469 / 532
第19章 神魔未踏のメガラニカ
第469話:動けない邪神、動かない蕃神、動かせない外神
しおりを挟むラヴクラフトは設定を固めなかったわけではない。
どちらかといえば設定魔のきらいがあり、覚え書きを始めとした書簡やエッセイには、クトゥルフたち旧支配者に関する設定が詳細に綴られている。
物によってはクトゥルフたちのイラストを描くおまけ付きだ。
ただし、融通の利く“遊び”を設けていた。
この場合の遊びとは、組み立てたものの接合部分にわざと残した隙間や緩みのことを指す。彼の設定にはこうした遊びが含まれていたのだ。
クトゥルフ神話そのものが作家たちの遊戯である。
遊戯にはルールが必要だが、ガチガチに固めれば堅苦しい。
この点、ラヴクラフトは大らかだった。
設定のアウトラインはしっかり整えられている。
それでも新たな設定をいくらでも付け足すことはできるし、別の設定と繋げることも作家の自由である。なんなら新説を唱えるようにまったく新しい設定をぶち上げても構わない。こうして増えた旧支配者はたくさんいる。
大抵の者はラヴクラフトに相談や許可を取った。
ある作家がアドリブ的にクトゥルフ神話を題材にすると、ラヴクラフトも返事をするように相手の設定を取り入れた作品を執筆したこともあった。
ラヴクラフトは自分の設定を絶対としなかったのだ。
仲間の考案した新たな設定を絶賛とともに肯定し、インスピレーションが刺激されればより良くすべくアドバイスをして、時には「是非とも自分の作品でも使わせてほしい」と了解を求めるほどだった。
キャラクターの貸し借り、設定の拡大解釈、新たなる情報の追加。
こうしたものを大いに奨励したのだ。
ラヴクラフトサークルだからこそ楽しめる遊びだったのだろう。
何人もの作家が同じ世界観を共有する――シェアード・ワールド。
作家個人が提示した作品ひとつでも物語として成り立つが、同じシェアード・ワールドに参加する別の作家の作品も読めば、同じ世界観が発展するように広がっていき、更に多くの作品を読み込めば深まっていくのを味わえる。
ラヴクラフトは公言したり定義したことはないものの、ラヴクラフトサークルが楽しんでいた遊戯は、まさしくこのシェアード・ワールドだった。
既に述べた通り、ラヴクラフトは設定魔である。
しかし、分類などの体系化にはこだわらなかったらしい。
クトゥルフ神話の体系化を試みたのは前述の通り、熱心なクトゥルフ神話愛好家だったフランシス・T・レイニーであり、更なる体系化と大系になるよう尽力したのが作家で編集者でもあったリン・カーターである。
基本的に旧支配者たちには極端な優劣がない。
親子関係や親類関係に従属関係は決まっているものの、誰が最強とか誰が最弱などの決まり事はなく、天敵同士と設定されていても勝敗は決しない。
――バケモノにはバケモノをぶつけんだよ!
この理論で激突して引き分けに持ち込むのが精々であろう。
ただし、旧支配者たちの中でも大祭司と恐れられるクトゥルフをして「存在を感じることしかできない」と言わしめる上位者は決められていた。
それが外なる神々である。
この外なる神という分類は体系化された後の設定。
主に後進作家やTRPGのクリエイターが、便宜上のカテゴライズとして設定したものであり、ラヴクラフトを始めとしたラヴクラフトサークルの第一世代の作家陣が手掛けた設定ではない。
(※TRPG=テーブルトークRPGの略称。ゲームマスターと複数のプレイヤーが集まってテーブルを囲み、遊びたいゲームのルールブックを元に、サイコロとペン、キャラクターシートなどを使って対話を重ねながらゲームを進めていくロールプレイングゲーム。これは和製英語であり、発祥の地アメリカではテーブルトップロールプレイングゲーム、またはペンアンドペーパーロールプレイングゲームとも呼ばれる。映画にもなったダンジョン&ドラゴンズなどが有名)
クトゥルフたちにはっきりした区分はなかったのだ。
彼らへの総称からして当初は多岐に渡る。
日本語で旧支配者と訳された“グレート・オールド・ワン”、複数形なら“グレート・オールド・ワンズ”。そのまま邪神と読める“イヴィル・ゴッド”“イヴィル・ワン”。旧神や独立種族である古のものの英語読みと被りそうな“エルダー・ワン”“エンシェント・ワン”“プライマル・ワン”……。
人間の浅薄な知識など決して及びもしない、遙か太古の昔から宇宙を支配してきた禍々しき神々を称える言葉は枚挙に暇がなかった。
このため後の世に販売されたクトゥルフ関連書籍では、アザトースたちもクトゥルフもひっくるめた神格存在すべてを「旧支配者」と呼ぶこともあれば、分類された設定を採用して「外なる神」「旧支配者」と分ける場合もある。
どちらも正しく――どちらも間違いではない。
クトゥルフ神話大系は無限大の宇宙や果てしない多重次元のように、すべてを是とするからだ。そこに絶対という決まりはない。
あらゆる可能性を内包するように、すべてが認められるのだ。
~~~~~~~~~~~~
「外なる神の分類は、ラヴクラフトが設定したものじゃないッス」
博覧強記娘のわかりやすい解説にツバサは耳を傾ける
再び温泉に浸かったフミカは、肩を出して半身浴の態でリラックスしながら映像を投影するスクリーンを何枚ものウィンドウで開いた。
「それでも、ヨグ=ソトースを始めとしたアザトース、シュブ=ニグラス、ナイアルラトテップなどは『クトゥルフたちでも遠く及ばない上位存在』と例外的に扱われていたので、後年になって外なる神と格上げされたんスね」
そこに映されるのは外なる神々の図像。
どれもこれも名状しがたい様相で描かれている。
絶大なエネルギーの奔流が混沌と渦巻くもの、七色どころではないスペクトルを放つ球体の集まり、莫大な生命を宿して胎動と脈動を繰り返す暗雲……。
もはや異次元の概念としか目に映らない。
クトゥルフたち旧支配者はまだ生物に近い外見だった。
怪物や魔物と恐れはするが、その姿にはどことなく人間や動物と似通った部分を見出すことができた。神格と呼ばれる存在であろうとも、血や肉かどうかも疑わしいが肉体を持った生命体ということなのだろう。
しかし、外なる神々にはそれがない。
人間とか動物以前に、生命体としての要素が見当たらないのだ。
意思を持った極大エネルギー体、生ける異次元空間そのもの、生命力を極限まで煮詰めて膨張させたもの、悪意と嘲笑を塗り固めた混沌……。
そう形容するしかない形を持たない神々だ。
「人類の常識の埒外にいる神……宇宙の外に御座す神……」
だから外なる神か、とツバサは独りで得心する。
「ねえねえ、フミカちゃん。訊いてもいい?」
「はいミロちゃん、どうぞッス」
プトラの手慰みでモヒカンヘアみたいに髪を逆立てたミロが、少し生気を取り戻した瞳で二柱の外なる神を順々に指差した。
「どうしてヨグ=ソトースが外なる神の代表みたいに言ったの? 一番強くて偉いのはアザトースなんでしょ? 窮極の魔皇って呼ばれてるし……」
そこはツバサもやや不思議だった。
アザトースは万物の主とも宇宙の創造主とも記されており、クトゥルフ神話に描かれる邪神の中でも最強の魔王と位置付けられている。
――主神と呼んでも遜色はない。
一方、ヨグ=ソトースも外なる神の中でも別格の存在ではあるが、その役所はアザトースの腹心的ポジション。肩書きにも“副王”とある。
なのに、外なる神を分類する際には最初に上げられていた。
「鋭いッスね、さすがミロちゃん」
勘働きだけは天才的なアホの子をフミカは手放しで褒めた。
ミロの訊き方は揚げ足を取るみたいだったが、フミカが指摘待ちで誘導したものらしい。ヨグ=ソトースをメインに据えたわけがあるのだろう。
「ラヴクラフトはアザトースの物語を書いてないんスよ」
え? とツバサとミロは疑問符を浮かべた。
問いを重ねるまでもなく、フミカの口から解説が唱えられる。
「クトゥルフ神話の邪神群において最強の魔皇であるアザトースを創造したのは、紛れもなくラヴクラフトの御大ッス。設定や作品のプロットをまとめた備忘録にもアザトースの名前がありますし、アザトースを主題に置いた長編小説に関する構想もあったそうッスからね」
また、ラヴクラフトの作品の各所でも言及されている。
1926年『未知なるカダスに夢を求めて』――。
1931年『闇に囁くもの』――。
1933年『魔女の家の夢』――。
1935年『闇をさまようもの』――。
こうした作品の端々にアザトースへの畏敬を示す一文が残されており、それに寄れば「すべての時空を支配する虚空という名の混沌で蠢く絶対的エネルギーの渦動であり、万物の王である盲目にして白痴の王」と記されている。
彼の無聊を慰めるため、形を持たない無数の従属神がフルートなどの楽器を鳴らしていつ果てることのない演奏を続けているともいう。
明らかに旧支配者をも超越する別格の存在だ。
「この設定はダーレスたち後進作家にも受け継がれ、旧支配者の頂点に立つ魔王という存在は不動のものとなっていくッス」
語り継がれるように新たなクトゥルフ神話が描かれると、作家たちによっていくつかもの設定を追加され、アザトースの個性は厚味を増していった。
旧神に反旗を翻したため知性や意思を奪われて盲目にして白痴とされたとか、アザトースこそが宇宙を創り出した原動力であり、神とか魔王で括ることのできない次元の存在であるとか……。
「この宇宙のすべてはアザトースの思考から生まれた、とか」
今此処にある宇宙はその中心で眠りにつくアザトースの夢に過ぎず、彼が夢から覚めたらすべて夢幻と消えてしまう。だから従属神たちの演奏は、アザトースを眠らせておくためのものだと囁く者もいるそうな。
(※ラヴクラフトはアザトースに関するアイデアを『ペガーナの神々』から得たとの説がある。ここに登場する創造主マアナ=ユウド=スウシャイは、世界と人間が崇拝する小さな神々を作った後に休息へと入り、長い眠りについた。次に彼が目を覚ましたら、すべてをやり直すために世界も神々も消されてしまうため、スカアルという神が慰撫の太鼓を鳴らしている。「世界はアザトースの夢」という設定は、創造主マアナの設定が混同したものとの説がある)
アザトースは絶対最強! を前提にフミカは話を進める。
「しかし、アザトースその物を題材とした作品がなくて、どちらかといえばヨグ=ソトースの方が重要かつ目立つ役柄を任されることが多かったので、外なる神の選抜基準がヨグ=ソトースになったわけッス」
「聞いてる限り、積極的に動ける神性でもなさそうだしな」
――盲目にして白痴。
旧神に意思や知性を奪われたという設定が加味されずとも、能動的に動くタイプとは思えない。ただただ途方もない“力”として君臨するタイプだ。
そういうことッス、とフミカも同意してくれる。
「ナイアルラトテップはさておいて、もう一柱の外なる神であるシュブ=二グラスもあちこちで名前は挙がるものの主題となるお話がないので、自然と副王ヨグ=ソトースが外なる神の代表に祭り上げられたってわけッスね」
「他の神様に任せられないからお鉢が回ってきた? って感じだし」
ミロほどではないが、プトラの一言も核心を突く。
モデルケースというかスタンダードというか、こうしてヨグ=ソトースは外なる神の原型として据えられることになったらしい。
(※ラブクラフトも神話作品をひとまとめにする際には“ヨグ=ソトースもの”と言い、ヨグ=ソートスを代表格にしていた記録がある)
「外なる神の特徴は大きく分けて三つッス」
フミカは親指、人差し指、中指の三本を立てた。
一つ目は――旧支配者との圧倒的な力の差。
「クトゥルフたち旧支配者は強大な力を持つ邪神ッスけれども、それでも限界があるみたいッス。我々の常識が通じない存在だとしても、肉体らしきものを備えているので、生物的な弱みとか極端な物理法則には逆らえないらしいッス」
現にクトゥルフは海底都市ルルイエで永い眠りについている。
この理由に関しては、星辰の位置が悪いと全能力が低下するので休眠中とか、旧神たちの手によって封印されて冬眠状態とか諸説ある。
いずれにせよ――生き物のように眠るのだ。
また彼の肉体は完全な不老不死や不滅ではなく、自らの死を予見して復活の予防策を用意していた。つまり抹殺することも不可能ではない証である。
(※復活の方法は転生。クトゥルフには存在を隠蔽された娘がいる。万が一クトゥルフが死亡した際には、彼女の胎内にて復活する手筈になっていた)
クトゥルフに限らず、旧支配者には大なり小なり生命体らしき特徴がある。
これが彼らの活動に制約を掛けたり、弱点となることもあるわけだ。
外なる神はそんなのお構いなしだという。
「彼らはエネルギーの集合体。あるいは意思を持った力、空間、次元そのもの……形なんてあるはずもなく、世界のルールにも縛られないッス」
宇宙の理の外にある、この意味でも外なる神だ。
「ルールから外れるどころか、なんなら決めて強いてくる側だし」
世界の法則から逸脱した外なる神々。
そんな彼らの二つ目の特徴は――認識の外にもあること。
「ゆえにその存在は人間どころか旧支配者にも知覚できないッス」
「この点だけは人間も旧支配者も関係なく蚊帳の外だし」
フミカとプトラは両の掌を返すと、「旧支配者ザマァw」と言いたげな戯けた作り笑いを浮かべていた。まあ、多少「ざまあみろ!」とは思う。
「見ることも聞くこともできないの? 全然?」
温泉に潜って即興のモヒカンヘアを解除したミロ。
濡れ髪のままぶつけた疑問にフミカが答えてくれた。
「正式な手順で召喚の儀式を執り行えば、召喚者の前には姿を現すような記述はあるッスけど、基本的に不可視の存在と思った方がいいッスね」
ただし、とフミカは注釈を加える。
「見聞きはできないけど嗅ぐことはできるかも知れないッス」
「嗅ぐ……臭いってこと?」
ミロは嫌そうに眉をしかめると鼻を摘まむ仕種をした。ツバサもなんとなくだが、オカルト好きな友人たちの記憶を掘り返す。
「そういや……クトゥルフの邪神たちは悪臭を伴うとか聞いたな」
「旧支配者にも臭う人は多いッスけど、外なる神代表のヨグ=ソトースなんかは文中で『その臭気によって傍らにいることを知る』とか『彼らは誰の目にも止まらず悪臭を漂わせて往く』としつこく書かれてるッスからね」
(※1928年『ダンウィッチの怪』に書かれたネクロノミコンの一文)
目には映らないが酷い汚穢をまとった悪臭がする。
これも外なる神の共通点だという。
そして三つ目の特徴が――人間や旧支配者も及ばない思考回路。
「ぶっちゃけ、何を考えてているのかわからない……というより、存在のスケールが宇宙とか次元に遍在しているレベルなので、その行動原理を人間の思考で理解するどころか追いつけないってのが正直なところッス」
「例えるとこんな感じだし」
フミカが出した映像投影スクリーンを借りたプトラは、それをホワイトボードにして指先でわかりやすい図解を描いてくれた。
まず人間は蟻のように小さな虫だとする。
この小虫に対して、旧支配者は人間だと仮定しよう。
小虫には人間に踏み潰されようが巣を壊されようが、その営みを破壊し尽くされても何が起きたのかわからない。人間の巨大な力がどういうものかも理解できずに、オタオタと逃げ惑うのが関の山だろう。
人間が何者かさえも小虫の認識ではわからないはずだ。
一方、人間は小虫をどうとでも扱える。
足下を這う小さな虫に気付くことなく足蹴にすることもあれば、戯れにつまみ上げて握り潰すことも容易い。気が向けば掌で弄ぶこともするだろう。
これが人間と旧支配者の力の差だ。
歴然とした格差が深淵のように横たわっている。
「では外なる神は何に例えられるかといえば……これはもう世界だし」
小虫という名の人間と、人間という名の旧支配者。
その双方を包括する世界。あまりに大きすぎてどちらも世界のすべてを認識することはできず、世界が巻き起こす自然災害に為す術もなく翻弄される。小虫も人間も、自分を包む世界に確固たる意思があるなど思いも寄らない。
いや、極僅かな人間のみが世界の意思を感じるかも知れないが……。
「それほど強大な宇宙的存在が外なる神だし」
これはもう――クトゥルフのような旧支配者どころではない。
ひとつの次元を支配する、宇宙創成の原動力と思しきエネルギーを敵に回すようなものだ。勝ち目云々を推し量ろうとする行為すら烏滸がましい。
還らずの都を巡る戦いで突如出現した超巨大蕃神。
通称“祭司長”と呼ばれる彼を、ツバサはクトゥルフだと疑っている。
そのクトゥルフ≒祭司長をして「謁見すら叶わぬ上位存在」と言わしめる蕃神が、真なる世界の南に巣食っているのかも知れないのだ。
悪寒が止まらない。酷い風邪の時みたいな寒気に震え上がる。
超爆乳に超安産型の尻、ムチムチの極太太もも……男時代には有り得なかった、女性的な全身の皮下脂肪をブルブルと震え上がらせるほどだ。
ツバサはすぐさま湯船に舞い戻った。
自然を司る過大能力を使ってお湯を操ってでも肩までしっかり浸かると、そのお湯の中で軽く手招きしてミロを呼び寄せる。
アホの子だけどツバサの機微を察することは人十倍なミロ。
犬かきみたいな這い這いで近付いてくる。
定位置とも言える胸の谷間に後頭部を収めると、ツバサは思いっきり抱き締めた。家族を亡くしたあの日以来、心細い時はこうやって慰められている。
祭司長の忠告――これが徒となっていた。
疑似体験に等しい外なる神にまつわる情報を脳内に流し込まれたため、狂気を誘う彼らの威容が骨身に染みているのだ。幸いにも心折れることはないが、フミカの説明を聞いていたら耐え難い寒気がぶり返してしまった。
外なる神の脅威は計り知れない。
矮小な人間の身では到底、理解どころか認識さえ及ばないだろう。
神族となった今でも、LV999の壁を越えて更なる強さに手が届きそうな境地に達しても、異次元に潜む畏怖に呑み込まれそうになる。
「……………………ッスね」
「……………………だし」
ツバサの様子に女子高生コンビも察したらしい。
あまり触れないでおこう、目配せを交わして小さく頷き合っていた。
「えーっと……んで、主な外なる神についてなんスけど」
ただし、解説は続けるようだ。ツバサから話してくれと振ったので差し止めるわけにもいかない。寒気は引かないが興味もある。
知ることで脅威をいくらかでも和らげたいのかも知れない。
――次元の異なる領域に御座す外なる神々。
その中でもラヴクラフトの構想より創造され、別格の存在としてラヴクラフトサークルからも敬意を払うように扱われた四柱の神々がいる。
外なる神々の総帥――アザトース。
魔皇を支える副王――ヨグ=ソトース。
彼らの妃にして妾――シュブ=ニグラス。
アザトースの従者――ナイアルラトテップ。
外なる神々の名前が列挙されたところで、プトラが手をパタパタと振ってフミカの注意を引いた。そして付け加えるように言う。
「フミちんフミちん、ウボ=サスラも数えてもいいんじゃないし?」
「ウボ=サスラ……確かに大物枠ッスね。なんせ設定や作品によっては、アザトースの兄弟だったり番だったりするし」
「サラッと大物追加しないでくれ。心臓に悪い……」
「ホントだ、おっぱい越しでもどっくんどっくんしてる」
項垂れるツバサに対して、ミロは顔がへちゃむくれになるまで乳房にホッペを押し付けてきた。いつも通りの通常運転なので安心してしまう。
始原にして終末――ウボ=サスラ。
自存する源という異名を持ち、万物の王アザトースとは双子とも兄弟ともされる究極の存在。多くの旧支配者を生み出したともされ、地球上の生物はウボ=サスラから誕生したともされている。
地球の生命はウボ=サスラから生まれ、やがてウボ=サスラへと還る。
ウボ=サスラの名前自体、始原にして終末を意味するという。
「……全盛期はブイブイ言わしてて、古代の神々の記憶を記した書庫から機密文書を盗んだり、やりたい方題していたらしいッスけどね」
「アザトース同様、旧神に逆らった罰として叡智をぶっこ抜かれて頭パッパラパーにされちゃって、地球に逃げてきたとか、高次元にあった地球ごとこの次元へ落ち延びてきたとか……」
「クトゥルフの邪神そんなんばっかだな」
「だから邪神なんじゃないの?」
ぐうの音も出ない正論がミロの口から出てきた。
知性を奪われたウボ=サスラは「頭手足なき塊」と評される粘性生物に成り果て、増殖と分裂を繰り返して新たな不定形の生物を産み続けるも、その自らの落とし子を食らい続けながら蠢動するばかりだという。
当たり前だが、人間が不用意に近付けば喰われる。
人間もまたウボ=サスラから生まれた生物の末裔なのだから……。
「……近付かなきゃ無害っぽくね?」
ツバサの胸の谷間で顔を埋めたままミロは首を傾げた。
チッチッチッ、とプトラは人差し指を振る。
「甘いしミロちん。既に人間がウボ=サスラに近寄りたくなるような餌がばら撒かれてるんだし。フミちんみたいな人種は絶対釣られる餌だし」
「否定できないッスね~」
引き合いに出されたフミカはケラケラと可笑しそうに笑った。
話の流れからツバサは大体の見当を付けた。
「盗んだという古代の神々の知識か」
はいご名答、とフミカとプトラは満足そうに微笑んだ。
「ウボ=サスラの盗んだ知識は“星の石版”というタブレットに刻まれていて、ウボ=サスラのスライムみたいな肉体の方々に埋まってるんスよ。これがまたウチみたいな知識人には垂涎の逸品で……」
本当にジュルリと舌舐めずりしたぞ、この娘。
どうどう、と珍しくプトラがフミカに待ったをかけるほどだ。
「それを読む方法がまた特殊で……まあ無理ゲーだし」
詳しくはクラーク・アシュトン・スミス作『ウボ=サスラ』を読めとのことなので、ツバサも後学のために後で借りて読むことにした。
(※1933年 クラーク・アシュトン・スミス著 『ウボ=サスラ』)
「さっきミロちゃんも言ってたッスけど……」
外なる神々の資料用スクリーンを整理して、ウボ=サスラを含む五柱の神々をクローズアップしたフミカは、彼らの生態について考察を述べる。
「外なる神々って能動的じゃないんスよね」
アザトースやウボ=サスラは知性を奪われて封印されているも同然なので、下手なちょっかいさえ掛けなければ、宇宙の中心の奥にある異次元の混沌や、誰も到達できない地下世界から動くことはない。
シュブ=二グラスについては――よくわからないらしい。
上手に説明できずフミカも頭を悩ましていた。
「世界各地の自然信仰の影にシュブ=二グラスがいる、とされている場合が多いんスけど、それ以上のことは語られていないし、シュブ=二グラスが事件を起こしたところを描いた神話作品も多くないんスよねぇ……」
TRPGなどでは活躍の場があるらしい。
ただしシュブ=二グラスご本人ではなく、彼女が産み落とした黒い仔山羊という眷族がクリーチャーとして大暴れするそうだが。
「登場作品は少ないけど、言及されることが多い女神さまだし」
ヨグ=ソトースを始めとした様々な外なる神や旧支配者について触れる際、彼女の名前は呪文のように繰り返されるという。
これは聖句のようなもの、という説があるらしい。
キリスト教で聖母マリアへの祈祷を意味する「アヴェマリア」に近いもので、クトゥルフ神話における太母シュブ=二グラスへの聖句というわけだ。この場合は呪文的な意味合いもあり、シュブ=二グラスを賛美しているだろう。
「クトゥルフの邪神は性別皆無と思ってたが……女神なのか」
シュブ=ニグラスについてツバサは尋ねた。
「マイノグーラっていう女神に子供を産ませたって記述もあるので、男神としての性質も備えた両性具有みたいッスね。でも、女神の側面のが強いッス」
(※この時生まれたのがティンダロスの猟犬の先祖とのこと)
彼女の神能は――大地母神。
副王ヨグ=ソトース、名状しがたきものハスター、蛇の父イグ。
これらの外なる神や旧支配者との間に、名だたる邪神や怪物を生み落としているという。ハスターはヨグ=ソトースとの間に生まれた息子であり、息子とも平気で関係を持ったため“淫蕩な娼婦”と揶揄されることもある。
(※これにもまた諸説あり、ハスターと関係を持つ際は母子設定がない)
クトゥルフも彼女の血筋に連なるそうだ。
「ただし……作家の設定次第ではこの家系図もコロコロ変わるんで、どれが正しくてどれが間違ってるとかはなく、全肯定の姿勢で聞いてほしいッス」
「このアバウトさがクトゥルフ神話を楽しむコツだし」
フミカとプトラのアドバイスに、クトゥルフ神話初心者なツバサは不承不承ながらも頷くしかなかった。
「……なんにせよ、子沢山な女神だということはわかった」
「子沢山な女神……ツバサさんと同じだねあぶくぅ!?」
「言うと思ったわ! 誰が子宝恵まれすぎオカン系女神だッ!?」
ミロが茶々を入れてきた瞬間、ツバサは彼女の頭を鷲掴みにすると湯船に沈めてやった。すぐに持ち上げると乳房に谷間に埋めて黙らせる。
フミカとプトラは乾いた笑いを漏らしていた。
どちらの顔にも「余計なこと言わんで良かったぁ」と顔に書いてある。
取り繕った愛想笑いで解説に戻っていく。
「とまあ、そんなわけで……シュブ=ニグラスは多くの神々と交わって、旧支配者や独立種族を生んだ母神的な外なる神なんスけど……」
「豊穣の女神として崇拝されるだけで、あんま暴れた話はないし」
アザトースやウボ=サスラと同じように、刺激さえしなければ大惨事を巻き起こすタイプではないとのことだった。
「崇拝してると彼女の生んだ落とし子、黒い仔山羊がやってきて一暴れするってのはよくある話なんスけどね。特にTRPG界隈だと」
「シュブ=ニグラスの設定が固まったのがそこら辺だから仕方ないし」
ちなみに――黒い仔山羊なるこの怪物。
背の高い木々が立ち並ぶ森から顔を出すほど巨大で、メェメエと羊の鳴き声を上げながら重戦車のように突進し、鞭よりも太い触手を何本も打ち振るって大暴れするそうな。一匹出現しただけでも大惨事確定である。
「やっぱり迂闊に手を出しちゃ駄目じゃないか」
外なる神は触れてはいけない存在なのだと再認識させられた。
顔や湯船に浮かんだ乳房に滴る汗を、ツバサは湯船から掬ったお湯で洗い流して嘆息する。外なる神への対策がわかってきたからだ。
「こちらからアクションさえ起こさなければ、外なる神はあまり悪さをしてこないって具合なんだな……時と場合に寄るんだろうが」
用心深いツバサに、フミカは更なる注意を喚起してくる。
「能動的だったり行動力の化身みたいな外なる神もいるッスからね」
――副王ヨグ=ソトース。
全にして一、一にして全。過去現在未来のどこにでもヨグ=ソトースは存在し、遍く時間と空間に接する異次元の狭間に身を置くもの。
すべての時空に通ずる門にして――それを開くための鍵。
これらすべての守護者でもあるという
あらゆる次元の過去から未来まで知り尽くすため、万物の知識を蓄えるアカシックレコードのような膨大な知識の坩堝との説もある。
「このヨグ=ソトースさん、地球侵略にノリノリな節があるんスよね」
「魔導書ネクロノミコンにもそう書かれてるし」
かつてヨグ=ソトースたち外なる神は地球を支配下に置いていた。
しかし、何らかの理由で次元の狭間へ追い遣られてしまい、再び地球へやってくることで支配者に返り咲くこうと企んでいる。
そのように仄めかす一文があるそうだ。
「遠い狭間の地……黄金律……エル○ンリングを求めよ……」
「また夜更かしして昔のゲームやってたなミロは」
狭間という単語で連想したのか、ミロはブツブツ呟いていた。
「もっとも、自分の力では異次元の狭間から出てくることは難しいらしく、魔術師や知識のある人間に召喚されないと無理っぽいんスけどね」
「旧神ありきの設定だと、これが旧神の掛けた封印になってるぽいし」
「こっちはもう手を出すこと自体アウトじゃねえか」
思わず男らしい口調でぼやいてしまった。
「どうせヨグ=ソトースの蓄える無限大の知識目当てで召喚しようとする輩が大半なんだろ? ウボ=サスラといい撒き餌がしっかりしてるなぁ……」
ぼやき続けるツバサに、女子高生コンビはプルプルと首を左右に振った。
「いいえ、世界の破滅を目論んだ魔術師に召喚されたんスよ」
「どこのトンチキ野郎だそれは!?」
老ウェイトリーと呼ばれる魔術師だそうだが……。
(※小説では家族名のみで本名は不詳。TRPGではノア・ウェイトリー)
「しかも娘をヨグ=ソトースに捧げて子供を産ませ、その子供たちを先兵にしてヨグ=ソトース軍団を作って地球を蹂躙しようとしてたし」
「邪神と人間の混血児量産計画だと!?」
詳しくは『ダンウイッチの怪』を読むべし! と『ウボ=サスラ』に続いて小説を布教されてしまった。有名どころは読破しておくべきらしい。
(※1928年 H・F・ラヴクラフト著 ダンウイッチの怪)
最後の一柱を語ろうとするフミカが口を濁す。
「えーっと……ナイアルラトテップについても解説しとくッスか?」
「あーっと……そいつはいいや、大体レオから聞いてる」
フミカは実姉アキを介して軍師レオナルドとよく情報交換を交わしているので、ナイアルラトテップに関する事情について先読みしてくれた。
這い寄る混沌――ナイアルラトテップ。
その代理人を名乗るな怪人が、既に跳梁跋扈しているからだ。
VRMMORPG GM №64 ナイ・アール。
世界的協定機関に潜り込んで末席ながらもゲームマスターの職に就き、表向きは八方美人を気取りながらも、陰では営々と活動していたのだ。
異次元からの侵略者“蕃神”の諜報員として――。
自らをして人類の裏切り者と称し、真なる世界の各地でテロ行為じみた騒動を引き起こしている。ツバサたちも何度か出会していた。
蘊蓄好きで詮索癖のある軍師レオナルド。
そのレオナルドにさえ正体を掴ませない曲者だったため、彼から蛇蝎の如く嫌われている。四神同盟としても排除対象である。
彼がナイアルラトテップの代理人だという確証はまだないが、「ボクはナイアルラトテップから力を分け与えられた使いっ走りですよー」と本人が遠回しにカミングアウトしているのだ。
明言はしていない。相変わらず状況証拠ばかりだが……。
ナイ・アールのことを目の敵にしているレオナルドから、ナイアルラトテップについては耳にタコができるほど話を聞かされている。
だから「そいつはいいや」と断ったのだ。
クトゥルフ神話史上――最初で最後の最悪な秩序紊乱者。
アザトースの従者であり手足の代わりとして動く使者として生み出されながらも、その創造主たるアザトースすら嘲笑する気質の持ち主。
取り除かれたアザトースの知性そのもの、なんて疑惑もある。
すべての外なる神や旧支配者が、何らかの理由で封印などの制限を掛けられているにも関わらず、一切の制約を受けることなく自由闊達にあらゆるところで出没しては、意図の読めない混乱を巻き起こして悦に入る。
無貌の神なる異名と千の化身を持ち、人間社会にも堂々と紛れ込む。
その人間社会に狂気と混乱を生じさせるため、オーバーテクノロジーを気前よくばら撒くのだが、これにより人間は破滅の道を歩むことになる。
一説には原子力を教えたのも彼だという。
こうしたナイアルラトテップの説明はレオナルドから聞かされていた。
そこでフミカたちはメタ的な解説をしてくれる。
「元々はラヴクラフトの御大がエジプトに抱いていた憧れに、科学的なエッセンスが混ぜ込まれて、更には敬愛するロード・ダンセイニの書いた『ペガーナの神々』からもアイデアを貰って……」
「それが御大先生の夢の中でチャンポンされたみたいだし」
「夢の中で……?」
祭司長の悪夢を思い出したツバサは少々苦い顔をした。
ラヴクラフトはよく夢を見たという。
夢の世界に思いを馳せた夢想家でもあったのだ。だからなのか、ドリームランドという夢の世界を舞台に物語も書いている。
夢からインスピレーションを得たのは数え切れないほどだという。
ナイアルラトテップは夢に現れた男の名前だった。
ナイアルラトテップがいくつかの未知なる機械を興行する忌まわしき展覧会の夢を見て、その恐ろしさを称える散文詩をラヴクラフトは書いたという。
ナイアルラトテップ、ナイアーラトテップ、ニャルラトホテプ。
発音の仕方は様々だが、その根底にはエジプト語の趣がある。
そして『ペガーナの神々』でもアルヒレス=ホテップやマイナルティテップという登場人物がおり、どことなくナイアルラトテップに似ている。
「初登場は名前がタイトルの散文詩風小説『ナイアルラトテップ』なんスけど、トリックスター的な活躍が目立ってくるのは次の作品なんスよね」
「『未知なるカダスに夢を求めて』だし?」
この作品の主人公ランドルフ・カーターの前に度々現れて、騙して賺して脅して自滅するように唆しまくったという。本気を出せば脆弱な人間など容易く殺せるはずなのに、とにかく迂遠な手段を用いて破滅に誘ったそうだ。
ここからラヴクラフトサークルによってキャラ付けが加えられていく。
弟子の一人であるロバート・ブロックがこのナイアルラトテップをこよなく愛し、彼をメインに据えた物語をいくつも書いていた。同じく弟子のオーガスト・ダーレスも『闇に囁くもの』というナイアルラトテップの物語を書いている。
「……んで、クトゥルフ神話事典を体系化したレイニーさんやカーターさんが『ナイアルラトテップのみが自由に動ける旧支配者』って位置付けたんスよ」
「旧神の封印からトンズラこけた唯一無二の邪神ってことだし」
そこから後進作家たちが様々な設定を追加した結果、より力を強大にして性格も極悪なトリックスターに成長していったそうだ。
「だからあんな支離滅裂なふざけた野郎になったのか……ッ!」
ナイ・アールの行動と比較すれば一目瞭然である。
もはやあの男もナイアルラトテップの化身のひとつなのかも知れない。
でもさあ、とミロが声を上げた。
ツバサに抱かれたまま胸を枕に仰向けになり、肺に息を溜めたのか湯船にプカァと浮かぶ。温泉に寝そべったような格好でフミカに質問をぶつけた。
「そのナイアルラトテップってあんま外なる神っぽくないね」
――かといって旧支配者っぽくもない。
「なんか……あっちこっちで嫌がらせしてるし、人間の輪の中にもスルリと這い寄ってくるっていうか……他の連中と比べたら俗っぽい?」
「う~ん、言い得て妙ッスね~」
フミカが感心したように唸っていた。
「旧支配者の皆さんは封印されてたり星辰の位置が悪かったり活動時期じゃなかったり動くのがかったるかったりと、まあ動きたくても動けないってのが大半ッス。でも外なる神に数えられる方々は……」
「動けなくても構わない、むしろ動いてくれるなって感じだし」
それもまた言い得て妙だった。
小説家視点で見れば、外なる神は重鎮すぎて動かせない。
動かせば物語そのものをブチ壊すバランスブレイカーだからだ。誰も太刀打ちできない圧倒的ジョーカーであり、出現と同時に終止符が打たれてしまう。
破滅的な顛末の短編ならアリかも知れないが……。
動けば次元規模で災害を起こす外なる神。
彼らと比較すれば、ナイアルラトテップの活動は見劣りする。
フミカやプトラもそこは同感なようだ。
「本来はアザトースの幇間持ちなんスけど、作品によっては他の外なる神々や蕃神、邪神、旧支配者……彼らのパシリも平気で請け負うッスからね」
「腰が低いんだか軽いんだか……とにかくフットワークだけは軽いし」
「どうせ面従腹背だろ? 信用ならねぇよ」
ナイ・アールについてレオナルドからとくと教え聞かされているツバサは、彼からナイアルラトテップの性格を類推して罵った。
(※面従腹背=表向きは従順だが、内心では背いていること)
思い出したようにプトラが手を打つ。
温泉の中でやるものだから、パシャンと飛沫が飛んだ。
「あ、それと火の化身みたいなクトゥグァっていう旧支配者が天敵だから、そういう意味でも外なる神としては格落ちに見られがちみたいだし」
アザトースを筆頭に、外なる神に弱点らしきものは見当たらない。
だがナイアルラトテップには火の化身クトゥグァという天敵がおり、彼を召喚されると遁走してしまうというのだ。
弱点と言えるかも知れないが、ナイアルラトテップの性格を考えると「アイツとは相性悪いから喧嘩するのも面倒」なんて空気を感じてしまう。
苦手なのは事実だが――弱点と恐れるほどでもない。
しかし、ナイアルラトテップに有効な対策ではあるようだ。
そういった意味でも無敵の存在ともいえる外なる神としては、格下に見られてしまうのかも知れない。
もっとも、当のナイアルラトテップは気にも留めないだろうが……。
「以上が――外なる神々の概要ッス」
「真理を暴くものダオロス、生きた音楽トルネンブラ、魔宴を祝う緑の炎トゥルースチャ、ナイアルラトテップの従姉妹マイノグーラ……他にも外なる神に入ってる神性はいるけど、ひとまずこの五柱の神々を知っとけばOKだし」
「……割と聞き捨てならないメンバー揃いだな」
なんだよナイアルラトテップの従姉妹って、とツバサは引きつりそうになる笑顔を温泉の湯を浴びることで誤魔化した。
顔を洗うように何度もお湯を浴びた後、改めて深呼吸する。
もう疑う余地はない――蕃神はクトゥルフの邪神群だ。
あの悪夢はツバサの無意識が蕃神への敵愾心や恐怖心から見せたものではなく、超巨大蕃神“祭司長”が仕掛けてきた精神攻撃に間違いない。
彼の姿はまさにクトゥルフの生き写しだった。
また祭司長が悪夢の随に見せつけてきた、彼を越える上位者の幻影。
あれらも正しく外なる神々の諸相に他ならない。
恥ずかしながらクトゥルフ神話に関してうろ覚えのツバサは、代表格であるクトゥルフと一部の邪神についてしか知らなかった。アザトースたち外なる神については名前を聞いた程度で、詳細についてはほぼノータッチである。
だが、ツバサは外なる神々を悪夢の際で垣間見た。
もはや無意識の成せる業で済ますことはできない。
これまで視て聴いて識ったことは無意識のどこかにあるなんて御高説を並べられても、学んでいない知識を捏造することは不可能なのだ。
あの悪夢は祭司長の仕業――それを認めるしかない。
そして悪夢で遭遇した異形の神々と、フミカやプトラが話してくれたクトゥルフ神話の外なる神々。その異名、容姿、神能がそれぞれ合致していた。
ただの夢でここまでの統合性は望めない。
恣意的に情報を与えられでもしない限りは……。
「あぁぁぁぁ~……」
ツバサは逆上せた振りをして夜空を仰ぐと、気付けにピシャリと目元を叩きながら呻き声を上げた。最悪な裏付けに気付いてしまったからだ。
祭司長が悪夢で忠告してきた上位存在。
彼らを外なる神々と認めたからには、祭司長の正体もクトゥルフだと認めなければならないのだ。今更感はあるもののこれも否定できない。
増殖する不浄の触手――アブホス。
精神喰らいの蜘蛛――アトラクア。
魂魄啜りの猟犬――ティンドラス。
望まれぬ交雑種――シャゴス。
甲殻を備える真菌類――ミ=ゴ。
そして超巨大蕃神――祭司長。
彼らはクトゥルフ神話を連想させる異次元の怪物たち。
かつて真なる世界の住民たちは“外来者たち”と名付け忌避し、ツバサたちはその連想から“蕃神”と命名した名状しがたき異形どもだ。
この程度の認識で済んでいたものを、明確にクトゥルフ神話の邪神だと認定せざるを得なくなった。悪夢の妄想と切り捨てればそれまでだが、墓参りの帰り道では祭司長の眷族も襲いかかってきた。
複数いた眷族はツバサとセイメイが撃破した。
その眷族を斬り捨てる直前、セイメイはボソリと囁いてきた。
『なあツバサちゃん……あれって所謂クトルゥフじゃね?』
酒を呑むこと意外には世俗に疎い酔いどれ用心棒をして、一目見ただけでクトゥルフと判別できるヴィジュアルをしていたのだ。
あの悪夢を皮切りに、蕃神たちも隠さなくなってきたのか? これまでは彼らなりに正体を隠蔽していたのか? その理由はなんだ?
考えることは山積みだが、はっきりしたことはひとつだけある。
蕃神の正体は――クトゥルフ神話の邪神群。
そう決めつけざるを得ない材料が揃ってきてしまった。
「……風呂入りながら長話するもんじゃないな」
情けない声を風呂で漏らす吐息にしたツバサは、のぼせたように振る舞う。ザバリと小さな波を立てて湯船から立ち上がった。
解説助かったよ、と女子高生コンビに労いの言葉を掛ける。
「もう夜も遅い。上がって休もう」
はーい、と三人娘は声を揃えて良い返事した。
その直後、「おおお~ッ♪」と感嘆の声まで仲良く合唱させる。
湯船から立ち上がったツバサの超爆乳が水圧から解き放たれ、ドムンドムンと揺れ動くのを目の当たりにしてのリアクションだった。
「さすがバサママ……アザトース級のビッグバンバストッスね」
「いやいやプトちん、大地母神ならシュブ=ニグラス級だし」
「もう外なる神級でまとめちゃおう。蕃神級のおっぱいってことで」
規格外の超級のバストだと囃し立てたいのだろう。
女神として褒めそやされるのは、未だに男心をイライラさせられる。
余韻で震える乳房を胸筋で鎮めようとしながら、ツバサは目を閉じると唇を噛んでつまらない苛立ちを噛み殺した。もしも変身バグが続いていたら、この程度でも殺戮の女神に変わっていたかも知れない。
だが、髪が赤く染まる様子はなかった。
どうやら完全に治まったらしい。
そのことに安堵の吐息をついてからツバサは吐き捨てる。
「誰が蕃神級のおっぱいだッ!」
頬が赤く染まるのは――恥じらいのせいか風呂上がりのせいか。
少なくとも殺戮の女神化への兆候ではなかった。
~~~~~~~~~~~~
脱衣所に戻ると、清潔なバスタオルと各人の寝間着が用意されていた。
こういうところはメイド長もメイド人形部隊も優秀なので、いちいち指示しなくとも最適なものを用意してくれるのだ。
今まで着ていたものは洗濯物として回収されている。
プトラはエキセントリックな柄のパジャマ、フミカは素朴で落ち着いた部屋着らしいパジャマ、ミロはいつも通りチューブトップにホットパンツだ。
ツバサは相変わらず赤襦袢である。
フミカが着ているようなシャツとパンツで成り立つ一般的な寝間着だと、どうして胸やお尻がキツくてぐっすり眠れないからだ。だからどうしても、浴衣やバスローブのような軽く羽織るタイプの寝間着を愛用してしまう。
赤襦袢の寝間着を最初にくれたのはハルカ。
以来、バリエーション違いで様々な寝間着をプレゼントされていた。
……今夜のはシースルー強めだが気にする余裕はない。
蕃神、外なる神、邪神、旧支配者、旧神――クトゥルフ神話の邪神群。
彼らのことで頭がいっぱいだった。
脱衣所の長椅子に腰掛けたツバサは、湯あたりした身体を休ませる演技をすると気怠そうに頬杖をついた姿勢で俯いたまま押し黙っていた。
思案に明け暮れているようにも見えるだろう。
クトゥルフ神話全般(原作者であるラブクラフトサークルの来歴を含む)の知識を頭に詰め込んだばかりだから、そう受け取られてもおかしくはない。
幸か不幸かフミカとプトラも気付いていない。
深刻な考えを巡らせていると思われないのは有り難かった。
汗を拭いてパジャマに着替えたフミカとプトラは、頭や肩からホンワカとした湯気を立ち上らせると、風呂上がりのコーヒー牛乳を飲んでいる。
瓶詰めの本格的なやつだ(ダインの【要塞】製)。
腰に手を当ててグーッと一気に煽るスタイル。
かつて銭湯とかスパ、温泉地でよく見られた光景である。
チラリと彼女たちを盗み見たツバサは、すぐに違和感に気付いた。
いつもなら彼女たちと一緒にコーヒー牛乳を飲んでいるはずのミロの姿が見当たらないからだ。一方、女子高生コンビの視線がこちらへ向けられる。
不思議そうな彼女たちの目は、ツバサより下にズレていた。
目線を追ってみると――ミロがいた。
長椅子に腰掛けるツバサの前へちょこんとしゃがみ込み、両手で頬を支えるような格好をしていた。半開きにしたジト目でツバサを睨め上げている。
「ツバサさん、何かあったんでしょ」
あろうことかミロから疑いの眼差しを向けられてしまった。
ちょっとどころではないショックにツバサはたじろいでしまう。
「全界特急で帰ってくる途中、居眠りした頃から何か変だもん。悪夢を見たとか言ってたけど、おっかない気配がしたりスッゴく臭かったし」
勘繰るミロは不安を煽るように捲し立ててくる。
これにより場の空気がざわついた。
恐ろしい気配や悪臭に触れたミロの言葉に、フミカとプトラの表情にも少なからず強張りが走る。クトゥルフ神話について話していたから尚更だ。
――子供たちを怖がらせたくはない。
ツバサはその一心から悪夢の内容に口を閉ざしてきた。
いずれ四神同盟の会議で明かして、年長者や識者の意見を交えてから公にしようと伏せていたのだが、返って逆効果だったらしい。
祭司長の強大さにツバサは当てられた。
狂気に陥ることも心折れることもなかったけれど、殺戮の女神になったまま戻れない変身バグが起きたのは、少なからず動揺させられたからだ。
これがミロの心配を急き立てたらしい。
元より彼女は固有技能“直感&直観”の持ち主。
祭司長が悪夢を通じて接近してきた事実にも勘付いており、そこからツバサの様子がおかしくなったので察しが付いたのだろう。
心配かけまいとしたつもりが――心配させてしまった。
「母親失格だな……誰が母親だ」
小声で自分にツッコミを入れながら空を仰ぎ、天井を見つめたまま大きくため息をついたツバサは、諦めの決心とともに打ち明けることにした。
ごめんよ、と謝りながらミロの頭を撫でてやる。
いつものシニョンに結った髪型と違って洗いざらしのヘアスタイル。
膝にしなだれてくるミロを愛でるツバサは口を開いた。
厳重に鍵を掛けていた重苦しい口をだ。
「墓参りの帰り道、列車の中でうたた寝をした俺は夢を見た……日本でよく乗ってた在来線の電車に揺られる夢だ……そこに祭司長が現れた」
この説明だけでフミカとプトラは色めき立つ。
構うことなくツバサは続ける。
「誰もいない電車の中、禿頭の大男に化けた祭司長は、あれやこれやと俺に吹き込んでくれたよ……そして、件の南方大陸に近寄るなと忠告してきた」
ゴクリ、と固唾を呑む音は誰のものか。
まず恐る恐る口を開いたのはフミカだった。
「超巨大蕃神の祭司長が夢を通じて介入してきたって……まさか、そんな」
「え、夢? そんなの悪夢だし……悪夢を見せるのは……ッ!?」
海底都市ルルイエにて、死に等しき眠りにつく旧支配者。
彼は夢を介して眷族や従属する者、そして人間に自らの意思を伝えられるとされている。その強烈な念に人間は耐えられず、やがて狂気に陥っていく。
ツバサは意を決して事実を告げる。
「悪夢の祭司長は人間に化けていたが、時折その姿が揺らいでな………触手を生やした頭足類の頭、ドラゴンのような巨体と翼、六本指の掌……」
超巨大蕃神“祭司長”は――大いなるクトゥルフだ。
カランカラン、と硬い音が鳴り響く。
フミカたちが手にした牛乳瓶を取り落とした音だ。驚愕するあまり握力をも忘れてしまったのだろう。
そんな彼女たちに酷な事実を告げる。
「俺たちが蕃神と呼んでいた異次元の侵略者どもは、クトゥルフ神話の邪神群に似ているんじゃない……あいつらそのものだったんだよ」
断言した瞬間、脱衣所の気温が一気に下がった。
風呂上がりの火照った身体を凍らせるような冷気に満たされる。
「最初は無意識が見せた夢だと思った……」
ツバサは顔を片手で覆いながら説得力を深めていく。
「だが、悪夢の中で祭司長が見せてきた奴より高位の蕃神と、クトゥルフ神話で語られている外なる神が完全に一致していた……外なる神に関してろくに知らなかった俺の無意識が、あんな夢を思い描けるわけがないんだ」
「それ、間違いなく祭司長に割り込まれてるね」
道理でツバサさんの夢見が悪いわけだ、とミロはようやく納得する。
そして女子高生コンビは絶句していた。
フミカもプトラも、お湯に温められて紅潮した顔を青ざめさせていた。ミロもツバサを案じる顔から即座に臨戦態勢の表情へと引き締まる。
暫しの間、冷たい静寂が辺りを制した。
「おっ……オリジナルと違うし!」
それを破ったのはプトラの否定的な叫びだった。
「プトちんから記録見せてもらったけど……祭司長って還らずの都を一円玉でもつまむみたいにできる奴なんだし!? だから超巨大蕃神なんてストレートな呼び方されてて……クトゥルフそんなバカみたいにデッカくないしッ!」
「確かに……規格外すぎるんスよね」
プトラを宥めるように落ち着いた声でフミカが同意した。
根拠となるデータを映像投影スクリーンに映して解説しようとするのだが、操作する指先は戸惑っており、声も明らかに震えている。
「初登場の『クトゥルフの呼び声』で激突した船の大きさ、他作品やTRPGなどの設定も加味しても、全長はいいとこ20m~30m……」
「ガ○ダム以上ウル○ラマン未満だね」
唯一まったく取り乱さないミロの声がやたらと浮いていた。
「二人とも落ち着け――狼狽えるな」
ツバサはフミカとプトラの驚く気勢を片手で制すると、務めて冷静な口調で諭すように言い聞かせていく。
母親の威厳が効いたのか、どちらも黙ってくれる。
「そういう原典との違いも新たな神話の構成要素としてフレキシブルに取り入れていく……それがクトゥルフ神話の良さだと聞かされたからな。原典以上にパワーアップしている可能性も否めないな、と思っていたところさ」
「思ってたって……それもう諦観じゃないッスか?」
「オカンさん、おっぱいも度量もデカいし……」
プトラに「誰がオカンでおっぱいデカいだ!」と決め台詞をかましたいところだが、ここは空気を読んでフミカの意見に返すことにした。
「諦観っていうより覚悟が決まっただけだな」
――超巨大蕃神“祭司長”。
彼を筆頭とする異次元の侵略者“蕃神”に立ち向かう決心は、疾うの昔にできている。これはツバサばかりではなく四神同盟の総意だ。
逃げ場がないなら戦うしかない。
だからこそ殊更に覚悟が決まるのだろう。
「悪夢で祭司長と出会して、脳髄が沸き立つほどの情報量みたいな声を聞かされた時には狂うかもと思ったし動揺もさせられたが……」
四神同盟の為すべき事に――変更点は見当たらなかった。
「蕃神どもを追い払い真なる世界を平和にする……これは譲れない」
ただ、敵の素性が少し知れたに過ぎないのだ。
ツバサはそう考えることにした。これもある種の諦観か?
この意見にフミカとプトラも顔を見合わせ「言われてみれば……」と、小声で囁き合っていた。この二人は応用的理解力が早いから助かる。
二人が心の平静を取り戻すように、今度はツバサから話させてもらう。
クトゥルフ神話の話を聞いた上での感想を並べてみる。
「そもそも俺は、クトゥルフ神話という世界観はすべてラヴクラフト先生が作ったもので、それが後世の作家に引き継がれていると思ってたんだ」
実情を知らない人間らしい思い込みだ。
しかし、正確にはラブクラフトサークルが育んできたものだった。
ラブクラフトが生みの親であることに間違いはないが、彼とその友人たちが着実に基礎を積み上げていき、育ての親であるダーレスたちが土台を広げて世界に知れ渡る巨大な塔となるべく培ってきたものだと知った。
もはや宇宙の深淵に届かんとする神話になっているという。
「だから、てっきり夢想家だったというラヴクラフト先生が、異次元から蕃神たちの毒電波だかテレパシーだかを受信して、それをアイデアにクトゥルフ神話を書き上げたものかと思っていたんだが……」
「だとしたらデチューンされまくりだし」
ツバサの立てた仮説はプトラに一蹴されてしまった。
「オカンさんの考えなら、祭司長たちを参考にして御大先生がクトゥルフ神話を書いたことになっちゃうし。大陸どころか星だって握り潰せそうな超巨大蕃神がクトゥルフだとしたら……めちゃくちゃ弱体化入ってるし」
「人間に太刀打ちできない宇宙的脅威なのは同じッスけどね」
プトラの意見を踏まえて、フミカはお手上げのポーズで掌を返した。
「行き過ぎた五十歩百歩か……」
夢想家が夢で蕃神たちの脅威を知ったと仮定しよう。
それを元にクトゥルフ神話を構築する際、あまりにも途方ないため地球上でも暴れられるようにスケールダウンした可能性はあるかも知れない。
ただし、宇宙規模で災害を起こす点はそのまま。
プトラではないが全長や能力をいくらかデチューンしたわけだ。
「もっとも、クトゥルフ以外の有名な旧支配者たちは、ラヴクラフトの御大だけじゃなく、別の作家さんが手掛けている場合が多いッスけどね」
たとえば――アブホース。
ツバサたちが最初に戦った粘液まみれの触手に大きな目玉が付いた蕃神アブホスの名前の元ネタにした旧支配者である。
このアブホースを創作したのはクラーク・アシュトン・スミス。
ラブクラフトサークルの一人、ラヴクラフトの友人である。
例えば――ティンダロスの猟犬。
三番目に現れた竜と犬をミックスさせたような外見の蕃神は、このティンダロスの猟犬とドラゴンから捩ってティンドラスと名付けていた。
このティンダロスの猟犬を創作したのはフランク・ベルナロップ・ロング。
ラブクラフトスクールの一人、御大を師と仰いだ弟子である。
これまで倒してきた蕃神と、そのモデルと思しきクトゥルフ神話の邪神群を照会して検証を重ねていくツバサとフミカとプトラ。
議論に熱が入ってきた頃、不意にミロがよく通る大声を上げた。
「――人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である!」
……だっけ? と発言した当人が疑問符を浮かべていた。
いきなりの大声にちょっとビビってしまうツバサたち一同。
どこかで聞いたことのある名言っぽいが、生憎とツバサは思い当たらない。こういう時にこそ頼りたいのが博覧強記娘の知恵袋だ。
ツバサとフミカが振り向くと、フミカはすぐさま教えてくれる。
「それは……有名な某海賊王漫画の名言ッスね。ただ、元ネタになったっぽいセリフを言った偉人もいるッス。ちょっと出典あやふやだけど……」
作家――ジェール・ヴェルヌ。
月世界旅行や八十日間世界一周などの名著で知られる小説家でサイエンス・フィクション、即ちSF小説の開祖で“SFの父”との異名を持つ。
『――人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』
「これが彼が遺したとされる名言ッス」
「確かに似ているけれど……微妙にニュアンスが違う気もするな」
それで? とツバサは膝にしなだれるミロに訊いた。
「突然どうしてそんな名言を叫んだんだ?」
「んー? なんとなく思っただけ……」
猫をあやすみたいに首回りをカリカリ掻いてやると、ミロはゴロゴロと喉を鳴らしながら語彙力の怪しい言葉で理由を話してくれる。
「要するに空想はどっかで現実になるって言いたかったの……ラブクラフトさんたちの空想が、数え切れないほどの次元を越えたどこかにいる蕃神どものことを言い当てただけなんじゃないかって……」
子供らしい空想――と一概に否定できない。
次元を越えて異世界転移し、その異世界へと侵略してくる異次元の怪物どもと戦っている身としては、あながち妄想と切り捨てられない発想だった。
――多重次元に果てはない。
地球で暮らしていた人類の中には、遙か高度にある生身の人間では到達できないような次元の存在にまで気付いていた賢人もいたという。
思想、学術、宗教、理念、芸術、美術、理論……。
賢人たちはこうしたものに多重次元への思索を託したとされている。
それにしては予言どころではない。
ラヴクラフトサークルの構想したクトゥルフ神話の邪神群は、驚くくらい蕃神と酷似しており、その姿形を的確に言い当てていた。
「……やっぱりラヴクラフト先生知ってたんじゃないか?」
そんな風に訝しむのも無理のない話だ。
かと言って事実確認をする手立てはない。ラヴクラフトたちはツバサたちの時代から遡れば、既に200年ほど昔を生きた人々である。
「――閃いたし!」
今度はプトラが声を張り上げた。
瞳を七色のLEDライトみたいに煌めかせ、頭上にもミラーボールのように輝きを放つ電球を瞬かせ、妙案を思い付いた顔で披露してくる。
「空間や時間を越えられる過大能力! イヨちんやフミちんのお姉ちゃんに頼んで、時空間を越えて御大先生たちにインタビューしてもらうのは!?」
どうだし? とプトラは得意気だった。
対するツバサやフミカは「う~ん……」と難色を示してしまう。
「ラヴクラフト先生やそのサークルの仲間たちも、どこまで蕃神の毒電場を受信してたかわからんからなぁ……問い質しても混乱を招くだけだろう」
「最悪、タイムパラドックスで時空間ボッカーンッスよ」
「タァァイムボッカァァァーン」
いつの間にかツバサの膝の上で借りてきた仔猫みたいに丸まってるミロも、どこかで聞いたことのあるタイトルを猫撫で声で言っていた。
「ダメだし? ナイスアイデアと思ったんだけどなぁ……」
プトラは残念がるが、予測不可能な手はなるべく避けたいところだ。
「だが、おまえたちのおかげで一縷の望みも見出せた」
クトゥルフ神話愛好家な女子高生コンビへ礼を述べるように、ツバサは勝ち気な笑顔を浮かべた。少しでも優勢ぶりたい気分なのだ。
当の読書中毒娘たちはキョトンとしている。
「ウチらのおかげで一縷の望みッスか?」
「あたいらお役に立てたし?」
自覚がないフミカとプトラに手柄の内訳を教えてやる。
「旧神の存在や四大属性についてだ」
蕃神=クトゥルフ邪神群が確定した今、ラヴクラフトサークルが考案した設定はほぼ照応すると見ていいはずだ。クトゥルフたちが力の差違はどうあれ実在するならば、旧神や四大属性の設定も活きているに違いない。
「正直、弱点属性が有効かは怪しいと思う」
だが蕃神たちが抱える対立属性は使えると期待したい。
水のクゥトルフには風のハスターをぶつけ、地のナイアルラトテップには火のクトゥグアを喚ぶ。その逆もまた然りだ。
そういえば――いつぞやの四神同盟会議の時のこと。
会議後の宴の席で軍師レオナルドがこのクトゥルフ神話を引き合いに出し、蕃神たちの対立構造を攻める作戦を提案していたのを思い出す。
(※第361話『蕃神戦線』参照)
「四大属性や対立関係はいいかも知んないッスけど……」
「旧神については話半分に聞いといた方がいいし、みたいな?」
フミカとプトラは四大属性にはある程度の期待を寄せるものの、旧神については随分と消極的である。まるで釘を刺すような言い方だった。
その心は? とツバサが問えば鐘を打つみたいに答えが返ってくる。
「旧神は『何者かよくわかんない』ってのが通例なんスよ」
元々は外なる神々も旧神の一員だったり、旧神の手で創られたものだという説があるらしい。そんな旧神たちでも外なる神や旧支配者を完全に滅ぼすことはできず、封印するだけで手を拱いているのが現状とのことだ。
「設定によっては旧神の方が諸悪の根源で、外なる神たちは旧神の支配体制を打ち倒そうとするレジスタンス的な見方もできる作品もあるッス」
「場合によっては人間や宇宙へ及ぼす被害は外なる神も旧神もトントンで、酷い時には旧神の方がヤバいってこともままあるし」
「全面的に信用してはいけない……ということはわかった」
安易に頼っちゃダメだな、とツバサは反省する
一方的に侵略されてる弱者の立場から助けを求めれば、無償で助けてくれるほどお人好しな性善説の化身ではないようだ。
しかし、フミカとプトラからフォローが入った。
「いやまあ、絵に描いたような正義の味方もいるんスけどね」
「グリュ=ヴォの星の戦士たち、深淵の君主ノーデンス、夢の守護神ナス=ホルタース、古の戦女神ヌトセ=カアンブル、神園の王クタニド、ウルターラトホテプ、ヤド=サダーグ……この旧神たちはいい人ってされること多いし」
「邪神たちに負けず劣らず結構な数がいるんだな」
救援を求めたいところだが、それが叶うならば過去の真なる世界の住人が召喚なり何なり手を打っているだろう。しかし、助けの手が届いた形跡はない。
無い手は頼るな――インチキ仙人の教えが蘇る。
「……やっぱり自分たちで何とかするしかないってわけか」
四大属性は使えるとしても、見たことも聞いたことも会ったこともない旧神の助けを期待するのは最初から諦めておいた方が良さそうだ。
「ところでさ、クトゥルフ祭司長はなんて言ってきたの?」
膝の上で丸くなっていたミロが尋ねてきた。
そういえば忠告の中身にはまだ触れていなかった。
ツバサは祭司長の正体がクトゥルフだった件も含めて、「あんまり大きな声で言い触らすなよ」と箝口令を敷くと忠告についても明かした。
――3つに分裂した南方大陸。
蕃神に侵食されたと思しき大陸には、黒い世界樹ともいうべき天地を繋げるほどの巨樹が聳え立ち、同種らしい樹木に覆われている。
その大樹を守るべく立ち塞がる黒い巨神。
黒い巨神ごと大樹を打ち倒さんとする、幽鬼の如き白い巨神の群れ。
「黒い世界樹に手を出すな……これが祭司長の忠告だ」
「「黒い世界樹……ってなんじゃらほい?」」
クトゥルフ神話愛好家の女子高生コンビでも初耳だと言わんばかりに首を捻り、脳内検索で該当しそうな邪神を探していた。
「アフリカ大陸のコンゴ盆地にある月霊山脈ってところには、謎の旧支配者が潜む神秘的なオブジェクトがあって、そこに近付こうとするとゾンビみたいな怪物に問答無用で薬を飲まされて木にされる……って話があるッスけど」
(※1932年 ドナルド・ワンダレイ著 『足のない男』)
「あんまり植物絡みの邪神って聞いたことないし……あ、ヴルトゥームって旧支配者が植物っぽいけど、あれは見た目が球根植物だし……」
(※1935年 クラーク・アシュトン・スミス著 『ヴルトゥーム』)
お手上げなフミカとプトラに、ツバサは関連しそうなことを呟く。
「そういえば祭司長が『黒い世界樹は千の仔を孕む黒山羊の女王だ』って示唆するような情報を頭が痛くなるほど叩き付けてきたが……」
瞬間、女子高生コンビは血相を変える。
「「それって……まさかシュブ=二グラスッッッ!?」」
――外なる神々の大地母神。
生命力を象徴する太母、数多の旧支配者の母にして妻、祭司長と呼ばれるクトゥルフすら畏敬の念を払っており、謁見すら許されない黒き女王。
外なる神でも謎多きミステリアスな神性。
それほどの上位者が南方大陸に居座っているらしい。
0
お気に入りに追加
581
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。
狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる