482 / 537
第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第482話:誘われるは守銭奴の宴
しおりを挟む「あの泥……過大能力とやらか」
道理で破れぬはず――オサフネは悔しげに得心する。
ハトホル太母国 妖人衆 “鍛鉄”のオサフネ・ナガミツ。
巫女姫イヨと乙将オリベに仕える三将の一人。
本職は刀剣を専門とする鍛冶師。ハトホル太母国の鉄鋼業を取り仕切る鍛冶長なので最前線に立つ必要はないのだが、戦る時は戦るタイプだ。
これまでも妖人衆を守ってきた実績がある
三将に数えられるだけはあり、実力はウネメたちと肩を並べていた。
やや短躯ながら職人として鍛えてきた肉体を持つ。
目付きは鋭く眉も険しいので双眸は凜々しいのだが、曲線が強い丸顔とその中央に鎮座する見事な団子っ鼻のせいで全体的に柔らかい顔立ちとなっていた。
セイコも団子っ鼻だが、オサフネはレベルが違う。
本当にまん丸、ピエロや道化師の付け鼻と見紛うほどである。
鋭い眼差しと丸みを帯びた顔立ち。これらが程良くブレンドされて、オサフネに独特の愛嬌をもたらしていた。真面目すぎる性格も緩和するくらいだ。
身に付ける装束は鍛刀に挑む鍛冶師らしい白装束。
白い着物に白袴、黒い紐でたすき掛けをして両腕を動かしやすくしていた。
オサフネは顎に手を当てて軽く推察する。
「オリベの大将も“碧覚練土”と名付けた融通無碍の泥を操るが、あれはあくまでも様々な陶器を作り出すもの……まあ、巨将なんて大巨人も造っていたので、神族化の恩恵で性能も上がっているのだろうが……」
大量の泥を湧かせて操る。この点では両者の能力は似ていた。
しかし、ドロマンの過大能力には拡張性があった。
「俺が投じた槍が触れた瞬間、確かに生命の気配を感じた……生きた泥を操る、と噂では聞いていたが、あれを変幻自在に操るのか……」
擬似的な生命を生み出し、鋼鉄に勝る強度の陶磁器さえ形成する。
オリベの能力も融通は利くが、汎用性ではドロマンに一歩譲りそうだ。
「……柔軟性のある泥のまま防壁とするのも可能か」
これによりオサフネの攻撃は凌がれた。
音速を超える速度で射出した――500本の槍。
横綱ドンカイの許可を得て、その過大能力を模倣した槍の穂先に超高速振動する機能を持たせ、鋼鉄すら豆腐のように断ち切る切断能力を持たせていた。
それをすべてを受け流されてしまった。
「常軌を逸した粘性のある泥……いや、泥なのだからいくら斬り裂かれても意に介すまい。瞬間的に泥の津波を起こして、飛んできた槍の雨を押し流せばいい。そして、反対側から飛来した魔法の光球にぶつければ……」
オサフネは小高い丘を足場としていた。
そこからドロマンを挟んで反対側にいる水聖国家の姫様がドロマンへ攻撃したのを見て、オサフネはタイミングを合わせて挟撃を仕掛けたのだ。
結果、どちらの攻撃も去なされて相殺された。
「単に泥を操って足技を得意とするわけではなく、彼は剛柔を体得した動きができるようだな……あの身のこなしは柔術に通ずるものがありそうだ」
そんな相手に直線的な攻め方をすれば避けられて当然。
数秒にも満たぬ短時間で早口の独り言を呟いたオサフネは、それらを反省点として心の中にある帳面へと書き記していく。
人生は日々勉強、戦いにおいても考察を欠かさない。
刀鍛治としての研究以外にも余念がない。オサフネならではの実直さだ。
「敵も然る者、修練とはいえ甘く見るのはいけないな……んっ?」
用心は欠かさず、オサフネは抜かりなく視界を見張る。
頭上に浮いたまま泥でできた幕をはためかせているドロマンが動いた。泥の幕がボコボコと沸き立ち、続々と丸い物体を作り出したのだ。
それらは吹き出されるようにオサフネに降り注ぐ。
標的はこちらのみならず、挟撃した水聖国家の姫様にも放り投げていた。ドロマンなりに「やられたらやり返す」の報復行為なのだろう。
固めた泥で作られた丸い玉。陶器製の鞠と考えればいいのだろうか?
「……そういえばオリベの大将が言ってたな」
剽気者らしい彼の御方が考案した戦術だと自慢していた。
二つの鉢を合わせて陶器の玉“陶丸”を作り、その中に火薬を詰めて投石器で敵軍に放り込む。これが大爆発を引き起こして甚大な被害を与えたという。
それは榴弾と呼ぶべき代物だった。
話に聞いた物とよく似ているが、降ってくるのは泥を固めた玉でしかない。
「まさか、いくら変幻自在とはいえ泥だぞ? 火薬まで……ッ!?」
用心は欠かさず油断禁物と気を引き締めたばかりだ。
オサフネは脱兎の勢いで飛び下がると同時に、発射速度の速い苦無を弾幕を張るほどの数で頭上に投げつけた。それはドロマンの陶丸に突き刺さる。
途端に大爆発を巻き起こし、周辺一帯を激しく震わせた。
大気を焼いて地面を抉る爆風の熱波が押し寄せる。
「火薬にもできるのか……何でもありの泥だな!」
それはお互い様か、とオサフネも対抗策を練るために能力を使う。
カーン、カーン、カーン……と槌を打つ音が鳴り響く。
オサフネもまたツバサの眷族となって神族化しているので、過大能力にも似た力を扱えるようになっていた。この槌の音の正体がそれである。
神族や魔族だけが持てる亜空間――道具箱。
オサフネのそこは鍛冶工房となっており、本人の気力体力が続く限り“気”から凝らして鍛えた武具をいくらでも造り出すことができるのだ。
瞬時に打ち鍛えたのは数本の大剣。
この剣にはモデルがある。たまたま見掛けたのだ。
ツバサの子供たちが読んでいた絵双紙に登場する、黒い剣士が振り回していた大きく分厚く大雑把な、それこそ鉄塊のような大剣だった。
それを前面に隙間なく並べて防壁とする。
爆風の熱を吸わせて灼熱の剣とし、爆発の威力が鎮まる頃を見計らって大砲よろしく射掛けてやる。オサフネはそんな反撃を企んでみた。
生身で浴びても問題ないほどに爆発が弱まる。
「今だッ……ってなななッ!?」
「「「「いらっしゃいませぇぇぇ~ん♪ 素敵なお客さんぁぁぁ~ん♡」」」」
大剣の防壁を解除した瞬間、弱まった爆風とともに雪崩れ込んできたのは骸骨の軍団。意味不明なことを喚きながらオサフネに迫ってきた。
顎の骨をカタカタ鳴らし、肉も皮も失った指をこちらに伸ばしてくる。
筋肉も内臓もないのに動く異形の軍隊だ。
「おわあああああああああッ!? じ、地獄まで湧いたか!?」
思わず素っ頓狂に臆した声を上げてしまう。
それでもオサフネの手は反射的に動いており、自分の“気”を凝らした何本もの大剣を自在に操ると、骸骨たちを打ち砕くように薙ぎ払った。
骸骨の群れを鎧袖一触にするオサフネの大剣。
まるで不可視の剣士が何人もいるかのように剣だけが立ち回る。
宙を舞う大剣を操るのはオサフネの意識であり、剣に宿らせた「これまで出会ってきた剣士たちの動き」を投影させていた。
がむしゃらに突っ込んでくる骸骨など物の数ではない。
そんな骸骨の群れを掻い潜り、大蛇のように迫る何かがあった。
咄嗟に防いだものの大蛇のような何かは大剣を絡め取ってオサフネから引き離したかと思えば、あろうことか絞り上げるように砕いてしまった。
ただの鞭ではこうはいかない。強靱な金属製だ。
大蛇に見えたのは――連節棍。
いくつもの金属製の棒や筒を鎖で繋いだものである。多節棍とも呼ばれており、節の数をふやせば鞭のようにしなやかな動きも不可能ではない。
連節棍を操る人物こそが骸骨を率いる主人。
「デキる僕ちゃんは仲間のフォローも忘れないわよぉ~ん!」
天才工作者だからねぇん! とホネツギーは癖のある語尾を伸ばした。
ハトホル太母国所属 穂村組 構成員 ホネツギー・セッコツイン。
ドロマンとともに女首領マーナをボスと崇める、通称“三悪トリオ”の一人。こちらは頭脳労働担当で次から次へと巨大メカを作る工作者だ。
茶髪ロン毛の垂れ目がちな二枚目半――ただし半分のみ。
身体の正中線から右半分は人間だが、左半分は引き従える骸骨どもと同じ骨も肉もないスケルトン。これは魔族が背負う外見のデメリットだ。
顔が溶けたドロマン同様、ホネツギーも修正せず残していた。
当人たち曰く「悪玉としての個性です!」とのこと。
ヒョロリとした長身痩躯には、手足の周りを動きやすいようまとめた着物みたいな衣服をまとっている。どことなく水干という衣装に似ている。
そこに工作者を意識したデザインも加えられていた。
(※水干=平安時代に生まれた装束のひとつ。デザインはピンキリだが基本は簡素で動きやすい服とされた。牛若丸が着ているイメージが強い)
ホネツギーは手首の動きだけで連節棍を手繰り寄せる。
連なる棒の部分は筒状になっているのか、彼の手元へ戻る度にカシャン! カシャン! と小気味いい音を立ててホネツギーの持つ柄に収まっていく。
「収納式の棍か……専門外だが面白い絡繰だな」
刀鍛冶には馴染みのない機構だが、好奇心はそそられる。
以前の鍛刀一筋なオサフネなら見向きもしないが、ハトホル太母国に移り住んでからは意識改革に成功し、様々な技術への興味と研究に余念がない。
――これを鍛刀に取り入れられないか?
結局は刀に昇華されるが、昔と比べれば視野は広がっていた。
「あらぁん、お目が高いわね刀鍛冶さぁん。お互い同じハトホル太母国で暮らしてるんですもの噂は聞いてるわよぉん……備前長船の名工なんでしょぉん?」
ちょっと煽るようなホネツギーの物言い。
悪気なく褒めているのはわかるが、オサフネの眉はピクリと動いた。
備前長船の名は後世、数ある名刀を生み出した流派のひとつとして歴史に名を残したことは博識なフミカから聞かされていた。
それが我が事のように嬉しくもあり――心残りでもある。
オサフネもその一員として名を残すはずだった。
盗賊に襲われて命を落としかけ、気付けば神隠しに巻き込まれ異世界に迷い込みさえしなければ……そんな無念が幾度となく脳裏を過ったものだ。
だが――この地で得たものは大きい。
神と魔のいる世界で新たな理を知り、見たことも聞いたこともない未知の経験を詰み、まだ見ぬものを作る喜びを知ることができた。
神秘の鋼を鍛え、強く鋭き刀を打ち、新たな武具を開発する。
オサフネは生まれ変わった心境にあった。
備前長船の功名は懐かしいが、これからそれ以上のものを成し遂げられそうな予感に胸躍らせる毎日を送っているのだ。
だからオサフネは苛立つことなく鼻で笑った。
「フッ……生憎だが、その執着は疾うに乗り越えたよ」
カーン! カーン! カーン! ……と槌を振るう音が響く。
攻防一体を成せる幅広の大剣を新たに鍛造しつつ、追加として太さも長さも尋常ではない大槍を何百本、何千本と用意していた。
「今は鍛刀ばかりじゃない。鍛鉄や他の武具を鍛えるのも面白くてな」
「あらぁん。じゃあもう立派な工作者じゃない……」
僕ちゃんの同類ねぇん! とホネツギは共感の台詞で叫んだ。
いつしか両手に棍を握っており、二刀流よろしく左右の連節棍を打ち振るいながら伸ばしてきた。さながら二頭の大蛇に狙われた心地である。
丘陵の土を食い破って新手の骸骨も現れた。
ホネツギーの過大能力──【我は骨なり骨こそすべての礎とならん】。
骨に関するすべてを自在とする能力だ。
魔力ある限りスケルトンを始めとした骨系モンスターを際限なく召喚できるだけではなく、骨を融合させて未知の骨格を持つクリーチャーも創り出せる。
また自らに接合して肉体増強を行うことも可能。
以前ホネツギーは四十本の巨大な骨の腕と合体したこともある。
それらの骨の腕すべてに連節棍を持たせて振り回すという妙技を見せたが、数を増やせばいいわけではないと学習したらしい。
両手一対で十分――そこに鍛えた技のすべてを注ぐ。
これを学んだことで、連接棍を操る精度とその威力が上がっていた。
大剣の一振りを奪われた挙げ句、絡めた連接棍によってへし折られたところをオサフネは目の当たりにしている。決して慢心はできない。
「だが……こうしたらどうだ!?」
オサフネは上空に待機させた大槍の束を一斉に降り注がせる。
辺りは瞬く間に大きな槍が立ち並ぶ森となった。
無数の大槍は骸骨どもを打ち砕きながら大地に突き立ち、大蛇のような連節棍の動きを制限して行く手も阻む。このために大槍を増産したのだ。
「そんな長物……森の中では満足に振るえまい!」
この隙にオサフネは何本もの大剣を引き連れて跳躍。使い慣れてきた飛行系技能で宙を舞い、上空からホネツギーを急襲する。
はずだったのだが――当てが外れた。
「舐めてもらっちゃあ困るわねぇん……奮ッ怒ぅ!」
ホネツギーは細い両腕に満身の力を込め、気合いを入れて唸った。
二枚目半な表情もキリッと引き締まる。
大槍の森に阻まれたていた二本の連節棍が打ち振るわれ、立ち並ぶ槍を物ともせずに暴れ回る。突き立った大槍を根元から吹き飛ばし、時には野太い柄をへし折り、自分の召喚した骸骨軍団の犠牲も厭わず……。
力尽くで強引ながらも、我が道を行くように突き進む連節棍。
あっという間にすべての大槍は薙ぎ払われた。
ビシリ! と景気づけに地面を一度叩いた連節棍は、宙に浮かぶオサフネに狙いを定めて振り上げられた。オサフネは大剣たちを盾にして防ぐ。
何本かの大剣はその一撃で打ち砕かれた。
吹き飛ばされる勢いに乗り、砕かれた大剣の破片を蹴り飛ばして後方へ後退ったオサフネは、元いた丘の上まで間合いを戻される羽目になる。
むぅ……! とオサフネは悔しげに呻くしかない。
ホネツギーは連節棍を躍らせながら、新たな骸骨の増援を呼んでいた。
オサフネを値踏みするような視線を送ってくる。
「刀鍛冶さんも随分鍛えているみたいだけどぉん……あなた、戦闘は本職じゃないんでしょおん? 鍛冶屋が本分なのよねぇん、きっと?」
痛い図星を突かれた。オサフネは下唇を噛む。
どちらも工作者にして戦闘員の権能を備えているものの、オサフネとホネツギーではその比率が違う。今の手合わせでそれが如実に示されてしまった。
ホネツギーの場合――工作者=戦闘能力。
オサフネの場合――工作者>戦闘能力。
お互いにLVは同程度だが、それぞれの権能に振り分けたLVや技能の比率はこのような振り分けだろう。これまでの半生を刀鍛冶に費やしてきたオサフネは、それほど戦いの場数を踏んでおらず戦闘経験に関してもまだまだ浅い。
その未熟さゆえ盗賊なんぞに襲われて命を落としかけた。
真なる世界に転移後は必要に迫られて戦いを覚えたが、その根底にはあんな三下どもに殺されかけた後悔に根付く猛省があった。
(※剣術のいろはに関してはウネメから教わっていた)
対してホネツギーは下っ端であれ一騎当千の戦闘能力がなければ門を潜ることができない、超武闘派極道の穂村組に籍を置いている。
この時点で双方の戦力差は大きく開いていた。
防戦寄りとはいえオサフネが戦えているのは、偏に身に付けた過大能力モドキのおかげ……意識ある限り武具を作り続けられる能力のおかげだった。
オサフネの意のまま動き――自律して戦う武具。
しかし、兵となる従者を喚び出す能力はホネツギーも持っている。
能力的にも五分ならばオサフネに分が悪いのは自明の理だ
視界を埋め尽くすまで増えた骸骨の軍勢。
ホネツギーは連節棍を鞭に見立てたのか、ビシリと地面を打って猛獣使いのように骸骨たちを急き立てる。
「さあお骨ちゃんたちぃん! 人海戦術で刀鍛冶さんの自動で動く武器を抑えちゃいなさい! 僕ちゃんはこのまま本人を攻め立ててちゃうからぁん! ここにドロマンちゃんも加われば二人掛かりで仕留め……ッ!?」
「ケッハヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」
突如――裂帛の気合いが轟いた。
大砲どころかミサイル顔負けの速度で飛翔する物体。
その物体は過たずドロマンに直撃、泥の防御幕さえ貫通する強烈な跳び蹴りをお見舞いする。間一髪、ドロマンは立てた膝で防いでいた。
防いだとしても彼の巨体を吹き飛ばす威力だ。
「――ドロマンちゃんッ!?」
彼の援護を期待していたホネツギーは空を見上げて絶句する。
ドロマンを蹴り飛ばした影にオサフネはほくそ笑んだ。
ハトホル太母国所属 妖人衆 “覇脚”のケハヤ・タギマ。
オサフネとウネメの同僚であり、三将の一人だ。
以前は妖怪化して毛むくじゃらの怪人といった様相だったが、ハトホル太母国に移住してからは人間らしさを取り戻していた。
今では毛深くて厳つい大男で通じるくらいだ。
江戸時代の“奴さん”みたいにたすき掛けをして太い両腕を剥き出しにしており、足回りの動きやすさや機動力を意識した軽装に身を包んでいるが、腰帯は注連縄をアレンジしたやたら目立つものだった。
何もない宙を足場にして、空を蹴るように前へ前へと突き進む。
「きしゃあああああああらぁぁぁぁぁぁッッッ!」
怪鳥を思わせる奇声を上げてケハヤはドロマンへと肉薄する。
飛行系技能に自慢の脚力を上乗せして、爆発的な推進力を得たケハヤは再びミサイルのように突進する。音速の壁を越えて円錐雲が湧く勢いだ。
(※円錐雲=音速に近い速度で動く物体の周囲が急激に減圧することで断熱膨張が起き、大気中の水分が瞬時に凝結してできる円錐型の雲)。
ウネメは人間の領域を飛び越えた神の剣技。
オサフネは“気”を凝らせば無尽蔵に武具を作れる能力。
同じように神族化したケハヤも過大能力に似た力に目覚めている。
彼の筋肉はバネの如き超弾性を有し、五体を繋ぐ腱は尋常ならざるゴムにも似た伸縮性を備え、沸騰する血液は火薬にも勝る爆発力を得ていた。
バネとゴムの特性に爆ぜる力を乗せる。
これによりケハヤは爆発的な膂力を発揮できるようになった。
得意の足技に用いれば、生身ながらもロケットに見紛う推進力を得られる。敵に命中すれば大爆発を引き起こすミサイルの火力も出せるのだ。
そんなケハヤが繰り出す渾身の一蹴。
ドロマンは逃げも隠れもせず、真正面から受け止めた。
大気が一気に揺れ動くような衝撃に空間が震えるも、ドロマンは吹き飛ばされることなく飛行系技能でその場の空中に留まっていた。
ケハヤの蹴りは先ほど同様、立てた膝でしっかり受け止めている。
「……先刻のはやられた振りか?」
確認を求めるように美声が疑問形で尋ねた。
これがケハヤの地声。毛深い大男の容姿からは想像もつかない、音域の高いボーイソプラノなので初めて聞くものは面食らうか吹き出すものだ。
「さっきは急だったんで踏ん張りが間に合わなかったダス」
ドロマンは表情を崩さず事実のみ伝える。
「身構えるのさえ間に合えば、そして過大能力もついでに使えれば御覧の通りダスが……だとしても随分とまあ重い蹴りダスな」
掛け値なしの評価は称賛にも聞こえた。
事実、ドロマンは踏ん張りこそしたものの姿勢が傾いでいた。
ただ構えて受け止めたのみならず、全身に生きた泥を這わせて人工筋肉のように使うことで肉体強化を掛けたのだ。それでも揺らぐのだから相当である。
豪脚と剛脚が鬩ぎ合う。
鍔迫り合いにも似た膠着の中、ドロマンとケハヤは短く言葉を交わす。
「またもキック対決とは……なかなかどうして奇縁ダスな」
「おれも脚には自信がある方だが、未来の技を使う御主に通じるかどうか試してみたくなってな……勝負ッ!」
ケハヤは腰の力で膠着したままでも構わずドロマンを蹴り飛ばす。
「応ッ! 望むところダス!」
ドロマンも息を合わせて自ら飛び退くと、間合いは計り直してから回し蹴りを打ち込んでいき、ケハヤも迎え撃つべく突き込むような蹴りで応じた。
両者の脚が激突する度、大気が熱を帯びて爆発する。
ケハヤは出自こそ定かではないが、西暦200年から400年頃の日本から神隠しで転移してきたという自称“暴れん坊”で、まだルールが厳格化されていない古代相撲の使い手だったと証言している。
だからなのか――相撲とは思えぬほど足技に精通していた。
ドロマンのカポエイラにも相通ずる洗練した蹴りは、それこそキック専門の武術と勘違いさせるほどの腕前だった。
両者の蹴りが激突すれば爆撃の花が咲く。
瞬時に数百を超える蹴りの応酬を続けば満開となった。
「ダハハハハッ! アンタ本当に相撲取りダスか!? 確かに手技も交えてきてるが張り手じゃなくて拳骨だし……まるでムエタイ使いダスよ!」
「かつての相撲は何でもアリだ、見知りおけ! しかし、足を武器として腕を足代わりに使うか……遠心力だったか? そういう力の使い道もアリだな!」
快い笑声を喜々として張り上げる二人。
磨き上げた互いの技をリスペクトして、打ち込む蹴りの鋭さを研ぎ澄ませていき、戦いのスピードも上限知らずにエスカレートさせていく。
空には笑い声と爆撃がいつ果てることなく木霊した。
それを地上から見上げるホネツギーは頬に手を当てて溜め息をつく。
ポーズといい口調といいアンニュイな吐息といい、どこから見てもオネエにしか見えないのだが、彼は性癖的にノーマルだという。
「はぁ、久々の好敵手に巡り会えたからドロマンちゃんがそっちに夢中になっちゃったわぁん……ホント、男の子ってしょうがないわねぇん」
仕方ないわねぇん、とホネツギーは気を取り直した。
「刀鍛治さんは僕ちゃんオンリーでお相手仕るしかな……あらぁん?」
対戦相手のオサフネは全力で退避していた。
刀剣一筋な彼らしくない、大きな盾を何枚も作り出して鉄壁の防御を固めながら、ホネツギーに注視しつつ全速力で後退している。
いや、注意を払っているのは目の前の敵ばかりではない。
「なんだか……リスキーな感じぃん!?」
かつてない危険な臭いに気付いたホネツギーも反射的に飛び退いた。
次の瞬間――断崖絶壁が生まれた。
ホネツギーとオサフネの間、なだらかでうっすらとした窪地になっているだろう土地が激音を立てて裂けたかと思えば、底も見えない谷となった。
地割れではない。これは人為的に割られたのだ。
正しくは神為的、あるいは神威的と言い直すべきかも知れない。
「楽しそうですな若い衆。当方も混ぜてくださらぬか?」
この地割れを引き起こした張本人は、大地にできた裂け目の末端に佇んでいた。ヒュンヒュンと空気を震わせる音を鳴り響かせている。
水聖国家オクトアード 防衛長官 タフク・デンポウ。
イムトとともに若い時分から蛙の王様ヌン・ヘケトに師事し、今では国家の中核を担う大幹部にまで昇進したオクトアードの重臣である。
彼も水聖国家代表として、この乱取りバトルロイヤルに挑んでいた。
人間年齢換算ならばイムト同様おおよそ五十代。
シンプルな髷を結えるほどたっぷりした黒髪と、牛を連想させる大きな鼻に柔和な眼差し。無造作ながら穏やかな面貌のためか若作りに見える。
そのため本来の年齢より若い三十代でも通じそうだった。
身長も2m近い大男だが、縦のみならず横にも大きい。腕も足も太ければ胴体も固太りした恰幅の良さだ。あまり武装を身に付けておらず、着ているものもオクトアードの家臣団の礼装でもある軍服のみ。
利き手に携えるのは――鋼線で編んだかのような太い鞭。
従来の鞭とは比べ物にならず、山から谷間で吊り橋を架けられるような長さを有していた。それが細長い大蛇のように宙をのた打ち回っている。
この長すぎる鞭を振り回して風切り音を鳴らしているのだ。
時折、ソニックムーブによる破裂音まで響かせている。牛追い鞭でも鳴らすことはできるが、タフクのそれは桁違いの破壊力を秘めているだろう。
なにせ一振りで大地に深い谷を抉るほどだ。
割り込みながら、実力を垣間見せたつもりなのかも知れない。
変則四刀流で女武芸者ウネメと大立ち回りを繰り広げながら、あちこちの丘を斬り刻む斬撃をばら撒いているイムトもヤバいが、大人しそうな顔のタフクも十分ヤバそうだ、とホネツギーやオサフネは認識を改めていた。
オサフネは冷や汗を伝わせて慎重に言葉を選ぶ。
「俺の腕前でお相手が務まるかどうか……あちらの骨の方ならあるいは」
「ちょっとぉん!? 僕ちゃんに押し付ける気ぃん!?」
いきなり強敵を割り振られたホネツギーは悲鳴みたいなツッコミを返すと、直後に本音トークをぶちまけるようにぼやいてみる。
「遊び相手だったらデカいオジさんより水聖国家のお姫様の方が断然いいわぁん! 女子高生じゃないけどギリギリ許容範囲よぉん!」
言い切った後に失言と気付いたホネツギーは急いで宙に飛ぶ。
刹那の間を置いて――削り取られた。
さっきまでホネツギーがいた地点が残っていない。
丘はおろか大地の底、地盤に届く勢いで地面が消失するように吹き飛ばされてしまった。やったのはタフクの振るう鋼線の鞭である。
「ハッハッハッ、下心ある輩を姫様に近寄らせるわけには参りませぬな」
愛想笑いこそ忘れないが眼は笑っていない。
姫様に近付いたら成敗! と口ほどに物語る眼光。
穏やかで物静かな人間は怒らせると恐ろしい。ギャップの差もあるが、溜め込んでいた激情を一気に解放するので最大瞬間風速が凄まじいのだ。
タフクはただの鞭使いではない。
大地を割る攻撃を2度も見せられたホネツギーとオサフネは、避けることに夢中ではあったものの分析を怠ることはなかった。
あの鋼線で編まれた鞭には無数の龍宝石が仕込まれている。
鞭を振るう際、その龍宝石に込められた様々な魔力を解放していた。
単純に鞭の速度や攻撃力を高めるものもあれば、小型に圧縮された攻撃用の火球や雷球をクラスター爆弾のように範囲を決めて散布もしていた。標的を定めれば鞭を振るいながらでも魔法で狙い撃ちできるらしい。
鞭で投擲しているようなものだ。器用というより曲芸レベルである。
事実、ホネツギーとオサフネも何発か喰らっていた。
牽制だったので難なく防げたが幸いだ。
精緻を極めた鞭捌きはその圏内に何人たりとも近寄らせず、圏外より近付こうとする者を強かに打ち据える。
タフクは自らの領域を完全に支配していた。
「イムトの言を真似るではないが……当方も軍人を務めて幾星霜」
パシィン! とタフクは鞭を打ち鳴らす。
その反動で跳ね上がった鞭は何十本にも分身したかのように数を増やすと、大気を掻き混ぜていくつもの竜巻を巻き起こした。
タフクは竜巻の群れをも操り、鞭のように打ち振るってくる。
「まだまだ若い衆に後れを取るつもりはおりませぬぞ!」
ホネツギーとオサフネの絶叫は、耳を劈く風音によってかき消された。
~~~~~~~~~~~~
「派手にやってるねぇ。嫌いじゃないけど近寄りがたくてしょうがないよ」
異相の上空――高度にして約10㎞前後。
激しい剣劇を演じる女武芸者ウネメと征夷将軍イムトや、楽しげにキック対決に興じる怪力男のドロマンと覇脚のケハヤ。
彼らも飛行系技能を使って空中を主戦場としていた。
だとしても地表からの高さはいいとこ1㎞前後。
その10倍の高度にポツネンと浮かび、気配遮断などの隠密系技能を何重にも仕込んでいるマーナに気付くはずもなかった。
ハトホル太母国所属 穂村組 構成員 マーナ・ガンカー。
力仕事担当のドロマン、頭脳労働担当のホネツギー、彼らを従える女ボスが彼女である。この三人組構成から“三悪トリオ”と呼ばれていた。
元ネタはタイム○カンシリーズという古いアニメ。
そのリバイバル版を視聴してきた彼女たちは悪役トリオの生き様に感銘を受け、この年になるまでリスペクトしてきた本物のファンである。
マーナは女ボスのファッションまで取り入れていた。
ハイレグのワンピースしか見えない黒の水着に、同色の膝上まで届くロングブーツにハンドカバー。艶めかしい二の腕や太ももが覗ける仕様だ。
そのどれもがエナメル質な光沢を帯びている。
そして鋭利さが際立つスマートなマントを羽織っていた。表はブラックで裏地は肌触りのいいレッドに染まっている。
美貌と呼べる顔には濃いめの化粧こそ施しているものの、着ているものと比べたら装飾品は付けていない。一見するとショートカットに見えるブロンドヘアだが、後頭部に残した長い髪を細く二つに分けるように結っていた。
――露出度の高い格好をした金髪美女である。
ただし、残念ながら外見年齢は幼い。
実年齢は二十代半ばなのだが、見た目はどう見ても中学生、ひょっとすると小学生に間違われかねない童顔で幼児体型なのだ。
妖艶な色気とはまったくの無縁であり、スタイリッシュ痴女と呼ばれそうなファッションも今ひとつ。それを部下たちにイジられる毎日である。
「だからまあ……多少酷い目に遭わせて文句ないよねぇ?」
あいつらの自業自得だし、とマーナは巻き込むつもり満々だった。
これから行うのは――乾坤一擲となる超級の必殺技だ。
飛行系技能で上空10㎞にいるマーナ。
地上を見据えるべく平行に浮かぶ彼女の周囲には、数え切れないほどの“眼”が浮かんでいた。背後には特大の“眼”が後光よろしく瞬いている。
それらの“眼”は下界の戦いを一身に見つめていた。
練習試合とはいえ、神族や魔族が戦えばその場の“気”は荒れる。
相手を倒すために全力の攻撃なり魔力を打ち出せば、どんな戦闘巧者であれ必ずや余波を発生させる。その余波でさえ世界を大きく傷付けるだろう。
今、マーナの眼下には余波がもたらす“気”が溢れていた。
「そいつを一滴残らず頂戴する……って寸法さね」
マーナの過大能力――【視界を貪る邪視の女王】。
普段は隠しているが、マーナは全身に眼球を宿していた。
百目とか百々目鬼なんて妖怪のように、肌の至る所に無数の目を開くことができるのだ。これがマーナの魔族としての外見的デメリットである。
博識なフミカは「ギリシャ神話のアルゴスみたい」とも言っていた。
(※アルゴス=ギリシャ神話に登場する全身に百の眼を持つ巨人。100ある眼が全方位を見つめて交代で眠るため死角がない。神々の命令に忠実で怪物退治などに武功を上げる忠義者だったが、ゼウスの浮気とヘラの嫉妬によるいざこざに巻き込まれてヘルメス神によって殺される)
彼女の眼は容姿的デメリットであると同時に能力の象徴だった。
これらの眼は“気”を吸い込む。
吸い込んでは眼球に貯め込み、そのままストックできるのだ。
瞳に捉えた者から“気”を吸い上げたり、魔法などの“気”が濃い攻撃を吸収し、“気”を攻撃に転化することも自身の魔力に変換することも自由自在。
全身の眼へ貯蓄する蓄電池のような使い方もOK。
集めた“気”を仲間に付与すれば、一時的だが大幅な強化も望める。
基本的にマーナは女ボスなので後方腕組み彼女面をして、ドロマンやホネツギーを前線に立たせることが多い。
そんな彼らの強化要員として動くことがメインである。
だがしかし、後衛らしいこともできるのだ。
即ち、時間を掛けて魔力を練って特大魔法を撃ち放つことである。
「発動までのチャージに時間が掛かるのが難点なんだけどねぇ……」
マーナの周囲に現れた無数の“眼”。
これまでは全身の眼でしか過大能力を使うことができなかったが、修行の成果により使い魔のような“眼”を召喚できるようになった。
これらはマーナの過大能力が具現化したもの。
今も下界で戦っている八人の神族や魔族から、彼らが戦闘の度に発する力の余波を“気”としてせっせと吸収しており、その眼球に貯め込んでいた。
十分なくらい“気”が充填されたら解き放つ。
120%まで貯め込んだ“気”が発射された暁には、小さな“眼”からは極太のビームが破壊光線のように照射され、マーナの背後にある一際大きな“眼”からは地上を焼き尽くす太陽砲のような熱線が撃ち出されるはずだ。
(※太陽砲=手段はいくつか考案されているが、要するに太陽光を一点に集中させる兵器。虫眼鏡でできる集光のスケールを途方もなく大きくしたもの)
マーナの背後に控える特大の目玉が主砲。
それを取り巻くように二十を越えて展開させている大小の“眼”は副砲や弾幕を張るためのバルカン砲みたいなものだ。
気分は戦艦の砲塔を管理する砲手長である。
「主砲の充填率がようやく65%、副砲やバルカン砲が70~80%か……全部100%達成してから斉射した方が効率がいいのは当然として……ッ!?」
んッ!? とマーナは額に開いた第三の眼を見張った。
こちらに向けて高速で接近する者がおり、そいつが魔法の光球をこちらにへと放ってきた。あれは純粋に破壊力を押し固めた攻撃魔法だ。
大振りで数も多いから避けるのは難儀だろう。
「でも天下のマーナ様は避けたりしないんだよ! ゴチになりまーす♪」
迫る光球にマーナは右手を開いて翳す。
掌に現れるのは過大能力を宿した魔眼。まるで集塵機で大量の埃を吸い取るかのように、直前まで届いていた光球をズルリと一飲みにした。
複数あったがひとつ残らず全部だ。
自分の攻撃が効かないことにビビりな! とマーナは内心ニタリと微笑む。
それでも彼女は意に介することなくマーナへ突っ込んでくる。
「こんなところにいたんですね! 見つけましたよーッ!」
水聖国家オクトアード 秘書官(王女) ライヤ・キンセーン。
蛙の王様ヌン・ヘケトの15番目の孫娘にして、次期女王になることが内定している王位継承者。神族と亜神族の間に生まれた灰色の御子でもある。
イムトやタフクと共にこの修行に参加していた。
それもこれも五神同盟基準でLV999という最高位に到達するため、尊敬する祖父に少しでも近付ける強さを身に付けるためだ。
ライヤにすれば女王となるための試練に近い感覚である。
身長は170㎝に届くので女性としては長身。
体格的には150㎝あるかも怪しいマーナより全然大きいが、顔の造作にあどけなさが残っており、初々しい高校生くらいの印象が強い。
獅子を思わせるボリューム感たっぷりな金髪。
亜神族ハイエルフを父に持つためか手足も長くてスタイルがいい。祖父のカエル顔は受け継いでおらず、美人揃いのハイエルフの美しい顔立ちだ。グラマラスというわけではないが、程良い発育ぶりは万人の目を引くだろう。
身に付けるのは水星国家の礼装でもある軍服。
いつもはタイトなスカートタイプを愛用するライヤだが、今日は戦闘訓練なのもあってパンツスーツタイプで決めていた。
地表から10㎞地点の高々度に浮いているマーナ。
ライヤはそこを目指して音速を超える勢いで急上昇していた。
「こんな目の届きにくい上空で、そんな魔法術式を展開させて……何を企んでるんですかー! ちゃんと訓練らしく私たちと手合わせしなさい!」
年下から説教臭いことを言われたマーナは眉を顰めた。
(※肉体的な年齢ではマーナの方が年上なのだが、灰色の御子として数百年は生きているライヤの方が実年齢が上なのはどちらも触れない)
「うるさい小娘だねぇ……これがアタシの流儀! あたしなりの戦い方さ!」
ライヤの物言いにカチンと来たライヤは、撃ち落としてビビらせてやろうと周囲の“眼”に命じて、貯め込んだ“気”を解放させる。
撃ち出されるのは魔力を煮詰めた破壊光線。射出速度も迅速だ。
全力で駆け上がるライヤは回避できない。
直撃だよ! とマーナが悪役らしくほくそ笑んだのだが、その笑顔はすぐさま裏切られたように驚愕の表情へと塗り替えられた。
「――御馳走になります!」
言うが早いかライヤは両手を頭上へと突き上げた。
左右の掌の根元をくっつけると五指を広げ、マーナの放った破壊光線を受け止めるような仕種を見せる。その両手を中心に力が膨れ上がったかと思えば、質量のある闘気が巨大なカエルの顔を形作ったのだ。
闘気でできたカエルは、破壊光線に長い舌を巻き付けて吸い込む。
あっという間に丸呑みにされてしまった。
「んなアホな!? 蛙の子は蛙とでも言いたいのかい!?」
「お祖父様から頂いた地母神ヘケト様の恩恵です!」
マーナの口を突いて出たツッコミへ、ライヤは生真面目に答えた。
昔から蛙や蝦蟇は信仰の対象とされてきた。
大量に卵を産むので多産、カエルが帰るや返るに通じるから「無事に帰る」「お金が返る」などの安全や金運の縁起物、天災予知や雨乞いの使者……。
同じくらい妖怪視されてきた側面もある。
特に長い下を伸ばして獲物を捕らえ、大きな口で一飲みにするところから「精気を吸い取る怪物」や「何でも飲み込む魔物」と恐れられてきた。
ライヤのこれは祖先から受け継いだ能力。
カエルのように敵の攻撃魔法を飲み干して我が物とできるのだ。
「マーナと同じような能力……いや違う!?」
ライヤは破壊光線の“気”を取り込むと、そのすべてを自身へと還元していた。魔力体力気力精神力……自身の力を増幅するために使っている。
つまり――魔法を食べて栄養にしているのだ。
分析系技能で走査すると、ライヤの基礎能力が一気に跳ね上がっていた。
「悪食にも程があんでしょう……よぉッ!?」
またしても度肝を抜かれたマーナは間抜けな発音を漏らす。
――ライヤが消えたのだ。
マーナの破壊光線を食べて強化したのを確認した矢先、その姿が忽然と消えてしまった。驚きはしたもののマーナに焦る要素はない。
マーナは全身に魔眼を備えている。
上下前後左右、どこへ逃げようともマーナに死角はない。たとえ透明化しようとも魔眼の出力を上げて気配探知も併用して炙り出してやる。
ライヤは――突如マーナの背後に出現した。
「……瞬間移動かい!?」
超能力を取り扱うフィクションによっては、最強クラスに分類されることも珍しくないチート能力だ。たとえ短距離しか転移できないとしても、こうやって戦闘中に使われたら強力な優位性を取られてしまう。
これも祖先の地母神から受け継いだ特性のようなもの。
ご存知の通り、蛙や蝦蟇はその脚力で驚異的なジャンプ力を誇る。
創世を務めた聖なる蛙の末裔であるヌンやライヤは、そのジャンプ力を空間転移という形で使うことができた。ただし、距離はそこまで稼げない。
それでも使い勝手は良く、敵の虚を衝くには十分だった。
ライヤが構えた拳に莫大な“気”が漲る。
ツバサたちが教えたばかりの発勁に攻撃力に変換した魔力を乗せて対象に打ち込むという、当たれば内臓から破裂しそうな必殺拳を編み出していた。
「訓練とはいえ勝負は勝負……」
手加減なしです! とライヤは拳を打ち出した。
フック気味の弧を描いたパンチはマーナの脇腹を狙い打つ。
ライヤは確信とともに拳を叩き込もうとするが、その手首にマーナの手が添えられた瞬間、あらぬ方向へ投げ飛ばされてしまった。
打ち込んだ拳の力を逆用され、自分の力で飛ばされるような感覚だ。
「うわわわッ!? これ……ツバサ様の合気術!?」
「似てるけど違うよ! あたしのは柔術っていうんだ!」
マーナも穂村組の一員。武道は達人レベルに修めていた。
ドロマンがカポエイラ、ホネツギーが中国武術(主に暗器や棒術メイン)、そしてマーナが古流柔術をそれぞれ習得しているのだ。
「子分どもの後ろでふんぞり返ってばかりだと思いなさんな!」
勝ち誇るマーナはライヤを遠くへ投げ飛ばす。
これで間合いを遠ざけてから仕切り直すつもりだった。
「ううぅ……まだです!」
マーナの脇を抜けるように投げ飛ばされる寸前、ライヤは長い足を伸ばすと彼女の手に引っ掛けて引き寄せた。思わずマーナはバランスを崩す。
「あ、こらッ! なんて足癖の悪い……ッ!?」
ライヤは両脚を駆使してマーナを絡め取り、そのまま組み技に持ち込む。
「このまま……危なそうな魔法を使わせる前に……ッ!」
組み技で絞め落とすよりも効率的な方法を思い付いたライヤは、捕まえたマーナの位置を調整すると、地上に向かって急降下を始めた。
天地を逆さにされたマーナは背中からライヤの両腕にきつく抱きつかれ、その頭はマーナの太股に固定されて真っ逆さまに落下していく。
「これ……パワーボムじゃないかあああーッ!?」
ライヤがプロレス技を知っているかは定かではない。
奇しくも同じような技を掛けられたマーナは、このまま地面に頭から落ちたらどれほどの大ダメージになるか見当がついてしまった。いくら強力な魔族になろうとも、高さ10㎞からのパワーボムを食らえば無事で済まない。
少なくとも脳震盪では終わらず、頭蓋骨陥没くらいは余裕そうだ。
「待ってお姫さん! これはヤバい! 度が過ぎてるよ!?」
悲鳴を上げている間にも大地は近付いてくる。
地表まで二㎞を切った時、理性の飛んだマーナはある種の暴挙に出た。
「こ、こうなったらぁぁ……死なば諸共だよ!」
まだ上空に待機させていた破壊光線の主砲――特大の“眼”。
エネルギーチャージの充填率はやっと70%だが構うことはない。
マーナは自分も浴びる覚悟でそれを発射させる。極太どころではない。丘陵地帯すべてをカバーするような広範囲の破壊光線が舞い降りてきた。
まだ剣戟を楽しんでいる剣術バカたちも――。
飽きずに蹴り技を競い合うウドの大木コンビも――。
鞭やら棍やら刀やらを打ち合わせているトリオも――。
そして、マーナとライヤも巻き添えだ。
異相が歪むほどの大爆発が起き、丘の大地が爆煙に覆われる。
爆風と地震は数十㎞離れた宿泊施設まで届き、工作者たちが万が一に備えて用意した防御結界を壊しかける被害をもたらしていた。
修行中のカズトラやランマルも手を止めるほどだった。
爆発どころか爆煙が鎮まるのにも数分を要する。
少し焦げ茶色の煙が薄れてきた頃、九つの影が三手に分かれて爆煙を打ち払いながら飛び出してきた。多少は煤けているが全員無事のようだ。
それぞれ距離を置いて様子を窺っている。
妖人衆から――妙剣のウネメ、鍛鉄のオサフネ、覇脚のケハヤ。
三悪トリオは――魔眼のマーナ、魔骨のホネツギー、魔泥のドロマン。
水星国家主従の――姫君ライヤ、将軍イムト、長官タフク。
この九人が乱取りバトルロイヤルの参加者たちだ。
かれこれ三時間近く休むことなく実戦に近い形式で戦い続けているので、さすがに疲労の色が誰しもの顔にも浮かんでいた。
なんとか飛行系技能で宙に立つものの、みんな肩で息をするほどだ。
大爆発を契機に仕切り直しつつ、息を整えているらしい。
そんな中、ホネツギーとドロマンの視線が左右へと揺れていた。
右へ揺らせば妖人衆の三人、その中心に立つウネメへ視線が注がれている。着物の合わせ目からこぼれそうな乳房はHカップあった。
左へ揺らせば水聖国家の面々。2人の家臣に守られているライヤのまだ発育途上ながら、胸元を盛り上げるバストサイズはFカップはあるだろう。
最後に骨泥コンビは背後へ振り返る。
自分たちの女ボスであるマーナ様の胸元へと視線を送っていた。
露出度が高いのに――寄せて上げてもBカップ。
「「……これが胸囲の格差社会か」」
「差別してんのはアンタたちだけだよ! このアンポンターンッ!」
これ見よがしの嘆息を漏らして肩を落としたホネツギーとドロマンに、マーナからのお仕置き破壊光線がお見舞いされたのは言うまでもない。
このせいで三悪トリオは最初に脱落するのだった。
~~~~~~~~~~~~
「俺の眼で分析した限りでは問題なさそうなんですが……」
皆さんはどうですか? とツバサは意見を求めた。
異相の宿泊施設――その屋上。
ツバサと何人かの仲間たちは、そこから乱取りバトルロイヤルの戦況を遠巻きにするように眺めていた。各々が高位の神族なので視力は申し分なく現場まで届くし、遠眼鏡を用意して観戦している者もいた。
屋上のあちこちで立ったり座ったり、思い思いに佇んでいる。
ツバサは屋上の縁近くに立っていた。
最近「抱き心地良さそうな極上の安産型ムチムチ女体」と子供たちに陰で囁かれている豊満な女体を、無理やりパンツスーツに押し込めていた。
今回は戦闘に参加しないので余所行きの衣装である。
服飾師たちの神業によるオートクチュールなので、バストの大きさやウェストの細さ、まろやかなヒップなどが必要以上に強調されており、ボディラインが素晴らしく際立っている気がしてならないのだが……。
俗に言う「着ている方がエロく見える」衣装だった。
立っているツバサの足下にはミロがいた。
特に用がない時は、いつもツバサと一緒にいる最愛の娘である。
こちらも普段着のチューブトップにホットパンツ。珍しくラフなジャケットを羽織っているが、これは人前に出るからとツバサがお仕着せたものだ。
観戦にも飽きたのか、うつらうつら船を漕いでいる。
ツバサの足を背もたれにしていた。
「いいんじゃないかのぉ。儂の目から見ても全員クリアしておるし」
最初に返事をくれたのはヌン陛下だった。
水星国家オクトアード 国王 ヌン・ヘケト。
黒い肌の蛙を擬人化したような姿をした水聖国家の王様だ。小柄な老人の体躯に国王らしい気品ある衣装を身につけて豪奢なマントを羽織っている。
頭に小さな王冠を乗せてアクセントも忘れない。
ライヤの祖父であり、武術ではイムトやタフクの師匠に当たる。
ツバサの後ろにいるヌンは宙に浮かぶ水球を作り出すと、それを椅子代わりにして腰掛けていた。頬杖をついては少々不満げに眉根を寄せている。
「しかしイムトの奴め……儂が教えた足技を自分なりに発展させるのはいいが、あの四刀流は見栄えがよろしくないからやめとけと叱ったのに……」
「まあまあいいじゃねえか、ヌンの爺さま」
バンダユウは朗らかに宥めた。
言いつけを守らない弟子への小言を呟く蛙の王様の隣に立ったヤクザの組長は、同じ師匠の立場から流派の異なる弟子をフォローしてやる。
「外連味があるのはさておき、しっかり技に昇華させてるんだからよ」
「当たり前じゃ。使い物にせなんだら小言では済まんわい」
どこも厳しいのは一緒か、とバンダユウは同感するように言った。
ハトホル太母国所属 穂村組 組長 バンダユウ・モモチ。
見た目は灰色に染まってきた総髪のイケメン老人。その実態は超武闘派な極道の集まりである穂村組の組長である。身にまとう着流しは黒一色と落ち着いている分、肩に羽織るのは金糸銀糸も目映い豪華な褞袍だ。
足下の雪駄を軽く踏み、極太の煙管から紫煙をくゆらせている。
煙管をくわえる口元は皮肉な笑みに釣り上がっていた。
「ウチの三馬鹿トリオにもエガちゃん並みに物申したいことが山ほどあるけど……ギャアギャア喚きながらもLV999になったんだ」
褒めてやらなきゃなあ、とバンダユウは遠い目になる。
そこには出来の悪い息子の進歩を見届ける感慨深さを秘めていた。
「指摘という指導ができるだけ良いではありませぬか」
ヌンとバンダユウの会話にオリベも参戦する。
「其など彼奴らの上司ではありますが師ではありませぬからな。戦場の心得は教えられても、各々の技の手解きまではできませぬ」
腕の立つ皆様が羨ましいですぞ、とオリベは師匠たちを持ち上げた。
ハトホル太母国 妖人衆 “乙将”のオリベ・ソウオク。
ウネメたち妖人衆三将の直属の上司である。
碧で揃えた武家の隠居装束がよく似合う初老の和風紳士だが、海千山千を渡り歩いたチョイ悪親父の風情が漂っていた。隙あらば悪い顔を露わにして、自分好みの数寄な芸術を世に流行させようと企んでいたりするのだ。
悪巧みが芸事オンリーなので、実害がないという安心感がある。
その正体は戦国時代を生き抜いた数寄大名・古田織部のはずなのだが、本人はのらりくらりと認める発言を避けていた。
ヌンはライヤの祖父であり、イムトやタフクを鍛えた師匠。
バンダユウも三悪トリオを鍛え上げ、彼らの上に立ってきた組長。
オリベは師匠でこそないもの、三将を従える上役。
彼らは弟子や部下たちの昇進試験に立ち会っているのだ。
「では――御三方から見てもあの九人はLV999に達していると?」
ツバサが再確認すると師匠トリオは一様に頷いた。
「うむ、ツバサ君たちの制定した最高位の強さになっておる」
「おれも文句はねえな。分析しても走査かけてもLV999だろあれ」
「其も異論ござらぬ。気力体力ともに九九九とやらに達しておりましょう」
よし、とツバサも頷き返して最終確認を求める。
「ノラシンハの爺さん、アンタの目から見ても問題ないよな?」
宿泊施設の屋上――その縁に腰掛ける老爺が一人。
インドの修行僧みたいな格好をした枯れ枝のように痩せ細った老人である。異様なくらいギョロリとした目玉にモサモサと豊かな眉毛、ワシ鼻の下にはタスキのように伸ばした白髭と垂れ流している。
褐色の肌をした白髪三千丈の仙人にしか見えない。
彼の経歴からして仙人と敬っても差し支えないはずだ。
ハトホル太母国 御意見番(自称) 聖賢師 ノラシンハ・マハーバリ。
あの破壊神ロンド・エンドの養父でもある。
破壊神としての本分を全うするために動き出した息子を止めるため、ツバサたちに「協力する」という名目で接触してきた食えない男だ。
戦争後、正式にハトホル太母国に在籍する神族の一員となった。
屋上の縁で座禅を組むような姿勢のまま、何も言わずに九人の乱取りバトルロイヤルを観戦していたノラシンハがこちらへ振り返った。
ギョロ目に疑問符を浮かべて首を傾げる。
「ヌンちゃんたちが『ええよ』言うてるんならええんちゃう?」
ぞんざいな仙人をツバサは理詰めで説き伏せる。
「第三者の目線が欲しいんだよ。俺もそうだが……どんなに厳しい態度を露わにしても、内心どこかで身内贔屓が働かないとも限らないからな」
え~? と苦情めいた声を上げてノラシンハはぼやく。
「ホンマ兄ちゃんは真面目やなぁ……ちっとは手ぇ抜いてもええんやで?」
「それができないのがオカン系男子のツバサさんです」
ノラシンハの弁にうたた寝していたミロまで相乗りしてきた。
やかましい、とツバサは穏やかな声で苦笑する。
「慎重派と言われようが神経質と言われようが、こちとら保証と保険が欲しいんだよ。当人たちにも客観的な評価が伝えられていいじゃないか」
――忖度なしの採点をよろしく頼む。
スチャ! と右手を拝むように立ててツバサはノラシンハに促した。
しゃあない、と一息ついてから聖賢師は本腰を入れる。
「んじゃまあジジイ目線で厳しく点数つけさせてもらうけど……九人みんなちゃんとLV999を越えてるからそこは安心しいや。少なくとも最低ラインは全員越えとるし、ギリギリ及第点回避の赤点待ったなしなのは一人もおらんな」
ツバサの分析とほとんど同じだった。
師匠トリオも密かに胸を撫で下ろしている。なんだかんだ自分の弟子や部下なので、「甘めに採点したかも」と不安を感じていたようだ。
ただなあ、とノラシンハは注釈を入れてくる。
「兄ちゃんたちのいうLV999を上中下と三段階にランク分けするなら、あの子らはまだまだ下寄りや。松竹梅なら梅を越えたばかりやな。竹に届きそうなんが何人かおるけど……いや、まだアカンな。やっぱ梅寄りや」
「なんで真なる世界生まれのくせに日本の縁起物に詳しいんだよ」
注釈よりも例えにツバサはツッコミを入れてしまった。
松竹梅は日本オリジナルのランク分けだろう。
どれも厳しい寒さの冬でも立派に生い茂ったり咲くことから、縁起がいいということで象徴的に扱われている。和食や寿司のコースを値段に応じて三段階に振り分ける場合、縁起の良さに肖ってこの松竹梅を用いることが多い。
ちなみに序列は上から順に「松→竹→梅」となる。
……もっとわかりやすく金銀銅でも良かったんじゃないかな?
あの九人は強さの位階の最上位であるLV999に昇格を果たしたものの、ランク的には梅になったばかりとノラシンハは言いたいのだ。
つまり「ひよっこやん」と言いたいわけだ。
「蛙やったら後ろ足が生えたばかり、尾も消えないオタマジャクシや」
「お、なんじゃ? 儂をディスとんのかエセ賢者さまよ?」
ヌンに視線を送りながらおかしそうに別の例えを持ち出すノラシンハに、蛙の王様は「喧嘩なら買うぞ?」とファイティングポーズを取っていた。
「お、俺らもいっちょ遊ぶか? ここなら世間様に迷惑かからんしな」
受けて立つ、と言わんばかりにノラシンハも腰を上げた。
このジジイコンビは数千年来のケンカ友達だ。事あるごとに拳を交えようとするが、それも仲がいい表れだ。本気で啀み合っているわけではない。
血の気は鎮めなされ――オリベが割って入る。
「こうしてツバサ様の元、彼を尊敬し崇拝し愛好する好々爺が集まったのですから仲良くいたしましょうぞ。たとえ気の知れた友人の馴れ合いだとしても、喧嘩腰というのは主君の不安を煽るものですぞ」
乙将の仲裁にヌンもノラシンハも矛を収める。
「むう……確かにそうじゃな。戦の火種と勘違いされるやも知れん」
「本気でよう殴りあっとるから殊更やな」
ツバサは冷やかすような笑みを二人に向ける。
「ま、喧嘩するほど仲が良いのを知ってますから止めませんけどね」
「あ! 今気付いた!」
ツバサの足に寄り掛かってうたた寝していたミロは、今の会話に刺激されたのか目を覚ますとヌン、バンダユウ、オリベ、ノラシンハを順に指差した。
「ツバサさん――ハーレム(爺)やん!」
思わず「えぇ……」とツバサは難色を示してしまった。いつもの条件反射で口から飛び出すツッコミを炸裂させる気も起きない。
おお! とバンダユウも得心したように手を打った。
「確かにそうだ。俺が若い頃に流行った異世界転生ものにゃあハーレムが付き物だったが、ツバサ君もちゃんとハーレム(爺)作ってたわけだな」
「ジジイ限定なんて誰得で誰が喜ぶんですか……」
特濃の渋面を握り潰すかのように掴んだツバサは項垂れた。
「というか俺たちの場合、異世界転生じゃなくて異世界転移だし……」
何人か本当に転生しているけどそれはまた別の話だ。
オリベも揶揄う口調を向けてくる。
「ツバサ様は爺ばかりでなく若い娘も侍らせているではありませぬか」
「それもハーレム(娘)って陰で言われてますから……」
そもそもハーレムとは『harem』というトルコ語で、正しくは女性の部屋、王様の妃たちが暮らす後宮を意味する単語だ。転じて男性一人に対して女性が大勢群がるような状況をハーレムと呼ぶようになったはずだ。
伴侶としてミロを愛するツバサには縁がない言葉である。
「慕ってくれるお爺さんや子供たちではハーレムって言わないんですよ」
なんじゃと? とヌンが意外そうに声を上げた。
「儂らツバサ君の頼みなら例え火の中水の中森の中別次元の中蕃神の中……ってくらい我が身を捧げてもいいほどの覚悟を抱えてるんじゃが?」
「重い重い重い! 愛情とか友情とか越えてるし!?」
もはや忠義のレベルである。
重すぎる忠誠心の理由はノラシンハが明かしてくれた。
「ヌンちゃん、大昔の真なる世界にいたハトホル様ガチ勢やさかいになぁ。ツバサの兄ちゃんは生き写しやから入れ込むのも仕方ない話やで」
以前少し聞いた覚えがある。
かつて真なる世界にもハトホルと呼ばれる大地母神が存在し、ツバサと瓜二つの容姿をしていたらしい。ヌンを養育した恩人だそうだ。
「だからってそんな忠臣みたいな真似をされても……」
「いやいや、いーじゃんツバサさん」
当惑したまま足下を見遣れば、ミロが悪戯っぽい顔で微笑む。
「いざとなればトル○キアへ連れてかれたナ○シカみたいに、一緒に連れてく人質に選べばいいんだよ。ナウ○カも老人を五人選んで『姫様も老い先短い者ばかり惜しみなく選んでくれたものじゃ』って言われてたし」
「マニアック過ぎてわかんねぇよ、ミロの例え……」
有名なアニメ映画のワンシーンだ。よく覚えてるものである。
しかし、これに老人たちは湧き上がった。
「そんな美味しい展開になったら儂、是が非でもツバサ君の供をするぞ!」
「いいじゃん! そのままおれたちでトル○キアを内部崩壊させられるな!」
「俺も俺も! 人質生活も牢獄暮らしも経験あるから役に立つで!」
「其は居残りで……と言い出しづらい空気ですなこれは」
何故か熱狂する老人たち。ここはハトホルファンクラブの集いか?
「ええぇい! だまらっしゃいわんぱくジジイども!」
ツバサは完全にレールから脱線した話の筋を戻していく。
それはもう怒鳴り散らして強引にだ。
「とにかく! 彼ら九人はLV999に昇格! ただし! まだまだ習熟の余地があるので最強格とは言い難い! 各国の防衛は任せられるけど南方大陸の遠征へ駆り出すには時期尚早というわけで……」
「あー……長い話になるかい?」
恐縮そうに挙手をして話を遮ったのはバンダユウだった。
言いたいことがあるのだろう。力尽くで話を押し通そうとしたツバサだが、そこまで目くじらを立てなくてもいいかと荒げた語気を飲み込んだ。
「……なんですか、バンダユウさん」
「いやなに、南方大陸やら遠征隊の話をするなら、せっかく年嵩で各陣営のまとめ役も何人か揃ってるんだ。これをやりながらじっくり話さねぇかい?」
バンダユウはあるジェスチャーをする。
手にした御猪口をクイッと呑む動作は「一杯やろう」という合図だ。
呑み会の誘いですか? とツバサがやや軽蔑を交えたジト眼で問い返すよりも早く、組長はそそくさと弁明するように明かした。
「実は……ウチのゼニヤが一席もうけたいって言ってるんだよ」
「ゼニヤさんが……?」
思いも寄らない名前が出てきたので、ツバサも少しばかり面食らった。
ハトホル太母国 金融部門担当 ゼニヤ・ドルマルクエン。
かつては軍師レオナルドたちのようにVRMMORPGのゲームマスターを務めながらも、その役職を利用して穂村組に異世界転移などの情報をリークするなどの悪事を働いていた小銭を稼いでいた小悪党。
あだ名は“守銭奴”だが、金銭に対する考え方はちょっと異なる。
ゼニヤは金銭に執着しているのではない。
貨幣や通貨という経済の流れを牛耳る立場につきたいのだという。
その後は改心して穂村組のために一肌脱いだり、ツバサを前にして命懸けの啖呵を切ったこともあり、その情熱と才能を買われることとなった。
五神同盟は大きな国に成長しつつある。
経済発展は避けられず、貨幣制度の導入も検討せねばならない。
そこで誰よりも金銭に愛着し、その流れを管理したいという野望を持つゼニヤに金融関係を取り仕切る役目を任せてみることにしたのだ。
不意にミロがツバサのズボンを引っ張った。
そちらに目を向けると、ミロが思い出したかのように言ってくる。
「そういえばゼニヤのお兄ちゃん、マリちゃんと一緒に異相へ来てるよ。てっきりバンダユウのおっちゃんのお供かと思ったんだけど……」
「言われてみれば参加者の一覧に名前があったな」
この異相へはツバサの許可なく立ち入れない。
異相へ渡りたい者は事前にツバサへ連絡するか、今回のように大勢の場合は参加者の氏名を一覧にして提出してもらっていた。
バンダユウの下にゼニヤの名前と、彼と婚約した穂村組の邪仙師マリの名前があったので、てっきり付添人だとツバサも思い込んでいた。
「そそそ、あいつらも異相にいるわけよ」
今は宿泊施設の厨房を借りており、一席のために準備中とのことだ。
バンダユウは合掌するとツバサに拝み倒してきた。
「ここは組長の顔を立てて……息子の宴席に招かれちゃくれねぇか?」
0
お気に入りに追加
584
あなたにおすすめの小説
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない…
そんな中、夢の中の本を読むと、、、
イレギュラーから始まるポンコツハンター 〜Fランクハンターが英雄を目指したら〜
KeyBow
ファンタジー
遡ること20年前、世界中に突如として同時に多数のダンジョンが出現し、人々を混乱に陥れた。そのダンジョンから湧き出る魔物たちは、生活を脅かし、冒険者たちの誕生を促した。
主人公、市河銀治は、最低ランクのハンターとして日々を生き抜く高校生。彼の家計を支えるため、ダンジョンに潜り続けるが、その実力は周囲から「洋梨」と揶揄されるほどの弱さだ。しかし、銀治の心には、行方不明の父親を思う強い思いがあった。
ある日、クラスメイトの春森新司からレイド戦への参加を強要され、銀治は不安を抱えながらも挑むことを決意する。しかし、待ち受けていたのは予想外の強敵と仲間たちの裏切り。絶望的な状況で、銀治は新たなスキルを手に入れ、運命を切り開くために立ち上がる。
果たして、彼は仲間たちを救い、自らの運命を変えることができるのか?友情、裏切り、そして成長を描くアクションファンタジーここに始まる!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
とある元令嬢の選択
こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる