465 / 533
第19章 神魔未踏のメガラニカ
第465話:良い話と悪い話は大体セット割
しおりを挟む龍とは――あらゆる生物の頂点に立つ者。
この世に生けとし生ける禽獣の長にして、森羅万象に息衝く百獣をも超える万獣の王。その証は“三停九似”という特徴に現れるとされていた。
三停とは上中下の三つの停を示す。
上停とは髪の生え際から両眉の高さまでを指し、貴賤を相するところで天才ともいう。中停はその下にある両眼から鼻の先端までを指し、寿天を相するところで人才ともいう。下停は人中(鼻の下から上唇の間にある溝のこと)から顎までを指し、貧富を相するところで地才ともいう。
(※相する=物事の吉兆を占うこと)
この3つが上品に備わっているのが龍の相である。
人間でも偉人や立身出世する人、あるいは王にあるべき人相を“龍顔”と呼んで褒め称えるが、何某かの関係があるのかも知れない。
(※三停には古代中国にて龍を描く際のルールだとの説もある。頭から腕の根元、腕の付け根から腰、腰から尻尾の先端、この三つが等分でなければならない)
そして、九似は龍の特徴が九つの動物に似ていることを指す。
頭は駱駝の頭に似るとされている(※描写では鰐に似せている)。
角は雄鹿のものに似ているとされる。
眼は鬼の目に似ている(※鬼=幽霊、あるいは兎の目とする説もある)
額は蛇に似るとされている(※うなじとする説もある)
耳は牛に似ており、鱗は魚の鱗に似るとされている。
爪は鷹の爪を模したようで、掌は虎のそれとよく似ている。
腹は大蛇の腹のように見えるとされる(※蛤の腹に似ているとの説もある)
この九つの動物と酷似している理由は、動物の中でも雄たるものの特徴を備えることを意味し、あらゆる動物の長にして王であることの顕れだという。
だからなのか、龍にはこのような特徴もあった。
諺の「英雄色を好む」と似て非なる、龍だけが持つ生態だ。
龍とは――多淫である。
多淫とはいやらしく淫らというわけではなく、どんな生物や動物とも交合でき、両者の血を引く子供を作れることを意味するもの。
龍と牛が交われば麒麟が生まれ、馬と交われば龍馬を産む。
猪と交わってできた子が象だともされている。
だからなのか龍から龍が生まれるのは希との説もあり、龍から生まれる子供は龍の特徴をいくらか引き継いだ霊獣の場合が多い。
(※そもそも龍は最初から龍として誕生しない。某ポケモンのようにまったく種が異なる生物への進化を繰り返すような成長をすると言われている。まず何の能力も持たない水棲の蛇として生まれ、500年を経て蛟龍という龍の幼体のようなものへと進化。そこから1000年を経て晴れて龍として一人前になる。更に500年を経ると角が増えた角龍へレベルアップし、もう1000年を加算すると翼が生えた応龍へクラスチェンジする。この応龍を最高位とする説もあるが、更に年月を経ることで黄龍と呼ばれる伝説級の存在へ成り上がるともされている。こうした伝承から「鯉が滝登りをすると龍になる」という説が生まれたり、蛇や蛟龍が海で千年、山で千年を過ごして龍になることから引用して、幾多の経験を何年も積んで強かに悪賢くなった人を「海千山千」と呼ぶ語源になった)
例えば――吉弔という霊獣がいる。
龍は出産時に必ず卵を二つ生み、ひとつは龍として孵るが、もうひとつは頭が龍で体が亀で吉弔として生まれるそうだ。
この吉弔も龍から龍が生まれないとする霊獣の一種。
代表的なものに――竜生九子がある。
彼らは龍から生まれた者であり龍と似たところはなくもないのだが、決して龍ではなく親と同じような龍には成り得ない存在。
それゆえ「竜生九子不成竜」という。
『龍は九つの子を産むがその子供たちが龍にならないように、たとえ親や兄弟でも性格は違うし素質も異なる』
こんな意味を込めて用いられることがあるとかないとか……。
この竜生九子という言葉は古くから知られていたのだが、その竜の九種の子供とはどんなものなのかについては長らく不明だった。
中国の明代になると、この九子を分類する書物がようやく登場する。
九子は龍にこそなれなかったものの、それぞれに独特の能力や性質を備えているため、建物や家具に彫られて象徴的に扱われるようになった。
“升庵外集”と“天禄識余”という書物に記されたのは、以下の9匹。
一、贔屓――形は亀に似る。重きを負うを好む。
柱や大きな石碑の土台として用いられる、贔屓の語源となった。
二、螭吻――形は獣に似る。遠くを視るを好む。
これが紆余曲折して日本に伝来することでシャチホコとなった。
三、蒲牢――形は竜に似る。吠えるを好む。
その吠え声から釣鐘の意匠となり、転じて竜頭の語源となった。
四、狴犴――形は虎に似る。力と会話を好む。
正義の味方な性格が目立つため、監獄や官庁の装飾によく見られた。
五、饕餮――形は獣に似る。食べて飲むを好む。
中国四大魔獣“四凶”のひとつ、儀式用の鼎に魔除けとして彫られた。
六、蚣蝮――形は魚に似る。水を好む。
水を守る守護神的存在、そのため橋、雨樋、水路などの意匠に使われた。
七、睚眦――形は竜に似る。殺すを好む。
戦闘や殺戮を求める性質のため、武器や処刑器具や軍旗に用いられた。
八、狻猊――形は獅子に似る。煙や火を好む。
一日で約二千㎞を走破する霊獣。その性質から香炉などに飾られた。
九、椒図――形は貝あるいは蛙に似る。閉じるを好む。
巣穴に入られることを嫌う性質から、扉の取っ手などに用いられた。
以上、龍から生まれた9匹の霊獣である。
ただ、この竜生九子にも例に漏れず諸説があり、明代の政治家にして詩人である李東陽が残した“懐麓堂集”では霊獣の順番や種類が違っていた。
一、囚牛――音楽を好む。
黄色い小さな角と鱗を持つとされ、楽器などの飾りとなっている。
二、睚眦――殺すを好む。既に上記にあり。
三、嘲風――遠きを望むを好む。
鳳凰に似た鳥の化身とされており、見張り役として屋根瓦のように扱われる。
四、蒲牢――吠えるを好む。既に上記にあり。
五、狻猊――煙や火を好む。既に上記にあり。
六、覇下――重きを負うを好む。上記の贔屓と同一視されているらしい。
七、狴犴――悪人を裁くを好む。
上記の狴犴と同じだが、こちらは正義の味方が顕著のようだ。
八、贔屓もしくは負屓――文章の読み書きを好む。
贔屓は上記の通り、負屓はその性質から石碑の頂によく飾られた。
九、螭吻もしくは鴟吻――遠くを視るを好む。
ここでは嘲風とキャラが被っている。だからなのか別名もある。
これら竜生九子は、龍が他の動物との間に生んだ子供とされている。
龍同士で子供を産むという説は珍しく、大概はこのよう別種の生物との間に子供の生む場合がほとんどだ。水に棲む蛇が何千年もかけて進化することで龍になるならば、生態的に龍から龍が生まれることがおかしくなってしまう。
それに――龍は人間との間にも子供を作れる。
龍の血を受け継いだ人間の伝説は数多い。
有名な例だと、秦を滅ぼして漢王朝を打ち立てた劉邦。酒呑童子退治で名を馳せた頼光四天王の坂田金時。
彼らは赤い龍と人間の女の間に生まれた英傑だとされている。
(※金時の母親は山姥だが妖怪的存在ではない)
もう一度言おう――龍とは多淫である。
その性ゆえ、新たな性質を持つ獣を生む業を背負っているのだ。
~~~~~~~~~~~~
「地球では起源龍がどう思われてるのか、ちょっと気になってね」
ツバサの前に降りたジョカは静かに語り始めた。
ハトホル太母国 八女 起源龍ジョカフギス。
略してジョカと呼ばれている。
真なる世界を創った原初の龍――その生き残りだ。
本来の姿は全長400mにも及ぶ巨大な龍。
普段はツバサたちと一緒に暮らすため人間の姿に変身している。
身長2m10㎝の高身長ながら、超が付くナイスバディの美少女という逸材。龍の姿だと純白の鱗に黒い鬣だが、人間になると透き通るような白い肌に、足下まで届く長い黒髪の姫カットになる。
遺伝でもあるまいに、オカンに勝るとも劣らない爆乳と巨尻。それでいて柳腰だからボンキュボンなんて擬音が聞こえそうだ。
おまけに小顔で八頭身……いや九頭身くらいはある。
本性が龍なので衣服はあまり好まないが、セイメイと一緒の和装が良いというので浴衣みたいな着物をいつもはだけるように着こなしていた。
宙にフヨフヨ浮いていれば、乳房が転び出そうになる。
こうして前に立たれると、身長差から爆乳の谷間が目の前に迫ってきた。
ちょっと身動ぎしただけでユサユサ揺れながら迫ってくる乳房の迫力に、以前ならば戸惑ったかも知れない。だが、今のツバサはまったく動じなかった。
何故なら自前の超爆乳がそれ以上だからだッ!
自慢げに脳内で威張るも、なけなしの男心が傷つくだけだった。
「それでフミカに教えを請うた、と……」
そんな脳内の葛藤はおくびにも出さず、ツバサはジョカに話を合わせた。
教師役としては適任だろう。どちらかというと解説役か?
軍師レオナルドだと恐ろしいまでの蘊蓄もついてくるが、フミカならば蘊蓄も程良いレベルでまろやかだ。知りたいことだけを教えてくれるはず。
ツバサも説明を求めるなら真っ先にフミカを選ぶ。
次点でその実姉のアキさん、レオナルドには話を振るのも控える。下手に話題を出して蘊蓄責めにされた経験がものをいっているのだ。
うん、とジョカは素直に頷いた。
背丈こそ見上げるほどだが、顔立ちはまだ子供らしさが目立つ。
大人の色香を漂わせながらも童顔っぽいのだ。
「そしたら地球のドラゴンと龍の違いとか、その生まれ方とか生い立ちとか、色々教えてもらって……その中に、竜生九子の話が合ったんだ」
これにジョカは記憶を刺激されたという。
「そしたら昔、兄さんが話していたことを思い出して……」
「兄さん……ムイスラーショカか」
ツバサの表情に沈鬱な陰が過り、傍らにいたミロの眼も泳いでいた。
この件ばかりは動揺を隠せない。
ジョカの兄を手に掛けたのは他でもない、ツバサとミロなのだ。
起源龍改め終焉龍――ムイスラーショカ。
ジョカフギスの双子の兄である。
黒い鬣に白い鱗のジョカフギスに対し、白い鬣に黒い鱗を持つムイスラーショカは、創世神の一柱として真なる世界のすべてを愛していた。
その深すぎる愛ゆえに凶行へと走ってしまった。
蕃神による侵略が終わらず、いつまでも続く戦争に疲弊した世界。
生殺しのような状況に耐えられなくなったムイスラーショカは、自らを終焉龍と名乗り、自らの手で真なる世界を破壊して一からやり直そうとしたのだ。
憎き蕃神の力を借りてでも……彼らの“王”と融合してでも……。
これを阻止したのがツバサとミロだった。
ジョカフギスの前でムイスラーショカを滅ぼしたのである。
地球からやってきた新しい神族の力を目の当たりにしたムイスラーショカは満足したのか、未来をツバサたちに託して蕃神ごと討たれることを求めた。
そして、ジョカも堕ちた兄への介錯という救済を頼んできた。
兄弟の想いを酌み、ツバサとミロは終焉龍を倒した。
「……あ、ご、ごめん! そんなつもりで言ったんじゃないんだよ!」
ジョカは両手をブンブン振り、慌てて謝ってきた。
喜怒哀楽がストレートに顔へ出るミロはともかく、ツバサは平静を装ったつもりだが、ジョカには些細な機微を読み取られてしまったらしい。
辛い記憶に触れたことを詫びてきたのだ。
慕っていた兄を失った本人が一番辛いはずなのに……。
「そ、それにほら! ツバサさんとミロちゃんのおかげで、兄さんは卵からやり直しとはいえ転生できたわけだし! それ込みで思い出したんだよ!」
気落ちしたツバサたちを励ますジョカは本題も絡めてきた。
現在ムイスラーショカは――卵の中だ。
彼を倒した直後、ミロが万能の過大能力で「龍に良き来世のあらんことを!」と願ったためか、直後に起源龍の卵へと転生を果たしていた。
融合していた蕃神“ティンドラス”の影響も完全に抜けている。
現在、暇を見つけてはジョカが大切に温めていた。
結果的にムイスラーショカは消滅しておらず、一度は死にかけるも静養中みたいな扱いなので、ジョカはツバサやミロに感謝してくれているのだ。
この復活劇は偶然の産物である。
ツバサも過大能力を使ったミロも、まったく意図していないものだった。
ここに起源龍の生態に関する謎があるらしい。
ジョカの言葉に動揺を紛らわせたミロは、ツバサに抱きついてくる。ムイスラーショカの卵を思い出したながら話に加わってきた。
「こないだジョカちゃんの部屋いったら床の間に飾ってたよね」
こんぐらいになってた、とミロはツバサの乳房を片方だけ持ち上げる。
見つけた当時はソフトボール大だったが、今では超爆乳の片乳ぐらいの大きさにまで肥大化したらしい。卵ごと着々と成長しているようだ。
「そうそう、大体ツバサさんのおっぱいくらい」
ジョカもノリノリでもう片方の超爆乳をその手に乗せていた。
「……で、それも起源龍の有り様だっていうのか?」
娘たちにおっぱいをオモチャにされたくらいで動じない。
ツバサもオカン系女神として着々と成長していた。
ミロとジョカがポヨポヨと交互に超爆乳を弾ませて遊んでいるのを大目に見ながら、ツバサは話を先へ進めるように促した。
ジョカは乳房から手を離すと真面目な顔で続ける。
「うん、そうなんだ。起源龍はただじゃ死なない。新たな命を遺すって……」
終焉龍としてツバサたちに撃ち滅ぼされたムイスラーショカ。
そんな彼が卵となって転生できたのはミロのおかげもあるが、死ねば別の命を生み落とす起源龍の生態も手伝っているのではないか?
ジョカはそう考えたようだ。
兄ムイスラーショカはこうも言っていたという。
『我ら起源龍はただでは死なぬ。創世より以前から生きてきたことで老衰を迎えた大先輩方も、創世神同士のくだらない諍いで八つ裂きにされた同輩も、その骸から何かしらが生まれてきた……必ず、ではないがな』
『それは起源龍に似た容姿を持つ古代龍とよばれる別の龍種だったり……』
『あるいは数多くのドラゴンや龍の属性を持つ生物だったり……』
『神族や魔族、多種族が生まれることも少なくない』
『肉体が大地に、身体の部位は島になった起源龍もいると聞く』
『多くの動物や植物、食すのに適した穀類や農作物になった者もいる』
『絶対とは言えないが……起源龍の亡骸は新しい何かに転ずるようだ』
兄の言葉を一言一句繰り返したジョカ。
最後に、納得いかないムイスラーショカの疑念も口にする。
「だからこそ南方大陸の件は解せないって……」
「南方大陸? ああ……ノラシンハの爺さんが言っていたあれだな」
数十万年、誰も踏み入れない南方の暗黒大陸。
そこで多くの起源龍が命を落としたという噂があるそうだ。
何者かによる大量虐殺か? それとも重い事情による集団自決か? 憶測ばかりが飛び交い真実は暗黒大陸の闇の中らしい。
ただ、はっきりしていることはある。
多くの起源龍が南方大陸へと渡り、その地で消息を絶ったこと。
半日足らずの短時間で、真なる世界から多くの起源龍の気配が消えたこと。
この二つは間違いなく、ジョカフギスも悲しい顔で認めていた。
同族であるムイスラーショカも仲間の死を悼んだという。
同時に――腑に落ちない点に気付いていた。
『それほどの起源龍が大量死したならば、多少なりともそこから新しい生命の鼓動を感じられるはず……なのに、まったく感じ取ることができない』
これがムイスラーショカを悩ませたらしい。
同族の共感能力を頼りに調べたそうだが、手掛かりは掴めなかったという。
いっそ現地へ赴こうかとムイスラーショカは一考したものの、彼より格上の起源龍まで消息を絶っている事実を踏まえると、闇雲に単身で乗り込む気にはなれなかったそうだ。無論、可愛い弟を連れていくなど以ての外である。
「……もっと早く話しておくべきだったかな?」
ジョカは指先をモジモジさせ、伝えるが遅れたことを気まずそうにしていた。
「いや、よく話してくれた」
遅くはないよ、とツバサはジョカを慰めてやる。
南方大陸に関しては近日中に対応しなければならない案件だが、これは頭に入れておくべき情報だろう。LV999に匹敵する能力を持つ起源龍たちが大量死するなんて、常軌を逸した大変事である。
一斉に自死を選んだとしても、その原因は計り知れない。
創世の神たる起源龍を自殺に追い込む理由など考えるだに恐ろしかった。
「南方大陸の件はいずれ解明すべきだが……」
差し当たっては目の前の問題に取り組ませてもらう。
ツバサはジョカの言いたいことを要約する。
「つまり、黄金の起源龍はバッドデッドエンズどもの総攻撃によって亡くなったが、その忘れ形見となる何かが生まれているかも知れない……」
こう言いたいわけだな? とツバサはジョカに確認する。
ジョカは幼児の仕種で何度も首を縦に振った。
「もしも、エルドラントさんから生まれた者がいるなら……此処」
彼女が命を落とした現場でもある、かつての隠れ里をおいて他にない。
ツバサもある報告を思い返していた。
「そういえばジェイクの戦闘記録にあったな……」
黄金の起源龍は亡くなる際、遺灰のような塵となって崩れてしまった。
これはジェイクが仇と付け狙った終焉者、リードの能力である「消滅」によるものなのだが、崩壊を免れた部位がふたつあった。
ひとつは黄金の巻き角の片方、もうひとつはこぼれ落ちた右目の眼球。
硬質化して石のようなった眼球。
こちらは遺灰とともに埋葬されており、ジェイクは跪いたまま冥福の祈りを捧げているエルドラントの墓の下で眠っているはずだ。
もうひとつ――黄金の角。
この角はジェイクが形見として持っていた。
巨体を持つ起源龍の角なので相当な大きさだが、道具箱に仕舞い込んでいたと聞いている。多分、スペースのほとんどを角に取られていたはずだ。
その黄金の角が奇跡を起こしたという。
終焉者リードの切り札は、時空間をも消滅させる砲撃だった。
砲撃の瞬間――黄金の角は独りでに動いた。
時空を白に塗り潰す攻撃を、黄金の角は一時的に受け止める。そしてリードを撃ち破るための弾丸へ変化し、ジェイクに勝利をもたらしたそうだ。
これも起源龍から生まれた新たな生命なのか?
あるいは、エルドラントの残留思念が働いたのかも知れない。
真偽のほどは定かではないにせよ、愛する女性に救われた事実に直面したジェイクの悲喜交々とした精神を案じれば、野暮な詮索をすべきではない。
非常にセンシティブな問題だからだ。
ツバサとジョカはキスする五秒前くらいの距離感で囁き合う。
爆乳同士も密着するのはご愛敬である。
「……となると、可能性があるのは埋葬された眼球だな?」
「うん、遺灰もワンチャンあるけど……難しいかもね」
絶対じゃないんだ、とジョカは不確実性を強調した。
あくまでも「起源龍から何かが生まれる可能性がある」という傾向があるだけで、彼らの遺骸から確実に何かが誕生するわけではない。
ジョカの口振りから推察するに、その確率は大凡40%弱。
いいとこ35%程度と概算しておくべきだろう。
――南方大陸における謎の起源龍大量死。
そこから生まれた者がいないのも、偶然が重なっただけ知れない。
「必ずじゃないから、なかなか打ち明けられなくて……」
ごめんなさい、とジョカは申し訳なさそうに頬を膨らませると俯き、長い人差し指同士を突っつき合わせてモジモジしていた。
だが、おかげでジョカの落ち着きない行動に合点がいった。
「それでさっきから挙動不審だったのか」
ツバサはジョカの優しさ、その気遣いを察した。
ジェイクに「もしかしたらエルドラントさんの忘れ形見みたいなのがあるかも」と伝えれば、彼は我が身を捧げる勢いで歓喜するに違いない。
忘れ形見のためならば、死に物狂いで全力も尽くすこと請け合いだ。
だが――もしも不発に終わったら?
黄金の起源龍は完全に死んでおり、そこから誕生した者もいない。
微かな希望に胸躍らせたジェイクは、気を塞ぐように落ち込んでしまうのは明らかだった。下手をすれば精神的に病んでしまう恐れもある。
あの拳銃師――意外と豆腐メンタルなのだ。
だからこそ復讐の狂気に取り憑かれたら、形振り構わずまっしぐらに突き進み、神族なのに過労で衰弱死する寸前まで我が身を追い込んでしまう。
良かれ悪しかれ、思い込みが激しいのが欠点だった。
捕らぬ狸の皮算用によるぬか喜び。
それが期待外れで終われば、ジェイクがどれほど落ち込むか予測できない。最悪、愛する人の後追いさえ危惧される。
迂闊に教えることはできない――特にジェイクには。
ツバサの口は硬いとしても、起源龍の転生について話しているところをジェイクか他の誰かに聞かれる恐れもあったので、ジョカは黙っていたのだ。
だから、こっそり一人で探していたらしい。
曲がりなりにも原初の時代から生きている起源龍の女。
心弱き者の心中を思い遣り、彼女なりに気遣ってくれたのだ。
「それで……黄金の起源龍から生まれた者はいそうなのか?」
ツバサの質問にジョカは小さく首を左右に回す。
「ダメ、それっぽい気配は感じ取れない。エルドラントさんのいた気配……起源龍の残り香は嗅ぎ取れたけど、それに紛れるほど弱いのかも……」
「――アタシがやってみよっか?」
ニョキ! と爆乳と爆乳の狭間からミロが生えてきた。
ツバサとジョカのぶつかり合うおっぱい。その下からムニムニと頭頂部を割り込ませて、乳房にサンドイッチされる形でミロが割り込んできたのだ。
乳房の圧力で顔をへちゃむくれにさせたミロは主張する。
「アタシの過大能力で突っつけば、ひょっとすると生まれんじゃね?」
――ムイスラ兄さんの時みたいに。
「それだよミロちゃん! 兄さんの時みたいに復活するかも!」
ミロの突拍子もない案にジョカは食いついた。
「いや待て……そうとも限らないぞ」
しかし、ツバサが否定的な意見で制止をかける。
「あの時はムイスラーショカが亡くなる直前、まだ彼の生命力が残っていた時に働きかけたから何とかなった公算が高い」
「何とかなれー! の精神でやったら何とかなったからね」
ミロはどこかで聞いた台詞でドヤ顔だった。
「しかし、今回はこう言ってはなんだが……もはや手遅れだ」
エルドラントが亡くなって数ヶ月は経過している。
彼女の生きた証はあれど、それはもう生命力を宿していなかった。
真なる世界においても死とは厳格なルールだ。
一度死んだ者はどのような手段を用いても、生き返らせることはできない。例え死者を蘇生する手段があるとしても、それは邪法に過ぎない。生前のまま蘇らせることは適わず、必ずや形の異なる者として復活するだろう。
ムイスラーショカの時は上手く行った。
あれは運が良かったとしか言いようがない。
ジャジャもミロの過大能力によりあの世から蘇ったが、こちらも奇跡や偶然が重なった結果、15歳の少年を7歳の幼女に転生させてしまった。
これらは死者復活の成功例。
ただし、完全に元通りとは行かない。決して逆流を許さない生と死の循環の隙間を縫うような、裏技と呼ぶしかない方法だった。
神や悪魔になろうとも――死は覆しがたい世界の掟なのだ。
残酷かも知れないが、ツバサは首を左右に振る。
「肝心のエルドラントの“気”が感じられないのでは……」
現実を突きつけられたミロとジョカはしょんぼり意気消沈し、項垂れると肩を落とした。可愛い娘たちを落胆させたくないが、これが現実なのだ。
「――話は聞かせてもらったわ」
いきなりマルミが会話に割り込んできた。
ツバサとジョカが密着する距離で囁いているところに、マルミも鼻息がかかるほど間近に顔を近付けてきて、眼鏡越しにこちらを見据えている。
彼女も豊満でグラマラス――しかもぽっちゃり系。
そんなマルミまで囁き声が聞こえるくらい至近距離に近付いてきたら、ツバサたちに匹敵する爆乳も迫ってくる。三人の乳房は押し合いへし合いするように互いを柔らかく潰し合うが、それを気にするどころではなかった。
中心にいて巻き込まれたミロを除いてだが……。
「ぐむぅーッ!? おっぱいがいっぱいーッ! 乳の圧力が暴力となって押し寄せてくるぅーッ! 死ぬときはでっけぇおっぱいに埋もれて死にてぇって! って名ゼリフ実現しちゃうし叶えちゃうーッ! ぎゅむぅ……ッ!?」
「よし、大人しくおっぱいで死ね」
小うるさいミロを乳圧で黙らせると、ツバサはマルミに顔を向けた。
「マルミさん、この話ジェイクには……」
「わかってる。対策もバッチリよ。少し前から遮音結界やってるし」
マルミは真顔でサムズアップした。
ジェイクを中心に半径数m以内には、風のような自然音は聞こえるけど人の会話などのノイズは通さない結界を張り巡らせておいたそうだ。
さすが、音に関する過大能力の持ち主だけはある。
「随分前から雑音をシャットアウトしてるからね、気付いてないはずよ」
「マルミさん、グッジョブです」
ツバサもグッドサインで返すと、マルミは話を進めた。
彼女は軽い謝意から入る。
「悪いけど盗み聞きさせてもらったわ……起源龍の転生が本当ならエルドラントの場合、もっとも望みがありそうなのは眼球くらいのものよ」
「黄金の角と一緒に残った部位ですか……」
硬質化して石の玉のようになってしまったらしい。
遺骨の代わりとして、遺灰とともにジェイクが跪いている墓碑の下に埋められているはずだという。マルミはその眼球についての感想を述べる。
「今更だけど、ちょっと違和感があったのよね」
黄金の角が残るのはまだわかる。
「鹿の角とか象の牙とか……動物自身が亡くなっても、そういう角質化した部分や骨の一部は腐らずに残るものだからね。でも、全身が灰になるほどの攻撃を食らったのに、もっとも痛みそうな脆い目玉だけ残るなんて……」
「しかも、石化していますからね」
ツバサもその点には賛同する。どうしても故意に思えるのだ。
片方の角もそうだが、眼球も意図的に遺したもの。
エルドラントが起源龍の転生について熟知しており、自らの生命から新たな何かを生み出すため、最後の力を眼球に注いで壊れないように硬質化させた。
そんな仮説を立てたくなってしまう。
六つの乳房に押し潰される中心で、ミロが主張するように呟いた。
「むにぃ……鬼太郎のお父さんかな?」
「あ、それ似てるわね。もしもあの目玉から何か生まれればだけど」
マルミが同調するようにミロの意見を認めた。
――ゲゲゲの鬼太郎。
言わずと知れた妖怪界のヒーローだ。
彼の父親は目玉に小さな人間の身体が生えたような姿をしており、息子からは「父さん」と呼ばれるが、仲間からは「目玉のおやじ」と呼ばれていた。
あれは鬼太郎の父親が転身した姿なのだ。
本来、鬼太郎とその父親は幽霊族という特殊な種族。
(※アニメ版だとシーズンによっては、鬼太郎を妖怪と人間のハーフとする設定もある。この設定の場合、目玉のおやじが妖怪で母親が人間)
母親も幽霊族で、彼女との間に鬼太郎は生まれた。
だが、鬼太郎の父親は身体が腐る不治の病に罹っており、鬼太郎の誕生を待つことなく亡くなり、母親も出産前に息絶えてしまった。
鬼太郎は墓へ埋められた母親の腹から、自力で這い出してくる。
『幼い鬼太郎を遺して死ぬわけにはいかない!』
身体のほとんどが腐ってしまった鬼太郎の父親だが、辛うじて目玉だけが残っていた。不死身に近い生命力を持つ幽霊族のパワーと、我が子を想う父親の執念が実を結んだのか、父親はこの目玉だけの姿で蘇るのだった。
「――これが目玉のおやじ誕生秘話だよ」
鬼太郎をよく知らないジョカにミロが教えてやる。今度一緒に鬼太郎のアニメを観よう! とミロは子供らしく約束していた。
ジョカは純粋に感心する。
「へぇ~、地球にもそんな不思議な種族がいたんだねぇ」
「いやジョカ、これフィクションだから……でも、いそうだな幽霊族」
思わず訂正するためにツッコんだものの、よく考えてみたら真なる世界なら普通に幽霊族も生息していそうなので躊躇ってしまった。
「なんにせよ、あたしは脈ありだと思うわ」
マルミは鼻息も荒く主張する。
石化して埋葬された眼球――黄金の起源龍の僅かな名残。
そこに起源龍の遺骸から生まれる新たな生命が宿っている可能性。
「じゃあ、ミロの過大能力で後押しすればワンチャン?」
ムイスラ兄さんやジャジャちゃんを生まれ変わらせたみたいに――。
万能の過大能力で働きかければ、石と化した目玉の中で胎動する何かを目覚めさせられるかも知れない。ミロはそう言いたいのだ。
不安で尻込みするより、実行して失敗した方がマシというもの。
ツバサはマルミやジョカと目配せして、「駄目で元々いっちょやってみっか」という意志を統一した。ミロの言う通り、ワンチャンに賭けてみたい。
「だけどねぇ……」
マルミはこれ見よがしに溜め息をついた。
ジェイクの方に振り向いたので、ツバサたちも少し離れると彼女の視線を追うようにそちらへと目を遣る。ミロも爆乳包囲網から解放されていた。
名残惜しそうに頬を揉んでいるが放っておこう。
黄金の起源龍の墓石――その前から動かない銃神。
かれこれ一時間は変わらない光景に、マルミは眼を細めて逡巡する。
「……ジェイクの目の前でお墓を掘るなんて真似できる?」
「すごい抵抗を覚えますね……」
ツバサも苦い顔でそう答えるのが精一杯だった。
埋葬済みの墓を掘り起こす――これがどれほどの暴挙か?
少しでも墓へ参ったことがあればわかるだろう。
いくら「石化した眼の中にエルドラントの忘れ形見が宿ってるかも知れない!」と説いたところで、心情的にジェイクも納得できないだろう。
ただでさえジェイクの精神はまだ安定していない。
そんな彼の前でいきなり墓を掘り起こしたら、情緒はグッチャグッチャになってしまうはずだ。下手をすれば精神崩壊に追い込んでしまうかも……。
縦しんば説得できたとしてもだ。
エルドラントの忘れ形見のためと言い聞かせて、墓から眼球を首尾良く取り出せたとしても、それが無駄骨になる可能性も捨てきれない。
そこには生命など宿っておらず、ただ何らかの作用により眼球が石化しただけということも有り得るのだ。つまり、空振りで終わるのも否めない。
これもやっぱりジェイクを傷付けるだろう。
天上まで持ち上げといて、一気に奈落へ突き落とすような行為である。
彼の心身を案ずれば二の足を踏むことばかりだった。
ツバサとマルミは頬に手を添え、乙女チックに悩ましげなため息をつく。
「ジェイク、想像以上に繊細でナイーブだから……」
「最悪メンタル的に再起不能もありますね……」
これから彼はルーグ・ルー輝神国を背負って立つ王となる存在。四神同盟から五神同盟へとヴァージョンアップする際、その一角を担うのだ。
始まる前からメンタルブレイクで廃人になられても困る。
ツバサとマルミは爆乳を抱えるように胸の下で腕を組み、「う~ん……」と唸りながら打開策について頭を悩ませてしまった。
これが酔いどれ剣豪みたいに神経が最硬金属アダマント製の鋼線でできているような人種ならば、問答無用で実行に移しても支障はない。失敗だったら諦めが付くし、成功したら拍手喝采のハッピーエンドでめでたく終わるからだ。
しかし、ジェイクは取り扱いが難しい。
既に述べた通り、思い込みが激しく思い詰めやすい性格である。
「当人は気にしてないみたいなことを言ってたけど、やっぱり男でも女でもない、どちらにも興味が湧かない性別Xってことで悩んできたんでしょうね」
マルミは母親目線でジェイクの心中を慮った。
感情を煮詰まらせる性分は、その辺りに原因がありそうだ。
ツバサは困ったものだと頭を掻いた。
「然りとて、性格を矯正するのは一朝一夕ってわけにも行きませんしね」
説得する前に人格の立て直しから始めなければなるまい。
するとミロはツバサに抱きついて、またおっぱいで圧死したいとばかりに乳房の谷間へ顔を埋めながらヒソヒソ耳打ちしてくる。
「……ひとまず帰るフリをして、後でこっそり掘るのは?」
悪くない案かも知れないが、ツバサもマルミも渋面で難色を示した。
「それは……やるとしたら最終手段だな」
「バレた時のジェイクの反動が半端なく怖いわよ、それ?」
みんなで頭を突き合わせて、あーでもないこーでもないと話し込んでいると、その輪から外れたジョカは別方向へ縋るような目線を向けた。
その先にいたのは――セイメイだった。
ハトホル太母国 剣術指南役 セイメイ・テンマ。
黒衣の剣豪という肩書きが似合う侍だ。
やや老けて見えるが年齢はツバサとそれほど変わらず、まだ24歳くらい。普段は無精髭の似合う強面だが、墓参りとあって綺麗に剃刀を当てていた。
黒の着物に袴、黒い長羽織を風に靡かせている。
腰には重さも分厚さも並の刀の倍ある豪刀・来業伝と来武伝を佩いており、反対にはジョカから貰ったいくらでも神酒を湧き出す瓢箪を下げている。
ジョカに一目惚れして結婚を申し込んだ酔漢。
斬龍剣の異名を持つ剣豪が、龍の女神と夫婦になったのだから皮肉なものだ。
以来、ハトホル一家を守る用心棒という立場に付いていた。
今日は嫁であるジョカが同族であるエルドラントの墓参りに同道したいと言い出したので、亭主として付き添いを申し出てきたのだ。
彼の場合、護衛の用心棒と立つ瀬もある。
半径100㎞圏内の気配を探るように警戒してくれていた。
ツバサたちの話にも聞き耳を立てていたが、「おれが口出すこっちゃねえ」と傍観を決め込み、暇そうに生あくびを繰り返していた。
そんなセイメイにジョカは眼力のみで訴える。
「……………………」
目は口ほどにものを言う、それをジョカは実行しているようだ。
実際セイメイにも伝わったらしい。
「いいのか? あんまデリケートにゃできねえぞ」
生あくびを噛み殺したセイメイは片目を閉じて首を傾げた。
ジョカはセイメイを見たまま頷く。
「うん、でも……セイメイなら上手にやれそうだと思うから……」
尚も食い下がるジョカの顔を横目にしたセイメイは、「ふむ」と小さく鼻を鳴らすと、立ち尽くしていた両足を動かして歩き出した。
途中、ジョカの前を通り過ぎて頭をポンポンと撫でてやる。
「あ、身長差あるからセイメイが爪先立ちしてる」
「それは言わない約束だぜミロちゃん」
ミロのツッコミに締まりない笑顔でセイメイはぼやいた。
実際、190㎝台のセイメイでも直立している2m10㎝のジョカの頭へ手を届かせるには、ちょっと背伸びしなければならない。
それでも歩みは止めず、ジョカやミロに後ろ手を振って進んでいく。
向かう先は――エルドラントの墓前。
一瞬、ツバサとマルミは酔っ払いが大失態をやらかす前に手足の二、三十本へし折ってでも止めようとしたが、ジョカの長い腕に阻まれてしまった。
ジョカは銃神へ歩み寄ろうとする剣豪の背中を見送る。
その瞳には信頼の二文字が宿っていた。
「大丈夫、セイメイならきっと……多分」
「本気で信じてるなら多分はいらないぞ、ジョカ」
駄目出しはさせてもらうが、ツバサもマルミに目で合図を送り「ここは様子を見ましょう」という流れになった。もしもセイメイが酔いどれに相応しい愚行に走った場合、即座に処するようスタンバイはしておく。
マルミは遮音結界を解いた。
セイメイが何をするつもりか読めないが、一言一句聞き漏らさない。
ジェイクの脇に立ったセイメイは墓へ一礼する。
衣擦れもさせずその場で腰を下ろすと、無音のまま静かにあぐらで座り込んだ。普段やらないだけで、こういう所作もできる男なのだ。
道具箱から取り出したのは傘のような大杯。
美しい朱塗りのそれを墓前に供え、そこに瓢箪の酒を注ぎ始める。
ジョカが授けた狂神酒という神々の美酒を滾々と湧き立たせる魔法の瓢箪だ。ラピスラズリとも呼ばれる、瑠璃に似た輝石で作られていた。
朱塗りの大杯に狂神酒を浪波と満たす。
いつもなら自分も煽るだろうが、今日は自粛して墓へ合掌していた。
死者への手向け、弔いの献杯ということなのだろう。
合掌のまま黙祷して頭を下げるセイメイは、隣のジェイクへ話しかける。
「起源龍を愛した者の誼だ……一献、奢らせてくれ」
ピクリ、と微かにジェイクの肩が揺れた。
一時間、跪いたまま黙して乾いた唇を震わせて声が響く。
「……すまない」
辛うじて聞き取れるか細い声でジェイクは礼を述べた。
ファーストコンタクトは無難に済んだようだ。ツバサとマルミは同時に胸を撫で下ろす。ジョカもホッと安堵の吐息を漏らしていた。
二人の共通点――それは龍の女を愛したこと。
そこを共感の糸口にできれば……とジョカは希望を見出したらしい。
「なあ拳銃使い。おまえこれからどうするよ?」
「……どう、とは?」
セイメイのぶっきらぼうな問い掛けに、一拍の間こそ置いたもののジェイクはちゃんと反応した。セイメイは頭こそ上げたが合掌はまだ解いておらず、両眼も祈りを捧げるように瞑ったままだ。
「――俺は嫁の願いを叶えてやりたい」
虚飾ができない男はありのままをぶっちゃけた。
動かずにいたジェイクが目を開いて顔を向けるほどだ。
合わせていた両手を開いたセイメイは膝に手を置いて目を見開く。
「世界の始まりから生きる龍にしてみりゃ、この世界に生きてるすべてが子孫曾孫に玄孫も同然なんだろうよ。ハトホル一家だけじゃなく、全部守ってほしいと頼まれりゃあ、惚れた身として嫌とは言えめぇよ……他に能もないしな」
ポン、とセイメイは腰の二刀を軽く叩いた。
ジェイクへと送る横目は「拳銃使いもだろ?」と物語っている。
「お互い、ぶった斬ってぶっ放してナンボの渡世だ。おれは起源龍の家族とそいつらが生きる世界を護る。脅かすものすべて叩っ斬るまでさ」
面倒臭がり屋だから余計なことは言わない。
セイメイのストレートな物言いに、ツバサたちは唖然とする。
ジョカだけは口元を両手で押さえると頬を赤らめており、感激のためか目尻に涙をプルプル震えていた。何故か太もももモジモジさせている。
セイメイはジョカに一目惚れをした。
そのジョカはセイメイに依存するくらいベタ惚れなのだ。
兄ムイスラーショカが終焉龍となって喧嘩別れした直後、セイメイが駆けつけて助けてくれた恩義もあるし、苦しい時に傍にいてくれた恩人でもある。
だからジョカのセイメイに対する信頼度は絶大だった。
その信頼度が功を奏したらしい。
「さて、おまえさんはどうするんだい――拳銃使い?」
セイメイはジェイクと目を合わせ、言葉のみならず眼光で問い質す。
憔悴した顔に精気を取り戻した拳銃師は墓を見上げる。
「家族想いというか……子孫の心配をするのは、彼女たちの本能なのかな」
嗄れた声には苦笑が混じっていた。
「エッちゃんも……エルドラントも、この世界を愛していた……この世界に生きる者すべてが、自分の末裔だって……だから、この世界を護ってほしいって……」
言わずもがなだよ、とジェイクは自身の言葉を句切る。
「オレだって銃を撃つしかできない男さ……やれることといったら、この世界を壊そうとする奴等や、ここに生きる人々を護るために戦うくらいしかできない……それに、彼女と約束したんだ……君の愛した世界を護るって……」
誓ったんだ……とジェイクは胸に右手を押し当てる。
衣服に皺が寄るのも構わず、心臓を掻き毟るように五指で掴んでいた。
「彼女はオレに……“愛している”を教えてくれた」
墓に刻まれたエルドラントの遺影。
それを見つめるジェイクの双眸から幾筋もの涙が流れ落ちる。
「最初で最後の“愛している”をくれた彼女に……オレはそうすることでしか報いてやれない……なら、死力を尽くして取り組むまでさ」
黄金の起源龍が愛した真なる世界を護る――それがジェイクの誓い。
遠巻きに見守っていたツバサたちは安堵した。
エルドラントを失い、彼女を殺した終焉者リードへの復讐を果たし、精神的に打ち拉がれて燃え尽き症候群になっているかと心配したが……。
「……どうやらあたしたちの杞憂だったみたいね」
いくらか肩の荷が下りたようにマルミは気の抜けた吐息を付いた。
漏れなくツバサも賛同する。
「ええ、取り越し苦労でしたね……ジェイクはもう大丈夫です」
ちゃんと来し方行く末を見つめている。
前向きに歩き出そうと懸命に努力していた。
元よりジェイクは気さくで人当たりが良く、朗らかで快活な性格なのだ。
復讐に取り憑かれて変貌した様が酷かったので、達成した暁にはどうなること心配したが、蓋を開けてみれは真っ当に立ち直っていた。
――彼もまた内在異性具現化者。
心の芯というよりも、魂の力が強いゆえだろう。
ツバサはジェイクの説得役にセイメイを推挙したジョカを褒めた。言葉ではなく子供みたいに頭を撫で回すことで褒めちぎってやる。
眼を細めた猫みたいな顔でドラゴン娘は笑っていた。
「ツバサさんでも爪先立ちになっちゃうよね」
「当たり前だろ、俺は190㎝のセイメイより小さいんだぞ」
ミロにツッコまれたが言い返しておく。
ツバサも180㎝あるので背は高い方なのだが、さすがに2m越えのジョカを撫でてやるには全力で爪先立ちせねばならない。
ジェイクのお墓参りもそろそろ気が済んだらしい。
男同士の会話で空気も和んできたのか、ジェイクは傅くのを止めて膝を崩すと、隣に座った男へ倣うようにあぐらで座った。
すると、セイメイが探りを入れるような声音で話題を変える。
「なあ拳銃使い、こいつぁたとえばの話なんだが……」
もしも――愛した女の忘れ形見がどこかにいるとしたら?
「万難を排して会いに行くし、何があろうとも守り抜くと約束する」
この例え話にジェイクは即答した。
「そいつはあくまでも噂話で、結局は空振りだったとしても?」
「この目で確認するまでは信じて行動する」
「空振りに終わったとしても凹んだり心が折れたりしない?」
「やるべきことは決まってるんだ。それはあくまで余録に過ぎない」
好感触を得られたセイメイは、考える暇を与えない速さで次から次へと質問を連投していく。これにジェイク間髪入れずに答えていった。
ジェイクは寂しげな横顔で微笑んだ。
「でも本当に……彼女が何かを遺してくれていたら……嬉しいよな」
「そうか……ま、そりゃそうだよな」
ざっくばらんに同意したセイメイは適当な相槌を打った。
その後、こちらに振り返ったセイメイは視線の送り先をミロへと向ける。ミロが気付いて自分を指差したところで、あちらも振り向いたまま頷く。
「言質は取れた――ミロちゃん、やってくんな」
「OK! 任せて!」
お許しが出たミロは即座に動き出す。
蒼に染まるロングカーディガンをマントのように羽織った姫騎士は、背なに担いだ聖剣ミロスセイバー(二代目)をスラリと抜いた。
軽やかに剣身を振り払うと、切っ先を天に掲げて大声を張り上げる。
「――この真なる世界を統べる大君が申し渡す!」
ミロの過大能力――【真なる世界に覇を唱える大君】。
一口に言えば万能の過大能力。
ミロの命じた言葉に森羅万象が従い、彼女の言葉通りに世界を創り直すことができる能力だ。通じないのはミロより上位の力を持つ存在のみ。それ以外には通用するし応用も利くので、大抵のお願いは叶えることができる。
(※ミロより上位の力=ツバサのような強者、真なる世界の根源的意志)
ミロスセイバーから発せられるのは世界を塗り替える波動。
何色にも染まる透明な力に、ミロは力ある言霊で指向性を与える。
「黄金の龍にまつわる者がいるならば目覚めよ!」
それが目覚めるために世界よ――その力を分け与えたまえ!
ミロの宣言が終わった瞬間、大地が鳴動した。
隠れ里の跡地一帯を揺るがす地震だ。里を取り巻く山々も鳴動しており、土砂崩れも起きそうな激震へと強まる気配がある。
いや、震動が強まるのは震源が近付いてきているからだ。
何かが大地の奥底から競り上がろうとしている。
ただならぬ事態にツバサたちも身構えるが、ジェイクも腰を浮かして立ち上がっていた。殺気を感じないためか、まだ拳銃までは抜いていない。
過大能力を行使したミロも驚いている。
「もっとスマートに行くと思ってたんだけど……大袈裟じゃない?」
戸惑いながらも聖剣を収め、ツバサに抱きついてきた。
「龍脈の“気”が騒いでる……起源龍の匂いも強くなってきた!」
思いも寄らない天変地異にジョカも狼狽し、ミロの真似をするようにツバサへしがみついてくる。娘たちを抱き寄せて事の成り行きを見守った。
地震の原因は地下にある何かだ。
それが力を蓄えながら、地上へ現れようとしている。
地震はエルドラントの墓も震わせていた。
墓石を揺るがす震動が頂点に達し、残像まで見えるほどになった時だ。
「酒が……ッ!」
セイメイが捧げた朱塗りの大杯が宙に舞った。
地中から勢いよく飛び出してきた何かに吹き飛ばされたのだ。
酒の雨をばら撒きながらクルクルと宙に躍る朱塗りの大杯は、地中から飛び出してきたものへ覆い被さる。さながら頭に被る笠のようだった。
降り注ぐ神酒も浴びて濡れそぼっている。
それは――白い大理石でできたような球体だった。
一瞬、怪獣の卵と見間違えたが楕円ではなく球に近い。大きな目玉にも見える模様らしきものはあるが、すっかり薄れていた。
これを目にしたマルミは、予感が的中したように感嘆の声を上げる。
「エルドラントの眼……やっぱり!」
マルミが確信を込めて言うのなら間違いあるまい。
あれは遺骨の代わりに埋葬された、黄金の起源龍の眼球なのだ。
石化したと聞いていたが、まるで白い大理石のように変化していた。重さも硬さもありそうだが、なんとなく“卵”の印象を抱いてしまう。
それもそのはず――生命が脈動している。
重厚な殻に守られた龍の卵。
分析系技能を走らせてみたら、あの球体をそのように判別したのだ。
石化した眼球は銃神の前へと鎮座する。
大地を揺るがす鳴動は収まっていたが、ドクン……ドクン……と静かな鼓動を発していた。降りかかった神酒もスルスル吸い込んでいる。
それだけではない。龍脈から大量の“気”も分け与えられていた。
神酒の栄養や龍脈の“気”を得て、様々なものを糧とすることで、卵の中に眠る何者かが急速に成長しようとしているのだ。
「……………………ッッ!?」
唐突な展開に追いつけず、ジェイクは丸眼鏡越しに目を剥いた。
ビキビキッ! と音を立てて卵殻に亀裂が走る。
見る見るうちに卵殻は砕けて破片を飛び散らかせ、それとともに羊水にも似たトロリとした液体を割れた器から零すように溢れさせていく。
その流れに乗って、一人の少女が姿を現した。
羊水に押し流されそうになるのは――金色の髪をした美少女。
円らな瞳だと閉ざしていてもわかる瞼は金色の睫毛で飾られ、控えめ鼻梁は奥ゆかしい。ぷっくりした唇がやや特徴的かも知れない。
金髪なことも手伝い、西洋人の特徴が強い顔立ちだ。
年の頃なら13歳くらい。人間で言えば中学生ほどだろうか。ウェーブの掛かった長い金髪も目を惹くが、頭の両脇から生えた巻き角に目を奪われる。
その角は黄金の起源龍に瓜二つだった。
年齢の割に発育が良く、乳房やお尻は立派に実っている。ムッチリした太ももを始めとした下半身の安定感は、尻マニアなジェイクの眼鏡に適うだろう。
彼女の姿を認めた途端、ジェイクは弾けるような動きを見せた。
「……エッちゃんッ!」
羊水でずぶ濡れになるのも厭わず壊れかけの卵へ飛び込むと、そこから流れ出るように倒れ込んでくる金髪の少女を抱き上げる。
この拍子で身体を揺り動かされ、少女はうっすら目を開けた。
覚束ない半眼は焦点が合ってない。
それでも自分を胸に抱く青年を見上げて、小さな唇を震わせる。
「……えぇ……いぃ……うぅ……」
喃語のように母音のみで呟かれた言葉だったが、金髪の少女は青年の姿を認識した上で、彼の名前をしっかり呼んでいた。
ジェイク――と。
「あっ……うわぁぁ……ああああああああああああああああああーーーッ!」
歓喜の咆哮が山々へと木霊する。
愛する人を抱きしめた男は嬉しさからの号泣を迸らせた。それはいつ鳴り止むかもわからないほど、長く長く世界の彼方まで轟いた。
叫ぶジェイクの胸の中で、金髪の少女は再び眠りへと落ちていく。
~~~~~~~~~~~~
「身体に異常はないみたい……今、寝かしつけてきたわ」
それが客車へ戻ってきたマルミの第一声だった。
全界特急ラザフォード――第四車両。
窓に面した広めのボックス席が並ぶ二階建ての客車。
そこへツバサたちは思い思いに腰掛けていた。
ツバサはミロと一緒の席に座り、ミロは「膝枕を所望する!」とかいってツバサの太ももを枕に寝転がると、あっという間に寝息を立ててしまった。
ミロの過大能力は消耗が激しい。
使い熟せるようになってきたが、疲労感は誤魔化せないのだろう。
今回は大手柄の一因でもあるので好きにさせてやった。
向かい側に大人しく座るジョカも眠たげである。
起源龍はよく眠る性質らしく、人間の姿でも昼寝愛好家だ。
ジョカの後ろの席を占領しているセイメイも、肘枕でとっくの昔に昼寝を決め込んでいた。これでも周囲の警戒を怠らないのだから大したものである。
かつて武芸者は常在戦場を心得とした。
そのため日頃から眠るにしてもレム睡眠状態を維持することで、奇襲や不意打ちに警戒したという。セイメイがやっているのもそれだ。
有事が起きれば即座に対応……すると思う。
電車の中は眠くなるものだ。ツバサも大目に見るしかない。
かく言うツバサも少々眠気を感じていた。
既にエルドラントの墓参りを終えたツバサたち一行は、思い掛けないサプライズこそあったものの無事帰路に付いていた。
先頭車両では運転手であるラザフォードが全界特急の舵を取り、車掌のソージがサポートを務める。ルーグ・ルー輝神国への帰り道を急いでいた。
ジェイクは今――第三車両にいる。
この車両はルーグ陣営が四神同盟に加わる前、エルドラントの隠れ里を旅立ってからの移動拠点となっていた巨大キャンピングカーだ。二階建ての車両には各人の私室だけではなく、厨房や居間に医療室なども完備していた。
エルドラントの眼球から生まれた少女。
彼女は医療室に運び込まれ、簡易的だが応急処置を受けていた。
病人用ベッドで眠りについた彼女には、ジェイクがつきっきりで看病しているそうだ。念のため、レンとアンズも付き添っている。
「……病人に変なことしないと思うけど、念のためね」
「……嬉しさが暴走して何か為出かさないとも限りませんからね」
ツバサとマルミは爆乳が重なる距離でヒソヒソ内緒話をした。
お母さんは心配性なのだ。
手当てをしたマルミは少女の容態を教えてくれる。
「眠っているだけで肉体的に問題はないみたい。怪我しているところはないし病態の兆候も見られないけど……酷く衰弱してたわね。栄養失調レベルよ」
ついでに何者なのかも分析系技能で調べたそうだ。
しかし、マルミはやや眉を捻っていた。
「神族なのは間違いないわね。それも龍の因子を多く受け継いだ、亜神族のドラゴノート族に近いような感じ。あたしの記憶にある限り、エルドラントの色んな要素と比べてみたけど、廉価版というか劣化版というか……」
「つまり――黄金の起源龍の力を幾許か受け継いでいるということですね」
「そう考えるのが妥当よね? おかしくないわよね?」
念を押すようにマルミは同意を求めてきた。
「あの見た目や姿も……人間に変身したエルドラント瓜二つだし!」
ジェイクも一目見るなり名前を呼んでいたので間違いない。
彼女もジェイクの顔を認識してその名前を呼んだ以上、ジェイク・ルーグ・ルーという人物に関する記憶を持っているはずだ。
そして、黄金の起源龍の力を微弱ながら継承している。
状況証拠ばかりだが、これらの情報から導かれる答えはひとつ。
「あの子は黄金の起源龍の生まれ変わり……でいいのかな?」
ジョカが恐る恐る答えを口にした。
彼女の嬉々とした顔色を覗いた後、ツバサとマルミは頷き合った。
「これはあくまでも仮説ですが……」
ツバサは寝こけるミロの頭を撫でながら前置きする。
「エルドラントさんの記憶というか感情というか、彼女の魂や精神を形成するものが、肉体の滅ぶ寸前に残っていた部位へ宿ったのでしょう」
マルミは親指と人差し指を折り曲げて数える。
「それが黄金の角の片方と眼球のひとつね」
黄金の角はジェイクの危機に際して奇跡を引き起こした。
一方、記憶の宿った眼球はそれを保つのに留まり、言い伝えにあるような起源龍の転生を行うまでには至らなかった。恐らく生命力が足りなかったのだ。
新た生命となるための力が――。
「終焉者に消滅させられかけたんですから……無理もありません」
それでも年月を掛ければ自ずと蘇っただろう。
あの眼球は硬い殻で覆われた卵となり、孵化の時を待ったはずだ。
卵の中でゆっくり“気”を養生し、周囲から少しずつ自然界の精気を得ることで、エルドラントの記憶を宿した新たな神族を育んだと思われる。
「ただまあ、何年掛かるか予測もつきませんけど……」
「うん、起源龍の骸から何か生まれるなら大体すぐだって聞いてたしね」
ジョカも今更ながらの新情報を明かしてくれた。
そういう意味でも異例なのだろう。
黄金の角の方は復讐の一撃を果たす一助となる力もあったが、眼球の方は記憶ばかりで新たな生命に転生するための力もなかった。
そこへ――ミロの過大能力である。
真なる世界から“気”を供給されたことで、一気に活性化したのだ。
「寝た子を起こすような促成栽培が祟ったのか、眼球に宿っていたのは本当に記憶だけだったのか、あれだけの“気”を費やしても補えないほど弱っていたのか……転生できたのはいいけれど、えらく弱体化してしまったんでしょうね」
「衰弱の理由はそこら辺かしらね……」
ツバサの仮説にマルミは肯定的に理解を示してくれた。
「でも、あんなに弱ってても起源龍の血を分けた神族だからね。ちゃんと身体を労ってあげれば回復してくる、そのうち力も取り戻せると思うよ」
同族であるジョカの言葉には説得力があった。
マルミもこの発現を裏付けるような現象を補足する。
「そういえば……アタシが手当てしたり、レンちゃんやアンズちゃんが回復魔法やら回復薬を使ってると、ほんの少しずつLVが上がってたのよね」
「基礎能力も回復途上にある、ということですか?」
かも知れないわね、とマルミは断言を避けて曖昧に返してきた。
その時、ツバサの脳裏にある男の言葉が過る。
『――生きてりゃ瀕死からでも治す』
極悪親父は確かにそう言った。もしもエルドラントの記憶を宿した眼球。その命が尽きかけていても、破壊神撃破による第一の褒賞が働きかけたならば……。
それもまた彼女を転生させる助けとなった可能性も捨てきれない。
これも極悪親父の置き土産になるのだろうか?
考えすぎか、とツバサは小さく頭を振って黙っておくことにした。
「いいじゃねえか――細けぇことはよ」
ツバサたちが話し込んでると、席の向こうから酒焼けした声がする。
眠っていたセイメイが割り込んできたのだ。
「ジェイクは復讐をやり遂げたし、愛した女の忘れ形見を抱くことができて、多少なりとも報われたんだ……それに、起源龍の力を受け継いだ神族をこの世に誕生させたのは、真なる世界にも四神同盟にとっても僥倖だろ?」
良いこと尽くめで締めようぜ、とセイメイは幕引きを求めてきた。
「セイメイもありがとね。僕のお願い聞いてくれて……」
ジョカは座席の後ろへ身を乗り出すと、そこで不貞寝するように寝転がっているセイメイに礼を述べた。墓前でのやり取りを言っているのだ。
止せやい、とセイメイは雑に手を振る。
「酒そなえて野郎と駄弁っただけだぜ? ありがたがられる謂われはねぇよ」
「それでも僕は御礼を言うよ……ありがとう、セイメイ」
へっ、と満更でもなさそうに鼻を鳴らした用心棒は、悪くない笑みを口の端に浮かべながら、あからさまな高鼾をかいてまた眠ってしまった。
「アタシからも御礼を言うわ――みんな、ありがとう」
ジョカに触発されたのか、マルミはツバサたちにお辞儀をしてきた。
深々と頭を下げる刹那、彼女の潤んだ瞳をツバサは見逃さなかった。礼を述べる声にも泣く寸前のような嗚咽を秘めている。
「みんなが一緒に来てくれなかったら、エルドラントの意志を受け継いだあの子を助けられなかった……ジェイクも立ち直ってくれたけど、ずっと彼女の幻に囚われたままだったわ……だから、ありがとう……」
ジェイクたちの見守り役として――御礼を言わせてちょうだい。
涙ぐむ声でマルミは謝辞を述べた。
この人もやっぱり母なんだな、とツバサは密かに感心する。
道理でオカン系男子のツバサと意気投合し、やることなすことピッタリ息が合うわけだ。どちらも母性本能の化身なのだから当たり前である。
ツバサやジョカは朗らかな微笑みを返事とした。
「二シシシ……♪」
鼻提灯で寝ていたミロまで満面の笑みで返している。
「さ、湿っぽい話はこれくらいにして……ルーグ・ルー輝神国に着くまでもうちょっと掛かるから、ゆっくりしててちょうだいね」
マルミは自然な仕草で目元を拭いながら顔を上げた。
「はい、ではお言葉に甘えさせてもらって……」
拠点に帰るまでの数時間、束の間ながらも列車の旅を味わう。
いつしかツバサもうたた寝に船を漕いでいた。
~~~~~~~~~~~~
徒ならぬ妖気により、細やかな午睡を打ち破られる。
ツバサは電車で目的の駅を乗り過ごした時のような慌て方で目を覚ますと、思わず座席から立ち上がろうとして、腰を浮かしかけていた。
まだ列車の中だ、それは間違いない。
だが、ここは全界特急ラザフォードの客車ではなかった。
窓を背にして並ぶ横一列な八人掛けの座席。
車両の末端ではそれぞれ三人掛けの席が割り振られており、そこは優先席となっている場合が多い。天上には鉄パイプが組まれており、そこから立っている客の姿勢を保つためのつり革が何本もぶら下がっている。
この車両内の風景は見覚えがあった。
ツバサが大学への通学に利用していた電車内だ。
「…………夢か」
漠然とだが「これは夢だ」と自覚が持てた。
意識ははっきりしているが、少なくとも現実ではない。異相のような別空間にいる感触を覚えるし、肉体的感覚が希釈されている違和感がつきまとう。
明晰夢を揺蕩う感覚によく似ていた。
随分と前、蕃神を倒すため飛行母艦ハトホルフリートで遠征した時のこと。
その帰り道でも電車の中で家路を急ぐ男だった頃の自分を思い出す夢を見た記憶があるが、あの時よりも意識はクリアだった。
雷の雨が降り注ぐような緊迫感に、危機管理能力が警鐘を鳴らしている。
おかげで意識が鮮明にならざるを得ないのだ。
しかし、電車というシチュエーションがそっくりなので思い返す。
あの時は――妖気など渦巻いていなかったが。
気付けばツバサは、八人掛けの席の真ん中に重い巨尻を降ろしていた。
超爆乳の下でそれを支えるように腕を組み、むっちりした太ももを絡ませて足を組んでいたので、肉体的には神々の乳母のままだった。
以前の夢とは異なり、現在のツバサの外見に則しているらしい。
「夢の中くらい男に戻りたいもんだけどな……」
残念そうに独りごちるも、そんなことを毒突いている事態ではない。
吐き気を催すほどの邪悪――名状しがたい怖気を誘う瘴気。
鼻先を掠めただけで胃の中どころか腸の奥にまで辿り着いたものまで吐き出しかねない悪臭を伴う妖気にツバサは眉を顰めた。
眉間が山のように盛り上がり、眉尻は天を目指して釣り上がる。
妖気にあからさまな敵意が混ざっているからだ。
ツバサは腕を組んで腰掛けたまま、足を組み直すと真正面を見据える。
そこに――妖気の発生源が蹲っていた。
明らかに人間ではない。この世ならぬ異形のものが、四苦八苦しながら人間の皮を被って偽装している途中にしか見えなかった。
人間は三つの点が集まると、そこに顔を見出そうとする。
これをシミュラクラ現象というのだが、これに胴体や手足に類するものを添えても、人間のような五体を備えていると判断してしまうのかも知れない。
何もない禿頭のような頭は天井に届きそうだ。
そこに光る六つの眼光は、見覚えのないスペクトルを発している。
その下に生え揃う絶えず蠢動する無数の触手は、伸ばし放題に生やした髭に見えなくもない。八人掛けの席を七割ほど潰している巨体は、相撲取りの体格どころではない。度し難い肥満体をも上回るだろう。
妖気は未だ定まらず、人型を模そうとする巨体を取り巻いている。
それは時折、ドラゴンの翼のようにはためいていた。
眼前の持ち上げられた左腕。その先で掌が六本の指を握り締める。
対して右腕は――手首から先がない。
何者かによって力任せに引き千切られた感がある。歪な断面からは短い触手が生えており、徐々にだが失った掌を復元しているようだった。
手先を失った右手首の断面を、妖気はこちらに差し向けてくる。
まるで「おまえの仕業ではないか」と嘲笑するようにだ。
超巨大蕃神――通称“祭司長”。
還らずの都争奪戦時に現れた蕃神の“王”だ。別次元の侵略者の中でも頭抜けた巨大さを誇り、動いただけで真なる世界を滅ぼす脅威となりかねない。
ツバサはこの祭司長にクトゥルフを幻視していた。
クトゥルフ神話の代表格――人智を超えた旧支配者の急先鋒。
六つの眼を持つ蛸を思わせる頭部に、顎髭のような触手を無数に生やし、ドラゴンにも勝る巨体と翼を有し、手には鉤爪と水掻きが生え揃う異形の神。
「そういえば……精神攻撃も基本だったな」
クトゥルフは夢を通じて人間の精神に介入すると聞いた。
夢の中とはいえ蕃神によって精神へ割り込まれようものなら、軽くて重度の神経衰弱、下手をすれば発狂して再起不能である。
しかし、ツバサは自我を見失わずに済んでいた。
神族になったことで脳細胞や神経もレベルアップしたのだろうか?
夢に土足で踏み込まれても耐えることができるようだ。
突然――頭の中に爆音が轟いた。
幾千万もの割れた管楽器を一斉に吹き鳴らしたような、神経を逆撫ですることのみを突き詰めたような爆音は、莫大な情報も脳内に叩き込んでくる。
どうやら祭司長が何かを伝えたいらしい。
何かと懸念の南方大陸――その大地を覆う奇妙な声で鳴く異形の樹木。
蠢く異形の森の中央――聳え立つのは漆黒に染まる禍々しい世界樹。
黒い世界樹の根元――それを守るように佇む重騎士の如き巨神。
まるでブラッシュバックだった。
爆音の正体は脳が処理しきれないほど大量の情報で、どうにか読み取れた部分が断片的に脳内でそれらしい絵を結んでいた。
そうこうしていると、妖気を凝らした祭司長は人間の姿を模倣する。
『忠告しよう――あの御方には手を出すな』
爆音にしか聞こえない情報の中、初めて人語らしきものが拾えた。
あの御方とは黒い世界樹のことを指すらしい。
「……忠告? 警告の間違いだろ」
ツバサは爆音の情報を捌くために得も言われぬ頭痛に苦しめられながらも、江戸っ子特有の負けん気から悪態で突き返した。
こんな時――友人の他愛ない格言を思い出す。
『良い話と悪い話は大抵一緒、互いに相殺するからセット割だ』
黄金の起源龍は元通りと言えずとも復活させられた。
これが良い話だとすれば、悪い話もセットで付いてくるのが道理である。何事もなく大きな成果を持ち帰れる、なんて油断していたら御覧の有り様だ。
逃げ場はない、というかこの場が判然としない。
敵意は感じられるが、今すぐ暴力に訴えてくる様子も見受けられない。忠告というだけはあり、本当に話し合いを求めてきたのだろうか?
わからないことが多すぎる。手探りで試し試し進めるしかなさそうだ。
腹を括ろう――ツバサは覚悟を決めた。
「用件があるなら伺おうか……なあ、祭司長殿?」
極上の笑みを浮かべたツバサは喧嘩腰な態度で打って出た。
0
お気に入りに追加
582
あなたにおすすめの小説
Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる