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第20章 ハンティングエンジェル オンステージ!

第480話:特訓特訓ま~た特訓!

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「――私は八天峰角エイトホーンの代わりにはなれません」

 レンは機先きせんを制するように断りの一言を投げ掛けた。

 我ながらひどい物言いだと思う。

 愛想のない生まれ付きの無表情で冷たく言い放ち、相手の精神的外傷トラウマえぐって塩をむ行為なのは自覚している。

 でも、はっきりさせておいた方がいいと思ったから言わせてもらう。

 ソワカは本心を隠している――それは疑いようがない。

 LV999スリーナインとなってレンなりに相手の表情、態度、雰囲気から心中を読み解ける心眼しんがんを使えるようになったので、ソワカの心を見透みすかしてみた。

 利己的りこてき理由りゆうからレンを強くしたい。

 その理由とは、亡くした八天峰角エイトホーンへの想いを捨てきれず、彼らを失った悲しみを埋め合わせるため、新しい弟子を育ててまぎらわせるつもりではないか?

 あるいは、レンに八天峰角の影を重ねているのではないか?

 なんにせよ、ソワカの宣う「利己的な理由」という言葉には、八天峰角への未練を嗅ぎ取ることができた。彼らのために怨敵おんてきであるグンザという男を打倒するために活動してきたソワカの来歴がそれを裏付けている。

 おやまあ――なんて口にはしないがソワカは呆けた。

 悪役ヴィランを気取る表情も忘れて、素の顔をわずかにのぞかせている。

「ソワカ……さん。誤解のないように言いますけど……」

 リアクションをせず次の句を待っているので、レンはお望み通りに言葉を連ねさせてもらった。説得するように語気ごきを強めていく。

「あなたが利己的りこてきと言い張ろうとも、私の悩みを思って力を貸そうとしている善意の気持ちは、なんとはなしに伝ってきます……でも、それ以上に亡くなったお弟子さんたちへの感情が読み取れてしまう……だから!」

 私は八天峰角エイトホーンの代わりにはなれません! とレンは断言した。

 途端とたんにソワカは豹変ひょうへんする。

 牙を見せつけて威嚇いかくする獣の如き相貌そうぼう。なのに口角こうかくは耳元まで裂けるかのように釣り上がっており、両眼は下弦かげんつきのようにまたたいていた。

 先ほどまでとは段違いの気迫、胡散臭うさんくさも揮発きはつする凄まじさだ。

 威圧的いあつてきな笑顔のままソワカは重低音じゅうていおんで告げる。

「代わり……? 誰しもがこの世に唯一無二ゆいいつむにで生まれてきた生命いのちです」



 ――レン殿あなた八天峰角かれらの代わりは務まりませぬよ。



 ソワカの双眸そうぼう痛烈つうれつにそう訴えていた

 目は口ほどにものを言う、この格言をレンは実感させられる。

レン殿あなたはレン殿、八天峰角かれら八天峰角エイトホーン……」

 ひとえにそれだけです――ソワカは静かに言葉をむすんだ。

 言外で遠回しに「思い上がるな」と叱られている気分だった。

 ソワカはそれ以上のことを口にしていないのに、眼光を介して彼の思念がレンの脳内に注ぎ込まれたような感覚に見舞われた。三時間に渡る説法せっぽうを圧縮して、直感的に思い知らされた錯覚に思わず嘔吐えずきそうになる。

 脳の処理が追いつかず、自律じりつ神経しんけいまで圧迫あっぱくされたのかも知れない。

 レンが吐き気を覚えてたじろぎかけた頃――。

「ンフフフ、でもまあ……当たらずも遠からずではありますな」

 ソワカはいつもの調子に戻った。

 詐欺師さぎしめいた愛想あいそわらいを浮かべたまま崖先の中空に浮かんでいたが、飛行系技能スキルでゆっくり宙を歩き、レンのいる丘へ歩み寄ってくる。

 足音は立てないのは空中だから当たり前。

 ただし、衣擦きぬずれはおろか身体中に帯びた数珠じゅずさえ鳴らさない。

 技能スキルによる消音ではない。彼の所作しょさは一切の音を立てていなかった。

 その事実に気付いたレンは人知れずゾッとする。

 この体捌きを得るにはどれほどの鍛錬を積めばいいのか――!?

「亡くした内弟子たちの代わりにレン殿を育成する……弟子を失った寂しさをレン殿で埋め合わせようとする……拙僧せっそうも元を正せば修行不足の青二才あおにさい、悟りを目指して修行をしようと故あって神族に転じようと……」

 煩悩ぼんのうは拭えておりませぬ、とソワカは自嘲じちょうするように呟いた。

 丘の先端まで来たソワカは立ち止まらない。

 レンの前まで来るも立ち止まらず脇を抜けて、後ろでまだ眠りこけているアンズを踏まずに避けると、スタスタと丘の広いところまで歩いていく。

 こちらが振り向けば、あちらも足を止めて振り返った。

「レン殿に今は亡き八天峰角エイトホーンを重ねて、せめてものなぐさめにしたい……心のどこかでそう捉えている部分もありましょう。拙僧せっそうもまた弱き人間ですからな」

「……否定しないんですね」

 意外そうなレンの一言に、ソワカはかすかながらも眉根まゆねを寄せた。

 ソワカの発言からはつらさのにじ苦悩くのうを感じられる。

「全面的には難しいですな。ンフフ……あらゆる物事は複雑に構成された多面体ためんたいなのです。拙僧せっそう心理しんりにもそういう側面そくめんがないとは言い切れません」

 ならば肯定すべき、といういさぎよ心境しんきょうのようだ。

「それに……レン殿の思い違いには変わりありませぬからな」

「思い違い……いや、読み違い?」

 武術ぶじゅつ稽古けいこつちかった先読みから発展させた読心術だが、まだまだ場数ばかずが足りていないレンはソワカの本心を読み間違ったらしい。

「言ったではありませぬか――利己的な理由からだと」

 悪辣あくらつさで形相ぎょうそうかためて、また作り笑いを浮かべる怪僧かいそう

 やっぱり本心は隠したいようだ。今度は隠したい理由は正しく読めた。

 これは恥じらい――もしくは羞恥心しゅうちしん

 恥ずかしさを誤魔化すために、怪しさを演出しているようだ。

 それでも本音を打ち明ける決心をしたらしい。

「拙僧はレン殿に強くなってもらいたい。それはズバリ、真なる世界ファンタジアを脅かす外敵を討ち払い、この地に安寧あんねいをもたらしていただくため……いつの日か八天峰角エイトホーンが戻りし未来、そこに平穏無事な世界を築いてもらいたいがためなのです」

「え、平和な未来って……八天峰角が戻ってくる!?」

 冗談半分に言っていた世界平和のためにレンを強くしたい、というのが本心なのもビックリしたが、それに続いた本当の理由に耳を疑った。

 驚きも隠せないレンは唖然とする。

陰秘学オカルト妄言もうげんではありません、拙僧は事実を申し上げております……」

 ソワカはつらつらとたたみかけてきた。

 ビシリ! と人差し指を突き立てて迫真の一声を投じてくる。

「そう! 貴方様あなたさまたちならば、あの子らの歩もうとした未来を創れる! そして、あの子らの帰ってくる場所を作ることもできるのでございます!」

 悪鬼も逃げ出す面構えのままだが、ふる熱弁ねつべんに嘘はなさそうだった。

 この宣言はソワカの本心に極めて近い。

 八天峰角エイトホーンは亡くなった――鬼籍きせきに入った故人こじんだ。

 なのに、彼らが戻ってくるとソワカは信じて疑わない様子である。

 現実世界リアルならばオカルトを盲信もうしんした戯言ざれごとと切り捨てるべきだが、ここ真なる世界ファンタジアでは微妙なところだ。死者の復活も叶わぬ願いとは言い切れない。

 事実、それらしい情報をレンも風の噂に聞いていた。

「戦争終結後……拙僧は各所へお邪魔させていただきました」

 絶句するレンに今度はソワカが言葉を紡いでいく。

「バッドデッドエンズ討伐とうばつ主眼しゅがんを置いていたとはいえ、レン殿を始めとしたルーグ・ルー陣営の方々に腕試しと称して喧嘩けんかを吹っ掛けたのは紛れもない事実でしたからな……機を見て各方面の皆々様へ頭を下げに参りましたよ」

「ああ、ぞくにいう謝罪しゃざい行脚あんぎゃ……」

 なんかハトホル一家ファミリーのツバサさんもあちらの変態メイド長を連れて各方面に謝り倒していたらしいけど、最近の流行はやりなのかしら?

 面会は認められ、挨拶も兼ねて対談たいだん座談ざだんをしてきたという。

 フットワークが軽くて世渡り上手なお坊さんだ。

「ンンーフフフ、そこは社交的しゃこうてきとおっしゃっていただきたいですぞ」

「……こっちが心を読まれてりゃ世話ないし」

 レンでも多少なりとも読心術が使えるようになったのだから、より格上のソワカに心の裏を読まれても仕方あるまい。

 ソワカは指を折って数え出す。

「ドンカイ殿、ジョカ殿、ミサキ殿、レオナルド殿、マヤム殿、バンダユウ殿、ヌン陛下、ヒデヨシ殿……様々な方と交流いたしましたが、取り分けツバサ殿、アハウ殿、クロウ殿、ククリ殿、ダグ殿」

 この方々から聞いた話が興味深い、とソワカは感慨深げだった。

 ハトホル太母国の女王 地母神 ツバサ・ハトホル。
 ククルカン森王国の王 獣王神 アハウ・ククルカン。
 タイザン府君国の王 冥府神 クロウ・タイザンフクン。
 還らずの都を奉る巫女 ククリ・オウセン。
 スプリガン族 総司令官 ダグ・ブリジット。

 彼ら彼女らから聞いた話をソワカは語る。

「この真なる世界ファンタジアにも輪廻転生りんねてんしょう概念がいねんがあり、それは現実世界よりも更に顕著けんちょなものであり、実際にそれらの現象を垣間見かいまみたという貴重なお話でした」

 アハウは亡くなった仲間たちの霊体に再会したという。

 還らずの都を巡る戦いでそれは起こり、アハウたちを守るために戦った仲間たちの霊体は「いずれ転生をしてまた会える」と約束していった。

 クロウは死に別れた実の娘と再会できたという。

 残念ながら地獄の門を間に挟んだ再会だったが、クロウは亡き娘の声を聞き届けることができ、死後も彼女が抱えていた想いを受け取れた。

 ダグも戦死した仲間たちの声を聞いたという。

 天梯てんてい方舟はこぶねを巡る戦いの最中、仲間を守るため我が身を犠牲にして特攻とっこうを仕掛けようとした年嵩としかさの戦士を押し止めるために姿を現したそうだ。

 ククリも亡き父母と再会したという。

 二人の魂はそれぞれツバサとミロに宿る形で転生を果たし、彼らを超絶パワーアップさせると同時に、ククリを見守ってくれているとのこと。

 そもそもの話――還らずの都とは死者の都市ネクロポリス

 真なる世界ファンタジアを護るための英霊えいれいが眠る地だと聞かされている。

 ツバサも破壊神ロンドに苦戦していた時、還らずの都に眠っていた友人たちの助太刀に助けられ、あの戦いに勝利できたという。

 そんなツバサの娘の一人で七女、ジャジャ・マル。

 今でこそ幼女だが、以前は中高生くらいの少年だったらしい。

 異世界転移した直後、蕃神ばんしんに襲われて彼は死亡した。だがツバサやミロの力と様々な要因が重なった結果、幸か不幸か幼女の肉体で転生できた。

 本当の意味での異世界転生をした体現者たいげんしゃだという。

 ……ソージ先輩もそうだけど、本人が望んでおらず意図もしていない性転換とかどうなんだろ? ジャジャさんも人知れず苦労していそうだ。

「おわかりいただけましたかな?」

 ドヤ顔のソワカはレンに理解を求めてきた。

 数珠じゅず幾重いくえにも巻き付けた右手を差し出し、グッと拳を握り締める。

「――真なる世界ファンタジアでは輪廻転生りんねてんしょうが成し得るのです!」

 そして、持論が正しいことを強く主張した。

 多種族は言わずもがな、強力なアストラル体を持つ神族や魔族ならば、その能力や意識を有したまま復活することも夢ではない。

 同盟の人々も認めているので、ソワカの話でも説得力が増す。

 もしもツバサさんたちの証言しょうげんがなければ、胡散臭い坊主のかたりと切り捨てていたかも知れない。いや、レンの冷淡な性格ならそうしていただろう。

 レンは渋々ながらも頷くことにした。

「た、確かに……エルドラントさんも甦ったし」

 考えてみればレンの身内にもあの世から帰ってきた人がいた。

 黄金の起源龍オリジン――エルドラント。

 バッドデッドエンズの襲撃によりドラゴンの生命と肉体を失ったものの、そのコアともいうべき意識は微かなアストラル体を留めており、色んな人の力添えのおかげで復活することができたのだ。

 巨大な起源龍オリジンから神族の少女に生まれ変わってしまったが……。

 これも輪廻りんねこそしていないが転生てんせいの1パターンだろう。

「じゃ、じゃあソワカ……さんは、お弟子さんたちがいつの日かどんな形であれ、転生して真なる世界に戻ってくると信じて……?」

「――御意ぎょいにございまする」

 ソワカは胸元に手を添えて丁寧ていねいにお辞儀じぎをした。

「あの子たちとて厳しい鍛錬たんれんによりLV999スリーナインに達した者や、LV900以上まで自らを磨き上げた粒揃つぶぞろい……輪廻転生を重ねたとしても、その身にこれまで刻んできた意識を宿したまま生まれ変わってくると信じております」

 ――また彼らに会えるのです。

 その一瞬のみ、ソワカは作り笑顔を脱いだ。

 刹那せつなのような短い時間だったが、泣きそうな顔で眉を弱らせながらも嬉しそうに微笑んでいたのをレンの瞳は見逃さなかった。

 真なる世界ファンタジア根幹こんかんに関われる内在異性具現化者アニマ・アニムス

 彼らがこの異世界には魂魄たましいというものがあることを認め、たとえ生物学的な死を迎えたとしても、輪廻転生を経ることで再びこの世界に生まれ変われる可能性があると示唆しさしたのだから、ソワカも頼もしかったのだろう。

 真なる世界ファンタジアでは輪廻転生りんねてんしょうできる。

 ならばいつの日か――八天峰角エイトホーンも帰ってくるかも知れない。

「それまでに真なる世界を平和にしたい……ってこと?」

 一時期流行った独特の言い回しで問い掛けながらレンが首を傾げると、ソワカは「うんうん」と大仰おおぎょうに頷いた。全身の数珠を鳴り響かせてだ。

 そこからまたマシンガントークを炸裂さくれつさせてくる。

 まるで照れ隠しのように――。

左様さようにござりまする。そのためにも拙僧せっそう、先ほども申しました通り、粉骨ふんこつ砕身さいしん一念いちねんで五神同盟に協力させていただき、この世界の安寧無事のために尽力じんりょくさせていただく所存しょぞんにございますが、如何いかに拙僧が努めようとも悲しいかな所詮しょせんは個の力に過ぎませぬ。ツバサ殿を始めとした凄まじき御力おちからを持つ方々も大勢いらっしゃいますが、それでも真なる世界ファンタジアに平穏をもたらすには多勢に無勢……」

「……だから一人でも多くの戦力を育てておきたい、か」

 長い話をぶった切るようにレンは口を挟む。

 ――真なる世界ファンタジアを平和にするための戦士を育成したい。

 要約ようやくすればそれだけの話だ。

 レンが過大能力オーバードゥーイングを正しく使つかこなせるようになり、愛剣ナナシチを十全じゅうぜんに振るえるようになれば、ソワカと並ぶくらいの強者になることも夢ではない。

 いや、頑張ればソワカを追い越すことだって……!

「ンフフフ♪ 是非ぜひとも拙僧せっそうを踏み台にしてほしいものですな」

「……また人の心を見透みすかして!」

 レンは視線を尖らせてわら怪僧かいそうを睨みつけた。

 いや、割と失礼なことを考えていたのはレンの方なので、睨み返すのはお門違いかも知れない。それでも心を読まれるのは抵抗がある。

にもかくにも……拙僧はレン殿たちに強くなってもらいたいのです」

 今度こそソワカは本心から白状する。

「いつの日か我が弟子、八天峰角エイトホーンがこの地へ帰る時までに、せめても彼らが健やかに暮らせる環境を整えておいてやりたい……親バカと言われればそれまでですが、そのためならばろうしむつもりはございませぬ」

「私を強くしたいのは……あくまでもお弟子さんのためってわけか」

 ようやくレンはソワカの真意を読み解けた。

「ンンーフフフ……利己的な理由・・・・・・でござりましょう?」

「ウィンクすんな」

 バチコーン! なんて音がしそうなウィンクを貰ってもドン引きしかできない。そういえばこのお坊さん、やたら睫毛まつげが濃いから眼力がんりき補正ほせいがスゴい。

 唐突に突風も吹いてきたけど、ウィンクと因果関係があると考えたくない。

 やれやれ、と言いたげな態度でレンはため息をついた。

 ――ソワカは嘘をついていない。

 でも、まだ作り笑顔を崩さないので思惑おもわくかくしていた。

 それが何なのかはレンには知る由もないが、ソワカなりに秘密にしておきたい彼だけの大切なものなのだろう。そこに土足で踏み込むのはマナー違反だ。

 途端、ソワカは姿勢を正すと真顔になった。

 黙っていればイケメンを地で行く怪僧は礼儀正しく一礼する。

「――その若き肩に未来をたくしてもよろしいか?」

 ソワカはレンに対して、かつてないほど真摯しんしに訴えてきた。

 過大能力オーバードゥーイングの使い方に関するコツを教えてもらうとはいえ、稽古けいこをつけてもらうのだからこちらから頭を下げるべきだろう。

 なのに、彼はえて事情を打ち明けてから誠心誠意に申し出てきた。

「…………ズルいな」

 うつむいたレンは誰にも聞こえない囁き声で呟いた。

 こんなの――断れるわけない。

 初対面が最悪だから毛嫌いしたり、素が怪人物だから信じられないと意地悪が過ぎたことを反省したレンは、心構えを改めることにした。

 念のためにと抜刀ばっとうしたままだった愛剣ナナシチを背中のさやに収めると、こちらも負けじと背筋をピンと正してからお辞儀じぎをする。

「こちらこそご指導しどう鞭撻べんたつのほど……よろしくお願いします」

 レンからも真面目に教えを請うことを願い出た。

 ソワカは「利己的な理由」と強調したが、弟子を思い遣る気持ちは尊いものだし、強くなりたいと望むレンにしてみれば願ったり叶ったりだ。

 断る理由なんてどこにもない。

「ンフフフ……こちらこそよろしくお願い致しますぞ」

 ソワカは満足げに相好そうごうくずした。

 その笑顔のまま声だけを鋭くすると、レンの足下へ呼び掛ける。

「ところでアンズ殿、そろそろ狸寝入たぬきねいりはおやめなさい」
「……あ、バレちゃってた?」

 たった今まで寝息ねいきを立てていたはずのアンズがむくりと起き上がり、寝ぼけ眼をこすりながら芝生しばふの上で正座になった。

 寝たふりしてたの!? うわー、だまされた!

 なんて気持ちをレンはおくびにも出さずアンズへ問い質す。

「アンタ、いつから起きてたのよ……?」

「んー? レンちゃんに鼻提灯はなちょうちんスパーッ! って斬られたところで起きた。なんか難しそうな話してたから邪魔しちゃ悪いかなーって……」

 それで狸寝入りを決め込んだらしい。

 アンズの演技にも気付けないなんて半人前もいいところだ。

 過大能力オーバードゥーイングの使い方のみならず、武術的な意味でもソワカさんに鍛え直してもらった方が良さそうだと反省する。剣の稽古はセイメイさんや穂村組ほむらぐみのコジロウさんに教わっているから、別方面の技術を学びたい。

 そのことを注文する前にソワカがアンズへ指摘してきする。

「狸寝入りでも話を聞かれていたのなら結構。ではアンズ殿にも御指導させていただきますので、レン殿と一緒に強くなっていただきたい」

「へ? あたしも修行すんの? いいけど……」

 あたしはレンちゃんと過大能力オーバードゥーイング違うよ? とそこを心配する。

 どうやら「ソワカとレンの過大能力が似ているから能力向上のためにレクチャーしましょう」くらいにしか話を聞いてなかったらしい。

 アンズは神族だが種別は蛮神ばんしん

 力に補正が掛かる分、頭脳おつむが弱くなるのが欠点だった。

「異なる能力ちからであろうとも潜在せんざいする素質そしつを引き出す行程こうていは同じです」

 ンフフ、とソワカはいつもの含み笑いを漏らす。

「恐らくアンズ殿の能力もまた未発達みはったつ分野ぶんやがございます。わかりやすい例を上げれば、獣の形態を真似るのは三カ所が限界ではございますまい……拙僧せっそうの見立てが正しければ、もう数カ所は増やせるはずですぞ」

「え、それって……バリエーションを増やせるってこと!?」

 使い勝手良くなる! とアンズは諸手もろてを挙げて喜んだ。

 アンズの過大能力――【祖霊の獣は我デリシャスが血肉となれ】・アニミズム

 霊獣、魔獣、神獣、怪獣、その他諸々もろもろ

 強力なモンスターを倒すと象徴シンボル的なメダルをゲットし、それを使うことで獣の力を模倣もほうすることができる変身系の過大能力オーバードゥーイングだ。

 下位の獣だとしても特殊な能力を持っていたり、見た目ではわからない肉体的な優位性を秘めているので、それを神族の肉体に反映させれば十分強い。

 獣のメダルが増えるほど能力の幅も広がる。

 ただし、その使い勝手にはいくらかの制限があった。

 一度に使えるメダルは三枚まで――。

 一枚を使えばそのモンスターに成りきれる。二枚使えば上半身と下半身にそれぞれ別のモンスターの力を現す。三枚同時に使った場合は頭部、上半身、下半身と三つの部位に獣の力が宿すことができる。

 これがアンズの限界だった。

 一度に使える枚数を増やせれば、当たり前だが攻守ともに戦闘スタイルの応用を利かせられる。メダルの数が増えればその分だけ獣の身体能力を加算できるので、シンプルに肉体のポテンシャルの底上げもできるだろう。

 わかっていても限界は限界だ。

 器の大きさを超えるものを収めることはできない。

 アンズ自身、努力を重ねてきたのだが限界を超えるのは難しい。

 ソワカは確認するべく現状を並べていく。

「レン殿もアンズ殿も基礎能力が向上こうじょうされております。めでたくLV999スリーナインにも昇級しょうきょうされているのですから、過大能力オーバードゥーイング拡張かくちょうも適うはず……」

 惜しむらくは――まだ開眼かいがんされていないこと。

 ソワカの言葉にきょとんとしたアンズは人差し指でまぶたを引っ張る。

 あっかんべーの舌を出さない仕種しぐさだ。

「開眼……目なら開いているよ?」

「ものの例えだよおバカ、物理的に開いてることじゃない」

 ポコン、とレンはボケるアンズの後頭部を小突いた。女の子たちの戯れをおかしそうに見守っていたソワカは微笑みながら続ける。

「ンンーフフフ、なんと申せば良いのでしょう……過大能力オーバードゥーイングに目覚めた方々は多かれ少なかれ、世界に大きく干渉かんしょうできるほどの力を手にされます。これを矮小わいしょうな人間の心は無意識に『手に余る』と恐れる傾向けいこうにあるようです」

 結果――自身の力なのにかせめる。

 全力を出さないよう拘束具こうそくぐをまとわせる感覚に似ているらしい。

過大能力オーバードゥーイングで行える超常現象に気圧けおされるあまり、『自分の能力はこういうものだ』と強烈に印象づけてしまう。ある種の自己暗示じこあんじですな」

 これが能力の使い道をせばめてしまう。

 ソワカに言わせれば「目を閉ざしている」状態らしい。

 だからこそ開眼する必要があるのだ。

「オーバードゥーイングとは漢字で読むと過大かだい能力のうりょく……即ち、過ぎたる大きな能力ちからなのです。そこには限界などもうけられていません」

 無限の可能性に道を閉ざすのは――自分自身。

「自らの限界を決めるのは己の弱さ、己の甘え、己の卑怯、己の諦め……自分で自身の道を閉ざさんとする自縄自縛の枷にございます」

 確信を持ってソワカは断言する。含み笑いも忘れるほどにだ。

「もっと自由に力を行使こうしなさい、己の能力はまだまだこんなものではないと自らを鼓舞こぶするのです。その先に新たな発想が見出せることでしょう」

 ソワカは握った両手をパッと広げてイメージを連想させる。

「まずはそういった『自分の能力はこれまで!』という固定こてい観念かんねんを取り払うところから始めましょう。そこを乗り越えるだけで能力の多様性たようせいが高まりますし、自身という領域りょういき拡大かくだい解釈かいしゃくすることで器を大きくすることも適いましょう」

 ちなみに、とソワカは人差し指を立てて注釈を加える。

「拙僧は元よりツバサ殿たちのような実力者になればなるほど、固定観念の除外じょがいや拡大解釈による能力の拡張かくちょうに取り組んでおりますれば……」

 ソワカの解説を聞いていたレンは口が半開きになりかけていた。

 このお坊さん……本当に先生なんだ!?

 伊達に八天峰角エイトホーンというVRMMORPGアルマゲドンでも名の知れた強豪きょうごうチームを育ててはいない。今の導入どうにゅうみたいなレクチャーもわかりやすくて助かる。

「さて、おわかりいただけましたかなアンズ殿?」

「うん、六割くらいわかった!」

 そこはせめて八割ですぞ……とソワカは残念がるも、趣味以外はてんで読解力どくかいりょくを持たないアンズに六割わからせただけでも大したものだ。

 アンズは正座したまま地面に手を突いて頭を下げる。

「あたしもレンちゃんと一緒に強くなりたいです。だからごしどーごべんたつのほど、レンちゃんのついでによろしくお願いします」

ついで・・・は余計だから」

 自分をついでとか言うな、とレンはアンズの言葉遣いをたしなめた。

かなかな……善哉ぜんざい善哉ぜんざい

 ソワカは満足げに胡散臭うさんくさい笑みを濃くすると、僧侶らしく胸の前で手を合わせて合掌がっしょうしながらお辞儀じぎをした。

「それでは不肖ふしょうこのソワカ・サテモソテモ、レン殿とアンズ殿が更なる強さの階梯かいていを昇れるよう御助力ごじょりょくさせていただきたいと思います」

「「――よろしくお願いしまーす」」

 レンとアンズも息を揃えて、返礼するように頭を下げた。

 合掌を解いたソワカは誘うように明後日の方向へ手を差し出す。

「善は急げと申します。さっそく修行場へ……と意気込みたいところ誠に恐縮なのですが、諸般しょはん事情じじょうにより明日からと致しましょう」

 早速か! と勇んで腰を上げかけたレンとアンズだが、ソワカから掛かったストップに前のめりでつんのめってしまった。

 レンは正座していたアンズに覆い被さってしまう。

「え、な、なんで……? 行くとしたらツバサさんの異相いそうでしょ?」

「みんなが精神○時○部屋って言ってるところだっけ?」

 あそこよりトレーニング場にピッタリなところは思い当たらない。

 真なる世界ファンタジア幾重いくえにも取り巻く亜空間――異相いそう

 ツバサさんはその異相のひとつに「真なる世界の一日がそこでは一年に値する」という時間の流れがまったく異なるものを発見していた。

 ランダムで恐ろしく乱高下らんこうげする気温、重力、大気、酸素濃度……。

 人間ならば半日と耐えられない過酷な環境。

 おまけに絶えず正体不明のストレスが身体に影響を及ぼすため、二年以上留まれば神族や魔族であろうとも隠れ疲労が限界突破して発狂しかねない。

 未知のデスペナルティも待っている想像を絶する空間だ。

 逆に言えば一年くらいなら問題なく耐えられる。

 そこで五神ごしん同盟どうめいでは、真なる世界ファンタジアとの一年=一日という時間差を利用して、この異相を短期集中特訓用の修行場として使っていた。

 レンとアンズもお世話になっている。

 ここでツバサさんやセイメイさんを始めとした実力者たちにみっちり稽古けいこをつけてもらったおかげでLV999スリーナインとなり、破壊神ロンドとの最終決戦に主戦力の一員として参加することが許されたのだ。

 ソワカもあの異相を借りるつもりだったらしい。だがしかし……。

「ンーフフフ、拙僧せっそうも鉄は熱いうちに打て! の精神でこの流れのままくだんの異相へ飛び込みたい気分でありましたが……」

 ――ツバサ殿から「待った」が掛かりましてな。

 申し訳なさそうにびるソワカの口から意外な名前が出てきた。

 これにはレンも目をまん丸にして驚かされる。

「……ツバサさんが? 待ったをかけるどころか『強くなりたければ喰らえ!』とばかりにむしろハードモードの修行を強制してきそうなのに!?」

「この前の修行であたしたち殺されかけたもんねー」

 のんきに笑っているアンズだが、本当に臨死りんし体験たいけんするまで追い込まれたレンにしてみれば信じがたい出来事だ。特訓を奨励しょうれいすることはあっても、それを差し止めることなど有り得ないはずのツバサさんらしくない。

 いやいや、とソワカは両手でレンたちを制して事情を明かす。

「その弛まぬ向上心はツバサ殿も褒めてくださいましょうが……肝心かんじんの修行場が人でごった返していれば人数制限もやむを得ませんぞ」

「修行場がごった返すほどの人が……?」

「あ、そっか。きっとアレだね。ほら、みんな南方大陸行きたいから」

 アンズがぼんやり言った内容からレンも察した。

 南方大陸に巣食う蕃神ばんしん――外なる神アウターゴッド対峙たいじするための遠征隊えんせいたい

 それに選ばれたいやる気に満ちあふれた人たちが、自ら率先そっせんして修行するためにあの異相いそうへと出向いているようだ。いくら真なる世界ファンタジアと同じ広さがある異空間だとしても、LV999スリーナインの戦士が何人も暴れたら大惨事になる。

 そのため人数制限が掛けられたのだろう。

拙僧せっそう、念のため予約を取りましたので明日はOKですぞ」

 白い歯を見せて笑うソワカは親指を立てた。

「こうなる展開を見越してですか……やりますねGJグッジョブ
「お坊さん手回しがいいね!」

 アンズとレンは揃ってサムズアップで称賛しょうさんした。

 今日は引き続き休暇きゅうか満喫まんきつするとして、明日からは異相いそうでの修行だからしっかり休む理由ができた。レンはもう少し、この丘でのんびり過ごすつもりだ。

 アンズもまた仰向けに寝転がって昼寝を再開する。

「明日お迎えに上がりましょう。それではレン殿、アンズ殿……」

 お休み中失礼いたしました、とソワカは別れの挨拶をしてきた。合掌がっしょうして一礼いちれいいすると用件を終えた怪僧かいそうはそのまま立ち去ろうとする。

「ちょっと待って、ソワカ……さん」

 レンはなんとはなしにソワカを呼び止めてしまった。

「ンフフ、まだ何かありますかなレン殿?」

 ソワカは大きな背中を見せたまま横顔だけを振り向かせる。呼び止めといてどうしたものかと逡巡しゅんじゅんするも、レンは意を決して尋ねてみる。

「あなた……まだ何か隠してない? 本当の気持ちとか秘密とか……」

 恥ずかしいこととか――。

 直感的に見抜けたソワカの真意へストレートに迫ってみた。

 怪僧はこちらに向けた片目を大きく見開くと、後ろめたさを感じさせる自嘲じちょうに口元を歪めながらも、不躾ぶじつけ質問しつもんとがめることはなかった。

「ンンーフフフ……そこまで看破かんぱされておりましたか、お恥ずかしい」

 それは見抜いたままのものです、とソワカは認める。

「伏せたるは自身の愚劣ぐれつさ、自らの無知むち蒙昧もうまい、いつまでも解脱げだつできぬ障礙しょうげ……そういった拙僧が恥と認める迷妄めいもうそのものでございますれば」

 ――忘れてくださいませ。

 懇願するように呟いたソワカは静々と帰っていった。

   ~~~~~~~~~~~~

 本心の影に隠し通した、羞恥しゅうちまみれるソワカの真意しんい

 その真意を見抜いたレンに打ち明けたとおり、それはソワカの愚劣ぐれつ無知むち蒙昧もうまい迷妄めいもうが凝り固まったものだった。仏門を志しながらいつまで経っても解脱げだつすることができず、ソワカの進むべき仏道に障礙しょうげとして立ちはだかっている。

 恥と認める障礙――それは執着しゅうちゃく

 愛弟子まなでしである八天峰角エイトホーン。彼らへの情念を忘れられず捨てられない。

 いいや、弟子たちに限った話ではない。

 復讐ふくしゅう旅路たびじで出会った女性。勘違いから強者を憎むあまりバッドデッドエンズとなった弟を追いかける旋律師せんりつしトワコ・アダマス。

 彼女に恋慕れんぼを抱いたこともまた、愛への執着しゅうちゃくと言えるだろう。

 そして、ツバサ殿が率いる五神ごしん同盟どうめいの思想。

 別次元から圧倒的な侵略を受けるも決して屈することはなく、この異世界を守るため誰よりも先陣せんじんを切って厳しい戦いに身を投じていき、迷える衆生しゅじょうを教え導かんとする熱意にも惚れ込んでしまった。

 微力びりょくながら力添ちからぞえしたい、と感じ入ってしまったのだ。

 レンたちへの手助けは五神ごしん同盟どうめいに対するソワカなりの奉仕ほうしだった。

 怪僧の胸にわだかま執着しゅうちゃくを数えだしたらキリがない。

 弱きを助け強きをくじく、は武道や任侠にんきょうに端を発する格言。義を見てざるは勇無ゆうなきなり、は孔子が論語ろんごに記した名言。

 仏門にありながら、ソワカはこれらの言葉を無下むげにできない性質タチだった。

 師匠が知ったら「このお人好しめ」の一言で片付けるだろう。

 それらの執着をソワカはどうしても断ち切れない。

 かつて情熱的に仏道を研究し、真の悟りを目指した学問僧がくもんそうがだ。

 ソワカは僧侶であり探求者たんきゅうしゃであった。

 とある名の知れた宗派の総本山で修行した身。現実世界リアルでは正しく僧籍そうせきにも登録されており、俗世ぞくせとの縁を切って出家しゅっけした身でもある。

 出家とは読んで字の如く「家を出る」こと。

 親、兄弟、家族、親族、血縁、類縁るいえん親類しんるい縁者えんじゃ……。

 人間として断ち切りがたい人と人とのしがらみを捨てて、その交流よりもたらされる愛憎あいぞうから遠ざかる。仏に近付くための第一歩である。

 早い話、家族との関係を断って縁から生じる迷いを絶つわけだ。

 ――仏とは執着しゅうちゃくを捨て去るもの。

 富、名声、力、金銭、美食に囚われないのは勿論、異性と快楽にふける行為はおろか家族愛すらも執着として決別けつべつするようかれる。現代の仏教はそこまで厳格げんかくではないが、本来の仏道とはそうあるべきものだったはずだ。

 働くことさえも現世への執着だと禁ずる。

(※宗派にもよるが修行のひとつとして托鉢たくはつがあるのは、その教義きょうぎから働いてはいけない仏僧がその日のかてを得るため、人々から余剰よじょう食物しょくもつを分けてもらうためのもの。そうしたもので糊口ここうしのいで日々の修行に励むわけである)

 身にまとうのは着古きふるした袈裟けさ托鉢たくはつのためのはち

 これさえも師から譲り受けるもので、年月を重ねてボロボロのはずだ。

(※「衣鉢いはつぐ」という言葉の由来はここから)

 現世への未練や執着を捨てて、煩悩ぼんのうに迷う六根ろっこん清浄せいじょうにし、いつの日か悟りを開いて仏へと至る……それは仏法僧ぶっぽうそう帰依きえする者にとって窮極きゅうきょくの終着点。

 そのための初歩、捨て去るべき執着をいつまでもる。

 なんならソワカは後生大事にしてしまう。

 真なる世界ファンタジアならば本当の仏になることも夢ではない。そんな可能性を見出せるというのに、ソワカは結んだ人々とのえにしすがるばかりだった。

 ――いつの日か仏になる。

 これは若き日のソワカの抱いた大願たいがんである。

 長い人類史において生きながら仏となれた御方おかた唯一人ただひとり

 天上てんじょう天下てんげ唯我ゆいが独尊どくそんを唱えられたあの御方だ。

 いつまで経っても迷いを捨てきれない愚昧ぐまいな自分には恐れ多い……と卑下ひげしながらも、正しい仏道をひたすら突き詰め、悟りに関する研鑽けんさんを積み重ねていけば、いつの日か足下に届くくらいには至れるかも知れない。

 そう信じてソワカは修行に明け暮れた。

 根を詰めて読経どきょうしながら気絶するように眠る日も屡々しばしばあった。

 そうやって我を忘れて仏や悟りについて研究を重ねるほど、自分がどうしょうもないくらい人間である現実に直面させられる。

 幽谷響やまびこなる怪僧かいそう遭遇そうぐうしたのは、苦悩くのう坩堝るつぼまった頃だ。

 まさに妖怪と遭遇した心地だったと覚えている。

『無駄な修行ことはおよしなせえ――おまえさんは人間だ』

 修行の成果が出ない虚しさから、逃避とうひするように迷い込んだ総本山の最奥さいおう

 修験者も分け入らぬ深山しんざん幽谷ゆうこくにて幽谷響と出会った。

『どれだけ足掻あが藻掻もがいて苦しんでも、そいつ根本ねっこは変えられねえ』

『無理が祟りゃあ自分の器を壊すだけでさぁ』

 矮躯わいくの老人はソワカの苦労を揶揄からかうように言った。

『喜怒哀楽を素直に露わとし、何をするにも感情的なる……情が深いと言ゃあ聞こえはいいが、そんなおまえさんはどこまで行っても人間にしかなれねぇ』

『悟りを開く探究? その情熱こそ執念しゅうねんそのものですぜ』

 総本山に無許可むきょかいた謎の老僧。

 妖怪じみた猿のような老人は、いくら修行をしても答えが得られず懊悩おうのうする若き日のソワカの前に現れると、邂逅かいこう早々そうそうから舌鋒ぜっぽうでこき下ろしてきた。

 当初ソワカは一時も耳を傾けなかった。

 しかし、幽谷響はこちらを気に入ったのか付き纏う。

 先の見えない修行の日々に挫折ざせつを覚えてくると、その毒舌どくぜつ魔境まきょうへ誘うようにソワカの心を揺り動かした。

 彼の言葉にはそれだけの魔力があったのかも知れない。

『肉体の理屈りくつは獣の理屈、高潔こうけつを目指さんとする精神の理論は通じませんぜ。精神の理論もまた、本能のままに生きる獣の肉体にゃあ届かないと来てる』

『だけど肉体と精神の関係は切っても切り離せやせん』

 それは――金剛界こんごうかい胎蔵界たいぞうかいではないか?

 どちらも曼荼羅に描かれる真言密教の原理だ。

 金剛界は客体であり大地にして肉体的な本能……現象げんしょうするすべてを網羅もうらしてあらわさんとする真理。対して胎蔵界は主体であり天空にして精神的な論理……意識するすべてを感得かんとくしてあらわさんとする真理。

 ――両部りょうぶ不二ふになり。

 互いに決して相容あいいれず、然れど両界りょうかいなくして真理は成り立たない。

『肉体と精神のことわり――うまいところで折り合いをつけなせぇ』

 無駄な努力を続けるソワカを、老僧は誘うような言葉で諭したものだ。

 この老僧――意外と学があるのかも知れない。

 ソワカは幽谷響のごとに少しずつ耳を傾け、気付けば距離を縮めており、我に返ってみればすっかり打ち解けていた。

 こういうところも幽谷響やまびこ曰く「情が深い」ゆえなのだろう。

『頭で難しいことこねくり回してばっかいたところで、悟るどころか意識と無意識の迷宮に囚われて心が孤独死するのがいいとこでさぁ』

『肉体は精神のいうことを聞いちゃくれねえし、精神も肉体を思いのままにはできねえ……それでも相互そうご作用さようってもんがある。やまいは気からと申しやすし、肉体を鍛えりゃ精神も鍛えられるってところはございやしょう?』

『おまえさんは図体ガタイに恵まれてる。ひとつシゴかれてみやせんか?』

 ソワカは幽谷響から戯れに“力法りきほう”を伝授でんじゅされた。

 殴り合い蹴り合いどつき合い……肉体をいじめ抜いて鍛錬たんれんを極め、肉体にくたい言語げんごの限りを尽くして悟りを得んとする異端いたんの武術。

 元を正せば禅宗ぜんしゅう一派いっぱが魔道に堕ちたそうだが、信じがたい話である。

 それでも武術の鍛錬はソワカのしょうった。

 幽谷響をその道における師匠と崇めたのもこの頃だった。

『何度でも言いやしょう――おまえさんは人間だ』

 枯れ枝のような人差し指を突きつけて幽谷響やまびこは念を押した。

『悟りを目指すのも仏を志すのも構わねぇ……だが心しなせぇよ。他者に執着しゅうちゃくするっていう優しさ・・・を見失ったら、アンタはもう人間でいられねえ。仏となるどころか悟りに辿り着くこともできねぇ……』

 人でも神でも獣でもない――異形の何か・・に成り果てる。

『……ま、杞憂きゆうでしょうがねえ』

 散々さんざん脅しておいて幽谷響はてのひらを返すように肩をすくめた。

『しっかし、この物欲ぶつよくまみれるどころか頭のてっぺんから爪先までどっぷりかった御時世ごじせいに悟りを求めるとは物好きな……そして、おまえさんはいい人が過ぎる。これからきっと、大切なものを増やしてその度に執着しやすぜ』

 そんな未来が見えてならねぇ、と幽谷響に冷やかされた。

『いっそ――拙僧せっそうのように魔道まどうに堕ちたらいい』

 魔道とは、およそ仏道の対極たいきょくにある道。

 六道ろくどう輪廻りんねを逃れて、己が見出した道のみを邁進まいしんすることを指す。

 天狗道てんぐどうとも呼ばれており、仏道では自らの理想を叶えられないと知った修行者が辿り着く末路まつろのひとつだと古から言い伝えられている。

 そして、幽谷響も魔道に堕ちていた。

『道から堕ちる果てには魔道まどう、道から外れる果てには外道げどう、望み求めて欲せども、いずれ道も尽き果てる……残るは虚しい足跡ばかり』

 幽谷響はこのごとをよく好んだ。

 彼のように魔道へ堕ちた者を魔道師まどうしと呼ぶらしい。

 ……そんな男が由緒正しき総本山に住むことを黙認されたのか?

 そこだけは謎のままだった。

 ある日、幽谷響はソワカの生き様をひょうするように言った。

『愛しき者に執着し、それらを大切に想いながら共にいこいて時を過ごし、守るためならば我が身をていして烈火の如く怒り、衆生しゅじょうが平穏無事に過ごせるようにと凡愚ぼんぐを力尽くで説き伏せる……まるで明王みょうおうにございやすね』

 そういう魔道を歩いてみなせぇ、と幽谷響に勧められた。



 もしも魔道をくならば――その時は“瀧霊王たきれいおう”と名乗るがいい。



『とっくの昔に先代がおっんじまって長らく絶えていた魔道だが……おまえさんにゃあピッタリの号名ごうめいだ。それまでは川と山を行ったり来たりでどちらにも居着いつきゃしねえ妖怪、どっちつかずの“山童やまわろ”とでも名乗るんだな』

 ンフフ、とソワカはいつもの含み笑いを零す。

 瞑想めいそうのようにまぶたを閉ざしていたら、懐かしい記憶に揺蕩たゆたっていた。

「仏、解脱、悟り……真理を得たいと厨二病ちゅうにびょうめいたことばかり口走り、現実のなんたるかも直視ちょくししなかったあの頃……あなたと出会えたのは拙僧せっそうにとって僥倖ぎょうこうだったのでしょう……あなたを師と敬ったことも……」

 帰り道の途中、ふと足を止めたソワカは空を見上げる。

 抜けるような青空は地球と変わらない。総本山の山奥、力法りきほうの修行で疲れ果てた時に仰いだ空とまったく同じだった。

 他愛たあいないことなのに、どういうわけか無性むしょう感慨深かんがいぶかくなってしまう。

 ソワカの胸にある覚悟が芽生えてくる。

「……今からでも遅くはない、魔道へ鞍替くらがええいたしましょうか」

 また会いたいものですな――幽谷響やまびこおう

「師への敬愛けいあいもまた妄執もうしゅう……ンンーフフフ、悟りには程遠いですな」

 自らをあざけりながらソワカは楽しげに独りごちた。

   ~~~~~~~~~~~~

 五神ごしん同盟どうめいの修行場として使われている特別な異相いそう

 ツバサが発見し管理するこの亜空間は、真なる世界ファンタジアとほぼ同等の世界が広がっており地形も似通にかよっているのだが、瓜二つというわけではない。

 少なくとも文明の存在した痕跡がないのだ。

 新興国しんこうこくともいうべき五神同盟の各都市が見当たらないのは勿論のこと、還らずの都のような古い建造物もない。探索で見つかる遺跡と同じ緯度いど経度けいどを尋ねてみても、そこに文明のあったあかしを見出すことはできなかった。

 あくまでも地形が似ているだけの別世界。

 おまけに気温は極寒ごっかんから灼熱しゃくねつまで、大気成分の濃度は極端に濃くなったり薄くなったり、重力や大気圧も人間なら即死するレベルで乱高下らんこうげする。

 空には太陽が巡り昼夜もあるが、その陽光に含まれる光線も変わりやすい。

 勿論、これも致死レベルまで上昇することがザラだ。

 ててくわえて――謎のストレスまで付与された。

 長期間さらされればフィジカルのみならずメンタル的にも強くなったはずの神族や魔族ですら躁鬱病そううつびょう発症はっしょうし、最悪の場合には発狂するほど心身を害しかねない正体不明の疲労感がこの地に留まるものをむしばんでいく。

 症状が現れにくい病にも似ていた。

 神族や魔族でこうだから、人間どころか多種族を連れ込むことも難しい。

 ――万が一には緊急避難場所になるかも? 

 そんなツバサの期待は過酷な環境のせいで早々に打ち砕かれ、この正体のわからないストレスの発見は追い打ちのトドメとなった。

 それでも真なる世界ファンタジアの一日で一年相当の修行ができる異相。

 格闘漫画を読み込んだ者ならば一度は夢に見るし、ツバサのような修行中毒者には垂涎すいぜんまとである「精神○時○部屋」みたいな場所。

 ――有効利用しない手はない!

 そのため安全に利用できるよう事前じぜん調査ちょうさは欠かさなかった。

 フミカやアキのような情報処理能力に長けた者に協力を仰ぎ、徹底的に分析アナライズをした結果、この隠れ弱体化デバフめいた謎のストレスを発見できたのだ。

 神族や魔族をも狂い死にさせる正体不明のストレス。

 しかし、顕著な症状が現れるのは約2~3年後。

 それまでに異相を出て十分な静養を取れば回復するし、後遺症などに悩まされることはないと幾度かの実験で判明した。

 ならば「精神○時○部屋」を参考にすればいい。

 あの異空間も「一人が使えるのは一生のうち48時間=部屋の内部時間で2年まで、それ以上使うと外に出られなくなる」という制限があったはずなので、それに習って「一度の修行は一人一年まで」とルールを制定した。

 一年を超えたら自動的に追い出す特殊魔法も設定。

 再利用に際しては、正体不明のストレスが完全に脱けるまでを見積みつもって、最低でも一ヶ月以上のインターバルを置くことも取り決めた。

 こうして――ツバサの発見した異相は修行場になった次第である。

 真なる世界ファンタジアだとハトホル太母国がある地点。

 そこに修行者のための簡易的かんいてき休憩施設ゲストハウスが建てられていた。

 ……あくまで「寝泊まりできればOKの質素なやつでいいからな?」と注文したのだが、工作者クラフター長男ダイン変態ジン若執事ヨイチが張り切ってしまい、階数こそ高くないものの高級ホテル張りの宿泊所を建ててしまったのだ。

 彼らの好意も無下むげにできず、有り難く利用させてもらっていた。

 この異相で修行する者、その指導に当たる者、何らかの理由で付き添いをする者は、ここで寝泊まりすることができる。

 家事などは専用AIを積んだロボットが担当。

 炊事、洗濯、掃除、ベッドメイキングまで、休憩施設ゲストハウスの一切を管理してくれる至れり尽くせり機能付きなので、修行者はトレーニングに専念せんねんできる。

 また、宿泊施設自体も特別仕様だ。

 異相の過激すぎる環境をものともせず、建物内を快適かいてき生活圏せいかつけんとして保護し、例のストレスさえも緩和かんわさせる防御スクリーンを常時展開していた。

 これは工作者クラフターたちの良い仕事グッジョブだった。

 そんなわけで――異相でのトレーニングは宿泊所が中心となる。

 周辺地域は大災害に見舞われることが多い。

 LV999スリーナインとなった戦士たちが訓練に励むため、周囲では大地を揺るがす激震げきしんが起きたり、天を焦がすほどの噴炎ふんえんが立ち上ったり、突如とつじょとして竜巻が起こったりと、立て続けに天変地異が巻き起こるのも致し方ないことだった。

 こうした被害の余波も見越して、休憩施設ゲストハウス頑丈がんじょうに建てられている。

 ――宿泊所から数㎞離れた地点。

 草木も生えない荒野に巨大な鉄塊てっかいが転がっていた。

 それはアダマントこうかたまりだった。

 真なる世界ファンタジアにおいて最強の硬度こうどを誇る金属。それが精錬せいれんされて密度みつどもある正方形の塊として、無造作に荒野へ放り出されていた。

 高さは五階建てのビルに相当する直方体。

 そんな鋼の塊へと一心不乱に拳を叩き込む少年の姿があった。

 ククルカン森王国 戦士 カズトラ・グンシーン。

 獣王神アハウ懐刀ふところがたなを自称する少年だ。

 第一印象は痩せた狼。初対面の人間には必ず「藪睨やぶにらみ」と勘違いされるほど眼光の鋭い少年だ。線が細いながらもワイルド風のイケメンである。

 いつもなら母親代わりであるマヤムから年相応にスタイリッシュなファッションを着せられているのだが、特訓中なので稽古着けいこぎを着用していた。

 そでなしの道着どうぎみたいなものだ。

 乱雑らんざつなウルフカットを振り乱して拳を振るう。

 左腕は当人のものだが、右腕は頑丈そうな義手ぎしゅになっている。

 鋼鉄こうてつ宝玉ほうぎょくを織り交ぜたかの如き堅牢けんろうな義手。

 これはカズトラが兄や姉と慕った仲間の置き土産。非道な実験により命を失った彼と彼女が、生き残った弟分にたくした力の精髄せいずいだ。

 二人の名前にあやかって“ガンマレイアームズ”と名付けられていた。

 ――自分の拳と義手の拳。 

 握り締めた左右の鉄拳を交互に打ち出しては、オラオラとかドラドラとかガトリングと叫びたくなる突きの連打ラッシュを繰り出している。

 渾身こんしんのパンチを乱れ打つも、気合いの入った雄叫びは上げない。

「……フッ……ハッ……ホッ……フッ……ッ!」

 リズミカルな呼吸を心掛け、息を切らさずスパーリングを続けられるように自分の心肺機能の限界を測りながら、アダマント鋼を殴り続けていた。

 サンドバッグへの打ち込みを続けるボクサーのようだ。

 しかし、鉄塊てっかいに変化は見られない。

 LV999となったカズトラの腕力ならば、生身の左拳をジャブで打ち込んだとしても拳の跡ができるはずだ。本気の連打ラッシュをこれだけの勢いで繰り出せば、アダマント鋼の表面にいびつなタコ焼き器みたいなへこみがいくつも生じるはず。

 なのに――鋼の表面は傷ひとつない平面のままだった。

 握り固めたガンマレイアームズの拳。

 それがアダマント鋼に叩きつけられると凄まじい衝撃音こそ走るものの、鉄塊は揺れ動くことはなく歪みも傷付きもしない。

 拳にて叩き込まれる強力な衝撃波。

 それは一切の破壊行為を行うことなく、一意いちい専心せんしんの如くまっすぐに鉄塊を貫通していき、反対側に突き抜けると振動波の嵐となって吹き荒れる。

 空間を破裂させる破壊力を、二人の巨漢きょかんが受け止めていた。

「良いですぞカズトラ君! そなたはやはりすじがいい!」
「さすが兄上の見込んだ才能! 二月半で“徹”とおしを物にできてますぞ!」

 鉄塊を貫いてくるカズトラの衝撃波。

 それが外界へ被害を及ぼさないように、二人の僧形そうぎょうの男がその巨体で受け止めていた。いや、巧みな手捌てさばきで処理を行っているのだ。

 ハトホル太母国所属 穂村組ほむらぐみ 構成員 次男ドン・サガミ。
 ハトホル太母国所属 穂村組 構成員 三男ソン・サガミ。

 ダテマル三兄弟の愛称で親しまれる、大入道おおにゅうどう風体ふうていをした双子の大男。

 両者とも身の丈は2m10㎝に届き、仁王顔負けのゴツい顔をしているのでよく年長者ねんちょうしゃと間違えられるが、こう見えてツバサと年が近い好青年コンビだ。

 こぶしが利いた声も年嵩としかさに思われるのだろう。

 綺麗に剃り上げた禿頭とくとうに、鍛え上げた筋肉質な巨体。僧侶の格好が様になるほど穏やかな物腰と温和な性格でもある。

 僧形そうぎょうなので質素しっそ墨染すみぞころもを身にまとう。一応、袈裟けさらしきものを羽織っているが、怪僧ソワカのそれより簡素かんそで普段着っぽい仕様しようだった。

 彼らも穂村組の一員、武道武術に秀でている。

 ――ダテマル三兄弟の流儀りゅうぎ骨法こっぽう

 日本の武道ながら柔術や相撲などよりも当身技あてみわざ(殴る、蹴る、突く)を主体として伝承されてきた徒手武術だ。

 中国拳法を発祥はっしょうとする説や、古代日本から伝わるという固有説。柔術などの日本伝統武術から分派し、その発展過程で他流派の技術を取り込んでいき、当身主体の武術として確立されていった説など由来は諸説しょせつある。

 ダテマル三兄弟の流儀では“徹”とおしという特殊な技法を重んじていた。

 発勁はっけいという技術がある。

 単語自体は中国武術に由来するのだが、同様の技術は様々な格闘技やスポーツに形を変えながら取り入れられていた。

 ――全身の力を余す所なく一点に注ぎ込む。

 これを基本とした力の操作法。
 
 身体を動かす意味での運動ならば、いくらでも用途がある技術だ。

 特に打撃系に取り入れた場合、いたずら外傷がいしょうを与えるのではなく、内側に打撃力を注ぎ込むことで、内臓を押し潰すような重々しいダメージを期待できる。合気が本職で打撃系には頼らないツバサも強敵相手にはよく使っていた。

 彼らの“徹”とおしはこれをより先鋭化せんえいかさせたもの。

 対象に攻撃をインパクトさせる瞬間、手や腕の筋肉を用いて特殊な振動波も付与ふよすることで、打撃に途轍とてつもない貫通力を持たせたり、任意の場所に破壊的な震動を引き起こさせて内部から爆発させたりする。

 ただの拳打けんだ掌底しょうていに恐るべき威力を持たせるのだ。

 カズトラの戦闘スタイルは、義手ぎしゅを中心とした打撃技主体ストライカースタイル。

 骨法こっぽう“徹”とおし相性あいしょうがいいということで、カズトラ自身が頭を下げて弟子入りを志願しがんする形で指導を願い出、ダテマル三兄弟はこれを快く了承。

 こうしてマンツーマンの指導となった次第である。

 カズトラが練習で打ち込む“徹”とおし

 それはアダマント鋼の塊にかすり傷すら負わせることなく、貫通する衝撃波となって鉄塊を通り抜けていき、その先で大気を爆ぜさせる威力となる。

 この練習は貫通力をメインにしたものだ。

 鉄塊を通り抜けてくる衝撃波を処理するドンとソン。

 丸太のような豪腕ごうわんでカズトラの衝撃波が被害を出す前に、適切な処理で無力化していく。その際、生徒の上達振りを確かめるのも忘れない。

「カズトラ君、威力は申し分ない! 次は鉄塊をなるべく揺らさずに、余計な震動を与えないように注意なさい! さすれば鋭さが増しますぞ!」

「そして動きを減らすことも心掛けるのです! 予備動作を少なく、挙動きょどうを相手へ悟らせぬように! 余分な動きを極力削ぎ落としていくのです!」

 ドンとソンは良いところを褒めながら的確に改善点かいぜんてん指示しじする。

 本人たちは無自覚だが褒め伸びを実行していた。

「……フッ! ……ハッ! ……ハァッ!」

 全力で打ち込むカズトラに返事をする余裕はない。

 だが両耳はトレーナー役を務めてくれるドンやソンの助言を聞き漏らさず、指導された一言を自身のアクションへと反映させていった。

 どれほどアダマントの塊を殴り続けたか――。

「……よし、そこまでズラ」

 ダテマルの制止に、ようやくカズトラは両手を休めることができた。

 今すぐ仰向けに倒れたい疲れ具合だが、人一倍根性のあるカズトラは弱音も吐かくことなく、ただ深呼吸を繰り返して両足を踏ん張っていた。

 その意気や良し――ダテマルは無言で頷く。

 ハトホル太母国所属 穂村組ほむらぐみ 若頭わかがしら補佐ほさ 長男ダテマル・サガミ。

 ドンとソンの兄、ダテマル三兄弟の長兄である。

 禿頭とくとう強面こわもての大男にしか見えない双子の弟たちに対して、身長170㎝くらいの甘いマスクをした美青年である。三人並んだらドンとソンが兄で、ダテマルが一番下の弟と思われても不思議ではないだろう。

 青銅色せいどういろの髪を逆立てた細マッチョ体型。

 弟たち同様に墨染め衣を着ているが、いつも上半身をさらすように諸肌もろはだあらわわにしており、はだけた衣は腰の周りになびかせていた。

 彼がカズトラの指導役である。

 骨法こっぽう腕前うでまえならば兄弟最強のダテマルがトレーニング内容を決定し、ドンとソンはトレーナーとしてカズトラの指導に当たっていた。

 腕を組んだダテマルはカズトラを見据みすえる。

 教導きょうどうを請け負った身として、厳しい表情が揺らぐ様子はない。

 カズトラも目を逸らさず技を学ぶ師を見つめた。

 ダテマルは意味いみ深長しんちょうに視線を横へらすと、そこに居並ぶアダマント鋼の塊とは別のオブジェクトへ向かうようにカズトラを促した。

 それは一列に並んだ梵鐘ぼんしょうだった。

 ひとつひとつが最大サイズの梵鐘で、すべてアダマント鋼で鋳造ちゅうぞうされた特注品である。魔法により支えもなく宙に浮かんでおり、お互いの距離感が触れるか触れないかという絶妙な間合いを保ったまま並んでいた。

 数は全部で12しょう

 まだ呼吸が整わないカズトラだが、ダテマルの意を読み取る。

 先ほどまで軽快なフットワークをこなしていた両足が、動きを止めると鉛みたいに重くなるが、構うことなく梵鐘の列の前へと立った。

 するとダテマルが命ずるように言う。

「――五番!」

 言われると同時に、カズトラは義手の拳を一番目の梵鐘に打ち付けた。

 しかし、梵鐘は音を響かせない。

 よくお寺から聞こえる「ゴォ~~ン……」という鐘の音が鳴ることはなく、僅かに鋼の身を震わせる振動が起こるばかりだった。

 静かな振動は二番目、三番目、四番目の鐘へと伝わっていく。

 やがてダテマルが指示した五番目の鐘に振動は辿り着いたが、ここも小さく小刻みに梵鐘を震わせるだけに留まった。

 六番目も通り過ぎかけた時、ついに梵鐘は打ち鳴らされた。

 ただし、その音色はえらく中途半端である。おまけに七番目の鐘も釣られるように鳴るのだが、これも鳴らし方を失敗したみたいに弱々しい。

 疲労ひろう困憊こんぱいなカズトラの顔に苦味にがみが走った。

 これは“徹”とおしを貫通力を操作して、任意の場所で炸裂さくれつさせる練習。

 ダテマルの上げた番号の梵鐘を鳴らせば成功なのだが、通り越した上に変なところで鳴らしてしまったのはカズトラが未熟ゆえだ。

「――十一番!」

 しょげるカズトラに構わず、ダテマルは力強い声で続けた。

 叱られたように義手の腕を反射的に振り上げたカズトラは、一番目の梵鐘をもう一度殴りつけた。今度は十一番の梵鐘を鳴らせればクリアだ。

 しかし、打ち込んだ振動はあっさり十一番を通り抜ける。

 十二番まで追い越して、何もない虚空こくうに衝撃波を吹き荒れさせた。

「……ッかはぁ!」

 汗だくになったカズトラは胚の空気をすべて吐き出すような声を上げると、力尽きたようにひざから崩れ落ちた。

 長時間の特訓で身体はうに限界げんかいを迎えていたのだ。

 それでも何とか根性を振り絞って立っていたのだが、二度の失敗がショックとなって緊張の糸が切れてしまったらしい。

 浮かぶ梵鐘の下、カズトラは四つん這いで激しく呼吸を繰り返す。

「す、すんません、ダテマルさん、ドンさんソンさん……ッ!」

 カズトラは息継ぎしながらも詫びの言葉を発する。

「つきっきりで“徹”とおし稽古けいこをつけてもらってるのに……まだ、全然ロクに使えなくって……申し訳ありませんッ! すぐ、立ちますから……ッッッ!」

 笑う膝に鞭を打ってカズトラは立ち上がろうとする。

 そこへドンとソンが駆け寄り、慌てた口調で押し止めた。

「無理は禁物ですカズトラ君。よく兄者の荒行に耐えております……そろそろ一息入れても良い頃合い。身体を壊しては元も子もありませぬぞ」

「ドンの言う通りです。それに自身を卑下ひげなさるな。まだ二ヶ月半だというのに、ちゃんと様になる“徹”とおしを放てておるではおりませぬか」

 カズトラの健康を気遣きづかうドンと、その成長振りをたたえるソン。

 そして、朝から休憩なしでぶっ続けの猛特訓を課せられても文句ひとつ言わずに黙々もくもく遂行すいこうし、精根せいこん尽き果ててもまだ音を上げないカズトラ。

「まったく……おまえらはお優しいズラな」

 弟たちや新弟子を見つめていたダテマルの表情がゆるんだ。

「そんなんだから、オラが厳しくて口喧くちやかしい嫌われるタイプの師匠役をやんなくちゃまらなくなるんズラ……やれやれ、長男は損な役回りズラよ」

 眉を八の字にして吐息を漏らしたダテマルは微笑んだ。

「おい、カズトラ君よ」

「お……押忍! なんすか師匠……?」

 師匠と呼ばれて満更まんざらでもないのか、ダテマルの口角は更に緩んだ。

「まあ――及第点きゅうだいてんズラな」

 組んでいた腕をほどいてダテマルは歩き出す。その歩調と方向から行く先を読んだ二人の弟は、ふらつくカズトラを抱え上げてソッと退いた。

「異相に来て二ヶ月と半分。食う寝るもそこそこにオラたち兄弟三人掛かりでみっちり稽古けいこをつけてやって……ほぼほぼ“徹”とおしの基礎は押さえてるズラ。貫通力だけなら合格、及第点はコントロールがまだまだってところズラな」

 ダテマルは一番目の梵鐘ぼんしょうの前に立つ。

「オラが見込んだ通り、やっぱり君は筋がいいズラ」

 構えはせず右手を梵鐘に添えると、一瞬だけ彼の姿が激しくブレる。殴ったり叩いたり、手足を大きく動かした予備動作はまったく見えなかった。

 次の瞬間――梵鐘が高らかに奏でられる。

 鳴り響くどころではない。音階おんかいを踏んだ演奏を始めたのだ。

 即興そっきょうながらも一番目から十二番目の梵鐘で異なる音色を奏でて、鐘の音による重奏を異相すべてに響き渡らせる勢いで轟かせていた。

 ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」――。

 その最高潮クライマックスとも言えるサビの部分を、梵鐘の音色で再現しているのだ。

 これが“徹”とおしを極めた者のせるわざ

 対象に打ち込む衝撃波や振動波を、微に入り細を穿つまで緻密に制御コントロールできるからこそ成し遂げられる絶技ぜつぎだった。

 お手本を示したダテマルは気前のいい笑顔で告げる。



「まずはこのくらい・・・・・手慰てなぐさみでできるようになってもらわんとズラな」



 カズトラは尊敬の眼差しを送るしかなかった。


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