496 / 532
第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第496話:南海アイドル共闘コラボ地獄変
しおりを挟む深きもの――複数形で深きものども
半魚人のような外見あるいは蛙人間のような容貌。そのどちらにも見える見た目をしたこの種族は、水陸両用の肉体を持つ驚異の生物である。
鰓呼吸により水中生活に適応し、深海の水圧も意に介さない。
肺呼吸もできるようで陸上でも難なく活動できる。
呼吸器系と循環器系どうなってんだ!? とツッコみたくなる生態だ。
しかし魚や蛙といった要素ゆえか肌が濡れていることを好むのか、水中あるいは水辺に生活圏を構えることを好む傾向にあるようだ。
父なるダゴンと母なるヒュドラ。
人類にとってアダムとイブに当たる最初の深きものを祖と仰ぎ、偉大なるクトゥルフを絶対神の如く崇め奉る奉仕種族とされている。
『――これが深きものどもの特徴ッスね』
一ヶ月の休暇期間、ツバサは次女と三女にレクチャーを受けていた。
クトゥルフ神話の世界観を深く知るためのお勉強会だ。
シェヘラザードがシャフリヤール王に聞かせた千夜一夜の寝物語ではないけれど、寝る前に邪神やその眷族についての話を聞かせてもらっていた。
……振り返ってみれば悪夢必至のルーティーンじゃないかこれ?
別次元からの侵略者――蕃神。
その正体はクトゥルフ邪神群だとほぼ確定した。
超巨大蕃神は偉大なるクトゥルフと呼ばれる種族の中でも、最大最強最上位種に位置する存在だと判明。“祭司長”の異名は伊達ではないらしい。
偉大なるクトゥルフは旧支配者の大祭司と呼ばれている。
複数いる大祭司をまとめる力を持つからこその“祭司長”なのだろう。
外なる神々が直々にそう認めたのだから仕方ない。
つまり、これまでの蕃神もクトゥルフ神話の神々だったわけだ。
アブホスは“忌むべきものすべての源”――アブホース。
アトラクアは“世界の終焉まで巣を編む蜘蛛”――アトラク=ナチャ。
ティンドラスは“不浄の角を超える追跡者”――ティンダロスの猟犬。
ミ=ゴは“ユゴスより来る真菌”――外側のもの。
そして人類の裏切り者――GMの№64ことナイ・アール。
彼を使いっ走りとして真なる世界に混乱をもたらそうとしているのも、“強壮なる使者”や“這い寄る混沌”の悪名で名高いナイアルラトッテプなのだろう。
それぞれ完全な“=”ではないかも知れないが、類縁とか近縁ではありそうだ。
クトゥルフ邪神群に敵う術はない。
彼らは人間では決して太刀打ちできない宇宙的恐怖の象徴。
人間にできることは「どうか何もしてくださいますな」と邪神を崇め奉るか、仲違いする神々の関係を利用して身を守るか、魔導書などを頼りに策を講じて封印するか、発狂するまま逃げ出して悶死するしかない。
『ま、関わった時点で人生破滅は決定なんスけどね』
『基本的に擦っただけでアウトだし。その場で死ねたら一番楽で、老いて死ぬまで苦しんだり、最悪なのは死んだ後も苦しめられるパターンもあるし』
『極悪なのだと死ぬに死ねない永遠の拷問なんて例もあるッス』
――パジャマ姿の女子高生コンビ。
風呂上がりのフミカとプトラはリビングルームのソファに陣取り、「フヒヒ」と恐怖漫画のヒロインみたいな怪しげな笑みで肩をすくめていた。
2人の両脇には山と積まれて雪崩となった本の山。
ツバサに教えるための参考資料である。
同じく寝間着の赤襦袢に着替えたツバサは、向かい側のソファに巨尻を据えると寝る前のリラックスさで瞳を微睡ませながら耳を傾けていた。
『……そりゃあホラー小説が原典だからな』
怖くてキツくて後味悪くてナンボ、という要素は強いだろう。
そもそもクトゥルフ神話を考案したラヴクラフトは、人間が足掻いても藻掻いても勝ち目がない宇宙的な恐怖を描こうとしたとされている。
決して抗うことは許されない――外宇宙から忍び寄る絶対的な恐怖。
その恐怖の具現化こそがクトゥルフ邪神群なのだ。
最初から敗北確定と決まっているも同然。やり過ごして生き延びるのがやっと、狂気に囚われず生還できたら御の字どころか超が付く幸運と奇跡。
戦いを挑むなど以ての外、勝算は限りなく0に等しい。
だが、まったく0ではなさそうだ。
永劫不滅の邪神といえども弱点といえる要素はいくらかあり、人知の及ばぬ魔神であっても欠点と見做せる特徴は少なからず見出せる。
星辰の配置次第では活動停止に陥るなど最たる例だろう。
星の配列など人間がどうこうできる話ではない点に目を瞑ればだが。
そこを狙い澄ませば――ワンチャンあるかも知れない。
人間ならば淡い期待に終わるかも知れないが、神族や魔族という人間を超えた力を持つ種族ならば微かながらも勝機が覗けるかも知れない。
見出せる勝機は幽けきものだが……。
クトゥルフの神々である蕃神を打ち倒せる可能性があるのだ。
そのための――レクチャーである。
クトゥルフ邪神群=蕃神という方程式がほとんど確定した今、クトゥルフ神話を調べれば、蕃神の生態や行動原理について迫れるかも知れない。
そこから勝利の鍵となるものを探り当てようという魂胆だ。
ただし、これまでの蕃神との歴戦から得た情報と照らし合わせても、伝え聞いた邪神やその眷族の特徴と完全に一致するとは限らない。
それでも手掛かりくらいにはなる。
攻略の足掛かりとして活用できるかも知れない。
だからこそこうして毎夜、小さな余暇を見つけてはフミカとプトラに語ってもらっていた。おかげでツバサもクトゥルフ神話愛好家初心者だ。
今宵のお題は――深きものどもについて。
『……で、そいつらは強いのか?』
半魚人たちが戦えるのかを問うと、フミカは呆れ顔で片頬を攣らせた。
『種族的な特徴とか生態より……まず戦闘能力の計算ッスか』
『バサママ、それ中学生男子の発想だし』
プトラにまでケタケタと笑われてしまった。
これにツバサは素直にふて腐れる。
『誰がバサママだよ。こう見えて心は戦闘能力を追い求めつづける男の子のままなんだから仕方ないだろ。叶うなら孫悟空とも喧嘩したい中二病男子だよ』
中二病男子が釘付けになりそうな超爆乳をこれ見よがしに弾ませる。
『孫悟空ってまた最強クラスの……あれ、どっちッスか?』
フミカが言いたいのは元祖である西遊記の“斉天大聖”孫悟空と、それをモデルにした有名なアニメキャラのどちらかという意味だろう。
できれば両方、とツバサは話の脱線を結んだ。
『それで深きものの戦闘能……生態とか特徴はどんな感じなんだ?』
はいはい、と苦笑いするフミカは膝の上で【魔導書】をめくる。
『蕃神は元より他の独立種族や奉仕種族と比べたら、目立った特殊能力は見当たらないッスね。彼らの場合、特筆すべき能力はほぼ生命力に集約されているみたいなものなので……でも、一般人くらいなら軽く圧倒できるッスよ』
『あと、当たり前だけど水の中だと身体能力に強化かかるし。泳ぎも素潜りも人間の非じゃないから、水中の深きものはマジ危険だし』
プトラの捕捉に頷く。水辺の半魚人には近寄りたくはない。
昔の日本なら河童を恐れて川に近付かないのと一緒だ。
『それと生命力がハンパじゃないんで、生中な攻撃じゃあ死なない可能性も大ッスね。なにせ一族総出で不老不死と来てますから』
『不老不死……老いて死なないタイプか』
殺しても死なない不死身ではなく、加齢による老化現象が起こらないため老衰による衰弱死がない。これもまた立派な不老不死である。
『じゃあ殺せば死ぬんだな』
ツバサの物騒な物言いにも慣れた娘2人は首肯した。
『外的要因ならちゃんと死ぬッス。たとえば暴力とか致死性の毒とか建物の崩落事故に巻き込まれてとか……じゃなきゃ延々と生き続けるみたいッスね』
『しかも食えば食うほど大きくなるオマケ付きだし』
プトラが不穏なことを付け加えたので、ツバサはやや眉を傾げた。
『食えば食うほど……大きくなる?』
『そうだし。深きものどもは老衰と無縁だからずっと生きるでしょ? んで、生きてれば腹が減るわけだし。そうやってジャンジャン食べてると、際限なく大きくなっていくみたいだし。限界があるかどうかも怪しいし』
長く生きれば生きるほど――老化もせずに成長を続ける。
多く食べれば食べるほど――肉体を肥大化させて身体が巨大化する。
「なるほど、特筆すべきは生命力か……」
ここで先ほどフミカが韻を置いた部分をツバサは納得した。
『水棲生物は条件が揃ったり環境が良かったりすると、死ぬのを忘れるくらい長生きして、ひたすら大きくなる事例もあったりするッスからね』
『ロブスターなんかがよく引き合いに出されるな』
あれはまた特殊だと思うが……。
(※ロブスターは脱皮すると甲殻だけではなく内臓も新品同様に入れ替わるとされており、脱皮を繰り返せば実質的に最高のコンディションを保てる。このことから「これって実質不老不死じゃない?」と取り沙汰されやすい。実際100歳を超える大物のロブスターが捕獲されることもある)
不老不死だけでも大概だが、永遠に成長が止まらず巨大化していく生命力なんてまさしく人外のそれだ。巨大であることはそれだけで武器となる。
先の破壊神戦争における巨獣など好例だ。
一体の怪獣が都市に現れても大パニックになるのに、その大群で攻め込まれたら堪ったものではない。深きものどもは数もそれなりにいると聞くし、肺呼吸もできて地上での活動にも不備がないと聞けば危機感も募るというもの。
『でも、深きものは地上だと動きが鈍るッスけどね』
蛙が跳びはねるような不格好な歩行しかできないらしい。
『それに満足な食事が摂れないと、逆に小さくなっちゃって最終的には蛙くらいにまで縮んじゃうみたいだし。それでも死なないんだけど』
しかも大量の栄養を摂れば再び巨大化できるという。
『生命体として巫山戯すぎだろ、その身体構造……』
クトゥルフ神話に登場する他の種族も、宇宙空間のエーテルを捉えて生身で宇宙旅行できたり、精神だけの生命体となって時間を超えたり、細胞を変化させることでどんな形態にもなれたりと、デタラメ要素はどこかしらにある。
深きものどももその例に漏れないということか?
『ついでに言えば、知恵も回るし狡猾なこともしてくるッスよ』
フミカは彼らの戦略性についても教えてくれた。
『深きものどもは偉大なるクトゥルフを崇拝する奉仕種族。いつかクトゥルフが目覚める時に備えて、人類の文化圏を侵略しようとしてるんスよ』
――その遣り口はこうだ。
海辺の漁村や港町を狙い、そこの権力者に接近する。
豊漁を約束したり高価な黄金を与えることで権力者を懐柔、結託しつつ自分たちの身内へ引き込む。その際、婚姻関係も結んで人間との間に混血児をもうけさせ、その村や町に深きもどもの血を引く人間を増やしていく。
この過程で異端者とされたり、排斥されることもあるだろう。
真っ当な神経をしていれば海のバケモノにしか見えない深きものどもを嫌い、彼らに協力する権力者とその一党を排除する動きが起きるはずだ。
しかし、深きものどもはそれを封殺する。
『そういうトラブルに見舞われた時は、海の中から星の数ほどの深きものどもが這い上がってきて、数の暴力で反対する者たちを一掃するんスよ』
ゴリゴリの力押し――しかも有無を言わせぬ人海戦術でだ。
ツバサは渋い顔で呻いてしまう。
『うーん、もう手口が暗黒街のそれなんよ』
ヤクザかマフィアかギャングか、いずれにせよタチが悪い。
戦闘能力がそれほど高くなくとも、鋭い爪と牙を持った死ににくい半魚人が大挙して押し寄せたら、人間の街など一溜まりもないだろう。
殴り込みは最終手段、その前に権力者を籠絡する手管も悪質だ。
莫大な富をちらつかせれば大抵の人間は即落ちするだろう。
単純ながら最も効果的な侵略の手口である。
『こうやって深きものどもは地上への前線基地を増やしてるわけだし』
インスマンスはいい例だし、とプトラがまとめてくれた。
彼女たちのオススメもあってツバサもクトゥルフ神話を何冊か読んでいるが、確かに寂れた港町インスマンスを舞台にしたあの物語は、海から躙り寄ってくる深きものどもの恐怖が深海の闇を帯びながら鮮明に描かれていた。
そして、自らの内に眠る秘密に触れた主人公の心境も……。
『そうそう、インスマンスといえば――』
フミカが思い出したように手を打った。
『深きものの生命力といえば、その異常な繁殖能力も上げられるッスね。人間と交配することで混血児を生み落とし、その子供が成長すると……』
『作中にあったな。インスマンス面というやつか』
深きものと人間の交雑種は最初、人間の外見で生まれてくる。
これが成長するにつれて(大体二十歳を超えたくらい)、深きものの特徴が露わになるかのように大きな変化を始めるのだ。
眼は瞬きをすることが難しく魚眼のように剥き出しとなり、額は狭くなって頭頂部は先細り、鼻は平らに潰れていき耳はなかったように退化していく。肌は色褪せてザラザラとした鮫肌で吹き出物だらけになる。
足は蛙のように大きくなり、普通の靴が履けなくなる。
髪は抜け落ちて禿げていき、首の皮は弛んでその下に鰓ができる。
インスマス生まれの混血児たちはこのような姿になるため、周辺の街の人々からは“インスマンス面”と呼ばれ、醜悪な風土病と恐れられていた。
その実、深きものへの成長過程なわけなのだが。
『作品などの設定次第なんスけど、ここまで変化した後に“変容期”という時期を迎えると、脱皮するみたいに完全な深きものになるみたいッスね』
『深きものどもの遺伝子強すぎ、とは思ったな』
ツバサは読後に覚えた率直な感想を口にしてみる。
『交雑種はよくある話だが、深きもののそれは異常だ。子や孫が長じて深きものになるならともかく、曾孫、夜叉孫、果ては子孫にまで血が覚醒したら深きものになってしまうなんて……生物学的な常識として考えられない』
子孫には人間の遺伝子が継ぎ足されている。
先祖が深きものと人間のハーフだったとしても、子孫に至るまでの過程で人間の遺伝子が増えるのだから、その血は必然的に薄まっているはずだ。
深きものの遺伝子が発現したところで中途半端。
魚っぽい外見になるのが関の山だろう。
『地球や真なる世界の法則に照らし合わせれば、深きものの遺伝子の発現率は頭おかしいとしか言いようがない。自己主張激しすぎだろ』
『そこはそれ――隔世遺伝とかあるし』
プトラの意見は当たらずも遠からずな的を射ていた。
『それもそうか……読ませてもらった小説の中にも、深きものの血を引いているのに人間のまま中年や老年になっている人物もいたからな』
隔世遺伝なら当たり外れもあるだろう。
『そこら辺は深掘りすると考察がメッチャ捗るんスよね』
フミカは自らの推論を明かしてくれた。
『人間は生物学的に見れば十代で成長期が終わり、二十代も半ばを過ぎれば老化の兆候が現れるッス。多少の例外はありますが大体そうッス』
『二十代でも背ぇ伸びる人はいるし。年食っても老けにくい人もいるし』
『そこはそれ、個人差がありますってやつだな』
腕組みで納得するプトラとツバサに、博覧強記娘は訴えてくる。
『でも、深きものは死ぬまで成長をやめないんスよ? しかも老いて死ぬことがないから永遠に成長を続ける……ここに変化の鍵があるんスよ』
――理屈はこうである。
深きものの血が混じった人間が二十代を越えた頃、生や死に関わるストレスを感じたとする。当人が「死にたくない」と実感する体験がいいだろう。
生へしがみつく本能を刺激される経験が好ましい。
すると老化を始めた人間の遺伝子と入れ替わるべく、血の中に潜んでいた深きものの遺伝子が目覚める。老化により衰えていく人間の遺伝子を押し退けて、深きものの遺伝子から不老不死の細胞を作り上げようとする。
死を忌避する生存欲求を満たすためにだ。
『人間の寿命はいいとこ80年前後、深きものの寿命はないに等しい……』
いずれ人間の血肉は消え去り、残るのは深きものの血肉ばかり。
100年もすれば立派な深きもののできあがりだ。
『……これがインスマンス面や変容期に起きてることじゃないスかね』
『だとすれば隔世遺伝でもあるし、深きものになるならないの差があることも説明が付くな。血が薄まってても完全な深きものへ変態する理由も……』
『やっぱ深きものの遺伝子ヤバすぎだし』
プトラの言葉尻を拾ったフミカは人差し指を「チッチッ」と振る。
『世代を超えて発現する遺伝子もヤバいッスけど、本当にヤバいのは彼らが別種族との混血児はおろか自分たちでもバンバン子供を作れるとこッスよ』
不老不死なのに――とフミカは意味深長に言った。
この一言にツバサはピンと来て理解を示す。
『そいつは……確かにヤバいな』
フミカが深きものの生命力をクローズアップした理由がわかった。
本来、寿命の長い生物は繁殖力が低くなる。
一世代の寿命が長いのに次世代が続々と生まれれば、それだけで生態系を圧迫してしまう。人間ならばとんでもない人口爆発が起こるのと同じだ。
もしも不老不死の生き物が繁殖旺盛ならば、老衰による個体数の減少は起きないのに数が増える一方だ。遠からず世界はそいつらで埋め尽くされるだろう。
ゆえに自然の摂理が働くのか、長寿の生物は繁殖を抑える傾向が強い。
妊娠可能に成熟するまでの年数が掛かる場合もあれば、発情期が極端に短かったり変則的だったり、一度に妊娠する子供の数が少なかったりもする。
そもそも受胎する確率が低い場合も多い。
事実、真なる世界の神族や魔族は繁殖力がとても弱かった。
不妊治療が必要なレベルで低かった。子宝を求めるならば気長に待つか、積極的に子作りを繰り返すしかない。それはもう我武者羅にだ。
『深きものどもは深海に星の数ほどいるそうなんで、明らかに人間との混血児だけじゃなく、自家薬籠中なものの兵力となる子作りに励んでいるのは明白ッス。おまけにあの半魚人たち……イルカとも交配できるッスからね』
新たに暴かれた事実にツバサはギョッとする。
『イルカって……見境なさ過ぎだろ!?』
イルカとの間に生まれた混血児はやはりイルカの姿で生まれるが、年を経るに連れてしっかり深きものになるという。
人間より変化には時間は掛かるそうだ。体型的な問題らしい。
イルカがいけるなら、クジラやシャチでもやりかねない。
――高等哺乳類なら何でもいいのか!?
ツバサの口からツッコミが出掛かったが、フミカは深刻そうな表情で深きものの正体、その確信に迫ろうとしていた。
『深きものの起源についてはふたつの説があるッス。ひとつは地球の現住生物にああいうのがいて、それが宇宙から来たクトゥルフを信仰し始めた説ッス』
『でもでも、フミちんの考察とか聞いてると……』
プトラは異を唱えたそうに小首を傾げた。
言いたいことはツバサが代弁する。
『地球の生物の尺度で推し量れない点が多すぎるな。不老不死なのに繁殖力旺盛とか、ある程度の生命体となら誰とでも交配できるとか……』
もうひとつの説、とフミカは別の説を上げてくる。
ピースサインの形を取った指先越しに分析の光が走っていた。
『クトゥルフの出身地といわれているゾス星系の生まれで、クトゥルフの地球移住にお供をしてきた侵略的外来種……という説ッス』
『そっちの方が辻褄が合いそうだな』
フミカが説明したい流れが読めてきた。
これまでのレクチャーから得た情報をツバサなりに噛み砕いてみる。
『侵略すべき星に適応するかの如く爆発的に数を増やし、地元民を飼い慣らして、他種族の胎も使って生めよ増やせよ更に人口を増やしていく。不老不死なのに繁殖力は凄まじく、長生きすればするほど巨大化する……』
見た目が半魚人だからと侮ってはいけない。
自分たち独自の言語(古代ルルイエ語とか)を持ち、それでいて人語も介せるバイリンガル。深海都市イハ=ンスレイに独自の文化圏を構えている。
……人間を手駒にできる時点で十分すぎる知恵者であろう。
『侵略者の手先としては高性能ッスよね?』
『ああ、腹が立つくらいにな』
深きものはクトゥルフが地球侵略に差し向けた先兵。
そう考えれば筋が通る。彼らの地球上の生物では持ち得ない、常軌を逸した生態や生命力にも説明が付いてしまうのだ。
想像を巡らせたツバサは億劫そうに天井を見上げる。
『……もしも真なる世界にも来てたら厄介なことになりそうだな』
『周り海ばっかだから生息域広げ放題だし。おまけに人間以外の種族さんもいっぱいだから、わけわかんなくなるくらい混血児いるかも知れないし』
プトラも危機感を煽るようなことを並べてきた。
『あと……なんというか、地球にでも真なる世界にでもどっかにいそうな見た目が勘違いしそうでなんか嫌だし。あんな半魚人どこかにきっといるし』
油断を誘われる、とプトラは言いたいのだろう。
そこはツバサも激しく同意したい。
『事実、魚人族や人魚族は五神同盟でも保護しているからな』
主にイシュタル女王国と水聖国家に在籍する者が多い。
念のため走査や分析に秀でいたLV999が遺伝子レベルで調べているが、別次元由来の因子は発見されていないので事なきを得ている。
それなんすけど……とフミカは新たな考察を提示してきた。
『あの姿って現地適応した結果だと思うんスよね』
『現地適応した結果……とは?』
ツバサが鸚鵡返しに聞き返すと、フミカは詳細について語り出す。
『はいな、もしかすると深きものどもの生命力は環境適応という意味でも優れていて、他種族との交配のみならず異境の地に最適化するべく……』
それは――深きものどもを危険視するに十分なものだった。
~~~~~~~~~~~~
南海を埋め尽くす深きものどものの大軍勢。
比喩ではない、彼らは文字通りの光景を作り出していた。海面はおろか海中すらも隙間なく、数え切れない半魚人で埋め尽くされているのだから。
