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第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!
第480話:特訓特訓ま~た特訓!
しおりを挟む「――私は八天峰角の代わりにはなれません」
レンは機先を制するように断りの一言を投げ掛けた。
我ながらひどい物言いだと思う。
愛想のない生まれ付きの無表情で冷たく言い放ち、相手の精神的外傷を抉って塩を擦り込む行為なのは自覚している。
でも、はっきりさせておいた方がいいと思ったから言わせてもらう。
ソワカは本心を隠している――それは疑いようがない。
LV999となってレンなりに相手の表情、態度、雰囲気から心中を読み解ける心眼を使えるようになったので、ソワカの心を見透かしてみた。
利己的な理由からレンを強くしたい。
その理由とは、亡くした八天峰角への想いを捨てきれず、彼らを失った悲しみを埋め合わせるため、新しい弟子を育てて紛らわせるつもりではないか?
あるいは、レンに八天峰角の影を重ねているのではないか?
なんにせよ、ソワカの宣う「利己的な理由」という言葉には、八天峰角への未練を嗅ぎ取ることができた。彼らのために怨敵であるグンザという男を打倒するために活動してきたソワカの来歴がそれを裏付けている。
おやまあ――なんて口にはしないがソワカは呆けた。
悪役を気取る表情も忘れて、素の顔を僅かに覗かせている。
「ソワカ……さん。誤解のないように言いますけど……」
リアクションをせず次の句を待っているので、レンはお望み通りに言葉を連ねさせてもらった。説得するように語気を強めていく。
「あなたが利己的と言い張ろうとも、私の悩みを思って力を貸そうとしている善意の気持ちは、なんとはなしに伝ってきます……でも、それ以上に亡くなったお弟子さんたちへの感情が読み取れてしまう……だから!」
私は八天峰角の代わりにはなれません! とレンは断言した。
途端にソワカは豹変する。
牙を見せつけて威嚇する獣の如き相貌。なのに口角は耳元まで裂けるかのように釣り上がっており、両眼は下弦の月のように瞬いていた。
先ほどまでとは段違いの気迫、胡散臭さも揮発する凄まじさだ。
威圧的な笑顔のままソワカは重低音で告げる。
「代わり……? 誰しもがこの世に唯一無二で生まれてきた生命です」
――レン殿に八天峰角の代わりは務まりませぬよ。
ソワカの双眸は痛烈にそう訴えていた
目は口ほどにものを言う、この格言をレンは実感させられる。
「レン殿はレン殿、八天峰角は八天峰角……」
単にそれだけです――ソワカは静かに言葉を結んだ。
言外で遠回しに「思い上がるな」と叱られている気分だった。
ソワカはそれ以上のことを口にしていないのに、眼光を介して彼の思念がレンの脳内に注ぎ込まれたような感覚に見舞われた。三時間に渡る説法を圧縮して、直感的に思い知らされた錯覚に思わず嘔吐きそうになる。
脳の処理が追いつかず、自律神経まで圧迫されたのかも知れない。
レンが吐き気を覚えてたじろぎかけた頃――。
「ンフフフ、でもまあ……当たらずも遠からずではありますな」
ソワカはいつもの調子に戻った。
詐欺師めいた愛想笑いを浮かべたまま崖先の中空に浮かんでいたが、飛行系技能でゆっくり宙を歩き、レンのいる丘へ歩み寄ってくる。
足音は立てないのは空中だから当たり前。
ただし、衣擦れはおろか身体中に帯びた数珠さえ鳴らさない。
技能による消音ではない。彼の所作は一切の音を立てていなかった。
その事実に気付いたレンは人知れずゾッとする。
この体捌きを得るにはどれほどの鍛錬を積めばいいのか――!?
「亡くした内弟子たちの代わりにレン殿を育成する……弟子を失った寂しさをレン殿で埋め合わせようとする……拙僧も元を正せば修行不足の青二才、悟りを目指して修行をしようと故あって神族に転じようと……」
煩悩は拭えておりませぬ、とソワカは自嘲するように呟いた。
丘の先端まで来たソワカは立ち止まらない。
レンの前まで来るも立ち止まらず脇を抜けて、後ろでまだ眠りこけているアンズを踏まずに避けると、スタスタと丘の広いところまで歩いていく。
こちらが振り向けば、あちらも足を止めて振り返った。
「レン殿に今は亡き八天峰角を重ねて、せめてもの慰めにしたい……心のどこかでそう捉えている部分もありましょう。拙僧もまた弱き人間ですからな」
「……否定しないんですね」
意外そうなレンの一言に、ソワカは微かながらも眉根を寄せた。
ソワカの発言からは辛さの滲む苦悩を感じられる。
「全面的には難しいですな。ンフフ……あらゆる物事は複雑に構成された多面体なのです。拙僧の心理にもそういう側面がないとは言い切れません」
ならば肯定すべき、という潔い心境のようだ。
「それに……レン殿の思い違いには変わりありませぬからな」
「思い違い……いや、読み違い?」
武術の稽古で培った先読みから発展させた読心術だが、まだまだ場数が足りていないレンはソワカの本心を読み間違ったらしい。
「言ったではありませぬか――利己的な理由からだと」
悪辣さで形相を塗り固めて、また作り笑いを浮かべる怪僧。
やっぱり本心は隠したいようだ。今度は隠したい理由は正しく読めた。
これは恥じらい――もしくは羞恥心?
恥ずかしさを誤魔化すために、怪しさを演出しているようだ。
それでも本音を打ち明ける決心をしたらしい。
「拙僧はレン殿に強くなってもらいたい。それはズバリ、真なる世界を脅かす外敵を討ち払い、この地に安寧をもたらしていただくため……いつの日か八天峰角が戻りし未来、そこに平穏無事な世界を築いてもらいたいがためなのです」
「え、平和な未来って……八天峰角が戻ってくる!?」
冗談半分に言っていた世界平和のためにレンを強くしたい、というのが本心なのもビックリしたが、それに続いた本当の理由に耳を疑った。
驚きも隠せないレンは唖然とする。
「陰秘学や妄言ではありません、拙僧は事実を申し上げております……」
ソワカはつらつらと畳みかけてきた。
ビシリ! と人差し指を突き立てて迫真の一声を投じてくる。
「そう! 貴方様たちならば、あの子らの歩もうとした未来を創れる! そして、あの子らの帰ってくる場所を作ることもできるのでございます!」
悪鬼も逃げ出す面構えのままだが、奮う熱弁に嘘はなさそうだった。
この宣言はソワカの本心に極めて近い。
八天峰角は亡くなった――鬼籍に入った故人だ。
なのに、彼らが戻ってくるとソワカは信じて疑わない様子である。
現実世界ならばオカルトを盲信した戯言と切り捨てるべきだが、ここ真なる世界では微妙なところだ。死者の復活も叶わぬ願いとは言い切れない。
事実、それらしい情報をレンも風の噂に聞いていた。
「戦争終結後……拙僧は各所へお邪魔させていただきました」
絶句するレンに今度はソワカが言葉を紡いでいく。
「バッドデッドエンズ討伐に主眼を置いていたとはいえ、レン殿を始めとしたルーグ・ルー陣営の方々に腕試しと称して喧嘩を吹っ掛けたのは紛れもない事実でしたからな……機を見て各方面の皆々様へ頭を下げに参りましたよ」
「ああ、俗にいう謝罪行脚……」
なんかハトホル一家のツバサさんもあちらの変態メイド長を連れて各方面に謝り倒していたらしいけど、最近の流行なのかしら?
面会は認められ、挨拶も兼ねて対談や座談をしてきたという。
フットワークが軽くて世渡り上手なお坊さんだ。
「ンンーフフフ、そこは社交的とおっしゃっていただきたいですぞ」
「……こっちが心を読まれてりゃ世話ないし」
レンでも多少なりとも読心術が使えるようになったのだから、より格上のソワカに心の裏を読まれても仕方あるまい。
ソワカは指を折って数え出す。
「ドンカイ殿、ジョカ殿、ミサキ殿、レオナルド殿、マヤム殿、バンダユウ殿、ヌン陛下、ヒデヨシ殿……様々な方と交流いたしましたが、取り分けツバサ殿、アハウ殿、クロウ殿、ククリ殿、ダグ殿」
この方々から聞いた話が興味深い、とソワカは感慨深げだった。
ハトホル太母国の女王 地母神 ツバサ・ハトホル。
ククルカン森王国の王 獣王神 アハウ・ククルカン。
タイザン府君国の王 冥府神 クロウ・タイザンフクン。
還らずの都を奉る巫女 ククリ・オウセン。
スプリガン族 総司令官 ダグ・ブリジット。
彼ら彼女らから聞いた話をソワカは語る。
「この真なる世界にも輪廻転生の概念があり、それは現実世界よりも更に顕著なものであり、実際にそれらの現象を垣間見たという貴重なお話でした」
アハウは亡くなった仲間たちの霊体に再会したという。
還らずの都を巡る戦いでそれは起こり、アハウたちを守るために戦った仲間たちの霊体は「いずれ転生をしてまた会える」と約束していった。
クロウは死に別れた実の娘と再会できたという。
残念ながら地獄の門を間に挟んだ再会だったが、クロウは亡き娘の声を聞き届けることができ、死後も彼女が抱えていた想いを受け取れた。
ダグも戦死した仲間たちの声を聞いたという。
天梯の方舟を巡る戦いの最中、仲間を守るため我が身を犠牲にして特攻を仕掛けようとした年嵩の戦士を押し止めるために姿を現したそうだ。
ククリも亡き父母と再会したという。
二人の魂はそれぞれツバサとミロに宿る形で転生を果たし、彼らを超絶パワーアップさせると同時に、ククリを見守ってくれているとのこと。
そもそもの話――還らずの都とは死者の都市。
真なる世界を護るための英霊が眠る地だと聞かされている。
ツバサも破壊神に苦戦していた時、還らずの都に眠っていた友人たちの助太刀に助けられ、あの戦いに勝利できたという。
そんなツバサの娘の一人で七女、ジャジャ・マル。
今でこそ幼女だが、以前は中高生くらいの少年だったらしい。
異世界転移した直後、蕃神に襲われて彼は死亡した。だがツバサやミロの力と様々な要因が重なった結果、幸か不幸か幼女の肉体で転生できた。
本当の意味での異世界転生をした体現者だという。
……ソージ先輩もそうだけど、本人が望んでおらず意図もしていない性転換とかどうなんだろ? ジャジャさんも人知れず苦労していそうだ。
「おわかりいただけましたかな?」
ドヤ顔のソワカはレンに理解を求めてきた。
数珠を幾重にも巻き付けた右手を差し出し、グッと拳を握り締める。
「――真なる世界では輪廻転生が成し得るのです!」
そして、持論が正しいことを強く主張した。
多種族は言わずもがな、強力なアストラル体を持つ神族や魔族ならば、その能力や意識を有したまま復活することも夢ではない。
同盟の人々も認めているので、ソワカの話でも説得力が増す。
もしもツバサさんたちの証言がなければ、胡散臭い坊主の騙りと切り捨てていたかも知れない。いや、レンの冷淡な性格ならそうしていただろう。
レンは渋々ながらも頷くことにした。
「た、確かに……エルドラントさんも甦ったし」
考えてみればレンの身内にもあの世から帰ってきた人がいた。
黄金の起源龍――エルドラント。
バッドデッドエンズの襲撃によりドラゴンの生命と肉体を失ったものの、その核ともいうべき意識は微かなアストラル体を留めており、色んな人の力添えのおかげで復活することができたのだ。
巨大な起源龍から神族の少女に生まれ変わってしまったが……。
これも輪廻こそしていないが転生の1パターンだろう。
「じゃ、じゃあソワカ……さんは、お弟子さんたちがいつの日かどんな形であれ、転生して真なる世界に戻ってくると信じて……?」
「――御意にございまする」
ソワカは胸元に手を添えて丁寧にお辞儀をした。
「あの子たちとて厳しい鍛錬によりLV999に達した者や、LV900以上まで自らを磨き上げた粒揃い……輪廻転生を重ねたとしても、その身にこれまで刻んできた意識を宿したまま生まれ変わってくると信じております」
――また彼らに会えるのです。
その一瞬のみ、ソワカは作り笑顔を脱いだ。
刹那のような短い時間だったが、泣きそうな顔で眉を弱らせながらも嬉しそうに微笑んでいたのをレンの瞳は見逃さなかった。
真なる世界の根幹に関われる内在異性具現化者。
彼らがこの異世界には魂魄というものがあることを認め、たとえ生物学的な死を迎えたとしても、輪廻転生を経ることで再びこの世界に生まれ変われる可能性があると示唆したのだから、ソワカも頼もしかったのだろう。
真なる世界では輪廻転生できる。
ならばいつの日か――八天峰角も帰ってくるかも知れない。
「それまでに真なる世界を平和にしたい……ってこと?」
一時期流行った独特の言い回しで問い掛けながらレンが首を傾げると、ソワカは「うんうん」と大仰に頷いた。全身の数珠を鳴り響かせてだ。
そこからまたマシンガントークを炸裂させてくる。
まるで照れ隠しのように――。
「左様にござりまする。そのためにも拙僧、先ほども申しました通り、粉骨砕身の一念で五神同盟に協力させていただき、この世界の安寧無事のために尽力させていただく所存にございますが、如何に拙僧が努めようとも悲しいかな所詮は個の力に過ぎませぬ。ツバサ殿を始めとした凄まじき御力を持つ方々も大勢いらっしゃいますが、それでも真なる世界に平穏をもたらすには多勢に無勢……」
「……だから一人でも多くの戦力を育てておきたい、か」
長い話をぶった切るようにレンは口を挟む。
――真なる世界を平和にするための戦士を育成したい。
要約すればそれだけの話だ。
レンが過大能力を正しく使い熟せるようになり、愛剣ナナシチを十全に振るえるようになれば、ソワカと並ぶくらいの強者になることも夢ではない。
いや、頑張ればソワカを追い越すことだって……!
「ンフフフ♪ 是非とも拙僧を踏み台にしてほしいものですな」
「……また人の心を見透かして!」
レンは視線を尖らせて嗤う怪僧を睨みつけた。
いや、割と失礼なことを考えていたのはレンの方なので、睨み返すのはお門違いかも知れない。それでも心を読まれるのは抵抗がある。
「兎にも角にも……拙僧はレン殿たちに強くなってもらいたいのです」
今度こそソワカは本心から白状する。
「いつの日か我が弟子、八天峰角がこの地へ帰る時までに、せめても彼らが健やかに暮らせる環境を整えておいてやりたい……親バカと言われればそれまでですが、そのためならば労を惜しむつもりはございませぬ」
「私を強くしたいのは……あくまでもお弟子さんのためってわけか」
ようやくレンはソワカの真意を読み解けた。
「ンンーフフフ……利己的な理由でござりましょう?」
「ウィンクすんな」
バチコーン! なんて音がしそうなウィンクを貰ってもドン引きしかできない。そういえばこのお坊さん、やたら睫毛が濃いから眼力補正がスゴい。
唐突に突風も吹いてきたけど、ウィンクと因果関係があると考えたくない。
やれやれ、と言いたげな態度でレンはため息をついた。
――ソワカは嘘をついていない。
でも、まだ作り笑顔を崩さないので思惑を隠していた。
それが何なのかはレンには知る由もないが、ソワカなりに秘密にしておきたい彼だけの大切なものなのだろう。そこに土足で踏み込むのはマナー違反だ。
途端、ソワカは姿勢を正すと真顔になった。
黙っていればイケメンを地で行く怪僧は礼儀正しく一礼する。
「――その若き肩に未来を託しても宜しいか?」
ソワカはレンに対して、かつてないほど真摯に訴えてきた。
過大能力の使い方に関するコツを教えてもらうとはいえ、稽古をつけてもらうのだからこちらから頭を下げるべきだろう。
なのに、彼は敢えて事情を打ち明けてから誠心誠意に申し出てきた。
「…………ズルいな」
俯いたレンは誰にも聞こえない囁き声で呟いた。
こんなの――断れるわけない。
初対面が最悪だから毛嫌いしたり、素が怪人物だから信じられないと意地悪が過ぎたことを反省したレンは、心構えを改めることにした。
念のためにと抜刀したままだった愛剣ナナシチを背中の鞘に収めると、こちらも負けじと背筋をピンと正してからお辞儀をする。
「こちらこそご指導ご鞭撻のほど……よろしくお願いします」
レンからも真面目に教えを請うことを願い出た。
ソワカは「利己的な理由」と強調したが、弟子を思い遣る気持ちは尊いものだし、強くなりたいと望むレンにしてみれば願ったり叶ったりだ。
断る理由なんてどこにもない。
「ンフフフ……こちらこそよろしくお願い致しますぞ」
ソワカは満足げに相好を崩した。
その笑顔のまま声だけを鋭くすると、レンの足下へ呼び掛ける。
「ところでアンズ殿、そろそろ狸寝入りはおやめなさい」
「……あ、バレちゃってた?」
たった今まで寝息を立てていたはずのアンズがむくりと起き上がり、寝ぼけ眼をこすりながら芝生の上で正座になった。
寝たふりしてたの!? うわー、騙された!
なんて気持ちをレンはおくびにも出さずアンズへ問い質す。
「アンタ、いつから起きてたのよ……?」
「んー? レンちゃんに鼻提灯スパーッ! って斬られたところで起きた。なんか難しそうな話してたから邪魔しちゃ悪いかなーって……」
それで狸寝入りを決め込んだらしい。
アンズの演技にも気付けないなんて半人前もいいところだ。
過大能力の使い方のみならず、武術的な意味でもソワカさんに鍛え直してもらった方が良さそうだと反省する。剣の稽古はセイメイさんや穂村組のコジロウさんに教わっているから、別方面の技術を学びたい。
そのことを注文する前にソワカがアンズへ指摘する。
「狸寝入りでも話を聞かれていたのなら結構。ではアンズ殿にも御指導させていただきますので、レン殿と一緒に強くなっていただきたい」
「へ? あたしも修行すんの? いいけど……」
あたしはレンちゃんと過大能力違うよ? とそこを心配する。
どうやら「ソワカとレンの過大能力が似ているから能力向上のためにレクチャーしましょう」くらいにしか話を聞いてなかったらしい。
アンズは神族だが種別は蛮神。
力に補正が掛かる分、頭脳が弱くなるのが欠点だった。
「異なる能力であろうとも潜在する素質を引き出す行程は同じです」
ンフフ、とソワカはいつもの含み笑いを漏らす。
「恐らくアンズ殿の能力もまた未発達の分野がございます。わかりやすい例を上げれば、獣の形態を真似るのは三カ所が限界ではございますまい……拙僧の見立てが正しければ、もう数カ所は増やせるはずですぞ」
「え、それって……バリエーションを増やせるってこと!?」
使い勝手良くなる! とアンズは諸手を挙げて喜んだ。
アンズの過大能力――【祖霊の獣は我が血肉となれ】。
霊獣、魔獣、神獣、怪獣、その他諸々。
強力なモンスターを倒すと象徴的なメダルをゲットし、それを使うことで獣の力を模倣することができる変身系の過大能力だ。
下位の獣だとしても特殊な能力を持っていたり、見た目ではわからない肉体的な優位性を秘めているので、それを神族の肉体に反映させれば十分強い。
獣のメダルが増えるほど能力の幅も広がる。
ただし、その使い勝手にはいくらかの制限があった。
一度に使えるメダルは三枚まで――。
一枚を使えばそのモンスターに成りきれる。二枚使えば上半身と下半身にそれぞれ別のモンスターの力を現す。三枚同時に使った場合は頭部、上半身、下半身と三つの部位に獣の力が宿すことができる。
これがアンズの限界だった。
一度に使える枚数を増やせれば、当たり前だが攻守ともに戦闘スタイルの応用を利かせられる。メダルの数が増えればその分だけ獣の身体能力を加算できるので、シンプルに肉体のポテンシャルの底上げもできるだろう。
わかっていても限界は限界だ。
器の大きさを超えるものを収めることはできない。
アンズ自身、努力を重ねてきたのだが限界を超えるのは難しい。
ソワカは確認するべく現状を並べていく。
「レン殿もアンズ殿も基礎能力が向上されております。めでたくLV999にも昇級されているのですから、過大能力の拡張も適うはず……」
惜しむらくは――まだ開眼されていないこと。
ソワカの言葉にきょとんとしたアンズは人差し指で瞼を引っ張る。
あっかんべーの舌を出さない仕種だ。
「開眼……目なら開いているよ?」
「ものの例えだよおバカ、物理的に開いてることじゃない」
ポコン、とレンはボケるアンズの後頭部を小突いた。女の子たちの戯れをおかしそうに見守っていたソワカは微笑みながら続ける。
「ンンーフフフ、なんと申せば良いのでしょう……過大能力に目覚めた方々は多かれ少なかれ、世界に大きく干渉できるほどの力を手にされます。これを矮小な人間の心は無意識に『手に余る』と恐れる傾向にあるようです」
結果――自身の力なのに枷を嵌める。
全力を出さないよう拘束具をまとわせる感覚に似ているらしい。
「過大能力で行える超常現象に気圧されるあまり、『自分の能力はこういうものだ』と強烈に印象づけてしまう。ある種の自己暗示ですな」
これが能力の使い道を狭めてしまう。
ソワカに言わせれば「目を閉ざしている」状態らしい。
だからこそ開眼する必要があるのだ。
「オーバードゥーイングとは漢字で読むと過大能力……即ち、過ぎたる大きな能力なのです。そこには限界など設けられていません」
無限の可能性に道を閉ざすのは――自分自身。
「自らの限界を決めるのは己の弱さ、己の甘え、己の卑怯、己の諦め……自分で自身の道を閉ざさんとする自縄自縛の枷にございます」
確信を持ってソワカは断言する。含み笑いも忘れるほどにだ。
「もっと自由に力を行使なさい、己の能力はまだまだこんなものではないと自らを鼓舞するのです。その先に新たな発想が見出せることでしょう」
ソワカは握った両手をパッと広げてイメージを連想させる。
「まずはそういった『自分の能力はこれまで!』という固定観念を取り払うところから始めましょう。そこを乗り越えるだけで能力の多様性が高まりますし、自身という領域を拡大解釈することで器を大きくすることも適いましょう」
ちなみに、とソワカは人差し指を立てて注釈を加える。
「拙僧は元よりツバサ殿たちのような実力者になればなるほど、固定観念の除外や拡大解釈による能力の拡張に取り組んでおりますれば……」
ソワカの解説を聞いていたレンは口が半開きになりかけていた。
このお坊さん……本当に先生なんだ!?
伊達に八天峰角というVRMMORPGでも名の知れた強豪チームを育ててはいない。今の導入みたいなレクチャーもわかりやすくて助かる。
「さて、おわかりいただけましたかなアンズ殿?」
「うん、六割くらいわかった!」
そこはせめて八割ですぞ……とソワカは残念がるも、趣味以外はてんで読解力を持たないアンズに六割わからせただけでも大したものだ。
アンズは正座したまま地面に手を突いて頭を下げる。
「あたしもレンちゃんと一緒に強くなりたいです。だからごしどーごべんたつのほど、レンちゃんのついでによろしくお願いします」
「ついでは余計だから」
自分をついでとか言うな、とレンはアンズの言葉遣いを窘めた。
「良き哉良き哉……善哉善哉」
ソワカは満足げに胡散臭い笑みを濃くすると、僧侶らしく胸の前で手を合わせて合掌しながらお辞儀をした。
「それでは不肖このソワカ・サテモソテモ、レン殿とアンズ殿が更なる強さの階梯を昇れるよう御助力させていただきたいと思います」
「「――よろしくお願いしまーす」」
レンとアンズも息を揃えて、返礼するように頭を下げた。
合掌を解いたソワカは誘うように明後日の方向へ手を差し出す。
「善は急げと申します。さっそく修行場へ……と意気込みたいところ誠に恐縮なのですが、諸般の事情により明日からと致しましょう」
早速か! と勇んで腰を上げかけたレンとアンズだが、ソワカから掛かったストップに前のめりでつんのめってしまった。
レンは正座していたアンズに覆い被さってしまう。
「え、な、なんで……? 行くとしたらツバサさんの異相でしょ?」
「みんなが精神○時○部屋って言ってるところだっけ?」
あそこよりトレーニング場にピッタリなところは思い当たらない。
真なる世界を幾重にも取り巻く亜空間――異相。
ツバサさんはその異相のひとつに「真なる世界の一日がそこでは一年に値する」という時間の流れがまったく異なるものを発見していた。
ランダムで恐ろしく乱高下する気温、重力、大気、酸素濃度……。
人間ならば半日と耐えられない過酷な環境。
おまけに絶えず正体不明のストレスが身体に影響を及ぼすため、二年以上留まれば神族や魔族であろうとも隠れ疲労が限界突破して発狂しかねない。
未知のデスペナルティも待っている想像を絶する空間だ。
逆に言えば一年くらいなら問題なく耐えられる。
そこで五神同盟では、真なる世界との一年=一日という時間差を利用して、この異相を短期集中特訓用の修行場として使っていた。
レンとアンズもお世話になっている。
ここでツバサさんやセイメイさんを始めとした実力者たちにみっちり稽古をつけてもらったおかげでLV999となり、破壊神ロンドとの最終決戦に主戦力の一員として参加することが許されたのだ。
ソワカもあの異相を借りるつもりだったらしい。だがしかし……。
「ンーフフフ、拙僧も鉄は熱いうちに打て! の精神でこの流れのまま件の異相へ飛び込みたい気分でありましたが……」
――ツバサ殿から「待った」が掛かりましてな。
申し訳なさそうに詫びるソワカの口から意外な名前が出てきた。
これにはレンも目をまん丸にして驚かされる。
「……ツバサさんが? 待ったをかけるどころか『強くなりたければ喰らえ!』とばかりにむしろハードモードの修行を強制してきそうなのに!?」
「この前の修行であたしたち殺されかけたもんねー」
のんきに笑っているアンズだが、本当に臨死体験するまで追い込まれたレンにしてみれば信じがたい出来事だ。特訓を奨励することはあっても、それを差し止めることなど有り得ないはずのツバサさんらしくない。
いやいや、とソワカは両手でレンたちを制して事情を明かす。
「その弛まぬ向上心はツバサ殿も褒めてくださいましょうが……肝心の修行場が人でごった返していれば人数制限もやむを得ませんぞ」
「修行場がごった返すほどの人が……?」
「あ、そっか。きっとアレだね。ほら、みんな南方大陸行きたいから」
アンズがぼんやり言った内容からレンも察した。
南方大陸に巣食う蕃神――外なる神と対峙するための遠征隊。
それに選ばれたいやる気に満ちあふれた人たちが、自ら率先して修行するためにあの異相へと出向いているようだ。いくら真なる世界と同じ広さがある異空間だとしても、LV999の戦士が何人も暴れたら大惨事になる。
そのため人数制限が掛けられたのだろう。
「拙僧、念のため予約を取りましたので明日はOKですぞ」
白い歯を見せて笑うソワカは親指を立てた。
「こうなる展開を見越してですか……やりますねGJ」
「お坊さん手回しがいいね!」
アンズとレンは揃ってサムズアップで称賛した。
今日は引き続き休暇を満喫するとして、明日からは異相での修行だからしっかり休む理由ができた。レンはもう少し、この丘でのんびり過ごすつもりだ。
アンズもまた仰向けに寝転がって昼寝を再開する。
「明日お迎えに上がりましょう。それではレン殿、アンズ殿……」
お休み中失礼いたしました、とソワカは別れの挨拶をしてきた。合掌して一礼すると用件を終えた怪僧はそのまま立ち去ろうとする。
「ちょっと待って、ソワカ……さん」
レンはなんとはなしにソワカを呼び止めてしまった。
「ンフフ、まだ何かありますかなレン殿?」
ソワカは大きな背中を見せたまま横顔だけを振り向かせる。呼び止めといてどうしたものかと逡巡するも、レンは意を決して尋ねてみる。
「あなた……まだ何か隠してない? 本当の気持ちとか秘密とか……」
恥ずかしいこととか――。
直感的に見抜けたソワカの真意へストレートに迫ってみた。
怪僧はこちらに向けた片目を大きく見開くと、後ろめたさを感じさせる自嘲に口元を歪めながらも、不躾な質問を咎めることはなかった。
「ンンーフフフ……そこまで看破されておりましたか、お恥ずかしい」
それは見抜いたままのものです、とソワカは認める。
「伏せたるは自身の愚劣さ、自らの無知蒙昧、いつまでも解脱できぬ障礙……そういった拙僧が恥と認める迷妄そのものでございますれば」
――忘れてくださいませ。
懇願するように呟いたソワカは静々と帰っていった。
~~~~~~~~~~~~
本心の影に隠し通した、羞恥に塗れるソワカの真意。
その真意を見抜いたレンに打ち明けたとおり、それはソワカの愚劣、無知、蒙昧、迷妄が凝り固まったものだった。仏門を志しながらいつまで経っても解脱することができず、ソワカの進むべき仏道に障礙として立ちはだかっている。
恥と認める障礙――それは執着。
愛弟子である八天峰角。彼らへの情念を忘れられず捨てられない。
いいや、弟子たちに限った話ではない。
復讐の旅路で出会った女性。勘違いから強者を憎むあまりバッドデッドエンズとなった弟を追いかける旋律師トワコ・アダマス。
彼女に恋慕を抱いたこともまた、愛への執着と言えるだろう。
そして、ツバサ殿が率いる五神同盟の思想。
別次元から圧倒的な侵略を受けるも決して屈することはなく、この異世界を守るため誰よりも先陣を切って厳しい戦いに身を投じていき、迷える衆生を教え導かんとする熱意にも惚れ込んでしまった。
微力ながら力添えしたい、と感じ入ってしまったのだ。
レンたちへの手助けは五神同盟に対するソワカなりの奉仕だった。
怪僧の胸に蟠る執着を数えだしたらキリがない。
弱きを助け強きを挫く、は武道や任侠に端を発する格言。義を見て為ざるは勇無きなり、は孔子が論語に記した名言。
仏門にありながら、ソワカはこれらの言葉を無下にできない性質だった。
師匠が知ったら「このお人好しめ」の一言で片付けるだろう。
それらの執着をソワカはどうしても断ち切れない。
かつて情熱的に仏道を研究し、真の悟りを目指した学問僧がだ。
ソワカは僧侶であり探求者であった。
とある名の知れた宗派の総本山で修行した身。現実世界では正しく僧籍にも登録されており、俗世との縁を切って出家した身でもある。
出家とは読んで字の如く「家を出る」こと。
親、兄弟、家族、親族、血縁、類縁、親類縁者……。
人間として断ち切りがたい人と人とのしがらみを捨てて、その交流よりもたらされる愛憎から遠ざかる。仏に近付くための第一歩である。
早い話、家族との関係を断って縁から生じる迷いを絶つわけだ。
――仏とは執着を捨て去るもの。
富、名声、力、金銭、美食に囚われないのは勿論、異性と快楽に耽る行為はおろか家族愛すらも執着として決別するよう説かれる。現代の仏教はそこまで厳格ではないが、本来の仏道とはそうあるべきものだったはずだ。
働くことさえも現世への執着だと禁ずる。
(※宗派にもよるが修行のひとつとして托鉢があるのは、その教義から働いてはいけない仏僧がその日の糧を得るため、人々から余剰の食物を分けてもらうためのもの。そうしたもので糊口を凌いで日々の修行に励むわけである)
身にまとうのは着古した袈裟と托鉢のための鉢。
これさえも師から譲り受けるもので、年月を重ねてボロボロのはずだ。
(※「衣鉢を継ぐ」という言葉の由来はここから)
現世への未練や執着を捨てて、煩悩に迷う六根を清浄にし、いつの日か悟りを開いて仏へと至る……それは仏法僧に帰依する者にとって窮極の終着点。
そのための初歩、捨て去るべき執着をいつまでも引き摺る。
なんならソワカは後生大事にしてしまう。
真なる世界ならば本当の仏になることも夢ではない。そんな可能性を見出せるというのに、ソワカは結んだ人々との縁に縋るばかりだった。
――いつの日か仏になる。
これは若き日のソワカの抱いた大願である。
長い人類史において生きながら仏となれた御方は唯一人。
天上天下唯我独尊を唱えられたあの御方だ。
いつまで経っても迷いを捨てきれない愚昧な自分には恐れ多い……と卑下しながらも、正しい仏道をひたすら突き詰め、悟りに関する研鑽を積み重ねていけば、いつの日か足下に届くくらいには至れるかも知れない。
そう信じてソワカは修行に明け暮れた。
根を詰めて読経しながら気絶するように眠る日も屡々あった。
そうやって我を忘れて仏や悟りについて研究を重ねるほど、自分がどうしょうもないくらい人間である現実に直面させられる。
幽谷響なる怪僧と遭遇したのは、苦悩の坩堝に嵌まった頃だ。
まさに妖怪と遭遇した心地だったと覚えている。
『無駄な修行はおよしなせえ――おまえさんは人間だ』
修行の成果が出ない虚しさから、逃避するように迷い込んだ総本山の最奥。
修験者も分け入らぬ深山幽谷にて幽谷響と出会った。
『どれだけ足掻き藻掻いて苦しんでも、人の根本は変えられねえ』
『無理が祟りゃあ自分の器を壊すだけでさぁ』
矮躯の老人はソワカの苦労を揶揄うように言った。
『喜怒哀楽を素直に露わとし、何をするにも感情的なる……情が深いと言ゃあ聞こえはいいが、そんなおまえさんはどこまで行っても人間にしかなれねぇ』
『悟りを開く探究? その情熱こそ執念そのものですぜ』
総本山に無許可で棲み着いた謎の老僧。
妖怪じみた猿のような老人は、いくら修行をしても答えが得られず懊悩する若き日のソワカの前に現れると、邂逅早々から舌鋒でこき下ろしてきた。
当初ソワカは一時も耳を傾けなかった。
しかし、幽谷響はこちらを気に入ったのか付き纏う。
先の見えない修行の日々に挫折を覚えてくると、その毒舌は魔境へ誘うようにソワカの心を揺り動かした。
彼の言葉にはそれだけの魔力があったのかも知れない。
『肉体の理屈は獣の理屈、高潔を目指さんとする精神の理論は通じませんぜ。精神の理論もまた、本能のままに生きる獣の肉体にゃあ届かないと来てる』
『だけど肉体と精神の関係は切っても切り離せやせん』
それは――金剛界と胎蔵界ではないか?
どちらも曼荼羅に描かれる真言密教の原理だ。
金剛界は客体であり大地にして肉体的な本能……現象するすべてを網羅して顕わさんとする真理。対して胎蔵界は主体であり天空にして精神的な論理……意識するすべてを感得して顕わさんとする真理。
――両部は不二なり。
互いに決して相容れず、然れど両界なくして真理は成り立たない。
『肉体と精神の理――うまいところで折り合いをつけなせぇ』
無駄な努力を続けるソワカを、老僧は誘うような言葉で諭したものだ。
この老僧――意外と学があるのかも知れない。
ソワカは幽谷響の戯れ言に少しずつ耳を傾け、気付けば距離を縮めており、我に返ってみればすっかり打ち解けていた。
こういうところも幽谷響曰く「情が深い」ゆえなのだろう。
『頭で難しいことこねくり回してばっかいたところで、悟るどころか意識と無意識の迷宮に囚われて心が孤独死するのがいいとこでさぁ』
『肉体は精神のいうことを聞いちゃくれねえし、精神も肉体を思いのままにはできねえ……それでも相互作用ってもんがある。病は気からと申しやすし、肉体を鍛えりゃ精神も鍛えられるってところはございやしょう?』
『おまえさんは図体に恵まれてる。ひとつシゴかれてみやせんか?』
ソワカは幽谷響から戯れに“力法”を伝授された。
殴り合い蹴り合いどつき合い……肉体をいじめ抜いて鍛錬を極め、肉体言語の限りを尽くして悟りを得んとする異端の武術。
元を正せば禅宗の一派が魔道に堕ちたそうだが、信じがたい話である。
それでも武術の鍛錬はソワカの性に合った。
幽谷響をその道における師匠と崇めたのもこの頃だった。
『何度でも言いやしょう――おまえさんは人間だ』
枯れ枝のような人差し指を突きつけて幽谷響は念を押した。
『悟りを目指すのも仏を志すのも構わねぇ……だが心しなせぇよ。他者に執着するっていう優しさを見失ったら、アンタはもう人間でいられねえ。仏となるどころか悟りに辿り着くこともできねぇ……』
人でも神でも獣でもない――異形の何かに成り果てる。
『……ま、杞憂でしょうがねえ』
散々脅しておいて幽谷響は掌を返すように肩をすくめた。
『しっかし、この物欲に塗れるどころか頭のてっぺんから爪先までどっぷり浸かった御時世に悟りを求めるとは物好きな……そして、おまえさんはいい人が過ぎる。これからきっと、大切なものを増やしてその度に執着しやすぜ』
そんな未来が見えてならねぇ、と幽谷響に冷やかされた。
『いっそ――拙僧のように魔道に堕ちたらいい』
魔道とは、およそ仏道の対極にある道。
六道輪廻の輪を逃れて、己が見出した道のみを邁進することを指す。
天狗道とも呼ばれており、仏道では自らの理想を叶えられないと知った修行者が辿り着く末路のひとつだと古から言い伝えられている。
そして、幽谷響も魔道に堕ちていた。
『道から堕ちる果てには魔道、道から外れる果てには外道、望み求めて欲せども、いずれ道も尽き果てる……残るは虚しい足跡ばかり』
幽谷響はこの繰り言をよく好んだ。
彼のように魔道へ堕ちた者を魔道師と呼ぶらしい。
……そんな男が由緒正しき総本山に住むことを黙認されたのか?
そこだけは謎のままだった。
ある日、幽谷響はソワカの生き様を評するように言った。
『愛しき者に執着し、それらを大切に想いながら共に憩いて時を過ごし、守るためならば我が身を呈して烈火の如く怒り、衆生が平穏無事に過ごせるようにと凡愚を力尽くで説き伏せる……まるで明王にございやすね』
そういう魔道を歩いてみなせぇ、と幽谷響に勧められた。
もしも魔道を往くならば――その時は“瀧霊王”と名乗るがいい。
『とっくの昔に先代がおっ死んじまって長らく絶えていた魔道だが……おまえさんにゃあピッタリの号名だ。それまでは川と山を行ったり来たりでどちらにも居着きゃしねえ妖怪、どっちつかずの“山童”とでも名乗るんだな』
ンフフ、とソワカはいつもの含み笑いを零す。
瞑想のように瞼を閉ざしていたら、懐かしい記憶に揺蕩っていた。
「仏、解脱、悟り……真理を得たいと厨二病めいたことばかり口走り、現実のなんたるかも直視しなかったあの頃……あなたと出会えたのは拙僧にとって僥倖だったのでしょう……あなたを師と敬ったことも……」
帰り道の途中、ふと足を止めたソワカは空を見上げる。
抜けるような青空は地球と変わらない。総本山の山奥、力法の修行で疲れ果てた時に仰いだ空とまったく同じだった。
他愛ないことなのに、どういうわけか無性に感慨深くなってしまう。
ソワカの胸にある覚悟が芽生えてくる。
「……今からでも遅くはない、魔道へ鞍替えいたしましょうか」
また会いたいものですな――幽谷響翁。
「師への敬愛もまた妄執……ンンーフフフ、悟りには程遠いですな」
自らを嘲りながらソワカは楽しげに独りごちた。
~~~~~~~~~~~~
五神同盟の修行場として使われている特別な異相。
ツバサが発見し管理するこの亜空間は、真なる世界とほぼ同等の世界が広がっており地形も似通っているのだが、瓜二つというわけではない。
少なくとも文明の存在した痕跡がないのだ。
新興国ともいうべき五神同盟の各都市が見当たらないのは勿論のこと、還らずの都のような古い建造物もない。探索で見つかる遺跡と同じ緯度経度を尋ねてみても、そこに文明のあった証を見出すことはできなかった。
あくまでも地形が似ているだけの別世界。
おまけに気温は極寒から灼熱まで、大気成分の濃度は極端に濃くなったり薄くなったり、重力や大気圧も人間なら即死するレベルで乱高下する。
空には太陽が巡り昼夜もあるが、その陽光に含まれる光線も変わりやすい。
勿論、これも致死レベルまで上昇することがザラだ。
糅てて加えて――謎のストレスまで付与された。
長期間さらされればフィジカルのみならずメンタル的にも強くなったはずの神族や魔族ですら躁鬱病を発症し、最悪の場合には発狂するほど心身を害しかねない正体不明の疲労感がこの地に留まるものを蝕んでいく。
症状が現れにくい病にも似ていた。
神族や魔族でこうだから、人間どころか多種族を連れ込むことも難しい。
――万が一には緊急避難場所になるかも?
そんなツバサの期待は過酷な環境のせいで早々に打ち砕かれ、この正体のわからないストレスの発見は追い打ちのトドメとなった。
それでも真なる世界の一日で一年相当の修行ができる異相。
格闘漫画を読み込んだ者ならば一度は夢に見るし、ツバサのような修行中毒者には垂涎の的である「精神○時○部屋」みたいな場所。
――有効利用しない手はない!
そのため安全に利用できるよう事前調査は欠かさなかった。
フミカやアキのような情報処理能力に長けた者に協力を仰ぎ、徹底的に分析をした結果、この隠れ弱体化めいた謎のストレスを発見できたのだ。
神族や魔族をも狂い死にさせる正体不明のストレス。
しかし、顕著な症状が現れるのは約2~3年後。
それまでに異相を出て十分な静養を取れば回復するし、後遺症などに悩まされることはないと幾度かの実験で判明した。
ならば「精神○時○部屋」を参考にすればいい。
あの異空間も「一人が使えるのは一生のうち48時間=部屋の内部時間で2年まで、それ以上使うと外に出られなくなる」という制限があったはずなので、それに習って「一度の修行は一人一年まで」とルールを制定した。
一年を超えたら自動的に追い出す特殊魔法も設定。
再利用に際しては、正体不明のストレスが完全に脱けるまでを見積もって、最低でも一ヶ月以上のインターバルを置くことも取り決めた。
こうして――ツバサの発見した異相は修行場になった次第である。
真なる世界だとハトホル太母国がある地点。
そこに修行者のための簡易的な休憩施設が建てられていた。
……あくまで「寝泊まりできればOKの質素なやつでいいからな?」と注文したのだが、工作者の長男と変態と若執事が張り切ってしまい、階数こそ高くないものの高級ホテル張りの宿泊所を建ててしまったのだ。
彼らの好意も無下にできず、有り難く利用させてもらっていた。
この異相で修行する者、その指導に当たる者、何らかの理由で付き添いをする者は、ここで寝泊まりすることができる。
家事などは専用AIを積んだロボットが担当。
炊事、洗濯、掃除、ベッドメイキングまで、休憩施設の一切を管理してくれる至れり尽くせり機能付きなので、修行者はトレーニングに専念できる。
また、宿泊施設自体も特別仕様だ。
異相の過激すぎる環境をものともせず、建物内を快適な生活圏として保護し、例のストレスさえも緩和させる防御スクリーンを常時展開していた。
これは工作者たちの良い仕事だった。
そんなわけで――異相でのトレーニングは宿泊所が中心となる。
周辺地域は大災害に見舞われることが多い。
LV999となった戦士たちが訓練に励むため、周囲では大地を揺るがす激震が起きたり、天を焦がすほどの噴炎が立ち上ったり、突如として竜巻が起こったりと、立て続けに天変地異が巻き起こるのも致し方ないことだった。
こうした被害の余波も見越して、休憩施設は頑丈に建てられている。
――宿泊所から数㎞離れた地点。
草木も生えない荒野に巨大な鉄塊が転がっていた。
それはアダマント鋼の塊だった。
真なる世界において最強の硬度を誇る金属。それが精錬されて密度もある正方形の塊として、無造作に荒野へ放り出されていた。
高さは五階建てのビルに相当する直方体。
そんな鋼の塊へと一心不乱に拳を叩き込む少年の姿があった。
ククルカン森王国 戦士 カズトラ・グンシーン。
獣王神の懐刀を自称する少年だ。
第一印象は痩せた狼。初対面の人間には必ず「藪睨み」と勘違いされるほど眼光の鋭い少年だ。線が細いながらもワイルド風のイケメンである。
いつもなら母親代わりであるマヤムから年相応にスタイリッシュなファッションを着せられているのだが、特訓中なので稽古着を着用していた。
袖なしの道着みたいなものだ。
乱雑なウルフカットを振り乱して拳を振るう。
左腕は当人のものだが、右腕は頑丈そうな義手になっている。
鋼鉄と宝玉を織り交ぜたかの如き堅牢な義手。
これはカズトラが兄や姉と慕った仲間の置き土産。非道な実験により命を失った彼と彼女が、生き残った弟分に託した力の精髄だ。
二人の名前に肖って“ガンマレイアームズ”と名付けられていた。
――自分の拳と義手の拳。
握り締めた左右の鉄拳を交互に打ち出しては、オラオラとかドラドラとかガトリングと叫びたくなる突きの連打を繰り出している。
渾身のパンチを乱れ打つも、気合いの入った雄叫びは上げない。
「……フッ……ハッ……ホッ……フッ……ッ!」
リズミカルな呼吸を心掛け、息を切らさずスパーリングを続けられるように自分の心肺機能の限界を測りながら、アダマント鋼を殴り続けていた。
サンドバッグへの打ち込みを続けるボクサーのようだ。
しかし、鉄塊に変化は見られない。
LV999となったカズトラの腕力ならば、生身の左拳をジャブで打ち込んだとしても拳の跡ができるはずだ。本気の連打をこれだけの勢いで繰り出せば、アダマント鋼の表面に歪なタコ焼き器みたいな凹みがいくつも生じるはず。
なのに――鋼の表面は傷ひとつない平面のままだった。
握り固めたガンマレイアームズの拳。
それがアダマント鋼に叩きつけられると凄まじい衝撃音こそ走るものの、鉄塊は揺れ動くことはなく歪みも傷付きもしない。
拳にて叩き込まれる強力な衝撃波。
それは一切の破壊行為を行うことなく、一意専心の如くまっすぐに鉄塊を貫通していき、反対側に突き抜けると振動波の嵐となって吹き荒れる。
空間を破裂させる破壊力を、二人の巨漢が受け止めていた。
「良いですぞカズトラ君! そなたはやはり筋がいい!」
「さすが兄上の見込んだ才能! 二月半で“徹”を物にできてますぞ!」
鉄塊を貫いてくるカズトラの衝撃波。
それが外界へ被害を及ぼさないように、二人の僧形の男がその巨体で受け止めていた。いや、巧みな手捌きで処理を行っているのだ。
ハトホル太母国所属 穂村組 構成員 次男ドン・サガミ。
ハトホル太母国所属 穂村組 構成員 三男ソン・サガミ。
ダテマル三兄弟の愛称で親しまれる、大入道な風体をした双子の大男。
両者とも身の丈は2m10㎝に届き、仁王顔負けのゴツい顔をしているのでよく年長者と間違えられるが、こう見えてツバサと年が近い好青年コンビだ。
こぶしが利いた声も年嵩に思われるのだろう。
綺麗に剃り上げた禿頭に、鍛え上げた筋肉質な巨体。僧侶の格好が様になるほど穏やかな物腰と温和な性格でもある。
僧形なので質素な墨染め衣を身にまとう。一応、袈裟らしきものを羽織っているが、怪僧ソワカのそれより簡素で普段着っぽい仕様だった。
彼らも穂村組の一員、武道武術に秀でている。
――ダテマル三兄弟の流儀は骨法。
日本の武道ながら柔術や相撲などよりも当身技(殴る、蹴る、突く)を主体として伝承されてきた徒手武術だ。
中国拳法を発祥とする説や、古代日本から伝わるという固有説。柔術などの日本伝統武術から分派し、その発展過程で他流派の技術を取り込んでいき、当身主体の武術として確立されていった説など由来は諸説ある。
ダテマル三兄弟の流儀では“徹”という特殊な技法を重んじていた。
発勁という技術がある。
単語自体は中国武術に由来するのだが、同様の技術は様々な格闘技やスポーツに形を変えながら取り入れられていた。
――全身の力を余す所なく一点に注ぎ込む。
これを基本とした力の操作法。
身体を動かす意味での運動ならば、いくらでも用途がある技術だ。
特に打撃系に取り入れた場合、徒に外傷を与えるのではなく、内側に打撃力を注ぎ込むことで、内臓を押し潰すような重々しいダメージを期待できる。合気が本職で打撃系には頼らないツバサも強敵相手にはよく使っていた。
彼らの“徹”はこれをより先鋭化させたもの。
対象に攻撃をインパクトさせる瞬間、手や腕の筋肉を用いて特殊な振動波も付与することで、打撃に途轍もない貫通力を持たせたり、任意の場所に破壊的な震動を引き起こさせて内部から爆発させたりする。
ただの拳打や掌底に恐るべき威力を持たせるのだ。
カズトラの戦闘スタイルは、義手を中心とした打撃技主体スタイル。
骨法の“徹”は相性がいいということで、カズトラ自身が頭を下げて弟子入りを志願する形で指導を願い出、ダテマル三兄弟はこれを快く了承。
こうしてマンツーマンの指導となった次第である。
カズトラが練習で打ち込む“徹”。
それはアダマント鋼の塊にかすり傷すら負わせることなく、貫通する衝撃波となって鉄塊を通り抜けていき、その先で大気を爆ぜさせる威力となる。
この練習は貫通力をメインにしたものだ。
鉄塊を通り抜けてくる衝撃波を処理するドンとソン。
丸太のような豪腕でカズトラの衝撃波が被害を出す前に、適切な処理で無力化していく。その際、生徒の上達振りを確かめるのも忘れない。
「カズトラ君、威力は申し分ない! 次は鉄塊をなるべく揺らさずに、余計な震動を与えないように注意なさい! さすれば鋭さが増しますぞ!」
「そして動きを減らすことも心掛けるのです! 予備動作を少なく、挙動を相手へ悟らせぬように! 余分な動きを極力削ぎ落としていくのです!」
ドンとソンは良いところを褒めながら的確に改善点を指示する。
本人たちは無自覚だが褒め伸びを実行していた。
「……フッ! ……ハッ! ……ハァッ!」
全力で打ち込むカズトラに返事をする余裕はない。
だが両耳はトレーナー役を務めてくれるドンやソンの助言を聞き漏らさず、指導された一言を自身のアクションへと反映させていった。
どれほどアダマントの塊を殴り続けたか――。
「……よし、そこまでズラ」
ダテマルの制止に、ようやくカズトラは両手を休めることができた。
今すぐ仰向けに倒れたい疲れ具合だが、人一倍根性のあるカズトラは弱音も吐かくことなく、ただ深呼吸を繰り返して両足を踏ん張っていた。
その意気や良し――ダテマルは無言で頷く。
ハトホル太母国所属 穂村組 若頭補佐 長男ダテマル・サガミ。
ドンとソンの兄、ダテマル三兄弟の長兄である。
禿頭で強面の大男にしか見えない双子の弟たちに対して、身長170㎝くらいの甘いマスクをした美青年である。三人並んだらドンとソンが兄で、ダテマルが一番下の弟と思われても不思議ではないだろう。
青銅色の髪を逆立てた細マッチョ体型。
弟たち同様に墨染め衣を着ているが、いつも上半身をさらすように諸肌を露わにしており、はだけた衣は腰の周りに靡かせていた。
彼がカズトラの指導役である。
骨法の腕前ならば兄弟最強のダテマルがトレーニング内容を決定し、ドンとソンはトレーナーとしてカズトラの指導に当たっていた。
腕を組んだダテマルはカズトラを見据える。
教導を請け負った身として、厳しい表情が揺らぐ様子はない。
カズトラも目を逸らさず技を学ぶ師を見つめた。
ダテマルは意味深長に視線を横へ逸らすと、そこに居並ぶアダマント鋼の塊とは別のオブジェクトへ向かうようにカズトラを促した。
それは一列に並んだ梵鐘だった。
ひとつひとつが最大サイズの梵鐘で、すべてアダマント鋼で鋳造された特注品である。魔法により支えもなく宙に浮かんでおり、お互いの距離感が触れるか触れないかという絶妙な間合いを保ったまま並んでいた。
数は全部で12鐘。
まだ呼吸が整わないカズトラだが、ダテマルの意を読み取る。
先ほどまで軽快なフットワークを熟していた両足が、動きを止めると鉛みたいに重くなるが、構うことなく梵鐘の列の前へと立った。
するとダテマルが命ずるように言う。
「――五番!」
言われると同時に、カズトラは義手の拳を一番目の梵鐘に打ち付けた。
しかし、梵鐘は音を響かせない。
よくお寺から聞こえる「ゴォ~~ン……」という鐘の音が鳴ることはなく、僅かに鋼の身を震わせる振動が起こるばかりだった。
静かな振動は二番目、三番目、四番目の鐘へと伝わっていく。
やがてダテマルが指示した五番目の鐘に振動は辿り着いたが、ここも小さく小刻みに梵鐘を震わせるだけに留まった。
六番目も通り過ぎかけた時、ついに梵鐘は打ち鳴らされた。
ただし、その音色はえらく中途半端である。おまけに七番目の鐘も釣られるように鳴るのだが、これも鳴らし方を失敗したみたいに弱々しい。
疲労困憊なカズトラの顔に苦味が走った。
これは“徹”を貫通力を操作して、任意の場所で炸裂させる練習。
ダテマルの上げた番号の梵鐘を鳴らせば成功なのだが、通り越した上に変なところで鳴らしてしまったのはカズトラが未熟ゆえだ。
「――十一番!」
しょげるカズトラに構わず、ダテマルは力強い声で続けた。
叱られたように義手の腕を反射的に振り上げたカズトラは、一番目の梵鐘をもう一度殴りつけた。今度は十一番の梵鐘を鳴らせればクリアだ。
しかし、打ち込んだ振動はあっさり十一番を通り抜ける。
十二番まで追い越して、何もない虚空に衝撃波を吹き荒れさせた。
「……ッかはぁ!」
汗だくになったカズトラは胚の空気をすべて吐き出すような声を上げると、力尽きたように膝から崩れ落ちた。
長時間の特訓で身体は疾うに限界を迎えていたのだ。
それでも何とか根性を振り絞って立っていたのだが、二度の失敗がショックとなって緊張の糸が切れてしまったらしい。
浮かぶ梵鐘の下、カズトラは四つん這いで激しく呼吸を繰り返す。
「す、すんません、ダテマルさん、ドンさんソンさん……ッ!」
カズトラは息継ぎしながらも詫びの言葉を発する。
「つきっきりで“徹”の稽古をつけてもらってるのに……まだ、全然ロクに使えなくって……申し訳ありませんッ! すぐ、立ちますから……ッッッ!」
笑う膝に鞭を打ってカズトラは立ち上がろうとする。
そこへドンとソンが駆け寄り、慌てた口調で押し止めた。
「無理は禁物ですカズトラ君。よく兄者の荒行に耐えております……そろそろ一息入れても良い頃合い。身体を壊しては元も子もありませぬぞ」
「ドンの言う通りです。それに自身を卑下なさるな。まだ二ヶ月半だというのに、ちゃんと様になる“徹”を放てておるではおりませぬか」
カズトラの健康を気遣うドンと、その成長振りを讃えるソン。
そして、朝から休憩なしでぶっ続けの猛特訓を課せられても文句ひとつ言わずに黙々と遂行し、精根尽き果ててもまだ音を上げないカズトラ。
「まったく……おまえらはお優しいズラな」
弟たちや新弟子を見つめていたダテマルの表情が緩んだ。
「そんなんだから、オラが厳しくて口喧しい嫌われるタイプの師匠役をやんなくちゃ絞まらなくなるんズラ……やれやれ、長男は損な役回りズラよ」
眉を八の字にして吐息を漏らしたダテマルは微笑んだ。
「おい、カズトラ君よ」
「お……押忍! なんすか師匠……?」
師匠と呼ばれて満更でもないのか、ダテマルの口角は更に緩んだ。
「まあ――及第点ズラな」
組んでいた腕をほどいてダテマルは歩き出す。その歩調と方向から行く先を読んだ二人の弟は、ふらつくカズトラを抱え上げてソッと退いた。
「異相に来て二ヶ月と半分。食う寝るもそこそこにオラたち兄弟三人掛かりでみっちり稽古をつけてやって……ほぼほぼ“徹”の基礎は押さえてるズラ。貫通力だけなら合格、及第点はコントロールがまだまだってところズラな」
ダテマルは一番目の梵鐘の前に立つ。
「オラが見込んだ通り、やっぱり君は筋がいいズラ」
構えはせず右手を梵鐘に添えると、一瞬だけ彼の姿が激しくブレる。殴ったり叩いたり、手足を大きく動かした予備動作はまったく見えなかった。
次の瞬間――梵鐘が高らかに奏でられる。
鳴り響くどころではない。音階を踏んだ演奏を始めたのだ。
即興ながらも一番目から十二番目の梵鐘で異なる音色を奏でて、鐘の音による重奏を異相すべてに響き渡らせる勢いで轟かせていた。
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」――。
その最高潮とも言えるサビの部分を、梵鐘の音色で再現しているのだ。
これが“徹”を極めた者の為せる技。
対象に打ち込む衝撃波や振動波を、微に入り細を穿つまで緻密に制御できるからこそ成し遂げられる絶技だった。
お手本を示したダテマルは気前のいい笑顔で告げる。
「まずはこのくらい、手慰みでできるようになってもらわんとズラな」
カズトラは尊敬の眼差しを送るしかなかった。
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