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第19章 神魔未踏のメガラニカ
第461話:テラ・アウストラリス・インコグニタ
しおりを挟む「も゛っ、も゛う゛じわ゛げあ゛り゛でんん……ッ!」
失言が過ぎました……とセイメイは濁点で涙声を震わせて反省する。
ツバサとミロが撲殺も辞さずに殴り倒したのだ。
いくら剣豪であろうともフルボッコにされれば顔面もデコボコになる。顔中をたんこぶと腫れた痣で覆われたセイメイは泣きべそをかいていた。
普通ならLV999の神族でも死んでいる。
この程度で済んでいるのは、技能“コメディリリーフ”の効果だ。
簡単にいえば――ギャグキャラは死なない。
大爆発に巻き込まれても煤だらけになって口から煙を吐き、頭が爆発したアフロになるくらいのダメージで生き残る。1万トンの鉄塊に潰されてもペラペラになるだけで、しばらくすれば元通りになる。
相応のダメージは負うが、即死を回避する効果もあった。
身内の折檻ならば御覧の通り。渾身の鉄拳制裁を何千発お見舞いされようとも、見た目が酷くなるくらいの怪我で乗り切れるわけだ。
なので――折檻する側も無茶ができる。
確かに情報屋は登場時こそモブ的ポジションにいたが、実は陰ながらツバサたちを支えてくれて、本物の情報屋を務めてくれた恩人なのだ。
その縁があるから、ツバサもミロも再会をあんなに喜んだのである。
ついつい口を突いて出てしまったとはいえ、恩のある友人をモブ呼ばわりされれば「カチッ!」と怒りのスイッチがONになるのも致し方あるまい。
「……初対面の人をモブ呼ばわりすりゃ怒られるわな」
反省してます――ごめんなさい。
セイメイは情報屋ことショウイさんへ素直に謝った。
自責の念も口にする黒衣の剣豪。
護衛役なので会談中は何が起きても即応できるように、応接室のそこらに待機してもらうつもりでいたが、罰として積極的に立っててもらうことにした。
――水でいっぱいに満たされたバケツが3つ。
絶対無敵とか熱血最強なんて熱い四字熟語が書かれたバケツを両手に持ち、元気爆発と書かれたバケツは頭に乗せている(※ダイン製の備品)。
かつて昭和の頃、遅刻や早弁などの悪いことをした小中学生は、罰としてこのように廊下へ立たされるスタイルで反省を促されたという。
それを実践してもらっているところである。
横に控えるのはハトホル太母国・メイド長――クロコ・バックマウンド。
いつでも鉄面皮の無愛想メイドだ。
長身でグラマラス美女。Hカップの巨乳とそれに釣り合うサイズの臀部は、オーソドックスタイプのメイド服を着ていても目立つ。銀髪を簡素なポニーテールにまとめており、薄化粧をした美貌は常に澄まし顔で決めていた。
外見だけならばパーフェクトなメイドだろう。
仕事も炊事、洗濯、家事、掃除、子守とオールマイティにこなし、執務室で執り行われる政務を任せてもミスのひとつもなく完遂する。亜空間にマイスペースを持てる過大能力で密偵を務めるのも朝飯前だ。
有事には重火器を背負って敵陣を圧倒的弾幕で蹴散らす。
何をやらせても万能メイドなのは認めよう。
その有能すぎる評価をマイナス評価に突き落とすほどの変態エロスな性癖さえ目を瞑れば、これほどの逸材はないので非常に残念でならない。
VRMMORPGを管理運営してきた国際的協定機関。
若くしてその幹部を務めた軍師レオナルドは、クロコを始めとしておっぱいは大きいが問題児な娘ばかりの教育を任されたため“爆乳特戦隊”のまとめ役とされていたが、なんとか彼女たちの手綱を捌いていたらしい。
彼をしても「クロコだけは制御できない」と告白している。
事実ツバサも「仕事してくれればいいか……」と諦観を極めて放任状態だ。もっとも、セクハラされたら容赦なく体罰を与えている。
その体罰も彼女には「ご褒美です!」になってしまうのだが……。
「――そんなわけでご褒美です」
「いや、おれマゾの気ないからご褒美にゃ……鞭打ちぃッ!?」
バケツを持って立つセイメイに、クロコは九つに分かれた鞭をビシリと打ち付けていく。このメイド、MもSもイケるリバーシブルだ。
セイメイへの反省を促す体罰だが、クロコは趣味でやっている。
あのメイド長には給仕役として控えていてくれと命じたはずなのだが、どうして失言した用心棒へのお仕置きに熱を上げているのだろうか……?
既にお茶の用意は終えているので黙認しておこう。
応接室専用の長いテーブル――対面形式で着席する面々。
その際、顔には出さないがツバサは「おや?」と思ったことがあった。
「……あなた、どうぞ」
「あ、すいません……では失礼します」
てっきり源層礁の庭園の代表を務めるサイヴが客人として上座に座るかと思いきや、ショウイに上座を譲って自分は二番目の席へ腰を降ろした。
この2人――やはりそういうことらしい。
密かに分析系を走らせたツバサは決定的な証拠を発見する。
すぐ話題にして祝辞を贈りたい気持ちに駆られたが、プライベートに関わる話なのでタイミングが訪れるまで黙っておこうと触れずにおいた。
客人に続いて、こちらも席に着く。
ハトホル太母国側は上座からツバサ、ミロ、ダイン、フミカの順番。ツバサ以外は特に意識せず、なんとなくの序列で決まっていた。
「いや、しかし……モブキャラと言われても仕方ありませんよ」
軍帽を脱いだショウイは照れ臭そうに苦笑すると、角刈りみたいな頭を一撫でしてからセイメイの発言を肯定するように言った。
「お二人に出会った頃は他のプレイヤーを倒すでもなく、レイドボスに挑むでもなく、ただ面白そうな情報集めに奔走するだけの、本当にモブキャラでザコキャラみたいに戦場をうろちょろしていただけですし……」
「謙遜しないでください、情報屋さ……いえ、ショウイさん」
「そうだよ。アタシらその情報に何度助けられたか」
既に述べたが、ツバサたちと情報屋ショウイが出会ったのはVRMMORPG時代。ドンカイ親方やミサキ君と激しいバトルを繰り広げた頃。
ドンカイもミサキも、ツバサにすればアシュラ時代からの盟友。
しかし、アルマゲドンではどのような活躍をしているかわからず、再会したアバターにアシュラ時代の面影こそ感じるものの微妙にアバターが違ったので、再開した当初は「よく似た他人かも?」と疑う気持ちもあった。
そんな彼らの活動振りを教えてくれたのが情報屋である。
(※第15話&第21話参照)
おかげで彼らの戦績がわかり、「やっぱり当人か」と確信を持てたのだ。
これ以後、ショウイとはよくつるむようになった。
イメージは――ベテラン刑事に様々な情報を流す裏の情報屋。
当人もそこら辺を意識していたのか、独自ルートで調べ上げた有益な情報をツバサたちに回してくれた。あるいはツバサたちでは調べきれない噂の虚実を確認するために東奔西走してくれたものだ。
大規模仮想現実RPG『アルマゲドン』
そのプレイヤーすべてが真なる世界へ転移させられたあの日。
ツバサたちは予めGMダオン・タオシーから「次回の定例アップデート日、最後までログインしていること」なんて意味深長な捨て台詞を聞いてしまったため、結果的に異世界転移へと巻き込まる羽目になった。
(※第24話~第25話参照)
この捨て台詞についてツバサやミロも独自に調べてみたが、LV999の解放や過大能力の実装についての詳細を掴んでくれたのがショウイである。
概要ではなく微に入り細を穿つほどの調査結果だった。
これらの成果は、彼が情報屋として卓越した才を持つ証明と言える。
こうした情報への見返りではないが、ツバサたちも魂の経験値稼ぎやお金稼ぎを手伝ったり、情報屋の彼が必要とする素材集めを一緒にしたりと、ドンカイやミサキにジャジャほどではないが、パーティーを組んだこともあった。
知らぬ仲ではない――歴とした友人なのだ。
「……なのに、通称の情報屋とばかり呼んでいたから、本名はともかくハンドルネームを覚えることさえ失念していたなんて……」
本当に申し訳ない、とツバサは悔いるように詫びた。
いやいやいや! とショウイは慌てて両手で制してきた。
「現実でならいざ知らず、ネットで仲良くなったらそんなものですって。俺もついつい情報屋と呼ばれるのを気に入って、ちゃんと名乗ってないんですし」
実際、リアルでも情報屋と呼ばれていたらしい。
鏖殺師グレンと再会した際も、名前ではなく「おまえ情報屋だろ」とあだ名で呼ばれたそうだ。そのグレンにまつわる謎についても後ほど聞かせてもらおう。
でもさー、とミロが話に割って入きた。
おかげで強制的に話の流れを切り替えられ、互いに「申し訳ない」と謝り倒す負の連鎖が断ち切られる。こういう空気の読み方はできるアホの子だ。
「情報屋さん、スッゴい強くなったね。アタシらと同じじゃん」
「そういえば……LV999ですね」
改めて感心させられる。
最後にVRMMORPGで会った時はLV60台、当時の換算からするとLVカンストの99にも届いてないので、あれから相当鍛え直したはずだ。
情報屋の二つ名が示す通り、彼は戦闘職ではない。
ゲーム的にたとえれば斥候や猟兵、あるいは情報専門の盗賊などに分類されるだろうか? なんにせよ戦闘能力は上げにくい職能のキャラだ。
LV999になるのは至難の業である。
事実、情報処理姉妹と呼ばれているアキ&フミカ姉妹や、道具作成しか能がないプトラ、工作者一筋のジンなどは苦労したし苦労させられた。
(※この運動神経ポンコツ四人組をLV999に仕立てたのはツバサです)
ショウイはますます顔を真っ赤にして照れる。
恥じ入るように目元を伏せ、前へと傾げた頭を片手で押さえた。
「威張れるようなことは何もしてませんよ。ただ、ツバサさんやミロちゃんと会ったり過ごしたりしているうちに……なんだか恥ずかしくなって」
「恥ずかしい? 何が?」
ミロが小首を傾げると、ショウイは逡巡するも打ち明けた。
「……自分が強くない……弱いってことにです」
かつての自分は本当にモブでした、とショウイは自身を顧みる。
「ツバサさんやミロちゃんみたいに本当に強い人に出会って、いつしかその強さに憧れるようになって……でも、情報屋の性として気付いてしまうんです。あなたたちと俺は根本的に何かが違うと……」
調べれば調べるほど――素質の差を思い知らされてしまう。
ショウイは力強く握り締めた拳に視線を落とす。
「それでも……一度憧れた強さに、どうしても近付きたくなりました」
大小の傷に塗れた拳は、過酷な日々を生き抜いた証だ。
ショウイは持ち前の情報分析能力から、ツバサやミロのような強さを得られないと自らに言い聞かせ、無理にその背中を追うことを禁じた。
同じ力を求めてはいけない――自分自身の持ち味を活かそう。
「VRMMORPGの頃から、密かに訓練を始めていたんです……」
ショウイの武器は莫大な情報量。
その中でも実戦向きで練習を重ねれば身に付けられそうな、銃火器系の技能をまず習得した。そこから火薬や砲術系の技能も扱いのみならず工作系の技能も学んでいき、戦場で生き抜けるように自らを鍛え直したそうだ。
常に周囲の情報を先取りして、戦闘中には最適解の行動を選択する。
足りない力は銃火器で補い、一手でも多く先を読んで周到に立ち回る。
その結果、“たった一人で軍隊”系の職能を会得した。
趣こそ違うけど、拳銃師なジェイクやバリー、火器の重武装で戦うクロコと似たような系統だ。銃撃戦に長けた戦闘職に分類されるのだろう。
「ランボーを目指したんだね、スタローンだ」
「いや、コマンドーじゃろ。シュワちゃん路線ぜよ」
ショウイを有名なコンバット映画の主役たちに例える長女と長男。
選んだアクション俳優に趣味の違いが表れていた。
「……いや、ちょっと違うんじゃないか?」
ツバサが訂正を入れると、ショウイが自分なりの解釈を明かす。
「自分的には、戦場カメラマンとか戦争記者とか、そういう方面を目指して頑張ってきて、この世界でも必死にサバイバルを続けてきたんですが……」
お二人のおかげです、とショウイは真摯な眼で訴えてくる。
「ツバサさんやミロちゃんに憧れたから、LV999まで来ることができました」
ありがとうございます、とショウイは礼を述べて頭を下げてきた。
「…………ッッッ!」
ショウイの告白にツバサは涙ぐむほど感動した。
自分たちの生き様が誰かを突き動かした原動力になる。それを当人の口から謝意を込めて述べられると、気恥ずかしさよりも歓喜の念が込み上げてくる。
弟子の成長を目の当たりにした気持ちに似ているかも知れない。
熱い感情が胸いっぱいに満ちてくる。
「あの、えーと……ごめん、アタシこういうの慣れてないから困るぅ!」
一方、ミロは年相応な振る舞いで恥ずかしがる。
裏表のない明け透けな賛辞にミロは弱い。最初は両腕で顔を覆い隠していたが、間に合わず隣に座るツバサの背中に隠れようとしている。
こういうところはまだまだお子様なのだ。
「いえ、こちらこそすいません。思いの丈をぶちまけてしまって……」
ショウイはより一層恐縮したように身を縮こまらせていた。
「ですが――ショウイが強いことは事実です」
話が途切れた瞬間、自然な流れでサイヴが会話に入ってきた。
それもショウイを賞賛する口振りでだ。
「彼が源層礁の庭園に来てくれたおかげで、彼の製造する武具により庭園の防衛力が底上げされたのは勿論、我々には持ち得ない過大能力という素晴らしい力によって、庭園に多大な貢献をしてくれたのですから……」
「ちょ! サイヴさんやめて人前で! 羞恥心で悶絶死するよ俺!?」
ショウイは怒鳴り声に近い大声でサイヴの褒め言葉を遮った。
こちらも褒められるのに慣れてないらしい。
しかしサイヴの言葉責めは止まらない。嫌がらせや当てこすりではなく、本心からショウイを自慢したくて堪らないという感情がそこにはあった。
まるで我が事のようにサイヴはショウイを誇る。
「今では庭園の統括研究所所長である我が父の公認を得るほどで、行く行くは源層礁の庭園の全権を委ねる正統後継者になってもらう予定です」
「ショウイさんが――庭園の最高責任者に?」
確かにVRMMORPGで異世界転移したプレイヤーは、真なる世界に現住する神族や魔族より強くなる傾向がある。
ツバサたち内在異性具現化者など最たる例だろう。
このため良くも悪くも現地種族に神様として祭り上げられる例はいくつかあったし、真なる世界の重大な遺跡に関わる権利を得た人物も少なくない。
ショウイもこれに当て嵌まる。
だが、サイヴの説明には言い含める何かが隠されていた。
その何かについて――ツバサは見当がついている。
「失礼ですがサイヴさん、いずれショウイさんに源層礁の庭園すべてを任せると仰るからには、現時点の最高責任者であるあなたの御父上のお許しを得られたことを意味しますよね? それは即ち……」
サイヴはほんのり頬を桃色に染めると目元を伏せた。
楚々とした動きでショウイを差す手からは初々しさを感じられる。彼女へ合わせるように、ショウイも殊更にペコペコと頭を下げてきた。
「――我が夫です」
「すいません、入り婿という形になりますが……結婚しました」
えええーッ!? と驚愕の声がいくつも上がる。
いや、ミロは驚くのはわかるが、ダインやフミカは驚かなくてもいいだろう。こちらの世界で入籍したのは、長男と次女の夫婦も同じなのだから。
そして、ショウイとサイヴは籍を入れただけではない。
ツバサは先ほど分析系で気付いた事実に恐る恐る触れてみた。
「サイヴさん……懐妊されておりますよね?」
「……はい、三ヶ月になります」
新妻は頬を赤らめた後、労るように右手をお腹に添えた。ショウイもデレデレと惚気た顔になり、照れ臭さMAXで恐縮の極みにある。
「「えええええええええええええええええええええええーーーッッッ!?」」
今度こそ驚天動地みたいな絶叫が迸った。
声を揃えて叫んだのはミロとフミカ、その理由はなんとなく察する。
――神族や魔族は出生率が恐ろしく低い。
現実世界でも少子化は由々しき事態に陥っていたが、そんなもの比ではないくらい子供ができにくいのだ。これは神族や魔族ゆえの悩みなのだろう。
神魔は基本的に不老不死だ。
飲食不要でも世界から“気”を得ることで長寿を約束され、不眠でも身体能力が低下せず、新陳代謝はするが老廃物はほとんど出ない身体構造。常に若々しく絶大な力に漲り、多種族を凌駕する魔法や能力を行使できる。
正しく神や悪魔と呼ばれるに相応しい種族だ。
不老不死とは言うものの、それでも物凄くゆっくり老化はする。
ノラシンハやヌン陛下がいい例だ。どちらも1万歳を越えたというが、両者ともにまだまだ元気溌剌。見掛けは七十代だが中身は四十代である。
それでも死ぬ時はサクッと死ぬ。
老いて死なない“不老不死”であり、不死身ではないわけだ。
不老長寿、と言い換えた方がいいかも知れない。
この一万年を越えて生きるという人間からすれば羨む体質ゆえに、神族も魔族もある共通のデメリットに悩まされていた。
――極端な不妊である。
人間の歴史換算どころか、その世界で台頭する種族が代替わりするほど何十世紀も生きる神族や魔族は、一個体の寿命が途方もなく長い。人間を始めとする短命な種族と比べて、急いで次世代を用意する必要がないということだ。
そうでもしないと――生態系がバランスが危うい。
もしも神族や魔族が人間並みの繁殖力を持っていたら、滅多なことでは死なない種で世界は満ち満ちて、たった数年で人口爆発待ったなしだ。人口密度は加速度的に上昇し、土地、食料、水、資源……あらゆるものが枯渇していく。
神族や魔族の場合、飲食は不要だが生命維持に森羅万象の“気”が必要なため、人口が増えれば“気”が不足する。ねずみ算式に増えれば推して知るべしだ。
この世のすべての源となる“気”。
その奪い合いで戦争が起きるのは目に見えている。
やがては世界を滅ぼす原因となりかねない。
神族も魔族も森羅万象と密接にリンクした種族なので、無意識かつ本能的に次世代の誕生にセーブを掛けているのかも知れない。
そういえば――何かのSF作品で類似例があった気がする。
不老不死になる技術を確立した人類は、次の世代を引き継ぐ子供を必要としなくなったので邪魔者扱い。それでも子供は生まれてくるので、率先して排除しようとするディストピアな社会になっていったと……。
そうなる前に種族的なブレーキを掛けられたも同然だった。
だからなのか、神族や魔族はどれだけ情熱的に愛の営みを交わそうとも、子供を授かる可能性がとても低い。受精の確率が極端に低いらしい。
不敬な例えだが、メチャクチャ渋いガチャだ。
恐らく0.000001%くらい、下手すればもっと低確率かも知れない。
絶望的なくらい子宝に恵まれないのだ。
(※その反面、他種族との間には比較的子供が生まれやすい。神族同士よりも魔族の嫁と、魔族同士よりも神族の婿と、あるいは他種族と結婚。これだけ出生率が改善される。そうして産めよ増やせよで生まれたのが灰色の御子である)
不妊といっても過言ではない出生率の低さ。
これが真なる世界を窮地に追い込んだ遠因でもあった。
別次元からの侵略者――蕃神。
彼らに立ち向かえるのは高位の神族や魔族のみ。しかも相討ち覚悟で挑まねば勝てないような異次元のバケモノ揃いと来た。その総数も計り知れない。
倒しても倒してもキリがないのだ。
戦争が長引けば長引くほど、さしもの神族や魔族でも戦死していく。
一個体は神と崇められるほど強い神族や魔族でも、ただでさえ繁殖力はないに等しく、その絶対数は少ない。なのに、蕃神との戦いでは櫛の歯が欠けるように亡くなっていき、後を継ぐべき次世代を望んでも一向に子供は生まれない。
こうして真なる世界は戦力不足へと追い詰められたのだ。
灰色の御子たちがVRMMORPGという訓練装置を使い、人間のプレイヤーを無理やりにでも神族や魔族にレベルアップさせた理由。
蕃神との戦争により激減した神族や魔族の復活――あるいは補充。
こうした思惑が秘められていた可能性も捨てきれない。
だが悲しいかな、不妊の形質はツバサたちにも受け継がれていた。
四神同盟にはツバサとミロを筆頭に、婚姻関係を結んで夫婦となっていたり男女の仲にあると公言しているカップルが何組かいる。
この真なる世界で暮らして一年余り。
カップルの女性たちには妊娠の兆候すら現れていない。
下世話かも知れないが、夜になればちゃんと夫婦として愛の営みを交わしているはずだが、まったく子供ができる気配はなかった。
ミロはツバサを妊娠させ、本物のオカン系女神にしようと企んでいる。
フミカは愛妻として、ダインとの一粒種を喉から手が出るほど欲している。
そんな愛する人との子供を切望する娘たち。
成功例を前にして暴走するのは、火を見るよりも明らかだった。
ミロとフミカは息せき切って腰を浮かし、応接室の長いテーブルから身を乗り出すと、それぞれショウイやサイヴへと詰め寄っていく。
「どっ……どうやったの!? ねえ、どうやって赤ちゃんをッッッ!?」
「何が効果的だったんスか!? なんか受精率が上がる方法とか、妊娠促進に働きかけた要素とかあるんじゃないスかッッッ!?」
双方とも剣幕が必死すぎて、ツバサやダインはドン引きだった。
ショウイやサイヴも突然なので面食らっている。
一足先に妊娠というゴールインを果たしたサイヴに嫉妬と羨望が入り交じる視線を向けるも、その手法を聞き出そうと威圧感のある下手で迫っていく。
フミカはサイヴの手を取り、吐息も荒く質問攻めにする。
「やっぱ源層礁の庭園ならではのマル秘テクニックとかッスか!? 神族や魔族でも産めよ増やせよで子沢山倍増計画でベビーブーム到来するような裏技があるんスよね!? 生命の研究してるんスからお茶の子さいさいっしょ!?」
「落ち着けフミぃ! お客人に失礼じゃろうが!」
もはや失礼を棒高跳びで乗り越えるくらい無礼千万である。
ダインが懸命に抑えるも、フミカはサイヴへ躙り寄る。
「ええええっと!? あの、その……まあ、神族や魔族の繁殖率を上げる研究はしておりますが、私たちでは試す暇がなかったといいますか……」
目を白黒させるサイヴは、それでも質問にちゃんと答えてくれた。
自白を強要されたようにしか見えないが……。
そして、ミロはショウイの顔面に掴みかかり、鼻先がくっつくほど顔を近づけて詰問攻めにしていた。ただし、形相は修羅のそれである。
「どーやってサイヴちゃん孕ましたの情報屋さん!? 大人しそうな顔をして一番乗りなんて……アタシなんてツバサさんにどんだけ注ぎ込んだと思ってんの!? 精を吸われすぎてこっちが死にかけたのも一度や二度じゃないんだからね! なんだっけ? 腎虚? になりかけて英雄神なのに衰弱死しかけたんだから!」
「え? は? な? ミロちゃんが腎虚?」
ミロが過大能力で男の娘になれることを知らないショウイは、彼女の口からそんな単語が出てきたので、眼鏡がずり落ちるほど当惑していた。
「落ち着けミロ! はしたない! 言葉を選びなさい!」
ツバサはミロの後頭部をアイアンクローの要領で鷲掴みにすると、お仕置きも兼ねて握力全開で握り締めた。こうでもしなければアホの子は止まらない。
それ以前に――互いの組織の今後についての会談中。
こんなセクハラ紛いの暴挙、破談してもおかしくない失態である。
頭蓋骨がバキボキ悲鳴を上げてもミロは怯まない。
「プレイか? 特殊なプレイなんか!? 二人揃って最初から最高潮に盛り上がるような激しいプレイが赤ちゃんできる秘訣なのかーッ!?」
「おまえは何を言ってるんだ! ミロ、ステイ! ハウス! おすわり!」
「あの俺、お恥ずかしい話、素人童貞なんであんま凝ったプレイは……」
「アンタもなに暴露してんだ情報屋さん!?」
そういうことは言わないでいいから! とツバサはショウイも叱りつける。
騒然とした応接室が鎮まるまで十数分を要した。
~~~~~~~~~~~~
「ウチのアホ……いえ、娘たちが取り乱してしまい、大変申し訳ない!」
ツバサはテーブルへ両手と額を押し付けるように謝罪した。
「「……ごめんなさい」」
ミロとフミカも反省する気持ちに眉を8の字にして、深々と頭を下げる。どちらの頭頂部にもフルーツ大のたんこぶが膨れ上がっていた。ツバサから怒りの拳骨を受けたことで、ようやく我に返ってくれたらしい。
反省に重ねて猛省させたので、いつもよりしおらしくなっている。
四神同盟と源層礁の庭園――。
二つの組織の今後について代表者が話し合う場だというのに、四神同盟が一方的なセクハラで台無しにしかけたのだ。ひとつ間違えれば国際問題である。
拳骨と特大たんこぶ程度の罰で済むものではない。
ミロとフミカに何度となくペコペコ頭を下げさせて、ツバサも保護者として監督不行き届きの責を負おうと幾度でも謝罪させてもらった。
外交的に謝意を示すのは相手側に漬け込まれるウィークポイントだと軍師によく叱られるが、これは誠意の問題である。現に長男ダインも「ウチのフミが申し訳ない!」と平謝りだ。妻の不始末を夫も背負う覚悟である。
これで揉めたら――全責任はツバサが負うしかあるまい。
「あの……どうか頭をお上げください」
そういってツバサたちを制したのはサイヴだった。
まだ驚きが抜けきらないものの、大分落ち着きを取り戻した様子で、所在なげにこちらの謝罪を打ち切るように言葉を続ける。
「いきなりでしたので意表は突かれましたが……その、お気持ちはよくわかります。我々も出生率に関しては、幾星霜の年月を掛けて悩んできた過去があります。生命の軌跡を記録してきた源層礁の庭園ならば尚更……」
寛大なことに、サイヴは今の失態を大目に見てくれるようだった。
その上で、彼女たちも生命の研究者として神族や魔族の不妊体質に取り組んできた経緯を明かしてくれた。やはり、研究対象の一環らしい。
「ですが、申し訳ありません……」
次いでショウイが自らの不徳を詫びるように頭を下げてくる。
「俺たちは本当に……普通に、その、いや……ちょっと損得勘定もあったかも知れませんが……恋愛をして、それで……子供ができただけなので……」
「特別なことをしたわけではない……と」
すいません! とショウイはまた謝る必要はないのに謝罪する。
お力になれず申し訳ない! このような意味合いの謝意が受け取れるが、それはショウイの責任ではないので、責めるのも謝るのもお門違いだと思う。
彼と彼女は子宝という幸運に恵まれた――これに尽きる。
するとサイヴが思い出したように口を開いた。
「ただ……これは私見なのですが」
異種族間に血の交わりによって誕生する――灰色の御子。
「これが出生率改善の鍵だと思います」
サイヴは一縷の望みを託すように研究者として意見を述べる。
「異種族間での婚姻により灰色の御子が生まれるように、真なる世界出身の神族である私と、地球出身の神族である夫……ショウイだからこそ、子供を授かることができたと思うんです。私たちとあなた方は同じ神族ですが、その出自や由来が異なるためか、先天的気質がまったく別の種に感じる点が多々ありますから」
「それが異種族判定され、子供が生まれやすい要因になった可能性か……」
新しい遺伝子の発現を求めている――そんな意図を感じた。
真なる世界の生態系に関わる話かも知れない。
同族間で子供を作ると同列の遺伝子が続くため単調となる。
そうなると遺伝子に多様性がなくなり、たとえばウィルスや病気の耐性が低くなるとか、突発的な環境変化に適応するための肉体的応用力がなくなったり、外見的にも奇形や特異体質の子孫が生まやすい原因となる。
それを避けるため、地球でも同族での婚姻を避ける風習があった。
兄弟姉妹は当たり前だが、血縁の近い従兄弟との結婚にもいい顔をしないことは多く、アフリカやニューギニアなどで昔ながらの生活を営む部族では「嫁や婿は必ず余所の部族から求めるべし」という掟があるほどだ。
いとこ同士は鴨の味――という諺がある。
その意味は「いとこ同士は互いによく知っているので、夫婦になれば相性が良くその愛情は深まる。さながら鴨の味のように良いものになる」というもの。
これは精神的な相性を意味する。
肉体的、というより遺伝子面から見れば推奨すべきではない。
「……同族婚の繰り返しは、遺伝子の袋小路まっしぐらッスからね」
フミカがおずおずと口を挟んできた。
オカンから拳骨を喰らったのでまだ涙目だが、控え目に話題へと参加してきた。こういう小難しい話こそ、博覧強記娘な彼女の独壇場である。
「人間に限らず動物もそうッスよ。なるべく血縁ではない者を番いに選ぶよう工夫してるッスからね。まあ、全部が全部そうじゃないッスけど……」
「ええ、それに異種族間での交配にも問題点はありますから」
そこは同意見なのか、フミカとサイヴは目配せをすると頷き合った。
(※交雑種は繁殖能力がない場合が多い。父親と母親が別種であるほど、その可能性は高い。たとえ同じ交雑種同士の雌雄を揃えてもほとんど実現しない。有名な例だとライオンと虎の交配により生まれるライガーやタイゴン)
サイヴはテーブルの上に置いた手を組んだ。
フミカからツバサへ視線を移すと、意を決した声で静かに言った。
「神族や魔族の低すぎる出生率、灰色の御子誕生を始めとした改善方法……このような例に限らず、源層礁の庭園は四神同盟に協力できると思われます」
「協力……ということは?」
サイヴは一度目を閉じて、今度は大きく見開いてから告げる。
「私ども源層礁の庭園は――四神同盟への加入を望んでおります」
この会談で語り合うべき本題が切り出された。
サイヴがショウイの子を懐妊したことへの驚きや、不妊体質な神族に子供ができたことを知ってミロやフミカが狂乱したので場が混乱に陥りかけたが、そもそもはこの話し合いのために、サイヴやショウイは訪問してくれたのだ。
彼らと最初に接触したのは、ツバサの後輩エンオウ・ヤマミネ。
エンオウは源層礁の庭園を襲撃した鏖殺師グレンを倒した後、激戦の疲れから一時的に気を失ったが、すぐに目覚めると戦線復帰した。
その間際――サイヴやショウイと手短に話したと聞いている。
ツバサを始めとした四神同盟のことを簡単に説明すると、サイヴは「是非とも前向きは話をさせていただきたい」と申し出てくれたという。
この時点で好印象であり、同盟入りを期待できる回答だった。
それに情報屋も庭園の一員に加わっていた事実を鑑みれば、共に手を取り合える公算は大きい。話し合いもスムーズに進むことも予見できていた。
サイヴは恥じらうように小さな嘆息を漏らす。
「これは源層礁の庭園に属する者たち全員に見られる性質なのですが……大半の者は研究一筋で、あまり外界には目を向けようとしないのです」
特に年寄りほどこうした傾向が強いという。
「なるほど、そういったところは人間社会とよく似ていますね」
「いずれ頑固爺とか老害と呼ばれるパターンッスね」
軽口で相槌打つな、とツバサはフミカの背に手を回して軽く小突いた。
気にすることなくサイヴは話を続けた。
「生命の記録を余す所なく集積して管理する……知識の賢者気取りといいますか、庭園という穴蔵に籠もるばかりで、ここ数千年は蕃神を恐れてろくにフィールドワークに出向かない者も多く……いつしか机上の空論ばかりを並べ立てるのも珍しくなくなり、実践と検証を怠る研究者も増えてきたところです」
少々愚痴っぽく聞こえるので、彼女も鬱憤が溜まっていたようだ。
「現存する生命の知識にしろ、絶滅した生物の痕跡にしろ、現地に赴いて実地で調査してこそ……なのに、庭園はその本分を忘れつつありました」
一際大きな溜め息をついたサイヴは現状を嘆いた。
指を組んでいた両手はいつの間にか拳を握っており、微かに震えている。ツバサたちがいなければ殴りつけそうな勢いだった。
いや、ダンダン! と音がするほどテーブルに叩きつけていた。
「どの陣営にも属さないと格好つけたり、今ある記録の編纂を優先すると言い訳したり……どいつもこいつも外に興味がないだけなんです! 引き籠もりで古本読み返してるようなジジイばっかりなんですよもう!」
「サイヴさんストップ! 身内の悪口を人前でいうのは駄目だよ!」
ヒートアップする奥さんを宥める旦那さん。
そんな構図を見せてくれた後、サイヴは肩で息をして気を鎮める。
「……失礼しました。とにかく、古くさい考えに囚われたのではなく、単に出不精な年寄り連中が足を引っ張るのでもなく、まったく動こうとしなくて……」
「邪魔もしないけど手伝いもしないってわけッスね」
「ただの怠け者ぜよ。無能な働き者よかマシやが……五十歩百歩じゃな」
サイヴの苦悩にフミカとダインが共感を覚えていた。
精神年齢的に近いのかも知れない。サイヴも見た目は十代後半くらいだ。
「私の父上もこの風潮に呆れておりまして……」
サイヴの父親は、源層礁の庭園の統括研究所所長。庭園の管理者にして最高位の権限を有しているという。実質的に庭園のトップだ。
最長老であるものの、閉鎖的な体質には憂いていたという。
『象牙の塔に籠もっていては塔その物が朽ちる』
意識的な改革が必要だ、と最長老は動いたらしい。
まずはサイヴや若い世代には積極的に外界へ出るよう発破を掛け、灰色の御子が連れてきた新しい神族や魔族、つまりツバサたちのようなプレイヤーと出会う機会があれば、積極的に関わりを持つよう推奨した。
新しい遺伝子を取り込み――庭園へ新しい風を吹き込む。
最長老と呼ばれるほど最高齢であるものの、サイヴの父親は先進的な考え方をすることができ、未来を見据える先見の明もあるようだ。
サイヴは静かにショウイへと寄り添う。
「そんな理由で……ショウイと出会った際には猛アプローチいたしました」
「はい、情熱的にアプローチされました……」
ショウイは照れ臭そうに「たはは……」と笑いながら、また恐縮そうに頭を掻いて誤魔化していた。どうやらこれが損得勘定らしい。
蕃神の眷族やモンスターと絶え間なく戦闘しながら長旅。
いくら神族でも疲弊は免れず、ショウイは庭園近くで行き倒れ寸前の状態で野営していた。そこをフィールドワークに出たサイヴに拾われたとのこと。
庭園に新風を吹かせたいサイヴにすれば絶好の機会。
ショウイを庭園に招いたのは、そうした打算が働いたからだという。
途端にサイヴは滑舌もよく嬉しそうに語り出す。
「でも、付き合っていて思い知らされたんです……彼が私たちよりも遙かに強大な力を備えた神族で、金属と火薬を用いた“銃器”という武器の概念を庭園にもたらして防衛力強化に貢献してくれ、気力体力精神力は元より私たちの調査能力を凌駕する情報収集に秀でた過大能力なるものを操り、遺伝子的にも私たちが持ち得なかった素晴らしい素質をたくさん持っていることを……」
ショウイの長所をサイヴは延々と力説する。
惚気話にしか聞こえないそれに、大人しくしていたミロがツッコんだ。
「こりゃ逃す手はない、と思っちゃったわけだ」
「はい! 彼を夫に迎えれば庭園の安泰は間違いなしと確信しました!」
サイヴは握った拳に熱を込める勢いではっきり断言した。
なるほど――道理で猛烈アプローチするわけだ。
子宝に恵まれたのもサイヴにすれば渡りに船だろう。お望み通り新しい風を吹き込めたわけだし、後継者問題も解決したのだから……。
これらの前提を経たのも功を奏したらしい。
前述の通り、ショウイは庭園にてその力を示した。
サイヴに一目惚れされて婿になったことは、彼女の父親である最長老に認められたことを意味し、庭園内でも無下に扱う者はいなかったはず。
むしろ敬われたほどだったという。
おかげで四神同名への参加も反対意見はほぼ0だったそうだ。
庭園でのショウイの活躍が、そうなるまでの下地を築いてくれたのである。
だが、サイヴは呆れ気味に小さな吐息を漏らす。
「……まあ、想像以上に『研究さえできればそれでいい』という、日和見主義といいますか、長いものに巻かれても平気だったといいますか……」
「ああ、良くも悪くも研究者肌な人が多いんですね」
大学の友人たちがこの手合いだったので、なんとなくツバサもわかる。
研究にしろ創作にしろ仕事にしろ、ひとつのことへ一心不乱に打ち込んでいる者は、主義主張なんてどうでもいいとする人が少なくない。自身のテリトリーを邪魔されなければ、大概のことはスルーしがちなのだ。
どうやら庭園の研究者の多くは、このタイプに属するらしい。
はい……とサイヴは不承不承に肯定した。
「ですが、先の破壊神が起こした大戦争により、庭園の防衛を担っていた戦闘能力に秀でた研究者に何人もの死傷者が出てしまったことも後押ししたのか……さすがに危機感を煽られたらしく、四神同盟の存在を知った途端『一刻も早く傘下に入れてもらおう!』と騒ぎ出すジジイどもおりまして……」
「……ちょっと判断が遅いかも知れませんね」
これにはツバサも苦笑いで返した。
痛い目に遭ってから危惧するのは、慎重派のツバサから言わせてもらえば遅すぎるくらいだ。何事にも最低ラインの保険は掛けておくべきだと思う。
サイヴが最初からツバサに謙っていた理由。
庭園の研究者たちの言葉を真に受けたわけではないが、破壊神との戦争に巻き込まれた経験から、強力な庇護を得たいという真意が垣間見える。
話が早いわけだ――彼女は協力を求めにきたのだから。
この会談で首尾良く四神同盟加入を取り付けた暁には、サイヴの父親である最長老は隠居し、ショウイとサイヴが庭園の全権を任されるという。
姿勢を正したサイヴは、改めてお辞儀をしてくる。
「エンオウ様に救われた御礼も未だ満足にできておらず、援助が欲しいとばかりに押し掛けてしまいましたが……どうか我らも四神同盟の末席に加えていただけたらと……伏してお願いに参った次第でございます」
更に頭を下げようとするサイヴを制し、ツバサは手を差し出した。
呆気に取られて顔を上げる彼女へ微笑みかける。
ここまで来れば話し合いは不要、お互いの手を取り合うまでだ。
「俺たちは源層礁の庭園を歓迎します――共にこの世界を立て直しましょう」
「……はい! 感謝いたしますツバサ様!」
サイヴも顔を綻ばせると、ツバサの手を両手で掴んでくれた。
目尻からはポロポロと涙の粒がこぼれ落ちる。
ここに――源層礁の庭園も四神同盟への加入が決定した。
扱い的には還らずの都や天梯の方舟と同じものになるだろう。援助は惜しまないが、基本的運営は遺跡を管理した者たちに委ねる形だ。
何より、庭園の研究者たちもそれを望むだろう。
はにかむ笑顔で潤んだ瞳のサイヴは、上目遣いにツバサを見つめている。
「もしかすると……ツバサ様は私たちの庭園に伝わる、伝説の大地母神なのかも知れませんね……我が父が待ち望み、寝物語に聞かされた伝説の……」
「伝説の大地母神……?」
どんな話ですか? とツバサは好奇心から詳細を尋ねてみた。
源層礁の庭園は――生命とその進化の記録係。
『いつの日か、自然と生命を司る偉大な大地母神が庭園に降り立つ時、彼女は庭園に遺された記録を頼りに、真なる世界の再興と再生を果たすであろう』
「……いつか庭園は彼女にすべてを託すのだ、と」
父である最長老の言葉をサイヴは思い出しながら諳んじた。
庭園に生きる研究者の誰もが、この大地母神の降臨を信じているという。
――大自然と生命を司る大地母神。
これがサイヴの口から出た瞬間、応接室にいるすべての眼がツバサに注目したのは言うまでもない。過去を知るショウイもこちらを見つめている。
サイヴの手を優しく離すと、ツバサは目の前に掌を掲げた。
そこに大地母神の力を凝らしていく。
第一の過大能力――【偉大なる大自然の太母】。
大自然を操るのではなく、その根源となって森羅万象を統べる能力。
この能力のみでも、小動物くらいなら創造することはできる。
だが、いいところ小鳥や兎くらいのもので、これ以上の高等生物を群れ単位で創り出すには、誰かの過大能力の助けを借りなければ難しかった。
(例:ミロの持つ万能の過大能力でパワーを底上げしてもらう。フミカの情報を操る過大能力で生命の設計図を融通してもらう。etc.……)
しかし、今のツバサは違う。
状態確認の枠から外れ、強さの位階を越え、宇宙卵から生まれた使者を倒し、新たな強さと力を得て、大地母神としての格を大いに上げた。
今ならば強大な力を持つ神獣をダース単位で生むことも容易い。
第三の過大能力――【遍く三世の衆生を導かんとする生命の精髄】。
破壊神ロンドを打ち倒した褒賞として授かった、あらゆる生命を意のままに創り出す創造神としての能力。
二つの過大能力を連動させれば可能なはずだ。
ツバサが意識を集中すると、掌に凄まじい熱量が渦巻く光が宿った。
生命を産み出す輝きは、火傷しそうな閃光を発していた。
そこから生じさせる生命体を想像する。
ハトホル太母国周辺の自然環境で棲息でき、それなりに説得力のある見栄えの良い容姿を持ち、並の女神では簡単に生み出せないほど格の高い生物。
この状況でパフォーマンスに優れた霊獣あるいは神獣。
ツバサは自らの名前に肖り、鮮やかな翼を持つ霊鳥を創り出してみた。
迦楼羅、金翅鳥、鸞、鳳凰、朱雀……パッと思いつたのが東洋系の霊鳥ばかりだったが、何羽もの神々しい鳥が応接室の空を飛び回る。
体長の大きい鳥ばかりなので、応接室の中は狭苦しそうだった。
すかさずメイド長のクロコが気を利かせる。
セイメイを鞭打つ制裁を小休止すると、応接室で一番大きい出窓へ近付いて一気に解き放ったのだ。霊鳥たちはそこから大空へと羽ばたいていく。
室内には鮮やかに煌めく何十色もの羽根が舞い踊る。
大地母神の手ずから創造された霊鳥たちの旅立ちを見送っていたサイヴは、しばらく呆然としていたものの、ショウイに肩を揺らされて我に返ると再びツバサの手を両手で包むように握り締めてきた。
その力は今までの比ではなく、その瞳から零れるものは感涙だった。
「嗚呼ッ、どうか……女神様と呼ばせてください……」
「あなたも俺も女神だと思うんですが……」
まだ男でいるつもりのツバサには心中複雑だが、神族の女性は基本的に全員女神のはずだ。その身に宿した神能によって様々に分類されていく。
ツバサならば、サイヴの話にあるような大地母神だ。
源層礁の庭園に語り継がれる伝説の女神と合致するのだろう。
「失礼しました、大地母神様と訂正させてください」
あなたこそ――源層礁の庭園が待ち望んだ伝説の大地母神!
歓声めいた大声を上げたサイヴは席から立ち上がり、一気にテンションを上げて声色を弾ませる。
その豹変っぷりは些か過剰に思えるほどだ。
「まさか私の代で……父上がご存命のうちに、生きた伝説へ相見えられるとは夢にも思いませんでした! これで我ら庭園の悲願が、ひたすら生命の探求を重ねてきた父上たちの労苦が報われます!」
そして、サイヴはツバサの能力を存分に褒め称える。
小躍りするようなオーバーアクションでだ。
「もはや我々ですら絶滅したと諦めかけていた、希少性の高い霊鳥をいとも容易く瞬く間にあれだけの数を創造できるなんて……かつて庭園と接触のあった女神や大地母神の創造力でも群を抜いています! 間違いなく最上級です!」
「あ、あの、サイヴさん……?」
ここまでハイテンションな奥さんは初めて見るらしい。
席から立ち上がりツバサを絶賛するサイヴに、ショウイは困惑しきりだった。同時にツバサも奇妙な違和感を覚えてしまう。
彼女の態度に、空騒ぎのような無理やり感があったからだ。
「これで我らの使命を果たせます! “外来者たち”に蝕まれた生態系を創り直すことも叶いますし、奴等に屈しないよう生態系をより強いものへ組み直すこと夢ではありません! そこに生きる生命を更に強くすることも!」
宥めるショウイやツバサの視線に気付く素振りもなく、サイヴは次期庭園の管理者としての展望について熱弁を振るった。
「いっそ侵略者と戦わせることを前提とした生体兵器を開発……ッ!」
「――待った」
サイヴがある話題へ進んだ瞬間、ツバサは制止をかけた。
厳しい目付きで睨みつけると、こちらの意図を察したかのようにサイヴは騒いでいた口を噤んだ。静かになったところでツバサは重々しく口を開く。
「無闇に生命を創造するつもりはない」
戦うためだけの生物兵器など以ての外だ、とツバサは断言した。
その上で自分なりの計画を打ち明ける。
「侵略者どもに滅ぼされた生態系の回復、大いに結構です。そのための助力ならば惜しみません。全力を費やすのも厭わないでしょう。絶滅が危惧される生物や種族が助けを求めるならば、彼らが総数が増えて安定するまで保護や後援という形で助けすることも辞しません……だが、これだけは覚えておいてほしい」
神々の乳母は――徒に生命を創らない。
ツバサは自らへ言い聞かせるように言の葉を紡ぐ。
「無責任に生命を創るだけ創って放置することはしたくないし、侵略者と戦うためだけの先兵みたいな戦闘生物を創るのもお断りです。あくまでも現在を生きる生命の有り様を尊重し、彼らが生きるこの世界を守護りながら繁栄させていく」
それがツバサなりの方針だった。
新たな生命を創る必要に迫られたら、有識者を交えて推し進める。
亀の歩みと揶揄されても、時間を掛けてゆっくりとだ。
生態系の改造についても言わずもがな。
生命や自然を操作する場合は、万全と慎重を期する
蕃神に対抗し得る戦闘種族についても考えないでもないが、侵略者と戦うことを使命とする生命のその後を慮れば、手を出すべき領分ではない。
もしも――戦闘種族の開発に着手した時。
それはもう真なる世界が敗色濃厚にまで追い詰められた時だろう。
綺麗事もお為ごかしも通じない、形振り構っていられない事態のはずだ。
そうなる前に――万難を排してでも蕃神を追い払う。
真なる世界には、それができる力を秘めている手応えがあった。
この世界にはまだ数多の生命が息づいている。
生命が脈動する森羅万象と深いところで繋がす大地母神だからこそ、ツバサは世界に生きる者たちの底力を我が物のように感じることができた。
まだ大丈夫――真なる世界はまだ戦える。
「――大地母神の力は彼らを育むために使います」
自らの恣にすることはない、とツバサはきっぱり宣言した。
これを聞いたサイヴから空騒ぎな狂騒が落ちていく。
いきなり無表情になると席にも座り直さない。立ったまま歩き始めると、ツバサの傍らへ回ってきて音もなく跪いた。
「試すような真似をしたこと……どうかお許しください」
王へ忠誠を誓う家臣の如く、無礼を詫びるように頭を垂れてきた。
「確かに庭園に生きる代々の研究者たちが、生態系を統べる大地母神の降臨を待ち侘びてきたのは事実です……同時に、その出現を警戒してきました」
サイヴは先ほどまでの空騒ぎについて白状する。
――自然と生命を司る大地母神。
もしも彼女が思慮に足らず唯々諾々と生命を創り、浅慮に生態系を弄ぶような愚かしき女神であったなら、庭園は決して傅くことはない。
現存する生態系を尊び、そこに根付く生命を思い遣る心。
「慈愛と慈悲の心で、今ある生命を第一に考えてくださる大地母神でなければ敬愛するに値せぬ、だから不遜であっても必ずやその御心を試せと……」
「それも庭園に言い伝えられてきたわけですね」
あの空騒ぎはツバサの性根を試すテストだったらしい。
サイヴの演技がお粗末だったので途中で見抜いてしまったが……。
これは――ある種の予防線である。
庭園が蓄えてきた生命の歴史を悪用されないためにも、その全知識を託すべき女神の資質を検めるための試験である。どれほど有能な女神が現れても性格と根性が悪ければ認めるつもりはない、と遠回しに言ってるようなものだ。
褒め称えられて調子に乗るような女神なら脱落。
嘘の称賛を拒んで窘めれば及第点、自らの意見を答えられれば合格。
彼女の態度から見るにツバサは合格のようだ。
涙に塗れた顔を上げたサイヴは、晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。
「ツバサ様こそ、我らが尊敬を捧げるに相応しい大地母神様……夫が恩師のように敬ってきた理由にも……ようやく得心がいきました」
源層礁の庭園は――四神同盟へ全面的に協力させていただきます。
次期庭園管理者となるサイヴは確約してくれた。
真なる世界の生態系回復への希望、その行程が大いに捗りそうだった。
~~~~~~~~~~~~
源層礁の庭園は、真なる世界の生命と進化を記録してきた。
一粒の名もなき単細胞生物すら忘れぬように、ひたすら生物の歴史を記憶してきたばかりではない。世界や生態系と呼応させるべく情報を編纂してきた。
そのため庭園を世界の縮図とする見方もある。
縮図を利用することで、真なる世界各地の情勢を把握できないか?
このアイデアを発展させた研究者集団がいるそうだ。
「大宇宙と小宇宙は呼応する……この理論を元に我が庭園の技術者たちが類感魔法技術を駆使して造り上げたのがこちら、“四大陸照応の箱庭”です」
講師然とした口調でサイヴは重要な品の紹介を終えた。
席から立ったサイヴとショウイは、「同盟入りとは別にご相談したいことがあります」と神妙に切り出し、この説明を始めたのだ。
長テーブルのお誕生日席前に立ったサイヴ。
その脇に控えたショウイは応接室の中空に映像投影用のスクリーンを浮かび上がらせると、そこにサイヴのいう“箱庭”なるものを映し出した。
それは大きなジオラマ模型にも見える。
平面的に展開されているが、真なる世界の全景を模したものだそうだ。
――これが真なる世界の全体像。
そう考えると、この異世界における世界地図を初めて目にする機会であり、なんとも感慨深い気持ちが湧き上がってくる。
ダインやジンが打ち上げた人工衛星。
そうした宇宙から見渡す眼を以てしても見渡せない広大な世界。
太古より生態系の調査を続けていた庭園の研究者は、無辺際と恐れ戦きたくなるほど広がる真なる世界すべての地で測量を終えていたらしい。
伊能忠敬もびっくりだろう。
(※江戸時代に全国を測量して正確な日本地図を完成させた偉人)
この世界地図だけでもツバサたちには有り難い。
現状、四神同盟が居を構えている中央大陸ですら、地理的状況をろくに把握できていないのだ。正確な地図があるだけでも様々なことが進展するだろう。
今後も庭園から提供される情報には助けられそうだ。
初めて見る世界地図、静かな興奮を覚えながらスクリーンを見上げる。
まずは――ツバサたちも暮らす中央大陸。
大まかに楕円形をしたそれは、箱庭の中に浪波と注がれた海の中央にドン! と不貞不貞しく鎮座していた。他の大陸と比べても存在感がデカい。
中央から見て右斜め上――二つに分かれた北東大陸。
現実で言えばブリテン諸島に似ており、グレートブリテン島とアイルランド島の大小二つの陸地に分かれているような感じである。
中央から見てやや左斜め――無数の島々が連なる北西諸島。
現実ならばインドネシア諸島のような、いくつもの島々が集まって迷路のような海峡を描いていた。群島国家でもありそうな雰囲気だ。
目下、未来神ドラクルンの本拠地と目されている一帯でもある。
最後に中央から見て真下――巨大な南方大陸。
中央大陸には見劣りするものの、北東大陸や北西諸島と比べれば遙かに大きい陸地が広がっている。概ね台形を逆さにしたような形をしており、中央大陸に面した上辺は横に長く、最南端の下辺は短い。
南にある大陸だからか、なんとなくアフリカ大陸を連想してしまう。
その南方大陸の南端が黒に染まりつつあった。
大陸の南にドス黒い丸が大きく穿たれており、そこから黒カビが繁茂するように、淡い黒が徐々に浸食しようとしているのだ。
よく箱庭を観察すると、同じ黒いシミがあちこちに点在する。
中央大陸にも、北東大陸にも、北西諸島にもだ。
黒いシミは不吉を予感させる漆黒で、少しずつ世界を蝕んでいるように見える。だが、どれも面積的にはそれほど目立つものではない。
南方大陸の南端にあるものが最大のようだ。
「箱庭に生じた黒い蝕……あれは“外来者たち”に侵されている表れです」
俯き加減のサイヴは無念も露わに呟いた。
ツバサは箱庭の各所にある黒いシミを指差して訊いてみる。
「蕃神……“外来者たち”に? 別次元からの侵略者たちが、地図上にある黒で染められた地点に居座り、この世界の活力を奪おうとしているわけですね」
「その通りです……この箱庭は真なる世界の縮図」
世界に異変が生じれば、それに呼応して箱庭にも変化が現れる。
詳細は現地に出向いて調べないとわからないが、箱庭上でも「何が起きているか?」くらいは漠然とわかるそうだ。
蕃神による侵略行為は黒として表現されるという。
ミロは嫌な予感を覚えた顔で、南方大陸の大きな黒丸を指差した。
「じゃあ……あの南のまっくろくろすけは……」
「恐らく――最大級の“外来者たち”が潜伏していると推測できます」
だとしたら、超弩級の蕃神の王がいるだろう。
以前還らずの都を巡る戦争の最中に出現した超巨大蕃神“祭司長”に勝るとも劣らない……もしかすると、体格だけなら奴を凌駕するかも知れない。
それほどの強大な蕃神が――南方大陸で根を張りつつある。
これは相談を求めてくるのも頷けた。
学者集団に過ぎない源層礁の庭園では、対処方法の糸口を見つけ出すことさえも難しいはずだ。恐らくは、これまでは諦めムードだったに違いない。
だが、四神同盟と協力すれば可能性があるかも知れない。
僅かな希望を見出すため、この無慈悲で容赦ない世界でも必死に抗って生き抜こうとする四神同盟の生き様を知り、この秘密を明かしてくれたようだ。
すると、言いにくそうなサイヴが口籠もりながら続けた。
「実はこの映像……一年前のものなんです」
「「「いっ、一年前ッ!?」」」
ミロ、フミカ、ダインが悲鳴みたいな声を上げた。
ツバサも目を丸くして、その言葉が意味する重大さに息を呑んだ。
一年前といえば、ツバサたちが真なる世界へ転移してきて間もない頃。改善されることはないから、悪化の一途を辿っているに違いない。
「こちらが……現在の真なる世界です」
サイヴの説明に合わせて、ショウイがスクリーンの映像をスライドさせる。
応接室の誰もが絶句せざるを得なかった。
中央大陸、北東大陸、北西諸島、これらは大した変化は見られない。
むしろツバサたちが蕃神を撃退したり、先日ロンドを倒したご褒美として各地の次元の裂け目が塞がれたためか、黒いシミが薄らいでいた。
しかし――南方大陸は別である。
明らかに悪化していた。というか、地形まで激変している。
まず南方大陸は三つに分裂していた。
大きな黒点のあった南端は漆黒に染まり、そこから逃れるように大陸が割れたかと思えば、更に左右へと割れている。都合三等分になっていた。
歪な“Y”の字を描くように走る海峡。
完全に暗黒に墜ちた南端の島からは黒い触手が伸びるように、ふたつに割れて逃れた左右の島を端から黒に染め上げつつあった。
ツバサの脳内にロンドの置き土産が木霊する。
『一年、いや、半年のうちに……南へ向かえ……まず、そこが堕ちる』
「ロンドのオッサンが言ってたのはこのことか……ッ!」
歯噛みしたツバサは焦燥感に駆られ、頭髪を掻き毟りそうになった。
一年放置してここまで悪化してしまったのなら、また一年放っておけば腐れ墜ちること必定だ。慎重派のツバサにすれば半年でさえ危なっかしい。
早急に対処せねば――南から真なる世界が墜ちる。
ふと横目をやれば、ミロの指先が不思議なラインを描いていた。
アホの子だが核心を突く勘を持つ天然タイプ。
そんな彼女の独特な着眼点が、箱庭のある部分を不思議そうに眺めていた。
「ねえねえサイヴちゃん、もしくは情報屋さん」
あの青いラインなに? とミロの指先はそのラインをなぞる。
そのラインは南方大陸を取り囲んでいた。
大地、山脈、河川、森林、海洋……“四大陸照応の箱庭”は、真なる世界の大自然を忠実に再現し、蕃神に侵略された地域も正確に塗り潰している。
だとすると、「アレは何?」と違和感を覚えるものがあった。
それがミロの指摘した、南方大陸を包囲する謎のラインである。
「申し訳ありません……あのラインが何を表すのかは私や父上はおろか、この箱庭を作った研究者たちにもよくわからなくて……」
これにはサイヴも返答に窮していた。
そこへショウイも助け船を出そうとするのだが……。
「俺もあの青いラインが何なのか気になったので、偵察のつもりで調べようと現地まで行ってみたんですが……すいません、辿り着けませんでした」
「無理もないですよ。あれは遠すぎる」
詫びるショウイを慰めるようにツバサは言った。
箱庭という地図上で見れば大した距離ではなさそうだが、中央大陸の大きさから換算するに、南方大陸との間に横たわる海洋面積は尋常ではない。
LV999で飛行系技能に自信のある高位種族。
そういった人選でも何日掛かるか知れたものではない距離だ。
トホホ……と嘆きそうな顔でショウイはぼやく。
「おまけに南へと進めば進むほど、とんでもない怪物たちが束になって襲いかかってくるんですよ……リヴァイアサンとかバハムートとベヒモスとか、あいつらをもっと凶悪にパワーアップさせたような海洋生物が……」
自分一人では手に負えないと判断したため、引き返してきたという。
これはなかなか有益な情報だ。ツバサは相槌を打つ。
「南方大陸を守る守護獣みたいなものですかね」
「そうなるちゅうと、単身で行くより飛行母艦みたいな足掛かりとなる移動拠点に仲間を乗せて、数人掛かりで向かった方が安パイって感じじゃな」
長男ダインの建設的な意見にも同意の頷きで返した。
映像スクリーンに浮かぶ南方大陸をサイヴは見上げている。
「どちらにせよ、あの地には多くの謎があるとされています……庭園の研究者たちも、ここ数十万年は近寄ることもできないと聞いておりますし……」
完全に未開の地と化していることを踏まえて彼女は言う。
「暗黒に包まれし南方大陸――神魔未踏のメガラニカには」
「メガラニカ? こりゃまた妙に符合してるッスね」
その呟きを耳聡く拾ったフミカは、南方大陸がメガラニカと呼ばれたことに感心している様子だった。明らかに聞き覚えのあるような言い方だ。
「フミカ、メガラニカって名前に心当たりがあるのか?」
「地球にもあったんスよ。メガラニカと名付けられた未知の南方大陸が」
かつて古代ギリシャ人は南に大陸があると信じていた。
ヨーロッパ、アジア、アフリカ北部……これだけの陸地に釣り合うだけの、巨大な大陸が南に広がっているという仮説を打ち立てていたのだ。
その大陸はラテン語で単に“南方大陸”と呼ばれた。
あるいは、未発見なことを強調されてこう呼ばれたという。
――“未知なる南方大陸”と。
~~~~~~~~~~~~
「なんじゃ……これは……ッ!」
目の前に現れた壮大な光景にドンカイは瞠目させられる。
ハトホル太母国を旅立ち――早四日。
破壊神ロンドから『南が危ない』という遺言を聞かされたツバサは、南方で何かが起きているとの予感から、ドンカイにその偵察を頼んできた。
即ち――南方調査の出張である。
LV999の中でも最上位級の強さを誇る神族。
不測の事態が起きても乗り切れる実力を買われてのことだ。
百貫目の相撲取り体型なので飛行系技能はそれほど得意ではないが、代わりに海を操る過大能力を持っているため、「空を飛べないのなら海を泳げばいいじゃない」の精神で、陸海空を踏破できる神能も見込まれたのだろう。
そして、ハトホル太母国で信頼の置ける数少ない大人だからとのこと。
他の年長者もそこそこまともなのだが、脳内ショッキングピンクなメイド長とか、朝から晩まで酒のことしか考えてない用心棒である。
他にも頼れる大人はいないこともない。
だが、ハードな遠征に挑むだけの体力があるかといえば心許なかった。
そんなわけでドンカイに白羽の矢が立ったのである。
ここまで遠方に来てしまうと通信機器が圏外になってしまう。そこで念のための対策として、いつでも本体と意思疎通できているジャジャの分身をお供に、ドンカイは単身で南を目指して飛び続けた。
(※もしもドンカイでも対応できない危難に遭遇した場合、ジャジャを通じてツバサに眷族召喚魔法で呼び戻してもらうことで緊急避難ができるから)
身の丈2m50㎝、海一色の浴衣に単衣を羽織った大横綱。
牙がチャームポイントの伊達男は、小さなくノ一を肩に乗せて大海原を征く。
道中――幾度となく海の怪物に襲われた。
破壊神との戦争中に見掛けた巨獣や巨大獣に匹敵する、リヴァイアサンやバハムートと呼びたくなるような大海獣ばかりだった。
それらを時に撃ち破り、時にやり過ごし、どこまでも南下していく。
どれほど怪物たちを蹴散らした頃だろうか?
凄まじい威圧感に見舞われたドンカイは、その場に踏み止まっていた。
「なんじゃ……これは……ッ!」
もう一度、同じ驚きの言葉を繰り返す。
ドンカイの行く手を阻むもの――それは巨大な瀑布。
右を見ても左を向いても、水平線の彼方まで激流の壁が聳え立っている。それはどこまでも果てしなく続く緞帳のような滝だった。
大空の高みから高密度で降り注ぐ重水の滝。
あれはドンカイの過大能力でも操作するのは至難の業だ。
ふと、合点が行ったことがひとつある。
「そうか……あの怪物どもはワシやジャジャ君を餌と思って襲いかかってきたのではない……この瀑布に巻き込まれたくなくて逃げ惑ってたんじゃ」
「道理でパニック気味だったわけでゴザルな」
ドンカイの肩で待機するジャジャの分身が合いの手を入れてきた。
この重水の瀑布の向こう側を調べられるか?
ドンカイは不得手ながらも分析系技能を使って調べたり、海を操る過大能力で働きかけてみるが、恐ろしいことが判明するだけだった。
まず、この瀑布の正体は結界である。
深海まで潜って潜ろうが、滝が降り注ぐところより上空を飛び越えようが、結界となっているため突破できない。その結界も超強力と枕詞が付くタイプの防壁結界なので、力業で強引に破るような真似も不可能だった。
そして、瀑布のカーテンの奥に強烈な気配が蠢動しているのだ。
この押し潰されそうな感触を忘れるはずもない。
「こいつぁ……あの超巨大蕃神とよく似とる。圧力だけならあれ以上じゃぞ」
「じゃ、じゃあ、まさか……あの滝の向こう側にいるのって」
ゴクリ、とジャジャの分身が固唾を飲む。
認めたくないがドンカイは冷や汗を伝わせて言葉に表した。
「紛れもなく蕃神――危険度はこれまでの奴らと桁違いじゃな」
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