邪神群を弱らせる効能を持つ魔除けの印章。
一部の邪神と眷族を祓うだけの力を秘めており、数を用いればその邪神を封印する力も持つとされ、強力な護符としても効果を発揮する。
この印章、名前からして旧神由来のアーティファクトとの説があった。
これまで影も形も見当たらなかった――旧神の痕跡。
ついに現れた旧神の影にツバサは驚きを隠せなかった。
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