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第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第484話:金銭黙示録ゼニヤ
しおりを挟む――通貨は段階的な進化を歩んできた。
世界中を具に調べ上げればお国柄や時代によって差異があったり、数段階増えるかも知れないが、概ね7段階に分類できるはずだ。
第0段階――自給自足。
食う寝るところに住むところ、なんて韻を踏むこともあるが人間が生活を営むのに必要な衣食住すべて自分で手に入れなければならない。しかし、一人でできることなど高が知れているので仲間と協力してきた。
最初は家族などの血縁に基づいた最小のコミュニティから。
やがて家族と家族が結びつき、村とも呼べぬほどの小さな集落サイズのコミュニティを作り、安全な地帯へ住み着くようになっていく。
第1段階――物々交換。
安住の地ができれば住居が定まり、そこに集めた食料や物を作るための資材を貯められる。この所有物こそが財産の始まりだ。
持っている品物が増えてくれば、不要な品や余り物も出てくる。
それを欲しがるコミュニティの仲間がいれば譲ることもあるし、無償で上げるのも惜しいから代わりのものを要求することもある。
これが物々交換の始まりだ。
あるいは前述した通り、「おれを信用して物品を譲ってくれ。この負債は必ず何らかの形で支払う」と簡単な契約を交わしていた。
信用と負債、通貨の本質となる取引の起源がここにある。
第2段階――原始的貨幣の誕生。
美しい貝殻を集めて貝貨としたり、米や小麦といった共同体で主食となる穀物を用いたり、牛や羊といった有用な家畜を財産として通貨の代用にしたり……。
信用と負債の取引を簡潔に済ませる手段を講じたわけだ。
これが更なる進化を遂げていくことになる。
第3段階――金貨・銀貨の登場。
金・銀・銅・鉄、といった鉱物資源の発見と加工技術の進歩により、誰もが美しいと認める貴金属を硬貨にして、通貨にする先進的な集落が現れ始めた。
これらの集落はいずれ“国”と呼ばれる。
鉄貨や銅貨もあったが、通貨の材料として好まれたのは金貨と銀貨。
このふたつの希少金属の価値は誰もが認めるところだ。
もし言葉の通じない異文化が出会ったとしても、双方に金銀へ価値を見出す下地があれば、金貨や銀貨さえあれば円滑に交易することも可能。
これが商業取引をとてもスムーズにした。
たとえ初対面でも金銀さえあれば交渉の場が成立するからだ。
経済が回ればそこに利潤が生まれ、国や民を豊かにする富が生まれる。
金貨や銀貨を通貨とした国々はこのおかげで急成長していき、その恩恵に引っ張られるように周辺諸国も潤っていった。
しかし、偽造や混ぜ物による悪貨という負の側面もなくはない。
そういうマイナス面がある事実を認めながらも、金貨や銀貨のもたらす経済効果には多大な旨味があった。だから、多くの国々がこれに追随した。
そして――硬貨を公式通貨として信用させる。
こうすることで悪貨を駆逐する方向へ舵を切った国もある。
特に銀は採掘されにくい金よりも産出量が多かったため、古代のギリシャやローマでは国の公式通貨として銀貨を採用していた。
かつてギリシャの都市アテナイで鋳造されたドラクマ銀貨。
この銀貨には特徴的な刻印が施されている。それは「この銀貨は重さ1ドラクマ(4.3グラム)あり、その品質はアテナイが保証します」という証。
ドラクマ銀貨は安心して使える通貨として大流行した。
信頼される銀貨を発行した国は、繁栄への道を踏み出していく。
だがしかし、国の繁栄と通貨の需要は比例する。
自国のみならず周辺諸国までもが銀貨を求めようになると、その材料となるべき銀の採掘が間に合わなくなる。つまり、供給が追いつかなくなるのだ。
銀貨の製造が間に合わなくなれば、国を支える経済は衰える。
特に古代の国々は貨幣の発行を占有しており、それを国の財源としていたところがあるので影響が大きかったのだろう。
こうしてギリシャは貨幣不足により衰退していった。
1000年続いたローマ帝国は近隣諸国を制圧。支配下に置くことで各国から税を吸い上げて国力を増大させていった。
税の中には大量の金銀があり、これで貨幣制度を整えることに成功。
しかし、年月が進むにつれてローマ帝国は腐敗していき、不正な行為が留まるところを知らずに横行。国家運営がままならぬほど税が集まらなくなる。
足りない税を補填するため、とにかく通貨の乱発した。
銀貨に混ぜ物をして純度を下げることで大量の通貨を鋳造。再現なく肥大化していく需要を純度2.5%まで低下した銀貨で補おうとしたのだが、当然のようにインフレーションを発生させる。
(※一説には銀貨百枚で買えたはずのものが、銀貨百万枚にまで値上げしたというから約一万倍ものインフレ具合である)
ローマもアテナイの後を追うように衰退の道を歩んでいく。
それでも、金貨や銀貨は長らく通貨として世界的に使われてきた。
第4段階――紙幣の発明
第5段階――銀行の誕生。
これらは順番に起きたことだが、同時期といっても過言ではない。
金銀が貨幣としての地位を確立した時代。
稀少金属を素材に通貨を作れるのは、王を始めとした各国の支配階級のみ許されていた権利だった。彼らは金細工師に認可を与えて通貨を鋳造させていた。
金銀に携わる金細工師もまた特権階級。
彼らもまた莫大な金銀を財産として蓄えていた。
ある一人のゴールドスミスが貯まりに貯まった財産を守るため、どんな盗っ人や強盗も寄せ付けない堅牢な倉庫を建てた。
この話を聞いた他の金持ちはゴールドスミスに相談してきた。
『私の財産も君の倉庫に預けさせてくれないか?』
預かり賃をいただく約束で、ゴールドスミスは預かることを請け負う。この噂を聞きつけた金持ちたちが次から次へと財産の保護を求めてきた。
――これが貸金庫の始まりである。
ゴールドスミスは金持ちから預かり賃をもらう際、どれだけの金銀を預かったかを書面にして彼らに渡した。謂わば“預かり証”である。
預けた財産を引き出したければ、この預かり証を提示すればいい。
この預かり証が奇妙な現象を引き起こす。
預かり証があればそこに記された量の金銀をゴールドスミスの倉庫から引き出せるわけだから、この預かり証は金銀と“=”の価値がある。
そう考えた金持ちたちは重たい金銀をわざわざ倉庫から引き出さず、取引をしたい時には相手に預かり証を渡すことで売買を成立させていたのだ。
そこでゴールドスミスは一計を案じる。
預かり証をもっと小回りが利くように、取引で扱いやすいように書面や額面を改めて配布し、商取引での利便性を高めてみた。
これが大成功を収め、人々は預かり証で商売をするようになる。
金貨と銀貨がジャラジャラと行き来していた商いの市場は、いつしか預かり証という紙切れが飛び交う場所になっていた。
この倉庫の預かり証こそが紙幣の原型である。
紙幣が通貨としての本格的に使われるようになった頃、ゴールドスミスは金銀がみっしり詰まった倉庫を覗いて、ある妙案を思いついてしまう。
『誰もが預かり証で商売をするようになったから、金銀を引き出しに来るような者は一人もいない……金銀がこの倉庫から出ることはほとんどない』
これを貸し付けて利子を取れば儲かるのではないか?
金銀の所有者ではない、お金に困っている第三者に貸し出すのだ。
その際には預かり証のような書類を発行し、貸す金額に見合った利子を取り立てる旨も記入しておく。上手く行けな労せず儲かる計算である。
これこそが銀行の原型だった。
『何もせずとも肘掛け椅子に座っているだけでお金が儲かる』
もはや揶揄なのか驕りなのか定かではないが、イタリア語の肘掛け椅子を意味するBancoが、今日の銀行を意味するbankになったという。
ゴールドスミスは世界初の銀行となる。
すると預かり証だらけの市場に不思議なことが起きた。
倉庫の中にある金銀との交換券でもあるはずの預かり証の他に、貸付金を取り立てた後に生じた利子の預かり証が混ざり始めたのだ。
これは金銀を引き出せる保証としての預かり証ではないが、そこに記された額面通りに金銀を引き出すことができる権利はあった。預かり証という紙幣が効力を持つ経済圏では通貨として使うことが許されたのだ。
本来、倉庫にある金銀と預かり証は同額。
必ず釣り合う計算なのに、利子から新たなお金が生まれてきた。
これはゴールドスミスが作り出した紙幣という、彼の影響下にある市場でのみ通じる共通概念だが、傍から見れば実体を持たない幻想である。
この共同幻想が――市場の回転率を恐ろしいほど加速させていく。
誰かに貸せば利息というお金が生まれる。
誰かが借りれば利子というお金が生まれる。
貸すことは信用の証であり、借りることは負債の証だ。
貸し借りによって銀行の預金残高に利子や利息の分だけ実体のないお金が増えていくことを“信用創造”といい、今日の銀行にも同じ原理が働いている。
では、銀行は更なる発展を遂げていくのか?
少なくとも、ゴールドスミスの銀行はある失敗により破綻した。
何もせずとも濡れ手に粟でお金が増えていく。この快感に酔い痴れたゴールドスミスは、とんでもない計画を思い付いてしまうのだった。
『市場は預かり証という紙幣で回っており、誰も倉庫の金銀を取りに来ない。そして、倉庫にある金銀の総量はゴールドスミスしか知らない……ならば、大量の紙幣を刷っても誰もわからないのではないか?』
そして、紙幣を刷れば刷るほど自分は大金持ちになれる。
……とか短絡的に考えてしまったらしい。
調子に乗ったゴールドスミスは大量の紙幣を発行してしまう。
そんなことをすればインフレを起こすこととなり、市場は紙幣の価値を疑るようになる。延いては紙幣の発行者であるゴールドスミスも疑われる。
――銀行にはこの紙幣に見合うだけの金銀があるのか?
猜疑心の虜になった市場の人々は、預かり証の紙幣を持ってゴールドスミスの銀行に殺到。あっという間に金銀は底を突くが紙幣は余りまくり。
俗にいう“取り付け騒ぎ”を引き起こし、ゴールドスミスは破産した。
紙幣、銀行、信用創造……。
ゴールドスミスは失敗したが、これらの発明は商業取引において有用性が認められたため、後の世では様々な国々で採用されることとなる。
第6段階――本位制。
各国政府のお膝元で中央銀行が始めた制度だ。
主に金本位制と銀本位制がある。
仕組みはゴールドスミスの銀行とあまり大差ない。
銀行には金や銀といった貴金属が大量に保有されており、その総量に裏付けられた分だけの兌換紙幣が発行される。この紙幣は謂わば引換券であり、額面に記された金銀を銀行から引き出すことができる。
兌換紙幣が通貨となり、市場という生き物の血液になるわけだ。
しかし、金や銀の産出量は限られている。
本位制の場合、金や銀の確保へ躍起となるため経済が成長しにくい。
それらの金属が国の財力となるため、輸出入で金銀が出たり入ったりすれば簡単にブレる。輸入に偏りでもすれば国から財力が流れ出す一方だ。
国際化が進む商取引でこれは痛い。
この頃になると産業革命により文明の進化も著しい。
金銀の保有量に左右される本位制では、商業の活性化は望めない。それどころか目覚ましい勢いで成長していく市場に追いつけなかった。
そして勃発する――世界大戦。
各国は戦費を調達するため一時的な措置として、銀行に保有する金銀以上の紙幣を発行するように指示。案の定インフレを引き起こしてしまう。
『パンを買うのにリヤカーへ札束を積んでいく』
こんな風刺を描かれるハイパーインフレも巻き起こした。
事此処にいたり「本位制はアカン」という風潮が世界規模で広がっていき、米国によるブレトン・ウッズ体制からのニクソン・ショックによって、金銀を資本とする本位制が幕を閉じたと言っていいだろう。
(※ブレトン・ウッズ体制=第二次世界大戦後に国際規模で敷かれた本位制。戦勝国であるアメリカのドルを基軸通貨として取引し、大量の金を保有していたアメリカのみが金1オンスを35ドルで交換に応じるという、金とドルを交えた本位制。しかし、アメリカがベトナム戦争の開戦により戦費確保のため大量のドルを世界中にばら撒いた結果、金は増えないのにドルが過剰供給される事態となる。これに各国は「アメリカはそのうちドルと金を交換してくれなくなるのでは?」と不安になってしまい、取り付け騒ぎのようにドルと金を交換。見る見るうちにアメリカの金が目減りしていったため、第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソンが「もうドルと金を交換しない」と宣言。これがニクソン・ショックである)
――人々の欲求を支配してきた金と銀。
そこからの脱却を試みたもの、結局はその魔力から逃れられない。
そんな顛末を迎えたブレトン・ウッズ体制の終焉により、人類は金銀に頼らない新たな通貨制度を樹立するべき時代を迎えたわけだ。
第7段階――管理通貨制度。
金や銀といった稀少金属を担保としてきた通貨制度。
地球規模のグローバル社会に突入した現代社会では、輸入や輸出の拡大とともに商取引の金額は跳ね上がり、売買に必要とされる通貨は天井知らずに上がっていく一方だった。取引も複雑化していき、経済は混迷の一途を辿っている。
もはや数に限りがある金銀では間に合わない。
そこで各国が自らの国力に見合うだけの貨幣を発行し、適宜管理することで物価の安定や経済成長、そして国際収支の調整を執り行うことになった。
これらの貨幣を作る材料は、硬貨なら銅などの安定して大量に入手できる金属。あるいは破れにくく丈夫な繊維で作られた紙でできた紙幣である。
どちらもそれほど高価ではなく、比較的安価に手に入るもの。
かつての金貨や銀貨のように貨幣そのものに価値はない。信用と負債を兼ね備えた、物価を推し量るための指標に過ぎないのだ。
ゴールドスミスが作った――利子と利息の預かり証。
あれによく似ている。
価値を備えた実体がない、共同幻想が通じる圏内のみで有効な貨幣だ。
この価値を持たない貨幣を、各国の機関が最適量を見極めるように発行。そして物価がブレないように管理と調節を行う。
これが管理通貨制度である。
日本を始めとして、現代社会のほとんどの国が管理通貨制度を採用しており、国が豊かで発展しているほど、その貨幣も信用が高くなるようになった。
仮想通貨、暗号資産、電子マネー、ポイント……。
新たな貨幣となる電子通貨も数え切れないほど増えてきたが、国家というものがある以上、この管理通貨制度は最後の最期まで維持されてきた。
小惑星の激突により地球が滅ぶまでは――。
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「大した学はないでっけど、ワイなりに好きな金について学んできたことや、レオナルドはんからの蘊蓄を交えましたが……」
通貨が歩んできた歴史――7段階あった進化の過程。
「これがその歩みになります」
お金の歴史について語り終えたゼニヤは一息ついた。
異相の宿泊施設に設けられた大座敷。
そこでの宴席に招かれたツバサたちは、主催者であるゼニヤからのもてなしを受けると、プレゼンの予習に付き合ってほしいと頼まれた。
五神同盟で採用する新たな通貨制度。
その原案を考えてほしいとツバサたち同盟の代表者が選任したのは、誰よりも金銭に愛着を持つ守銭奴ゼニヤ・ドルマルクエンだった。
推薦者は軍師レオナルド・ワイズマン。
『通貨や貨幣に限れば、彼に勝る適任者は今の同盟内にはおりません』
レオナルドがそのように豪語したばかりではなく、内在異性具現化者の補佐官を務めるGMたちからも賛成意見が多数上がってきたのだ。
クロコ「律儀な男ですからね。レオ様の推薦に間違いありません」
マヤム「守銭奴と呼ばれてますけど、実際お金関係では紳士的ですよ」
アキ「そうそう、パシリさせたお礼の小銭もしっかり返してくんの」
カンナ「鐚一文まで無駄にしない男だからな。私も推そう」
マルミ「金勘定やらせるゼニヤ君一択よ。着服や横領の心配もないわ」
これが決め手だった。
なかなかどうして、世界的協定機関では蝙蝠と陰口を叩かれるほど八方美人で通していたというゼニヤだが、お金のやり取りだけは神経質なほどキッチリしていたことにそれなりの定評があったようだ。
彼ら彼女らが推すというのなら間違いはあるまい。
組長と若頭を勘当した穂村組の改編に先立ち、ゼニヤを執務室付の財務金融担当に任命したい旨をツバサはバンダユウに相談していた。
新組長は快諾するもひとつだけ注文を付けてきた。
『ついでにマリも召し上げてくれ。秘書とか副大臣って名目でな』
別に穂村組の勢力拡大を狙っているわけではない。
戦闘一辺倒の脳筋集団というイメージを払拭するため、頭の回る構成員を同盟各所で活躍させたい。バンダユウはそんな思惑を明かしてくれた。
そういう理由ならばとツバサも快諾した。
だからゼニヤとマリは夫婦でタッグを組み、次の五神同盟会議で発表する新通貨についての原案を、こうしてツバサたちにプレゼンしているのだ。
ただし、あくまでもプレゼン(予習)である。
……いや、もうこれ本番みたいなもんなんじゃないかな?
ハトホル太母国国王、穂村組組長、水聖国家オクトアード国王。
会議に出席する八人の代表が三人も揃っており、その三人の発言権は割と大きいのだ。予習で通ったら本番でも通る可能性は高いだろう。
それゆえにゼニヤの情熱を燃やすような真剣さも伝わってくる。
座敷の床の間寄りに据え置かれた大きな座卓。
上座にはツバサとミロがおり、もう宴の食事を摘まむのも飽きたミロは甘えるようにツバサの膝へ乗ってきた。宴の席だからいいかとツバサも寛いであぐらを掻いてやると、そこへ小さなお尻をはめ込むように座り込んでくる。
上座から見て右手には――乙将オリベと組長バンダユウ。
上座から見て左手には――ヌン陛下と聖賢師ノラシンハ。
まだ卓上にたっぷりある極上の料理を肴にして、ゼニヤの用意した呑んだことのない美味なる神酒で満たした杯をグイグイ煽っていた。
メイド人形の女中たちがせっせと運んでくる勢いで徳利を空けている。
時折、バンダユウとヌンが目の端でミロを見つめているが、あれは超爆乳を枕みたいにポヨポヨさせているミロへの羨望の眼差しであり、ボヨンボヨン弾む地母神の乳房に見蕩れているだけだろう。
どちらも年季の入ったおっぱい星人だから仕方ない。
こんな案配だけど、みんなゼニヤのプレゼンにはちゃんと耳を傾けていた。
その内容はもはや大学の講義レベルである。
今日の講義はお金の歴史について――ただし少々アバウト。
人類の歴史を駆け足で追いかけながら、その間に通貨や貨幣といったものがどのような進化を遂げてきたかを大まかに解説してもらったところだ。
大きな襖いっぱいに広がったスクリーン。
そこに映し出されるのは、7つの段階的な通貨の進化。
スクリーンの右端に立つゼニヤは、MCらしく小肥りな体型をスーツに押し込め、少年誌の主人公みたいにボサボサ気味の頭もオールバック風に整えて、このプレゼンへと挑んでいた。手には教鞭みたいな指示棒も忘れない。
その傍らに控えるのは穂村組の長女マリ。
『わたしは男を外見で選ばない。好きなタイプは仕事のデキる人』
そう公言した彼女はゼニヤとあっさり結ばれた。
破壊神の手勢に襲われて穂村組が壊滅寸前まで追い込まれた際、決死の機転を利かせたゼニヤが組員たちの命を救ったことへの恩義として、バンダユウは「マリを嫁にくれてやる」と冗談で仄めかした。
これをマリは了承、理由は前述した男性の好みである。
ゼニヤは仕事がデキる。金勘定限定だが、その分野においての有能さは他に追随を許さない。穂村組で金庫番として働く彼をマリは間近に見てきた。
なので即答したらしい。
内助の功なのか、このプレゼンでもゼニヤの補佐を務めている。
普段なら露出度が高くボディラインが際立つ、フリルだらけのマーメイドドレスを愛用しているが、今日は社長秘書みたいなレディーススーツだ。
フリル多めなワイシャツや、ドリルヘアなのは個性なのでいつも通り。
人類史において変遷を繰り返してきた通貨。
その歴史について熱弁を振るうゼニヤの傍らで、スクリーンに映し出される情報を最適なものへスライドさせたり、用意しておいたであろう注釈を書き加えたり、講義の流れを滞らせないようサポートに徹していた。
彼女は伴侶に尽くすタイプだったらしい。
甲斐甲斐しく亭主を手伝う姿は、なんとなくハトホル家の次女と重なる。
ペシン、とゼニヤは指示棒を軽く掌に打ち付けた。
そして少々言い訳めいた言葉で締める。
「経済学者や大学教授みたいな専門家に聞かれたら、穴ありまくりかも知れまへんけど……まあ、致命的な間違いはないんではと思っとります。これが地球、つまり人類がこれまで歩いてきたお金の歴史なんですわ」
それからゼニヤは一礼する。
「長々とした講釈への静聴――感謝いたします」
座敷から軽い拍手が挙がった。
四人の老翁は酔漢のような赤ら顔になるも、感心した表情を浮かべて拍手を送っているのだ。釣られてツバサやミロもパチパチと手を叩く。
ヌンやノラシンハは真なる世界出身。
オリベは江戸時代初期までの日本しか知らない。
彼らの出自を考慮して、簡略的ながら解説してくれたようだ。
バンダユウはギリギリ平成生まれの現代人だが、お金についてここまで掘り下げて勉強したことはないだろう。ツバサやミロも他人のことは言えない。
通貨や貨幣――現代社会に欠かせない構成要素。
税金や公金、それに役所の手続きなどもそうだが、身近にあって重要な事柄だというのに、こういう大事なことを学校では教えてくれなかった。
日本の義務教育はそこら辺いいかげんだった気がする。
「うん――参考になりましたよ」
現実では二十歳の大学生だったツバサが聞いていても新鮮な内容がたくさんあったので、知識欲を満たされた気分である。素直に褒めさてもらった。
ありがとうございます、とゼニヤも会釈で返してくる。
「ミロちゃん退屈やあらへんかったか? ワイの話わかってくれました?」
「うん大丈夫、なんとなく大体わかったよ!」
子供の顔色を窺うようなゼニヤからの問い掛けに、ミロは親指を立ててサムズアップで返事をした。この反応からして本当に理解したらしい。
ミロはアホの子だが嘘はつかない。
理解不能であれば「わがんない!」とはっきり訴えるはずだ。
そんなアホの子のミロが「なんとなく大体」と前置きしたけれど、「わかった」と答えたのだから、概ね理解はしてくれたらしい。
多分、七割から八割くらいだろうが……。
そう考えると100%ではないとはいえ、ミロに学ばせたのだからゼニヤの説明はわかりやすかったと言えるのだろう。難解な部分をできるだけ噛み砕いて話してくれた努力を窺い知れた。
アホの子に勉強させただけで称賛に値するかも知れない。
今度ミロの家庭教師を頼んでみようか? とか考えてしまう。
「……さて、これはあくまでも人類が歩んできた通貨の歴史になります」
ゼニヤは指示棒を振るうと襖のスクリーンを指し示す。
「これから語らせていただくんは、このさき真なる世界で扱おうとしとる通貨の話になります。まず、先に述べさせていただいた通り……」
タン! とゼニヤの指示棒が突き立てられる。
そこはスクリーンに映し出された、7段階に分類されたお金の歴史。指示棒の先端にあるのは第2段階、原始貨幣の誕生という箇所だった。
「五神同盟の通貨の歴史はここまで辿り着いとります」
「各国で配っている労働券……これを原始貨幣と見做すわけですね」
そうでおます、とゼニヤはツバサの言葉を肯定した。
弁論に熱が入るあまり、標準語から関西弁へと戻りかけている。
「今現在、五神同盟各国に暮らす住民の衣食住は、ほとんど国が面倒見ている形になっとります。現実世界でいえばベーシックインカムに近いもんですな」
ベーシックインカムとは社会保障制度のひとつ。
国がそこに暮らす全国民へ一定の金額を支給するというものだ。この金額は誰であれ一律同額。貧富、学歴、老若男女、そういった差別なく支給される。
この支給は定期的かつ継続的でなければならない。
(※断続的か突発的ならば、それはベーシックインカムと言わない。政府が国民のご機嫌取りにやるような給付……いわゆるバラマキ政策となる)
『この国に住む者は毎月いくらの金額を貰えます』
これが生まれた時から死ぬまで続くわけだ。
国民からすればありがたい社会制度なのだが、施行する側として金を払うことを考えたゼニヤは眉根を寄せて難色を示した。
「国民感情を考えると、導入までに二の足三の足を踏む制度でんな」
「そりゃそうやろ――地球ならそんなん愚策やん」
ゼニヤの意見に似たような関西弁のノラシンハが同調した。襷みたいな白髭を撫でつけた老翁は、神酒を満たしたお猪口を手にしたまま指を指す。
「国が金を払ういうたら、その財源は民百姓の税金や。そこから毎月民草全員に金を配るいうたら莫大な税収が求められる……そんだけでも嫌なのに、配られるん金額は一律なんやろ? 一生懸命稼いどる連中は結構な税金を毟り取られるもんやし、働かない奴らはタダでお小遣い貰うとるようなもんやん」
「そう、どうしても不平等が出るんですわ」
支給するお金を税金から払う以上、働かず税金も納めない人間にまでお金が行き渡るこの制度には、真面目な労働者にしてみれば納得しがたいものだ。
働くのバカみたい! と憤慨する者まで出てくるかも知れない。
「でもさ、五神同盟はできてるじゃん」
なんで? とミロはツバサに子供らしい疑問を投げ掛けてくる。
今更な話題だが改めて教えといてやろう。
「神族や魔族は大抵のことが自力で賄える。同盟で暮らす人々から税金なんて取り立てる必要はない。過大能力もそうだが神や悪魔の技能を使えば、自給自足どころか国民の生活に必要な資源も都合が付けられるからな」
「おぉぉ~……そうだったんだ」
知らなかったんかい、とツバサは呆れるようにぼやいた。
恐らくマリナたち幼年組でも知っている五神同盟の常識なのだが、このアホの子はそういった認識への解像度は低かったらしい。
ぼんやりわかっている――でも詳しくは「わがんない!」のだ。
まったく……とツバサが頬杖をつきながらミロの頬を引っ張ってお仕置きをしていると、ゼニヤが困った愛想笑いで話を引き継いでくれた。
「ハハハ……ま、そんなわけでして。皆さんが五神同盟に生きる全住民の衣食住を用意しても余りあるものを作り出せる能力があるおかげで、このようにベーシックインカム以上の生活保障が成り立ってるちゅうことでんな」
「あの労働券はお駄賃みたいなもんだしなぁ」
バンダユウはたこわさみたいな小鉢を肴にお猪口を舐めていた。
穂村組は用心棒として各国の警備に就くので、バンダユウも各地を訪問してはそこの住人と話すこともあるから色々と聞いているようだ。
「衣食住は保証されてる。でも、もっと腹いっぱい食いたい、お洒落な服を着たい娯楽や暇潰しの何かが欲しい……欲望は後から後から湧いてくる」
「そうした足らぬ欲求を満たす物ですからな」
あの労働券というものは――オリベも話に参加してきた。
妖人衆のまとめ役としてハトホル太母国の国民との接点が多いオリベは、ツバサたちよりも労働券を見掛ける機会が多いだろう。
酒と肴は飽きたのか、細い煙管で一服している。ちゃんと了解を得てから嗜んでいる辺り、目上の人間と関わってきた礼儀正しさが現れていた。
「生きている以上、人も獣の神も欲望を捨て去るのは難しいもの……されど、その欲こそが世界を動かす原動力ともなる」
煙を散らさぬ上品な喫み方をするオリベは言う。
「欲するものがあるならば自らが率先して動くしかない。欲するものを得るための対価を与えるのも為政者の務め……あの労働券はそういうものでしょうぞ」
「それこそが金券であり――始まりの通貨となり得たんですわ」
オリベの言葉を拾ったゼニヤは襖のスクリーンを二度叩く。
一度目は「第2段階:原始通貨の誕生」を、二度目は「第3段階:金貨・銀貨の登場」を解説している部分だった。
「五神同盟に生きる国民は、既にこの第2段階を経験しとりますさかい、順序よくステップを踏んで第3段階へ進んでもいい頃合いや思うとります」
「ゼニヤ君、ちょっと良いかのう」
待ったを掛けるように挙手したのはヌン陛下だった。
蛙の姿をしているのでやや水掻きが目立つものの、それ以外は人間の掌と変わらない五本指を上げたヌンは、問い掛けるように話した。
「その……管理通貨制度じゃったかな?」
「はい、地球でワイらが使うていた一番新しいお金でんな」
うむ、と頷いたヌンは融通の利いた意見を述べる。
「段階を踏むのもよいが、そこまで進めるのもアリではないかな?」
原始通貨から金貨銀貨へと歴史をなぞるのではなく、国際化した社会の経済を回してきた管理通貨制度を一足飛びで取り入れようというのだ。
ヌンは自身の理解度を前提に話す。
「まだ概要しか聞いとらんので勇み足かも知れんが、専門機関が物価を調整して国民生活の安定に務めるアイデアは悪くない。価値ある財を担保として、下手に通貨の価値を変動させるよりマシじゃと思う」
管理通貨制度で発行される紙幣や硬貨そのものに価値はない。
一枚作るのにいくら掛かる? なんて話は昔からよく聞くが、日本円にしろ米国ドルにしろ、それ自体には金銀ほどの値打ちがあるわけではない。
国家が作り出した付加価値という幻想。
それが管理通貨制度によって流通される通貨の特徴だった。
老いてなお柔軟な思考回路を有し、未知の先進的な技術であろうと利用価値があると判断できれば積極的に採用していく。
頭の固い老害にはなかなか切り出せない度胸である。
だが、ヌンが管理通貨制度を持ち出した理由は他にもあった。
「そのお心遣い……嬉しゅうございます」
ゼニヤは深々と頭を下げてヌンに感謝の意を表する。
ヌンは地球から転移してきた神族や魔族を気遣い、「ツバサ君たちが慣れ親しんだ貨幣制度を使ってもいいじゃよ?」と暗に勧めてくれていた。
その機微を察したゼニヤは礼を述べたのだ。
「せやけど、ここは敢えて価値ある硬貨から始めたく……まずは銀貨や金貨のような貨幣制度からやり直させていただきたい思うとります」
顔を上げたゼニヤはすぐさま弁明する。
指示棒を持ったままの手で、人差し指と中指を立てた。
「主な理由は二つあります。第一に通貨ちゅうもんを忘れてしもうたこの地の人々に『お金とは価値があるもんなんや』ってことを思い出してほしいんですわ」
――これはゼニヤの願いでもあります。
本心を隠すことなく明かした守銭奴は真面目な口調で続ける。
「こう言うてはなんですが……管理通貨制度で出回る貨幣ちゅうんはまやかしに過ぎまへん。それ自体はなんも価値がない、ただ紙切れや金属片です」
肩をすくめて掌を返すゼニヤ。
仕種こそ戯けているが、流暢に喋る声音は変わらない。
「本位制や信用創造でも出回る紙幣にはそれ自体に価値があらへん。せやけど金や銀の硬貨ならば、素材そのものに価値がある。これなら誰もが信用してくれはるし、銭そのものの価値も認められる……荒廃して経済基盤を失ったこの世界、そうした価値を持った通貨の方が人々に信じられやすいんやありまへんか?」
「……わからなくはない意見ですね」
ゼニヤの言い分にツバサは一定の理解を示した。
いきなり紙片や金属を渡して「明日からこれで売り買いをしてね!」と言われても、国民だって戸惑ってしまうだろう。懇切丁寧に説明してもだ。
五神同盟への信用があっても難しいのではないだろうか?
それより誰もが価値を知るもので貨幣を作る。
その上で通貨制度について事前に説明すれば、貨幣の素材となったものの価値が通貨に対する信頼感を後押しするはずだ。
「第二の理由として――管理通貨制度はまだ早いと思います」
ゼニヤは間を置かず次の理由を明かしていく。
「管理通貨制度ゆうんは世界がグローバル化して、商売も国際化や多角化が進んだため、それに伴い経済を回す資金が爆発的に必要となったからこそ設けられた制度ですわ。それまでは金貨や銀貨、あるいは本位制で回っとったわけですし」
大航海時代の幕開けによって世界中で交易が始まり、産業革命によって大量生産された商品による世界規模での貿易が始まった。
これらの文明的躍進が、凄まじい勢いで貨幣の需要を高めていく。
もはや金銀を担保とした取引では間に合わない。それぞれの国の信用度を基準とした価値を持たない通貨を用いなければ間に合わないくらいにだ。
莫大な金が流動する市場でこそ輝くのが管理通貨制度。
しかし経済活動が小さければ、無理をして導入することはない。
ゼニヤの言いたいことに乙将が反応する。
「う~む……この世界では迅速な経済の成長は望めませんからな」
オリベは煙管の煙草を詰め替えながら呟いた。
豊臣政権や初期の徳川政権も海外との貿易を推し進めていたので、新しい物好きのオリベは渡来品にも目を光らせていただろう。
だからこそ、商取引の難しさには一家言あるはずだ。
「ツバサ様の治める我が国を始め、五神同盟のいずれもが復興と発展の真っ最中。ようやく都と呼べるほどの街もできあがってきましたが、商売はあくまでその街でのみに絞られている……他国との貿易もままなりませぬ」
「みんなの国も大陸のあっちこっちにあるからねー」
国同士での行き来が簡単ではないことにはミロも残念そうだ。
五神同盟の国々は建国されたばかり。
蕃神に追い立てられて文明と文化を失い、原始時代も同然の生活を強いられていた多種族をツバサたちが保護し、再興させている真っ最中なのだ。
ようやく人並みの生活を取り戻してきたばかり。
前述した通り、最低限の衣食住は保証しているから金銭などの需要もないに等しく、労働券というご褒美めいたチケットがいいところだった。
そして、五神同盟の各国は往来ができない。
どの国も物理的な距離があまりにも離れすぎているのだ。
西のハトホル太母国、東のイシュタル女王国、南のククルカン森王国、大陸中央のタイザン府君国とルーグ・ルー輝神国。
今度、北のエンテイ帝国がこれに加わることになる。
しかしこの六カ国のある中央大陸は恐ろしいほど広大なのだ。
その面積は地球の地表面積いくつ分になるかもわからない。地球10個分以上、20個分未満というところだろうか?
それほどの超巨大大陸に五神同盟の国々は点在していた。
とてもではないが、徒歩で行ける距離ではない。
馬などの騎乗できる足の速いの動物の力を借りても無理だ。片道だけで数年以上の年月を費やしてしまう。下手をすれば10年を超えかねない。
もはや旅などではない。人生を懸けた民族大移動レベルの冒険だ。
神族や魔族ならば問題はない。
飛行系技能で亜音速(個人差で音速を超える者もいるが)で飛行すれば、一日から二日もあれば他の国へ到着する。あるいは飛行母艦などの高速で移動できる乗り物を使えば大陸の端から端でも片道なら半日程度で済むだろう。
極めつけは――空間転移装置。
各国に設けられた祠型の建物を使えば、瞬時に行きたい国へ転移できる。
一部では“旅のほこら”とか“ポータル”と呼ばれていた。
ただし、この装置は大勢を転送できない。
一度に数人がいいところで、連続使用もなるべく控えさせていた。空間の転移には大量のエネルギーが必要となるため、動力源でもある大型龍宝石へのリチャージにもかなりの時間を要するからだ。
空間転移装置の発案者であるツバサも頭を悩ませていた。
ツバサたちだけではなく、各国の住民も自由に国々へと渡れるようになればいいとは思うのだが、大陸の大きさや物理的な距離感が難点だった。
解決策に光明を差しつつあるのが――守護妖精族。
高速で空を航行する飛行戦艦や、軍団長ラザフォードが駆る全界特急という巨大列車の移動力ならば、各国を数日から数週間で移動できる。
彼らに人や物資の輸送を頼もうという案だ。
しかし、その道中には蕃神による襲撃という不安が忍び寄る。
スプリガンたちは世界樹跡地の見廻りや各地の偵察のため、哨戒任務として赴くが、それは軍人として決死の覚悟で挑んでいるからだ。
貿易や交易のための運輸――人々を旅行させる交通手段。
命懸けで任務に当たる彼らに、物のついでみたいにこれらを押し付けるのはあまりにも忍びない。いや、ツバサが頼めば引き受けてくれそうだが……。
どちらにせよ現状、国民が他国へ渡るのは難しい。
「今のところ国民を団体様で他国へ渡らせるような真似はできないし、交易のために各国の特産品を持って行ったり来たりさせるなんて問題外……」
「やっぱり同盟間の移動はまだまだ難儀のようですな」
ブツブツ呟くツバサを見かねて、ゼニヤが打ち切るような一言を漏らす。
当面、国民は五神同盟内での往来は不可能。
ゼニヤも徹底した事前調査から、この事実に行き着いたようだった。
「金銀では間に合わんほど市場経済が膨れ上がるきっかけは、まず国と海を跨ぐほどの貿易が始まることですわ。人も物も金も世界中を駆け巡るようにならへん限り、貨幣や通貨の需要はある程度んところで高止まります」
「それは今の五神同盟にゃあキツい話だぜ」
バンダユウも飲み食いに飽きたのか、愛用の極太煙管を取り出した。
すぐに喫もうとはせず、手持ち無沙汰にクルクルと指先で回している。ちょっとした扇風機くらいの風を起こして、座敷の空気を入れ換えていた。
「どの国も東西南北中央にあって、歩いて旅しようものなら健脚な種族でも何年かかるか見当もつかねぇ距離あんだぞ? 貿易なんて無理無理」
「転移装置もアタシら飛ばすのがやっとだしね」
無理無理、とバンダユウは片手をパタパタ振るう。ツバサの膝の上に乗ったミロも、この難題を解決させる直感は働かないのか同意を示していた。
「せやから当面は各国で市場を回さなあきまへん」
一国ならば管理通貨制度を採用するほどの通貨はいらない。
発行する貨幣の管理は財務金融大臣であるゼニヤの下、五神同盟に属する神族や魔族の手で行われる。紙幣にするにせよ硬貨にするにせよ、当面は中世の貨幣制度を参考にするくらいの流通量で済ませられるはずだ。
恐らく、一国だけならば兆を超える枚数の貨幣もいらない。
たとえば中世ヨーロッパの一国、その程度のスケール感で間に合いそうだ。
「……で、流通させたい通貨の試作品がこれだと」
ツバサは手元にあるプレートを持ち、そこに並ぶ貨幣を見つめる。
日本円を模した――硬貨六種と紙幣三種。
どちらも物質化するまで圧縮された“気”を素材にしていた。
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一円玉から五百円玉まで一列に並ぶ硬貨。
どれも照り返しが強くない、渋い金色の光沢を帯びていた。指先で挟んでみると確かな硬質感があるのに従来の硬貨と比べても軽い。
五百円玉でもアルミの一円玉みたいな軽量感である。
しかし、滅多なことでは傷も付かない。ツバサが強めに爪で引っ掻いても削れないことから、多種族はおろか亜神族でもこの硬貨を壊すことはできまい。
「この感触……オリハルコンに似てるな」
「ご名答です。質感、重量、硬度……オリハルコンを参考にしとります」
ツバサの漏らした感想をゼニヤが拾う。
森羅万象を構成する根源的要素である“気”を加工したならば、一手間でも二手間でも加えれば、様々な素材を再現することも適うだろう。
紙幣の方も手が込んでいる。
触った感触は高級紙、しかもツバサたちに馴染みのある千円札、五千円札、一万円札にそっくり。いや、触り心地ならば上回るかも知れない。
指先に品のいい高貴さを覚えるほどだ。
紙の薄さでありながらうっすら金属感がある。紙幣というより丈夫な銀箔というか、金箔でラミネート加工したような指触りだった。
やや紫がかった繊維で編まれた紙幣。
紫色で金属質というと、どう足掻いても高級感を漂わせるしかない紙片を手にしたツバサは、引っ張ったり千切ってみようとしてみた。
本気ではない。あくまでも耐久テストだ。
引き裂けないし破けない。とんでもなく丈夫にできている。
「こっちは……アダマントか」
「ご明察です。アダマント鋼の金属繊維を紙片に織り込んだ感じですわ」
真なる世界最強にして最硬の金属アダマント鋼。
素材が“気”であるとはいえ、それを模倣するように加工したのであれば、この紙切れはアダマントに負けず劣らずの耐久性を有しているだろう。
これもまた多種族や亜神族には損なえまい。
「金や銀、金属や草木ではない……“気”を素材とした通貨か」
正直な話――ツバサは困惑していた。
ゼニヤも「金は命より重い」という、どこかで聞いた名台詞を口にしていたが、その金を命と同等になる“気”で作るとは思いも寄らなかった。
これは良いのだろうか? それとも悪いのだろうか?
通貨の歴史は明るい側面ばかりではない。金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに、金がないために引き起こされた凄惨な事件は数知れず。その逆として金がありすぎるがために巻き起こった陰鬱な事件も数え切れない。
良くも悪くも、金銭とは人間の欲望を沸き立てるものだ。
目の前の金貨に目が眩んで悪事に手を染めた者は歴史上どれほどいただろうか。たった30枚の銀貨で恩師を売り渡した者さえいる。
管理通貨制度になっても大した変化はない。
金のために罪を犯すことを躊躇わない者もいるし、金のために寝食を忘れて身体を壊すまで働く者もいる。十人十色だが金への執着には変わらない。
そのお金を――生命の素で鋳造したのだ。
金銭は欲望を昂ぶらせ、人々を誤った道へ駆り立ててきた前科がある。
真なる世界の住人はエルフやドワーフを始めとして、人間より純粋で疑うことを知らない妖精のような種族が多い。
そんな彼らにお金の概念を教えたらどうなるのか?
ツバサは密かに悩んでいたが、この不安はどうやら杞憂だったようだ。
かつて真なる世界では無数の国々が栄えており、そこかしこで通貨が流通していたとノラシンハやヌン陛下、それに調査したゼニヤからも聞かされていたが、聞いた限りでは地球であった金銭問題と大差なかったらしい。
金欲しさに努力する者あれば――金目当てで犯罪に走る者もいる。
多少のいざこざは織り込み済みと諦めるしかない。
ならば通貨制度にGOサインを出してもいいかな、と踏んでいたのだが、まさか“気”で作った貨幣を持ち出してくるなんて予想外もいいところだ。
金が命を左右した事態もあれば、命が金で支払われる状況もあった。
金銭が価値基準となりがちな人間社会では珍しくない。
金も重いが命も重い。どちらも人類には重いものを一つにまとめれば更に重みを増し、要らぬ騒動を巻き起こすのではないかと案じてしまう。
ツバサは眉間に皺を寄せるまで考え込んでから質問する。
「……これ、新たな火種になりませんか?」
「金と命で揉めるのは心ある者の宿命……仕方ないことでっせ」
ゼニヤから諭されるように即答されてしまった。
ツバサの性格からして「金絡みでトラブル起きるの確定なのに、それを生命にもなる“気”で作ろうものなら必定じゃん」と懸念すること請け合いだ。
守銭奴はこの質疑応答を読んでいたらしい。
だが、ゼニヤの回答も一理ある。金でも命でも人は揉めてきた。それは人類と似たり寄ったりの真なる世界の住人にも当て嵌まることだろう。
ならばひとつにまとめても構わないのではなかろうか?
そんな解答がツバサの脳裏を過っていた。
――金銭であり生命にもなる通貨。
既存にはない未知の存在、ツバサは価値観の更新を迫られていた。
「金となり命となるもの。今までそんな前例は……」
ポヨンポヨン♪ とツバサの超爆乳に頭を乗せて弾ませていたミロが、こちらを上目遣いで見上げると、思い出したようにポツリと言う。
「――ソウル、血の遺志、ルーン」
「そりゃゲームの話……いや、考えようによっては同じものか」
あの手のゲームの世界観に近付くと考えればいいのか? 今の真なる世界は負けず劣らずの荒廃っぷりで、血で血を洗う殺伐さは酷似しているが……。
「いやいやいや! 国内は平穏を保ってるだろ!」
死にゲー上等なほど荒んだ世界ではない。少なくとも五神同盟の庇護下に置かれた地域は安寧を保てているのだ。そこだけは誇りたかった。
ツバサは手にした硬貨を見つめる。
「欲しいものを購入する通貨となり、自らの心身を補う糧ともなる……この“気”で鋳造された貨幣は新しい通貨になれるのかも知れないのか」
タタン! とお猪口を卓に置く音がふたつ鳴った。
カカン! と煙管から灰を落とす音もふたつ鳴った。
前者はヌン陛下とノラシンハが手にした杯を卓に置いて、神酒を聞こし召す手を止めた音だ。後者はオリベとバンダユウが煙草を喫むのを中断した音。
四人とも「ギロリ」と鋭い眼光を研ぎ澄ませている。
視線が集中する先は――守銭奴ゼニヤ。
殺気まではと行かないが、威圧感満載の覇気を宿した視線だ。
歴戦の猛者である老翁四人から浴びれば、気の弱い者なら卒倒する。しかしゼニヤは冷や汗こそ流すものの、臆することも怯むこともない。
受けて立つ――そう言わんばかりに身構えていた。
場の空気が変わり、張り詰めた空気が座敷の隅々まで広がっていく。
不意にミロが「あ~あ」と投げやりな声を上げた。
「ツバサさんを困らせたからファンクラブを怒らしちゃった」
四人の老翁が急変したのを、ミロはそのように解釈したらしい。
確かにそんな殺伐とした空気が漂いつつあった。
ミロが茶化してもノラシンハたちの雰囲気は変わらない。そもそも彼らが本腰を入れて怒るほど、ツバサも困った様子を露わにしたつもりはない。
彼らが本気になった理由は他にあるのだ。
戦いに挑む寸前――鼻腔の奥を鉄錆のような臭いが刺激する。
それを思い出させる緊迫感が迸り、ツバサの五感は今すぐ始まろうとする戦闘に無意識ながら臨戦態勢を整えていた。
そして、武道家としての恍惚感に打ち震えそうになる。
堪らない緊張感が漲っていた。
我慢できない寒気がツバサの背筋を走ると、超爆乳や超安産型の巨尻を震わせてしまう。慣れているはずのミロが「うおっ!?」と驚くほどだ。
――これから始まるのは激戦。
その予兆を感じたツバサは思わず笑みを零しそうになった。
まず初手を打ったのはヌン陛下だった。
正面からゼニヤに向き直り、厳しめの口調で切り出す。
「“気”を通貨の材料とする……これはさておき、国を治める者が貨幣のことで心を砕いてきたのは悪貨や偽金じゃ。世界中どこにでもある“気”を通貨とするならば、器用な者ならば混ぜ物も偽造も思いのままではないかな?」
その対策はできておるのか? とヌン陛下は問い質した。
「恐れながら申し上げます、ヌン陛下」
ゼニヤは強調するように畏まって一礼する。
「確かに魔術を学べば“気”を練ることで、神族ならば理力を魔族ならば魔力へと高めることで“気”を操ることはできますでしょう。しかし、オリハルコンやアダマントに匹敵するまで硬度を上げ、それを物質化させたまま半永久的に固定させるのは魔法の領域です。生中に偽造も混ぜ物もできやしまへん」
魔術とは――魔力を技術で操作する手段。
これは人間を始めとした多種族でも習得できるものだ。魔力の輪郭を掴む修練から始まり、使いたい魔術の方程式を視界に描いて発動させる。
魔法とは――魔力で法則を書き換える秘技。
これは神族や魔族といった上位種族にのみ許された奥義である。
莫大な魔力によって自分の好きなように世界を改編するのだ。魔術のように方程式こそあるものの、膨大な魔力を費やすことで力押しもできなくはない。
世界の理に近い神や魔だからこそできる御業だ。
「魔法で作られたこの貨幣――国民には偽造できまへん」
更にや! とゼニヤは捕捉の補強も忘れない。
「御覧になっていただいとる試作品は、ワイとマリはんが二人掛かりで魔法を凝らして鋳造したものになります。わいらが『天地神明に誓って偽造は許さんぞ!』という魔法を幾重にも仕掛けとります」
「あたしたち夫婦、初めての共同作業の産物になります♡」
旦那のサポートに従事していた妻君がいきなりぶっ込んできた。
恥じらうように表情を桃色に染めたマリは、嬉しさを隠さずにはにかみながら頬に手を添えて、悩ましげな腰つきで肢体を揺らしている。
ヒュ~♪ と口笛を吹いたのは誰だったか――。
真剣勝負にも等しいヒリヒリとした緊張感が満ちていた場に、ピンク色の乾いた風が吹き抜けた気がした。ついでにほんの少し空気が緩む。
外したかしら……とマリは囁いた。
コホン、と小さく咳払いしたマリは澄まし顔で訂正する。
「……申し訳ありません。正しくは数度目の共同作業になります」
「マリはん……?」
「それまでの共同作業の成果はまだ成就してなくて未完成です」
「マリはん……ッ!?」
今度はゼニヤが顔を真っ赤にして狼狽える番だった。マリが余計なことを言わないようにと慌てふためいたジェスチャーで黙らせている。
あー! とミロが勘付いたように喜色の声を上げた。
そして、訳知り顔で腕を組んで「うんうん」と頷いている。
「そっかそっか……神族は子供ができにぐにょん!?」
「黙ってなさいマセガキのメスガキ」
戦場の空気をこれ以上シラケさせられては堪らない。明け透けないことを喚こうとするミロに、ツバサは軽めの拳骨を落として黙らせた。
そう――これは戦闘だ。
ゼニヤは“気”を用いた通貨を認めさせれば勝利、四人の老翁はそこに不備がないかを微に入り細を穿つまで指摘して穴を付ければ勝利。
そういう論戦である。これも立派な戦いなのだ。
「ゴホォン! し、失礼いたしました……」
大きな咳払いで誤魔化したゼニヤは、どうにか仕切り直す。
「話の続きですが、正式にこの貨幣を鋳造する際には、ツバサはんや各国の王様、もしくは副官かそれに相応するLV999の方々……最低でも5人以上に協力していただこうと考えとります」
「貨幣に仕込む魔法を強め、偽造防止の効果を高めるわけか……」
右手を拳にしたヌンは支えるように顎を乗せる。
ケロケロと喉を鳴らす蛙の鳴き声は、親近感を抱かさせる音色だ。
「お察しの通りです。国民はおろか魔が差して通貨偽造に手を染めようとするワイらの仲間がいたとしても、決して偽造できないような緻密な細工を仕込むつもりでおります。ま、仕込むもんは十や二十では利きまへんが……」
ゼニヤは言葉尻で意味深長さを漂わせた。
そして、鋳造する貨幣の数や国の市場へ流す流通量。
「こういったものを厳正に管理するのは勿論、管理もワイとマリはんのみならず、第三者機関のようにものを設けて厳重にするつもりでおます」
「専門機関として独善に振る舞うことを避けるか……ふむふむ」
良かろう、とヌンは座卓へ向き直った。
お猪口を手に取るとノラシンハから酌を受け、またチビチビと舐めては料理を肴に宴を楽しんでいた。どうやら聞きたいことは終わったそうだ。
ゼニヤの案を認める、とヌンは態度で示してくれたのだ。
「――“気”とは万物の素となるものですな」
次いでゼニヤに問い掛けたのは乙将オリベだった。
自慢のチョビ髭を徒にいじりながらも眼は据わっている。
「我ら妖人衆は澱んだ“気”に浴したがために、異能を授かるも異形と成り果ててしまいました……この“気”を含んだ金銭が多く集まれば、似たようなことが起こるのではありますまいか?」
オリベの心配は自らの経験に裏打ちされたものだ。
妖人衆は日本の様々な時代から、時間と空間を飛び越えて『神隠し』という現象により真なる世界へと転移してきた人々のこと。
彼らは世界樹の跡地に転移することが多い。
その穴蔵を住み処としてオリベたちは隠れ潜んでいたのだが、この世界樹の跡地には澱むほど濃厚な“気”が溜まっていた。
これがオリベたち妖人衆を変質させたのである。
亜神族に勝るとも劣らない異能を開花させるとともに、妖怪と恐れられても致し方ない異形の容姿に変えられてしまったのだ。
ハトホル太母国に移住すると、外見に関しては落ち着いてきた。
それでも人間の姿へ戻れた者はあまりおらず、悪化したり変異後の姿を受け入れた者も少なくない。そして、能力は完全に定着してしまった。
力を求めるあまり暴走する者が現れるのではないか?
その結果として望まぬ変貌を遂げる者もいるのではないか?
オリベの危惧はその辺りに集約されていた。
「そうした心配は薄いでしょう」
答えたのはゼニヤではなくツバサである。助け船を出すつもりではないが、その点を解説するのは自分が適任に思えたから口を出してみた。
意表を突かれたオリベがこちらに振り返ったところで話していく。
「簡潔に言えば――鼠の皮に牛の中身は入りません」
「……なるほど、器の差ということですかな?」
さすがは数寄武将、仄めかす程度の例えでも読み解いてくれた。
そういうことです、と頷いたツバサは続ける。
「人間、多種族、亜神族、亜魔族、神族、魔族……それぞれの種族には種族的かつ肉体的な許容量があります。これを器に例えるなら、“気”はそこへ注ぎ込める水だと考えればわかりやすいでしょう」
鼠の小さな皮に牛の肉体は収まらない。
鼠という器には、牛という種が持つ“気”は収まらないのだ。
なので“気”の通貨を貯め込んで自分に使ったとしても、自身の器という許容量を超えた“気”は身の内に留まらない。
「ただ溢れるばかり……無理に身の内へ留めれば破裂するだけです」
「じゃあオリベのじいちゃんたちはどうなの?」
ミロが不思議そうに首を傾げた。
ただの人間だったはずなのに、神族と肩を並べるくらい強くなっている。“気”の許容量が明らかに増えていることをミロは疑問視していた。
先ほどの理論と話が合わないことに納得いかないらしい。
「そこら辺の原理はフミカが解明してくれててな」
ミロを頭を撫でながらツバサは説明する。
「妖人衆のみんなは澱んだ“気”を長らく浴びてきた」
正しくは澱んだ“気”でできた沼に沈んでいたようなもので、肉体の内側と外側から高濃度の“気”に浸されていたらしい。
「内外から強烈な“気”を浴びて、それに適応したことで“気”の許容量である器が大きくなり、異形と異能を得てしまった……とのことなんだ」
普通そんな真似をすれば生物としての器が壊れてしまう。
しかし、妖人衆には“気”の浴びすぎで爆発するように亡くなった者はいない。誰もが生物としての許容量を拡大させ、亜神族に近付くまで進化していた。
「どうやら世界樹の恩恵が働いたらしいんだ」
世界樹は“気”を蓄えて育み、周囲の自然を安定させようと調整する。
「切り倒された跡地にもこうした恩恵が残っていたようで、それが妖人衆が死なせることなく変異させたのではないか……とフミカは推察していたな」
「ほう、我らの変貌にはそんな絡繰があったのですな」
得心いたしましたぞ、とオリベは感謝するようにこちらに目礼する。
「……では、この硬貨を貯めても心配はないと?」
最終確認するように、オリベは摘まんだ百円玉を見せてきた。
「ええ、どれだけ貯め込んでもどれだけ取り込んでも、その者の器を超えては作用しません。度が過ぎれば身の破滅を招くだけです」
「そんための予防策もちゃんと張っとります」
それが仕込みですわ、とゼニヤは自信ありげに話の流れを戻した。
「そうだぜ、“気”なら自分に使うばかりじゃない」
新たに話へ割り込んできたのはバンダユウだった。
人差し指の先でプロペラみたいに極太煙管を回転させて遊んでいるが、身体ごとゼニヤに向き直って問い詰めるつもり満々の顔をしていた。
試すような視線で義理の息子を睨めつけている。
「“気”ってのは何にでもなる。謂わば万能のフリーエネルギーだ。魔力や理力の底上げにだって使える……魔法じゃなくとも魔術が使える輩なら、たくさん貯め込めば使い道もそれだけ増えるんじゃねえか?」
悪用し放題だろ? とバンダユウは危険性を訴えてきた。
確かに“気”の硬貨や紙幣を束ねて、それを燃料にすることで爆発の魔術を強化すれば、テロ行為にも拍車を掛けられるだろう。
魔法や魔術でできる悪事に、いくらでもブーストを掛けられる。
「そんな真似をさせんための仕込みでっせ」
――鋳造で行う仕込みは偽造防止ばかりではない。
豪語したゼニヤは内容を詳らかにする。
「貨幣製造で仕込む魔法には、『通貨としてのみ使用を許可する』と厳重に制約を掛けさせてもらいます。王を含む5人以上のLV999による仕込みやさかい、魔術はおろか魔法でも解くことは適いまへんでしょう……」
物質化させた“気”へ更なる縛りを掛ける。
通貨以外には使えないよう強力な呪縛を施し、硬貨や紙幣という存在であることを強烈に定着させる。不用意に“気”に戻ることを認めない。
即ち、決して“気”として使わせず、通貨の利用価値しか与えないわけだ。
これはオリベの心配を解消する対策にもなる。
貨幣をどれだけ掻き集めても“気”に戻すことはできないのだから。
「無論、勝手にこれを解こうものなら……」
「……やった野郎にゃ相応のペナルティを食らわせるってとこかい?」
次の句を言い当てたバンダユウにゼニヤは笑みで答える。
ニヤリ、と悪党のような笑顔だった。
「お銭をお銭として使うてくれへん愚か者に天罰が落ちるだけですわ」
ちなみに――注釈を付け加えるゼニヤは人差し指を立てた。
「絶対に“気”として使わせないわけではありまへん。有事の際には、各国の王様の判断でこの縛りを解除していただけるよう設定する予定です」
「緊急事態にはちゃんと活用できる寸法か」
そりゃあナイスアイデアだな、とバンダユウは手放しで褒めた。
たとえば――蕃神の大襲撃。
世界各地で乱戦が巻き起こる非常事態となるだろう。
そんな時、“気”の紙幣を解いて怪我人の治癒に使ったり、重症者の一命を取り留めるための生命維持に用いたり、蕃神を倒すための魔術を一時的に強化するために使ったり……“気”だからこそ使い方は無限大にある。
ピタリ、と回転していた極太煙管が止まった。
それを懐に仕舞うバンダユウはカラカラと愉快そうな笑い声を上げた。
「まったく……ああ言えばこう言う。口だけは達者だな」
「おおきに……褒め言葉と受け取っておきます」
まあいいだろう、とバンダユウも座卓に向き直ると、またお猪口を手にして静かに呑み始めた。酒盗みたいな鉢を手繰り寄せてツマミにしている。
「……某からも申すことはありませぬ」
取り越し苦労でしたな、と微笑むオリベは会釈してから宴席に戻った。
ゼニヤは気付かれぬように長いため息を漏らした。
四人の論客を三人まで(バンダユウなどはかなり譲歩していたが)論破することができたのだ。まだ気は抜けないが一息入れたいところだろう。
眉尻を下げたマリも心配そうに顔色を覗き込んでいる。
背中から支えてあげようとするのだが、ゼニヤはそれを振り切った。
最後の論客を打ち破るまで油断はできないからだ。
「さて――真打ちの登場と行こか」
聖賢師ノラシンハが身体ごと襖へと向き直っていた。
あぐらで崩した膝に腕を乗せてズイッと前へ身を乗り出したノラシンハは、ただでさえ大きなギョロ目を大きく見開いている。
品定めする目線をゼニヤに送ってノラシンハは語り出す。
「金や銀といった産出量に限りがある希少金属ではなく、普遍的価値を持つ“気”を通貨にしようちゅうアイデアはなかなかや。だからこそ悪いことに使われる可能性を先読みして対策することも欠かさん……ええがな」
ええがな、とノラシンハは口癖を反芻する。
「でもな、ええアイデアちゅうんは……」
「……既に世間へ出回っとることが多い、ってのもよくある話でんな」
――正解や。
自分の言いたいことを正確に読み解いたゼニヤを褒めたノラシンハは、皺だらけの手を懐に差し込み、一枚の紙切れを出してきた。
それはゼニヤとマリが試作である通貨とよく似た紙幣だった。
まだ隠していた貨幣コレクションがあるらしい。
いや、三世を見通す眼を持つノラシンハのことだ。こうなる展開を見越してわざとゼニヤに渡さなかったのだろう。老賢人として未来ある若者に試練を与えているつもりなのかも知れない。
そういうことをやりかねないのだ、このお茶目ジジイは……。
「真なる世界でも兄ちゃんと同じこと考える粋な奴はおってな。数こそ大したことあらへんが、こうして“気”を魔法で固めた紙幣を作ってたんよ」
アイデアは良い――だが大抵しくじった。
「“気”を銭にした国はな、その発案者がどれだけ聡明であろうとも、大量の通貨で儲けようとするバカのせいで多かれ少なかれやらかしてんのよ」
「……“気”を枯渇させたんでんな」
細めた眼で看破するゼニヤにノラシンハは楽しげだった。
「ええがなええがな、やっぱ閃く者は聡明やな」
わかっとるやないの、とノラシンハは髭が揺れるほど鼻で笑う。
「枯渇させたって……“気”をか?」
悪いとは思うが意外な情報が出てきたので、ツバサは我慢できずにノラシンハへ尋ねてみた。“気”を枯らすなんて尋常ではない事態からだ。
せやで、とノラシンハは事もなげに言う。
「地球でもようあったんやないか? ほれ、天然水やいうて地下水をジャンジャン汲み上げてたら底突いてまって、挙げ句に地盤沈下したとか……」
この聖賢師、地球の情報にも精通しているから舌を巻く。
有名な天然水の採水地で、水を取りすぎて水脈が枯れる寸前という話はニュースで見たことがある。汲み上げすぎて地盤沈下という話も、水脈がある土地や温泉地ではたまに聞く話だと蘊蓄たれな友人から教えられた記憶もある。
珍しい話ではないとのことだ。
どんなものでも無限ではなく有限という教訓である。
「ああ、そういう事件もあったが……それを“気”でやったのか!?」
「……“気”とて無限にあるわけではないんじゃよ」
ケロケロ、と聞こえる蛙の鳴き声でヌン陛下も口を挟んでくる。
「真なる世界がどれだけデカかろうとも、そこに満ちるエネルギーには上限があるんじゃ。“気”とていくらでもあるわけではない。途方もないくらいいっぱいあるとというだけで、使えばちゃんと減っていくものなんじゃ」
「と言ったものの――ホンマに枯れるわけちゃうんやけどな」
ノラシンハは掌を返すように言い直す。
世界中の“気”は常に循環している。
たとえ一箇所で大量に“気”を消費したとしても、世界は同じ空の下で繋がっているから、減った分の“気”は周囲からゆっくり流れ込んでくる。
そして、使われた“気”もいずれは大自然へと還っていく。
これにより世界の“気”は均一になるわけだ。
蕃神はこの“気”をごっそり強奪していくからタチが悪い。
「そういう国は補填が追いつかないペースで“気”をバカスカ通貨に変えとったから、国土が砂漠になるまでやらかしてんのよなぁ……アホやろ?」
「「――うん、アホやね」」
ツバサとミロは声を揃えて関西弁で頷いた。
そこまで不毛の大地にしてしまえば、自然の復元もままならない。回復するにしても長い年月と、多大な手間暇が求められることだろう。
砂漠の緑化は地球でも死活問題だったのを思い出す。
ノラシンハは長い指でゼニヤを指した。
「守銭奴の兄ちゃんのことや。こうなる未来も予見してるやろうから、適切な管理を約束してくるんは先刻承知や。ツバサの兄ちゃんみたいに自然エネルギーの無限増殖炉になれる神族や魔族の力も借りたいところやろ……でもな」
まだ足らん――もう一押し欲しい。
人差し指を立てた手を開いて、ノラシンハは何かを受け取る仕種をする。
「まだあるんやろ隠し球が? 勿体ぶらんと見せてぇな」
ちょっと挑発的な物言いだが、ゼニヤが気を悪くする様子はない。
むしろチャンスを与えられた瞬間を迎えたかのようだ。
「では、そのお金の素材となった“気”の原料をご紹介しましょう」
姿勢を正したゼニヤは指示棒を振るうと、座卓に置かれている試作品の通貨が乗せられたプレートを指し示した。
「もしも正式に“気”による通貨が採用された場合、この原料を“気”に還元して鋳造していく腹積もりでおります。さすれば真なる世界の“気”を減らすことなく、五神同盟の国々から“気”を枯渇させることもあらへんでしょう」
ゼニヤは公算が立っているかのように言い切った。
まるで通貨の材料となる“気”を別次元から持ってくるような言い方だ。
別次元……この単語にツバサはある直感が働いた。
ミロも気付いたのか瞳をまん丸にしている。
答えを口にするよりも先に秘書役を務めるマリが襖の大型スクリーンをスライドさせると、通貨に使われた“気”の原料を映し出した。
それは――斬り刻まれた蕃神やその眷族だった。
映し出された画像には、獲物を斬り倒した黒衣の剣豪も写っている。ひねくれた悪党みたいな笑顔で豪刀を担ぎ、ピースサインを決めていた。
……何してんだハトホル一家の用心棒?
それはさておき、セイメイの能力を思い出す。その能力を買われたからこそ、こうして一役買うようにに駆り出されたのは想像に難くない。
こいつなら酒さえ奢ればお安い御用のはずだ。
セイメイの過大能力――【遍く万物を斬り絶つ一太刀】。
その効果は、斬り捨てた対象を無害な“気”の塵へと還す。
別次元の不浄な瘴気に塗れた怪物でも例外ではない。
セイメイに限った話ではなく、仕留めた蕃神を純粋な“気”にまで分解できる過大能力を持つ者はツバサを含めて何人もいる。
スクリーンに浮かんだ画像からすぐに見当が付いた。
「略奪者である蕃神から……“気”を奪い返すつもりか!?」
ツバサは渇いた笑みのまま叫んでいた
蕃神を元手に通貨を作りましょう――ゼニヤはこう提案しているのだ。
「こういうんも外貨獲得になるんでっかな?」
ゼニヤが得意気に言った瞬間、はしゃぐミロの歓声が弾けた。
「アハハッ! いーじゃんこれ! モンスターを倒せばお金が手に入る! ソウルも血の意志もルーンも……エネミー倒してナンボでしょ!」
蕃神どもをブッ飛ばせば――お金をジャンジャンGETできる!
RPGの基本、アホの子でもわかる基礎知識だ。
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