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第19章 神魔未踏のメガラニカ
第475話:父を訪ねて何千里からの鳩尾突き割る
しおりを挟む「なんというか……授業参観みたいになってきたな」
ツバサは現状を傍観して呟いた。
ハトホル太母国の拠点――我が家のリビングルーム。
普段から家族が寛ぎの場として使うスペースだ。
厨房と見紛うほどの大型キッチンや大人数で宴会も催せるダイニングと繋がっているので、最大50人くらいまでなら余裕の収容率がある。
大柄な家族もいるので天井も高い。
(※横綱ドンカイ230㎝、起源龍ジョカ210㎝)
そこに20人弱も集まっていた。
移動要塞ハトホルベースで飛行母艦の調整から戻ってきたツバサ、ミロ、マリナ、ダイン、フミカの初期メンバー5人。
問題を引き起こした原因――メイド長クロコ。
彼女が錬金術師の技能を駆使して製造した5体の高性能メイド人形。
彼女たちのモデルとなったアシュラ経験者。
軍師レオナルド、横綱ドンカイ、剣豪セイメイ&起源龍の嫁ジョカ、拳銃師バリー&奥さんのケイラ、仙道師エンオウ&許嫁のモミジ。
アシュラ経験者の戦闘能力や思考回路を模倣して造られ、その外見的容姿も当人ばかりではなく伴侶の要素も盛り込まれているため、メイド人形たちはほぼ例外なくモデルとなった人物たちを“親”と認識していた。
生体脳と変わらない性能を持つ人工頭脳がそう判断するらしい。
人間関係をもつれさせてほくそ笑むクロコの仕業か? はたまた長男か次女の仕込みか? あるいは三人が結託している可能性もある。
後ほどみっちり問い詰めておこう。なんなら拷問付きでだ。
和気藹々と語り合う彼らを見て「授業参観」とツバサは評した。
正しくは――授業参観の後かも知れない。
クロコが「良かれと思って」新たに製造したメイド人形部隊。
150体までのメイド人形たちは特に問題ないのだが、彼女たちを統率する役目を担う部隊長となる5体のメイド人形。その製造過程に問題が生じた。
基本はメイドとして我が家の家事に従事してもらう。
それがメイド人形部隊のお仕事だ。
しかし、有事の際には家族や国民を守るべく戦える戦士としての戦闘能力も備えさせており、150体のメイドたちも高いLVの能力を持たせている。
――その平均値はLV850。
蕃神の眷族を迎え撃つには十分の強さだ。
メイド人形部隊を率いる部隊長を務めるのは先に挙げた5体。
彼女たちは部隊長として普通のメイド人形よりも強力かつ精巧に造られており、モデルとなったアシュラ経験者たちの超常的な戦闘能力のみならず、性格や個性までも遺伝子のように受け継いでいた。
ただし、完全再現には至っていない。
アシュラ経験者と同等の能力を持つ人造人間は叶わなかったのだ。
クロコが従者作製に長けた錬金術師の職能を極め、ダインの工作技術やフミカのデータ処理というバックアップを受けても不可能だった。
戦神、軍神、闘神、争神、武神……。
彼らは武を司る神の領域を天元突破しつつある。
ツバサがLV999のレベルキャップを越えて未知の領域を開眼したように、アシュラ経験者のほとんどが同じ高みへ辿り着こうとしているのだ。
そんな彼らの模造品を造るなど不遜の極み。
しかもモデルに了解を得てないのでデッドコピーである。
結果的にはLV950の個体能力が限界だった。
人造人間にしてもメイド人形としても破格の存在。凄まじい従者を生み出すことには成功したものの、前述の「モデルの了解を得ていない」という他者への礼儀を欠いた行いにツバサが大激怒した。
生まれてきたメイド人形たちに罪はない。
人間の脳とほぼ変わらない人工脳を搭載し、こうしている間にも感情を育てつつある彼女たちを廃棄処分なんてできるはずもなかった。
また、その力を貸してほしいのも本音だ。
LV900越えの逸材など滅多に出会えないのだから……
そこで――謝罪行脚である。
モデルとなったアシュラ経験者たちに謝り倒した。
不始末を為出かしたクロコのみならず、その上司でもあるツバサも一緒に「この度はとんだご迷惑を……」と平謝りして、彼女たちの存在を認めてもらうことに努めたのだ。事後報告も甚だしいが、こうするより他なかった。
自分とまったく同じ人間が造られる(しかも無許可)。
性別、外見、年齢、能力……こうしたものにいくら差違があっても、勝手に自分のコピーを造られて快諾する人間はいないだろう。
況してや、自身の磨き上げた能力に誇りを持つ人種ならば尚更だ。
この点をツバサは激しく怒ったのである。
幸いにもアシュラ経験者たちからの反対意見はなかった。
『もう一人の自分とは思えない。見た目も可愛いから娘みたいなもの』
――総評はこんな感じである。
お小言や注意こそされたものの、ドンカイは懐が大きく、セイメイは度量が広い。バリーが恐妻家で、エンオウは大雑把だったのも一因だろう。
レオナルドは事の発端なので文句は言わせない。
あいつが「最強の人造人間を造りたければ最強の戦士から模倣しろ」なんてアドバイスをしなければこんなことにはならなかったのだから……。
なんにせよ、メイド人形たちは概ね理解を得られた。
モデルになった者で妻帯者の場合、その奥さんたちからは「私と夫の娘ー!」と思いも寄らない形で好印象を得られたことにも救われている。
他でもない――5体のメイド人形たち当人がだ。
経緯を考えれば出会い頭に存在を否定されてもおかしくないのに、好意的に受け入れてもらえたのは奇跡としか言い様があるまい。
五神同盟が気のいい人ばかりで助かった、と感謝しているところだ。
そんなわけでモデルになったアシュラ経験者たちと、その記憶と経験を受け継いだ娘に等しい存在であるメイド人形たちが雑談で戯れていた。
一見すると家族の団欒のように見えなくもないが……。
「――よろしいですか、お父様」
レオ001号ことエルザ・ワイズマンは主張する。
「私の容姿は半分がお父様の遺伝子より授けられたものです。そして、残り半分は造物主たるメイド長クロコ様を筆頭に、情報官アキ様、女騎士カンナ様、黒魔女ナヤカ様……と爆乳特戦隊の遺伝子も分け与えられております」
「うっ、その事実は知りたくなかったな……」
レオナルドは片手で頭を抱えて歯噛みし、悔いるように呻いた。
広めの額を押さえていた右手で双眸を覆おうとする。
目の前で踊る娘に等しきメイド人形を直視したくないのかも知れない。
エルザは新しい制服を親に披露する女子高生のようなステップで、メイド服のロングスカートをはためかせながらターンをしていた。
女子ながら170㎝近い長身。
爆乳特戦隊の遺伝子を与えられたと自負するだけはあり、恵まれた背丈と体格に見合ったたわわなボディだが、しっかり均整は取れている。
武道家に相応しい肢体をしているのだ。
父親譲りなのは、針鼠みたいな髪型と権謀術数を好む眼差し。そして飾り気のない銀縁眼鏡をリスペクトしていた。
武術の型めいたダンスを披露するエルザ。
「ウフフ……つまり私は、一人の父親と四人の母親を持つも同然ということ。生物学的に有り得ないですわよね、ウフフフ……」
当て付けのようなセリフとともに少女は妖艶な微笑みを浮かべた。
両手でスカートの両端を摘まんで広げ、瀟洒なお辞儀とともに告げる。
「どうぞふしだらな娘とお呼びくださませ、お父様」
まるで意気地のない父親を挑発する生意気な娘のようだ。これには苦虫を噛み潰したような顔でレオナルドも苦言を呈する。
「君、クロコの影響が大きくないか? あるいはナヤカか……?」
まだ登場していない黒魔女のナヤカさんとやらも、なかなか粘着質な性格をしているらしい。まあ、アキさんやカンナさんも大概なのだが。
「――あ、あの! ドンカイ親方様!」
その隣ではカイ002号ことミオ・ソウカイが大声を上げた。
「名前も様付けもいらん、親方で十分じゃ」
呼ばれたドンカイはやんわり訂正しながら振り向いた。
ミオは5体のメイド人形の中で最も大きい。体格もドンカイ譲りの身長190㎝の巨女だ。しかし小顔でスタイルがいいので見栄えがある。
スリーサイズも一番の特盛りグラマラスだ。
そんな大柄な美少女でも巨漢のドンカイは見上げねばならない。
こうしてみると親娘そのものである。
顔を赤らめたミオは恥ずかしがりながらも告白する。
「私は、その……対外的なことを考えまして、まだ正式な伴侶がいらっしゃらない親方様を父親呼ばわりするのはよろしくないと自重しておりましたが……こ、心の中では親方様のことを……“親父殿”と尊敬しておりますから!」
最初はキョトンとしていたドンカイ。
言葉の意味を理解すると、納得がいったのか爆笑した。
「ぶぅわっはっはっはっ! そうかそうか、親父殿か……いや、ちょっと気にはなってたんじゃ。ワシだけ父親扱いされとらんではないかとな」
軍師はエルザから“お父様”と呼ばれ――。
剣豪はイオリから“父ちゃん”と呼ばれ――。
拳銃師はケリィから“ダディ”と呼ばれ――。
仙道師はスズカから“父上”と呼ばれ――。
メイド人形たちはモデルとなったアシュラ経験者を、ほとんど例外なく父親と呼んでいたが、思い返してみればミオだけ“ドンカイ様”と呼んでいた。
ドンカイが妻帯者ではないので気を遣ったらしい。
気配りを忘れない出来た娘さんだ。
ドンカイはちょうどいい位置にあるミオの頭に手を置いた。
幼子へするようにポンポンと優しく叩く。
「君たちからすればワシの年代などみんなオヤジじゃろうて。好きに呼びなさい。まあ、人前では親方と呼んでくれた方がいいかも知れんがのぅ」
「……は、はい! ありがとうございます親方様!」
親父殿と呼ぶことを許してくれた親方にミオは深々と頭を下げた。
「――なんであたし中途半端に小っちゃいんだろ?」
不思議そうに声を上げたのはメイ003号ことイオリだった。
父親役であるセイメイと母親役であるジョカに挟まれて、両者を交互に見比べるように見上げていた。
セイメイは190㎝、ジョカは210㎝。
高身長な2人の外見的要素を受け継いでいる割には、イオリは175㎝弱くらいしかない。それでも5体のメイド人形の中では二番目に高く、日本人女性の平均身長と比べたら群を抜いて高いくらいだ。
その点がちょっと不満そうにイオリは眉をしかめている。
「えー? 小っちゃい方がカワイイよ」
ジョカはまだ愛でたりないのか、イオリを抱き寄せると大地母神に負けない爆乳でパフパフ挟み込むように抱き締めていた。
おっぱいの感触は満更でもないのか、イオリもされるがままである。
むしろ積極的に乳房の谷間へ顔を埋めていた。
「僕もこの姿になって知ったけど、男の人は小柄な女性が好きな人が多いみたいだしね。日本人でもセイメイみたいなのって珍しいんじゃない?」
嫁からの悪意なき問い掛けにセイメイは反論する。
「女の好みなんざ野郎の数だけあるだろ」
おれが特別ってことはねえと思うぞ? とセイメイは小指で耳の穴をほじりながら自らが特殊性癖ではない旨を嫁と娘に言い張った。
立ち聞きしていたツバサは口を挟んでみる。
「日本人は年下好みの傾向が強い、なんて通説はあるけどな」
これにもセイメイは指差して反論してくる。
巨大美少女大好きなおっぱい星人として異を唱えたいらしい。
「そりゃ単純に日本人が総じて童顔小柄なのが多いから、大多数の好みもそっちに傾きやすいってだけだろ? 身の丈もスリーサイズもデカくないと満足できない、おれみたいな野郎だってごまんといるさ」
「もっと特殊なフェチを抱えている奴も数え切れないしな」
こんなところで性癖談義するつもりはない。
早々に話を打ち切るも、イオリは納得いかないご様子だ。
「だけどなー、どうせ2人のいいとこ取りなら身長ももっと欲しかったなー。デッカい方がリーチもあるしパワーもありそうだし……」
「バカヤロウ、おまえはそんくらいでちょうど良いんだよ」
セイメイはイオリの両肩を掴んで説得する。
鼻先が触れる距離まで顔を近付け、真に迫る勢いで言い聞かせていく。
「おまえが母ちゃんくらいの身長になってみろ。父ちゃんが血迷う可能性が無きにしも非ずなんだぞ? それこそ修羅場になっちまう」
黒髪の超ロングヘア、爆乳巨尻、自分よりも背が高い美人。
これがセイメイの女性に求める条件だった。
黒髪のロングヘアとグラマラスボディはイオリも当てはまるので、身長まで母親譲りならばストライクゾーンに入ると危惧したらしい。
この告白を聞かされたイオリは半開きの口で唖然とする。
「……父ちゃん、そこは分別持とうよ」
「分別はあるが、いつ魔が差すのかわからないのが男の悲しい性なのよ」
「もしもその時が来たら家族会議ってやつだね」
意味を理解しているのかしていないのか、ジョカは笑顔でシャドーボクシングの練習をしていた。もうセイメイがフルボッコで殴られているのだが。
「――アタシもマムに似たかったなー」
イオリの願いに同感したのはハリー004号ことケリィだった。
ケンタウロスの肉体を持つ母ケイラの背中に乗り、乗馬気分を味わっているようだ。ケリィは5体のメイド人形では小柄なのでケイラほどの馬体があれば苦にもならず、それこそ子供をあやすようなものだろう。
「下半身馬の方が機動力高くていいよね。違法コピーだけどダディ直伝の狙撃術とのコンビネーションで遠距離戦最強を目指せるかも」
「違法コピーとかいうなよ」
裁判沙汰になっちゃうだろ、とバリーは娘の発言を窘めた。
その上でケリィに言い含めていく。
「セイメイの旦那じゃねえが、おまえもそんくらいのサイズが最適なのよ。ママンと同じ馬の身体じゃ、そうやって背中にも乗せてもらえねぇぞ?」
「……ハッ! こうやって甘えさせてもらえなくなる!?」
ダディ頭いいな! とケリィは絶賛だった。
馬体の背に乗って母親に抱きつくケリィはバリーのアドバイスに目から鱗のようだが、当のバリーは心の中で胸をなで下ろしているようだった。
ツバサは読心術でバリーの心中を読んでみる。
これは別に魔法ではない。
顔色や表情から心を汲み取る、武術の先読みを応用した技だ。
『あっぶねぇ……女房の馬脚キックだけでもお腹いっぱいなのに、娘までケンタウロスになられた日にゃオレ、蹄鉄百烈脚で挽肉になっちまうわ』
なるほど、ケリィにそのままでいろと説得するわけだ。
安心したバリーの肩をケイラがポンと叩いた。
「――命拾いしたな、ダディ」
ニヤリと微笑む彼女の顔は亭主の魂胆を完全に見透かしていた。恐妻の笑顔に頬を引き攣らせるバリーは泣きそうな声で返す。
「……そこまで察してくれるなら手加減してくれよ、マム」
相変わらずこの夫婦の愛情表現は壮絶なようだ。
「――あの、私だけ、こんな平和でよろしいのでしょうか……?」
エン005号ことスズカが申し訳なさそうに疑問を呈していた。
彼女は床にペタンと座らせられており、その後ろに立ったモミジが道具箱から色取り取りのウィッグを取り出すと、スズカの頭に被せていた。
いくつか試してみた後、これと決めたものを据える。
「いいんです。余所は余所、ウチはウチなのです」
モミジは鼻唄を歌いながらスズカの頭に乗せたウィッグを梳る。
小柄なお母さんが大きくなった娘の世話を焼いているようだ。
「……まったく、若旦那ほどじゃないにしろ立派な体格を与えられたのはいいものの、髪型まで若旦那そっくりにすることないです」
女の子なのに坊主頭みたいです、とモミジは文句をつけていた。
スズカのヘアスタイルは超が付くほどのベリーショートヘア。見ようによっては坊主頭と言われかねない髪の短さである。これは完全にモデルとなったエンオウの影響である。あいつは髪が長いのを鬱陶しがる癖があった。
これに母親役であるモミジが異を唱えたのだ。
そこでモミジの黒に明るい茶が帯びた髪とよく似たヘアウィッグを用意すると、それを被せて自分と同じようなヘアスタイルに整えてやっていた。
確かに――ここの家族は一二を争うほど平和である。
ドンカイとミオのやり取りと肩を並べる微笑ましい光景だった。
ツバサは人差し指でチョイチョイとエンオウを手招く。
見落としてしまいそうな些細な仕種だが、よく躾けられた後輩は見逃さない。エンオウは音もなくツバサの傍らに近寄ってきた。
「――お呼びですかツバサ先輩」
「たまにでいい。あの娘に手解きしてやってくれ」
基礎はできているから応用を教えろ、と注文をつけておく。
セイメイもそうだが、自身をモデルに作られたメイド人形たちを彼らはなんだかんだで気に掛けてくれることは、今の様子から十分に窺える。彼女たちに請われれば喜んで武術の稽古もつけてくれるはずだ。
他の娘たちは気安そうだから本人がグイグイ行くだろう。
だが、エンオウをモデルにしたスズカは違う。
恐らく性格まで模しているから真面目で実直。自分から教えを請うような真似は「迷惑かも知れない」と控えがちになる可能性が高い。
だからエンオウに気遣うよう言い付けておく。
エンオウも人一倍優しい気質だから無下にすることはないと思うが、意外とアバウトなので失念しかねない。だから念のために命じたのだ。
先輩の強権はこういう時に振るうものだ。
「――お任せください」
エンオウは一礼するとスズカとモミジの傍へ戻っていった。言われてすぐ実行に移すところにバカが付くほどの真面目さが現れていた。
「これにて一件落着かな……」
ふぅ、とツバサは気の抜けた吐息を漏らす。
肩の力が抜けると同時に超爆乳の重みがズシリと肩へのし掛かるが、事前に組んだ腕を胸の下に回しておいたので難なく支える。
――5体のメイド人形にまつわる騒動。
これは一段落したと見ていい。
少なくとも彼女たちの存在は認められた。多少なりともモデル当人と喧嘩しそうな間柄もあるが、精々見守れるレベルの親子喧嘩だろう。
心配性のツバサは一時はどうなることかと乳房の谷間や下乳にビッショリ冷や汗をかいていたのは内緒だが、八方丸く収まったので良しとしよう。
ふと、誰かが太ももに抱きついてきた。
ミロかと思ったが違う。アホの子はいつの間にかソファに寝転がっており、5体のメイド人形たちに翻弄される人々の様子を愉快そうに眺めていた。
酒が呑める年齢なら、この光景を肴にして一杯やっていそうだ。
愉悦部なんて単語が脳内に浮かぶ。
ツバサの脚にしがみついてきたのはマリナだった。
ハトホル太母国 五女 マリナ・マルガリーテ。
ハトホル一家の中では最古参、VRMMORPG時代のツバサとミロのパーティーへ最初に加わったメンバーである。出会った順番ではクロコが最も早いのだが、あの時点ではプレイヤーとGMだったのでカウントされない。
出会った時は9歳、もう一年経ったので10歳だ。
まだまだあどけなさたっぷりだが利発な顔立ちをしており、純朴な瞳をしているが耳年増で結構おませさんでもある。
神族化したため成長が鈍化したのか幼女のままだ。
柔らかい紫色の髪はふたつに分け、それぞれ三つ編みに結っている。
白と黒のコントラストが映えるゴシックロリータ調のドレスを基本装備とし、そこに防御系魔法を幾重にも織り込んだ王冠型帽子を被っている。ツバサの赤とミロの青を意匠したリボンをコーデとしてドレスに飾り付けていた。
こう見えて結界系技能のエキスパート。
過大能力も防衛能力に特化したものなので、強力な結界を張ることができる晴れる起源龍ジョカとともにハトホル太母国の守りの要でもある。
過大能力の名前は【神聖なる幼女の不可侵領域】。
最近、自分の過大能力の読み方がどういう意味なのかを知ったマリナは「改名したいです……」と複雑な顔をするようになった。
「……………………」
マリナは無言でツバサにしがみついていた。
太ももに両手を回して、お母さんの巨尻に頭を押し当てている。
室内では王冠型帽子を脱いでいるので、ツバサは反射的に頭を撫でてやると、マリナはもっと縋りつくようにお母さんへ抱きついてきた。
視線をこちらへ上げようとはしない。
小さな瞳は5体のメイド人形とそのモデルたちに注がれていた。
家族同然に仲良く語り合い、血の繋がった親子のように笑い合う彼ら彼女らを見つめる瞳は、憧憬の念にゆっくりと潤んでいく。
これは――羨望の眼差しだ。
「…………お父さん」
マリナはほとんど声は発していない。
だが、小さな唇が呟いた動きをツバサは見逃さなかった。武道による読心術ばかりではない、唇の動きを読み取る読唇術もお手の物だ。
ギュッと心臓が握り潰される心地だった。
一見すると心温まる場面だが、マリナには些か残酷なものだろう。
~~~~~~~~~~~~
マリナがVRMMORPGを始めた理由。
それはゲームマスターの父親と会うためだった。
一年三六五日休まず働けますか? を地で行くほどの激務に追われていたマリナの父親は、ろくに家へ帰ってくることがなかったという。
病弱だった母親はマリナが幼い頃に亡くなっている。
家のことは家政婦さんがやってくれるので不自由はない。
それでも年頃の少女は父母の愛情に餓えており、会いたくても会えない父母への想いを日に日に募らせていくばかりだった。
そんな折、父親の書斎に忍び込んで見つけたのがVRMMORPG。
予備のソフトを置き忘れたらしい。
父親がGMをしている話はなんとなく聞いていたので、「これで遊べばお父さんに会えるかも……」とマリナは淡い希望を抱いた。
対象年齢12歳以上というレーティングもなんのその。
父親に会いたい一心のマリナは、児童書で読んだ「母を訪ねて三千里」の主人公に自分を重ねて、前例のない最高難易度で脱落者続出なんて悪評ばかりが広まっているVRMMORPGの世界へ飛び込んだのだ。
気分は「父を訪ねて何千里」だったのだろう。
そして――地獄を見た。
大の大人なプレイヤーでも泣きを見る難易度に、9歳の女の子が一人で抗えるはずもない。何度も何度もデスペナルティを喰らう日々が続いた。
『今日もまたお父さんに会えないまま死んじゃう!』
モンスターに襲われて泣き喚いていたマリナを助けたのが、たまたま現場を通りかかったツバサとミロだった。マリナは女性なのに強くて美しくて格好いいツバサたちの戦い振りに憧れ、その場で仲間にしてほしいと志願してきた。
当初、ツバサは難色を示した。
明らかに年齢のレギュレーション違反を犯していたからだ。
それでも家庭の事情や「お父さんに会いたい!」というマリナの熱意に絆されてしまい、条件付きでパーティ入りを許した次第である。
(※条件は「夜更かしするな」などの青少年の健全な生育を願うもの)
だからマリナはハトホル一家の最古参。
ツバサとミロだけのコンビに初めて加わった新メンバーであり、ハトホル一家となる前段階の“美女と美少女と美幼女のトリオ”を結成した仲間なのだ。
ただ条件付きで仲間にしたばかりではない。
『いつか必ずお父さんを探してあげる』
ツバサはマリナにそう約束した。
この時点でクロコやレオナルドなどのGMとも顔見知りだったので、上手く辿っていけば遠からず出会えるだろうという見込みもあった。
そう難しいことでもない、と当時はやや安易に考えていた。
しかし――突然の異世界転移が巻き起こる。
驚天動地のイベントにツバサたちは為す術なく翻弄されることとなった。
生き延びるため我武者羅に過ごすこと一年余り。
神様になったり国民を守ったり建国したり同盟を結んだり王様になったり侵略者と戦ったり……あれよあれよという間に時間は過ぎていった。
正直、忘れかけていた約束でもある。
マリナが求めていたのは父母の愛情――家族の情愛だ。
オカン系男子から本物のオカン系女神となったツバサの母性本能で、母親の愛情は埋め合わせてやることはできた。
マリナも武術を教えてくれたツバサのことを「センセイ」と尊敬してくれるものの、心の中では「お母さん」と呼んでいるようだ。不意を突いて口から出ることもあるし、寝言なんかでもよく呟いている。
わざとツバサを「お母さん」と呼んで甘えることもあった。
その度にいつもの「誰がお母さんだ!」の決め台詞で返すのだが、ツバサの内に潜む神々の乳母はマリナを我が子として慈しんでいた。
ミロたち兄弟姉妹の影響も大きい。
長女ミロから始まって長男ダイン、次女フミカ、三女プトラ、四女トモエ、六女イヒコ、次男ヴァト、七女ジャジャ。八女ジョカ、九女チャナ……。
マリナは五女、気付けば11人兄弟である。
本物の兄姉や弟妹に勝るとも劣らない仲間たちに囲まれて、マリナは家族や兄弟というものを実感しながら心身ともに成長してくれた。
大地母神となったツバサを母親として愛情を注ぎ、多くの仲間と兄弟同然に過ごすことで、家族愛を求めるマリナは寂しさを紛らしてやることができた。
だから彼女もあまり父親のことを言及しなくなっていた。
ハトホル一家という家族の絆が結ばれたこと。
これが約束をどちらともなく形骸化させつつあった。
それでも――実父への恋しさは疼いたのだろう。
母親恋しさゆえにマザーコンプレックスならば、大地母神がいくらでも埋め合わせてやれた。幼くして母と死に別れたマリナは実の母親に関する記憶がないため、新米オカンなツバサにもなんとか代役が務まった。
マリナの実母には後ろめたいが、母親の代わりになれたのだ。
しかし、父親役はさすがに無理がある。
ムチムチ爆乳ケツデカドスケベボディと揶揄されるほど豊満に女体化したツバサでは、どんなに頑張っても父親の代わりはできない。横綱ドンカイや剣豪セイメイも面倒見こそいいが、いいとこ親戚のオジさん止まりだった。
第一マリナの父親はまだ生きている。
代役を求める必要はなく、当人を訪ねればいい。
そもそもマリナは多忙な父親に会いたくて、GMとして働くVRMMORPGの世界へ飛び込んだのだ。本人がいるのだから代役もへったくれもない。
GM №01 マーリン・マナナン・マクリール・マルガリータ。
マリナの父親は最高位のゲームマスターなのだ。
彼の上には№00と呼ばれるゲームマスターならぬグランドマスターがいるそうだが、ナンバリングではマーリンより上はいなかった。
なので彼を実質的にGMの最高峰と見做していいかも知れない。
ただし、彼の所在は長らく不明だった。
その正体すら霧に包まれたかの如く判然としなかったくらいだ。
マリナから父親の名前を知ったツバサは、レオナルドたちGMにどこにいるかを聞き出そうとしたのだが、該当する人物は見当たらなかった。
(※この場合、マーリンが現実世界で用いた実名。マリナの本名は丸山満里奈、マーリンの人間としての名前は丸山丸穂)
どうやら現実にいた頃から正体を隠していたらしい。
真なる世界ならば認識を阻害させる魔法などあるが、現実世界では経歴や名前を詐称することで、同僚のGMたちにすら氏素性を伏せていたようだ。
恐らく、彼が担当していた仕事に関係がある。
状態確認の枠――強さの位階。
このふたつを数値化することで自己の能力を認識させる。
マーリンはVRMMORPGの全参加者にこれを強いていたのだ。
それは能力の可視化という恩恵であり、プレイヤーの成長力を促進させる祝福になるもの。だがレベルの上限であるLV999に達すれば頭打ちの天井となり、より高みを目指す者への呪縛となる枷でもあった。
人間の魂を神族や魔族へと急成長させる特別なシステム。
魔法、奇跡、加護、呪詛、神威、法術……。
神族も魔族も超越した能力を持つ最上級の灰色の御子たちが集い、人智はおろか神智をも超えんとするいくつもの術を霊験神妙に束ねた機構。
その一端を担う驚異の秘術である。
プレイヤーの育成に関して多大な貢献をした、VRMMORPGでも厳重に秘匿されてきた重要事項のひとつだ。
ゆえにこの事実を知る者は非常に限定されていた。
大ボスこと№00から№05までの最上位GM6名のみで共有される極秘案件とのことだった。だから№06だった猛将キョウコウはおろか、若くして№07に上り詰めたレオナルドですら知り得なかった秘密である。
……含みのあるマーリンの言い回しだと、まだ全貌が明かされていない。
人間を進化させるシステムにはまだ未知が隠されているようだ。
ツバサはLV999の上限解放をした。
破壊神との血で血を洗う決戦の真っ最中だったが――。
この際、隠された異相に潜んでいたマーリンに招待されて事のあらましを打ち明けられ、ついでにマリナの父親であることも告白されたのだ。
別れ際、マーリンはこんな風に言っていた。
『そろそろお別れの時間だが……予想通りだったとはいえ、一番最初に私のところへ来てくれたのがツバサ君で本当に良かったよ』
『ずっと御礼が言いたかったんだ』
『君は私の大切なものを護ってくれた恩人なんだ』
『娘のこと……どうかよろしくお願いします』
一連の言葉に嘘偽りはなく、我が子を想う気持ちは伝わってくる。
それでも真なる世界の未来を……延いては娘の未来のため、我が身を擲つように異相へと隠り、使命の如き孤独な職務に就いてきたのは間違いない。
よくも娘に寂しい思いをさせたな! などと責められない。
マーリンにも重々しい事情があったのが窺い知れる。
11人の子供を持つオカン系女神になってしまったツバサにすれば、子供寄りの視点ばかりでなく、大人視点からも物事を考えるようになってしまった。
客観的かつ多面的な見方をせざるを得ない。
それでも内なる神々の乳母は無条件で子供に味方したくなる。
母性本能に火が付いてしまうのだ。
寂しさからツバサの太ももに縋りつき、超安産型の臀部に頭を埋めてモヤモヤする気持ちを誤魔化そうとするマリナにオカン系女神の血が騒ぎ出す。
理性で抑えつけても無駄なこと。
女神の肉体はパブロフの犬のように脊髄反射してしまう。
乳房は乳腺が張り詰めて、ハトホルミルクが何をせずともブラジャーの中にあふれそうになる。これだから母乳パッドを欠かせなくなるのだ。
お腹の奥にある卵子を生む部屋や赤子を宿す臓器も激しく蠢いていた。
ドクンドクンと鼓動し、キュンキュンと脈動する。
我慢できなくなったツバサは、マリナと視線を合わせるようにその場へとしゃがみ込んだ。両腕を広げて我が娘をかき抱くようにだ。
「……マリナ、おいで」
マリナは小さく頷くと母親の胸に飛び込んでくる。
その潤んだ瞳はあちらを向いたままだ。
父親とも言えるアシュラ経験者たち、彼らと楽しそうに歓談するメイド人形たちを羨ましそうに見つめている。いや、本心から羨望していた。
父親のことを思い出してしまったのだろう。
過酷すぎるVRMMORPGを始めた理由とともに……。
ツバサはマリナを抱き寄せて母の胸に収めてやると、ポンポンと乳児にやるように背中を優しく叩きながらそっと耳元で囁く。
「マリナ、明日……センセイと一緒にお出掛けしようか」
一瞬「お母さんと一緒に」と言いかけた。
しかし、なけなしの男心が喚いたため躊躇してしまい、「センセイ」で妥協したことを心苦しく思う。こんな時くらい「お母さん」でもいいのに……。
「センセイとお出掛け……ですか?」
やっとこちらを向いてくれたマリナに微笑みかけた
涙を零しそうな娘を慰めるため、精一杯の優しい声音で話し掛ける
「ああ、いいところへ連れてってあげよう」
約束だからな、と誰にも聞こえない小さな声でツバサは独りごちた。
「なになに? 明日ピクニックにでも行くの?」
お出掛けという言葉を聞き逃さなかったのか、リビングのソファで長男や次女と一緒にのんびりしていたミロが小走りで駆け寄ってきた。
ツバサの背中に抱きつき、頬をピッタリくっつけてはしゃぐ。
「いいんじゃない、ここんとこツバサさんもお仕事やることいっぱいで大忙しだったしさ。みんなでガス抜きの気分転換に行こうよ♪」
それも悪くないな、とツバサは柔らかい声のまま肯定する。
ミロには申し訳ないが、ここで掌を返させてもらう。
「ゴメンなミロ、明日のお出掛けはツバサとマリナのふたりっきりだ」
「えッ……はぁぁぁぁぁぁぁ~~~ッッッ!?」
非難がましい絶叫が鳴り響いた。
裏切られた気分を変顔で全面に表現したミロは、目を皿のようにして悪鬼の如く口を耳元まで裂けさせると、噛みつく勢いで抗議してくる。
いや、本当にツバサの頭に齧り付いていた。
ブルードレスを身にまとう姫騎士とは思えない所業だ。
「マリナちゃんとふたりっきりって……最愛の長女は置いてけぼりの留守番ってことですかい!? え、他の子供たちの連れてかない? マリナちゃんだけ判官贔屓ってやつで依怙贔屓? なになに、なんで特別待遇なの!? 明日マリナちゃんの誕生日だっけ? 違うよね、どういうことよッ!?」
「珍しく難しい言葉を使うじゃないか」
アホの子なのに判官贔屓とか依怙贔屓なんてよく覚えてたな。
ミロは喋らせると異様に饒舌なので、なんとなく覚えてる単語がフィーリングで飛び出してくるのだ。ただし、意味がわかっているかは甚だ怪しい。
どうどう、と猛犬を躾けるようにミロの頭を撫でてやる。
「明日はマリナだけだ……すまないが訳ありなんだよ」
意味深長な流し目を送ると、眼力のある目配せで察するように促した。
ミロは固有技能“直感&直感”の持ち主だ。
未来予知に匹敵する勘働きができるミロなら、目は口ほどにものを言うツバサの心中を読み取ってくれる。敢えて多くを語らなかった。
案の定、ミロは潮が引くように大人しくなる。
「……あ、そういうこと?」
齧り付くのをやめると、ただツバサにおんぶされてる状態になった。
「見付かったんだ。というより出会えたって感じ?」
「後者だな」
「アタシもオトモしたいんだけど……あんま行かない方がいいみたい?」
「そうだな、あそこは行くタイミングを選ぶ場所だから」
こんな時、ミロはちゃんと空気を読んでくれる。
下手にベラベラ喋るとネタバレに直結しかねないので、訊いてくる言葉もすべてぼかしてくれた。ツバサも言葉少なのやり取りに努める。
マリナの心情を優先するため、同行も諦めてくれたようだ。
「あ、あの、センセイ……」
いいんですか? とマリナがおっかなびっくり尋ねてくる。
何事においてもツバサの一番にならないと気が済まない長女を差し置いて、五女の自分が大好きなお母さんを独り占めしていいんですか?
口にせずとも幼い顔にはそう書いてあった。
「いいんだよ。明日は特別だ」
センセイとお出掛けしよう、と言いながらツバサは立ち上がる。マリナを抱き上げミロを背負ったまま易々とだ。ミロはツバサの肩越しに「ニシシ♪」と気安い笑みを浮かべ、マリナの瞳からこぼれ落ちかけた涙を指先で掬う。
「うん、いいよ。一日ゆっくり楽しんできてね」
ツバサにとって最愛の長女であり比翼連理な伴侶。
唯一無二の立場からの余裕ぶりたいのか長女の貫禄を見せつけたいのか、ミロは大らかにツバサとマリナが出掛けること認めてくれた。
ああ、と思い出したようにツバサは付け足す。
「多分だけど一瞬で行って帰ってくるわ」
「「お出掛けすんじゃないの!?」」
思わせ振りな態度から一転、まさかの時短宣言にツッコまれてしまった。
仕方ない――あそこはそういう場所だ。
ちょっとネタバレになるが、触り程度は説明しておこう。
「ほら、俺たちが修行や特訓に使っている異相。あそこにちょっと近いような場所でな。あちらに三日ぐらい滞在してもこちらだと一瞬だぞ」
「え、そこも精神○時○部屋みたいなの?」
「あの、センセイ……ワタシたち、どこへ行くんですか?」
ミロは興味津々に首を傾げ、マリナは不安そうに脅えていた。
ツバサは母親らしく可愛い娘に頬擦りをして、肌の温もりで不安感を払拭させると、何も言わずとも「心配いらないよ」とマリナを安心させる。
母娘だからできる以心伝心の芸当だ。
その上で行き先がどんなところかも明かしておこう。
「異相だけどいいところだよ。綺麗な草原がどこまでも広がっていて……」
そこで待ってる人がいるんだ――これだけは伝えておいた。
~~~~~~~~~~~~
異相とは、真なる世界を何重にも包む亜空間の総称である。
詳細を説明すると原稿用紙が何枚あっても足らず、多重次元構造について説明すると科学者たちが白熱した議論を巻き起こしかねない。
そもそも真なる世界が多重多層次元世界。
異相は積層する次元に拍車を掛けるものでもあった。
簡潔に説明すると――世界を幾重にも取り巻く薄皮のような亜空間だ。
まず真なる世界が球体だと仮定しよう。
この球体をオブラートよりも薄く、金箔よりも薄く、厚みというものが感じられないくらい薄くしたものが包んでいる。
これが異相のひとつだと思ってもらえればいい。
薄いフィルムに描かれたような異相はさながら二次元空間だが、もしも入り込むことができれば、奥行きがあって広大な世界が広がっている。
絵画の世界に行ける、と幻想的に考えればわかりやすいだろう。
そうした異相が真なる世界を十重二十重に……いいや、十や二十では利かない。百千万億兆京垓……数え切れないくらい折り重なっていた。それこそ無量大数なんて数を超えていてもおかしくはないほどにだ。
これら異相の一つ一つには、広大な空間が広がっている。
多少の差はあるが、ほぼ真なる世界と同じくらいの総面積があるようだ。
ここを有効利用する計画は大昔からあったらしい。
齢一万年を越える真なる世界生まれの年季の入った神族たちの証言が正しければ、ほとんど頓挫するか失敗に終わっているという。
大半の異相が生存に適していない凄惨な環境にあるからだ。
蛙の王様ことヌン陛下が治める水聖国家オクトアード。
彼の国も亡命国家として異相に落ち延びていたが、その異相はすべての命を洗い流して貪る液体“暴君の水”の荒れ狂う世界だった。
常時ヌンが強力な結界を張れたので事無きを得たという。でなければ国ごと一瞬で洗い流されてあっという間に終了していたらしい。
これが標準的な異相である。
ツバサが修行場として見出した異相はかなり特殊な部類だ。
その異相で一年過ごしても、真なる世界では約一日しか経過しない。この時間差を利用して仲間たちの短時間レベルアップに役立てている。
一日で一年みっちり修行できるのだ。使わない手はない。
しかし、この異相も長居はできなかった。
気温、重力、気圧、紫外線、放射線、酸素などの濃度……。
これらの自然現象がランダムで変化する。
地球と大差ないタイミングならばまったく問題ない。しかし、それよりも遙かに軽減することもあれば、殺人どころか殺神級に跳ね上がる時もある。重力100倍とか高濃度の酸素や二酸化炭素なんて脆弱な人間では即死する脅威だ。
(※濃度の高い二酸化炭素が有害なのは言わずもがな、酸素も度が過ぎれば毒となって人間を犯しかねない。人体の抗酸化にまつわる防御機能の処理が追いつかなくなると酸素中毒が起こる。本来は気圧や流体辺りの体積へ掛かる酸素分圧によって起こるものだが、この異相ではガチで致死量の酸素がやってくる)
また、感知しにくい恐怖もある。
この異相では絶えず圧迫感がつきまとう。
心を持つ者の精神をじんわり押し潰すような違和感だ。
自覚できないレベルなのが厄介だった。
それは神族や魔族の鋭敏な感覚でもわかりにくいものだが、長くいるとストレスによる疲労を蓄積させ、最終的には神経をやられてメンタル的に病む。
上位種族であっても免れないほどに追い込むのだ。
最短でも2年から3年――それくらいで病む兆候が現れる。
それ以上は神であれ魔であれ心を壊されかねないので、この異相での修行期間は誰であろうと一年未満に収めることをツバサは厳命していた。
このように異相は生存に適さない亜空間が多い。
だがしかし、極々希に“当たり”の異相も存在するようだ。
真なる世界の住人はおろか弱い人間ですらも快適に過ごせる、理想郷のような異相もなくはないらしい。ただし、遭遇率は恐ろしく低い。
ガチャだとしたら引ける確率は0.000005%程度。
ピックアップ期間だとしても、いいとこ0.0005%くらいだろう。
普通に探していたら何百年も費やすこと請け合いだ。
――そんな超SSRな異相に彼はいた。
透き通るような青い空は純真無垢に澄み渡り、思い出したかのように小さな雲が湧いて飽きさせずに目を楽しませる。手入れされたとしか思えない綺麗な草原がどこまでも広がり、爽やかな風が青い香りを運んでいく。
あまりにも長閑な風景がそこにあった。
人によっては何もなさ過ぎて不安になるかも知れない。
あるいは地平線の彼方にまで到達する草原に、建築物などの視界を遮る異物がなさ過ぎて困惑する恐れもあった。
牧歌的ではあるが、物が少なすぎて寂しさを覚える空間。
現実とは異なる空気を感じさせる辺り、ここもやはり異相なのだ。
何もない草原のみが広がる異相――唯一の住人。
それがGMの最高位にしてマリナの父親であるマーリンだった。
お兄さん以上おじさん未満なお年頃の男性。
マリナくらいの娘がいてもおかしくはない外見だが、お父さんだとしたら若々しくもあり、お兄さんと呼んであげたら満面の笑みを浮かべそうだ。
渋くもあり色気もある、年齢不詳な好青年でもあった。
ツバサが少し見上げる程度なので180㎝以上190㎝未満といった身の丈に、スラリと長い手足。スタイルがいいのが若々しく見える秘訣だろう。
――マリナとよく似た薄紫の髪。
やや長めのそれをオールバックにして、顔の縁を薄くなぞるように整えた髭を生やしている。これがなければもう少し若く見られそうだし、あってもなくても女性を振り向かせる程度のイケメンなのは間違いなかった。
スリムな雰囲気に似合うスタイリッシュな眼鏡を掛けている。
発明家か研究者を連想させる白衣姿だが、着込むスーツも羽織る白衣もどことなくゴテゴテしており、それが彼の風格に厚味を与えていた。
マーリンは黙したまま職務に従事する。
目の前には絶壁のようにそそり立つ巨大なスクリーン。
よく見ればそれは大小様々なサイズの映像投影型スクリーンが群れを成したもので、その総数は十や二十では効かず、軽く万は超えているだろう。
スクリーン上を高速で流れていく多大な情報。
鷹の目の如き眼光は見逃さず、余す所なくチェックしていく。
マーリンを取り巻くスクリーンタイプの制御盤。
彼を中心に半円を描くそれは少しずつズレて三層を成しており、キーボードにしろピアノにしろ、鍵盤の数が多すぎて戸惑いそうになる代物だった。
以前ツバサが見掛けた時よりパワーアップしている。
それを手慣れた手付きで操作するマーリン。
奏者さながらのブラインドタッチで演奏するようにだ。
モニターとなるスクリーンの全景を眼中に捉えるマーリンは、五指を踊り狂わせて積層型鍵盤を叩いており、その口元は微かながら上下していた。
猛烈な勢いで思考を走らせているのだろう。
人間は物事を考える時、内容を脳内にて言語化させることがある。
自分の思考を自分へ言い聞かせるような感覚だ。
この際、無意識ながら顎や舌の筋肉が微かに動かしており、言葉にせずとも独り言を呟いているのと似た状況になるらしい。だから、この微かな顔の動きを読み取ることができれば、相手の心中も読めるようになるという。
インチキ仙人直伝――ツバサの読心術のひとつだ。
(※正しくは唇の動きから会話を読む読唇術の進化形)
マーリンの顎関節も微動を続けている。
そこから彼が何を考えているか読んでみることにした。
『……ふぅ、ドラクルンさんを夢中にさせる連中がいて助かったよ』
中央大陸から見て北西にある大小の島が集まる諸島。
ツバサたちが北西諸島と呼ぶ地域だ。
諸島の映像をクローズアップしてマーリンは注目する。
まだ遭遇していない蕃神の眷族らしき画像や、こちらも未発見の現地種族の情報を映した小型スクリーンも添付されており、ドラクルンと彼を王に頂く仲間の組織図らしきものも詳細に映し出されていた。
そして――ドラクルンと敵対すると思しき組織図が対になっていた。
それらの情報をマーリンは念入りに再確認する。
どうやら2つの組織の抗争は現在進行形で続いており、現在の情報から推測するに、もうしばらく膠着状態にも似た戦線が維持されるようだ。
これにマーリンは安堵の表情を見せる。
『またぞろ暴君だった頃を思い出して、四方八方に喧嘩を売られた日には堪ったもんじゃないからね。せっかくツバサくんたちが頑張って中央大陸を平定してくれたんだ。戦争の火種を持ち込まないでもらいたいものだよ……』
今度はその中央大陸についての情報を確認する。
こちらのスクリーンはほとんどが緑色の蛍光色に染まっていた。どうやらオールグリーンの証らしい。安定を意味しているようだ。
ハトホル太母国を始め、五人の内在異性具現化者が収める国々。
五神同盟の現状もしっかり把握されている。
ツバサたちがこれから訪問予定のエンテイ帝国についてもだ。
それ以外にも複数の小さな国の情報があった。
規模的には村や町、あまり大きくはない集落のようだ。
『ロンドさんの起こした戦争で大陸北部が消し飛んだ時にはヒヤヒヤしたけど……キョウコウさんの国や他のプレイヤーたちが地元住民を助けながら避難してくれたおかげで、人口的な意味では壊滅的打撃を受けなかったのが幸いだな』
国を興したのはキョウコウだけではないらしい。
まだ見ぬプレイヤー集団や、水聖国家のように生き残った現地人の国もあの惨劇を回避できていたと記されている。
この辺りは今後の交流に期待したいところだ。
『中央大陸はほぼほぼOKだろう。ツバサくんたちが中心となって取り回してくれること間違いなしだ。キョウコウさんも心を改めてくれたし……』
マーリンは次の土地へと確認作業を急いだ。
『北東大陸……ここも抗争が激しいが、三つ巴……いや四つ巴か?』
大小ふたつの大陸に分かたれた北東大陸。
ツバサたちのいる中央大陸から見て北東にあるのでこう呼んでいた。その形状は現実世界のイギリスによく似ている。ここでは蕃神の脅威よりも、現地民とプレイヤーが入り乱れての大混戦が起きているようだった。
どうも複数ある“何か”を求めて、激しい争奪戦を繰り広げているらしい。
大きな集団が3つ――小さな集団が複数。
その“何か”を集めるために誰もが手段を選ばず、敵味方が絶え間なく入り乱れて仁義なきバトルロイヤルが巻き起こっていた。
詳細を知りたいが、編集なのか情報の質がやや落とされている。
盗聴や盗撮、覗き見対策なのかも知れない。
後ろから眺めているだけでは子細がわからず、この膨大な情報を処理するマーリンにのみ全容がわかるように設定されているらしい。
――チッ、惜しい。
情報を先取りしたいところだが、ネタバレはNGと断られた気分だ。
北東大陸の状況確認をするマーリンは残念そうにぼやく。
『どの派閥が“例の品”をコンプリートするにせよ、この地に一定の安寧をもたらしてくれそうだけど……ツバサくんやドラクルンさんとかち合った時にどうなるかわからないのが怖いんだよなぁ……』
場合によっては一触即発じゃん、とマーリンも不安げである。
どうやら腹に一物背に荷物ある勢力ばかりのようだ。
こればっかりは直接会ってみないとわかりかねるので、マーリンの意見に賛同するしかない。「蓋を開けてみるまでわからない」と諦めよう。
『直近の問題は……やはりここか』
嘆息の吐息を漏らしたマーリンは新たなスクリーンを展開する。
そこに映し出されるのは――件の南方大陸。
縦長の台形を逆さにしたような大地に、“Y”の字そのものの亀裂が走って海峡となったため、3つに分裂してしまった大陸だ。
3つの大陸のひとつ、最南端の土地は漆黒に塗り潰されている。
蕃神の制圧下に落とされた証だ。
未確認ながらツバサたちが掴んだ情報によれば、黒い世界樹により生態系から塗り替えるような侵略が続いており、そこから伸びる枝葉や根によって異形の植物が繁茂する魔境に作り替えられている真っ最中のようだ。
マーリンのスクリーンに表示される情報もほぼ同様である。
これは――期せずして確証が得られた。
全プレイヤーの動向を調べているマーリンならば、ひょっとして南方大陸に転移させられたプレイヤーから逆探知するように、現地の状況を入手できているかも知れないと予想していたが大当たりである。
しかし、残念ながら黒い世界樹についての情報は少ない。
存在することは間違いないが、それがどんなものかは未詳のままだ。
黒い世界樹の正体は“外なる神々”の一柱。
蕃神を際限なく生み出す黒山羊の女王――シュブ=ニグラス。
まだ証拠は得られておらず、ツバサが超巨大蕃神“祭司長”に見せられた悪夢で垣間見たに過ぎない情報なので鵜呑みにはできない。
それでも信憑性は増してきた。
『ここもなんか三つ巴で喧嘩してるし……本当なら真なる世界と蕃神の勢力がふたつに分かれて派手にドンパチする予定だったのに……』
――なんで内輪揉めになってるかなぁ。
マーリンは無念とばかりに嘆いていた。
スクリーンの情報を参照するに、どうも真なる世界側の住人(現地民か地球から転移してきたプレイヤーかも定かではないが)が二手に分かれて、まだ黒い世界樹に侵されていない2つの大陸に陣取っているらしい。
そして、互いを牽制するように啀み合っている。
ただ、黒い世界樹による蕃神からの侵略がお断りなのは同意見らしく、どちらも自陣である大陸の死守に励んでいるが、まったく協力できてない。なんなら抗争を起こすほどほど険悪ムードのようだ。
おかげで真なる世界側の勢力ふたつと蕃神軍団による三つ巴状態。
内輪揉めと評したマーリンの言葉は正しい。
別次元からの脅威が目の前に迫っているというのに、この二大勢力は何をそんなに反目しているのか? ツバサも当事者たちにツッコみたかった。
その時――カサリと草を踏む音がした。
この勇み足はツバサも予期できず慌てさせられてしまう。
「……ッ!?」
ピクッ、とマーリンの肩が震える。
仮にもGMの頂点、戦闘能力も高く周囲を気取ることも造作あるまい。
マーリンの背中は既に臨戦態勢を取っていた。
――気配を臭わせる勇み足。
さすがにこれを聞き逃がす油断は持ち合わせていないようだ。顎の小さな動きも止まっており、今にもこちらに踏み込んできそうな迫力がある。
攻撃魔法の万は叩き込んでくる戦意も醸し出している。
ここまでか、とツバサは白旗を揚げることにした。
「俺だよマーリンさん、ツバサだ」
隠形や隠密といった身を隠す系統の技能をフル活用して、マーリンの背後に忍び寄っていたのだが、それらを解除してこちらから声を掛ける。
「戦争も終わったから、お招きに応じて遊びに来させてもらったぜ」
「その声は……なぁんだ、ツバサ君だったのか」
驚かさないでよ、と振り向いたマーリンの笑顔は朗らかだった。
きっと不法侵入に気付いた瞬間は悪鬼羅刹の如き形相だったに違いない。この男も伊達や酔狂で猛将や軍師より上の地位にいないはずだ。
本気で戦れば凄絶な戦神となるだろう。
それはそれで楽しそうだが――ツバサの好戦的な部分が燻る。
マーリンは両眼を細めて相好を崩し、両腕を開いて出迎えてくれた。
「君だったら大歓迎、いつでもウェルカムだよ。それにしても思ったより早く遊びに来てくれたね? ロンドさんとの後始末やこれからの難題がいっぱいだから、しばらく来てくれないかもと思って……い……た……ん……」
だがッ!? と語尾でマーリンは絶句する。
いつも通り、正装にして戦闘服でもある真紅のロングジャケットに袖を通して、タイトな黒のパンツにムチムチの太ももを通したツバサの艶姿。
女神の長い黒髪は時に視界を遮る幕にもなる。
黒髪の幕の向こうから現れた人物に、マーリンは目を奪われていた。
「…………マッ、マリナ!?」
久方振りに見たであろう娘の姿に驚きを隠せないらしい。
それは致し方ないことだった。
この異相はLV999を突破した者しか訪れることができないからだ。現状ここへの出入りが許されるのはツバサだけだが……。
ちなみに――隠密系の技能が破れたのはマリナの勇み足が原因である。
お父さんを目の前にして我慢できなかったらしい。
『ど、どうしてマリナがここに!?』
マーリンは視線で訴えてくるがツバサは睨み返した。
『俺の力で強引に異相へマリナを連れ込まさせてもらいました!』
『何してくれてんのツバサ君!?』
アイコンタクトだけでやり取りするツバサとマーリン。
苦情やクレームなら後でいくらでも受け付ける。
今は娘との対面を優先してもらおう。
ツバサの影から現れたのは、同じようにお母さんと同じように正装かつ戦闘服でもあるドレスと王冠型帽子で着飾ったマリナだった。
両手はスカートをギュッと掴み、戦慄く口元を食い縛っている。
「お、お、おお、お父さん……ッ!」
今にも大声で泣き出しそうなのを我慢したマリナは、ようやく念願の一言を口にすると同時に、感情の堰を切って草原を駆け出した。
鍛えた武術の歩法も、神族として習得した技能も忘れている。
ただの女の子として走って行く。
「お父さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーぁぁぁんッ!」
「マリナ……嗚呼、マリナ……マリナァァァァァァァァァーーーッ!」
ツバサを出迎えるため広げたマーリンの両腕。
それは父を訪ねて何千里の旅を経て、ようやくお父さんに会えた愛娘を抱き締めるための両腕へと変わっていく。やや姿勢を前に倒して腰撓めとなり、自分の胸に飛び込んでくるマリナを受け止める覚悟が見て取れた。
感動の親子の再会である。
マリナがマーリンの胸に飛び込むまで――残り三十歩。
ここでマリナの体勢に変化が生じる。
両足に力を込めたマリナは跳躍して宙に浮くと、過大能力を働かせて2つの特殊な結界を作り出した。
まずは宙に浮いた自分の足下に円盤型の結界。
地面に対して円盤の面を垂直に浮かせた結界を足場にして、マリナは水平に飛んでいく。結界の表面には触れたものを全力で跳ね返す反発作用が働いているため、マリナは自らの意思で吹き飛んでいくようなものだった。
そんなマリナの進む先にふたつめの結界がある。
こちらは円筒形になっており、マリナがピッタリ潜り抜けられるくらいの穴が空いているのだが、筒の内部が面白いことになっていた。
螺旋状の溝――いわゆる銃身のライフリングが掘られている。
この筒を通り抜けた物体に爆発的な推進力を加算する力が働いているため、完全に砲身としての仕様を想定しているのだ。
自らのジャンプ力に円盤型の結界による反発作用を加えたマリナが、この円筒形の結界を潜り抜けたらどうなるのか?
彼女自身が高速回転で射出される人間砲弾となるのだ。
なかなか破壊力の高い斬新な発想である。
恐らくは兵器大好きな長男の入れ知恵だろう。
だとしても結界術に応用するマリナのセンスは褒めてやりたい。
マリナは努力家なだけではなく、専門外の分野でも積極的に取り込んでいき、自らの糧とするポジティヴさを磨きつつあった。
今日まで指導してきた“センセイ”としてツバサも誇らしい。
「お父さぁぁぁぁぁぁーんのぉぉぉ……ッ!」
ズドン! と近距離で大砲が発射されたような爆音が轟く。
発射されたマリナという弾丸は音速を超えて、マーリンのど真ん中を目指して突っ込んでいった。ちなみに、頭を飾る王冠型帽子も弾頭よろしく固い結界で守られているので、直撃すれば分厚い城壁をも撃ち抜くだろう。
射出時の爆音に負けぬ大声でマリナは叫ぶ。
「バカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーッ!」
マリナの弾丸ヘッドバットは見事マーリンに命中。
彼の鳩尾を突き割りかねない威力でめり込んでいった。
「ほげえええええええええええええええええええええぇぇぇぇーーーッ!?」
珍妙な悲鳴を上げるマーリンだが、ここで父親の意地を見せる。
怒りながらも胸に飛び込んできてくれた、しかも怒りにまかせて的確に急所を狙ってきた愛娘を褒め称えるように、しっかり抱き留めたのだ。
吹き飛ばされまいと踏ん張るお父さん。
草原に深々と二本の制動距離による足跡を刻むも、どうにか踏み止まった。
鳩尾痛打で咳き込みたいだろうが、娘の手前なので辛抱する。
「ゴホ、ゲホ……マ、マリナ……」
噎せながらも娘の名前を呼ばわったマーリンは、広げていた両腕を震わせて自分の懐に飛び込んできた娘を愛おしげに抱き締めようとした。
その口が「ごめんな」と詫びるより早く、マリナが思いの丈を告げる。
「――寂しかったッ!」
割れんばかりの裏返った絶叫は、至極わかりやすいものだった
マリナを抱き締めかけたマーリンの腕が止まる。
この一言は効いたのか、マーリンは痙攣したように震え上がった。色男の表情が崩れるほど両目を剥き、思いも寄らぬ衝撃に打ち震えている。
よっぽど頭突きより堪えたに違いない。
「ずっとずっとずぅぅぅ……っと! 寂しかったんだからぁ!」
そして、マリナは泣いた。
「やっと……やっと会えたよぉ……うわあああああああああぁぁぁぁん!」
言葉にならない声を喚き、赤ん坊の頃に戻ったかのように、感情のまま泣き声を上げながらも、マーリンの胸にしがみついて離れようとしなかった。
もっと言いたいことはあるのだろう。
積もる話だって一週間費やしても終わらないはずだ。
それでもマリナは感情を爆発させるまま、ずっと胸の内に抱えてきた本音を訴えていた。この寂しさはツバサたちでも埋め合わせられないものだろう。
――生き別れた肉親に会いたい。
こうした感情は理屈ではない。本能に近い衝動なのだ。
血を分けた家族を亡くしたツバサだからこそ共感の念は絶えない。実の父親に会えたマリナを羨ましく思うほどだ。
「マリナ……」
マーリンは恐る恐る両腕の動きを再開する。
触れたらすぐ崩れてしまいそうな、壊れやすいものを扱う手付きでだ。
「…………ごめんな」
寂しい思いをさせて……マーリンは絞り出す声で謝った。
眉間に集中線を描いたかのように、固く閉じた両眼から滾々と涙をあふれさせ、クシャクシャになった顔で体裁なぞ考えずに泣いていた。
娘を抱き締めたたま泣く父と、父に縋りついたまま涙を流す娘。
再会を果たした二人をツバサは静かに見守った。
――やっぱり血の繋がりは強いな。
そんな感想に胸が詰まる言葉にはしない。それこそ野暮というものだ。胸の内では神々の乳母が騒ぐも、今日だけは大人しくしていてもらう。
せっかくの親子水入らずなのだから……。
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俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。
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今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。
しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。
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30年待たされた異世界転移
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気づけば異世界にいた10歳のぼく。
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こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
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Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
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ある日、異世界に召喚された主人公――大森星馬は、自身の中に何かが宿っていることに気づく。驚くことにその正体は神とも呼ばれた竜だった。そのせいか絶大な力を持つことになった星馬は、召喚した者たちに好き勝手に使われるのが嫌で、自由を求めて一人その場から逃げたのである。そうして異世界を満喫しようと、自分に憑依した竜と楽しく会話しつつ旅をする。しかし世の中は乱世を迎えており、星馬も徐々に巻き込まれていくが……。
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