そんな深きものどもが氷漬けにされていく。
どこからともなく降ってきた――氷山と見紛うほど大きな氷塊。
二体の巨大な深きものを押し潰すように海底へ押し戻した氷塊は、そこから絶対零度の冷気を振り撒いて、周囲の海を氷結させていったのだ。
巻き込まれる大小無数の深きものども。
ジタバタ暴れて抵抗を試みる者も多いが、凍結する速度の方が強くて早い。
海面はおろか海中まで凍り付き、海底まで氷が届いているようだ。
半魚人たちの相手をしていた若武者六人は、突然の展開に理解が追いつかず呆然としているが、そのうちの一人がこれはチャンスだと気付いた。
「こいつぁ……ボーナスタイムだぁーッ!」
叫ぶより速く拳が出るのが鉄拳児の異名を持つカズトラ。
生身の手からも義手の拳からも“徹”を加えた掌底を連打で撃ち出すと、そこから生じる衝撃波を武器化させて、凍り付いた海を打ち砕いた。
当然、氷漬けの深きものどもも粉々になる。
動かない標的、壊れやすい氷の彫像、一撃でも加えれば被害は甚大。
これまでと比べて撃破する効率が格段に上がっていた。
事此処にいたりミサキたちも「あの氷塊は援護射撃だ」と気付かされ、カズトラに続けと言わんばかりに動き出した。
それはもう苛烈の一言に尽きる一斉攻撃を再開する。
ミサキの螺旋突がミサイルのように飛び交い、八岐大蛇どころか多頭蛇となるまで首を増やした龍脈は縦横無尽に暴れ回る。ランマルは炎系の種族に変身して氷ごと焼き尽くし、重量級の種族になると凍った半魚人を粉砕する。
レンの愛剣ナナシチが目まぐるしく七つの宝玉の文字を変え、そこから解き放たれる斬撃が凍った海ごと深きものどもを寸断していく。
アンズはそのフォローに回り、二度を再生して復活しないようにと砕けた半魚人たちをモンスターの能力で念入りに処理していた。
そして、ヨイチはここぞとばかりに狙撃銃の弾丸を変更する。
破砕力に秀でた弾頭――爆発力に優れた弾薬。
ハーグ条約で禁止されそうな禁断の弾丸を撃ちまくっていた。
飛行母艦ハトホルフリートも負けじと続く。
前述通り、ツバサのおかげでエネルギーには無限に等しい余裕があるので、エネルギー系の砲塔から砲身が焼き切れかねない勢いで斉射をしていた。
一方、艦橋には異なる緊張感が走っていた。
未確認の飛行戦艦が現れたら警戒しない方が無理である。
――大空を羽ばたく鳥のような戦艦。
恐らくは青い鳥をモチーフにしたフォルムの艦体。
いわゆるジャンボジェット機のように細長い本体があり、先端が鳥の頭部を模した艦橋に整えられていた。左右に広がる翼は前方へ向けて弧を描くように広がっており、上から見れば全体的に輪となっているはずだ。
鳥を思わせる形状なので、尾翼もしっかり象られている。
艦のメインカラーリングは純白。
縁取るように煌めく蒼が塗られており、嘴だけ金色に塗り分けられていた。
所属不明の鳥型戦艦はこちらに接近してくる。
すると――ある変化も追随してきた。
艦体自体も先ほどの氷塊のように冷気を発しているのか、鳥型戦艦がこちらへ近付けば直下の海域も凍り付き、氷山で埋め尽くされていくのだ。
これにも深きものどもが巻き込まれていく。
意図してやっているのだろうが、情け容赦ない徹底振りである。
「あの艦は……深きものどもの脅威を知っているようだね」
アハウは関羽めいた顎髭を撫でながら感心した。
ようやく艦長席から立ち上がれたツバサは横に並んで同意する。
「ええ、一匹残らず始末しなければ終わらない、と心得てなければここまでの加減抜きな攻撃はできませんからね……それほど長く戦ってきたのか」
然もなくば、手痛い目に遭わされた経験があるのだろう。
「あの過大能力、穂村組のレイジに似てるな」
艦が発する氷河期をもたらすほどの冷気をバンダユウは過大能力だと決めつけると、それが組の若頭であるレイジの過大能力に似ていると評価した。
「だが、似て非なるってやつだな。仕組みが違う」
レイジの過大能力は『自身が絶対零度の根源となる』ものだ。
対して鳥型戦艦に搭乗する何者かの過大能力は『自身の知覚できる領域を絶対零度の空間へと塗り替える』ものである。
恐らく能力としての馬力はレイジに軍配が上がるが、領域そのものの温度を操作できる後者の能力は空間を支配できる点において勝るはずだ。
同系統でも得手不得手の差はあるらしい。
そして、艦から奏でられるのはハンティングエンジェルスの新曲。
MVで聴いた『Let’s Go Blue Ocean』だった。
鳥型戦艦の両翼上部に投影型スクリーンで形作られたステレオスピーカーから、鼓膜が破れんばかりの大音量で発せられ、南海全域に轟いていた。
「ツバサさん、これって……あの曲だよね?」
艦長席にいたミロもツバサを追って立ち上がったらしい。
こちらの細い腰に両腕を回すと、顔をツバサの超爆乳へ頬擦りするように抱きついてきた。慣れっこなので当たり前に受け入れる。
「あの艦から聞こえるってことは……やっぱりアレに乗ってるのは?」
ミロに釣られたのか、マリナも一緒に抱きついてくる。
背が足らないのでツバサのぶっとももな太ももにしがみつき、ワイドにボリューム感のある超安産型な巨尻に頬をすり寄せていた。
不安を紛らわす仕草だが、娘たちの瞳は期待に震えている。
鳥型戦艦に乗っているのは――彼女たちかも知れない。
鳥型戦艦に描かれたロゴが希望を膨らませるのだ。
――オーライブ・プロダクション。
大人気VRアイドルが数多く在籍するアイドル事務所だ。
噂の彼女たちもそこの所属だと聞いている。
例のMVに釘付けになるくらい入れ込むファンだから、当人たちに会えたら喜びを爆発させることだろう。むしろツバサはそっちの方が心配だった。
ミロとマリナを両手で抱き寄せる。
「さて……そんな都合よく行けばいいけどな」
お行儀良くしてろよ、とツバサは娘たちに囁き声で言い聞かせた。
海ごと深きものどもを凍らせながら接近する青い鳥。
向こうから接触してくるのを待つのも江戸っ子のツバサはまどろっこしく感じたので、こちらから自発的に挨拶する方針を示した。
「フミカ、あらゆる通信チャンネルを通してあの戦艦にアプローチを」
「アイアイマム、了解ッス!」
誰がマムだ、といつもの決め台詞で情報制御コンソールをタッチタイピングしまくるフミカに投げ掛けてから、艦橋の片隅へと目線を送る。
「――エンオウ、イケヤさん」
待機していたふたりの戦士に呼び掛ける。
視線を合わせた後、言葉ではなくハンドサインで指示を飛ばした。
予備戦力として待機してもらう手筈だ。
『十中八九、あの艦は敵ではない。しかし念には念の入れて外で待機。不審な動きがあれば若武者たちを引率しつつ艦内へ退避、場合によってはあの艦への反撃も辞さない。もしもあの艦が予想通り友好的ならば、そのまま若武者たちを手伝う。深きものどもを一匹でも多く駆逐してくること』
この会話が盗聴されてないとも限らない。
慎重派のツバサは手札を伏せるように仕込むのを忘れなかった。
『承知しました、ツバサ先輩』
『はいはーい☆ 了解ですよーツバサくん社長ー☆』
エンオウとイケヤも理解力が早く、無言のまま読み取れるジェスチャーで返事をしてきた。しかしなんだ、イケヤのツバサくん社長って……?
巨漢とホストが小走りで艦橋から退出する。
ふたつの背中を見送ると、フミカがこちらに振り向いた。
「バサママ、通信チャンネル開いたッス。あっちからもこっちに開こうとしてたみたいで……どうします、繋げちゃっていいッスか?」
「ああ、頼……」
「ちょい待ちタンマ、まだ準備ができてねえ」
ツバサのOKを遮ったのはバンダユウだった。
老組長は悪戯小僧な笑みでアハウに何やら目配せをすると、その意を酌み取ったアハウは小さく頷いた。二人はツバサの両脇に移動する。
どちらとも片膝を突くと反対側の拳も床に押し当てて頭を下げた。
まるで女王に跪いて臣従する家来のようにだ。
「いいぞフミカちゃん。これで女王様の見栄えはバッチリだぜ」
「良くないですよ!? 俺の精神的にも心証的にも最悪じゃないすか!?」
ツバサは舎弟口調でツッコミを入れてしまった。
平伏するバンダユウの頭も引っ叩く。このチョイ悪親父なら遠慮なく叩けるし、当人も喜ぶのである意味Win-Winだった。
「しかも生真面目なアハウさんまで巻き込んで……アハウさんもです!」
なにやってんすか!? とツバサはかなり本気で叱った。
アハウは照れ臭そうに頭を掻いて立ち上がる。
「いやぁ……初対面の別パーティーにはツバサ君が我々のリーダーだと印象づけた方がインパクトもあるし、わかりやすくていいかなぁと思って……」
「俺、そういうの苦手だって言いましたよね!?」
――五神同盟の代表はすべて対等。
一組織として加入している穂村組、日之出工務店、水聖国家オクトアード、源層礁の庭園、そして友好条約を結んだエンテイ帝国の代表も例外ではない。
代表たちに優劣はなく、誰が同盟全体の長とかもないのだ。
ツバサとしては単に「偉ぶりたくない」だけ。
それでも年長者を差し置いてリーダーと威張れるわけもなく、国も組織も統治した経験のない若造なので同盟のトップなど御免被りたい。
なのに――仲間たちはツバサの背を押してくる。
バンダユウもそうだが、ヌン陛下なんて最たる例だった。
ふたりっきりで酒を酌み交わしたりすると決まって「君が五神同盟を引っ張る長になるべきじゃ」と蕩々と説いてくるのだ。
その度に「勘弁してください」と愛想笑いで誤魔化している。
「あのぉ……チャンネルオープンにしていいスか?」
いきなり小芝居が始まったので、フミカは困惑気味に尋ねてきた。
「待たせてすんません! 開いてOKです!」
フミカにまで舎弟口調で謝ったツバサは、スタンダップ! とバンダユウとアハウに怒鳴りつけて両脇に立たせる。これでも恐れ多いくらいだ。
中央に立つだけでリーダー感があるのでこそばゆい。
艦橋の天井に収納されていたメインスクリーンが降りてくる。
機械音をさせながら見上げる定位置に付いた。
フミカが制御盤を叩くと映像を結び、恐らくは鳥型戦艦の艦橋らしき場面と可憐な人影が映った。ついでに女の子たちのかしましい声が聞こえてくる。
『ねえナナぁ……これ繋がってる? 応答ないんだけど?』
『あっれー? おっかしいなぁ……通信回線は相互になってるし、送受信も安定した数値を叩き出してるよ? ハイブランドの光回線も真っ青なくらい』
『なんかライブ配信前の準備を思い出しちゃうね』
『マルカ、それ……わかるぅ~♪ あたしらよくミスったからねぇ。配信切り忘れとか配信前から繋げちゃって生活音ダダ漏れとかさ』
女の子の声は四人、みんな人気声優が務まりそうな美声である。
しかしスクリーンに映っているのは一人だ。どうやらマイクが高性能なので周囲にいる女の声まで無差別に拾ってしまっているらしい。
メインスクリーン越しに見えるのは――蒼い髪をした狼耳の女の子。
氷細工としか思えない透明感あふれる蒼い髪を腰まで靡かせ、金色に輝く円らな瞳が特徴的な美少女だ。人間としての耳は見当たらず、蒼い髪をかき分けて頭にそそり立つのは狼らしき大きな耳である。
一応、獣人系の種族なのだろう。
身の丈は平均的な女子よりやや小柄なくらいだが、スタイルのメリハリはとても際立っている。身に付けるコスチュームもボディラインを誇張していた。
雪と氷をイメージさせる白と蒼の外套に袖を通している。
『ええぇ~ッ? やっとこすっとこ南海まで誰か来てくれたから、ちゃんと挨拶したかったのに機材トラブルなんてついてない……エッ!?』
カチカチの制御盤を操作する狼耳の美少女、その顔が一気に青ざめた。
『繋がってる!? ちゃんと繋がってたよこれナナ!?』
『あ、やっぱしイケてんじゃん。ナナの設定に間違いはないって』
ナナと呼ばれた少女は自分の仕事にミスがないことに胸を張っているようだが、狼耳の女の子は可哀想なくらい狼狽えていた。
そんなところが可愛いと思えてしまう愛嬌があった。
『え、やっば! もしかしたら今までの全部ダダ漏れ!? ってか今もあっちに映ってんの!? あーもう! 素の声ぜんぶ聴かれちゃったじゃんかぁーッ!』
『現実だったら切り抜き案件……やったねレミィちゃん!』
『何がやったねだよマルカぁ! こんなの超ミスの凡ミスじゃんよ!』
『まあまあレミィちゃん……ほらほら、あたしらを代表して遠路遙々南海まで足を運んでくれた皆さんに挨拶よろしく』
『もう! まとめ役ならドラコンのがしっかりしてるのに……ッ!』
レミィと呼ばれた狼耳の美少女は納得いかなそうに頬を膨らませたが、表情を切り替えて乱れかけた髪を梳くと、咳払いして声も余所行きに整えた。
『――どうも皆さん、はじめまして』
レミィは澄ました顔で営業スマイルを取り繕う。
スクリーン越しにこちらを見つめる瞳はツバサに注がれており、「あれ?」と言いたげな色が見え隠れしていた。
もしかして――ツバサを知っているのだろうか?
グッチマンたちの例もある。四強コラボも進行中だったそうだから、顔が割れていてもおかしくはない。だが、敢えて触れてくる様子もなかった。
確証が持てないのか、レミィは逡巡するも挨拶を続ける。
『もしかすると知っている方がいるかも知れませんし、いてくれたら嬉しいのですが、初対面と信じてご挨拶を……私はオーライブプロダクション所属VRアイドル第25期生、チーム“アニマルエンジェルス”の一人……』
――レミィ・アイスフィールドと申します。
『以後お見知りおきを……というわけで、よろしくお願いします』
レミィはぺこりと子供みたいに頭を下げた。
予想通り――ハンティングエンジェルスのご登場である。
例のMVだけでは憶測の域を出なかったが、当人を前にすればすべてが腑に落ちるというものだ。あれは彼女たちなりのお便りだったに違いない。
あと、ミロとマリナが限界突破しそうで怖い。
「マジでハンティングエンジェルス……キターーーーーーっ!」
「ほ、ホンモノですよミロさん! ホンモノのレミィちゃんさんです!」
憧れのアイドルを目の前にして暴発寸前だった。
今にも黄色い声援を迸らせてメインスクリーンに飛び付きかねないが、オカンが両手を万力のように締め上げて押さえ込んでいた。あちらが初登場時に凡ミスしたからといって、こちらが礼儀を欠いていい理由にはならない。
「丁寧な挨拶……痛み入ります」
ツバサは一礼とともに流暢な返事をしていく。
「私たちもあなた方同様、地球より転移してきたプレイヤーの集団です。ここより北にある大地で五神同盟という共同体を結成しております。申し遅れました、私は同盟の一代表を務めるツバサ・ハトホルと申しま……」
挨拶の途中だが、レミィは両手で口元を押さえて驚愕していた。
『えっ、うそ…………やっぱりツバサさん!?』
案の定、身バレしていたようだ。
よく似た他人の可能性を捨てきれず、切り出せなかったらしい。
しかし、VRアイドルとはいえ有名人に名前を知られているのみならず、さん付けで呼ばれるのはなんとも面映ゆいものだった。
すると、スクリーンに女の子たちの顔が割り込んでくる。
『あのドデカ乳、やっぱツバサさんだよね!? あのメガトン級ボインは絶対本人だってナナ言ったじゃん! モニター映った瞬間わかったよ!』
『いやー、あのMVで釣れたらいいなーってみんなが言ってたランキングトップ3の人がマジで釣れちゃったよ……アタシらここで運使い切ってない?』
『ほれ見れ、あたし大正解じゃん』
頭と両肩にイグアナを乗せた美少女ナナ、狐の耳に道化師みたいな化粧をした美少女マルカ、そして笑う口元に牙が尖るドラゴン系美少女ドラコ。
三者三様――念願が叶ったような笑顔である。
『ちょ、みんな……狭い狭い狭いッ!?』
三人の頭に押し合いへし合いされたレミィは潰れかけていた。
したり顔のドラコはハスキーな声で得意げだ。
『ヘルプ! とか助けて! とかキツい現状を湿っぽく書き連ねた手紙なんか送るより、あたしらが歌って踊ってるとこ送った方がウケがいいってさ。本物の人はこうして裏を読んでくれるし、下手にゴチャゴチャ言うより伝わるんだよ』
「そんなアバウトな理由だったのか、MVは……」
ツバサは呆れた笑顔で苦言を呈する。
「頼むから今度からはせめて一筆添えておいてください。でないと、罠かも知れないなんて疑心暗鬼から迂闊に動けなくなるところでしたよ」
ドラコは眼をパチクリさせて片頬を引き攣らせていた。
『……あ、あれ、もしかして逆効果?』
『ほらー! ドラコンのいいかげんさで困らせてんじゃーん!』
鬼の首を取ったようにレミィが騒ぎ始めた。
『だから、せめて南海がどうなってるかだけでもデータにまとめて一緒に送ろうって言ったのに……怪しまれて無視されてたらどうするつもりだったのよ!?』
『いーじゃんいーじゃん、結果オーライ♪』
こうして駆けつけてくれたんだしさ、とドラコは悪びれない。
鷹揚というか大らかというか、細かいことはまったく意に介さない大雑把な性格は用心深くて慎重派なツバサからすれば羨ましい。
ミロがそうであるように、神経質なツバサには真似できないからだ。
反面「相容れない」と苦手意識を抱くところもあった。
そんなアバウト代表なアホの子がそろそろ限界を迎えつつあった。
「グギギ……ねえねえ! アタシはアタシはーッ!?」
とうとうツバサの抑え込みをはね除け、念願のVRアイドルと出会えたことを心の底から喜ぶように諸手を挙げながら雄叫びを上げた。
「ツバサさん知ってるってことはアタシのことも御存知のはずだよね!? ツバサさんが月ならアタシはスッポン! ツバサさんが猫ならアタシは小判! 切っても切り離せないひ、ひよ……ひよ……れん……」
「――比翼連理です、ミロさん」
年下のマリナに四字熟語をカンペされていては世話ない。
「比翼連理な二人なんだからーッ!」
アホの子の主張にドラコはケラケラ笑いながら手を振る。
『もちろん知ってるさ、ミロちゃんでしょ? ツバサさんが月なら君は太陽じゃないと……スッポンでどうすんのよ。血まで美味しく頂けちゃうじゃない』
ツバサが指摘したい箇所をフォローしてくれた。
(※スッポンの生き血は精力剤として生で飲まれることがある。寄生虫や微生物による感染症対策で殺菌処理としてアルコール強めの酒で割ることが多い。また血がすぐ凝固するのでレモンなどの果汁を混ぜて固まるのを防いだりもする)
次いでレミィがツバサの傍らにいたマリナに気付いてくれた。
『そちらにいるマリナちゃんもよく知ってますよ』
「ワ、ワタシもですかッ!?」
ありがとうございます……とマリナは両手を組んで感激していた。アイドルに認知されていたことが泣くほど嬉しいようだ。
すかさずナナとマルカと言い足してくる。
『ナナたちも「ツバサとミロのアルマゲドン最強夫婦!」視てたからねー♡』
『四強って言われる前から動画配信やってる凄腕プレイヤーはちょくちょくチェックしてたからね。もうすぐコラボできるかもってのもあったし』
その辺りの経緯はグッチマンたちと同じのようだ。
彼らの話題も口から出そうになったが、これを話題にすれば別方向へ盛り上がりそうなので、残念ながらこの場では控えておいた。
この海域は――未だ戦闘中である。
簡単な挨拶で済ませ、要点のみ話し合うことで終わらせておきたい。
まずは深きものどもとの戦闘に注力したかった。彼女たちもキャッキャッウフフとツバサたちの出会いを楽しんでいるが、本心はそこにあるはずだ。
さもないと……。
突如、飛行母艦ハトホルフリートに激震が走る。
「うわっ! なになに!? アイドルとの交流会邪魔すんの誰よ!?」
「センセイ、怖いですッ!」
再びツバサに縋りついてくる娘たち。
二人を庇うように抱き寄せ、次があるかも知れない衝撃に備える。
『きゃあああッ!?』
『うおっと? ナナ特製のバリアーでも防ぎきれないですと!?』
防御スクリーンを揺るがす衝撃に見舞われたのだ。レミィたちの戦艦にも大きな揺れが起きたのか、彼女たちの小さな悲鳴が聞こえてきた。
「ダイン、今のはなんだ!?」
ツバサの切迫した声に、操舵輪を握る長男は荒ぶる声で報告を返す。
「あん半魚人どもからのクソッタレな砲撃じゃ!」
「砲撃だと? あの口から高圧水流を撃ってくるアレか?」
鉄砲魚という魚もいるが、深きものどもはそれを真似するかのように、口に含んだ海水に圧力を掛けて吹き出してきていた。水圧による砲撃だ。
山をも崩す威力だが飛行母艦には通じなかった。
マリナの防御結界に基づいた防御スクリーンは滅多なことでは破れない。
「あれなら再三喰らってたがビクともしなかっただろ?」
ツバサが怪訝に尋ねると、ダインは難しい顔で眉根を寄せた。
「口から吐いてた水撃たぁ物が違うぜよ……母ちゃんお待ちかね、深きものどもが新しい手を打ってきたんじゃ! 今の砲撃は挨拶代わりぜよ!」
「モニターにその様子を出すッス!」
メインスクリーンの周囲に投影型スクリーンを出したフミカは、そこに砲撃を放ってきたものの正体を映し出した。艦橋の誰もが目を剥いてしまう。
ツバサも言葉を失いかけながら呻いた。
「なんだ、この……肉の塊は!?」
正確には筋肉で形作られた大筒――肉塊でできた砲塔だった。
海中からニョキニョキと筍よろしく生えている。
頑丈な筋繊維を縒り合わせて組み上げられた砲塔は、超弩級戦艦の甲板を陣取るほどの大きさを誇っていた。皮膚には覆われておらず剥き出しの赤身をテラテラ光らせており、砲塔のあちこちにギョロギョロ回る眼球を付けていた。
黒目の動き方を見るに、あれが照準装置らしい。
《テケリ=リ! テケリ=リ! テケリ=リ!》
どこかに発声器官があるのか、妙な鳴き声を上げていた。
ドクドクと血肉を脈動させながら砲塔の奥底で強大なエネルギーを練っており、それが臨界点に達すると一気に解き放たれる。
肉の砲塔が吐き出すのは――極太のレーザー砲。
何条ものレーザー光線が、飛行母艦と鳥型戦艦の二隻を襲っていた。
防御スクリーンを揺るがす衝撃に艦体が震える。すぐに破られることはないが、ここまで威力があると立て続けに浴びるのはよろしくない。
「生体兵器とはいうが……なんだよ筋肉製の大砲って!?」
どんな理屈でレーザー光線吐いてんだ!? とツバサは毒突いた。
これに長男ダインが苦い声で反応する。
「有機物を駆使した生物兵器で機械式の兵器に張り合うちゅうアイデアは、SFに限らず昔からわんさかあるもんじゃけど、さすがにこいは……」
兵器を設計から造るダインも混乱を隠せないらしい。
五秒ほどたっぷり熟考した後、思い付いたかのように訂正する。
「いけっかも知れんな――生体レーザー砲」
亭主の閃きを補佐するべくフミカが内助の功で解説を始める。
「いけるッスよダイちゃん、エチレンをフッ化窒素の中で燃やしてから三励起したフッ素遊離基にヘリウムと重水素をぶち込んで……」
「そん素材を貯め込む臓器を持った戦闘生物を創りゃいいわけじゃから、怪獣の解剖図鑑によくある火炎袋みたいな器官を複数用意して……」
「今忙しいから兵器開発は後にしろ!」
戦況を忘れかけて盛り上がろうとする長男夫婦を叱りつけた。
艦のエネルギーを防御スクリーンに回して防衛を固めろ! と指示すれば夫婦で声を揃えて「もうやってます!」と即答してきた。判断は速いし仕事もデキるのはいいことだが、それゆえ余計な話まで拾う癖は治させたいところだ。
肉塊でできた砲塔が放つのはレーザーだけではない。
伸縮を繰り返したかと思えば、物凄い勢いで固形物を吐き出した。
空へ飛び上がるのは――生体ミサイル。
形状はミサイルその物だが、生命体として生きているのだ。
先端には一つ目の単眼を付けており、飛行姿勢を安定させるための小翼は魚の鰭に似ていた。推進力は定かではないものの、お尻に当たる部分からミサイルらしくガスを噴射することで高速飛行を可能にしていた。
《……テケリ=リ! テケリ=リ! テケリ=リ!》
生体ミサイルは奇声とともに突撃してくる。
防御スクリーンにぶつかると穴を開けかねない大爆発を引き起こした。あくまでも生物なので、やってることは自爆上等の特攻だった。
度重なる爆撃に、飛行母艦も鳥型戦艦もガクガク震えている。
艦橋の照明まで明滅するほどだ。
「「なんだあれ気持ち悪いいいいーッ!?」」
ミロとマリナのお子様コンビに生体ミサイルは不評だった。
見た目がいただけないのが原因だろう。
スクリーンの向こうではレミィたちも「グロォ……」と嫌悪感のある視線を送っているが、唯一ドラコが「おならで空飛んでる!」と爆笑だった。
やはりドラコだけ感性がちょっと違うようだ。
しかし、屁の噴出力による飛行という見方はありかも知れない。
メタンとかアンモニアを燃焼させているとか?
「昔、アスブラスターって屁で飛ぶ怪物が出てくる映画があってだな……」
「懐かしいですねトレ○ーズシリーズ……名作でした」
「そこ! 他人事みたいに呆けないで!?」
何故か遠い目をするバンダユウとアハウにツッコミを入れてしまった。この二人、どういうわけ途端に静かになってしまった。
具体的には――ハンティングエンジェルスの顔触れを見た瞬間だ。
どちらも一瞬だが目を丸くしたはずである。
ツバサが見た限り、とても虚を突かれた顔をしていたと思う。
実はハンティングエンジェルスに推しがいたりするのか? 彼女たちのファン層は厚いから、年嵩の男性ファンがいてもおかしくはないが……。
それなら惚けた理由もわかる気がする。
『と、とにかく……南海はいつもこんな調子なんです……』
メインモニターの向こうから、レミィが申し訳なさそうに話を続けてきた。後ろではナナとマルカが騒ぎながら右往左往している。
ドラコのみ慌てず騒がず、不動の精神で何かの準備を始めていた。
レミィは泣きそうな表情で切々と訴えてくる。
『あのデカくて生臭い半魚人の軍団の傍若無人に荒らされて、海はおろかなけなしの大地まで侵略されかねない勢いで……この現状をどうにかしたくて、一緒に戦ってくれる人がいないかって募集を掛けたかったくらいでして……』
「それでMVをばら撒いたのか」
『そうですよね――拾ってくれたんですよねMVを!?』
何気ないツバサの一言にレミィは驚くほど食い付いてきた。
あれはSOSの一種だったらしい。
準備が終わったのか、再びドラコがヒョイッと割り込んでくる。
『そうそう、ツバサさんたちみたいな人ならあたしらを助けてくれると信じてるし、そうじゃなくても真なる世界で生きていこうとする人なら、あんなバケモノども放っとけないでしょ? もしも悪意満点の連中がやってきたら、半魚人どもとぶつけ合わせることで相討ちさせりゃいいのよ』
ツバサの疑念は問い質すまでもなくドラコがすべて明かしてくれた。
「なるほど、詳細を省いた理由はそれか」
ようやくツバサは得心できた。
敵でも味方でもいい――誰でもいいから南海に足を運ばせればOK。
興味を持った強者はこのMVの誘いに乗りやすいはずだ。
(※ツバサは慎重派だから二の足踏んだけど)
もしもツバサたちのように協力的なプレイヤーなら、ハンティングエンジェルスに手を貸すだろう。彼女たちの人気や知名度はそれを後押しする。
もしも破壊神みたいな殺戮上等な悪党がやってきたとしても、半魚人とかち合うように誘導すればいい。喜々として殺し合って消耗するはずだ。
まさに「勝手に戦え!」状態へ持ち込めばいい。
どっちつかずだとしても、この状況を無視できるわけがない。
自分たちではどうにもならない! と卑下する三下ならばそもそも戦力外なので、一目散にトンズラしてもらっても構わないだろう。
どう転んでも彼女たちの負担は軽くなる。
アバウトなドラコはそんな目算を立てていたに違いない。
ツバサたちの来訪は正しく大当たりだ。
『そんなわけで、現実世界いた頃はVRMMORPG動画配信“四強”と言われた縁もあるし、ここはひとつ助けてほしいんだけど……』
よろしくお願いできませんか? とドラコは深々と頭を下げてきた。
口調こそ軽妙というか軽薄なドラコだが、そのお辞儀からはしっかりした真剣味が伝わってきた。物腰も丁重であることを弁えている。
深きものどもを放置できない――ある種の責任感を垣間見せていた。
これは勘だが、彼女たちにも守りたいものがあるようだ。
五神同盟が多くの現地種族を庇護下に置いているように、ハンティングエンジェルスもこの南海で守るべき人々に出会ったのかも知れない。
『私からも……よろしくお願いします』
ドラコの隣に並んだレミィも折り目正しくお辞儀をしてきた。
『袖すり合うも多生の縁っていうでしょ? あたしらも助けてほしいけど、あたしらが助けたい人たちもいるんよ。だけどお手々が全然足らなくってさぁ……』
『ここはナナたちに免じて協力してほしいわけなのよ』
マルカやナナも合掌するように手を合わせて割り込んでくると、拝み倒すように頭を下げてきた。この二人は結構オーバーリアクションらしい。
アイドルたちに懇願される、夢のようなシチュエーションだ。
――ツバサの返事は決まっている。
五神同盟の会議でも「もしもMVの送り主がハンティングエンジェルスで助けを求めてきたらどうする?」に対する回答案も決まっていた。
しかし、敢えて即答はしない。
一拍の間を置くかのようにツバサは口を閉ざした。
メインスクリーン越しに彼女たちを見据えると、超爆乳を支えるように腕を組むだけに留める。ここでツバサが言葉を並べる必要はない。
「――うん、いいよ」
どうせミロが後先考えずに安請け合いするからだ。
いつもならアホの子の先走った無責任な約束を叱りつけるところだが、ツバサの返事も五神同盟の回答案もまったく同じなので問題はない。
頼もしい笑顔で単刀直入にはっきり言う。
ツバサが予防線を張るように約束を交わすより、ミロのドストレートな約束の方が対外的なイメージがいい。最近そう割り切れるようになったのだ。
なので、こういう場面ではミロの発言を黙認することにした。
ミロの意志はツバサの意志とイコールだ。
常識や良識に邪魔されて逡巡してしまったり、危機管理能力に基づいた慎重派な性格が災いするあまり、助けを求められても理屈や理論を前提に切り出すツバサの言葉よりも、ミロの放埒な発言は気持ちよく相手に響くはずだ。
そんな良い効果を期待して任せたのだが……。
「――アイドルとの共闘コラボ!」
ミロはガッツポーズからアッパーカットを繰り出すみたいに拳を突き上げると、声高に喜びの声を上げていた。
すっぱ抜いた覇唱剣を振り翳してやる気も十分である。
「現実世界ではお流れになっちゃった、グッチマンや八天峰角やハンティングエンジェルスとの四強コラボ……今からやってもおかしくないよね?」
「コラボしたい一心でOKしたんかい!」
ツバサは我慢できずミロの後頭部を引っ叩いてしまった。
ついでにアイアンクローでお仕置きだ。
「ツバサさん!? 頭蓋骨パッカーンして脳みそ出ちゃうんだけど!?」
「そしたら代わりにメロンパン入れといてやるから安心しろ」
「け、けんじゃああああああぁーくっ!?」
意味のわからない悲鳴を上げてアホの子は身悶えていた。
『あ、これ「ツバサとミロのアルマゲドン最強夫婦」でよく見た……』
『おおおーッ、間近で見ると迫力が違うねぇ』
レミィとドラコに妙な感心をされてしまった。
結局、先走ったアホの子を叱りつける醜態をさらしたわけだが、ツバサはミロの頭をアイアンクローで鷲掴みにしたまま話を引き継いだ。
「とまあ、ウチのアホの子が安請け合いしてしまったわけだが……」
協力に関しては賛成だ、とツバサの前向きに答えた。
それから話を強制的に先送りにする。
「訊きたいこと話したいことはお互いに山積みだと思うが……状況は御覧の通り、とても立て込んでいる。まずは深きものどもを片付けてからにしよう」
如何かな? とツバサはお伺いを立ててみた。
ハンティングエンジェルスは頭を上げると満面の笑顔で返してくる。
そして口々に喜びを弾けさせた。
『はい、それで大丈夫です! ありがとうツバサさん!』
『うん、いいよ。積もる話は後回しが定石だもんね』
『じゃあ共闘コラボってことで! ナナ、爆雷ありったけ用意して!』
『まーかせて! 火薬ならフレイちゃんから山ほど分けてもらったし!』
四者四様で感謝の言葉を述べていた。
……最後にナナが『フレイちゃん』と呼んでいたが、他に仲間のプレイヤーがいるような言い方だった。そこが少しだけ気に掛かる。
『そんじゃあ面舵いっぱーい!』
ナナの掛け声に鳥型戦艦が艦首を右へと振った。
推進機関をフル稼働させて、ひとまず肉塊の砲撃から逃れるべく距離を置くつもりらしい。艦から爆雷を落としての反撃も忘れない。
雨霰のような勢いで降り注ぐ球体の爆雷。
それは筋肉の砲塔たちを爆撃するも彼らを怯ませることはなかった。
相も変わらず生体レーザー砲や生体ミサイルは乱れ打ちだ。
『だったら……こっちの防衛力を底上げする!』
レミィは魔法を発動させるような印を手で組むと、膨大な“気”を体外に巡らせていた。それは蒼い冷気となって艦体を覆おうとしている。
過大能力――【絶対零度に凍てつく私の氷雪庭園】。
鳥型戦艦を護衛するように何十枚ものパネルが出現した。
分厚い盾にも見えるそれは氷塊を押し固めた氷の絶壁だった。
氷の絶壁はレミィの手の動きに連動するも、ある程度は自動行動が取れるらしい。鳥型戦艦を取り囲んで移動する防衛網を敷いていた。
生体ミサイルを受けてもビクともしない。
生体レーザー砲は直撃させず、斜角を整えて明後日の方向へ受け流す。
氷の絶壁は隙あらば爆雷とともに落下もした。
それはツバサたちを援護した氷山よろしく、周囲を手当たり次第に氷漬けにしていく。筋肉の砲塔はシバリングをして耐えようとするのだが、一瞬でも霜に覆われて動きが鈍るところに爆雷を投下されては堪らない。
血流が鈍ると同時に凍りつき、追加の爆雷で吹き飛ばされていた。
(※シバリング=体温が下がるのを防ぐべく、肉体が筋肉を瞬間的に激しく動かすことで恒温を保とうとする生理現象。冬になると体が震えるアレ)
そして、投下した分の氷の絶壁はすぐさま補充されていた。
鳥型戦艦の下は冷気と爆発が渦巻く地獄と化した。
これではまだ足りないのか、ハンティングエンジェルスの攻勢は加速する
『マルカ、サポートお願い!』
『よっしゃ! 二匹くらい出しときゃいいかな?』
レミィの要請に景気よく応えたマルカは、言うが早いか九尾の狐キャラとしてのアイデンティティである九つの尾っぽを切り離した。
全部ではなく二本だけだが――。
分離した二本の尾は白い光の粒子を振り撒きながら消えていく。
『出なさい――呑牛! 深犀!』
マルカが何者かに指示を飛ばすと、消えたはずの光の粒子が戦艦の外へ瞬くように現れた。粒子は数を増して実体を紡ごうとする。
やがて二つの大きな像を結んだ。
片や――骨太な骨格と分厚い筋肉に鎧われた大角を掲げる巨大な猛牛。
片や――山のような巨体を緑色の剛毛で覆われた巨大な一角獣。
二頭の獣は凍りついた海に降り立つ。
氷漬けになった深きものどもや筋肉の砲塔を踏み砕きながらだ。
どちらも全長は100mには達しており、生物としてのLVも999と観測されていた。50m級の深きものどもにも後れを取らない体格である。
そして、マルカと同質の“気”を帯びていた。
過大能力――【九尾に宿る有為転変な九の化身】。
『さあ化身ちゃんたち……これでもかってくらい蹂躙しちゃいなさい!』
マルカの命令は艦橋からでも二匹の獣に届いていた。
草食獣の外見からは想像も付かない遠吠えを上げた獣たちは、目の前の敵を傲然と蹴散らて蹂躙を開始する。凍っていようが生のままだろうが反撃されようがお構いなし。圧倒的重量差をぶちかましていく。
超重量級の実働部隊として大活躍していた。
その時――最初に放り投げられた氷山が動いた。
氷で覆われた海を打ち破り、水飛沫とともに悪臭を発する巨体が現れる。
あの300m級の深きものどもたちが氷塊を持ち上げたのだ。
二体で力を合わせて大きな荷物を担ぎ上げているかのようだった。
《いあっ! いあっ! くとぉうるふぅ・ふたぁぐぅんッ!》
《ふぅんぐるぃぃぃ・むぅぐるぅなふぅッッ!》
《くとぅるふぅ・るるぃえ・うがぁふなぐぅる・ふたぁぐぅんッッッ!》
彼らは冷気の影響を受けるも凍りつかないようで、氷山を押し退けると怒気を込めてクトゥルフへの賛歌を唱えていた。咆哮といっても差し支えない。
『へっ、声量なら負けるかよ』
鳥型戦艦の艦橋、準備を終えたドラコが身構えていた。
右手にはマイクを握り締め、周囲には音響機器らしきものが立ち並ぶ。
ドラコは胸が張り裂けんばかりに空気を吸い込むと――。
――グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!
ドラゴンに相応しい咆哮を迸らせた。
それは鳥型戦艦の両翼上部に浮かんでいるステレオスピーカー型の投影スクリーンから世界を割らんばかりの大爆音となって南海に轟き渡った。
大きな声とはそれだけで武器となる。
事実、深きものどもの多くがドラコの大音声に居竦んでいた。300m級の巨大深きものどもですらビクゥ! と肩を震わせている。
彼らの脅えを確認したドラコはほくそ笑んだ。
『ビビったな? ビビったら――負けよ』
過大能力――【赤龍王の威光は天に逆巻き力となる】。
次の瞬間、ドラコの擁する“気”が驚くほど爆発的に上昇した。
十倍、百倍、千倍……とドラコの“気”は天井知らずで増大していき、その総身からは深紅の闘気が噴き上がり、黒い稲妻を発散させていた。
それらのパワーは艦橋から外部へと流れていく。
行き着く先は、ドラコの咆哮を解き放った大型スピーカーだ。
溢れんばかりのドラコの“気”を注がれたスピーカーは、二頭のドラゴンの頭部に変形していく。戦艦の真上には三頭目のドラゴンの頭が現れていた。
ドラゴンの頭たちは滅びをもたらす爆裂と疾風を滾らせる。
小指を立ててマイクを握るドラコは技名を叫ぶ。
最強のドラゴンが放つ有名な必殺技を真似したかったらしい。
『えっと、滅びの……滅びの……バーニングストロガノフ―ッッッ!』
『ドラコン、多分それ違う!?』
ただし、うろ覚えだった。
ドラコのボケとレミィのツッコミが交錯する中、三つのドラゴンヘッドは口が裂けるほどの顎を開いて莫大なエネルギー波を発射する。
深紅に染まり黒い稲妻をまとう――三つに束ねられた力の奔流。
それは巨大な深きものどもを蒸発させる威力を叩き出した。
0
お気に入りに追加
581
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。
狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
死んだら男女比1:99の異世界に来ていた。SSスキル持ちの僕を冒険者や王女、騎士が奪い合おうとして困っているんですけど!?
わんた
ファンタジー
DVの父から母を守って死ぬと、異世界の住民であるイオディプスの体に乗り移って目覚めた。
ここは、男女比率が1対99に偏っている世界だ。
しかもスキルという特殊能力も存在し、イオディプスは最高ランクSSのスキルブースターをもっている。
他人が持っているスキルの効果を上昇させる効果があり、ブースト対象との仲が良ければ上昇率は高まるうえに、スキルが別物に進化することもある。
本来であれば上位貴族の夫(種馬)として過ごせるほどの能力を持っているのだが、当の本人は自らの価値に気づいていない。
贅沢な暮らしなんてどうでもよく、近くにいる女性を幸せにしたいと願っているのだ。
そんな隙だらけの男を、知り合った女性は見逃さない。
家で監禁しようとする危険な女性や子作りにしか興味のない女性などと、表面上は穏やかな生活をしつつ、一緒に冒険者として活躍する日々が始まった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる