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第19章 神魔未踏のメガラニカ

第466話:外なる神々の訪う足音

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 やはりこれは夢だ――ツバサは確信する。

 持てる限りの分析系技能アナライズを尽くして走査スキャンしてみたが、異空間や別次元へ引きずり込まれた感触はない。小細工をされたわけではないのは確かだった。

 ツバサ自身の座標軸ざひょうじくは高速で移動している。

 これは全界ぜんかい特急とっきゅうラザフォードに乗車中なのを意味していた。

 なのに、視界に映るのは電車の中だ。

 よく通学に使った懐かしいある路線の車内に似ており、ガタンゴトンと在り来たりな振動音が聞こえてくるが、速度は全界特急の半分にも届かない。

 ここは――意識と無意識の狭間はざま

 ツバサの記憶を切り貼りして結ばれた夢の虚像きょぞうだ。

 どうして通学に利用した電車を採用したのか? 我が事ながら知る由もない。だが以前も似たような夢を見た記憶があるので、自分で思うより記憶に刻まれているのかも知れないし、他の因果関係があるのかも知れない。

 意識はクリアに澄み渡っている。

 これが夢だと自覚があるため明晰夢めいせきむになるのだろう。

 明晰夢は思いのままになると聞くが、その割に自由が利かない。こうなると自我や無意識の仕業ではないから、第三者の関与かんよを疑うしかない。

 その第三者は目の前に渦巻うずま妖気ようきだった。

 耐え難い悪臭と、こちらの意識を圧迫する強烈な存在感。

 恐らく本体ではない。自らの意識の一部を飛ばして遠隔操作しているようだが、それだけで魂が砕け散りそうな威圧感に意識の芯がビリビリする。

 超巨大蕃神――祭司長さいしちょう

 その化身ともいうべき妖気の塊が、ようやく形を取ろうとしていた。

 それは人間では決して太刀打ちできない超越的存在。

 伝説の旧支配者――偉大なるクトゥルフ。

 夢のまにまにを凝視ぎょうしするツバサは、祭司長さいしちょうをそう幻視してしまう。

 彼の発する精神波は心どころか、魂魄たましいをも打ち砕くような名状しがたい波動を発しており、常人ならば身も心も木っ端微塵されていたことだろう。

 しかし、今のツバサなら耐えられる。

 これも神族化した恩恵おんけいか、マーリンたち最上位ゲームマスターに感謝しよう。

(※マーリン・マナナン・マリクール・マルガリータ。VRMMORPGアルマゲドンを管理した64人のゲームマスターで最高位の№01の座につく灰色の御子。真なる世界ファンタジアの因子を受け継いだ人類を神族や魔族を越える種族に進化させるべく、かげ日向ひなたに導いてきた。五女マリナの実の父親でもある)

 祭司長の発する凄まじい波動を不快に感じる程度で済まされており、その不快感が苛立いらだちへと膨張ぼうちょうし、やがてツバサの闘争本能をける。

 歯軋はぎしりするも口角こうかくは釣り上がる一方だ。

 ……戦えるのか?

 旧支配者の王ともいうべき上位者じょういしゃへ挑める、千載せんざい一遇いちぐうの好機である。

 脅えではなく、武者震いが止まらない。

 発狂したくなるほどの恐怖を噛み破るかの如く、鎖で繋ぎ止められない闘志とうしが、戦闘民族としての本能がツバサにつややかな唇で舌舐したなめずりをさせる。

『控えよ――不毛ふもうなる闘気とうきを鎮めるがいい』

 祭司長は六本指が付いている左手で、こちらの威勢いせいを制してきた。

 その姿はどうにか人間を模したものになっていた。

 胸を覆うほどのひげを蓄えた禿頭とくとう巨漢きょかん

 触手が髭に化けたのか、うごいている気がしてならない。

 座っているのに頭は車内の天井に届いており、腰掛けた八人掛けの席をたった一人で占有せんゆうする巨体。動画などで見掛ける異常なまでに太った肥満体にも見えるが、彼は自力で動けるだけの野太い四肢ししを有していた。

 全身を覆い隠すのは、汚穢おえまみれるも権威を醸し出す深緑しんりょくのローブ。

 そして、鈍い眼光がツバサを睨みつける。

 瞬きする度、双眸そうぼうの光が二つから六つになる錯覚に目眩めまいがする。

 古いビデオを再生した時に走るノイズにも似た乱れで視界がかすむと、祭司長さいしちょうの姿を三重写しになる。二重ではない、三重になるのだ。

 ひとつは先に述べた通り禿あたまの大男。

 ひとつは最初に目撃した悪臭の妖気を渦巻かせる塊。

 最後のひとつは――偉大なるクトゥルフ。

 禿頭とくとうの頭には不揃ふぞろいな六つの眼光を瞬かせ、ひげと見間違えるほどの触手を生え揃わせている。頭部はたこのような頭足類とうそくるいにしか見えない。汚泥おでいじみた粘液をまとわせている図体は緑色で、背にはしなびたドラゴンの羽を打ち振るわせていた。

 六つの指には鉤爪かぎつめを伸ばし、指の間には水掻みずかきも垣間見える。

 基本は異様に太った偉そうなハゲのオッサンに見えるのだが、こちらが瞬きする寸前に砂嵐めいたノイズが走ると、ランダムで姿が変わるらしい。

『先に申したであろう。私は忠告ちゅうこくあらわれただけだ』

 鼓膜こまくを破る勢いで轟音ごうおんが響く。

 また祭司長さいしちょうが洪水のような思考を注ぎ込んできたのだ。

 無数の星系で起きた事象じしょう一部始終いちぶしじゅうを語り尽くす。

 宇宙の神秘を解き明かせそうな情報量が瞬時に脳内を駆け巡る。

 脳髄のうずいが煮え立つような苦行だ。

 それでも蕃神ばんしんの弱点に繋がる情報はないものかと、辛抱強く聞き流しては拾い上げてるのだが、いまいちピンと来るものはないので肩透かたすかしを食らう。

 弱味をバラすほどポンコツじゃないか、とツバサは舌打ちした。

 幾千万いくせんまん管楽器かんがっきを鳴り響かせたような爆音に、鼓膜がするどころか神経まで断線だんせんしかねない。神族の聴覚器官だから持ち堪えられている。

 人の神経を逆撫さかなでするオーボエにも似たくぐもり声。

 それがクトゥルフの発する声だと博覧強記娘フミカから聞いたことはあるが、これは声どころではない。膨大な量の情報を叩き付けられているのだ。

 映像、言語、文章、声、音楽、臭気、触感……。

 五感がパンクしかねない情報をツバサはなるべく受け流し、祭司長が人語としてこちらに伝えたい部分をピックアップしていく。

 そうでもしなければ、本当に精神が破壊されかねなかった。

 片目を細めて片目を見開き、祭司長は細やかな感心に声を上げる。

『私を恐れるどころではない――打倒すべき障害しょうがい見做みなすか』

 祭司長さいしちょうは踊る触手しょくしゅひげを撫で付けた。

 人間に化けたためか、所作しょさまで人間じみてきた。あるいは、ツバサの視覚がそのように変換しているだけかも知れない。

『貴様らの言葉で“豪胆ごうたん”と褒めるか――あるいは“蛮勇ばんゆう”とさげすむか』

「褒めたところで祭司長アンタ障害しょうがいになるだけだぜ」

 減らず口で返すものの、ほんの少しでも気をゆるめれば目眩めまいと頭痛で意識が飛びそうになる。一時いっときたりとも気が抜けない緊張感が続きそうだ。

 ムッチリした太ももを優雅ゆうがに組み替えた。

 上になったひざに組んだ両手を乗せたツバサは喧嘩腰で続ける。

「どういう風の吹き回しだ? 問答無用で侵略戦争を仕掛けてきた蕃神アンタたちが、今になって話し合いを持ってきたと思ったら忠告なんて……」

 唐突な意図――その腹を探らせてもらう。

 そもそもの話、蕃神ばんしんから接触せっしょくが初めてのケースだ。もしも話し合いができるならば交渉こうしょう余地よちありと期待したいのだが、それにしては発狂死させるような波動を浴びせてくるところに敵意を感じてしまう。

