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第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第490話:神に非ず魔に非ず――我らは“あらがみ”
しおりを挟む儀式めいた調印式は恙なく完遂することができた。
五神同盟とエンテイ帝国は友好条約を締結し、互いに尊重と敬意の気持ちを忘れずに平和的な国交関係を築くこと約束。どちらかが危難に見舞われた際には助力を惜しまず、どちらかが倫理に背くことがあれば躊躇わず制止する。
ほぼ同盟関係に等しいが、あくまでも加入はしない。
エンテイ帝国は同盟と交流するも第三者機関にも似た立場に徹する。
その他、国家間における細やかな取り決めも網羅。
こうした詳細事項に関しては、軍師レオナルドや次女フミカにメイド長マルミ、執事ダオンや宰相エメスといった知恵者が話し合いを重ねていた。
幾度となく綿密な会議をすることで内容を決定していた。
すべて二冊の公文書に記載されている。
内容は五神同盟の代表やエンテイ帝国の皇帝も確認済みである。
公文書の一冊はエンテイ帝国の手元にあり、もう一冊は五神同盟を代表してハトホル太母国の元に置かれ、今日の調印式のために持ち込まれていた。
――友好条約を記した二冊の公文書。
内容はまったく同じもので、片方にはエンテイ帝国初代皇帝であるキョウコウ、そして宰相エメスと執事長ダオンの名前が記されている。
こちらはエンテイ帝国に置かれていたもの。
もう片方には地母神ツバサ、獣王神アハウ、戦女神ミサキ、冥府神クロウ、銃砲神ジェイク、穂村組バンダユウ、水聖国家ヌン、日之出工務店ヒデヨシ……五神同盟の代表を務める八人の名前が記されていた。
こちらは五神同盟で預かっていたものだ。
謁見の間――玉座の前に用意された調印のための長いテーブル。
その上に二冊の公文書が安置された。
前者の公文書には五神同盟使節団が署名していく。
ツバサ、ミロ、クロウ、ヒデヨシは代表なので本人が名を書き、他の陣営は副官が携えてきた各代表の委任状が用意される。
ただの委任状ではない。魔法効果が付与された特別な書類だ。
委任状を公文書の上に置くと、それを認めた者の名前が公文書へと転写されていくのだ。アハウ、ミサキ、ジェイク、バンダユウ、ヌンの記名はこうして行われ、それぞれの副官も確認を兼ねて名前を書き添える。
王妃、軍師、女中長、若頭、政務官が順々に一筆認めていく。
後者の公文書にはエンテイ帝国が署名する。
皇帝キョウコウ、宰相エメス、執事長ダオンの三名だ。
宰相と執事長の署名は五神同盟の副官たちに相当する。
同じ署名がされた二冊の公文書は、五神同盟とエンテイ帝国で一冊ずつ分け合うように保管され、これにより両者間の友好条約は正式に成立する。
この公文書も漏れなく魔法仕掛けだ。
神族や魔族は口約束でも破れないのが真なる世界の法則。
その約束を遵守する法則をより強固な契約へと高めるのが、この公文書の役割である。早い話、条約を破れば凄まじい罰則を科せられるのだ。
罰則を被るのは署名した面々――各国の代表や副官。
それだけに責任は重大である。
淡々と名前を書いているように見えるが、これからの未来に一抹の不安を過らせただけでも胃が潰れそうなくらいの怖気を覚えることだろう。
最後に署名するのはツバサとキョウコウ。
爆乳美女と巨大鎧武者が肩を並べて筆を走らせる場面はシュールだ。
二人が名前を書き終えて公文書を完成させると、それぞれを手に持って空いた方の手で握手を交わす。これもパフォーマンスの一環である。
謁見の間にも拍手喝采が鳴り響いた。
こうして――無事に調印式を終えることができた。
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その後、簡素ながら宴の一席が設けられた。
謁見の間から催し事ができる会場のような大広間へ河岸を変え、立食形式の歓迎パーティーで持て成される。自由に飲食を楽しみながら、五神同盟使節団とエンテイ帝国の幹部による交流会が開かれていた。
会場のあちらこちらに自然と気の合う者同士が集まっていく。
「わしは逆関節も捨てがたいと思う。頭上を取れるんは優位性ぜよ」
「そこは四脚だろ。積載量も上がるし滞空時間が違う」
「安定性でしたらタンク一択でしょう。反動制御も抜群です」
長男ダイン、棟梁ヒデヨシ、宰相エメス。
ダインとヒデヨシは肉料理にガブガブ噛みつき、エメスは背の高いワイングラスで透き通る洋酒を薫らせている。
工作者という共通項を持つ三人はすぐさま打ち解けていた。
何やらメカの機構で意見を交わしているようだが、ツバサは専門外なのでさっぱりわからない。ACとかMTなどの専門用語も飛び交っているので、どうも工作者だけに通じる隠語みたいなものらしい。
藪蛇になるかも知れないが後でダインに訊いてみよう。
「あらーッ! マルミちゃんお久ーッ♪」
「ニャルちゃんお久し振りー、相変わらずいい男ねぇ」
「もーやだー♪ のっけから皮肉効きまくりー!」
仮面師ニャルと再会の抱擁を交わすメイド長マルミ。
無貌の仮面を指して“いい男”は確かに皮肉だろう。しかし、ニャルは気分を害することもなく、マルミとはとても仲良さげだった。
どちらもVRMMORPGではゲームマスターを務めた仲なので、知らぬ存ぜぬの間柄どころか意外と親しかったようだ。ダオンもマルミと再会した時には「お久し振りです」と丁寧に挨拶していた印象が強い。
教育係の人徳は世界的協定機関に広く浸透していたらしい。
また、仕事仲間に構われるのも人徳なのかも知れない。
「おー、久しいなマヤ坊! なに、おまえ女性側になったんだって?」
「お、お久し振りですミラさん……いや、あのこっち側って……」
「そうビクビクすんなって、もう女同士なんだから仲良くやろうぜ?」
「は、はい……お手柔らかにお願いしますぅ……ッ!」
神絵師ミラは獣王神の代理で来たマヤムに絡んでいた。
馴れ馴れしく肩を抱かれたマヤムは困惑しきりだが、女性化したことを責められないのでちょっと安心した様子だった。それでもイケイケ鉄火肌なミラは苦手なのか、マヤムは愛想笑いでやり過ごそうとしている。
神絵を描く緻密な指先がマヤムの胸元に忍び寄るのを見逃さない。
気の強そうな花魁が弱気な少女の耳元へ悪戯っぽく囁く。
「……後で一っ風呂浴びようぜ。ちゃんと女になってるか見てやるよ」
「いや、あの、それは……困りますぅッ!?」
グイグイ押してくるミラにマヤムは半泣きになっていた。
元ゲームマスター同士、再会すれば話も早い。
一方で新たな関係を結ぼうと直向きに努力する者もいた。
「はじめまして、私こういう者でして……」
穂村組を代表して来たレイジは3枚の名刺を差し出した。
「……穂村組か! その名前、現実でも聞いたことがある」
「なになに? ブライ君知ってるの? 人材派遣会社みたいだけど?」
「バカね、どうみてもヤーさんでしょう? アタシらに興味あり?」
名刺を受け取ったのは拳闘士ブライ、輝公子イケヤ、従率姫マリラの三人。他国の者であろうと強者に目がない穂村組として気になるらしい。
ビジネスライクなレイジだが、やはり根は好戦的なようだ。
キョウコウ五人衆も乗り気である。
国交を結ぶに際して幅広い交流を望む者もいた。
「ダオン君、行きの艦内でも挨拶していたが改めて……こちらが件の」
「は、はじめまして! 水聖国家より参りましたライヤと申します!」
よろしくお願いします! とライヤは緊張した面持ちのまま深々とお辞儀をしていた。取り次ぎ役を務めたのは軍師レオナルドである。
お噂は兼々……と執事長も丸い腹を縮めて一礼で返した。
「彼の黒蛙の瀑流神と勇名を轟かせたヌン・ヘケト陛下の御令孫でございますね。艦内では略式の挨拶で済ませてしまい、大変申し訳ありませんでした」
ダオンが一目置くほどの力の持ち主。
先祖から受け継いだ能力と知識を持つ執事長が認めるのだから、やはりヌン陛下は一廉ならぬ実力を備えた偉人なのだ。
「いえ、こちらこそ……お祖父様の名代ですがよろしくお願いします!」
祖父を褒められたライヤは思わずはにかんでしまう。
そこから「いずれヌン陛下には個人的にエンテイ帝国へお招きしたい。何故ならキョウコウ様を含め、多くの者が憧れた英雄ですから」と話を広げる。
良い意味で国交が捗りそうな話が聞こえてきた。
憧れの人と会えた者は他にもいる。
「いいんですか!? こんな豪勢な写真撮ってもらっちゃって……」
「自分、特等席にいるでゴザルが……許されるんでゴザルか!?」
「いいんじゃないッスか? はい笑って笑って……はい、チーズ!」
次女フミカの合図でシャッターが押される。
七女ジャジャを胸に抱いた五女マリナを中心に、グッチマンと愉快な仲間たちが笑顔で取り囲んでいる記念写真が撮られていた。
ミロの例に漏れず、子供たちもビッグフォースペシャルのファンだった。
全員からサインを貰った後の記念撮影会である。
「なんだか懐かしいねぇ……こういうファンとの交流会って」
懐かしむグッチマンの周りでは、仲間たちも和気藹々と盛り上がっていた。
「ああ、四人で大きなイベントをやった時を思い出すな……」
「やっぱボクらってファンの声援あってナンボだからねー」
「四騎士として帝国を盛り立てながら活動する方法を考えてみようか?」
ドラムスやモドにヨーフォークも、ゲーム実況者時代を思い出しているようだ。
立食パーティーの飲み食いもそこそこに歓談を楽しんでいた。
「……フッ、賑やかなことだな」
パーティー会場を横目にしたキョウコウは微笑の吐息を漏らした。
「だけど、悪くはないだろう?」
「ああ……こんな穏やかな喧噪は久方振りだ……」
ツバサが同意するよう水を向けると、猛将は瞼を閉じて首肯した。
キョウコウとともにツバサは外へ出ていた。
パーティー会場の大窓が開放されており、そこから広々としたバルコニーへと出ることができた。広さだけなら家が数軒建ち並ぶ面積がありそうだ。
時刻はいつの間にか夕暮れ時――。
空の彼方には雲でグラデーションされた鮮やかな夕焼けが燃えていた。
「あれ? こういうのってベランダじゃないの?」
大窓を抜けてバルコニーへ一番乗りしたミロが振り返った。
すると骸骨紳士のクロウが教えてくれる。
「屋根があるとベランダ、屋根がなければバルコニーですよ。設計上で変わることもありますが、屋根付き屋根なしで覚えておくといいでしょう」
「はえー、勉強になります!」
ミロはお調子者らしく変な敬礼で応じていた。
最近アホの子なりに学習意欲が向上してきたのか、不思議に思ったことや疑問に思ったことを人へ聞くようになったのでいい傾向だと喜んでいる。
……まあ、脳細胞に刻まれているかは怪しいのだが。
三割も覚えていればマシだろう。
バルコニーには大きな円卓が据え置かれており、豪勢な料理が所狭しと並べられていた。側にはメイド姿と執事姿をした給仕役の男女が控えている。
彼ら宰相により製造された人造人間。
帝国内の雑務を請け負い、執事長に管理されているそうだ。
この宴席へ招かれたのはツバサ、ミロ、クロウの三人。
相席するのはキョウコウとネルネの二人。
もっともネルネは眠りこけており、熟睡から目覚めない彼女をキョウコウは膝に乗せたまま抱えていた。扱いは飼い猫のそれだ。
調印式の後、キョウコウは甲冑の上に衣をまとっていた。
僧衣というか浴衣というか、ゆったりしたローブのような衣装だ。フルプレートな兜や鎧は脱がないのでミロが不思議そうに小首を傾げる。
「鎧、脱がなくていいの?」
「これはもう……儂にとっては身体の一部なのだよ。そうだな……昆虫の外骨格みたいなものと思ってくれればいい。甲虫や鍬形虫と同じだ……」
「あ、なるほど!」
ポン! と手を打つミロはあっさり納得した。
キョウコウが子供にもわかりやすく説明してくれたの助かる。
「では…………乾杯!」
着席するとまずは早々に乾杯の音頭は交わしておく。
ここら辺は日本人ならではだと思う。
キョウコウも日本での暮らしが長いのか合わせてくれた。
ツバサは飲み口のいい果実酒をグラスで、キョウコウは大吟醸めいた清酒を杯で、クロウはそれに付き合っていた。当然ミロはジュースだ。
「積もる話の前に……まずはこれを」
クロウはスーツの懐から一通の封書を取り出した。
「まだ顔を合わせる機会ではないということで今回は招待されませんでしたが……これくらいは許されると思いましてね」
「手紙……ククリからか」
骸骨紳士から渡された手紙の差出人を猛将も察したらしい。
軽い会釈をしたキョウコウは受け取る。
「ククリと会うのは……まだ時期尚早と思うてな」
――キョウコウがククリとの再会を延期させた理由。
真なる世界を守るために全身全霊を賭したキョウコウだが、九死に一生を得るものの本体を失い、ネルネの胎内にいる自分の娘の血に寄り添っていた。
ほぼ回復済みだが、自身の核となる部分が安定しないらしい。
おかげでネルネや娘から分離できる状態ではなかった。
キョウコウ自身は「ネルネが無事に出産するまで憑依するかの如く二人を守る」と宣言したが、実際には二人から離れられないのだろう。
あの発言は猛将なりの強がりである。
普段は寝ているネルネの身体を借りて行動しており、そちらの方が楽だという。つまり、おっさん臭い口調で喋る寝惚け眼の少女になるわけだ。
そんなキョウコウを見たらククリはどんな反応をするか?
「多分、泡吹いて卒倒すんじゃね?」
「然もありなん……彼奴は昔から肝が小さいのでな……」
食い出のありそうな料理を我先にと貪っているミロの率直な意見に、キョウコウは感慨深げに二度も首を頷かせた。
「少しずつ慣らすわけではないが……其方たちからそれとなく我が現状を伝えてもらい、事前情報などの耐性を付けてからの方が……と考えてな」
「そういう話なら納得できますね」
「ククリちゃん、精神的はまだまだ甘いからな」
彼女の後見人を務めるクロウは杯を傾けながら得心し、ククリの母親代わりとなったツバサも渋々ながら認めるしかない。
伸び代こそ感じるものの、ククリは未だ成長途上にあるのだ。
出会った当初と比べたら随分と成長したのだが……。
「ククリちゃん強くなったじゃん! 還らずの都争奪戦で都の機能を使えるようになったし、破壊神大戦争じゃあ龍脈のコントロールまでしてたじゃん!」
ここぞとばかりにミロがフォローした。
ツバサがククリの母親の魂を継承して母親役を務めるように、ミロもまたククリの父親の魂を受け継いで父親役という意識を持っていた。
娘に悪評が立てば庇うのが親というものだ。
「彼奴なりに息災で……精進しているならば良い」
ミロの擁護を聞いたキョウコウは嬉しそうに口の端を緩めていた。
クロウから手渡された封書を徐に開いたキョウコウは、十枚くらいの便箋にまとめられたククリからの便りに目を通していた。
「む……わざわざ日本語で書いて寄越したのか」
「この日のために勉強したのですよ」
小さな驚きの声を上げるキョウコウにクロウは注釈を加える。
元教師のクロウがいろはを教えたのだろう。
三分ほどの沈黙――キョウコウの眼の動きを一様に追ってしまう。
最後の便箋を読み終えたキョウコウは、兜の下に隠れた眉を困ったように下げると、装甲の隙間から覗く口元をアンニュイに歪ませていた。
どうも尋ねづらい空気が漂う。
「……手紙、なんて書いてあったんだ?」
「要約すれば『まだ許さない。でも無事で良かった』……とのことだ」
そんな空気を押してツバサが問い掛けると、キョウコウは手紙を丁寧に折り畳んで懐にしまいながら照れ臭そうに答えてくれた。
「もっとも……手紙の大部分は恨み辛みだったがな……」
「おい、十枚の便箋にそれは相当だぞ」
ククリちゃん、やっぱり根に持っているらしい
良かったじゃん! と不意にミロが応援するような声を投げ掛ける。
「まだってことはいつか許してもらえるよ」
こういうポジティヴな捉え方はアホの子ならではである。慎重になるあまり何事もネガティヴに考えやすいツバサにはできない思考回路だった。
「……ああ、そうだな」
そうなるように努力せねばな、とキョウコウも前向きだった。
「超巨大蕃神に脅えていたから……あの絶対的な力と恐怖に抗うために……などと言い訳もして許されぬ。其方たちがアレを撃退してくれたおかげで、我が心を閉ざしていた闇が払われた気分だ……」
蕃神は倒せる――真なる世界の力で打ち払える。
「……ツバサよ、ミロ嬢よ、そしてクロウ殿よ……あの時、其方たちが尽力したおかげで我々も勝機を見出すことができた……礼を言わせてくれ」
ありがとう、とキョウコウは真摯に頭を下げてきた。
いやいやいや! と恥ずかしそうに手を振るミロに対して、ツバサは微笑みながら静かに果実酒を啜るのみに留めておいた。
クロウも会釈みたいな頷き程度のリアクションである。
嗚呼――この人は本当に変わったんだな。
これまでの過ちを直視して悔い改め、犯した罪に心を潰されそうになりながらも猛省し、懸命に前へ踏み出そうとする決意を酌み取ることができた。
でなければ、これほど深々と頭を下げられまい。
本来のキョウコウは力の信奉者である前に理知的な軍神だった。
超巨大蕃神“祭司長”に植え付けられた悍ましい恐怖を払拭できたことで、灰色の御子の中でも麒麟児と讃えられた頃に立ち返りつつあるようだ。
ククリの昔語りを聞く限りでは、「強くて賢くて優しい理想的なお兄さん」だったらしいので、祭司長の一件が恐ろしく尾を引いていたらしい。
クトゥルフの邪神に遭遇すると何者であれ正気を失う。
俗にいう正気(sanity)の度合い。テーブルトークRPGでいうところの正気度を意味するパラメーター“SAN値”を失えば、その人物は発狂する。
超巨大蕃神と相対したキョウコウも正気を失いかけたのだろう。
時間が掛かったとはいえ、ここまで回復したのだから大した精神力だ。
「クロウ殿には詫びもせねばならぬな……」
「おや、私にですか?」
前菜を摘まんでいた骸骨紳士は意外そうな声で返した。
仄暗い眼窩には「心当たりがありませんが?」と戸惑いの炎が揺らめいていたが、キョウコウは構わずに謝罪を始める。
「以前……其方が申していた通りだ……」
猛将キョウコウは――タチの悪いガキ大将だった。
この一言に記憶を触発されたクロウは「ああ!」と思い出していた。
かつて還らずの都争奪戦の最中のこと。
ツバサとミロを出し抜いたキョウコウは、ククリをその手中に収めんとして先行したものの、すんでの所で冥府神クロウに阻まれていた。
クロウもキョウコウも、互いに自らの亜空間を操る過大能力の持ち主。
内的世界のすべてを曝け出すように攻防を繰り広げたという。
「う~ん、固有結界とか領域展開をぶつけ合わせるみたいな感じ?」
「アホの子の理解力ならそれで十分だ」
ミロの場合、それぞれの元ネタも正しく読み解いてない可能性も高い。
激闘の最中――クロウはキョウコウを叱責した。
『妹のように可愛がった少女に八つ当たりするほど、一体あなたは何に恐れているのですか? それほどまでに辛いのなら、その真なる絶望とやらを皆に打ち明け、共感を求めれば良いではありませんか!』
『なのに……延々と“絶望に立ち向かう”と言い訳ばかり並べて、おぞましい行いを正当化しようとしている! 守るべき規則を守らず、破らぬべき道義を破り、犯さざるべき尊厳を犯し……己が蛮行が正しいと言い張る!』
『自分がこの世で最も偉いと……この世の全てを知っていると思い込み……自分の悪行を認めようとしない! 他の子たちよりも、ちょっと強いだけで威張っているガキ大将に過ぎないのですよ、あなたはッ!』
鋭い観察眼で見抜いたことをズケズケと物申したそうだ。
大体合っているのでキョウコウは反論できず、激昂して誤魔化したという。
「あれは……一言一句、其方の申すとおりだった……」
超巨大蕃神憎しを拗らせるあまり、とんでもなく意固地になっていたことを謝っていた。そこまでほじくり返さなくても良さそうなものだが……。
この猛将、根はまっすぐで正直者らしい。
「超巨大蕃神の掌を命懸けで食い止め……還らずの都を守ってくれた件も合わせて謝辞と詫びを述べたい……感謝する、クロウ殿」
「そんな……こちらこそ、言葉が過ぎたくらいです」
真正面から謝罪を受けたクロウもちょっと戸惑いがちだった。
両手で制するポーズを取った骸骨紳士は、再び円卓へ額が付くほど頭を下げてくる猛将を宥めた。そして、訂正するように言葉を続ける。
「私の方こそ謝りましょう……あなたの遭遇した災難の大きさや背負わされた苦難を知らずに、好き勝手に文句を並べ立てたのですから……選んだ道が過酷であったからこその意固地……いえ、矜持だったのでしょう」
キョウコウの抱えてきた重荷にクロウは理解を示していた。
「フッ……友人たちと同じようなことを言う」
猛将は給仕役から清酒の瓶を取ると、空になったクロウの杯へなみなみと注いだ。骸骨紳士も返礼として酒瓶を手に取ってキョウコウの杯へ注ぐ。
そして、無言のまま乾杯すると一気に飲み干した。
ここに猛将と骸骨紳士の和解は成立する。
かつての許嫁であるククリに許される日はまだまだ遠そうだが、クロウからそれとなく助け船が出される日は来るかも知れない。
「礼と言えば……其方たちにもせねばな」
キョウコウはツバサとミロへ振り向くが、こちらは改めて礼を述べられるのもこそばゆいので、母娘そろって「結構です」と言いたげに手を振る。
「礼ならもうお腹いっぱいだ。散々殴り合った仲だろ」
拳で語り合ったのだからもういい、とツバサはお礼を差し止めた。
キョウコウの背負ってきた苦悩もよくわかる。
今でこそ立ち向かえる算段があるものの、超巨大蕃神を目の当たりにすれば心を砕かれても仕方ない。別次元のスケールが違いすぎる絶対的な力を前にして自我を保てたキョウコウの精神力は褒め称えるべきものだ。
実際、超巨大蕃神“祭司長”を目撃しながら生き延びた者の多くは、心を打ち砕かれて発狂するか、理性があるうちに自死を選んだという。
力に取り憑かれこそしたが、迎え撃つために動いたのは猛将のみ。
その過程に難はあれど――彼の行動力は称賛に値する。
「そうそう、友好条約の調印式も済んで仲直りしたんだから仲良くしよって決めたんだし……もうそれでいいじゃん。はい、おしまい!」
ミロもツバサの肩を持ってくれた。猛将にペコペコと頭を下げさせることを心苦しく思ったのか、打ち切るみたいな声を張り上げた。
しかし猛将の二つ名通り、キョウコウは猛々しく後に退かない。
「そうはいかん……礼をせねば儂の気が済まん」
たとえそれが御礼だとしても全力で打ち込んできた。
円卓に両手を突いたキョウコウは、テーブルに額ずく勢いで頭を垂れてきた。床ではないが、ほとんど土下座に近い姿勢である。
「ツバサよ、ミロ嬢よ……そなたたたちには誠に感謝している」
前口上から感謝の意を並べていく。
還らずの都へ囚われていたに等しいククリの父母を解放してくれたこと、その魂を継承して彼らに安らぎを与えつつ愛娘といる機会をくれたこと、そのククリを娘同然に遇して愛してくれたこと……。
「道を誤った儂を止めてくれたことにも……改めて礼を言いたい」
キョウコウからの感謝は止まらなかった。
主にククリと彼女の両親に関するものがメインである。
真なる世界を護るためとはいえ、元許嫁に働いた乱暴狼藉に罪悪感を引き摺っているのがありありと伝わってくるようだった。
同時に、キョウコウがククリを大切に想っていたかがわかる。
大切に想いすぎるからこそ、蕃神との戦争で最前線へ立とうとする自分から遠ざけたくもあり、それが無体な振る舞いへと繋がったのだろう。
――不器用な漢なのだ。
それでもククリの面影を忘れられなくて、地球で出会った瓜二つなネルネを愛妾に選んでしまったのも不器用さゆえである。
――未練タラタラなのだ。
長い長いキョウコウの御礼もようやくピリオドが見えてきた。
「……そして、還らずの都を守り通してくれたこと、工作者たちに命じて直してくれたこと、破壊神を打ち倒して還らずの都のみならず真なる世界をも救ってくれたこと……そして、何より儂が礼を述べたいのは……」
――超巨大蕃神“祭司長”を退けてくれたこと。
感無量のあまりキョウコウは噎び泣いていた。
「あの日、目の前で仲間を見殺しにせざるを得なかった屈辱に、鮮烈な一矢で報いてくれたこと……ッ! 長年煩わされてきた奴原への懊悩と恐怖を打ち払ってくれたこと……まっこと感謝の念に堪えん!」
ありがとう……とキョウコウは涙ぐむ声で結んだ。
「胸が空くとはまさにこのこと……其方たちに救われた心地だ」
ツバサは――リアクションに困ってしまう。
インチキ仙人から叩き上げな教育ばかりされてきた影響なのか、褒められることに慣れてない。性格的にも褒め伸びが性に合わないのだ。
叩かれて伸びるタイプのツバサは御礼に弱かった。
「あー、うん、わかった……わかったから、もう頭を上げてくれ」
頼むから、と思わず懇願するほどだった。
ツバサは気まずそうに照れるばかりで、人差し指で頬を掻いたり後頭部をポリポリ掻いたり、目線を逸らせて明後日の方向を向いたりと落ち着かない。
それでも御礼に返事をするべきだろう。
ようやく頭を上げてくれたキョウコウにツバサは答える。
「あの時は家族を……仲間やみんなを守りたい一心だった。あんなデカブツにこの世界を荒らされたくなかったし……ただ、負けたくなかった」
脳裏を過った想いは数え切れない。
それをひとつに束ねて、自らを突き動かす力としたのだ。
「本当、それだけなんだよ……」
大した大義名分がなくて申し訳ない気分だが、ツバサは超巨大蕃神を追い払った時の心境を言い訳するように打ち明けた。
及び腰で目を合わせたキョウコウは――破顔していた。
「それで良い、それで良いのだ、ツバサよ……家族を守りたいという想いが、仲間を……延いてはこの地に生きる人々を守ることに繋がったのだ」
ありがとう……とキョウコウからもう一度礼を言われた。
誉め殺しという感謝の暴力を受けているみたいで、ツバサは居心地が悪くてしょうがない。顰めっ面で弱っていると「シシシ♪」と笑い声が聞こえる。
横を見遣ればミロがおかしそうに笑っていた。
「だってさ、ツバサさんの家族ってメチャメチャ多いもん」
ハトホル一家のみならず、ハトホル太母国の全住民のみならず、五神同盟の元で暮らしている人々すべて。今度はそこにエンテイ帝国も加わる。
「……ってな感じだからね」
「そうか、ツバサの家族……その概念は途方もなく大きいのだな」
ミロのアバウトな解説をキョウコウは鵜呑みにして、オリジナリティ溢れる解釈をしていた。しかし、ツバサ自身も強くは否定できない。
「そんな大層なもんじゃないと思うんだけどなぁ……」
褒められっぱなしで気の滅入ったツバサは果実酒を一気に飲み干し、アルコールの力を借りて気持ちを立て直そうとしたが上手く行かなかった。
――家族と認められるのはハトホル一家。
ミロを始めとした共に暮らす家族たちだ。
ずっとそう思っていたが、確かに概念的には増えている。
ハトホル太母国で暮らす人々も家族といえば家族であり、五神同盟に属する仲間たちも家族のように大切に想っている。エンテイ帝国の人々もキョウコウを筆頭に仲間となれば無下にできない存在となる。
家族も仲間も扱いに差は置かない。それがツバサの信条だった。
神々の乳母の影響か、家族の概念が広がっている気がする。
「かつて多くの神魔を育てた地母神、ハトホル様を思い出させる……」
キョウコウからの評価に「断じて否!」の一言が返せないツバサは、勘弁してくれという代わりに目元を覆って苦笑した。
「ったく……ヌン陛下みたいなことを言う」
その昔――真なる世界にもハトホルと呼ばれた女神がいたそうだ。
やはり牝牛の女神で神々の乳母だったらしい。
ツバサの容姿は彼女によく似ているという。そのためハトホルに育てられた過去を持つヌンが、ツバサへ入れあげる理由のひとつになっていた。
おかげで世話焼きのオジさんみたいに構ってくれる。
インチキ仙人に育てられたツバサにしてみれば、ジジイフェチなところもあるので望むところだ。デフォルメされた蛙の擬人化みたいなヌン陛下は愛嬌もあるので印象は悪くないのだが……暇さえあればちょくちょく顔を出す。
自国の統治いいの!? と心配になるくらいだ。
「ヌン陛下……ヌン・ヘケト様だな?」
キョウコウはチラリとパーティー会場へ視線を振った。その先にいるのはヌンの孫であるライヤだ。ダオンやエメスと話し込んでいる。
その人集りを見つめるキョウコウの眼には羨望があった。
「まさかあの……黒蛙の瀑流神とお近づきになれる日が来るとは夢にも思わなんだな……近いうちに是非、ご挨拶へと窺いたいものだ……」
「キョウコウのおっちゃん、蛙の王様知ってんの?」
肉まんもしくはピロシキみたいな饅頭を両手に持ってハムハム食べているミロが尋ねると、キョウコウは懐かしさを帯びた口調で返してくる。
「儂らの世代では知らぬ者なき英雄の一人よ……」
「その名前を知らなければモグリとされる剛の者、とノラシンハの爺さんも言ってたけど、本当に有名人だったんだなヌン陛下」
追加の果実酒を注文したツバサは感心するように呟いた。
これにキョウコウは兜の奥の両眼を丸くする。
「ノラシンハ……よもやノラシンハ・マハーバリ―様かッ!?」
「え、こっちもやっぱり有名人なのか?」
ヌン陛下とタメを張れる強者なので、ただの怪しいジジイとは思っていなかったが、キョウコウがここまで食い付くとなれば余程の人物なのだろう。
杯の酒が波打つくらいキョウコウは熱弁を振るう。
「我らの世代で知らぬ者がいたら嘲笑われるレベルの英雄だぞ……」
拳聖ノラシンハ――人獅子大帝の異名を轟かせた聖賢師。
「何処にも属さぬ流浪の遊行僧であること貫き、幾度となく蕃神との侵略戦争に飛び入りで参加して、数千に及ぶ蕃神の“王”を撃破し、いくつも国々を救ったとされる伝説的大英雄の一人……儂が知る限りでは十指に数えられるぞ」
「強いのは知っていたがそこまでとは……」
ツバサは追加の果実酒を飲みながら、渋い顔で呆れてしまった。
あの爺さんも承認欲求とは無縁なので、こういう自慢話はろくにしない。だからこそ余所から聞かされる伝聞情報に破壊力があった。
説得力とは、本人の自慢よりも他人の評価に重きを置くからだ。
「ヌン陛下といいノラシンハ翁といい、現役老人たちが強すぎる件について」
ぼやくツバサの隣でミロが指折り数えていた。
「そんなこと言ったら、バンダユウのおっちゃんにオリベのじいちゃんにと強すぎるハッスルジジイ結構いるよ五神同盟?」
「どちらかといえば私もジジイ側に数えられる方ですね」
クロウは人間年齢だと還暦間近なのでギリギリセーフなのでは?
「……儂は神族年齢で換算するとまだまだなのだがな」
キョウコウは二千歳前後とのことなので、1万歳を超えるノラシンハやヌン陛下と比べたらまだまだ現役の若造である。やたら老成した感があるのは、地球で無理をしたため老化を早めた結果だ。
ここでミロが思い出したように気付いた。
「キョウコウのおっちゃんが二千歳? 確かククリちゃんが五百歳くらいだからほぼ四倍……人間だったら二十歳の男が五歳の女の子と結婚するようなもん?」
「むぅ……年齢の比率的にいえば概ね間違いではないな」
「それって――ロリコンじゃん」
キョウコウが反応するよりも早く、無礼極まりない発言を為出かしたアホの子の頭を引っ掴んだお母さんは、音速でテーブルに叩きつけて黙らせた。
「ウチの子がとんだ失言を!」
それから平謝りする。先ほどのお返しとばかりに謝り倒した。
キョウコウは大らかにツバサを宥めてくれた。
「良い良い……現代日本の観点に照らし合わせれば、儂とククリの年の差婚はロリコンと言われても仕方ない……場合によっては小児性愛よ」
「そこまで自分をディスらなくてもいいのでは?」
自認するキョウコウの横顔は物悲しく、トラウマめいた哀愁を感じさせるものの懐かしさにも浸っていた。ククリとの婚約で何か言われたのか?
(※第202話「強き者のけじめ」参照)
(※ロリコンはロリータコンプレックスの略。大人が少女に性愛を覚えたり恋愛対象とする感情。この“少女”の定義はかなり曖昧なのだが、大体13歳以上18歳未満の少女を指す場合が多い。ここまでならば「若い女の子が好き!」の行き過ぎ程度なので性癖として片付けられる。ただしペドフィリアはそのまま小児性愛を意味し、13歳未満から乳幼児までの未成熟な女児へ偏執的な性愛を抱く症状。こちらは精神医学的には病気として扱われる)
「世が世なら年の差婚など当たり前でしたからね」
見るに見かねたのかクロウが元教師としてフォローしてくれた。
「ミロ君、前田利家という武将を知ってますか?」
「知ってる。傾奇者の前田慶次のオジさんでしょ?」
ゲームや漫画頼りの知識に偏っているが、アホの子のミロでも前田利家の名前は覚えていたらしい。織田信長に仕え、豊臣政権を支えた大大名である。
「彼が正室として最初に娶ったのは芳春院……いえ、まつという女性なのですが、二人が結婚した年齢は利家21歳、まつ11歳だったそうです」
「それって――ロリコンじゃん」
天丼のつもりなのか、ミロはまったく同じ台詞を繰り返す。
「しかもまつは12歳で第一子を出産したそうです」
「ちょっとちょっと利家さーんッ!?」
結婚はともかく、子供を産んだ年齢についてはミロもツッコまざるを得なかったようだ。しかしまあ、不可能ではないのが反応に困るところだ。
下世話な極論だが――初潮が済んでいれば妊娠はできる。
だからと言って、18歳未満の少女が母になるのは早過ぎる。母胎としてもまだまだ成長過程なのだから、幼い肉体への負担が大きい。
「しかし、明治以前の時代は平均寿命も短かったですからね。女性は二十歳を過ぎれば年増と扱われ、嫁の貰い手がガクンと減ったそうですから……」
「日本人ってその頃からロリコンだったの!?」
「アホ、平均寿命が短いから生き急いでいたって話だよ」
あの織田信長も「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」の歌で有名な敦盛という舞を好んだように、五十年生きたら十分とされたのだ。
寿命を五十歳としたら二十歳なんて半分目前。
現代の寿命を百歳から八十歳くらいと仮定すれば、3~40代に換算されてしまう計算になる。男も女も立派な年増だろう。
騒ぐミロの頭を押さえ込んだツバサは言い聞かせる。
「世界的に見れば年の差婚なんざ珍しくないんだよ。45歳年下のお嫁さんをもらったお笑い芸人さんも騒がれたが……確か海外で100歳越えの爺さんと二十歳前の女の子が結婚したとかってニュースもあったくらいだし」
「もうそれロリコンどころか祖父と孫じゃん!? いいのそれ!?」
ちゃんとできんの!? とミロは変な心配をしていた。
20歳以上年の離れた夫婦など珍しくもない。
3~40歳離れていたら驚き、それ以上なら報道になるだけだ。
「本当に恋愛で結婚した例もなくはないが、お家同士の取り決めとか金銭絡みとか宗教的な話とか……まあ、年の差婚の理由も色々あんだよ」
「うむ……儂とククリの場合は家同士の取り決めだな」
許嫁の約束を交わしていた、と聞いているので事実なのだろう。
「じゃあさ、キョウコウのおっちゃん」
ニヤニヤ悪巧みの笑顔になったミロは、少女の片手では持て余すツバサの超爆乳を下から持ち上げるようにダプンダプンと弾ませた。豊満な地母神のボディスタイルを意識させつつ、彼の膝元で眠りこけるネルネを見つめる。
そして、意味深長に質問をぶつけた。
「オッチャン的にはツバサさんみたいな爆乳とネルネちゃんやククリちゃんみたいに若くてピチピチな女の子……どっちが好きなの?」
「儂は小柄で細身の娘が好きだな」
「淀みなくハッキリ言いやがったなおい!?」
この全身甲冑オヤジ! とツッコミで叫びかけたツバサだが、仮にも国賓として招いてくれた招待主。冗談半分とはいえ罵倒は控えておこう。
キョウコウは常に勿体振ったような、会話の合間に三点リーダーを挟む喋り方をするのに、この時ばかりは直球ストレートだった。
好きなものを迷いなく口にできる勇気は買ってやりたいが……。
やっぱロリコンじゃん! とミロは大爆笑である。
ウケた……と思っているのか、キョウコウは両眼を閉じると満足げにほくそ笑んでいる。お堅いと思えば思ったより茶目っ気があるらしい。
すると、膝の上のネルネがもぞもぞ動き出した。
勝ち誇った微笑で、勝ち名乗りを上げるように右腕を突き上げる。
「あ、眠り姫ちゃん起きたの?」
「んんっ、最初のロリコンってところで起きた……おはよー」
ネルネは眠たげに褞袍の袖で目をこすっていた。
あくびをしながらもツバサたちに「ようこそいらっしゃいました」と今更感いっぱいな挨拶をする。慌ててこちらがお辞儀をすると、用意されていたキョウコウの隣の席へ子供みたいな仕種で移っていった。
「あたしもなんか飲む~。へい給仕役さん、さっぱりしたジュース~」
瞬く間に運ばれてきた飲み物で喉の渇きを潤すネルネ。
割と大きな口を開けてグースカピーと寝ていたので、喉が渇くのだろう。すぐさま一杯目を飲み干すと二杯目を注文していた。
ツバサとキョウコウの間、ミロとネルネは並んで座る。
互いに視線を合わせるとアイコンタクトのみで意気投合し、「かんぱ~い♪」の掛け声に合わせてジュースのグラスを打ち合わせていた。
精神年齢が近そうだから仲良くやっていくだろう。
彼女が目覚めたことで会話に少し間が開いた。
すると酒盗みたいなものを摘まみながら静かに呑んでいたクロウが、頭蓋骨を光らせてツバサにサムズアップしてくる。
「安心してください、私はどちらかといえば巨乳派です」
「……フォローになってないですよ、クロウさん」
静かに答えるツバサだが、こめかみの青筋は隠せなかった。
キョウコウが背の高い爆乳女ではなく貧乳の若い娘を選んだみたいな空気になっていたので、ツバサが傷心したとでも思ったらしい。
多少カチンと来たものの、全然そんなことはないのだが……。
「あーもう! 話を戻そう! ヌン陛下とかノラシンハの爺さん辺りまで!」
「そうそう……その御二方で頼みたいことがあった」
キョウコウは道具箱から二枚の厚紙を取り出した。
それはどう見ても色紙である。
「せっかくだ……伝説の英雄たちのサインを頂いてきてくれぬか?」
「英雄ってそういう意味でも英雄なの!?」
あんた意外とミーハーだな!? と今度は遠慮なくツッコミを入れさせてもらった。それはそれとして、二枚の色紙はちゃんと受け取る。
「頼めば二人とも遊びに来てくれると思うぞ?」
王様のヌン陛下は政務があるのでスケジュール調整が必要だが、ノラシンハは日がな一日縁側でぼんやりしていることが多い。
家族の話し相手か孫の面倒を見る、のんびりした日々を過ごしている。
(※実際には“三世を見通す眼”で世界中の異変を警戒してくれている。ツバサもそれを承知しているが、この仕事はどこにいてもできるので問題ない)
ヌン陛下はともかく、ノラシンハは家主であるツバサが「ちょっとエンテイ帝国に顔出してくれ」と頼めば、明日にも来てくれるはずだ。
しかし、キョウコウは咳払いで難色を示す。
「ゴホン! うむ、なんだ……英雄に会うのには心の準備がな……」
「恥ずかしがるなよ思春期のファンじゃないんだから」
思春期のファンなら何を差し置いても「ヒーローに会いたい!」となりそうだが、本当に会えるとなれば及び腰になるだろう。
そんなところ忠実に再現しなくてもいいのに……。
「しょうがないよぉ、キョウちゃん年季の入ったファンだものぉ」
夫を庇うようにネルネが間延びした声を上げた。
寝覚めで重いものは食べたくないのか、フルーツを口に運ぶ。
「黒蛙の瀑流神ヌン・ヘケト、三世見通す拳聖ノラシンハ・マハーバリー、射日の凄弓ゲイ・ホウイー、天法軍神テュール・ティワズ、 狂龍断ちのツムカリ・ムラクモ……さっき言ってた十指の英雄さんたちの大ファンだからねぇ」
「あんなトンデモ爺さんが残り八人もいるのか」
ツバサは素直に感心してしまう。
ヌン陛下やノラシンハが生き延びているのだから、そのゲイとかテュールとかツムカリとか、他の八人も命冥加に生きている公算が高い。
全員味方にできるとは思わないが、覚えておいて損はないはずだ。
キョウコウは鋼殻エビの姿揚げを丸齧りにする。
外骨格に近い全身甲冑の維持に固い栄養素が欠かせないらしい。バリボリ齧り付いて肴にしており、大きな杯で清酒をグイグイ煽っていた。
「なんにせよだ、ツバサよ……そなたは引きがいい」
彼の英雄たちを二人も身内に引き込めたのだから……とキョウコウは羨ましそうに言った。事実、頼り甲斐のありまくる老人たちだ。いずれキョウコウに引き合わせれば、よりエンテイ帝国との交流を親密にできるかも知れない。
……いけないいけない、つい外交カードと考えてしまう。
そもそもキョウコウは真なる世界の出身。
こちらで過ごした時期の人脈があり、同じ世界に生きた者たちについての情報を持ち合わせているはずだ。ヌン陛下やノラシンハはその一部に過ぎない。
真なる世界の重要人物で早急に欲しい情報といえば――。
真っ先にあの二人の名前が浮かんだ。
「なあ……破壊神や未来神について何か知らないか?」
ツバサが切り出すと、杯を傾けるキョウコウの手が止まった。
昔の武士が戦装束に使ったような頬当てをしているのだが、そこから垣間見える眼差しや口元が露骨なくらい苦味を帯びていた。
前者の名前を出した時はそれほどでもない。
後者の名前に触れた途端、苦虫を噛み潰したようになったのだ。
破壊神はともかく、未来神について語るのを嫌悪している節があった。
逡巡したものの話題に付き合ってくれるらしい。
「破壊神については既に済んだ話だが……人並みのことしか知らぬな」
拳聖ノラシンハの息子にして生粋の破壊神。
若い頃はその性から荒れた生活を送り、超危険神物として指名手配ばりに警戒されていたが、地球へ渡る灰色の御子へと抜擢される前には落ち着いており、いつしか気のいい青年になっていた。
ロンドをよく知る者はその成長振りを「変貌」と称したそうだ。
「今にして思えば……あれは猫を被っていたのだろうな」
「もしくは狼が無理やり羊の皮を被ってたかだな」
してやられたものだ、とキョウコウは反省の意を呟いた。
「地球での活動中、彼奴は気さくな好青年を演じきった……破壊神として暴虐の限りを尽くしたのは幼年期の話、長じては灰色の御子として真なる世界のため真っ当に働いていると儂らを騙し果せたのだからな……」
「ああ、そこら辺は軍師たちからも聞いてるよ」
詮索癖のあるレオナルドの目すら謀り、教育係として人間観察に秀でたマルミの眼さえ欺いたのだ。その演技力はアカデミー主演男優賞レベルだろう。
「しかし、よく500年も破壊神の欲求を我慢できたもんだ」
破壊神ロンドにとって、破壊という行為は生物の三大欲求に等しい。
――性欲、食欲、睡眠欲。
ロンドにとって破壊衝動はこれらに並び立つ欲求だ。息を吸って吐くのが当たり前であるように、何かを壊すのは破壊神にとっての生理現象。
即ち、日常的にできなければ心身に支障を来す。
「それを封じたまま地球で過ごすなんて、魚を陸に揚げたまま生活させるか、肺呼吸の生き物をずっと水中にぶち込んでおくのと変わらないぜ」
「いや……どこかで息継ぎはしていたはずだ」
キョウコウはツバサの見解を改めるように促してきた。
肺呼吸でも水中で暮らす生物は多い。
クジラを代表とした海棲哺乳類は魚のように長時間水中に潜っていられるが、それでも定期的に海面まで浮上して呼吸のための息継ぎはするものだ。
破壊神も似て非なる行為を行っていたはず、とキョウコウは推測する。
「我々の目が届かないところで暗躍し、密かに破壊神として喜びを耽溺していたに違いない……破壊、殺戮、暴力……選り取り見取りだったことだろう」
――地球でも破壊活動には事欠かぬからな。
鉄板蟹というこれまた歯応えのある肴をキョウコウは噛み締める。ツバサも一枚ご相伴に与り、バリボリ噛み砕きながら頷く。
「陰でコソコソやってたわけか」
あの極悪親父の得意そうなところだな、と無理やり納得する。
「だが、奴についてはもう良かろう……」
破壊神ロンド・エンドはもうこの世にはいない。
真なる世界がそこに生きる種族たちによって滅びの道を辿り、多くの力ある神族や魔族が世界の終わりを実感した時、終わりで始まりの卵は顕現する。
そして、世界をやり直す者を生み出すのだ。
終わりで始まりの卵から生まれたロンドは世界を滅ぼす破壊神であり、破壊した後の何もない虚無に新世界を創る創造神でもあった。
世界を壊す前に破壊神として倒した場合――延世の神となる。
真なる世界に生きる者が「まだ世界の終わりと認めない」ことを意思表示するには、終わりで始まりの卵から生まれた破壊神を倒すしかない。
――ツバサたちはそれを成し遂げた。
宿命を終えたロンドが満足げに昇天したのを見届けている。
「破壊神が率いていた最悪にして絶死をもたらす終焉という徒党の始末も報告を受けておるし、破壊神から生まれた怪物どもの掃除も終わっている……死者への弔いがてら酒の肴にするのも悪くないが……それほど語ることもない」
「猫被ってた頃の話を聞いても今更だしな」
破壊神戦争は終結を迎えた。無理に掘り返すこともあるまい。
「それよりも……聞き捨てならぬのは未来神の方だ」
彼奴には近付くな――あれは底無しの虚ぞ。
キョウコウの発した声は真に迫り、頬当て越しに覗ける表情は真顔を通り越して険を尖らせたものになっていた。これは敵意や嫌悪などではない。
この感情は畏怖に等しい。
それもまったくの未知に対する恐れと似通うものだ。
蕃神とその眷族を見つめる眼に近い。
ツバサはすぐに返事をせず半眼で口を真一文字にして考え込むと、魚介のマリネを少し食べてから果実酒で口内を洗い流した。
「……シンプルに凶悪とか猛悪と評された方が気が楽だったな」
まず感想を漏らしてから問い詰めていく。
「なんだよ、底無しの虚って……同じ灰色の御子じゃないのか? 無闇に近付くのも勘弁してくれってほど警戒するのは尋常じゃないぞ」
「未来神は……灰色の御子ではない」
えッ!? とツバサとミロとクロウの呆気が重なった。
てっきり地球で活動していた灰色の御子の一人かと思いきや、まったくの無関係だということがキョウコウにより証明されてしまった。
「地球で活動していた真なる世界出身者とのことなので……最初からキョウコウさんたちのような灰色の御子かと思い込んでおりました」
勘違いだったようですね、とクロウは即座に認識を改めた。
年を重ねても切り替えが早いのは見習いたい。
「そういえば……GMじゃないんだよね、ドラなんとかさん」
ミロもカリフォルニアロールを頬張りながらこちらを見上げてくる。せめてドラクルンなんて語呂の良い名前くらい覚えてほしいものだ。
ツバサはミロと目を合わせる。
「ああ、しかし地球に渡った灰色の御子がみんな世界的協定機関に所属していたわけじゃないし、VRMMORPGのGMでもなかっただろうからな」
例外の最たる例がツバサのすぐ近くにいた。
キョウコウも察したのか、杯を空にしてから名前を挙げる。
「ケンエン……斗来坊などその見本みたいな男だったからな」
「束縛できる奴いないだろ、あの無責任退屈男」
良くも悪くも同じ人物と共に過ごした時間が長いツバサとキョウコウは、酒と女に目がないちゃらんぽらんなイケメン親父を思い出していた。
お互いにそっくりな苦笑までしてしまう。
ケンエン・テンテイ――地球での通り名は斗来坊撲伝。
ツバサの家に居候していた自称“インチキ仙人”であり、ツバサを武道家として鍛えた師匠。そして、キョウコウの幼馴染みでもある。
エメスが信の置ける親友ならば、ケンエンは殴り合える悪友とのこと。
彼も灰色の御子であることはキョウコウの口から語られており、五女マリナの父親でGM最高位のマーリンからも確認が取れていた。
世界的協定機関に籍を置かない灰色の御子は何人もいた。
斗来坊はその筆頭であり、地球人を啓蒙させる活動をしていたらしい。
ツバサみたいに見込みのある人間を育成していたようだ。
第二の育ての親であり実の祖父より世話を焼かれた恩人なので、キョウコウに訊いてみたいことは山ほどあるがこの場はグッと堪えておく。
――話の腰を折りたくないからだ。
斗来坊について語り合うのは後日、次の酒席の楽しみに取っておこう。
「……ドラクルンとは地球でちょっと縁があってな」
ツバサは言い訳するように切り出した。
「真なる世界に来て同じ名前を耳にしたもんだから、最初こそは面食らったが……どうにも同一人物確定らしい。てっきり地球に渡った灰色の御子の一人かと思い込んでいたんだが……先入観って怖いな」
クロウの弁ではないが、勝手な思い込みが先行していた。
地球と真なる世界を往来した人物=灰色の御子。
そんな図式を無意識に頭の中へ構築していたらしい。そこへドラクルンの情報が流れてきたため、よく考えずに当て嵌めてしまったのだ。
慎重派を旨とするツバサらしからぬ凡ミスだった。
「其方ほどの男でも短慮になることがあるのだな……安心したぞ」
これで若造に説教できる、とキョウコウはほくそ笑む。
言質を取られた気分だが仕方ない。凡ミスだろうとミスはミスだ。ツバサは面目なさそうに浮かない顔になるも重要な情報は聞き逃せない。
「じゃあ……未来神ドラクルンとは何者なんだ?」
ツバサが問い詰めると、キョウコウは杯を置いて厳かに語り出した。
その面持ちは凶悪事件を振り返る様に似ている。
「ドラクルン・T・ギガトリアームズ……彼奴は昔、この中央大陸の北西部にて栄えに栄えた錬金術師のための都……メガトリアームズ公国で公爵だった男……早い話、一国を収めた神王よ……あくまでも公爵であったがな」
神王なので生粋の神族――血統書付きの血筋だという。
「本当に王様だったのかよ、あの変態オヤジ……」
アシュラ・ストリートのパフォーマンスで「俺は王様だー!」と喚いていたが、嘘ではなかったようだ。公国を治める公爵というと、王国や皇国を治める王や皇帝には一歩譲るものの国家の統治者には変わらない。
「そして……彼奴自身、類い希なる才に恵まれた至高の錬金術師だった」
キョウコウは忌々しさを隠すことなく話を続ける。
ツバサやアシュラ・ストリート経験者ならば、あの自称王様な変態オヤジのくどい性格を知っているので辟易するのはわかる。
しかし、キョウコウの毛嫌いも並々ならぬ拒絶感だった。
「あの変態オヤジ、阿修羅街でも度が過ぎて目の敵にされていたが……もしかして真なる世界でも何かとんでもないことをやらかしてるのか?」
「……アシュラ・ストリートの八部衆だな。その件なら聞き及んでいるが……一人も死者が出ておらぬのだ。まだ笑い話で済ませられる範疇よ」
「その口振り――相当な犠牲者を出したのですね?」
少々口籠もるような言い方をしたキョウコウの気持ちを察して、クロウが凄惨な話を聞き入れる覚悟ができたと水を向ける。
キョウコウは嘆息を漏らすと、意を決したように明かす。
「彼奴は……自らの国を自らの手で滅ぼしたのだ」
中央大陸にあったメガトリアームズ公国。
たった一夜ですべての国民が鏖殺されてしまった。キョウコウの知る限り、ダオンやエメスの調べた限りでも、生存者はただの一人として存在しない。
完全なる殲滅を行い、完膚無きまでの抹殺を敢行した。
死体のほとんどが二目と見られぬ姿で国中に散乱していたという。
――地獄にも勝る光景。
すべてが終わりを告げた現場に遭遇した発見者の多くが、常軌を逸した国の姿を目の当たりにして精神に異常を来したという。
国民を一人残らず手に掛けたのは他でもない――ドラクルン。
「どのような手管を用いたかは……今日まで明らかにされていない。ただ、彼奴が全国民を惨たらしく虐げたのは紛れもない事実……そうした痕跡は其処彼処に残っており、微かに息のあった犠牲者も死ぬ間際にこう漏らしたそうだ……」
『大公様が……ドラクルン公爵が御乱心を……』
またドラクルンは公に認めたという。
『あの国なら私が滅ぼしました。残しておく意味がありませんから』
ろくな感情を表に出さず、事もなげに言ったそうだ。
自身の手で国を滅ぼしたことは認めたが、その理由について明言していない。あまりにも不可解な行動には謎も多く、現在でも考察対象になっているという。
ただ、事件後にドラクルンと出会う機会のあった者は証言する。
彼は非常に満足そうだった――と。
やがてドラクルンは行方を眩ませる。
高弟と認める血を分けた四人の公子を引き連れて――。
「これが……未来神よ」
ツバサやクロウは言葉もない。
飲み食いするのも忘れて絶句するばかりだった。
イカれてイカしてイッてる変態オヤジだと知っていたが、想像の遙か上を平然と行く外道である。王様であることが事実なのはさておいて、自らの国を自らの手で滅ぼすとか、どういう神経をしていれば実行できるのだろうか?
未だに真相が明らかではないところにも不気味さを感じる。
「……小市民から神王になりつつある私たちには計り知れませんね」
「理解したくもないですよ、あんなエキセントリック親父」
頭蓋骨を青ざめさせながらも行動原理を考察しようとするクロウに、ツバサはドラクルンに対する悪態で切り捨てた。
一方、ミロはマイペースに料理を食べ進めている。
まったく動じないアホの子は、神珠ホタテのバター焼きを片手に持ったままキョウコウに「ねえねえ」と幼児よろしく尋ねていた。
「じゃあドラクルンって人は国を滅ぼした後、四人の息子を連れて地球に行ってたの? そんでアタシらと同じタイミングで異世界転移してきた感じ?」
「恐らくは……な。詳しくはわからぬ……」
キョウコウは情報が足らないことが無念そうだった。
「地球に渡るとなれば、次元を超えるための装置として世界樹を始めとした何らかの手段が必要だが……彼奴はそれを独自に賄うことができたらしい。他にも怪しい点がいくつかあるので、儂も注意を払っていたのだが……」
大きくため息をついたキョウコウは、ツバサやクロウに目配せする。
――其方たちにならこれを打ち明けても問題あるまい。
視線でそう訴えると肝心の話を進めてくれた。
「儂の部下にキョウコウ五人衆がいるだろう……今は三人しかおらぬが」
「残り二人についても知ってるけどな」
聖騎士王──ヴァルハイム・ギラディーン。
驚異博士──ナアク・ミラビリス。
本来ならば拳闘士ブライ、輝公子イケヤ、従率姫マリラの同僚であり、エンテイ帝国の重臣に数えられるはずだった幹部候補だ。
しかし、彼らは還らずの都争奪戦にすら参加していない。
それもそのはず――戦争前には再起不能となっているからだ。
ヴァルハイムは戦女神ミサキとその仲間たちといざこざを起こしており、現地種族を不当に迫害していたため、ミサキたちの手で倒されていた。
現在、石像に封じられて反省中とのことだ。
ナアクを倒したのは、ツバサとミロと獣王神アハウの三人掛かり。
ククルカン森王国の前身。アハウやマヤムの仲間たちは十人近くおり、当時としては最多数のパーティーを組んでいた。しかし助けを求める振りをして仲間入りをしたナアクが、その過半数を非人道的な実験で殺害してしまった。
当然、激怒したアハウはナアクへ復讐を誓う。
しかしナノマシンの集合体になる過大能力を持つナアクを殺すことは難しく、ツバサとミロが協力することでようやく倒すことができた。
こちらは完膚無きまでに仕留めた。抹消するかの如く抹殺した。
生かしておけばどれほどの災厄を振り撒くか……そうした懸念からだ。
後にキョウコウ五人衆と知って驚いたほどである。
その雇い主である猛将はうんざりした吐息を吐き出した。
「ナアクはな……ドラクルンの公子にして高弟……その長子よ」
はあっ!? と本日二度目の驚愕に叫んでしまう。
キョウコウは五人衆にナアクを加えた意図を説明する。
「ドラクルンを警戒するのは其方たちだけではない……儂も同じだ。ゆえに彼奴の気質を最も受け継いだと噂される、あのナアクを部下として引き込み……手元に置くことでマークしつつ、対抗策を模索せんと試みたのだが……」
聞けば聞くほど顔色が悪くなる母娘二人。
「あ、えーと、すまん……ナアクの野郎ならもう……」
「アタシとツバサさんとクロウのおっちゃんが……ごめんなさい!」
ツバサとミロが揃って謝るもキョウコウは「良い」と手で制した。
もう片方の手は悔いる表情を隠している。
「彼奴がアハウ殿の治める地で行った悪事の数々……ダオンを通じて儂の耳にも届いている……手元に置くも放任が過ぎたゆえのしくじりよ。父親に勝るとも劣らぬ蛮行へ嬉々として手を染めた狼藉者をよく止めてくれた……」
この件でも礼を言いたかったのだ……とキョウコウは自らの不始末を詫びるように項垂れてしまった。
「……ナアクが好例よ……あの一族は何をやらかすかわからぬ」
正体が窺えず、目的も読めず、得体が知れない。
如何なるものを求めて行き着く先が何処なのかもわからない。
ただし、生命ある者を消費して“何事か”を成そうとしている。
「捨て置けば確実に犠牲者が出る……それも十や二十では足らぬ……軽く見積もって万……ひょっとすると億、兆、京、垓……」
「まるで知恵をつけた災害だな。野放しにできないが手に負えない」
「特級呪物1000個くらい煮詰めた感じだね」
呆れるのを通り越して怖気が走る。ミロのよくわからない例えも、ついつい同意の頷きをしてしまう。そういう曰く付きの呪われた品物みたいだ。
そういうわけだ……とキョウコウは話を結ぶ。
「ドラクルンについての詳細はもう少し知っているが……いずれダオンにでも報告書にまとめさせて渡してやろう……儂から言えることはただひとつ」
――始末すると決めたら最大火力で即殺せよ。
「それまではちょっかいを出すな……周囲への被害が広がるばかりだ」
――殺る時は手を貸すから呼べ。
キョウコウの眼は口よりも雄弁に語っていた。
「ちょっかいも何も……できればお近づきになりたくねえよ」
「フッ、賢明だな……経験が生きるというやつだ」
アシュラ時代に反吐が出るほど煮え湯を飲まされた経験のあるツバサは、これ見よがしに舌を出した。キョウコウに鼻で笑われてしまう。
円卓へ置かれた杯へキョウコウが手を伸ばすとネルネが酌をした。注がれた酒をスルスルと飲み干し、話を終えた一服としていた。
三呼吸ほど間を置いてから、キョウコウは言い聞かせてくる。
「聞けばドラクルンは南西諸島で手を拱いているとか……現地の者には申し訳ないが……しばらく距離を置いて様子を見るしかあるまい」
先にやるべきことがあるのだろう? と話を切り替えてくる。
これからを示唆する一言にツバサは緊張する。
超爆乳を円卓へ乗り上げさせるくらい身を乗り出していた。
「……南方大陸について知ってることがあるのか?」
溺れる者は藁をも掴むではないが、現状さっぱりと言っていいほど南方大陸に関する情報はない。長生きしているノラシンハ翁やヌン陛下からいくらか提供されているが、それも曖昧模糊としたもので確定的ではなかった。
「風聞で良ければな……出所の怪しい噂話よ」
キョウコウが前置きした後、ネルネの注意を促してくる。
「酔っ払いに聞いたっていうから真に受けちゃダメだよぉ?」
それでも構わないと念を押せば、キョウコウは何杯目になるかわからない杯を傾けながら昔話を語るように教えてくれた。
――蕃神による侵略戦争が壮絶さを極めた頃。
南の方角より不逞の輩がやってきた。
どうやら遙々南海を超えて、神魔未踏の南方大陸から来訪したらしい。
それは神族ではなく魔族でもなく、況してや亜神族や準魔族にも見えず、数多いる現地種族にも該当せず、かといって蕃神とその眷族でもない。
まったくの正体不明、氏素姓が判然としない謎の種族。
ただ、不逞の輩の強さは異常だった。
その強さを誇示するかの如く、手当たり次第に襲いかかってきた。
神族や魔族の実力者が束になっても敵わず、現地種族を兵団で繰り出しても一蹴され、蕃神のために用意した軍勢が壊滅寸前に追い込まれてしまった。
そんな不逞の輩を食い止めたのは――ある酔漢だった。
強かに酔いどれていたが、その男が他の追随を許さない腕の持ち主であることは確かだった。そして、一昼夜かかったものの酔漢は不逞の輩を仕留めた。
酔漢も手加減することができず、情報を聞き出す前に息の根を止めたそうだ。
不逞の輩は今際の際にこう叫んだという。
『神に非ず魔に非ず――我らは“あらがみ”なり!』
「その酔漢とは他でもない……ツバサのお師匠様よ……」
「うん、酔っ払いの時点で薄々わかってたわ」
謎の第三勢力よりも、インチキ仙人の所業にツッコんでしまった。
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