 この波動によって殺気立さっきだつため、ツバサも険悪けんあくにならざる得ない。

 祭司長は傲然ごうぜんとした振る舞いで睥睨へいげいする。

『この地は蕃神われら掌握しょうあくした――これは覆らない事実だ』

 もはや手に入れたも同然と言い切る祭司長さいしちょうにカチンと来た。

 バチバチといかずちをまとうツバサは威嚇的いかくてきに言い返す

「今度は左手どころじゃない……その全身をいでえぐってつぶすぞ?」

 グフグフグフ、と祭司長から咳き込むような笑声しょうせいが漏れる。

 生意気な口を利くツバサを嘲笑ちょうしょうしているのだ。

『やってみせよ――疼痛とうつうを感じるのも幾星霜いくせいそう、心地良ささえ覚える』

 肉をとろかせた粘液を沸き立たせるような音をさせると、祭司長の右手が元通りに復元した。見せびらかすように六本の指を戦慄わななかかせている。

 クトゥルフの肉体は無定形むていけい原形質げんけいしつかたまり

 おかげで変幻自在だと聞くが、失った手足を治すのも容易たやすいようだ。

 しかし、右手はすぐに消える。ツバサとミロが協力して斬り落とした時のように、手首の断面を見せる形へと戻っていた。

 いつでも治せるとパフォーマンスを見せたらしい。

『これは戒め――貴様らにられた過去を忘れぬためだ』

「……そりゃどうも」

 偉大なる旧支配者に自身の力を認めさせた。

 悠久ゆうきゅうの時を死ぬことなく生きる彼らにしてみれば、ツバサたちなど取るに足らない矮小わいしょう生物せいぶつだろう。そんな彼らに“力”ちからを認めさせたのだ。

 ほんの少し、溜飲りゅういんを下げられた気分になった。

 いくらか戦意も抑えられたツバサは、冷静さを取り戻して申し出る。

「忠告……に来てくれたのなら、話し合えないのか?」

 侵略戦争を止めることはできないか?

 あわ期待きたいを込めてお伺いを立ててみるのだが……。

 触手しょくしゅひげを左右に揺らして祭司長さいしちょうは首を振る。

『それとこれとは話が別だ――申したであろう。この地は我らのもの。我らが自由にしてとがめられるわれはない。貴様らがあらがうならばしょするまでだ』

「……ケッ、そうかよ」

 つい悪ガキ時代を思い出して悪態あくたいで返してしまった。

 予想通り一蹴いっしゅうされて終わった。

 しかし、まるで真なる世界ファンタジア所有権しょゆうけんがあるような言い方だ。

 クトゥルフも人間が生まれる遙か以前から地球に移住しており、先住権を主張してきた話を聞いたが、似て非なるものを感じる。

(※クトゥルフの他にも多くの外なる神アウターゴッド、旧支配者、独立種族らが人類誕生より昔に地球へと来訪らいほうしており、我が物顔で支配していた。特に二大勢力として台頭したのがクトゥルフ一族と、海百合うみゆりに似た古代種族“古のもの”エルダーシングスである)

 駄目で元々、ツバサは食い下がってみる。

「アンタたちが生まれたのはこの次元ではないはずだ」

 別の世界、あるいは星辰せいしん彼方かなた幾多いくた次元じげんを越えた果てのはずだ。

 クトゥルフも出自しゅつじ辿たどれば太陽系出身ではなく、第二十三星雲ヴールとかいうどこにあるかもわからない星系で誕生し、ゾスと呼ばれる緑に染まる二重星を支配した後、眷族けんぞくとともに新天地と選んだ地球へ移住してきたとされる。

「故郷に帰るとか……そういう発想はないのか?」

 回れ右して古巣へ戻れ、と言葉を選んで暗に勧めてみた。

 愚問ぐもんだな、とばかりに祭司長は鼻で笑う。

『より良き地があれば移り住む――至極当然であろう』

「……ぐうの音も出ない正論だな」

 人類も同じだ。住みやすく資源に恵まれた優良地を求めて、飽きることなく戦争をしてきた歴史がある。彼らの所業しょぎょうをとやかく言える筋合いはない。

 いつだって“力”ちからある者が弱き者を捻じ伏せてきたのだから。

「だからって『はいそうですか』と自分たちの領土を明け渡せるかよ」

『ならば足掻あがくことだ――私たちのすべきことに変わりはない』

 今後も侵略戦争を仕掛けてくるつもり満々である。

 淡い期待は泡沫うたかたらしく弾けて消えた。

 交渉こうしょう余地よちなし、とツバサは見切りをつけて嘆息たんそくする。

「侵略戦争を止めるつもりは毛頭ないと……じゃあ、本当に忠告しに来ただけなのか? あの御方に手を出すな……とか言っていたな」

『そうだ――あの御方おかたに手を出すな』

 大事なことだから二回いいました、みたいに祭司長は同じ文言もんごんとなえた

 同時に再度フラッシュバックがツバサの脳内を襲う。

 ――まだ見ぬ南方大陸。

 一年前から何かしらの事件が発生したことにより、三つの陸地に分裂してしまったようだが、そのひとつが蕃神によって占拠されてしまったらしい。

 その地はもはや異界へと変貌を遂げていた。

 大地を覆い尽くすのは、奇妙な鳴き声を上げる異形いぎょう樹木きぎ

 所々に多重たじゅうの牙が並んだ口を開いて、長く伸びた触手を打ち振るわせて、断末魔の絶叫を上げる羊のような声でやかましい咆哮ほうこうを上げている。

 おぞましい木々が群れる密林みつりんの奥――屹立きつりつするは魔性ましょう世界樹せかいじゅ

 その木肌きはだは異形の樹木たちと酷似こくじする。

 3つに分かれた大地のひとつ、その地盤にまで根を届かせる巨木。

 四方八方に張り巡らせた根は三分割された海岸まで届いており、大陸が割れてできた海峡かいきょうを越えて、残りの二つの陸地にまで根を通わす勢いである。

 そのこずえは確実に成層圏せいそうけんにまで達している。

 空を覆うほどしげった枝葉はさながら天蓋てんがいの如しだ。

 漆黒しっこくに染まる世界樹せかいじゅは、筋肉のような表皮を定期的に脈動みゃくどうさせていた。

 大地の奥底を流れる龍脈から大量の“気”マナを汲み上げ、それを太い幹に通う道管どうかんで吸い上げると、黒紫こくししげらせたり、怪しげな実を結ぶために使う。

(※道管=主に木々が水や養分を通わすための器官のこと)

 その実から芽生えるのが――あの異形の樹木だ。

 黒い世界樹はこの世界に根を下ろし、着実に棲息圏せいそくけんを拡大させていた。

 これらの映像が音声付きでリアルに脳内再生される。

 ただし、一画面ではない。

 動画を人間の視界ではカバーしきれない数のマルチモニターに多窓たまどで展開された挙げ句、10倍速ぐらいの速さで脳裏に焼き付けられるのだ。

 人間の脳細胞なら焼き付く前に灰となりかねない。

『何度でも言おう――あの御方に手を出すな』

 祭司長はくどいほど念を押した。

 やはり、あの黒い世界樹があの御方おかたとやらのようだ。

 黒い世界樹を守るべく立ち尽くす、黒塗くろぬりの巨神きょじんの姿も垣間見えた。

 対するは――無数の白い巨神。

 白い巨神たちは亡霊の如く、どこからともなく姿を現すと黒い世界樹を押し倒すべく群がるのだが、黒い巨神のぜる鉄拳てっけんが打ち砕いていく。

 黒の巨神は孤軍奮闘こぐんふんとう、白の巨神の群れに立ち向かう。

 白の巨神は徒党ととうすも、黒の巨神に阻まれて黒い世界樹に手が届かない。

 黒と白の趨勢すうせいは一進一退を繰り返していた。

 蕃神ばんしんおぼしき黒い世界樹を巡る攻防こうぼう

 南方大陸でもまた、世界の命運を懸けた戦いが繰り広げられているのだ。

 祭司長はそこに「手出し無用」と忠告してきた。

 裏を返せば「南方大陸のいさかいへ介入されたくない」とも受け取れるが、祭司長が「あの御方」と敬意を払う点が気になった。

 挑発するつもりはないが、揶揄やゆするような言い回しを使う。

あの御方・・・・か……随分ずいぶんうやまっているのだな」

 旧支配者の大立者おおだてものであるクトゥルフ。

 それが祭司長さいしちょうの正体ではと疑っているツバサにしてみれば、クトゥルフが畏敬いけいねんを払う蕃神ばんしんとは如何いかなる存在かと懸念けねんを抱いてしまう。

 確かにクトゥルフは最上位の存在ではない。

 クトゥルフ神話体系と名付けられているため、クトゥルフこそが旧支配者きゅうしはいしゃ蕃神ばんしんにおいて最強格と思われがちだが、実際には彼をも超越する恐るべき神性が何体も確認されているはずだ。

 外なる神々アウターゴッズ――そう呼ばれていたと記憶する。

『当然だ。あの方々・・・・と私とでは格が違う』

 しかも複数形かよ!? とツバサは内心舌を巻いた。

 こちらの疑念ぎねんを先読みしたのか、またも膨大な情報を流し込んでくる。

『私はあの方々・・・・類縁るいえんだが――相見あいまみえることかなわぬ』

 朧気おぼろげながらもうかがることはできない、と祭司長さいしちょうは断言した。

 祭司長でも謁見えっけんを許されない御方おんかたたち。

 超巨大蕃神でも叶わない上位者ともいうべき存在がいるのか!?

 この事実に戦慄せんりつしたツバサは冷や汗を噴き出した。

 その情報量は先触さきぶれのような些細ささいなものでも、脳の神経回路を焼き付くまでショートさせ、記憶野きおくやを土砂崩れのように押し潰すほど莫大だった。

 視界を奪われたように見知らぬ光景こうけい網膜もうまくよぎっていく。

 祭司長の背後――電車の車窓しゃそう

 何処いずことも知れぬ明るくもなければ暗くもない風景を写していた窓に、この世でもあの世でもない、別次元べつじげん彼方かなた巣食すくう何者かを映し出していた。

 まるで上下左右関係なく流れるエンディングロール。

 そこに顕現けんげんするのは、人知じんちの及ばぬ宇宙の深遠しんえんうずくまるものたちだ。

『次元の中心にて微睡まどろ盲目もうもくにして白痴はくちの王よ――』

 無限の膨張を続ける宇宙の中心。

 始まりの大爆発を起こしたグラウンド・ゼロ、その最奥さいおうえられた玉座で惰眠だみんむさぼる無限大に等しき極大エネルギーの渦動かどう。ありとあらゆる蕃神の頂点に君臨するというのに、意味のない冒涜ぼうとくの言葉を延々と羅列られつするのみ。

 ただし、妄言もうげんを発する度に星々を砕くほどの核爆発を巻き起こす。

 その全貌ぜんぼうは見えずとも、原始的な混沌のコアだと感じる。

 原初げんしょにして窮極きゅうきょく――始原しげんにして絶大ぜつだい

 ありあまるエネルギーの収縮と分裂を無意味に繰り返すあるじ無聊ぶりょうを慰めるため、名もなき蕃神たちはいつ果てることのない演奏を続けていた。

 この世ならざる楽団が奏でるフルートの音色が聞こえてくる。

 もはや蕃神なんて神格しんかくくくるのも烏滸おこがましい。

 彼は次元そのもの、宇宙を創り出した万物の創造主と呼ぶべきものだ。

『時間と空間の何処いずこにも御座おわす門にして鍵たる守護者よ――』

 過去、現在、未来――三つ合わせて三世さんぜ

 この三世に起きた情報の一切を記録するものであり、記録した情報そのものでもあるのだが、別次元の狭間はざま幽閉ゆうへいされているため行動は封じられている。時間であり空間であり情報である存在。次元の彼方にて機会を待っているという。

 他でもない、いつの日かこの世に侵出しんしゅつする機会をだ。

 もしも人間が彼に遭遇したならば、いくつもの大きな虹色の球体が一塊となって不規則に動き続けるような姿に見えることだろう。

 ただし、相見あいまみえた時点で正気と別れを告げる覚悟をせねばなるまい。

 全にして一であり、一にして全たるもの。

 多重たじゅう次元じげんのすべてに同一存在がまたがる永劫えいご

 彼もまた時空間という現象その物であり、神格の枠に収まりきらない。

強壮きょうそうなる使者ししゃにしてあるじをも嘲笑あざわらう這い寄る混沌よ――』

 千のかおを持つもその本性は無貌むぼうたるもの。

 前述ぜんじゅつしたものたちが宇宙の深淵しんえんや次元の狭間はざまへ封じられているのに対して、彼のみは幽閉ゆうへいを拒むように時空間を闊歩かっぽし、何処どこにでも現れて何処どこにもいない神出鬼没を繰り返す。其処彼処そこかしこで天邪鬼な騒動を巻き起こしては愉悦ゆえつふける。

 変幻自在にして正体不明、そもそも本当の姿があるのかも定かではない。

 その容姿を捉えることは実に難解だ。

 知恵ある者をたぶらかし、そそのかし、あおり、自滅へといざなう。

 そうすることで世の潮流ちょうりゅうを掻き乱すことを至上しじょう命題めいだいとする。

 極悪なトリックスターだが、それゆえ他の神格より話が通じてしまう。

 人心と世相を理解できる人間に近しい精神を持ち合わせなければ、意図的に争乱を巻き起こすことなどできないからだ。

 ……なんと皮肉なことだろうか。

せんを孕む母なる森の黒山羊くろやぎよ――』

 彼女は生命の権化、あらゆる精を受けて際限さいげんなくはらんでは産み落とす。

 交合こうごう生殖せいしょくを絶え間なく繰り返す様は時として淫蕩いんとうさげすまれるも、それこそが命ある者の本質であり、多産たさんの意味するところは世界に豊穣ほうじょうをもたらすこと。文字通り、「産めよ増やせよ」と地で行く大地母神の最上格さいじょうかく

 神々の乳母ハトホルとなったツバサでも道を譲る絶対的母性。

 多くの神性と関わりを持ち、更に多くの神性を生み出した母なるもの。

 祭司長さえも彼女の因子を受け継ぐと示唆しさされていた。

 豊穣の女神を辿れば、必ずや彼女へ行き着くとされる大いなる原始太母グレートマザー

 祭司長が“あの御方”と畏敬いけいねんを抱く謎の蕃神ばんしん

 その威容いようただれながらも泡立つ雲海うんかいのように形定まらぬ巨体であり、何本もののたうつ触手を打ち振るわせ、ドス黒い粘液えんえきしたたらせる巨大な口で奇妙な鳴き声を上げて、黒いひづめを持つ何本もの足で大地を踏み締めていた。

 異形いぎょう黒山羊くろやぎに見えなくもない。

 黒い世界樹と――千の仔を孕む母なる森の黒山羊が重なる。

 相変わらず注ぎ込まれっぱなしの情報は、祭司長があの御方と呼ばれる者へ不敬ふけいを買うことを恐れており、それが森の黒山羊なる蕃神ばんしんを指していた。

 ツバサはしかめた眉で眼をすがめる。

「南方大陸に居座いすっているのは……その黒山羊の女王なのか?」

仔細しさいを知る必要はない――関わらなければ良い』

 手を出すな、と祭司長は壊れたスピーカーのように繰り返す。

 いいかげん情報の洪水にもうんざりしてきた。

 脳細胞が白紙のページだとしたら、そこを黒一色で染めるほどの文章量を書き込もうとするようなものだ。蕃神についての知識は喉から手が出るほど欲しいけど、情報のほとんどが益体やくたいもない雑多ざったなもので締められていた。

 これは――示威行為じいこういにも似た脅しである。

 祭司長をも凌駕りょうがする外なる神々アウターゴッズの脅威を知らしめ、ツバサの心を折りに来ているのだ。実際、彼らへ寒気さむけとも畏怖いふねんを感じてしまう。

 莫大な情報も、外なる神々アウターゴッズに反逆した者の末路まつろしぼられていた。

 精神攻撃は基本――というやつである。

 しかし、これで挫折ざせつするくらいなら苦労はしない。むしろ甲斐かいを覚えるようにツバサは師匠のインチキ仙人に育てられてしまった。

 超高難易度の死にゲーへ喜び勇んで挑戦する心持ちに似ている。

 こんな時ばかりは師匠に礼を述べたくなった。

 重要な情報をくれないなら用はない。ツバサは精神防御系の技能スキルにより祭司長さいしちょうからの情報に制限を掛け、必要最低限までシャットアウトした。

『貴様らがあの御方おかた拝謁はいえつするなど――不敬よ』

 それでも神経を逆撫さかなでするオーボエじみた声は鳴り止まない。

「だったら……テメエらでちゃんと面倒見ときやがれ!」

 ツバサは噛みつくような笑みで怒鳴った。

 こうなると江戸っ子のべらんめぇい口調が火を噴いてしまう。

「戦争仕掛けてくるにしろてんでバラバラで一枚岩じゃねえと思ったら……テメエらより上の大王様クラスの連中はノータッチでフリーダムかよ! 上下関係があったとしても上役うわやく動向どうこうくらいおさえとけってんだ!」

 さもなきゃマネジメントしとけ! と無体むたい注文ちゅうもんも付けてやった。

 蕃神にもヒエラルキーがあるのは間違いない。

 祭司長さいしちょうを始めとする“王”と称される大型個体は、眷族けんぞくと呼ばれる兵隊級の魔物を率いているが、彼ら眷族は決して“王”には逆らえない。

 同様に“王”と呼ばれる個体を生み出した上位者がいるようだった。

 沸騰ふっとうする宇宙の中央に御座おわ盲目もうもくにして白痴はくちの王――。
 三世さんぜに渡って存在する門にして鍵たる守護者――。
 強壮なる使者にして万物ばんぶつ愚弄ぐろうする這い寄る混沌――。
 数多あまた神性しんせいを産み落とした千の仔を孕む森の黒山羊――。

 この神と呼ぶのも恐れ多い四柱の存在が、目下のところ最上級の蕃神と見ていいはずだ。果たして、今のツバサたちで太刀打ちできるかも怪しい。

 その点では祭司長も同じなのだろう。

 彼はあの御方へ『相見あいまみえることすら許されない』と明言めいげんした。

 ――それほど別格の存在なのだ。

 黒山羊の女王を含む四柱は、祭司長すら面会が許されていなかった。

 蕃神ばんしんと呼ぶのもはばかられる超常的な神々というわけである。

 クトゥルフ神話体系に出典しゅってんを求めるならば、外なる神々アウターゴッズと呼称するべきなのかも知れないが、ここら辺は後ほど博覧強記娘フミカ軍師気取りレオナルドに相談しよう。

方々かたがたの行動原理は私の智慧ちえすら及ばない』

 ――ぎょするなどおそおおい。

 案の定、祭司長ですらさじげるような返事をしてきた。

「……せめて報連相ほうれんそうくらいしといてくんねぇかな?」

 無理を承知で注文はつけておいた。

 それから勧告するように申し渡してくる。

『この地は我らのもの――その一端いったん如何様いかように使おうとも、あの御方おかた御心みこころのままにされば良い――私たちはただ見守れば良いのだ』

 あの御方に手を出すな、と祭司長は飽きることなく言葉を重ねた。

『あの御方はただらを愛するのみ――貴様・・と同じくな』

 ほんのわずかだが祭司長の眼が細くなる。

 彼らに性別の有無があるのか怪しいところだが、ツバサが男から女神に転身して難儀なんぎしていることを見透みすかしたように茶化ちゃかしてきたのだ。

 本日二度目のカチンと来る物言いである。

「誰が大地母神だこら!」

 まさか蕃神相手に決め台詞を吠える日が来るとは思わなかった。

太母たいぼの怒りに触れれば――この世界も消し飛ぼう』

 ツバサの怒号を馬耳東風ばじとうふうで聞き流した祭司長は念には念を入れて、南方大陸にいるあの御方へはアンタッチャブルだと伝えてくる。

 この一言は紛れもなく脅迫だった。

 黒山羊の女王にされるがまま真なる世界ファンタジア蹂躙じゅうりんさせる。

 それが最も平和的解決だと説き伏せられている気もするし、抵抗するだけ無駄だから諦めろと諭されているようにも聞こえた。どちらに転ぼうとも同じこと、蕃神による侵略である事実は変わりない。

 祭司長にすればあの御方は雲の上の殿上人てんじょうびと

 ツバサたち塵芥ちりあくたに等しい現住げんじゅう生物せいぶつ粗相そそうをする前に釘を刺す。

 その程度のつもりで介入してきたのだろう。

 取るに足らない下等生物と見下していたはずだが、還らずの都の一件で手傷を負わされたことにより、こちらへ一目置いてくれたらしい。

 万が一にも――あの御方・・・・不興ふきょうを買うことがあってはならない。

 そうした懸念けねん祭司長さいしんちょうは抱いたのだ。

 わざわざ忠告に現れたこの事態こそが、雄弁ゆうびんにその事実を物語っていた。

 つまり、真なる世界ファンタジア“力”ちから蕃神ばんしんに通じる。

 祭司長へ傷を負わせたように、黒山羊の女王にも一矢報える可能性がある。この事実に気付いた瞬間、ツバサの闘争心は一気に燃え滾った。

「……上等じゃねえかこの野郎」

 ややうつむいたツバサは鬼気迫る双眸そうぼう祭司長さいしちょうを睨め上げる。激怒に血走る瞳には激しい螺旋らせんが描かれていた。

 牙にしか見えない犬歯けんし際立きわだたせた笑顔。

 今すぐにでも祭司長に喉笛のどぶえに噛みつく野獣のようだった。

偉大なる太母グレート・マザーを怒らせたら怖いだぁ? それがわかってんなら……オカン系女神のこの俺に! 煽るような文句ぶつけてくんじゃねえよ触手タコ入道!」

『タコ――入道?』

 タコや入道の意味がわからないのか、祭司長は目を丸くしていた。

 ガン! と車両が丸ごと傾ぐように揺れる。

 ひざをほどいたツバサが思いっきり足踏みした反動だった。

「侵略戦争ならっくのむかしに始まってんだ……」

 足跡あしあとにへこんだ床から蒸気じょうきを上げて、ツバサは重い巨尻を浮かせるとゆっくり立ち上がる。全身からは怒気どきが稲妻となって発散されている。

 電撃をまとう長い髪は、黒から怒りの赤へと染まりつつあった。

 殺戮の女神――セクメト。

 物理攻撃に先鋭化せんえいかさせたツバサの戦闘形態だが、怒髪天どはつてんくような怒りに駆られると自然に変身してしまう。今がまさにそれだった。

 この変身形態は気性も荒くなるのが難点だ。

 荒げた語気を過熱させたツバサは、怒りに駆られて捲し立てていく。

「戦争に貴賤きせんがあるかよ。一兵卒いっぺいそつだろうが王様だろうが、最前線に出てきたんなら互いに命を賭して戦うまでだ。手控える理由にはならない……」

 神をも超える事象であろうとも――何の負い目があるだろうか。

「恐れ敬えとでもいうのか? お門違かどちがいだろ!」

 雷光のみならず、真紅の炎がツバサの赤い髪から吹き荒れる。

 触れたものを焼き尽くす“滅日の紅炎”メギド・フレア

 殺戮の女神セクメトにのみ使える、不死身をも焼き滅ぼす滅殺の炎だ。

「こちとら真なる世界ファンタジアで生き抜くのに必死なんだ! ただ生きたいんだよ! 生きるのに理由はいらない……他人様ひとさま顔色かおいろうかがう必要もない!」

 それを闘気オーラのようにまとったツバサはズン……と重々しく一歩を踏み出すと、そこから紅炎こうえんがすべてを舐め尽くすように広がっていく。

 車両は瞬く間に火の海に沈んだ。

 業炎ごうえんに彩られたツバサは高らかな声で宣戦布告する。

真なる世界ここは俺たちの世界だ! 攻め入るってんなら覚悟しやがれ!」

 られたらり返す――相手の性根しょうねくじくまで。

 その過程かていで息の根が止まろうとも知ったことではない。先に喧嘩を吹っ掛けてきたのは蕃神の方だ。手加減無用で全力の拳を振り抜いてやる。

 叩く時は徹底的に叩け、とインチキ仙人こと師匠にも仕込まれていた。

「俺からもごとをいわせてもらおうか……祭司長殿さいしちょうどの

 ズン……と更に一歩、祭司長へ踏み出す。

 見慣れた通学電車の車内は既に火の海に落ちているが、祭司長の巨体には一向に燃え移らない。格が違うのか、それとも夢に紛れ込んだ異物だからか?

 祭司長は何も言わず、怪訝けげんそうにこちらの言葉を待っている。

 ツバサは無礼な態度でかれの右手を指差した。

 ミロに六本指を断ち切られ、ツバサに手首ごと消し去られた右手をだ。

「――今度は手だけじゃ済まねえぞ」

 総身そうしんえぐっていでつぶしてやる、と脅しつけた。

 変幻自在で壊れることのない原形質げんけいしつの肉体だろうと再生不可能な状況に追い詰めてやる。それを成せる高等技能を編み出してやる。

 旧支配者であろうとお構いなし、ツバサは恫喝どうかつしていく。

郷里くにへ帰った方がマシだ、って後悔させてやるから覚悟しておけ」

 祭司長は――爆笑した。

 喧嘩上等なツバサの啖呵たんかを聞き終えた途端、本当に空間が爆ぜるほどの大爆笑を巻き起こしたのだ。巨体を波打たせて地鳴りのように空間を揺らし、燃え盛る炎も吹き消すほどの風圧を発していった。

 凄まじいノイズも走り、祭司長の姿が目まぐるしく入れ替わる。

 クトゥルフが全身を揺すって笑い転げているかのようだ。

 この笑い声はもはや人語として捉えられないどころか、音声としても認識することもできない。ただただ破壊的な振動が撒き散らされるばかり。

 敢えて例えるなら――感情の化学反応。

 怒りと喜びで混沌とした激情が、破滅的な振動波となって解き放たれたのだ。

『――面白い』

 破壊力抜群の大爆笑、その波が引くと人語らしきものが拾えた。

 座っていても天井にハゲ頭が届くほどの大男が立ち上がろうとすると、それに合わせるかのように車両内の風景がバラバラと解体されていく。

 電車のパーツがほどけながら消えていく。

 電車の外に広がるのは、幾多いくた星雲せいうん蜷局とぐろを巻いた宇宙だった。

 天体観測には縁のないツバサだが、見る人が見ればあれはデネブアルタイルベガなんて星の名前を読み上げられるかも知れない。

 星よりも星雲の方が目立つので、探せばどこかに銀河系もあるのだろう。

『私やあの方々に畏怖いふしても尚――心砕くことなく抗うか』

 宇宙空間を支配するかの如く祭司長はそこにいた。

 所詮しょせん、ここは夢の中の虚像きょぞう空間くうかん

 何が起きても不思議ではないが、自分の明晰夢めいせきむのはずなのに忍び込んできた祭司長の良いようにされているのは、なんとも虫の好かない話だった。

 祭司長の背後、宇宙の彼方から何かがやってくる。

 それは盲目もうもくにして白痴はくちの王であり、門にして鍵の守護者であり、強壮きょうそうなる使者にして這い寄る混沌であり、千の仔を孕む森の黒山羊であり……他にもお目に掛かったことのない有象無象うぞうむぞうの異なる神々が姿を顕そうとしていた。

 宇宙空間を埋め尽くす勢いでだ。

 絶望としか思えない、宇宙的恐怖が大挙たいきょして押し寄せてくる。

 呑み込まれたら負けだと直感する。

 殺戮の女神セクメトとなったツバサは負けじと滅日の紅炎メギド・フレアを結界のように張り巡らせると、轟雷ごうらいを蜘蛛の巣状に広げることで対抗した。

 蕃神の総戦力、その幻影を見せつけた祭司長がすごんでくる。

『誰しもが私たちをおそうやまおび平伏ひれふすがもとこばみ――やがて狂うた。それを受け入れぬであれば逃げ惑うのみだというのに――』

 いくさを挑まれたのは――久方振りのことだ。

『貴様らは“古のもの”エルダーシングスほど健闘けんとうするか――奴等の足下にも及ばぬか』

 面白い――やってみせよ。

 もはや正体を隠そうともせず、祭司長は人間の皮を脱ぎ捨てる。

 大いなる旧支配者クトゥルフとしての姿を取り戻すと、かつて真なる世界ファンタジアを掴み取ろうとした巨大なてのひらでツバサを鷲掴みにせんとしてきた。



太母たいぼたるあの御方・・・・の怒りに触れて――この世界が続くのならばな』



   ~~~~~~~~~~~~

「……サさん! ツバサさん起きて! お母さぁーんッ!」

 必死なミロの声が耳朶じだを打ち、ツバサは現実へと引き戻された。

 寝起きで重いまぶたに上下を遮られた視界だが、目の前には最愛の長女ミロの顔が間近に迫っていた。泣きそうな顔で懸命けんめいに両手を振っている。

 パァン! パァン! パァン! と小気味こきみいい破裂音が響く。

 抜かりなく視線を配れば全界ぜんかい特急とっきゅうの客車内。

 エルドラントの墓参りから帰る途中――まだ列車の中にいた。

 ボックスタイプの座席で眠り込んでいたらしい。

 学生時代の思い出、通学のあしにした電車の中ではない。当然、蕃神ばんしん悪臭あくしゅうを漂わせる大男など影も形も見当たらなかった。

 戦争の疲れが尾を引いているのか、ツバサも微睡びすいに落ちていたようだ。

 眠りの中でおぞましい悪夢に巡り会った。

 あれは夢幻ゆめまぼろし出来事できごとか――それとも現実にあったなのか?

 クトゥルフはその強大な精神波で、海底都市ルルイエに仮死状態で封印されていようとも、夢を通じて人間の意識を侵食しんしょくしてくるという。祭司長さいしちょうをクトゥルフだと思い込むのが過ぎて、あんな夢を見てしまったのかも知れない。

 だとしても、生々しい実感じっかんぬぐいきれなかった。

 嗅覚や味覚にまだ、あの汚濁おだくした悪臭あくしゅうがこびりついた不快感が残る。

 鼻や喉の粘膜ねんまくにべったり張り付いてるようだ。

「ツバサさんウェイクアーップ! ハリアップ起きてーッ!」

 祭司長の情報量満載の爆音みたいな声と入れ替わり、愛娘ミロの泣き叫ぶような大声が鼓膜こまくを震わせる。あれと比べたら全然マシで可愛いものだ。

 あでやかな金髪をシニョンにった可憐かれん姫騎士ひめきし

「なんでアタシよりお寝坊さんなのよー! いいかげん起きてーッ!?」

 その姫騎士が絶叫じみた悲鳴を上げていた。

 ブルーを基調とした戦闘用ドレスやロングカーディガンをはためかせて、ミロは一生懸命に両手を振り回してツバサを起こそうとしているのだ。

 眠気を振り払ってツバサは口を開く。

「ミロ、どうした一体、そんなに慌て……て?」

 そして、アホの子がどうやって自分を目覚めさせたのかを知る。

 パァン! パァン! と鳴り響く破裂音。

 それはミロの平手打ちがツバサの超爆乳を右へ左へと平手打ちでビンタしている音だった。布越しでよくもここまで良い音を響かせるものだ。

 右へ左へダプンダプンとダイナミックに弾むビッグボイン。

 刺激を受けた乳房はパンパンに張っている。

 こころなしか先端が湿り、濡れた母乳パッドの感触に震えた。

 マゾでもあるまいに叩かれて感じてしまったとでもいうのか? 平手打ちみたいな衝撃でも乳腺にゅうせん活性化かっせいかして、ハトホルミルクを漏らしたというのか?

 燃え上がるような羞恥心しゅうちしんにツバサはほおを真っ赤に染める。

「そこは普通に頬に平手打ちで起こせこのアホ!」
「ひでぶっ! アタシがビンタされんの!?」

 眠気が吹っ飛んだツバサは、ツッコミを入れながらミロの頬をオカンのビンタで張り倒した。あいむちだから痛くないようでちょっと痛いくらいだ。

 叩かれた拍子に向かいの座席へとへたり込むミロ。

 手形の付いた頬を抑えると、ある有名声優の声真似で訴えてくる。

「殴ったね……オヤジにもぶたれたことないのに!」

「おまえは殴られる前にオヤジを再起不能にした猛者もさだろうが!」
「おっぱいビンタありがとうございますッ!」

 ふざけたミロに対して、ツバサも超爆乳に遠心力を付けてミロの顔を張り倒すという荒業あらわざでお返ししてやる。彼女にはご褒美でしかない。

 尚、オヤジのついでに兄二人も半殺しにした最強の末っ子だ。巻き添えになった人間は数知れず、ほとんど病院送りにしたほどである。

(※第303話~第304話参照)

「まったく……いきなりなんだ騒々しい。うたた寝していたのに」

 寝起きに暴れた拍子で乱れた前髪をツバサはげる

 寝た子を起こすな! みたいなノリで文句をぶつけたのは、祭司長さいしちょう関与かんよしてきた疑いのある悪夢について知られたくない演技だった。

 子供たちにいらぬ心配をさせたくない、オカンなりの心配りだ。

 右の頬に張り手の手形、左の頬に超爆乳の跡。

 左右のホッペを張り飛ばされたミロは、晴れる前に両手で頬肉をモニモニと揉みほぐすと、心配そうな表情でお母さんツバサすがってくる。

「だってツバサさん、スッゴいうなされてたから……」

「…………ッッッ!」

 やはり悪夢に悩まされていたのは間違いないようだ。

 悪夢の原因がツバサの無意識にあるのか、それともクトゥルフよろしく祭司長の仕業しわざなのか、この点に確証が得られないのがもどかしい。

 苦笑したツバサは軽い目眩めまいのする頭を押さえた。

「ちょっと夢見が悪かっただけだ……しかし、そんなにうなされていたか?」

 軽いため息で誤魔化したツバサは聞き返してみる。

 ミロは深刻な顔で頷いた。

「うん、それはもう……お漏らし・・・・するくらいに」

「え? んっ……はぁっ!? お、お漏らしって……えええッ!?」

 予想外な単語にツバサは狼狽ろうばいしてしまった。

 お漏らしなんて七歳児の幼女になったジャジャでもしないぞ。

 だが男性の頃と性器の形や尿道の長さが変わったためか、いざもよおしたりすると昔と比べて我慢しにくかったり、思い掛けない拍子に“ちょぴ漏れ”という現象を味わうこともあったが、盛大に漏らしたことはなかった。

 反射的に伸ばした手を股間に添えるが、濡れた感触はしない。

 女性特有のすっきりした股間に寂しさを覚えるだけだ。

 悲しいかな、すっかり慣れてしまったが……。

 悪夢とはいえ夢の中だけでも以前のように男に戻れていたら、この何もないけどお腹の奥に女性的な器官が詰まった女神の肉体に困惑したかも知れない。

 しかし、お漏らしなどしていなかった。

 安堵あんど寂寥感せきりょうかんから重い胸を撫で下ろすと、今度はそちらが気になった。

 まさか――ハトホルミルクが漏れているのか?

 技能スキル乳母神うばがみ”によって日に数十リットルものハトホルミルクという、霊薬エリクサーに等しい母乳を生産する。神々の乳母ハトホルに相応しい能力ではあるのだが、まだ男の意識を残っているツバサにはこくとも言える女神の生理現象だった。

 常時ミルクを増産する乳房には相当量の母乳が溜まっている。

 それが漏れることは度々あった。

 仕方なくツバサは長男ダインに「口外無用!」と修羅の形相で相談。超吸水性ポリマーを素材とした特製母乳パッドを開発してもらう。

 ダインの【要塞】ファクトリーで大量生産も発注していた。

 これは高性能なので、ブラに仕込めば母乳を漏らさず回収してくれる。

 そっと両手で超爆乳を支えるように手を添えてみるが、母乳パッドに濡れた感触こそあるものの、下着や上着を濡らすほどではなかった。

「……べ、別に何も漏らしてないぞ?」

 少し焦っていたツバサは、恐る恐るミロに聞き返してみた。

「いいえ、盛大にやっちゃってくれました」

 どこかすすけた感のあるミロは、ケホッとげたせきをしながら社内へ目を向けるように指差した。その惨状さんじょうを目の当たりにしたツバサは見る見る青ざめる。

 天井、床、座席――至るところに黒い円があった。

 どれも焼け焦げた跡であり、円の中心から炸裂するように広がっていた。

 これは稲妻の落ちた跡に違いない。

 よくよく見れば、座席や廊下も火であぶられた跡があった。

 まるでボヤ騒ぎでもあったかのような状態だ。

 ミロの髪や頬がすすけている理由に気付いた瞬間、罪悪感がざわついた。追い打ちを掛けるようにミロは恨みがましい視線で訴えてくる。

「ツバサさんの低反発ごんぶとムチムチ膝枕ひざまくらでスヤスヤ眠ってたら、なんかバチバチするし熱くて眼を覚ましてみたらさ……ツバサさんもウトウトしてるのはいいんだけど、寝ぼけて轟雷ごうらいをばらまくは滅日の紅炎メギド・フレアを噴き上げるは……」

「それは本気マジでごめんなさい!」

 反射的にツバサは両手を合わせて合掌がっしょうスタイルで謝った。

 どうも寝言の酷いバージョンだったらしい。

 悪夢で祭司長さいしちょうとタイマンバトルを始めそうな勢いだったので、夢だからと轟雷や滅日の紅炎メギド・フレアをバンバン出したのだ、現実にも影響を及ぼしていたようだ。

 早い話、寝ぼけて暴発したわけである。

「ごめんね、ツバサさん……」

 いつの間にか隣のボックス席に移っていたジョカ。

 のそりと長身が立ち上がり、ツバサに負けず劣らずの爆乳を揺らす。

 彼女もミロ同様に火災現場にいたかの如くすすけており、自慢の黒髪もところどころチリチリになっているが、半泣きでびを入れてきた。

「僕も寝ちゃってたから気付くのに遅くて……結界で防ごうとしたんだけど間に合わなかったから、電車がこんな風になっちゃって……」

「謝るなジョカ! おまえは悪くない!」

 悪いのはお母さんだから! とツバサは自爆しつつ慰める。

 迷惑を掛けた事実を知った途端、罪悪感は火が付いたように騒ぎ出した。

 立ち上がったツバサは被害状況を確認する。

 幸か不幸か、寝ぼけていたので全力ではなかったようだ。

 ジョカが結界で封じてくれたのと、ミロも手伝ってくれたおかげだろう。車両に穴が開くほどの大きな被害は見受けられない。しかし、あちらこちらに見るも無惨むざんな焦げ跡が生じているのは認めねばならなかった。

 青ざめた顔のツバサは冷や汗を流して独りごちる。

「……これ、ラザフォードさんにもソージくんにも土下座案件だよな」

 全界ぜんかい特急とっきゅうは客車まで含めラザフォードの一部だ。

 それに焦げ跡を残したんだから謝罪するのは当たり前だろう。

 そして、ソージは全界特急の製作担当。

 修理や整備の担当でもあるから彼にも謝るしかない。

 長男ダインに頼めば元通り以上に内装ないそう刷新さっしんしてくれるし、ソージもすぐに修繕しゅうぜんできる腕前の工作者クラフターだ。あんまりうるさい性質タチではない。

 ラザフォードもツバサを上役うわやくと捉えている。

 小言は言われるかも知れないが、叱られることはあるまい。

 ただ、小市民なツバサが迷惑をかけた罪悪感で錯乱寸前なだけだ。弁償とか慰謝料とかちんなんて単語が脳内を駆け巡る。

「ついでにおっぱいパフパフさせても罰は当たらないかもね」

 アタシが許さないけどね! と話を振ったミロは理不尽りふじんなことを言う。

「でも……しょうがないと思うけどね。ふかこーりょくだよ」

不可抗力ふかこうりょくな、ちゃんと漢字で読みなさい」

 独りボケツッコミの直後とは思えない、神妙しんみょうな顔でミロは言った。

 ミロは運転手ラザフォード車掌ソージへの謝罪文を推敲すいこうしているツバサのそでを摘まんで、クイクイと幼児みたいに引っ張る。ツバサの気を引いたのだ。

 爆乳越しに愛娘を見下ろすと、ミロは気遣きづかう瞳で見つめてくる。

「何かあったんでしょ……夢の中・・・で?」

 図星か、さすが固有技能オリジナルスキル“直感&直感”持ち。

 数秒だが正確な未来視ができるも同然、子供たちからは「見聞色けんぶんしょく覇気はきを鍛えすぎだー!」と有名漫画のネタで絶賛されていた。

 ミロは不安そうにいてくる。

「ツバサさんがうなされてる時、嫌な気配とスゴい臭いがして……」

 もしかして蕃神ばんしん? とミロはそこまでかんを働かせた。

 目配せで「そうだ」と伝え、詳細は聞くなと立てた人差し指を唇に当てる。あくまでも夢なので確証が持てないから大事にしたくなかった。

 しかし、ミロが勘付かんづいたことで信憑性しんぴょうせいした。

 やはり祭司長さいしちょうが夢を回廊かいろうにして、ツバサに干渉かんしょうしてきたのだろうか?

 それにしては納得できない点がひとつある。

 真なる世界ファンタジア諸事情しょじじょうにより、世界を包む次元の壁がパワーアップしている。祭司長といえどおいそれと乗り越えられないはずだ。

 毒電波どくでんぱを飛ばして精神干渉なんて、おいそれとできないはずなのだが……。

 その時――車内に警報音が鳴り響いた。

 火災報知器のお報せ、あるいは車内の異変に気付いた警告。

 咄嗟とっさにツバサは膝をついて謝り倒す。

「ごめんなさい! ホントすんません! ウチのメカ息子に直させます!」

 修理費慰謝料こっち持ちで! と悲鳴みたいな声を上げたツバサは、空へ拝むように両手を合わせて煙が出る勢いで擦り合わせた。

 てっきりボヤ騒ぎでお叱りを受けたのかと勘違いしてしまった。

 だが、実際には違うようだ。

 余所よそのおうちで大失態をしでかしたお母さんよろしく慌てふためいていても、武道家として極めたツバサの危機管理能力は働いている。

 神族の超感覚を研ぎ澄ませたセンサーがある異物いぶつ検知けんちした。

 同時に車内放送が伝えてくる。

『レーダーに感あり! 外来者アウターズ……蕃神ばんしんの存在を確認!』
『数は三! サイズは……どれも100m超! “王”キングクラスです!』

 ラザフォードとソージの声がそれぞれ報告してきた。

「ん? こっちに近付いてたりしないの?」

 報告内容に含まれる違和感に気付いたミロが首を傾げた。

 ツバサの生体センサーでも前方数十㎞にそれらしき敵意を感じるのだが、こちらへ近付こうとせず、むしろ遠巻きに距離を測っているのだ。

 こちらの声を拾った運転手ラザフォード車掌ソージも不思議そうである。

『はい、付かず離れずといった感じです』
『今のところ接触せっしょくしていませんが、だからといって無視もできず……』

 どうしたものか、と二人も考えあぐねていた。

 襲いかかってきたならば迎え撃つまでだが、監視するみたいに付近をウロウロされるだけでは対応に困るだろう。不審者ふしんしゃでも通報したくなるのに、それが世界を滅ぼしかねない蕃神ばんしんなら最大限警戒しなければならない。

 あるいは――られる前にる。

 目の上のたんこぶならば肉ごと削ぎ落としてやればいい。

 そういう短絡思考で動き出す男が一人いた。

「……あれ、セイメイ?」

 身長2m10㎝のジョカはこの騒ぎで立っていたので、覗かずともツバサたちの席の後ろで寝ていた旦那の様子が窺えたらしい。

 彼女が声を掛けた時、既にセイメイは車両から飛び出していた。

 線路なき荒野を爆走する巨大列車。

 その窓を開け放ったセイメイは、吹き荒ぶ風を物ともせずにちゅうおどると地面に降り立ち、飛行系技能を使わず走り始める。

 全界ぜんかい特急とっきゅうを追い抜く激走げきそうでだ。

 着物から長羽織まで黒一色でまとめた黒衣の剣豪。

 そんな男が列車より速く走るものだから、まるで黒い旋風つむじかぜのようだった。

 土煙を巻き上げて先を行くセイメイは、蕃神の気配に気付いていた。

 用心棒として不安要素を始末に向かったのだ。普段だらけている分、仕事が回ってくると即座に動く有能さを見せてくれた。

 セイメイ単独でも大丈夫だと思うが、ツバサも同行することにする。

 相手は蕃神――慎重を期しても足らないくらいだ。

「ミロとジョカはここで待機!」

 乗員や列車の護衛を頼む、とツバサは娘たちに言い付けた。

 セイメイに続くべく窓を全開にして飛び出す。

「ツバサさん! おっぱいとお尻が窓へつっかえないように気をつけてね!」
「そこまでデッカくないわ! 心配するポイント外れすぎ!」

 蕃神ばんしんと一戦交えること心配しろ!

 そう怒鳴り返したツバサは窓枠へ爆乳や巨尻が引っ掛かりかけたものの、素知らぬ顔のまま力尽くで飛び出した。

 こちらは飛行系技能で空を飛び、亜音速で突き進む。

 急接近する二人の神族に蕃神たちも反応せざるを得ないだろう。

 ――ツバサとセイメイの行く手。

 全界特急ラザフォードの進路を挟むような形で現れたのは、どこかで見た記憶のある蕃神だった。多分、二回くらい遭遇そうぐうしていたはずだ。

 地の奥底から染みるように汚泥おでいが湧いてくる。

 不定形の粘液にしか見えないそれは、次第に量を増していく。

 十分な量が積み上がると、原形質げんけいしつ煮凝にこごりとなってまずは身体の芯となる胴体を形成していき、やがて手足や頭に付属物ふぞくぶつといった造形を凝らした。

 頭足類とうそくるいを思わせる頭――豪勢なひげのように生える触手。

 背にはドラゴンのような、それでいて左右非対称で汚らわしいデザインの翼を背負い、手足を備えた五体も怪物のように大きい。全身は毒々しい緑色の原形質げんけいしつを固めたものだが、同色の粘液ねんえきをいつまでも垂れ流していた。

 鉤爪かぎつめ水掻みずかきを備えた六本指、頭部にも三対六個の眼を光らせている。

 超巨大蕃神――祭司長。

 彼の姿を模した小型の蕃神のようだ。

 眷族という呼び方より落とし子・・・・の方がしっくり来る。

 以前は傷を受けた祭司長からこぼれ落ちた体液が、溶融ようゆうした肉体を持つ100m級の異形の巨人となったが、この二体は祭司長に瓜二つである。

 その姿はクトゥルフにしか見えない。

 まるで今まで隠していた正体を明かしたかのようなだった。

 詮索せんさくする時間も惜しい。脅威であるからには速効そっこう排除はいじょするまでだ。

 先行しているセイメイは向かって左の蕃神を標的ひょうてきとし、左手で腰のさやを掴むと、刀の柄に右手を添えて走りながら抜刀の構えを取る。

 セイメイの急接近を警戒して蕃神は吠えた。

「――――――――――――――――――――――――――!」

 神族の聴覚領域でも聞き取れない超音波。

 精神を狂気で酩酊めいていさせる波動を牽制けんせいとし、セイメイの気をえさせてから長く太い腕を伸ばし、鉤爪のある六本指で引き裂くつもりだったらしい。

「――ッッッ!」

 セイメイのほとばしらせた気合いに吹き飛ばされるまでは。

 弱い神族や魔族ならば、狂気の波動のみで倒せたかも知れない。

 だが、天下無双の剣神となったセイメイの発する裂帛れっぱくの気合いは、無機物さえも狂わせかねない波動を「うぜえ!」とはね除けた。

 さしもの蕃神でも面食らう事態は訪れるらしい。

 明らかに驚愕しており、背をらせるように後退あとずさっていた。

 そのすきを見逃すセイメイではない。

 豪刀ごうとう来業伝らいごうでんをすっぱ抜き、下段から上段へ突き上げるような居合抜きを繰り出せば、その切っ先は宙空に滑らかな銀の軌跡きせきを引く。

 を描いた軌跡きせきが消えた瞬間――蕃神は正中線せいちゅうせんから両断されていた。

 両断された肉体はすぐに無害なちりへと分解する。

 セイメイの過大能力オーバードゥーイング――【遍く万物オールシングを斬り・スレイ・絶つ一太刀】デストロイヤー

 その一太刀で切り裂かれたものは何物であろうとも、“気”マナ粒子りゅうしとなって滅ぼされてしまう。回復不可能の傷を負わせる恐ろしい能力である。

 かすり傷でもアウト、そこからむしばむようにちりと化すのだ。

 いかな別次元の怪物だろうと助かる術はない。

 もう一体の蕃神は同僚の最後を目にするなり、踵を返すと形振り構わずに逃げ出そうとした。接近せずに遠巻きにしていたことから、目的はツバサたちを襲うことではなく、斥候せっこうじみた真似をしていたのかも知れない。

 ただし、その判断はもう遅い。

 ツバサは上空に暗雲を沸き立たせ、ありったけの轟雷ごうらいを降り注がせる。

 稲光いなびかりで織られた世界樹と錯覚するほどにだ。

 原形質の肉体に不死性があろうと、一片残らず焼き尽くす。それほどの轟雷を秒間何万回と叩き落として、蕃神の肉体を消し炭に変えてやった。

 太陽創成魔法や次元操作魔法を使うまでもない。

 素のツバサも成長しており、轟雷のみで蕃神を葬り去ることができた。

「まだだな……もう一匹いやがる」

 セイメイは面倒臭そうに舌打ちし、豪刀ごうとうさやへ収めずにいた。

 ラザフォードやソージの報告でも「数は三」と言われていたし、ツバサやセイメイの生体センサーに引っ掛かった気配も三つである。

 三体目の蕃神は――もう逃げていた。

 二体の蕃神はツバサたちを迎撃するも敢えなく撃沈したが、三体目は立ち向かうなんて決断をせず、最初から逃走準備を整えていたらしい。

 揚力ようりょくどころか浮力ふりょくも怪しい背中の翼。

 それを羽ばたかせて地平線の彼方へ飛んでいく。

 追いかけていたら間に合わない。離れた距離と速さが難点だった。

「しゃあねぇ、飛び道具・・・・を使うか」

 セイメイは抜いたままの豪刀を肩へ担ぐように構えた。

 久世くぜ一心流いっしんりゅう――切風きりかぜ

 常軌じょうきいっした膂力りょりょくで刀を振り抜くことで真空を発生させると、その真空を飛ぶ刃に変えて放つという離れ業だ。

 フィクションのちまたで見掛ける「飛ぶ斬撃」である。

 これをセイメイの一族は現実世界リアルにいた頃から平然と使っていた。

 ゆえに久世家の剣術家は「どうかしている」とか「頭おかしい」とか「常識はずれ」とか「生きてる世界線が違う」などと恐れられたのだ。

 普通(?)ならば三日月型の斬撃が飛ぶ程度。

 神族化したセイメイならば小惑星をも穿うがつ竜巻となる。

 後始末は任せるか、とツバサは後方腕組みで見守ることにした。

「デカすぎの乳を腕で支えてるようにしか見えねぇけどな」
「いいからさっさとやれ」

 後ろへ振り向きもせずツバサの姿勢を見抜いたセイメイの呟きを、ツバサは無下むげにすると急かした。逃げ腰であっても蕃神、見逃したくはない。

 セイメイが飛ぶ斬撃を放つ直前――。

 ツバサたちの後方から砲撃と見紛うほどの銃撃が発射された。

 流星の如き弾丸は過たず蕃神の土手っ腹を撃ち抜き、付与された追加効果により原形質の肉体を燃焼させた後、大爆発で粉微塵に吹き飛ばしてしまった。

 少し目を大きくしたツバサとセイメイは背後へ振り返る。

 こちらへ走ってくる全界特急ラザフォード。

 先頭車両の上で向かい風にも負けず敢然かんぜんと立ち向かうには、白銀のコートをひるがえして大型拳銃から硝煙しょうえん棚引たなびかせる拳銃師ガンスリンガーの姿だった。

 銃神ガンゴッド――ジェイク・ルーグ・ルー。

 第三車両の医療室で眠る黄金の起源龍エルドラントの転生とおぼしき少女。

 彼女につきっきりで看病かんびょうしていると思いきや、蕃神ばんしんの迫る気配に気付いて飛び出してきたらしい。こういう時、遠距離攻撃持ちは頼もしい。

「なんでぃ、嫁についてやってりゃいいのによ」

 セイメイは小さく鼻で笑ってから豪刀を鞘へ収めた。

「嫁の身を案じるからこそ動いたんだろ」

 セイメイの減らず口もやっかみを交えながらジェイクを案ずるものだったが、彼の心中も察してやれとツバサはたしなめた。

 やはり――四神同盟のレベルが上がっている。

 あの蕃神たちは祭司長の眷族だが、かつて苦戦を強いられた蕃神の“王”に匹敵する能力を持っている。それをツバサたちは数分足らずで駆逐できた。

 増上慢ぞうじょうまんに囚われたくはないが、ツバサたちは着実に“力”を育てていた。

 感じられた手応えにツバサは細やかな満足感を得る。

「さて、戻……らなくてもいいか」

 直に全界特急がツバサたちの元までやってくる。

 走って戻らずとも待つことにして、しばし二人は荒野に佇んだ。

「しっかし……またぞろ次元を破られたんかねぇ」

 暇潰しのつもりか、セイメイは今の一件を話題にしてきた。

「あのドロドロっぽい巨人、いつぞや還らずの都でツバサちゃんたちが追い払った超巨大蕃神とやらの落とし子だろ? あいつらが徒党ととうを組んでるってことは、どこかで次元が破られて、裂け目になったそこから潜り込み……」

「いや、次元の裂け目はできないはずだ」

 勘繰かんぐるセイメイの言い分を、ツバサは穏やかに否定した。

「次元や空間が破られる心配はない……当面の間、と時間制限アリだがな」

 ――破壊神ロンド撃破による第一の褒賞ほうしょう

 それは傷付いた真なる世界ファンタジアやそこにいる人々の復元と回復。

 これにより真なる世界ファンタジアは度重なる戦争で疲弊ひへいした分以上に活気エナジーを取り戻し、次元や空間の強度がこれまでよりも強靱きょうじんになっていた。

 簡単に言えば、世界の防御力が大幅アップしたようなものだ。

蕃神ばんしんどもでも気安く破れないはずだぞ」

「そして、空間の防御力強化はしばらく持続すると……ご褒美ほうび様々さまさまだな。あれ? じゃあ、あいつらはどうやって真なる世界に入ってきたんだ?」



「いたんだよ――ずっと前・・・・から・・



 厳然げんぜんたる事実じじつをツバサは一言で明かした。

「話に出た還らずの都の騒動の時、祭司長からこぼれ落ちた落とし子の何匹かが、こういう時のために身を潜めていたのか……あるいは更に昔、鎧親父のキョウコウが目撃した時から偵察役として潜伏していたのか……」

 無論、祭司長に限った話ではない。

 多くの蕃神がその眷族をこちらの世界へ忍び込ませているはずだ。

「それこそ俺たちが異世界転移するより前……地球に文明が興る前、人類が誕生する前、下手をすれば生物が誕生するよりずっと前からな」

さかのぼるとそこまで辿るのか……途方とほうもねぇ話だな」

 ゴクリ、と固唾かたずを飲む音がした。

 怖いもの知らずのセイメイにしては珍しいと目を遣れば、神酒しんしゅ瓢箪ひょうたんをグビグビ煽ってるだけだった。墓参りは終えたので禁酒をやめたらしい。

 悩ましげな吐息を付いてツバサは補足する。

宇宙誕生ビッグバンよりも前から活動していたような連中だぞ?」

 何が起きても不思議ではない、と用心を促した。

「奴らの手は深く長い……そして、ひっそり忍び寄ってきているんだ」

 いや、這い寄る・・・・と言い換えるべきかも知れない。

 そして――祭司長さいしちょうを模した落とし子たち。

 間違いない。奴らは斥候せっこうであり中継器ちゅうけいきも兼ねていた。

 あの悪夢は落とし子を中継器にして飛ばしてきた祭司長の思念が、ツバサの意識に干渉してきた影響によるものだと断定する。

 奴らの一体を滅ぼす最中、微かに祭司長の人語を拾えた。

『楽しみだ――やってみせよ』

 語彙力ごいりょくがないのか繰り返しが好きなのか、聞いた文言もんごんだった。

 こちらの足掻あがきへ高みの見物を決め込む愉悦ゆえつを感じられた。人間にもこの手の悪趣味な奴はいるが、祭司長のそれはスケールも度し難い。

 歴史的スパンで関与するつもりのようだ。

 人間の身ならば恐怖におののいて逃げ惑うか、宇宙的恐怖に遭遇そうぐうした我が身の不運をなげいて、長いものに巻かれるまま発狂するしかなかったろう。

 SAN値さんち直葬ちょくそう――死あるのみだ。

 だが、神族や魔族となった今なら少なからず抵抗はできる。

 場合によっては勝算を見出すことも可能だ。

 しかし、それはあくまでも蕃神の一部に過ぎない。

 偉大なるクトゥルフを幻視させる超巨大蕃神こと祭司長には、相打ちに持ち込めるかさえも怪しい。歴然れきぜんとした力の差を見せつけられた過去がある。

 ミロと2人掛かりで追い払うのがやっとだった。

 その祭司長をして「お目通りも許されない」とされる超常的存在。

 神という個に縛ることさえ恐れ多い上位者たち。事象や現象、あるいはひとつの空間に匹敵する強大さを誇る神の枠を外れたものたち。

 仮に――外なる神々アウターゴッズと名付けておこう。

 ツバサたちの力は、そんな宇宙の根源的恐怖に届くのだろうか?

 祭司長の見せた悪夢は真実だとすれば、今のままでは太刀打ちできない。すべなく一方的に真なる世界ファンタジアごと泡のように消されてしまうに違いない。

 最上位の蕃神たちに敵う術などあるのか? と不安を掻き立てられる。

「ツバサちゃん……笑ってんのか?」

 かたわらに立つセイメイがいぶかしげな顔で覗き込んできた。

「……そう見えるか?」

 気の利いた返事はできなかった。

 正直な話、自分がどんな表情をしているのかわからない。

 祭司長の悪夢が毒素のように思考回路を駆け巡り、怖じ気づいたり発憤はっぷんしたり、藻掻もがいたり足掻あがいたりと、喜怒哀楽を過剰反応させていた。

 この笑みは恐怖に耐えきれず漏らした笑みか?

 それとも窮極きゅうきょくの敵に巡り会えた蛮勇ばんゆう闘志とうしから湧く笑みか?



 今のツバサには答えを出すことができなかった。


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